未来・第53号


            未来第53号目次(2010年3月16日発行)

 1面  沖縄はワジワジしている! 沖縄・名護市民集会

     3・28三里塚現地へ 北原さんが胸うつ訴え

 2面  島ぐるみ闘争へむかう沖縄
     シュワブ陸上案に怒りが沸騰

     普天間飛行場の危険性
     伊波洋一・宜野湾市長の講演要旨(下)

 3面  核艦船入港ゆるさない
     海外からも連帯アピール 大阪 学習集会

     アフガニスタン派兵めぐり オランダの政権が崩壊

 4面  人格否定される派遣労働者
     激務で意識不明になることも

     '10春闘 10職場に要求書を提出 関西合同労組

     医療観察法は隔離・収容法
     廃止もとめ院内集会

 5面  高校授業料無償化法案
     朝鮮学校をはずすな

     在特会の襲撃はねかえそう 大阪

 6面  高検・高裁おいつめる
     全国連が狭山要請行動

     大阪空襲とピース大阪(大阪国際平和センター)

       

沖縄はワジワジしている! 沖縄・名護市民集会

13日、名護市辺野古の浜で、ヘリ基地反対協が主催する「稲嶺市長を激励する名護市民集会」がひらかれた。この集会は、辺野古のおじい・おばあをはじめとする名護市民、沖縄県内からかけつけた人びと、沖縄の運動体とが、稲嶺市長を押したてて、「日本政府と対峙する集会」(ヘリ基地反対協・安次富さん)として開催された。

新基地建設を絶対に阻止する 
写真左から、照屋寛徳・衆議院議員、稲嶺進・名護市長、辺野古の長老・嘉陽宗義さん(88歳)〔いずれも13日 名護市辺野古の海岸〕

沖縄に犠牲 口々に怒り

「沖縄はわじわじしている」。「ぶん殴ってやりたい」。わじわじとは、沖縄の言葉で怒りがふつふつとわきおこること。そういう言葉が、発言者の口から次々と語られた。
名護市民は、1月の市長選で新基地反対派の稲嶺さんを当選させた。13年間の苦闘がついに実を結んだと、名護市民は心からよろこんだ。
ところが市長選の翌日、平野官房長官が「市長選の結果は斟酌しない」と発言。シュワブ陸上案や嘉手納統合案、与勝半島沖埋め立て案など、県内で基地をたらい回しにする方針が次々と報道された。
「マスコミにリークしてわれわれの動きを見ていく手法に怒りを覚える」(安次富さん)、「わじわじしてきた。民主党をぶん殴ってやりたい」(普天間基地爆音訴訟・島田さん)。「日本政府を撃たねば死ぬにも死ねない」(平和運動センター山城さん)。
民主党のやっていることは、沖縄を安保の犠牲にする構造的な差別そのものだ。それにたいする沖縄県民の怒りは、沸騰点をこえている。

名護市民集会は参加者約200人。気温24度で日ざしは暑い。後方にはきれいな海がひろがる(13日 11時過ぎ)

歴史転換させるとき

稲嶺市長の口から、95年県民大会もこえ、島ぐるみ闘争も辞さないという言葉がでた〔発言要旨別掲〕。島ぐるみ闘争とは、1956年、米軍支配にたいして、沖縄全体が文字通り総ぐるみで立ちあがった闘争だ。
たしかにこの日の集会では、島ぐるみ闘争を言っても少しも唐突ではなかった。
「政府に、目に物みせてやる。ビンタをはられたら『わかった』という県民ではないということをつきつける」(山城さん)。
「明治以来、沖縄は国策の犠牲にされてきた。またぞろ沖縄を犠牲にしようとしている。そういう歴史を転換させるときがきた。沖縄の未来は沖縄が決める」(衆院議員・照屋さん)。
沖縄県民は、もはや踏みつけにされたままではない。何度も裏切られてきた沖縄県民が、沖縄にたいする構造的な差別から、自己を解放する展望をこじあけようとしている。そういう力を感じさせる集会だった。

高江・普天間

東村高江と普天間の住民から緊急アピールがあった。
「座りこみの住民2人が裁判にかけられる。おかしい。19日の初公判にきてほしい」(高江住民)。
東村高江では、ヘリパッド基地建設に反対して、座りこみがたたかわれている。これにたいして国(沖縄防衛局)は、座りこみの住民12人を「妨害行為」で告訴、うち2人が本裁判にもちこまれた。
「5・16普天間包囲にむかって、3月22日、普天間のゲート前で大きな集会をやる」(島田さん)。普天間基地にたいする座りこみもはじまった。22日の集会には、伊波・宜野湾市長も参加する。
辺野古で高江で普天間で、たたかいの主体が力強く前進し、互いに交流し、まさに島ぐるみに発展しようとしている。

4月県民大会へ

4月中旬に県民大会が計画されている。超党派で大規模なものになろうとしている。政府のねらう「3月末政府案決定」「5月決着」のプランは、沖縄県民のたたかいによって、とん挫は必至だ。
これに連帯する本土人民のたたかいが、今こそもとめられている。

島ぐるみ闘争も 稲嶺進・名護市長の発言(要旨)

閣僚の発言は信じられない。東京は沖縄をなんと思っているのか。怒り心頭をこえて、彼らは同じ国民なのかと思う。
今の政府の動きはとても看過できない。海上案にたいして杭一本打たせなかったら、今度は基地の中だから何でもできると陸上案をだしてきた。こんなやり方をゆるしてはならない。
95年県民大会どころか、私たちが必死にたたかった島ぐるみ闘争にまで発展する。そうでもして絶対に阻止する。
私たち名護市民は頑張る。沖縄県民のみなさん、全国のみなさん、いっしょにたたかってほしい。


3・28 三里塚現地へ 北原さんが胸うつ訴え

自筆のスケッチをつかって横堀要塞戦の様子をかたる北原さん(写真左 14日 大阪市内)

