普天間基地は撤去しかない
伊江島も下地島もグアムもダメだ
普天間基地のヘリコプター訓練の一部を、伊江島(沖縄県伊江村。海兵隊訓練施設の補助飛行場がある)か、下地島(沖縄県宮古市。民間機の離発着訓練用の滑走路がある)に移すことで、普天間基地の継続使用を認める案が、鳩山政権内で浮上している。(12月30日)
伊江島案も下地島案も、普天間基地の現実は何も変わらない上に、海兵隊の訓練場が広がるではないか。沖縄県民の思いをどこまで踏みにじれば気が済むのだ。
伊江島は、1943年、日本軍による飛行場建設のための住民徴用、激しい戦闘と集団強制死、戦後は強制移住、米軍による土地接収と基地被害と、沖縄の苦難の歴史の縮図なのだ。
下地島は飛行場設置の際に、1971年、日本政府と、当時の屋良・琉球政府行政主席との間の覚書で、軍事使用の禁止を確認している。
もちろん社民党の主唱するグアム案も論外だ。米西戦争(1898年)でグアムを植民地化したアメリカが、先住民チャモロ人にアメリカ化を強制、土地を奪って基地を建設。グアムに矛盾を転化して沖縄問題の解決はない。
移設でなく撤去を
「普天間移設」というが、「移設」の文言は、96年の日米合意の際に日本政府が仕組んだというペテンだ。沖縄県内への新たな基地建設を飲ませるため、沖縄県民の要求をくむ振りをして、「移設」「代替施設」というペテンを弄したのだ。
土地を強奪され、基地を押しつけられ、屈辱を強いられてきた沖縄県民がそれを跳ね返すのに、条件などいらない。代替を考える必要など毛頭ない。まして新たな基地など絶対に受けいれられない。唯一の解決案は、無条件・即時に基地を撤去することだ。
沖縄を犠牲にして成り立つ戦後日本とは
こういう当然の主張にたいし、反動の側は、「日米同盟が」「抑止力が」と激しく論駁してくる。
しかし「抑止力」というが、その実態はイラク・アフガニスタン侵略の出撃拠点だ。「日米同盟」というが、アメリカが世界を支配し富を独占する帝国主義的グローバリズムを支える柱であり、それに日本の支配階級も依拠し恩恵をうけているという話だ。
そんなことのために、なぜ犠牲にされ続けなければならないのかというのが沖縄県民の叫びなのだ。それはとりもなおさず、沖縄県民を犠牲にして成り立つ戦後の日本と世界とは何なのかという鋭い問題提起である。
今日の世界体制を所与の前提にしたら、沖縄問題の解決案は見いだしようもない。だから自民党はもちろん民主党にも解決不可能なのだ。
だが、このように体制内的には解決不可能となった沖縄問題を徹底的につき詰めていくとき、つまり沖縄県民の要求と問題提起を受けとめて徹底的につらぬくならば、じつは、帝国主義的グローバリズムと日本の支配体制の全構造を転覆する革命的展望を切りひらくことができるのだ。そういう根底的な提起が沖縄県民の側からなされていることをうけとめよう。
創造的破壊の年に
2010年は、安保改定から50年、韓国併合から100年の年。近現代の日本のあり方を突きやぶる、創造的破壊の年にしよう。
1・24名護市長選の勝利をかちとり、1・30日比谷集会に大結集しよう。
ガザ大虐殺1周年
米領事館へ抗議 12・28大阪
アメリカ領事館前(12月28日 大阪) |
イスラエルによるパレスチナ侵攻、ガザ大虐殺(08年12月27日開始)から1年。パレスチナの平和を考える会など9団体のよびかけによる「ガザ虐殺を繰り返させないための12・28大阪米領事館申し入れ行動」がおこなわれた。
大阪市内の中心部にある米領事館前には、40人の仲間が集まり、午後4時半から1時間にわたり、抗議と申し入れ行動をおこなった。
命をつなぐたたかい
公設派遣村と大相談会 12・29〜1・4 東京
08年末の日比谷「年越し派遣村」にとり組んだ全国ユニオン、全労連などの労働組合、市民団体の有志が「ワンストップの会(年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会。代表・宇都宮健児弁護士)」をたちあげた。
日比谷派遣村のたたかい以降、政府と東京都は、その声を無視できなくなり、ようやく年末年始対策として公的措置をとることになった。12月28日から1月4日朝まで開かれた、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターを宿泊施設として利用する「公設派遣村」がそれだ。
当初、利用申し込みは12月28日までに予約が必要とされていたが、ワンストップの会などの働きかけにより、都内で1カ所だけではあるが、ハローワーク新宿歌舞伎町庁舎で年末年始も窓口が開かれた。
窓口がひらかれたとはいえ、本当に必要としている人にはほとんど知らされていない。ワンストップの会は、そのための宣伝行動をよびかけた。「つなぐ・つながる総行動」だ。
29日から始まった総行動では、集まった仲間が、「宿泊と食事が提供され、生活総合相談が実施される」窓口を知らせる「ワンストップの会」のビラを持って、上野公園、新宿、渋谷、池袋などで直接語りかけながら手渡した。
ビラ配りのために集まった仲間たち (12月29日 東京 新宿・大久保公園) |
深刻さは昨年以上
昨年、日比谷派遣村で年を越した人は約500人だったが、今回、公設派遣村で年を越した人は800人を超えた。入所受付の窓口となる新宿区のハローワークに隣接する大久保公園ではワンストップの会が29日からテントを構え、生活相談をおこなった。
オリンピックセンター内では、管理・監視体制が強く、相談体制も貧弱。そのうえ、ワンストップの会の立ち入りを拒否、相談を委任されている弁護士でも立ち入りを認めなかった。そのため、ワンストップの会は、1日から3日までセンター正門に大型バスをのりつけ、車内で大相談会をおこなった。
2面
パナソニック訴訟 逆転反動判決
資本の違法・脱法を追認 最高裁
12月18日、パナソニックPDP(プラズマディスプレイ)偽装請負訴訟の最高裁判決があった。二審判決(原告側勝訴)を破棄し、90万円の賠償金のみ認めた。
パナソニックを告発
製造業への労働者派遣が解禁された04年3月1日より前の時点で、吉岡力さんは、請負会社からパナソニックPDP(大阪府茨木市)に派遣され、違法な偽装請負状態におかれてきた。
