五 帝国主義の重圧をはねかえし、巨大な進撃へ共同の決意を
 
 本稿は、六七年の第一次(十・八)、第二次(十一・一二)羽田闘争の直後、十一月二七日に開かれた東京品川公会堂での「革共同政策発表大演説会」(四〇〇〇名参加)における基調演説の要旨である。二つの羽田闘争がきりひらいた画期的な地平のなかで、七〇年安保闘争にむかって驀進する革共同と革命人民のまえにいかなる試練がまちうけているのか、革命党と人民は勝利のために いかにたたかい、いかに生きるべきなのか、たたかいの展望と激動期の生き方について力強く展開している。
 
 
 破防法攻撃はすでに始まった/ポンド切り下げと帝国主義の危機/レーニン主義と十月革命の教訓/全思想・全人格を賭け、革命へ
 
 
 非常な熱気と将来にたいする深い確信に導びかれて本集会は開かれておりますが、しかし、この会場の周囲には敵権力の厳しい憎悪に満ちた監視の網が張られております。その背後でわれわれの運動を根底からたたきつぶすためのありとあらゆる弾圧の準備がおこなわれております。そのなかでわれわれがこの集会をもっているということを、まずはっきり確認したいと思います。
 われわれは弁士と聴衆といったような関係にかりそめにも立つことはできない。本集会は、十月八日、十一月一二日の羽田闘争を頂点とする十月、十一月闘争をたたかいぬいた労働者、学生、市民、知識人、農民の皆さん、そしてわれわれ革命的共産主義者同盟が、ともにこのたたかいをたたかいぬいたものとして、そしてまた七〇年安保再改定を阻止する方向にむかって、かつまた、日本の革命を突破口に、全世界の帝国主義者とスターリン主義者を打倒する巨大な進撃にむかって共同の決意を固める場でなければならない。
 ご存知のように、羽田闘争にたいし官憲によるありとあらゆる刑事弾圧がおこなわれています。多くの同志は今なお警視庁その他のブタ箱にたたきこまれておりますし、またあのたたかいのなかで傷つき、今なお病床にいる多くの同志たちがおります。敵権力は同志山崎の命を奪ったばかりでなく、多くの同志たちを打ち、たたき、血の弾圧を加えてきたが、しかし、われわれは逆に権力によって流された血をもって歴史に革命の一歩をきざみつけたのであります。マスコミ、『赤旗』という名をつけた新聞までがありとあらゆる誹謗と罵倒を投げつけていますけれども、しかしわれわれが血でもって歴史にきざみつけたこの真実を墨によって消すことはできない、このことをはっきりと宣言しようではないか。しかし敵権力による攻撃は直接の刑事弾圧、警棒を頭上にふりおろすという攻撃だけではありません。もっと陰険で、もっと危険で、もっとむごたらしく、もっと非人間的な攻撃がわれわれの周囲にひしひしと迫ってきております。それはいうまでもなく破壊活動防止法をわれわれにたいして適用せんとする攻撃です。
 