14日、大阪市中央会館で、「三里塚闘争44年 北原事務局長大いに語る」と題し、三里塚関西集会がおこなわれた。
三里塚決戦勝利関西実行委員会の永井満代表世話人は、「三里塚反対同盟の北原事務局長は44年間、まったくぶれずに国家の不正義に怒りをつらぬいてきた。心から敬服する。北原さんの信念をわがものとして、3・28三里塚全国集会に総決起しよう」とあいさつ。
大きな拍手とともにマイクを握った北原事務局長は、約1時間、三里塚闘争の当初のいきさつや、78年開港阻止決戦のさい、横堀要塞に4日間立てこもったたたかいなどを、当時の心境をふりかえりながら語った。
また、戦争体験に触れ、「二度とこんな戦争やってはいけない」という原点を明らかにした。北原事務局長の「希望を捨ててはいけない。自らたたかわなかったら何も変らない」という訴えが、参加者の胸を強く打った。
〔3・28三里塚現地闘争の要項は、6面参照〕

2面

島ぐるみ闘争へむかう沖縄
シュワブ陸上案に怒りが沸騰

普天間基地の「移設問題」をめぐって鳩山政権がキャンプ・シュワブ陸上案(キャンプ・シュワブ内に1500メートル級滑走路を建設する案)に傾く中で、沖縄から怒りの声が巻きおこっている。
今月8日、名護市議会は「普天間飛行場代替施設のキャンプ・シュワブ陸上案の検討に反対する」抗議決議と意見書を、全会一致で採択した。そこでは、国民新党が提案したキャンプ・シュワブ陸上案を「これまでの移設案よりも住宅地域に近接することになり、単に、普天間飛行場の航空機騒音や危険性をそっくりそのまま、名護市に移しただけのものであり、我々がこれまで基地被害を訴え、陸上地域へのヘリポート施設等の計画等に反対してきた願意までも無視するものであり、言語道断である」ときびしく断罪している。
現行計画を容認している辺野古の「代替施設推進協議会」のメンバーですら「陸上部案は集落が墜落の危険や騒音にさらされる。(普天間飛行場がある)宜野湾市民より、辺野古住民の命が軽いとでも言うのか」と憤慨している(3月9日付読売新聞)。

抑止力論のまやかし

こうした沖縄の怒りを抑えこむために、日米両政府は、中国の脅威を強調して「沖縄に米海兵隊が駐留することによってえられる抑止力」の重要性を主張している。
はたしてそうか。
抑止とは「攻撃を拒否し報復する能力と意思を相手に認識させることによって、攻撃を思いとどまらせる」ということである。これは相手国にたいする「武力による威嚇」そのものであり、憲法第9条(「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」)とは、けっしてあい容れない軍事戦略である。
「海兵隊が抑止力」という場合は、「いざという時」には海兵隊を使うということである。
このような「抑止力論」にたいして、防衛省のトップであった人物から次のような疑問が出されている。
すなわち「中国が台湾に進攻した場合、海兵隊を投入すれば米中は本格的衝突になり、核使用に至るエスカレーション・ラダー(緊張激化のはしご)も動き出すかも知れない。米国にとってそれが正しい選択なのか。日本は国内基地からの出撃に事前協議でイエスと言うのか」(1月28日付朝日新聞 柳沢協二氏)というものである。抑止力とはけっして消極的なものではない。きわめて攻撃的で破壊的な軍事力なのである。

日米安保こそ脅威

これは日本の周辺諸国から見れば、在日米軍とそれを支える日米安保体制こそ、核戦争さえも引き起こしかねない重大な脅威となっているということである。
歴史的な事実としてもアメリカ帝国主義は、第二次大戦後の朝鮮戦争(1950年〜53年)、ベトナム戦争(64年〜75年)、そしてアフガニスタン・イラク侵略戦争(2001年〜)といった大規模な侵略戦争の出撃基地として在日米軍基地を使用してきたし、現在も使用しているのである。その根拠になっているのが、日米安保条約第6条である。「日本の防衛」とはまったく無関係の侵略戦争が、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」(日米安保条約第6条)であるとされて、米軍に基地の自由使用を許してきたのである。
「普天間問題」が日本の労働者人民に問いかけていることは、米帝の戦争(破壊と殺りく)を支持し、そのための犠牲を沖縄県民に一方的に押しつける日米安保同盟をいつまでも続けるのか、ということである。

沖縄と連帯して

今月11日、新里米吉県会議員を団長とする沖縄県議会要請団が、北沢防衛相と面会し、普天間基地の県内移設に反対し、国外・県外移設と早期閉鎖・返還を求める県議会意見書を手渡し、国外・県外移設を迫った。それに先立つ9日には沖縄県議会で与野党7会派と無所属議員2人による代表者会が開かれ、4月中旬に普天間基地の県内移設に反対する県民大会を超党派で開催することが確認された。
沖縄県民の決起と連帯し、全国から「普天間基地即時撤去!日米安保体制粉砕!」のたたかいをまきおこそう。

キャンプシュワブ・ゲート前。毎週土曜日、二見以北十区の会のみなさんがピースキャンドル。6年間つづけている(13日 午後6時半)

普天間飛行場の危険性
伊波洋一・宜野湾市長の講演要旨(下)

普天間基地でのタッチアンドゴー訓練の飛行コース(白線)。住宅密集地上空をくり返し飛行する(宜野湾市ウェブサイトより作成)
右の写真は、普天間飛行場を上空から写したもの。滑走路周辺が住宅で埋まっている。
こんな飛行場は米国にはない。米国には米軍の飛行場にかんする基準があってみとめられない。
滑走路の先端にも住宅がある。米軍の基準では、滑走路の前方にはクリアゾーンをとり、建物があってはならない。
この写真を米国で見せると、政府関係者や議員は、「どうして?誰がその建設を許可したの?」とおどろく。

爆音と事故

米海兵隊のCH53Eヘリコプター

こういう住宅地の上をヘリコプターや輸送機が飛んでいる。
このヘリコプター〔右写真〕がタッチアンドゴーでひと回りするのに3分。それを1時間もやる。1時間で20回、2機でやるから1分30秒に1回。
周辺の住宅の上を毎日、朝7時から夜11時まで飛び回っている。
04年8月13日、市内の大学への墜落事故があった。奇跡的に人的被害はなかったが、事故後は、いつ落ちるかと常に不安にかられている。

