世界恐慌情勢と革命的共産主義者の任務
椿  邦 彦
「貧困と戦争」を労働者人民に強制する世界恐慌情勢の到来に対し、新たな経済闘争=戦闘的労働運動の再生と、反戦政治闘争の全面的な発展の道を縦横に論じる基調的論文。
 
               
 
〔1〕 帝国主義世界体制の破局
 
2007年2月のアメリカの住宅金融専門会社の破綻から始まったサブプライムローン危機は、同年7月末から8月にかけて相継ぐヘッジファンドの破綻へと進行し、ついに08年9月には証券大手・リーマンブラザーズが経営破綻し、世界的な株価の大暴落を引き起こした(リーマン・ショック)。
その後も危機は急速に進行し、リーマン・ショックからわずか3ヶ月でGMなど米自動車3大メーカー(ビッグ3)の経営危機にまで行きついている。いまわれわれの眼前で進行している世界恐慌情勢は、90年代以降、グローバリゼーションという資本の新たな運動の下で延命を続けていた帝国主義世界体制に深刻な破局が訪れつつあることを示している。
 
1 資本の新たな運動と貧困問題
 
1990年代以降の世界の特徴は、次の2点に集約できる。一つは「貧困と格差」の拡大と深刻化であり、いまひとつは、「テロとの戦い」に象徴される恒常的な戦争状態である。これらがグローバリゼーションという資本の新たな運動と深く結びついていることは明らかであろう。
それではこの「貧困と格差の拡大」はどこから始まったのであろうか。帝国主義世界経済の戦後発展は、1971年のIMF・GATT体制の崩壊とそれに続く74〜75年世界同時不況をもって終焉を遂げたが、この戦後発展の終焉によって莫大なオイルマネーが投機的資金として、いわば実体経済から遊離して独自の運動を開始していった。アメリカ帝国主義をはじめとする帝国主義諸国は、スタグフレーションという過剰資本の重圧から逃れるために、資本の運動に対するあらゆる規制の撤廃をめざす新自由主義的な政策の採用を余儀なくされた。その典型がレーガノミックスであった。
第二次オイルショックの最中の1981年に政権についたレーガンは、インフレ抑制策を一切に優先させて、金融の引き締めを行った。同じ年、全米航空管制官組合の長期ストを圧殺して、組合員の9割の解雇を強行した。こうした一連の政策の結果、翌82年にはアメリカの企業倒産率は1933年の水準に接近し、失業者数は1000万を突破した。さらに、こうした米帝の金融引き締め=高金利政策によって中南米の累積債務危機が爆発し、その解決策として登場したのが「債権の証券化」という金融資本の略奪的な手法であった。
今日、世界の金融資産の総額は推計額で140兆ドル、世界の国内総生産の総計の3倍を超えるまでに肥大化している。こうした金融資本の運動は、債務国からその主権を剥奪し、その財産を略奪し続け、世界中に深刻な格差と貧困を拡大し続けている。とりわけ世界の農村地帯の荒廃はすさまじい勢いで進行している。アジアやアフリカの農村部では、膨大な農民が農地を捨てて、貧民として都市部へ流入を続けている。08年、世界の都市人口がついに農村人口をうわまわったと予測されている。この間の原油価格の高騰に端を発した世界的な食糧危機の真の原因は、こうしたグローバリゼーションによる世界的な農業破壊の進行の結果に他ならない。
こうした事態はまさに古典的な植民地主義の復活とも言うべき様相を呈しているが、それは単純な“復活”というわけではない。われわれが注目しなければならないのは、今日の国際金融資本の運動は“先進国”であろうと、“途上国”・“新興国”であろうとを問わず、「構造改革」と「市場開放」を強制し、政治・経済・外交(軍事)の全領域にわたって、従来の国家間の諸関係を激変させていることである。
 
2 米帝の戦争政策と「グローバルな内戦」
 
つぎに、今日の「恒常的な戦争状態」が、どのようにして生み出されてきたのかという問題に移ろう。すでに述べたように、70年代は戦後世界体制の決定的な転換期であった。73年第一次オイルショック、74・75年世界同時不況、75年ベトナム解放=米帝の敗戦、78年イラン革命といった一連の事態は、米帝による世界の単独支配が行き詰まり、崩壊を開始したことを告げ知らせた。こうした歴史の趨勢に対する大反動として登場したのが米・レーガン政権(イギリスではサッチャー政権、日本では中曽根政権)であった。
レーガノミックスと呼ばれるレーガン政権の政策の柱は、大軍拡、大幅減税、規制緩和の三つであったが、その特徴はそれまでの階級協調策や国際協調策を破棄ないしは後景化させて、米帝支配階級の利益を最優先させたことにある。国内政策においては労働組合に対する徹底的な弾圧によって労働者階級からさまざまな権利を剥奪する一方で、大軍拡による歳出拡大と富裕層に対する大減税によってブルジョアジーを救済し、規制緩和を軸とする新自由主義改革を強行した。
対外政策においては対ソ核軍拡路線を大々的に推進したことによって、欧州をめぐる軍事的緊張を極限的に高め、欧州諸国に対してすさまじい軍事重圧を加え続けることになった。同時に、中東石油の圧倒的な支配を維持するためにリビア・レバノンへの軍事侵攻を強行してパレスチナ民族解放闘争の圧殺に乗り出し、イラン・イラク戦争への介入を深めていった。またアフガニスタン内戦へも深々と関与していったのである。
このようにしてレーガン政権は、その大軍拡路線と戦争政策によってソ連スターリン主義に重圧を加え続けると同時に、「米国の敵」に対する容赦ない武力行使によって、米帝ブルジョアジーの利害に「協調」することを日・欧帝国主義に対して一方的に要求していったのである。85年の「プラザ合意」とはまさにそのことを象徴する歴史的な事件であった。日・欧帝国主義は米帝の要求を受け入れ、「ドル防衛」のために「協調利下げ」を行ったのである。
※しかしながらプラザ合意のわずか2年後にはニューヨーク株式市場は大暴落し(ブラック・マンデー)、米帝の歴史的没落は決定的となった。このとき米経済を支えたのは、プラザ合意による低金利政策と内需拡大、そして市場開放を軸とする「構造調整」路線(86年「前川リポート」)が引き金となって空前のバブル経済を発生させた日帝であった。しかしそのことが90年代半ばにかけて北米市場をめぐる「第二次日米自動車戦争」を引き起こし、この過程で日帝は、米帝による熾烈な「為替戦争」(円高・ドル安)によって「構造改革」を強制させられていくのである。
 
