六 佐世保と七〇年闘争
     息もつかせず七〇年へつき進もう
 
 六七年十・八羽田闘争によって突破口をひらかれた七〇年安保闘争は、それにつづく六八年の連続的実力決起、佐世保――王子――三里塚とつづくいわゆる激動の七ヵ月″のたたかいによって、真にその地平をうち固められたといってよい。二つの羽田闘争のあと、密集せる反革命の重包囲、破防法恫喝のもとで革共同――中核派がいかなるたたかいにうって出るかは、まさしく全社会、全階級のひとしく注目するところであった。六八年冒頭の佐世保闘争こそ、その鮮やかな回答であり、革共同――中核派の声望をいっきょに高め拡大したたたかいである。本多書記長のこの論文は、七〇年闘争にとっての佐世保闘争勝利の意義を明確にし、国際階級闘争におけるわが革共同、全学連・反戦青年委員会の革命的主導的位置を鮮明に示すことによって、六八――七〇年への全党的決起を方向づけたものである。
 
 
 きりひらかれた七〇年闘争の革命的展望/国際階級闘争の激動的結節点/密集した強力な反革命とのたたかい
 
 
 羽田から佐世保にむかって重い歴史のうねりをみせた日本階級闘争は、エンタープライズ寄港をもって日本の参戦国化と核武装の道への国民的合意を求め、あわせて、これに抵抗する全学連およびわが同盟への全面的な破防法攻撃を加えようとした日米帝国主義の反動的策動にたいして全人民的決起をもってする一大痛打を加えたばかりでなく、いままた、反合理化・大幅賃上げの実力春闘、日本の侵略基地化に反対する三里塚、王子野戦のたたかい、反動と植民地主義の攻撃にたいする教育三法改悪阻止闘争の戦闘的爆発にむかって、巨大なる前進を開始した。
 これらの闘争の一つひとつは、労働者人民の死活をかけた血みどろのたたかいであり、また、それゆえにこそ、死活をかけた決意をもつものによってのみ、その血路はきりひらかれてきたのであった。だが、七〇年安保闘争への射程においてこれらの諸闘争を把えかえすならば、それは最初の衝突を示す以外のなにものでもない。われわれは、七〇年にむかっての日本階級闘争の血みどろの高まりのなかで、六八年初頭のたたかいよりも数十倍も数百倍も困難な課題に直面するであろうし、また、それゆえにこそ、死力をかたむけてその困難をのりこえることをとおして数十倍も数百倍も巨大なたたかいのうねりを創りあげていくことができるであろう。まさに、七〇年への道はわれわれにとって、ひとときも息をぬくことは許されぬ死活をかけた血みどろの死闘の日々を、佐世保闘争をきりひらいた不屈の革命的献身性と組織的規律性、それを基礎づけた革命的変革の意志とをもって、一つひとつ勝ちぬいていく苦闘の過程となるであろう。
 
