未来・第60号


            未来第60号目次(2010年7月6日発行12日掲載)

 1面  「消費税10%」に断を!

     沖縄米軍基地
     日米合意 撤回せよ

     6・28三里塚 団結街道の封鎖弾劾

     参議院選挙(7月11日投票)の方針

 2面  想いを声に、声を行動に
     普天間飛行場の辺野古移設に反対する
     関西沖縄県人会・郷友会の集い 8月1日

     弾劾声明 三里塚柴山連合空港反対同盟

     解説 消費税増税論のまやかし

 3面  沖縄9万人集会につづき 三里塚に万余の結集を

     追悼 鈴木幸司さん
     三里塚でつかんだ思い胸に
     京都大学熊野寮生OB有志

 4面  中国ホンダ ストで操業が完全ストップ
     「世界の工場」ゆるがす

     映像と講演 加害の歴史を直視して

 5面  許すな民族差別! 声あげ行動を
     朝鮮学校の無償化で緊急集会 大阪

     2010年 ヒロシマ案内

     夏期カンパをお願いします

 6面  対談 被爆65周年 ヒロシマの継承をめぐって
     河野美代子さん × 中村周六さん

       

「消費税10%」に断を!

菅首相は、所信表明演説(6月11日)で財政再建を最重要課題とし、参議院選の街頭演説で「消費税10%」とうち出した。普天間基地問題と政治資金問題を争点から消し、消費税アップの大合唱が選挙戦をとおして響きわたる事態となっている。

増税の既定路線化

選挙の渦中に消費税増税をうちだした菅首相のねらいは、自民党の消費税10%案に乗れば、89年や97年のように、消費税を押し出した与党が大幅に議席を減らすことになった轍を踏まずに済むのではないか、という読みだ。さらに、民主、自民の二大政党が消費税大幅アップを選挙戦の公約に掲げれば、自動的に国民の多数が消費税アップを承認したことになる、というものだ。
これは、昨年夏の衆院選で「4年間は消費増税をしない」とした公約を破棄するもの。国民をペテンにかけたに等しい暴挙だ。国民的な議論をさせずに一方的な増税キャンペーンをふりまき、既定路線化させてしまおうとする策謀だ。

生活破壊の大増税阻止

逆進的性格をもつ消費税増税は、日帝の財政危機を、労働者人民に転嫁してのりきりをはかる攻撃だ。格差社会のもとで、労働者人民の生活を破壊しつくす暴挙だ。
労働者人民の怒りは甘くない。内閣支持率は下落、消費税引き上げに言及したことを「評価しない」が「評価する」を大きく上回る(朝日新聞、6月21日)。大増税阻止のたたかいを切り開こう。生活防衛と沖縄の米軍基地撤去のたたかいの先頭に立つ候補を当選させよう。〔関連記事2面〕

沖縄米軍基地
日米合意 撤回せよ

つい一カ月前まで、中央マスメディアは連日、普天間基地問題を取り上げていた。ところが、鳩山退陣、菅政権発足から参院選に突入すると同時に、本土では沖縄基地問題の報道が消えた。沖縄県民が拒否しており、まだ何も解決していないにもかかわらず。
政府もマスメディアも、沖縄の怒りから目をそらしている。このような姿に、沖縄県民はますます不信と怒りを強めている。
6月23日「慰霊の日」、菅首相は、「感謝」発言で、沖縄県民から怒声を浴びた。

高江・名護・普天間

沖縄での攻防は不屈にたたかわれている。
◇高江ヘリパッド
東村高江のヘリパッド建設工事再開がねらわれている。高江ヘリパッドは、辺野古新基地建設と一体で、沖縄島北部をMV22オスプレイの拠点にしようとするもの。連日、多くの人が警戒監視行動に立ちあがっている。
◇アセス不許可
沖縄防衛局が、辺野古沿岸の現況調査許可申請を、県と名護市に提出。新基地建設のためだ。
沖縄県の仲井真知事は「止める理由がない」と6月3日に許可。しかし名護市の稲嶺市長は6月定例議会で「移設施設が前提ならば、協力できない」と不許可を表明。
◇普天間で国を提訴
普天間基地をかかえる宜野湾市の伊波市長は、普天間基地をアメリカに提供すると定めた合意の無効確認と、基地のため行政運営に過剰な費用がかかることへの損害賠償を求めて、憲法訴訟をおこすと表明した(2日)。

本土の問題

政府は、辺野古を明記した日米合意にあくまでも固執し、「8月までに工法を決める」としている。どうあがいても沖縄の怒りから逃がれることはできない。参院選から9月名護市議選、11月沖縄県知事選で、追いつめられるのは政府だ。
沖縄問題は本土の問題だ。沖縄県民が突きつけているのはこのことだ。本土で、沖縄に連帯してたたかう候補を国会に送ろう。沖縄に連帯する大闘争を実現しよう。〔関連記事2面〕

6・28三里塚 団結街道の封鎖弾劾

全国集会翌日の封鎖強行にたいし、急きょ抗議集会。団結街道を遮断する鉄板と対峙する(6月28日 成田市内)記事3面

6・27全国集会には485人が集まった(成田市内) 記事3面

参議院選挙(7月11日投票)の方針

@選挙区はこの候補者に投票を

東京選挙区
森原 秀樹(もりはら ひでき)
  衆院議員政策担当秘書、
  反差別国際運動事務局長(元)

大阪選挙区
大川 朗子(おおかわ あきこ)
  司法書士、
  全日空客室乗務員(元)

沖縄選挙区
山城 博治(やましろ ひろじ)
  沖縄平和運動センター事務局長、
  自治労沖縄県本部副委員長(元)

A比例代表は「原和美」に投票を

(比例代表は全国がひとつの選挙区。どこからでも投票できます)

