未来・第65号


            未来第65号目次(2010年9月21日発行)

 1面  新基地反対派が圧勝
     名護市議選 日米政府を痛打

     私たちの回答つきつけた

 2〜3面
     空港政策の再編と新たな三里塚攻撃 10・10三里塚へ

     沖縄から安次富さん 三里塚から萩原さんが報告
     19日 関西集会

     反対同盟は盤石だ
     9・19 三里塚と沖縄を結ぶ関西集会 萩原進さん発言要旨

 4面  宮森小 米軍機墜落事故から51年
     命と平和の尊さ伝えたい

     韓国労働運動から労働者の生き方まなぶ
     関西交流センター協議会 夏季セミナー

     水害援助を口実
     パキスタンへ自衛隊派兵

 5面  関西合同労組「暴処法」弾圧
     検察側立証が破たん 第2回公判

     米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対デモ

     投稿 ベーシック・インカム要求運動に注目を

 6面  無実の証拠隠すな
     検察を追及 10日 狭山要請行動

     石川一雄さんからのメッセージ

       

新基地反対派が圧勝
名護市議選 日米政府を痛打

9月12日、沖縄・名護市議選がおこなわれた。
「市長選で示された民意がずっと続き、さらに大きく、強くなっている」(稲嶺市長)
「当たり前の結果だ。辺野古への移設反対の民意は14年前の市民投票で出ている。命を懸けて反対している人たちがいる。政府の言いなりにはならない」(稲嶺市長派候補を支援した男性)
1997年12月の市民投票で、新基地ノーの民意が示されて以来、名護市民の意志は一貫してきたが、市議会や市長は、国のアメとムチに絡め取られて、民意を裏切ってきた。しかし今年1月、「海にも陸にも基地は造らせない」と公約し、基地依存からの脱却を掲げる稲嶺さんが、移設推進の島袋市長を破って初当選。そして、今回の市議選で、新基地反対派は圧勝した。
ついに、民意と市長と議会が一致した。
これは、「辺野古移設」を明記した5・28日米共同声明、8・31「辺野古報告書」にたいする名護市民の拒否の回答だ。
街頭宣伝にたつ東恩納琢磨候補(左)と応援演説をする稲嶺市長(9日 名護市内)

政府のシナリオ

名護市議選は、地元の新基地反対派と新基地誘致派のたたかいというより、名護市民と政府のたたかいだった。
政府は、以下のようなシナリオを描いていた―名護市議選で、新基地誘致派が多数になる。稲嶺市長にたいする不信任決議や移設促進決議などを市議会でおこない、「名護市民が新基地を受け入れた」と大宣伝、それをテコに、仲井真知事が新基地容認を掲げて再選を果たす。そして知事が埋め立てを認可する―

アメとムチ

政府の選挙への介入は露骨だった。
新基地反対の稲嶺市長の当選以降、防衛省は、新基地受け入れの見返りとして支給してきた「米軍再編交付金」の手続きを止めた。これをとらえて、反市長派の候補らは、「名護市の経済は疲弊する一方だ」と稲嶺市長を攻撃し、集票を図った。政府と反市長派がみごとに連携したアメとムチだ。
また、前原誠司沖縄担当相(当時)と、島袋前市長、辺野古区長、名護漁協組合長らが密会を重ね、気脈を通じて、新基地容認の流れをつくろうとしてきた。
さらに、仲井真知事も、自らの再選と新基地受け入れ表明を目指して、「応援団として働く」と、反市長派支援のために名護に足を運んだ。

「ここまで負けるとは」

しかし、結果は、「ここまで負けるとは予測していなかった」(反市長派・選対本部長)。アメとムチで屈服させるというやり方はもはや通用しなかった。
敗北したのは政府であり、政府のシナリオは破綻した。
アメリカ政府も打撃を受けている。「去る名護市議選の結果や、11月知事選の結果によっては、日米合意の実施が不可能になる。」(アーミテージ元国防次官補)
名護市民が日米政府を、またうち負かした。

三里塚と沖縄を結んで大阪市内をデモ。写真・最前列左から、三里塚反対同盟・萩原さん、名護ヘリ基地反対協・安次富さん、関西実行委・永井さんと山本さん(19日 記事2面)

私たちの回答つきつけた
安次富 浩さん(ヘリ基地反対協議会 共同代表)

安次富浩さん(19日 大阪市内)
12日投票の名護市議選で、稲嶺市長を支える候補16人の当選をかちとった。
前原・沖縄担当相(当時)は、1月の名護市長選で破れた誘致派の島袋(前市長)と、この間、東京で2度も密会している。民主党中央が、市議選に直接手を入れてきたということだ。98年の県知事選では、大田知事を落とすために、3億円の官房機密費が投入されたと暴露されているが、今回、民主党もやったのではないか。しかし、前原の暗躍は功を奏さず、私たちが回答をつきつけた。
誘致派は、市議会の過半数をとって、辺野古への基地誘致決議とか、稲嶺市長のリコールを狙っていた。そのことにたいする危機感で、私たちは頑張った。

知事選へはずみ

11月28日は県知事選挙だ。伊波宜野湾市長を擁立する。後援会の事務所開きもおこなった。沖縄はもう県知事選一本槍の情勢だ。
政党や労組とは別に、市民の力で選挙戦をたたかいぬこうと、市民ネットワークを立ち上げていこうと考えている。

左翼運動と沖縄差別

沖縄戦下での土地収奪があり、戦後、日本は独立したが、沖縄は、天皇の売り渡しで、ずっと米軍支配におかれた。
60年安保闘争も、こういう沖縄問題を組み込んでいたら、もっとちがう形になったのではないか。ここに日本の左翼運動の限界性がある。沖縄差別が、根底にあるのではないか。そういう政治がずっと続いている。

