未来・第79号


            未来第79号目次(2011年4月19日発行)

 1面  反原発のうねり

     トラック2台 いわき市に支援物資を輸送

 2面  災害ではなく犯罪だ
     福島原発事故 講演 広瀬隆さん

     災害派遣と反軍闘争
     緊急寄稿 反戦自衛官 小多基実夫さん

 3面  原発の真下で地震が
     浜岡原発 直ちに止めろ

 4面  議会占拠 10万人 米ウイスコンシン州
     公務員の団交権制限

     とめたいんや戦争!守るんや命!3・21行動
     反原発でリレートーク

     都教委 「君が代」処分強行

     侵略賛美2社合格

 5面  グローバル化と対決
     春闘集会で活発な討論<関西合同労組>

     全国連が第20回大会

     コンピューター監視法
     警察がメールを監視・押収
     法案強行切迫で集会

 6面  直撃インタビュー(第12弾)《下》
     今度こそ沖縄と本土の連帯を
     大湾宗則さん(京都沖縄県人会 会長)

 7面  投稿 沖縄訪問記
     ヤンバル・高江の攻防

     普天間即時閉鎖 辺野古やめろ 海兵隊はいらない
     沖縄・第に期意見広告を

 8面  山口県春闘討論集会
     現代につながる 幕末の志

     市東さんの笑顔に
     三里塚の根本を見た

       

反原発のうねり

10日 東京・芝公園から出たデモ

芝公園 2千5百人

10日、午後1時から「浜岡原発すぐ止めて! 東京集会&デモ」がおこなわれた。東京タワー横の芝公園は2千人を超える人で埋め尽くされた。
司会は向井雪子さん (チェルノブイリ子ども基金)。発言は、阪上武さん (浜岡原発差止裁判原告/福島老朽原発を考える会)、塚本千代子さん (浜岡原発を考える静岡ネットワーク)、高木章次さん(プルトニウムなんていらないよ! 東京/浜岡原発差止裁判原告)、池田香代子さん(ドイツ文学者)など。
午後2時にデモ出発。機動隊が入口を制圧している経済産業省前、中部電力東京支社前、東京電力本社前で弾劾の声をあげ、東京駅の北側まで行進。デモは2〜3百人の梯団が10個もつながり、2千5百人を超えていた。〔浜岡原発を考える静岡ネットワーク・塚本さんの発言は3面〕

高円寺 1万5千人

同じく10日、東京・高円寺でも反原発デモ。1万5千人が集まった。「素人の乱」がよびかけ、インターネット、ツイッターなどで広まり、参加者のほとんどは若者。サウンドデモ、ロック、レゲエ、ちんどん屋など、思い思いのスタイルで参加。「デモは初めて」「ネットで知った」という人が目立った。被災地あてのカンパは123万円も。
午後2時に高円寺中央公園に集合、デモは3時から高円寺駅、新高円寺駅、東高円寺駅を通り、一周したのち高円寺駅北口が終点。デモの最後尾が終点に着いたときは6時半をまわっていた。

大阪 3千5百人

16日、大阪市内で「原発いらん! 関西行動」がひらかれ老若男女、子どもなど3千5百人が参加。よびかけは「ストップ・ザ・もんじゅ」など8団体。中之島公園(市役所南側)で集会、御堂筋をナンバまでデモ。延々とつづくデモは、先頭が出発して、最後尾が公園を出るまで50分も。
集会で発言した京大原子炉実験所・元講師の小林圭二さんは「事故は最初の2、3日ですべてが決まった。政府も東電も『(人命ではなく)原発をいかに守るか』という対応に終始した」と弾劾した。

16日 大阪・御堂筋デモ

トラック2台
いわき市に支援物資を輸送

東日本大震災緊急支援市民会議(※)の仲間は、9日、コンテナトラック2台を連ねて、いわき市に向かった。 今回の支援物資は、@飲料水「嬰寿の命水」10リットル入り容器100本、A約1トンの野菜、果物(約50箱)。品目は、たけのこ、茄子、リンゴ、夏みかん、バナナ、苺、ほうれんそう、小松菜、水菜、白菜、じゃがいも、大根、キャベツ、キクラゲ、人参、パセリ、その他。
行先はいわき市四倉町の老人ホームと他1カ所。この老人ホームは、海水浴場から20mしか離れていないところにあるが、高台にあるため難をのがれたとのこと。
現地の話では、市の災害対策本部には支援物資が山積みだが、市の職員が足りないため、必要なところへすぐには届けられない状態。
出発前日の準備は、2隊にわかれ、1隊は箱根に「嬰寿の命水」を汲みに行き、100本つめてきた。オーナーは今後も協力すると言っている。もう1隊は、パルシステム岩槻に向かい、野菜・果物、約1トン(約50箱)の無償提供をうけた。
(※)東日本大震災緊急支援市民会議 首都圏のたたかう仲間たちがたちあげた。参加団体は、9条改憲阻止の会、明大土曜会、ルネッサンス研究会、沖縄・意見広告運動、変革のアソシエ、伊達判決を生かす会、『未来』編集委員会など。

2面

災害ではなく犯罪だ
福島原発事故 講演 広瀬隆さん

『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)の著者・広瀬隆さん講演会が、10日、大阪市内でひらかれた。主催は「ノーモアチェルノブイリ関西のつどい実行委員会」。広瀬さんは、激しい怒りと悔しさをにじませて、福島原発事故で進行する危機を訴えた。要約を掲載する。〔文責・見出しとも本紙編集委員会〕

東京電力本社前をデモ(10日都内)

原子炉が壊れている

福島第一原発の1〜6号機は日本の原発で最も低い耐震性。270ガル(ガル=地震の揺れの強さを表す加速度の単位)で設計・建設された。東電が今月になって発表したが、地震発生時は「東西方向550ガル」だった。ここに最大のスキャンダルが隠されている。
550ガルなんてちょっとした地震で、すぐ起こる。4年前の新潟県の柏崎原発を襲った中越沖地震は今回より、はるかに小さい地震だが、2000ガル。今回の福島原発での550ガルという揺れは小さい。
地震がおこるまで原子炉内は70気圧あった。地震発生の12時間後に9気圧に下がっている。原子炉のどこかで圧が抜けた。配管が飛んだ。亀裂が入ったぐらいかもしれない。少なくとも水が正常に流れる状態ではなくなった。
550ガル程度で配管が壊れてメルトダウンに入ったのなら、日本の原発は全部終わり。大地震でなくても、中地震で終わり。それが明らかになった。
さらに3月15日に東京でテルルが検出された。これで私は決定的に原子炉がダメになっていると確信した。炉心の金属が外に出て、東京まで来るくらいだから。大変なことが起こっている。

関西電力本店前で抗議(11日大阪市内)

再臨界の可能性も

再臨界に至る危険性が残っている。一番の問題は、どこに穴が開いてるか。これがわからない。東電も保安院も原子力安全委員会もみんなわからない。溶け落ちた炉心がどういう形でどういう場所に引っかかっているのかがわかっていない。


底の抜けたバケツ

仮に電気が通って給水ポンプが回り出しても、底の抜けたバケツに水を入れるようなもの。熱交換器のほうの復水器のところも津波をかぶって故障しているから、冷却効果は期待できない。新しいものをつけない限りダメ。だからこの回路はほとんど冷却回路にはなっていない。
それから、事故が収束できるとしたら、原子炉の燃料棒を取り出さなければならないが、取り出すことができない。爆発でクレーンが吹き飛んでいるから。
永遠に冷却ポンプで水を回す他ない。その間ずっと配線や配管のダクトから放射能を外部に出し続ける。ジャジャもれ。ダクトなどにはいっぱい穴がある。配管にも。こんなことは工事やった人なら皆知っている。ところが東電はそういうことに気がつかないで放水・注水を続け、海にジャージャー流してきた。

