未来・第61号


            未来第61号目次(2010年7月20日発行)

 1面  菅・民主に怒りと不信 参院選の結果と課題

 2面  みんなの党の正体

     沖縄と消費税で大運動を

 3面  「新ゆうパック」大混乱
     ずさんな計画 責任は郵便会社

     米軍普天間飛行場移設の日米共
     同発表の見直しを求める意見書・抗議決議

     米軍基地撤去・派兵反対
     65回目の申し入れ 陸上自衛隊千僧駐屯地

     シネマ案内
     月下の侵略者 ―文禄・慶長の役と「耳塚」

 4面  【翻訳資料】
     韓国労働社会研究所機関紙『労働社会』09年10月号
     クイックサービス運転士労組組織化事例(上)

 5面  朝鮮学校無償化 即時適用せよ 東西で行動

     本の紹介 『ペリリュー・沖縄戦記』
     戦場の残酷さ告発する記録

 6面  8・6ヒロシマ―平和の夕べ― 発言者の紹介

       

菅・民主に怒りと不信 参院選の結果と課題

民主党が参院選で大敗した。改選前から10議席を減らし、とくに地方の1人区で大幅に負けこした。
自民党は議席数を増したものの、獲得票数(比例代表)は大きく減らし、民主におよばなかった。
そうした中、みんなの党が10議席増と躍進した。社民党・共産党は、退潮に歯止めがかからなかった。

新自由主義へ回帰
民主党大敗の主たる要因は、「消費税率の引き上げ論」だったとされている。より根本的にいえば、菅政権が、「8・30」を転覆し、新自由主義政策と日米一体化路線に回帰しているからだ。このことにたいして、労働者人民の反発と不信が急速に高まったのだ。
「8・30」とは、昨年8月30日の衆院選で、労働者人民が、新自由主義政策と日米一体化路線に怒り、自公政権に断を下したもの。そのことによって、政・財・官の支配階級がもとめていた新自由主義と日米一体化は、とん挫を余儀なくされた。
しかし鳩山政権が公約を次々と反故にし、菅は首相に就任して以降、新自由主義と日米一体化を一段と加速させている。
それは、格差・貧困の拡大、地方の切り捨て、沖縄への犠牲押しつけだ。労働者人民は、政権交代に期待したものがことごとく裏切られていくのを見せつけられた。このような菅・民主党を拒否したのだ。参院選の結果は、この労働者人民の意思を表している。

沖縄の怒り
とりわけ沖縄の怒りと不信は激しい。民主党は選挙区で候補を立てられず、比例では喜納・県連代表が落選。選挙区で当選した自民党の島尻は、党本部方針に反して「県外・国外移設」を唱えざるをえなかった。普天間基地撤去・辺野古新基地反対を掲げる山城氏は、社・共が候補を統一できない中、僅差で落選したものの、健闘した。沖縄の棄権率の高さは、本土の政治と政党にたいする底深い怒りと不信をしめしている。

民主党の敗因 沖縄基地問題と新自由主義

菅政権は、新自由主義政策と日米一体化路線に公然と回帰した。労働者人民は反発と不信をつのらせている。これが民主党の敗因だ。

新自由主義に親和
すでに鳩山政権の時点で、「後期高齢者医療制度廃止」をとりやめ「継続しつつ新制度を構築」に、「障害者自立支援法」廃止も棚上げし、継続にむけて改悪案を提出するなど、公約の反故を重ねてきた。
さらに菅が首相に就任し、所信表明演説で、「強い経済、強い財政、強い福祉」を掲げ、マニフェスト2009では否定されていた「消費税増税」をはじめとした増税を、参院選の公約に掲げた。さらに、小泉政権でも手をつけられなかった「法人税実効税率切り下げ」を閣議決定した(6月18日)。
菅が提起している「第3の道」論とは、自民党の利益誘導政治でも、小泉構造改革でもないという触れ込みだが、レーガノミックスの「経済成長のために減税」という主張を裏返しにして、「経済成長のために増税」というものだ。眼目は「経済成長」、つまり大資本の収益の増大にある。
また、菅の人脈は新自由主義にきわめて親和的だ。政調会長に玄葉光一郎を起用したのを筆頭に、前原、岡田、長島、野田、古川といった、結党以来の新自由主義信奉者が党幹部や閣僚に連なっている。
財界・官僚・米国
鳩山政権では一定距離のあった日本経団連との関係を、菅は修復した。枝野幹事長は、就任翌日(組閣の日)、細野幹事長代行とともに日本経団連を訪問、「これからは直接対話を」と呼びかけた。新内閣成立日に、選挙母体のひとつである連合をさしおいて、真っ先に日本経団連にあいさつにいった。これには連合幹部も怒ったという。菅も首相就任後に、経済3団体トップの訪問を受け、関係強化を約束している。
日本経団連は、『経団連 成長戦略2010』(4月13日付)で、「2011年度から・・・消費税率を少なくとも10%」、「法人実効税率を国際水準(30%程度)まで(下げよ)」と主張。菅の「消費税10%」の出処はこれだ。
財界・大資本は、法人税減税と消費税増税を推進する菅政権を、大いに歓迎している。
官僚にとっても、言うことを聞く菅政権は都合がいい。
アメリカは、日本の政権を、新自由主義政策と日米一体化路線に引き戻して安堵している。
菅政権は、アメリカと財界と官僚だけに顔が向いていて、労働者人民に顔が向いていない。連合とさえ、小沢以上につながりがない。

