これ以上一人の犠牲者も出さないために
被災者救援に全力を 東日本大震災
3月11日、東北地方と関東地方の太平洋岸を襲った大地震と大津波(東日本大震災)は、3月31日午前10時現在で死者1万1417人、行方不明1万6237人(警察庁まとめ)という大災害となった。被災の規模は1995年の阪神・淡路大震災をはるかに上回っている。
また今回は、東京電力福島第一原子力発電所の4基の原子炉が重大事故を引き起こした。1号機から3号機の原子炉では現在もなお燃料棒が露出しており、原子炉格納容器から放射能が漏れ出している。原子炉の冷却やその復旧に従事している多数の労働者、消防隊員、自衛隊員が被曝している。この深刻な原発事故が震災被災地の救援活動をいちじるしく困難にしており、原発周辺の被災者の生命を脅かしている。
これ以上の犠牲者を一人も出さないために力を合わせ、最善を尽くそう。それは「たたかい」である。日本社会の有り様を根底から問い直し、その変革をうみだす「たたかい」である。
原発いらない! 東京電力本社(新橋駅近く)へ1200人が抗議デモ。デモの呼びかけは、たんぽぽ舎など10団体(3月27日 都内) |
阪神の教訓
被災者の救援とその生活支援は長期にわたる。阪神大震災では、その年の5月にボランティアの大半が姿を消した。しかしこの段階で生活再建のめどが立った被災者はごく一部であった。また震災のショックから立ち直れない人も数多くいた。
とくに今回の大津波による被害の大きさである。地震で負傷したり、倒壊した家屋に閉じ込められた多くの人びとが津波で命を奪われた。大津波は生き残った被災者から住む家や家族を奪い、計り知れない精神的なダメージを与えている。
こうした人びとが、そんなに簡単に「立ち直った」り「自立した」りすることができるはずがない。被災者への長期的な支援は死活的だ。もちろんこうした支援をボランティアだけに頼ることは不可能だ。必然的に行政の役割が重要なウエイトをしめることになる。
ところが、阪神大震災で神戸市が被災者にたいして行ったことは最悪であった。
避難所生活を強いられている被災者に遠隔地の仮設住宅を提示し、これに応じられない被災者にたいして「甘えている、わがままだ」というキャンペーンをくりひろげた。各地の仮設住宅にばらばらにされた被災者は、避難所で実現していた被災者どうしの「助け合い」さえ奪われ、多くの被災者が孤独死に追いやられていった。震災後10年間、仮設住宅や震災復興住宅で孤独死した被災者は、520人を超えた。この悲劇を絶対にくりかえしてはならない。
住宅の再建
被災者の生活再建のために第一になすべきことは住宅の保障である。
避難所生活が長期化すると、被災者の肉体的・精神的疲労は極限に達する。だからといって、「住む場所さえ確保すればどこでもいい」と被災者をばらばらにしてしまったら、阪神大震災の二の舞である。
「震災を生き残った人たちの中から一人の犠牲者も出さない」という強い思いを持って、被災者と支援団体、労働組合そして行政にたずさわる自治体労働者が連帯してたたかうことができるかどうかだ。ここで私たちは阪神大震災の苦い経験を乗り越えていかなければならない。
収入の保障
同時に重要なことは被災者への収入の保障である。雇用保険、雇用調整助成金、生活保護などの要件の緩和や支給額の増額などを国にたいして要求していかなければならない。またすでに要件緩和がなされている場合でも、被災者が黙っていては具体的な支給が行われることはほとんどない。被災者の要求を実現する組織が必要である。
阪神大震災のときも、当時の労働省は早い段階で雇用保険の受給要件の緩和を指示していたが、被災者にたいしてまったくといっていいほど周知されていなかった。神戸市内で被災地雇用保険要求者組合が結成され、集団で職業安定所との交渉を積み重ね「要件緩和」を具体化させていった。こうして雇用保険に加入していなかった多くの被災者は自らの団結した力によって失業給付を獲得したのである。
被災者にたいする収入保障の基本は、働ける人に仕事を保障すること。そのためには、国による失業対策事業の復活は不可欠である。
「復興」は切り捨て
政府や財界による「経済復興優先」の主張にだまされてはならない。阪神大震災では震災から半年後に兵庫県が「兵庫フェニックス計画」、神戸市が「神戸市復興計画」を打ち出した。その一カ月後の95年8月20日、神戸市内の避難所に残っていた被災者を追い出し、被災者支援政策から経済復興政策への転換を強行した。
これは文字通りの被災者の切り捨てであった。その象徴的事業が神戸空港だ。被災者が仮設住宅で孤独死しているときに、この空港建設に少なくとも3140億円以上を投入したのである。
震災リストラ許すな
また今後、震災を奇貨とした再開発計画や、いわゆる「震災リストラ」が持ち上がってくるのは時間の問題である。すでに震災直前に合併した新日本製鐵と住友金属工業は全国に17カ所ある生産拠点の大幅な統廃合を行おうとしている。また自動車業界においてもトヨタ、ホンダ、日産をのぞく中堅メーカーの大規模な再編がもくろまれている。
独占資本は08年リーマンショックのときも、大規模なリストラ=人件費削減によって空前の利益を確保した。このような「焼け太り」を今度は許すわけにはいかない。
資本主義社会は生きている人間のための社会ではないということを、「3・11」は鋭く告発し続けるであろう。すべての労働者人民は「これ以上一人の犠牲者も出さない」ために固く手を結ぼう。このたたかいは資本主義社会を変革する希望である。
〔2面に関連記事〕
2面
震災・原発と 成田・沖縄
三里塚から反撃へ 3・27
デモの先頭にたつ反対同盟。左から萩原富夫さん、市東さん、北原さん、鈴木さん、萩原進さん(3月27日 成田市内) |
3月27日、三里塚現地・市東さんの畑で全国総決起集会が開催され、840人が参加した。演壇上には「人民の力で被災者支援!」「全国の原発の即時停止!」の大書されたスローガンが掲げられた。集会は、東日本大震災で犠牲になった多くの人びとへの黙とうから始まり、東北の学生・労働者からの報告、そして被災地福島の農家からのメッセージが紹介され(別掲)、反対同盟・北原鉱治事務局長から「被災者救援と、原発即時停止の訴え」がおこなわれた。参加者全員が、被災地の悲しみと痛み、怒りを全身で受けとめ、被災地と原発被害にある人びとへの救援に立つことを確認した。
森田恒一さんの開会あいさつに続いて、萩原進事務局次長から基調報告が行われた。萩原さんは「怒りを爆発させる闘いを開始しよう」「地震や津波は天災だが、被害や原発事故は人災だ」「被災地救援に全力をあげよう。人民による救援運動をつくろう」「情報を隠すな。責任を取らせよう」、戦争政策と一体の原発の即時停止、新たな植民地政策といえるTPP反対、そして今こそ日本の、社会のあり様を変えようと訴えた。
鈴木謙太郎さんからは「TPP反対 農民アピール」が読み上げられた。
市東孝雄さん、北総農民、市東さんの農地取り上げに反対する会がともに登壇。市東さんは「農地は私たちの命だ。その農地と作物を一瞬にして潰した原発を停止させよう」「これからも自然体で頑張っていく」と訴えた。
特別報告として、沖縄から大宮さんと宮城さんが立ち、沖縄の現状などを報告、6月に沖縄で三里塚連帯集会を開催することを明らかにした。さらに動労千葉田中委員長、関西住民からは関西実行委の永井代表、山本世話人が発言した。
反対同盟弁護団から、5・20天神峰現闘本部裁判控訴審判決攻撃粉砕の訴えがなされた。
婦人行動隊から被災地支援のカンパアピールがおこなわれ、35万円を超える金額が寄せられ、全額被災地に贈られることが報告された。
最後に、部落解放同盟全国連、「障害者」はじめ住民・共闘団体から決意表明がおこなわれ、集会宣言スローガンを採択、ただちにデモに出発した。