ウソ話す放射線科学者

放射線科学者なる人間がテレビに出てウソをしゃべっている。許せない。彼らは全員が「放射線の有効利用」に携わってきた人間。だから安全論をしゃべる。皆、放射線のことを研究しているが、それは「放射線の有効利用」を進めるための研究。
日本の放射線研究者は、内部被ばくについては、世界一危険で最も遅れた集団だ。
もともとは日本放射性同位元素協会があり、この人たちはすばらしかった。50年代、大気圏の核実験がおこなわれたとき、世界に向けてその危険性を訴えた。ところが、日本で原子力産業が動き出してから、その人たちが粛清され、良心的な放射線の研究者が全部いなくなった。
そして日本アイソトープ協会という名前になって、放射線医学総合研究所ができた。この人間たちが「放射線の有効利用」と言い出した。これが今の集団の正体だ。

『原子炉時限爆弾』広瀬隆著(ダイヤモンド社)。昨年8月の発刊だが、今回のような事故を警告している

体内濃縮と被ばく

注水・放水して「原子炉を冷やしている」と言っているが、放射能を洗い流している。原子炉の一番危険な所へ水をかけているのは、水で洗っているに等しい。
だから海の放射能汚染は、もう我々の想像を超えるレベルに達している。つまり「放射性物質の生体濃縮」という危機が始まった。
水の中の放射能の濃度を1とすると、プランクトンで2千倍。プランクトンを食べる魚で1万5千倍。その魚を食べるアヒルで4万倍。さらに小さな最初の生命である卵、女性で言えば卵子、そこで100万倍に濃縮される。 原乳から放射能が出たのは致命的だ。私は一番ショックを受けた。エセ科学者の山下俊一(長崎大学教授)が福島市で講演して、「安全です」とやっている。そこでこう言った。「この牛たちはその辺の牧草を食って、放射能を体内に取り込んだんでしょ」。すると酪農家の女性が手を挙げて、「何を言ってるんですか。いま食べさせてるのは去年の餌ですよ」と言ったら山下は黙り込んじゃった。そういう何も知らない人間が安全論をしゃべっている。 原乳から放射能が出た原因は餌じゃない。水だ。乳牛にはたくさん水を飲ませる。放射能が体内に取り込まれたのは水と呼吸以外にない。牛から出たということは、その周りにいる人間もみんな放射性物質を体内に取りこんでいる。だからすごく怖い。量の問題じゃない。
「直ちに影響がないとはどういうことか」と、皆さんも聞き返してほしい。直ちに影響が出たら大変。それは広島・長崎の原爆投下直後のような状態だ。これは急性放射線障害で、そのときは終わり。地獄だ。
いま言っているのは、内部被ばく、体内濃縮のこと。だから「直ちに影響が出ない」というのはウソではない。だが、それでいいのか。それで済むことなのか。
原発事故を中心に考えると、ともかく30歳以下の人は逃げて欲しい。

子どもたちが殺される

「対策」と言うが、対策はない。原子力はやめるしかない。天災は止められないから必ずくる。
福島原発事故は間違いなく人災。人災という意味は犯罪ということだ。故意に起こした。これは「過失」ではない。子どもにたいする人殺しだ。津波で苦しんでいるところへ放射能を浴びせている。しかもマスメディアが子どもを殺すようなことを報道している。我慢ならない。

災害派遣と反軍闘争
緊急寄稿 反戦自衛官 小多基実夫さん

米軍と自衛隊が、東日本大震災の被災地支援を名目に、空前の規模で、統合作戦を展開している。《その実態と狙い》、《出動している兵士の意識》、そして《反軍闘争の展望》について、反戦自衛官・小多基実夫さんからの寄稿を掲載する。

米軍 核戦争を想定

日本初のJSF設置
米軍は、「トモダチ作戦」と命名、原子力空母ロナルド・レーガンを中心に軍艦19隻と艦載ヘリ等航空機140機、米軍1万8千人を派遣した。
横田基地に米4軍統合支援部隊(JSF)を300人で設置。「米太平洋軍前線司令部」の役割を担う。日本におかれたのは初めて。戦争の場合、JSFは、「統合任務部隊(JTF)」となる。
日本側からは、陸幕防衛部長(実質的な作戦部長)の番匠陸将補以下10人が、防衛省を離れ連絡官としてJSFに出向き常駐体制をとった。そして、JSFの指令のもと、「共同運用調整所(BCAT)」や、現地司令部として仙台駐屯地に置かれた「日米共同調整所」が動いている。
つまり、日米安保ガイドラインの日米共同調整機関が実戦の場において機能した。自衛隊は、そのトップが米太平洋軍の掌握化に入り、総力動員した10万人以上を米軍に差し出したのだ。
放射能汚染の危険熟知
4月1日から3日間、自衛隊・米軍共同の捜索作戦が、艦艇65隻、航空機120機、自衛隊1万8千人、米軍7千人で大々的におこなわれた。
ところが米軍は、福島原発から200q北方のみを担当、被ばくの危険がある岩手県気仙沼市以南は、自衛隊の担当とした。3日間の作戦が終了するや、地上軍である海兵隊員を残して撤収した。
米原子力空母艦隊は、核爆弾が炸裂する海域での戦闘行動を前提とする核戦争の最前線部隊。最高の除染機能と気密性を備えると同時に、放射能汚染の危険性を熟知している。
同艦隊が、原発から100qの海域に到達して真っ先におこなったのは放射線調査。その結果に驚き、原発からはるか離れた青森県沖付近まで退散。任務を物資輸送や北海道・青森間の自衛官の輸送などに限定した。 米軍は、放射線のデータ収集を無人機グローバルホークでおこなっているが、自衛隊には原発の表面温度測定のため、原発上空をヘリで飛ぶ任務をやらせている。また米軍は、日本側に、原発への注水のため、バージ船(はしけ)を提供したが、横須賀で海自に引き渡し、原発までの曳航や接岸は自衛隊にやらせている。
米軍作戦の実態
結論的に言えば、米軍は核戦争を想定した実戦的演習をおこなっている。米軍は、@空母機動艦隊を周辺海域に緊急展開し、洋上の指令基地、発信基地としている。A放射能汚染地域から一歩引いたところに、海兵隊の大部隊を上陸・展開させた。その任務は、仙台空港の瓦礫を撤去し滑走路を確保して輸送拠点をつくったように、地上に拠点と前線司令部をつくることにある。これを被災者を排除し宣撫しながらおこなっている。さらに、B原発から80qを飛行禁止区域とし、その地域では無人機を飛ばして情報を収集している。C被ばくを伴う任務は、自衛隊と消防に押しつけている。

自衛隊 「演習ではない作戦」

有事体制の発動
高速道路・幹線道路や滑走路の応急的な復旧、燃料類のドラム缶での緊急輸送など、「今回の自衛隊の初動は早かった」といわれる。
即応部隊の常駐体制の確立、陸海空の指揮系統を一本化した統合部隊の編成などが、10年前と比べて格段に進んできた。これらは、米軍との連携も含めて、海外派兵と戦争突入態勢として準備してきたものだ。
自衛隊に災害派遣という任務はあるが、阪神大震災までは、防衛出動や治安出動のような本務の位置づけではなく、今でも格下の任務。だから自衛隊には、災害派遣の装備も編成も技術もない。訓練もしていない。戦争のための装備を、救援に転用しているに過ぎない。これは世界の軍隊についていえることだ。
自治体を統制下に
自衛隊は、全国50カ所の陸自駐屯地の下に、地方自治体を直結させ、救援物資の確保と輸送を軍事的に統制した。 今回の出動を通して、地方自治体への自衛隊の影響力が格段に強化されるだろう。
また、志方俊之・元陸自北部方面総監が、「緊急事態法の制定が急務」と言っている。国民の私権制限を狙うものだ。
「国軍」化がねらい
自衛隊当局の狙いは、災害派遣で政府内での発言力を高め、自衛隊にたいする「国民的な合意」を取りつけ、「国軍」化を成しとげることだ。
自衛隊の全国新聞『朝雲』(4/14付)は、次のように書いている。
「この経験は将来、わが国有事や周辺事態などの『本番』にも大いに参考になる。それだけに中露両軍によるわが国周辺での偵察活動も活発化している。彼らもこの『演習ではない作戦』の意義の大きさを認識している証拠だ。かつて吉田茂総理が、自衛隊が国民の支持を得て『国軍』となるためには災害救援をしっかりやる必要がある旨を強調していた」

