未来・第66号


            未来第66号目次(2010年10月5日発行)

 1面  「生活が第一」を放棄
     菅が所信表明演説

     基地のない沖縄・私たちの新しい沖縄の実現へ
     沖縄知事選に出馬する伊波さんが政策提起

 2面  対米重視へ回帰した菅政権
     沖縄県民と連帯し 日米合意粉砕へ

 3面  市民の自主的な運動 始まる
     沖縄知事選勝利へ

     沖縄と東アジアから 日本の近現代を問う

     11月 日米軍事演習で計画
     釣魚台侵攻作戦

 4面  中国人民・台湾人民・沖縄県民と連帯し日帝の侵略外交と対決を
     釣魚台=「尖閣列島」は「日本の領土」ではない
     中国問題研究会

 5面  9・18柳条湖事件の日に
     憲法を考える集会

 6面  自分の国の歴史や言葉を思う存分学ぶ権利ほしい
     朝鮮学校 高校無償化

     投稿 できあいの思想やいかなる権威にも倚りかかりたくない

       

「生活が第一」を放棄
菅が所信表明演説

1日、菅が所信表明演説をおこなった。
菅改造内閣は「有言実行内閣」で、「先送りしてきた重要課題」を実行するという。しかし、それは、1年前に「生活が第一」といって公約したことを実行するという意味ではない。
実行するのは、「大企業が第一」への転換だ。

演説のポイント

・「経済成長」をうたい、大企業=グローバル資本の支援を最優先課題にかかげ、そのための法人税減税や、消費増税と一体となった「社会保障制度改革」をうちだしている。
・「地域主権改革」をすべての「前提」とし、大企業支援の財源確保のため、福祉・教育にたいする国の責任放棄を明確にした。
・「主体的な外交」と称し、「グローバルな課題の解決」のために「先頭に立って貢献」として、日米同盟の世界化、自衛隊海外派兵の恒常化、帝国主義軍事外交を追求している。
・防衛計画大綱見直しの方向として、「実効的な防衛力」をかかげ、《専守防衛》や《抑止効果》をこえて、実際の攻撃や交戦を想定した《対処能力》重視への転換を明確にした。
・普天間基地問題では、5・28日米合意に固執し、辺野古新基地建設をあくまでもごり押しするとした。また沖縄問題についての言及がほとんどなく、沖縄県民の怒りをあくまで無視する態度をしめした。

混迷と反動

しかし、菅政権は、所信表明演説で、日本帝国主義の危機突破の路線をうち出せたわけではない。むしろ危機を激化させ、失点を重ねていくしかない。
警戒すべきは、日米矛盾と日中対立によって促進される、より極右的な部分の台頭だ。同時に、民主党のみならず、政治システムそのものに人民の怒りと不信が向かう中で、右翼的急進的な突破を叫ぶ大阪府知事・橋下、名古屋市長・河村、みんなの党・渡辺などが果たす役割だ。
ただ、明確なことは、いずれの反動勢力によっても、沖縄米軍基地問題の現行方針おしつけは不可能だということだ。すべての労働者人民は、沖縄県民と連帯して、「普天間基地撤去・辺野古新基地建設阻止」をたたかいとり、菅政権と全反動勢力をうち倒そう。

基地のない沖縄・私たちの新しい沖縄の実現へ
沖縄知事選に出馬する伊波さんが政策提起

9月26日、那覇市内で、「沖縄の未来を拓く市民ネット」の結成集会がひらかれ、伊波さん(現宜野湾市長)が沖縄県知事選への政策を提起した。以下に発言要旨を掲載する。〔文責・編集委員会。集会報道は3面〕

伊波洋一さん(9月26日 那覇市内)

私は、この間、3つのことを述べている。

@県内移設反対の私の当選で、辺野古移設をやめさせる。
A沖縄県民が主体となった県政に。日本政府に依存する県政ではなく、沖縄の将来を、われわれが自ら選択できる県政にしよう。
B沖縄は、いくつもの価値を持っている。その価値を自覚し、沖縄を発展させよう。

基地問題に終止符

03年に市長になって以来、普天間飛行場の県内移設に一貫して反対してきた。その内容については、『普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい。』(伊波洋一著 10月刊 かもがわ出版)で詳しく述べているので、それを見てほしい。
私たちは、選挙で、沖縄の意志をしっかり表明していく。これが知事選の一番大きな目標だ。私が当選すれば、県内移設はできない。
この選挙で基地問題に終止符を打って、いよいよどの順番で米軍基地を返してくれるのかという交渉にアメリカと入る。基地アクションプログラムをつくって、2022年には基地のない沖縄を実現したい。

金はない・金はある

その上で、私が県政に臨むに当たって、何をしたいのかについて、お話ししたい。
どこの自治体財政もきびしい。とくに沖縄県は厳しいといわれる。ところが沖縄県は6千億円からの予算をもっている。
一方で、福祉部などは、児童相談所の定員を増やしたくても金がない。5万円、10万円がなくて困っている。
他方で、国からの振興策のお金が潤沢にある部署では、5千万円、1億円の金をどう使ったらいいかで困っている。
国からは、沖縄振興費100億円が出ていて、こういう施設をつくるという話が、新聞にも大きく出ている。しかしその施設は、市民の生活にまったく関係ない。高度な研究やIT事業のためだ。こういうお金は、使い切れないくらいある。
でも生活のためのお金はない。どうしてそういうことがおきているのか。そのことが、私たちが問うべき課題だ。

自治体間の格差

自治体の間で格差が広がっている。先日、豊見城市の市長選に応援にいったが、豊見城市では、学校の用務員がいなくなっているという。掃除とか印刷は先生にさせればいいということで、用務員を廃止した。
私の宜野湾市では、当初、小・中学校12校で、計6人しか正規雇用の用務員がいなかった。しかし、学校の安全や花壇の手入れなどの施設管理は必要だ。それが、学校教育にとってプラスになる。そう判断し、用務員を施設管理員という名前に変えて、全校に計12人の正規職を配置した。
こういう違いがなぜ出てくるのか。豊見城市では、お金をどんどん積み立て、20何億円になるという。お金はあるが、教育の現場には出ていかないで、どこか別のところにお金が上がっていく仕組みになっている。

