沖縄と連帯し「日米合意」粉砕へ
6月2日、鳩山首相が辞任し、鳩山内閣は崩壊した。
鳩山は、沖縄県民の民意をふみにじって、5月28日、辺野古への新基地建設を明記した日米合意を発表した。福島社民党党首を閣僚から罷免し、政府方針の閣議決定を強行した。
しかし沖縄県民の激しい拒否と怒りの前に、鳩山は辞任に追い込まれた。
沖縄のレジスタンス
日米安保問題で内閣が倒れたのは、1960年、日米安保条約改定を強行した岸内閣いらい50年ぶり。当時、500万人をこえる労働者人民が、デモやストライキに参加、十数万のデモ隊が国会を包囲した。
いま沖縄は、72年の「本土復帰」以降、最大規模のたたかいを繰りひろげている。
4月25日には、人口140万人弱の沖縄県で、9万人が県民大会に参加し、普天間基地の即時撤去と辺野古新基地建設反対の声をあげた。
9万人を日本の総人口に単純に換算すると、800万人以上。沖縄では、60年安保闘争をこえるたたかいが始っているのだ。
沖縄の参議院議員・山内徳信さんは、「『日米合意』を強引に押し付けてくるのであれば・・・沖縄県民 対 日本政府、沖縄県民 対 米軍基地という構図になるだろう。それは県民ぐるみの、戦後沖縄最大のレジスタンスともいえる闘いになるだろう」(『世界』7月号)と述べている。日本帝国主義にたいする「人民蜂起」の呼びかけだ。
日米合意強行する菅
菅新首相は、就任早々、オバマと電話会談し(6日)、「日米合意を踏まえる」と確認、岡田外相は、「(位置や工法について)8月末までに沖縄の理解がないと前に進めないということではない」(9日)と述べた。沖縄の民意を踏みにじり、沖縄に強引に新基地を押しつける宣言だ。
今や民主党政権は、まさに「沖縄県民 対 日本政府、沖縄県民 対 米軍基地」という決戦構図に深々と引き込まれている。
「日米合意を認めない」と、1200人が会場の「みやこめっせ」を埋めた(12日 京都市内)記事2面 |
構造改革への反乱
昨年8月、新自由主義攻撃=構造改革にたいする労働者人民の反乱のうねりが、自民党政権を崩壊にたたきこんだ。それは、日米同盟を最重要の国益とし、日米軍事一体化と構造改革を推進してきた路線の破綻であった。
小泉政権が強行した構造改革は、労働者人民の生活を激しく破壊していった。350万人をこえる完全失業者、年間3万人をこえる自殺者、「地方の崩壊」の進行。そして、08年のリーマン・ショックに端を発した世界金融危機を機に、トヨタやキヤノンなど、非正規雇用労働者を酷使してぼろもうけをしてきた巨大独占資本が、大量の「派遣切り」をおこなった。
「国民全体で痛みを分かち合う」とうそぶいてきたが、その虚構が暴き出された。構造改革にたいする労働者人民の怒りが、自民党政権崩壊と政権交代を実現した。
法人税減税と消費増税
すでに鳩山政権の下で、資本と官僚の巻き返しがつよまっていたが、菅新政権は、さらに、「強い経済、強い財政」「新成長戦略」を掲げ、「法人税減税と消費税増税」をうち出している。菅政権の陣容からもわかるように、「第三の道」と称しつつ、破綻した構造改革を化粧直しし、労働者人民に犠牲転化して独占大資本が生き残る路線に引き戻そうとしている。
しかし、労働者人民は、構造改革の実態を見抜いている。菅新政権がそこにつっこむならば、人民の巨大な反乱に見まわれることは不可避だ。
日米合意で墓穴
日本の支配階級―財界、官僚、政治家、評論家、マスメディアなど―は、はじまった沖縄県民のたたかいに心底恐怖している。
鳩山が、「普天間基地の国外・県外移設」と公約した背景には、日米同盟の相対化と、独自の軍事力と外交路線という狙いがあった。しかし、沖縄県民のたたかいが吹き出した。沖縄県民のヘゲモニーのもとで、基地を問い、日米同盟を問うならば、それは、日米同盟の相対化どころか、日米同盟の粉砕と日本帝国主義の存立基盤の解体にまで発展せざるをえない。
支配階級は、この事態に怖気をふるった。そして、官僚とマスメディアと評論家が全力あげてキャンペーンを展開し、鳩山を誘導し、「5・28日米合意」に引き込んだ。
しかしそのことによって、支配階級自ら、「沖縄県民 対 日本政府、沖縄県民 対 米軍基地」という戦後最大のレジスタンスに火を付けてしまったのだ。
本土のたたかいを
このレジスタンスに呼応する本土のたたかいをまき起そう。沖縄と連帯して成田空港廃港をめざす三里塚闘争、岩国闘争をはじめとする全国の反基地闘争、中国電力・上関原発建設反対闘争などのたたかいを強めよう。
7月参院選で、沖縄に連帯する候補、格差・貧困と対決する候補を国会に送ろう。革共同再建協議会は、参院比例代表に挑戦する原和美候補(社民党)の推薦を決定した。全力で当選させよう。
内閣総理大臣 菅直人殿
普天間基地の県内移設を基軸と
する「日米合意」を継承する菅政権への抗議声明
辺野古で座り込みをたたかうヘリ基地反対協議会が声明を出したので掲載する
「最低でも県外」と選挙公約した鳩山首相が6月2日辞任した。前政権から続く世襲政治家のひ弱な短命首相の哀れな結末である。主権者たる国民の前に、世襲政治家の決断力のなさ、リーダーシップのなさと無責任さを露呈させた。これほど沖縄県民に「普天間基地問題」の解決の期待を与え、見事に裏切り、幻滅を与えた首相も珍しい。
菅直人新首相は、5月28日の「普天間基地の辺野古回帰」を基軸とする「日米合意の継承」をオバマ米大統領との電話会談で確認した。まさに、「沖縄県民の頭越し」よりもタチが悪い「沖縄の民意を無視」し、徳之島住民の基地反対の強い「怒」も無視する反動的な政治姿勢を露見させた。菅首相が「沖縄県民の合意は必要ない」と公言する岡田外相、落選した前島袋市長や後援会幹部と東京で密談を行った前原沖縄担当相、防衛官僚の操り人形北澤防衛相等「県内移設、辺野古回帰」の戦犯閣僚を再任したことからも、私たちは菅政権が「普天間基地の辺野古移設案」を強引に押しつけてくることを宣言したとみなす。
