未来・第49号


            未来第49号目次(2010年1月19日発行)

 1面  普天間基地撤去
     移設論議こえて 日米安保に迫る
     1・30日比谷1万人集会へ

     普天間問題は日米関係の転機
     新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)

     安保を問う論議を〜訪米報告〜服部良一さん(衆議院議員)

     三里塚 決戦の火ぶた切る
     1・10反対同盟、1・17関実が旗開き

 2面  やるならやってみろ!反対同盟が烈々たる決意

     悪どい攻撃は人民を決起させる
     10日反対同盟旗開き 萩原 進さん(反対同盟事務局次長)

     2・25判決公判を第一の決戦に
     17日関実旗開き 永井 満さん(関実代表)

     2010年闘争宣言 三里塚芝山連合空港反対同盟

     沖縄・辺野古への新基地建設阻止!
     改憲のための国民投票法廃止!2・11集会

 3面  UFJへ団交要求 社前で街宣
     港合同・南労会 正月闘争

     パナソニック電工派遣切り裁判 勝利和解
     佐藤昌子さんが正社員で職場復帰

     戦争は昔? それとも今? 2・7集会
     ―門真三中「君が代」処分を考える―

 4面  基礎からわかる普天間基地問題

 5面  本の紹介 沖縄に犠牲しいる構造あばく
     『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』(屋良朝博著09年7月)
     『「アメとムチ」の構図 普天間移設の内幕』(渡辺豪著08年10月)

 6面  在特会ゆるさない社会的包囲を
     京都朝鮮学校襲撃事件 緊急集会に600人

     石川一雄さんの新年メッセージ

       

普天間基地撤去
移設論議こえて 日米安保に迫る
1・30日比谷1万人集会へ

1月16日、沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会の主催で、「普天間基地即時閉鎖! 緊急集会」が、大阪市内のエルおおさかで行なわれた。
新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)は、「戦後日米関係の転機としての普天間問題」と題する講演をおこなった。
新崎さんは、戦後の日米関係の本質が「対米従属と構造的沖縄差別であった」ことを明らかにし、「移設問題」をきっかけにして、これをいかに乗りこえていくべきかについて問題提起をおこなった。
帰国したばかりの服部良一さん(衆院議員)からは訪米報告が行なわれた。マスコミのあおる「日米同盟の危機」が、米国内の実態にそぐわないものであることを明らかにした。
集会のまとめで「しないさせない! 戦争協力 関西ネットワーク」代表の中北弁護士が「沖縄のたたかいを孤立させずに本土の私たちがしっかりがんばれば、沖縄の基地を撤去し、新基地建設を止めることができる。いま民衆の運動は日米安保を空洞化させ、憲法9条を生かした平和な世の中をつくりだす好機を迎えている」と訴えた。

名護市長選 必勝

鳩山政権は、昨年末に普天間移設の検討委員会を発足させ、1月中にも移転先案を提示するとしている。
きたる1月30日に、東京・日比谷野外音楽堂で「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない1・30全国集会」が開催される。
1・24名護市長選の勝利をかちとり、沖縄からの上京団を1万人の結集で迎えよう。〔4〜5面に関連記事〕

普天間問題は日米関係の転機
新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)

新崎さんの鋭い問題提起に聞き入る参加者(16日大阪市内)

普天間基地返還の日米合意は96年のことだ。それがなぜいま問題となっているのか。
先の総選挙では民主党の鳩山氏が、沖縄で「国外・県外への移設」と繰り返し訴えた。これは「基地問題は沖縄に押し込めておく」という戦後60年余にわたる日本政府の基本政策を変えることを意味していた。民主党がどこまで考えていたかはわからないが、それが「戦後の日米関係を変える」という意思表示として受け止められ、米政府からも非常に大きな反発がうみだされている。
沖縄の世論はいっかんして「新基地建設を認めない」という考え方だ。これが、沖縄で政治基盤が脆弱だった民主党の政策に反映したのだろう。結果、自民党は沖縄で議席を失い、基地容認派の衆院議員はいなくなった。

対米従属と構造的沖縄差別

戦後、米国は、アジアと世界を支配するための足がかりとして、日本に基地をつくる必要があった。それを、「米国は日本を守るため、日本に基地をつくった」というフィクションによっておおいい隠してきた。
そのフィクションのもつ矛盾を60年余にわたって押しつけられてきたのが沖縄だ。これが「構造的沖縄差別」である。「対米従属」と「構造的沖縄差別」は表裏一体であり、戦後日米関係の本質的な性格である。
普天間問題は、日米関係を変えていくきっかけとなっている。グアム移設は非常に問題がある。アメリカの植民地であるグアムに「基地をもって行け」といって、何の痛苦も感じないとしたらそれはおかしい。
大事なことは、「県外移設」をめぐる賛否両論をどれだけの人たちが共有できるかだ。「移設論議」を乗りこえて、対米従属でつくられている日米関係、日米安保にどう迫っていくのか。「安保廃棄」にいたるプロセスをどうつかんでいくのか。「県外移設」というところで問題を共有化する以外にはない。そこから安保問題にどう発展させるのか。それは戦後60年余にわたる構造的沖縄差別を突き崩していくことでもある。

安保を問う論議を〜訪米報告〜
服部良一さん(衆議院議員)

マスコミが「日米同盟が危機だ」と大騒ぎしている。そこで米国は本当は何を考えているのかを確かめ、オバマ政権にたいして「沖縄にたいする基地のたらい回しはだめだ」ということをきちんと伝えるために、12日から15日まで訪米してきた。
米民主党、共和党の上下院議員3人をはじめ、可能な限り多くの人に会ってきた。そこで感じたのは、米国では普天間問題はほとんど知られていないということだ。
「日米関係の危機」と騒いでいるのはワシントンにいる日本の記者連中ぐらいだ。もともと防衛、外務、官邸などの記者クラブを回ってきたエリート集団が、とにかく「危機メッセージ」を一生懸命発信している。
いま米国で一番問題になっているのは保険、雇用とアフガニスタン問題だ。
一番うれしかったのは、民主党の大統領候補にもなったデニス・クシニッチ下院議員が、「辺野古にアメリカ政府が基地を押しつけるのは日本国民にたいする侮辱だ」といってくれたことだ。
これからは米政府にたいして、「安保が必要なのか」という議論をずばずばとやっていかなければならない。