辺野古新基地を強行
普天間基地問題で、日米一体化路線ははっきりした。鳩山の時点で、「最低でも県外」の公約は「辺野古明記の5・28日米合意」に引き戻された。 菅は、「沖縄の負担軽減」と「5・28日米合意の継承」を同じ次元で語る。しかし、これは二律背反だ。
「日米同盟の深化」「普天間基地設問題に関しては日米合意に基づいて(進める)」とマニフェスト2010に明記。菅は「日米同盟はアジア安定のインフラストラクチャー」「海兵隊の存在が抑止力」と発言。
また、同マニフェストで、「防衛大綱・中期防衛計画を本年中に策定し、(対中国包囲のため)豪州、韓国、インドなどとの防衛協力を推進」と記した。
沖縄の怒りから逃亡
菅内閣発足いこう、政府も本土のマスコミも、沖縄基地問題についてぴたりと沈黙。沖縄基地問題と安保問題の是非を、全国民的に論議するべきときなのに。
菅は、沖縄の怒りに向き合えず、沖縄基地問題をかわして、参院選を乗り切ろうとした。しかし、沖縄の選挙結果は民主党にきわめて厳しい。
沖縄県議会は、7月9日、「米軍普天間飛行場移設の日米共同声明の見直しを求める意見書・抗議決議」を、全会一致(退席した2議員を除く)で採択した〔3面に掲載〕
8月末に「工法の決定」を強行しようが、11月沖縄県知事選をはじめ夏から秋にかけての攻防で、沖縄基地問題で菅・民主党は、しめあげられ追いつめられるだろう。

参院選結果の特徴

◎民主10減で大敗
民主は、改選54議席ににたいして、獲得議席数で44議席。04年参院選の50議席、07年の60議席を大きく下回った。とくに1人区では、前回07年の参院選では民主系は23勝6敗、今回は8勝21敗。
非改選の62議席と合わせた106議席は過半数(122議席)に16議席足りない。
比例代表の獲得票数では、03年衆院選以降、獲得しつづけてきた2000万票を割り込み、1848万票にとどまった。

◎自民、議席増も票数は減
自民は、改選38議席にたいして、51議席。改選議席では第1党となった。1人区で21勝8敗と民主を圧倒。
しかし比例代表は、過去最低だった98年、07年の14議席を2議席下回った。獲得票数でも、1407万票まで減らし、惨敗した98年参院選と同水準。民主党に及ばなかった。

◎みんな 10増で躍進
みんなの党が10議席で躍進。非改選と合わせて11議席に。参院で予算を伴わない法案の提出が可能に、党首討論への出席も可能に。

◎社民・共産の退潮
社民は改選3から2、共産は改選4から3に減。選挙区ではいずれも当選なし。比例での得票率は社・共をあわせても10%をきった。

◎沖縄 投票率最低
選挙区で民主党が候補を擁立できず。比例では喜納・県連代表が落選。
無所属の山城氏が健闘。比例代表で社民党が12万票、沖縄で第一党に。
投票率52・44%は、参院の通常選挙で過去最低、全都道府県と比べても最低を記録。

◎2千万票こえる党なし
どの政党も、比例で2千万票以上を獲得できなかった。98年以来12年ぶり。民主の大敗だが自民も復活していない。どの政党も多数派になれない状況。

◎棄権が増大
前回07年参院選の投票率58・64%。今回は57・92%。4割以上の有権者が棄権している。(沖縄については、上記沖縄の項に)


2面

「みんなの党」の正体

躍進のわけ

民主大敗、自民もダメという中で、みんなの党が躍進した。なぜか。
第一に、消費税率引き上げにたいする反発の受け皿となった面はある。第二に、とくに都市部の上層に支持されたことは間違いない。
しかし、これだけではない。第三に、みんなの党の主張が、「急進的な改革」に見えるからだ。労働者人民は、現状に我慢できる状態ではなく、その変革を求めている。自民党を見限り、民主党にも裏切られた労働者人民にとって、社・共よりも―もっといえば左翼よりも―新しさも手伝って、みんなの党の方がラディカルに映っている。

大資本の利益優先

みんなの党は、急進的な新自由主義攻撃の推進者だ。
選挙公約の目玉は、@「政治家や官僚の利権・既得権益に食いつぶされている国民の貴重な税金を、本来の持ち主である国民の手に取り戻す」、A「地域主権型道州制」などだ。
労働者の血と汗を吸いつくして肥え太った大資本からとりもどすのが先決だろう。人民の怒りが資本に向かうのをさえぎるためにのみ、官僚と政治家を問題にしている。現行派遣法体制(非正規雇用・不安定雇用の推進)の堅持も主張している。
「地域主権」といっているのは、社会保障、福祉など国レベルで責任を負うべきことがらを責任放棄し、地方におしつけ、かつ大量の公務員解雇を推進することだ。これでは、地方と人民の生活はいっそう崩壊する。

沖縄と消費税で大運動を

@普天間基地即時撤去、辺野古新基地建設反対―沖縄人民の自決・自己決定権支持

A消費税増税反対―消費税撤廃、所得税・法人税・相続税に高度な累進課税を

2大課題をめぐって、大運動をまきおこそう。菅政権、財界・大資本、官僚のトライアングルをうちやぶろう。
「8・30」は、新自由主義と日米一体化にたいする労働者人民の怒りがもたらしたものだった。参院選の結果は、依然としてこの階級関係が政治過程を規定しているということをしめている。
選挙、議会、既成政党に運命をゆだねるのではなく、みずからの意志と行動で労働者人民が登場するとき、今回の民主党大敗とそこからはじまる政治的大流動は、大きなチャンスとなる。

根本的な変革を

社民・共産の退潮は止まらない。自民党を見限り、民主党にも失望した労働者人民の支持が、社・共など、広い意味での左派勢力に集まらない。むしろみんなの党に流れている。この現象は「社・共だから」ということで片づけられるものではない。
労働者人民は変革を求めている。しかも現状が厳しいだけに、よりラディカルな変革を欲している。ところが、「○○に反対」というスローガンは、主張としては「まとも」だとしても、「現状を守れ」としか聞こえていないのだ。労働者人民にとって、現状維持はもはや耐えられないのだ。

