二 破防法公判にあたって・意見表明
 
 本多書記長ら五名への破防法発動がなされて一年三ヵ月後の七〇年七月二〇日に、第一回公判が東京地裁で開催された。本稿は、その折、冒頭陳述にさきだっておこなわれた(公判開始にあたっての)意見表明である。冒頭の「われわれは許しを求めて法廷にやってきたのではない。……世界革命の実践的な伝道者として法廷にやってきた」という宣言をはじめ、以後一〇年を越す破防法裁判闘争全体をつらぬく基本姿勢、主要な論点がここに明確に開陳されている。
 
 
 はじめに
 一 破防法裁判の重大性について
 二 統一公判の不可避性について
 三 破防法裁判にのぞむ基本的態度について
 
 
 はじめに
 
 われわれは階級闘争の敗北者、犠牲者として許しを求めて法廷にやってきたのではない。日本帝国主義のアジア侵略と、そのための城内平和と国民総動員体制の道にたいする告発者として、沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒、日帝のアジア侵略を内乱へ!のスローガンのもとに決起した労働者人民の闘争の宣言者として、したがってまた、現代世界の根底的変革をめざす、反帝国主義・反スターリン主義世界革命の実践的な伝道者として法廷にやってきた。このことをまず最初にもうしあげたい。
 結論的にいうならば、七〇年代日本階級闘争の爆発と日本革命の勝利は不可避である。佐藤政府は、昭和の大獄≠もって労働者人民の高まりゆく歴史的闘争を阻止しようと暴虐のかぎりをつくしている。しかし、その失敗は明白である。伝家の宝刀といわれた破防法の発動は、闘争を鎮圧する決め手になったどころか、かえって闘争を拡げ、深め、強める役割をはたしている。「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱へ」の革命的大路線を堅持し、十一月決戦と六月安保決戦の二つの勝利を正しく結びつけることに成功するならば、革命的左翼の勝利は確実であり、破防法弾圧の破産は明白であろう。
 
 破防法裁判の重大性について
 
(1) 本裁判の直接の争点。
 さて、本裁判の直接の争点は破防法の反動的、反人民的な本質と、それの今回の発動のもつ不法、不当性を徹底的に解明し、労働者人民の自己解放のたたかいにたいする日本帝国主義国家権力の破防法的弾圧がいかに無力であり、無意味であるか、を事実をもって確認することにある。
(2) そのためには、当然、以下の諸問題について具体的な解明がおこなわれなくてはならない。
 @ 法律の反動的、強権的な発動をもって社会的矛盾や政治的対立を処理しようとすることがいかに無意味であるか、の解明。
 A 破防法の反動的、反人民的な本質の解明。法イデオロギー的には、昭和憲法体系のもとでの破防法の非適合性の検討を含む。
 B 日本帝国主義と、その佐藤政府の安保・沖縄政策の危険な役割、とりわけ、アジア侵略にむかっての動向の批判的な解明。法イデオロギー的には安保条約および日米共同声明の違憲性の検討を含む。
 C 革命的共産主義の究極目標と、その過程的諸課題、日本革命の戦略戦術問題の解明。安保・沖縄闘争の正当性と、その勝利の不可避性の解明。
 D 破防法の今回の発動の不法、不当な役割の具体的な解明。
(3)本裁判の政治的、社会的、歴史的な意義。
 @ 世界プロレタリアートの人間解放のたたかい、すなわち反帝国主義・反スターリン主義の世界革命と、その有機的構成部分としての「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」、「日帝のアジア侵略を内乱へ」の革命闘争の爆発の不可避性と、日本革命の勝利の展望を確固として証明する民衆の審判の場となるであろう。換言すれば、本法廷の真実の当事者は、革命と反革命以外のなにものでもない。
 A 在日アジア人民にたいする出入国管理体制、部落民衆にたいする差別と抑圧の体系、沖縄県民にたいする分離支配と、そのペテン的返還策動の強制、プロレタリアート人民にたいする搾 取と収奪の政策、たたかう人民にたいする暴虐と報復の攻撃etc、日本帝国主義のいっさいの非人間的、反人民的な行為を非妥協的に糾弾する民衆の告発の場となるであろう。換言すれば、本法廷の真実の当事者は人間解放の自由を求めるもの、それを抑圧しょうとするもの以外のなにものでもない。
 B 憲法体系に背反した破防法の存在と、その不当、不法な発動、すなわち破防法を頂点とする集会、結社、表現の自由にたいする侵害の体系、警察国家へのとめどなき進行にたいする弾劾、プロレタリアートの抵抗権、革命権を積極的に主張する民衆の自由防衛の場となるであろう。換言すれば、本法廷の真実の当事者は、法の名のもとに「無法」の支配をおこなうものと、それに抵抗するもの以外のなにものでもない。
 C 総じていうならば、好むと好まざるとにかかわらず、本公判は、日本帝国主義のアジア侵略と、そのための国内支配体制の反動的暗黒化の道を許すのか、それとも、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」、「日帝のアジア侵略を内乱へ」に転化する闘争をとおして日本労働者人民の未来をきりひらくのか、という歴史的選択を問うものとなるであろう。それは被告人の政治的恣意にもとづくものでなく、政治的主張を刑事法の強権的発動をもって処理しようとする警察当局、検察当局の時代錯誤的な態度から必然的に起因していることに注意を喚起する。
 