なぜ平和的生存権ない

日本政府は、「『日本の平和と安全』のために、沖縄は我慢して」といってきた。鳩山政権はそれを変革するといったが、結局、自民党時代と何も変わらない。
ここで、沖縄にたいする構造的な差別が問題になる。憲法で保障されている平和的生存権が、なぜ沖縄にだけ保障されていないのか。「軍事基地との共存」政策と対決していく。

でたらめな専門家報告

8月31日、日米の専門家の報告書が発表されたが、でたらめな内容だ。
@埋め立てによる自然破壊、A民家の上空を飛ぶ飛行経路、B日本政府による飛行経路のごまかし、Cオスプレイの配備隠し、D自衛隊の常駐も。
私たちは「安保体制の犠牲」の島を拒否する。
私たちは、着実に力をつけてきている。このかん、米軍から返還された土地では、新しい町づくりで、雇用も増え、税収も増えている。基地に依存せず、私たちの力でやっていける。

米政府の喉元に

沖縄知事選は大きな意味がある。私は、伊波知事が誕生したら、アメリカ政府に直訴だといっている。ワシントンに沖縄事務所をつくる。アメリカ政府の喉元に、沖縄の思いをつきつける。
本土のたたかいが勝利するためには、沖縄とむすびつく必要がある。だから、沖縄のたたかいを支援してください。同時に、みなさん自身の社会変革のたたかいをすすめてください。
〔9・19 三里塚と沖縄を結ぶ関西集会での講演要旨〕

2面

空港政策の再編と新たな三里塚攻撃
10・10三里塚へ

激化する闘争破壊

三里塚で成田空港建設に反対している農家にたいして、激しい攻撃がかけられている。

第3誘導路阻止
直接には、天神峰現地闘争本部(右図@。以下同じ)の強制撤去、団結街道の閉鎖・廃道化(A)だ。それが、第3誘導路建設(B)をめぐる攻撃として襲いかかっている。
第3誘導路の建設によって、天神峰地区と市東さん宅(C)を包囲し、「陸の孤島」にして、生活と農業が成り立たない状態にたたきこむ狙いだ。これ自身が空港用地内からの追い出し攻撃そのものだ。
もちろん、この攻撃によって、成田空港の工事の大きな懸案となっている「への字」誘導路(D)問題が解決するわけではない。政府・NAAの目論見は、市東さんと反対同盟の意志・闘魂を砕こうというところにある。
5月17日、NAAが、市東さん宅直近に看板を設置し、団結街道を封鎖しようとした。これにたいして、市東さんは猛然と抗議、この看板を叩き壊して、「俺たちは本気だということを、空
封鎖された団結街道(上図A。市東さんの監視ヤグラH上から)
写真奥が市東さんの畑を取り囲むフェンス。手前はマイクで訴える市東さん(上図I。7月31日)
市東さんの敷地に建てられた監視ヤグラ(上図H。5月16日)
天神峰現地闘争本部(上図@。3月28日)。現在、この道=団結街道は封鎖されている
島村さん宅上空40mを、暫定滑走路に着陸する旅客機がかすめる(上図G)
産直野菜の出荷作業(6月11日)
港会社に知らしめた」と宣言、不当逮捕にたいして完全黙秘でたたかいぬいた。政府・NAAの目論見はもろくもくずれさった。

殺人的な騒音
NAAは、第2誘導路(E)の供用を昨年7月に、また、暫定滑走路の北延伸部分(F)の供用を昨年10月に開始した。これをもって、NAAは、「成田空港二期工事の完成」とするはずだった。
ところが、東峰の森を破壊し110億円かけてつくった第2誘導路は、ほとんど使われていない。その目的が、東峰地区の空港用地内・反対農家に圧力をかけ、追い出すことが狙いだったことを物語っている。
NAAは、今年3月28日から、成田空港の発着回数を、年間20万回から22万回に拡大した。東峰地区・天神峰地区の住民は、殺人的な騒音下にたたき込まれている。反対農家はもちろん、周辺住民の激しい怒りを呼び起こし、成田市をはじめ周辺自治体は、今年7月、騒音対策の申し入れをNAAにせざるを得なかった。
しかし、政府・NAAは、住民の苦しみなど意に介さず、発着回数をさらに30万回に増やし、24時間使用を目指してつき進んでいる。

政策破綻から再編へ

自民党政権の下で、政府・財界がもくろむ日本の空港・航空運輸政策は破綻してきた。政権交代後の民主党政権は、政策の再編に必死になっている。政府・NAAの反対農家にたいする攻撃の激しさは、そこから生起している。

グローバリズムで没落
日本航空の倒産・再建、成田空港の地位低下、関西空港の経営危機、地方空港の赤字経営と、政府の空港政策・航空運輸政策の破綻は隠しようもない。
◇ハブから転落
政府の空港政策・航空運輸政策は、他国にたいして、大幅に立ち遅れている。東アジアでは、韓国の仁川、中国の上海や新香港などの巨大空港が、航空路線の奪い合いを展開。それらが航空路線網の拠点=ハブ空港を担っており、成田も羽田ももちろん関空もその位置にはない。日本の航空路線のハブ空港は事実上、韓国の仁川にある。
日本は、帝国主義的グローバリズムの進展と世界恐慌の深化の中で、激しく没落しているのだ。
◇オープンスカイ
ソウル往復1万5千円、台北1万2千円・・・。オープンスカイの下で、航空運賃の価格破壊が進行している。
オープンスカイとは、航空運賃や路線における規制撤廃だ。帝国主義的グローバリズムの下で、欧米の国家と資本が、他国の航空政策・市場にたいして規制撤廃を要求し、殴り込みをかけている。この潰し合いの死闘の中で、航空会社は、競って安全を無視し、労働条件を切り下げ、環境を破壊し、収益率のアップに血道をあげている。
この流れに立ち遅れてきた日本も、2年前にアジア各国とのオープンスカイに踏み切った。たちまちアジアの格安航空会社が参入してきている。今年10月からは、ドル箱のアメリカ路線もオープンスカイ化される。