米帝のこうした世界戦略は、帝国主義世界体制の危機をいっそう促進するものでしかなかった。それは第一に、ソ連スターリン主義の崩壊である。米帝の対ソ大軍拡路線の重圧によってついにソ連・東欧スターリン主義は89年から91年にかけて崩壊した。それはソ連スターリン主義の世界革命の裏切り=平和共存政策によってかろうじて戦後革命期を乗り切り、その後の「米ソ冷戦」体制=米ソの核軍拡競争による巨大な軍事重圧のもとに世界支配を貫徹してきた米帝にとって、体制の根幹を揺るがす大事件であった。とくにユーゴスラビア社会主義共和国連邦の崩壊過程で勃発したユーゴ内戦は、ヨーロッパ全体を巻き込んで泥沼化していったのである。
第二に、中東支配の破綻である。米帝は82年のレバノン侵攻によってPLOの武装闘争を鎮圧したかに見えたが、87年からガザ地区で始まったインティファーダの爆発は、イスラエルを軍事基地国家とする帝国主義の中東支配体制を揺るがしはじめたのである。
こうした事態のなかで米帝は、破綻した中東における新植民地主義支配の再建と、ソ連・東欧諸国の資本主義市場への包摂の二つを軸とする暴力的な「世界の再編」へ突き進むことを余儀なくされた。前者が91年の湾岸戦争を突破口とするイラク侵略戦争とパレスチナ解放闘争の圧殺であり、後者はユーゴスラビア内戦とNATOによる大規模侵略である。こうした米帝主導による「世界の再編」は90年代を通して、全世界を戦火の中に引きずり込んでいったのである。湾岸戦争は、一方で日・欧帝国主義に対して米帝の圧倒的な軍事力を見せつけることとなったが、他方で超軍事大国となった米帝といえども、もはや単独の力では世界を支配することはできないということを明らかにした。
こうした米帝の動向にたいして独・仏を軸とする欧州帝国主義諸国は、92年に「通貨統合」「共通の安全保障」「警察・刑事司法協力」を柱とするEU(ヨーロッパ連合)を発足させ、99年に通貨統合を実現する。欧州帝国主義はユーロ通貨圏の形成によって、ドル暴落の危機からEU域内経済を防衛する措置をとりながら、軍事・外交政策においても米帝にたいする独自性を確保しようとしたのである。このEU発足と統一通貨ユーロの登場を1930年代の世界経済のブロック化と単純にアナロジーすることはできない。あくまで欧州帝国主義によるグローバリゼーションへの独自の対応の仕方であるという現実を踏まえて、EUの動向を分析していかなければならない。
日帝もまた湾岸戦争によって深刻な打撃を被っていた。湾岸戦争は日帝に対して戦後憲法による制約(憲法第9条)の突破を否応なしに迫るものであった。日帝は91年のペルシャ湾への海自掃海艇派兵を皮切りに、PKOを通した自衛隊の海外派兵を推し進めていく。さらに94年の朝鮮危機の勃発による日米新ガイドラインの締結を契機として、日米軍事一体化に向けて踏み出していくのである。
このようにグローバリゼーションという新たな資本の運動の進展にともなって、さまざまな形態をとって帝国主義諸国間の政治的軍事的一体化が進行していった。そしてその対極で中東・ムスリム人民の反米闘争をはじめとする反グローバリズム運動が全世界的に拡大していったのである。2001年9・11同時多発ゲリラ戦争とは、国際帝国主義が90年代全体を通して侵略戦争をくり広げ、世界中を戦火の中に引きずり込み、膨大な人民を犠牲にし続けてきたことに対する中東・ムスリム人民の極限的な反米ゲリラ戦争であった。
9・11に対して米帝・ブッシュ政権は、「テロとの戦争」を掲げて、02年アフガニスタン、03年イラクへの侵略戦争に突入した。この「テロとの戦争」とはグローバリゼーションに対抗するあらゆる勢力に対する無際限の戦争であり、「戦争の常態化」に他ならない。事実、米帝は06年に発表した「米軍戦力の4年ごとの見直し(2006QDR)」において、「テロとの戦争」を「長い戦争(The Long War)」と呼んで、そのことを認めている。
いまや米帝をはじめとする帝国主義諸国においては「テロ対策」の名の下に、基本的人権の制限、不法な逮捕・監禁、拷問、出入国制限、財産の凍結、外国人やマイノリティーに対する治安弾圧の強化のいずれかが例外なしに行われている。米帝自らが「非対称的な戦争」(武力行使の対象が主権をもたない武装勢力であること)と表現しているように、いま眼前で進行している戦争は、「国家どうしの武力衝突」という従来の「戦争の定義」はもはやあてはまらない。その性格に即して言えば、それは「グローバルな内戦」と定義するのがより適切であろう。
 
3 《貧困と戦争とのたたかい》
 
このようにグローバリゼーションの進展にともなって帝国主義諸国は、ソ連崩壊後の世界を絶え間ない戦火の中におとしいれ、あらゆる地域の人民から収奪と略奪をほしいままにしてきた。そのことがいま、地球上のすべての人民を一連の共通するテーマで結びつけつつある。それをひとことで言い表せば《貧困と戦争とのたたかい》である。
革命的共産主義者の任務は、世界各地の反グローバリズム運動を積極的に支持し、その国際的発展のために先頭に立ってたたかうことである。その中で、国際共産主義運動のスターリン主義による歪曲を今度こそ根底的にのりこえていかなければならない。それはわれわれ自身の共産主義のイメージ、労働者階級のとらえ方、われわれが従来もっていた運動や(党)組織にたいする考え方やその内部におけるふるまいにいたるまで、全領域における抜本的な変革と飛躍を突きつけている。
われわれはこの飛躍に断固として挑戦し、帝国主義が現存する世界でひきおこしている否定的現実の中から、共産主義の物質的条件が成熟していることをつかみ取り、それを実現する主体を実践の中で形成していかなければならない。
 
〔2〕 日本帝国主義の改憲攻撃の歴史的位置と戦闘的労働運動の課題
 
1 新たな大衆運動の登場
 
それでは日本国内の階級闘争の現状をどう見るべきであろうか。05年から06年にかけて、「障害者自立支援法」反対闘争や教育基本法改悪反対闘争が全国各地と国会を結ぶ大運動として闘われた。06年3月には、岩国市で米軍艦載機移転に反対する住民投票が行われ、移転反対が9割を占めた。その直後におこなれた岩国市長選では移転反対を主張する井原市長が移転賛成派に圧勝した。続く07年には沖縄で「住民の集団自決に日本軍の関与はなかった」とする教科書検定意見の撤回をもとめて県民大会が開催され、12万人が参加した。これは95年の10万人決起を上まわり、文字通りの島ぐるみ闘争となった。さらに12月には岩国でも米軍機移転に反対する集会に1万人が結集した。
そして昨年のG8サミット反対闘争や反貧困運動の全国的なひろがりなどが明らかにしているように、日本国内においても従来の政治的な枠組みを超えた新たな大衆闘争がわき起こりつつある。こうした運動は、これまでの“保守”や“革新”といった枠ではくくりきれない広さと深さをもって登場している。それは01年に登場した小泉政権による「聖域なき構造改革」路線と、9・11反米同時ゲリラ戦争による国際情勢の激変によって生み出された戦後日本社会の“地殻変動”によって、地底からマグマが噴出するようにその姿を現しはじめている。この地殻変動を象徴する決定的な事件が、07年7月の参院選における自民党の大敗であった。
いまや戦後日本社会の政治的経済的基盤は崩壊を開始した。労働者階級人民の新たな大衆運動は、日本帝国主義の足下における《貧困と戦争とのたたかい》の台頭というべきものであり、そうであるからこそそれは日本の社会体制を根底的に変革する強力な欲求とエネルギーを内包しているのである。
 