吉岡さんは05年5月に大阪労働局に是正申告し、就労先企業であるパナソニックに直接雇用を求めた。パナソニックは、いったんは直接雇用にきりかえたものの、吉岡さんを他の労働者からひきはなし、隔離されたテント内で意味のない仕事を強要し続けた。そして5カ月後には雇い止めにした。
パナソニックの違法行為にたいして、07年4月の大阪地裁判決は、パナソニックがおこなった隔離などの行為を不法行為と認定し慰謝料の支払いを命じたものの、パナソニックと吉岡さんとの間の〈労働契約の成立〉は否定した。
二審判決の画期性
08年4月、二審の大阪高裁は、吉岡さんを雇っていた請負会社とパナソニックが結んだ業務委託契約は「脱法的な労働者供給契約」で無効とし、吉岡さんとパナソニックの間には「黙示の労働契約の成立が認められる」と判断。画期的勝利判決であった。
支配階級の反動的意思
これにたいして最高裁判決は、「労働者派遣法の規定に違反していたと言わざるを得ない」としながらも、「パナソニックと吉岡さんとの間において雇用契約関係が黙示的に成立していたものと評価することはできない」と切り捨てた。
偽装請負であること、すなわちパナソニックと吉岡さんとの間には使用従属関係があったことを認めながらも、雇用関係は認めないという矛盾だらけのしろものだ。
最高裁判決が〈差し戻し〉ではなく二審判決(「黙示の労働契約の成立が認められる」)を破棄し、原告敗訴=確定判決としたことは、この事態にたいして絶対にみとめないという支配階級の意思を示したものだ。
同種の裁判は、いま全国で60以上が争われている。パナソニックの敗訴を認めてしまうと、日本の大企業が大量の派遣労働者の雇用義務を負い、支払わなければならない賃金は莫大なものとなる。それを阻止したいということである。
〈派遣と間接雇用問題〉は、企業による労働者支配の根幹にかかわる問題であるということが、あらためて明瞭になった。
「必死に闘ってきたから後悔してない」吉岡さん
吉岡さんは「パナソニックの職場でも一所懸命働いてきたし、裁判でも労働運動でも、必死にたたかってきた。だからこういう結果が出たことにたいして、ぼくは全然、後悔していません」「働く者をモノのように扱うあり方、こういった働かせ方をなくしていかなくてはならない」「今後もずっとたたかっていく」と語っている。
パナソニックは雇用責任を認めよ、吉岡さんに謝罪せよ――の声を大きく発展させ、吉岡さんの職場復帰をかちとろう。
判決を前に対厚労省行動に参加し決意を語る原告の吉岡さん(12月18日) |
労政審で派遣法改正案しめす
労働者の要求ふみにじる公益案
12月18日の労働政策審議会で、派遣法改正の労政審・公益委員案がしめされた。同案は、衆議院解散で廃案になった3党(民主、社民、国民新、09年6月提出)案を骨抜きにし、派遣労働者の権利を否定するものだ。
3党案は、1年前の派遣村の現状をふまえ、派遣労働者の要求を反映させたが、まだまだ不十分だった。しかし、この3党案すら骨抜きにする公益委員案は、到底認められない。
公益委員案の問題点
@「派遣先責任の強化」を削除
派遣法の最大の問題は、雇用責任を一義的に派遣元(派遣会社)に課し、派遣先(トヨタなどの大企業)は一切責任を負わない仕組みだ。08年末に大企業が大量の派遣切り・雇い止めをおこないながら、責任を問われていないのはこのため。大企業は莫大な内部留保を確保しながら、首切りの責任を回避している。
3党案には、派遣元だけでなく派遣先も労働組合法のいう使用者とすることによって団交応諾義務を課すこと、未払い賃金にかんする連帯責任を課すことなど、さまざまな責任強化が盛り込まれていた。ところが公益委員案は、それらをすべて削除した。
A有期雇用みとめ、登録型派遣を温存
公益委員案は、登録型派遣の原則禁止を「常用雇用以外の労働者派遣を禁止する」ことによっておこなうとしている。
しかし派遣法の「常用雇用」の定義は、「期間の定めのない労働契約」以外に、1年以上同じところで働く見込みがある場合や、結果として1年を超えて働いている場合も含む。そのため、例えば3カ月契約を4回以上くり返していれば「常用雇用」とされる。この手口で有期雇用契約が野放しになる。
登録型派遣は、有期雇用を禁止しない限り消滅しない。そのため3党案は、有期雇用禁止規定を設けた。
しかし公益委員案は、この規定を削除した。それだけでなく、専門26業務などを禁止の例外とすることによって、実質的に登録型派遣を温存しようとしている。
登録型派遣は、派遣労働者全体の70%を占めている。登録型派遣こそ、派遣労働者を塗炭の苦しみにおとしいれている最大の元凶である。
B「直接雇用みなし制度」を骨抜き
違法派遣の場合、「派遣先が派遣労働者に対して労働契約を申し込んだものとみなす」としているが、ここでいう契約が「期間の定めのない雇用」であると限定していないため、派遣先は派遣労働者を直接雇用にきりかえたとしても、実際は極めて短い期間だけ直接雇用して使い捨てることが可能になる。
3党案では、違法派遣のうち、期間制限違反の場合、派遣労働者と派遣先との間に「期間の定めのない労働契約が締結されたものとする」としていた。
しかし公益委員案は、この文言も削除した。あくまでも派遣先に雇用責任が及ばないようにしている。
それだけではない。公益委員案は、申し込まれた労働契約を派遣労働者が受諾しても、その派遣労働者を就労させない派遣先には行政が勧告するにとどめるというのだ。罰則規定がない。これでは「直接雇用みなし制度」は完全に無力化する。
C日雇い派遣に18業務の例外
日雇い派遣の原則禁止は、例外業務を作らないことによって初めて意味を持つ。
ところが公益委員案は、表向き、日雇い派遣禁止を打ち出しているが、18業務の例外を設けることによってすりぬけようとしている。
D施行日の先送りねらう
「登録型派遣」「製造業派遣」の禁止は即刻行われるべきだ。
ところが公益委員案は、施行日を「3年以内」として先送りしようとしている。
それだけでなく、公益委員案は、登録型派遣の原則禁止について、さらに「2年の適用猶予」を設けている。これでは登録型派遣の禁止は5年後になる。
