三 日本共産党の卑劣な攻撃は何を告白しているか
わが革共同・中核派の台頭を軸とする日本階級闘争のあらたな激動的発展のなかで、日帝国家権力、カクマルとともに言いしれぬ危機意識を強めた日本共産党・官本指導部は、六七年四月の統一地方選――杉並選挙の過程をめぐってあからさまな反革共同攻撃にのりだしてきた。本稿は、そうした日共スターリニストの卑劣な策動の政治的・思想的根拠を白日のもとにあばきだし、反帝・反スターリン主義革命的左糞のたたかいの重大な意義を明らかにしたものである。
(一)
統一地方選挙を転機として、日本共産党は、いわゆるトロツキスト攻撃をふたたび強めはじめた。
すでに、統一地方選挙の直前、日本共産党は、「美濃部氏の知らぬ間に美濃部支持をうちだした」という妙な非難をくりかえしたばかりか、杉並区内に「トロツキスト北小路敏、長谷川英憲は日本共産党とは関係ありません」という笑止千万な号外を一〇万枚も撒き散らすなど、卑劣な反トロツキスト宣伝を展開した。
選挙中は当然のこと、選挙後もますますわが同盟にたいする攻撃を強めている。すなわち、かれらは『赤旗』紙上に「北小路らトロツキストの危険な正体」(四月二五日)、「反党対外盲従分子と接近呼応するトロツキスト」(四月二八目)、「極左日和見主義者の中傷と挑発」(四月二九日)という論文をつぎつぎと発表し、「反党分子の地方議会潜入の策謀を粉砕」せよ(四月二五日「主張」)とか「トロツキストに市民権をもたせないたたかいが必要」とか、口ぎたない非難をくり返している。
ところで、日本共産党による、このような的はずれな「トロツキスト非難」がなぜふたたび強められたのであろうか。
卒直にいって、われわれ革命的左翼は、日本共産党のトロツキスト攻撃など痛くもかゆくもない。安保闘争以来の八年の経験のなかで、われわれは、日共がトロツキスト非難を強めるのは、外ならぬ日共が党派的危機に直面しているときだ、ということを知りすぎている。だから、われわれにとっての主要な課題は、(1)日本共産党がなぜこんにちふたたびトロツキスト攻撃を強めはじめたのか、を冷静に検討するとともに、(2)トロツキスト攻撃をとおして日本共産党指導部が何を党内外に提起しているのか、を正確に解明し、これにたいする正しい解答をもって日本共産党のセクト主義的言動を封じこめ粉砕していくことである。
(二)
日本共産党がふたたびトロツキスト非難を強めはじめた第一の理由は、七〇年問題、すなわち核武装、参戦国化をめぐる階級的対決が接近してきたことである。
従来、日本共産党指導部は、七〇年を口実に右翼的な党勢拡大と議席増加を提起してきたが、七〇年の接近のなかで当然その成果を示さなくてはならない。六〇年安保闘争の主役は日本共産党であった、という代々木神話の崩壊は日に日に迫ってくる。しかも、戦後世界体制の動揺の深化と、日本資本主義の構造的不況とは、七〇年安保闘争にたいし六〇年安保闘争とは比較にならない厳しさを条件づけることとなろう。
したがって、日本共産党指導部にとってゆいいつの脱出路は、いわゆる唐牛伝説をもって六〇年安保闘争の真実を徹底的に歪曲するとともに、来たるべき七〇年安保闘争を可能なかぎり平和的な性格のものにすることである。そのためには、まずもって実力闘争の階級姿勢を空洞化することが必要となる。日本共産党の反トロ宣伝の本当の狙いは砂川、沖縄、空母をめぐる階級的激突を事前に抑制しようとするものであり、日帝へのより露骨な屈服をもって日共の官僚的延命をはかろうとするところにある。
日本共産党がふたたびトロツキスト非難を強めはじめた第二の理由は、国際スターリン主義運動の分解と没落がいっそう深刻化していることである。
一〇年前、われわれが国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲を弾劾し、第四インター=トロツキー教条主義の限界をのりこえて反帝・反スターリン主義の革命的共産主義運動を開始したとき、日本共産党の指導者たちは、共産主義運動は一枚岩であり、中ソ共産党を批判することは中ソの革命を侮辱することだ、という対外追従主義的な態度をもって脅迫した。当然、われわれは、このような脅迫に屈服することなく、共産主義者としての主体的立場を貫徹して安保――四・一七――日韓を基軸とした一〇年の歴史を一歩一歩前進してきた。「離合集散」という日共の決まり文句とは正反対に、階級闘争の奥深いところで、より確かな、より巨大な、より広範な共産主義者の革命的結集にむかって、われわれの努力と準備は進んでいる。
