未来・第55号


            未来第55号目次(2010年4月20日発行)

 1面  普天間は人民の力で閉鎖する

     沖縄と奄美で基地たらい回し

 2面  府教委の「君が代」処分に反撃
     新勤評廃止もとめ集会 大阪

     団結街道廃止 臨戦態勢に突入 5・16三里塚現地へ

     派遣法改定案が審議入り 16日

 3面  朝鮮学校の無償化を 大阪でオモニたちが緊急集会

     朝鮮学校への攻撃を許さない 共同アピールに賛同を

     解雇・失業でどん底へ 大阪で生活・労働相談村

 4〜5面
     続・基礎からわかる普天間基地問題

 6面  直撃インタビュー 第9弾
     普通の若者が戦場で人を殺せる人間に
     映画『ONE SHOT ONE KILL ―兵士になるということ―』
     藤本幸久さん(映画監督)

       

普天間は 人民の力で閉鎖する

「岡田外相が『移設先がなければ普天間は固定』という。それならそれでよい。移設なんか問題外。どこにもいらない。普天間は沖縄人民の力で閉鎖する。何度でもゲート前で座り込み、封鎖し、基地機能を粉砕する。沖縄は、あくまでたたかいで決着させる」(8日 知花昌一さん 読谷村議)。
今月6日から9日、首相官邸と国会の前に、沖縄からの上京団と本土の労働者人民、のべ1千人が集結、激しい怒りがたたきつけられた。

彫刻家の金城実さんが、下駄をヌンチャクに見立てた沖縄空手風の踊りを披露。三線をひくのは知花昌一さん(6日 議員会館前)

第4の琉球処分

6日、10時30分、官邸前で集会がはじまった。のべ400人。次々と怒りの発言がおこなわれた。
最初に金城実さん(彫刻家)が発言。「1609年の薩摩による琉球支配から、明治政府の琉球処分、サンフランシスコ条約による沖縄切り捨て、72年の復帰、それ以降もつづくヤマトの沖縄差別。もう我慢は限界だ。この怒りを日本政府は甘く見ているのではないか。爆発寸前だ。第4の琉球処分は絶対許さない。今回のたたかいは沖縄人民の最後のたたかいなのだ」。
次に県民大会の会場となる読谷村から村議の知花昌一さん。「40年前、基地のない、平和憲法のもとへの復帰をかたりながら、基地はなくならなかった。新たな基地強化など認められない。県民大会で、さらに政府をおいこんでいく決意だ」。
さらに読谷村で農業を営む知花盛康さん。
「沖縄の基地は、日本防衛なんかしていない。米軍の侵略出撃基地だ。50年前小学校に戦闘機が墜落、17人の子供が亡くなった。最近も、沖縄国際大にヘリが墜落した。ウチナンチューの命を脅かしている」。静かだがつよく怒った。
普天間の「移設」候補地とされた勝連町の地元住民は、写真を手にしながら「海は私たちの宝であり命」と訴え、「与勝の珊瑚は死滅している」というデマを弾劾、直ちに反対運動が開始されたと報告。
その後、議員会館前に移動、すわりこみをしている9条改憲阻止の会と合流。知花昌一さんの三線と金城さんの下駄踊りがみごとだった。

国会傍聴 外相に怒り

7日は一転、寒さと雨の中の座り込みになった。午前中、衆議院外務委員会を傍聴。岡田外相の答弁を、知花盛康さんが怒りをあらわに報告した。
「岡田外務大臣は、国の大臣なのだから、国民の命を守るのが使命のはず。だが全く軽んじている。沖縄の人民は国民なのだ。『移設先なければ、普天間は固定される』と言い放った。絶対認められない」。

三里塚からも
昼から、三里塚反対同盟の鈴木謙太郎さんと萩原富夫さんが座り込みに参加した。

首都で闘いつくった

8日、知花昌一さんが、前日の岡田外相の発言に、「普天間は沖縄人民の力で閉鎖する」「逮捕も辞さない」と激しい怒りと闘いの決意を表明した(冒頭に紹介)。
真喜志好一さん(建築家)や伊波洋一・宜野湾市長も参加。伊波さんは、「県民大会には宜野湾からもバス40台でピストン輸送する」と決意表明。
9日終日、抗議行動をたたかい、最後に官邸前で、知花昌一さんがまとめた。
「ウチナンチューが、やむにやまれぬ気持ちで呼びかけた。目標の3千人にはいかなかったが満足している。1千人があつまってくれた。首都でたたかいをつくりだした。次は県民大会だ。10万人で成功させたい」。
座り込みは、激しく怒りながらも、和気あいあいとして、まさに「たたかいは楽しく」(金城さん)だった。

沖縄と奄美で基地たらい回し

辺野古案の6倍
今月3日に報道された「政府案」 〜「2段階移設案」

▽第1段階
@キャンプ・シュワブの陸上部に600mのヘリパッドを建設する。
A普天間の基地機能の一部を、キャンプ・シュワブ陸上部と鹿児島県徳之島に移転する。

▽第2段階
沖縄県うるま市の勝連半島沖合を埋め立てて、3600mの滑走路2本、3千mの滑走路1本をつくる。辺野古案の6倍の広さ。ここに、普天間の部隊と、さらに自衛隊那覇基地と那覇軍港も移設・併設する。
※嘉手納基地でも滑走路2本。

勝連案断念 再び辺野古に

16日の報道によれば、勝連半島沖合案は、米側の拒否により断念。再び辺野古に。現行の辺野古沿岸案を、50mほど沖合に移すという。


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2面

府教委の「君が代」処分に反撃
新勤評廃止もとめ集会 大阪

(4日 大阪市中央区民センター)