政府・NAAの天神峰地区と市東さんへの激しい攻撃のなかで、デモコースも変更になった。市東さん追い出しのためだけに200億円の無駄金を使って第3誘導路は建設される。これを阻止する固い決意をこめてシュプレヒコールとデモがおこなわれた。
第3誘導路を阻止しよう。5・20天神峰現闘本部裁判控訴審反動判決攻撃を粉砕しよう。
くやしい 無念のきわみだ 福島の酪農家からの報告
いま私は、3・11以降、毎日夕方になると、搾った牛乳を牧草地に捨てに行きます。牛のために考えても無念のきわみです。福島県全部の牛乳が原発事故のために廃棄されています。 茨城県も同様です。県産の野菜もほとんど全部が摂取制限を指示されました。我々農民・農業者に何の落ち度があったのでしょうか。
3・11の大津波と大震災につづく原発事故は福島県民に広島・長崎に匹敵する大被災の影響をもたらしています。双葉、大熊など、浜通りの自治体市民は、着の身着のまま県外まで避難を余儀なくされています。遠く東京都、千葉の水道水も汚染されました。今更の如く原発事故災害の恐怖を、我々に教えています。原発と我々は絶対に共存できません。それは三里塚農民と成田空港の関係とまったく同様であります。亦それは当時の自民党政権が国家プロジェクトとして推進して来た原発エネルギー政策の完全な破たんです。
「安全・クリーン」神話は完全にくずれたのです。避難所に東電の副社長が謝罪に来た時、相双地方の農民は、いつ帰れるのか、見通しはどうなのか、家族同様の牛をおいてきたのだと、怒りを押し殺し冷静に問い質しました。怒りのくやし涙なしには聞けない言葉でした。
財界・巨大独占資本との共存を歩む菅民主党政権は、今も進行する大災害対策に無能力をさらけ出しています。全ての被災者と共に徹底的に糾弾していかなければなりません。 今我々福島県民は宮城、岩手、全ての被災地の人々と心を共にして日々闘い抜いています。
怒りは冷静に凝縮され、活路を拓く魂に転化されなければなりません。
40数年間、闘い続ける三里塚の農民魂に学び、共有してがんばり抜きたいと思います。
全国の皆様の心からの支援と激励に感謝して福島からの報告を終わりたいと思います。ありがとうございました。
3月23日 福島県中通り 酪農家・鈴木光一郎
いわき市の特別養護老人ホームに
緊急援助物資を届ける
首都圏のたたかう仲間たちが「東日本大震災緊急支援市民会議」をたちあげた。参加団体は、9条改憲阻止の会、明大土曜会、ルネッサンス研究会、沖縄・意見広告運動、変革のアソシエ、伊達判決を生かす会、『未来』編集委員会など。
3月28日、トラックで東京を出発。午後2時、いわき市の特別養護老人ホームに支援物資を届けた。お年寄り、系列病院の入院患者さん、スタッフなど400人の方々に物資がわたった。
今回の支援物資は、@飲料水「嬰寿の命水」10リットル入り容器100本、A三層式マスク2400枚、Bフェイスタオル(大型)200枚、C同(普通サイズ)500枚、D軍手300双、E軍足45足、F長靴40足、Gロールペーパー450巻、Hじゃがりこ240個。
被災者の方々からは、水・野菜・果物が特に必要だとの要望があった。
その後の報告では、「嬰寿の命水」は大変喜ばれたとのこと。この水は、出発前日に
義援金の送り先(郵便振替) |
口座番号:00150-4-742044 |
根底から揺さぶられた 「阪神」の体験
毎日のように、津波に流される街、街が姿を消してしまった映像を見続けた。原発の映像に釘付けになった。16年前、瓦礫の中を走り回った神戸の街と重なって胸が疼く。だが、それ以上に私の中の震災体験と、それに基づく防災のイメージが根底から揺さぶられ、頭はずっと混乱している。東日本大震災と私たちのとりくみとのあまりにも大きいギャップに、何を語ればいいのかと悩む。
私たちは阪神大震災の体験をもとに、在宅障害者の安否の確認をどうするのか、どこに誰が住んでいて、そこへ誰が訪ねどんな支援をするのか。地域に在住し、あるいは通所している「障害者」たちに登録してもらい、地図に一人ひとりを書き込み、ブロックごとに担当者を決めようと何度も話し合ってきた。
根源的な問い
だが、東北地方を襲った津波は、地図そのものを流し去ってしまっているではないか。
あちこちでの防災についての会合に呼ばれ、私はこんなことを話してきた。「すべての地域が被災地になるのではない。被災地から数時間かければ、そこには日常がある」。あの朝、私は公衆電話を求めて北へ走った。山を越えれば日常があった。ポリタンクを買い、水を汲み仲間に配った。「非日常と日常をつなぐ人の絆、ネットワークをどうつくっておくかが問われる」と。
いま東北の被災地に、どこにも日常はないではないか。何か、もっと根源的なものが問われているような気がしてならない。自然にたいする向き合い方、自然の破壊力を統御するのではなく自然とたたかうのでもなく、自然の中に生きるという、私たちの有り様が問い直されているのではないか。原発の事故がそのことを象徴的に現しているように思える。(ま)
3面
すべての原発を停止せよ 特集 福島原発事故
破局寸前だった
福島第一原発で破局的事故が発生し、放射性物質が大量にまき散らされている。原子炉の爆発の危機さえあった。ところが原発推進派(政府・電力会社・学者)は、事態を小さく見せることに躍起になっている。本稿では、原発推進派の宣伝と対決し、真実は何なのか、何が危険なのか、原発・核とは何かについて整理した。〔3〜5面〕
炉心溶融と再臨界危機
◇電源喪失
3月11日、東日本大震災が発生。福島第一原発の6基のうち、地震当日に運転中の1〜3号機はいずれも緊急停止。制御棒が入り、核分裂反応は停止した。
しかし津波によって、福島第一原発の電源がすべて喪失。冷却水を循環させることができなくなり、炉心と使用済み核燃料プールの冷却機能が両方とも崩壊した。
◇燃料棒の溶融
核分裂反応は停止したものの、核燃料棒は熱を発し続けている。
炉心では、燃料棒の一部または全部が一時露出。燃料棒がかなり溶融した。〔1〜3号機〕
使用済み核燃料プールでも水位が低下し、燃料棒が露出。燃料棒の一部またはかなりの部分が溶融している可能性も。〔1〜4号機〕
燃料棒の溶融で高温になり、冷却水が分解して水素ガスが発生、酸素と反応して水素爆発。〔1〜4号機〕
◇再臨界の兆も
3月12〜14日にかけて中性子線を検出。核分裂がおこっているのだ。
原子炉は緊急停止し、核分裂反応はいったん止まった。しかし、溶融し底にたまった核燃料が、部分的に核分裂反応を再開する可能性も。そういう形で再臨界が起これば、制御不能になる恐れが大きい。〔1〜3号機〕
とくに3号機の炉心にはMOX燃料があり、これはウラン燃料よりも溶融しやすく、かなり高温になり、炉心溶融から再臨界の一歩手前へ。
また使用済み核燃料は、発熱量は新規の核燃料に比べればかなり少ないが、強い放射線を発しており、むしろ再臨界の可能性も。〔1〜3号機〕
4号機プールにある燃料棒は、定期点検のために昨年12月に原子炉から取り出されたもので、使用済み核燃料よりもウラン燃料の濃度が高く、再臨界の危険が高い。
圧力容器と格納容器
1〜3号機とも、注水を続けているのに、水位が上がらない。穴があいているということだ。
タービン建屋から、高濃度のヨウ素131、セシウム137、テクネチウムなど、核燃料がこわれないと出てこない放射性物質が大量に検出。
燃料棒が溶融し、溶け落ちて、圧力容器の底が損傷している疑いがある。また、格納容器も、水素爆発で損傷していると思われる。そこから核燃料が流出している。
圧力容器が壊れ、格納容器(絶対に壊れないとされてきた最後の砦)も壊れ、放射性物質がでてしまった。
原子炉の爆発も
事故直後、次のような最悪の事態におよぶ危機があった。
◇チャイナシンドローム