 二 統一公判の不可避性について
 
(1) 統一公判はなぜ必要であるか。
 @ 関連事件の併合の一般的な利点。(@)証拠調べの重複を避けうるという立証の便宜、(A)訴訟関係人の主張、立証努力が集中的におこなわれる。真相究明に役立つ、(B)裁判所の事実的、法律的判断が統一され、量刑の均衡が保たれる。etc A本事件の適正な判断のための不可欠の措置。被告人としての積極的な主張をさておくとしても、国家権力の弾圧の施策、性格からしても統一公判は当然の措置である。すなわち、(@)破防法の今回の発動が四・二八沖縄奪還闘争への先制弾圧、事後報復としておこなわれたこと、(A)起訴状の構成そのものが統一を「要求」していること、(B)したがって、四・二八沖縄奪還闘争と、それにたいする弾圧の全体像を解明することによって、本件の関連性と区別性がくもりなく確定される。
 B にもかかわらず、検事側はなぜ分離公判を希望するのか。(@)それは、事件の全体像が構成されるならば、破防法発動の不法、不当性が白日のもとに暴露されること、(A)そのため、検事側は、あらかじめ分離にしたうえで、全体と部分との関係を勝手に切りはなしたり、結びつけたりして、裁判を階級的報復と治安弾圧手段としての役割に純化しようとしている。
 C いいかえれば、検事側の統一公判反対、分離公判希望という態度そのものが、起訴要件の崩壊を意味している。
(2) 統一公判にたいする裁判所の態度の誤り。
 @ 分離公判の理由。(@)裁判官の認識能力の限界、(A)法廷秩序の維持、(B)長期化etc。
 A 事実はどうか。(@)被告人の顔もみず声もきかずに判決がおこなわれたこと、(A)多少の混乱≠おそれて、そのかわり欠席判決≠ニいう異常な混乱≠ェ選択されたこと、(B)すくなくとも四・二八沖縄奪還闘争の統一公判希望者は一〇〇人以下であり、さほど困難ではない、(C)しかも小長井弁護人から、折衝過程で「成田方式」などの具体的提案がおこなわれたにもかかわらず、一方的に検討を拒否したこと、(D)長期化にかんしていえば、メーデー分離公判は長期化し、六〇年安保の統一公判は早期に結審したという事実、(E)しかも重要なことには、十一・七沖縄闘争裁判においては、凶器準備集合の時期にかんして同一裁判所で二つの相違した判断が前後して出ており、被告人の不利益が生じていること。
 B 弁護人との準備折衝を一方的にうち切り、弁護権の重大な侵害をおこなっておきながら、それでなお被告人にたいし裁判所への信頼を要請するのは無法であるというほかはない。
(3) 公正な裁判のためには統一公判は不可避である。
 @ 裁判所は被告人への政治的予断を確固として排除し、被告人の人権保護というブルジョア法体系のいちおうの原則を回復すべきである。
 A 統一公判の実現、すくなくとも、そこにむかっての誠実な努力の追求こそが、被告人と裁判所との「異常な関係」を解除し、裁判を一定の軌道にのせる前提である。
 B しかし、もしも、このような正当な要望を無視し、そのための努力すらなされないとするならば、被告人の利益がいちじるしく制限を受けるという問題が生じるのみならず、それによっていっそう深刻な打撃を受けるのは、ほかならぬ裁判所であることを警告する。
 