返還合意以降も

96年に、普天間飛行場が危険だから返還すると日米で合意した。
しかし飛行回数は、96年が平均して2万回以下だったが、03年には3万回に。
私は03年に市長になって、04年に訪米、普天間飛行場はもう限界、いつ墜落事故が起こっても不思議ではないとワシントンとハワイの司令部に言った。
彼らもわかったと言って、04年7月に普天間に来た。その1カ月後に墜落事故がおこった。
その後も飛行回数は2万回以上で減らない。

クリアゾーン内に学校・住宅

辺野古のみなさんが米国でやっているジュゴン訴訟で、米国防総省の代理人がだした資料に、普天間飛行場のマスタープランが入っていた。そこには、滑走路の両端にクリアゾーンが一応つくられていると書いてある。
クリアゾーンは米国内だけでなく、国外でも義務づけられている。米軍機がつかう飛行場ではクリアゾーンを設置しなければいけない。
理由は、米軍機は弾薬や危険物資を積んでいるから。例えば、急加速をするのにある種の薬物をつかって推進力をだす。その薬物がとても危険な物だから、離発着時の事故を想定し、住宅をここにつくってはならないといったことが、マスタープランに書かれている。
普天間飛行場では、クリアゾーンの中に、小学校や児童センターがあり、住宅も800戸、3600人の市民がいる。
これは明らかに米国法違反だ。

航空法が適用できない

普天間飛行場の滑走路の端に鉄塔がある。民間の人が無線のためにたてた。航空法の制限をこえている。
米軍も危険だから撤去してくれと日本政府に言っている。しかし国が強制撤去はできない。
普天間飛行場は、国内法では飛行場ではない。施設に過ぎない。米軍が勝手に飛行場としてつかっているだけ。国内法で飛行場じゃないから、航空法の適用がない。

ただちに閉鎖し返還を

問題を整理していくため、例えば、滑走路は現在2千8百mだが、クリアゾーンをひっこめるため、滑走路の両端を5百mずつ縮めて1千8百mにするべきと言ってきた。実際には何もおこなわていないが。
市としては、問題を解決するため、早く閉鎖し返還せよと言っている。

3面

核艦船入港ゆるさない
海外からも連帯アピール 大阪 学習集会

横須賀からの報告をおこなう新倉さん(4日 大阪市内)

96年日米安保共同宣言以来、民間港への米艦船の入港は非常に活発になった。96年以降は年平均20回、それ以前のほぼ倍だ。
米軍は民間港の有事使用を公言、自ら30以上の民間港を調査している。
大阪港へも、毎年3〜4月に入港している。自衛隊艦船の入港も常態化している。

非核神戸方式の有効性
大阪港の軍事使用の中止を求める実行委員会は、大衆行動や訴訟などの手段を駆使して大阪港の軍事使用をゆるさない運動体としてうまれた。昨年11月、大阪市議会への陳情とデモでたたかいを開始した。
今月4日、同実行委員会は学習集会を開いた。これは、3〜4月、米軍艦船の大阪港入港をゆるさないたたかいを準備するためだ。とくに「入港許可するな」という予防訴訟に焦点をあてておこなわれた。
非核市民宣言運動・ヨコスカの新倉裕史さんの「民間港への米艦船寄港問題 〜自治体の港湾管理権と地位協定」、神戸市議の粟原富夫さんの「非核神戸方式の現状」の2つの講演で、非核神戸方式の有効性が浮き彫りにされた。〔解説参照〕
非核神戸方式を保障している法的根拠は港湾法にある。
港湾法は、戦後民主法第一号として制定された。戦前、港湾は戦争のため国家が一元管理していた。この反省から地方自治体管理となった。今でも自治体の港湾管理権は政府も無視できない強さをもっている。
集会では、大阪港への核艦船の入港差し止め訴訟を準備している冠木(かぶき)弁護士が、「平和運動が勢いづくような裁判闘争としてたたかおう」「民衆の財産にできるものを実現しよう」とアピール。また来日中のフランスとカナダのNOVOX(声なき者のネットワーク)の仲間から、連帯のあいさつがあった。

解説 非核神戸方式とは

港湾労働者のたたかい
1945年から51年まで、神戸港は米軍の占領下。52年から一部撤収がはじまり、74年に完全返還となった。
その間、朝鮮戦争、ベトナム戦争下で、米第7艦隊の艦船の入港は、57年の311隻など頻繁におこなわれた。
米軍艦船が入港すると、民間船舶は沖合いで待たなければならない。
ベトナム戦争時には、港の倉庫に、戦死した兵士の死体が多数、冷凍保存されていた。
74年、米議会で元海軍高官ラロックが「日本に寄港するのにわざわざ核兵器をはずすことはない」と発言。
これにたいする衝撃と怒りの中、75年に、神戸港で働く労働者が中心となって市議会に陳情。同年3月18日、神戸市議会が全会一致で、「核兵器積載艦艇の神戸港入港に関する決議」(注)を採択した。

港湾法で市に権限
この市議会決議をいかそうと、形にしたのが神戸方式。
港湾法によって、港湾管理権・接岸バースの決定権を、神戸市が持っていることが決定的だ。
軍艦を入港させようとする国の在日大使館が、外務省の所管局長に入港時を通知する。外務省は、神戸港管理者=神戸市長に入港を連絡する。神戸市長は、在日外国大使館に非核証明書の請求をおこなう。非核証明書が送られてきてはじめて接岸バースが決まる。接岸バースが決まらないと接近しても入港できない。

米艦船は入れない
75年以降、神戸港に入港した外国艦艇は、核保有国のフランス3隻、インド4隻をふくめ、すべて非核証明書を提出している。イギリスは78〜84年に7隻の入港を打診したが、証明書をださず入港を断念した。
この制度のもとでは、米軍艦は神戸港に入れない。アメリカは軍事戦略上、核積載の有無について明らかにしないとしているからだ。75年以降は入港の打診すらない。