2 貧困とのたたかい・戦闘的労働運動の再生にむけて
 
・貧困層・ワーキングプアの急増と労働者階級の課題
06年の日本の相対的貧困率は15.3%(OECD報告)で、OECD加盟25カ国中第5位という高さである。所得が「最低生活費」以下の貧困世帯は、07年推計で785万2千世帯、人口にして1000万人をはるかに突破している。また勤労世帯で、その所得が「最低生活費」の1.4倍以下のワーキングプア世帯は、07年推計で581万4千世帯にのぼっている。(後藤道夫 『貧困研究 vol.1』 明石書店2008)
貧困層は97年から02年の5年間で急増している。「最低生活費」以下の貧困世帯で70.2%、ワーキングプア世帯で48.5%という急激な伸び率である。97・98年のアジア通貨危機による不況への突入の中で、「雇用破壊」といわれた資本攻勢によって労働者階級がこうむったダメージの深刻さを示している。とくに、95年に発表された日経連報告「新時代の日本的経営」路線に基づく、年功型賃金と終身雇用制の解体と非正規雇用化の進行が決定的な役割を果たしていたのである。
また02〜07年も貧困世帯は増え続け、この5年間で5%増加し、同時期にワーキングプア世帯も2%増加している。たしかに増加率だけを見れば先の97・02年に比して、大幅に低下しているが、この02・07年はいわゆる「景気回復期」だったのだ。当時、小泉政権は竹中平蔵を先頭に「いざなぎ景気をこえた」といって自画自賛していた。にもかかわらず貧困は拡大を続けていたのである。小泉らが自画自賛していた「景気回復」の正体は、労働者階級にひたすら犠牲を強要し続けることでかろうじて成立していたものに過ぎなかったということである。
「景気回復期」でも貧困層が増加し続けているということは、今日の日本社会で一度貧困層に転落するとそこから「這い上がる」ことはほとんど不可能になっているということだ。これこそが小泉改革が産み出した日本社会の悲惨な姿である。こうした社会構造を反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏は「すべり台社会」と呼んでいる。
07年6・8月の労働力調査によれば、非正規雇用労働者は全体の33.4%である。女性だけに限ると53.1%である。その上で雇用数に注目すると、正規雇用労働者数は前年に比して34万人減少し、非正規雇用労働者数はわずか1万人の増加である。つまり1年間に30万人以上が失業しているのだ。年齢別の内訳を見ると、25・35歳で32万人減、45・55歳で36万人減となっており、もっとも「働き盛り」の年齢層に失業が集中している。
全体の3分の1にまでおよんだ非正規雇用化によって正規雇用労働者も含む労働者全体の労働条件の著しい低下が進行している。実際に正規雇用といってもいわゆる「名ばかり管理職」などの違法な雇用形態が横行し、低賃金の上に超長時間労働と時間外賃金の未払いが常態化している。こうした現実が、全勤労者世帯のうち16.3%・19.0%(07年推計値)をワーキングプア世帯が占めるという深刻な事態を生み出しているのである。
こうした貧困の急増とのたたかいが、日本の労働者階級にとって最優先すべき課題となっていることは明らかである。それは、まず、現在進行している「派遣切り」・大量解雇とたたかうことである。同時に、労働法制の改悪に反対し、社会保障制度(年金・医療、労働保険、介護・福祉)や公的扶助(生活保護)の解体を許さず、その拡充を求めるたたかいである。そして何よりも、「すべり台社会」における貧困の根源となっている非正規雇用化に対する反撃を組織していくことである。
昨今、連合や全労連などのナショナルセンターも、無視することができない重要課題として非正規雇用問題への取り組みを開始している。この問題の大きさやその組織化の困難性などを考えるならば、こうしたナショナルセンターの取り組みを活用することが必要であろう。しかし同時に、連合路線の下では非正規雇用問題の解決はあり得ないことを明確にしておかなければならない。
なぜなら、90年代中盤から今日にいたるまで連合は、非正規雇用化の資本攻勢に対して有効な反撃を組織できなかったばかりか、むしろ連合傘下の有力単産がブルジョアジーと一体となって非正規雇用化を推進してきたからである。この連合路線と根底的に対決し、これにかわる戦闘的労働運動を実践的に明示することが問われているのである。
そのためには、非正規雇用の増大によって日帝ブルジョアジーによる階級支配の構造(搾取構造)にどのような変化が生じているのかを明らかにし、非正規雇用労働者の組織化をプロレタリア革命の中に戦略的に位置づけていかなければならない。
 
・戦後の階級支配の構造と地区労のたたかいの教訓
1950年代の日本の労働者階級は、大企業および官公庁・官公企業の本工・本職労働者の一群と、中小企業労働者の大部分と臨時工、社外工、半失業者、失業者の一群とに明確に階層分化していた。日本の支配階級は、両者の対立や不信を巧みに組織することで、労働者階級を分断支配していたのである。一方、労働組合の側も企業別組合が組織していたのは主に前者の大企業および官公庁・官公企業の本工・本職労働者であり、後者の中小企業の大部分と臨時工などは未組織のまま労働運動のらち外に置かれていた。
こうした状況を克服するために、当時の総評内に作られていた組織綱領委員会は、「職場闘争の強化」とならんで「未組織労働者の組織化」をその重点項目として掲げた。組織綱領委員会は、すでに地域で自発的に組織されていた「地区労」に注目し、これを「企業別組合の弱点の克服」を目指すものとして位置づけを与えた。そして個人加盟の合同労働組合、共済施設の建設、居住組織、家族組織を組織して地域の労働者に幾層にも網をかけて、その大部分を組織しようとしたのである。
組織綱領委員会は58年に組織綱領草案を発表したが、正式に総評の綱領として採用されることはなかった。また、三井三池闘争の敗北を皮切りに、総評の民間有力単産がつぎつぎと弱体化・右傾化していくなかで、地区労は選挙の集票マシーンとしての役割が重視されていくようになった。こうした経緯によって地区労が、当初、組織綱領委員会が期待したようなかたちで発展しなかったとはいえ、民間中小・零細企業における労働者の組織化や、戦闘的労働運動の展開において果たした役割は決して小さなものではなかった。地区労の存在が、総評が標榜していた階級的労働運動を下支えしてきたのである。
日本における非正規雇用化の第一波が、74〜75世界同時不況の乗り切り策として労働者階級に襲いかかったとき、総評は「地域労働運動の強化」を掲げた取り組みを開始した。しかしながらこの意欲的な取り組みも、総評が国鉄分割・民営化攻撃との決戦を回避したことによって、中曽根政権に対する有効な反撃とはなりえず、89年に総評は解散する。
 