日米両政府は8月末までに建設工法と位置の変更を修正する計画であるが、埋め立て工法の承認と50M以内の建設位置移動による現行アセス調査範囲内で処理したとしても、違法アセスに基づく辺野古新基地は絶対に造れない。
なぜなら、県民世論の90%近くが辺野古新基地建設に反対しているからである。地元稲嶺名護市長が新基地建設に反対し、埋め立て許可の権限を持つ仲井真県知事も反対し、県議会は与野党全会一致で反対決議した。県内41市町村長も全員反対であり、県経営者協会も反対しており、菅政権を支えるべき民主党沖縄県連も反対している。
今や沖縄は徳之島も含め「沖縄差別」を押しつける菅政権に対する「島ぐるみ」闘争の様相に成りつつある。いずれ菅政権は沖縄県民と真っ向対峙する道を進むのか、あるいは「普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設断念」案を持って、戦犯閣僚を更迭させ、米国政府との対等な外交交渉の道を歩むのかという決断が問われてくるであろう。 辺野古新基地建設問題は日本の平和・人権・環境、財政問題を鋭く抉り出すのである。菅政権はその覚悟を持って沖縄県民と対峙すべきである。
我々名護市民は菅政権やアメリカ政府の様々な恫喝と姑息な分断工作に対決して行く。「海にも、陸にも造らせない」稲嶺市長をしっかり支え、「美ら海」である辺野古の海を守ろうと支援に駆けつけてくれる県内外の支援者たちと海外の環境保護団体と連携した闘いを構築し、必ず勝利する。
2010年6月10日(木)
ヘリ基地建設反対協議会
夏期カンパをお願いします
《カンパ送り先》
◎郵便振替
口座番号:00970-9-151298 加入者名:前進社関西支社
◎郵送
〒532-0002 大阪市淀川区東三国6-23-16 前進社関西支社
2面
「日米合意」はみとめない
伊波・宜野湾市長むかえ1200人 京都
普天間基地を返せ!長蛇の行進がつづいた(12日 京都市内) |
講演した伊波宜野湾市長も行進の先頭に(前列左から2人め。12日 京都市内) |
「危険な普天間基地の即時閉鎖・返還を! 沖縄に連帯する6・12京都集会」は、京都市の「みやこめっせ」に1200人が集まった(主催は沖縄連帯集会実行委)。
歌とトークではじまり、普天間基地をかかえる宜野湾市の伊波洋一市長の1時間にわたる講演を中心に、京都沖縄県人会、「沖縄・辺野古への新基地建設に反対し普天間基地の撤去を求める京都行動」、5月16日普天間包囲行動参加者などの発言があり、最後に琉球国祭太鼓京都支部のエイサーでしめくくった。
普天間は直ちに閉鎖を
伊波市長が、映像を駆使しながら普天間基地の危険性を暴露した。以下は発言の要約。
@戦後65年、安保条約50年、沖縄の基地問題は、ずっと「沖縄の問題」としてしか扱われなかった。95年の米兵による少女暴行事件、それにたいする沖縄県民の怒りの中で、沖縄の基地問題がやっと沖縄の問題ではなく、東京サイドの政治問題になった。そしていま沖縄の基地問題が国民全体の問題として議論されている。
A普天間基地では、クリアゾーンに人口が密集しているなど、米本国の基準ではありえない危険な状態が押しつけられている。それを日本政府が何もせず放置してきていることが一番の問題だ。
Bヘリの訓練は、1分半に一回、低空で民家の上を飛ぶ。それが朝から晩まで続く。また市街地の真ん中にいすわる米軍基地など、米軍の設置基準も満たしていない。直ちに閉鎖されなければならない。
C海兵隊のグアム・北マリアナ移転は、北太平洋、日本・韓国、沖縄、台湾、フィリピン、オーストラリアという同盟地域の中心に位置し、米軍戦略としても既定路線。これを日本政府は「司令部だけの移転」とごまかしている。
D今日、これほど大きな会場で、こんなにたくさんの人が集まるとは思っていなかった。沖縄にもこのことを報告したい。ともにたたかおう。
8月 県人会が集い
講演をうけて、この集会の成功のための尽力した京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんが発言。「移設先が元の木阿弥で辺野古に戻ってきた。沖縄にたいするとんでもない仕打ちだ。しかし沖縄から見たら、こういう仕打ちは、何度も経験してきた。そのたびに、沖縄は力をつけて、跳ね返してきた。
県人会が政治的に動くのはなかなか難しかったが、郷土が苦しんでいるのに黙っていられなかった。8月に、大阪で、関西一円の県人会・郷友会が立ち上がる。ともにたたかおう」。
たたかいの決意を示すような勇壮なエイサーの太鼓が鳴り響き、会場の手拍子で盛り上がり、デモ行進に出発。京都市内各所で、市民や観光客とエールを交換した。
関西合同労組弾圧 「脅迫」事件をでっちあげ
大阪府警 暴処法で不当逮捕 5月31日
10カ所以上を捜索
5月31日早朝、関西合同労組大阪支部の相談員Nさんが、「暴力行為等処罰に関する法律(暴処法)」違反容疑で不当逮捕された。同時に、関西合同労組本部事務所、同委員長宅、兵庫支部事務所、大阪支部事務所など10カ所以上に強制捜索がおこなわれた。捜索の対象には、労働相談、反貧困・反失業をとり組むNPO法人の事務所や車もふくまれており、事件捜査を口実にした政治弾圧であることはあきらか。
不当捜索には、大阪府警と兵庫県警から大量の警察官が動員されたが、この弾圧を指揮したのは、治安弾圧を専門とする大阪府警警備部公安3課だ。労働運動の弾圧に公安警察が乗り出していることひとつをとってみても、今回の弾圧が関西合同労組つぶしが狙いであり、そのために、ありもしない事件をでっちあげた政治弾圧であることがわかる。
電話の会話が「脅迫」?
