21世紀現代革命の綱領のために
―革命的共産主義運動の再生をめざして―
塩川 三十二
06年3・14決起から3年半。
革共同の運動全体の疎外性・腐敗性をつきやぶり、改めて革命的共産主義運動の再生をめざした闘いは、今、綱領的全体性を獲得しつつある。これは党的論議の中から生まれた革命的共産主義運動の総括と再生のための試論である。
 
  
第1章 反帝・反スターリン主義を復権しよう
 (1)革命的共産主義者の綱領を作成するために
 (2)改憲阻止・日米軍事同盟粉砕ー日本帝国主義打倒のために
 (3)共産主義革命論
 (4)反帝国主義・反スターリン主義の綱領的立場の今日的意義
   @開かれた綱領的立場としての反帝国主義・反スターリン主義
   A反スターリン主義を内在的な克服対象としてとらえること
   B反帝・反スターリン主義綱領の形成過程
第2章 革命的共産主義者の現代革命論
 (1)資本主義と労働者階級
 (2)帝国主義と帝国主義戦争の特徴づけ
 (3)戦後帝国主義体制の特徴
 (4)「現代戦争テーゼ」の批判的再検討のために
第3章 新自由主義攻撃の本質
 (1)新自由主義攻撃の理解
 (2)新自由主義が押し進めた経済のグローバル化
 (3)階級支配の転換
 (4)新自由主義攻撃の破綻の焦点  
 (5)アメリカン・グローバリズムの崩壊過程への突入の意味
第4章 社会主義・共産主義とスターリン主義論
 (1)社会主義・共産主義論
 (2)ロシア革命について
 (3)スターリン主義の実態と現実の把握の重要性
第5章 現代革命の主体について
 (1)現代革命の主体
 (2)連帯すべき世界革命の潮流
 (3)戦闘的労働運動と労働組合の役割
 (4)7・7思想、7・7自己批判の立場の今日的重要性
第6章 現代国家と反スタ・革命的共産主義運動の綱領・戦術
 (1)世界革命の綱領のために
 (2)現代における「国家と革命」
 (3)日本の国家権力の特徴
 (4)改憲阻止・日帝打倒のために
 (5)日本の労働者階級の当面の要求(試案として例示するもの)
第7章 革命的共産主義運動の再生のために
 (1)革共同の歴史的総括
 (2)革共同が陥っていた諸問題
 (3)ミニ・スターリン主義党派に変質した安田派の現状
 (4)日本共産党の現状
 (5)対安田派闘争と革共同再建の現段階
 
注 安田派  2007年11月に、革命的共産主義者同盟の規約を無視し、自分たちに賛同する党員だけで「第24回全国委員会総会」を強行した革共同中央を名のるグループ。彼らは、故本多書記長以来の革共同の綱領的立場や戦略的総路線(「連帯し、侵略を内乱へ」)を投げ捨て、「動労千葉特化」路線のもと、急速に階級闘争と無縁の集団に純化している。もはや革命的共産主義運動とはいえず、そのリーダーの名から安田派(安田ー清水体制)と呼ばれる。
 
第1章 反帝国主義・反スターリン主義を復権しよう
 
わが革命的共産主義運動の内外から現代革命の綱領を求める要求が高まっている。帝国主義の新自由主義攻撃の破綻にたいし、すさまじい怒りを爆発させた労働者人民が、ついに自公政権を打倒した。9条改憲と日米安保同盟政策をめぐる攻防が、労働者人民の生きるがためのギリギリの要求と結びつき、巨大な奔流となって噴き出そうとしている。そのとき、革命的共産主義者の世界認識と社会主義・共産主義への展望をどれだけ鮮明に打ち出すことができるのかが問われている。内外の要望に応えて、今回、そのための設計図というべき試論を提起させてもらう。積極的な議論を呼びかけるものである。党外からの助言、苦言も大いに歓迎する。
 
(1) 革命的共産主義者の綱領を作成するために
次の3点が重要と考える。
第1は、世界の労働者、被差別・被抑圧人民の抱えている現実と彼らの現実の闘い・運動から出発することである。この点を外すと党の綱領なるものは必ず歪む。
第2は、「まず党ありき」、 「党とは戦略・戦術なり」といった「綱領主義」というべき傾向を克服することである。党として、いまだに途上にある存在であるという自覚が大事であると考える。
第3には、綱領作成の作業は、全党全階級の経験と英知を結集しなけばならない。理論や路線はそれとして対象化しなければならないということである。
レーニンが綱領作成の作業のために述べたことを挙げておこう。
 
「党のすべての理論家たち(「労働解放」団の団員たちを先頭とする)も、ロシアで実地に活動している社会主義者(しかも、ひとり社会民主主義者だけにかぎらない。他派の社会主義者の意見を聞くことは、われわれにとって非常にのぞましいことであろう。そしてわれわれは、彼らの批評を印刷に付することをこばまないであろう)も、さらに自覚したすべての労働者も、われわれを援助しにやってきてくれるであろうと、期待している。」(「わが党の綱領草案」1899年末に執筆)
 
※(注) われわれの革命的共産主義運動に根強かった「路線の物質化」という考え方や「路線の一致」の強制は、今日では安田派に典型的に表れているように「路線のための路線」に堕する危険をはらんでいる。黒田寛一の認識論・実践論が西田哲学の「経験→直感→場所」から来ていること、武谷技術論にいう「客観的法則性の意識的適用」論、戦前のスターリン主義が福本イズムに席巻されたこと(吉野作造などの大正デモクラシーや明治期の自由民権運動との切断)、などを考えれば、日本革命運動の宿痾ともいうべきものである。「運動が先か」「路線が先か」という不毛な議論せず、このような傾向を内在的に克服することをめざさなくてはならない。綱領・路線形成の努力を開始することでは一致できるのだから。
 
(2) 改憲阻止・日米軍事同盟粉砕−日本帝国主義打倒のために
いま直面している改憲阻止闘争の本格的爆発にはわれわれの革命論・国家論・綱領の整備を必要としている。
明治憲法は、自由民権運動をたたきつぶして成立した。戦後憲法は、日本帝国主義の権力と権威が解体した上に戦後革命の改良的副産物として成立した。現在の改憲・軍事大国化攻撃は、支配階級の階級支配の破綻から出てきている。いわば労働者人民の側から戦後憲法の全内容と統治形態を問題にできるのである。プロレタリア革命にむけて全人民を糾合していくことができるチャンスが到来している。日本の階級闘争史上初めて、革命の課題として憲法を問題にできる。憲法をめぐる10年型の激突をたたかい、日本革命勝利の展望を切り開こう。自公政権崩壊という事態のなかで、日米安保同盟が日帝危機の最大の導水路となる。改憲阻止闘争と一体で三里塚・沖縄―軍事大国化と日米安保同盟粉砕をたたかい、新自由主義とグローバリズムに反対し、格差と貧困、差別と抑圧を打ち破るたたかいのなかから、革命的共産主義運動を再生する大運動を起こそう。
 
(3) 共産主義革命論
まず幾十億のプロレタリアート大衆自身の自己解放の行為としての共産主義革命ということである。そのためには政治と権力における革命に勝利することが当面の目標である。それとともに、「権力の獲得は革命の始まりであり、完成ではない」。世界革命と経済社会革命、文化人間革命の全面的遂行のうえに、一人ひとりの自由な発展が、すべての人びとの自由な発展の条件となるような「協力体」の実現を目ざさなくてはならない。
そのためには「社会主義=国有化と計画経済」論や、分配の平等や生産手段の所有形態にとどまる貧困な社会主義像を改め、「協同的連帯労働」の組織化を基礎にして、「自由の国」を目ざし、あらゆる搾取、抑圧、差別と貧困と戦争の恐怖からの解放を目ざす大運動として発展させる。
 
※(注)ロシア社会民主労働党の綱領作成の過程で、プレハーノフがプロレタリア革命に関して、「事態の支配者」「仮借なくおしつぶす」「独裁」などという言葉を書き連ねたことにたいして、レーニンは、「われわれには社会革命で十分である」と述べている。レーニン全集の編集者であるスターリン主義者は、これを、レーニンが「プロレタリア独裁」を強調する言葉を挿入することを主張したかのようにすりかえた注を入れている。(「プレハーノフの第一次綱領草案にたいする意見」1902年1月はじめに執筆)。われわれの立場は、社会革命を根本的に目ざし、その端緒であり重要な契機として政治・権力奪取をたたかうことである。その場合、できあいの権力はそのまま利用できないこと、および権力の死滅を準備するたたかいをただちに開始すること、というより死滅しつつある権力として、もっとも民主主義的な権力を構成することを明確にしなければならない。
 
(4) 反帝国主義・反スターリン主義の綱領的立場の今日的意義
われわれは1950年代に、世界革命の綱領的立場として反帝国主義・反スターリン主義を確立し、革命的共産主義運動を出発させた。しかし今日、安田派的変質にまで行きついた革共同は、階級闘争の妨害物にまで転落している。革命的共産主義運動の再生のためには、今こそ、革命的共産主義運動の歴史的総括をやりぬき、今日の階級的激動に対応できる反帝国主義・反スターリン主義の革命綱領を確立しなくてはならない。そのためには、マルクスやレーニンの業績と苦闘を継承しつつ、われわれのマルクスやレーニンのとらえ方にはらまれていた問題性、ならびにマルクスやレーニン自身の突き当たっていた壁や限界をも全面的に対象化し、その批判的発展として反帝国主義・反スターリン主義綱領を確立しなければならない。
 