・日経連報告「新時代の日本的経営」(95年)と戦闘的労働運動の再生
総評解散とともに結成された連合は、階級的労働運動を否定し、「政治改革」路線(=山岸路線)をもってそれにかえようとする。しかし、日帝のバブル崩壊と細川政権の瓦解とともにそれはあえなく破産をとげ、その求心力を急速に失っていった。他方、日帝経済の長期低迷のなかで窮地に立たされた日帝ブルジョアジーは、95年に、日経連報告(「新時代の日本的経営」)を発表し、今日にいたる本格的な非正規雇用化を開始した。この報告で日帝ブルジョアジーは、それまでの大企業を中心とした労働者支配の要であった年功序列賃金と終身雇用制の解体を公然と宣言した。そこで打ち出された非正規雇用化の規模は、労働者全体の9割を非正規雇用化するというものであり、70年代のそれとは次元を画していた。それは階級支配の基盤そのものを解体する危険性をはらんでいたがゆえに、ブルジョアジーは企業別組合に「労使の安定帯」という位置づけを与えたのである。連合はこれに応えて、非正規雇用化に全面協力するという労働者階級に対する大裏切りを行った。
連合が実際にとった方針は、「組合員の雇用の確保」を名目に、大規模な非正規雇用化を積極的に受け入れるというものであった。それは正社員が自分たちの雇用を確保するために、同じ職場の非正規労働者に3分の1以下の賃金で働くこと強制するという反労働者的方針であった。これが職場における正規・非正規の労働者間の分断・対立・反目を促進し、深刻な職場の団結破壊を進行させ、資本攻勢に対する反撃を困難なものにしていったのである。
以上がわれわれの目の前にある労働現場の現状である。問題はこの現状をいかに変革していくのかということである。
 
・非正規雇用労働者の組織化を戦略的課題に
まず第一に職場における労働者の団結の回復にとって非正規労働者のたたかいの組織化が決定的な位置を占めていることを明確にしなければならない。非正規雇用労働者の決起が、この分断を打ち破ることの決定的な契機となるのである。
正規雇用の社員を中心に構成されている企業別組合の中では、資本の攻撃の矛先や職場の中の矛盾がほとんど見えなくされている。その理由は、矛盾が集中している部署を資本が次々と下請け化、非正規化しているからである。雇用形態や雇用関係を別々にされることで、同じ職場の労働者がバラバラに分断され、正規雇用の社員の目から非正規雇用の労働者の姿が見えなくなってしまうのである。こうした現状を打破するために、労働組合の活動家に求められるのは、雇用形態や雇用関係の相違をこえて同じ職場・同じ工場で働く労働者全体を組織化の対象とする意識性である。そうやって職場や工場内を注意深く観察し、その問題点や矛盾をえぐり出していかなければならない。そうすると、ほとんど間違いなく非正規雇用労働者のグループに矛盾が集中していることが明らかとなる。そこで明らかになった問題点を職場の労働者全員の課題として取り上げ、たたかいを呼びかけていくのである。こうした職場におけるたたかいの組織化においては、非正規雇用の労働者たちが、職場のなかで自分たちの処遇の不当性を告発し、労働者としての権利を行使することが決定的な威力を発揮する。非正規雇用の労働者の組織化とその決起によって、正規・非正規の分断が打ち破られ、資本への反撃が可能となるのだ。それが労働組合の本来の団結を回復させ、組合そのものの戦闘化へとつながっていくのである。
職場に組合が存在しない場合や、御用組合しかない場合は、合同労組が有効なたたかいの手段となる。こうした職場におけるねばり強い取り組みは、連合をその内部から変革し、戦闘化していく重要な手がかりとなる。郵政民営化後、旧全逓と全郵政が合同して誕生したJP労組(日本郵政グループ労組)は、合同労組を閉め出すために、組合規約で「二重加盟」を禁止しすることまでやっている。これは御用組合にとって合同労組がいかに「脅威」となっているのかをよく示している。
今日の非正規雇用労働者のリストラが、明日の正規雇用労働者の大リストラの準備であることをしっかりと見すえてたたかいを進めていかなければならない。
第二に、青年労働者の組織化である。総評の最盛期であった50年代後半から60年代初期にかけて、労働運動を先頭で牽引していたのは炭鉱や鉄鋼の労働者たちであった。しかし、資本の合理化攻撃のなかで炭鉱は次々と閉山へと追い込まれ、鉄鋼もオートメーション化が進行し、かつて坑道の中や溶鉱炉で、煤まみれ油まみれになって働いていた労働者たちは一掃されてしまった。彼らはどこへ行ったのか。かつて炭鉱や製鋼所で働いていたのと同年代の青年層が、あるいは職場の中軸を担っていた中高年の労働者たちが、いまや非正規雇用労働者、派遣労働者として不安定な就労を強制させられているのである。彼らの組織化なくして、戦闘的労働運動の再生はない。まさに非正規雇用労働者・青年労働者の組織化とは、労働運動の主力部隊を再び戦列に呼び戻すことなのである。
第三に、地域における組織化に創意工夫をこらすことである。かつて地区労がめざした地域に幾層にも網の目をかけた労働者全体の組織化の手法を研究し、実践に移さなければならない。「反貧困ネットワーク」などの実践から学ばなければならない。また阪神大震災被災地闘争の経験や教訓を再評価することも重要な作業である。とくに、現在激しく進行している非正規雇用労働者へのリストラ、「派遣切り」に対して全力で対応していかなければならない。かつて阪神大震災に対してわれわれがとった非常態勢をもって今日の大リストラ情勢に臨まなければならない。このたたかいの中から新たな経験を蓄積していこう。
地域医療の実践や経験も今後のたたかいのなかに生かしていこう。部落解放闘争や「障害者」解放闘争、入管闘争、女性解放闘争で切り開いてきた地域的な実践を生かしていかなければならない。また外国人労働者の権利を守るたたかいを重視しよう。われわれのこの領域での蓄積は決して小さなものではない。こうした活動の経験や教訓を新たなプロレタリア運動の創造のために生かしていこう。
第四に、職場で非正規雇用労働者への均等待遇の諸要求や、地域における社会保障の諸要求など、個別具体的な要求で一致した運動を、党派や団体の枠をこえて作りだしていくことである。そして地方行政レベルから国政レベルにいたる政策要求運動を射程に入れた全国的な大衆運動を形成することである。ここでも介護保険ネットワーク運動や被災地闘争また、住宅闘争などの教訓を再検証しなければならない。
このようにして、地域の組織化と職場・生産点の組織化を一体化して進める方法を編み出していこう。あらゆるルートを使って工場の中に入り込み、職場・生産点を労働者のたたかいの砦として奪い返そう。こうしたたたかいの積み重ねなしにはプロレタリア革命の実現は空文句に終わる。
 