シーリングと部局の壁

沖縄県政でも、同じようなことがいくつもあると思う。予算のあり方がそもそも間違っている。
沖縄県は、財政課が予算を査定する。部局から出てくる予算案に一律にシーリングをかける。福祉など、当然増えるべきところにもシーリングがかかる。しかも部局間に壁がある。そうすると、5万・10万のお金に困るところと、5千万・1億の金の使い道に困るところが出てくる。
宜野湾市では、そうやっていない。額ではなく、それが本当に必要であるかどうかを検証し、事業を選択している。

県民のための県政

私たちが目指すのは、同じ沖縄県のお金だったら、どの部局でも使えるようにすることだ。そして沖縄にとって本当に必要な政策に、お金を当てる。これを今回の政策の柱のひとつにして、知事選をたたかう。
7年前、市長になったとき、70億円だった宜野湾市の財政が、いま88億円。税の徴収率をあげ、事務合理化や入札制度改革をやる一方で、政策事業を、毎年60億円、就任以来およそ683件、344億7千万円やってきた。これだけやると、宜野湾市がどんどん変わってきた。
これは他の市もできるし、沖縄県でもできる。

失われた12年

私は、この12年間が混迷の12年間であったと思っている。県内移設に翻弄された。米軍再編交付金や島田懇談会事業(97年〜07年)があった。どれもつかみ取りの金。おかげで北部には、地域に似つかわしくない、ホテルのような自治会事務所ができている。
振興策をたくさんもらえれば得したような気持ちになるが、それが本当に自分たちのためになっているかということが問われている。
これにたいする答えは、1月の名護市長選と9月の名護市議選で出された。そういうあり方では、私たちの発展はない。やはり実質的な発展をしていかないといけない。そのためには農業も大事だし、地場産業も大事。そういったものをつくっていく。
そのためには、基地は返してもらわないといけない。これがわれわれの基本的なスタンスだ。
この12年で、失われたものを、次の12年で取り返していこう。12年後の復帰50年の年に、「私たちの新しい沖縄」を実現していこうということを、今回の選挙の大きな目玉にしたい。
また、沖縄の人づくりのための教育、歴史・文化・伝統の継承、離島の暮らしを守る政策に力をいれたい。

2面

対米重視へ回帰した菅政権
沖縄県民と連帯し 日米合意粉砕へ

民主党代表選で菅直人が再選され、9月17日、改造内閣が発足した。
その顔ぶれは、改造前以上に、反小沢派が重要ポストを占めるものとなった。
菅政権の基本路線は、鳩山・小沢によるアジア重視・対米相対化路線から、対米重視路線への再転換だ。昨年夏のマニフェストを反故にして、帝国主義ブルジョアジー
所信表明をする菅(1日 衆院)
の利害そのままに、自公時代に舞い戻らせようとしている。
すでに釣魚台沖の漁船逮捕事件で対中外交が注目され、左右から非難を浴びているが、最大の矛盾点は沖縄だ。さらに民主党政権を追いつめよう。

動揺と反動の前原外交

菅新内閣の目玉人事は、前原外相(前国交相)と前鳥取県知事の片山善博総務相だとされている。

◇辺野古ごり押し
沖縄普天間問題の担当閣僚については、北沢防衛相の留任と前原の横滑りで基本的に継続させ、辺野古「移設」の押しつけ方針をあくまでもごり押ししようとしている。前原も「沖縄県民へのおわび」を口にしつつ、日米合意に基づいて辺野古に「移設」するとあらためて就任あいさつで表明した。

◇「経済外交」
また、前原は就任の会見で「日米同盟関係をさらに強化」することと「経済外交」を強調した。
経済外交とは、国交相として新幹線の売り込みにベトナムを訪問してきた路線を、こんどは外相としてさらに推し進めるという意味だ。経団連との関係修復を果たした菅民主党としては当然のものであろう。

◇対中強硬派
問題は、前原が親米派として米帝から期待される一方で、対中強硬派として中国で警戒されていることだ。
前原は、釣魚台漁船事件発生時、海上保安庁を所管する国交相として「日本の固有の領土」論をふりかざして船長逮捕を強行した。
その前原が、事件後の17日、外相に就任したことで、中国は、対応を強め、新内閣発足直後にはフジタ社員4人を拘束し、一気に交流事業や戦略物資レアアース輸出の差止めなどをおこなってきた。

◇米帝から圧力
他方、米帝は、釣魚台問題は日米安保の対象だとして日帝を支持するとともに、思いやり予算の増額要求や、以前からのことだが、イランでの石油開発からの撤退要求をつきつけてきた。
これは、中国が対日圧力をかけているのを好機と見て、前原と菅政権に親米路線へのしっかりした回帰を要求し始めたものだ。

◇東アジアめぐる覇権
これら米中の日本をめぐるつばぜり合いの背後には、横浜でのAPEC開催を前にした東アジア全体をめぐる主導権争いがある。
とくに米帝国主義は、9月24日ニューヨークで、第2回ASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議をひらいたが、そこでの共同声明に南沙諸島の領有権問題について明記しようと策動した。これは中国への牽制そのものだ。

◇反動的な飛躍へ
これらを通して、日本帝国主義の外交の動揺ぶりと後手後手ぶりを見てとることができる。たしかに、自民党の安倍晋三らが言うとおり、帝国主義外交としてはまだまだ「弱腰」に違いないだろう。
しかし、軍事外交の基本路線で迷走を続けてきた民主党政権は、「尖閣」領有を主張する国内の反動的な諸勢力から非難を受けて、前原を先頭に、いよいよ本格的に反動ぶりを発揮していく危険性がある。