深刻な現実
完全失業率が5・2%(今年5月)、3カ月連続の悪化、15〜24歳の若年層では10・3%。生活保護世帯は、全国で約134万世帯(10年3月)で、過去最多。自殺者が12年連続で年間3万人以上。
労働者が、酷使されたあげくボロ雑巾のように捨てられていっていることを示す数字だ。事態は極限状況、さながら戦争状態だ。
「○○に反対」というスローガンに欠けているのは、この極限状況に向き合っていないことだ。現状維持でまだやっていける人の主張と運動になりかねない。

本当の敵は
一方で何億円もの役員報酬や投機による収益を手にする者、他方で働けども生活保護以下の賃金しかない者―これが新自由主義の実体だ。極限的な格差、不平等だ。
新自由主義が、帝国主義論としてどうなのかという批判と検討以前に、現に、何億円もの金を濡れ手に粟で手にする者は、労働者人民の敵だ。この敵の実体を引きずり出して攻撃しよう。
「○○に反対」のスローガンにとどまることなくさらに一歩進めて、敵の実体に迫ろう。

平等と民主主義
何をどう変革するか。平等の要求だろう。極限的な格差、不平等が問題なのだ。経済危機はどこまで深刻化するのかとか、財政危機はどうなのかではなく、現にある極限的な格差、不平等をただちに抜本的に是正することだ。濡れ手に粟の連中から吐き出させ、全員で平等に分ける。
労賃、税制、社会保障などについて、この観点から、具体的な要求を掲げて行動することだ。その実現を要求する論争と衝突の中で、社会主義・共産主義が一歩一歩具体的なものとしてつかまれていくだろう。
そしてその大前提として、労働者人民が主体となる民主主義を、自らの手にとりもどす必要がある。現在の議会制民主主義は、労働者人民の意志を踏みにじるシステムだ。労働者人民が自分たちで討議し決定し行動する運動をつくり出そう。

3面

「新ゆうパック」大混乱
ずさんな計画 責任は郵便会社

「ゆうパック維新」の鳴り物入りで迎えた「新ゆうパック」は、7月1日のスタート初日から大混乱。ぼう大な遅配を隠していたことをマスコミに暴露された郵便事業会社は、4日になってようやく謝罪会見をおこなった。
会見に出てきた日本郵便の鍋倉社長は、「職員の不慣れ」や「職員のミス」が遅配の原因であるとする責任逃れに終始した。現場に責任を転嫁する社長発言にたいして職場では怒りが沸騰している。集配の遅れは、6日までで34万個にも及んだ。

JPEXの破産

JPEXは、ゆうパックとペリカン便(日通)とを事業統合するための受け皿会社として08年6月に設立された。この業務統合の目的は、郵便事業会社と日通の双方にとっての不採算部門である宅配事業の切り捨てであった。そのためその統合計画も、最初からずさんきわまりないものであった。
当初JPEXは、昨年4月1日にゆうパックとペリカン便を統合して事業を開始する予定であった。ところがシステム統合の不備があきらかとなり、ペリカン便だけがJPEXへ業務移管して、見切り発車することになった。ゆうパックの業務移管を半年遅らせて、10月1日にJPEXを再スタートさせることにしたのである。
ところが、直前の9月になって総務大臣がゆうパックの業務移管を盛り込んだ事業計画の変更を認可せず、ゆうパックとペリカン便の統合プランは最終的に破産した。
結局JPEXは解散し、郵便事業会社が旧ペリカン便を吸収して事業展開するというのが今回スタートした新ゆうパックである。

あふれるトラック

しかし、ゆうパックと旧ペリカン便という、2系統の物流システムを混在させたまま、7月1日にむりやりスタートさせたことにより、取り扱い量は急増。それも中元商戦真っ只中の繁忙期に、旧ペリカン便の増加分が一気に現場に押し寄せたのである。
しかも新たな携帯端末や新伝票のとりあつかいを周知していなかったために、現場では次々と運び込まれる荷物が荷さばき用ベルトコンベヤーからあふれ出して、うずたかく積まれた荷物の山の中で身動きも取れない状態になった。
さばききれない荷物は、スペースの空いている他の集配支店に振り分けて急場をしのいだ。ある支店では、駐車場に入りきれないトラック便が構内から溢れ、一般道路に数珠つなぎになるという事態まで起きた。
従来のゆうパックの設備のままではペリカン便分を受け入れる余裕がないことは明らかであった。にもかかわらず、会社はなんら改善策をとらなかった。この会社の怠慢こそが、ぼう大な遅配の最大の原因である。
中元商戦のまっただなかで、新ゆうパックをスタートさせるという「無謀な賭け」は完全に裏目に出た。郵便事業会社にとって、損害賠償と顧客離れからくる損失は、今後どれだけ拡大するか見当もつかない。

ツケを現場にまわすな

システム統合の準備不足、現場からの要員措置要求の無視、現場軽視など、責任はあげて郵便事業会社にある。システム統合をめぐっては、354ページにのぼる膨大なマニュアルを一方的に渡して、わずか1時間の研修というずさんな研修であった。
郵政事業を所管する総務省は、業務改善命令などの行政処分を検討開始した。郵便事業会社の責任逃れは許されない。また、物量増加に伴って採用された労働者を夏季繁忙期が終わる8月いこうに大量解雇することが予想される。こうした労働者への責任転嫁を断じて許してはならない。
JP労組は、6月9日から3日間、大会を開いた。日本郵政社長や総務相を来賓に招き、大会の主要方針は「前書記長・難波の参院選挙」だけだった。日本郵政グループの施策を丸呑みし、労使協調の「生産性運動」にひた走り、今日の事態を招いたJP労組中央を追及し、非正規雇用労働者と正規雇用労働者の分断を乗り越えて郵政労働運動の再生を実現しよう。