「大阪の『教員評価』は子どもたちの未来を奪う 〜新勤評制度の廃止を求める大阪集会〜」が、4日、大阪市内でひらかれた。主催は新勤評反対訴訟団で、原告の教育労働者、支援者など約200人が集まった。
2人の教育労働者(原告)の司会で始まり、原告団長のNさんが冒頭に発言。続いて、中田康彦さん(一橋大学)が「『新勤評制度』は教育に何を持ち込むのか」と題して講演し、質疑応答。次に、同訴訟弁護団の冠木克彦弁護士が「訴訟団は最高裁にどう臨むか」を講演し、質疑応答した。
集会後半は、訴訟団事務局長による事務局報告「新勤評反対訴訟の現段階と方針について」がおこなわれた。続いて、今春再任用を拒否されたTさんからの発言など11人の原告や支援者から発言があった。最後に『Tさんの再任用拒否の即時撤回を求める要求書』を読み上げ、集会決議として確認し終了した。

大阪府教委による新たな攻撃

@同訴訟団原告に対する再任用拒否
府教委は、2月16日、原告であるTさんの再任用を拒否(不採用=解雇)した。同訴訟で証言台に立ったことへの報復であり、教育労働者全体に対する脅しだ。

A東寝屋川高校の教員4人に対する戒告処分(3月29日)
卒業式前日に卒業学年団に所属する教員9人にたいして、卒業式の「国歌斉唱」時に起立して斉唱するよう命じる「職務命令書」が発令されたが、卒業式当日「国歌斉唱時」に起立しなかった教員4人が、いきなり戒告処分となった。

B大阪府教育委員会分限処分指針
府教委は、2月17日、同指針を決定した。これは、いわゆる「指導力不足」教員への対応とは別に「分限免職にできる教職員」を特定するというものだ。

新勤評制度の廃止へ

集会では、「教職員評価・育成システム」とその評価結果の給与反映制度=新勤評制度の違法性を訴え、このシステムの廃止にむけて裁判と反対運動を結合してたたかいぬくことを確認するとともに、上記府教委の新たな攻撃とも対決していくことが確認された。

団結街道廃止 臨戦態勢に突入
5・16三里塚現地へ

沖縄県民の決起に連帯して

【以下は反対同盟のブログより】

全国の闘う仲間の皆さん。反対同盟は、5月16日、団結街道(市道)の廃道化を実力で阻止するため、現地闘争に決起し、臨戦態勢に突入します。5・16普天間包囲と連帯、呼応して、三里塚44年の農地死守・実力闘争の真価をかけて闘います。心より結集を呼びかけます。

5月20日の閉鎖ゆるさぬ
団結街道は、成田市の不当な廃道決定により、5月19日をもって成田市による管理期間が終了し、5月20日以降、成田空港会社への譲渡手続きに入るであろうことが明らかになりました。20日以降すぐにでも、空港会社が不当に閉鎖・通行止めをやってくる状況になったのです。
3・28全国集会で決議したとおり、団結街道の廃止には、なにひとつまっとうな理由はありません。2・25現闘本部裁判判決による建物強制撤去のもくろみ、第3誘導路の認可申請による圧力と、矢継ぎ早に攻撃をかけて、市東孝雄さんに移転を強要し、反対運動をつぶすことを目的とした悪質極まりない暴挙です。
破産の上に破産を重ねたデタラメな航空政策のもと、44年経った今なお、農民・住民を無視して推し進めようとする空港建設に一片の正義もありません。
反対同盟は断固として闘います。皆さん、共に闘いましょう。

反対同盟を先頭に団結街道をデモ(3月28日)

派遣法改定案が審議入り 16日

政府の法改正案に異議あり! 法改正をパフォーマンスに終わらせないで! 「労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動・大阪」が統一アクション(14日 大阪・ヨドバシ梅田前)

16日、衆院本会議で、派遣法改定案の趣旨説明と質疑がおこなわれた。
同改定案は、抜け穴だらけで、製造業派遣や登録型派遣は実質的には止まらない。いわゆる「専門26業務」を用いた業務偽装も減らない。「こんな改定案なら、いらない」と怒りの声がひろがっている。
派遣労働の撤廃めざし、当面、派遣法の抜本改正にむけ、たたかいを強めよう。

3面

朝鮮学校の無償化を 大阪でオモニたちが緊急集会

高校無償化法案の対象から、朝鮮高級学校のみ除外させようという動きが問題になっている中、三月三十日「朝鮮学校『無償化』要求! 大阪オモニたちの緊急集会」がひらかれた(天王寺区民センター。主催は在日本朝鮮民主女性同盟大阪府本部、大阪府オモニ連絡会)。
大阪にある朝鮮学校に子供たちを通わせるオモニ(お母さん)たちを中心に、支援の日本人もたくさん集まり、参加者は300人を超えた。ふだんの集会は、すべて朝鮮語でおこなわれているようであるが、「今日は日本の友人もたくさん来ておられるので日本語で」とことわっての発言が続いた。
本来ならば子供たちは卒業式・入学式と新しいスタートに胸をふくらませる時期に、朝鮮学校のみ排除という差別キャンペーン・差別扱いに、子供たちはどれだけ心を痛めていることか。橋下知事は朝鮮学校を見学し、子供たちの前ではあたかも友好的な態度をとりながら、その舌の根も乾かぬうちに、府がおこなっている助成金にまでも条件をつけ、子供たちを裏切った。このことへの怒りの発言も多くみられた。

排除理由のデタラメ

朝鮮学校排除の法的問題点を弁護士が指摘した。@平等原則違反、A生徒の学習権の侵害、B子供に教育をほどこす保護者の権利の侵害、C政府は「教育内容」の確認ができないといっているが、そもそもこの法案そのものが教育内容の審査を想定していない、など。
政府のいう排除理由のでたらめさも指摘。教育課程について確認が必要といっているが、これはホームページで常に公開されており簡単にわかる。また、日本の学校制度にあわせて、6・3・3制を採用し、日本の学習指導要領に合わせたカリキュラム、これらが明らかなのでほぼすべての大学が受験資格を認めている。また、朝鮮民主主義人民共和国と「国交がない」といっているが、同じく「国交がない」台湾系の学校は排除していないことは説明がつかない。そもそも、教育と政治は別のもの。子供たちの権利が侵害されてはならない、とわかりやすく説明された。
支援の日本の団体からも「I<アイ>女性会議」「東大阪の朝鮮学校を支援する市民の会」「アプロハムケ北大阪」「三月行動をよびかける女たち」が発言した。
国会議員への抗議・要請活動の報告もあった。