核分裂反応は停止しているが、炉心に生成されている放射性物質が崩壊熱を大量に放出。その冷却ができないために、燃料棒が加熱し溶融。
これがさらに進行すると、溶けた燃料棒が原子炉の底を突き抜けてしまう。これが、地下に潜り込んで、地下水にぶつかると、火山の爆発のような水蒸気爆発を引き起し、放射性物質がまき散らされる。
◇再臨界・核暴走
いったんは停まったはずの核分裂反応が再開し、継続的におこる(臨界)ようになると高熱を発し、水素爆発を引き起こすか、水蒸気爆発を引き起こし、放射性物質がまき散らされる。
◇原子炉の爆発
水素爆発や水蒸気爆発が起こるよりはやく核分裂反応が拡大し、規模が違うとはいえ原爆の爆発の初期段階のような事態がおこる危険性も否定できない。
そうなると、核燃料を構成している放射性物質は、一瞬のうちに気化し、圧力容器や格納容器を吹き飛ばし、外界に爆発的に噴出する。
「110万kWレベルの原発の炉心が爆発した場合、原発から10km圏内の急性死亡率は99%超、晩発性影響によるガン死者は、東京でも200万人超。半減期が30年のセシウム137などの放射性物質が飛散する範囲は、320kmに及ぶ。北は岩手から神奈川、山梨ぐらいまで、事故後数10年にわたって土壌汚染で、人間が住めない地域が出る」(小出裕章・京大原子炉実験所助教)
最悪の事態回避でも
事故直後に比して、現在は最悪の事態の可能性は低くなったが、新たな問題が発生している。
◇数年間の冷却
「燃料棒を除去するにせよ、炉をコンクリートで封じ込めるにせよ、放射線量が下がるまで冷却し続ける必要がある。
それには、数年間は冷却と放射線の監視を続け、最終的な対策を出すまでには10年はかかる」(海老沢・元京大原子炉実験所助教授)
◇汚染が拡大
冷却のために注水し続けなければならないが、そうすると今度は放射性物質を含んだ水が大量に原子炉からあふれ、海に流れ出している。事態は深刻だ。
東電に抗議するメッセージを広げるデモ参加者(3月27日 都内) |
「想定外」という非科学
「原発は安全」と吹聴していた学者・技術者が、原発事故が発生するや、口をそろえて「想定外」と言っている。誰が聞いても言い訳にしか聞こえない。
想定された「原発震災」
東電によれば、福島原発は「5mの津波を想定して設計した」という。
しかし、115年前、明治三陸地震の津波は、岩手県沿岸で38mだった。
「原発震災─破滅を避けるために」(『科学』97年10月号)で知られる地震学者の石橋克彦さんは、大地震と原発事故がからむ「原発震災」を指摘、警鐘を鳴らしてきた。
昨年5月、国会でも、電源喪失の可能性が指摘され、答弁に立った寺坂・原子力安全・保安院長は、「小さい確率だがそうなると、核燃料棒の冷却機能が失われる。長時間にわたると、炉心溶融につながる」と認めていた。
不都合な想定は除外
ところで、原子力の権威で、現在の原子力安全委員長の斑目は、浜岡原発の訴訟で中電側証人として次のように発言した。(07年2月)
「非常用ディーゼル2個の破断とか、ちょっと可能性があることを全部、組み合わせていたら設計ができない。地震で大変なことになるという抽象的なことを言われても、答えようがない」
斑目の主張は、《最悪の事故を想定していたら、原発は造れない》、《最悪事故を想定することは、原発の建設を不可能にする》、《原発をつくりたいから、最悪の事故は、想定しないことにする》。
これが原発推進派の論法だ。科学技術を真剣に追求しているわけでは全くないのだ。
原発推進という政治目的があって、不都合な「想定」は除外し、都合のいいことだけを「想定」として並べて、「安全」と吹聴してきた。莫大な研究費をかけてこういうことをやっていた。これは犯罪だ。
マグニチュードを変更
今回の地震規模を、気象庁はM8・4と発表し、その後M9・0に変更した。これまで気象庁が採用してきていた「気象庁マグニチュード」だと、いくら大きくても8・4どまり。それを学者しか使っていない「モーメント・マグニチュード」に尺度を変更し、9・0と発表した。
なぜそんなことをするのか。「国内史上最大の地震」にすることで、「想定外」のことが起こったという世論操作なのだ。
原発推進の手口
原発はひとたび地震などを契機に事故が起これば破局的な事故になる。
実は、このことを、原発推進派も自覚していた。しかしそれでも原発を推進するために次のような手口を使ってきた。
◇「想定不適格」
政府・電力会社も、原発開発の当初、破局的事故が起きた場合の被害評価を繰り返し行った。結果、国家財政をすべて投じても償いきれない被害がでることがわかった。
その時点で原発開発は、中止されるべきだった。ところが、政府・電力会社は、破局的事故は「想定不適格」とした。科学的な根拠もなく、《とにかく破局的事故は起こらないことにしよう》という意味だ。
◇電力会社は免責
原発事故が起きても、電力会社が責任を逃れられる法律をつくった。原子力賠償法では、破局的事故のときは、賠償に上限を定め、電力会社を免責している。「異常に巨大な天変地異又は社会的動乱」の場合、電力会社は責任を負わないと明記している。
これは、外向きには「破局的事故は起こらない」「絶対に安全」と言いながら、自分たちが損害にかかわるところでは、破局的事故を想定し、しっかり保険をかけ、逃げ道をつくっていたのだ。
◇都会につくらない
原発の立地の適否を判断する基準には、「原子炉の周囲は非居住地域であること」「非居住地域の外側の地帯は、低人口地帯であること」「原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」とある。
こうして原発は、例外なく過疎地に押しつけられた。
恐怖の技術
以上のような手口で明らかなように、政府・電力会社自身が、破局的事故を完全に想定し、それが起こってしまったら取り返しのつかないことになることも十分にわかっていた。
つまり、原発推進政策は、放射性廃棄物の処理問題や廃炉問題も含め、技術として確立できないまま、破綻的に強行されている恐怖の技術なのだ。それでも強行するのは、核武装と軍需という目的のためだ。
深刻な放射線被害
「ただちに身体に影響はない」「レントゲン程度だから問題ない」。これは、原発推進派が、深刻な放射線被害を過小に見せようとする宣伝だ。
被ばくとは
被ばく(曝)とは《放射線にさらされる》こと。
原子炉の中には、ウランなどが核分裂して生成した「死の灰」が大量にある。そのほとんどが放射線を出す放射性物質で、200種類以上あり、代表的なものが、セシウム137やヨウ素131。
放射線は、高いエネルギーを持った電磁波や粒子線で、被ばくすると、細胞内のDNA(遺伝情報の担い手)を構成している分子の結合が切断され、遺伝情報が破壊される。そうすると、組織を再生する能力が失われ、ガン化したり、死に至ったりする。
◇恐ろしい内部被ばく
内部被ばくは、放射性物質を含んだ空気・水・食物の摂取で、放射性物質が体内に入り、体内から被ばくすること。
内部被ばくは、放射線が、体内の狭い範囲に集中的に照射され続けるため、深刻な被害をもたらす。セシウムは筋肉、ストロンチウムは骨髄、ヨウ素は甲状腺に吸収される。例えばセシウム137の半減期は30年だが、それは30年経っても放射線量が半分にしかならず、被害は100年に及ぶということだ。〔図表1〕〔図表2〕
◇少ない被ばくでも被害
どういう被害があるかは、〔図表3〕。
被ばく量が多いと、火傷、嘔吐、脱毛、死など、急性傷害が現れる。被ばく量が「しきい値」(症状が出る最低の被ばく量)より少ないと、急性傷害の症状は出ない。(確定的影響)
さらに、被ばく量が同じでも、大人より子どもの方が被害を多く受ける。成長期にある子どもは、細胞分裂が活発で、傷を負った遺伝情報がどんどん複製されてしまうからだ。〔図表4〕