米軍普天間飛行場移設の日米共
同発表の見直しを求める意見書・抗議決議


〔沖縄県議会は9日、5・28日米合意の見直しを求める決議を採択した。全文を掲載する。記事2面〕

去る5月28日、日米両政府は、米軍普天間飛行場の移設先を沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ辺野古崎地区およびこれに隣接する水域とし、1800メートルの滑走路を建設することを明記した共同発表を行った。
この共同発表は、「県内移設」反対という沖縄県民の総意を全く無視するもので、しかも県民の意見をまったく聞かず頭越しに行われたものであり、民主主義を踏みにじる暴挙として、また沖縄県民を愚弄するものとして到底許されるものではない。
さらに、去る6月23日に行われた沖縄全戦没者追悼式に参加した菅直人内閣総理大臣は「沖縄の基地負担に陳謝とお礼」を表明し、米国では6月23日に下院で、29日には上院でそれぞれ米軍基地を受け入れる沖縄への感謝決議が議決されているが、このことは過重な基地負担を強いられ、今また新たな基地を押しつけられようとしている県民の思いをまったく理解していない行為として県民の大きな怒りを買っている。
沖縄県民の願いは、基地のない平和で安全な郷土をつくることであり、このことは本県議会が再三にわたり県内移設反対を議決したのを初め9万人余が参加した4月25日の県民大会、県内全市町村長の反対表明、マスコミの世論調査などで明確に示されている。
よって、本県議会は、県民の生命、安全および生活環境を守る立場から、県民の思いに真摯に対応するとともに、日米共同発表を見直すよう強く要請する。

                                    2010年7月9日  県議会


米軍基地撤去・派兵反対
65回目の申し入れ 陸上自衛隊千僧(せんぞ)駐屯地

(6月27日 千僧駐屯地西門 兵庫県伊丹市内)

陸上自衛隊第三師団(兵庫県伊丹市)への65回目の申し入れ活動を、6月27日におこなった。よびかけは「元自衛官連絡会」で、関西合同労組、「とめよう戦争!百万人署名運動・兵庫県連絡会」、「とめよう戦争への道!百万人署名運動・関西連絡会」も参加した。
05年から、防衛庁(当時)、大久保駐屯地(京都府宇治市)、福知山駐屯地(京都府福知山市)、信太山(しのだやま)駐屯地(大阪府和泉市)等へ派兵反対の取り組みとして申し入れを始めたが、陸上自衛隊第三師団からイラク・サマワへ派兵されることが決まってからは、一貫して第三師団(千僧駐屯地)に焦点をしぼって申し入れをおこなっている。
これまでも、伊丹で日米共同軍事演習がおこなわれたり、イラク派兵が中部方面隊(総監部は伊丹にある)からなされた時には、大規模な集会やデモもあわせておこなってきた。
申し入れは、海外派兵反対、米軍再編にともなう日米軍事一体化をするな、ミサイル防衛計画にもとづくミサイル配備反対、そして隊内での戦争準備としての上意下達、強権発動の体制反対、それに伴う隊内のセクハラ、パワハラに対する抗議をし、あわせて隊内の民主化要求という内容でおこなってきた。
昨年からは、沖縄の米軍基地撤去、新基地建設反対を最重要課題として申し入れ活動をおこなっている。沖縄の米軍基地撤去、新基地建設反対、日米軍事同盟を許さないたたかいは、まさにここからはじまるという思いで、申し入れ活動をおこなっている。
次回は、7月25日(日)千僧駐屯地西門前で午前10時からおこなう。
(投稿・梶原義行)

シネマ案内
月下の侵略者 ―文禄・慶長の役と「耳塚」

前田憲二監督 2004年 2時間48分

永年にわたり、日本と朝鮮半島の文化的、歴史的繋がりを、映像によって追求してきた前田憲二監督が、3年の歳月をかけ完成した作品。
文禄・慶長の役(1592〜98年)、それは秀吉の朝鮮侵略戦争であった。この作品は、その事実をおさえ、時代の流れに沿って冷静に撮影を積み重ねたドキュメンタリー。

上映予定
8月28日 @午後1時〜 A午後5時〜
宝塚市立西公民館(阪急今津線・小林駅)
前売 1000円、当日 1200円


4面

【翻訳資料】
韓国労働社会研究所
機関誌『労働社会』09年10月号
クイック・サービス運転士労組組織化事例(上)

キム・ジョンジン(韓国労働社会研究所研究室長)/翻訳=中村猛

韓国労働社会研究所機関誌「労働社会」09年10月号掲載の論文「クイック・サービス運転士労組組織化事例」の翻訳を、今号と次号に分けて掲載する。訳者は、日韓民主労働者連帯代表の中村猛さん。(編集委員会)

はじめに

クイック・サービスは一定の地点と地点を連結する線の役割をする。すなわち、「物(load、点)と物(load、点)を連結(link)」という伝達者(messenger、メッセンジャー)の役割だ。このようなクイック・サービスが我が国に最初に導入されたのは1990年代の初めで、クイック・サービス業の主要な作業手段はバイク(二輪車)だ。しかし我が国とは違い、他の国クイック・サービスは主に自転車を利用した宅配サービス業の形態で発達している。我が国でクイック・サービスを含む小型宅配サービス業の場合、この10年余りの間に約5倍以上に増加した(1993年866社→2005年4030社)。このような流れの中でクイック・サービス業者の数と従事者の数が増加し、様々な問題点(該当部門の規制強化の問題、従事者の待遇問題など)が提起されている。