オモニ・朝高生が発言

オモニ会の若いお母さんは怒りで声をふるわせながらも「自分個人よりも学校、自分一人よりも民族教育を大事にしなさいと阪神教育闘争(1948年)を知るハルモニ(おばあさん)から教わってきた。私たちは決して引き下がりません」と静かに決意を語った。
朝鮮学校に通う学生は「差別を嘆いてばかりでなく、差別をさせない力と強い心をもちたいと思います」と発言し、大きな拍手を受けた。
最後に橋下大阪府知事への要請文を採択し、おそろいのうちわを掲げてシュプレヒコールし、心を一つにした。(岡田恵子)

朝鮮学校への攻撃を許さない
共同アピールに賛同を

仲尾宏さん(朝鮮学校を支える会・京滋)らがよびかけ、2月から開始した共同アピールの賛同人が、3月28日の第一次集約分の公表段階で、賛同人1101人、賛同団体211団体、総計で1312に達しています。5月20日の最終集約に向けてさらに拡大しましょう。

◇共同アピール全文/賛同人・団体一覧は、「朝鮮学校を支える会・京滋」のウェブサイトを参照
◇最終集約5月20日/公表5月30日
◇送付先
・メール:kyodo20100328@yahoo.co.jp
・FAX:0774-44-3102
・郵送:〒606-8313 京都市左京区吉田中大路町6末本方 共同アピール運動事務局
◇個人については名前と肩書き、団体については団体名のみ公表。支部・分会でも。公表の可否を明記。
◇問い合わせ先:同アピール運動事務局 TEL075-771-5418

【呼びかけ人】
浅野健一(同志社大学教員)、千葉宣義(日本キリスト教団八幡ぶどうの木教会)、大谷心基(バプテスト京都教会)、塚本誠一(弁護士・元京都弁護士会会長)、小笠原伸児(弁護士)、仲尾宏(朝鮮学校を支える会・京滋)、勝村誠(「韓国併合」100年市民ネットワーク)、本田克巳(朝鮮の自主的平和統一を支持する京都委員会)、黒木順子(京都YWCA)、駒込武(京都大学教員)、水野直樹(京都大学教員)、白井美喜子(I女性会議・京都)、宮城泰年(本山修験宗管長)、末本雛子(日朝友好促進京都婦人会議)、山根実紀(フェイスプロジェクト)、瀧川順朗(にっこりネット)

【共同アピール】
 〔抜すい。文責・本紙編集委員会〕

★民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!
★朝鮮学校への攻撃をゆるさない!

昨年12月4日午後、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが京都朝鮮第一初級学校に対して、学校前の児童公園を「不法占拠」していると言いがかりをつけ、門前におしかけました。とつぜん悪意に満ちた暴言をあびせかけられ、学校を襲われた子どもたちの恐怖と屈辱は、想像にあまりあります。
子どもたちが、民族教育によって朝鮮の歴史と言語・文化を学び、朝鮮民族の一員として胸を張って生きようとすることが、なぜ許されないのでしょうか。在日朝鮮人への民族差別と外国人排斥の立場から、朝鮮学校を攻撃することなど、絶対に認めることはできません。朝鮮学校を暴力的に襲撃することなど、決して許されることではありません。
「在特会」などは、全国各地で在日朝鮮人を目の敵としてさまざまな攻撃をくり返してきました。その攻撃の対象は、在日朝鮮人だけではなく、中国人・フィリピン人などにまで及んでいます。元日本軍「慰安婦」への謝罪と補償を求める日本人の取り組みなどに対しても、妨害や攻撃をくり返してきました。
すべての在日・滞日外国人がその民族性や文化を尊重され、ともに生きていくことができる多民族共生社会をつくりだしていくために力をあわせましょう。それはまた、一人ひとりの個性と尊厳が尊重された、日本人にとっても生きやすい社会をつくりだすことでもあります。
2010年3月28日

解雇・失業でどん底へ 大阪で生活・労働相談村

3月27日、生活・労働相談村が大阪市内でひらかれた。実行委員会は、関西合同労組と高槻医療福祉労組を中心に結成され、当日は、司法書士、医師の参加協力もあった。30歳から61歳の労働者12人が相談に訪れ、6人の生活保護申請を行うことになった。

大阪市役所南側路上に、相談のテントが設営された(3月27日)

労働者の実相

Aさん(30歳)は登録型派遣で仕事をしていたが、派遣の仕事がなくなり家賃を滞納して追い出され、車の中で寝泊まりしていた。仕事がなく生活保護申請に行ったところ、アパートでの保護(居宅保護)ではなく施設に入れられた。
Bさん(32歳)は勤めていた学校(非正規雇用)から解雇され、自分の衣類を売ってなんとか命をつなぎ、当日は寒いなかを薄いシャツ一枚で相談に来た。
Cさん(58歳)は失業給付が残り1ヶ月余になるが仕事が見つからず、ハローワークに対する怒りをはき出した。
職安で出会ったDさん(63歳)は、2千万円のローンが残っているのに解雇通告され、眠れないため強い薬を服用し、その副作用でフラフラの状態だった。

夜回り

相談村に先立って3月16日から17日にかけて阪急梅田駅近辺で夜回りをおこなった。
Eさん(65歳)は1日3000円の寮費を取られるタコ部屋のような寝屋川市の飯場から飛び出し、梅田まで歩いてきたという。
Fさん(34歳)は、滋賀県のテレビなどの部品を作る工場で働いていたが、2月末に期間満了で解雇されてしまい住むところもない状態。