 きりひらかれた七〇年闘争の革命的展望
 
 佐世保闘争をもって血路をひらいた六七年初頭のたたかいの第一の意義は、参戦国化と核武装の道・七〇年安保再改定にたいする全人民的決起=七〇年闘争の革命的爆発への展望が確信もあらたにきりひらかれた点にある。
 もともと、エンタープライズの佐世保寄港は、ベトナム人民の英雄的抵抗闘争で窮地にたったアメリカ帝国主義が、アジアにおける半植民地=後進国支配体制の動揺を軍事的=暴力的に再編成するために、その決定的支柱として日本帝国主義をベトナム参戦国化と核武装の道により強力に包摂しようとしたものであり、また同時に、戦争と侵略の道に照応した反動と暗黒政治の道を凶暴に準備しようとするきわめて重大な反動攻撃であった。だが昨年十二月下旬に全学連主流派全国大会を招集した中核派を先頭とする学生たちは、いちはやく「佐世保を第三の羽田とせよ」との英雄的スローガンを提起し、国家権力の二重、三重の弾圧体制を突破して佐世保闘争の全人民的決起の血路をきりひらき、かくして日米帝国主義の強盗的野望に深刻なる手傷をおわせたのであった。
 羽田闘争の際には、もっぱら反戦青年委員会の段階にとどまっていた労働者階級本隊の動員が、佐世保では総評系、中立系、同盟系各労組の組織動員に発展したばかりでなく、一握りの自民党反動勢力をのぞく全政治潮流の総決起がまき起こるなかで、巨万の佐世保市民が全学連のたたかいへの関心と支持、佐藤政府と警官隊への抗議と怒りの意志を表明し、全学連のデモへの熱烈な加勢、参加を実現していったのであり、また、労働者部隊と全学連との連帯と合流のたたかいが、さまざまな創意的形態をもって発展していったのであった。全学連にたいして加えられた残忍きわまる血の弾圧は、逆に労働者人民の反戦・反権力の闘志を大火のごとくもえあがらせ、局地的な全人民的総決起を現出せしめた。まさにそれは、日本の労働者階級=人民大衆の深部に累積する反逆の契機を示す氷山の一角であり、それゆえにこそ、全国の労働者人民のこころのうちに強烈な感動をもって受けとめられていったのである。一月二一日全学連との連帯をかちとって佐世保橋上でたたかった反戦青年委員会を先頭とした組織労働者、全学連に血の弾圧を加える警官隊にたいし抗議し石を握りしめた市民たち――、これこそ七〇年にむかって「ヒドラのごとく変りゆく」日本労働者人民の姿を今日的に示すものでなくてなんであろうか。
 
 国際階級闘争の激動的結節点
 
 佐世保闘争をもって血路をひらいた六八年初頭のたたかいの第二の意義は、帝国主義の戦後世界体制の根底的動揺と、そのもとにおける日本帝国主義の体制的危機の複合的深化のなかで、七〇年安保闘争か、疑いもなく、国際階級闘争の激動的結節点となるであろうことを予知せしめている点である。
 周知のように、ベトナム侵略戦争は、アメリカ帝国主義を専制君主とする帝国主義戦後世界体制の矛盾の爆発点をなすものであるが、それは同時に、より破局的な矛盾の爆発にむかっての導火線としての位置を強めている。ポンド切り下げとして発現した戦後通貨体制の矛盾は、西ドイツ、フランス、イタリア、日本など二流帝国主義の命運のうえにより深刻な没落の影をなげかけながらも、基軸国をなすアメリカ帝国主義のうえにその矛盾を集約しはじめている。六五年春以来のアメリカ経済の景気後退を政策的に回避させてきたベトナム戦費を中心とする軍事支出の膨張は、ドル危機の深化のなかで国際通貨体制の構造的な危機に転化している。しかも、ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の軍事的政治的危機は、アメリカ帝国主義の国際的地位の動揺をより絶望的なものにしている。危機に立つアメリカ帝国主義は朝鮮半島におけるあらたな戦争挑発をはじめさまざまな策動をくりかえしながら、ますますアジア支配体制の動揺を深めている。こうしたアジア情勢の進展のなかで、一部の人びとのあいだで「ベトナム人民の独自の武力解放闘争の勝利」の可能性が論じられはじめているが、それは、日共の「ベトナム支援論」と同根の誤りであるといわねばならない。現にアメリカ帝国主義は、テト大反攻で深刻な痛打をうけたとはいえ、世界最大最強の帝国主義として、より残忍で、より徹底的な皆殺し戦争の準備を強めはじめているのであり、安易な展望をもつことは断じて許されない。いわんや、この攻撃のまえにひとりベトナム人民のみを立ちむかわせるということは、国際主義の放棄以外のなにものでもないのである。
 危機に立つアメリカ帝国主義はアジア半植民地=後進国支配体制の動揺をまきかえすために、アジア太平洋地域諸国の軍事的=反動的再編成をおしすすめ、その決定的支柱として日米安保同盟のより強盗的な強化をかちとろうとしている。一方、日本帝国主義もまたアメリカ、日本など先進国市場の再分割、およびアジア支配権の再分割をめぐってアメリカとのあいだに先鋭な矛盾をうみだしながらも、独自に世界政策を展開する能力を歴史的に喪失しているため、自己のアジア政策を、アメリカ帝国主義の世界政策を前提とし、その傘のうちに同盟するという方策しかとることができないのである。したがって、ベトナム危機は、日米安保同盟を媒介として、好むと好まざるとにかかわらず、日本危機に転移せざるをえないのであり、ベトナム危機は不可避的に世界反動の決定的支柱としての日米安保同盟の位置を鋭く照らし出さずにはおかないのである。
 まさに、ベトナム反戦闘争の基本的発展方向は、ベトナム人民の英雄的抵抗闘争と呼応した、日本労働者人民の日米安保同盟粉砕――日本帝国主義打倒のたたかいとして明確に設定されねばならないのであり、まさに、このような方向を具体的に媒介するものこそ「参戦国化と核武装の道、七〇年安保再改定」にたいする全人民的決起=七〇年闘争の革命的爆発であるといわねばならない。それは、世界危機を日本危機に集約するものとして、アジアと欧米のプロレタリア階級闘争を結節する決定的環をなしているのである。
 