関西合同労組の相談員Nさんは、昨年夏、あるタクシー運転手の労働相談―借金・罰金制度と月収3万という超低賃金の問題―に応じ、その解決をはかりながら、生活の援助もおこなってきた。ところが、途中から連絡がつかなくなり、音信不通になっていた。
昨年11月、たまたま連絡がつき、その時の電話会話で、それまで立て替えていた「部屋の整理と引っ越し」の費用を、Nさんは電話で請求した。それを「脅迫」事件だというのである。
裁判所は警察と一体
6月8日午前、大阪地裁で勾留理由開示公判がひらかれた。25の傍聴席は、かけつけた組合員たちで埋められた。Nさんの勾留を認めた裁判官にたいして、弁護人が勾留の理由をさまざまな観点から追及するが、裁判官は「その質問に回答することは、証拠開示になるから回答できない」と話をすりかえ、勾留を続ける正当な理由をなにひとつ明らかにすることはできなかった。
警察と検事の作り話を無批判に追認し、不当勾留を認める裁判官の態度に、傍聴人からは抗議の声と嘲笑がもれた。自分の説明が何ら説得力がないことを自認している裁判官は退廷命令を乱発し、2人の傍聴者が、手袋をはめた暴力廷吏によって法廷から排除された。
勾留を続ける理由として、「罪証隠滅」「逃亡のおそれ」をあげているが、居場所も連絡先も不明の相手に対して(仮に罪証があるとして)「罪証隠滅」のしようがあるのか。労働者の相談に乗り、生活援助もおこなってきたNさんは、その労働者のことを心配していたことはあっても、脅迫する動機などない。また、定まった住居もあり、なんらやましいことのないNさんに、逃亡する理由などない。
戦前につくられた悪法
暴処法は、1926年、労働組合運動や農民運動、部落解放運動、反戦闘争などの弾圧を狙ってつくられ、猛威を振るった。戦後、労働組合法が制定される際、暴処法等を労働運動には適用しないことが、草案の段階では確認されていた(第2条)。しかし、45年12月に成立した労組法では、第2条を削除する「後退的修正」がおこなわれた。
暴処法は、労働組合の生命線である団結権とその行使をまるごと犯罪とするもので、本来、戦前の治安維持法等とともに廃止されなければならなかった悪法だ。
こんな弾圧を許したら、警察や企業が、気に入らない労働組合の交渉や団交での発言、組合間の議論に次々と介入し、事件化するようになる。労働組合の行動や発言は、大幅に制限されることになる。
憲法28条「団結権、団体交渉権、団体行動権」の破壊だ。
Nさんを返せ
関西合同労組は、一人でも入れる地域ユニオンであり、非正規雇用労働者の問題にとり組み、失業・貧困や首切りとたたかい、「生活・労働相談村」活動にとり組む労働組合だ。今回の弾圧は、こうした地域と職場に根をはってたたかう関西合同労組の破壊を狙った弾圧だ。
「障害者」であるNさんは、取り調べ時も車椅子が不可欠だ。長期の勾留は症状の悪化につながる。すでに2週間を超えた勾留のために体の不調を訴えている。
大阪府警は無実のNさんをただちに釈放せよ。裁判所は勾留決定を取り消せ。(労働者通信員K)
入学式「不起立」で不当処分
4月入学式での「君が代」斉唱時の不起立を理由に、5月27日、東京都教育委員会は都立高校教員3人に、不当処分を強行した。内訳は、戒告1人(不起立1回目)、減給10分の1・1月が2人(不起立2回目)。
これで、都教委10・23通達(03年)に基づく懲戒処分の数は、のべ430人になった。不当処分を撤回させよう。
3面
団結街道閉鎖阻止 反対同盟が訴え
もてる力すべてを三里塚に
市東さんらを奪還
不当にも逮捕・勾留されていた反対同盟員・萩原富夫さんが、6月4日に奪還されたのにつづいて、8日、市東孝雄さんと支援の仲間が奪還された。
市東さんは、「(逮捕は)はじめてだったが、つらくなかった。いい機会だった。これからも頑張ります」と、弾圧をものともせず、ますます闘志を強めている。
団結街道閉鎖と第3誘導路建設にたいして、反対同盟は、3・28全国集会で、4〜5月決戦と実力闘争を宣言。4・25沖縄県民大会にかけつけ、反対同盟の旗を打ち立てた。5・16三里塚現地闘争では、敵の追い詰められた姿を喝破し、攻勢的に臨戦態勢に突入、闘争史上まれにみる大弾圧をものともせずにたたかいぬいた。そして、ついに、市東さんら3人を奪還し、弾圧を完全に粉砕した。
反対同盟は、さらに日帝・NAAを追い詰めるべく、6・27全国結集大闘争を呼びかけている。全力で結集しよう。
6月1日に反対同盟が発した「6・27闘争呼びかけ」を、以下に掲載する。
全国から6・27三里塚へ
全国の労働者、農民、学生、闘う仲間のみなさん!
沖縄の基地全面撤去の闘い、国鉄決戦とともに、三里塚闘争は政府権力・空港会社との激突を開始しました。
5月17日、空港会社は成田市と共謀して、団結街道(成田市道)閉鎖の看板を設置しました。これに対して市東孝雄さんが猛然と抗議。恐れをなした県警・機動隊が市東さんと支援者1名を逮捕する暴挙を行いました。
24日には、この闘いに応えて公聴会粉砕デモに決起し、不当逮捕をものともせず闘いました。いま、反対同盟は市東孝雄、萩原富夫両同盟員の奪還のために全力で闘いぬいています。
この6月、成田市は団結街道の底地を空港会社に払い下げる手続きを急ピッチに進めており、現地は街道封鎖との実力攻防の緊迫した状況にあります。
全国の仲間のみなさん! 反対同盟は臨戦態勢に突入しました。市東さんの渾身の怒りと闘いに応えて、もてる力のすべてを三里塚に結集させて下さい!
闘う人民の総決起、いまこそ!