羽田ハブ化と成田フル活用
自民党政権のもとでは、利権漁りの色彩が濃く、帝国主義的な対外政策と新自由主義的な国内政策を徹底できなかった。
この状況からの政策転換をかけて、07年5月、当時の安倍政権が、「アジアゲートウェイ構想」を策定した。しかし、安倍の政権投げ出しとともに、それもとん挫してしまった。
◇成長戦略会議が答申
政権交代後の昨年10月、前原国交相(当時)が「羽田ハブ空港化」をうち出し、さらに、今年5月、国交省の下に設置された成長戦略会議が最終答申を出した。
答申は、帝国主義的グローバリズムの下での没落に危機感をあらわにし、「徹底的なオープンスカイの推進」「市場メカニズムを積極的に取り入れていく」「我が国にヒト・モノ・カネを積極的に呼び込む」「LCC(格安航空会社)参入促進」と、新自由主義政策の推進を強くうち出している。
そして、「首都圏空港強化の遅れ」が、「アジア各都市等との都市間競争上の弱点」「日本の経済成長の足枷」と非難。
「羽田の新滑走路・新国際線旅客ターミナルの供用開始」と並んで、「成田の発着回数大幅増」「成田のフル活用」「30万回化」をうちだしている。そして、それに向けて、成田で「駐機場等の増設」や「同時平行着陸方式」を進めるとしている。
自民党政権の下で破綻した空港・航空政策を、民主党政権は、「東アジア共同体構想」の下で、より反動的に再編しようとしている。帝国主義的なグローバリズムに対応した政策を、攻撃的にうちだしてきたのだ。
◇「地元合意が得られ次第」
この文言が、答申には、何度も出てくる。「地元」とは誰か。成田市など周辺自治体の首長や地域ボスのことだ。反動的な「地元」との「合意」を動員し、反対農家の存在とたたかいを押しつぶそうという意図がにじんでいる。
三里塚闘争は、新たな決戦に突入した。

国策うち破る闘い

三里塚でいま起こっていることは《帝国主義的グローバリズムの下で、国家と資本が生き残りをかけた死闘を展開し、そのために、農民の生活と営農を犠牲にする》という問題だ。
言い換えれば、三里塚闘争は、帝国主義的グローバリズム下の死活をかけた国策と衝突し、労働者人民全体の利害をかけて、それを打ち破るたたかいに押しあげられたということだ。
成田空港発着の19万回から22万回化、さらに30万回化、そして24時間化。それは、空港周辺から農民と農業、地域住民を叩きだし、農業を絶滅し廃村化を進めるものだ。空港で働く労働者も、低賃金と過酷な労働条件・環境のなかで強労働が強いられている。(ちなみに、関西空港では、空港島が「獄門島」と呼ばれ、労働基準局からもたびたび注意を受けている。)
また、農業人口の激減(5年前より23%減、260万人)、農業就業者の平均年齢の超高齢化(66歳)という数字が、先日、農水省から発表された。食糧自給率40%と合わせ、日本農業は「絶滅の危機」を迎えている。全国で進む農業破壊はいまや完全に臨界点を越えた。
民主党政権は「農業改革」と称しながら、成田空港建設に象徴されるように、さらに徹底的な農業破壊を進めている。

10・10三里塚へ
「新たな決戦は、身体を張った渾身の決起で火蓋を切りました」。三里塚芝山連合反対同盟は、こう宣言し、たたかいに立ち上がっている。
三里塚現地の今年前半の激戦激闘と勝利の展望を確認しよう。市東さんの農地を実力で死守する決戦中の決戦をみすえ、10・10全国総決起集会に集まろう。

「国土交通省 成長戦略」

国交省の下に設置された成長戦略会議が、今年5月17日、「国土交通省成長戦略」と題する答申を提出。海洋、観光、航空など5つの分野について報告。航空分野では、6つの具体的戦略を提言。

戦略1 日本の空を世界へ(徹底的なオープンスカイの推進)
戦略2 首都圏の都市間競争力アップにつながる羽田・成田強化
戦略3 「民間の知恵と資金」を活用した空港経営の抜本的効率化
戦略4 バランスシート改善による関空の積極的強化
戦略5 真に必要な航空ネットワークの維持
戦略6 LCC参入促進による利用者メリット拡大

沖縄から安次富さん 三里塚から萩原さんが報告
19日 関西集会

(19日 大阪市立中央会館ホール)

19日沖縄から安次富浩さん(名護ヘリ基地反対協)、三里塚から萩原進さん(三里塚芝山連合空港反対同盟)を迎えて、「9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」(主催 三里塚決戦勝利関西実・三里塚芝山連合空港反対同盟)が、大阪市内でがひらかれた。
安次富さんは、12日投開票の名護市議選で、稲嶺市長派が圧勝した選挙結果を中心に報告(要旨1面)、萩原さんは、三里塚現地攻防の今年前半戦の勝利と後半戦の展望を語った(要旨下段)。
集会は、永井満さん(三里塚決戦勝利関西実・代表世話人)の主催者あいさつ、部落解放同盟全国連合会、全日建運輸連帯労組関生支部の連帯のあいさつ、各参加団体からの発言などがあり、集会後、ナンバまで市内をデモした。