原 和美(はら かずみ)
  戦争への道を許さない・兵庫おん
  なたちのネットワーク代表、
  神戸市議(元)

■投票方法
参議院選挙では、有権者は、@選挙区選挙とA比例代表選挙の2枚を投票します。それぞれの候補者を確認して投票してください。

■期日前投票
期日前投票はすでにはじまっています。投票日前日の7月10日まで。市役所・区役所・町村役場・出張所などに設置される「期日前投票所」で投票できます。基本的に午前8時30分から午後8時まで。

2面

想いを声に、声を行動に
普天間飛行場の辺野古移設に反対する
関西沖縄県人会・郷友会の集い 8月1日

共催:大阪沖縄県人会連合会/沖縄県人会兵庫県本部/京都沖縄県人会/奈良沖縄県人会/近畿八重山郷友会/関西宮古郷友会/関西今帰仁村人会/関西地区読谷郷友会

〔関西の沖縄県人会・郷友会が、共同して、5・28「日米共同声明」を撤回させるための行動を呼びかけている。この画期的な呼びかけにこたえ、多くの皆さんの参加を訴える。公表された要項を掲載する〕


集いの趣旨
関西各府県の沖縄県人会代表は6月1日、大阪・大正区に集まり、「日米共同声明」を撤回させるため、ふるさとの同胞と行動を共にすることを誓いました。
鳩山前首相は公約を守らず、「普天間基地を辺野古に移す」決定をして辞任しました。
彼の8ヶ月に及ぶ迷走と公約違反に対して、沖縄現地の怒りと闘いがマスコミを通して報道され、戦後65年にして初めて沖縄の基地問題が国民的課題になりました。
基地のない平和なふるさと再建に向けた希望の光が差しています。
私たち関西在住のウチナンチュは、ふるさとの喜怒哀楽を受け止め、「孫子の代までふるさとに基地を残さない」という決意の下、関西の集いを呼びかけます。
「復帰闘争」で鍛えた関西のウチナンチュが、沖縄差別を許さず、今一度、渾身の力を振り絞って行動する時がやってきたのです。
関西在住のウチナンチュ、沖縄大好きなヤマトンチュの参加を呼びかけます。

◆プログラム
・琉舞:金城康子琉舞道場
・司会:大阪沖縄県人会連合会事務局長 名幸祥夫
・主催者挨拶:大阪沖縄県人会連合会会長 嘉手川重義
・講演・沖縄からの現地報告:
 新里米吉(沖縄県議会議員4・25大会実行委員会事務局長)
・決意表明:
 沖縄県人会兵庫県本部青年部長 宮城亜輻
 京都沖縄県人会会長 大湾宗則
 近畿八重山郷友会会長 東民雄
・エイサー演舞:関西ガジュマルの会
・閉会の辞:奈良県沖縄県人会会長 宮城静夫

◆とき:8月1日(日) 午後1時受付 2時開演
◆ところ:大阪市大正区 区民ホール(大正区役所内)
      〔大阪環状線大正駅下車→市バス→大正区役所前下車〕

9万人が集まった沖縄県民大会(4月25日 読谷村)

弾劾声明
三里塚芝山連合空港反対同盟

6月28日未明、成田空港株式会社は団結街道の閉鎖を強行した。昨日(30日)、国土交通省は第3誘導路建設を認可した。市東孝雄氏の5・17不当逮捕に始まる一連の事態は、天神峰地区に対する襲撃と言うべき暴挙であって、そこには憲法も人権も一切認められない。反対同盟は怒りを込めて弾劾し、敢然と闘う決意を表明する。
いったいいかなる権限のもとに、団結街道を廃止できるのか。団結街道は明治からの里道であり、今も一日150台を超える車両が通行する。市東孝雄さんにとっては他に代えられない耕作用道路である。反対同盟の本部建物である天神峰現闘本部に通じる唯一の道である。
この公道を、地権者や関係人の承諾なく、最低限の行政手続きを踏み破って、一坪わずか9420円という破格の値段で談合し売買する成田市と空港会社に怒りがこみ上げる。
夜も明けやらぬ午前3時に人目を盗み、ガードマンと機動隊を盾にして封鎖を強行したことの中に、その不正義が明らかだ。反対同盟は、本日、通行妨害禁止の仮処分を千葉地裁に申し立て、反撃した。
第3誘導路計画は空港破たんの象徴である。その認可は、無責任な官僚政治の最たるものだ。急坂・急カーブの1本目の誘導路、東峰の森を伐採した2本目の誘導路を見よ! 構造的な欠陥を抱え、成田空港の死重となっている。その責任はあげて、農地を強制収用し農民を弾圧してきた空港会社と政府権力にある。
3本目の誘導路着工を断固として粉砕する。暫定滑走路を閉鎖に追い込み空港廃港へと前進する。
全国のみなさん!
三里塚闘争は、団結街道閉鎖と第3誘導路着工との攻防をもって、現闘本部を防衛し、市東さんの農地を守りぬく高原的な闘いに入りました。
菅政権の消費大増税、辺野古新基地建設、東アジア共同体構想に対して、三里塚は沖縄の怒りと固く結びつき、身体を張った実力闘争で闘い抜くことを決意します。7・23現闘本部裁判控訴審初弁論、7・26農地裁判に結集し闘うことを訴えます。
2010年7月1日