・連合を内部から打倒するたたかいの組織化へ
これまで述べたたたかいと同時に自治労、日教組、JP労組などにおけるたたかいを重視し、連合をその内部から打倒する運動を組織していかなければならない。
自治体労働者は、「派遣切り」によって多くの派遣労働者が住居を失い、路頭に放り出されるという状況に抗して、自治体に公営住宅の提供や仕事の保障を行わせるために行政内部からたたかいの烽火(のろし)をあげよう。地域住民の生活防衛のたたかいとしっかりと結合して、地方自治解体攻撃―道州制攻撃をうち破るたたかいを作り出していこう。
改悪教育基本法の下で教育現場におけるたたかいの課題は山積している。その中でも、新勤務評価制度に対するたたかい、学力テストに対するたたかい、「日の丸・君が代」強制に反対するたたかい、学習指導要領の改訂に対するたたかいを軸にして、児童・生徒、保護者と一体となって教育労働者運動の戦闘的階級的発展をかちとろう。
郵政民営化から2年を経て、郵政職場ではいたる所でその矛盾が吹き出している。こうした中で昨年発足したJP労組は、郵政労働者の職場からのたたかいを圧殺するための組織に過ぎないことが明らかになっている。郵政労働者は所属組合の枠を超えて、反撃を組織していかなければならない。過重ノルマの強制や処分の乱発による労務管理の強化にたいする職場丸ごとの反乱を組織しよう。ゆうメイト(非常勤職員)の待遇改善要求を軸に、労働強化をはね返そう。
 
・国鉄闘争の歴史的な勝利を実現し、反転攻勢へ
23年目を迎えた1047名の解雇撤回を求める国鉄闘争は、重大な局面に突入している。国労本部の「JRに法的責任なし」とした「四党合意」受け入れ(00年)、解雇撤回を求める裁判闘争の敗訴確定(03年)というきわめて困難な状況を乗りこえて、闘う闘争団は鉄建公団を相手に解雇無効を求める新たな訴訟を起こしてたたかいを継続してきた。その裁判が大詰めを迎えた昨年7月、東京高裁の南裁判長が法廷外での話し合いによる解決を原告・被告の双方に打診し、これを受けて与党公明党や国労本部などが一気に国鉄闘争の幕引きを図ろうと動き始めたのである。しかしこのような和解策動の先に闘争団の「納得のいく解決」は断じてあり得ない。「解雇撤回」に向けたたたかいのよりいっそうの強化こそ、国鉄闘争の勝利の道である。新自由主義攻撃に対する労働者人民の怒りとしっかりと結合して、国家的不当労働行為を徹底糾弾し、1047名闘争の勝利で労働運動の反転攻勢の突破口を切り開こう。
国労本部の裏切りをのりこえて国鉄闘争の勝利を実現するための決定的なたたかいの武器が、5・27国労臨大闘争弾圧裁判である。5・27臨大闘争弾圧とは、02年に国労本部が鉄建公団訴訟に決起した闘争団員を処分しようとしたことに反対し、大会参加者へのビラまき・説得活動に立ち上がった闘争団員をはじめとする国労組合員ら8人を、国家権力が逮捕・起訴した(国労本部が警視庁に売り渡した)弾圧である。国労本部は、この恥知らずな「被害届」を取り下げることなしに、1047名問題を云々する資格などない。われわれは4党合意をめぐる攻防の最も鋭い切り羽である5・27裁判闘争を通して国労本部の反労働者性を暴き、1047名闘争陣形の新たな団結を形成することによって、確固とした勝利への道を切り開くことができるのである。
ところが昨年、安田派は、被告団長や弁護団に「4者4団体賛成派」のレッテルをはり、弁護団の解任、被告団の分裂、そして裁判の弁論分離という暴挙を行い、裁判闘争の破壊に血道をあげてきた。彼らの主張は、「無罪獲得を自己目的化」してきたのは誤りで「たとえ有罪になっても団結が強まれば勝利」というものだ。「有罪でも勝利」というのは敗北主義いがいのなにものでもない。われわれは、あくまで5・27裁判闘争の統一をめざし、5・27裁判闘争と1047名の解雇撤回闘争をひとつに結びつけ、勝利のためにさらに奮闘しなければならない。
 
・JR総連カクマルによる「労働運動再編」策動を粉砕しよう
国鉄闘争の重大局面にあって断じて看過することができないのが、JR総連カクマルの動向である。彼らは「国鉄闘争の解決=幕引き」に乗じて、JR総連カクマルを軸とする連合労働運動の再編をもくろんでいる。この策謀の中心人物はJR総連副委員長の四茂野修である。四茂野はJR総連の「ニアリー・イコールの労使関係」路線でJR労働運動の統一をねらっているのだ。それは、「JR資本と一致団結してたたかう組合つぶしをおこない、JR資本に規制を加え介入を図る政府と闘う」というものしろものだ。これは文字通りの新自由主義路線を労働組合の基本路線とするきわめて反労働者的なものである。
またJR総連カクマルは「ニアリー・イコール」路線の延長線上に「憲法闘争」をでっち上げて、「9条連」などを使って改憲阻止決戦の破壊のためだけに介入を策動している。彼らの「憲法闘争」なるものは「会社を守れ」という企業防衛主義の立場から「憲法を守れ」と言っているにすぎない。JR総連カクマルが口にする「憲法を守れ」とは、「日本を守れ」という愛国主義のスローガンそのものなのだ。われわれはJR総連カクマルの反革命的正体を徹底的に暴露し、国鉄闘争と改憲阻止闘争の発展の中で、その策動を木っ端みじんに粉砕しなければならない。
 
3 戦争とのたたかい
 
・米軍トランスフォーメーション
今日米軍が世界的に進めている米軍トランスフォーメーションは、戦争の様相を一変させようとしている。日本政府は英語の“The U.S. military transformation, Transformation of the US military”を「米軍再編」と翻訳しているが、トランスフォーメーション(transformation)とは「形、外観、性質が完全に変化する」という意味であって、これに「再編」という日本語を当てるのは明らかに誤訳である。米軍が進めているトランスフォーメーションとは、まさに従来の姿からの全面的かつ根本的な変容なのである。
01年9・11反米同時ゲリラ戦争によってその軍事戦略の根本的な見直しを迫られた米帝は、03年1月25日のブッシュ米大統領演説で米軍トランスフォーメーションを初めて対外的に打ち出した。そこで明らかにされた新たな米軍の姿を要約すると“いかなる米国に対する脅威に対しても、先制的かつ十分な攻撃を行うことのできる軍隊”ということができる。それを可能とするためには、@地球全域をカバーする監視および情報収集の能力と、A地球上のあらゆる場所に迅速に展開する機動力と、B米軍の活動に対する同盟国の全面的な支援が必要となる。こうしたトランスフォーメーションを進めていく上でキーワードとなるのが「統合」と「合同」である。
「統合」とはこれまで陸軍、海軍、空軍、海兵隊に分かれていた部隊や作戦を一つにまとめ、機敏に活動できる統合部隊へと再編していくことである。こうした統合化を前提にしながら、海外に配備されている米軍の全面的な態勢の変更が行われているのである。
新たに編成された統合部隊の最も重要な能力は機動性である。その機動性を十分に生かすために米軍が採用した方法が「蓮の葉戦略(Lily Pad Strategy)」である。それは「池に蓮の葉が浮かんでいるように、地球上のさまざまな場所に米軍基地が配置される。蓮の葉に大小があるように基地にはさまざまな種類がある。カエルが蓮の葉を跳びながら移動するように、それらの基地を跳躍台として、世界中のどこにでも短期間に兵を送り、そこで持久力のある戦争を行えるようなシステムの構築をめざす」(梅林宏道 『米軍再編』 岩波ブックレット2006年)というものである。
 
