未来・第56号


            未来第56号目次(2010年5月4日発行)

 1面  沖縄に基地おしつけるな 県民大会に9万人

     団結街道の封鎖阻止 5・16三里塚現地へ

 2面  辺野古は不退転でたたかう 4・25県民大会の最前列で

     基地なくす闘いのはじまり 知花盛康さん

     視点 戦後史の転換点

 3面  第81回メーデー万歳!
     階級闘争を復権し貧困と戦争からの解放を
     革共同再建協議会/革共同関西地方委員会

     国鉄闘争23年の成果を生かす
     ノーモア尼崎事故 4・17集会

     国民投票法を撤廃しよう 4月16日 東京

 4面  「在特会」の暴力をゆるすな
     排外主義を許さない5・30関西集会に集まろう

     部落解放同盟全国連合会第19回全国大会(4月17日〜18日)
     全国で部落実態調査を実施へ

     東京高裁・東京高検に要請行動
     狭山事件の証拠を開示せよ

 5面  もんじゅは原爆製造工場 5月運転再開やめよ

     日米同盟の相対化めざす 鳩山政権の安保政策
     纐纈厚さん(山口大学教員)に聞く

     「大江・岩波裁判」学習会
     沖縄戦で殺された人々の視点 新崎盛暉さん(沖縄大学)

 6面  直撃インタビュー 第10弾
     韓国から学んで日本の労働運動の活性化を
     中村 猛さん(日韓民主労働者連帯 代表)

       

沖縄に基地おしつけるな 県民大会に9万人

沖縄県読谷村運動広場〔パノラマ合成〕(本面の写真はすべて4月25日午後3時すぎ)

4月25日、普天間基地閉鎖と県内移設反対をかかげた沖縄県民大会が、読谷村運動広場で開催された。〔関連記事2面〕

県民の蜂起

読谷村に向かう国道58号線が大渋滞している。那覇など南部方面は10キロ渋滞とラジオが伝える。市町村名が貼られたバスや大会統一カラーの黄色い布をつけた車でいっぱいだ。数キロ手前で車を置いて歩き出す人も。開始時刻の午後3時を過ぎても会場に川のように人が流れ込んでくる。参加者は約9万人。推計1万人が渋滞で会場にたどり着けなかった。
一人ひとりが自らの意志で続々と集まってくる様子を、翌日の『琉球新報』は、「県民の『蜂起』」と報じた。

オール沖縄

檀上には全41市町村代表が並んだ。沖縄県民の押しとどめようがない流れによるものだ。この流れに抗しきれず、新基地容認姿勢の知事まで引きずり出されてきた。
焦点の宜野湾市や名護市から力強い発言。
「あくまでも県内というなら、われわれは沖縄から米軍の撤退を求める」(伊波・宜野湾市長)。
「オール沖縄で県内移設に反対する原動力となった名護市民を誇りに思う。名護市民に約束したことを最後まで貫き通す」(稲嶺・名護市長)。

フェンスに囲まれているのは 私たちでは

「厚さ6センチの窓いっぱいに見える飛行機の胴体。授業も何も容赦なく中断させる騒音。これが普天間高校の日常だ。フェンスに囲まれているのは基地でなく私たちでは。日本の米軍基地の75%が沖縄にあることを実感した。基地問題を、日本国民が自分の問題として考えてほしい」(普天間高校 生徒)。
基地被害の苦しみ、沖縄に犠牲を集中している理不尽さ、沖縄差別の上に成り立つ日本への怒り――それを訴えた高校生代表の発言は、そのまま9万人の参加者の叫びとなった。

辺野古で生まれ育ったきょうだい。「静かな集落、きれいな海を残したい。辺野古に基地は来てほしくない。これ以上、住民を悩まさないで」と訴える

子ども連れで参加する若い母親が目立つ

「わした島・美(ちゅ)ら島・沖縄(うちなー)に基地はいらんさぁー。移設先、混迷して県民を愚弄してるの?138万県民はワジワジーしてるぞ」と怒りのプラカード

ひときわ熱のこもった声援をおくる二見以北で民宿を営む男性

団結街道の封鎖阻止 5・16三里塚現地へ

三里塚芝山連合空港反対同盟は、来る5月16日に、「団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路計画粉砕! 沖縄闘争連帯!」をかかげて現地闘争をおこなうことを決定し、全国に結集を呼びかけている。
成田市は、3月議会で団結街道の廃止を強行した。告示を2カ月おこなったうえで、5月19日以降法的に閉鎖し、空港会社へ譲渡するとしている。国家権力は、5月20日以降、団結街道の物理的封鎖をねらっている。成田市と空港会社が一体となって、不屈にたたかう市東孝雄さんの営農と生活を破壊する攻撃にたいして、反対同盟は「市東さんの農地を守る新たなたたかいに入る」と宣言した。この反対同盟の決意に応え、5・16三里塚現地闘争に全力で決起しよう。

4・25県民大会に反対同盟旗が立つ(左から三里塚反対同盟の市東さん、萩原さん、関西実行委の永井さん、山本さん)

2面

辺野古は不退転でたたかう
4・25県民大会の最前列で

辺野古からバスで出発。辺野古住民とテント村の仲間(4月25日 13時頃)


防災無線で
「25日は県民大会です。送迎バスを用意しています。参加できない人も黄色の服で、統一した意志表示をしましょう」。
連日、午後6時になると、防災無線で県民大会のお知らせが流れた。名護市では、稲嶺市長を委員長に実行委員会がつくられ、3千人の参加を目標に広報活動がおこなわれた。24日は市長も街頭に出てビラを配布。市長選の勝利でこうもかわるものかと実感させられた。