他の規定と同様、「6カ月以内」に施行させなくてはならない。
※この公益委員案に、使用者代表委員と労働者代表委員の意見を一部付記し、労政審は28日、長妻厚労相に答申した。
労政審にたいし行動
厚労省前に300人
公益委員案が示された12月18日、厚労省前では、労政審にたいする様々なとり組みがおこなわれた。
「労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動」は、100人以上で、10時から10時45分まで宣伝活動をおこなった。
派遣ユニオンの関根書記長が、3党案から大幅に後退した公益委員案を弾劾。全労協の藤崎議長は、派遣法こそ雇用破壊を進め貧困・格差社会の元凶だ、と抜本改正を訴えた。全労連の井上事務局次長は、いまだに派遣労働者を雇用の調整弁と発言する使用者委員や公益委員がいることを弾劾、年越し派遣村の現実に踏まえた改正を訴えた。同じ日に最高裁判決を迎えたパナソニックプラズマディスプレイ裁判原告の吉岡さんは、どのような判決が出ようと労働者をモノ扱いする働かせ方をなくしていくためにたたかい続けると決意表明。全国一般東京東部労組の菅野委員長は、派遣法こそワーキングプアの温床と弾劾し、派遣法抜本改正の道筋をつけていくと訴えた。
ほかにも多くの団体から発言があり、最後に、共同行動の安部事務局長が、立場の違いがあっても派遣法を変えなければならないという気持ちは一つであり、派遣法抜本改正の運動は小さくても日本の労働者の大きな利益になることに確信をもって、ナショナルセンターや政党の違いを超えすべての力を結集して今一歩抜本改正にむけて闘おうと訴え、シュプレヒコールをおこなった。
その後、10時45分から、連合による派遣法抜本改正に向けての宣伝活動がおこなわれ、共同行動の仲間たちを含め、厚労省前には300人以上が集まり、立錐の余地がないほどだった。
厚労省前で訴える。マイクは「共同行動」の安部事務局長(12月18日) |
資本の巻き返し
80年代以来続く労働法制の規制緩和にたいして、1年前の派遣村を前後して、これを押し戻していく運動がさまざまな形でまき起こっている。
他方、資本の側の激しい巻き返しがおきている。労政審で出された公益委員案や使用者代表の意見は、その巻き返しの一つだ。
これを粉砕するには、敵を見失うことなく、立場の違いを超え、より大きな広がりをつくり出していくことが必要だ。派遣法をめぐるたたかいは、派遣労働者だけでなく、正規雇用を含めたすべての労働者にかかわる問題だ。
派遣法の抜本改正をやりぬき、諸悪の元凶である派遣法廃止までたたかいぬこう。
3面
民営郵政 最初の労働委で勝利命令
労働者圧殺の郵便会社を痛打
12月11日、兵庫県労働委員会命令(3日決定)が送達された。
命令主文は3本からなっている。――
@郵便事業株式会社は、JP労組はりま東支部加古川分会の機関紙『躍動』に関し・・・『躍動』を組合掲示板から撤去することや回収することを申し入れたり、組合掲示板から自ら撤去したりしてはならない。
A郵便事業株式会社は、機関紙『躍動』の内容に関し、自らの評価や判断を強引に押し付けるような発言をして、JP労組はりま東支部加古川分会の自主的決定に干渉してはならない。
Bその余の申立ては棄却する。――
分会機関紙『躍動』にたいする当局の攻撃を不当労働行為とする、実質的な勝利命令だ。
郵政民営化と軌を一にした事件
郵政民営化(07年10月)の下、過剰な年賀販売ノルマや要員コストカットが強行された。それと軌を一にして、加古川支店では、集約・効率化をねらって職場のワンフロアー化がうちだされた。支店の1階と2階にあった集配課を1階に集約、集配課の班作業面積を6割にせばめるものだ。
分会はワンフロアー化の延期を求めて交渉したが決裂。08年年初からのワンフロアー化強行にたいして、分会は反対を声明。当局は、ワンフロアー化強行に反対を貫く分会・支部役員3人を狙い撃ち処分。
分会は、ワンフロアー化について、職場アンケートをおこなった。「効率に逆行する混雑さと狭さで、物もなくなる」「用事もないのに狭いところを(支店長が)ウロウロするな」など、抗議の声が寄せられた。このアンケート結果と反対声明を『躍動』に掲載し、組合掲示板に掲示した。
当局は、この『躍動』の内容に激甚に反応し、介入を始めた。「支店長への無礼な文言で、個人攻撃である」「(狭くなった)作業班内写真を掲載したのは肖像権と支店保安違反」などと攻撃。そして『躍動』の組合掲示板への掲示を禁止し、掲示している『躍動』のとり外しと、局内の配布だけでなく全国に配布した『躍動』の回収まで命じた。
そして当局は、「(これ以上)支店長批判(施策批判)をつづけるようなら組合掲示板の便宜供与を中止する」「組合事務所の貸与も中止して、取り上げる」とまでいい、「(これは)最後通告である」と宣言。
これにより、『躍動』474号(08年2月18日付)がはがされて以来、1年10カ月にわたって『躍動』の掲示ができなくなった。
当局は、しきりに「民営化したのだから意識を変えろ、生産性向上を組合先頭に推進すべきであり、労使協調をなぜ考えないのか」と加古川分会に路線転換を迫った。
08年10月、労働委員会に申し立て。組合への露骨な支配・介入にたいして、郵政民営化後、初めてとなる郵便事業会社への反乱がたたきつけられた。県労働委員会も不当労働行為と認定せざるを得なかった。
しかし、3人の処分については、不当労働行為とは言えないと認定。これは許されない。この点を不服として中央労働委員会に申立てる予定だ。
労働者圧殺の郵政職場
労働組合が会社施策をチェックし反対するという当然の行為さえ、今の郵便事業会社の下では許されなくなっている。
民営化後の職場は、要員不足が常態化、正規雇用が次々と非正規雇用に置きかえられた。非正規雇用労働者は非正規雇用のままに固定され、さらに非正規雇用労働者も含めて営業ノルマは格段に強められている。
「組合など当てにならない。自分の身は自分で守らねば」と追い込まれ、競争と不団結が広がり始めている。組合の体をなさない事態が全国で進んでいる。
郵政職場では、「民営化のため」といえば何をしても許されるとばかり、活動家を大量に強制配転、現職支部長を県外に強制配転するなど、不当労働行為が続発している。