破防法攻撃はすでに始まった
 
 しかしながら問題をただ単に、この破防法の三つの罰則がわれわれにたいして加えられるかどうか、という一点で考えるのはいささか危険です。そうではなく破防法の攻撃は、現に開始されています。破防法の基本的狙いは、われわれを導いている思想、それによって進められる運動のさまざまなあり方、どういう形たちで資金が集まってくるのか、どこでどのように方針がきまるのか、どのように大衆に伝えられていくのか、そういう一つひとつの運動のやり方を徹底的に調べ上げることはもちろんのこと、個人の朝から晩までのあらゆる行動を監視し、生活の仕方、あるいは個人的な弱点まであらいざらい調べあげる。そしてわれわれのなかに一つでも弱点があればそこを徹底的にきり崩してわれわれの運動を破壊する、という性格をもっている、そういう種類の弾圧であるということをはっきりと見ておかなければなりません。
 破防法は一五年前、朝鮮戦争のさなかに日本共産党を組織的に破壊する目的をもって成立した法律であります。当時、共産党はいわゆる山村工作隊、いわゆる火炎ビン戦術、つまり農村を根拠地としてアメリカ帝国主義打倒、民族解放の軍事革命を達成する、というきわめておろかな方針のもとにたたかっておりました。このような日本共産党の極左冒険主義的な政策にたいして、これに挑発をかけ、これを組織的に壊滅させることをとおして、日本のありとあらゆる戦争反対の勢力、政府の反動政治に反対する一切合切の勢力を打倒し粉砕し、そして戦争と暗黒政治への道を驀進せんとするものが、この悪法の狙いであり、戦前における治安維持法、戦後占領下における団体等規制令をうけつぐ徹頭徹尾反動的な弾圧立法であります。
 ところがこのような弾圧立法にたいして日本共産党はどういう態度をとったのか。一九四九年(昭和二四年)の段階においては共産党は党員三〇万、国会議員三六人を有しておりました。ところが団規令、レッドパージ、六・六追放等々の過程をつうじて共産党は徹底的な組織的後退をつづけ、そしてそういう状態のなかで破防法の攻撃に直面したわけであります。国家権力が日本共産党を組織的に壊滅せんとするこの攻撃にたいし、五二年七月一五日に発表された日本共産党の三〇周年を記念する徳田球一書記長の論文において右翼的転換を宣言し、以後一五年間、日本共産党は一歩一歩後退し、権力がもはや破防法を適用する必要のないところまでみずからの手で無力な存在にしてしまったのであります。日本共産党にたいして破防法がこんにち適用されていないのは、たしかに日本のあらゆる民主勢力、反戦勢力がこの弾圧法に反対してたたかった、ということによって支えられていることは一つの事実でありますが、同時にこのような後退によって別な側面が示されている。
 われわれは破防法と日本共産党とのあいだの、このような悲劇的な姿を再度繰り返すべきであろうか。われわれの十月、十一月のたたかいにたいして国家権力が、あたかも一五年前の日本共産党に襲いかかろうとしたときと同じ意気込みをもってわれわれのたたかいを壊滅させんとし、ベトナム侵略戦争に参戦する道を一路驀進しようとしているときに、このような破防法の脅迫に屈してふたたび権力のまえに屈服し、後退の道をつづけるべきであろうか。われわれ革命的共産主義者同盟は、まさに十月、十一月のたたかいを、敵の弾圧をこの肩のうえにうけてたたかいぬいたものとして、このような悲劇を断じて繰り返してはいけないと決意していることをここに宣言するものであります。
 われわれの十、十一月のたたかいは支配階級のベトナム参戦国化と核武装への道、七〇年安保再改定への痛打を与えたのであり、そしてこのたたかいが全学連のみの孤立した闘争ではなく、労働者階級、知識人、市民、農民の広い支持のもとにたたかいぬかれ、権力・マスコミによってありとあらゆる非難、中傷が加えられているにもかかわらず、この十、十一月闘争の真実が一つひとつ明らかにされていく過程で、たたかいを支持し、包んで、ともにたたかい抜こうとする力が日に日に強まっていること、そうしてまたこのたたかいのなかで、真にたたかうものとたたかわないものが、つまり口先で革命を唱えながら現実には革命に反対している人びと、そうではなしに本当に自分の生命と、自分の思想を賭けてこのたたかいを打ちかたんとしている人びと、これがまさに行動において判然と区別される情勢が生まれているのであります。このような状態がますます続いてゆけば、七〇年には帝国主義者の野望が人民の反撃のまえに一歩後退しなければならない、このような危険にたいする予防的な反革命の、反動の攻撃として、かれらのわれわれにたいする破防法適用の攻撃が現におこなわれようとしているのです。
 しかし同時に、破防法問題がこんにち提起されているのは、ただ単にわれわれの運動が前進しているという理由だけからではありません。たしかにわれわれのたたかいは、日に日に強まっておりますし、弾圧のなかでももっと巨大な力がわれわれを包もうとしています。しかしまだ資本家階級を打倒し、帝国主義者に死の宣告を与えるにはわれわれの力はきわめて弱いということを卒直に認めなければならない。にもかかわらず、なにゆえ帝国主義者は、われわれにこのような攻撃を挑んできているのか。それはほかならぬ帝国主義者が、みずからの政治的・経済的・社会的体制をいままでのやり方で維持していくことが大変困難になってきている、というもう一つの事情によって促進されているのであります。
 