反対同盟は盤石だ
9・19 三里塚と沖縄を結ぶ関西集会
萩原進さん 発言要旨

現闘本部めぐる攻防

萩原進さん(19日 大阪市内)

今年前半の三里塚攻防の焦点は、天神峰現地闘争本部の撤去問題にあった。空港会社は、裁判で、即撤去という条件まで要求していた。市議会が、団結街道閉鎖を決議した(3月16日)。現闘本部の周りに、重機を入れて整地もした。
われわれも、きびしい判決を予測し、代執行並のたたかいになると決意した。そして裁判所にたいする抗議や駅頭街宣、団結街道の見張りといったたたかいをやった。
敵は、即撤去の判決は出せなかった(2月25日)。これは決定的なことだ。敵のプランが崩れてしまった。それで、闇雲になって、団結街道閉鎖につっこんできた(6月28日)。
そういう中で市東さんやうちの息子の不当逮捕があった(5月17、24日)。
空港会社が、市東さんの家のすぐ前に看板を立てにきた。市東さんは、ものすごい形相で怒って、その看板をめちゃくちゃに壊した。ここでやらなくていつやるのかという思いだった。
市東さんが逮捕され、うちの息子もやられたが、むしろ、反対同盟は健在だとアピールできた。

30万回化と対決して

地元利権団体が、完全空港化を言い、成田の地盤沈下を防ぐには、(成田空港の年間発着回数の)20万回から30万回化を受け入れるしかないといっている。
しかし、誰が30万回化を受け入れるものか。 空港をつくれば地域も繁栄するというけど、全くウソだ。農民は激減している。
辺野古の海を見て、これを埋め立ててはならないと思った。海と畑との違いはあるが、根本は同じだ。一度、壊したらだめなんだ。
人民が目覚めて、こういうあり方から転換していく必要がある。そういう時代に入っている。支配者が戦争に向かおうとしているとき、その化けの皮をはがして、それはダメだということを突きつけていく。単に、飛行場をつくらせないというだけでなく、そういうことを訴えていきたい。

再び大結集めざし

三里塚は、今まで勝利の大道をあゆんできた。敵は、もう失敗をゆるされないところに追いつめられている。だから、われわれも、相手の弱さをみきわめて、丁寧にたたかっていく。
そこで大事なのが、労農同盟の構築と、もうひとつは沖縄とともにたたかうことだ。
沖縄のように、三里塚でも、もう一度、人民が大結集するたたかいを実現したい。そのときはじめて三里塚勝利の展望が開かれる。われわれには、まだ、組織していく活動が足りない。

沖縄との連帯

沖縄の人たちが、本土にも政党にも一時期待したが、もう今は自分たちでやるしかないといっている。これを、本土の私たちがどう理解するかだ。たとえば、普天間基地の移設問題で、沖縄の人たちが「本土にもっていけ」という。それにたいして本土の側が「それはできない」と反応する。しかし沖縄の人たちにしてみれば、当然の感情だ。
これを本土の人たちが理解していっしょにたたかうかどうかだ。私たちの考えを、根底的に改めていかないといけない。

10・10三里塚現地へ

10・10集会では、今まで以上の結集を敵にぶつけて、第3誘導路問題にたいするわれわれの回答としたい。
暫定滑走路に着陸が集中し、畑仕事をしていて、2分おきに頭上を通る。頻度は東京の山手線の下にいるようなものだ。これは耐えられない。
台風のときなどは、機体が不安定に揺れている。騒音どころか、いつ落ちるか怖くてしょうがない。
三里塚のたたかいで、火花をあげて、三里塚の闘いここにありという旗をかかげていく。現地にかけつけてほしい。運動の輪を広げてほしい。

4面

宮森小 米軍機墜落事故から51年
命と平和の尊さ伝えたい

51年前の沖縄・宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故を劇化した『フクギの雫』(DVD版)の上映と、「体験者の語り」が、4日、滋賀県草津市内であった。(草津市民交流プラザ 主催:実行委員会)

死者17人の大惨事

1959年6月30日、沖縄の嘉手納基地を離陸した米軍ジェット戦闘機が、直後に不具合を起こし、火を吹いた。パイロットはパラシュートで脱出したが、米軍機は、石川市立(現うるま市立)宮森小学校と、その付近の市街地を直撃した。
死者17人(児童11人、一般6人)、重軽傷者210人(児童156人、一般54人)の大惨事となった。

630館の設立へ

年月がたつにつれて、この事故の記憶が風化しつつある。そういう中で、被害にあった方々を慰め、命と平和の尊さを伝えることを目的に、関係者が、「石川・宮森630会」を結成し、「石川・宮森630館」を設立しようと運動している。
『フクギの雫』は、事故から50年目の昨年、地元・うるま市の若者を中心とした演劇集団『ハーフセンチュリー宮森』が、事故の遺族や関係者から取材して劇にしたもの。宮森小学校の児童も出演している。
この劇をDVD化し、全国に広げて、石川・宮森630館の設立に役立てようとしている。そのDVDを実行委で編集して上映した。

ピースメーカーとして

「体験者の語り」は、事故当時宮森小学校の2年生だった平良嘉男さん。
平良さんは、その後、中学校の教師になった。08年に母校・宮森小の校長になり、石川・宮森630館の設立に尽力する。現在は、うるま市立西原中の校長。
以下、平良さんのお話(要旨)。