被害の過小評価
ICRP(国際放射線防護委員会)の基準で「許容量」というが、これは「安全量」ではない。科学的な根拠はない。
ICRPとは核・原発を推進する側で、それが被ばくを受認させるためにつくった基準に過ぎない。ICRPの基準は、とくに体内被曝を考慮に入れていない。
チェルノブイリ事故のとき、当時のソ連政府は、ICRPの基準で、人体に影響はないと説明した。しかし、原発事故が原因のガン死は、100万人にのぼったという推計値もある。
◇放射線と放射性物質
レントゲンも放射線だが、今、問題なのは原子炉から放出された放射性物質。レントゲンは放射線は出すが、放射性物質は出ない。また福島原発の放射線が東京や大阪に飛ぶわけではない。しかし、放射性物質は、日本中はおろかアメリカにも飛んでいっている。
上述のように、放射性物質が体内にとりこまれ、体内で放射線を浴びせ続けるのが怖いのだ。
◇時間と年の単位の違い
福島第一原発周辺で、400mSv/時間。
人間は一般に宇宙からも放射線を受けているが、それは1mSv/年。
400mSv/時間と1mSv/年を、そのまま比較はできない。1年間は8760時間だから、《福島島第一原発周辺で400mSv/時間》を年単位に換算したら、約350万mSv/年になる。
深刻な汚染の広がり
◇チェルノブイリ並
風・雲・雨・地形の影響により、被害は必ずしも同心円で広がるとは限らない〔図表5〕。原発から30qを超えた場所でも、斑状に高濃度の汚染が発生する。飯舘村の例。
◇海水汚染と生物濃縮
冷却のために注水・放水されて大量の放射性物質を含む水が、地上から海中へ流れ出している。また大気中に放出されて地上に落ちた放射性物質も雨で海へ流される。
原発の放水口付近で30日に採取した海水から、原子炉等規正法が定める基準の4385倍の濃度のヨウ素131が検出された。
海草は海水より何桁も高くなる。水は、植物、動物に摂取され、生態系の中で、放射性物質が濃縮されていく。海に流れ出す微量の放射性物質を1とすると、プランクトンで2千倍、プランクトンを食べる魚で1万5千倍、魚を食べるトリで4万倍に濃縮。そのトリの卵の黄身で100万倍。
◇何十年も立入禁止に
40q離れた土からセシウムが通常の1600倍。この土は捨てるしかないが、それもまた汚染を引き起こす。何十年にわたって立ち入りができない地域がでてくる。
労働者が相次いで被ばく
3月24日、放射性物質で汚染された水により3人の作業員が被ばく。また、被ばく線量を測る線量計を持たないまま作業を強いられている作業員が多数いることが発覚。
いずれも氷山の一角、膨大な労働者が被ばくさせられている。これが原発の実態だ。
許容値の何百倍も
事故でなくても原発では、原子炉の点検や修理の際、被ばくを避けられない。
全国の原発で働いている人は7万人以上。そのうち技術職には電力会社の社員がいるが、90%以上が協力会社と呼ばれる下請けの一時雇用の労働者。電力会社は、彼らを、法律上許容されている最大値の放射線を浴びるまで雇用し、その後、《健康のため》に解雇する。数日後、その同じ労働者と、別の名前でふたたび契約する。こうして、下請け労働者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている。
アラームを止めて
下請け会社は、原発がなくては立ち行かないところが大半。だから下請け会社は、作業内容や環境に問題があっても、問題にできない。下請け会社の作業員は、線量計のアラームが鳴っても止め、作業を続けざるをえない。ノルマがあり、時間どおりに終えないと、契約額の減額などのペナルティーがあるからだ。
外国人労働者
使用済み核燃料の貯蔵プールの水は、原発の中でもとくに線量が強くて危険。ダイバーと呼ばれるプール内の点検作業は、みな外国人労働者。被ばく線量限度が年間100mSvの日本人は担当できないからだ。毎回、基準の緩い外国人労働者が臨時で雇われている。
これが、「先進技術によって、安全でクリーン」と宣伝されている原発の真実の姿だ。
ウソだらけの原発
危険で不経済・不採算の原発を推進するために、マスコミや学者を動員して、あの手この手のウソを宣伝している。
「原発はエコ」のウソ
◇収支はマイナス ウランを燃料にして原発で燃やすまでには、採掘・精錬・濃縮・加工という工程があり、その工程で膨大な資源とエネルギーが投入される。エネルギー収支はマイナスだ。
◇石油浪費・二酸化炭素(CO2)放出 燃料の加工、原発の建設・運転の全過程で、膨大な化石燃料を消費する。原発の第一次的な燃料は、ウランではなく石油・石炭だ。当然、膨大なCO2も放出される。原発こそ最大のCO2放出源だ。
原子力は、石油の代替にならないどころか、石油浪費だ。
◇温廃水を流す川 原発は、原子炉の中でつくられた熱の1/3だけが電気として取り出され、残りの2/3は、海に捨てている。発電所と言うのもおこがましい。海を暖める装置だ。
100万kWの標準的な原発の場合、1秒間に、70トンの海水の温度を7度も上げる。日本で、1秒間に70トンの流量を超える川は30しかない。原発とは、温廃水を垂れ流す大きな川だ。これが環境に与える影響は多大だ。
◇貯まり続ける死の灰 原発の運転によって、日々大量に死の灰が生み出され続けているのに、その処分方法がなく、死の灰がどんどん蓄積されている。
1966年に日本の原発の運転が始まって以来、今日までに生み出された死の灰の量は、セシウム137で測って、広島原爆の100万発分をこえた。
死の灰は、強い放射線を長期にわたって出し続けるため、100万年にわたって生命環境から隔離しなければならない毒物だ。現在の人間には全く責任のとれない尺度の問題なのだ。とりあえず青森県六ヶ所村に貯蔵し、いずれ地下深くに埋めるというが、全く展望はなく無責任極まりない。
「原発は低コスト」のウソ
ウラン燃料を製造するコスト、稼働率の低さとランニングコスト、使用済み燃料の処理問題、耐用年数を過ぎた廃炉のコストなどを加味すると、原発は、火力や水力発電よりも高コストだ。しかも国家が丸抱えでウラン燃料の生産工場を建設し、また毎年、莫大な研究費を投じている。
「原発は低コスト」という宣伝は、こういうコストを一切捨象した数字の詐術に過ぎない。
「石油枯渇」のウソ
◇伸びる石油可採年数 「石油が枯渇する」ということが昔から言われてる。しかし、石油可採年数推定値を見ると、1930年における石油可採年数推定値は18年。しかしその20年後、1950年になっても可採年数は20年。1960年には、石油は枯渇するどころか、可採年数が35年に伸びた。
最新の可採年数は50年。石油可採年数推定値は、世界の政治・経済動向に複雑に絡み合っている数字なのだ。
「地球温暖化」のウソ
《化石燃料の消費が急速に進み、CO2の放出が激増し、地球温暖化が進んでいる》という因果関係はない。
人類が、化石燃料を大量に消費し始め、CO2を大量に放出しだしたのは、戦後の1946年から。他方、地球温暖化という現象が起こっているのは、1800年代初頭から。つまり、人類のCO2大量放出の以前から、地球温暖化は起きている。つまり地球温暖化は、自然現象だ。
むしろ、《CO2が増えて、気温が上昇》ではなく、逆に、《気温が上昇して、CO2が増加。気温が下がってCO2が減少》というデータもある。
「電力不足」のウソ
原発をただちに止めても、電力不足にはならない。
◇設備では18% 発電所の設備の能力で見ると、原子力は、全体の18%しかない。その原子力が、発電量の28%になっている。それは原発の設備利用率だけを上げて、火力発電所の52%を停止させているから。
原発が生み出していた電力を、すべて火力におきかえても、なお火力の設備利用率は70%にしかならない。