危険な任務を強制

自衛隊の任務は、救助・捜索、物品輸送、遺体の回収・運搬・埋葬、瓦礫の処理など。とくに、瓦礫の処理は危険な任務だ。膨大な災害廃棄物には、刃物・ガラス・釘・オイル・農薬・劇薬などが混っている。4月1日には、出動中の陸自隊員1人が死亡している。
被ばく不可避
立ち入り禁止の「警戒区域」の20q圏において、警戒に立たされているのは、放射能汚染にたいする装備も能力もない12旅団(相馬原駐屯地)と13旅団(広島県海田市駐屯地)の自衛官。
さらに、ヘリと車両による原子炉への放水。陸自中央特殊武器防護隊(埼玉県大宮駐屯地)によるヘリ・車両の放射能除染。陸自CH47ヘリ(木更津)による原子炉の上空から温度測定。ファントム偵察機での航空偵察。 いずれも大量の放射線を浴び、また内部被ばくの危険にさらされている。
犠牲の賛美ゆるすな
政府は、3月15日、自衛官・消防士・作業員に危険な被ばく作業を強制するために、被ばく線量の累積上限値を、100ミリSvから250ミリSvに引き上げた。
政府やマスコミはこの被ばく作業を称賛するが、これは原発・核武装推進のための犠牲だ。それはかつて侵略戦争への動員と犠牲を、「爆弾三勇士」「特攻隊」と称賛したのと同じだ。
自衛官・消防士が犠牲にされ、その次は教育労働者、自治体労働者、全国民が犠牲を迫られる。
NO! というために
原発事故処理は延々と続くが、動員される労働者や自衛官の被ばくが累積する。
彼らが「NO!」といい、生きる権利を主張するために、世論の後押しが必要だ。自衛隊という閉鎖社会のなかで孤立している自衛官にとって、自己の意志を持つことが大きな課題となる。

兵士を労働者の側へ

自衛官の思い
出動している自衛官は、誇らしげな顔つきをしている。それは、今回の出動が、戦争や治安対策ではなく、被災者救出が任務だからだ。
また、自衛官に東北地方出身者が多いという事情もある。例えば4月10日に入隊した女性の自衛官候補生184人中74人、実に40%が東北6県の出身者。当然、自衛官やその家族・関係者の中に被災者がいる。自衛官は、さまざまな思い抱えて出動している。
しかし、実際の自衛官の任務は危険な活動。とくに原発事故対策に動員される自衛官は被ばくの危険にさらされている。 自衛官と民衆の交流
自衛隊当局はこの出動を「国軍」化の好機と見ているが、それは事の半面。現実は、何万人という自衛官が、労働者やボランティアと肩を並べて活動し、被災者と心を通い合わせる。それが何カ月間も続く。
民衆から引き離され、兵舎に隔離されていた兵士が、民衆と交わる。それを通して「国民に支持されるのは、民衆が生きるための活動。銃を持たない活動だ」と実感し、「自分たちは、誰のために戦闘訓練をしてきたのか」という根源的な疑問に直面する。
反戦運動に《核》と《災害》という切り口を設け、そういう方向から自衛隊兵士を、住民と労働者の側に獲得するというアプローチが急務だ。
80年代のヨーロッパの反核運動では、軍服姿の兵士たちが、労働者市民とともに反核デモをおこなった。いま全世界で「フクシマをくり返すな」と反核・反原発の運動が広がりはじめたが、「誰にも被ばく労働は強制させない」「自衛官にも労働者としての人権を保障させよう」という運動を進める必要がある。 米兵士も必ず変化
沖縄のキャンプハンセンから派遣された米海兵隊は、孤立した大島(気仙沼沖)の救援に入った。
米軍当局の狙いがどこにあろうが、現場での作業は捜索と瓦礫の処理で、兵士にとって、銃を持たない作戦であり、狙撃や仕掛け爆弾に恐怖する必要のない任務。ここで生じる人間的な面にこだわりたい。
《マイアミでのハリケーンの被災者も、日本の被災者も、アラブ諸国の民衆も、みな同じ人間。敵を作っているのは軍隊とその侵略任務だ》ということが必ずわかる。

3面

原発の真下で地震が
浜岡原発 ただちに止めろ

〔浜岡原発を考える静岡ネットワーク・塚本さんの発言から。10日、東京・芝公園の集会で〕

経産省、中部電力、東京電力へ向かってデモ(10日東京)

仮説が現実に

私たちは市民グループとして、15年以上も前から、「東海地震にたいして浜岡原発は耐えられない」という運動をしてきた。静岡地裁に裁判もおこした。それにたいして、中部電力や県、国、裁判所までもが、「すべて仮説」と判断してきた。
しかし、残念なことに福島で、わたくしたちが言っていたとおりのことがおきてしまった。仮説でないことが、あのようなかたちで証明されてしまったことは非常に残念だ。今こそ、日本だけではなく、世界中が教訓としなくてはならない。

安全な原発などない

福島原発の事故がおきて、そのあと、静岡県知事、御前崎市長(浜岡原発がある)は、「見直しをしなければならない」と言いはじめた。しかしこれは、「安全に運転していくためにはどうしたらよいか」という見直し。
それは違う。今や、原発に「これなら安全」というラインは存在しない。今すぐに、危険な原発から順次とめていく。自然エネルギーにシフトしていくという、日本全体の姿勢が必要になってきている。

東海地震は不可避

東海巨大地震は、100年から150年を周期として、歴史的にくりかえされてきた。前回の巨大地震から今年で157年目を迎えている。地下には利息がたっぷりついたエネルギーがたまっている。これが明日にでもおこるかもしれないといわれる東海地震。
地震の規模は東海地震だけで、最低でもマグニチュード8、東南海・南海・日向灘までのプレートが連動した場合は、マグニチュード9になるとも。震源の深さは12km。静岡県の陸地と駿河湾にかけて楕円形のようなかたちで震源・断層面が広がっている。ここがドカンといく。その場合、震源域の真ん中に建っている浜岡原発がただですむはずはない。素人でもわかる。

日本全体に被害

もし、浜岡で起こったら、福島以上のことになる。浜岡原発の真下で地震が起こるのだから。
 緊急自動停止ができない可能性もある。福島では自動停止はしたが、浜岡原発ではそれすらできない可能性も。 その場合、東海地方は西から東にむかう風が年間7〜8割ある。そうなると、神奈川県、東京都にむかって放射能が漂っていく。静岡県だけの問題ではない。日本全体の大きな問題になる。
それを食い止めるにはどうすればよいか。原発を止めておく。これが最善であり、唯一の方法だ。
中部電力管内では電気は余っている。原発がなくても充分やっていける。自然エネルギーへのシフトをしながら原発を止めても、まったく問題はない。

4面

議会占拠 10万人集会
米ウイスコンシン州 公務員の団交権制限

米ウィスコンシン州(五大湖の西側)ではウォーカー知事が、州財政の赤字解消を理由にして、公務員の団体交渉権を制限する「反労働組合法」を提案していた。
州の公務員労働者に健康保険や年金資金の負担増を求め、かつ、消防士と警察官を除き団体交渉権を制限・剥奪しようとするもの。オバマ大統領ですら「組合つぶし法」と批判している。