 ポンド切り下げと帝国主義の危機
 
 ごく最近、ポンドの平価切り下げが問題になりました。こんにちでは一四・三%切り下げることによって戦後確立してきたドル・ポンド体制は一応その危機を脱した、ということを新聞その他は報じています。しかしながら、われわれが事実についてつっこんで見るならば、けっしてこれによってポンドの危機は回避することはできなかった。それどころかこのポンドの平価切り下げによって、さらに現在の国際通貨の基軸をなしているドルが深刻な動揺をうけていることを示しています。戦前、二九年恐慌によってひきおこされた帝国主義の苦痛、世界経済のブロック化というかたちをとってあらわれた帝国主義経済の苦悶は、戦後、ドルの圧倒的支配によってあたかも回避されたかのような姿を二〇年間とってきた。もはや帝国主義はかつての矛盾をくりかえすことはない、資本主義は恐慌なき永遠の繁栄を続けるのだということがつい先日まで多く語られてきた。しかし現実はどうか、もはやポンドの危機というかたちをとって、そしてドルにたいする危機というかたちをとって、このような戦後確立した帝国主義の世界体制、ドル・ポンド体制が深刻な動揺を示しはじめている。これがこんにちの現実の姿です。こうした帝国主義世界体制の危機の頂点をなしているのが、ほかならぬベトナム侵略戦争なのであります。二〇年間つづいた帝国主義者にとっての平和の時代、そのもとにおける階級闘争の平和的発展の時代にかわって、帝国主義にとってはなはだしい危機の時代が、階級闘争の生きるか死ぬかの決戦の時代が日に日に迫っている、かような情勢のもとにこんにちわれわれは立っています。
 このような世界的危機のなかで、日本の帝国主義も同じくまた、深刻な状況にあります。六二年以来つづいてきたいわゆる日本の帝国主義の経済的危機なるものは、公債経済と対米貿易によって一応回避されたかの姿をとっております。しかしながら、独占を救済するためのさまざまな財政金融政策の展開、そして資本の集中・整理・合併、労働者にたいする支配の強化、かつまた対米輸出と東南アジアにたいする新植民地主義的侵略という、独占を救済するためのありとあらゆる政策が展開されているにもかかわらず、現実には日本帝国主義の経済的危機がなにひとつ回避されないこと、帝国主義の危機の最沫の原因をなしているところの資本の過剰がなにひとつ解決されていないことが日に日に明らかにされている。そうしたなかで日本帝国主義はつい先日、公債を減額するということを宣言したにもかかわらず、ふたたび公債経済と軍事経済の道にむかって、驀進しなければみずからの危機を回避することはできない、かような政治情勢のなかに日本は突入しようとしているのであります。
 日本のこんにちの情勢は、一見きわめて平和的に、一見非常に安定しているかに見えます。ある人びとはわれわれの十、十一月闘争について「君たちの気持は良くわかるが、今の日本はマイホーム主義が蔓延し、大衆社会的な状態であって、君たちの行動には無理があるのではないか。多くの日本人は君たちのたたかいにチグハグな感じを抱くのではないか」と善意の忠告をしてくれました。しかし、私たち革命的共産主義者同盟は昨年の三回大会以来、こんにちの世界と日本の情勢はけっしてかようなものではないことを宣言し、そして昨今の事態のなかでこの確信をますます堅くしているのであります。たしかに依然としてマイホーム主義などがはびこっているかもしれない。しかしこれは、情勢の危機をとらえられないプロレタリアートのイデオロギー的危機を示す以外のなにものでもないのであって、このようなマイホーム主義を支えていた現実の資本主義の条件そのものが、こんにちつきくずされている、これが情勢の特徴点を示すものであります。
 そしてこんにちにおいては、帝国主義の危機を脱出するための経済政策そのものがあらゆるところで破綻を示している。都市問題、農村問題、物価問題等々として、帝国主義の危機を回避するための政策が一つひとつ破綻し、また労働者階級にたいする支配の政策がくずれ始めているというのがこんにちの情勢です。その社会的矛盾の爆発の一つひとつを結びつけて、この矛盾の根拠をなす日本の帝国主義を打倒する方向にむかって、日本の労働者階級と革命的勢力が一大進撃をなしうるかどうか、ここにこんにちの情勢の推移のいっさいが握られていること、まさに十、十一月闘争のなかできりひらかれたこの方向を、破防法攻撃にもかかわらず、さらに巨大な一歩を前に進めることができるかどうか、このことに日本の、世界の情勢のすべてがかけられていることをこんにちここに集まられたすべての諸君が深くとらえる必要があるのです。
 