職場闘争で郵政労働運動再生へ
「労働者と経営者は立場が違うのだから、組合と会社の意見が違うのは当然。『これからは意識を変えろ。会社批判を続けるならば、掲示板・組合事務所を貸さない』と会社に言われて屈すれば、組合はものを言えなくなる。そうなれば組合員はよりどころを失い、あのJR尼崎事故のようになる。労働組合は会社のものではなく労働者のものとなるべきだ」。
これは労働委員会の証言に立った分会書記長の発言だ。ここに「あたりまえの労働運動」を目指して苦闘する分会の考えが凝縮している。
この勝利命令は、労働者圧殺の郵便事業会社に、痛烈な反撃を加えた。郵政職場の組合の権利や自主性を確保し、窓口交渉に大きな力を与えている。
加古川分会の労働委員会闘争は、JP労組下の厳しい状況で、一人での申立から始まりながら、職場の支援を徐々に拡大していくという「加古川方式」とも言うべき、郵政における新たなたたかい方を切りひらいた。JP労組の下で、支部・分会の屈服や反対を乗り越えてたたかううえで大きな励ましとなる。今後、全国の郵政職場で労働委員会への申立が拡がるだろう。
生産性労働運動のJP労組中央に抗して、「あたりまえの労働運動」を発展させ、中央労働委員会での勝利をかちとろう。
組合掲示板に『躍動』が復活
労働委員会命令は、12日には職場に伝わり、16日には詳細に報道した『躍動』が職場で配布され読まれている。静かな熱気が伝わっている。
掲示板から『躍動』が消えて1年10カ月、掲示板にふたたび張り出すときがきた。分会の窓口役員が、当局の労担を呼び出し、掲示板への張り出しを要求。労担はひたすら低姿勢で応対。窓口役員と申立人の江渡前分会長が『躍動』を張り出した。感無量だ。(労働通信員T・K)
1年10カ月ぶりに組合掲示板に『躍動』を張り出し満面の笑み(12月16日 加古川市店内) |
国労5・27臨大闘争弾圧裁判 判決
暴処法の適用うちやぶる
国労5・27臨大闘争弾圧裁判は、03年2月の第1回公判以来、7年間にわたって裁判闘争をたたかい、08年5月に分離公判となる困難も乗り越えてきた。そしてついに、労働組合にたいする死刑法である「暴力行為等処罰に関する法律」(暴処法)の適用をうち破った。暴処法の無罪は画期的な勝利だ。
暴処法適用をうち破っただけでなく、事前共謀・現場共謀もうち破った。それだけでなく、被告人らの行為は中核派による大会妨害行為であるという検事の主張をうち破り、被告人らの行為は憲法の保障する団結権の行使としてのビラまき・説得活動であり、もみ合いの原因は国労本部派にあるという認定もかちとった。
これは原則的な弁護活動とビデオテープや供述調書など、各証拠の詳細な分析の勝利だ。
1人に無罪 7人に有罪
しかし、東京地裁刑事10部(植村裁判長)は、完全無罪ではなく、被告人らのビラまき・説得活動は暴行に当たるところがあるとして、第120回公判の09年11月27日、1人無罪、6人に20万円から60万円の罰金判決。12月14日、第121回公判で、松ア被告に40万円の罰金とした。
8人全員を無罪としなかったことを弾劾する。
勝利を保障した地道な救援
02年10月、2度にわたる弾圧によって、職場をもつ国労組合員5人、闘争団員2人、支援者3人、計10人が逮捕された。
逮捕直後から献身的な救援活動がとり組まれた。連日の弁護士接見や差し入れ、留置されている警察署への激励行動が何度もおこなわれた。獄の内外のたたかいによって完全黙秘が貫かれた。
起訴後も、東京拘置所への弁護士接見や毎週の差し入れは雨の日も風の日も続けられた。
公判開始後も、身柄奪還闘争は続けられ、03年7月、検事の準抗告をうち破って1人の被告人の勾留執行停止をかちとり、同年9月、被告人の父親死亡による勾留執行停止もかちとった。同年12月、検事の準抗告をうち破り、ついに全員の保釈をかちとった。
統一公判こそ勝利の道
元々、本件は次ような事件であった。――02年5月27日、国労本部が、鉄建公団訴訟原告団(国労組合員)らの査問委員会への送致をねらい、第69回臨時全国大会を開催した。これにたいして、被告人らは、「奴隷の道を拒否せよ!」と同大会の中止をもとめるビラまき・説得活動をおこなった。このビラまき・説得活動にたいして、国労本部派が3列縦隊でぶつかった。そこでつくり出されたもみ合いをもって、国労本部派と警察が一体となって刑事事件に仕立て上げた――。
鉄建公団訴訟原告団・家族は、忘れもしない1987年2月のJR不採用通知以来、筆舌に尽くしがたい苦闘の中で解雇撤回闘争をたたかってきた。
しかし、国労本部は裏切りと屈服を続け、2000年5月、四党合意の受諾を一方的に決め、01年1月、機動隊を導入して四党合意の大会決定を強行した。02年5月、国労本部は自民党などに全面屈服し、闘う闘争団の除名にまで手を染めた。まさに「国労が国労でなくなる」「国労の自殺行為」がおこなわれようとした。
鉄建公団訴訟原告団を査問委員会に送致・除名することは「国労史上最大の暴挙」だ。これをビラまき・説得活動という手段で弾劾した被告人らの行為は、憲法が保障する労働基本権たる団結権の正当な行使そのものだ。無罪以外にいかなる判決もあり得ない。
8人全員の無罪へ
本件当日、8人の被告人らは共通の目的をもって共同してたたかった。この原点を決して忘れてはならない。この原点に常に立ち返りながら、分裂を乗り越え、粘り強く統一公判の実現を求めていこう。
敵を見誤ることなく、国家権力と国労本部によるこの弾圧をうち破っていくために、統一公判を粘り強く求め、8人全員の無罪獲得にむかって控訴審をたたかいぬこう。
4面
恐慌と改憲に抗し革命闘争の前進へ
新たな道きりひらいた09年の総括
T.8月総選挙で自公政権を打倒して新たな階級闘争を開始
8月総選挙方針の総括と課題
われわれは、8月の総選挙を労働者階級人民による自公政権打倒のたたかいと位置づけ、全同志と支持者に、推薦候補の応援と「すべての改憲派・新自由主義派の候補者を落とそう」という具体的方針を提起してたたかった。その結果、自公両党の歴史的な惨敗と政権交代を引き出すたたかいに主体的に参与し、その一部を担うことができた。