連日の州議会占拠

これにたいして労働者・学生・市民は、2月中旬から二週間以上も首都マディソンの州議会議事堂を占拠、連日、数千〜万単位のデモが続いた。
2月26日には、雪が降るなか、州議事堂前を10万人に迫る人びとが埋めつくした。マディソン市始まって以来の規模。同日、全米の50州で、ウィスコンシンのたたかいに連帯する集会、デモが取り組まれた。ウォーカー知事は州兵動員も厭わない構えを見せ、2月27日、午後4時期限付きの退去命令を出した。

不法な手続き

法案は、2月25日に下院で強行可決され、法案審議の場は上院に移った。
この反動法案は知事提案の予算案に組み込まれているため、州法では、予算関連法案の採決には上院議員の5分の3にあたる20人の出席を必要とする。法案を推進する共和党上院議員は20人に満たない19人。法案に反対する民主党議員たちはウィスコンシン州を離れて身を隠した(隣のイリノイ州に滞在)。
ところが、共和党は元の法案から予算関連部分をはずし、定足数の縛りを回避。そもそも知事自身が、団交権問題は財政問題だと主張していたにもかかわらず。
3月9日、民主党議員が誰一人いないなか、共和党は上院での採決を強行。18対1で可決。翌日10日には下院で再可決。11日、知事が署名し、法案はいったん「成立」した。

強行採決に10万人

この暴挙にたいして、各組合は抗議声明を発し、3月12日抗議集会を呼びかけた。
12日、州都マディソンでの集会は、警察の見積もりでも8万5千人〜10万人という大抗議集会となった。イリノイ州から戻ってきた民主党議員全員が登場し、その一人は「(知事は)分かっていない。権利はなかなか死なないんだ」。また「これからは共和党議員のリコールを開始する。聞く耳を持たない知事もリコールする」と発言し喝采を浴びた。

市民も学生も

団交権はく奪の対象にされなかった消防士、警察官も「傍観することはできない」と集会に参加して反対の意志を表明。多くの組合員の自主的な参加はもちろん、この闘いに高校生、大学生や民間組合、一般の人たち、また、ボランティアとして、全米から多くの人たちが、思い思いに創意を凝らして参加した。
そのような高揚した中で12日の抗議集会に向けて、「先生を守ろう。公教育を守ろう」との声が起こり学生への呼びかけがおこなわれた。イリノイ州から来た女子学生は「影響を受けるのは大人や労働者だけではないのよ。私たちの教育や私たちの先生に影響が及ぶの。こんなことが私たちに起きれば教育も何もかもがだめになってしまうわ」と語っている。

勝敗は決していない

同州の民主党は、今回の議会手続きを不法として、共和党上院議員のリコール、さらに知事についても1年の任期が終わる今年11月以降にリコールする意向を見せている。(就任後、1年以内はリコールできない) 米国でもっとも早く、1959年に団体協約締結権を獲得したウィスコンシン州公務員労働者を、右派勢力は「リベラル派の牙城」ととらえ、攻撃してきた。ウォーカー知事は、昨年11月、右派運動ティーパーティー(茶会)の支持をうけて当選し、当初から労組攻撃を強めていた。
同様の攻撃は、インディアナ州、オハイオ州でも始まっている。いずれも知事は共和党。ウィスコンシン州だけのたたかいでは終わらない。

とめたいんや戦争! 守るんや命! 3・21行動
反原発でリレートーク

イラク侵略戦争以来、毎年3月にひらかれてきた「とめたいんや戦争!守るんや命!3月行動」は、今回で8回目。今年は3・21行動として準備されてきたが、開会10日前に東日本大震災・福島原発事故が発生。この緊急事態をうけ、急きょ内容を変更して開催された。

原発の危険な本質をわかりやすく説明する稲岡美奈子さん(3月21日大阪市内)

核武装につながる原発

全日建関西生コン支部の青年たちによる関生太鼓の力強い響きとともに開会。震災犠牲者への黙祷ののち、主催者挨拶に続いてリレートーク「緊急企画〜原発のウソを暴く」が始まった。
講師は、中川慶子さん(原発の危険性を考える宝塚の会)、稲岡美奈子さん(地球救出アクション97)、田中章子さん(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)、久保きよ子さん(若狭連帯行動ネットワーク)、山田耕作さん(京都原発研究会)の5人。いずれも反原発運動を長年続けてこられた方々。
原発とは何か、今何が起きているか、被曝の恐ろしさなどが素人でもわかるように説明され、また物理学者の責任について真摯な反省ものベられた。全国の原発をすぐ止めよう、とくに若狭湾の14基もの原子炉をとめるのは関西の私たちの責任という訴えもあった。
会場からの質問にも答える形で話が進められたが「原発は原爆と同じ穴のムジナ。核武装につながるもの」「核の平和利用なんてない」という話に納得した。会場全体(230人参加)は真剣な表情で話に聞き入っていた。
「安全だ」と大ウソを言いつづけてきた電力会社、政治家、御用学者、マスコミへの怒りは増大し、同時に次の世代への責任をどうとるのか、一人ひとりが問われていると感じた。

補助金停止を撤回せよ

休憩の後、第2部「橋下知事!在日の子どもたちの笑顔を奪ってどうするの」は、朝鮮高校への授業料無償化適用と朝鮮学校への大阪府の補助金無条件支給を求める内容だった。
東大阪朝鮮中級学校の生徒たちが吹奏楽と舞踊を見せてくれた。ちょっと緊張しながら、でも笑みを見せて演奏する女生徒たちに大きな拍手が送られた。日本人と在日の女性による朝鮮学校へ寄せる詩の朗読もあり、日本人の責任として在日の子どもを守らねばと痛感した。
その後、大阪駅前(梅田)まで「ウソを許すな」「原発とめろ」「すべての被災者を救おう」とピースウォーク。沿道の人びとの注目度はかつてなく高かった。
3・11大震災の後、反戦集会やデモが次々と中止された中で、大胆に企画を切り替え、やりぬいた女性たちの危機感と怒りの大きさ、強い意志に共感し、力をもらった1日だった。(桜井)

都教委 「君が代」処分強行

今春卒業式での「君が代」斉唱時に起立しなかったことを理由に、都教委は6人の教職員にたいして3月30日、懲戒処分を発令した。内訳は高校4人、特別支援学校2人。処分内容は、停職6か月1人、減給3人、戒告2人。
これで03年都教委通達以降、「日の丸・君が代」での被処分者は436名となった。
今回はじめて不起立をし、戒告処分をうけた教員は、31日の記者会見で「生徒たちと沖縄修学旅行の事前学習をし、その凄惨な事実を考えたときに、この国は根本的に戦争の反省をしていないわけですから、国旗に向かって起立はできない」と語った。

侵略賛美2社合格 教科書

文科省は2012年度から使用される中学校教科書の検定結果を3月30日に発表した。
つくる会系の2社が申請した歴史教科書、公民教科書はいずれも合格とされた。2社とは、自由社(新しい歴史教科書をつくる会、藤岡信勝会長)と育鵬社(扶桑社の子会社。日本教育再生機構、八木秀次理事長)のこと。

強引な検定意見

また、上記2社だけでなく、ほとんどの教科書が独島(日本名:竹島)を「韓国が不法に占拠している」「日本固有の領土」などと記述している。これは、文科省が検定意見をつけ、そのように書き直させた結果だ。
釣魚台(日本名:尖閣諸島)についても記述させ、全体として領土問題での記述量が増えている。
さらに、日本軍軍隊「慰安婦」にかんする記述は、すべての教科書から消えた。「慰安婦」記述が復活しなかっただけでなく、注での関連記述や「慰安婦施設」という言葉までも完全に抹殺されている。
こんな教科書は認められない。