アメリカは神戸港に執着
アメリカにとって神戸港は、戦後接収港で熟知しているということがある。神戸空港の存在や伊丹などの自衛隊との連携もある。軍事産業や医療設備もある。兵士の休養に不可欠という歓楽街もそろっている。
98年、アメリカの意をうけたカナダ艦船プロテクター号が、非核証明書をださずに入港しようとした。神戸市はバース指定をおこなわず、結局、プロテクター号は自衛隊阪神基地に入港した。
非核神戸方式が始まって以来、米軍艦船は兵庫県下の港湾にも入ってこなかったが、01年、03年、05年と姫路港に入港した。
外堀を埋めるこの動きとともに、神戸まつりなどに米海軍が出演したり、神戸市会与党会派に働きかけたりと、非核神戸方式つぶしのため、様ざまな策動をしている。
しかし、兵庫県民の8割の支持のもと、非核神戸方式は今日まで堅持され、威力を発揮している。
〔以上は粟原富夫神戸市議の資料を参考に作成〕

注・核兵器積載艦艇の神戸港入港に関する決議
神戸港は、その入港船舶数及び取扱い貨物量からみても世界の代表的な国際商業貿易港である。
利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。
この港に核兵器が持ち込まれることがあるとすれば、港湾機能の阻害はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。
よって神戸市会は核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。
以上、決議する。
 1975年3月18日         神戸市会


アフガニスタン派兵めぐり オランダの政権が崩壊

オランダ首相府は、2月20日、アフガニスタン派兵政策をめぐる閣内の意見対立が原因で、連立政権が同日未明、崩壊したと発表した。総選挙は、早ければ5月、おそくとも年内に実施といわれている。

NATOではじめて

01年に開始したアフガニスタン侵略戦争をめぐる不一致で、北大西洋条約機構加盟国(NATO、28カ国)の政権が崩壊したのは初めて。
バルケネンデを首相とするオランダ連立政権は、最大与党キリスト教民主勢力と、労働党、キリスト教連合の連立で、07年に発足した。
政権崩壊の直接の要因は、オランダ軍のアフガニスタン派兵が今年8月撤退開始(年内に完全撤退)を迎えるなかで、予定どおり撤退するか、延長するかをめぐる対立。与党第2党の労働党が、延長反対を主張し、協議は平行線のまま、ついに連立は崩壊した。
オランダ軍部隊は、アフガニスタン南部ウルズガン州で約2000人が、国際治安支援部隊(ISAF〔注〕)の作戦に参加している。南部はタリバンとの激戦地で、オランダ兵の死者は06年の派兵開始以降、21人にのぼる。オランダ国内では、厭戦気分や反戦闘争がたかまっていた。
これまでにオランダは、期限を迎えたアフガニスタン派兵を2回延長している。今回も、オバマのアフガニスタン新戦略(エスカレート方針)をうけ、NATOがオランダに来年8月までの延長を求め、バルケネンデは3回目の延長をねらっていた。
バルケネンデ率いるキリスト教民主勢力は、@部隊規模を縮小して派兵継続、Aアフガニスタン治安部隊(傀儡政権軍)の訓練に任務を限定、などの案を画策していた。しかし、撤兵の世論をバックにした労働党(副首相をだしている)の強行な反対により、とん挫した。
さらに、問題はアフガニスタン問題にとどまらず、03年からのイラク侵略戦争をめぐっても、オランダ独立調査委員会は、「イラク戦争を支持した決定は違法」と、今年1月に結論を発表した。開戦当時の首相であったバルケネンデへの批判が高まっている。
NATO諸国は、オバマ新政権のアフガニスタン増派要求をうけて、増派を開始しはじめたところだ。オランダの撤退は、各国の反戦闘争にすくなからず影響をあたえるだろう。

アフガニスタンに駐留するオランダ軍(オランダ国防省のホームページより)

陸自の派兵ゆるすな

鳩山政権は、昨年11月、今後5年間で50億ドル(約4500億円)規模のアフガニスタン傀儡政権支援を決めた。全警察官8万人の年間給与の半分を拠出。日本の警察官らが、インドネシアなどで、アフガニスタン警察官養成をおこなうなどである。
民主党は野党時代から、アフガニスタン派兵をめぐっては、自民党以上の強硬派で、特に小沢は、国際治安支援部隊(ISAF)への陸上自衛隊参加を主張し続けている。アメリカの要求をうけての派兵は、主体的でないからよくないが、国連からの要請をうけて日本政府が決定する派兵なら憲法9条に抵触しないという暴論だ。
憲法改悪をねらいつつも、さしあたり9条改悪がすぐにはできないなかで、現行憲法のままで、陸上自衛隊のアフガニスタン派兵を強行しようとねらっている。絶対にゆるしてはならない。

〔注〕ISAF
NATO主導の侵略軍。国連決議にもとづく「治安維持」と称して、アフガニスタン全土に展開している。米軍の作戦と一体化し、事実上、両者に区別はない。

4面

人格否定される派遣労働者
激務で意識不明になることも

日本労働弁護団主催による「労働者保護の派遣法改正の実現を!」集会が、都内の総評会館で5日夜行われた。約200人が参加し熱気ある集会だった。
司会は日本労働弁護団の佐久間事務局長。会長あいさつ、水口幹事長による基調報告につづいて、関根秀一郎派遣ユニオン書記長など5人から報告があった。
さらに、現場からの発言として、4人の労働者が訴えた。そのなかから、以下2人の発言を紹介する。

共同行動・大阪の仲間が、派遣労働の実態を報告
(5日 東京・総評会館)

派遣法はいらない!(シングルマザーのAさん)