われわれは、小なりといえどプロレタリアートの政治党派として、歴史的な政治決戦においてその役割を果たすことが必要と判断し、社民党・新社会党候補の推薦を決定した。安田派が「党は階級である」として党の利害が階級の利害だと転倒させるのにたいし、われわれは「階級のための党」として党派利害を越えた方針を選択した。そして、改憲と大失業の攻撃をいったん頓挫させ、政治情勢の新たな局面をひきよせた。
この政権交代は、小沢戦略や民主党の勝利として総括されるものではない。民主党への投票の集中は、日帝の新自由主義政策を終わらせ、自公政権を打倒するための、今次総選挙における唯一の選択肢であったにすぎない。労働者階級人民の総反乱で、新たな政治的激動が開始されたのだ。
選挙闘争の総括として、われわれが真に階級のための党として前進を勝ちとっていくには、@政治的な全領域の課題をめぐって大衆運動を戦闘的に発展させ、政治的影響力を拡大していくこと、A労働者階級人民のための政治の奪還に向かって、すべてのたたかう勢力に働きかける統一戦線政策をさらに発展させていくこと、B労働者階級のなかに党組織と革命的勢力を建設していくこと、C以上のたたかいを推し進めていくなかから、階級の党として求められるトータルな政策綱領をたたかう人民とともに打ちたてていかねばならない。
そうしてこそ、さらに革命的戦闘的な候補者の擁立や、本格的な全国党派への飛躍も可能となる。
民主党政権下の階級闘争の核心問題
民主党政権下での新たな階級闘争は、保守政党でありながら、現代帝国主義の危機突破と延命のため新自由主義政策から一定の軌道修正を公約したブルジョア政権とのたたかいという、独特の形で始まった。
それは、民主党政権政策(マニフェスト)を焦点にした具体的で切実な諸要求に始まり、辺野古新基地建設をめぐる重大な政治闘争へと発展している。われわれは、10・3反原発全国集会から11・8沖縄県民大会までの中央闘争、関西闘争で、大衆運動のうねりを高める一翼を担った。
鳩山政権は公約をめぐって内部矛盾を露呈し始めているが、こうした状況を鳩山政権と日帝に強制しているのは、自公を打倒した労働者人民の政治的圧力だ。われわれは、労働者人民の切実な要求の実現をめざして、大衆運動を強化し、、日帝の政治危機をいっそう激成させていかねばならない。
こうしたたたかいを、労働者人民の階級的なたたかいと見るのか、安田派のように、鳩山政権を尻押しして民主党への幻想を生むものと見るのかで、分岐が生まれている。
このたたかいは、民主党への期待や社民党の尻押しで終わるはずがなく、辺野古問題を最大の焦点に、安保外交問題から憲法問題へ、民主党政権のブルジョア的・帝国主義的核心にふれる課題をとおして、真の激突情勢をつくりだしていくたたかいとなる。
労働者人民が勝利させた政権が、子ども手当支給、最低時給千円、普天間基地の県外・国外移設、「障害者」自立支援法撤廃、教員免許更新制廃止・・・を現にかかげているとき、期待や幻想が生まれるのは不可避であろう。このとき、たたかっても物の取れる時代でない、と絶望を組織しているのが安田派だ。問題は、この切実な課題を実現させるのは連立与党ではなく、この期待が裏切られたら革命情勢が到来するぞという迫力をもった労働者人民のたたかいであるということだ。
このような過程をぬきにしては、08年からの世界恐慌を真の革命情勢へと転化させていく道筋はない。それは、80年代以降の国鉄分割民営化、三里塚二期攻撃と労働者派遣法制定など、階級闘争絶滅攻撃があり、ソ連崩壊後の共産主義運動と総評解散以降の労働者階級の歴史的現実に規定されているからだ。
そしてこのたたかいは、帝国主義に自己矛盾を強制し、余力を最後まではき出させるたたかい方であり、鳩山・民主党の化けの皮をはいでいくたたかい方だ。すべてのたたかいが、自公政権下での反動法案、反動政策にたいする受動的・防御的なたたかいから、人民への公約を言質に、これを実力でたたかいとっていく進攻的なたたかいになっていく。
たたかいは始まったが、政府はまだなにも応えていない。政権内部から矛盾が吹き出し始めたここからが勝負だ。
U.改憲阻止、沖縄闘争、三里塚闘争勝利の地歩を築く
9条改憲阻止の統一戦線ひろがる
2・1憲法集会の成功から、6・14全国集会、10・18京都集会を中心に、改憲阻止のたたかいを統一戦線を軸にして推し進めてきた。これらは、9条改憲阻止の会の運動と社民党・新社会党など護憲勢力との統一戦線として継続してきたものであり、節目でのたたかいにとって重要な役割を果たしてきた。
恒常的な大衆運動方針をもち、機動的な闘争機関ともなってきた百万人署名運動では、安田派の牛耳る全国事務局が8・6ヒロシマ方針の違いを理由に、関西連絡会と兵庫県連絡会の排除を8月全国活動者会議で強行して、党派闘争のためだけに利用しようとしている。しかし、兵庫県連絡会や関西連絡会などで大衆的な署名運動を推進してきたのは、われわれとたたかう人民の勢力だ。
円山公園から市内デモに出発(昨年10月18日 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都) |
三里塚との血盟
09年をとおして決定的な地平を切りひらいたのが三里塚闘争だった。
昨年来の三里塚芝山連合空港反対同盟と三里塚決戦勝利関西実行委員会をめぐる安田派との対立は、安田派と泉州住民の会が関西実行委運動から離脱するという結末にいたった。この1年間の激闘は、「階級的労働運動路線」と称して三里塚闘争から召還しようとする安田派にたいして、反対同盟と関西実行委の血盟を柱とした三里塚陣形の団結を守り、農民の主体的なたたかいを軸とした市東さんの農地強奪阻止の実力闘争へ展望を切りひらくたたかいだった。
関西実行委と反対同盟の共催による9・27東西両軍事空港反対闘争と10・11三里塚現地闘争の勝利は、反対同盟が市東さん農地強奪阻止の実力闘争を決断し、三里塚闘争の勝利の地平を守りぬいたものと総括できる。
また、前原国交相による羽田ハブ空港構想の表明も、三里塚闘争と関西新空港闘争の勝利的地平のもとでの敵階級の内部矛盾であり、勝利に向かって決戦情勢の到来を示唆するものといえよう。