@ 開かれた綱領的立場としての反帝国主義・反スターリン主義
党と階級が生き生きと結びつき、労働者民主主義が横溢する革命党の建設をめざし、そのために反帝・反スタを開かれた綱領として完成させる努力をたえず行うことが、創成期以来の革共同の作風であった。かつてキューバ革命を「スターリニスト革命」と評価したカクマルにたいして、故本多書記長をはじめとしてわれわれは、「未完結なものに完結した規定を与えない」ことを強調した。2月革命を「メンシェヴィキ革命」とは言えないように、カクマルのこの論は、「スターリン主義が帝国主義を打倒する」という親スターリン主義的な主張に基づいている。「反帝・反スタ」を生きた綱領として発展させず、歴史的現実にたいして無責任になで切ることからは何も生まないということである。
 
A 反スターリン主義を内在的な克服対象としてとらえること
創成期の革共同は、直接には日共=日本型スターリン主義の問題性を自らの問題としてとらえ、既存のスターリン主義運動を「内より革命的にこえる」ことを提起した。それは一人ひとりの共産主義者にとって自らの問題でもあった。革命運動が自らの内に生み出した腐敗や堕落を自らの問題として切開することなしに、革命運動の再出発はありえない。その点で、「反帝国主義・反スターリン主義」は単なる打倒対象を並記した戦略スロ−ガンではない。主体的反省規定としての「反スターリン主義」の重要性ということである。
 
「日本における革命運動の主体的な歴史的反省=構成は、行為的に存在する日共=日本的スターリン主義の『誤謬』にたいする自己否定的な労働者的直感に場所的にふまえながら、日共=日本的スターリン主義の『誤謬』の根拠を歴史的・論理的に検討することをとおしてのみ可能であった。」(本多延嘉著作選第2巻319頁)
 
B 反帝・反スターリン主義綱領の形成過程
革命的共産主義者同盟の創成の当時、第4インターは、「労働者国家無条件擁護、植民地革命無条件擁護、労働組合無条件擁護、中ソは団結せよ、社共支持をさらにおしすすめよ」という親スターリン主義的戦略スローガンを掲げた(これは現在も本質的にかわらない)。「反帝・労働者国家無条件擁護」の世界革命戦略と極東革命の総路線なるものは、スターリン主義陣営の「革命化」に世界革命の命運を結びつけるスターリン主義依存の客観主義、日和見主義の綱領である。
その誤りは、
@ 「労働者国家であるソ連の防衛のためには、ソ連核実験も認める」という反マルクス主義的主張
A ソ連=スターリニスト圏を、「社会主義的国有経済とスターリニスト的官僚層の二重建築」とするモザイク論
 B その基礎となっている「国有経済=社会主義」なる反動的神話である。
他方、カクマルは、「反帝国主義・反スターリン主義」を「帝国主義打倒!スターリン主義打倒!」の戦略スローガンに変えた。主体的反省契機としての反スターリン主義を放棄して、実体打倒だけのスローガンに変えたのである。かつて、第4インターの「反帝・労働者国家群の擁護」のスロ−ガンにたいして黒田が最初に打ち出した戦略スロ−ガンは「反帝・スターリニスト官僚(政府)打倒」であった(1958年6月17日付『早稲田大学新聞』)。これを再整理して、「反帝国主義・反スターリン主義」というスローガンにまとめたのが本多書記長であった。カクマル黒田の実体打倒主義、反省契機としての「反スターリン主義」への無理解はこの時から一貫しているのである。
 
 
第2章 革命的共産主義者の現代世界論
 
(1) 資本主義と労働者階級
われわれが生き、たたかっているこの社会は、生産手段が資本家の所有となり、人間の労働力までが商品となる資本主義社会である。そこにおいて労働者は、働いた結果である生産物を自分のものとすることができず、社会を支えている労働そのものにおいて人間的な喜びや解放をえることなく、労働において人間的本質を奪いとられ、働けば働くほど自分たちを搾取、抑圧する資本と資本家階級を富ませ増大させる、という関係のなかにおかれる。
利潤を目的とし動機とする資本主義的生産様式が社会全体を支配するようになると、世界がその市場と化し、一方における富と豊かさ、他方における貧困と窮乏が蓄積し、社会は周期的な恐慌にみまわれ、文化は人間的な本質を失い、戦争や侵略、差別や抑圧がますます大きくなる。
労働者階級は、個人的にも集団的にも反抗を募らせていく。そのなかで、数と団結と知恵と国際的連帯を学び、やがては資本と資本を支える全体制を転覆する階級へと成長していく。労働者階級の解放のなかに、あらゆる人間的な搾取と抑圧、差別と疎外からの解放がある。同時に、労働者階級はいっさいの抑圧と差別から全人類を解放することなしに、自らを解放することができない世界史的使命を帯びた階級なのである。
このことをたたかいのなかでつかみとった労働者は、共産主義者としてたたかいはじめる。共産主義とは、生きてたたかう労働者階級自身の運動であり、思想なのである。
 
※(注)格差と貧困の拡大
 現代日本では、大企業内部に典型的な労資間対立にもとづく格差が存在し、大企業と中小・零細企業、地域・学歴間の格差も拡大している。とくに正規労働者と非正規労働者の間の賃金・労働条件の格差は、総資本と総労働者の間の対立が呼び起こしたものである。現代日本の階級間格差は、経済のグローバル化と大企業の多国籍企業化によって進展しており、これが労働者・農民・中小零細企業内部の階層間格差をも拡大している。また格差の問題とは別に、「自由の剥奪」「社会的排除」を意味する貧困の問題はそれ以上に深刻である。資本主義社会では、格差の拡大過程において下層・底辺層の貧困化とその広がりが進む。今日の日本におけるワーキングプアはその典型である。働いて得た所得では生活保護以下の暮らししかできない層が拡大している。国税庁の調査でも07年度に年収200万円以下の勤労者が1032万人にも達している。先進7カ国中、相対的貧困率(中位所得の半分以下の人びとの割合)がもっとも高いのがアメリカ(17.1%)で、第2位が日本(14.9%)である(2005年OECD調査)。
 
※(注)剰余価値率(=搾取率)の推移
 剰余価値率とは、剰余価値(m=資本主義的生産が生み出す新たな価値のうち直接生産に従事する労働者以外にわたる価値量である)を可変資本(v=労働力に投入される資本価値)で割り、百分比をとったものを指す(記号で書けば:a=m/v)。これは、1単位の労働がどれだけ搾取されているかを示すものであるため、「搾取率」と言われる。マルクスが『資本論』を書いた時代には、この量はほぼ100%前後であったという。1960年代までの戦後日本の場合は300~400%、現在の日本では600~700%とされる(これは物的財貨を生産する狭義の生産労働に限定し、いわゆるサービス労働は含んでいない)。この数値の意味は、たとえば700%とすると、8時間労働で働く労働者にとって、自分の受け取る分は1時間分だけ、他の7時間分はすべて資本家・経営者・国家などに搾取・収奪されていることを意味する(および価値を生まない労働に労賃として支払われている分もある)。
 他方、ブルジョア統計でよく見られる「労働分配率」というものがある。これは、(人件費)/(付加価値)であるから、前記記号で書けばv/(v+m)のように考えられるが、実はそうではない。分子のなかに「役員報酬」などを含むというのであるから、「労働者の受け取り分」などとはまったく無縁な数値なのである。現に、今日の日本での労働分配率は、全業種平均で50%強、製造業平均では60%弱という。少し加工すれば、剰余価値率の代用として使えるような代物ではないのである。
 
(2) 帝国主義と帝国主義戦争の特徴づけ
世界資本主義は、20世紀の初頭に、帝国主義の段階に到達した。帝国主義、または金融資本の時代は、独占的資本家団体――シンジケート、カルテル、トラスト――が決定的な意義を獲得し、途方もなく集積された銀行資本が産業資本と融合し、外国への資本輸出がきわめて大規模に発展し、全世界がもっとも富裕な諸国のあいだにすでに地域的に分割されつくし、国際トラストによる世界の経済的分割がはじまった、そういう非常に高度に発展した資本主義経済である。こういう事態のもとでは、帝国主義戦争――すなわち、世界支配をめぐる、銀行資本のための市場をめぐる、また被抑圧民族人民の圧殺をめぐる戦争――は、避けられない。
帝国主義の階級支配の特徴は、プロレタリアートおよび他の諸階級・諸階層人民の分断支配、差別・排外主義攻撃にある。とりわけ今日的には膨大な非正規労働者をつくりだす一方で上層プロレタリアートの取りこみが狙われ、一時的・部分的とはいえ労働者が帝国主義の差別分断支配の先兵に動員されることがある。
 
※(注)世界史の3つの位相
?資本主義の歴史的段階・変貌(=第1の位相)
@ 産業資本的蓄積様式
A 金融資本的な蓄積様式への移行
B そのもとでのケインズ主義とフォーディズム
C 1987年10月のブラックマンデーと1991年12月のソ連崩壊以降
   新自由主義攻撃とグローバリゼーションは、金融資本のもとでの投機的信用の膨張による略奪型の蓄積を柱とする。全世界からの収奪と米一極への集中、その破綻。BCは、あくまで帝国主義段階−金融資本的蓄積様式の下で、しかしたんに資本蓄積様式の変化による段階論的規定ではとらえられない画次元性をもって資本主義を大きく変貌させた。
 
?階級闘争と階級主体の歴史的変遷(=第2の位相)
@ 労働者・農民
A 労働者・農民・被抑圧民族
B 労働者・市民・学生、農民と被抑圧民族人民、被差別人民
C 新自由主義とグローバリゼーションのもとで他人の労働を搾取しない働くすべての人民、また働く階級に属しながら社会的生産から排除されたすべての人々
 以上は、世界プロレタリア革命の一翼をにない、あるいはそれに合流して現実に決起する人民の諸階級・諸階層に着目して例示的に規定したもので、経済的に還元して理解される階級概念ではない。
 