闘争史上まれに見る大弾圧をもたらした第3誘導路計画は、この6月中下旬にも認可・着工の構えです。反対同盟は、不当弾圧粉砕・廃道阻止、第3誘導路粉砕を闘う6・27大結集闘争を呼びかけます。
世界的大不況による航空資本の破たん、成田空港の行きづまりがもたらした「羽田ハブ(基軸空港)」への転換で、空港会社はかつてない危機に追い込まれました。朝鮮半島情勢が緊迫するなか、成田空港の軍事化がますます切迫しています。三里塚闘争は、農地を武器に国策(空港建設)を44年間、阻止しています。三里塚の激突は、これにゆえに必至です。
闘いのときがきました! 反安保・基地全面撤去を闘う沖縄で、全国、全世界で闘いの火が燃え上がっています。三里塚は反戦・反核・反権力、反差別の広範な市民運動と住民運動の共闘の砦です。資本による労働者・農民に対する収奪と闘います。
6・27全国結集大闘争を、闘う人民総決起の号砲としよう。全国から大結集されることを、熱烈に呼びかけます。
2010年6月1日
三里塚芝山連合空港反対同盟
写真上:市東さん宅に建てられた団結やぐら。 写真下:団結やぐらの監視台から空港敷地内をにらむ。目の前が第3誘導路予定地。北側では工事も (いずれも11日 成田市天神峰) |
鈴木幸司さん 逝去
三里塚芝山連合空港反対同盟本部役員の鈴木幸司さんが、6月12日未明、逝去された。享年86歳。
鈴木さんは、シベリア抑留を経験し、戦争と天皇を憎み、反戦思想を土台にしてたたかってきた。成田二期工事と一体の成田用水攻撃、部落を分断する卑劣な攻撃にたいして、お連れ合いのいとさんとともに、つねに敷地内農民と固く連帯し、全国にむかって決起を呼びかけてきた。
そして、厳しい闘争の最中でも、援農にきた若い学生や労働者を大事にし、夜が更けるまでお話を聞かせてくださったことが思い出される。
心からご冥福をお祈りするとともに、鈴木さんの遺志を受け継いでたたかいぬくことを決意する。
ガザ封鎖を解除せよ
イスラエルによるガザ支援船襲撃弾劾
5月31日、イスラエル軍は、トルコのガザ支援団体を中心とした支援船6隻を急襲、乗船していた42カ国682人のうち、9人を虐殺、約630人を勾留。6月5日にも、支援船の第2陣「レイチェル・コリー」を拿捕した。
イスラエル政府は、「ハマスへの武器支援を阻止するための措置」としている。しかし、05年以降つづいている封鎖は、パレスチナ人民の生活と経済を破壊することで屈服を強要し、侵略と植民支配を貫こうとするものだ。
天井のない監獄
人口150万、そのうち難民が100万人、東京23区の6割ほどの面積をもつガザ地区。高さ数メートルの金網フェンスやコンクリート壁でとり囲まれ、医薬品など支援物資の一部の搬入と農産物などの搬出が認められているだけとなっている。
搬入量は、1日トラック100台分程度。自給自足できる産業基盤があるはずもなく、その多くが08年末から年始にかけたイスラエルの軍事侵攻で破壊され、民間企業の55%、工場の95%以上が今も閉鎖状態だ。
難民にかぎらず、多くの人民が日常の食糧にもことかき、80%が援助に頼っている。経済を再建するにも建築用のセメントまで搬入を阻止されている。昨年3月のエジプト・シャルムエルシェイク会議で確認されたガザ復興支援金50億ドルも、そのほとんどが滞ったままだ。住民はこのようなガザを「天井のない監獄」と呼んでいる。
広がるガザ支援
08年末から始まったガザ攻撃と大量虐殺(鋳込まれた鉛作戦)に抗議して、全世界から支援のたたかいが広がっている。
今回の船団は、キプロスを拠点にする「フリー・ガザ・ムーブメント」が呼びかけ、イスタンブールの民間団体「人道支援基金(IHH)」などが参加、建築資材や医薬品など約1万トンの支援物資を積んで、5月30日にキプロスを出港した。
第2陣は、アイルランドやマレーシアの人権活動家などを含む19人と千トンの物資を積んで「ガザ封鎖の突破」がはかられた。
民間船を公海上で襲撃
イスラエル軍は、第1陣について、「船団に参加している団体がテロ組織を支援している」「兵士らは鉄パイプ等で襲われてやむなく発砲した、正当防衛にあたる」、第2陣については、「公海上で合意のうえで船に乗り込んだので強襲ではない」などと言っている。しかし、民間船を公海上で軍隊が襲撃し、一方的に射殺した事実は隠しおおすことはできない。
国際法をも無視した暴挙だ。イスラエルの侵略虐殺行為について、「安全保障上の(イスラエルの)不安は正当だ」と擁護しつづける米帝オバマ政権とともに、徹底的に断罪されなければならない。
ハマス政権は民意
そもそも、ガザ地区において、民主的にハマス政権が成立したことを嫌い、国連等での人道的配慮の要求すら拒否して封鎖をつづけるイスラエルと、これを支持してきた米帝に正当性はない。
石油支配のための戦争を強行し、米帝流「自由と民主主義」をイスラム世界に押しつけようとしてきたブッシュ政権以来の「テロとの戦争」政策は、オバマ政権に替わっても貫かれている。
そこでは、パレスチナ人民の民主主義も、ハマスを選択する自由も認められていないのだ。オバマは、封鎖に変わる「新たな枠組みが必要」(パレスチナ・アッバス議長との会談)と言っているが、ガザのハマス体制を絶対に認めない帝国主義支配を押し通すためのかけひきにすぎない。
ガザ人民の自由回復、封鎖解除を求めるたたかいは、必ずや世界を動かすだろう。支援連帯のたたかいをまき起こしていこう。
4面
「在特会」包囲するうねり
1050人が集会デモ 大阪
写真上:全港湾、港合同、連帯労組関西地区生コン支部などの労働組合がデモの先頭に。 写真下:釜日労、関西合同労組などの隊列 (いずれも5月30日 大阪市内) |
5月30日、大阪・扇町公園に、1050人が集まった。2月から実行委員会をかさね、6百近くの個人・団体の賛同が集まる中、「排外主義を許さない5・30関西集会」は、在特会らの暴力を許さず、社会的に包囲する行動としておこなわれた。
集会の冒頭、主催者あいさつを、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部の高英男副委員長がおこなった。この間「在特会」らが外国人差別・排外主義を煽っている社会的・政治的背景を高さんは明らかにし、彼らが、過去の誤った戦争への道を再び進もうとしていることを弾劾した。