三里塚 決戦の火ぶた切る
1・10反対同盟、1・17関実が旗開き

写真は三里塚芝山連合空港反対同盟の旗開き(10日 成田市内)

2面

やるならやってみろ!反対同盟が烈々たる決意

10日の三里塚芝山連合空港反対同盟旗開き、17日には関西実行委員会旗開きが行われた。
いよいよ2・25現闘本部裁判判決粉砕、3・14三里塚関西集会から3・28全国集会の大結集へのたたかいに突入した。激しい決戦の幕開けだ。第3誘導路計画、深夜・早朝の飛行制限撤廃、暫定滑走路の再北延伸、東への移動と3500m化―空港会社はなりふり構わず農地強奪に突っ込んできている。しかし萩原進さんが喝破しているように、「こういう攻撃を引き出していることで、われわれは勝利している」のだ。
 以下に反対同盟旗開きでの萩原さんの発言と2010年闘争宣言、関実旗開きでの永井満さんの発言を掲載する。

悪どい攻撃は人民を決起させる
10日反対同盟旗開き 萩原 進さん(反対同盟事務局次長)

反対同盟旗開きで発言する萩原さん(10日成田市内)

空港政策のヨタヨタを生み出しているのは、43年間のわれわれのたたかいだ。2500m滑走路の供用を開始したとたん、3500mの滑走路を言わざるを得ない。新誘導路を供用開始したとたんに第3誘導路を言い出す。こういう攻撃を引っ張り出したことで、われわれは勝利している。
危険だからとやってこなかった(A滑走路と暫定滑走路の)同時離陸をやるという。羽田との競争に勝てないと「24時間化」の禁じ手まで口にする。あげくは軍事化だ。
そこには、旅客の安全や地元住民の安全性などを無視した、国のメンツしかない。
暫定滑走路を北へ2回も伸ばし、今度は東にずらして3500m滑走路を作り、2500m滑走路は誘導路に使えばいいと。こんな無茶苦茶があるか。やるならやってみろ。
(裁判闘争を通して)敵の土俵を大いに活用し、広範な人びとに今の空港政策、空港の実情を訴えて、再度、三里塚闘争の拡大を図ってきた。この力で、昨年の3月、10月の1千人を越す結集という前進がかち取られた。
 反対同盟は、全国の農民の先頭でたたかいぬく。労働者、市民、差別とたたかう人びと、学生が一体となって爆発すれば今年は勝利の年となることは確実だ。政府・権力には一切の余裕はない。この悪どい攻撃は、民衆の心を揺さぶり、決起させる。このことを確信し、今年前半、この2月、3月のたたかいをやりぬこう。

2・25判決公判を第一の決戦に
17日関実旗開き 永井 満さん(関実代表)

関実旗開きで発言する永井さん(17日神戸市内)

昨年は闘いの輪を広げようと、3月集会、9月集会を成功させることができて本当によかった。
無茶苦茶な裁判、第3誘導路、3500m滑走路と、本当に理不尽な攻撃が反対同盟に襲いかかっている。反対同盟は絶対に許さないという強い決意で、今年のたたかいに臨んでいる。この決意に応えて、私たちも共にたたかいぬこう。
71年強制代執行をめぐるたたかいに関西からはせ参じた。今年かけられる攻撃に、私たちの力をフルに発揮できるかが問われている。
関空を普天間基地の代替にという話がでている。関空の軍事使用に絶対反対を掲げてきたが、これは本当に私たちの責任だ。地元大阪・兵庫でやらなくてはならない。沖縄の方々と固く連帯したたかっていきたい。
具体的には、まず2月25日の裁判闘争だ。仮執行つきの判決で、直ちに撤去という攻撃に出てくる。2月25日を第一の決戦とかまえて、関西からかけつけ、裁判所を包囲するデモをやろう。
それから3月の集会だ。反対同盟の3・28全国集会の2週間前、3月14日に関西で決起集会をやる。そこで大勝利して三里塚現地へ駆け上っていこう。

2010年闘争宣言 三里塚芝山連合空港反対同盟

今年は三里塚闘争、決戦の年である。2・25天神峰現闘本部判決公判と市東さんの農地裁判が実力攻防の最先端にある。この決戦は検修全面外注化と闘う動労千葉、大失業攻撃と闘う労働者、基地全面撤去へと立ち上がる沖縄の闘いと完全に一つだ。国民投票法の5月施行と改憲攻撃。2010年は全人民総決起の年である。反対同盟はその最先頭で闘う決意である。

三里塚を危機にあえぐ鳩山政権の命取りに

天神峰現闘本部は成田治安法と闘う闘争拠点であり、市東さんの農地を守る砦である。反対同盟は現闘本部を実力で守りぬく。全人民の共闘と結集の砦をめぐるこの攻防を、危機にあえぐ鳩山政権の命取りとしよう。
見よ、アジア・ハブ(基幹空港)から陥落した成田空港のぶざまな姿を! 前原発言を引くまでもなく、三里塚闘争は44年間に及ぶ農地死守の闘いの上に、航空政策を大破たんさせている。
「東アジア共同体構想」に延命の道を求める鳩山政権は、その前に立ちはだかる三里塚闘争をつぶそうと血道をあげざるを得ないのだ。市東さんの家屋を空港内に囲い込む「第3誘導路」計画、空港圏自治体連絡協議会による「深夜・早朝の飛行制限撤廃」と暫定滑走路の「再北延伸」「東側への移設(3500m化)」策動、──新たな農地収用を含むなりふり構わぬこの暴走こそ、混迷と破産を繰り返す成田を象徴する事態だ。反対同盟は必ず勝利する。