いまや71年強制代執行阻止決戦以来の決戦局面に入った、三里塚闘争の勝利に向けたわれわれの責任はいよいよ重大だ。全国反基地闘争の砦として、新たな農民運動の中心として、全人民のたたかいへと三里塚闘争を発展させていかねばならない。
関西新空港闘争を軍事空港反対闘争として再構築していかねばならない。
北原事務局長、萩原事務局次長、鈴木事務局員(前列右から)がデモの先頭に(昨年10月11日 成田市内) |
安保・沖縄決戦を切り開く
辺野古新基地建設に反対する2万1千人の11・8沖縄県民大会に参加し、関西では「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」呼びかけの緊急闘争に総決起してたたかった。
09年をとおして、この県民大会が国内最大の大衆動員として成功した意義は大きい。鳩山政権にたいして、日米首脳会談の直前に人民の要求を突きつけたものだ。
安保改定50年目の今日、10年1月の全国集会(東京)や名護市長選から、安保・沖縄闘争が三たび歴史的な階級決戦となる。
関西では大阪港の軍事使用阻止をめざす新たな安保闘争が、労働運動の統一戦線で開始されたことも大きな意義がある。
「沖縄主義粉砕」を唱えて辺野古現地から逃亡した安田派は、たたかう沖縄人民に敵対し、闘争破壊者の役割を果たしてきた。三里塚と関西実行委、百万人署名運動と星野奪還闘争をめぐる大衆運動破壊は、労働戦線での派遣村への誹謗中傷とともに極点に達し、いまや安田派は、だれからも相手にされない存在となり果てた。
沖縄県宜野湾市海浜公園野外劇場をうめつくした 2万1千人(昨年11月8日 県民大会) |
在特会と対決し差別・排外主義とたたかう
70年7・7自己批判の立場を守りとおして、在特会の排外主義行動と街頭で対決し、階級的責任を果たしてきた。在特会の動きは、民族差別と排外主義が大衆運動の形でばっこし始めたものとして重大だ。また、日本人労働者全体に雇用不安が広がったことによる、外国人労働者排斥運動でもある。
在日朝鮮・韓国人が多数居住する関西の攻防が焦点となったが、われわれは、共闘諸団体とともに反撃の組織的軸の一つとしてたたかいぬいた。本格的な激突はこれからだ。
10・25狭山中央闘争(主催・部落解放同盟全国連合会)は、32年ぶりの三者協議開催という重要情勢にたいする唯一の全国闘争として成功した。波状的な高裁・高検要請行動にも各大衆団体が参加し、部落解放同盟全国連合会とともにたたかいぬいた。安田派の差別集団への転落以降、われわれは共闘陣形を守りぬく立場からとり組んできた。
12・16三者協議で検察に証拠開示の勧告が出されたのは、全国連による営々たる要請行動の成果だ。
V.恐慌下に新自由主義攻撃とたたかった労働戦線
派遣切り情勢とのたたかいから派遣法闘争へ
新自由主義と対決して恐慌下にたたかう労働運動を再構築していくため、われわれは、08年末の日比谷派遣村のとり組みに参加し、関西でも派遣切りされた労働者支援のたたかいを開始した。労働者組織委員会の議論で阪神大震災時に匹敵する緊急体制をめざし、派遣切りが集中した滋賀を対象に宣伝をおこなうとともに、特別対策班を編制した。大阪市内では、全日建連帯労組関生支部など5労組による2月末と5月末の「派遣切り相談村・関西」と、3月の反貧困大相談会に参加し、大きな教訓を得た。
とくに、釜ヶ崎の階級的社会的な位置の重要性だ。われわれのこの間のとり組みの中で、日雇い労働者たちのたたかいと、地道な支援活動の意義を、はじめて認識することができた。このことは、派遣村の総括のなかで強調されている、労働運動と生活支援運動とを結合していかねばならないということに結びついている。大失業とのたたかいでは、雇用の維持と確保のための労働運動と、雇用保険や生活保護の活用と適用拡大や、住宅確保から多重債務の法的対処までが一体的に求められる。こうした重要なたたかいの意義を過小評価し、主体的なとり組みをネグレクトしてきたことを率直に反省しなければならない。
非正規雇用労働者や失業者の課題を労働運動の課題にしていくたたかいは始まったばかりだが、ようやく連合内でも反省の声が上がりはじめた。恐慌情勢はこれからが本番だ。民主党政権下で最初に焦点になるのは派遣法問題だ。完全撤廃にむけて、まず抜本改正のためのたたかいを労働運動の総力でつくりあげていかねばならない。
W.「3・14決起」以降の革共同再建にむけた組織的総括
スターリン主義の克服が核心
われわれは、06年3・14決起以後、革共同史の歴史的総括の作業と、党の綱領・路線および党組織論をめぐる検証作業と議論をとおして、労働運動においても党組織建設においても、スターリン主義の真の克服が核心問題だと確信するにいたった。組織的活動のすべてをとおして、われわれ自身のあり方を検証し、理論活動と徹底討議で、レーニン主義のスターリン主義的な教条的理解と歪曲をうちやぶらねばならない。
われわれの議論と検証は「反帝国主義・反スターリン主義」を除く全スローガンに及び、マルクス・エンゲルス以降の理論と実践、なかでもレーニンとロシア革命の検証、再評価が焦点となってきた。そうしてこそ、真にレーニン主義を継承することも、レーニンを乗り越えて進むこともできると考えたからだ。
安田派は、この議論の一端をのぞき見て「レーニン主義の放棄だ」と騒いでいるが、安田派こそ、レーニン主義のスターリン主義的歪曲とその教条化の権化だ。民主集中制の「民主」をないがしろにして「鉄の規律」に一面化させ、党中央への忠誠や迎合、崇拝を組織する。中央を批判し、反対するものを排除することが「最も厳格な中央集権」だとする。こういう組織と思想をスターリン主義という。われわれは、理論的にも実践的にも、組織のあり方という点でも、3・14決起で開始した党の変革と再建を完遂し、反スタ綱領を再確立していかねばならない。
ここで重要なのが〈民主主義〉である。安田派は、党内民主主義の要求をすべて「小ブル民主主義」呼ばわりしてきたが、最も徹底した民主主義を要求するのはプロレタリアートだ。