・日本全土が米軍の戦略的出撃拠点に
05年3月に発表された「合衆国の国防戦略」では、「蓮の葉戦略」を実現するために「米軍は、受け入れ国の中へ、そこを通過して、そしてそこから外へ、スムーズに移動できるようにする必要がある。このためには、同盟国や友好国との間に柔軟な法的制度や支援制度を確立することがきわめて重要となる」と述べている。ここでいう「同盟国」とは当然日本も指している。「柔軟な法的制度や支援制度の確立」が、日米安保条約における日米双方の役割を抜本的に見直して、日米安保をより本格的な軍事同盟へと変貌させるものであることは明らかであろう。
米軍は海外で駐留する地域や基地を6つに分類して再編を進めている。最上位に位置づけられているのが、パワー・プロジェクション・ハブ(PPH)と呼ばれる米軍の戦略展開拠点である。それは、「米本土から離れているが、戦略的に安定していて、既に充実したインフラがあり、新たに米国が巨費を投じて施設を整備する必要がそれほど大きくない場所」であるとされている。この戦略展開拠点に指定されているのは、イギリス、グアム、ディエゴ・ガルシアそして日本の4カ所である。日本政府は、沖縄海兵隊が司令部を中心にグアムに移転することなどを取り上げて、「米軍再編」によって在日米軍の「整理・縮小」が行われるかのように宣伝しているが、事実はまったく逆なのだ。米軍は日本を最重要拠点と位置づけて、今後ますますその基地機能を強化しようとしている。「既に充実したインフラがあり、新たに米国が巨費を投じて施設を整備する必要がない」ということは、日本国内の民間空港や港湾などを軍事利用することがすでに織り込みずみになっているということだ。
次に位置するのが、ジョイント・メイン・オペレーティング・ベース(JMOB=統合主要作戦基地)である。ここには米軍が常駐し、指揮統制機能があり、大量の物資や兵員を移動させる能力を有する戦略的な展開拠点である。横田基地、横浜ノースドック、横須賀港がこれに当たる。
その次が、ジョイント・フォワード・オペレーティング・サイト(JFOS=統合前進作戦地)である。ここにはより少数の米軍が常駐し、必要に応じてその能力を拡大することのできる基地である。いつでもフル稼働できる状態にあることから「ウォーム・サイト(即応基地)」と呼ばれる。これに当たるのが相模原総合補給廠やキャンプ座間である。
このように日本は、米軍事戦略の最重要拠点として完全に組み込まれており、日本全土を米軍の出撃基地と化す計画が日米両政府によって進められているのである。日本政府は、この恐るべき事実を隠蔽し、「在日米軍の整理・縮小」などと言って労働者人民をペテンにかけようとしているのである。
現実に進行している在日米軍再編は「整理・縮小」とはほど遠いものである。07年末に米陸軍第1軍団の前方司令部がキャンプ座間に移転してきたが、この第1軍団の主力部隊はストライカー旅団戦闘団である。ストライカー旅団戦闘団とは、02年から配備が開始された8輪式のストライカー軽装甲車300両(兵員3500人)単位で編成され、米本土から出動してわずか96時間で戦闘状態に突入する能力を持っている最新鋭の戦闘部隊である。米陸軍は海兵隊部隊との統合を容易にするにため、従来の師団編成から軽量な旅団編成へと再編が進んでいるが、ストライカー旅団戦闘団は、その目玉である。第1軍団に所属するストライカー旅団戦闘団の内訳は韓国の第3旅団とハワイの第1旅団である。第3旅団は03年12月にイラク北部に派遣され、04年11月に第1旅団と交代した。いずれも多国籍軍の主力部隊をつとめていた。また第1軍団は、全米各地から予備役と州兵を動員してアジア・太平洋地域に送り込む増援部隊としての性格を持っており、別名「アメリカ軍団」と呼ばれている。このアメリカ屈指の陸軍戦力の司令部が日本に常駐しているのである。(斉藤光政『在日米軍最前線』 新人物往来社2008年)
次に横田基地の米第5空軍とグアムの米第13空軍の統合である。近年、米軍はグアムの基地機能を急ピッチで増強している。この統合によって米軍の戦略展開基地であるグアムと日本の空軍基地は一つの司令部のもとにおかれる。その結果、横田の米空軍がカバーするエリアが一気にアラビア海まで延長される。同様に、沖縄海兵隊のグアムへの移転も、日本とグアムの基地機能の統合による戦力の強化が目的である。しかも移転した海兵隊は形式的に「籍」をグアムにおくが、演習は沖縄に「遠征」して行うといわれている。つまり海兵隊は沖縄に居座り続けるということなのだ。
 
・進む日米の軍事的一体化・ミサイル防衛
米軍トランスフォーメーションのもう一つの柱である「合同」とは、日米、韓米などの異なる国の軍隊が共同で作戦行動を行うことである。当然、米軍の「統合」にあわせて同盟軍の側も「統合」が求められる。
その典型的な例が、2012年までにキャンプ座間に司令部が移転する予定の陸上自衛隊中央即応集団である。中央即応集団とは、陸自で初めて編成された海外作戦専門部隊である。陸自の最強部隊・第1空挺団、中央即応連隊、第1ヘリコプター団など4100人で編成されている。この「日本版海兵隊」という別名を持つ精鋭部隊が、米陸軍第1軍団の指揮下に入り、ストライカー旅団戦闘団などと合同で出動し、海外での軍事作戦を行うことになるのである。
このように米軍トランスフォーメーションにともなって、自衛隊もその姿を抜本的に転換を始めている。そして海外での合同作戦に備えて、頻繁に米軍と共同演習を行い、日米の軍事的一体化を進めているのだ。
日米の軍事的一体化は、ミサイル防衛(MD)の領域でも急速に進行している。米軍のミサイル防衛の目的は、米本土の防衛である。すでに米軍は04年から日本海に横須賀基地のイージス艦を出動させて、恒常的な警戒態勢をとっている。06年には米本土ミサイル防衛システムの一部であるXバンドレーダーを、青森県つがる市に配備した。日本は米本土のミサイル防衛のための「盾」と位置づけられているのである。
さらに重要なのは07年から始まったPACV(地対空新型迎撃ミサイル)の全国配備である。PACVによるミサイル迎撃が機能するためには、ミサイル発射を早期に検知するセンサー・システム(戦略的センサー)が必要となる。米軍はこうした戦略的センサーを地球規模で構築し、その独占的な管理を目指している。したがって、日本のミサイル防衛システムは必然的に米軍の指揮下に入ることになる。しかも米軍は陸・海・空軍がそれぞれミサイル防衛システムを保有しているので、これにあわせて陸・海・空の自衛隊の司令部が米軍に統合されていくことになるのだ。
これは軍事部門だけにとどまるものではない。国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)によって地方自治体に義務づけられた「国民保護計画」の作成や、それに基づく住民避難訓練の実施などが、米軍と自衛隊の合同司令部の管理下に置かれる可能性がある。実際に、06年1月に行われた日米共同演習「ヤマサクラ」では、「国民保護のための住民避難訓練」の参考のためとして、自治体関係者がオブザーバーで参加している。
 