レーニン主義と十月革命の教訓
 
 このときにあたり、五〇年前にロシアにおいて革命をきりひらいたレーニンとその党、ボルシェビキのたたかいから徹底的に学ばなければなりません。
 レーニンはロシア革命の経験を総括し、ヨーロッパの共産主義者たちにむかって「いかにしてわれわれは勝利することができるか」ということをきわめて簡潔に述べた論文『共産主義における左翼小児病』のなかで、ロシアにおける革命の勝利を保障した一つの条件、ロシアの党の鉄の規律は何によって守られたか、ということをみずから問うて、こう答えています。それはロシアの党が、マルクス主義理論の強固な土台のうえに築かれたことを確認したうえに立って、まず第一に、ロシアのボルシェビキ党の一人ひとりが立派な革命的献身性、英雄主義を発揮してたたかいぬいたからだ、権力の攻撃に屈することなしに、ロシア・ボルシェビキの一人ひとりが全人格をかけてこのような攻撃に耐えぬいたからこそ、かれらはかちぬくことができたのだ、第二に、労働者階級の多面的な層のなかに、人民のあらゆる層のなかに入っていって、そこにとけこみ、場合によっては区別さえつかないところまで入っていけるだけの共産主義者としての熟達をもったからだ、第三にロシア・ボルシェビキが正しい政治方針、正しい戦略にもとづいてたたかいぬいたただ単に正しい方針をうちだしただけではなしに、巨万の大衆が経験をとおしてそれが正しいと確信するような指導をおこなう能力を、ロシアのボルシェビキが身につけていたからだ、このように言っています。
 この五〇年前のレーニンの簡潔にして、すぐれた教訓を、まさに平時の段階から激動の時代につきすすむべきわれわれが血のにじむ思いをもって確認し、そしてそれを日本の土壌のうえに真に根づかせていくために、ともにたたかいぬかなければならない。
 以上のうえに立って、まずつぎの点について確認をかちとることが必要です。
 危機の時代にあって勝利への道を進撃するためには、運動と組織を支える一人ひとりがマルクス主義の思想でしっかりと武装すること、反帝国主義・反スターリン主義の綱領的立場をこのような厳しい情勢のなかで、生きた綱領的立場として高め、成熟させ、進めていくなによりも必要だろうと思います。
 私たちは昨年の同盟第三回大会においてこんにちの世界が危機にむかって進んでいることをはっきり宣言し、そうであるとするならば、これはわれわれにとって由々しき重大な事態であることを決意しました。われわれはたしかに安保敗北以降、とくに六二年の三全総以後、長足の組織的前進をとげてきましたけれども、しかしわれわれの主体的到達点はまだまだ微弱なものです。
 われわれの歩みからすれば、情勢はもっともっと遅れてきてほしい、危機の時代はもっと遅くきてほしい、われわれがもっと強くなったところでそういう攻撃は加わってきてほしい、ということをわれわれのなかの多くの同志は考えていたかも知れない。しかし、われわれがどう考えようと、われわれの主体的力量にかかわりなく現実にこのような情勢がわれわれに近づいてきていること、この事実にふまえてわれわれは、逆にみずからを飛躍的に再武装するということによってこの情勢に立ちむかわなければならない。
 