?共産主義と革命党組織の発展(=第3の位相)
@ マルクス『共産党宣言』と『共産党宣言』型の党
  『共産党宣言』の意義と歴史的制約性
  マルクスの晩年、『資本論』とアイルランド問題での飛躍・転換
A レーニン『なにをなすべきか?』『帝国主義論』『国家と革命』
  ボリシェビキ型の党
  1917年ロシア革命以降に表れたレーニン革命論の問題性
  そのスターリン主義的な変質の問題
B 反スターリン主義とレーニン主義の継承
  その挑戦と壁への直面
  スターリン主義による共産主義の疎外を、レーニンを継承しつつのりこえようとした革命的共産主義運動が行きついた壁
C いまや階級闘争の妨害物にまで転落した安田派を典型とした革命的共産主義運動の重大な危機、挫折と腐敗
 一人ひとりの党員が、人生をかけて、その腐敗・堕落をのりこえようとして決起したところに2006年の3.14決起の意義がある。腐敗した最高指導部を非常手段で打倒することで、革命的共産主義運動の再生の端緒を開いたのである。
 
(3) 戦後帝国主義体制の特徴(古典的帝国主義との違い)
古典的帝国主義と現代帝国主義の違いは
@ フォーディズムに代表される大量生産・大量消費(大量採取・大量廃棄)
A ケインズ的階級協調政策の採用(経済政策への国家的介入)
B 米帝主導による帝国主義間の一定の政策的協調と「中・後進国」の排除+新植民地主義的な抑圧と収奪
C 核技術・核兵器がビルトインされた世界体制
などを見ておかなくてはならない。
 
(4) 「現代戦争テーゼ」の批判的再検討のために
@ 戦後のアメリカ体制は第3次世界大戦の過程だった
第1次世界大戦――独墺(伊) vs 仏露(英米日)→巨視的には欧州戦争
第2次世界大戦――独伊日 vs 英米(ソ)→欧州・アジア太平洋戦争
第1次世界大戦から第2次世界大戦を通じてこの過程全体が、英帝国主義の覇権の継承を狙う米・独の30年戦争という面もある。
 
A 戦後の戦争・軍事体制の特徴
@ 対ソ軍事対峙(封じ込め・「抑止」の名による大量破壊戦略)
A 新植民地主義体制諸国への恒常的侵略・転覆・軍事基地国家化
B 帝国主義の協調と抑制のためのNATO・安保同盟体制
C 以上の基礎としての恒常的戦争経済
こんにち、米帝国主義は、「対テロ戦争」という名で国内治安と対外戦争を一体化し、またそれによる戦争を階級支配の基軸とするにいたっている。「軍事の革命」(RMA)と米軍再編・同盟再編を、新たな戦争と強権的支配のグローバルな世界体制と規定すべき。旧態依然たる待機主義と体制間矛盾論にもとづく「現代戦争テーゼ」の理解は克服されなくてはならない。他方で、帝国主義段階、「戦争と革命の時代」の侵略戦争と帝国主義間戦争、および戦後の大量破壊兵器による「抑止」と恒常的戦争態勢は、先制攻撃戦略のより精密化をともなって継続されている。
 
第3章 新自由主義攻撃の本質
 
(1) 新自由主義攻撃の理解
1970年代から帝国主義の新たな攻撃として、新自由主義攻撃が展開された。しかし、この新自由主義攻撃のとらえ方には、おおきな幅があり、それがわれわれの弱点ともなった。
新自由主義攻撃を、市場原理主義のイデオロギーによる規制緩和・労組破壊だけで見る観点も、帝国主義間争闘戦→世界戦争に絞り上げていく分析も一面的で不十分と考える。根本的には、金融資本による階級支配の転換(蓄積の回復、その条件整備のための転覆的再建・強化)を軸において分析すべきである。
歴史的に見ると、ロシア革命によって始まった社会主義への世界的移行の時代のなかで、それにもかかわらず打倒されずに生き延びた帝国主義はケインズ的な階級協調政策を採用した。1974〜75年の世界恐慌は、帝国主義の過剰生産(能力)を全面的に露呈し、戦後発展を終焉させた。ケインズ的なやり方で資本主義社会を維持できなくなった帝国主義が、自らの延命のために、ロシア革命が、そのスターリン主義的変質にもかかわらず切り開いた全世界的な階級関係を圧殺し、根底から押しもどし、転覆するために70年代から開始したのが新自由主義攻撃である。
あらゆる労働者保護制度・規制の撤廃、社会的再生産さえ不可能にする貧困と格差の強制、「使い捨て労働力」化、教育・医療・社会保障、農業と環境など社会的連帯と共同性の破壊が、社会の存立さえ無視して進行している。一例として、200年間上昇傾向をたどった賃金の世界水準が、1995年を期して低下し始めている。また被抑圧民族への旧植民地的支配の復活と「対テロ戦争」の進展、熱核戦争の現実的危険性を見ておく必要がある。
● 新自由主義攻撃の特徴
@ 労働者運動の国際的勢力を先兵として取りこんだこと
A 80年代末以降、旧ソ連圏をも資本のグローバルな運動に取りこんだこと
B 新植民地主義体制諸国の金融的債務奴隷化と自給的農業の破壊、資源収奪、本源的蓄積過程に類似したプロレタリア化と生産拠点の移転
 
(2) 新自由主義が推し進めた経済のグロ−バル化
@ 地球規模で市場化が進んだ
商品・貨幣・資本がその領域を拡大し、地球上のあらゆる地域に浸透していく外延的拡大と、従来は市場に包摂されなかった家族や地域生活領域が市場化される内包的拡大の2つの形をとり進行した。
A そのグローバルな市場化を進めたのが多国籍企業であること
しかもその主導権は生産資本から貨幣・金融資本に移っている。たとえば21世紀初頭の世界における上位100の経済単位のうち、過半数の51は国民経済ではなく世界企業である。トヨタの売上高はポルトガルのGDPに等しく、タイ、イラン、アルゼンチンのGDPを上回る(『日本経済新聞』2005年7月21日)。
B グローバル化の技術的基礎は情報通信技術(ITC)革命
金融のグロ−バル化の面では、金融・為替取引の自由化、金融市場の地球的一体化・同時化、「金融工学」による各種金融派生商品の開発、債券の証券化、ヘッジファンドの暗躍、短期資金の跳梁、ネット取引の活発化などをともなってグローバルなカジノ経済化と「略奪による蓄積」を促進した。同時に、軍事面では軍事における革命(RMA)によってアメリカを「宇宙―情報覇権国家」に変貌させた。
 
(3) 階級支配の転換
新自由主義攻撃によってもたらされた労働現場の最大の問題は、1980年代以降、労働基本権の徹底破壊と使い捨て労働力化、労働組合と階級意識を解体する攻撃、総体として生存権までとことん奪う搾取と収奪の強化であった。とくに雇用主も雇用形態も千差万別にする重層支配のなかで、賃金を押し下げ、労働日の概念を解体し、労働時間・労働強度を超過密化する攻撃が世界的に吹き荒れた。そのなかで、とくに日本では直接雇用を破壊して、有期雇用化し、正規労働者と非正規労働者との間を差別・分断し、対立させる攻撃がかけられた。国鉄の分割・民営化と労働者派遣法がこの攻撃の画期となった。その結果、国鉄(JR)職場では、国労の組合員が「監督長」の役割を担わされ、郵政では正規労働者が非正規労働者を管理する役割を担わされている。労働現場での処遇と労働条件の不平等とのたたかいは、正規労働者の組合が非正規労働者の立場に立ってたたかうことが決定的に重要である。広島電鉄の労働組合が、自分たちの労働条件が若干下がっても非正規労働者の正規化を勝ち取ったことは特筆すべきである。
企業内組合と終身雇用制を特徴としている日本の労働階級は、このような攻撃の結果、その圧倒的部分が未組織におかれるという状況が生まれた(労働組合の組織率は、過去最高が1949年の55.8%、そこから一貫して下がりつづけ2007年には18.1%にまで低下している)。そのなかで、大リストラで切り捨てられる未組織で非正規の労働者の反乱が始まっているのである。年越し派遣村が与えた衝撃を考えるとき、帝国主義国で、正規・非正規の分断がもっとも大きく過酷な日本でこそ、労働運動が助け合いの精神を取り戻す必要がある。
他方では、今のままの趨勢で、2025年までに、帝国主義国における新植民地諸国からの移民人口が30~50%に達するとする推計がある(I・ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム』)。これは、帝国主義本国の労働者が死に絶えたうえに、その労働力の欠乏を移民労働者によって補うというすさまじい攻撃がストレートに貫徹すると見なしたものであって、労働者階級の決死の抵抗と、それを鎮圧するための上からの内乱、上と下からのすさまじい排外主義との攻めぎあい、そのなかでブルジョアジーの最悪の計画が貫徹した場合以外には考えられないことである。もちろんその過程では、移民労働者は移民先の国において使い捨て労働力化され、激しい差別・抑圧に襲われるであろう。現に、今回の金融危機によって、彼らを母国に追放する排外主義的動向に一挙にさらされている。同時にこのことは、帝国主義国において200年間にわたり労働者階級を社会的に統合してきた労働者保護や福祉が徹底的に切り捨てられ、文字通りイギリスの19世紀の初頭の工場法以前の状態に戻ることを意味する。新自由主義のもっとも激しい階級支配の転換、というより従来の支配形態の転覆の様相がこの点に表れている。今後15年から20年で、(人口減で日本の人口が8000万人台にまでなっているなかで)日本の在日外国人移民を1000万人まで拡大するという、政府と日本経団連の「日本型移民政策」なるものは、このようなグローバリゼーションの世界的趨勢に一番遅れながらも対応・突入しようとしているものである。
 