反動の巻き返し
名護市辺野古区では、「25日、区民大会」の掲示があった。県民大会が決まる前からの定例の行事とのことだ。しかしそこには反動的な意図があった。
「県民大会の成功のため、区民大会は変更すべきだ」。新基地反対で行動するオバアらが、辺野古区長に申し入れをおこなった。しかし区長は日程変更を拒否。区民大会に参加すると1人につき米5キロを配るという。
さらに、県民大会後の報道によれば、この区長は、3月に、在沖米総領事に呼ばれて、「辺野古沿岸案に戻ったらどうか」と問われ、「話し合いには応じる」とこたえたことを明らかにした。
市長選の勝利にたいして、激しい巻き返しがはじまっている。

命がけで来た
辺野古や二見以北の住民は、会場の最前列に陣取った。彼らは新たな反動に怒りを燃やして、県民大会に参加した。長らく運動から離れていた住民も家族ぐるみで参加した。
オジイ・オバアらは、とりわけ稲嶺市長の発言に聞きいり、その一体感と固い信念に涙を流しながら拍手を送っていた。
辺野古ですわりこみを続ける嘉陽宗義さんは、「命がけで来た。稲嶺市長が徹底的にたたかうと言ってくれた。沖縄を守ろうという真心で、若い世代も団結した。県民が一体となった。この感激は忘れられない」と喜びを語った。大会終了後、ステージを降りてきた稲嶺市長と、辺野古住民、テント村の仲間ががっちりと握手し感動と決意を分かち合った。

「戦争の苦しさ、むごたらしさは忘れられない」と涙を浮かべながら語るオバアが稲嶺市長の発言に拍手を送る(4月25日 3時過ぎ)

座り込みを続ける嘉陽さんのもとに稲嶺市長が。辺野古・二見以北の住民やテント村の仲間が囲む(4月25日 4時頃)

沖縄と連帯し全国で行動

札幌市内で昼からリレートーク(25日)
青森青森市で120人が大会と連帯した集会(25日)
東京フリーター労組など100人が新宿をデモ(24日)
社会文化会館で1000人が集会と銀座デモ(25日)
明治公園で1250人がキャンドルで「NO BASE OKINAWA」の人文字(25日)
長野佐久市で昼から集会(25日)
上田市で集会とデモ(24日)
名古屋栄で街頭アピールのあとデモ(25日)
京都京都行動など300人余がデモ(25日)
大阪扇町公園で1500人が集会(27日)
広島市内で夕方にキャンドル街宣(25日)
岩国市内で90人が、ネット配信の大会中継を見ながら集まり(25日)
福岡伊波洋一・宜野湾市長をむかえて230人が集会とパレード(24日)
大分大分市内で1000人が普天間撤去と日出生台への訓練移設反対で集会とデモ(25日)
 
八重山郡民大会石垣市内で700人(24日)
宮古地区大会宮古島市で3000人が普天間県内移設と下地島空港軍事利用に反対(25日)
 
米国ワシントンDC/サンフランシスコ/ハワイ

基地なくす闘いのはじまり 知花盛康さん

金城実さん作の巨大レリーフの前で孫の手を引き発言する知花盛康さん。後方の右が金城さん、左は島唄の師匠・照屋さん(4月25日 午後7時頃 読谷村内)

県民大会のあと、彫刻家の金城実さんや読谷村議の知花昌一さんらのよびかけで、沖縄内外のたたかう仲間の交流会がもたれた。三里塚反対同盟や関西実行委も参加した。以下は、読谷村の農民・知花盛康さんの交流会での発言要旨。

米軍が人を殺して帰ってくる。そうすれば沖縄の風紀が乱れるのは当然。そういう基地をヤマトは沖縄に押しつけてきた。沖縄が訴えてきた対象は、ヤマト。沖縄にこんな基地を押しつけていいのかと。またしても、たらい回しで押しつけるのかと。もう我慢ならない。県民大会は、ヤマトに、世界に、「もう基地はいらない」と発信した。これは終わりではない。一つひとつ基地をなくしていくたたかいの始まりだ。

視点 戦後史の転換点

9万人が集まった。基地問題で県内の全主要政党が参加したことも大きい。だが今回の県民大会の意義は、それにとどまらない。
沖縄が島ぐるみで叫んでいることは――@基地が、沖縄県民の生活と生命を脅かし続けている。もう我慢ならない。A基地押しつけは沖縄差別だ。差別をやめよ。B沖縄が基地を選択したのではない。日米の取引によって決められてきた。それを拒否する。沖縄のことは沖縄が決める――ということだろう。
沖縄県民が、歴史的構造的な差別を突きやぶり、日米帝国主義と対決して、自己決定権を貫いていこうとしている。そのことが、沖縄に基地を差別的に集中させることで成立してきた安保体制と日本の国家体制を、土台から突き崩しはじめた。それが本土人民の決起をうながし、沖縄と本土の人民が一体となって、帝国主義を打倒するうねりになろうとしている。
戦後の階級闘争が、手をかけつつも突きやぶりきれなかった壁を、ついに突破するたたかいがはじまった。

全国から辺野古闘争へ

だが厳しい攻防のはじまりでもある。たらい回しで沖縄県民をさんざん愚弄したあげく、県民大会9万人の声を踏みにじって、辺野古修正案(杭打ち桟橋方式)を強行しようとしている。米日の権力者は、強大な力を見せつけて、抵抗してもムダだと絶望させようとしている。
これと連動して名護市長選の力関係にたいして、巻き返しも強まっている。市議会では、市長選で稲嶺支持で動いた勢力の一部が、稲嶺市長の足を引っ張る動きを見せている。沖縄では、7月参院選、9月名護市議選、11月知事選と選挙が大攻防になるが、名護市議選をめぐって、新基地容認派が反対派落としをねらって動いている。
座り込みを続けるオジイ・オバアの心には、沖縄戦の凄絶な体験と、それをくり返してはならないという強い思いがある。不退転でたたかう意志もここからきている。
このオジイ・オバアたちを、力で押しつぶそうとする権力者のやり方を見過ごしていていいのか。全国の労働者人民は、辺野古闘争に連帯し、現地に駆けつけよう。5・16には普天間基地を包囲し、基地機能を停止させよう。