解説 消費税増税論のまやかし

「ギリシャになる」はウソ

財務省によれば、今年3月末で国の債務残高は882・9兆円に達し、「現状の新規国債の発行水準を継続すれば、数年のうちに債務残高はGDP比2百%をこえる」(所信表明、09年のGDPは525兆円強)。
しかし、ここには政府保障のない特殊法人への融資である財投債や、性格の異なる短期証券まで含まれている。加えて、外貨準備高などの政府保有債権と差し引きするべきものであり、そうすれば国の債務超過は300兆円程になる。
さらに日本の場合、国債発行残高の約95%が国内で消化され、巨額の経常黒字である点など、ギリシャやスペインとは事情が大きく異なっている。これらは、日本政府がIMFやG20の場での弁明に使ってきたものだが、国民の前には出さず、財務官僚が消費税増税を誘導しようとしているのだと言われている。
ギリシャにつづいて「日本国債の暴落は不可避」という論調は、消費税増税論を尻押しするものだ。

帝国主義間の死闘
しかし、日帝の財政危機は虚構なのではない。日本のような黒字大国が財政破綻に陥った事例がないというだけであって、帝国主義にとってまちがいなく危機だ。
ギリシャやスペインの破綻的危機は、米国格付け会社によって国債の信用が引き下げられたことで引き起こされた面がある。G8、G20での国際協調の演出の影で、準基軸通貨へのユーロの台頭にたいして、米帝が巻き返しをかけていた。
国債の国外流出分がわずかであっても、日帝が同様の攻撃を受ける可能性はある。それも米帝の意志しだいだ。日帝にとってこれほど恐ろしいことはない。
また、日帝にとってこれ以上の国債依存は不可能だ。だから、政治危機を覚悟してでも、増税策によって穴埋めしていく以外にない。

グローバル化こそ原因

政府やマスコミは、高齢化と社会保障費の増大が原因だとキャンペーンをしてきた。
しかし、真の原因と責任は、格差社会の極限化で国内消費を冷え込ませたまま、アジアに生産移転をつづけて収益を上げてきた資本にある。
企業収益や景況指数で見るかぎり世界恐慌危機から回復基調にあるにもかかわらず、雇用統計だけは、どこの帝国主義国も低位にとどまっている。このことに示されているとおり、グローバリズムこそがこの事態の背景なのだ。典型的な貿易立国型の帝国主義であるがゆえに、輸入デフレを引き金にして日帝経済だけがデフレ状態に落ち込み、財政構造が突出的に危機に陥っているのだ。

民主と経団連が一致
にもかかわらず、日本経団連は、財政再建のために、消費税増税と法人税の大幅引き下げをセットにして提唱した(07年9月)。その中で経団連は、国内の法人税(実効税率)が40%もあり、諸外国は25%(米国は35%)までのため、これでは競争にかてないと言っている。しかしこの説明には嘘がある。法人税は企業の利益にかかるのであって、国際競争力とは直接関係はない。
しかも、設備投資、研究開発等への控除制度で実態的な税率は、日本でも低く抑えられてきた。実際の負担が10数%から20数%という企業は多数ある。ソニー、パナソニックなど。さらに三菱東京UFJ、三井住友、みずほの3大メガバンクは、この10年以上、法人税は1円も払っていない。
経団連は、6月、消費税増税と法人税の大幅引き下げをセットにした要望を直嶋経産相に提出。その会談で、直嶋は「産業界と同じ意識を共有していく」と応対。菅も「企業がアジアで儲けた分を日本に持って帰ってもらうため(法人税減税を)」と述べている。菅政権は、むき出しのブルジョア政権に《脱皮》をとげたといえよう。

危機見ない共産党
「消費増税は法人税の大幅減税の穴埋めのためだ」という共産党の分析は一面的だ。資本の本音の一面を突いているとしても、日帝の財政の危機性を見ていない。
共産党は、国内経済の枠内での整合的な解決を求めている。しかし、グローバリズム下の帝国主義に、国内矛盾の激化を解決する策はないのだ。

3面

沖縄9万人集会につづき 三里塚に万余の結集を

鉄板で団結街道を遮断
午前3時 コソドロまがい 6・28

全国闘争の翌日、6月28日午前3時ごろ、警察と空港会社は、雨音と夜陰にまぎれ、コソドロのように、団結街道封鎖を強行した。
市東さん宅の端から2〜3mのところに、団結街道を遮断する形で、鉄板を張った。
市東さんが真っ先に工事に気づき、激しく抗議。かけつけた反対同盟・支援もつめよる。機動隊は手出しできず、ガードマンは目を伏せるばかりだ。
権力はさらに、市東さんの農地周辺にも鉄板を張ろうとしたが、先回りした反対同盟が阻止。結局、農地と空港用地との境に何本か杭をうち、杭にロープを結びつけることしかできなかった。

営農破壊と叩き出し
この封鎖によって、現闘本部の前には、誰も行けなくなった。現闘本部の存在を完全に隠してしまおうということだ。
市東さんは、自宅からわずか500mにある畑にいくために、わざわざ1800mも大回りさせられることになる。しかも、交通量の多い小見川県道を逆方向に一旦南下して行かなければならない。営農を困難にし、移転においこもうというのだ。

追いつめられた姿
9時半からの抗議集会では、鈴木謙太郎さんの司会、北原さん、市東さん、萩原進さんが発言。「コソドロまがいのやり方をする以外にないところに、敵のおいつめられた姿がある。徹底的にたたかいぬく」と怒りと闘志をたたきつけた。
攻防は、引き続き、第3誘導路着工をめぐる緊迫情勢下にある。
援農をはじめ、三里塚への大結集運動を組織し、敵の目論見を粉砕しよう。
(関東「障害者」解放委員会 小松和彦)


市東さんの決起にこたえ 全国から緊急に結集 6・27

デモに出発する反対同盟(6月27日 成田市内)

不当逮捕をものともせず「何度でもやりぬく」と決意表明する市東さん(右)と萩原富夫さん(6月27日 成田市内)