6年前にも、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落し、宮森小学校と同様のことが起きようとした。基地がある限り、こうした事件・事故は繰り返される。沖縄県民の被害はいつまで続くのか。
国土全体の0・6%の面積しかない小さな島沖縄に、国全体の米軍基地の75%がある。このことは復帰前からの課題であるが解決していない。
次代を担う子供たちの沖縄は、どうなっていくのか。次世代に、どのような沖縄を残さなければならないのか。それは、私たち大人の責任である。
「忘れたいけど忘れられない」と、遺族は語る。
ウチナーンチュは、先の大戦で4人に1人の犠牲者を出し、27年という長期の異民族支配で辛酸をなめつくした。ウチナーンチュは、命と平和、人権の尊さを身にしみて体験した。
その私たちが、平和を作り出す「ピースメーカー」として発信していきたい。

韓国労働運動から 労働者の生き方まなぶ
関西交流センター協議会 夏季セミナー

8月29日、東大阪の解放センターで、関西労組交流センター協議会の夏季セミナーが開催された。組織再編前におこなっていた夏季合宿にかわる企画で、今夏が第1回目。夏の終わりでスケジュールが重なるなか、30人近くが参加した。
主な講師に、日韓民主労働者連帯代表の中村猛さんをまねき、韓国の労働運動との長年の交流をとおして感じとってきた事柄を、存分に語ってもらった。

日韓民主労働者連帯代表の中村猛さんが講演
(8月29日 東大阪市内)

「労働者宣言」

韓国では、「われわれは労働者だ!」「この地に労働者として生まれたことを恥じる時代は終わった」こういう文句がどのビラにも掲げられているという。そうすることで、労働者意識(あるいは階級意識)を鼓舞している。
講演に先だって東一紡織の解雇撤回闘争の紹介ビデオが放映された。40年ちかく闘いつづけている女性たちの労働者意識の高さに感銘を受けた。
中村氏は「どうも男は出世できなかったことを恥じる意識があるんじゃないか。部落民宣言というのがあるが、われわれにも労働者宣言が必要だ。われわれの中にある《資本主義の種子》を捨てていこう」と提起した。

激しい相互批判

紹介された中でもう一つ印象的だったのは、労働者教育の徹底ぶりだ。新加入の組合員に3交替20日間のカリキュラムが組まれ、いわゆる勉強だけでなく、活動家として必要な資質がたたきこまれる。
そこでの激しい相互批判の様子は、日本人の間ではみられないものだという。

産別組合へ再編

最後に、民主労総が企業内組合から産別組合へと組織再編を行っていることが報告された。
この大きな問題提起を受けて、何から始めるべきかなど、交流会での議論となった。「企業の壁」を超えて団結を拡大することの大切さはわれわれも語ってきたが、労働組合のあり方の転換に挑戦した前例はない。
他に、国鉄闘争の(中間)総括の提起と大阪港軍港化阻止訴訟の取り組み報告があった。第1回の企画として、成功だったと思う。
(交流センター協議会運営委員 M)

水害援助を口実
パキスタンへ自衛隊派兵

大規模な洪水被害

パキスタンでは7月下旬に続いた豪雨により大洪水が発生した。洪水はインダス川に沿って拡大し、国土の5分の1が水没、その広さは日本全土の約4割にあたる。死者は約1600人、被災者は1700万人以上(パキスタン人口の1割)、壊れた住宅120万棟。

ザルダリ大統領の外遊

こうした建国以来といわれる大災害のさなか8月1日、ザルダリ大統領は英、仏への外遊に出発した。最近、オックスフォード大を卒業した息子のビラワルが、7日、イギリスで初演説するのを見届けるためという。(批判が高まり演説は中止)
被災者からは「(ザルダリは)われわれのことなど気にもとめていない」と怒りと不信の声がひろがっている。

救援より「テロ対策」

パキスタン政府が対応不能を露呈するなかで、政府や国連の手が届かないエリアでは、民間団体が救援活動をおこない、支援の空白を埋めている。これにたいして、もともと被災地救援をろくにしていないパキスタン政府は、「武装組織がこの状況を利用する恐れがある」(8月19日、ザルダリ大統領)として、弾圧の意図を隠していない。
TTP(パキスタン・タリバン運動)は「米国その他の外国による援助は征服につながる」「米国の援助を受けるべきではない。受け取らないのであれば、われわれが洪水被害者のために救済金として2000万ドル(約17億円)を提供できる」とし、「政府がメンバーを一切逮捕しないと約束すれば、われわれの独自の救援物資を人びとに届けるつもりだ」と表明した(8月1日)。

アメリカの思惑

米軍のアフガニスタン侵略戦争と、パキスタン領内でのタリバン掃討戦にたいして、パキスタン人民の怒りは日増しに広がっている。そこへ発生した大洪水。
アメリカ政府は、洪水発生直後から「政権をあげて」といわれるほどの関与をふかめている。米メディアですら、今回のオバマ政権の動きは、パキスタン人民の反米感情を好転させる戦略的思惑があると指摘している。
アフガン・パキスタン担当のホルブルック特使は、米公共放送PBSの番組で「支援は、パキスタンでの米国のイメージ改善にも役に立つ」と、あけすけに述べている。