3面

第81回メーデー万歳!
階級闘争を復権し貧困と戦争からの解放を
革共同再建協議会/革共同関西地方委員会

すべてのたたかう労働者のみなさん。革共同再建協議会から第81回メーデーへのアピールを送ります。
世界的な大恐慌のなか、投機経済で甘い汁を吸い続けてきた資本家たちは、非正規雇用労働者たちを大量に切り捨て、正規雇用労働者には早期退職をせまりながら、アジアに生産移転して超低賃金で搾取し、企業収益を回復してきました。

連合の屈服のりこえ

それにたいして連合の10春闘は、非正規雇用労働者の労働条件引き上げ要求を議題にしようともせず、一時金カットで定昇の現状維持をはかるだけというものでした。まさに資本を利するための「春闘」になってしまったのです。
派遣法改定問題では、社民党や国民新党以下の水準で日本経団連と手打ちをしたのが連合指導部でした。その結果、切り捨て自由で労働力を買いたたくための労働者派遣制度が、少なくとも改定後3〜5年の間、継続しようとしているのです。
民主党連立政権で閣僚にまでのぼりつめることになった連合幹部たちは、私たち現場で働く労働者には無縁の存在であったことが暴露されました。

「抑止力」は憲法違反

鳩山政権は、米海兵隊の普天間基地撤去問題で「国外か少なくとも県外へ」と政府の政策転換をうちだしたものの、決着点を見いだせないまま、期限の5月末をむかえようとしています。沖縄県民への約束か、オバマへの約束かというジレンマに陥ってきたものですが、より根本的には、平和的生存の要求か帝国主義としての軍事政策か、平和憲法か日米同盟かという問題であり、中間的な解決案などありえないのです。
そもそも、なんのための安保なのか、「県民負担の軽減」を言う前に、沖縄はなんのために何を負担させられてきたのかが問題とされなければなりません。
イラク・アフガニスタン侵略戦争のための中継・出撃拠点となってきた在沖米軍と侵略突撃部隊である海兵隊の存在は、憲法違反であることはもとより、日米安保条約の条文すら無視するものです。これを「抑止力」と称して、日本とアジアの平和のために必要だとすることはできません。そんなものは沖縄県民にも私たちにもいりません。
民主党政権の政策破綻と自民党の自壊現象は、日本の帝国主義者、ブルジョアジーの統治能力の喪失を意味しています。鳩山政権は連合指導部たちを閣僚に送り込み、体制内改良的なマニフェストによってはじめのうちには労働者人民の支持を得てきました。しかしそうしたペテン的な方策は、帝国主義の危機を打開することも、労働者階級の利益を体現することもできずに、その中途半端さのゆえに立ち枯れ状態になりつつあるのです。

第2ステージへ

これは、私たちが生きるこの時代が、帝国主義ブルジョワジーと労働者階級人民の階級対立を本質とした時代であることを物語っています。言い換えれば、小泉政権以来の新自由主義政策を軌道修正しただけではどうにもならない危機に、日本帝国主義が直面していることを物語っているのです。
昨年夏の総選挙で自公政権を打倒した闘いに続く第2ステージは、帝国主義による侵略と戦争への道か、それとも労働者階級人民の立場から侵略と戦争を阻止し、帝国主義を打倒していくのかが問われています。
ワーキングプアにおとし込められ、生存権まで奪われてきた非正規雇用労働者の闘いが始まっています。労働者派遣法をめぐる攻防も終わったわけではありません。他方、「在特会」という差別と排外主義を公然と主張するファシスト運動が警察権力の比護のもとに跋扈(ばっこ)しはじめ、各地の街頭で攻防がつづいています。あらゆる差別と分断の攻撃をのりこえて、在日・滞日を含めたアジアの労働者たちと連帯して闘うことをぬきに、私たち日本の労働運動に展望はありません。
メーデーの全歴史をつらぬくスローガンは〈万国の労働者は団結せよ〉です。私たち労働者階級が、万国の被抑圧人民と連帯して闘うとき、搾取と収奪、貧困と格差、戦争と侵略からの全人類の解放の未来は切り開かれるのです。

派遣法の抜本改正をうったえ統一アクション(4月14日 大阪)

国鉄闘争23年の成果を生かす
ノーモア尼崎事故 4・17集会

05年4月25日に起きたJR尼崎事故から5年、4月17日に尼崎市の労働福祉会館で国鉄集会が開かれた。今年は、〈国鉄「分割・民営化」を検証する!/ノーモアJR尼崎事故! 生命と安全を守れ!/「解雇撤回・JR復帰」闘争 最終局面!〉と題して、 2部構成でおこなわれた。
1部は、安全研究会の地脇さん、4・25ネットワークの遺族の藤崎さん、JR株主・市民の会、JR労働者からの発言があった。2部は、国鉄闘争共闘会議の二瓶議長、鉄建公団訴訟原告の決意表明がおこなわれた。

二瓶議長が経過報告

二瓶議長は、「国鉄闘争の現状と今後の展望について」と題して講演した。二瓶さんは「1047名不採用問題は政府の責任」としたうえで、これまでの経過を次のように述べた。
「闘う闘争団の鉄建公団訴訟が大きな意義をもっている。国労本部は、原告団を統制処分し裁判は負けるといっていた。しかし、05年9・15判決によって不十分ではあるが、不当労働行為を認めた判決を勝ち取ることができた」。
「共闘会議は、裁判闘争と大衆闘争を両輪として闘ってきた。政府から『一括して解決したい』という申入れのなかで4者4団体をつくった。この政治的解決の動きに対していろいろ言われているが私達は『路頭に迷わない解決』をめざし、雇用、年金、解決金の3項目で交渉してきた」。
最後に二瓶さんは、「JR雇用をめぐって闘争団のJR復帰の意志を確認しながら半年、1年は4者4団体を解散しないで頑張っていく」ことを明らかにした。