匿名希望のAさんは2人の子供を養うために職を転々としたがシングルマザーを正社員で雇ってくれるところはなく、10年前に派遣会社に登録して必死で仕事をしている。
正社員と大差ない仕事をしているAさんは、月に100時間に迫る残業時間を6ヶ月、8ヶ月行うことが2、3年続いたこともあるがそれでも仕事をこなした。激務の中、派遣先で倒れて意識不明になって救急車で運ばれたこともある。
Aさんは激しい賃金差別を怒りをもって弾劾した。「派遣労働者には退職金もなく年金の額も低い。正社員には年齢や勤続年数による加算給、職能給、ボーナス、地域手当、職責手当、出産見舞金、出産祝い金、入学祝い金等々がもらえますが、派遣には一切ない」。
Aさんよりも年下の正社員はAさんの2倍以上の時給をもらっているのに、Aさんはこの10年間で時給が200円アップしただけである。それでも派遣の中ではましだという。
家族を養うためAさんは、正社員になって、派遣という身分から抜け出したいと強く思っていた。しかし労働組合に入っていないため、派遣先に「正社員にしてほしい」とお願いするしかなかった。Aさんは「このまま派遣で働き続けても退職金も何もない。私のような人間の老後はいったいどうなるのでしょうか」と訴えたところ、会社の役員の一人から「派遣のおまえの老後のことなど、こちらの知ったことか」と罵倒された。これが派遣労働の現場の実態である。
派遣は「身分差別」であり、職場で「人格そのものが否定」されているのが実態である。「私は派遣法は、いりません」というAさんの思いはすべての派遣労働者の思いである。

派遣法を放置しておいてよいのか!
(日系ブラジル人労働者のBさん)

Bさんは日系ブラジル人で神奈川シティユニオンに所属する。ホンダの下請けのスタンレー電気と藤原製作所による解雇撤回を闘っている原告18人(ブラジル人13人、ペルー人3人、日本人2人)の中の一人である。
1999年、日本は低賃金労働力を補うため入管法を改定し、日系3世までの日系ブラジル人とその家族を無制限に国内に受け入れ始めた。
ブラジルで暮らしていたBさんらは「招待されるように」来日し、もう20年になる。Bさんらは、派遣先のスタンレー電気で採用され、その日から12時間働かされた。みんながいやがる塗装や生産が多いラインに回され、働きすぎて体をこわし、きつい仕事に我慢できずに抗議して解雇された仲間もいた。「3Kと言われる仕事にも就いて働き、日本に定着し家族をつくり子供たちに日本語の教育を受けさせ平凡で心豊かな生活を夢見て」がんばってきた。
しかし、リーマンショック後、経常利益が250億円を超える大幅な黒字なのにスタンレー電気はBさんらを解雇した。偽装請負をしていたスタンレー電気は神奈川労働局から派遣法違反の行政指導を受けたが従わず、いまだにBさんらを直接雇用しようとしない。
「これでは日本は無法地帯ではありませんか」「私たちは日本の助けになる人材市民として日本にやってきた」「日本でがんばって仕事をして家族をつくって生活をしているのに都合よく解雇されてしまう。こんな扱いは許されるのでしょうか。こんな派遣法を放置しておいて日本はよいのでしょうか」「定住外国人のわれわれの中には家を持ち、ローンを抱えている人もいます。仕事が決まらないまま、すでに失業保険の受給期間が終わっている人もいます。ほとんど就職できず、借金が残る。家を失い、自己破産してもその後の生活のメドが立たない。ほんとうに切羽詰まっている状況にあります。私たち外国人にとってもこんな人間をモノ扱いにする派遣法という法律を改正してほしい」とBさんは訴えた。

'10春闘 10職場に要求書を提出 関西合同労組

地域の仲間とともに春闘要求を提出(2月15日 神戸市内)

関西合同労組は、2月15〜16日、のべ30人の組合員で、春闘要求提出統一行動にたちあがった。
阪神間から神戸西区へ、大阪府南部・泉大津から阪神間・大阪市内へ、2日間にわたって各職場を転戦。10職場に、春闘要求書の提出や争議分会への激励・抗議行動をおこなった。
普段知らない、組合仲間の職場を知る機会というだけでなく、地域の仲間がいざというとき、これだけ駆けつけてくるぞという示威行為であり、実践的訓練でもある。
また、地域ユニオンが、小さな職場だけの企業内組合主義の壁をつきくずす大切な行動だ。「やっぱり労働組合はこういう原則的たたかいをしないといかん」。(年配組合員)

正規・非正規が共に生きる春闘

関西合同労組は、2010年春闘を、正規・非正規が共に生きる春闘として、@月30万円、日1万5千円、時間1500円の最低保障をかかげ、地域・職場で何としても賃上げを実現し、A85年派遣法以来の非正規・正規の分断や、首切り自由の社会の動きに反撃のたたかいをたたきつけ(派遣法・共同行動のたたかい)、B派遣村・労働相談で非正規雇用労働者を組織し、C争議分会の勝利のために全組合員が支援する、Dストライキでたたかう等の方針を確認している。
3月21日には、交流センター協議会の仲間と春闘交流集会をおこなう。働く仲間のみなさん。地域・職場で10春闘を全力でたたかおう。(通信員B)

医療観察法は隔離・収容法
廃止もとめ院内集会

憲法違反の医療観察法の実態が報告された(5日 衆院第二議員会館)

「障害者制度改革と精神障害者」と題した院内集会が、5日昼、衆院第二議員会館でおこなわれた。
制度改革の視点から、心神喪失等医療観察法の廃止を求めるもの。全国各地の「精神障害者」や精神科医、弁護士と労働者、17人の議員・議員秘書など、56人が参加した。主催は医療観察法なくす会などの4団体。
主な発言者は、横山晃久さん(障害者の地域生活確立の実現を求める大行動実行委員長)、関口明彦さん(全国「精神病」者集団、障がい者制度改革推進会議)、大谷恭子さん(弁護士、同推進会議)、山崎公士さん(神奈川大学教授、同推進会議)。