(4) 新自由主義攻撃の破綻の焦点(階級支配の強さが逆に弱点に転化している)
@ 金融的投機の破綻
アメリカの金融恐慌の引金となったサブプライム・ローンは、所得も職も貯蓄もない普通なら住宅などを購入できない貧困層を相手に、高金利の住宅ローンを組み、住宅金融会社がその債権を証券化し、それを起点として何重もの証券化商品を組みたて、投機的に取引を拡大していった、いわば最貧困層を過剰資本の投機的バブルのための食い物にする「貧困ビジネス」であった。過剰資本が投機的バブルを生み、それが社会的にもっとも疎外された人びとを食い物にして利殖を図るという、最悪の資本主義がその実態であった。
 
A 労働者支配の破綻
米製造業の基幹である自動車産業でビッグ3の生産現場の要となる職長の多くが、すでに大部分、派遣労働者で構成されているという現実がある。経験の深い生産労働者は、職長になると組合員資格がなくなり、年金・医療保険などが保障されないために、職長に昇進することを拒否するからである。公的社会保障がほとんどないことがこのような傾向に拍車をかけている。生産のもっとも基幹部で労働者支配が破綻しているのである。日本でも、トヨタの設計部門で基幹労働力である多能工が絶対的不足に陥り、期間工・社外工などの非正規労働者が半数近くを占めるという現実が生まれている。極限的な拡大戦略と効率化、さらに低賃金化が、逆に生産現場での労働者支配を危機に陥らせているのである。
 
B 「グローバルな内戦」の破綻
「対テロ戦争」「長期の戦争」の名のもとに、金融資本による略奪的蓄積を支えるための「戦争による階級支配」というべき状況が生じている。国内治安と侵略戦争がグローバリズムのもとで一体化し、戦争はもっとも貧しいものを兵士・傭兵として、あるいはまた膨大な兵站要員として動員し、彼らをもっぱら犠牲として、帝国主義本国でたたかう労働者および被抑圧民族人民の全体を敵として進行する。そのことによって、実は戦争が支配階級のごく一部のものを支えるためのものであることが暴露され、軍事的にも破綻していく。
 
C 日本の小泉構造改革が支えた日米関係の大破綻
日本の小泉構造改革なるものは、「護送船団方式の撤廃」「国内高コスト構造の是正」を合言葉に、国内の格差と貧困を拡大し、そのことによって国内での徹底的消費デフレと引き換えに大企業は空前の高利益を更新しつづけた。そこで生み出された大量の過剰資本は、アメリカの輸入に依存した過剰消費から生まれる貿易赤字の穴埋めとして、またアメリカ発の住宅・証券バブルを過熱化する資金として、二重の役割を担ってアメリカに流れ込んだ。つまり日本の新自由主義的格差社会化は、「国際競争力強化」→輸出依存型成長→過剰資金の蓄積→過剰資金の対米流出という回路をとおして、アメリカのバブルを支え、促進してきたのである(日本のデフレがアメリカのバブルを支える構造)。新自由主義を推進した政権の崩壊で、その構造がいま大破綻を開始しているのである。
 
(5) アメリカン・グローバリズムの崩壊過程への突入の意味
全体としてアメリカン・グローバリズムがついに大きく崩壊過程に突入している。その歴史的意義は、たんにアメリカ帝国主義の覇権の喪失ないし後退を意味するだけではなく、資本主義・帝国主義の階級支配がついに新たな崩壊の時代に突入し、世界革命の新たな波が始まりつつあるところにある。日本では、新自由主義攻撃にたいする反乱がついに政権交代にまで行きついた。戦争と格差・貧困、差別・抑圧にたいする全世界の反乱が21世紀革命を展望する地平を引き寄せはじめているのである。
 
@ 歴史的意味
アメリカは、イギリスの覇権の終焉に対応してそれに代わる覇権国として台頭してきた(対ドイツの2度の世界大戦に勝利)。そもそも、また産業資本主義の時代から金融資本主義の時代への移行に対応して台頭したアメリカは、国内的には、ネイティブ・アメリカンにたいする掃討・略奪、黒人の奴隷労働、大西洋における海賊活動で原始的蓄積を行って、その土台の上に白人による自由と民主主義、それをもって欧州の近代的な価値観に対抗する現代的価値観で台頭してきたのである。
1917年から1930年代の激動期には、革命ロシアの登場にたいして動揺しつつこれを強く意識し対抗して、ケインズ主義×フォーディズム、民主主義・民族自決などのウィルソン的イデオロギーと制度をもって、レーニンとコミンテルン的な共産主義運動(とくにスターリン主義に転落して以降)の途上性、限界性、問題性をついて、階級闘争を「対決すること」と「取り込むこと」の両面で敗北させた。この過程で世界支配のイデオロギーと物質力を獲得していった。アメリカ帝国主義の側も「取り込む」ことで変貌を遂げる。スターリン主義の問題は、世界史的にはその敗北の原因であり、結果であると言える。
第2次世界大戦後の世界を、対ソ対決の軍事力と反共主義、ケインズ主義とフォーディズム、民主主義・民族自決などのイデオロギーと制度で支配する。そのもとでの世界経済のアメリカ的統一性と新植民地主義体制の矛盾の集中が行われた。米国内的には、1930年代の階級的激突を、1945年に全米自動車労組の責任者ウォルター・ルーサーが率いるGMの大ストライキを妥協・収束させたことで、以降1970年代まで労働組合が組織されている主要産業での労働者の抵抗を抑え込むことに成功した。ストライキ収束の条件は、今後ストライキをしない、生産性の上昇・製品値上げと引き換えに賃上げを認めるというものであった。
1968年から1970年代の革命的激動は、アメリカ的世界の動揺の始まりであった。経済的には1971年の金とドルの兌換停止、政治的には1968年の全世界の反乱(日本では1967年10月8日の佐藤首相訪米阻止の羽田闘争を突破口とする70年の激動)から1975年のベトナム革命、1979年イラン革命にいたる全世界の革命的激動は、米一極支配を決定的に揺るがした。
1970年代は石油輸出機構(OPEC)による石油価格値上げに、1980年代は新植民地諸国と東欧ソ連圏諸国の債務危機に象徴されている。ともに1970年代以降の世界経済の停滞と格差拡大をもたらした。とくに債務危機は東欧危機、国際通貨基金(IMF)管理、アフリカ諸国の飢餓・失業・内乱・社会的崩壊をもたらした。借り手を失った過剰資金は、企業買収に奔走する多国籍企業と米政府に流れた。この資金をもとにして、80年代にレーガンのやったことは富裕層への減税と軍事ケインズ主義的な軍事支出の大幅増であった。
 
注 フォーディズム  アメリカのフォード・モーターが科学的管理法を応用して開発した生産システム。製品の単純化(T型フォード)、部品の標準化の上に、ベルトコンベアの速度が生産能率を決めるシステムで、資本主義的生産様式を制圧した。この中で生産高に比例して賃金も上昇する賃金体系が取り入れられ、労働者の志気が上がり、購買力も増大した。この生産方式が1930年以降、特に戦後高度成長を支え、社会意識そのものも制圧した。
 
※(注) 以上を覇権国家の変遷の面から見ると
(1) 16世紀   スペインの覇権――商人資本による略奪
(2) 17世紀半ば オランダの覇権――商人資本による略奪
(3) 19世紀半ば イギリスの覇権――産業資本による搾取・収奪×略奪
(4) 20世紀半ば アメリカの覇権@――金融資本(ケインズ×フォーディズム)
(5) 1980年以降 アメリカの覇権A――金融資本・投機的信用(アメリカ的グローバリズム)
 
A グロ−バリズムの今日的破綻点
(1)アメリカの「裏庭」と呼ばれて、グローバリズムの「先駆け」となった中南米の「反米大陸」化
(2)グローバリズムの「工場」である中国が、8000万人の共産党の支配でぎりぎり体制を維持している現状。米中の相互規定的な問題。グローバリズムの一方の支柱にまでなった中国は、労働者問題、農民問題、民族問題、どれひとつが爆発しても、アメリカ帝国主義のグローバリズム的世界支配を崩壊させる大きさをもっている。
(3)イスラム世界――20世紀をとおして一貫して資本主義・帝国主義とたたかい、その過程で社会主義・共産主義に接近し、かつそのスターリン主義的・社会民主主義的限界を突き出し、突きぬけてたたかいつづけている存在。アメリカ帝国主義のグローバリズムの最大の破綻点だ。パレスチナ、イラク、アフガニスタン、東トルキスタンは、アメリカ―中国支配を突き崩す存在だ。
(4)ヨーロッパ――米帝に対抗的に新自由主義に突進したが、いまやそのサッチャーリズム的あり方も、社会民主主義的な「第3極」的なあり方も、金融大破綻の影響の直撃をうけて息絶え絶えになっている。対米対抗的な争闘戦に一気に突入するか、排外主義的な移民労働者排斥運動に行きつく流れが台頭してきている。それらに抗して、新しい労働運動、共産主義運動が芽を吹きはじめている。
(5)日本――デフレでもってアメリカのバブルを支える構造の崩壊。それと一体で、日米軍事同盟の動揺。軍事大国化・改憲に向う動きと対米対抗的なあり方の相互促進。そのなかで、政権崩壊―戦後最大の政治危機と支配体制の動揺と再編の時期を迎えている。
(6)アメリカの中枢での金融破綻、大恐慌、グローバリズム支配の崩壊が始まった。世界にたいする略奪でなりたってきたアメリカへの極限的な一極集中。それが全世界に矛盾をおしつけてきた。そのやり方の限界に至り、崩壊が始まったのだ。いまやアメリカ的グローバリズムが全世界から標的となった。しかもソ連崩壊で、帝国主義・スターリン主義的に吸収するものはない。ストレートにアメリカ帝国主義との対決に向う。ソ連崩壊によってアメリカ帝国主義はソビエトの盾という、アメリカの覇権と繁栄の最後の支柱を失ったのである。それはオランダ以来の資本主義の全歴史の終りを意味する。多極化し、崩壊に向うが、「代わり」が出てこない限りあがきつづける。
 