・事実上の改憲=日米軍事同盟の登場
こうした米軍トランスフォーメーションによる日米安保体制の根本的な転換を日米両政府が合意したのが、2005年10月29日にワシントンで開催された日米安全保障協議委員会(2+2。ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、町村外相、大野防衛庁長官)であった。その合意文書「日米同盟―未来のための転換と再編」で明らかになった日米安保の根本的な転換は次の2点である。
第一に、従来の日米安保の地理的制限を完全に取り払ってしまったことである。合意文書では「地域および世界における共通の戦略目標を達成するために、国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった」として、日米安保の適用範囲を地球全体に拡大した。
第二に、日米の軍事的一体化を明確に打ち出したことである。それは、日米両政府間で部隊戦術レベルから戦略的な協議にいたるまで、緊密かつ継続的な政策・運用に関する調整を行うことを前提にしながら、@日米の共同作戦計画に基づいて、緊急時に米軍及び自衛隊が日本国内の港湾や空港を使用することを想定した二国間演習プログラムの強化、A米軍と自衛隊の情報の共有、B米軍と自衛隊の相互運用の維持・強化、C共同訓練の拡大と日本国内の米軍及び自衛隊の訓練施設・区域の相互使用の増大、D米軍及び自衛隊の施設の共同使用、E弾道ミサイル防衛(BMD)の指揮・統制システムの緊密な連携などについて具体的に言及している。以上の項目のすべてが、日本が集団的自衛権を行使することを前提にしたものであることは明らかである。
ここで日米が合意したのは、米帝の先制攻撃戦略にもとづく軍事同盟そのものだ。日本政府は同盟国として日本全域を米軍の出撃拠点として提供し、自衛隊を米軍の同盟軍として海外の軍事行動に出動させることを約束したのである(ソマリア沖への海上自衛隊の派遣もこうした脈絡の中で行われていることは明らかだ)。これは「戦争の放棄」をうたった憲法9条を事実上破棄するということだ。こうした重大事を首脳会談ですらない2+2協議という場で決定し、着々と実行しているのである。
現憲法下においてもこうした日米の軍事同盟化が進行していることをみれば、自民党新憲法草案で憲法第9条2項(戦力不保持と交戦権の放棄)を削除し、「自衛軍」の新設を目論んでいることの重大性は明らかであろう。いったんこのような改悪を許してしまったら、これまで憲法が果たしてきた自衛隊の軍事行動に関するいっさいの「歯止め」を失うことになるのだ。
 
・軍部の台頭・田母神問題
米軍トランスフォーメーションにともなって自衛隊が急速に変貌をとげていく中で、日本社会の中で“軍部の台頭”というべき事態が進行している。
第一に07年1月9日の防衛庁の“省”への昇格である。これによってそれまで内閣府の外局であったものから独立した行政機関となった。
続いて重大なのは07年6月に暴露された陸上自衛隊情報保全隊による、自衛隊のイラク派派兵反対運動に対する監視と情報収集の実態である。情報保全隊とは、03年3月に調査隊を強化して設置された組織で900人の隊員を擁する。その情報収集活動は、医療、年金、消費税等をめぐる各種の運動にもその対象を広げ、運動に関係している個人の情報まで詳細に掌握しようとしていることが明らかになっている。こうした保全隊の活動は戦前の憲兵組織とまったく同質のものである(纐纈厚 『憲兵政治』 新日本出版社2008年)。「テロ対策」を口実とした社会全体の治安弾圧態勢の強化と一体となった“憲兵政治”の復活を絶対に許してはならない。
そして昨年の元航空幕僚長・田母神俊夫が発表した論文や一連の発言の問題である。田母神の主張は、日本帝国主義が朝鮮・中国、アジア諸国に対して行った侵略戦争の全面肯定であり、戦後憲法の平和主義の全否定である。それは“専守防衛を放棄して、集団自衛権を行使できるようにせよ”“非核三原則を破棄して、日本は核武装すべき”“武器輸出禁止を解除して、兵器の大量生産を行え”という恐るべきものである。これは、日米の軍事一体化が進行する中で、自衛隊の内部から「米軍従属から米軍と対等な独立した軍隊へ」という欲求が増大していることを背景にして、自衛隊内の特定のグループが政治勢力として登場してきたということであり、断じて軽視することはできない。
 
・全国的な反基地闘争の連携の強化を
在日米軍のトランスフォーメーションによる在日米軍基地や自衛隊基地の増強と軍事演習の増加は、基地周辺の住民の生活を破壊し、その生命を脅かしている。04年8月13日、普天間基地の米軍ヘリが沖縄国際大学のキャンパスに墜落した事故は、何ら例外的なものではない。実戦を想定した訓練が増加すれば、それに伴う重大事故は免れない。また基地や訓練による騒音被害、米軍による交通事故、米兵犯罪、基地からの有害物質の流出など、周辺住民が被っている犠牲は枚挙にいとまがない。沖縄・辺野古、高江への新基地建設に反対するたたかいや岩国の米軍艦載機移転に反対するたたかいなど、基地縮小・撤去や軍事演習の中止を求める全国各地の住民闘争は、米軍トランスフォーメーションの前に立ちはだかるきわめて重要なたたかいである。
こうした反基地闘争と同時に各自治体レベルで行われる「国民保護計画」の作成や、自衛隊と合同の避難訓練の実施に反対するたたかいを推し進めよう。PACV配備に反対する運動や反基地闘争の全国的な連携をつくりだし、米軍や自衛隊を労働者人民のたたかいで包囲しよう。自衛隊の内部では演習の強化、隊内のテロ・リンチの横行など、その侵略軍への転換にともなう犠牲と矛盾が末端の兵士に集中している。こうした中で苦悩する兵士を獲得し、自衛隊をその内部から解体するたたかいを組織する反軍闘争も階級闘争の重要な課題である。
 
・反戦・反侵略・反権力の砦=三里塚
1966年の空港建設の閣議決定以来、43年間にわたって成田空港の完成を阻んでいる三里塚闘争は、米軍トランスフォーメーションとたたかう労働者階級人民の闘争の砦として、重大局面に突入している。空港二期工事敷地内でたたかい続けている市東孝雄さんの土地を強奪するための裁判がこの2月3日から始まった。市東孝雄さんと三里塚反対同盟は、昨年10月5日の三里塚現地で行われた全国総決起集会で、「農地強奪を実力で阻止する」という戦闘宣言を発した。三里塚闘争は、71年の強制代執行いらいの決戦を迎えているのである。
また三里塚闘争は、今日の日帝の農民切り捨て政策ともっとも鋭く対決する闘争でもある。日帝は農産物の自由化にともない、アジア・アフリカ諸国からの農作物の収奪を強めると同時に、国内の農業を破壊し、農民を切り捨てる新自由主義的な農政を進めてきた。いまやそれが全面的に破綻しつつある。農民切りすて、農業破壊を許さず、三里塚闘争を要とする労農連帯のたたかいを復権させ、日帝の侵略国家化に全面的に対決しよう。
 