相談村から見えてくるもの

第一は、派遣など非正規雇用の労働条件の劣悪さである。滋賀県の工場で派遣切りにあった男性は時給900円、午前午後の各15分の休憩時間も引かれて労働時間は1日7・5時間、ひと月20日就労で残業なし、総支給額は13万5千円。そこから寮費4万円が引かれ、水光熱費と食費は自己負担、結局手元に残るのは数万という事実上のタコ部屋状態だった。なお、その工場では千人くらい働いていたが数百人が派遣切りにあったということである。
第二は、雇用保険が意味をなさなくなっていることである。95年の阪神淡路大震災当時、遡及加入しても中高年齢者は最大300日分が給付されたが、今は年齢に関わらず一律90日分に大幅削減されている。しかも、仕事があるときだけ契約する登録型派遣の場合はそもそも受給資格が発生する可能性はほとんどゼロに近い。滋賀県の派遣労働者はアルバイト扱いで未加入だったが、仮に遡及加入しても生活保護以下の10万円前後の失業給付が3ヶ月支給されて終わるだけである。
第三は、登録型派遣の非人間性である。国会上程された派遣法改正案では「登録型の原則禁止」が打ち出されているが、この改正では登録型派遣の非人間的な労働条件に歯止めはほとんどかからない。なぜなら、日雇い契約でも1年以上雇用する見込みがあるとされれば登録型派遣も製造業派遣も可能になる大きな抜け道が作られているからである。原則禁止は羊頭狗肉、大ウソである。こんな派遣法はいらない! こんな改正は何の役にも立たない! 抜本改正しろ! という大きな声を作り上げていくことは死活的である。
第四は、労働組合の存在意義が問われているということである。非正規雇用労働者からみたら、これまでの労働組合はどのように映っているだろうか。相談村に来た人たちに共通することは、それまでに労働組合との接触はなかったということである。職場に地域に非正規雇用労働者のための労働組合があれば、相談村など不要なのである。職場、地域で正規だけでなく非正規雇用労働者からみて意味のある労働組合として登場していくことが死活的だ。

4〜5面

続・基礎からわかる普天間基地問題

本紙49号『基礎からわかる普天間基地問題』の続編だ。普天間基地問題は「普天間基地をどうするか」という問題にとどまらない。日本と沖縄の歴史的な問題、安保と沖縄の問題、日米関係の問題、日本と世界のあり方と行く末にかかわる大問題だ。これを紙幅の限りで明らかにしたい。この問題にはじめてとり組む人は49号をあわせて読んでほしい。

なぜ、沖縄ならいいのですか?


「(沖縄の)人々は日本政府や本土の日本人との大きな心理的な距離感を感じざるを得ない。端的に言えば、差別的扱いを受けている、という実感である。その最大の理由は、沖縄の中に、軍隊を中心とする『米国』が存在することにある」(吉田健正『「軍事植民地」沖縄』)
「安保の歴史は、沖縄への矛盾のしわ寄せ、とくに基地しわ寄せの歴史でもあった。沖縄への基地のしわ寄せがすすみ、在日米軍基地の約75%が沖縄に集中し続けるうちに、安保は局地化し、全体として見えなくなった。・・・安保の問題性を批判する民衆運動は衰退し、反安保のスローガンは、お題目と化した。国外・県外論は、ある意味で、身近に引きつけて安保をとらえなおすチャンスでもあったはずである。・・・にもかかわらず、移設先探しとNIMBY感情の狭間で、振り出しへ戻ろうとしている」(新崎盛暉『世界』2010年5月号)〔NIMBY=Not In My Back Yard 自分のところに基地はご免だ。〕
「マスコミは、どこの誰でもいい、『基地を受け入れますか?』と、全国でインタビューをすれば良いと思う。『いやです』と、答えた人に、『なぜ、沖縄ならいいのですか?』と、もう一度聞いて欲しい。きっと本質が見えてくる」(『辺野古浜通信』3月29日)

軍事が優先する沖縄


0・6%に75%が集中
沖縄島は、面積で日本の0・6%しかない。ところが、その沖縄に、在日米軍基地の約75%(面積)が集中している。沖縄島の約20%が基地だ。普天間飛行場をかかえる宜野湾市は25%、嘉手納町にいたっては83%が基地だ。
数字だけの問題ではない。沖縄では、沖縄県民の生活や権利よりも、米軍が優先される。世界でも群をぬいて多い米軍駐留経費負担(思いやり予算)や日米地位協定が米軍・軍属に治外法権・特別待遇を与えている。

日米地位協定とは
日米安全保障条約にもとづく在日米軍と軍属の地位にかんする協定。
協定には「日本における」とあるが、実質的には基地の75%が集中する沖縄を規定している。 「米軍の円滑な活動を確保」することを目的とし、米軍・米兵には、日本の法律が適用されないことや、税金をただにするなどの数々の特権を認めている。米兵が犯罪を犯しても、「公務中」といえば、アメリカ側に第一次の裁判権がある。しかも、米兵の犯罪の裁判権を日本は放棄すると、日米が密約していたことも明らかになっている。

住宅密集地にヘリ墜落
04年8月に起きた米軍ヘリの墜落事故は、沖縄県民の安全や生活よりも軍事が優先する現実をまざまざと見せつけた。
普天間飛行場を飛びたったCH53D大型輸送ヘリが、宜野湾市の沖縄国際大学構内に墜落した。ヘリは、基地に隣接する沖国大の本館ビルに激突し、爆発・炎上した。
飛び散った破片は、周辺の住宅、会社、車両など50カ所を直撃。乳児の眠る住宅の寝室にも、飛び込んでいる。住民が負傷しなかったのは奇跡にすぎない。
普天間飛行場では、ヘリがタッチアンドゴー訓練をくり返している。住宅や学校が密集する地域の上空を1分30秒に1回、年間で3万回。激しい騒音と共に、いつ大惨事が発生してもおかしくない状態にある。
住民は、そういう恐怖の下での生活を余儀なくされている。