推進会議で法廃止へ

右のうち3人がメンバーとして入っている障がい者制度改革推進会議は、首相をトップに全閣僚が入った障がい者制度改革推進本部のもとに設けられ、福島瑞穂(社民党党首)が担当特命大臣を務める。「障害者自立支援法」の廃止後の新しい制度を構築するため、また、「障害者権利条約」の批准に必要な国内法の整備のために、月2回のハイペースで会議が行われている。
「精神障害者」は危険な存在だから病気が完全に治るまでは社会に出すなと、薬を飲みながら社会の中で暮らしていることを許容しないのが医療観察法だ。
国際条約は憲法の次に優位であり、国内法はその下位に位置する。「障害者権利条約」を批准するには、医療観察法はあまりに矛盾した強制収容法だ。また、すでに日本が批准している「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)に照らしても、医療観察法は違反している。
憲法にも国際条約にも違反している医療観察法を、推進会議のなかで議論して廃止の方向にもっていきたいと各々から述べられた。
討論では、医療観察法容認の立場への日弁連の転向をゆるさずにたたかっている弁護士の吉峯さんが報告。「精神障害者」からは、医療観察法病棟で収容のくるしさから自殺未遂をくりかえした人が観察法を告発しているという報告。
この日、朝8時から国会前での座り込みと街宣が行なわれた。(通信員MT)

5面

高校授業料無償化法案
朝鮮学校をはずすな

鳩山政権の目玉政策である「高校授業料無償化法案」の国会審議がはじまっているが、支配階級と鳩山政権が、高校無償化から朝鮮学校を除外する動きをみせている。
・産経新聞が「北朝鮮が朝鮮学校へ460億円」と報道(2月11日)。
・中井拉致担当相が朝鮮学校を無償化の対象からはずすよう川端文科相に要請していたことが判明(2月20日)。
・鳩山首相が「国交のない国だから教科内容がわからない」と発言(2月25日)。
・橋下大阪府知事が「北朝鮮と暴力団は一緒。暴力団とつき合いのある学校に助成できない」と発言(3月2日)。府が独自に実施する年収350万円未満世帯への私立高校授業料無償化から、朝鮮学校排除の可能性を表明。

民族教育破壊
朝鮮学校は、在日朝鮮人民が、民族の言葉と文化と誇りをとりもどすため、営々たるたたかいの中でかちとってきたものだ〔解説〕。これにたいする攻撃は、民族教育を破壊し、同化を強制するものだ。
在日朝鮮人民の叫びを聞く必要がある。
「在日の私たちにとって、日本のことは生活の中で身についてくる。しかし、朝鮮の歴史・文化や言葉は、朝鮮学校でなければ学べない。高校無償化から朝鮮学校を外す主張は、受け入れられない。私たちの心をこれ以上傷つけないでほしい」。(東京朝鮮高級学校1年『朝鮮新報』より)
朝鮮侵略と植民地支配を続けてきた歴史をふまえるならば、日本政府には、在日朝鮮人民からの民族教育の要求にこたえる義務がある。
除外の動きにたいし反撃もはじまっている。
3日、日本外国特派員協会で、茨城朝鮮学校の校長や東京朝鮮学校の保護者らが会見。
4日、大阪市内で緊急集会(主催=大阪朝鮮学園など)がおこなわれ、700人余が参加。
5日、京都市内で同胞緊急集会(主催=京都朝鮮学園など)がおこわれ、500人余が参加。
鶴見俊輔氏ら識者13人が、2日、要望書を首相と文科相に送付。
以下に、4日におこなわれた大阪緊急集会の様子を報告する。

大阪緊急集会700人

参加者が会場入り口からあふれている。受付は「同胞」と「日本人」の2つ、とくに「同胞」の受付は長蛇の列。
会場の前列に制服姿の一団が。大阪朝鮮高級学校の生徒たちだ。檀上には、朝鮮学校関係者、父母、日本人の支援者がならんだ。
以下、発言要旨を紹介する。

「朝鮮学校の除外は新たな差別だ!」(4日 大阪市内)

政治が煽る民族差別に怒り

◇大阪朝鮮学園・辛(シン)理事長
朝鮮学校と拉致問題はなんの関係もない。在日朝鮮人の子どもに母国語を教えてくれるのは朝鮮学校だけ。民族を学ぶかけがえのない学校だ。政治や外交上の思惑で、朝鮮学校だけを除外するのは新たな差別だ。
朝鮮学校は日本の学校制度にあわせて、一条校〔解説〕と変わりないカリキュラムを組んでいる。だからほとんどの大学が受験資格を認めている。「教科内容が確認できない」なんておかしい。

◇保護者代表・高龍秀(コ・ヨンス)さん
無償化から朝鮮学校を外すのは安心して学べる環境から在日を外すことだ。子どもが無事に学校から帰ってくるかと毎日心配している。在特会の動きなど、日本の社会は、弱者にたいして危機をつくっている。そういう状況を政治家がつくっている。絶対にゆるさない。

メディアに厳しい批判

発言者が口々にメディアの態度を批判した。
集会の前日、大阪朝鮮高級学校で記者会見がおこなわれた。先生や父母、生徒らが必死に訴えた。
ところが、集まった記者たちはその訴えには耳を貸さず、もっぱら拉致問題などとむすびつける質問をくりかえした。
生徒代表として会見にでたラグビー部前主将(ラグビー部は花園で活躍)は、ショックで会見後もしばし席から立ちあがれなかったという。
メディアがその巨大な権力を行使して在日朝鮮人をなぶっているのだ。

日本人民の連帯発言

事態を自らの問題と受けとめてたちあがった日本人から発言があった。

◇城北ハッキョを支える会・大村さん
日本人にとっても朝鮮学校は大事。多文化共生をまなび、在日のおかれている状況をしる。朝鮮学校は、日本の民族差別と植民地支配の問題をうつす鏡だ。在日のためだけではない。日本人にとって、これ以上ないまなびの場だ。

◇東大阪・朝鮮学校を支援する市民の会・林さん
チマチョゴリをなびかせる朝鮮学校の生徒たちの姿は、夜間中学でハルモニたちが、はじめて自分の名前を書いてよろこぶ姿と重なる。異文化を排除する日本社会で、朝鮮学校の生徒たちの姿は東大阪の自慢。無償化からの排除は歴史を20年も逆転させるもの。負けられない。大阪朝鮮高校のグランド取りあげも勝利和解にもちこめた。運動の力で勝利しよう。