マルクス主義にとって社会主義とは「徹底した民主主義」(『国家と革命』)であり、ブルジョア民主主義への労働者階級の批判の核心は、その形式への批判ではなく、その形式主義(形式だけの民主主義)への批判だ。プロレタリア組織の運営において実現されるべきプロレタリア民主主義とは、階級的利害の一致とその共同性を物質的基礎にして、ブルジョア民主主義の形式主義を越えた真に民主的な議論と手続きのもとで組織的な共同意思を形成し、確立していくことであろう。
党史を総括し21世紀革命の綱領づくりへ
あらゆる戦線領域で、大衆からの信頼や期待はますます大きくなっている。
ところが、67年10・8羽田を切りひらき、69年と71年の2つの11月決戦をたたかい、三里塚を守り、動労千葉を勝利させてきた党史を、安田派はことごとく汚している。「綱領草案」をサンフランシスコ国際会議に持ち出し、粗雑な内容に修正を加えながら、革共同の理論体系とたたかいの歴史から、完全に決別を始めた。
しかし、このような安田派の惨状にたいして、「われわれこそが革共同だ」というだけでは不十分だ。新しい日本の階級闘争を切りひらく革共同として、新しい世代にたいして、ともに人生をかけるにたりる思想、理論、組織と運動をもった団結体として、鮮明に押し出していくことだ。
われわれは、9月政治集会での提起から綱領づくりへ議論を開始した。
それは、80年代以降の党史と戦略路線の検証に踏まえ、21世紀の現代革命の課題に挑戦しようとするものだ。帝国主義批判とマルクス主義の復権(スターリン主義の克服)の豊かな内容と、労働運動と諸戦線・諸課題をめぐるたたかいの展望を、日本革命の勝利の道として示さねばならない。90年天皇決戦で突きあたった壁にかんしては、フェーズUの革命軍戦略と先制的内戦戦略の総括が必要である。91年5月テーゼ以降の労働運動路線の壁にかんしては、連合支配で弱体化し、たたかいを見失った労働(組合)運動と、スターリン主義に歪められてきた共産主義運動の検証と「階級的労働運動路線」の総括が問われている。新自由主義攻撃が破綻点をむかえた今こそ、回答を出していかねばならない。
われわれはこの論議を人民に開かれた理論活動のなかで深化させていくことをめざす。
5面
屈辱的日米地位協定を抜本改正せよ
09年12月22日 読谷村議会議員 知花昌一
11月7日、沖縄県読谷村で米兵による轢き逃げ事件が発生した。犯人は基地内に逃げ込み、日米地位協定に守られている。この事態に読谷村民は抗議の村民総決起大会(12月13日)を開催、読谷村議の知花昌一さんは怒りのハンスト(12月21日〜25日)を決行した。知花さんから声明が寄せられたので掲載する。〔編集委員会 小見出しも〕
「屈辱の時代」
沖縄では、日本復帰前の米軍事独裁支配27年間を「屈辱の時代」と呼んでいる。日米の為政者にとって「屈辱」の文字や言葉は知っていても「屈辱」を受けた精神的苦痛、やるせない悔しさは知ろうとしないどころか「温度差」として無視しようとしてきた。
沖縄は、復帰して37年経っても「沖縄戦」と「屈辱の時代」の歴史的体験を心の奥深く潜ませて今を生きている。潜ませていた「屈辱の時代」体験の琴線に触れる事態が起こる時、沖縄の怒りは沸騰する。
1995年の米軍人による少女暴行事件であり、2004年の沖国大米軍ヘリ墜落事件であり、2007年の日本政府による教科書改ざん事件であり、1996年から今日に続く日米政府による辺野古新基地建設策動である。
そして2009年11月7日に我が読谷村で起こった米軍人による轢き逃げ死亡事件もまたそうである。
日米地位協定で治外法権
事件は11月7日早朝、ウォーキング中の外間さん(66歳)が米軍トリイ基地所属の2等軍曹(27歳)によって轢き逃げされ、10時間後に遺体で発見された。
犯人は証拠隠滅のため外間さんの血痕や髪の毛が付いた加害車両を修理工場に持ち込んだことで特定された。しかも、犯人は被害者の救出どころか草むらに運び隠した疑いがあり、酒気運転だった可能性も否定できないのである。悪質極まりない凶悪犯罪である。
犯人は特定されたが日米地位協定により逮捕ができなく、任意の取り調べも拒否され、1カ月以上が経過したが未だ事件解明がされていない。したがって、起訴もできなく、被害者への補償もされていないのである。
日米安保条約による地位協定によって米軍人・軍属・家族は日本において治外法権の特権的地位が保障されている。公務中の事件は被害者が日本人であっても裁判権が米国にあり、公務外でも基地内に逃げ込めば逮捕ができなく、起訴してはじめて身柄を日本側に移すことはできるものの、取り調べは任意なのである。
このような屈辱的事態に対して、日本政府は犯人の身柄引き渡しさえ要求しなく、日米安保条約=日米地位協定の前に平伏してるのである。
この屈辱的日米関係は、政治や経済の場で見え隠れしながら存在する。「日本は真の独立国ではない。アメリカの属国である」と言われるゆえんである。
身近な村民の生命が軽んじられ、犯人が特定されながら野放しになっているこの悔しさ、怒り、やるせなさ、この「屈辱」状況が日本復帰37年経った今日も沖縄にはあるのである。
怒りと屈辱が沸騰する
読谷村ではこれまで村長の抗議声明、議会の抗議決議を行い、トリイ基地司令官、米軍司令部、米国沖縄総領事、外務省沖縄事務所、沖縄防衛局に直訴をしてきたが、読谷村の抗議を無視するかのように、未だなんの進展もないのである。
この事態に、読谷村は12月13日、13年ぶりに村民総決起大会を開き、多くの村内行事がありながら1500名が参加し、怒りをもって犯人引き渡しと、日米地位協定の抜本的改正、謝罪と補償を求め、米軍と日本政府に強く抗議と要請を行った。そして、12月21日には村長を代表とした代表団を東京に派遣し、関係機関に抗議・要請を行ってきた。ここまでやらざるを得ない読谷村民=沖縄県民の怒りを日米政府関係者は知るべきである。このような「怒り」や「屈辱」が蓄積され、沸騰してくるといつか爆発する時が来るだろう。
私は東京派遣団に呼応して、犯人が逃げ込んでいるここトリイ通信施設前に座り込み、ハンストを決行し、次のことを求める。
米国=米軍よ、もういい加減にしてくれ。米国人でも日本人でも犯罪は犯罪だ。犯人を早急に引き渡せ。被害者への謝罪と完全な補償を直ちにおこなえ。
日本政府=外務省よ、もう隷属的日米関係を清算せよ。犯人引き渡しを正式に要求せよ。屈辱的日米地位協定を抜本的に改正せよ。