 三 破防法裁判にのぞむ基本的態度について
 
(1) 法律にかんする革命的共産主義者の原則。
 @ 敗北者、犠牲者としてではなく、現代世界の告発者として、革命の実践者として法廷にたつこと。もとより私は一個の共産主義者として幾多の弱点をもつことを否定しない。しかし、破防法被告としての経験を、革命家としての成長の試練として積極的に受けとめ、他の四名の同志とともに固く団結してたたかうことを宣言する。
A 革命的共産主義者は、法律を行動の規範としない。帝国主義の搾取と抑圧の支配機構ならびに、世界革命のスターリン主義的歪曲にたいする、人間の自由をめざすたたかいから出発する。
 通俗的な具体的一例をあげるならば、すぐる第二次世界大戦、その一環としての太平洋戦争にたいする態度を決定するにあたって、治安維持法などの法規範の順守から出発せず、まず、人間としての、階級的被抑圧者としての、自己解放者としての、真実のこえに耳を傾けることから出発する、ということである。もしも、この人間的な生き方と、法律とのあいだに衝突が生ずるならば、それは法律の側で修正されることをもって解決されなくてはならない。
B しかし、以上は、革命的共産主義者が法律を無視することを意味しない。それどころか、われわれは法律ならびにその運用にかんして重大な関心をもつ。なぜならば、法律、すなわち憲法を基本とするブルジョア法体系は、支配階級の統治の規範を示すものであるからである。もとより法規範は、それ自体として決定的な矛盾を有しているが、いまここではそれを問題としない。しかし、いまとくに注意を喚起しておく必要のあることは、憲法ならびに、それにもとづく法体系の順守の義務は、まずもって支配階級、統治者の側にある、という事実である。しかるに、もしも政府と、その統治の諸機構が、その基本政策において法規範の逸脱をくりかえしたとするならば、民衆にむかって法の順守を要求する権利は、いったいどこに存在するのか。まさに、このような法破壊、法逸脱のもっとも露骨な政策体系こそ、安保・沖縄政策であり、自衛隊の存在であり、破防法を頂点とする治安弾圧の現実である。そして、このような現実があるかぎり、ブルジョア法規範的にいっても、労働者人民のたたかいが法を超えて進むのは理の当然である。
(2) 裁判の位置と役割について。
 @ 裁判所は、けっして社会の共同利害を審理し裁定していく機関ではない。それどころか、支配階級の特殊利害と、それにもとづく社会秩序の破綻にたいする国家権力の強制措置の過程を、社会の幻想的な「一般利害」として法規範を整合し、調整していく方向に追認していく機関である。それゆえ、それは、現実には、帝国主義の支配を前提とし、そのもとに、法的特殊性において、支配階級の利益を貫徹していく過程にほかならない。
 A もちろん、個々の裁判官が、すくなくとも私観的に支配階級の番人たらんとしていると速断することは適切ではないかもしれない。しかし、法秩序なるものを絶対規範に祭りあげることをとおして、法律を根底的に規定している支配階級の利害に自己の役割を集約していく構造に無知であってはならない。ナチスの暴虐も、スターリンのモスクワ裁判も、そのかぎりでいえば、合法的行為である。にもかかわらず、人類は、これらを歴史の犯罪として鋭く糾弾している。裁判官は、法至上の美名にかくれて、この歴史的教訓から目をそらしてはならない。
 B われわれは、裁判という制約のもとではあっても、法廷を真実追究の場に転化すべく徹底してたたかう。革命的共産主義者にとって真実こそ勝利の武器である。
(3) 究極の審判官は人民である。
 @ 破防法弾圧は、われわれ被告のみならず、全人民にむけられた攻撃である。それゆえ、破防法との闘争は、全人民の共同の課題でなくてはならない。
A また、破防法裁判を支え、その勝利を保障するものは、獄中、獄外を一体として結合した人民の闘争。
B しかし、破防法にたいする最後の回答は、革命を立派になしとげることである。そのためには、日本帝国主義国家権力の破防法弾圧体制を断固として解体し、七〇年代日本階級闘争の内乱的死闘にかちぬき、日本の労働者階級と人民大衆を日本革命の大路線のもとに圧倒的な決起、をかちとっていくことが必要である。そのとき、われわれは破防法に本当に勝利したことになる。
       (『破防法研究』第七号一九七〇年八月に掲載)