3月中旬が勝負

緊急の行動が求められている。在日朝鮮人民に連帯し、「高校無償化から朝鮮学校を外すな」の声をただちにあげよう。

解説 朝鮮学校とは

侵略と植民地支配によって、在日を余儀なくされた朝鮮人民が、1945年日帝敗戦による解放後、民族の言葉と文化と誇りをとりもどすため、日本各地で国語講習所を開設したのがはじまり。当時、全国で5百校以上。
GHQと日本政府は、48年1月に同化教育方針を、49年10月に朝鮮学校閉鎖令を出し、朝鮮学校を閉鎖、生徒を日本学校に強制編入した。これにたいする抵抗は流血の大闘争となった。
在日朝鮮人民はその後も、放課後の民族学級から自主運営の朝鮮学校へと、さまざまな形で民族教育を守りつづけた。
日本政府は、一貫して民族教育を認めず、管理抑圧の対象としてきた。
それでも営々たるたたかいの中で、70年代以降、朝鮮学校は、地方自治体による各種学校認定や助成金支給をかちとってきた。
しかし朝鮮学校は、日本の法律では、一条校ではなく各種学校扱い。
各種学校とは、英会話学校や自動車学校と同じ。日本の小・中・高の学校は学校教育法第一条に規定され、一条校と呼ばれる。
朝鮮学校は、教育内容に見合った卒業資格が得られず、国の教育助成を受けられないなどの制約を受けている。かつてはスポーツ大会から閉めだされ、大学受験資格も得られなかった。
現在は、日本のほぼすべての大学が、朝鮮高級学校卒業生の受験資格を認めており、実際におおくの生徒が現役で進学している。
朝鮮学校は全国に73校、高校に相当する朝鮮高級学校は10校。授業は、母語である朝鮮語。教科として日本語もある。全国の朝鮮学校の生徒のうち、朝鮮籍46%、韓国籍51%。日本国籍や中国籍の生徒もいる。


在特会の襲撃はねかえそう 大阪

水曜デモを60人で襲撃

毎月第一水曜日におこなわれている、日本軍「慰安婦」問題の解決をもとめる大阪・梅田の水曜デモは、在特会(在日特権を許さない市民の会)・主権回復会(主権回復を目指す会)と対峙しておこなわれている。
3日、在特会らは、水曜デモの開始時刻のはるか前から50〜60人で梅田・歩道橋上を制圧した。水曜デモは、混乱回避のため、歩道橋下に移動して開催されたが、在特会らは何度も集団で突入し暴行を加えてきた。
警察は、ホームページ上での在特会による襲撃予告を知りながら、警備の数を減らし、「責任を持てないから解散しろ」などと、水曜デモを中止させようとした。水曜デモ参加者が歩道橋上にあがることを阻止し、歩道橋を在特会に制圧させた。
警察は水曜デモには、「マイクは使うな」などと弾圧を加えながら、在特会らが大音量で、「朝鮮人帰れ」「慰安婦は売春婦」などとわめき散らすことは規制しない。彼らの暴行も黙認。
水曜デモは、防衛にたちあがった人もふくめ約70人、妨害をはねのけてやりぬかれた。水曜デモの主催者は「来月(4月7日)もやりぬく。1人でも多くの参加を」と訴えた。
日本の戦争責任を問い、日本軍「慰安婦」問題解決をもとめて、在日朝鮮人女性、日本人女性らがとりくむ水曜デモを孤立させてはならない。

デイサービスを攻撃

在特会らは、「保険料もはらっていないのに年金を寄こせという厚かましい在日を許さない」などと言いがかりをつけて、6日、在日無年金問題の運動団体の連絡先にまで攻撃を加えてきた。
京都最大の在日朝鮮人集住地域の東九条にあり、在日の高齢者へのデイサービスをおこなっている所だ。「障害者」の共同作業所もある。
こんな所まで攻撃するのはゆるせない。在特会の攻撃に、地域の人や支援がたちあがり、利用者と施設をまもりぬいた。

憲法問題や教会まで

在特会らは、朝鮮学校や日本軍「慰安婦」問題への攻撃にとどまらず、憲法問題や教会にまでエスカレートさせた。
1月30日、大阪・玉造のカトリック大聖堂での外国人問題にかんするキリスト者の集会におしかけた。2月27日、宝塚教会での憲法問題の講演会を攻撃。集会は防衛にたち上がった人びとも含めた約80人で成功した。同日、御堂筋でおこなわれた宗教者などの憲法問題のデモにも、沿道から罵声を浴びせる妨害行動をおこなった。
在特会らは、この1〜3月、関西で判明しているだけで40回の襲撃、妨害、街頭デモ、集会をくり返している(3月10日現在)。2日に1度以上だ。

大衆的反撃を

京都の朝鮮学校襲撃にたいし、昨年12月22日には600人をこえる集会が開かれ、京都弁護士会の「会長声明」が発表された。今月28日には京都・円山音楽堂での大規模な集会とデモがおこなわれる。また16人の呼びかけによる「朝鮮学校への攻撃を許さない共同アピール」が発せられ、ひろく賛同が要請されている。
在特会らの襲撃をはね返す共同行動をつくりだそう。大衆的社会的反撃を組織しよう。

6面

高検・高裁おいつめる
全国連が狭山要請行動

「事実調べを行え!」東京高裁前でシュプレヒコール(8日)

7日に開かれた広島差別事件 東京真相報告集会と、8日の狭山要請行動(ともに部落解放同盟全国連主催)に参加した。
真相報告集会では、全国各地の全国連同盟員と共闘から、差別にたいして徹底糾弾でたたかう決意が熱くかたられた。
東京高裁・東京高検への要請行動は、制限時間を大幅にこえて、証拠開示と再審開始を強くせまった。
全国連の中田潔書記長は、「差別にたいして糾弾闘争でたたかう、全国連らしいたたかいができた。4月全国大会と5月狭山要請行動を、全国闘争としてたたかおう」と力強くまとめた。