2・25千葉地裁包囲から3・28全国集会へ

恐慌と大失業で、いまこの瞬間にも数知れない人々の命が奪われている。職を失う労働者、農地を追われる農民、福祉・医療切り捨てがもたらす惨禍に、こみあげる怒りを抑えることができない。オバマはアフガン増派を決定し、平和のためには戦争が必要だと居直った。保護主義が広がり排外主義が大手をふり、改憲と戦争への攻撃が強まっている。
全国の闘う人民のみなさん。今こそともに決起しよう!
反対同盟は、FTA(自由貿易協定)と農地法改悪に抗して闘う農民の先頭に起つ。「労農連帯」の旗のもと、国鉄闘争つぶしの攻撃に立ち向かう動労千葉とともに闘う。沖縄や関西住民を始めとする広範な住民運動、市民運動、学生運動との共闘をさらに強く発展させて闘う決意である。これらの闘いが爆発すれば、今年は必ず勝利する。その力をもって全世界の労働者・農民・民衆と連帯しよう。
市東さんの農地裁判を闘い、2・25現闘本部判決公判を怒りの千葉地裁包囲闘争として決起し、3・28全国集会に空前の大結集を実現しよう!2010年1月10日
〔小見出しは編集委員会〕

沖縄・辺野古への新基地建設阻止!
改憲のための国民投票法廃止!2・11集会

民衆の力が政権交代を実現した。そのうねりの震源のひとつが沖縄だ。沖縄では自公議員全員が落選した。 沖縄県民は、沖縄戦で国体護持の犠牲にされ、戦後は安保の犠牲にされてきた。その蓄積した怒りはマグマとなり、ついに噴出しはじめた。
それは、侵略派兵のための改憲を阻むたたかい、労働者を使い捨てにする派遣法の抜本改正をかちとるたたかいなど、民衆の切実な要求を実現するたたかいと一体で、日本のあり方を問う大きな課題だ。
このような課題を正面からかかげた集会が、9条改憲阻止の会・関西代表の小川登さん、百万人署名運動の梶原義行さんらのよびかけで開催される。
呼びかけにこたえ、集会への賛同と参加をひろげよう。

3面

UFJへ団交要求 社前で街宣
港合同・南労会 正月闘争

全国金属機械労働組合港合同(以下、港合同)の 医療法人南労会にたいする闘争は、1月4日、メインバンク・三菱東京UFJ銀行にたいする抗議行動で、2010年のたたかいを開始した。
早朝の裁判所前でのビラまきから、大阪市役所前の集会と御堂筋デモ、UFJ銀行への団交要求と社前での街宣と、行動は昼過ぎまでつづいた。
当日、港合同、共闘の労働組合、市民団体の仲間たち120人が集まった。和太鼓、和服姿で仕事初めを祝う企業もある中、金融街に、「南労会は組合つぶしをやめろ」「4億円の未払い賃金を払え」「UFJ銀行は違法企業に融資をするな。争議責任を取れ」という声が響いた。

三菱東京UFJ銀行(大阪営業部)の社前に120人(4日大阪市中央区)

違法行為と無責任経営を助長するUFJ

南労会は、18年をこえる長期争議の過程で、12人の不当解雇、4億円の賃金未払いをおこなってきた。これを不当労働行為・不法行為と認定する幾多の労働委員会命令、判決にも従わず、この間は、緊急命令違反(労組法違反)で2件―各100万円と400万円―の過料決定も出されたが、なおあらがっている。
他方、紀和病院(和歌山県橋本市)で過剰な設備投資をくり返し、50億円もの借金を積みあげ、資金繰りのために診療報酬を全額債権譲渡するまでに至っている。
この違法行為と無責任経営を助長し、影響力をおよぼしてきたのがUFJ銀行だ。
これまで、UFJ銀行は、組合側の融資中止要請を全く無視してきたが、この日は、大衆行動の前に代表団を会議室に入れざるをえなかった。連帯したたたかいの力を示した大きな一歩だ。
金融資本追及と診療報酬債権譲渡の社会問題化で勝利をめざす南労会闘争を支援し連帯してたたかおう。(労働者通信員 N)

パナソニック電工派遣切り裁判 勝利和解
佐藤昌子さんが正社員で職場復帰

パナソニック電工による偽装請負・違法派遣を告発しながら、解雇撤回、直接雇用を求めてたたかっていた佐藤さんが勝利和解(12・25)し、正月明けから正社員として職場復帰した。
さきのパナソニックPDP裁判での最高裁判決(12・18)など、裁判所が派遣・非正規雇用労働者の基本的人権を認めない態度をしめしているなかで、派遣労働者が裁判によって正社員の身分をあらたに獲得し、元の職場(福島県郡山市)に復帰し、かつ争議解決金を支払わせたのは、この闘争がはじめてだろう。画期的勝利だ。

派遣労働の存在が間違い

佐藤さんは、勝利和解に際してのコメントで以下のように語った。
「この1年、法廷闘争をとり組む中で、伊予銀行裁判や松下プラズマ裁判など私と同じような裁判の最高裁判決を聞いて、誰もが生活と命を守るための裁判に訴えたにもかかわらず、法理論だけがとり上げられて、人の命がどこにも見えてこないことに強い憤りを感じてきました。人の命以上に大事な法律など存在しません。人の命を守れない法律は、それ自体が間違っています。」
「今、派遣法改正が論議されていますが、専門という言い訳で26業務は除外されており、法の抜け道となることは明らかです。新しい政府には、労働者保護に実効ある、派遣法の抜本改正と社会保障の充実を求めます。私は、この1年間の行動の中で、そもそも『派遣労働』というものの存在自体が間違っていると強く感じています。私は、『派遣労働』そのものの廃絶のために今後も行動していく覚悟です。」