緊急闘争にもかかわらず485人が結集した。空港会社による看板設置を、怒りで粉砕した市東さんの5月17日の決起に、全国の仲間が心を揺さぶられているからだ。

鈴木さんを追悼
集会は、冒頭、6月12日に逝去された反対同盟本部役員の鈴木幸司さんに黙祷をささげた。
「生きている限りたたかわないと未来はない」と、生涯、空港反対闘争を非妥協でたたかいぬいた鈴木幸司さん。その鈴木さんに思いをはせた北原事務局長のあいさつで集会は始まった。
市東さんは、5・17決起を、「4月25日に沖縄(県民大会)に行って、9万人の勇気がああいうことをさせたのかもしれない。何度もやりぬくのでよろしく」と、今後のたたかいにかける決意を語った。
5月24日に不当逮捕された萩原富夫さんは、全国から寄せられた抗議や檄文などが、国家権力や空港会社をパニックに陥れたことを報告した。

第3誘導路着工阻止
基調提起を萩原進事務局次長が行なった。「文字どおり決戦。第3誘導路の認可・着工がいつくるかわからない。しかし今年前半は、やらせなかった。120%支援の力。今日このまま残って監視・援農の臨戦態勢にはいってほしい」「沖縄の万という数を、本土ではできていない。三里塚勢力が責任をもつべき。三里塚で実現しよう」「今年前半、勝利してきた力をさらに段階をあげて、敵が二度と立ちあがれないようなたたかいを、今年後半戦、もっと攻勢的にたたかおう」。
弁護団は、団結街道封鎖攻撃には、法廷闘争をふくめあらゆる手段を行使すると報告。
カンパアピールに立った婦人行動隊の鈴木加代子さんは、冒頭、義父・幸司さんの葬儀に際して、「たたかう仲間から線香をあげてもらうのが一番うれしかったと思う。ありがとう」と御礼のあいさつ。
動労千葉、関西実行委、部落解放同盟全国連、市東さんの農地取り上げに反対する会が次々に発言。鈴木謙太郎さんから「闘争宣言」が読み上げられた。
デモは、いつもの解散地点より先のゴルフ場前まで、団結街道すべてをあるききった。
沖縄の9万人集会を三里塚で実現しよう。普天間基地と成田空港を撤去させよう。(K)

【6月30日、国土交通省は、第3誘導路建設を認可した。一連の攻撃にたいして反対同盟が弾劾声明を発した。2面に掲載】

追悼 鈴木幸司さん
三里塚でつかんだ思い胸に
京都大学熊野寮生OB有志

02年3・31三里塚全国集会で

オギサク(鈴木幸司さんの屋号)、とうとういってしまわれたのですね。とても寂しく残念でなりません。
最後にお会いしたのは、4年前の東京の集会でした。10数年ぶりの再会で、固い握手を交わしたものの、オギサクが少し小さくなられたことを覚えています。
その後、具合が悪くなられたことを聞いて心配していました。加代子さんらご家族が、昼夜を問わず、農業と闘争と介護をされていたと聞いています。オギサクは、そうした支えを受け、自らも全力でたたかいの魂を守りとおしたのだと思います。本当にお疲れさまでした。心よりお悔やみ申し上げます。

寮あげて三里塚支援

私たちがオギサクとはじめてお会いしたのは、今から約30年前の1981年のことです。3月に動労千葉のジェットストライキがあり、京大からも支援にいきました。
その後、熊野寮をあげて三里塚にとり組もうという話になり、オギサクをお呼びして、寮で三里塚集会をもちました。
集会で、オギサクは、自分がシベリア抑留の帰還兵であることを告白され、生死をさまよい、やっとの思いで日本に帰ってきたことを話してくれました。そして、こんな戦争を起こしたのだから、天皇は責任をとって自決しているか、処刑されているに違いないと固く信じていたそうです。ところが日本に帰ってみると天皇は生きていた。このことにたいする怒りが、空港反対運動や反戦闘争の原点になっていたそうです。

援農に入って

この集会ののち、寮生は交代で、オギサクのところに援農にいくようになり、オギサクにも大学の集会にきていただき、現地闘争に学生が参加するようになりました。
援農といっても、都会育ちで農業などあまりしたことのない学生のすることですから、かえって、農作業の邪魔をしていただけかもしれません。それでもオギサクとお連れ合いのいとさんは、私たちを大歓迎してくれました。
三里塚のふかふかの大地にたち、飛びたつジェット機をにらみながら草をぬき、作業が終わって五右衛門風呂をいただき、オギサクとお酒を飲みながら反対運動の話をうかがったことは、忘れられないことです。
三里塚は、空港反対同盟の分裂や国家権力の執拗な弾圧、空港の強行着工という試練を経て50年近くたたかいつづけています。オギサクの部落も、空港反対派がどんどん切り崩され、反対派は、オギサク一軒になってしまったそうです。そういう中で農業と闘争をつづけることがどれだけ大変でしょうか。

忘れえぬ共感

戦争を経て、寝る間も惜しんで大地を耕し、そうしてようやくあの豊かな大地をつくり上げた矢先に、問答無用の空港建設。それにたいし、率直に反対したら、警察と機動隊から暴力的な弾圧を受ける。立木に体を縛りつけて抵抗したら、木とともに倒される。それでも体を張ってたたかいつづける。
このことに共感することは、もっとも基本的な人間的な感覚と思います。
一度でも三里塚のたたかいにかかわった人ならば、忘れることのできない感覚でしょう。全国の無数の人びとが、この思いを胸に、日々を生きていると思います。このことは、党派の違いや、考えた方や主義主張の小さな違いを吹き飛ばす強さと重さをもっているのではないでしょうか。

勝利の日まで

市東さん、萩原さんへの不当弾圧があり、やっと奪還した矢先のオギサクの訃報で、悔しいばかりですが、オギサクのことですから、きっと今頃、戸村さんや市東東市さんと酒を飲みながら作戦会議をして、地上の我々に檄文を書いていることでしょう。どうかオギサクいつまでも私たちを見守ってください。