 
第4章 社会主義・共産主義とスターリン主義論
 
(1) 社会主義・共産主義論
社会主義・共産主義の200年におよぶ歴史から徹底的に学ぶことが必要である。ある意味で1789年のフランス革命以来の歴史は、プロレタリア社会主義革命とブルジョア革命・反革命が交錯し、拮抗する歴史であった。1848年ヨーロッパ革命、1871年パリ・コミューン、1917年ロシア革命、1930年代と第2次世界大戦後の激動、1970年前後のベトナムを焦点とした全世界的激動、そして21世紀現代が突入しようとしている新たな革命的激動(それは2025年または2030年までの時間の幅で見る必要がある)――これらがその目録である。
私有財産制の否定と万人蜂起による革命的独裁の樹立を唱え、自らの死をかけてそれを実行したグラッキュス・バブーフ、人道的資本家・経営者として出発しながら共同組合社会の実現とそのための労働証書制を考案したロバート・オーウェン、マルクスの『共産党宣言』より5年前に、「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」と言いきったフローラ・トリスタン――われわれが跡をたどらなければならない先人は多い。
共産主義(社会)論に関しては、マルクスやレーニンさえ、きわめて抽象的なことしか言えていない。たとえば、『共産党宣言』の「協力体(Assoziation)」論や『資本論』の「自由の王国」論などである。われわれ自身が、パリ・コミューンやロシア革命の教訓から学び、現実的なものをつくりあげることだ。『共産党宣言』の地平と歴史的制約性、史的唯物論の公式と言われる『経済学批判』序言の意義と抽象性、『資本論』の瞠目すべき地平としかしその途上性、アイルランド問題での晩年のマルクスの転回。ロシア革命後のレーニンの問題性をのりこえ、共産主義論を実践的につかみとることは、革命的共産主義運動にとって必須の事業である。
 
● 共産主義社会論についの認識の発展段階
(1)まずもっとも粗野な形は、分配の平等である。それもマルクスが『ゴータ綱領批判』で取り上げているように、生産手段や労働力ではなく、消費手段に限られている。これでは労働の結果をめぐる争いは本質的に解決できない。
(2)第2段階は、生産手段の所有形態に着目することである。社会化ないし共有が課題となる。「社会化」という場合も、国有化、自治体有化、生産共同組合有化、個人的占有も認める場合などがある。小生産者や農民もふくめたすべての生産手段の「国有化」などといったことにこだわるところに生産力主義的な誤りの源がある。
(3)もっとも高次の段階は、生産の管理・運営を協同的連帯労働として組織することである。この場合も、物質的財貨(+サービス)の生産のみを問題にしてはダメで、社会的生産全体を問題にしなければならない。物質的な豊かさの上に発展する高次の共産主義とは、精神労働と肉体労働の分業の止揚のうえに、家事・育児・介護や芸術・学問・スポーツなどあらゆる人間的諸活動を豊かに発展させることである。
 
(2) ロシア革命について
ロシア革命からもっともっと学ばなければならない。1917年ロシア革命の勝利は世界史を資本主義から社会主義への過渡期に突入させた。その後、スターリン主義への変質と、ソ連そのものの崩壊が結果したとはいえ、世界プロレタリア革命の得難い教訓として、その限界を含めて対象化することが必要である。帝国主義本国においてプロレタリアートが権力を握り、世界革命と過渡期政策に挑戦したのである。いずれにせよロシア革命によって、その意義と限界の全面的対象化によって共産主義への道がより透明になった。その意味で、本質的に時代が資本主義から社会主義への過渡期に入ったと把握するべきである。
たとえば、1789年のフランス革命がブルジョア革命の時代を切り開いたことを否定する人はだれもいないであろう。ところがフランス革命にたいする大反動として国際的には神聖同盟が、フランスにおいても復古王朝やナポレオン・ボナパルティズムの支配がそれ以降、半世紀から1世紀もプロレタリア革命と交錯しながらつづくのである。スターリン主義的反動の大きさを、われわれは当事者であり、ごく身近な時代に起こったからこそ重視する。しかし大局的世界史的にはそういった観点からロシア革命をとらえ返す必要がある。
 
@ ソ連崩壊後のマルクス主義の「崩壊」状況
世界のプロレタリアートにとっても、われわれ革命的共産主義運動にとっても、マイナスからの出発であることをはっきり確認しなければならない。反スターリン主義を掲げる革命的左翼自身が、スターリン主義圏を含む世界のプロレタリアートに、鮮明なスターリン主義批判と共産主義・社会主義像を示すことができていなかったことが暴露された。そのように主体的に総括するからこそ、われわれは、ソ連が崩壊したから社会主義はすべて終りという考えはとらない。200年あまりに及ぶ社会主義・共産主義運動の遺産を正しく継承することに力を尽くさなくてはならない。
 
A レーニンの批判的継承
われわれは故本多書記長以来、レーニンの党と革命論に徹して半世紀の実践をやりぬいてきた。世界でもっとも愚直にレーニン主義を実践した党といえる。その限界までやりぬいたからこそ、レーニンにも相当の問題があることが見えてきた。マルクスさえ途上性ゆえの問題がある。したがってレーニンをも相対化し、スターリン主義化の責任を追求することは重要である。しかし、そのためにもレーニンの中にスターリン主義化の要因を見つけるだけの安易な立場は通用しない。ロシア革命を世界プロレタリアートの貴重な歴史的教訓としてとらえ返すこと(帝国主義者はもっと教訓化している)、逆に、スターリンの言っていること、書いていることではなく、やったことを徹底的に批判し尽くすことが必要である。
 
(3) スターリン主義の実態と現実の把握の重要性
一国社会主義論さえ批判しておけばスタ―リン主義の歴史的現実や実態はどうでもいいという態度は誤りである。共産主義の党がなぜ変質するのか、反対派の排除と粛清、農業集団化の過程の膨大な犠牲、対独戦の過程から戦後まで続く強制収容所と処刑など、スターリン主義の問題は、スターリンの党独裁に至る実践そのものであった。その際、スターリンがあらかじめ整合的な理論をもっていて、それにもとづいて党や階級を獲得したなどと考えるのは観念論である。スターリン主義を本質的次元で一国社会主義ととらえることは正しいが、現実のスターリン主義の成立の次元について言えば、一国社会主義も後からする理由づけに過ぎない。現に、レーニン死後の1924年に一国社会主義をスターリンが唱えだしたが、1920年代後半までは党内でもなんら重視されていなかった。歴史性を無視したイデオロギー的断定は何も生まない。マルクスの『ゴータ綱領批判』や宇野弘蔵の価値法則で現実をぶったぎっているだけではダメなのである。
 
1 スターリン主義成立の次元(レーニンの苦闘と責任)
@ 党の変質・官僚的独裁の機関化
  1922年にスターリンがソ連共産党の書記長に就任してから全面的な党の変質が始まった。党規約にすらないこのポストを握ることによって、末端の細胞までの党指導部を書記(局)の系列を通して任命制ですべて掌握することによって巨大な権力を手に入れた。レーニンは最後の瞬間に気づくまでそのことを容認してしまった。「一党独裁」(1919年)、分派の禁止(1921年)は、それを補完し、促進するものとなった。もっとも「一党独裁」は、レーニンやボリシェビキが制度として積極的に推進したのではない。
A 労働者国家の堕落と変質(ソビエト民主主義の破壊)
B 工場委員会の骨抜き化
  生産の管理統制の権限は、工場委員会から「有能な企業長の単独責任制」に、ごく初期(1919年には)から移っていた。労働者管理と単独責任制は形式上対立するものではないが、工場委員会を骨抜きにしたそれは、党=国家官僚の末端支配機構に転化してしまう。1921年の労働組合論争はそれを完成させたものにすぎない。国家的規模での大工業の運営についてレーニンには、テーラ−・システムなどについての誤った信仰があったとしか思えない(出来高払い制の採用)。この点でレーニンには社会主義・共産主義論について不充分な点があったと言わざるをえない。
C 農民農業政策
  1918年に早くも、食糧独裁、貧農委員会などの措置に基づいて農民から一切を徴収した強制徴発が行われている。圧倒的多数が共同体に属する農民にたいして、富農・中農・貧農の階級分化を恣意的に設定し、集団化とクラーク絶滅運動に走ったボリシェビキの農民農業政策は、ネップ期にも農民の困難をなんら解決できず、農民の9割を「階級敵」においやる結果となった。スターリンの農業集団化は、このような農民・農業の廃墟のうえに官僚的抑圧体制を完成させたものである。
D 民族政策
  「レーニン最後の闘争」とされるグルジョア民族問題より前に、ボリシェヴィキ政権は、1918年2月に中央アジアのムスリム人民の自決を求めるコーカンド蜂起を圧殺し、1万4000人を虐殺している。レーニンはこれを「ロシア帝国主義」と批判はしたが、スルタンガリエフなどの被抑圧民族出身の共産主義者のたたかいを世界革命の同志として、受けとめ、位置づけることに最後まで成功しなかった。
 
※(注)諸論点――ネオ・トロツキストから中国共産党、日本共産党までのスターリン主義者たちは、戦時共産主義は間違っているがネップは正しいと主張する。彼らは、生産の管理・運営や政治権力のあり方を問わないで、市場の利用(導入)に意義を見出しているにすぎない。逆に安田派などは戦時共産主義を正しいものであったかのように主張している。労働者国家の変質がすべて戦時共産主義のもとで始まっていることにおよそ無自覚であり、「左翼」スターリン主義者に転落しているのである。
 