賃金2割カットから公務員制度改革へ

民間からの登用として、行革推進論者の片山が総務相に就任した。
鳥取県知事時代にダム建設中止や災害被災者支援などでは評価されたが、公務評定制度を導入して行革による合理化を推進した人物である。14項目で5段階評価し、最低だった職員は一年間の職場研修、翌年も同じなら退職勧奨するという制度で、その後全国に拡大している。
菅内閣は、国家公務員の総人件費の2割削減を公約し、今年の人事院勧告をさらに超える給与削減を目指している。公務員労働者への攻撃が、片山の初仕事になる。
自民党が主張する地方公務員の一律削減策を批判したり、住民自治の強化をとなえてきた面もあるが、「地域主権」政策の中身がどうなっていくか、警戒していかなければならない。

経済危機打開策示せず

菅政権の経済政策は、参院選前の消費税論議で正体が示されたとおり、基本的に増税・財政再建優先路線であり、反人民的なものだ。
この間の円高問題と景気対策の必要から、内閣改造早々に閣僚の勉強会を開いたが、にわか勉強が必要なほど、経済政策にうとい政治家が大臣になっている。
質的には自民党も同程度であろうが、官邸主導・政治主導をとなえている民主党の今後の経済運営に、ブルジョアジーは、不安をつのらせているはずだ。
鳩山政権は、財政危機否定論者の元大蔵官僚・榊原英資をブレーンにしてきたが、菅は、消費税増税論者の小野善康と、社会保障で経済成長をとなえている神野直彦をブレーンにしている。政治家それぞれの志向にそった理屈を提供してくれるブルジョア経済学者は、さがせばどこかにはいるものだ。しかし、実際の経済・金融の舵取りがそれでできるかどうかは別問題だ。

◇菅と小沢
菅対小沢の代表選での対立は、経済政策という点では、財政健全化と景気対策のどちらを重視するかというものであった。
その意味では、ともに「大きな政府」志向といえるのだが、もともと経済理論上の整合性などおかまいなしに、〈新自由主義の規制緩和論〉と〈大衆的支持を得るためだけの「コンクリートから人へ」論〉が平然と同居しているのが民主党だ。この点では、消費税アップで一致している自民党の上げ潮派(新自由主義路線)対財政再建派の路線対立と同じだといえる。
つまり、帝国主義諸国のなかで唯一デフレ経済におちいって危機を深める日帝には、場当たり的な弥縫策以外に危機突破政策がないということだ。
小沢の代表選公約に比べて、菅のそれはマニフェストの社会保障政策を次々に値切り、景気対策にも消極的で、危機を打開していく具体的な方向を何も示していないといえる。

支配階級内部の対立

◇経済と軍事外交
菅政権と日銀による2兆円規模の円売り為替市場介入は、欧米から「不当な為替操作だ」と非難されている。これをくり返せば人民元の切上げをしぶっている中国とともに、「為替操作国」扱いされるかもしれない。
米帝は、日本の対アジア外交を締めつけるために、経済政策上の対抗措置を準備している。
米議会で為替操作国に認定されると、アメリカとの間で二国間協議で通貨の切り上げを要求され、アメリカから必要に応じて関税による制裁を受けることになる〕
このように、グローバリズムのもとでは、経済政策と軍事外交政策とが従来以上に結びつき、帝国主義間争闘戦と、対スターリン主義政策が展開される。

◇対米かアジアか国内か
ところが、日本帝国主義ブルジョアジーのなかで、個別利害のズレが生じている。
米欧市場での利害から対米関係を重視する傾向の資本と、対アジア関係を重視する資本、国内経済の回復に最大の利害をもつ資本との間で、利害の対立が生まれている。
それが、《日本経団連の一時的な政治離れ》や《自民党支持だった一部業界の民主党への鞍替え》の背景となってきた。

沖縄が最大の破綻点

総じて、日本帝国主義は帝国主義として危機を突破する延命路線がうち立てられず、政治的危機を激化させ、日米矛盾と米中対立、日中対立のなかで失点を重ねているのだ。
しかも、最大の矛盾点は、労働者人民の投票で政権交代を果たしながら、沖縄県民をはじめ、労働者人民を裏切ることで、日帝ブルジョアジーの延命をはかろうとしている点だ。
その最大の破綻点は言うまでもなく沖縄である。普天間基地即時撤去・名護新基地建設絶対阻止をたたかいとり、菅政権をうち倒そう。

3面

市民の自主的な運動 始まる
沖縄知事選勝利へ

沖縄・市民ネット結成

「普天間基地撤去・県内移設反対」を一貫して主張し行動してきた伊波洋一宜野湾市長が、沖縄県知事選(11月28日投開票)への出馬要請を受諾し、決意を固めた。
沖縄県内で市民運動を担う人びとは、この選挙を、「沖縄の未来を決定づける重要な意味を持つ」(「参加の案内」)ととらえ、「(伊波市長が知事になり)知事を先頭に、あるべき沖縄の未来を切り拓いていくべきだと考え、『沖縄の未来を拓く市民ネット』の結成を提起」(同)。9月26日、那覇市内で、その結成集会をひらいた。名護をはじめ、沖縄県内各地で、基地問題や環境問題にとりくむ市民約200人が集まった。
集会の前半は、新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)の講演と、伊波さんのあいさつがおこなわれた。

「子育て中の親の話をもっと聞いて」と訴える若いお母さん(左端)とメモを取りながら聞く伊波さん(右端)。左から2人目は後半司会の高里鈴代さん(9月26日 那覇市内)

沖縄が主導権とるとき ―新崎さん

「今知事選挙の歴史的意義について」と題する新崎盛暉さんの講演は、以下のような趣旨だった。
@アメリカの圧力と、鳩山政権の支持率低下の中で、民主党内右派によるクーデターがおこなわれた。そうして鳩山から菅にかわり、政権交代の原点がいっさい切り捨てられた。
A鳩山を追い詰めたのはアメリカだが、アメリカも菅政権には、とまどっている。5・28日米合意と8・31報告書の間に一定の齟齬があり、そこにアメリカのためらいが露呈している。
B日本政府と沖縄との対決の図式は鮮明になった。と同時に、ヤマトと沖縄の溝も簡単には埋まらないということを、覚悟しなければならない。
C「尖閣」問題は、天安艦沈没事件と同じで、日米同盟の無意味性、抑止力のフィクション性を暴いている。アメリカは、自国の経済問題で手一杯で、「尖閣」問題にかかわる余裕がない。
D以上のような状況の中で、知事選がたたかわれる。その前哨戦の名護市議選はもっと厳しい結果になると予想していた。時代が変わりつつある。沖縄が主導権を握るときがきた。
E東アジアにおける沖縄の役割がある。「尖閣」問題では、「日本の固有の領土」という話ではない。そもそも領土という概念は近代に入ってからの話だ。石垣島の人びとにとって、「尖閣」問題は生活圏の問題だ。そういうことを中国にも訴えかけられる立場に沖縄はある。