日本も軍事介入

洪水被災地上空を飛行する陸自ヘリコプターUH-1(8月31日)
こうしたなかで、菅政権はパキスタンへの自衛隊派兵を決め、岡田外相(当時)は、「テロの温床とされるアフガニスタンの問題を考える際、隣接するパキスタンの重要性も念頭にあった」(8月18日)と明言した。
同20日、北沢防衛相は「派遣命令」を出し、第1陣が21日に福岡空港を出発した。
派兵の規模と内訳は、陸自約200人を中心に陸海空の3軍で約530人、第4師団(福岡)の多用途ヘリ「UH1」3機、第1ヘリ団(木更津)の大型輸送ヘリ「CH47」3機、空自からC130H輸送機6機、予備の航空機2機、海自の強襲揚陸艦「しもきた」。
自衛隊の現地拠点をパキスタン中部ムルタンに置き、半径200kmエリアで活動するという。31日に自衛隊は、現地での活動を開始した。

官邸にアフガン支援室

8月、菅政権は官邸内に「アフガニスタン支援室」を設置し、31日には、初会合をひらいた。
民主党は、野党時代からアフガニスタン派兵を自民党以上に強く主張してきた。インド洋での海自による燃料補給よりも、直接、陸自をアフガニスタン本土に派兵すべきだと主張してきたのが民主党だ。
また、民主党が政権をとる前から、米帝からは「アフガニスタンに陸自のヘリ部隊を」という要求はあった。
今回のパキスタンへの自衛隊3軍派兵は、アフガニスタン侵略戦争への軍事介入(陸自ヘリ部隊の派兵)を念頭においた、その先鞭をつける行動であることは疑いない。
「大洪水 乗じる過激派」(朝日新聞8・12見出し)ではなく、「大洪水 乗じる帝国主義」というべき事態だ。

5面

関西合同労組 「暴処法」弾圧
検察側立証が破たん 第2回公判

第2回公判は、10日午前10時から大阪地裁でおこなわれた。
この日の公判で、検察側の立証は大きくつまずき、暴処法弾圧がでっち上げであることが具体的に明らかになってきた。

被害届ないのに事件化

最初の証人は、被害者とされるTの相談を受けた、河内警察署総務課広聴相談係長の荻野。
荻野証言の最大のポイントは、Tが、「被害届けは出さない」と言っているのに、この事案を警備課に回して事件化した事実を認めたことだ。
Tから相談を受けた荻野は、Tにたいして、「沼田被告には、警察に相談したと伝えればよい。また同じことをされたら被害申告をし、危険がおよぶと思ったら、110番すればよい」と一般的な対応をした。
しかし荻野は、「関西合同労組は極左系の組合だから」と、警備課係長の光井弘にすぐ報告したと証言。光井は、名前の知れ渡った大阪府警の公安担当刑事であるが、河内署に配属されている。警備課の光井に報告すれば、この事案は自動的に府警本部の公安三課に直行する。
荻野と大阪府警公安三課は事件ではないものを、関西合同労組が関係しているというだけで事件化した。完全なでっち上げである。

衝立で警官証人を隠す

荻野の次に証言台に立ったのは、兵庫県警の山本。
山本の姿を傍聴人から隠すために、巨大な衝立が持ち出され、傍聴席と証人席の間がさえぎられた。この異様な遮へい措置に、弁護人は強く異議を申し立てたが、裁判長は却下した。
公務員たる警察官に顔を隠す権利などない。人民に顔を知られたら困るような警察官は秘密警察だ。集会のたびに、マスクと帽子で顔をかくし、日常は、尾行・盗聴にはげんでいるのが大阪府警や兵庫県警の「公安三課」なのだ。こうした事実上の秘密警察的ありかたを認めるような裁判は、裁判の名に値しない。憲法が保障する公開裁判の否定である。
これに抗議して多くの傍聴者が退廷した。

証拠の違法収集を自白

山本が、衝立にかくれてコソコソと入廷。実に情けない恥ずべき姿だ。検事の質問にも、おどおどした声で証言した。
大阪府警と兵庫県警が合同で、東大阪労働相談センターを「暴処法」容疑で家宅捜索した際、センター内にあったヘルメットを撮影していたが、その写真には、「中核」という文字が写っていなかった。これでは裁判で使えないからと、検事が急きょ、警察に撮り直しを命じた。後日、別件の詐欺罪容疑で同センターを家宅捜索したときに、山本はヘルメットの文字が見えるように撮影し直した。
家宅捜索では、事件と無関係のものの撮影は許されていない。
弁護人が撮影目的を質問すると、山本は、真の目的はヘルメットを撮影することなのに、「捜索の状況を撮影した」などとごまかした。しかし、写真には捜査員の腕の一部と頭の一部が写っているだけで、捜索の状況など写っていない。
そこで、弁護人が、法廷の画面一杯に写された写真を山本に示して、「どこに捜索の状況がうつっているのか」と質問した。山本は答えに窮し、おどおどするばかりだった。
山本は、裁判長から質問されると、「ヘルメットを意識して撮影した」ことをしぶしぶ認めた。しかし、裁判長はこの違法に撮影された写真を証拠採用した。でたらめな判断だ。

崩れ始めた虚構

最後は、Tの同僚で、タクシー運転手のH証人。
H証言では、関西合同労組の「団体の威力を示し」て、沼田さんから「脅迫」されたはずのTが、その直後に、関西合同労組のS組合員に相談していることが明らかにされた。
関西合同労組を「やくざより恐い組織」と、本気でTが思っていたのなら、関西合同労組の組合員に相談することはありえない。
またH証人は、Tから相談を受けたとき、「関西合同労組にたいへん世話になっているのに、勝手にやめたお前も悪い」とたしなめたと証言。
さらに、Tが河内署に相談に行った際、同行したH証人は、署からの帰りに二人で「やくざより恐い組織」のはずの関西合同労組の東大阪労働相談センターに寄ろうとしたことも明らかにした。こうして、沼田さんがTを「脅迫した」というのは、警察のでっち上げであることが明らかになった。
次回10月4日(月曜 10時半〜)の公判では、「被害者」とされるTへの検察官主尋問が行われる。でっちあげの核となる証言を、多くの傍聴で包囲し、ほころびを拡大させよう。沼田さんの保釈を一刻も早くかちとろう。