 全思想・全人格を賭け、革命へ
 
 ある同志が私にむかって「たしかにわれわれは夏の暑さ、冬の寒さは厳しいということを確認してきた。しかし情勢が一歩一歩冬に近づいて、現実の寒さが近づいてみるとその確認もひとしお身にしみるものがある」といっておりましたが、まさにこんにちわれわれはかような情勢にむかって一歩一歩近づいている。現在われわれは、革命を遂行せんとする多くの同志たちに囲まれて、このような集会に参加している。しかしこの会場か一歩外へ出て現実の世界に入っていった時には、巨大な支配階級の重圧が立ちふさがっている。あるいはこの集会に参加された同志のところへ警察がやってきて、とやかく言うかも知れない。あるいは年若い同志には親が泣いて、運動をやめることを懇願するかも知れない。権力は正面から改めてくるだけではない。ありとあらゆる人間的弱さをついてくるだろう。そして、このような攻撃をはねのけ、決意をもってたたかいの戦列に参加してくれば、今度は正面から警棒がふりかざされ、われわれの生命が危険にさらされる。また、会社の首切りや組合からの処分問題も起こるであろう。こういうありとあらゆる敵権力の重圧のもとにあって、われわれはなおかつ勝利にむかって前進しなければならない。そういう重大な決意がわれわれに課せられている。われわれの全思想、全人格、全力量が問われている。われわれは一人ひとりの、われわれの組織のすべての力が、権力のまえに試練される。そういう状態のなかにわれわれは立っている。しかしわれわれはこのような試練に負けてはならない。
 われわれは資本主義社会を打倒して共産主義社会を実現せんとする決意に燃えてわれわれの運動を開始した。一〇年前に日本共産党を除名されても、「反革命」の汚名をかぶせられても、われわれのこの道こそ革命につうずる道であることを決意し、マルクス主義の思想と運動を今日的に再建することを決意してこのたたかいにたちあがった。一〇年たったこんにち、やっと権力から「やはりお前は危険なやつだ」と認知された。そうだからといってわれわれは後退することができるだろうか。われわれはこのような恫喝にたいしてけっして屈服することはできない。われわれの全思想、全人格、全力量をかけて、今こそわれわれの進めてきたたたかいをさらに一歩進め、継続させ、七〇年安保粉砕、革命の勝利にむかって前進しなければならない。
 ではわれわれは「オレは断じてまけないぞ」という決意だけあればいいのか。断じてそうではありません。今年の六・一五集会で私はこう申しました。共産党のように負けた戦いを勝ったといっていばっているのもまずいが、しかし運動は敗北をとおして前進するんだ、などとすましているわけにもいかない。このへんで緊褌(きんこん)一番、立ちあがって勝とうではないか、こう申しました。まさにこういうたたかいが十月、十一月のたたかいでわれわれの目のまえに要請されていた。さらにわれわれはエンタープライズのたたかいから、七〇年へのたたかいのなかで、一つひとつ要請されているのだ。本当に勝利していくためには、われわれはもっともっと政治的に熟達しなければならない。ブルジョア政治屋や小ざかしい小ブル政治家たちにたいして、正しい政治的能力を発揮し、これに勝利していくだけの政治的熟練を身につけることが重要であります。
 われわれは七〇年にむかってのたたかいのなかで安保、小選挙区、諸闘争の激発という基本的な戦術的展望を提起し、かつまた三〇年代における国際共産主義運動における二つの間違い、一方における社会ファシズム論、他方における人民戦線戦術の誤謬をはっきりのりこえ、本当の革命的統一戦線戦術を適用してたたかわなければならないことを強調し、このようなたたかいを進めてまいりました。
 これにたいし、たとえばカクマル派の諸君は、愚かしくも「中核派の連中は、良心的社会民主主義者と七〇年には統一戦線をくむ、といっている。しかし社民に良心的も非良心的もないのだ」などといってわれわれを批判したつもりでいます。われわれははっきりと答える。われわれは「良心的社民との統一戦線」などというおめでたい考えをいささかも抱いていない。そうではなしに、極悪非道の、まったく信ずることのできない社会民主主義者とでも、われわれは大胆に統一戦線を組んで七〇年にむかっての進撃を開始しようとしているのだ、と。