2 スターリン主義とはなにか?
(1)運動(広義)
(2)イデオロギー(思想・綱領)
(3)レジーム(体制)
  スターリン主義を共産主義運動の反動的疎外態として内からとらえることが「反スタ」の出発点であるし、今日、革共運動を再生するためのカギをなすと考える。単なる権力でも、政治経済体制でも、イデオロギーでもない。
 
 
第五章 現代革命の主体について
 
(1) 現代革命の主体
均質で単一のプロレタリアートの利害をつらぬきさえすれば、戦争や抑圧、搾取・貧困、差別と排除の全困難は打ち破れるとする安田派的見解にたいして、現代の帝国主義、とくに新自由主義の階級支配の転換に踏まえた、革命の主体を明らかにする必要がある。その点では、打倒すべき対象であるごく一握りの資本家階級とその階級支配を護持するために存在している官僚組織、政治組織、治安・警察組織に属する以外の膨大な階級・階層はすべて革命の主体または獲得すべき対象である。その意味で、他人の労働を搾取しないすべての働く人民と家族・地域・共同体を通じてそれと一体であるすべての人々が現代革命の主体であり、革命的共産主義運動の組織者・被組織者となるべき存在である。安田派が今日、純粋の労働者階級以外はすべて階級敵として、打倒の対象、または「強制と刻印」の対象としているとき、このことは重要である。
個別的に例示すると、以下の人々が該当する。
@ 未曾有の貧困・格差に苦しむ労働者階級(非正規労働者・移民労働者・失業者を含む)
A グローバリゼーションと闘い、戦争に反対し、食や環境の安全を求める農民や新知識階級
B ムスリム人民をはじめとする被抑圧民族人民、社会的生産と政治的自己決定から排除・差別・分断されている被差別人民大衆
これらの人々との広汎な共同闘争・統一戦線の形成をねばり強くかちとり、ソヴィトープロレタリア革命へ進まなくてはならない。
 
(2) 連帯すべき世界革命の潮流
@ フランス
今年2月7日に革命的共産主義者同盟(LCR)が解散(解散時点の党員数3200人)して、反資本主義新党(NPA)を創設。新自由主義とスターリン主義への明確な批判、社会党と共産党、緑の党との決別をうちだした。創立大会には630人の代議員を出す9123人の党員と457の支部(委員会と称する細胞)が結集し(海外からは約40カ国を代表する70の党や組織の代表を招待)、11000人の購読者をもつ週刊誌を発刊。新党の大統領候補となるオリビエ・ブザンスノは34歳の現役郵便配達労働者(しかも非正規)で、世論調査では23%の支持を獲得し、社会党や共産党の候補をはるかに凌駕し、いまやサルコジの最も有力な対抗馬と見なされている(当選を自己目的化する議会主義は否定)。今年になってから8つのナショナルセンターがともに進めた2波のゼネストを主導している。重要な特徴は、新党の内部に第4インターとして結集するグループまたは委員会(「分派」)を認めないとして、第4インターとの関係を断ちきることを明確にしたことである。
 
A 南朝鮮(韓国)
2010年前後に社会主義新党を結成する予定で、労働者の力、労働戦線などが昨10月11日に社会主義労働者連合の準備会合をもった。この会合には250人の活動家が参加、準備委員107人を選んだ。南朝鮮で公然と「社会主義」を標榜する初めての政党となる。ソ連・北朝鮮・中国を社会主義と認めず、社会主義とは単純な国有化ではないとしている。旧ソ連はスターリン官僚体制、北朝鮮は急進的民族主義で、ともに「労働者階級が革命的に打倒しなければならない反動体制」と規定する。社会主義のイメージを「生産者達が工場と事務所など、作業単位に基礎をおく労働者国家」と規定する。労働組合の重要性に踏まえて、にもかかわらず労働組合的たたかいの延長に革命を考えることはできないとして、民主労働党や進歩新党を改良主義と断罪している。
 
B 中国
21世紀に5・4運動の精神をよみがえらせた2005年4月の反日運動に決起した中国人民。その運動はまだまだ形をなしていないが、世界革命を考える時、第一に連帯の対象とすべきと考える。
 
C 日本での諸評価とわれわれの態度
カクマルは、仏NPAにたいして、資本主義の廃絶と権力奪取を否定する「差別反対」「環境保護」だけの党で、レーニン主義とトロツキズムも否定しているとか、全国機関紙さえないとデマでもって対応している。また安田派も、綱領的文書に「革命」という文字がないから「革命を放棄した」とか、社共と統一戦線を組んで「連立内閣を目指している」から体制内政党だ、とこれまたほとんどデマで対応している。しかしNPAは環境問題や差別・抑圧の問題を重視する一方で、マルクスの共産主義論とレーニン帝国主義論をカクマルや安田派より、はるかに正当に批判的に継承しようと苦闘している。われわれはとりあえず自国のたたかいを重視するが、国際的には、NPAのような新党運動との連帯を表明するものである。
 
(3) 戦闘的労働運動と労働組合の役割
革命的共産主義運動は何よりもまず戦闘的労働運動に学び、そこに依拠してたたかわれなくてはならない。日本においては、戦後革命以来、総評下の国鉄・鉄鋼から炭労に至る戦闘的労働運動は、革命的共産主義運動の創成と60年安保、70年安保・沖縄闘争の爆発と一体で、国鉄(71年)、全逓(78年)の反マル生闘争と75年のスト権ストとして発展した。
しかし今日の日本において、ほとんどの労働組合(中央機関)が連合と全労連の下で労働者抑圧機関と化している現状にあっても、労働組合を労働者階級の利害を守るもっとも基礎的な団結形態として、その戦闘的再生と創造を目ざしてたたかわなくてはならない。そのためにも、労働組合を権力闘争の手段や目的とする安田派的な誤った組合主義を排して、共産主義者として職場・生産点にたたかう団結の砦を築かなくてはならない。同時に共産主義者は、労働者を、労働組合の狭い利害や団結の枠に閉じ込めるのではなく、農民や学生、被差別・被抑圧人民のたたかいを支え、それと連帯することによって、権力・資本・反動的組合指導部の抑圧を打ち破って、革命的階級として自らを形成していくものである。革命的共産主義者はそのたたかいの先頭に立つ。
 
(4) 7・7思想、7・7自己批判の立場の今日的重要性
世界革命の今日的戦略課題として、改めて差別・抑圧問題を考えるとき、7・7思想とは、「2つの11月」決戦をたたかいぬいた革共同が、華僑青年闘争委員会の厳しい糾弾を受けて、必死に格闘するなかから確立した世界革命の新しい綱領、マルクス主義にたいする新地平である。その意義は、被差別・被抑圧の問題をプロレタリア革命の正面課題としてすえたことにある。このことは2つの側面がある。第1に、被差別・被抑圧人民を革命主体として認めたこと、第2に労働者階級が真に革命主体になるためには、被差別・被抑圧の課題を自らの課題として引き受けてたたかい、自らを階級として形成することを不可欠のこととして明確化したことである。
7・7思想こそ、反スターリン主義の積極的内実を形成し、革命的共産主義運動に心棒を入れるものであった。対権力・対カクマルの苛烈なたたかいに勝ち抜くことができたのもこの思想あってのことである。ところが安田派は、この革共同の魂というべき7・7思想を捨てたのである。その結果、安田派の「7月テーゼ」は、差別を煽動する最悪の文章となった。
その上でわれわれは
1 入管問題での「日本型移民政策」の問題
2 部落解放運動での指導思想の危機
3 70年代からの「障害者」解放闘争でのマルクス主義との格闘の地平
4 沖縄奪還闘争の今日的再確立
5 女性解放闘争の理論的構築・再構築
6 アイヌ民族のたたかいへの接近
などについて現下の重大な課題として対象化してたたかっていかなくてはならない。
 
 
第六章 現代国家と反スタ・革命的共産主義運動の綱領・戦術
(1) 世界革命の綱領のために
「段階・過渡・変容・危機」という現代世界認識の方法は、ソ連スターリン主義崩壊後の現在こそ発展させなくてはならない。スターリン主義の裏切りによって延命してきた帝国主義が、スターリン主義が崩壊したからこそ直接的危機に陥るということである。それは体制間矛盾的な相互依存の他方の支柱が崩壊したからではない。冷戦という形をとった「平和共存」、そうした米ソの戦争重圧のもとに世界の人民の決起が封じ込められてきたあり方が崩れ去ったのである。言いかえれば、帝国主義の発展の行き詰まりが、自らの左の支柱であったソ連スターリン主義を崩壊させざるをえなかったのであり、その意味でまさしく帝国主義そのものが崩壊過程に突入しているのである(自らの存続条件を自ら潰していった結果)。
半世紀以上にわたって、「危険な諸階級の主要な抑制力」としてあったスターリン主義体制の崩壊が、帝国主義の危機に直結するのである。帝国主義の発展の行き詰まりと左の支柱の崩壊(決起する人民との直接の対決)から、一面では、帝国主義の発展の行き詰まり→市場争奪戦とブロック化→帝国主義間の戦争(侵略戦争→世界戦争)という流れにあり、他面では、決起する人民にたいして共同対決、また崩壊しつつある世界経済にたいする共同対処、の両面をもって展開されている。現実にはそれは、「対テロ戦争」「ならず者国家・地域」にたいする侵略戦争の競り合いとして展開されている。新自由主義攻撃がもたらした世界的階級編成の変動に対応して、次の2本の世界革命の綱領的スロ−ガンの立場は、いよいよ強化されなくてはならない。安田派の変質は、この綱領的立場を捨て去ったことに最大の根拠があるのである。
「反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと、万国の労働者と被抑圧民族は団結せよ」
「闘うアジア人民、朝鮮人民、中国人民、ムスリム人民と連帯し、日米帝国主義のアジア侵略を内乱に転化せよ」
(2) 現代における「国家と革命」
現代の国家(権力実体と機構または機能)は、国民国家としての主権が後退するという考え方がある。「脱中心的・脱領土的」として、権力集中性を否定する見解である。しかし新自由主義攻撃とグローバル化によって、国家権力が溶解するわけではない。逆に戦後、対外的な「軍事大国化」の道を進んだ場合(アメリカ)も、福祉国家化する場合(ヨーロッパ)も、また開発国家化する場合(日本の「土建国家」や新植民地主義体制諸国のいわゆる「開発独裁」)も、いずれの場合も「強い国家」が不可欠・不可避となる。市場がグローバル化し国家の領域的限定性をこえて発展する場合も、多国籍企業は「母国」とのへその緒を切ることができない。彼らの私的所有権を最後に守ってくれるのは母国の国家権力だからである。現に、アメリカ帝国主義は、70年代を転機として、市場の妨害、障害を除去するために、また戦後福祉国家を解体して国内階級支配を固めるために、巨大な「軍事大国」「治安大国」に変貌している。各国帝国主義はこれに対応して、遅かれ早かれ、新自由主義的帝国主義国家への道を歩みはじめているのである。
プロレタリア革命が本質的に暴力革命であることは、このような具体的階級関係の分析をとおして、打ち出す必要がある。
 