6面
「証拠開示命令をだせ」
全国連が東京高裁をはげしく追及 狭山要請行動
12月15日、狭山要請行動(主催・部落解放同盟全国連合会)がたたかわれた。全国連の同盟員や共闘が全国から40人集まった。
打ち合わせの集会では、「16日に三者協議が開かれる。本日の要請行動が決定的だ」と確認された。
東京高裁前で「狭山差別裁判糾弾」「高裁は再審を行え」のシュプレヒコールで気勢をあげる。
前回の要請行動で、傲慢な態度をとった訟廷管理官に釘をさした上で、まず裁判長に要請の内容が伝わっているのかを確認した。書記官は、「主任書記官に伝えている」と答え、裁判長に伝わっているかどうか確認していないという。ふざけるな。何のための要請行動だ。激しい抗議で、門野裁判長に伝えているかどうかを主任書記官に確認することになった。
全国連各支部から要請文や抗議文を読み上げて提出。検察のルミノール反応検査結果にかんする報告書は「存在しない」という回答を許した裁判所のあり方を徹底追及。「門野裁判長は証拠開示命令を出せ。出さないのなら裁判長を辞めろ」と迫った。
石川さんとともに
要請の後、裁判所前でビラまきと署名の街頭宣伝を行っていた石川一雄さんや支援の人たちと合流して交歓。未だに「殺人犯」の汚名をきせられたままの石川さんの血をはくような悔しい思いを、少しでも共有してたたかおうと決意した。
石川さんと連帯してデモに出発だ。「狭山差別裁判の再審を行え」「石川さん、がんばれ」のシュプレヒコールが霞が関の官庁街にこだまする。
引き続き東京高検への要請行動がおこなわれた。
ついにこじ開けた
翌16日、三者協議が開かれ、高裁は証拠開示の勧告を出した。証拠の開示と、不存在とされた殺害現場のルミノール反応検査について、不存在の合理的な根拠を示せとの勧告で、狭山闘争の新たな一歩が開かれた。ここを足がかりに検察を追いつめ、5月の三者協議で再審の扉を開かせよう。(労働者通信員 H)
狭山第3次再審闘争
東京高裁 検察に証拠開示を勧告
12月16日、狭山第3次再審申し立てで、2回目の三者協議(裁判所、検察、弁護団)がおこなわれ、東京高裁は、検察に証拠開示の勧告をおこなった。狭山事件の再審申し立てでは初めてのことだ。
検察は、昨年10月30日、「再審段階では証拠開示を求める法的根拠がない」「雑木林でのルミノール検査報告書は不存在」「その他の証拠はあるなしを明らかにする必要はない」など、ふざけきった回答をおこなっていた。
今回、高裁がおこなった証拠開示勧告の内容は、以下の8点。――
@「殺害現場」とされた雑木林でのルミノール反応検査報告書【元県警鑑識課員は「殺害現場」とされる場所も調べたがルミノール反応はなかったと証言。したがって報告書も存在するはず。「報告書は存在しない」とする検察にたいして門野裁判長は不存在についての合理的説明も求めている】
A「殺害現場」とされた雑木林のすぐ近くで、「犯行時間帯」とされた時刻に、農作業をしていた小名木さんから事情聴取したときの捜査報告書もしくは供述調書【小名木さんは人影も悲鳴も見聞きしていないと証言】
B小名木さんを捜査段階で取り調べた捜査官のメモなど
C司法警察員作成の63年7月4日付実況見分調書に記載の現場撮影8ミリフィルム
D筆跡鑑定などのために収集した石川さんの筆跡が存在する書類、石川さんが逮捕・勾留中に書かされた脅迫文と同内容の文書など
E石川さんの取り調べについての調査官のメモなど
F1963年5月16日付け五十嵐鑑定人作成の鑑定書添付の被害者死体の写真
G1963年5月4日付け司法警察員作成の実況見分調書添付の現場写真以外の被害者死体にかんする写真【殺害方法などの「自白」と、実際の死体の状況との相違を示すため。これまで写真はほとんど開示されていない】
実際に証拠開示を行わせ、事実調べ・再審をかちとるまでたたかいを強めよう。
NHKドラマ『坂の上の雲』をどう見るか
司馬遼太郎原作『坂の上の雲』の放映が始まった。国営放送NHKが日清・日露戦争を美化する司馬遼太郎の歴史観を3年間にわたって放映するというのだ。韓国強制併合から100年目の今年、日露戦争の5年後に朝鮮を植民地化した歴史を歪曲・美化することが許されるだろうか。
『週刊金曜日』でも特集が組まれ、醍醐聡さん、中塚明さんが警鐘を鳴らしている。しかしもっと突っ込んで、『坂の上の雲』の歴史観を批判する本がでた。金沢大学教授(数学)半沢英一さんの『雲の先の修羅』だ。
『雲の先の修羅』 著者 半沢英一 東信堂 2000円 |
朝鮮侵略あいまいに
『雲の先の修羅』で半沢さんは司馬遼太郎の歴史観の誤りやあいまいさを厳しく指摘。日清戦争の宣戦布告の前に朝鮮王宮を占領していることや、下関条約に触れ、日清戦争の戦争目的が朝鮮の支配権をめぐる侵略戦争であったことを明確にしている。
その上で、司馬遼太郎が日清戦争を「植民地獲得戦争」「侵略戦争」と呼ぶことに躊躇していると指摘している。
そして、歴史がどんなに複雑でも、「植民地」「侵略戦争」の問題をあやふやにしてはならないと批判している。
日露戦争は防衛戦争という司馬史観
『坂の上の雲』は、1904年2月に始まった日露戦争下で、「日韓議定書」を強制し、土地を収奪し、「第1次日韓協約」を調印させたことについて、一切沈黙している。
さらに、司馬遼太郎は日露戦争を「ヨーロッパ文明との対決」「祖国防衛戦争」ととらえているが、明らかに間違いだ。
1905年、日露戦争のまっただ中で、日本は独島(竹島)を島根県に編入し、その5年後には韓国を強制的に併合したのである。
日露戦争は防衛戦争であるという司馬遼太郎の歴史観の誤りは、一目瞭然である。
帝国主義的な国民結集ねらう
NHKは、『坂の上の雲』を放映し、2人の軍人を通して、侵略戦争を美化し、日本人のアイデンティティを形成しようとしている。
韓国強制併合100年の年に、日本の近現代史にたいする私たちの認識の再確立が求められている。半沢さんの著著が多くの示唆を与えてくれるだろう。
半沢さんは、他にも、『狭山裁判の超論理』を執筆し、経験と勘を頼りにしてきた筆跡鑑定を確率・統計学という科学を駆使して、石川さんの無実を明らかにした希有な数学者だ。(竹内二郎)