戦争は昔? それとも今? 2・7集会
―門真三中「君が代」処分を考える―

2月7日、大阪・門真市で開かれる「戦争は昔? それとも今? 2・7集会」は、1月21日の「君が代」処分取消訴訟第一回口頭弁論を受け、2010年「卒・入学式」を前に、門真三中「君が代」処分を考えようというものだ。

府と市を提訴して記者会見を行う(中央が当該の川口さん 昨年11月2日大阪地裁)

戦中の紙芝居を実演

集会の前半では、紙芝居屋「スーちゃん」による実演がおこなわれる。
戦時中の戦意高揚紙芝居を資料として持つ「スーちゃん」は、その当時の紙芝居を使い実演する。
どのように子どもたちが「戦争」を刷り込まれていったのか、また現在の私たちがどう感じるのか、「日の丸・君が代」だけでなく、あらゆるものを使って戦争に突入していった当時と今は違うのか、ということを考えていこうという企画だ。

処分撤回のたたかい

後半は、門真三中被処分当該の教員である川口さんや関西各地の現場教職員の話があり、それをとおして「日の丸・君が代」強制を許さず、門真での処分を撤回させるたたかいを広範につくっていこうというものだ。
政治の危機が激しくなるとき、差別主義・排外主義扇動は学校現場に強烈に現われる。「日の丸・君が代」強制、「日の丸」の常時掲揚の指示、右翼や在特会の激しい動きは同じ方向を向いている。戦前のような教育を許さず、反撃を開始しよう。

戦前の過ち繰り返してはいけない
門真三中被処分者 川口精吾さん

一昨年の卒業式で、「君が代」斉唱時に着席したという理由で、私は訓告処分を受けたわけですが、着席するということは、私にとっては、もうこれ以上は下がれないぎりぎりの行為なんです。
私が「君が代」に反対するのは理由があります。「教え子を再び戦場に送るな」という平和の問題です。「君が代」の強制の後には、天皇制と軍国主義の教育がくる。戦前の過ちを二度と繰り返してはいけない。それは私の思想・信条です。府教委の処分は、私の思想・信条を処分しています。これを許してはいけない。裁かれるべきは府教委の方です。
〔ただす会通信『れんこん』 1月12日発行から抜粋〕

4面

基礎からわかる普天間基地問題

普天間基地とは?

米海兵隊の航空基地
沖縄県宜野湾市にあり、市域の25%を占める。約2千8百mの滑走路が1本。ヘリコプター部隊を中心に約52機が常駐。軍人・軍属・基地従業員で約2千人(08年9月現在)。

沖縄戦と「銃剣とブルドーザー」
1945年、沖縄に上陸した米軍が、占領と同時に、住宅や農地のある広大な土地を囲い込み、本土出撃に向けた飛行場を造成した。それが普天間基地だ。沖縄戦終結後も、住民は、基地の中にある自分の土地に入れず、基地の周縁にすし詰めになって暮らすしかなかった。51年の講和後も米軍は、新規接収をつづけた。銃剣で武装した米兵が威嚇する中、ブルドーザーで農地をならしていった。抗議する住民は米兵によって暴行をうけた。
住宅密集地の中央部を占拠する普天間飛行場(宜野湾市ウェブサイトより)

侵略最前線で殴りこみ
海兵隊は、侵略の最前線で「殴りこみ」をかけ、後続の陸軍などのために拠点を確保する部隊。
イラク侵略では、04年2月、沖縄から海兵隊3千人とヘリ20数機が出撃。04年8月には、普天間基地のヘリ部隊など2200人が、イラク・ファルージャの大虐殺に参戦。沖縄の海兵隊はイスラム人民の血にまみれている。

世界一危険
基地は、人口約9万人の住宅密集地の中心部を占拠。米国の安全基準ではクリアーゾーン=利用禁止区域とされているところに、公共施設・保育所・病院が18カ所、住宅が800戸、約3600人が生活。
ヘリや輸送機が早朝から真夜中まで低空で飛び回り、住宅地上空を低空で旋回、タッチアンド・ゴーの訓練を1日に50回から300回もくり返す。ひどいときは民家の上を30秒おきにヘリが通過する。
04年8月、宜野湾市内の沖縄国際大学の校舎に米軍の大型ヘリが墜落する事件が発生。機体は炎上して校舎を焼き、破片は400m先にまで飛んだ。周辺は住宅密集地で、たまたま死傷者が出なかっただけだ。
爆音は、電話も家族の会話もできない、テレビの音も聞こえない、勉強もできない、乳児が寝付かないし泣きやまない、心臓がばくばくする、頭がくらくらする、など被害は深刻だ。嘉手納基地の爆音被害とあわせると、県民の39%にあたる約52万人におよぶ。

なぜ13年も実現しない返還

「返還」の発端は、96年4月、「普天間飛行場を5年〜7年以内に全面返還」で日米が合意したことだった。すでに13年が経過しているが、何も動いていない。そもそもの合意にうそとペテンがあるからだ。
米軍は、もともと、老朽化している普天間飛行場の機能を近代化し、基地を統合・強化したいと考え、辺野古に新基地をつくる計画をもっていた。基地を「返還」するかのように見せかけ、沖縄県民の怒りと要求を慰撫しつつ、その計画を実現しようとしたのが合意の真相だ。

95年9月 少女暴行事件
95年9月、海兵隊員3人が少女を暴行する事件が起こった。基地に苦しめられてきた沖縄県民の怒りが噴きだし、10月21日には抗議の県民総決起大会が開かれ、島ぐるみで10万人が集まった。
日米両政府は、基地の存続を揺るがす事態として危機感をいだき、11月にSACO(日米における施設及び区域に関する特別行動委員会)を設置した。

「移設」の条件が付いた「返還」
96年4月12日、橋本首相・モンデール駐日大使(ともに当時)の共同記者会見で、「普天間の全面返還」を大々的にぶち上げた。
が、共同記者会見から3日後の15日、SACO中間報告では、「返還」には「移設」という条件がついていると明記。巧妙な情報操作だった。
そして、12月のSACO最終報告では、「沖縄本島東海岸」に海上基地を建設する方針が打ち出された。