4 改憲阻止決戦
 
・改憲阻止決戦と新たな大衆運動・「護憲」の意味を問い直す
07年5月に成立した国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)によって、2010年5月以降いつでも改憲の発議が可能となっている。当面する最大の政治決戦はまぎれもなく改憲をめぐる決戦である。それでは改憲阻止闘争と新たな大衆運動の登場とは、どういう関係があるのだろうか。
まず、小泉政権下において急ピッチで進められた改憲攻撃の性格が、従来の自民党の改憲運動のそれとは決定的に異なっていることを明らかにしておかなければならない。
それはなによりも、“9・11”と自衛隊のイラク侵略戦争への参戦によって生み出された国際政治状況の決定的変化である。日帝はいまや米帝のもっとも忠実なパートナーとして「テロとの戦い」=「グローバルな内戦」にビルトインされている。それは日本が03年イラク派兵以降、恒常的な戦時体制に入っていることを意味している。もはやそこでは、「戦争の放棄」を核心とする現憲法体制は日帝にとって桎梏でしかなくなってしまっているのである。
いまひとつはグローバリゼーションによる日帝の政治経済体制の激変である。97・98年のアジア通貨危機とそれを契機とする東アジアにおけるグローバリゼーションの急速な進展は、日帝の帝国主義としての存立そのものを脅かし続けている。03年に発表された日本経団連の奥田ビジョン、すなわち「東アジア自由経済圏構想」とは、グローバリゼーションに対する日帝の死活をかけた対応として打ち出されたものである。その核心は「第三の開国」を呼号した全面的な市場開放と労働者人民が戦後獲得したさまざまな諸権利を根こそぎ剥奪する「規制緩和」の強行であった。日帝ブルジョアジーの危機感のすさまじさは次の文章を見ても明らかであろう。
 
「日本の経済社会をグローバル化、就中、このアジアの激変という現実から切り離して考えることはできない。日本の経済は、緊密化するアジアの地域秩序のなかにしっかりと埋め込まれ、かつての『アジアと日本』という垂直関係は、『アジアのなかの日本』とも言うべき水平的、戦略的関係へと変化している。アジアの動きに日本が取り残されることがあってはならない」
これは07年5月に発表された「アジア・ゲートウェイ構想」の冒頭にかかげられた文章である。その2ヶ月後の参院選で自民党は大敗を喫するのであるが、ここで掲げられた国家戦略を基本的に変更しているわけでない。また簡単に変更できるわけでもないのである。
こうした奥田ビジョンとそれに対応した小泉改革のもとで日帝は実質的な改憲攻撃を行ってきたのである。イラクへの出兵は明らかな憲法9条違反である。介護保険制度の導入、「障害者自立支援法」の制定、後期高齢者医療制度の新設などは憲法25条で保障された生存権の否定である。深刻化する非正規雇用化問題も同様である。また労働組合活動にたいする刑事弾圧が横行し、半年から1年という長期拘留が常態化し、憲法28条でうたわれた労働者の権利が否定されている。公務員の政治活動にたいする弾圧や自衛隊宿舎へのビラまき弾圧など、憲法19条、21条で保障された思想・信条、表現の自由は、事実上制限されている。
まさに《貧困と戦争とのたたかい》とは、こうした事実上の戒厳状態=「憲法の停止」という事態に対するたたかいなのである。憲法で保障された諸権利はたんに上から与えられたものではない。日本の労働者階級人民は、戦後60有余年にわたる営々たる闘争によって、憲法の条文の一つ一つに生命を吹き込んできた。まさに実力で支配階級から生きる権利を奪い取ってきたのである。したがって改憲をめぐる政治決戦は、文字通り労働者階級人民の生存をかけた決戦として発展せざるをえないのである。トヨタの奥田やキヤノンの御手洗など日帝ブルジョアジーは、このことをあまりにも軽視している。
改憲阻止決戦がこのような性格を持っているからこそ、われわれは憲法闘争における「護憲」という契機を重視しなければならない。労働者階級人民のたたかいは、それが大衆的に発展すればするほど、現憲法で保障された諸権利の正否をめぐって政治闘争化せざるをえない。つまり「護憲」というスローガンの中には、労働者階級人民の生存がかかっているのである。だからこそ、そこには現体制そのものを根底から変革するようなエネルギーが秘められているのだ。このことをしっかりと押さえて、改憲阻止の大統一戦線の形成に向けて大胆に踏み出していこう。
 
・9条改憲を阻止し、日米軍事同盟を粉砕しよう
憲法9条をめぐるたたかいの重要性は、9・11以降、飛躍的に高まっている。9条改憲論の多くは「集団的自衛権」を「国家の固有の権利である」として、それを行使することは主権国家としては当然のことであると主張している。しかし、この論議は根本的に間違っている。なぜなら、アフガニスタンやイラクに対する米帝の武力行使は、国連憲章にうたわれた「集団的自衛権」とは全く性格を異にするものだからである。それは01年にうちだされた「ブッシュ・ドクトリン」を根拠にしたものであり、その内容は「米帝が脅威を感じたら先制攻撃を行う権利を有する」という先制攻撃戦略そのものなのである。だからイラクに大量破壊兵器が存在しているのかどうかにかかわりなく、武力行使が正当化されるのである。問題はこうした米帝の戦争に日帝が積極的かつ全面的に(すなわち一切の制約もなく)参戦しようとしていることである。それが9条改憲の真の狙いである。われわれはたたかうイラク、アフガニスタン、中東・ムスリム人民との国際主義的連帯をかけて9条改憲を阻止し、日米軍事同盟を粉砕しなくてはならない。
改憲阻止闘争の本格的な発展にとっていまひとつの重要な柱は、新自由主義政策と日米の軍事一体化のもとで台頭するナショナリズムと断固対決し、民族排外主義や差別主義の扇動を打ち破るたたかいである。在日朝鮮人・中国人に対する排外主義的襲撃と断固として対決し、部落差別、女性差別、「障害者」差別など、あらゆる社会的差別を許さないたたかいを強力に推進しよう。このたたかいの大衆的発展と結合したとき改憲阻止闘争は、日本の労働者階級人民が全世界のプロレタリアート人民の《貧困と戦争とのたたかい》と合流する、巨大な水路を形成するであろう。
 
〔3〕結語・新たな共産主義運動の創造をめざして・
 
世界恐慌情勢の下で、搾取と収奪、抑圧と差別の廃絶を求めて拡大する《貧困と戦争とのたたかい》は、新たな共同社会の産み出そうとする世界史的な胎動である。革命的共産主義者は、いまから20年前のソ連・東欧スターリン主義体制の崩壊が「第二革命」に転化するのではなく、グローバリゼーションという資本の新たな運動の下に基本的に包摂されていったことを主体的に総括しなければならない。
すべての同志諸君! たたかう仲間の皆さん! スターリン主義をのりこえる新しい共産主義運動のビジョンを実践的たたかいの中で獲得し、最後の階級社会=資本主義社会を根底的に転覆する世界革命の勝利に向かって進撃しよう!
(展望4号掲載)