襲撃・妨害はねかえし
つづいて、このかん在特会らに攻撃されながらも、屈せずたたかう各団体から、報告とアピール。
最初に発言した朝鮮総連大阪府本部国際統一部長の朴さんは、高校授業料無償化から朝鮮学校を除外した日本政府に強く抗議。また、橋下大阪府知事が「条件をのまなければ、大阪府補助金を凍結する」と恫喝したことを糾弾。「日本政府が公然と朝鮮学校を排除し差別することこそが、在特会などの過激なレイシスト集団を生み出す温床になっている」と訴えた。
「朝鮮学校を支える会・京滋(京都、滋賀)、 共同アピール運動」は、このかんの京都でのたたかいと、「民族差別・外国人排斥に反対し、他民族共生社会をつくりだそう 朝鮮学校への攻撃をゆるさない!」共同アピールへの賛同が1527個人・団体からよせられたと報告した。
徳島県教組からは委員長が発言。四国の朝鮮学校(愛媛県松山市)に徳島県教組が支援カンパを寄せたことが許せないとして、4月に県教組書記局が在特会に襲撃された。しかし暴力に屈することなくたたかいぬいていると報告があり、「排外主義を許さず、毅然とした闘いを構築しよう」とよびかけた。
「慰安婦」問題解決のための行動への妨害にたいし、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都から訴え。
カンパアピールにつづき、ソウルの水曜デモと呼応して、大阪・阪神・神戸で行動し、在特会らから繰り返し妨害・襲撃されてきた「水曜デモ」の参加者たち16人が登壇。アピールと歌がおこなわれた。
カトリック正義と平和協議会、東西本願寺を結ぶ非戦・平和共同からアピール。
4月7日の梅田水曜デモのあと、在特会から暴行を受けた戸田ひさよし前門真市議が弾劾のアピール。
全国で初めて「慰安婦」問題解決の意見書を採択した宝塚市議会の大島淡紅子市議から、経過報告と妨害の実態の暴露。
大川朗子さん(社民党参院選予定候補者)から、普天間基地問題で、5月28日の日米共同声明とその閣議決定を認めない、差別・排外主義を許さない決意が語られた。
集会実行委の労働組合・団体を代表して、全港湾大阪支部の大野進委員長から、差別・排外主義を許さないとともに、政府・行政が高校無償化から朝鮮学校を外そうとしていることは公による差別の煽動であると弾劾、これとの闘いの重要性が訴えられた。
会場カンパが30万円近くになったとの報告につづき、最後に集会決議を採択した。決議は「本日の目的はこうした在特会、主権回復を目指す会等の暴力を許さぬ民衆の意思を街頭において明らかにし、彼らを包囲する社会的うねりをさらに拡大することである。本日の行動は一つの契機である。さらに私たちは関西にとどまらず全国の仲間とむすびつき、排外主義に抗する民衆の連帯を求め前進する。」と結んでいる。
大阪市内中心部をデモ
デモは、先頭を全港湾、港合同、連帯労組関西地区生コン支部などが受けもち、つづいて「慰安婦」問題や野宿者支援、反戦・平和をたたかう市民団体、労働組合、個人、最後に、釜日労、関西合同労組、百万人署名運動関西連絡会などが挺団をつくり、JR大阪駅の西側にある西梅田公園まで行進した。デモ終了地点では、次々に到着するデモ参加者を、先に到着した仲間が拍手で迎えた。
関西のたたかう仲間たちは、昨年6月京都デモ、10月大阪デモと、共同行動をかさねてきた。今回5・30集会の過程でも、共通の敵に向かって真剣な論議と行動をつみかさね当日を迎えた。このたたかいをさらに強化・発展させていこう。
「障害者」自立支援法改悪案 質疑なしで採決
民主党が大裏切り
5月28日、沖縄県民を裏切って、日米合意と閣議決定がなされた日、わたしたち「障害者」にたいしても、すさまじい裏切りがおこなわれた。
「障害者自立支援法」の改悪案が、たった75分の質疑で、衆議院厚生労働委員会を通過した。推進したのは、民主党、国民新党、自民党、公明党。この暴挙に怒り、国会行動にかけつけた多くの「障害者」を前にしてである。
5月31日の衆院本会議では、夜中11時過ぎに質疑もなく採決、翌日午前の参議院厚労委員会もわずか25分で通過。
そして翌6月2日午前の参院本会議で、質疑なしで採決しようとしていた。そこに鳩山の総理大臣辞任という事態が起こり、本会議は流れた。
寝耳に水の展開
自民と公明が、改悪案を議員立法で4月27日に提出していたことはわかっていたが、この事態は、「障害者」にとって、寝耳に水だった。
というのも、民主党は、「自立支援法」を廃止し「障害者」の総合福祉法を作ると言ってきたからだ。内閣府に総理大臣を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」を設置し、そのもとに「障害者」自身や家族の関係者が多くを占める「障がい者制度改革推進会議」を設置し、福祉・教育・医療などあらゆる分野にわたる改革をおこなう、としてきた。この「推進会議」に「総合福祉部会」も設置され、4月27日から論議が開始されたばかりだった。推進会議では、「障害者」が地域で暮らしていくために24時間の介助保障をはじめ、制度を改善するための政策が主張されてきたのだった。
「自立支援法」改定の急展開を知らせたのは、5月20日の共同通信記事だけだった。そこにはすでに、衆院厚労委を通過させるための筋書きまでが書かれていた。「推進会議」には何一つ連絡はなかった。
2千人が国会前で弾劾
中身も問題だらけだ。
応能負担と言いながら、1割までは利用料を徴収できる。1日・数時間程度しか介助を保障しない国庫負担基準内に、福祉を抑制することにつながる条文が挿入されている。行政の立ち入り権限を事業所だけでなく、際限なく拡大する条文がつくられており、利用者宅へのふみ込みも起こりうる。難病を持つ人の福祉は依然としておこなわない。
この急展開の中、「障害者」は、6月1日には2百人、2日には百人、8日には2千人が国会闘争に決起している。裏切りにたいする怒りは激しい。
なぜ、民主党はこのような大裏切りに動いたのか。国会の中で言われていることは、労働者派遣法を成立させるために自民党との取引をしたとのことだ。