現場にもどり国労運動を

鉄建公団訴訟原告団と家族からは、「闘争団会議のなかでJR職場に戻っていこう、一から国労運動をやっていこうと確認している」「金額には不満がある、国鉄分割・民営化の攻撃は、国労をせん滅するという攻撃、一人でもJR復帰をはたせば勝利」。
「支援を無にするような解決はしたくない。2200万プラスJR雇用という解決案にもろ手をあげて賛成ではない。しかしこの解決は鉄建公団訴訟を闘った成果だと総括していい。23年国鉄闘争を闘った財産をいかしみなさんと共に闘う」と決意が述べられた。(国労組合員 T)

たたかう闘争団と家族が「JR復帰をはたす」と決意表明(4月17日 兵庫県尼崎市内)

国民投票法を撤廃しよう 4月16日 東京

国民投票法の施行日とされる5月18日を1カ月後にひかえ、「壊憲NO! 国民投票法の撤廃を求める4・16集会」が都内でひらかれた。4月とは思えない冷たい雨が降る悪天候にもかかわわず、続々と参加者があつまった。

壊憲手続法(国民投票法)の5月18日施行に反対し、撤廃を要求しようと訴える山口さん(4月16日 東京・豊島公会堂)

あっという間に改憲

基調報告をおこなった山口正紀さん(呼びかけ人・ジャーナリスト)は、いったん改憲が発議されれば、この国民投票法に歯止めはなく、あっというまに改憲にいきつくおそろしい法律だと強調した。その問題点として、@国民投票法の投票率下限がないこと、A広報協議会が改憲派で占められ、一方的な改憲の広報活動がおこなわれること、B公務員、教職員などが、改憲反対運動を禁止されること、C発議されてから投票まで、わずか2カ月から半年しかなく、国民がゆっくり考えるまもなく改憲が強行されることなどをあげた。そして「国民投票法が成立した年の秋に安倍首相が政権を放り出し、その後民主党に政権交代したことから、改憲は遠のいたのではという声が改憲反対派の中にもある。しかし、夏の参議院選挙の結果いかんでは、情勢は改憲に向けて一気に動く可能性もある。壊憲NO! 国民投票法を撤廃せよの声を大きく上げていこう」としめくくった。
集会後半は、たたかいの現場からのリレートークがおこなわれ、最後に集会アピール文を採択、スローガンを確認し、デモに出た。

4面

「在特会」の暴力をゆるすな
排外主義を許さない5・30関西集会に集まろう

排外主義の煽動と襲撃

「在特会」(在日特権を許さない市民の会)を名のる差別・排外主義集団による、外国人排斥・朝鮮学校襲撃、「慰安婦」問題を闘う市民団体への妨害・襲撃が見過ごせないものとなっている。
彼らは昨年4月埼玉県蕨市で、在留特別許可を得ることのできたフィリピン人女子中学生の通う中学校に、「外国人を追い出せ」とデモ行進をおこなった。12月には、京都の朝鮮学校にたいして、校門近くで大型の拡声器で「キムチ臭い」「スパイの子」などと聞くにたえない暴言をあびせ、授業・行事を妨害した。日本軍「慰安婦」問題をとり組む市民団体には、毎週水曜日の宣伝行動(水曜デモ)に執拗な妨害・襲撃をくり返している。さらに宗教団体や老人施設にも攻撃を加え、今年4月には労働組合の事務所を襲撃した。

政権交代にいら立ち

「在特会」の思想と運動は、小泉・安倍政権によって増大してきた「社会的弱者を抹殺しても良い」とする新自由主義的思潮と、同政権の下で執拗にくり返された「反北朝鮮キャンペーン」が合体して産み出されたものである。
彼らの凶暴性は、新自由主義政策の破綻によって自民党政権が崩壊したことへのはげしいいら立ちと危機感のあらわれである。とくに民主党連立政権の登場によって外国人参政権が現実性をおびるたことによって、一気にその凶暴さをましてきた。
「在特会」は、昨年9〜10月に「外国人参政権断固反対・全国リレーデモ」をおこない札幌・東京・名古屋・大阪・福岡で、のべ1千人弱が街頭デモに参加した。そして「必ず外国人参政権が成立する日がやってきます。このXデーにむけて何ができるのか」と危機感をあらわにし、会長の桜井誠は「小沢の首を取る」と、民主党政権への攻撃をエスカレートさせている。
この危機感を、襲撃行動で運動に組織する先頭にたっているのが、「在特会」と「主権回復を目指す会」である。
彼らは昨年12月の京都朝鮮学校襲撃以降、それまでのエセ市民団体性もかなぐり捨て、活字にするのもはばかられる差別暴言をくり返している。事実関係として朝鮮人に何の関係ないことも朝鮮人のせいにし、「ゴキブリ、殺すぞ」「朝鮮人は帰れ」「反日左翼をたたき出せ」を絶叫する。そして昨今は「大和魂」をうたい、関西だけで1〜3月に40件もの襲撃・妨害をおこなった。

やつらを通すな

こうした「在特会」の反動的な突出にたいして、いま全国で思想・信条・所属・世代をこえて、「排外主義を許すな」の一点で反撃がはじまっている。
大阪でおこなわれる「排外主義を許さない5・30関西集会」は、昨年来「在特会」らと対峙してきた全日建連帯労組関西生コン支部、全港湾大阪支部などをはじめとする労働組合・市民団体・個人が集会実行委員会を形成し、大衆的反撃を呼びかけたものである。
いま目の前にある排外主義暴力や襲撃行為をあいまいな態度で見過ごしてはならない。「在特会」が石原慎太郎らによる極右政党(「立ち上がれ日本」)などと一体となって政治勢力化し、ナチスのように成長する前に、労働者人民の力で社会的に包囲し解体しなければならない。
「在特会」との闘争は、日本人民が朝鮮・中国・アジアと全世界の人民と連帯し、その階級的共同性を取り戻し、貧困と戦争の元凶である帝国主義への怒りを解き放つたたかいの一環である。またこの闘争は構造的な沖縄差別とたたかい、米軍基地撤去をめざす沖縄人民のたたかいとの合流と連帯をめざすたたかいである。
「やつらを通すな」を合い言葉に、5・30集会への賛同と総決起を地域・職場からつくりだしていこう。(近藤健二)