◇ピーク時でも足りる 電力需要のピーク時でも、過去の実績で見ると、最大電力需要量が、火力と水力の合計をこえたことはほとんどない〔図表6〕。実際03年、東電は、首都圏に送電する原子炉17基をすべて止めたが、真夏でも停電は全く起こらなかった。
◇計画停電は恫喝 原発事故を機に「計画停電」がおこなわれている。これは、反原発の世論の高まりにたいして、「原発は必要」と恫喝するいわばテロだ。
エネルギー問題とは、現代社会が、人間の物質的・文化的必要量をはるかに超えて、エネルギーを過剰に浪費する構造にある。生産力を悪無限的に拡大させ、その処理のために大量消費を余儀なくされる。大量消費すればするほど、人間が幸福になっているかのように幻想させられ、生活から意識までを規定される。この貨幣・商品・資本の運動と観念をうち破る必要がある。
核武装と原子力産業
技術として確立できないのに、なぜ原発を推進し続けるのか。
出自は核兵器
原発は原理的に核爆弾と同じだ。というより、第二次大戦の前夜、核物理学の研究が進み、帝国主義各国が総力戦に突入していく中で、一気に原爆となった。そもそも原子炉は、長崎原爆の材料となったプルトニウムを生産する装置として始まっているのだ。それを無理矢理に商業用に転用したのが原発だ。
核独占体制
第二次世界大戦後のアメリカは、核を独占することで世界支配を追求した。イギリスやフランス、ソ連など各国も対抗して核開発を推進した。これは、アメリカにとって、核独占体制の危機だ。そこから、アメリカは、核兵器の増強を進めるとともに、核の製造・保管にかかわる部門を分化し産業化した。これが原子力産業だ。核の製造・保管の過程を支配することで、核による世界支配を継続しようという狙いだ。
「核=原子力の平和利用」とは、そういう意図でアメリカがうちだしたものだ。
国策としての軍需産業
原子力産業は産業というが、採算が合わない。研究開発、原子炉の建設や解体に莫大な費用がかかる。放射性廃棄物の処理問題も解決していない。
国家が、採算を度外視し、莫大な国家予算を投じることで、初めて産業として成立している。軍事ケインズ主義的な政策であり、まさに軍需産業なのだ。
日本も核武装を狙う
日本では、当初、電力会社は、そのリスクの大きさと不採算性から原発に消極的だった。しかし、原爆に衝撃を受けた当時の日本の支配階級が、将来の核武装を狙って、国策として、原子力産業を立ち上げた。以来、日本も、核武装を虎視眈々と追求している。
産・官・学の推進体制
原発事業は、政府が強力に推進している。所轄官庁である経済産業省を中心に、電力業界が一体となっている。
原子力安全・保安院も、「原子力産業をチェックする」とは名ばかりで、原子力を推進する経産省傘下にある。
原子力を研究している学者も、国の予算が命綱だから、大半の学者が国の方針を擁護する。
「原発震災」を警告されながら、なぜ事故を回避する手を打てなかったのか。原発を推進する国、事業者である東電、チェックするはずの原子力保安院、原子力の研究者が一体で原子力に寄りかかることで自分たちの利益を守ってきたからだ。
儲かるカラクリ
原発は採算が合わない。しかし、原発は儲かるという。なぜか。
巨大な資産を持てば持つだけ利益を上げられる仕組みだ。原発が決まると、まだ建設が始まってなくても、加工中の核燃料の費用を電気料金に転嫁できる。建設が始まれば建設仮勘定の2分の1を電気料金に転嫁できる。だからの日本の電気料金は主要国中でもっとも高い。この仕組みのおかげで、電力会社にとって、巨大な投資を要する原発は「カネのなる木」。
原子炉メーカーやゼネコン、鉄鋼、セメント、電機などの企業が群がる一大プロジェクトなのだ。
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
ヒロシマ・ナガサキ、さらにスリーマイル島とチェルノブイリ。そしてフクシマ。
核と人間は共存できない。このことを、ヒロシマ・ナガサキが痛苦な犠牲の上に告発した。にもかかわらず大量の核兵器を製造し、その技術を原発にまで転用してきた。
帝国主義によって、核と原発を推進する人びとによって、人類が破滅の危機に直面させられている。フクシマは、人類的試練なのだ。
湯沸かし器
原発とは何か。複雑で高度な技術と考えがちだが、実は湯を沸かしているだけ。蒸気でタービンを回し、発電機で発電している。問題なのは、湯を沸かすのに、原子爆弾の原理を使っている点だ。
◇核爆弾と同じ原理
ウランが、1個の中性子を吸収して核分裂を起こすと、2個あるいは3個の中性子が飛び出してくる。はじめの中性子さえ供給されれば、その後は反応が自律的・ねずみ算式に拡大する。そして桁違いの熱エネルギーと強烈な放射能を生み出す。
この破壊性に着目して原爆がつくられた。核分裂反応は、その本性からして爆弾向けなのだ。
原発とは、要するに、核の破壊的な熱エネルギーで、湯を湧かそうということなのだ。
死の灰を大量生産
原発は、ウラン燃料を核分裂させると、核分裂生成物という死の灰を生み出す。死の灰は、強い放射線を長期にわたって出し続ける放射性物質を大量に含んでいる。
原子炉1基が1年稼働すると、広島原爆が生み出した死の灰の1千倍の量が出てくる。
ところが、この死の灰を安全に処理する方法はない。それがないまま運転を続け、死の灰がどんどん蓄積されている。
これが環境に放出されれば、それは破局的な事態になる。それがいまフクシマの危機として現実のものとなってしまっているのだ。
核分裂反応の破壊性
核と人間が相容れない。それは、核分裂反応の自然界(地球的自然)にたいする破壊性にある。
自然界において、生物の反応の基本は生化学反応。それは、生物の構成単位である元素の原子核が安定していることを、前提にしている。
ところが核分裂反応では、原子核の安定が破壊され、核エネルギー(桁違いの熱エネルギーと強烈な放射線)を放出する。また、不安定で自然界には希有な放射性元素を大量に生成する。
原爆が爆発した瞬間の温度は100万度。この温度は自然界にはない。
そして放射線は、分子結合のエネルギーに比べてはるかに強いエネルギーを持つ。そのため生物が放射線を浴びると、細胞のDNAを構成する分子結合が切断・破壊される。
つまり、核分裂反応は、生化学反応の前提を突き崩すもので、自然界とは次元の違う世界。自然界に存在せず、自然界の前提を破壊するものだ。
核エネルギーが原子核のなかに封じ込められることによって、原子が生成され、自然界が形成された。その封印を解くことは、自然界の存立の大前提を破壊するものなのだ。人間によって制御できるものではない。核を取り扱うことそれ自体が、禁断の行為なのだ。
原発のない社会を
原発推進派はただちに退場せよ。原発推進派は技術的に破産した。原発推進派にフクシマの危機を解決する力はない。核と原発の危険を警告し、反原発を貫いてきた科学者・技術者を中心に、人民の英知を結集しよう。
事故と被害の現状をすべてただちに公開せよ。一切に優先して放射線被害の対策をせよ。すべての被害を補償せよ。
すべての原発をただちに停止せよ。07年新潟地震の柏崎刈羽原発事故で、すべての原発を停止すべきだった。次の大地震は確実にやってくる。破局をくり返すな。
原発を推進してきた政府・経産省・学者・政党・企業は、結果に責任をとれ。
エネルギー政策を転換せよ。この人類的な危機に立ち向かい、核と原発を必要とする経済・社会を革命的に変革しよう。
6面
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前号に続き、京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんのインタビューを掲載する。 〔インタビューは1月下旬、京都市内。聞き手・本紙記者。文責・本紙編集委員会〕【承前】
復帰闘争と本土