しかし、それだけではないだろう。「推進会議」などで主張される「障害者」の要求を抑え込みにかかってきている、と捕らえるべきだと思う。
攻撃はこれだけではない。憲法25条に明記された福祉の国家責任を捨てさろうとしている。そのための「地域主権関連3法案」が参議院を通過しており、衆議院にかけられている。 沖縄の怒り、全国の怒りと結合し、民主党政権を打倒しよう。
(関東「障害者」解放委員会・怒り矢)
急を聞きつけ全国から集まった「障害者」2000人が国会前に(8日) |
兵庫で狭山集会 5・23
神戸市長田区の番町で、5・23兵庫県集会が開かれた。
集会は、『報道発 ドキュメンタリ宣言 狭山事件48年目の真実』(テレビ朝日)の上映から始まった。映像は、改めて、石川さんの無実を確信させるものだった。
討論では、証拠開示を受けて、要請行動の意義やたたかいの方向性・抱負などを、全国連同盟員や共闘の仲間が次々と発言。青年が集会をリード、沖縄問題や在特会問題にも言及。映像と報告と自由討論が一体で、活発でいい集会となった。
(労働者通信員 M)
5面
講演 韓国併合までの歴史
強制された1905年条約
康 成銀(カン ソンウン)さん(朝鮮大学教授)
4月24日、奈良県解放センターで開催された2010「在日朝鮮人歴史・人権月間」関西集会で、朝鮮大学校教授・康 成銀さんが、「韓国併合条約までの歴史」と題する報告をおこなった。この報告と、康さんの著書『一九〇五年韓国保護条約と植民地支配責任―歴史学と国際法学との対話』をあわせて、その要旨を掲載する。〔文責 編集委員会〕
韓国併合の前に1905年条約
従来、日本による朝鮮植民地統治は、1910年の「韓国併合条約」以降とされてきた。
しかし、1905年の「乙巳(ウルサ)五条約」によって、朝鮮は、@外交権をはく奪され、Aソウルに、日本政府の韓国統監部が設置された。つまり、1905年条約によって、日本による朝鮮植民地化がはじまっていた。しかも、1905年条約は、日本政府が、韓国政府にたいして、強制によって押しつけたものであり、1905年条約は国際法的にも無効である。
ゆえに1905年条約が無効であるならば、当然、1905年条約を継承した1910年の「韓国併合条約」も無効である。日本の植民地統治は当初から違法である。
強制された条約は無効
日本政府は、日清戦争から日露戦争と進む中で、朝鮮への支配をつよめていった。
とくに日露戦争に勝利した日本は、軍事的動員で脅しをかけながら、高宗皇帝をはじめとする韓国政府大臣を脅迫する一方、政府内の改革派を追放した。
そして伊藤博文が「特派大使」として韓国に乗り込み、1905年11月7日、日本軍の二重三重の包囲の下で御前会議を強要、政府大臣らを拉致同然に別室に押し込め、そこで伊藤博文らが一方的に賛成多数を宣言。調印書に押された外部大臣の官印は、深夜に外部官邸から奪ってきたものだった。
これが1905年条約の締結過程の実際であり、強制された条約は無効だ。
日本側の文書でも
日本側の公式の文書でも強制はあきらかだ。
・ソウル南山一帯に軍隊を配置し、王宮を囲み、17・18日の両日、歩兵大隊等により威圧した。(『東京日日新聞』1905年11月25日付)
・日本の全権公使は、韓国各大臣を日本公使館に召集し、条約採択のための御前会議の開催を要求、韓国各大臣を「途中逃げ出さぬやうに監視し」王宮に連行した。(日本外務省編『日本外交文書』より)
・閣議に、外国使臣である伊藤博文、林権助らが出席。(日本外務省編『日本外交文書』より)
・伊藤博文は、「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ」と大きな声で囁いた。(西四辻公堯『巻末外交文書』)
伊藤博文がねつ造
1905年条約を韓国に強制し、帰国した伊藤博文が、天皇に、「復命書(出張報告書)」を提出している。その復命書の草案が、国会図書館の憲政資料室から発見されたが、復命書の草案と、正式に提出された復命書を比べてみると、強制の事実を隠蔽するために、伊藤が事実を歪曲した報告を行っていることがわかる。
・草案では、「皇帝が保護条約に同意しない」とあるのを、提出された復命書では「同意した」かのように書き直している。
・皇帝が韓国政府にたいして「日本政府の提案に妥協する事を命じた」という内容を書き加えた。
・「会合談判」や「協議」という字句を、正式交渉の性格が、より濃い「協商」という字句に修正した。
1910年条約の不法
1910年の「韓国併合条約」の署名を見ると、朝鮮側が「内閣総理大臣・李完用」で、日本側が「統監 子爵・寺内正毅」となっている。これは、統監・寺内の命を受けた内閣総理大臣・李完用が、統監・寺内と条約に調印したということで、実質的には、1905年条約で韓国統監となった寺内の下で、両国が締結したに等しい。
日本の政府と学会
高宗皇帝と韓国政府は、1905年条約の無効を訴えた。また、朝鮮人民は、義兵闘
05年11月刊 創史社 3200円+税 |
一方、日本政府は、戦後も、1905年条約について完全に開き直る「正当・合法」論だった。1990年代に入って、日本政府は、戦争責任・植民地責任ついて「お詫びする」としたが、しかしその法的責任はないとする「不当・合法」論であった。
日本の学会においては、1905年条約の事実究明と法的効力について論じられ、「不当・不法=無効」論と「不当・合法=有効」論に分かれている。日本の学会は、この問題が政治的だからと研究を回避する傾向がある。
アジアの一員としての日本の将来を展望するなら、歴史問題に真に向き合うことがその出発点となる。
投稿 真の革命党か否かの分岐しめす
『展望』6号 中沢論文に学ぶ
『展望』第6号掲載の「『7・7思想』と入管闘争」(以下「中沢論文」)を支持する立場から、以下3点にわたって持論を述べる。
被差別の怒り共有
第1に、党が、真に日帝打倒・プロレタリア革命を目指す革命党であるかどうかの分岐点は、被差別人民の「怒りと苦悩」を共有できるか否かである。中沢論文はそのことを「共産主義者の党は当然にもすべての労働者階級人民、被差別・非抑圧人民の党でなければならない」(106頁)と明確に述べている。つまり被差別人民の「怒りと苦悩」を個々の党員が「我がこととすることができるか否か」である。