知事選出馬あいさつ ―伊波市長

新崎さんの講演に続いて、伊波市長が、知事選で掲げる政策を提起した。(要旨1面に掲載) 伊波市長は、政策を次の3つの柱で提起した。
(1)県内移設反対の伊波市長の当選で、辺野古移設をやめさせる。
(2)日本政府に依存せず、沖縄県民が主体となった県政を。
(3)沖縄の価値を自覚し、沖縄の発展を。
伊波市長の掲げる政策は、沖縄県政の抜本的な転換であり、日本・沖縄の関係の

伊波洋一さん プロフィル

1952年生。出身・現住とも宜野湾市嘉数。 普天間高校から琉球大学理工学部物理学科、74年卒。 74〜96年宜野湾市役所、87〜92年職員労組執行委員長。96〜03年沖縄県議会議員、03年〜現在 宜野湾市長。

大転換だ。同時に新自由主義改革路線との対決でもある。
伊波市長は、二期8年の市長の経験と実践にふまえ、稲嶺・仲井真両知事の12年の県政を「失われた12年」だと批判。基地と日本政府に依存し、日本や大手の資本に利益を吸い取られる一方で、県民の生活は破壊され、福祉や教育が奪われてきた。この12年で失われたものを、次の12年で取り返し、「復帰」50年の2022年には、「基地のない沖縄」「私たちの新しい沖縄」を実現する―このことを、知事選の目玉として掲げた。

参加者が次々訴え

集会の後半は、まず、「沖縄の未来を拓く市民ネット」の経過と趣旨が説明され、地域での市民ネット結成や講演会、ビラ配布などの活動方針が提起された。
さらに、参加者がマイクをもって、伊波市長にむかって、具体的な要望や率直な意見を、どんどん述べた。伊波市長は、ひとつひとつうなずきながら、一所懸命メモをとっていた。

基地撤去の知事選に

市民ネット・世話人のひとり、うるま市で移設反対にとりくむ伊波義安さんの発言が、今回の選挙にかける参加者の思いを語っていた。
「沖縄が主導権を握るチャンスだ。今度こそ、基地を撤去する知事選にする。ずっと選挙にはひややかだった。応援した候補に裏切られてきたから。やっと私たちの思いを実現してくれる候補に巡りあえた。今度負けたら未来永劫、基地はなくせない。今度の知事選はそういう選挙だ」
名護市長選、4・25県民大会、名護市議選で示されたうねりをさらに推し進め、市民が自主的に参加する運動の力で知事選に勝利し、沖縄の未来をひらこうという意欲にあふれた集会だった。

沖縄と東アジアから 日本の近現代を問う

9月23日、京都市の「ひと・まち交流館」で、「日本の近現代を問う―日米安保・沖縄と韓国併合100年―」をテーマとしたシンポジウムがおこなわれた。

写真左から仲尾さん、鵜飼さん、吉野さん、仲里さん(9月23日 京都市内)

東アジアの海と空の解放を

最初に、一橋大学教員の鵜飼哲さんから、このシンポジウムの基調が次のように提起された。
「日本の植民地主義の歴史は、明治維新以降に始まったのではない。それは、1609年の薩摩による琉球侵攻にさかのぼらなければならない。すなわち、沖縄の人びとは、カリブ海島嶼国の人びとと同じ長さの植民地主義の歴史を生きてきた。
こうした日本の植民地主義は、この間の普天間基地問題でも明らかになったように現在でも継続している。そのことがなぜ多くの人びとに忘れられているのか。それは宗主国が植民地支配にたいする責任を回避するために、植民地にたいして〈和解の強制〉をおこなってきたからだ。65年の日韓条約と02年の平壌宣言は、〈強制された和解〉という点で基本的に同じだ」。
「米韓合同演習と韓国哨戒艇沈没事件、そして釣魚島の事件は、東アジアの海が日米安保の海であることをあらためて示した。沖縄の反基地闘争は、基地の撤去という〈陸の解放〉だけではなく、東アジアの空と海を帝国主義的な軍事支配から解放する道である」。
続いて、東海大学教員の吉野誠さんから、韓国併合の問題を日本の征韓論との関係からとらえなおすという視点から、征韓論の原型が「朝鮮の天皇への臣属が日本の国体にとって不可欠の一環」であるとする吉田松陰の「国体論」にあると提起した。

国家・主権・領土こえた新たな主体

パネリストの最後に、映像批評家の仲里効さんが、沖縄からの提起を行った。
「普天間基地の移転先が辺野古に回帰したことと尖閣諸島の事件は、国家・領土・主権の問題、すなわち国家主義の限界の中で、われわれがどのような地平を切り開けるのかという問題をつきつけている。
沖縄では、1960年代の後半から70年代にかけて、復帰運動の植民地主義的な同化思想を内在的に批判しながら、沖縄の近代にまでさかのぼって新たな沖縄の主体を発明していく〈反復帰の思想〉が出てきた。
80年代に、川満信一によって提案された琉球共和社会憲法草案は、沖縄の潜勢力に依拠しながら沖縄における政治的な共同性をいかに発明していくのかが表現されていた。
そして現在、沖縄の内部から日本の植民地主義と決別した思想と実践を立ち上げていこうという動きが、同時多発的に起こっている。これをいかに先に進めることができるのかがわれわれの課題だ」。
参加者との活発な質疑応答の後、コーディネーターの仲尾宏さんが、「沖縄の問題、韓国・朝鮮の問題を考えたとき、日本の国家、社会そして、日本人はどうなのかという問題に帰着せざるを得ない。今回のシンポジウムによってこれからの東アジアをどう考えていくのかというヒントがえられたのではないか」と発言してしめくくった。