 まさに日本の労働者階級の本隊が社会民主主義者の指導のもとにこんにちある以上、革命的左翼が巨万の階級本隊と結びついていくためには、まったく信ずることのできない人びととのあいだにも大胆に統一戦線を組んでいくことがまったく必要であります。まだたたかいに立ちあがっていない巨万の民衆、巨大なプロレタリアートと人民大衆をたちあがらせ、七〇年安保闘争にむかって、かつまた革命の勝利の方向にむかって巨大な進撃を開始するためには、われわれはどんなことでもしたいと考えております。あるいはこのようなたたかいのなかで小ざかしい政治家たちによって小股すくいにあうかも知れない。しかしそれが恐いからといって一番安全な道を歩もうとはわれわれは断じて考えない。
 日本のプロレタリアート、人民大衆の本隊は、かならずや、みずからのうちにもっている革命的魂をもってわれわれとともにたたかいぬいていくだろうということを、この間の反戦青年委員会その他の活動で確信することができる。このような確信をさらに巨大なものとして七〇年へのたたかいを進めていきたい。このような決意をもっているからこそ、われわれはこのような戦術を進めていこうとしているのだ、ということを申しあげなければならない。
 レーニンは先はどの文章のなかで「政治は科学であり、技術であり、天から降ってきたものでもなく、手をこまねいてもらえるものでもない。もしプロレタリアートが、ブルジョアジーに勝利を収めたいと思うならば、かれらは自分たちのプロレタリアートの階級的政治家、しかもブルジョア的政治家におとらないような政治家をつくりあげていかなければならない」といっております。このような政治家にこの集会に参加された一人ひとりがみずからの試練にかけて成長しぬこうではないか。
 まさにわれわれは七〇年闘争を勝利的にたたかいぬくことをとおして、日本の資本家階扱がみずからの体制的危機を人民大衆にたいする犠牲の血みどろの転嫁として、戦争と暗黒政治の道へ一路驀進せんとしている時に、このような帝国主義者の基本的な政策をわれわれの力で押し返していくことができるならば、まさに日本におけるあらたな歴史、あらたな情勢はきりひらかれていくでありましょう。われわれは、七〇年安保へむけてのそういうたたかいを共同の決意をもってたたかいぬいてゆきたい。
 人類の歴史は、まさに打倒されんとする階級が、あらたに芽ばえあらたに登場してきた、そしてこの古き階級をうち倒さんとする階級にむかって、唯々諾々として政権を渡すなどという例をただの一つも持っておりません。きたるべきプロレタリア革命においても、ブルジョアジーはこの教訓を、けっして逸脱することはないでありましょう。
 われわれは革命の歴史を、光明面と暗黒面がしだいにうちかわっていく歴史としてではなく、まさに支配階級の搾取と暴虐の強まりにたいし、この状態にこれ以上屈服していくことができないという人民大衆の怒りがたたかいとなって爆発すること、そして、このたたかいの爆発にたいし支配階級は反革命の弾圧をもってわれわれに襲いかかってくるが、まさにこの強化され、密集した反革命をわれわれの手でうち破っていくということをとおしてはじめて、われわれは革命の勝利の道に進むことができる。
 一八四八年のフランスの階級闘争においてマルクスが教訓づけたこの歴史の教訓を、われわれがうけとめ、この日本で達成できるかどうか、強化され密集した反革命の反動の波を破ってわれわれが勝利的に前進することができるか、本当にわれわれが政治的な政党に成長することができるかどうかは、ここに結集された一人ひとりが共産主義者となり、思想的強靭さと政治的熟練をもった革命家となることができるかどうかにかかっています。 どうか諸君、一緒に前進し、断固として勝利の道を前進しようではありませんか。
     (『前進』三六一号、六七年十二月四日 に掲載)