――本土の側の沖縄闘争にかかわる反省点は何でしょうか
大湾宗則さん(今年1月下旬 京都市内) |
昨年5月28日、鳩山首相(当時)が「辺野古回帰」を決めたとき、沖縄県民は「沖縄差別だ」「主権者は私たちだ」と抗議しました。
国土のわずか0・6%の沖縄に、「日本の平和」「国民の生命、身体及び財産の安全」のためだとして、在日米軍基地の75%を集中させ、その上にまた新しい基地を辺野古につくる。このことに沖縄の人びとは、腹の底から「差別されている」と感じているのです。
しかも、沖縄でこれだけ反対しているのに、本土の人びとは、沖縄の痛みをなかなか理解してくれず、連帯の輪に参加してくれません。だから「政府だけでなく、ヤマトンチュも差別者だ」と告発しているのです。
◇国策としての沖縄差別
沖縄は、琉球王朝の末期、薩摩藩の支配にありましたが、形式的には「独立王国」でした。明治政府は、南方進出という国益を実現するため、1879年、琉球王国に「処分書」を突きつけ、武力で日本に統合し、沖縄県としました。だからこの事実を「琉球処分」と言っています。
その後、日本と清国が、琉球をめぐって対立したとき、中国(清国)内での通商権獲得を条件に、今度は「八重山・宮古両諸島を清国領に、それ以北は日本領に」という分島案で解決を図ろうとしました。結果は頓挫しましたが。
「琉球は日本領だ」と言って武力で処分しておきながら、清国との対立が起こると、今度は沖縄の一部を清国に差し出すという日本政府のやり方は、《国策としての沖縄差別》の始まりでした。
沖縄闘争にかかわる人の中には、この分島問題や沖縄戦、52年発効のサンフランシスコ対日平和条約、72年の沖縄返還、そして今回の「辺野古回帰」も含めて、「第三、第四の琉球処分」と言う人がいます。
しかし、琉球処分は一回だけです。琉球処分以降、明治政府や日本政府が沖縄にたいしておこなった仕打ちは、国策としての沖縄差別と理解しています。
国策としての差別は、沖縄差別だけでなく、労働者や女性、「障害者」、そして在日外国人などにも適用されています。例えば、企業は国際競争力強化を掲げて生産性向上を図っていますが、これを国策として援助し進めているのが労働者にたいする規制緩和であり、構造改革です。その結果、労働者間の競争を激化させ、それをテコに差別・格差を助長させ、労働者間を対立させて押さえ込んでいます。政府の規制緩和政策はまさに国策として進められている労働者差別支配です。
このように日本政府が国益に基づいて出してくる様々な国策に、私たちが戦略的に対抗するためにも、〈国策としての沖縄差別〉と〈琉球処分〉を同じものとして扱うことはできません。あらゆる戦線の人びとが、国策としての差別に対抗する闘いを進めながら、相互に手を結び合う道筋が必要だからです。
◇沖縄へ基地おしつけ
国策としての沖縄差別は、今回の「辺野古回帰」だけでなく、1945年の沖縄戦にも見られます。当時すでに、連合国との戦いの帰趨は決していながら、「国体護持」を理由にして、沖縄戦の強行があり、広島・長崎の原爆投下がありました。
また、52年4月28日発効のサンフランシスコ対日平和条約で、日本政府は、日本の独立と引き替えに、北緯29度以南の南西諸島(沖縄諸島など)を、米軍政支配に引き渡しました。
朝鮮戦争を契機に、東京・砂川町の立川基地、山梨や岐阜の海兵隊、兵庫・大阪の伊丹飛行場(当時は米軍が接収)など、本土で基地反対闘争が燃え上がりました。しかしその解決策は、沖縄への基地集約でした。このとき、今の名護市にあるキャンプシュワブも建設されました。
とにかく、「日本の平和」「国民の生命、身体及び財産の安全」を守るという名目で、日本政府は、国策として沖縄差別を行い、沖縄の人びとに負担と被害を押しつけてきました。
しかし、ヤマトンチュは、この事実を気にとめず、沖縄に冷淡でした。
◇「復帰」闘争の総括
ここで、ヤマトンチュに反省を求めたいと思います。
対日平和条約が重要ですが、実際に体験された方が少なくなっているため、それに次いで大事な例は、1960年から72年の反安保・沖縄闘争にかかわることです。ここで60年安保闘争の総括をするつもりはありません。
60年の安保闘争は、戦後日本の大衆闘争の中で、全国的な広がりの点で、空前のものとなりました。
しかし、この同じ時期に、米軍政下の沖縄では、60年4月28日に、「沖縄県祖国復帰協議会」が結成されました。当時、米軍統治下の沖縄では、星条旗以外の国旗を許さない中で、米軍の制止をはねのけて、「日の丸」のはちまきを締め、「日の丸」の国旗を掲げて、「平和憲法の下へ、基地も本土並みへ」と平和行進をおこないました。本土の沖縄県人会も、これに応えて取り組みました。
しかしこのとき、沖縄が連帯を求めて手を差し出しているのに、ヤマトのみなさんは冷淡に対応しました。結果、72年の沖縄の本土への返還は、核付きで日米安保に組み込まれ、今日に至っています。
沖縄から始まった「祖国復帰」の闘いは、明治政府の武力による琉球処分、その後の日本政府による国策としての沖縄差別を、沖縄と本土を貫いた大衆的な連帯でうち破り、ウチナンチュとヤマトンチュが国民的規模で再統一する中身をもった闘いだったのです。しかし当時、私も含めて日本の左翼は、このことに思い至りませんでした。
◇共同の事業として
今、日米共同声明で発表された「辺野古回帰」に、沖縄が「沖縄差別だ」と叫んでいることを受けとめ、今度こそ、本土にいるウチナンチュとヤマトンチュはしっかり連帯の行動を起こして欲しいと思っています。「日米共同声明」を撤回させ、普天間基地を撤去させる闘いは、ウチナンチュとヤマトンチュの民衆同士による国民的統一事業として勝利させ、「核も基地もない日本列島」を実現させる礎にしなければなりません。このとき、日米安保は名実ともに廃棄できると確信しています。
安保と沖縄闘争
――本土の運動が沖縄と連帯するために問われていることは
少し整理が必要です。
沖縄闘争は、日米安保と不可分に結びついています。だから、本土の活動家の人は、「『安保粉砕』『安保廃棄』を掲げないと、沖縄闘争は前進しない」とよく言われます。たしかに論理的にはその通りです。
しかし、実際には、「安保」を掲げる本土では運動が進まず、「安保」を掲げていない沖縄で、安保廃棄闘争が実質的に前進しています。
沖縄の闘いは、日米安保の運用を定めた「日米地位協定」をしめあげています。米軍の凶悪犯罪、軍用機の騒音や墜落など、基地があるための被害にたいして、ひとつずつ丁寧に、在沖米軍と日本政府への抗議行動をくり返しています。在沖米軍は、安定的で自由な基地の使用がせばめられ、沖縄にいられなくなりつつあります。これは、実質的には「安保粉砕」と同じ効果を引き出しています。
本土でおこなわれる集会は、少し言い過ぎになりますが、「安保粉砕」を掲げているといっても、スローガンとして掲げているだけで、実質的な中身があるわけではありません。大きな前進も見られません。
運動に理論は必要ですが、理論を運動化することはできません。人びとにとって、運動とは、具体的で、直接的で、現実的な課題から出発する帰納法だと思います。大衆の怒りや要求を、大衆とともに攻めあげ、その過程を通して大衆自身が身体と頭脳で理論を会得していくものと理解しています。
65年間、米軍政下と日米安保のただ中にいる沖縄の人びとが、安保のことをよく知らないわけがないのです。
沖縄の闘いが、138万人の県民をひとつにまとめながら、基地の縮小から撤去の闘いを進めていることに、むしろ本土の活動家は学ぶべきだと思います。
具体的な課題
次に具体的な課題を提起したいと思います。
◇「思いやり予算」撤廃
「思いやり予算」の撤廃を求める運動を、本土でも取り組むべきと思います。