(3) 日本の国家権力の特徴
日本の支配階級の実体、それが権力機構として成立している意義と根拠について、われわれは、故本多書記長の「日米安保同盟」論をモデルとして、この点を再強化する必要がある。今日的には、日米同盟は日本帝国主義の存立条件であるとともに、帝国主義の軍事同盟と化し、危機の導火線ともなっている。改憲阻止ととともに、安保日米同盟粉砕が日本革命の重要な戦略的環となる。それと一体で、沖縄・三里塚―反基地・反原発の住民運動・農民闘争のもつ戦略的意義をしっかりと確認しなければならない。新自由主義攻撃の最先兵としての役割を果たしている日本帝国主義は、今回の金融危機において、国内階級支配の面でも、国際的軍事外交問題の領域でも、もっとも打撃を受け危機に陥っているから、いっそうこの点は重要である。
天皇制は今日でも支配階級を序列づける役割を果たしている(=日本の支配階級の身分制的あり方)。三井・三菱のように江戸期からの大商人資本、明治以降に政商として成立したもの、大名を先頭とする上層武士団のように寄生資本として天皇と同じ起源をもつものなど、日本ではブルジョアジーがヨーロッパのように自立して成立しているわけではなく、またブルジョアジー間の闘争によってその勝利者が支配階級として成立しているわけではない。あらかじめ高利貸資本としてあったものが金融資本となり、支配階級となるにあたっては、その権力の正当性を天皇によって位置づける形で成立したのである。
また日本の労働者階級は、天皇制・天皇制イデオロギー攻撃とのたたかいを階級闘争の主要な課題にしえず、社会排外主義・差別主義(部落差別など)とのたたかいでも弱点を形成してきた。
このことはその後の軍と官僚制を考えるためにも重要である。「軍事的地理便宜的」と規定される日本帝国主義の番犬帝国主義的な侵略の形態は、天皇制をニセの共同体としておしだした日帝支配階級のこのような性格に規定されているのである。過去の侵略戦争への国家的な謝罪と賠償が、日本の労働者人民の階級性のかかった課題となるのはこのためである。
 
(4) 改憲阻止−日帝打倒のために
新自由主義攻撃と支配階級の政治委員会について言えば、われわれは中曽根の臨調・行革、国鉄分割・民営化、労基法改悪=男女雇用機会均等法にたいしてだけでなく、橋本の小選挙区制攻撃、竹下の消費税攻撃にもたたかえなかったことを総括して、きたるべきたたかいにそなえることが必要である。とくに1985年以降の労働者派遣法にたいして、たたかわず導入を許したことが労働者の団結と労働組合運動の後退をもたらしたことを深刻にとらえ直さなければならない。
社会ファシズム論がなぜ間違っているのか?それは社会民主主義を主要打倒の対象とするところにあるのではない。帝国主義国家権力と真剣にたたかうことを放棄し逃亡するからこそ、プロイセンの社民政府を打倒するためにナチスと共闘するなどということが生じたのである。安田派の「体制内運動の打倒」論もそれと同じく、政治闘争、権力闘争からの逃亡と労働組合、労働運動内部での真剣な党派闘争からの逃亡を意味する。
われわれ革命的左翼のなかにある民主主義にたいする軽視として(これはスターリン主義者についても言える)、自由民権運動が天皇制権力につぶされたことによる否定的評価、大正デモクラシーにたいする軽視などは、日本の共産主義・社会主義運動を毒してきた主観主義と教条的セクト主義のもとをなしている。ブルジョア民主主義だからというのは言い訳にならない。戦後の反戦平和意識、護憲民主主義意識の契機を、プロレタリア革命の重要な水路として革命綱領作成の課題としなくてはならない。議会と選挙を戦場としてたたかい、革命的大衆行動と議会・選挙を結びつけ、この領域においても共産主義政治で組織していかなくてはならない。
 
(5) 日本の労働者階級の当面の要求(試案として例示するもの)
政治的・経済的危機を革命的に転化するために、労働者人民の生きるがためのギリギリの要求を体制打倒の水路とするための当面の要求である。これは21世紀現代革命のための指針案として提起するものである。
1 銀行をはじめ大企業への公的資金(税金)の投入反対!経営陣に責任を取らせ、資産・収入を査察し、不当に拡大した財産を差し押さえよう!
2 高度の累進所得税(ex.10億円で90%、1億円で80%)、相続税の強化(一定額以上は80%~90%を課税する)、消費税の撤廃を!
3 派遣法撤廃、有期雇用の廃止、全労働者を常用・直接雇用にせよ!
4 同一労働・同一待遇!生活できる賃金を!最低賃金の大幅アップを!
5 資力や就労条件を問わず、無条件にすべての人々に個人ベースで最低限の所得保障をせよ!
6 外国人労働者と難民、在日・滞日への生存権と基本的人権を保障せよ!アイヌなど先住民族の権利を守れ!
7 医療・教育・出産・育児・介護を国家責任で完全無料化せよ!
8 米軍再編を許さず、米軍基地撤去、米軍は撤退せよ!自衛隊派兵・出動反対!自衛隊解体・自衛官の人権と隊内民主主義を強化せよ!沖縄の辺野古・高江への新基地建設反対!日米安保条約破棄・9条改憲反対!
9 日本政府は過去の戦争にたいする責任を明らかにし、謝罪と補償を行え!
10) 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への排外主義的煽動を中止し、南北統一の妨害をやめろ! 「制裁」を中止し、在日朝鮮人民の祖国への往来と交通を保証せよ!
11) 中央警察の廃止、幹部公務員・検察・裁判官・教育委員・労働委員などの公務の直接・秘密選挙による公選制、随時解任制
12) 食糧自給率の100%達成を目ざし、農漁業への就労援助、価格保障・所得保障を圧倒的に強化しよう!
 
 
 
第七章 革命的共産主義運動の再生のために
 
(1) 革共同の歴史的総括
われわれは、1969年以来ほぼ40年間にわたり十分な総括しないまま党活動を担ってきた。いま革命的共産主義運動の再建にあたってもっとも求められているのは革共同の歴史的総括である。なぜ今日の安田派的惨状を生み出したのか。いっさいを清算せず、自己合理化せず、革共同としての自己切開的な総括をやりぬかなければならない。
● 3.14決起論
われわれは2006年の3.14決起をなぜ敢行せざるをえなかったのか?革共同中央=政治局員の不正と腐敗と暴力支配のもとで、ほとんどの党員が展望を失うような党生活の行き詰まりがあった。共産主義者として立派にたたかっている人をどれだけ排除してきたか。党としてこれらの点を根底的に総括する必要がある。
今日的地平に立ってみれば、3.14決起は、反スターリン主義・革命的共産主義運動が陥っていた挫折と腐敗を粉砕し、のりこえ、共産主義論と革命党組織論を再創造する突破口を切り開いたのだ。
 
(2) 革共同が陥っていた諸問題
1 革命軍戦略の問題点――代行主義と階級人民との断絶
現代革命の特殊性を解決するための戦略としてあった先制的内戦戦略を普遍的な戦略にまで高め、「対権力対峙段階戦取」を主張する空論性をとらえかえさねばならない。典型的には「三里塚―国鉄決戦」という形をとりながら、階級・人民と革命軍の共同のたたかいを実現するのではなく、革命軍の戦闘にすべてを委ねた代行主義と軍への依存主義が戦略的後退をもたらした。
第4インターせん滅についての自己批判は、革命的共産主義運動の歴史的再生をかけて、第4インター反革命規定とせん滅を誤りとして総括したものである。三里塚闘争と階級闘争全体にとっても、軍事空港粉砕・農地実力死守の新しい展望を切り開く一つの再出発点を形成したと考える。階級の武装の問題と1坪再共有化運動の評価などについては、内外の討論を歓迎する。
なお全人民的一斉武装蜂起と常備軍の解体=全人民武装を実現するためには、革命的左翼の軍事問題全体の教訓化も不可欠である。われわれの革命軍戦略とともに、「2つの11月」をたたかう過程で革命的左翼の全党派が陥った党派軍団化の問題、銃による共産主義化を求めた連合赤軍の問題も正しく総括し教訓化しなければならない。
軍事や戦争の問題を階級闘争から追放し、ブルジョアジーの弾圧や反革命勢力とのたたかいを自然災害のように客観視する平和主義とわれわれは無縁である。と同時に戦争と軍事の問題、非合法・非公然活動を、労働者細胞を基礎とした共産主義者自身の基礎的活動として再建・強化することを追求せねばならない。それが共産主義の政治やねばりづよい組織活動の代替的形態に陥らないように慎重にすすめることが必要である。
 