5月までに開示せよ
要請行動は東京高検を追いつめている。東京高裁から証拠開示勧告が出されているにもかかわわらず、証拠開示をおこなわないことで大問題になっている。また杉本検事は「石川一雄は犯人だと認識している」と先月の要請行動で発言、弾劾をあびた。
今回3月8日は、その杉本が公判中のため、狭山事件担当の山口検事がでてきた。
この山口にたいし、参加者から「証拠開示勧告がでているのに、なぜ開示しない」「大野公判部長は、裁判所の勧告の重みと言ってるが、どう考えるのか」と次々に発言。
山口は「ケースバイケース」と答えるのみ。
つづいて「足利事件や布川事件で検察は誤りをみとめ謝罪したではないか」「証拠を開示することが検察の仕事だろ」と追及。
同じ発言をくりかえす山口に「あなたは部落差別の重みがわかっているのか。これ以上、罪のない人間を苦しめるのをやめろ」と弾劾の声。そして「5月の三者協議を待つのでなく、それまでに開示を」と訴えた。
最後に各支部の要請文を読みあげて直接手わたし、50分近くの要請行動をおえた。
東京高裁にたいしても「事実調べをおこなえ。裁判官に直接とどくようにしろ」と、制限時間をオーバーして要請をおこなった。

5・12要請行動へ
今回の要請行動は、弁護士会館での事前集会、高裁要請行動、昼休みデモ、高検要請行動と、一日行動としてたたかわれた。
昨年の三者協議の開始、証拠開示勧告いらい、狭山第三次再審闘争は勝利可能な局面にきている。
そういう中で、全国連の要請行動は大きな役割を果たしている。東京高検はあいつぐえん罪と検察批判の高まりに追いつめられている。この高検の狭山担当検事をひきだし、直接、要請・糾弾しているのだ。
署名・葉書・各地での集会をつみあげ、5月三者協議の前に、大衆行動をおこし、5・12要請行動に大結集しよう。

差別者は徹底糾弾あるのみ
広島差別事件 東京集会

7日の東京真相報告集会は、首都圏・関東・全国から211人の参加で、差別者・革共同全国委員会(安田派)の居直りをゆるさず、差別者には徹底糾弾でたたかう集会としてかちとられた。
集会に先だち午前中には、革共同全国委員会の本拠=前進社本社への行動がおこなわれた。全国連の代表40人は東京都江戸川区の前進社ビルをたずねるが、いっさい返答がない。部落解放団体から直接申し入れがあるのに無視し、ビル内から写真をとる始末だ。
午後から開かれた社会文化会館での集会では、広島修道大の森島吉美教授から、「差別は具体的で現実的であり、身近なところから起こる。これから逃げること、放っておくことは、結局は水平社以前にもどることになる」と、具体に則した講演がなされた。
また当該のAさんからは、革共同が居直りつづけ、福島町に2度のりこんできたが、これをゆるさずたたかい、関東各地でも報告会がおこなわれている。たたかいはこれからだと発言があった。

真の解放共闘を
中田書記長は、この2年半の革共同の差別的転落をくわしく報告した。
◇広島差別事件は、Aさんを合宿を通じて反全国連の手先にしようとし、◇全国連のなかに敵対を意図的にもちこもうとし、◇差別かどうかは自分たちが決める、糾弾会には出なくてよいという法務省見解の立場にたち、◇労働者階級の団結には差別糾弾闘争は妨害物だと主張するまでになった――と鋭く弾劾した。
革共同という「革命」を名のる全国組織にたいする糾弾闘争はきびしいが、差別糾弾闘争を全国連の手でたたかいぬき、それを理解する労働者との間で真の解放共闘をつくりだそうとまとめた。
茨城県連の井橋さんは、狭山第三次再審闘争の重大局面を報告。全国各地の同盟員・共闘から、革共同への怒りと、長野結婚差別事件をはじめ各地で頻発する差別事件へのたたかいがいきいきと報告された。差別にたいする怒りを通じて部落解放闘争が力を発揮することが示された。
私たちは、同じ隊列にいたものが最も反動的な差別集団になっていることを厳しくとらえなければならない。部落解放同盟全国連合会のみなさんと連帯し、5月狭山闘争に総決起しよう。真の解放共闘をつくりだすために全力でたたかおう。(労働者通信員・M)

大阪空襲とピースおおさか(大阪国際平和センター)

3月13日は大阪空襲の日である。1945年3月10日の東京、12日の名古屋、13日の大阪となされた米軍の「戦略爆撃」は、住民の逃げ場がないように周辺を囲むように爆撃した上で、一般民家の屋根を突きぬける焼夷弾を雨あられと落としていった。このため万単位の死者がでた。当時の政府は、爆撃にたいしては「自宅の床下に穴を掘って隠れればよい」などという避難方法を指示していたため、被害が甚大なものとなった。
いま東京と大阪で、政府の責任を問う「空襲訴訟」がおこなわれている。東京空襲訴訟では、被災者の救済を退けた反動判決が昨年12月14日にだされた。大阪空襲訴訟は、東京空襲判決をのりこえるべく、裁判がたたかわれている。
ピースおおさかは、この戦争を後世に伝えていく展示館である。
まず入り口前左側に1945年の母子像がある。戦災の中、逃げまどう母と子、そして子どもを下にして子どもを守ろうとする母の姿が目に飛び込んでくる。
館内には3つの展示室があり、それぞれ「大阪空襲と人々の生活」「15年戦争」「平和の希求」をテーマとして、映像を交えた展示がなされている。そのほか、映像コーナー、講堂での定時映画・アニメなどの上映、さらに調査研究をしたい人のために図書室も置いている。
係の方の話によると、平和学習で生徒・児童が学校単位で訪れているということだった。貧困や差別のない平和な社会を願うということは、一人ひとりが日ごろより、平和の大切さを感じ、不断の取り組みをしていくことによって成し遂げられるものではないかと思いながら、ピースおおさかを後にした。(桂 啓二)

ピースおおさか:JR大阪環状線・地下鉄〈森ノ宮〉下車、西へ徒歩400m

「刻(とき)の庭」
05年、ピースおおさか中庭に大阪空襲の犠牲者の追悼と平和を祈念してつくられた