注)クイック・サービス分野の主な問題としては、△法制度化問題(許可制、市・道別認証制、共同集配送制、標準料率制など)、△交通事故時の補償問題(労災保険への加入など)、△一方的な契約慣行の問題(書面による契約書作成問題と交付の問題)、△高い斡旋料の策定問題(斡旋料の引き下げ)、△二輪車に不利な道路交通体系(規制緩和)、△休憩場所の不在、などを挙げることができる。この様な事案の殆どは該当業種の関連法制度の制・改定をしなければならないが、これは市場の規制の問題と関連している。一方、クイックサービス従事者(運転士あるいはライダー)は他の運送や建設部門の従事者と同じく、運送料の問題(標準料率制と斡旋費/手数料)と労災保険の適用問題を最も大きな解決課題と認識している。


このような問題点を解決するために、クイック・サービス運転士は自らの問題を解決するための様々な集まり(オンライン、オフライン)を作った。クイック・サービス運転士はこの集まりを通して、当該従事者の劣悪な待遇(週当り労働時間61・3時間、月平均所得149万ウォン)を改善することを主張し、そのためには彼らの声を代弁できる公式的な組織を結成する必要性を共感することになった。結局2006年11月、クイック・サービス運転士の公式的な集まりが作られた。これが労組結成の契機であった。このような状況から、この文章はクイック・サービス労働者の組織化過程の検討を通して、今後効果的で実現可能な組織化対策を探索する方向から見たものである。

組織化の過程

クイック・サービス運転士の組織
クイック・サービス労働者は他の建設や貨物運送の労働者(レミコン、貨物、ダンプなど)とは違って、労組結成以前(2007年)からオンライン・コミュニティーが形成されており、労組活動の主導者はこのコミュニティーの会員たちだった。一方、クイック・サービスの使用者団体としては「韓国二輪特送協会」(1999年設立)があるが、すべての使用者が加入しているものでもない。また該当業種の使用者に対して拘束力を持っているというわけでもなく、圧力団体として法制度的な改善活動もしていないという状況である。
2007年現在、クイック・サービス労働者(ライダー・運転士)が主に加入しているオンライン・コミュニティは、インターネット・ポータルサイトのダウム(daum)に3つ開設されている。これらの集りのうち一番最初に作られた集りは「クイックライダー連帯」で、クイック・サービス運転士が2001年5月にカフェを開設して運営しており、会員数は6208人(2007年1月3685人)である。クイックライダー連帯に加入した会員(運転士)は、初期の労働組合結成時の主要な構成員だった。次に「クイック・クイック・サービス」は2004年6月に開設されたもので、2007年当時だけで言っても、クイックライダー連帯と共に最も多くの会員(2007年1月3730人、現在3236人)を保有してはいるが、労働組合に対する関心はない。最後に「クィックサービス人権運動本部」は3組織の中で最も遅く開設されたが(2005年12月)、クイック・サービス従事者の待遇改善や実態を対外的に最も幅広く知らせることに主要な役割を果たした集りである。2007年当時、この集りの会員は361人に過ぎなかったが、2009年現在は1547人で、3倍程に増加した。もちろん、これらの中の相当数は、クイックライダー連帯とクイック・クイック・サービスにも加入している会員たちである。ただし、この集りは他の二つの集りと違い、使用者(事業体名「メッセンジャー」)が開設して運営したという点が特異である。

労組組織化過程
会の勃興時期(2003年〜2006年上半期)

クイック・サービス労働者の集団的な動きは、インターネット・ポータルサイトのダウム(daum)に「クイックライダー連帯」(2001年開設)というオンラインの集り(カフェ)が作られたのが契機になった。クイック・サービス労組の幹部の話によれば、「オンラインの集りが開設された2年後の2003年には、加入会員の一部が労組結成のために民主労総の貨物連帯を訪ねて行ったが、当時の貨物連帯労組の内部事情と、その他の運送業との事業重複の問題などの理由で、労組加入を受け付けなかった」と言う。その後クイックライダー連帯の会員たちは民主労働党にも訪ねて行き、民主労働党議員室(ノ・フェチャン議員)にも連絡した。しかしこの時も主要なイシューはクイック・サービス労働者関連の法制度的な改善であり、労組の組織化に繋げることはできなかった。

注)この様な動きとは別に2004年にクイックライダー連帯会議の中の一部が民主労総(サービス連盟)を訪ねて労組結成を試みたが、当時の該当主体の内部問題によって労組結成をあきらめた。


このような状況で2005年夏、クイックライダー連帯の会員たちの一部が、従事員の待遇改善のための集りを作った。当時、クイックライダー連帯の会員たちの初めての集会(YMCA前)には、10人程のクイック・サービス運転士が参加し、今後定期的(月1回)に集りを持つことを決めた。その当時の集りでは、クイック・サービス労働者の集りを知らせる広報手段(ヘルメットに付着するステッカー)を製作する議論をし、民主労総の組織室とも連結して労組結成に対する動きが見え始めた。しかし、一定部分でこのような成果はあったが内部の動きは大きくは見られず、その他のクイック・サービス運転士の反応もない状況によって、該当の集りは持続的に続けることができなかった。
クイック・サービス労働者の自主的な集りがハッキリした成果を上げることができない状況で2005年12月、クイック・サービス使用者(クィックサービス業者の代表)が開設したオンライン・コミュニティー(クィックサービス人権運動本部)が作られた。このコミュニティー(カフェ)を通じてクイック・サービス労働者の待遇改善に関する声がメディアに提起され、2006年1月14日、大学路でクイック・サービス運転士らが大規模に参加した初めての集会(「クイック・サービス従事者生存権保障要求大会」、約50人余りが出席)が行われた。もちろんこの集会にはクイックライダー連帯の会員の一部も参加したが、当時労組結成を主導した会員たちは、使用者と労働者の間のアイデンティティーの違いについての認識のために、ほとんど参加しなかった。
いずれにしてもクィックサービス人権運動本部の大学路での集会以後、クイック・サービス従事者の問題がメディアに報道され、クイック・サービス運転士自らも彼らの劣悪な待遇の問題などについて自覚する契機になった。実際にクィックサービス人権運動本部が中心になった当日の集会は、その後クイックライダー連帯の会員たちに多くの影響を与え、またこれまでに労組結成のために活動した様々な主導者が再び結合する契機になった。一方、この時期は特殊雇用職の問題が労使関係の主要な争点・懸案として浮上した状況であり、これはクイック・サービス主導者の集りに肯定的に作用した。 【次号に続く】