 密集した強力な反革命とのたたかい
 
 佐世保闘争をもって血路をひらいた六八年初頭のたたかいの第三の意義は、密集した強力な反革命をうみだし、その敵をうちたおすことをとおしてはじめて七〇年闘争の勝利の道はきりひらかれることを階級的経験をもって確認した点にある。
 すでにのべたように、七〇年安保闘争が「参戦国化と核武装の道・七〇年安保再改定」実力阻止、世界反動の決定的支柱としての日米安保同盟粉砕――日本帝国主義打倒のたたかいとして発展せざるをえない以上、その爆発は不可避的に、アメリカ帝国主義のアジア支配体制の決定的な動揺と、日本帝国主義の「世界」政策の破局とを意味せざるをえない。したがって、日米帝国主義が、帝国主義としての自己の命運をかけた凶暴な階級的弾圧をもって、安保再改定に反対する全人民的決起に臨んでくるであろうことは、まったく疑う余地がないのである。
 もちろん、いわゆる多党化状況として現象した伝統的な議会内秩序の構造的動揺と、自民党内の主流・反主流のあいだの対立・分解の深化は、相互に複合的な発展をみせながら、きわめて錯綜した政局をもたらすことになるであろう。もしわれわれが、小選挙区制の攻撃を阻止し、七〇年の彼岸におしやることに成功するならば、七〇年安保闘争をむかえる議会内秩序は、六〇年以上に可変的で流動的なものとなるであろう。このような事情は、闘争の結着があたかも議会内勢力配置によって決せられるかのような幻想をうみだしがちであるが、事実はまったく逆であって、われわれは、議会内の勢力配置を正しく評価し、適切なる処置をとりながらも、反動の主勢力が議会内秩序を超えて労働者階級=人民大衆のうえに直接に襲いかかってくる危険について真剣な検討を開始しなければならない。
 帝国主義者は、労働者人民の抵抗が強力であればあるほど、伝統的政治支配構造の動揺が深まれば深まるほど、階級的至上命令にかけて凶暴なる弾圧と攻撃をしかけてくるであろう。警察権力の弾圧、ファシスト的傭兵の動員、破防法をテコとした集会・出版・結社の禁止、自衛隊の治安出動など、ありとあらゆる反動攻撃が準備されていることについてけっして過小評価してはならない。七〇年闘争の激突は必至である。日米帝国主義のアジア支配政策、日本の参戦国化と核武装=沖縄の永久核基地化の道・七〇年安保再改定の成否をめぐって階級と階級との血みどろの政治決戦が展開されようというのである。中途半端な解決の道がありえようはずがないのである。
 われわれは、日本帝国主義の凶暴きわまる弾圧を断じて恐れることなく、むしろ、こうした弾圧を闘争の勝利の不可避の与件として把えかえしていく大胆な戦略的展望をもって前進していかねばならない。力では断じて民衆を支配することはできない。参戦国化と核武装=沖縄の永久核基地化に反対する日本労働者人民のたたかいを国家権力の弾圧で押えつづけることはできない。われわれは、労働者人民の中核部隊をもって情勢を一点的に突破しつつ、このもとに全体を吸引し、逆に、全人民的決起をもって敵を包囲し、敵を混乱させ、敵を分解させ、敵を個別的にうち破って、正々堂々の進撃をすすめるであろう。
 佐世保闘争をもって血路をひらいた六八年初頭のたたかいの第四の意義は、日本共産党の恥ずべき反労働者的策動の度重なる破綻と社会党の深まりゆく動揺と混乱のなかで、革命的労働者党の創成を求める声と動きが、各戦線の内部で力強く胎動しはじめており、既成左翼政党、労働組合の内外で共産主義者の戦闘的統一にむかっての誠実な努力がはじめられようとしている点である。