日米地位協定第24条で、日本政府が米軍に提供すべきものとしているのは、「施設及び区域並びに路線権」にかかわる経費負担のみです。78年から始まった「思いやり予算」は、07年までの30年間で2兆円になります。これは、日米地位協定第24条に違反しています。
しかもこの「思いやり予算」で、1戸あたり4千8百万円もの米軍兵士向け住宅、岩国基地の第二滑走路、日本人基地労働者の賃金、ゴルフ場、遊興施設・その従業員の費用まで賄われています。
これを不当・違反と訴えた裁判は負けました。今日の司法は、下級審で、安保条約や日米地位協定にかんして「憲法違反の恐れがある」という判決を出しても、すべて上級審、とくに最高裁でひっくりかえされます。官僚組織、とりわけ司法は国家の支柱ですから。
だから、私たちは、「思いやり予算」の不当性を、社会的な告発運動として、全国的に取り組もうと準備しています。
具体的には、「思いやり予算」で建てられた施設などを、一組20枚程度の写真パネルにします。それを全国の市民団体などに請け負っていただき、反戦・反改憲の集会や街頭行動にもち出して、市民にアッピールします。こうして「思いやり予算」撤廃の全国的な運動を盛り上げようと思っています。視覚に訴えるやり方は、人びとの関心を引きつけるために必要です。
◇名護へのふるさと納税
ふるさと納税制度を利用した名護市と市民への応援を計画しています。
名護市は、稲嶺市長になって「米軍再編交付金」を拒否しました。稲嶺市長は、「再編交付金がなくても名護市は大丈夫」(名護市広報「市民のひろば」11年2月号)と言っていますが、今後も日本政府の財政しめつけは続きます。
名護市への「ふるさと納税」を利用した寄付行為を、全国民的に巻きおこそうと呼びかけています。額の大小ではなく、私たちにとっては、納税者としてのささやかな予算支出選択権の行使であり、そのことで名護市民が「全国から支援がある」と実感することが大切です。
◇実感できるまで
沖縄の基地をめぐり、そこでたたかう人びとと交流して下さい。また、日本の近現代史の学習会を続けて下さい。沖縄が、自分の小指のように実感できるまで、沖縄に寄り添ってみて下さい。きっと答えが出てくると思います。(次号に続く)
7面
大阪府2011年度予算
教育破壊 進む
「『子どもが笑う』について、僕は相当自信を持っている」と橋下はうそぶく。2月14日、大阪府の2011年度当初予算案が発表された。その実態は教育破壊だ。
高校間競争の激化
教育で最大の目玉にしているのが、私立高校の授業料無償化。
2011年に入学する年収610万円未満の世帯の私立高校生に、国の支援金とあわせ一人当たり年58万円を上限に助成するというもの(10年度は年収350万円未満が対象)。授業料がそれより高い場合には、超過分を学校負担とする。年収610万〜800万の世帯も保護者負担が年10万円になるよう助成する。
現在府内の私立高96校の半数近い45校の授業料が年58万円を超えている。無償化に参加しないことも可能だが、生徒集めで不利になる。参加すれば財政負担が大きい。橋下府政で府の私学運営費補助金カット(高校10%、小中25%)が続いている。
このままでは結局教員給与を削ったり、教員数を減らしたりということになりかねず、現在の教育内容を維持できない。橋下が公言する「バウチャー制度」をあわせて考えると、高校間競争の激化と高校の統廃合は不可避となり、それが狙いだ。
府職員の給与カット
財源も問題だ。
橋下がターゲットにしているのが、私学補助金のさらなるカットと府職員給与のカットだ。私学への運営補助金削減率現行25%を小学校50%、中学校35%にひきあげることをもくろんだ。府職員給与カットは当初予算で270億円としていたものを350億円にするとした。
しかし3月16日の府議会で補助金削減増額は、府立成人病センター移転計画とともに撤回させる修正案が可決された。橋下が知事に就任して以来初めての事態だ。橋下は府政史上初となる再議を求めたが、再度の採決でも修正案がそのまま可決された。
朝鮮学校 補助金停止
さらに許すことが出来ないのは朝鮮学校に対する仕打ちだ。橋下は朝鮮学校に対する運営費の助成金(外国人学校振興補助金)も、授業料補助金も2010年度は予算を組みながら執行せず、2011年度は当初予算案からはずした(その後、小中学校には条件付きで支給、高校は支給しないと発表)。大阪府は「補助金」を無条件、即時に「支給」せよ。
進まぬ給食導入
教育のもう一つの目玉が公立中学校での給食導入。大阪維新の会もマニフェストでうたい、あたかも橋下の積極的な施策かのように打ち出している。厚顔無恥もはなはだしい。公立中学校の給食実施率は全国で80%を超えている。大阪府は2009年度実績で7・7%にすぎない。あまりにも恥ずかしい水準だ。給食の完全実施に向けて財政措置をとらなければならないのに、橋下は給食ではなく希望者が業者に弁当を注文する「スクールランチ」でごまかそうとした。給食にすると設備の新設や栄養士または栄養教諭を配置しなければならない。また就学援助者に対する補助も必要になる。こうした費用を出したくないため、給食ではなく「スクールランチ」にした。その結果、5市45校にしか採用されず、採用した茨木市や高槻市では、生徒の2%ほどしか利用せず失敗に終わった。橋下は、この責任をとろうともせず、給食が実施されないのは市町村に責任があるかのようにすり替える。
今回の府の予算では市町村の負担が大きい。設備を作るだけでも、府より市町村の金額のほうが大きい。毎年かかる年間経費は考慮されていない。これでは市町村が実施に踏み切ることは難しい。その責任をまたしても市町村になすりつけるのが橋下の手口だ。一方で「民間資金を導入し完全民営化」を狙う。
資本の要請で人材育成
教育ではさらに@「進学指導特色校」への優遇措置、A府独自の学力テストを継続実施し、テストで基準点を超えれば2年間で総額5億円を助成する制度も新設するという「英語教育改革」など全面的な検討と批判が必要である。一言で言って「『アジアとの競争に勝ち抜く』ために大資本の要請に応える人材の育成」であり、その競争に勝てないものは「自己責任」として切りすてるというものだ。
府予算案に占める教育関連予算の割合は、1984年には34・6%あった。以降どんどん低下し、00年には20%をわずかに超える水準であった。橋下府政でさらに下がり続け、11年度は17・7%と過去最低水準、84年のおよそ半分程度になった。前年度比で5億6千万円の削減だ。
統一地方選挙で「大阪維新の会」候補を落とそう。橋下を打倒しよう。
隠された歴史を知る
投稿 金稔万(キム インマン)さん支援集会に参加
3月4日、「金稔万さん本名(民族名)損害賠償裁判を支援する会」の主催する報告集会が、大阪で開かれた。
本名を名乗るために
稔万さんが使っていたヘルメット。本名のシールをはがし、通名のシールが貼られている |
09年9月から10年1月まで約4カ月間、大阪阪急百貨店の建て替え解体現場で、日雇い労働者として働いていた。そこで突然、雇い主から、「本名だったら3〜4日手続きがかかるから、通名を使うように」と、言い渡された。
当初、それが何を意味するのか、理解できなかった。しかし従わざるをえなかった。日雇いの身分で、3〜4日先の仕事をじっと待つなど、考えられなかったからだ。
10年5月、私は、日本国政府ならびに大林組とその下請けの三者にたいする損害賠償請求裁判を、大阪地裁に提訴した。本名を名乗るという当たり前の人格権のためだ。
裁判の過程でわかったことは、「不法就労」を防止するため、外国人の就労をハローワークに報告することが、数年前から雇い主にたいして義務づけられ、このことが通名にかえられた原因だったということだ。「本名だと《外国人就労届》を提出しなければならないから、通名にしてほしい」という理屈らしい。