米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対デモ

「東京都・文京区合同総合防災訓練」が、8月29日、都内でおこなわれた。東大、東洋大の構内も使用、地域住民、労働者、高校生や児童が動員された。 早朝からの監視行動、抗議デモと集会がおこなわれた。

投稿 ベーシック・インカム要求運動に注目を

近年急速に関心を集めつつあるベーシック・インカム要求運動ですが、私が知る限り『未来』や『展望』でこれに触れられたことは一度もないと思います。しかし現代の社会運動を語るうえで、もはや無視できない潮流となっています。
ベーシック・インカム(以下BIと略す)はさまざまな立場の人びとによって主張されており内容にも大きな差異がありますが、基本的なコンセプトは「すべての個人は生活に必要な所得を無条件で得る権利を持つ」ということです。すなわち、収入・資産・労働可能性・労働意欲・年齢等々にかかわらず、全個人に生活していける最低限の現金を一律に支給するというものです。

完全雇用の崩壊とBI

BIの構想自体は古くからあるものですが、幅広い注目を集めるようになったのは、経済危機下において現行の社会保障制度が機能不全に陥り、貧困問題が深刻化したことによります。
そもそも従来の「福祉」は完全雇用社会を前提としたものであり、そこからこぼれ落ちた比較的少数の人を、セーフティ・ネットで拾い上げるというのが基本システムです。大量失業・非正規化によって完全雇用が崩壊した現代社会にあっては、従来のシステムに代わる福祉が必要であり、そこで注目を浴びるようになったのがBIです。
その基底には、《大量失業・非正規化は一時的な経済危機によるものではなく、労働と生産の関係が根本的に変化したことによる》という認識があります。テクノロジーの進歩により、労働可能なすべての人が正規雇用労働者として働かなくてもあとは機械が処理し生産し、社会が必要とするものを生み出すことが可能になったということです。
若い世代は、商品やサービスを生産するのに人が必要ないということを実感しているので、完全雇用社会を前提とした旧来型の労働運動にはズレを感じているのです。そうした世代を中心に、「自由と生存のメーデー」でも見られたようにBI構想が急速に広まっています。安定した職がなく、生活に困窮していても生活保護がとりにくい若い世代の共感を得ているのです。

労働の有無に関わらず

BIに対する最大の疑問は、なぜ金持ちにも一律支給するのかということでしょう。しかし受給者に制限を設ければ、現行の生活保護同様のスティグマ(自尊心の損傷)をともなうという問題があります。必要な人が受給できないという事態も生まれ得ます。生存のために必要な所得を得る権利は人間にとって基本的な権利だということもあります。どんな金持ちにも基本的人権は与えられます。全員が目一杯働かなくてもよい社会になったのは、人類の共有財産である知の遺産のおかげであるから、それによって可能になったBI制度の恩恵に浴する権利はすべての人にある、という考え方もあります。
生活できるだけの金額を全員に配る財源についてはいろいろな案がだされています。社会保障費を廃止・縮小しBIとして支給する、消費税・所得税・法人税を増税する、累進税率・相続税を強化する、政府通貨を発行する、などです。
働けるのに働かない人にも支給するということも、BIの大きな特徴です。この発想は近代以降の労働観を根本から覆すものです。共産主義の労働観とも異なります。労働は生きるために必要不可欠なものではなくなり、尊いものでも義務でもなくなるのです。金銭的・精神的+αを求めて働く人もいるし、働かない「障がい者」と健常者もいるし、ボランティアにいそしむ人もいる、という社会に変わるのです。もちろん専従革命家がいてもいいのです。
BIが、生活保護のように世帯単位の支給ではなく、個人に支給されるものであるという点も重要です。

多様なBI論

BIは十分な支給額で実現すれば、貧困問題解決の切り札となります。しかしネオ・リベラル系の人たちは、最低限の所得保障を免罪符に社会保障を廃止・縮小し、解雇制限や最低賃金制を撤廃しようとしています。右から左までさまざまなBIですから、誰がどんな構想の下で主張しているのか、しっかり見極める必要があります。
BIで生活の保証が得られたとしても、社会福祉が一切いらなくなるわけではありません。マイノリティーのハンディは、同一金額の支給だけでは解消されません。生活保障があるからといって、解雇し放題でいいはずもありません。BIには社会運動での補完が常に必要なのです。
BIは賃労働も市場経済も否定していません。共産主義によらずして絶対的貧困を解決しようとする構想です。将来的には「必要に応じて各自に」という社会が実現される方向性はありますが、その場合もプロレタリア革命を経るわけではありません。
しかし、そこに希望を見いだそうとしている潮流を等閑視したのでは、現代の社会運動から遊離してしまうことになるでしょう。

本の紹介
『ベーシック・インカム入門―無条件給付の基本所得を考える』
(山森亮著 光文社新書 09年)

手軽に読める新書版ですが内容は充実しています。入門書なのでいろいろな側面が書かれていますが、社会運動の歴史的記述が特に詳しいです。とりあえず一冊というならこれがお勧めです。

『現代思想』2010年6月号(青土社)
「特集 ベーシックインカム―要求者たち」

雑誌の特集なので、複数の著者の主張が読み比べられます。前掲書では詳しく書かれていない、財政的側面・哲学的考察など幅広い主張に触れることができます。(向井結衣)