4面

中国ホンダ ストで操業が完全ストップ
「世界の工場」ゆるがす

中国で、外資系企業に働く青年労働者の反乱が続発している。
中国の「改革・開放」経済を牽引してきた広東省など沿海部から始まった労働者の反乱は、中国全土に拡大し、中国にあるホンダやトヨタの組み立て工場が一時完全に操業ストップする事態になっている。

20日間ストで勝利

広東省仏山市にあるホンダの部品工場で働く青年労働者が、大幅賃上げと待遇改善を要求し、5月17日からストライキに突入した。
この工場では、中国のホンダ向け変速機の大部分を生産しているため、部品の調達が滞り、中国にあるホンダの4つの完成工場の操業が、26日夜から完全にストップした。
労働者は、会社側の悪辣な切り崩し攻撃や既成の労働組合=総工会の妨害や敵対をうち破って、職場労働者の団結を固く守り、20日間のストライキをうち抜き、6月5日500元の賃上げをかちとった。

労働法も適用されず

この工場では、1800人の従業員のうち、8割が技術学校に在席する実習生。彼らは「労働法」の適用からはずされ、賃金は広東省の最低賃金の月額1030元以下の900元(約1万2100円)で、社会保険もない。学校の募集では、住まいと食事を保証するとうたっているが、食事は一食分しか保証されず、光熱費は賃金から天引きされ、手取りはわずか700元(約9450円)しかない。
ちなみに700元というのは、都市部における最低限の生活を意味し、上海では750元以下の家庭に350元の生活保護費が支給されるという水準である。一年ほどの実習をおえて卒業証書を取得した後、初めて正社員になることができるが、正社員になったとしても手取り1000元程度にしかならない。
こうしてこの会社は、10億元以上の利益を上げている。このような状況にたいして、青年労働者の怒りが爆発したのだ。

労組の変革を要求

中国共産党指導下の労組=総工会の労働者支配をはねのけて、労働者は決起した。
職場から民主的に選出されたホンダ労働者の「ストライキ労働者代表団」が、総工会を弾劾している。「南海区総工会と獅山鎮総工会は、実習生に、ストライキをしないという承諾書へのサインを迫った。会社側が応じた賃上げは、ストライキに参加した労働者の強力な圧力によるもの。血と汗によって勝ち取ったもの。しかるに労働組合は、彼らの功績にしている。私たちは大いに憤慨している。工場内の労働組合は、現場労働者の選挙で選出されなければならない」(ストライキ労働者交渉代表団の公開書簡)。
このように、彼らは賃上げとともに労働組合の変革を要求している。
中国では、共産党の指導下にある総工会しか労組は認められていない。中国労働者のたたかいは、これまで共産党の一党独裁のもとで、総工会による妨害や敵対、暴力的支配の前に圧殺されてきた。ホンダ労働者が労働組合の変革をかかげて総工会の策動をうち破って決起したこと、しかも長期にわたって職場の労働者の団結をまもり勝利したことは大きな意味をもっている。

自らの利害こえて

さらに、「ストライキ労働者代表団」の公開書簡は、「私たちの権利のための闘争は、単にこの工場の労働者1800人の利益のためだけではない。私たちは、この国全体の労働者の権益にも関心をもっている。私たちは、労働者による権利のための闘争の良好な事例をうち立てたいと願っている」といっている。
彼らは、自らの個別利害の枠をこえて、同じ境遇にある全国の労働者の階級的利害をかけてストライキをたたかった。

全土に拡大

このホンダ労働者のたたかいが、インターネットなどをとおして中国全土に伝えられ、多くの支持と激励の声があがっている。同じ劣悪な労働条件にある青年労働者、農民工労働者が「彼らに続け」と決起している。
日本の商業新聞で報道されているだけでも、5月19日江蘇省蘇州で従業員の待遇めぐりデモ(米系電子部品メーカー)、28日北京の現代自動車の部品工場で1千人規模のスト、6月3日陜西省西安のブラザー工業の工場で9百人が賃上げスト、5日湖北省の国営紡績工場で年金問題などで4百人がスト、6日広東省恵州の韓国系電子部品工場で待遇改善求め2千人がスト、7日広東省仏山のホンダ系の上記とは別の部品工場で賃上げスト、9日広東州中山のホンダ系キー工場で賃上げを求め1千人がスト、10日蘇州の台湾系液晶パネル工場で賃上げスト、18日には天津のトヨタ部品工場で賃上げを求めスト、そのためトヨタの中国主力工場が停止した。21日にはデンソー製造拠点「電装広州南沙」でスト、トヨタの広州工場が操業を停止した。
中国の「改革・開放」は、膨大な農民工(出稼ぎ)労働者の犠牲の上に、「世界の工場」といわれる状況をつくり出してきた。
それをくい破る新たな地平のたたかいが、中国ではじまっている。中国社会の根底を覆す反乱の始まりである。
この中国労働者のたたかいに学ぼう。決起に連帯してたち上がろう。
(中国問題研究会)

映像と講演 加害の歴史を直視して

6月20日、港合同・田中機械ホールで、「大阪の海と空を戦争に使わせないために〜戦争の加害と被害の史実から学ぶ〜」と題する集会が開かれ、元総評港地区協議会議長の有元幹明さんが講演した。
74歳の有元さんは長年、大阪市港湾局で働いた後、ピース大阪の事務局長を務めた方。港区はいわば故郷だ。