在特会の御堂筋デモにたいして緊急抗議行動がおこなわれた<呼びかけ:排外主義とたたかうネットワーク関西>(4月11日 大阪・なんば)

部落解放同盟全国連合会
第19回全国大会(4月17〜18日)
全国で部落実態調査を実施へ

4月17日〜18日、部落解放同盟全国連合会の第19回全国大会に参加した。
狭山再審開始に向けて、東京高検の証拠開示を実際に引き出して、再審の重い扉を本当にこじあけるのか否かという緊迫した情勢のただ中に私たちはいる。

狭山闘争の勝利へ

大会で小森糾弾闘争本部長は「三者協議は、石川さんと300万部落大衆、幾千万労働者民衆がきりひらいたもの。しかし検事は殺害現場とされた雑木林のルミノール反応報告について『そんなものはない』と言い、要請行動でも『石川が犯人』などと言い放った。狭山の歴史的勝利を絶対にもぎりとる。5・12要請行動を大闘争に」と訴えた。
沼田事務局長代行は、活動報告の冒頭に、Aさんを先頭とする広島差別事件糾弾闘争の2年半の苦闘の上での東京真相報告集会の成功を報告。また前進社本社への抗議行動にたいする、「1・5キロのハンマーで襲撃」などという『前進』の差別デマを笑止千万と弾劾した。
私たちはAさんの悔しさと怒りにむきあい、革共同の変質と広島差別事件を生みだした自らの責任をかけて、糾弾闘争にかかわってきた。革共同の差別集団への純化への怒りとともに、部落解放闘争を担いうる党の建設をと強く思う。
中田書記長は「30年間の政府の解放運動つぶし、さらにはここ10年の同和事業完全うちきりは、運動を融和主義へと歪めてきた。山下派奈良県連の解散と大阪府連の浪速からの撤退。しかしわれわれも無縁ではない。部落の中に入り、いまの部落の現実を学び知る中から新たな団結をつくっていく」とし、全国部落実態調査の方針を提起した。

部落の現実を学び運動をつくる

80年代からの日本帝国主義の新自由主義攻撃は「糾弾が差別の原因」(地対協意見具申)として糾弾闘争の圧殺と部落解放闘争の解体を宣言し、同和事業を完全にうちきって、部落民が実力でかちとってきた既得権をうばった。提起は部落のいまの現実を知り、部落民一人ひとりの苦闘に学び、そこから運動をつくるというものであった。
そして大会のまとめにあったように、国家権力のすさまじい差別と屈服・転向攻撃をはねのけて47年間不屈でたたかいぬく石川一雄さんとともに、狭山差別糾弾闘争の歴史的勝利をかちとることだ。署名・はがきを集中し、5・12要請行動にたとう。(G)

東京高裁・東京高検に要請行動
狭山事件の証拠を開示せよ

狭山再審をおこなえ!(4月20日 東京高裁前)

4月20日、首都圏の全国連の呼びかけで、東京高裁と東京高検にたいして、狭山要請行動がたたかわれた。
11時半からおこなわれた東京高裁への要請行動では、この日、新しく訟廷管理官となった南須原管理官にたいして、滝岡中執のあいさつと要請。つづいて、要請文を読み上げ提出。茨城中田支部の山田支部長からは「岡田裁判長に間違いなく伝わるようにあえて口頭で要請する」「裁判長がちゃんと仕事をすることだ」と、厳しい要請がおこなわれた。茨城県連、牛堀支部、守谷支部につづき、全国連本部より、先日開催された全国連19回大会での決議文が読み上げられ、全国連の狭山闘争勝利に向けた決意が裁判所につきつけられた。
東京高裁は、対応する訟廷管理官が次々と交代している。今回も新任が担当した。要請団からは、この新任の管理官にたいして、「狭山事件の認識は如何なるものか」「きちんと引継ぎがなされているのか」「要請内容がまちがいなく岡田裁判長につたわっているのか」と追求がなされ、「検討してきたが、従前と変わらない」という管理官の返答に激しい怒りの追及がなされた。

検察を追及

午後1時より東京高検への要請行動がはじまった。対応した検察側の山口検察官は、足利事件の菅谷さんにたいして、検察を代表して謝罪した人物である。要請文の読み上げにつづいて開示勧告をめぐる追及となった。
「開示勧告をうけて、その証拠を早急にだせ」「布川事件でもないと言っていた証拠があった。隠していたのだ。狭山事件でも同じことをやっている」「速やかに出せ」という要請に、「出せるかどうかは言えない」と、かたくなな態度を押し通した。全国連は「次回三者協議のまえに開示するよう強く要請」し、この日の要請行動は終了した。
次回5月12日に全国連は、さらに力をこめたたたかいを訴えている。連日の石川一雄さんの決起に断固としてこたえ、狭山闘争の勝利にむかってともにたたかいぬこう。(労働者通信員 F)

5面

もんじゅは原爆製造工場 5月運転再開やめよ

「もんじゅを止めよう! 母なる地球が泣いている」と、ミュージシャン朴保(pak poe)の絶叫から、「4・18ムダ、ムリ、無謀のもんじゅ再開抗議集会」は始まった。
敦賀市白木海岸でひらかれた集会では、原水禁事務局長が基調報告をおこなった。反原発福井県民会議の小木曾事務局長、もんじゅ監視委員会の小林圭二さんなどの発言がつづく。集会後、もんじゅゲートに向かってデモ行進をおこない、抗議文を手渡した。500人の参加者は、運転再開阻止を誓い合った。