米軍が一帯を封鎖
問題は事故が起きたことだけではなかった。
事故の直後、約100人の米兵が、隣接する普天間飛行場から沖国大になだれ込んで、事故現場を封鎖した。
米軍は、沖縄県警の現場検証も拒み、捜査を許さず、残骸を回収。消防本部の検証も制限。メディアの取材にも米兵が威圧、撮影機材を取りあげようとするなど、報道を妨害。伊波・宜野湾市長も、米軍に現場への立ち入りを拒否された。
事故現場は基地外であるにもかかわらず、日米地位協定の壁が立ちはだかり、米軍のやりたい放題がまかり通った。

ストロンチウム90
現場検証で、兵士が厳重な防護服に身を包んで、放射性物質の検査器を持ち込んで何かを捜索する様子が確認された。放射能汚染という深刻な事態も予想された。しかしその場では米軍からは何の説明もなかった。
米軍が捜索していたのは、放射性物質ストロンチウム90で、回転翼安全装置に装備していたという。9月になって米大使館が公表した。ストロンチウム90の放射線量は、劣化ウランの1億5千万倍という。

ニュースの5番目
沖縄中が騒然となった大事件だ。ところが、本土のメディアは、その日、アテネ五輪などの報道に明け暮れ、NHKは、ニュースの5番目にやっと事故を扱っただけだ。
この件で沖縄県知事が首相に面会を求めたが、小泉は、休暇中の観劇を理由にことわった。

米軍基地は何のためにあるのか?


「海兵隊がいなくなったら、抑止力が失われる」
「日本を守ってもらっているのだから応分の負担をしないと」「日米同盟が日本の安全保障の基本だ」――だから、「普天基地の移設先が必要だ」という議論になっている。

海兵隊は抑止力?

抑止力とは、もともと核戦略上の用語で、もし相手に核攻撃を受けたら、報復によって相手がその何倍もの損害を受けるという力をしめし、もって相手に核攻撃を思いとどまらせることだ。
では、アメリカは、海兵隊をどう位置づけているか。「海兵隊は(敵)海軍基地の奪取もしくは防衛、並びに海軍作戦を遂行するのに必要不可欠な陸上作戦を実施するため編制、訓練、装備される」(国家安全保障法)。
われわれは帝国主義のいう「抑止力」なるものを是認しない。だが、それをおいても、海兵隊が抑止からもかけ離れていることは一目瞭然だ。
海兵隊は、強襲揚陸、敵前上陸のための侵略殴りこみ部隊だ。ベトナムでもアフガニスタンでもイラクでも、海兵隊は第一線にたってきた。
そもそも海兵隊が抑止力ならば、戦争は抑止されたはずなのだ。

「北朝鮮の脅威」?
朝鮮民主主義人民共和国は、日本侵攻を行うような渡洋作戦能力をもっていない。だから、仮に「北朝鮮の脅威」があるとしても、海兵隊は、侵攻を水際で阻止するという事態は想定していないし、態勢もとっていない。
また仮に「弾道ミサイルの脅威」があるとしよう。これは、海兵隊が何万人いようが、何の役にも立たない。しかも海兵隊は、常時イラクやアフガニスタンに派兵されており、即応能力があるのは2千人程度にすぎない。

米軍が日本から撤退できない理由

「米軍が日本から退いたら大変だ」というが、実は、日本から退けないのは米軍の方だ。

戦略的な根拠地
アメリカは、日本を、「戦略的な根拠地」と位置づけている。有事には、日本に、米本
西経160度(ハワイ)から東経17度(アフリカ最南端の喜望峰)までの地球の半分を、横須賀を母港とする第7艦隊と沖縄に司令部を置く海兵隊が担当。この地域の中心に、米軍がその世界戦略上、きわめて重視している「不安定の弧」がある。

土から数十万人規模の兵力が飛来、日本を出撃拠点として、敵国を占領する。そういう能力を、米軍は日本に置いている。
横須賀を母港とする第7艦隊、沖縄に司令部をおく海兵隊は、西太平洋からアフリカ東海岸までの地球の半分を担当している【右図参照】。それを、第7艦隊の旗艦ブルーリッジと横須賀のコマンド・ケイブがセットで指揮している。
日本政府が米軍に与えている待遇や、日本の工業力などからも、日本に代わる国はない。アメリカこそ、在日米軍基地を失うことを恐れている。

・戦略的価値を保持している主要作戦基地は、ドイツの空軍基地と日本の嘉手納基地。これをいったん失って再建するとなると、法外な費用がかかる。
・日本における米軍の施設の価値は、米国外では最高である。
・日本政府は、米軍駐留経費の約75%を負担、この率は同盟国中最高。
(ケント・ガルダー 97〜01年に駐日米大使特別補佐官 『米軍再編の政治学』要約)【下の表】


日本に攻撃力を持たせない
いまひとつ、公式には言わないが、米軍が日本から退けない理由がある。

サンフランシスコ講和会議(1952年)で、ダレスが説明したアメリカの見解は――
・日本は、民主主義諸国の共同体にとどまる。
・日本は、自衛権は保持するが、攻撃能力を発展させることはない。
・アメリカは、日本国内に基地を保持する。
(マイケル・グリーン ブッシュ政権で国家安全保障会議アジア問題担当部長 『対立か協調か』要約)

これは、今日にも引き継がれている。さらに――
◇日本の核武装を阻止

・冷戦後の米国の政治的軍事的任務は、他の超大国の出現をゆるさないことだ。
・唯一の超大国としての米国の地位を、十分な軍事力で永久化させる。
・危機において米国が単独で行動できるようにする。
・イラク、北朝鮮等の大量破壊兵器の拡散を防ぐため、軍事力使用の計画を考える。
・大量破壊兵器の拡散は、日独の核保有国化を誘導し、米国との競争をまねく。
・日独の軍事力増強、特に核兵器保有国化を阻止する。
(92年3月8日付 ニューヨーク・タイムズ)