「代替」ではなく最新鋭の基地建設
米軍が辺野古につくろうしているのは、普天間飛行場の「代替施設」などではない。
2本の1800m滑走路、4カ所のヘリ着陸場、広大な弾薬搭載エリア。飛行場、ヘリ着陸場、軍港を一体化した、最新鋭の巨大な基地だ。
米軍には、もともと、1966年「海軍施設マスタープラン」で沖縄県の辺野古沿岸から大浦湾にかけて、港湾施設と滑走路をもつ一大軍事施設の計画があった。

新鋭機オスプレイ
米軍は、辺野古の新基地を中心に、沖縄北部を、新鋭機オスプレイの訓練場にしようと狙う。
オスプレイは、侵略作戦で海兵隊員や装備を輸送する。ヘリコプターのように垂直に離着陸しながら、固定翼のプロペラ機のように飛行する。無理な構造ゆえに開発中に墜落事故が多発、30人の乗員が死亡している。離着陸時の爆音もすごい。
日米両政府は、このオスプレイの配備を隠し続け、環境アセスメントが行なわれたあと公表した。オスプレイの被害はアセスメントの対象になっていない。

海兵隊はグアムへ移転
米軍再編で、在沖海兵隊のグアム移転が明らかになった。(「再編実施のための日米のロードマップ」06年5月) 「グアム統合軍事開発計画」(06年7月)によれば、陸・海・空・海兵隊の4軍の最新鋭機能をグアムに集中・統合、グアムをアジア太平洋戦略の要とし、海兵隊の司令部を置き、沖縄とハワイの実動部隊を指揮する。
また、沖縄については、嘉手納より南の非効率な基地を、沖縄北部に統合・集約するとしている。
在沖海兵隊のグアム移転費用も北部への統合の費用も日本がだす。

米国の植民地 グアム
グアムは、淡路島とほぼ同じ大きさ。米軍基地が島の30%を占めている。総人口は17万人で、その10%が米軍とその関係者、約40%が先住民のチャモロ人、残りの50%はアメリカやアジアからの移住者。グアムは、米大統領選への投票権がないなど、事実上、アメリカの植民地だ。
沖縄以上にひどい状況だ。グアムを犠牲にした沖縄の基地問題の解決などない。 

パッケージ論」はいかさま
「普天間代替施設なしではグアムへの移転はない。グアムへの移転なしでは、沖縄において基地の統合と土地の返還もない」(ゲーツ国防長官 09年10月)。いわゆるパッケージ論だ。
しかし、在沖海兵隊はグアムに行き、辺野古の新基地に移るわけではない。また普天間飛行場は老朽化して使えないと思っている。少なくとも、普天間はいつでも返還できるはずだ。
パッケージ論の本音は、普天間返還と引き換えに、沖縄米軍基地の統合・集約に必要な最新鋭基地をどうしても手に入れたいということであり、米軍再編の計画を沖縄県民の要求で変更されたくないということだ。そこには、沖縄の基地はアメリカにとって戦争に勝って奪った既得権だという強い意識がある。

なぜ沖縄に米軍基地が集中?

戦略という幻想
沖縄が朝鮮半島や中国をにらんだ戦略的な位置にあるから―というのは作り話だ。
「基地は沖縄以外でもいいのか」という質問に、「イエス。沖縄でなくてもかまいません」と明快に答える海兵隊司令官の言葉が、『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』(屋良朝博著)で紹介されている。

沖縄を国策の犠牲に
「沖縄でなくても海兵隊は機能するのは事実。しかし米軍を本土に移したら日米同盟が崩壊しかねない。安保闘争が再来する。日本はそうしたリスクを抱えることができない」(防衛庁高官・当時)(同書)
50年代、反基地闘争が全国でたたかわれ、それに追われるように、米軍は沖縄に集中していった。沖縄でも島ぐるみ闘争がたたかわれていたが、当時の沖縄は米軍統治下で、現地司令官の命令ひとつで住民の土地を強奪できた。反基地闘争に手を焼く日本の為政者が、日本の枠外の沖縄を日米安保の犠牲にすればいいと考えた。
沖縄を国策の犠牲にする差別政策だ。沖縄への基地の集中と、憲法9条はセットだったのだ。

米軍ひきとめる日本の為政者
アメリカが在沖海兵隊のグアム移転を決定する前、04〜05年の日米協議の場で、日本の側から、「海兵隊が引き続き、日本防衛に貢献できる場所」に移設するように要請している。グアム移転決定後も、その決定が公になるのを恐れ、隠そうとしてきたのはむしろ日本だった。
日米地位協定は、占領軍の行政協定を引き継ぎ、米軍の治外法権を認めている。駐留米軍経費の70%を受け入れ国である日本側が負担する(思いやり予算)というのも世界に例がない。いずれも日本側から積極的に便宜を図っている側面が強い。
アメリカの強い要求の前に日本の為政者が屈服し「従属」していると思われがちだが、単にそういうことではない。

どういうことなのか?
政治家も官僚もメディアも、日本の統治機構・支配秩序の全体が、アメリカの世界支配と日米同盟、その実体である在日米軍を柱にして成立しているからだ。
第二次大戦直後、アジアでも日本でも人民のたたかいが燃え上がった。天皇にたいする戦争責任の追及もあり、天皇を頂点とした日本の統治機構・支配秩序が崩壊の危機に見舞われていた。
天皇は、自己保身と統治機構・支配秩序の護持のため、アメリカに沖縄を差し出し、米軍の継続的駐留を求めた。そして米軍の支えの下で、統治機構・支配秩序を再建していった。
その後の日本の戦後発展やアジア再侵略も、日米同盟なしには成り立たなかった。アメリカの威を借る以外に成立しないのが敗戦帝国主義日本の実像なのだ。日本の保守や右翼が親米的なのもこういう理由からだ。

本土人民の意識がカギ
沖縄を国策の犠牲にする差別政策が成り立ってきた背景には、本土人民の意識の問題がある。
沖縄が望んで基地を受けいれたかのような認識、沖縄は基地でお金をもらっているという認識、沖縄県民が生活のための基地を必要としているといった認識を、沖縄県民は、きびしく糾弾している。
沖縄は、戦後、米軍が豊かな農地を基地に接収し、米軍統治下で鉄道も製造業もできなかった。生産性も投資効果も低い基地経済に依存するしかなかった。インフラの整備も、基地負担と引き替えの振興策にのるしかなかった。振興策にのると、それがないと生きて行けない仕組みに追いやられていった。
沖縄は、政治も経済も、基地の存在によって歪められている。それは、沖縄県民が自ら選択したものでは断じてない。

基地撤去は無理なのか?