重慶爆撃と大阪空襲

はじめに大阪大空襲の記録ビデオ「焦土と化した大阪」を上映。
アメリカから記録フィルムを大量に買いとってきて、20分に凝縮して編集した力作だ。導入部は、1938年の日本軍による中国・重慶爆撃の映像。
有元さんは、編集の主旨をこう述べた。「戦後日本の平和運動は、被害の立場からのもの。私はアジアの方から『何故日本は自分たちの被害から戦争を伝えるのか、なぜ私たちに何をやったのかを伝えないのか』と厳しい抗議を受けた。重慶爆撃は一般市民を攻撃対象にしたはじめての市街地無差別爆撃。これで戦法が変った。当時、米のトルーマン大統領は、『日本をやっつけるのはこの方法がいい』と言った。第二次大戦の惨状の原因を、日本が作ったことを明らかにしなければ戦争は伝わらない」。
そのあと焼け野原と化した大阪が、戦略爆撃機B29の飛行ルートに沿って、淡々と写しだされる。焦土の中にポツンと残った田中機械も見えた。映像は不気味な静けさをただよわせ、焼き殺されていった無数の民衆を想起させる。

「彰往察来」の追悼碑

講演に移り、演題は「歴史を直視すること」。
日本が第一次大戦で奪った南太平洋の島々を、米軍は次々と占領し、戦争しながらB29や1トン爆弾を開発していった話。
かんかんがくがくの議論の末に、日本ではじめて加害の歴史をつたえる平和資料館としてピース大阪をつくったこと。
自らの職域であった大阪港に千人もの中国人が強制連行され、多くの人が亡くなった事実を誰からも聞かされてこなかったことを知り、歴史をつたえなければと「彰往察来」(過去を明らかにして未来を察する)の追悼碑を建てたという。
用意されたレジュメは3日分の話。アジア各地を自身で歩いてたしかめた侵略の歴史、くめどもつきせぬ泉のごとく湧き出でてくるお話を、またぜひうかがいたい。
有元議長の後継者の現議長である港合同中村副委員長は、軍港化阻止のたたかいの歴史と核艦船入港差止め訴訟について訴えた。 (労働者通信員A)

5面

許すな民族差別! 声あげ行動を
朝鮮学校の無償化で緊急集会 大阪

6月18日、朝鮮学校への高校授業料無償化を求める緊急集会が700人の参加で開催された。あいにくの豪雨とJR環状線の不通という悪条件にもかかわらず、会場の北区民センターは、通路も歩けないほどの人であふれた。

悪天候のなか会場をうめた参加者。壇上は丹羽雅雄さん(6月18日 大阪市内)

いまだつづく植民地主義

主催者あいさつで、高校授業料の無償化は、子ども手当の高校版であり、学校への助成金とは違うのに、朝鮮学校だけを排除するのは許されないと批判。
講演にたった丹羽雅雄弁護士は、今回の措置にはいまだに続く植民地主義と冷戦構造が根底にあると指摘。高校授業料無償化が、「教育にかかる経済的負担の軽減を図り、教育の機会均等を目的とする」と掲げられていたにもかかわらず、拉致問題を口実に朝鮮学校除外の動きが進み、「北朝鮮は暴力団と同じ」という橋下知事の差別暴言にまでいたった経緯を報告した。
そして、1948年の朝鮮学校閉鎖令にたいする阪神教育闘争以来の朝鮮学校つぶしをはね返し、国籍条項を様々な分野で撤廃させてきた歴史を述べた。
さらに、国連においても朝鮮学校除外にたいして厳しい報告があげられていることを述べ、朝鮮学校除外は国際人権法違反であり、民族差別だと断罪した。

嫌がらせ以上に激励が

朝鮮学校で学ぶ学生は、ウリハッキョ(私たちの学校)という言葉を聞くと胸が詰まる、60年前に差別と偏見の中で苦労に苦労を重ねて作ってきたのが朝鮮学校だ、心ない嫌がらせもあるがそれ以上に激励がある、と述べた。
日本の学校につとめる在日朝鮮人の教員は、民族学校、民族学級が私を育ててくれたと力強く話した。
キリスト教団の牧師は、社会が不安定になるとマイノリティを差別することが歴史の中でくり返されてきたが、「声を上げて行動しよう」と訴えて集会をしめくくった。
集会後、豪雨をものともせず、大阪駅前までのデモをおこない、「高校授業料無償化から朝鮮学校を外すな」「橋下知事の差別暴言を糾弾する」というシュプレヒコールが夜空にこだました。

2010年 ヒロシマ 案内

8・6ヒロシマ −平和の夕べ−

とき      8月6日(金) 開場午後4時 開会4時半
ところ    広島YMCA・国際文化ホール
        (広島市中区八丁堀7-11、電話 082-227-6816)
平和講演 高史明〔コ・サミョン〕(作家)
司会    河野美代子(産婦人科医 被爆二世)
リレートーク
  池田精子(広島県被団協副理事長)
  知花昌一(沖縄・読谷村議員、反戦地主)
  岡田和樹(上関原発を考える広島20代の会呼びかけ人)
参加費   1000円
主催    平和の夕べ(反戦・平和研究集会)実行委員会
連絡先   広島市西区天満町 9‐8 白土ビル1F「百姓や」
        (電話)090-1338-1841
        (メール)heiwanoyuube@excite.co.jp


8・5 上関・祝島現地交流ツアー

とき   8月5日(木)午前7時45分 JR広島駅集合
主催  原水禁山口
※要申し込み


8・7〈平和学習〉被爆電車と「消え去った爆心の町・人」

とき   8月7日(土)
《スケジュール》
○午前10時半     広島駅正面(南口)噴水前集合
○11時〜11時半   被爆電車に乗車、米澤鐵志さんのお話。原爆ドーム前下車
○11時半〜12時   平和公園を案内(旧中島本町付近、福島和男さん)
  (昼食休憩)
○午後1時〜3時半  平和記念資料館(東館)地下会議室2
  「消え去った爆心の町・人」        福島和男さん
  「被爆電車で語る原爆と戦争責任」  米澤鐵志さん
主催   平和の夕べ(反戦・平和研究集会)実行委員会