これが、ソ連崩壊後のアメリカの世界戦略だ。

安保から同盟へ激変

安保といえば、1960年改定の日米安保条約と思われがちだが、安保条約は実質的には終わっている。05年10月に日米政府間で取り交わされた一片の文書『日米同盟:未来のための変革と再編』(以下、「同盟変革」)がとって代わった。しかしそれは一般にはほとんど知られていない。

日米共通の戦略
「同盟変革」(05年)は、「日米安保」(60年)とは中身がまったく違う。その違いを挙げると――

・対象の範囲が、極東から世界に拡大。
・理念が、国連憲章の目的・原則から、日米共通の戦略に転換。
・活動が、具体的に差し迫った脅威に対処するのではなく、国際的安全保障環境を改善する国際活動に変化。

つまり、世界をアメリカ・モデルに変革する戦略にそって、日本も、世界規模で展開するということだ。

国民に説明なし
政府は、アメリカと文書で約束したが、国民には何も説明していない。
しかし、この約束によって日米関係は大きく変化した。アメリカの侵略戦争に日本も参戦し、日米の軍事一体化が推進されている。

ウソと差別に支えられた安保


従属ではなく取引

日米関係について、肯定的見地から《アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守れない》とか、否定的立場から《日本はアメリカに従属している》という言い方をするが、これは問題を正しくとらえていない。
戦後の日米関係は、《日本は核などの戦略的な攻撃力を持たない。アメリカが日本国内に基地を持つ。日本がアメリカの陣営につく》という取引だった。

天皇メッセージ
その取引を積極的に進めたのが昭和天皇だ。
1947年9月、昭和天皇から、GHQのもとに以下のような趣旨のメッセージが届けられた。

天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。
その占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。ロシアの脅威ばかりでなく、左右両翼の集団が台頭し、ロシアが“事件”を惹起、それを口実に日本の内政に干渉してくる事態を恐れる。
アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与をするという擬制の上になされるべきである。
(占領軍政治顧問シーボルトがマッカーサーに宛てたメモ 要約)

これを見れば、日本が、アメリカに一方的に押しつけられたような関係ではないことは明らかだ。 国家体制を守り、帝国主義として復活したい日本と、日本をソ連と対決する拠点にしたいアメリカ。その取引のために沖縄を犠牲にしたのだ。

沖縄に犠牲を集中

52年4月28日
4月28日を、沖縄県民は「屈辱の日」と呼ぶ。1952年のこの日、「サンフランシスコ講和条約」「日米安全保障条約」の発効によって、日本は「独立」した。しかしそれと引き換えに、沖縄は、「日本国」から分離され、沖縄県民が「日本国民」から分断され、米軍が直接に統治・支配する軍事分離支配下におかれた。

72年5月15日
沖縄県民は、本土復帰闘争をたたかい、米軍の直接支配を破綻に追い込んでいった。沖縄県民は、基地のない日本への復帰を求めていた。
72年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還された。しかし米軍基地はそのままだ。形式的な施政権返還というペテンで、あくまで軍事分離支配を貫くものだった。
沖縄県民は再び屈辱を味わわされた。

96年SACO合意
95年、米兵による少女暴行事件が発生した。沖縄では、米兵犯罪が繰り返され、しかも犯人が地位協定で守られている。「返還」後も何ひとつ変わらない現実にたいして、沖縄県民の怒りが、10万人の県民大会となって爆発した。
それは、「返還」のペテンをもって軍事分離支配を継続するやり方の危機を意味した。
◇「返還」と「移設」
96年4月、SACO(沖縄の基地問題に関する日米特別行動委員会)合意で、普天間飛行場「返還」が大々的に発表された。
これもペテンだった。「返還」には「代替施設」への「移設」という条件がついていた。あらかじめ「県外」は排除されていた。沖縄県民の要求を逆手にとって、沖縄県民を分断するやり方だ。
実態は、名護市辺野古に、新たな巨大軍事基地を建設する計画だった。

なぜ密約が必要か?

核持ち込みや沖縄返還にかかわる密約が問題になっている。安保体制が密約に支えられていたことを突きだしている。
政府が、労働者人民に向かって、真実を語って説得できないのだ。日米安保は、アメリカの侵略戦争体制、核戦争体制を日本が支え、それに一体化する体制、それを沖縄に押しつける体制だ。それが「日本を守るため」なのか。あるいはそうやって守られる「日本」とは何か。真実の姿が見えたとき、労働者人民は、日本のあり方に根本的な疑問を抱く。だから、ウソとペテン、沖縄への差別的集中によって真実を隠ぺいしてきたのだ。

安保相対化と新たな闘争の展望


90分と0分
核サミットの場で、米中会談が90分で、日米会談はなかったことが話題になっている。
日米関係と対中関係をめぐる日米間の軋轢は、歯止めが外れかかっている。その文脈の中で、普天間基地をめぐるきしみも見る必要がある。

アメリカ没落と多極化
ソ連崩壊後、アメリカは、世界を一極支配し、グローバリズムを推進し、世界の富を集中してきた。しかし、大恐慌長期化やアフガニスタン侵略の泥沼化でそれが行きづまりをみせはじめた。
世界の分裂化・多極化の傾向が強まっている。アメリカの没落を見て、各国が対米関係の相対化に走りはじめている。
◇中国の取り込み
中国の存在感が大きくなっている。もちろん中国が、アメリカにかわって世界を支配する条件はない。ただグローバリズムの行きづまりの中で、アメリカの帰趨を左右する存在になっている。
アメリカは、中国を警戒しつつも、グローバリズムの引き延ばしのために取り込み、利用しようと必死になっている。