私は、日本で生まれた在日朝鮮人二世で、特別永住者。「不法就労」自体あり得ず、「外国人就労届」が免除されているにもかかわらずだ。
グローバリゼーションが進行する中、「改正」入管法の施行を目前にして、在日外国人にたいする、在留資格による選別・差別の強化が懸念されている。
今後、多くの在日同胞や在日外国人の若い世代が、本名(民族名)を自然に名乗ることのできる社会にするために、この裁判が、ひとつの問題提起になればと思っている。
差別社会に強い疑問
弁護団からも発言があった。
なぜ弁護を引き受けようと思ったか。在日が、名前や仕事のことで、大中の企業から排除されている。それが当たり前、通名が当たり前。周囲もそう強制してきた。それが、「人権の侵害」にあたると思われてもいない。 指紋押捺の問題など、「以前からすれば良くなってきているのかな」と思っていたが、拉致問題の頃から、「やはりなにも変わっていない」と強く思うようになった。こういった土台がきちんとされていないのに、多文化共生などありえない。そういうことで、この裁判を引き受けようと思った。
知らないということ
私は、集会に参加して思った。
私は、「韓国併合」のこと、「創氏改名」のこと、「特別在留資格」のことも、詳しく知らなかった。 通名の強制がまかり通るのは、日本社会が全体として、「問題意識をもっていない」「隠されてきた歴史や事実を知らない」ということに、大きな原因があると感じる。
本名で生きてきた在日の友人のことや稔万さんの裁判を通して、自身も歴史を知ろうと思ったし、積極的に活動するようになったが、身近なレベルで語り合って、知っていくことが、とても大事だと思う。
今度の裁判、次の裁判も行きたいと思う。(小島衣里)
8面
「君が代」処分 取り消す
3・10東京高裁 逆転勝訴
東京「君が代」裁判の一次訴訟(04年処分、原告168名)は、03年10・23通達が出されて以降、同年秋から翌年春にかけて、周年行事、卒業式などで、「日の丸・君が代」強制に従わなかったとして処分された都立学校教員が、都を相手取り、職務命令および懲戒処分は違憲・違法であるから、懲戒処分を取り消し、損害賠償(慰謝料)せよ、と求めてたたかっている裁判。1審の東京地裁は09年3月26日に「請求棄却」の反動判決を出し、原告が控訴していた。
逆転勝利判決に喜ぶ原告と支援の仲間 (3月10日 東京高裁前) |
1審判決を取り消し
3月10日、原告や支援の仲間など約200人が見守るなか、東京高裁(大橋寛明裁判長)は、「懲戒処分を取り消す。損害賠償請求は棄却」の判決を出した。「日の丸・君が代」処分が裁判で取り消されたのは初めてのこと、大きな勝利だ。
判決は、控訴人らの不起立行為は・・・生徒に正しい教育をおこないたい・・・信念に基づく真摯な動機によるものであり・・・やむにやまれぬ行動であった。・・歴史的な理由から現在でも「日の丸・君が代」について、控訴人らと同様の歴史観または信条を有する者は国民のなかに少なからず存在しているとみられ、控訴人らの歴史観が、独善的なものであるとはいえない・・・と判示。卒業式等が混乱したという事実はなかったこと等も踏まえ、結論として、不起立行為などを理由として懲戒処分を科すことは社会通念上著しく妥当性を欠き、重きに失するとして、懲戒権の範囲を逸脱・乱用するものであるとして、違法であるとした。
他方、判決は、10・23通達および職務命令は憲法19条、20条に違反せず、改定前教育基本法10条の「不当な支配」にもあたらないとした。また、損害賠償も認めなかった。
「上告するな」の申し入れ
一週間後の17日、都教委申し入れ行動に40人がたちあがった。要請事項は以下4点。@上告するな、A10・23通達を撤回せよ、B同通達に基づくすべての懲戒処分を撤回せよ、C同通達にもとづく新たな処分をするな。
都教委が上告
3月22日、都教委の文書回答は、@上告する方向で検討、Aこの項は係争中であり、回答しない、B懲戒処分は撤回しない、Cこれまでどおり厳正に対応(ひきつづき処分を乱発するの意)、というもので、翌23日に上告した。
同日、原告側も上告した。
昨年を上回る不起立
10・23通達以降の「日の丸・君が代」処分者数は、のべ430人にのぼる。処分されても、処分されても「日の丸・君が代」強制への抵抗はとまらない。当初、数年で決着がつくと踏んでいた都教委の思惑はふきとんだ。3・10判決をもバネとして、都立学校の2010年度卒業式では、昨年をこえる不起立がひろがっている。
米欧がリビアへ軍事介入
空爆をやめろ
3月19日、米国・イギリス・フランスなどの多国籍軍はリビアに対する空爆とミサイル攻撃による侵攻を開始した。「オデッセイの夜明け」と名付けられたこの軍事作戦は、3月17日の国連安全保障理事会の決議(第1973号)を口実にしている。国連安保理は、リビア上空に飛行禁止区域を設定し、「リビア市民の保護」を名目に国連加盟国に対して地上軍を除く軍事行動を認めた。
しかし、ロシア、中国、インド、ドイツ、ブラジルの5カ国は「誰が兵力を負担し、どのように実施するのか道筋が見えない」「軍事衝突は長引き、影響を受ける地域は拡大する」などとして棄権した。
フランスの狙い
今回のリビア攻撃をもっとも積極的におこなっているのはフランスである。フランスは3月10日、世界で最初に反体制派のリビア国民評議会を「唯一合法的なリビア国民の代表」として承認した。
ところで07年にリビアへの武器禁輸解禁(04年)後、世界で初めてカダフィ政権にたいして総額1億6800万ユーロの対戦車ミサイルや警察用無線通信システムを売却したのもフランスだ。また同じ年にフランスは、ラファール戦闘機14機の売買契約をカダフィと結んでいたのである。この間、英・仏・独・イタリアなど欧州諸国は、年間3億4千万ユーロにのぼる兵器をカダフィに売りつけてきた。
こうしてフランスとヨーロッパは、昨日までは軍需産業のためにカダフィ政権に軍事支援を行い、今日になればリビア石油の利権を確保するためにカダフィ政権に売るはずだったラファール戦闘機の改良型で爆撃を加えている。
またリビアは03年の国連による経済制裁の解除と引き換えに莫大な石油利権を米・英に売り渡した。国有だった石油産業はエクソン・モービルやBPなどの外資に開放され、石油や天然ガスの探査権を奪われていったのである。こうした米欧への屈服と依存の姿勢は、カダフィ政権からリビア人民の離反を促進していった。
石油利権
多国籍軍によるリビア侵攻は、米欧資本の石油利権を保障するためのものであり、けっして蜂起に立ち上がったリビア人民を支援するためのものではない。それどころか、今回のリビア空爆は、チュニジア、エジプトからアラブ諸国に拡大しているあらたな人民革命の圧殺を狙う米欧帝国主義の軍事介入・侵略戦争である。
民衆デモの拡大を恐れるサウジアラビアなどのアラブ支配層は、多国籍軍の空爆を積極的に支持し、カタールやアラブ首長国連邦(UAE)がこれに参加している。彼らはそうすることで、13日にバーレーンに侵攻させたサウジアラビア軍とUAE軍によって、民衆デモを武力で鎮圧することを米欧帝国主義に承認させた。
チャベス・ベネズエラ大統領による調停案を拒否し、国連に飛行禁止区域の設定やリビア空爆を要請したリビア国民評議会も、アラブ支配層と同じ罪を犯している。彼らは帝国主義の軍事介入を呼び込むことで、リビア人民のみならずアラブ人民全体にたいする裏切りを行ったのだ。アラブ人民革命への反革命という点では、国民評議会もカダフィ政権も本質的に変わりはない。
日本政府も賛成・加担
日本政府は、安保理決議1973号に賛成し、アラブ人民革命への武力鎮圧に加担することを表明した。弾劾の声を上げよう。
新たな人民革命に立ち上がったアラブ人民と連帯し、米欧帝国主義のリビア空爆の即時停止を求める国際的な共同闘争にたちあがろう。