中沢論文は、「労働者階級は自らを革命的階級として形成するためにも、差別・抑圧とのたたかいを主体的課題として措定して闘うことが求められている」(98頁)、「差別・抑圧に苦しみ、怒り、立ちあがる人びとに心を寄せることのできない『プロレタリアート』や『共産主義者』は、差別・抑圧の問題を解決するどころか、『プロレタリアート』や『共産主義者』の名において被差別・非抑圧人民に襲いかかる反動に転落していくのである」(99頁)と述べている。
そのとおりである。われわれは上記の中沢論文の指摘を真摯に認識しなければならない。
被差別人民の「怒りと苦悩」を共有することはわれわれの責務である。
中沢論文は、被差別人民の怒りと苦悩を共有することを、われわれ一人ひとりの党員に厳しく問うている。中沢論文に深く学び実践しなければならない。
天皇制打倒の重要性
第2に、党が、真に日帝打倒・プロレタリア革命を目指す革命党であるかどうかの分岐点は、天皇制打倒(天皇・皇族廃止)をたたかいぬくか否かである。
いま沖縄闘争・米軍基地闘争が大きくもりあがっている。太平洋戦争終結時の戦犯天皇ヒロヒトの命乞いによる沖縄売り渡しが、沖縄基地問題の原点なのだ。(敗戦国側では、戦犯ヒトラーは自殺、戦犯ムッソリーニは処刑。戦犯天皇ヒロヒトのみが生き延びた)
天皇問題にかんして中沢論文は、「90年は天皇即位式・大嘗祭の大攻撃が襲いかかろうとしており日本全土をあげて『祝賀』に人民を根こそぎ動員し、それに従わない者は『非国民』として弾圧・排除する攻撃がくわえられようとしていた」(63頁)、「日帝にとって(中略)帝国主義国家として存立しつづけるためには、天皇をあがめたてまつる排他的な『日本民族』の国家として以外には成り立たない」(87頁)、「日本軍慰安婦制度、731部隊による人体実験、南京大虐殺・・・こうした諸事実は(中略)天皇制日本帝国主義の軍隊だからこそ引き起こされたのである」(88頁)と述べ、反天皇制のたたかいが重要であることを指摘している。
反天皇制(天皇・皇族の廃止)のたたかいは、党員としての重要な責務である。
在特会とのたたかい
第3に、「対・在特会闘争」の課題であるが、「彼ら(在特会)は社会的に弱い立場の人たちをターゲットにして排斥することで、社会にたいする人民の不満や鬱憤を晴らさせ、排外主義へと組織する民間の新たな運動である」(85頁)
在特会は、日の丸の旗をかかげ「犯罪在日は出て行け」などと暴言を公然と吐き、大阪の街をデモ行進した。まるで65年以上前にタイムスリップしたかのような光景だ。在特会にとって、人を差別することは「楽しいことであり快楽」なのだ。
在特会は、いずれ「在日は死ね」「部落民は死ね」「極左集団は死ね」に、スローガンをエスカレートさせるだろう。
たった1つの小さな「落書き」から始まった。そのときは、誰もが「わたしには関係のないことだ」と思っていた。それが歴史に残るナチスによるユダヤ人大虐殺まで行き着くとは、誰も最初は気がついていなかった。ナチスによって虐殺された人はユダヤ人だけではなかった。共産主義者も、そして精神病者も無政府主義者・反ナチ活動家も虐殺された。
もはや在特会は「たった1つの小さな落書き」のラインをはるかに超え、許すことのできない集団である。
中沢論文を実践し行動していくことは、われわれの重要な任務だ。中沢論文に集約された「7・7思想」を基底にすえ、《日本帝国主義打倒 沖縄闘争勝利 日米軍事同盟粉砕 三里塚闘争勝利 一切の差別反対 天皇制打倒(天皇・皇族の廃止)》をスローガンに進撃しよう。(RK)
6面
|
07年参院選と09年衆院選で、労働者人民のうねりが自民党政権を打ち倒してきた。そして、その労働者人民のうねり、とりわけ沖縄県民の怒りの前に、鳩山もまた辞任に追い込まれた。7月参院選で、この情勢をさらに一歩進める必要がある。そのために「沖縄に連帯し改憲に反対する候補」を国会にぜひ送り込もう。参院選(比例代表)に挑戦する原和美さんにお話をきいた。
〔6日 神戸市内 聞き手・文責 編集委員会〕
「沖縄に米軍基地はいらない―12日間連続座り込み行動」に参加した原和美さん(写真2枚とも5月25日 神戸市・三宮) |
原和美さん プロフィル
1950年福井県生まれ。神戸外大卒。旧郵政省神戸貯金局に勤務、全逓労働運動に参加。働きながら子育て、保育時間の要求や地域の学童保育所づくりなど、女性が働き続けられる条件整備に奔走。「合成洗剤から石けんへ」運動にとりくむ。1983年から神戸市議を5期。神戸空港建設に異議、「大事なことはみんなで決めよう」と住民投票議員団に参加。市議の仕事をしながら神戸大大学院を修了。戦争への道を許さない兵庫女たちネットワーク代表として、反戦・平和と女性運動で行動を続ける。03年から、憲法を守る共同闘争を支えに国政選挙に挑戦。「疲れは庭仕事と洗濯でふっとばす」とのこと。家族は夫と1男、1女。
参院選で日米同盟を問う 沖縄に連帯する候補を国会へ
――参院選(比例代表)に挑戦されます。自己紹介を
1950年生まれ、福井県出身。小さいときから元気な子でした。鉄棒をやったり、木に登ったり。
武生高校から神戸の大学に入り、働きながら学びました。小さな大学でしたが、ベトナム反戦、安保沖縄闘争まっ盛りのころ。ひととおりデモにいったり。そのときの体験は、あとで労働運動にかかわる契機にもなりました。
――普天間基地問題は再び辺野古へと、とんでもない逆走に。原さんは、5月15日、沖縄の集会に参加されました
5月15日、私も、どしゃぶりの雨のなか宜野湾集会に参加して、沖縄の怒りの輪に加わってきました。
「辺野古移設は許せない。国外、最低でも県外と約束した。これは本土、日本の問題でしょう」という沖縄の人たちの意志は、はっきりしています。本土の私たちが戦後65年、「復帰」後38年も、沖縄に犠牲、負担を強いてきたこと。それは変えなければ。
ねばり強く運動を拡げながら、参院選で訴えていきたい。