自民党支配の崩壊
そのためにもアメリカは、05年の「同盟変革」の下で、日本を最大限動員してきた。自民党政権もそれに応えきた。
が、政権交代によって日米同盟は危機に瀕している。「第7艦隊以外はいらない」(小沢)とか、「駐留なき安保」(鳩山)と主唱していた連中が政権についた。
彼らは、アメリカの危機を見て、小泉らが推進した日米同盟路線からの転換を模索、対米と対中に二又をかけつつ、日米関係の相対化と中国への接近を追求している。鳩山の「東アジア共同体」構想も、この文脈から出てきている。
もちろん日本の支配階級の一致した選択ではない。むしろ旧来の日米関係を志向する部分も多い。ただ鳩山政権がどうなるにせよ、歴史的な趨勢として、旧来の日米関係の見直しをさぐる動きの台頭は避けられない。

侵略戦争の激化
ここからストレートに日米激突・世界戦争と見るのは早計だが、日米欧中ロが合従連衡しつつ、市場と資源をめぐる争闘戦を展開し、侵略戦争の激化・拡大に進むことはまちがいない。

沖縄を軸とした安保闘争を

歴史的チャンス
労働者人民の決起が自民党支配をうち破り、政権交代によって旧来の日米同盟路線は崩れ、日米に軋轢が生じている。
もちろん労働者人民の立場は、小沢らの安保相対化路線とはまったく違う。日米関係がきしむほど政治危機が拡大し、安保沖縄闘争の新たな展望がひらかれていく――人民はこれを歓迎しているのだ。
基地と沖縄、安保と日本の政治体制が、国民的大論争に投げ込まれることは大きな意味を持つ。日米安保の真実が暴かれ、蓄積した矛盾が爆発する。

本土人民のたたかいとして
96年SACO合意以来、自民党政府は、沖縄のたたかいをなんとか押しつぶそうとしてきた。
しかし、辺野古住民の抵抗が不屈にたたかわれ、名護市民と沖縄県民の決起で、昨年8月総選挙では沖縄の選挙区で自民党を全滅させ、今年1月の名護市長選で反対派の稲嶺市長を当選させる勝利をかちとった。
SACO合意でねらった再再度のペテンと沖縄への基地押しつけの破綻である。そしてそれは、日米安保体制を土台から崩壊させる事態である。
沖縄県民が、「移設先探し」のペテンをうち破って、島ぐるみの決起で普天間基地を撤去するたたかいに入ろうとしている。新たな沖縄闘争の爆発が、本土の労働者人民の決起を促している。
いまこのときに、本土の労働者人民が、沖縄への新基地建設阻止と普天間基地撤去を、自らのたたかいとしてたたかうこと――これが本格的にはじまったとき、本土・沖縄を貫いた安保沖縄闘争がついにはじまる。グアム人民、韓国人民とも連帯し、米軍基地撤去をかちとろう。 

6面

普通の若者が戦場で人を殺せる人間に
映画『ONE SHOT ONE KILL
 ―兵士になるということ―』
藤本幸久さん(映画監督)

戦争をつづける国・アメリカ。その人びとの実像を追う藤本幸久監督。その最新作『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』の試写会が、先月22日、大阪市内であった。来場した監督に、試写会のあと、お話を聞いた。【聞き手・文責 本紙記者】
映画の舞台は、アメリカ・サウスカロライナ州パリスアイランド。海兵隊のブートキャンプ、新兵訓練所だ。毎週5百〜7百人の若者がやってくる。12週間の訓練で、普通の若者が戦場で人を殺せる人間に。その過程を、若者に肉薄しながら追ったドキュメンタリー。"ONE SHOT ONE KILL"とは「一撃必殺」。このフレーズをくり返し叫びながら、新兵の訓練が進む。


藤本幸久さん プロフィル
ドキュメンタリー映画監督。1954年、三重県四日市市生まれ。北海道在住。早稲田大学卒業後、土本典昭監督の助監督をへて、初監督作品『教えられなかった戦争―侵略・マレ―半島』(92年)。『森と水のゆめ〜大雪・トムラウシ〜』(98年)。『闇を掘る』(01年)。『Marines Go Home―辺野古・梅香里・矢臼別』(05年)。『アメリカばんざい―crazy as usual』(08年)。『Marines Go Home 2008―辺野古・梅香里・矢臼別』(08年)。『アメリカ―戦争する国の人びと―』(09年)。『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』(09年)

――映像を見ているだけで、逃げだしたくなるような凄まじさです。どうして海兵隊を撮ろうと?――

僕が、海兵隊を撮らないといけないと思ったのは、沖縄の辺野古だ。
04年ぐらいから、ボーリング調査を阻止する行動が続けられている辺野古に、撮影に通っていた。辺野古の浜にいると、いつもパパパパンという乾いた音が聞こえてくる。キャンプシュワブで実弾を撃っている音。
その海兵隊の若者が辺野古の町にでてきて、ハンバーガーやタコライスを食べている。そういうときの顔は幼い。普通のアメリカの若者だ。 その虐殺と、辺野古で見かける幼い顔とが結びつかない。この若者たちはなぜ戦争の最中に海兵隊を選んだのか。普通の若者が、数千人のイラク人を殺すようなことをやれるのか。ぜひ知りたいと思った。それには海兵隊に入ってくるところから見て、どんな教育を受けるのかを撮らないといけないと考えた。

――撮影許可は大変だったのでは?――

許可を出すのは国防総省。外国メディアで長期に撮影した例もない。独立プロダクションだとか『Marines Go Home』を撮ったと言ったらだめだろうと。しかし、うそをつくわけにもいかない。せめて彼らが錯覚してくれるような提案をと考えた。
国防総省も、海兵隊の評判が沖縄で悪いのを気にしている。そこで「評判をあげるには、皆さんが、アメリカの若者をきちんと教育して、立派な兵士に育てているところを見てもらえばいい」ともちかけた。そうしたら、半年ぐらいかかったけど、OKがでた。

――教官が新兵に張りついて、耳元で機関銃のように、怒鳴りつづけています――

基地の中で撮影していて、苦しいというか、早くでたいという気分だった。とりわけ最初に(若者たちがブートキャンプに到着してバスを)降りた途端、怒鳴られるところ。撮影している僕らも怒鳴られているみたい。軍隊はあからさまな暴力が支配しているところだということがわかる。本当に怖かった。