6面

無実の証拠隠すな
検察を追及 10日 狭山要請行動

東京高検にむかって糾弾のシュプレヒコールをあげる(10日 東京都内)

10日、部落解放同盟全国連合会が呼びかける狭山要請行動に参加した。13日に開かれた三者協議の直前に設定された行動だ。5月に不十分ながら証拠開示がおこなわれたが、これをさらに核心的な証拠開示(ルミノール反応検査報告書など)につなげ、狭山再審の扉をこじ開けるためだ。

石川さんにこたえ

石川さんは、8月25日のメッセージで、「4回目の三者協議が迫っており・・・私の今後の人生が左右される岐路の身にあってみれば、今こそ精力的に活動し・・・無罪をかちとるまで不撓不屈の精神で」と決意を語り、支援を訴えている。
また、「少なくとも勧告されたものだけでも出してもらいたいし、47年間も冤罪を訴えている私の悲痛な叫び声にこたえるべきだと思うと、検察官の対応に憤りを禁じえません」と。

検事を厳しく追及

この日、11時から、東京高裁に入った20人の要請団は、「勧告を踏みにじられて黙っているのか。証拠を出させる気があるのか」と追及、「石川さんを3者協議に参加させろ」と迫った。
同時に30人でおこなった裁判所前での街頭宣伝は、石川さんと交流するものとなった。石川さんは、この日も8時半からと12時からマイクを握り、裁判所に訴え続けている。
午後1時から、東京高検へ要請行動。要請団は、「『ルミノール検査報告書を探したが、ない』というが、核心部分の証拠がないなどありえない」「それでは殺人現場が特定できない。そういう証拠は、厳重に管理されなければならないのでは。大事な報告書を処分したのか。『ない』というなら理由を示せ」「『自白』したときだけではなく、石川さんが拒否していたときのテープも出せ」「石川さんの人生をなんと思っているのか」。黙りこむ上田検事にたいして、怒りの追及となった。
13日の三者協議では、具体的な進展はなく、弁護団の要請に検察側がこたえることは先送りになった。
怒りにたえない。なんとしても全面開示をもぎとろう。(SR)

石川一雄さんからのメッセージ

全国の支援者の皆さん、私、石川一雄は多くの支援者の支えに依って、連日の猛暑にも負けることなく不撓不屈の精神で闘いを展開中です。
すでに皆さん方もご存知かと存じますが、4回目の3者協議が迫っており、恐らく此の時にある程度の闘いの方向性が明らかになると思われるだけに、今が如何に大切か、極論すれば、私の今後の人生が左右される岐路の身にあってみれば、今こそ精力的に活動し、且つ皆さんにもご理解を求め、今まで以上のご協力を賜りたく、一筆執らせて頂きました。
無実を訴えて47年、此の間、科学や、医学の進歩に依って狭山事件の冤罪性がますます明らかになり、弁護団は、数々の鑑定結果、新証拠を裁判所に提出していたのでしたが、今迄の司法は、誤審の第二審の寺尾判決を追認踏襲し、これら諸鑑定を無視してきたのでした。
しかし、この間、多くの冤罪事件が発覚したこと、裁判員裁判が始まったこと等の状況の変化とこれまでの闘いの積み重ねのなかで、昨年12月、門野裁判長は証拠開示勧告の英断をされ、この5月に検察官は47年間隠し続けてきた証拠、36点の開示に応じたのでした。其れまでは「証拠は無い」「有るか無いかも言う必要はない」といい続けていましたが、裁判長の勧告だけに、検察も重く受け止め渋々ながらも36点を開示したのです。
然しながら、弁護団が要求していた「ルミノール反応検査報告書」など肝心なものは「不見当」として未だに隠して出そうといたしません。
自白した録音テープにしても、それが存在するならば、犯行を否認していた日時ははるかに長く、その間、拷問的な取り調べの中での取調官との会話はどのようであったのか、私は、一部を録音したテープではなく、「自白」する以前の否認当時の録音テープや取り調べメモなど全て出して、事件の全容、取り調べの実態を明らかにしてほしいと希っています。
当然にも無実を訴えている私の真相究明には最低でも「8項目」の証拠開示が必要と感じたからこそ、これらの証拠を隠すことなく「出しなさい」と裁判長は勧告したんですから、少なくとも勧告されたものだけでも出してもらいたいし、また、47年間も冤罪を訴えている私の悲痛な叫び声に応えるべきだと思うと、検察官の対応に憤りを禁じえません。国民の税金で収集した証拠は、弁護団の求めに応じて、全部出して、裁判官に判断してもらうべきだと思うし、そうすることが検察官に課せられた責務であり、且つ国民の信頼も得られると思います。
検察庁には現在でも相当数の未開示証拠があるはずです。真実は不変とはいうものの、何十年も真相が闇に中に隠されたままでいい筈がありません。
お蔭さまで、私自身は皆さん方の支えと強固な意志の下で、47年間も闘い抜くことができました。近い将来必ず私の訴えは司法に届くものと信じて、今後も無罪を勝ち取るまでは不撓不屈の精神で司法当局に真実の解明を求めて参る決意でおります。
来る4回目の3者協議において、裁判長にぜひとも、さらなる証拠開示の勧告と事実調べをすすめてもらいたく、わたくしも8月25日から高裁前でマイクを手に「公平・公正」裁判を訴えて参る所存です。
どうか皆さんも可能な限りお力添えくださいますよう衷心よりお願い申しあげます。右、常日頃のご支援に対する感謝の気持ちと、私の決意の程をお伝えしてご挨拶の一端に代えさせていただきます。
                               2010年8月25日  石川 一雄