92年フィリピン
アメリカは、米軍基地を維持するために、マルコスの独裁政治を支えていた。86年、人民の決起が起こり、マルコスが打倒され、その後のアキノ政権も、当初は基地撤去の姿勢を見せたが、アメリカの圧力で屈服。しかしアメリカの激しい恫喝をうち破り、人民の運動の力で基地存続の新条約を議会で否決、スビック海軍基地とクラーク空軍基地は撤去された。

09年エクアドル
99年に締結された基地貸与協定に基づいて、マンタ米軍基地が設置され、米軍は、麻薬対策を口実に早期警戒管制機AWACSを配備した。
しかし基地撤去を求める人民の声を受け、06年にはアメリカ支配からの脱却を掲げるコレア大統領が当選。同政権は08年7月、協定を更新しないと米国に正式通告。08年9月には国民投票で、外国軍基地の設置を禁止する新憲法案が承認され、09年7月、米軍はマンタ基地での軍事作戦を終了させた。

政権交代と基地撤去
「過去50年間、基地受けいれ国で政権交代がなされた後に、撤退する確率は、アメリカの基地の場合でも67%」(ケント・ガルダー『米軍再編の政治学』)

基地撤去は沖縄県民の総意
昨年8月の衆院選で沖縄全4選挙区で自民党は敗北し、比例の九州・沖縄ブロックでも負けた。衆院選直後、当選した5人の国会議員はそろって「辺野古新基地建設反対」を表明した。
また昨年6月の県議選では自民・公明両党の支配を覆して野党が勝利し、同年7月県議会で政府にあてて「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する意見書」が採択された。これが、保守も含めた「沖縄県民の総意」なのだ。

(資料1)年表 普天間返還と新基地建設めぐる主な動き
95年 9月 米兵による少女暴行事件
        大田知事が軍用地の強制使用手続きを拒否
    10月 県民大会に10万人
96年 4月 橋本・モンデール 普天間飛行場を全面返還と発表
        SACO中間報告 返還には移設の条件付きと明示
    12月 SACO最終報告 辺野古への新基地建設
97年12月 名護市民投票で受入れ反対が多数
        名護市長が受入れを表明し辞職
98年 2月 大田知事が受け入れ拒否を表明
    11月 知事選で大田知事から稲嶺知事に
02年 7月 政府・県・名護市、辺野古沖リーフ埋め立て案で合意
04年 4月 防衛省がアセスメント調査のためのボーリング調査ねらう
        住民と支援が座り込みを開始
04年 8月 沖国大に海兵隊ヘリが墜落
        防衛省が海上からボーリング調査
        住民・支援がボートで海上阻止行動
05年10月 防衛省がアセスを一旦断念
        日米両政府がL字型沿岸案への変更で合意
06年 5月 日米両政府が米軍再編の最終合意
08年 3月 防衛省がアセスの正式調査に着手(〜09年3月)
09年 2月 日米両政府が海兵隊のグアム移転協定に署名
09年 8月 衆院選で自民党大敗 沖縄で全滅
     9月 政権交代 鳩山内閣成立
09年11月 県民大会に2万1千人
10年 1月 名護市長選

(資料2)本土と沖縄の比較
  沖縄県内の米軍施設が占有する面積(08年3月)
  沖縄県の全面積の10.2%  沖縄島の全面積の18.4%

  本土と沖縄の米軍の比較(08年3月)
 (以下、数値は本土:沖縄)
 米軍施設総数         75:25
 米軍専用施設基地総数 61.2:38.8
 米軍兵力            36:64
 米軍専用基地面積    25.8:74.2
 (※「米軍専用」は自衛隊との共同使用施設を除く)
 沖縄と本土の総面積比  99.4:0.6

(資料3)沖縄の米軍(08年3月)
  兵力    21,277人
  海兵隊  12,402(58%)
  空軍     5,909(28%)
  陸軍     1,682( 8%)
  海軍     1,284( 6%)
   (※海兵隊が6割をしめる)

(資料4)鳩山は約束を守れ
民主党は、昨年の政権獲得まで、普天間基地の「県外・国外移設」を公約としてきた。
鳩山(現首相)
「(普天間の移設問題で)県民の気持ちが一つなら『最低でも県外』の方向で行動したい」09年7月、沖縄市の集会で)
岡田(現外相)
「『普天間』の県外、国外への移設実現を目指し、政治生命を賭けて交渉したい」(05年8月、外国特派員協会で講演)
前原(現沖縄担当相)
「海兵隊はいろんなプロセスを踏んで最終的に国外に持っていく」(05年4月、沖縄タイムスのインタビュー)


5面

本の紹介 沖縄に犠牲しいる構造あばく
『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
(屋良朝博著 09年7月)
『「アメとムチ」の構図 普天間移設の内幕』
(渡辺豪著 08年10月)

この一年、米軍再編が時代の重要なキーワードと考え、議論を重ねてきた。そんな時に新書版の沖縄タイムスが出版した2冊の本に出会った。
『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』と『「アメとムチ」の構図 普天間移設の内幕』である。