運転再開へ見切り発車

昨年以降、もんじゅ運転再開の動きが急加速している。4月26日には、福井県知事と文科省、経産省による「もんじゅ関連協議会」が開催され、5月運転再開で合意した。
その26日深夜に、もんじゅのナトリウム漏えい検出器の故障が発生した。このように再開の危険性が明らかになっているのに、福井県は「問題なし」として連休明けにも運転再開を強行しようとしている。

原発で温暖化対策

3月6日、鳩山首相は地球温暖化対策基本法案の中に、「原発推進」を明記すると発言した。4月19日、経産省は「新エネルギー基本計画(6月発表)」に、現在54基の原発に加え「少なくとも14基以上の原発新増設」を盛り込むと発表した。
「地球温暖化対策」と言えば何でも許されるのか。原子力資料情報室の西尾漠さんは「原発を増やせばCO2が減るというが、細かい出力調整ができない原発が増えれば、調整のための火力発電所も必要になる」「放射能を生み出す原発は環境にとって好ましいものではない」(3/9『北陸中日新聞』)と指摘している。
もんじゅ運転再開は、高純度プルトニウムを大量に生み出し、核燃サイクルを確立し、プルトニウム保有を合法化して、核武装を進めるためである。
もんじゅ運転再開をなんとしても阻止しなければならない。(竹内二郎)

日米同盟の相対化めざす 鳩山政権の安保政策
纐纈厚さん(山口大学教員)に聞く

纐纈厚さん(4/4 神戸市内)

民主党・連立政権から半年余り、鳩山民主党の安全保障政策は、あまり見えてこない。彼は北海道の機甲師団廃止を言ったことがある。これから自衛隊が海外展開していくには海自、空自が主力。陸自はもう少し身軽な部隊でいいのではないか、という考え方だろう。

自衛隊を国防軍に

小沢幹事長も「在日米軍は第7艦隊だけでいい」と発言。いずれは自衛隊を自立した自衛軍・国防軍にしたい。小沢は、徹底したナショナリスト。必要ならつきあうが、アメリカ一辺倒ではない。軍事でもそうだが、経済でもアメリカに過剰にかかわるのは、やはり自立性を損なう。アジア・モンロー主義とでも言うべきか。反米ではないが、脱米。それは脱安保につながるのか。私は、「脱米=脱安保」だろうと考える。いつまでも日米安保が続くというのは違うと思う。
なぜ小沢がそうなのか。一つは、50年間の日本の立ち位置をもう変えないと、日本はアジアで埋没する、ということも含めたナショナリズム。もう一つは、日米の資本主義関係を見直す。いずれ日中安保(条約という形をとるかどうかは別にして)、日中提携・和解、中国との接近。共産党政権の問題、国内格差等々、中国との不安定要因は多々あるが、すでに日米貿易よりも日中の方が大きい。アメリカとの共同から、「国連軍」という形をとって海外へ出ようとする。これが小沢流、民主党政権の方向性を示している。
いままでの日米安保論に対し、私たちも新しい安保を見据えなくてはならない。政権交代のあと、私は「『歴史的』大勝利は、安保政策の転換につながるのか」と言った。これまでにない政治状況が開かれたのは事実。それは「歴史的勝利」だが、ひっくり返ったのではない。「10だったものが8対2になった」というくらい。安保政策は、絶対化から相対化ということでは転換になろう。しかし、誰のための、何のための転換かというと、彼らのための転換でしかない。

中国侵略で敗北した日本

「日本は対米戦争に負けた」「沖縄戦、大空襲、原爆で力尽きた」というが、実態は、中国への侵略戦争で事実上敗北していたという認識の欠如。日本は中国、アジアへの侵略戦争をおこない、とりわけ中国での抗日戦争に負けていた。数字上からも「対米戦争」以降も投入された軍、予算は中国戦線が上回っている。この認識の誤りは侵略戦争、戦争責任、戦後も植民地支配の反省の希薄さにつながっている。
これらを一つひとつ、検証し、知恵や情報を持ち合い運動のなかで発展させていく。そこに本当の「歴史的勝利、転換」につながる道がある。
(「政権交代後の政治をどうする」連続市民講座=4月4日、神戸市内=から講演要旨を掲載/文責・編集委員会)

「大江・岩波裁判」学習会
沖縄戦で殺された人々の視点
新崎盛暉さん(沖縄大学)

4月23日、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会が主催した学習会に参加した。
「大江・岩波―沖縄戦裁判」とは、沖縄戦において住民の強制集団死(いわゆる集団「自決」)にたいして、日本軍による命令の事実はなかったとして、軍命があったと記述した岩波新書の『沖縄ノート』(大江健三郎著)の出版差し止め・謝罪広告・賠償を請求している事件である。訴えているのは、当時の梅澤少佐と赤松大佐の弟ら、および「新しい歴史教科書をつくる会」などの連中だ。一審・二審とも被告側が勝利し、現在最高裁で係争中。
「支援連絡会」では、これまで節目ふしめで裁判の状況報告と、沖縄戦の真実を広く知らしめていくための講演学習会を開催してきた。今回の講演学習会は、最高裁でも勝利を勝ち取るための一環として、沖縄大学の名誉教授である新崎盛暉さんを講師に招き、午後6時半から8時半まで、大阪市内で開かれた。会場は、当初50人程だったのがその後も続々と集まり、最終的には70人強程になった。一人ひとりがそれぞれの思いを持って、真剣な表情で参加している雰囲気が印象的だった。
講演学習会のタイトルは「『沖縄問題二十年』から45年―沖縄問題を語り続けて―」だ。今回、新崎さんを講師として招いたのは、新崎さんの著書『沖縄問題20年』(岩波新書)の記述も、裁判の争点になっているからということでもあった。