7・24「原子力発電」という恐怖
講演 小林圭二さん(元京大原子炉実験所)

〔以下に、「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを」実行委員会の案内を掲載〕
1945年8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキに原爆が投下され今年で65年になります。私たちは「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを」をテーマに昨年から活動してきました。このたび、元京大原子炉実験所講師の小林圭二さんをお招きして講演会を企画しました。
原子力発電は環境にやさしいクリーンなエネルギーで地球温暖化防止や、電力の安定供給に役立っていると盛んに宣伝されています。でもそれは事実でしょうか?
原子力・核の専門家である小林圭二さんから学ぶ絶好の機会です。ぜひご参加ください。
とき     7月24日(土) 午後6時半〜
ところ   神戸市勤労会館4階 403号室〔JR三宮駅南を東へ徒歩3分〕
主催    「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを」実行委員会


夏期カンパをお願いします

夏期一時金支給時にあたり、特別カンパをお願いします。
昨年8月の政権交代と沖縄闘争の高揚は、日本階級闘争の新局面を切りひらいています。新自由主義のもとでの格差・貧困の拡大、福祉・農業・地方切り捨てへの歴史的反乱は、自民党支配を打倒しました。
しかし「普天間基地は最低でも県外移設」と公約していた鳩山首相は、辺野古新基地建設を明記した日米合意をむすんで、政権を投げ出しました。後継の菅政権は、5・28日米合意=辺野古案を堅持し、さらには消費税増税という大反動をすすめようとしています。
たたかいは日本全国に根強く広がっています。沖縄県民を先頭とする基地撤去のたたかいは、岩国や横須賀、三里塚のたたかいと結合しています。派遣法撤廃をめざすたたかいや労働運動、福祉切り捨てとのたたかいを、菅政権が踏みにじるなら、人民反乱はさけられないでしょう。
私たちに求められているのは、こうした民衆のたたかいを支え、ともにたたかい、勝利の道筋をしめすことです。
今夏・今秋過程は、8月末の辺野古新基地・工法決定、9月菅首相の訪米、11月オバマ来日、11月末沖縄知事選と、今春以上に激しい攻防になります。あらたな安保沖縄闘争、沖縄と連帯した階級的共同闘争を求める声は、全国・全分野に充満しています。
この声を力に変えることが、私たちに求めれれています。
私たちが、この課題に応えうる全国党派として飛躍するために必要な財政的基盤を、夏期特別カンパをもって、ともにつくって下さることを、心からお願いします。

《カンパ送り先》
◎郵便振替
    口座番号:00970-9-151298
    加入者名:前進社関西支社
◎郵送
    〒532-0002  大阪市淀川区東三国 6-23-16
    前進社関西支社

6面

対談 被爆65周年 ヒロシマの継承をめぐって
河野美代子さん(産婦人科医 被爆二世)×
中村周六さん(浄土真宗本願寺派僧侶 釈等正)

被爆65周年の今年も、ヒロシマから、「8・6平和の夕べ―ヒロシマの継承と連帯を考える」集いが呼びかけられている〔5面に案内〕。2010年呼びかけ人の中村周六さんと、当日の司会をつとめる河野美代子さんに、お話を聞いた。
〔6月13日広島市内 司会・文責=本紙編集委員会〕


核の重さは、人間が、人間的に制御できない世界に踏み込んでしまったこと(中村)

侵略の歴史への糾弾を受けとめ、ヒロシマから未来にどうつなげるか(河野)


――被爆65周年の8・6ヒロシマに、高史明さんをむかえます

中村周六さん
中村  一昨年、米澤鐵志さんが「被爆と戦争責任」を提起され、昨年、河野美代子さんが「被爆者、2世は核開発にどこまでも反対する。その命を次世代に継承する」と話した。
そして今年は、高史明さん。日本が1910年韓国併合から、侵略への道を歩み、原爆という事態を招いてしまった。その歴史を何ひとつ決着させないまま、今日に至っている。それがいま大きな困難を世界に、私たちに与えている。
高先生は、在日として生まれ、共産党の活動から作家活動に入り、親鸞を学び、今日の人間社会の困難がどこにあるのかを考えてこられた。そこに、私たちがぶつかっていくことになる。

――高さんの以前の講演録を読みました。日本と朝鮮の歴史、そして高さんの出自。その重いテーマを受けとめました

中村  明治維新から、すぐに征韓論が出てくる。労働者階級と資本家階級の止揚という根源的な課題にとどまらず、人間と社会の根本的変革が問われているのではないか。マルクスが24歳のとき『経哲草稿』で提起したこと。いま、それをどうくみ上げていくか。 ぼくは高先生の講義を聴くなかで、浄土真宗の僧侶になった。マルクス主義では、「宗教は阿片だ」と拒絶されてきた。当然だろう。フランス革命でやっと人権宣言が成立した。マルクス主義は、その歴史のもとでうまれてきた。

――それなのに僧侶になられた

中村  百姓、牛飼いをしながら親鸞を勉強した。高先生には、教区の講習会で教義を教わりながら、在日朝鮮人のなかから、日本人がおよばない心眼を極めた人がいたと驚嘆した。
6時間くらいぶっ通しの授業。ものすごい密度。「とてもついていけない」というと、高先生は、「いや、もう時間がないんだ」と言われる。「世界の状況は待ってくれない」と。

――高さんは、その講演録のなかで、原爆開発に触れています

中村  核のもっている重さは、理論・技術論だけでなく、人間が人間的に制御できない世界に踏みこんでしまったこと。高先生は、人間の本質的問題として言っておられる。原爆をつくる人間が、同じ国家・社会で生きているという自覚を、どう呼びおこすか。