5面

グローバル化と対決
春闘集会で活発な討論 関西合同労組

3月13日、関西合同労組が呼びかけた春闘集会が開かれ、共闘や組合員ら40人が参加した。
最初に関西合同労組の石田委員長が挨拶。2日前に発生した東日本大震災で被災した人たちへの救援を呼びかけた。阪神淡路大震災の瓦礫の中から団結を形成したわれわれが、先頭になって大企業優先の社会のあり方を根本から変えていく運動をきりひらこう、とよびかけた。
関西合同労組の2・15〜16春闘行動を蒲牟田書記長が報告。
高槻医療福祉労組の吉岡委員長は昨春闘でのリボン着用闘争などの総括をふくめた11春闘へむけた活動を報告。
港合同南労会支部は、20年におよぶ労働争議の報告。賃金未払いという組合つぶしの兵糧攻めにたいする裁判や行動、病院経営陣の内紛など、正念場をむかえた争議の勝利にむけて闘う決意が述べられた。
さらに3月5日「横浜ボートショー」で、非正規雇用労働者による、ヤンマーやホンダなどへの抗議ビラまき行動と、翌6日の争団連交流集会の報告があった。

「経労委報告」批判をとおして資本攻勢の性格をつかみ大きな収穫(3月13日尼崎市内)

経労委報告を批判

次に、「11春闘の勝利のために」と題し、関西合同労組・米村執行委員が、『2010年版通商白書』と『日本経団連2011年版 経労委報告』の批判を提起した。以下は要旨―
◇グローバル化を路線に
政府・財界は、大不況と競争の下で生き残るために、国内の空洞化を厭わず、企業の生産拠点をどんどん海外に移すグローバル化を路線にした。
資本の攻撃もグローバル化に対応している。日本航空の大量不当解雇など整理解雇4要件の破壊は、海外進出する大企業が国内での解雇を容易にするためだ。また、海外進出の費用を捻出する必要から、日本経団連は賃上げを拒否。そして、「差別は当然」として非正規雇用を拡大していくとしている。
労働者にとってグローバル化は、中国やアジアの労働条件・賃金水準の国内への強制だ。同時に、日本人労働者が、進出先の労働者を管理し、差別・抑圧する役割を担わされることだ。
◇差別・分断のりこえ
いかにたたかうか。まず労働組合がたたかうことだ。それによって、労働者の未来は開かれる。また、中国やアジアの労働者、滞日外国人と連帯してたたかおう。
問題は、巨大独占資本だ。合同労組の相手は中小零細企業だが、その親会社、その上の大企業にむかってたたかおう。莫大な利潤をあげているところから取る。雇用形態による差別・分断をのりこえ、ナショナルセンターの枠組みをこえた団結が必要。労組の垣根をこえてたたかおう。
―米村執行委員の提起は、大きな拍手で確認された。そして、組合員から感想が出された。
「アジア侵略を進めていくということが具体的にわかった」。また「戦前日本が、植民地獲得から戦争につきすすんだのを想起させる。『満州国』をつくったのと同じだ」。

みんなで力あわせて

さらに3本の特別報告と、交流・討論がおこなわれた。
◇郵政雇い止め阻止
郵政の非正規雇用労働者が、「ペリカン便との統合失敗のツケを非正規雇用労働者にまわすな。絶対反対。非正規雇用の雇い止めを阻止しよう」と訴えた。
◇運輸部会の再建
運輸労働者は、関西合同労組運輸部会の歴史をたどりつつ、「みんなで争議分会の支援をとおして、運輸部会を再建していこう」と提起。
◇東日本大震災支援
阪神淡路大震災の経験をもとに、人的支援もふくめて、東日本大震災支援を取り組もうという訴えがなされた。 ◇セクハラ裁判闘争
交流と討論では、セクハラ裁判闘争をたたかうJR西日本のSさんから、「なぜ裁判闘争をたたかうのか」について話があった。とくにJR職場の鉄道用語における女性差別や、「障害者」差別の言葉にみられる差別主義の問題が、背景にあると糾弾した。
◇勝利の報告
さらに、関西合同労組の争議分会から、裁判闘争の勝利判決をかちとったK分会、勝利的和解をかちとったS分会の報告があった。

大きな収穫

集会のまとめは、「会社にすがって、労働条件を改善させるという姿勢では何もとれない。実力でかちとっていこう。本日の共闘を出発点に、もっと大きなものにしていこう。サービス残業支払いの問題を軽視せず、11春闘をたたかおう」と述べ、「団結がんばろう」でしめくくった。
今集会は、2011年版経労委報告の批判をとおして、《大資本が利潤を求めて海外へ出て行き、国内は空洞化させ、労働者を切り捨てるという道を選択した》ことが参加者全員に伝わり、たたかわなければ生きていけないこと、具体的な闘争をとおして真正面からこれと対決していこうということが確認できた。大きな収穫だと思う。(通信員・H)

全国連が第20回大会

今月2日と3日に、部落解放同盟全国連合会の第20回大会が東大阪市内で開かれた。1日目は、瀬川博委員長の主催者あいさつ、10年活動報告、11年運動方針案など。2日目は分散会と総括集会がおこなわれた。

狭山・選挙・実態調査

運動方針は、中田潔書記長から示された。
「部落解放運動を取り巻く厳しい現状、部落解放運動の消滅の危機という情勢のなかで、全国連としての存在意義が問われている」と述べたうえで、今年の闘いの課題を3点提起した。
「@三者協議の切り開いた決定的地平を確認し、三者協議に焦点をあて、狭山闘争のさらなる発展をかちとろう。A寝屋川と東大阪の市議会選で候補を当選させよう。B昨年から取り組んでいる全国実態調査は、全国連支部のある地区ではほぼ終了した。今年は、全国連支部のない全国の部落に入っていこう」。
この提起をうけて、住宅闘争、狭山闘争、長野結婚差別事件糾弾闘争、統一地方選挙についての特別アピールがあった。
全体討論では、8・6ヒロシマ集会へのアピールがなされた。

震災・原発で特別決議

今大会は、東日本大震災と原発事故のただ中でひらかれた。
2日目には、「東日本大震災の被害者支援・原発事故弾劾」の特別決議をあげた。各発言では、「核と人類は共存できない。これはヒロシマ、ナガサキの原点。すべての原発を廃止せよ」と決意が述べられていた。

コンピューター監視法
警察がメールを監視・押収
法案強行切迫で集会

3月14日、「コンピュータ監視法を許すな!関西集会」が大阪市内で開かれた。80人が参加。東京の2・8集会を引き継ぎ、関西救援連絡センターが主催。

3月11日閣議決定

「コンピューター監視法(不正指令電磁的記録作成等の罪)」「強制執行妨害罪の拡大強化」。この2法案は、共謀罪新設法案と一体で自民党政権時代に提出されていたものであったが、政権交代によって、共謀罪の審議未了廃案とともに一旦は廃案となった。
ところが、3月11日、菅政権は、04年上程のものとほぼ同じ法案の国会上程を閣議決定した。コンピューター監視法と強制執行妨害罪改悪が強行されかねない切迫状況を迎えた。

無制限の拡大解釈

講師の小倉利丸さん(富山大学教員)が震災の影響で来阪できなくなったため、コーディネーターの永嶋靖久弁護士が、小倉さんのレジュメと「破防法・組対法に反対する共同行動」作成のパンフ『共謀罪と一体の「コンピューター監視法」はいらない!!』をもとに、この治安法の内容を詳しく解説した。
強制執行妨害罪の改悪強化については、全国金属機械労働組合港合同の川口さんが報告した。
コンピューター監視法の「ウィルス作成罪」は、「ウィルス」かどうかわからない作成段階まで処罰するという。 そのために、刑訴法に次のような新たな条項を加えている。すなわち、権力が、電子データを差押えようとしているコンピューターについて、それにつながるすべてのパソコン・サーバーを開き、権力が必要と判断したすべてのデータを複写し差押えることができるようにするというのだ。
また、権力が、プロバイダー(インターネット接続業者)にたいして、通信履歴を裁判所の令状なしで保存要請できる規定も制定しようとしている。通信履歴の保存、そのコピーは、現行法のもとでも、権力が業者を脅迫して提出させているが、これが大手を振ってまかり通り、やりたい放題になる。
このように、コンピューターによる通信などを網羅的に監視し、拡大解釈による弾圧を可能とする悪法だ。