 エンタープライズ寄港に反対する佐世保の激動の一週間は、日本帝国主義国家権力の反動的攻撃の破綻の劇的な一週間であったが、それは同時に、国家権力と相呼応して全学連のたたかいを背後から攻撃し、労働者部隊の戦闘化に一貫して妨害を加えた日本共産党の反労働者的制動装置のあまりにもみじめな破産の一週間であった。三里塚・芝山における日共の影響力の急速なる崩壊とならんで、七〇年安保闘争にむかっての日本共産党の命運の没落を鋭く示唆しているものといえよう。
 だが、佐世保をはじめとする日本階級闘争がつきだしたプロレタリア運動の危機は、日共の問題につきるものではなかった。それは、日本共産党の反労働者的策動とその醜悪なる破産を「反スターリン主義」の綱領的=組織論的観点から徹底的に検討する必要を広く提起すると同時に、日共の反労働者的制動装置の破産のなかで鋭角的に提起されてくる「社民的限界をどう突破するか」という労働者運動のもうひとつの課題をも実践的に提起したのである。
 たとえば、一月二一日の佐世保橋上において全学連と労働者部隊の大衆的=戦闘的合流がはじめてかちとられたあらたな情勢のなかで、社会党指導部は全学連にむかってプラカードを捨てろ、石を投げるな、と訴えたが、これにたいし、中核派を中心とする全学連の学生諸君は正しくもこれを拒否し、他方、解放派系の学生諸君は社会党指導部の訴えの忠実な行動隊として中核派にむかって団結するという構図を示したのであった。この構図は、学生運動における戦術問題にとどまらず、労働者運動の今後の前進にとって看過しえぬ綱領的=組織論的問題を今日的に予知せしめているのである。
 もちろんわれわれが、この構図の示す意味を単純なる反社民の例証にずらすことなく、また社民政治内の反中核派宣伝のネタに使おうとする邪悪な意図を許すことなく、日本階級闘争をともに前進させていくという共通の見地から具体的に検討していかねばならぬことはいうまでもない。だが、問題がそうであれはあるほど、社会党大会で五〇名を超える代議員から批判が集中した佐世保指導の問題にたいし、解放派が現実には誤った社民指導の実力的防衛隊として登場し、中核派の「団結」のまえに完敗したという事実は、たんなるエピソードに還元しえぬ重大な示唆をもたらしているのである。
 まさに、社民の問題は、戦闘的左翼諸潮流の理論と実践を厳しく点検せしめるリトマス試験紙である。機関紙や演説では口汚なく社民非難をおこないながら、実際には、労働者階級全体の利益をはなれて、自己の醜悪な党派的利害から社民との不誠実なナレ合いに終始するようなやり方では、労働者階級の本当の戦闘的前進をかちとることはできないし、また、社民的潮流内で苦闘している戦闘的同志たちとの共産主義者としての統一の努力を前進させることにならぬことを反省すべきであろう。われわれは、労働者階級本隊の戦闘的前進をかちとっていく立場から、ただその立場からのみ革命的左翼と社民との戦闘的統一戦線を徹底的に強化していくとともに、社民的潮流内で苦闘している戦闘的幹部とのあいだで革命的労働者党の創成にむかっての誠実な統一の努力をおしすすめていくであろう。
 同志諸君、七〇年安保闘争まで残された期日はほんのわずかである。情勢は待機するだけではけっして到来するものではない。
 羽田から佐世保への歴史の重きうねりにのって、春闘、三里塚、王子野戦、教育三法改悪阻止のたたかいを勝利的にたたかいぬき、息もつかせず一気に七〇年まで情勢を押しあげていこう。
 革命的献身性と組織的規律性を高度に発揮し、革命の現実性を媒介とした革命の理論をとぎあげ、もえる鉄の一団となって七〇年にむかって不敗の前進を開始しよう。
     (『前進』三七三号、一九六八年三月四日 に掲載)