人格の作り変え
12週間で、個とか自分自身を持たないようにする。自分自身よりも命令に従う兵士の人格につくり変える。体を鍛えてるとかではない。
それに抵抗感があれば、それはまだ個が残っているわけだから、兵士としては使いものにならない。だから叫ばせる。何も考えずに叫べるようにする。

考えずに従え
海兵隊で教えていることはひとつ。「命令にたいして考えるな。考えずに従え」。
「普通の人間は人を殺せない。だから教育が必要だ」。その人間が人を殺せるように育てていくには、「考えない。考えずに従う」人間を作ることだ。だから何回も何回も従うということをくり返す。
朝起きて夜寝るまで考える時間を与えない。朝起きてトイレにいくときから、みんなで整列し行進していく。そして就寝でベッドに入るところまで号令一下。
いろんな決まり事や手順を大きな声で叫ばせて、条件反射的にできるようにする。海兵隊は、敵だと見た瞬間にもう体が動いて撃っている。そう訓練する。卒業するまでに誰でも、500ヤード(約450m)先の人型の的に80%当たるようになる。
そういう風につくられた兵士がいま沖縄にきている。このことを見てもらう映画だ。

――新兵がインタビューで、入隊の動機を、「自分を変えたい」「人生を切りひらきたい」と言っているのが印象的です――

あれは彼らの本心だ。貧困の中にいる若者にとって、軍隊に入ることが、その境遇からぬけだすチャンスだと。
現代の戦争でも殺し殺される。だから別の強い動機がないと軍隊なんか入らない。金があって勉強ができる人は、軍隊なんか見向きもしない。お金儲けをする。軍隊に入る人は、チャンスを軍隊に見出さないといけない人。それを前提に軍隊がつくられている。
貧困が軍隊を支え、貧困層の若者が軍隊に食いつぶされていく。貧困徴兵制、あるいは貧困産業。そうしてしか先進国で戦争にいく軍隊がなり立たなくなっている。

――「世界の平和と自由を守っている」とか、精神を高揚させることをもっと言うのかと思っていましたが――

そんなことは全然しない。むしろ価値観はもつなということだ。
湾岸戦争行きを拒否した元海兵隊員のジェフ・パターソンが「大統領に『そいつを殺せ』と言われたら、それを殺す職業だ」と言っている。決めるのは大統領であり、軍。
だから殺す相手がどういう人かとか、なぜそうするのかは関係ない。

戦場でかわる
ただ沖縄で見かける兵士は、戦場で人を殺したりできるのかなという顔をしている。それは彼らがまだ戦場にいってないから。
僕が、もう一本の『アメリカ―戦争する国の人びと―』をつくったのは、過酷な戦場で殺し殺される経験をして、それが若者の人生にどんなふうに影響するのかを見ないといけないと思ったから。
決定的に変わるのは人を殺してから。戦場にいった後が深刻だ。
実際、150万人がイラク、アフガンに送られて、その5人に1人、30万人が心に深い傷を負っている。そしてアメリカは日本以上にセーフティネットのない社会だから、ものすごい貧乏をする。そういう病を抱えていればいるほど。
そういうところを撮ったのが『アメリカ―戦争する国の人びと―』だ。

――監督が、基地と軍隊にこだわる原点は?――

北海道に住むようになって、川瀬氾二さんという人にであった。去年亡くなられたが。矢臼別の演習場の中で、土地を売らず住みつづけて抵抗した人だ。そこに海兵隊が毎年秋に大砲を撃ちにくる。それを撮影するようになって、海兵隊がいる沖縄にもいかないととなった。
映画との関わりでは、88年にアフガニスタンに半年いて、『よみがえれカレーズ』の助監督をした。それから最初の映画が日本のマレー半島での戦争と占領をえがいた『教えられなかった戦争』。だから戦争の現場のイメージはあったけど、日本の中にある基地や演習場がその戦争にかかわって存在していることに、関心がつながっていなかった。
矢臼別や梅香里や沖縄を撮るようになって、いまの戦争に日本も沖縄も本当に直接つながっているというのがリアルに伝わってくる。それに正面から向き合わないといけないと思うようになっていった。そういう経過がある。
基地や演習場の内側、その戦争とのつながりをえがかないと、と思って撮ったのが、『ONE SHOT ONE KILL』と『アメリカ―戦争する国の人びと―』。自分の中ではそういうつながり方をしている。

――監督は、とりわけ若い人に見てもらいたいと――

企画・制作・著作 森の映画社
監督 藤本幸久/09年/108分
そう。小泉政権以来、日本とアメリカの軍事的な一体化、日本もアメリカの一翼を担って戦場にでていくことが進められている。
とすれば、いまアメリカの若者が経験していることが、日本の若者の将来にもなりうると。
辺野古のおじい・おばあは、「辺野古に新基地ができると、日本の若者が戦争にいくことになる。それを止めたい」と言っている。日米軍事一体化を直感している。今度は日本の若者がいくと。それは本当にそうだと思う。
僕はアメリカに撮影にいって、20歳ぐらいの若者に人を殺す経験をさせてはいけないと、本当に思った。だから軍隊や軍需産業をなくさないといけない。
戦場にいく当事者にされるかも知れない若者に、戦争と軍隊の現実を知る機会を作りたいと思って映画を撮っている。

   上映案内
●東京・アップリンク (上映中)
 ◇@12時30分 A15時 B18時50分
 ◇当日一般1500円/学生1300円(平日1000円)/シニア1000円
 ◇渋谷区宇田川町37-18 トツネビル2F 電話 03-6825-5503
●名古屋・シネマテーク (5/8〜28)
 ◇千種区今池1-6-13 今池スタービル2F 電話 052-733-3959
●大阪・第七芸術劇場 (5/29〜)
 ◇前売1300円/当日一般1500円/学生1300円/中・高・シニア1000円
 ◇淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ6F 電話 06-6302-2073