2 新自由主義攻撃とソ連崩壊情勢への無対応、むしろ屈服
―反スタ・革共運動の主体であるわれわれ自身として問題として―
1980年代過程において党的に必要な感性や理論的研鑚が摩滅していた。清水議長の「現代戦争テーゼ」の呪縛にとらわれすぎた結果、情勢と対決できない党になっていた。さらに国鉄分割・民営化攻撃のもつ戦略性をみすえられず、階級闘争の現実と乖離したあり方に陥っていた。これらが原因で1989年ー91年の事態に受動的にしか対応できなかったのである。
ソ連スターリン主義の崩壊については、われわれの
@現代世界認識の破産
Aスターリン主義論の限界性
B社会主義・共産主義論の不十分性 を総括しなくてはならない。
 
3 革共同の内なるスターリン主義の深刻性
@06年3.14決起の必要性・必然性
A革共同政治局の崩壊と私党連合への変質
B党員の革命的主体性を抑圧する党内民主主義の圧殺
4 6回大会の綱領・規約・開催そのものの限界性、誤り
5 5月ガイド――総括なき路線転換
6 対カクマル戦争総括
反革命が台頭したとき、革命党が武装してたたかうのは当然である。その決断によってわれわれは革命的共産主義運動と階級闘争を守りぬいた。しかし、その延長上に革命があるかのような過大な位置づけを与えたことの問題性がある。
7 60年代、70年代総括、第3次分裂と3全総の意義
8 反スターリン主義なき星雲状態となった現状への根底的切開などが問われている。
 
(3) ミニ・スターリン主義党派に変質した安田派の現状
安田派を反面教師として革命的共産主義運動の歴史的総括をなしとげることが大事である。安田派は、スターリン主義のように権力も取ってはいないのに、スターリン主義と変わるところがない変質をとげている。しかもスターリンが10年かかってやったことをわずか1年足らずでやっている。統一戦線・大衆運動のセクト的分断は、30年代のスターリン主義の社会ファシズム論に酷似する。三里塚反対同盟にたいし「階級性を刻印する」とか「土地は取り上げられていい」といった農民および被差別人民のたたかいへの敵対と差別集団化は、スターリンの農民強制集団化とクラーク(富農)絶滅運動に等しい。このような安田派の現状をわれわれ自身が生み出した他在として総括し、のりこえていかなければならない。
以下は安田派の主張の批判である。
第1に、戦争と恐慌、スターリン主義の崩壊の中に単純に革命の条件を見る客観主義的な自動崩壊論が根深くある。しかも帝国主義は「資本主義の最高発展段階」、スターリン主義は「世界革命の放棄」「裏切り」という以上に、帝国主義とスターリン主義にたいする規定が何もない。ロシア革命とレーニンにたいし、その意義と限界を主体的に総括する視点がまったくない。
第2に、「闘う労働組合」をよみがえらせることがマルクス主義をよみがえらせることというマルクス主義の歪小化である。労働組合を「プロ独樹立の最大の基礎、支柱」と言うに至っては、「労働組合の国家機関化」論に近い。革命の主体が階級でも、個々の労働者でもなく、党と労働組合となるという転倒ぶりを居直っている。そこからだされる「動労千葉特化論」や「四大産別決戦論」などは、労働者階級の解放の事業とは縁もゆかりもないものでしかない。
第3に、「暴力革命」「プロレタリア独裁」の言葉だけの強調。労働者階級をプロ独の担い手という観点でのみ評価。被差別・被抑圧人民の自己解放性をまったく評価せず、プロレタリアートによる解放の客体として扱っている。階級的解放が即あらゆる抑圧・差別からの解放であるという7月テーゼをそのまま踏襲している。
第4に、「党と階級の一体」論に至ってはスターリン主義にたいする反省がなく、農民の「獲得」、革命的議会主義、統一戦線などすべてにわたって上から組織する観点に満ち満ちている。
 
(4) 日本共産党の現状(スターリン主義の現状を反面教師として)ー不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社新書)批判ー
マルクスの「3つの顔」として、唯物論思想、資本主義の病理学者、未来社会論者の3点を挙げている。マルクスの経歴紹介からも、『共産党宣言』と共産主義者同盟の結成が抜けている。マルクスを、プロレタリア革命家や共産主義者ではなく「未来社会論者」にするとは!
史的唯物論の「3つの核心点」として挙げているものは機械的なとらえ方そのものである。
@「人間社会の土台が、人間の経済生活にある」
→ 物資とサービスの生産が一切で、人間(社会)の生産を「人間がたがいにもつ関係」に歪小化
A「経済生活の段階的発展が歴史の時代を区分する」
→ 生産諸関係や経済的社会構成をこう表現する機械的なとらえ方
B「社会を動かす主役は階級である」
→ 階級の発見はブルジョア歴史家の成果。これだけでは何も言ってないに等しい
資本主義も新自由主義も批判点は「利潤第一主義」のみで、帝国主義論的観点はない。また「ルールある資本主義」を世界の発展方向として、ロシア革命の「勤労、被搾取人民の権利宣言」、ワイマール憲法、人民戦線の「マティニヨン協定」、ILOと国際連合の「世界人権宣言」、さらにEUを賛美し日本をそれと比べて「ルールなき資本主義」の国と規定する「資本主義改良」の立場におちいっている。
マルクスを「未来社会論者」(この命名のくだらなさ)とし、その主張の核心を「生産手段の社会化」とし、マルクス暴力革命論は徹底的に否定。ここには、国家権力の打倒とプロ独という革命そのものが完全に吹っ飛んでいる。また「生産手段の社会化」の内容と実現方法が曖昧で、「富の配分」に歪小化するだけで、しかも一人ひとりのプロレタリアートの主体的参加(管理・運営への)を問題にしないのである。
共産主義の第一段階と高度の段階を区別せず、過渡期を何百年もの長期にわたるものとしている。共産主義を意識的にたたかい取るものと考えない自動到来論。しかも新しい共産党の綱領で、「共産主義の日本で反対党を認める」と明記したと自慢している。共産主義のもとでも国家や党があるとは、スターリン主義まるだしではないか。
1991年ソ連崩壊直後からソ連を口を極めて批判し「崩壊を歓迎」している。しかし直前まで「社会主義」として賛美していたことをまったく隠蔽している。そしてレーニン時代は正しかったが、スターリン(それも1920年代末から30年代以降)が全面的に間違っていたと主張。しかもレーニンの評価は「市場経済を通じての社会主義への道」を切り開いたからとするだけである。ここにはレーニンの真の苦闘も、その限界も明らかではない。
 
(5) 対安田派闘争と革共同再建の現段階
今日、安田派が「革命的共産主義者同盟」を名のり無残な変質を遂げているなかで、安田派とは事を荒立てず、安田派そのままの革共同を受け継ごうとする志向や、ひたすら革共同からの逃亡を決めこんで生き延びを図る傾向が発生している。しかしこれらの「潮流」は、革共同の歴史的総括にもとづいて、革命的共産主義運動の再生をすることは不可能である。早晩、革命運動の妨害物に転落するのは必定である。
革命的共産主義運動の再生のためには、具体的には、共産主義者の政治・戦闘集団として、つぎのような点を重視しなければならない。
@ 指導機関と細胞の関係
個々の党員と細胞の自立性を重視することである。上意下達や、軍令によらずに、一人ひとりが自分の活動領域で共産主義の政治を組織し、実践できること。綱領や戦術はそのうえで成立する。
A 路線と方針の形成の方法
激烈討論・激烈実践で路線と方針を形成していこう。内外の論争・討論を歓迎する。なによりも労働者同志、組合活動家の意見、学者・インテリゲンツィア、他党派の活動家の発言・批判も歓迎する。
B 統一戦線や大衆運動、労働組合について
革命にむけて(革命の後も)、その利害を守る先頭に立つことが、革共同再建協議会の立場である。一言で言えば、「代行主義」の克服である。
われわれがめざす革命党は、党の自己目的化を生み出す思考と決別し、党の手段性と党の自己止揚の論理にふまえて建設する。たたかう戦闘集団としての規律と高度の団結をもったうえに、労働者的実体を基礎に階級と生き生きと結合できる党であるために、次のような目標と基準を提起したい。
C 党の路線と方針、個々の活動が、たえず階級によって検証され、労働者人民とともに学ぶことができること。
D 党員どおしの、および中央と細胞の同格性をしっかりと確認し、党内においてこそ厳格にプロレタリア民主主義を実践すること。
E 一言で言えば、自立した共産主義者の団結体としての革命的労働者党である。
「前衛党」という規定は、自らは階級とは別個の「革命家集団」という規定性をはらみ、自らが権力機構となることを概念のうちにはらんでいる。党が権力機構とならないために、消滅が必然的となるために、いままでの革共同のあり方そのものを自己点検し、改めなければならない。なによりも、自ら権威を求め、権威をつくるあり方は克服しなければならない。
最後に、レーニンの党に関する注目すべき発言を紹介しておこう。
 
「労働者の解放は、労働者自身の事業である」ことの確認のうえに、「党の活動は労働者の階級闘争に助力することでなければならない。党の任務は、なにか当世流行の、労働者援助の手段を頭のなかからあみだすことではなくて、労働者の運動にくわわり、その運動のなかに光明をもちこみ、労働者がすでに自分でやりはじめているこの闘争において、彼らを援助することである。党の任務は、労働者の利益をまもり、労働者運動全体の利益を代表することである。」(「社会民主党綱領草案と解説」1895~1896年に獄中で執筆)
(展望5号掲載)