「戦略的な地理的優位性」という呪文

屋良氏が前書きの中で書いている。「多くの米軍基地を沖縄に集中させる政策を正当化してきたのは、『戦略的な地理的優位性』という呪文のような言葉だった。世界地図を広げて、沖縄島を指差せば、素人でも『中国と北朝鮮を同時に警戒できる。うーん、やはり戦略的ですなー』と腕組みしたくなる」と。そう私の頭も刷り込まれてきた。
巨大な世界的な米軍戦略を相手に、戦後60年、沖縄の基地撤去がかなわないのは仕方がないと、心のどこかで押しやり沖縄にたいする差別的な現実への自らの無力さを慰めてきた、まさにヤマトの一人ではなかったかとあらためて思いながら、この2冊を一気に読み終えた。
読み終え「そうではないのだ」という解放感に似た想いが、米軍再編を相手にし、普天間基地の直ちの閉鎖と辺野古新基地建設阻止のたたかいの現実性をも感じさせてくれた。
みなさんもそうではないだろうか。刷り込まれた「沖縄は極東の戦略拠点」「要め石」という観念をまず取り払うことが、50年を迎える日米安保条約の廃棄、米軍再編と闘う上で、決定的に重要ではないか。そういう想いをこめてこの2冊を紹介したい。

『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』

著者の屋良氏は、沖縄タイムス論説委員の仕事を07年7月から1年間休職し、ハワイ大学の中にある東西センターの客員研究員として留学。米軍関係者や政府関係者などとの面談を通して「海兵隊のグアム移転の理由を知りたい」と調査した。
そもそも海兵隊は、沖縄にはいなかった。岐阜県(各務原)と山梨県(北富士)にいた。日本「全国で反米基地闘争の嵐が吹き荒れた安保闘争の初期」「追われるようにして、(1955年)沖縄に流れついた」という。そして沖縄が「さんご礁に囲まれた島だから良好な軍港がない」ため、海兵隊を運ぶ強襲揚陸艦の母港は長崎県佐世保だ。これ自体が軍事的に不合理だと説かれる。
元太平洋海兵隊司令官は「日本本土にアメリカ海兵隊を歓迎する県がありますか。軍部の意思ではありません。すべては政治」と、沖縄を説明する。沖縄はアメリカから見れば、戦争の戦利で獲得したものであり、しかも、世界で例を見ない「思いやり予算」による厚遇がある。それを捨てる意思は毛頭ないというだけだ、というのである。

『「アメとムチ」の構図 普天間移設の内幕』

沖縄タイムスの中部支社編集部長を務める渡辺氏は、あの守屋防衛事務次官(当時)と一体で動いていたとされる佐藤・那覇防衛施設局長(当時)が在任中の実務経過をまとめた備忘録を入手し、県、名護市、業者、米政府関係者への取材を重ねて、08年4月から9月にかけ51回の連載としたものに加筆修正して出版した。中身は、SACO合意による普天間基地の閉鎖と名護市辺野古への新基地建設にかかわる防衛省、政府の動きと地元、沖縄県の様々な舞台裏の動きの暴露である。
そこに見えるのは、米軍の意思や戦略を巡る駆け引きなどではなく、ご存じの防衛予算という巨大な利権にまみれた人間たちを軸に繰り広げられる日本政府とそれに連なる連中の権力と利権をめぐる縮図でしかない。中でも守屋が、「沖縄への想い」を振りかざしながら蠢く様子が明らかにされる。
そこには、沖縄に「犠牲を押しつける」、130年にわたる日本の国家権力の基本的姿勢が貫かれている。著者が「どの取材対象とも距離を保ち、客観的にとらえるよう心がけた」(あとがき)がゆえの迫力がかえってあるように感じられた。(や)

6面

在特会ゆるさない社会的包囲を
京都朝鮮学校襲撃事件 緊急集会に600人

京都朝鮮第一初級学校にたいして「在特会」らが12月4日に行った差別襲撃への反撃が開始された。12月22日夜、京都市内で「朝鮮学校攻撃を許さない! 緊急集会」が開かれ、結集した600人をこえる人びとの怒りと熱気が渦まいた。
最初に『ウリ(私たち)の学校』という、朝鮮学校を紹介するビデオと4日の襲撃の様子の映像が流された。
集会では、主催者(朝鮮学校を支える会・京滋)代表の仲尾宏さんが「たいへんなことが起きた。今の日本はとんでもない社会になろうとしている。安倍政権がとおした教育基本法改悪をみて下さい。自分の民族への優越主義があおられている」と発言。
続いて、京都朝鮮第一初級学校の校長が、襲撃の動きを事前につかみ、万全の体制を準備して冷静に対応した経緯と当日の状況を報告し、「これまでのチマチョゴリ切り裂き事件では、隠れておこなう犯罪の意識が加害者にあったが、今回はちがう。おびえて学校にこれない子どもたちもでている。このような輩をけっしてゆるさない」と抑えきれない怒りの中に力強く表明した。

会場のきょうと会館会議場に入りきれず、あふれる人も(昨年12月22日京都市内)

在日のどこに特権があるのか

さらにオモニ会、アボジ会、地域の保護者がつぎつぎと発言した。
あるオモニは「こんなくやしい思いをしたのははじめて。数日間、夜もねむれなかった。日本人がこんなことをしたと子どもたちに教えたくない。普通の子どもに育てたい。地域でいっしょに暮らしたいのです」と涙に声をつまらせながらのべた。
ある保護者は「今日はチマチョゴリをきてきました。以前はコートに隠し歩いていたけど」と民族教育でつちかったものの貴さを話した。
あるアボジは「阪神教育事件(1948年)の大弾圧などがあっても民族学校をまもってきた。その当時と何もかわらないのだと感じる」と告発した。
在日韓国青年同盟の青年は「4日のことに怒り、ほんとうに悲しい。こんな卑怯は見たことがありません。在日のどこに特権があるんですか。米軍や一部の政治家の特権をなぜ問題にしないのですか。ここに集まった在日朝鮮人と日本人が手を結び合うことでしょう。今日はその出発点です」とよびかけた。