河野  高先生は8・6で、そういう親鸞や宗教から話されるのだろうか。

中村  むしろ正面から世界、政治、社会、いまの状況は何なのか。私たちは、どこで非常な困難に陥っているのか、徹底的に話されるのでは。現実に肉迫されるだろう。 私たちは、国家・社会、そして自分にがんじがらめにされている。どうやって差別、支配から自らを解放していくのか。

河野  高先生の、朝鮮人としての立場、在日としての生まれから、日本の侵略、植民地支配とたたかってこられた。その日帝にたいする、私たちにたいする糾弾をされるだろう。
そこからどう未来につながっていくのか。被爆地のヒロシマで、それがだされてくるだろうと期待している。

中村  戦争、核戦争への道をどうやってとめられるか。
やはり1910年韓国併合にさかのぼる。これを許してきてしまった。日本の戦争への道だった36年間。その歴史は何だったのか。それを1945年に、まったく総括しなかった。それが今回、高先生が語られる核心ではないか。
高先生は、最近の著書『いのちは自分のものではない』で、第2次大戦やヒロシマ・ナガサキ、慰霊碑の言葉に触れて、「生者こそ、いまなお自らの安らかな眠りを実現していない」と記されている。

――河野さんは、被爆2世として、「被爆者にも戦争責任はある。しかしそれは被爆者、2世自身が問うべき課題」と言われました

河野美代子さん
河野  70年頃から運動が完結どころか、すすんでいない。完結できるかどうか分からないけど、またやってみようと。
被爆者運動は被爆者の高齢化もあり、低迷している。このままにしてはすまされない。原爆から65年をへて、まだ総括、方向がだせてないのだから。見渡してみれば、党派とかにこだわらずに市民、民衆のレベルでさまざまな問題をやろうとしている人たちがいる。
私たちが被爆者青年同盟をたち上げ、平和公園に座りこんだとき、森滝一郎先生が訪ねてきてくださった。それがいまの行動につながっている。
党派の違いはいろいろあった。新旧左翼とも。そういうところから解きはなたれて、考え、行動できる方がいい。

――拠り所がないとだめなのか?

中村  それは、けっきょく自分たちに全然自信がないということではないか。民衆にわかってもらえるということがあれば、排除の論理はでてこない。
ぼくの運動へのかかわりも原水爆禁止運動。大学の向かいの日赤で毎日、被爆者が亡くなっていく。そういう中で原水爆実験がどんどんおこなわれる。森滝先生が、一人になっても座りこみをされていた。そこへぼくも座った。

河野  先日、朝鮮民主主義人民共和国にいる被爆者の記録映画『ヒロシマ・ピョンヤン―棄てられた被爆者』の上映会があった。北朝鮮へもどった被爆者は1900人余。いま確認できている生存者は332人。手帳をもっているのはたった1人。北朝鮮に住む被爆者には何の手立てもされていない。
ソウルにもプサンにもテグにも、被爆者連絡会などがある。しかし在外被爆者には、国内ほどの支援はない。日本にこなくても、在外して被爆者手帳が得られ、治療も受けられるようにしたい。

――沖縄は、広島・長崎より4カ月早く戦場にされ、「復帰」から38年のいまも米軍基地から解放されていない。その沖縄から知花昌一さんに発言してもらいます

河野  自民党政権のときから、普天間・辺野古の問題がつづいてきた。私たちは、どこまでそれを考えてきたのか。もう誰かのせいにするだけではすまされない。
日米合意があろうが、もう辺野古にもどることはできないし、もどさせてはいけない。
この際だから、「安保そのものを見直せ」という声をどんどん出していく。そうできればいい傾向じゃね。

――最後に一言ずつおねがいします

河野  今年は高先生、それから池田精子さんが被爆体験を話してくれるのも、大きな意味がある。沖縄からも提起してもらえる。
被爆者の言葉をしっかり聞くこと。しかし被爆者の口は重い。その機会もどんどん少なくなってきている。一方でこれまで話さなかった人たちが、「時間」に追われ次々に証言を始めている。 資料館では修学旅行生らへ証言が、毎日、途切れることなくおこなわれている。
池田さんは爆心から1・5キロの鶴見町で被爆。突然、稲妻の何千何万倍、いやそんなもんじゃない。ものすごい閃光、爆風。まるで大きな溶鉱炉のなかに投げこまれたよう。閃光、熱線、黒焦げの人、破れた皮膚。あとで知った放射線の恐さ―それをそのまま語ってもらう。ヒロシマがどんなものだったかを。

中村  河野さんたちの40年間の反核運動、若い世代への性のとりくみ、エイズ患者への想いや対応に、私たちも支えられている。プルトニウム・アクションをつづけてきた人たち、おおくの仲間の活動が、私たちの命の大地につながっている。高先生のお話を聴き、これからのヒロシマを継承していきたい。

河野美代子さん
1947年、被爆2世として広島に生まれる。広島大学医学部に入学、全共闘運動に参加。全国被爆者青年同盟を結成。卒業後、産婦人科医として活動。河野産婦人科クリニック院長。広島エイズ・ダイヤル代表。性教育に全国を回る。エイボン教育賞受賞。著書に『さらば悲しみの性』(集英社文庫)など多数。

中村周六さん
1944年、広島県生まれ。63年広島大学教育学部に入学。2年生のとき教養部学友会委員長に。広大学生運動の先頭に立ち、65年日韓闘争、67年10・8羽田闘争、68年佐世保、69年東大闘争、広大闘争から10・21反戦デー、11月安保沖縄闘争を、全共闘・反戦の隊列とともにたたかう。71年、天皇来広・佐藤来広阻止を被爆2世とともにたたかい、被爆者青年同盟の結成に参加。『君は明日生きるか』(1972年刊)を共同執筆。さまざまな職業につき、99年帰郷、牛飼いに。親鸞に学び、07年僧侶になる。