11月 日米軍事演習で計画
釣魚台侵攻作戦

米海軍と海自が、11月オバマ来日直後から、釣魚台=「尖閣列島」に中国軍が上陸したと想定し、これを攻撃・せん滅し、釣魚台を占領するという作戦の軍事演習を計画している。空母ジョージ・ワシントン(母港・横須賀)を中心とする空母打撃群が参加。大分・日出生台演習場を釣魚台に見立てて実施。東中国海で対潜洋上作戦も。〔関連記事4面〕

4面

中国人民・台湾人民・沖縄県
民と連帯し 日帝の侵略外交と対決を
釣魚台=「尖閣列島」は「日本の領土」ではない
中国問題研究会

9月7日、釣魚台(ティアオユイタイ)=「尖閣列島」付近で、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事故が発生、この問題をめぐって、マスコミをはじめ全反動が、「中国脅威」論を宣伝し、「日本の領土、主権、資源、国益を守れ」とキャンぺーンしている。
しかし、そもそも「尖閣列島は日本の領土」という主張は正当なのか。

「日本の領土」論のウソを暴く

日本政府は、「尖閣列島は日本の領土」と主張しているが、その主張の根拠は、1972年3月8日衆院沖縄・北方問題特別委での福田外相の答弁(別掲)だ。これが日本の公式見解になっている。菅政権の「東シナ海(ママ)には領土問題は存在しない」という見解も、この延長上にある。
したがって、以下では、72年福田答弁を検討する。

福田外相(当時)の答弁

(1972年3月8日衆院沖縄・北方問題特別委員会)
・1885年以降政府が沖縄県当局を通じるなどの方法で、再三に渡って現地調査をおこない、単にこれが無人島であるだけではなく、清国の支配が及んでいないことを確認の上、1895年1月14日に、現地に標識を建設する旨閣議決定し、正式にわが国の領土に編入した。
・それ以来、歴史的に一貫してわが国の領土である南西諸島の一部を構成しており、日清戦争の結果、下関条約(1895年4月締結)にもとづき、わが国が清国から割譲を受けたのは台湾および澎湖諸島で、尖閣列島は除外されている。
・サンフランシスコ平和条約第三条に基づき米の施政権下にあったが、71年6月17日調印の沖縄返還協定により、わが国に施政権が返還されることになっている地域の中に含まれる。
・中国は、サンフランシスコ平和条約第三条にたいし、これまで何らの異議を唱えなかった。
・中国、台湾が歴史的、地理的、地質的根拠としてあげている諸点は、いずれも同列島にたいする中国の領有権の主張を裏づけるのに足りる国際法上有効な論拠と言えない。

石油資源ねらう
まず、72年福田答弁の背景には、海底油田の発見と、沖縄の「返還」という事柄があった。
釣魚台=「尖閣列島」問題が、政治外交上の問題として浮上するのは、1968年に、釣魚台=「尖閣列島」のある大陸棚に、中東規模の海底油田の存在の可能性が報告されてからだ。言いかえれば、石油問題がなければ、政治外交上の問題にはならなかっただろう。
さらに、1972年、沖縄の施政権が返還される。釣魚台=「尖閣列島」は、戦後、米軍の管理下にあった。当時の佐藤政権は、沖縄の施政権返還の中で、「尖閣列島は日本の領土」と、対外的に、史上初めて主張しだした。

秘密裏に閣議決定
ここで史上初めてというのは、72年福田答弁が領有決定をしたとする「1895年1月14日の閣議決定」が、実は、秘密裏におこなわれているからだ。つまり、公然たる「領土宣言」を日本はしていたわけではなかった。
だから、「国際的に広く認知され、他国から異議がなかったから、日本の領土であることは証明されている」という日本政府の主張は、成り立たない。1968年以前は、日本が領有決定をしていることなど、誰も知る由がなかったのだ。

日清戦争で略奪
その上で、「1895年1月14日の閣議決定」の最大の問題は、それが、日本による侵略戦争であった日清戦争の中でおこなわれたことだ。
1894年7月から始まった日清戦争は、日本が朝鮮半島から中国領内に攻め込み、94年末までには、ほぼ日本の勝利が確実な状況になっていた。そういう中で、95年1月に閣議決定をおこなった。
ところが、72年福田答弁は、「1895年1月14日の閣議決定」で領有決定したので、「日清戦争の結果、下関条約(1895年4月17日)にもとづき、わが国が清国から割譲を受けたのは台湾および澎湖諸島で、尖閣列島は除外されている」という。つまり、「4月17日」ではなく、「1月14日」だから、侵略戦争で略奪したものではないという意味だ。
だが、これは、戦争の最中に略奪したか、戦争終結後に略奪したかの違いを言っているに過ぎない。

略奪の意図は明白
近代史上、釣魚台=「尖閣列島」が、日本の政治舞台に登場してくるのは1885年。古賀辰四郎なる人物が、釣魚台=「尖閣列島」で事業展開をもくろみ、沖縄県に借地契約を申請した。これを契機に、内務省がのりだし、釣魚台=「尖閣列島」を日本の領土に組み込むことを追求する。
もっとも、当初は、全く自信のない態度だった。「国標を立てるのは(清国の)不安をあおるだけで好ましくない」「開拓等に着手するのは、他日の機会に」(85年 外務卿・井上馨)。「清国との関係がないともいえず、万一不都合が生じては申しわけない」(85年 沖縄県令の内務省への上申)という具合だった。略奪だという自覚が前提にあり、そこから慎重論がいわれている。そして、「目下建設を要せざる儀と心得べき事」(85年 沖縄県令にたいする内務・外務両卿の連名の指令)が、明治政府の当面の方針となった。
しかし、その一方で、清国との戦争準備が着々と進められた。そして、10年後の1895年、日清戦争での日本の勝利の趨勢をとらえて、一方的な領有決定に踏み切ったのだ。