5面

朝鮮学校無償化 即時適用せよ 東西で行動

1200人が都心デモ 東京

6月27日、東京・芝公園で、高校無償化の朝鮮学校への即時適用を要求する集会・デモが開催されました。朝鮮学校だけを高校無償化の対象からはずすという差別政策への大きな怒りの声と、今こそ日本人の人権感覚が問われているのだという熱気にあふれた行動でした。(名称「朝鮮学校差別を許さない!『高校無償化』即時適用を求める市民行動」、主催「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」)

朝高生が大挙参加
集会には千人をこえる人が集まりました。若い人の多いこと。それもそのはず、350人、つまり3分の1が朝鮮学校の生徒なのです。ハングル文字のTシャツがあり、そこかしこで朝鮮語の会話があり・・・。在日の人たちが中心の集会であったことは間違いありません。
東京朝鮮中高級学校の生徒代表からは、無償化を求める署名運動を始めるとともに、日本の高校生と対話集会をもっているとの報告もあり、当事者から力強い反撃がはじまっていることを実感しました。
無償化から排除された朝鮮高校は、全国に10校で、そこに通う生徒は約2千人。多くの生徒が枠外に取り残されています。
また無償化の問題以前に、朝鮮学校にたいし、学校への寄付金にかんする税制上の差別もあり、日本弁護士連合会や国連の委員会から、くり返し是正勧告が出されています。今回、さらに差別が積み重ねられたわけです。許してはいけません。

日本人が連帯の輪
賛同団体は、140をこえました。これは3月の緊急集会の2倍以上の数で、運動は大きく拡大しています。
デモ行進ではさらに参加者が増えて、1200人に。長い隊列が、2時間にわたって、東京中心部を行進しました。
おりしも、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が在日の人たちにたいして、暴力行動をエスカレートさせている状況の中ですが、この日の行動の主体はまぎれもなく在日の人たち。当事者の決起に日本人が連帯して、大きな輪を作った行動でした。
その「在特会」は、デモコースの途中の小さな広場にたむろして口汚くがなりたてていましたが、その数わずか数十人。その眼前を、「排外主義にハンタイ!」「日本人は生徒と連帯するぞ!」とシュプレヒコールをあげるデモ隊が延々と続いたのです。差別・排外主義者を圧倒した行動でした。(投稿 GD)

たたかう勢力が結集 京都

「朝鮮学校にも『高校無償化』制度の適用を!7・11京滋集会」は、京都テルサを会場に、200人の参加でおこなわれた。呼びかけ団体は、朝鮮学校を支える会・京滋、にっこりネット、日朝友好学生の会@京都の3団体で、主催は実行委員会の形式。京都のたたかう勢力がほぼすべて結集した。

4万3千筆超の署名
今年4月から施行された「高校無償化」制度において、政府・文科省は、朝鮮学校についてのみ除外し、検討委員会をつくって別途判断するとしている。検討委員会の進め方や、委員が誰かも公表していない。8月末頃には判断されると予想され、重要な攻防局面である。そういう中での集会だった。
朝鮮学校にも高校無償化制度の適用をもとめる全国50万署名運動では、50万筆をこえる署名が集まっている。京都では、目標の3万5千筆にたいし、4万3千筆をこえる署名が集まった。署名の提出と文科省への要請行動のため、上京するオモニ会へのカンパが会場で集められた。

国連や日弁連も動き
基調講演は江頭節子弁護士。授業料無償化法案から朝鮮学校を除外するように提案している一部政治家のアプローチが、子どもたちの教育に差別的な影響を与える行為として、国連人種差別撤廃委員会が3月16日、懸念を表明し、教育の機会を差別なく与えるよう日本政府に勧告した。また、右から左までいてフットワークの重い日弁連ですら3月5日、朝鮮学校が不当に排除されることのないように強くもとめる声明を出していると報告。
集会は、「日朝友好学生の会」の学生が、司会や閉会挨拶を担い、またリレートークでは詩人の河津聖恵さん、滋賀サンタナ学園のナカタ校長、排外主義とたたかうネットワーク関西、朝鮮高校生のビデオでの発言など、多彩さと若かさで盛りあがった。

本の紹介 『ペリリュー・沖縄戦記』
戦場の残酷さ告発する記録

著者ユージン・B・スレッジは、第二次大戦中、米海兵隊の一兵卒として、パラオ諸島・ペリリュー島の攻略戦と沖縄戦に参加した。本書は、その戦場の記録だ。
著者は、兵士たちに浴びせられる砲弾を、「人間の人間に加える残虐行為の最たるもの」と、その恐怖を生々しく語る。また長期間の戦闘の中で、「良識ある人間」であった兵士たちが、「信じられないほど残忍な行動をとれるようになる」ありさまを、冷静な筆致で綴っていく。