――「県内移設は絶対に反対」という社民党の決断も情勢を動かしました
約束を破ったのが鳩山首相。連立離脱は当然でした。福島党首の「辺野古に新基地はつくらせない、普天間は閉鎖」というきっぱりした態度と決断は、私も同じ気持ち。
新内閣は、普天間の3党合意にもどって、日米合意は見直すべき。「ふり出しに戻った」というなら、私たちこそもう一度もとに戻す。そこをまっすぐに訴えたい。
もっと声を大きく、「沖縄にも、どこにも米軍基地はいらない」「生活と労働を守る。改憲阻止」と言っていきます。
――原さんは、「憲法9条は変えさせない」と、第一に言われています
「9条を変えない」は基本。「9条は理想論」と言われますが、理想なくして現実は変えられない。
働くということでは、長いたたかいの末にかちとられた8時間労働が、崩されてきています。長時間労働が強いられ、過労死が英語にもなる一方で、仕事のない人たちが膨大にいる。ほんとうに憤っています。1日8時間、週40時間働けば普通に生活できる社会というのが、最低限当たり前でしょう。労基法は、あってない状態。こういう法改悪が、次々に国会でおこなわれてきました。
労働者派遣法改正案にも、逃げ道がたくさんある。「派遣法を抜本改正したら、企業が海外に行ってしまう」というような発想ではなく、人が働き、安定して生きていくために何が必要か、そこから考えたい。
最低賃金だって、1000円とか1200円にしないと。働く人たちが疲れきっていては、暮らしはもとより景気回復もできないでしょう。そういうことに、政治が果たさなければならない役割は大きい。
――神戸市議を5期、その前は郵政省の貯金職場で労働運動にかかわってこられました
当時は全逓という組合でした。組合活動に関心はもっていましたが、ほんとは、婦人部長になるようにたのまれ、断れなかったから。
78年ころ、もちろん育児休業法以前。ずっと子育てしながら働いてきました。ほんとうに大変。働きながらの子育てで苦しまなくてもいい時代を夢見ていましたが、実際はまったく違った。妊娠中の通勤時間緩和はありましたが、子育てについてはなかった。隔週週休2日制が始まったのに、ちっとも時間短縮にならず、逆に1日の労働時間は増え、保育所へ迎えにいく時間がなくなった。
どうしてくれるねん、と。当初はちょっと早く帰ることを黙認していたが、絶対ダメとなった。私は「帰ります」と、何人かの仲間と「早帰り」運動を始めました。課長が毎日、「違法です」とチェックし、欠勤扱いで賃金カット、昇給延伸されましたがやりぬいた。 しかし、そのことによって結果的に、紙には書かないが「部内扱い」として認めさせることになった。「わがまま」と受けとられる心配もあったが、職場の仲間は応援してくれましたね。
あとで組合の中央に聞いたら「時間短縮の交渉で、そんな問題が起こるとは思いもしなかった」と。みんな役員は男性でしたから。
――子ども手当について、どう考えていますか
たしかに、社会が子どもを大事にし育てていく意味では、子ども手当は一歩。だけど、いまのままでは「ばらまき」になってしまうのでは。高校教育についても同じですね。
思い切って保育所の充実、義務教育は給食費や教材費などを含め完全無償化に。それと合わせておこなうという、ほんらいの政策にしていかなければ。それは女性の権利の拡大、社会への参画というあり方にもつながっていく。
――これまでの新社会党、無所属から、社民党で立候補する決断をされました
国民投票法も施行されました。保守大政党と右派小政党になれば、状況はきわめて危うい。きちんと主張し民衆の側に立つ議員が、がんばること。危険な方向には、なだれ込ませない。そういう議席をなんとしても確保したい。これまで私を支持してくださった人たちは、反戦・平和や暮らし、何らかの運動に信念をもってかかわってきた人たち。誰も、あきらめていません。民主党・自民党より右の「新党」にキャスティングボートをにぎらせてはならない。
いま一議席の重さということを痛感しています。私たちが、この選挙で結果を出すことができたら、とても大きな意味を持つと思います。
――最後に、選挙戦の抱負を聞かせてください
「米軍基地はいらない、普天間は即時閉鎖。生活を守り、改憲を阻止する」。それをはっきり。民衆の側の議席を実現したい。みなさんの決意に、私も応えます。
全国比例ですから、ぜひ「原和美」と個人名での投票をお願いします。(7/12掲載)
投稿 中国訪問記
「社会主義とは? ――豊かさです」
中国最初の経済特区に指定された深セン(土へんに川)を訪問した。
もとは人口2万人ほどの漁村。しかし今は200万近い。郊外にいくと、片側3〜4車線の道路の両側に、工場用地が延々と広がる。田畑は見えない。
日本人は高級住宅
都市部が活気に満ちているのは、他と同様であるが、なぜだか居心地が悪い。空気が肌を刺すような感じ。大気汚染だけでなく、立ち止まらず走り続けねばならない。他人を踏み台にしなければ生きていけない雰囲気がある。
全体が人工都市で、働く場所・稼ぐ場所ではあっても、住みたいとは思わない。
友人が働く従業員5千人の日系電機工場も見学した。独身寮は、間口1間(約1・8m)、奥行き2間に2段ベッドが2つ。
日本人と香港人は、高い塀の上に有刺鉄線を張り巡らした要塞のような高級住宅。
日本人の中国人にたいする差別意識、さらに中国人と香港人の差別。日系企業に共通するのだろうか?
平等はどうなった
改革開放政策によってたしかに豊かになった。 しかし、党中堅幹部の友人に、「社会主義を一言で言うと何ですか」と聞くと、「豊かさです」という回答。愕然とした。
本来追求するべき平等はどうなったのだろう。豊かになったのと同様、金銭欲や性欲は「解放」されたが、改革は進展しているようには思えない。
最大の問題は幹部の腐敗だろう。汚職には2千年以上の歴史があるから改革は容易ではない。むしろ社会の潤滑油のような働きをしている。人民もコネを批判するが、事業を興すときなどには利用する。コネには金をともなう。貧乏な人はコネを利用できない。そうしてますます貧富の差が広がる。
ディーゼル車を天然ガス車に、レジ袋を有料に、公共の場所を禁煙に―など一党独裁だから可能となっている面もあるが。(住友 召)