対日平和条約で正当化できない
72年福田答弁は、「尖閣列島は、サンフランシスコ平和条約第三条に基づき米の施政権下にあった。中国は、サンフランシスコ平和条約第三条に、異議を唱えなかった。71年6月17日調印の沖縄返還協定により、わが国に施政権が返還され、その地域の中に含まれている」と主張している。
第二次世界大戦終結、中国革命、朝鮮戦争という中で、中国人民が、日帝を打ち負かし、さらに米帝との対峙に進んでいたという激動情勢を踏まえることなしに、「サンフランシスコ平和条約第三条に、異議を唱えなかった」などということはできない。
そもそもサンフランシスコ講和会議に中国は呼ばれてさえいない。

「無主地」ではない
72年福田答弁は、国際法にいう「無主地の先占」として、日本領土に組み込んだというが、歴史的事実ではない。
釣魚台=「尖閣列島」は、明朝時代、倭寇にたいする明朝の防衛圏内に入っていた。
冊封体制の下で、明・清の冊封使が琉球に向かう際、彼らは、釣魚台=「尖閣列島」を、明・清の領内をしめす目印として航海し、彼らを案内した琉球の人びとは、釣魚台=「尖閣列島」を通過し久米島が見えてきたとき、無事に琉球に戻ってこれたと喜ん
釣魚台=「尖閣列島」は、東中国海南西部にある無人の島嶼群。釣魚島=「魚釣島」、北小島、南小島、黄尾嶼=「久場島」、赤尾嶼=「大正島」などからなる(カッコ内は日本名)。もっとも大きい釣魚島は東西3・5キロ、南北2キロ、面積3・82平方キロ。釣魚台=「尖閣列島」は、中国大陸の大陸棚に位置し、沖縄列島とは水深2千メートル以上の海溝で隔てられている。
だという。このことが文献に記されている。明朝時代から、釣魚台は明の範囲、久米島は琉球の範囲と認識されていたということだ。

2千mの海溝
また、地理的条件をみても、「日本固有の領土」ということはできない。釣魚台=「尖閣列島」は、中国大陸の大陸棚に位置している。そして、沖縄列島とは水深2千メートルの海溝で隔たっている(右図参照)。

裁判所も「台湾に属す」
1944年、東京の裁判所は、台湾―当時は日本の植民地下にあった―と、沖縄との漁業権の問題にかんし、「釣魚台列島は台湾の台北州に属し、これらの島嶼に出漁する漁民は台北州の許可証を要す」と判定を出している。
司法判断として、日本の植民地下とはいえわざわざ「釣魚台列島は台北州に属する」、つまり「日本の固有の領土」ではないと判定しているのだ。
今日においても政府の公式見解をなしている72年福田答弁は、以上のように、主張の根拠が破綻している。
〔井上清著『釣魚諸島の史的解明「尖閣」列島』第三書館 を参照〕

中・台・沖 漁民の生活の場

では、「日本の領土」でないとすると、いったい誰のものなのか。
釣魚台=「尖閣列島」付近の海域は、良好な漁場であり、中国、台湾、沖縄・石垣島の漁民の生活の場だ。
「祖父の代から釣魚島にはずっと漁にでていた。今まで船員が捕まるようなことはなかった」「シーズンには毎日100隻以上の船が出漁しているのに、なぜこんなことになったのか」と、今回の事件の中国漁船と同じ福建省晋江の漁師は語っている。
日本政府は東中国海には領土問題は存在しないとしているが、それは事実に反する。中国も台湾も自国の領土であることを主張しており、今も「領土問題」は存在している。
それを「『日本の領海』だから入ってくるな」と日本が一方的に排除し、追い回し逮捕する権利はない。
1971年、著名な中国研究者の竹内好が編集していた雑誌『中国』が、日本側から
釣魚台=「尖閣列島」の一部。一番奥が釣魚島=「魚釣島」、一番手前が南小島、その奥が北小島。他に黄尾嶼=「久場島」、赤尾嶼=「大正島」があるが写っていない(カッコは日本名)
見た「尖閣列島」を特集したのにたいし、当時台湾人留学生であった劉彩品さんは、「だれがどのような形でそこに生活の根拠をおいているかから論ずべきではないか、それに比べて極端にいえば法なんてどうだっていいものではないか」と竹内好を弾劾した。(『情況』1971年6月号)
釣魚台=「尖閣列島」周辺は中国、台湾、沖縄・石垣島の漁民の生活の場であり、現に漁をしている場である。一方的に「日本の領海」だとして中国・台湾の漁民から奪うことは許されない。

侵略外交と菅政権

今回の問題はもちろん単なる領土・資源問題ではない。日帝の帝国主義的な対外政策の問題だ。それが、民主党政権の下で、混乱と再編・反動化の過程に入っているということだ。

普天間問題にリンク
沖縄県民は、「海兵隊=抑止力」論、「安保必要」論の虚偽性を見ぬいている。9月の名護市議選でも、新基地建設反対派が、基地誘致派を圧倒し勝利した。
釣魚台=「尖閣列島」中国漁船の問題は、このような沖縄県民のたたかいにたいする攻撃だ。
全反動は、挙げて《中国が、日本の領土と主権を侵している。だから米軍基地は必要だ》とあおり、これに与しないものは《国賊だ》といわんばかりだ。
こうした中で、仲井真知事が、県知事として初めて、釣魚台=「尖閣列島」を視察すると表明した。また、沖縄県議会、那覇市議会では中国にたいする抗議決議をあげている。
沖縄では、11月に県知事選がある。辺野古新基地容認の現職・仲井真と、新基地建設反対の伊波宜野湾市長の一騎打ちになる。日米両政府は、仲井真の再選を切望しているが、仲井真は、沖縄県民の怒りに追いつめられている。その仲井真が、釣魚台=「尖閣列島」問題で巻きおこる排外主義にのっかり、促進しようとしているのだ。