人間的な心が麻痺

こうしたペリリュー島の戦闘によって著者は、「他者のために深く感じる者こそ、戦争にあって最も苦しむものだ」ということを思い知らされる。「二匹のサソリが瓶に入れられたようのなものだった」というペリリュー島での戦闘で、米軍が勝利できたのは、「(米軍が)真に優秀なアメリカ兵の集団」であったからだと振り返る。
「優秀なアメリカ兵」を作り上げるために、新兵訓練所(ブートキャンプ)では、兵士たちの人間的な心を麻痺させる訓練がくり返しおこなわれる。著者は、その訓練の意味を、戦場の経験を通してはじめて知る。

住民虐殺には無感覚

気になるのは、戦場の凄惨さを告発してやまない著者が、日本軍の砲火をはるかに上回る「鉄の暴風」を、無防備の沖縄の住民に浴びせかけたことにたいして、後ろめたさがないことだ。同じように広島・長崎への原爆投下は、“本土決戦の恐怖からの解放”としか受け止めていない。
そのことは、本書の結末で著者が「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である。戦闘はそれを耐えることを余儀なくされた人間にぬぐいがたい傷跡を残す」と断罪しながらも、「住むに値するよい国ならば、その国を守るために戦う価値がある」という一見矛盾するような結論に落ち着いてしまうことと無縁ではないだろう。

トム・ハンクス

本書を原作として米国で制作されたTVドラマシリーズは、さまざまなな面で話題を呼んだようだ。映画監督のスティーヴン・スピルバーグや、俳優のトム・ハンクスなど、そうそうたるメンバーが制作陣に加わっていることもさることながら、そのトム・ハンクスのこのドラマにかんする発言が、米国内で保守派の憤激を呼び起こした。
米ABCニュースによれば、トム・ハンクスの発言は以下のようだ。
「第2次大戦において、私たちは日本人を異教徒の“黄色いつり目野郎”と見なしていた。日本人は私たちをその生き方の違いを理由に殺そうとしていたし、私たちもまた、同じ理由で日本人を皆殺しにしようとした。これと同じことが、今日もくり返されているのではないか?」
もともとトム・ハンクスは、『プライベート・ライアン』や『アポロ13』など、愛国心を鼓舞する映画に主演していた。その彼が、イラクやアフガニスタンで米国がおこなっている「テロとの戦争を人種差別にもとづく戦争だと非難した」。このことが、保守派をいたく傷つけた。
このトム・ハンクスの発言をどう評価するか。それは読者の判断にゆだねたい。(TB)

『ペリリュー・沖縄戦記』
 ユージン・B・スレッジ著
 伊藤真/曽田和子訳
 講談社学術文庫 08年刊

6面

8・6ヒロシマ―平和の夕べ― 発言者の紹介

今年も8月6日の広島で、核戦争の危機と立ち向かう企画がおこなわれる。「8・6ヒロシマ―平和の夕べ―」(主催 平和の夕べ〈反戦・平和研究集会〉実行委員会)。ここで講演・発言される方々を紹介する。〔要項1面 編集委員会〕

平和講演 ―高史明(コ サミョン)さん

高さんは、その著作の中で、朝鮮と日本の歴史、戦争と核について語っている。近代から現代へ、一方で、人間の理性と知性、科学と技術の発展がありながら、他方で、人間主体の否定と喪失がどんどん進行していく歴史を告発し、その矛盾が極限化した現代の危機に、われわれを向き合わせる。

近代への告発
「朝鮮が日本の植民地になったのは1910年。わが家の恐ろしい不幸は、このときに起因するだろう。しかし、その発端は・・・(ヨーロッパ列強がアジアに進出した)明治維新の前からだった。遅れた日本の開国、近代化。近代を拓いた合理的理性を、闇と呼ぶのは戯言でありましょうか」(『高史明親鸞論集1』)。開明的な装いで登場した近代。しかし、それは、列強による侵略と植民地支配という闇を刻印されていると告発する。
「韓国併合に踏み切ったとき、日本の第二次大戦への突入は、すでに避けられないものになっていたといえましょう。そして、敗北した」(『高史明の言葉―いのちは自分のものではない』)。
ヒロシマ・ナガサキにいたるおびただしい犠牲の歴史。どうしてここに至ったのか。それを、明治以来の日本の侵略と植民地支配の歴史に見る必要がある。日本人民がこれにどう向き合い、どういう態度をとったのか、これからどういう態度をとるのかを問うている。

近代から現代へ―深まる闇
「ゴヤの《五月の三日》とピカソの《朝鮮の虐殺》―。この二つの絵は、時を超えて、人間の業をまったく同じ構図のもとに描いていたのです。ゴヤの《五月の三日》が現代の幕開けを象徴しているとするなら、ピカソはその闇が深まる行く手を凝視している」(『高史明の言葉―いのちは自分のものではない』)。
ナポレオン軍の侵攻にスペイン人民が蜂起。蜂起した人民をナポレオン軍が虐殺する様子を描いたゴヤの《五月の三日》。朝鮮戦争での米軍による朝鮮人民の虐殺を描いたピカソの《朝鮮の虐殺》。高さんはこの二つの絵を比較する。「虐殺する者と虐殺される者―、ゴヤの銃殺隊は、顔こそないもののなお、どこか人間らしさが残されていました。・・・しかし、ピカソの《虐殺》の銃殺隊には、もはや人間らしさは微塵も残されていませんでした。まさに全身が鋼鉄のロボットそのものです」(同前)と。高さんは、ゴヤの絵に近代の終末を、ピカソに現代の闇を見る。