争議行為を弾圧

強制執行妨害罪の改悪強化は、これまでは労働組合によって正当な争議行為としておこなわれてきた「企業倒産の際の職場占拠や示威行為、協定締結」を犯罪視し、刑罰の対象にしようとするもの。
この二つの治安法は、言論・表現の自由、労働運動の正当な争議行為を禁圧するものだ。支配の危機に治安法の新設・拡大強化をもって乗り切ろうとする日本帝国主義支配階級と菅政権の策動を打ち砕く闘いにたちあがろう。

6面


第12弾《下》
今度こそ沖縄と本土の連帯を
大湾宗則さん(京都沖縄県人会 会長)


大湾宗則さん(今年1月下旬 京都市内)

本紙前々号、前号に続いて、京都沖縄県人会会長・大湾宗則さんのインタビューを掲載する。今回が最終回。〔インタビューは1月下旬、京都市内。聞き手・本紙記者。文責・本紙編集委員会〕【承前】

沖縄の闘いと独立論

―沖縄独立論についてはどうですか
沖縄独立論を出している人たちの心情は、ヤマトンチュにたいする根深い絶望です。絶望から出てきた独立論に、賛成することはできません。
沖縄の人びとの闘いが政府を追いつめ、沖縄県議会選、衆議院選、名護市長選、名護市議選と勝利して、県知事選で仲井真候補に「(米軍基地は国外へ)最低でも県外」と言わしめ、これでもかこれでもかと迫っています。沖縄の138万県民は、ヤマトの政府と人びとに裏切られても絶望しないで頑張っているのに、沖縄のインテリの一部が、ヤマトンチュに絶望して「琉球独立」といっているのです。
◇奄美・八重山の支配
独立論者がいう独立の範囲は「沖縄本島とその周辺島嶼だけでなく、八重山諸島、宮古諸島、与那国も入っている」といわれています。
沖縄本島・周辺島嶼と、八重山や宮古とは、歴史的に文化を異にしてきました。「琉球文化圏」などというものは、琉球王府とその支配者の論理です。15世紀に琉球の三山(中山・北山・南山三つの王統)が統一されたのですが、その後琉球王国(中山王)は、八重山や奄美を武力で征伐し統合して琉球王国を築きました。
最近、奄美大島で世論調査があって、約70%が「琉球独立に参加するのは反対だ」と出ました。当然だと思います。
沖縄の独立を言う人は、琉球王国時代を美化し、それへのノスタルジーが強くて、「琉球にも自治の時代があった」「王国の自治」などと言っています。しかし琉球王朝に自治があったなどと言うことは妄言です。琉球王朝ほど住民支配の過酷なところはなかったのですから。
◇独立論の顛末
「琉球独立論」が登場するのは、何も今回が初めてではありません。
一回目は、琉球処分のときです。琉球王国の旧支配層の上層部が、旧宗主国の清国に「琉球王国の再興」を働きかけたりしましたが、日清戦争でヤマトが勝ったら、みんなヤマト化して、皇民化の先兵になりました。当時の旧支配層にとって、「琉球独立」は方便で、本当の目的は自分たちの既得権防衛でした。
二回目は、サンフランシスコ対日平和条約第三条に「信託統治制度」が記載されていることに依拠して、当時、「琉球独立」が論議されました。これは、米軍支配が固定化されると、祖国復帰運動に合流しました。
このような歴史を、現在の独立論者が知らないはずがないのに、ヤマトへの絶望ゆえに歴史的事実を歪め、琉球独立を夢想しているようです。
◇国際的な支配関係
そもそも、沖縄と日本の関係だけからみることはできません。現代の国際関係は、地球上の支配的な資本と追従的、または従属的な資本が網の目のように相互依存している関係を反映しています。アメリカや日本などの大手企業の部品工場は世界中にあります。どこかで事故があると部品調達が途絶えて生産調整を不可避にしています。矛盾の震源地は先進諸国にありますが、そのしわ寄せは途上国または国策的差別を受けている地域に集中します。こうして沖縄(グアムも含めて)にも集中するわけですが、日本も含めた先進諸国を改造することなしには、個別・部分的な解放はないということを理解すべきと考えます。
政府と立ち向かい、沖縄を基地から解放するための戦略を描けず、絶望した人たちから独立という話が出ています。しかし沖縄の人びとは、名護の闘いや普天間の闘いがあり、東村・高江にも広がっています。沖縄全体が矛盾を抱えつつも自信を持っているから、沖縄独立論は大衆化しないと考えます。

縄文文化と沖縄

―先ほど「沖縄と本土が国民的規模で再統一する」と言われました(本紙78号)が、沖縄と本土の関係をどのように考えていますか
本土の人は、東北や九州の方言が分からなくても、その言葉を話している人を「よその国」の人とは思っていないでしょう。ところが沖縄については、「やっぱりよその国」と思っているのではないでしょうか。長く歴史的な沖縄差別が刷りこまれた結果です。
現在日本列島に住む人は、「単一民族」ではなく、その昔、北(シベリアやカムチャッカなど)から、南(ポリネシアやフイリピンなど)から、そして西(中国や朝鮮など)からきた人びとが合流し、チャンプルー(混血)して子孫を広げてきたと思っています。
本土は火山灰で覆われ酸性がきついので、一万年以上の人骨は、鍾乳洞窟跡など特殊な条件以外は溶けて残りません。
しかし、沖縄は隆起石灰岩でできているので、那覇に近い山下町洞人は3万2千年前、港川人は1万8千年前、最近見つかった石垣島・白保の人骨は2万年前と、旧石器時代人の人骨を含めてほとんどが沖縄から出ています。 私は、これらの骨から、その人たちがどこからきて、どんな系統なのかということには、あまり興味を持ちません。むしろ日本列島でどんな文化が共有されていたのかということに興味があります。とくに共同体を示す言語と、使用された生活用品です。理由は、言葉と生活用品の共有こそ、古い昔の「同族」だからです。
◇縄文文化圏
その点で北海道や本土全体から発掘されている縄文式土器や石斧が、沖縄からも出ていることに注目します。縄文文化圏を共有していたということです。
そのことをさらに裏づけるものに、言語があります。ウチナーグチ(沖縄方言)は理解できないと言われますが、沖縄方言ほど古代のヤマト言葉に近いものは見あたりません。
ヤマト言葉は現在、母音は五音「あ・い・う・え・お」ですが、沖縄方言は三音「あ・い・う」です。沖縄の母音に「え」と「お」がないのですが、それは「え」が「い」に、「お」が「う」に転化しているからです。本土生まれの私が、まだ沖縄方言を理解できなかったころ沖縄に帰省したとき、沖縄の友人から「ううわんさん」と呼ばれ、「おおわんです」と答えたところ、「分かってぃいますゆ ううわんさん」と言い返されたことを思い出します。
この法則に従うと、「帯 おび→うび」、「雲 くも→くむ」「恋 こい→くい」、「古酒 こしゅ→くうす」、「言葉 ことば→くとぅば」「組踊り くみおどり→くみうどぅり」となります。他に、奈良・平安時代のことばや懐かしい言葉が沖縄には残っています。
みなさんは小学校のとき、五十音表を手にしたと思います。この五十音表には「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」があります。この事実は、ヤマト言葉に「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」があったことを示しています。しかし、現在、この「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」で始まるヤマト言葉はなくなっています。ところが沖縄には残っているのです。 ヤマト言葉で「花」は「ハナ」と発音しますが、沖縄の北部では「ファナ」または「パナ」、宮古や八重山では「パナ」と発音します。八重山の居酒屋の看板に「パイカジ」とあれば、それは「南風」のことです。南風のことを沖縄首里方言では、「ハイカジ」と言いますが、八重山ではこの「ハ」の発音が「パ」として残っているのです。沖縄北部でも、ハは「fa」または「pa」と発音されます。ヤマトでは、ハはその昔は「fa」、もっと昔は「pa」と発音されていたという学者もいます。古事記や万葉集、枕草子を読まれた方なら思い当たると思います。これらのことは、沖縄方言がヤマト言葉と同じ《日本列島全体に存在した縄文式文化時代の祖語(※)》を基盤にしていることが推測されます。
(※)祖語とは、関連がある複数言語を歴史的にさかのぼっていくと、ある時点でひとつの言語となる。その言語のことを祖語という。比較言語学の概念。
その後、弥生時代に朝鮮半島から鉄器と水稲文化を担いだ新たな渡来人が大勢やってきて、ヤマト王権をたて、それまでいた縄文人を南と北に押し出したと考えられます。九州とくに鹿児島の言葉と沖縄の言葉に共通項が見られます。青森方言の抑揚や岩手方言に沖縄方言と近似しているものがあります。
◇いずれ一つに
こういう歴史的・文化的つながりの経緯からすれば、いずれ一つの共同体に統合し合う歴史的時期があると考えます。
明治政府の琉球処分、日本政府の沖縄差別を批判し、克服するためにも、現在の沖縄闘争を60年安保闘争の反省にたって、今度こそウチナーとヤマトの民衆による連帯で、現在の「普天間基地撤去・辺野古への米軍新基地建設阻止」の闘いを勝利的に進めることが大切と考えています。