日本の独立に違和感

新崎さんはまず、自分が東京生まれの沖縄「二世」として沖縄問題を自覚するようになったのは、高校生の時だったと切り出した。1952年にサンフランシスコ条約が発効して沖縄が日本から切り離されたとき、校長が「これで日本はアメリカの占領から独立した」と言って万歳をしたことに、新崎さんは周りの人たちとのものすごい違和感を感じたそうだ。このことを契機に新崎さんは沖縄問題が自分の意識の中に深く根を張っていったとのこと。
大学の卒論のテーマに沖縄問題を取り上げ、その資料集めの過程で中野好夫さんと出会い、共著『沖縄問題二十年』を出版するに至る経緯を語った。
曽野綾子の『ある神話の背景』で“軍命はなかった”という内容の論述に対して、新崎さんの盟友である故岡本恵徳さん(琉球大学教授)が「彼女の視点に欠落しているのは、沖縄戦で殺されていった人々だ」という核心的な批判を書評で展開していることを媒介にして、原告らのデタラメさを明らかにした。
最後に新崎さんは、原告らの告訴が小泉・安倍政権の教科書検定に象徴される反動化と軌を一にしたものだと指弾して、「大江―岩波裁判」のたたかいが25日の普天間基地の早期閉鎖と県内移設反対・沖縄県民大会と一体であることを強調した。

沖縄戦の実相を伝え

まとめと今後の活動についての提起が小松事務局長からおこなわれた。
小松さんは「この学習会の成果を裁判の勝利につなげていくことはもちろんですが、より多くの人に沖縄戦の実相を明らかにし、戦争に反対していく運動の輪を広げていくことが重要です」と話し、すでに支援連絡会の署名約40万筆が最高裁に届けられており、この署名運動をさらに拡大していこうと訴えた。

6面


第10弾
韓国から学んで日本の労働運動の活性化を
中村猛さん(日韓民主労働者連帯 代表)

今年の3月14日、アジアスワニー闘争勝利から20年を記念して、韓国・全羅北道益山市で「韓国・日本労働者連帯運動20周年記念マダン」が開催された。この闘いを支援して以降、労働運動の日韓交流に尽力してきた中村猛さんもこのマダンに招かれて参加。帰国直後の中村さんからお話を聞いた。
【聞き手・文責=本紙編集委員会】


中村 猛さん プロフィル
1944年、朝鮮で生まれる。67年、中央大学法学部卒。同年株式会社フジタに入社。70年からフジタ工業職員労働組合の活動に参加。80年、全日本港湾労働組合に加入。同関西地方本部執行委員、同建設支部副委員長を歴任。日韓民主労働者連帯代表。


――アジアスワニー闘争はどんな闘いでしたか

スワニーは香川県白鳥町の会社。益山市の工業団地にアジアスワニーという会社を作っていた。韓国では87年大闘争を契機に一挙に民主労組運動が拡がり、アジアスワニーにも230人の民主労組系の組合ができた。そのため89年に撤退を決め、日本からのファックス1枚で企業閉鎖を通告。10代後半から20代前半の女性労働者が中心の組合が、5人の代表を水盃で日本遠征闘争に送り出した。当時は軍事独裁政権下で、家族への圧力も激しかった。しかし、彼女たちは「死ぬことはあっても、負けることはない」という決意で闘った。
彼女らが闘う一番の理由は、スワニーに行ったら会社の保証で夜間中学や夜間高校で勉強できると言われて就職したのに、約束と違うひどい扱い。それでも学校に行けるからと我慢してきたのに、会社が撤退すれば退学しなければならない。なんとしても卒業までの保証を取るということでした。

――アジアスワニー闘争を支援するきっかけは

それまでの日韓連帯運動のスローガンは「韓国民主化闘争連帯、朝鮮半島の自主的平和統一支持」でした。労働者同士の国境をこえた連帯というのはありませんでした。当時の労働組合は「未来社会を学ぶ」ために、主に社会主義圏を訪問していた。韓国で資本主義と闘っている人と連帯しないで、朝鮮を訪問するというのは僕にはよ
く分からなかった。
5人が日本遠征闘争にきて、「日本の資本が韓国で悪いことしている。日本の法律でやっつける方法はないのか」という要請が、当時一番中心的に支援していた高麗労連からきた。法的対応を担当してくれと言われたのが支援のきっかけです。

頭で闘う日本人
香川県地方労働委員会に斡旋の申請をしたが、日本の組合ではないと不受理。そのうち、彼女らがスワニーの社員を暴行したというでっちあげ刑事弾圧があり、交通事故でケガと入院もあり、ビザ切れと更新の手続きなどで、結局通算40日ぐらい香川にいた。結果、闘いは100日で終わった。
法対会議で彼女らから、「韓国の労働者は体で闘うが、日本の労働者は頭で闘う」と言われた言葉が印象に残っている。なぜなら彼女らが一番いら立ち、問題にしていたのは、日本の支援部隊の合法主義。ちょっとどこかに突っ込むとか、塀を乗り越えると、日本人が「やめろっ」と止める。「こんなんで勝てるはずがない」と。

血書闘争
血書闘争の晩、僕は現地にいた。スワニーの社長は大本教の信者で、儲けた金で教会を建てていた。その日、社長の親父である会長がその教会にいるのを見つけてワーッと押しかけ、彼女らが教会を占拠してしまった。
そしてその夜、教会の廊下で、かみそりで指先を切って、労働歌を歌いながら手を振って血を出し、白い布に文字を書いて行く。手を振るのがまるで舞を舞っているようだった。周囲を支援部隊が取り巻き、その周りを住居侵入だと言って警官が取り巻いていたが、警察もその迫力にすくみあがって手出しができなかった。彼女らは「正常稼働争取」の6文字を書き終えると、布を掲げてデモ行進しながら宿舎に帰っていった。