対中国の軍事と経済
日本政府は、この間の中国海軍の動きなどを口実に、「中国の脅威」をあおり、沖縄に配備されている陸上自衛隊を南西諸島にまで拡大し、2万人に増員する計画をうちだしている。与那国島への部隊配置については、来年度予算の概算要求に調査費を計上した。
他方で、この6月、中国大使に、伊藤忠商事相談役の丹羽宇一郎が任命された。民間からの起用は、日中国交回復後初めてのことだ。帝国主義ブルジョアジーの中国市場にたいする強い欲望を示している。
こうした中で、釣魚台=「尖閣列島」での巡視船と中国漁船の衝突事件が発生した。対中強硬派の前原が、石垣市にまでのりこんで海上保安部を激励、「日本の国内法に基づき粛々と対応する」と言明した。
日本帝国主義は、グローバリズム下の世界政策・アジア政策を追求しているが、日帝の対外政策にとって、中国の存在は大きなウェートを占めている。「東アジア共同体構想」をうちだしているが、東アジアをめぐる米中対立、日米矛盾、日中対立が存在し、思惑どおりには進まない。日帝は、帝国主義的な軍事外交政策において弱点を克服できていない。
そのことが、日米安保相対化の流れと日米関係重視の流れの間での揺れであり、また、釣魚台=「尖閣列島」で対中国強硬路線につっこんでみたかと思えば、たちまちゆり戻すという状況に示されている。
しかし、釣魚台=「尖閣列島」で踏み出した方向は、菅や民主党の当面の意図をもこえて、日帝の帝国主義侵略への道筋となるだろう。

階級支配の危機と排外主義煽動
「領土、主権、資源、国益」という言葉が、当たり前のように飛び交っている。戦後史を画する状況が現出している。
菅政権にたいし、右からの「弱腰外交」と批判する声が圧倒的に大きくなっている。中国人学校にたいする襲撃などの排外主義と暴力があおられている。日本共産党も「日本の領有は正当」と、キャンペーンしている。
政治の混迷と階級支配の危機に苦しむ日帝は、排外主義の扇動で、労働者人民の要求や反抗を押し流そうとしている。日帝にとって、釣魚台=「尖閣列島」問題は、対外政策の問題であると同時に、階級支配の危機の突破策としても遂行されているのだ。
いまこそ中国人民・台湾人民・沖縄県民と連帯し、日帝のアジア侵略と対決しよう。排外主義攻撃を打ち破って、沖縄県知事選に勝利しよう。「普天間基地撤去・辺野古新基地建設阻止」をかちとろう。

5面

9・18 柳条湖事件の日に 憲法を考える集会


「9・18柳条湖事件の日に憲法を考える 佐高信・田中優子講演&対談」が、キャンパスプラザ京都に約150人を集めてひらかれた。平和憲法の会・京都などが呼びかけたもの。
第一部は「南京戦―切りさかれた受難者の魂 被害者120人の証言」(松岡環編著)から加害・被害証言の朗読、特別報告「名護市議選結果と今後の闘い」が京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんから、国会報告が衆院議員の服部良一さんからあった。
第二部では佐高信さんと田中優子さんの対談と講演、朝鮮学校の民族教育支援の訴え、「10・24反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」へのよびかけがおこなわれた。

選挙で見えた状況変化

大湾さんの沖縄報告は、以下のような内容だった。
名護市議選で稲嶺市長支持派と反対派の当選数は、16対11で圧勝した。市長反対派の11人の中にも新基地誘致反対の人が3人いて決定的事態になっている。それも今年1月稲嶺市長が誕生して米軍再編交付金が止まって民生上の重圧がかかる中で、この結果になっている。
またこれは名護市だけでなく沖縄全体で、とくに北部の保守的な地域で、女性や若者が多く当選し、地縁血縁で決まっていく保守的な在り方が大きく変わってきている。いよいよ沖縄の基地問題は、本土のたたかいにかかってきている。
服部さんは、11月の沖縄県知事選には何としても勝とうと訴えた。

市川房江と菅直人

佐高さんの講演は、菅が代表選で「クリーン」を掲げたことの問題性と、市川房江の問題性を訴えた。
菅が師とあおぐ市川房江は、戦前は石原莞爾の主宰する東亜連盟に属していたが、それはおくとしても、戦後31年経った1976年に石原莞爾の全集が出たときに、その推薦文を書き、そこで石原莞爾のことを、「今までになかった偉い軍人」と絶賛している。とんでもない。
中国の柳条湖に9・18記念館があり、そこに日本人で二人だけ写真が貼ってある。中国の人びとにとって、多くの日本人は許せたとしても、この二人だけは絶対に許せないとしているが、その二人とは板垣征四郎と石原莞爾だ。石原とはそういう奴だ。
クリーンとは手段であり、政治は目的が問題なのであり、クリーンと言うなら、軍人もナチスもクリーンな奴はいる。
そんな菅だから、前原みたいな奴を外務大臣にしても矛盾はないのだと、27歳から菅と付き合っているという佐高さんは批判した。

77年ジェット機墜落

また、佐高さんは、1977年9月27日に厚木基地を飛び立った米軍ジェット機が横浜市内に墜落し、26歳の母親と1歳と3歳の男の子が亡くなった事件を取り上げ、日米安保は日本国民を守っているのではなく、命を奪っている、軍隊は国民を守らない、沖縄でも満州でもそうだった、と強調した。
田母神の親分である来栖が2000年に書いた本のなかで「自衛隊は国民の生命と財産を守るものと誤解している人が多い」と正直に言っている。国を守ることは国民の生命と財産を守ることではないと言い切っている。これが自衛隊の主流の考え方だ。

豊かさとは何か

田中優子さんは、豊かさとは何かと訴えた。
ペシャワール会の中村哲さんは、医者だけれどアフガニスタンで目の前の人が生きていくために必要な農業の再建のために、用水路を造っている。電気も機械もない中で、人力で造るために、江戸時代の筑後川の堰を造る方法を学んで、その方法で造っていると紹介。
江戸時代が終わり、激しいナショナリズムと侵略戦争の時代になる。沖縄は日本ではない、琉球王国だった。1879年に日本が琉球処分で併合した。さらに台湾、朝鮮へと進んだ。
そして敗北のあとの戦後、豊かさとは何かと考えるべきだと語った。