団結して闘う姿

―最後にひとことお願いします。
ヤマトの人が、「沖縄の魅力」ということをよく言いますが、沖縄の魅力は、海や空が美しいだけではありません。ディゴやブーゲンビリアが咲く常夏の島だからでもありません。それらだけなら、世界中、ほかにもたくさんあります。それらは沖縄の人びとがつくり出したものではないのです。
沖縄の魅力は、主権者として、当事者として、自分たちの住む島を、平和で人権の確立した住みよい所にするために、あきらめず、したたかにたたかっていることです。それも保守的な人びとの絆や組織を闘いの中で改造し、敵対していた人びとを結び合わせて前に進んでいることです。
とりわけ、当事者として、どんな巨大な権力にも、「非暴力」で、団結して闘っている沖縄の姿は、私たちやヤマトの人びとから共感を得ているのではないでしょうか。 「非暴力」と言いましたが、そこに人びとが団結したときに示される力があり、権力の暴力にまさる力があるのではないでしょうか。ふるさとの人びとを私たち沖縄県人会が誇りにする由縁です。
―ありがとうございました。     以上

7面

投稿 沖縄訪問記
ヤンバル・高江の攻防

3月中旬、「障害者」の仲間たちと沖縄に行き、普天間・辺野古・高江などで、現場で闘う方々からお話をうかがう機会に恵まれた。
ヘリパッド建設と闘う東村・高江(本紙72、73、74、76号で紹介)でうかがった話をまとめる。

国が住民を訴え

高江にヘリパッド建設の話が持ち上がったのは2007年。以来、反対の座り込みなどで建設を阻止してきた。 国は反対派住民15人を「通行妨害」で訴えた。15人の中には8歳の子どもも含まれていた。抗議して、子どもにたいしての訴えは取り下げさせた。
09年12月、那覇地裁は12人への訴えは退けたものの、2人にたいする「通行妨害禁止」仮処分を認める不当な決定を下した。2人は昨年3月以来、その本裁判で争っている。
国の主張はでたらめで、ブログや新聞のインタビューで「一緒に座り込んで工事を止めましょう」と表現したことなどが「通行妨害」にあたるというもの。

年末から攻防が激化

昨年12月、沖縄防衛局は、N1地区とN4地区のゲートにフェンスを設置。以来、工事用の道路をつくるため、重機や土嚢の搬入を進めてきた。1月2月には、座り込む住民・支援者と激しい攻防がつづいた。
3月から6月までは、絶滅危惧種・ノグチゲラの繁殖期のため、大きな音の出る工事はしないということで小康状態だが、測量などは進めている。

高江の森に生えるヘゴの木

現場で闘う若者

1月2月の攻防を現地で闘った若者が、その時の様子を語ってくれた。
―作業員には10代の若い子がいて、高江に来ることを知らずに仕事に応募したと思う。昼休みとかにはざっくばらんに話をして、「この仕事したくない」と本音を語ってくれたりした。でも時間がくると、仕事はしなくちゃいけない。
こちらも、仕事しないと生活なりたたないのかなって思うとストレス。作業員もストレス感じてると思う。でも、こういうふうにさせている人たちは、現場には来ない。ここにいると、自分がどんな国に生きているのかなって、不安を覚える。
防衛局の人は、無表情でビデオを撮っている。一度、なんでそんなことするのか問うてみたが、答えてくれない。操り人形のよう。
よりよく暮らしたいっていうのはみんな同じなのに、なんでここでぶつからないといけないのか。この現場のリアルさを、知ってほしい。多くの人に広げてほしい。―

N4ゲート前でお話してくれた「高江ヘリパッドいらない住民の会」共同代表の伊佐さん。裁判をたたかうお一人。

辺野古・高江はセット

いろんな方のお話をうかがって、意外だったのは、高江のことは、沖縄県内でもまだまだ知られていないらしいこと。辺野古は「有名」になっていろんな人が訪れるが、高江はまだまだ知られていないという。
辺野古新基地は、普天間基地の代替施設と言われるが、違う。辺野古にある海兵隊の弾薬庫とキャンプ・シュワブの海兵隊、高江の訓練場、そして新たに滑走路と軍港をつくる、一大軍事拠点の新設だ。
辺野古に基地をつくるためにも、「弱い」高江を先に完成させるのではないか、と語る方もいた。

N1ゲート。受付テントは集落に近いN4ゲートに

支援をひろげよう

「前線基地」であるN1ゲート前で、1人で監視を続けるSさんは、「今日はゆっくり寝れる。こうしてたくさん人が来てくれることが、何よりのはげみ」と語っていた。
高江への支援を広げよう。現地に行き、現場のリアリティに触れることが大事と感じた。(YH)

普天間即時閉鎖 辺野古やめろ 海兵隊いらない
沖縄・第二期意見広告を

ねがい 基地のない沖縄、そして日本を

「沖縄に基地があること。沖縄の中に基地があること。仕方がないとあきらめていないか」
2010年4月25日、米普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会に参加した17歳の高校生の言葉です。 私たちは半世紀以上もの間、沖縄県民に想像を超える苦痛と犠牲を強いてきました。アメリカの海兵隊は、本当に必要なのでしょうか。暮らしと安全を守るのに、米軍基地や軍隊が必要なのでしょうか。軍事基地は、海にも陸にもいらない! 平和な沖縄を! それは、日本に生きる私たちみんなの問題です。
・・・・・・・・・
これは、沖縄緊急意見広告運動が、昨年5月15−16日に朝日新聞、琉球新報、沖縄タイムスに掲載した全面意見広告の一部です。私たちは、3・11震災の中で、災害救助を口実に米軍基地が固定化されることを危惧しています。この「ねがい」の心で、今年、アメリカの主要紙と国内紙への第2の沖縄意見広告掲載の実現に向けて運動を継続します。
沖縄と東北を結び、苦しみも希望も共にする本当の平和への扉を開く一歩をここからはじめましょう。