日韓労働者の架け橋
最終段階になって当該と支援の間でも、支援の内部でも揉めたけど、ついに90年3月に勝利的に和解協定が成立し、彼女らは帰国した。その時、僕が言ったのは「あなた達が日韓労働者の架け橋になって、将来に継いで欲しい」ということ。「そのために僕も韓国語を勉強するから」と。
いま思えば、平均年齢17〜18歳の、田舎の組合が、日韓労働者の架け橋になるために走り回ったのだろう。その年に結成された全労協の段炳浩委員長(前・国会議員)と僕を繋いでくれた。

――ソ衣労との交流は

韓国の民主労組運動の原点は清渓被服労働組合(現在のソウル衣類業労働組合)にある。民主労組運動の中心、精神的なシンボル。そして李小仙オモニ(全泰壱烈士のお母さん)がいる民主化闘争遺家族協議会。韓国の民主化の過程で犠牲になった人たちの遺族・家族の憩いの場所です。
アメリカは労働者が階級性を持たないように、企業別に労働組合をつくるなど、労働組合を北の防波堤に使った。その流れを受け継ぐのが韓国労総。
それに対して民主的で自主的な労働組合を作ろうという運動が87年大闘争で火を吹く。その火種になったのが70年の全泰壱さんの焼身決起。彼は「われわれは機械ではない。勤労基準法を守れ」と叫んで焼身した。その後、李小仙オモニを中心に清渓被服労働組合を作り、その合法化を勝ち取る過程で何人もの犠牲者をだしてきた。そうして1995年、民主労組の全国結集体である民主労総が作られた。
そこを訪問せずに、11月の労働者大会と前夜祭だけを見て「韓国労働運動が分かった。60年代の日本と同じや」と言う人がいたが、僕には信じられない。

――侵略と植民地支配の歴史を問われます

日本大使館前の水曜集会(現在900回を超えた)には93年に初めて参加した。あの場に立つと反省の言葉以外にない。「お前は日本で何やってるのか」といつも突きつけられる。訪韓団の日程にはできる限り組み込んで、一番若い団員に挨拶をしてもらうようにしている。
李小仙オモニは「私は日本語が嫌いだ。お前は下手でもいいから韓国語で話せ」と言われて、オモニの前ではずっと韓国語で話してきた。

――民主労総の闘いで学ぶことは

彼らが日本に来て驚くことがある。高速道路の切符をとる人が立って働いている。韓国ではみんな座っている。レジの人もそう。なぜ立って働いているのか。韓国では「立って働く労働者に椅子を」という運動を始めて、かなり成功している。
労働者が企業の価値観からどれだけ自由に労働者の要求を掲げられるか。「人間らしく生きたい」が、一番の基本的な要求です。

徹底した大衆宣伝
韓国では世論を巻き込むやり方がすごい。みんなでビラをもって地下鉄に乗る。座っている人の膝の上にビラを置いていく。階段にもべたべた宣伝物を張る。大衆の理解・共感こそが、闘う力になるのだと言う。
5〜6年前、厳しい闘いで焼身者など犠牲者がたくさん出た。中心的な駅の前に焼香所を作って、犠牲者の写真を並べる。「いい国を作るために、労働者たちが体を犠牲にしてまで闘っている」と大衆に訴える。

活発な相互批判
彼らは若く、なんでも思ったことをハッキリ言う。お互いがお互いの批判に耐えようとする。例えば、韓国の労働組合の選挙。全北本部でも僕の友人同士が対立候補となって争った。組合の主人公は組合員だから、指導部は選挙を通して組合員が選べばいい。選挙の後にできるだけしこりを残さないように工夫している。勝った方も、負けた方も、互いの力を組合のために生かさないのは、組合全体の損失だと。

政治勢力化へ
韓国の労働組合は、運動を活性化させるキーワードは「労働者の政治勢力化と産業別労働組合の建設」の2つだと言っている。
彼らは、何回もゼネストを闘ってきた。その結果、世間に、労働者が世の中を変える主役であると認めさせる、すなわち労働者の社会勢力化は達成した。しかし世の中は少しもよくならない。抵抗勢力として何度ゼネストをやっても、世の中が変わらないことが分かった。そこで、直接政治権力を掌握すべきだとなった。そのためのスローガンが「労働者の政治勢力化」で、そのために作ったのが「民主労働党」だ。

産業別労働組合の形成
最近見た興味深い例として、サービス連盟がいくつかの百貨店の1階で働く化粧品販売の労働者だけを集めて化粧品労組を作った。
僕はこれにショックをうけた。僕らの発想だと、ロッテ百貨店だったら「ロッテ百貨店労働組合」にするだろう。それは企業別の縦割り。そうではなく、すべての百貨店を並べて、それを横に切って、1階の化粧品売り場労働組合を組織する。これは産別労組の分かりやすい考え方だ。
これは国を超える考え方に繋がる。日本、韓国と国で割るから、日本の労働者がいて、韓国の労働者がいるとなる。縦に割ったら、権力機構と一緒になってしまう。そこで横に割る。そうすれば労働者と資本家になる。これだと思った。そういうことを発想して実践しているのがすごい。

――今後の抱負は

昔は韓国を見下して、「韓国の方が進んでいる」なんてことは「ありえない」みたいな風潮があった。しかしよく見ると韓国の労働運動はすごい。そうすると当然学ぼうという人もでる。学ぶためには言葉もいる。僕自身はやるべきことはやり切ったかなという気がしている。
僕は日本の活動家だから、問題は日本の闘いだ。日本の運動がしっかりすれば、韓国の運動も助かる。韓国から学んで、本来の使命である日本の労働運動を再度活性化させる。韓国と一緒に闘える労働運動を作る。それを一生懸命やろうと思っている。