困難のりこえてきた朝鮮学校と民族教育

後半は日本人の側からの発言。日本の社会が在特会や今回の差別襲撃を生みだした。それは私たちの「もうひとりの自分かもしれない」という無念さ、恥ずかしさ、痛苦の思いを、「『心の教育』を許さない!市民会議」などの人びとがかたった。集会防衛の任にあたった「排外主義と闘うネットワーク関西」からも、このかん在特会と対決してきたとり組みを紹介し、「彼らを許さない幅広い社会的包囲を」と決意表明した。
最後に「60余年にわたって幾多の困難をのりこえて守り、発展させてきた朝鮮学校と民族教育にたいして、『在特会』による攻撃を二度と許してはなりません。日本社会のなかにひろく存在する排外主義とたたかい、在日朝鮮人とすべての移民・滞日外国人がその尊厳を保障され、共に生きていくことができる真の共生社会をつくりだしていくために力をあわせましょう」という集会アピールが採択された。

朝鮮学校に激励の手紙・メール・訪問

会場の京都会館会議場はつめかけた日朝人民の危機感と熱意につつまれ、入りきれない人びとが、通路・ロビーにあふれた。参加者は600人と発表されたが、実際はそれをこえたという。関西のみならず、関東など遠方からかけつけた人もあり、このかんの日本軍「慰安婦」問題の早期解決をもとめる各地方議会での意見書の報告やカンパも多くよせられた。さらにオーストラリア、ドイツなど、外国からのメッセージが数十通とどいていることも紹介された。
朝鮮初級学校には4日以降、在日諸団体・個人、さらに多くの日本人団体・有志から、また諸外国からも激励の手紙、メール、訪問がつづいている。
在特会は、この日まったく姿をあらわすことができなかった。しかし彼らは4日の襲撃の帰り際に「1月、2月にまたくるぞ」と言い放っている。朝鮮学校・民族教育の防衛、支援に全力でたちあがり、在特会の策動をたたきつぶそう。(通信員・日高源治)

石川一雄さんの新年メッセージ

石川一雄さんの新年メッセージが、お連れ合いの早智子さんのウエブサイト「冤罪 狭山事件」に発表された。わたしたちは石川さんの第三次再審勝闘争利に向けた決意と訴えを自らのものとして、本年春にむかって進撃するために、本紙面で紹介する。
石川さんは、1963年5月23日にでっちあげ逮捕され、94年12月21日、31年7カ月ぶりに仮出獄して以降もなお、「見えない手錠」がかけられている。幾多の無実の証拠にもかかわらず、裁判所は再審を拒んできた。しかし、石川さんをはじめとする、ねばり強い運動の力で、いま狭山闘争の新たな一歩が開かれようとしている。12月16日、東京高裁が、検察にたいして証拠開示の勧告を行った。
無実を訴え、差別を糾弾し、たたかう石川さんにこたえ、再審の扉をこじ開けるためにともにたたかおう。〔編集委員会〕

新年のメッセージ

全国狭山支援者の皆さん、新年明けましておめでとうございます。
私も爽やかな気持ちで2010年の朝を迎え、決意を新たに第一歩を踏み出せることができました。まだ小さな光ではありますが、私の鬱積した気持ちを一気に吹っ飛ばせてくれたのは、昨年暮れの「開示勧告」を出した裁判長の勇気ある英断でありました。それを出させたのは46年に及ぶ皆さん方の闘いの弛み無い努力の結晶であり、支援者各位が心を一つに、再審実現の一点を目指し、闘いぬいて下さったことに、感謝の気持ちで一杯です。

勿論これからが本当の闘いであってみれば、「開示勧告」されたからといって浮かれているわけではなく、逆に新年の第一歩を心を引き締めて踏み出しつつ、今年こそ「事実調べ」や「証人調べ」を通して、再審開始をさせねばならず、そのためには、更に全国民的大衆運動に盛り上げていかねばなりません。私も不屈の精神で闘って参ります。東京高検は「開示勧告」に従い、すみやかに証拠を出してもらいたいと思います。

それにしても裁判長の心を動かし「開示勧告」を出させた「要因」は弁護団の並々ならぬ努力で無実を明らかにする多くの証拠を積み上げてきたことと共に、「公平・公正」な裁判を求める署名が100万筆を超えたことなど忖度した結果、最早無視できないまでに追い込んでいったものと思われます。

再審の理念とは合理的疑いを超えて証明されている筈の有罪証拠を具に検討され、今迄の裁判所の判断、認定に疑問を持って見直すことであろうと思います。加えて、幾多の重大な、素人でも感じる問題点に応えないまま、一方的に有罪認定し続けてきた各裁判所の姿勢に今回の「開示勧告」は一石を投じ、真相究明に踏み込んでくれたものと解します。支援者を前にして言及するまでもない事乍ら、裁判とは犯罪事実自体に存ずる疑問を解明する努力をなし、初期の取調べ及び自白に至る生成過程の実態を究明すべき義務を負わされている筈なんです。ところが狭山事件に限っては、これまで、其の尽くすべき審理をせず、確定判決を無条件に擁護してきました。今迄の裁判は新証拠を蔑にし、私を犯人に決め付けて「本末転倒」の論理を用いて「有罪」にしてきたわけですが、門野裁判長は「無辜の救済」という再審の理念に従ったものと思われます。

最大の山場であることから、新年早々から支援のお願いに終始したことに申し訳ないと思い乍もやはり、私の拠所は皆さん方でありますので、その辺をご理解頂いて、「開示勧告」をバネに、事実調べをさせるために大きな世論を起こしていただきたい。是非とも本第3次再審請求で無罪を勝ち取って終結できますよう、昨年以上のご協力を賜りたく切望する次第であります。私も全精力を打ち込んで闘ってまいります。

最後になりましたが、皆さんがたのご健勝とご活躍を念じつつ、ご挨拶といたします。
2010年1月1日    石川 一雄