▼掲載時期・掲載紙

米国紙には、沖縄訪米団と連動させて適切な時期に。国内紙には、5〜6月頃を予定。

▼目標額 2千万円

▼賛同金

個人1口 千円 団体1口 5千円
振替口座:加入者名 「意見広告」 口座番号 00920−3−281870
◎詳細はウェブサイトへ→「沖縄意見広告」で検索
・ウェブサイト上でも賛同を受け付け
・発起人・呼びかけ人・賛同人一覧もウェブサイトに掲載

東京連絡先
東京都中野区中野2−23−1−309 協働センター・アソシエ内 
TEL 03−6382−6537 FAX 03−6382−6538
大阪連絡先
大阪市東淀川区淡路3−6−31 協同会館アソシエ内
TEL 06−6328−5677 FAX 06−6328−5777

8面

現代につながる
幕末の志

2月23日、山口市・労福協会館において、山口県春闘討論集会がおこなわれた。
今年は、幕末維新の激動期に躍動した志士たちの生き様が、世界恐慌・大失業・戦争の危機が切迫する現代に生きる私たちに、何を伝えているのかをさぐろうというテーマが設定された。講師に博物館特別学芸員の一坂太郎さんを迎え、高杉晋作と奇兵隊のこれまでのイメージを一変させる興味深い話が聞けた。

講師の一坂太郎さん(2月23日山口市内)

奇兵隊は人民の軍隊か

長州藩士・高杉晋作が生まれたのは、1839年(天保10年)8月20日。そのころ日本各地では暴動や一揆が頻発し、徳川幕藩体制が揺らぎに揺らいでいた。
1863年(文久3年)、晋作が24歳のときに、長州藩の常備軍の一つとして、奇兵隊を結成する。奇兵隊は最大時500人程度。その構成は、武士5割、農民4割、商人その他が1割。隊内では髪型から服装まで、身分による差別が細かく定められ、一目で農民とわかるようになっていた。
奇兵隊をつくった最大の理由は、全人口の1割に満たない武士だけでは、とうてい「外敵」に勝てないと判断したからだ。
長州藩では、1831年(天保2年)に農民数十万人が決起した「天保の大一揆」が起こっている。当時の為政者たちは、この巨大な民衆のエネルギーを利用しようとした。
晋作は、「この社会は武士が支配するものだ」という意識を強く持っていた人物で、身分制度を撤廃しようという考えはさらさらなかった。一坂さんは、「《晋作が四民平等を唱えて人民軍の奇兵隊を組織した》などというのは、政治的なイデオロギーに彩られた噴飯物の評価だ」ときびしく批判する。

奇兵隊の最期

戊辰戦争(1868〜69)では、奇兵隊をはじめとする長州諸隊がその主力となって幕府軍をうち破った。 しかし、長州藩は戦争が終わると、5千人にまでふくれあがっていた諸隊を、2250人にまで削減すると発表した。その選別は、身分を重視しておこなわれた。
これに憤激した兵士1800人(うち農民・商人は1300人)が、脱隊騒動とよばる反乱をおこした。藩は、彼らに「賊」の烙印を押して武力で鎮圧した。捕えられた兵士たちは厳罰に処せられ、133人が死刑にされたといわれる。
斬首されるとき兵士たちは、わめき散らして暴れた。それを役人たちが鉄の棒でさんざんに打ちのめし、ぐったりしたところで首を切ったという話が残っている。こうして諸隊の歴史に幕が下ろされた。
一坂さんは、「学校教育では奇兵隊の栄光の歴史だけをたたえるのではなく、その最期もきちんと教えなければならない」という。

松下村塾の教育

高杉晋作をはじめ名だたる志士を長州藩から生み出したのは、吉田松陰が主催する松下村塾であった。
そこで松陰は、塾生たちと車座になっておこなうディスカッションを中心にした教育法をとっていた。そして塾生たちをじっくりと観察し、その個性や才能を伸ばしていった。松下村塾はわずか2年で数多くの人材を輩出したが、かれらはほとんどは、その近所に住んでいた子どもたちだった。
一坂さんは、「人材は探し回るものではない。育てるものだ。今の日本の企業は、『即戦力』などといって人材育成を放棄している」と、企業の姿勢を批判した。

吉田松陰の志とは

一坂さんは、吉田松陰の『志』とは「私利私欲を捨てた心の行き先のことである」という。「ある政治家が『私を殺して公のためにつくすのが志である』といったが、これはまったく違う。自分の好きなこと、自分の個性を大事にし、それを磨き、きわめることで世の中のために役に立てることこそが、松陰がめざしたものである」と強調する。
そして「松陰や晋作は、『勝つからやる。負けるからやらない』という打算ではなく、『そこに自分の志があるからやるのだ』という姿勢で奮闘した。それが人びとの共感を生み出し、歴史を変える原動力となっていった。こうした姿勢が今の日本人の中から生み出されなければ、日本社会の閉塞感を打破することはできないだろう」としめくくった。(藤原義人)

『夏の異常気象と、降ってわいた権利侵害』(DVD 30分)
市東さんの笑顔に三里塚の根本を見た

不法な農地取り上げに抵抗し、成田空港敷地内で農作業にいそしむ市東孝雄さん。その姿を追った映像『夏の異常気象と、降ってわいた権利侵害』を見た。
三里塚・沖縄を結ぶ集い(3月、大阪)で上映され、強い印象をうけた。5月20日にも強行されようとしている天神峰現地闘争本部裁判・東京高裁判決にむけ、ぜひ多くの人に見てほしい。
映像は、まず落花生収穫作業中の市東さんを映し出す。空港会社と国・裁判所が、市東さんから取り上げようとしている畑だ。場面は昨年10月下旬。強風が吹きつけ、取材のマイクにゴーゴーと音が入る。
◇猛暑と水不足
畝から落花生を引き抜く市東さん。「作柄はどうですか」。「最悪です。猛暑と水不足で最近にない不作。出荷できるかどうか」と市東さん。
さつまいもは一見大きいのがゴロゴロ。日照りの後に大雨、その後また気温が上がり急成長。大きすぎると中に「す」が入る。1キロを超えるものは出荷しない。ピーマンも小ぶり、ナスはひび割れ。いずれも猛暑と水不足にやられたもの。
気を取り直し、土壌づくりに励む。落花生の殻、わら、ぬか、落ち葉を発酵させる。積み重ねて何度もひっくり返した土は、ほかほか、さらさら、やわらかそう。
サツマイモを掘るー気温が急に上がって肥大化した。味が薄かったね。置いとけば甘みが出るだろうけどー市東孝雄さん
◇団結街道封鎖で遠回り
団結街道封鎖通告の看板に抗議した市東さんの不当逮捕(昨年5月17日)、未明の団結街道封鎖(6月28日)など、空港会社の暴挙を映したあと、カメラはトラクターで畑へ向かう市東さんを追う。
畑に散水用の水を運搬するのに往復30分、1日10回以上。団結街道封鎖で、遠回りを強いられる。「三角形の一辺から、小見川県道回りで二辺を迂回」。朝は1時間に約400台の車が通行。途中のヘアピンカーブは、速度の遅いトラクターでは危ない。
◇新鮮で安全な野菜
カメラは畑に戻り、ほうれん草の収穫の様子。食べた人は分かる、美味しい、見事なほうれん草が広がっている。この日の産直出荷作業は、長ねぎ、さつまいも、ピーマン、しいたけ、じゃがいもなど。すべて有機、露地栽培。ほんらいの味を取り戻した新鮮で安全な野菜。作業する人たちの顔、市東さんの笑顔に、三里塚の根本を見た思いがした。(み)
◇貸し出し・問い合わせ先
三里塚決戦勝利関西実行委員会
0799ー72ー5242
メール:kanjitsu_mail@yahoo.co.jp