6面

自分の国の歴史や言葉を思う存分 学ぶ権利ほしい
朝鮮学校高校無償化

9月26日、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する全国集会が、国会近くの社会文化会館に、1500人を集めて開かれた。主催は、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会。会場のホールは満員となり、入りきれない参加者は会場近くの公園に待機した。集会後、1000人をこえる長蛇のデモが、2時間以上にわたっておこなわれた。

「無償化」即時適用を訴えデモ行進
(9月26日 永田町・国会付近)

全国9校から発言

デモにさきだち、午後1時から集会が開かれた。
主催者あいさつでは、今日の集会は、3月緊急集会、6月集会につぐもので、今回全国集会としたが、267団体からの賛同があったこと、きょうの集会には全国各地の朝鮮高校、日本の高校生も参加していると報告された。
国会議員、地方議員のあいさつに続いて、全国に10校ある朝鮮高校のうち、当日運動会のため不参加となった京都を除く9校から代表が登壇し、それぞれ発言した。
福岡の女子高校生は、「このかん、この問題で幾度となく街頭に立ち、署名活動をおこないました。そのなかで、そんなにお金がほしいなら日本の学校に通えばいいじゃないかと、冷たい言葉のナイフで心臓をえぐられるような思いもしました。私たちはお金がほしいのではなく、自分の国の歴史や言葉を思う存分学ぶ権利がほしいのです」と訴えた。
神戸の男子高校生は、「学校に脅迫状とカッターナイフが送られてきたり、校門の前に右翼が来たりと、安心して通うことができなくて、とても怖い思いをしました。それでも私たちはウリハッキョ(私たちの学校)に通います。なぜなら、ウリハッキョは、在日が学べる唯一の学校であり、お父さん、お母さんや先輩が学んできた場所だからです。ウリハッキョが今後も、私たちの大好きな学校であり続けるために、一刻も早く無償化が適用されることを強く望みます」と訴えた。

日本の高校生も

日本の高校生も東京から2人、大阪から2人、発言した。
カンパ要請の後、東京オモニ会連絡会の副代表がアピール。全国各地からのアピールは、埼玉と福岡から発言。賛同団体からのアピールとして、府中緊急派遣村など3者が発言。最後に決議文を採択して、デモに出発した。

朝鮮高校生の発言から

お金がほしいのではない。自分の国の歴史や言葉を思う存分学ぶ権利がほしいのです。

脅迫され、とても怖い。それでも私たちはウリハッキョに通う。なぜなら、ウリハッキョは、在日が学べる唯一の学校だから。お父さん、お母さんや先輩が学んできた場所だから。



適用基準みたしている

〔集会決議から〕
8月31日、文部科学省は「高等学校等就学支援金の支給に関する検討会議」の報告書を公表しました。そこで示された「高校無償化」適用のための基準は、朝鮮高校ならば十分に満たしているものでした。
またこの報告書には、「高校無償化」を適用するかどうかは、「外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが法案審議の過程で明らかにされた政府の統一見解である」と記されています。
法の施行から半年がたち、新学期が始まってもなお、無償化の適用が行われないのは政治の怠慢です。もう待てません。朝鮮高校に「高校無償化」を即時適用することを求めます。

投稿 できあいの思想やいかなる権威にも
倚りかかりたくない

一度紹介したいと思っていた詩集がある。とくに、いまという理由もなく機会を失していた。過日たまたま『朝日』夕刊が、敗戦翌日の記憶「根府川の海」という茨木のり子さんの詩を掲載していた。それなら、私もと。ほとんどこじつけだが。

なぜ安保か

私は、もともと詩に素養、感性があるわけでもなく、たまたま読んで、いいなあと思う程度。かなり昔、片桐ユズルというユニークな先生がおられた。ギンズバーグの詩を訳させたり、突如教室にギターを持ってきてかき鳴らしアフリカの詩を唄い、「感想を書け」という試験を出したり。
さっぱり聞きとれず、生意気に「アフリカ民族解放をうたった詩である」「日高六郎著『安保条約』に、片桐先生のWhy Security Treaty ?(なぜ安保条約か)という英文詩が載っていました」などと書いて出したら、「詩は部族の祭りの唄、回答は見当違いだが根本はOKである」と赤字を入れられた。
そのころ手にした『詩の中にめざめる日本』(岩波新書=絶版)。
「私は広島を証言する」「男について」「ベトナムの竹」「空想のゲリラ」「惣七家出一件」、寅さんの映画に出てきた「便所掃除」、日教組のスローガンにもなったという「戦死せる教え児よ」などが収録されていた。
茨木さんの「大男のための子守唄」という詩もあったが、私はその次のページにある「あの人たちの日本語を杖にも柱にもするな」(大江満雄)が気に入っていた。
前述のように詩にも詩人にも縁遠く、何たるか知っているわけでもない。茨木さんの詩も『詩の中に…』で読んだきり。そのあと、何かのとき「わたしが一番きれいだったとき…男たちは挙手の礼しか知らなかった」という詩を眼にしたことがある。北海道の炭鉱に強制連行され、炭鉱を逃げ出し、日本の敗戦を知らず13年間ずっと山中を逃避行していた劉連仁さんのことは、茨木さんの詩話「りゅうりぇんれんの物語」で知った。

タイトルに惹かれて

1999年に刊行された茨木のり子さんの詩集『倚りかからず』を、なぜかタイトルに惹かれて買ってしまった。表題の詩は73歳のときの作品である。詩集としては異例の15万部をこえる売れ行きだから、いまさら紹介するまでもなく読者には周知であろうが、やはりちょっと引用してみたい。
―もはやできあいの思想には倚りかかりたくない/もはやできあいの学問には倚りかかりたくない/もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない/ながく生きて心底学んだのはそれくらい/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは椅子の背もたれだけ―。
耳の痛い言葉ではある。(三木)

『倚りかからず』

茨木のり子著 筑摩書房 1800円