現代の闇
「(原爆の父・オッペンハイマーは)人類初の核実験に成功したとき、《物理学者たちは罪を知ってしまった。―それはもう、失うことのできない知識である》という嘆きをもらしたと言います。そして、原爆がさらに、その千倍もの威力をもつ核融合爆弾の製造計画にまで進められることになったとき、それを拒否したのでした。すると、自由の国アメリカが、それまでの彼への賞賛を一転させて、いっきに弾劾へと走ったと言います。人間の理性に潜む闇は、まことに深いと言うほかありません」(『現代によみがえる歎異抄』)
高さんは、人間が、理性と知性の粋を結集して、科学技術を発展させ、そうすることで、深く自然に迫りながら、逆に真実の自然を見失うことになっている―核時代の現代の闇を指摘している。

高史明(コ サミョン)
1932年、下関の在日朝鮮人の集落で生まれた在日2世。本名は金天三(キムチョンサム)。軍国主義と民族差別の中、貧困、暴力、孤独を生きる。喧嘩に明け暮れ、少年刑務所にも。17歳で上京、様々な日雇い労働を遍歴。共産党に入る。朝鮮戦争下の山村工作隊で活動。しかし六全協を前に共産党と決別。
71年、長編小説『夜がときの歩みを暗くするとき』(筑摩書房)で作家デビュー。自身の生い立ちをつづった『生きることの意味―ある少年のおいたち』(74年、筑摩書房)。岡百合子さんとの間の一人息子・真史くんが12歳で自死。その悲しみを契機に親鸞に帰依。岡百合子さんとともに、遺稿詩集『ぼくは12歳・岡真史詩集』(74年、筑摩書房)。構想以来30年の歳月をかけ、在日としての生き様を語った『闇を喰む〈1〉海の墓』『同〈2〉焦土』(04年、角川書店)。
08年、NHK・ETV特集に出演、爆笑問題の太田光と対談し話題に。未来への不安、無力感、喪失感とたたかう21世紀の若者に、現代世界の闇と向き合いながら、やさしく語りかける。
近著に、『高史明の言葉―いのちは自分のものではない』(10年4月、求龍堂)、『月愛三昧―親鸞に聞く』(6月、大月書店)。



被爆体験を語る ―池田精子さん

(09年7月26日 広島市内)

池田精子さん(広島県被団協副理事長)は1932年生まれ。高等女学校1年生だった12歳のとき、爆心から1・5キロの鶴見町で家屋疎開作業中に被爆。重傷を負ったが、かろうじて郊外の自宅に連れもどされた。

今も終わってない
「原爆は熱線、爆風、放射線。この一つとっても恐ろしい。熱線は爆発時、爆心は数百万度。原爆ドーム付近の地表で3千〜5千度と言われる。爆風は440メートル。そして放射線は自然界にある1万7千倍。焼けただれ、内臓が飛び出した人、人、人。ようやく逃げる途中、比治山の上から見ると、広島の街がなくなっていた。薬も何もない。40度の高熱。膿、膿。1か月生死の境を苦しんだ。友だちの一人は無事帰ってきて喜んでいたが、髪が抜け身体中に斑点ができ、亡くなった。顔のケロイド・・・その後もどこかが痛むたびに癌ではないか、白血病ではないかという恐怖と生きてきた。私のお話は氷山の一角かも。でも60数年たったいまも、終わっていないのです」と、広島を訪れた中学生たちに話つづける。

命の限り核廃絶・戦争反対
池田さんは、アジア侵略の歴史とヒロシマをひとつの問題としてとらえる。
「軍国少女で日の丸を振って出征の兵隊さんを送ったが、あとで分かった。私たちがアジアの人たちを苦しめていたことが。本土は空襲をうけ、広島・長崎には原爆。沖縄は地上の戦争で多くの人が犠牲になった。生かされてきた私は、命の限り、利害を超えて核廃絶と戦争反対を訴えます」。
(証言録から引用・要旨。文責・編集委員会)

沖縄から ―知花昌一さん

(4月25日 沖縄・読谷村)

知花昌一さんは、1948年、沖縄・読谷村生まれ。現在、読谷村議会議員。読谷は、45年4月、沖縄戦で、米軍が上陸した地点。知花さんの祖父は、その米軍に殺されている。
知花さんは、沖縄大学に在学時代、学生自治会長として、「本土復帰」闘争に参加。反戦地主。87年、戦後初の天皇沖縄訪問と「日の丸」強制に抗議し、沖縄国体会場で、「日の丸」を引き下ろし、焼き捨て、いちやく有名に。
沖縄戦における集団自決の調査など、平和運動にとりくむ。
96年4月、米軍の使用期限切れを迎えた楚辺通信所(通称、象のオリ)内にある所有地に、土地の返還と立ち入りを求めて運動を起こす。06年に、この土地を奪還した。

8・7被爆電車/平和学習

被爆電車 ―米澤鐵志さん

米澤さんは11歳のとき広島で被爆した。爆心地から700メートルの八丁堀付近で、満員の路面電車に乗っているときだった。
「母といっしょに閃光と爆風を浴びた。目にした惨状は忘れられない」。
戦後、反戦・反核、被爆者運動に邁進。「生きている限り、原爆と戦争責任を語りつづける」と、小中高校生に被爆体験を語りついでいる。

消えた町 ―福島和男さん

現在、平和記念公園になっているところは、被爆前は中島町という広島有数の繁華街だった。しかし爆心地にあたり、町並みは一瞬にして消え、中島町は全滅した。
福島さんの家は、中島本町にあった。中学2年生だった福島さんは、その日、早朝から己斐(広島市西部)の工場に動員されていたが、家にいた家族6人は全滅。
福島さんは、毎年、平和公園でおこなわれている会社の花見には一度もいったことがなかった。70歳をすぎてから、「一人でも多くの人に戦争の恐ろしさ、愚かしさを知ってほしい」と、話しはじめた。
07年8月6日、『平和公園の下に幻の中島界隈、家族を探して』を自費出版。幻の町の様子をCGで復元した映画が今年、完成する。資料、証言に協力した。