だが、日本共産党はどうか。六一年、六四年、六六年というたび重なる日本共産党の分裂と口汚ない反対派狩りの歴史は、国際スターリン主義運動の分解と没落の波の間に間に右往左往する日本共産党指導部の動揺そのものの歴史ではなかったか。ソ連と対立して中国に接近し、中国と分裂してふたたびソ連と内通する、そしてその度に日本の革新陣営の根深い分裂と混乱を促進する――こんな日本共産党指導部の態度のどこに「自主独立」が存在するというのであろうか。
日本共産党は、国際スターリン主義運動の分解と没落、その原因と克服の道を、共産主義者としての主体性にかけて対決するのではなく、鎖国的な「自主独立」に逃避しながら、帝国主義へのよりいっそうの屈服と、新しい分裂の道を歩みはじめた。日本共産党の宮本指導部にとっての最大の恐怖は、構改派、ソ連派、中国派、日共派というスターリン主義的定式を超えて事態が発展すること、すなわち<日本における共産主義者の真の革命的総結集>という現実的課題が<スターリン主義との対決>という方向に発展することである。
日本共産党がふたたびトロツキスト非難を強めはじめた第三の理由は、わが同盟を中核とする日本革命的共産主義運動の前進にある。
従来、日本共産党指導部は、構改派・ソ連派・中国派をタタキ台にすることで党の動揺を最小限にとどめてきたが、全学連の再建、統一地方選挙におけるわが同盟の大衆的登場は、トロツキストの分散消滅という虚構をうち砕くとともに、日本革命運動の分裂と混乱の革命的止揚の道がどこにあるか、を明らかにしている。
安保以後七年、われわれは労働者階級の深部に革命的指導部を形成するために営々たる努力をつつけてきた。<戦闘的労働運動の防衛>という方向をうちだした六二年秋の三全総以来五年、われわれは、労働戦線において巨大な前進をかちとってきた。六五年都政刷新運動を起点とする都市住民闘争の着実な展開、そして杉並を拠点とした選挙闘争の飛躍的な前進はまさに、首都労働者の深部におけるわが同盟の組織的強化を基礎としてはじめて可能となったのである。
東日本最大の日共地域拠点・杉並におけるわれわれの勝利は、もはやわが同盟を中核とする革命的左翼の前進について沈黙をつづけることを不可能にした。『赤旗』は四月二五日付主張で「東京で区議会議員に立候補した志賀一派、内藤一派に属する反党修正主義者と都議補選に立候補した反党トロツキストはすべて落選した」(ゴヂ筆者)などとうすぎたない総括を発表しているが、この表現のなかに長谷川新区議および北小路候補への四万を超える支持にかんする日共指導部の根深い恐怖を読みとることができよう。
しかも、都知事選におけるわれわれの大胆な戦術提起は、首都の労働者、学生、知識人のあいだにきわめて有効な反響と共感をよびさますとともに、美濃部勝利を左からつくりだす巨大な力を形成していく重要な転機となった。こんにち、日共指導部は都知事選について甲高くわめきたてているが、それは、わが同盟の卒直な戦術提起が、美濃部勝利をかちとった力の内部でもった影響力と有効性を裏から立証する以外のなにものでもない。
(三)
ではつぎに、トロツキスト非難の仮面にかくれて日本共産党は何を主張しているか、について『赤旗』四月二五日の論文(「北小路らトロツキストの危険な正体」)に即して検討し、その反労働者的な「正体」を明らかにしよう。
日本共産党によるトロツキスト非難の第一の危険な正体は、日本共産党が<自民党都政打倒・美濃部勝利>のためにすべての都民が力をあわせることに反対していることである。
もともと、今回の都知事選挙の意義は、戦後二一年間の自民党都政のもとでゆきづまった都民の生活を打開し、あわせて佐藤自民党支配打倒の突破口をつくりだすために、松下打倒・美濃部当選の一点ですべての都民の力を結集しうるかどうか、にかかっていた。だからこそ、社会党、共産党はもとより、市川房枝女史のように原則的には共産主義に反対の人も、また、われわれのように共産主義の立場から美濃部候補の政治信条に批判的なものも、ともに力をあわせてたたかったのである。
ところが、「赤旗』によると「美濃部氏と社、共両党に敵対する立場を公然と表明しながら」(「美濃部支持」をうちだし)都政にくいこもうとするのは「危険」だというのである。だが、これほど危険な主張がはたしてあるだろうか。〔事実、選挙戦の当初、日本共産党は社共協定をタテに「明るい革新都政の会」の入会にかんして某々は反党分子、某々は修正主義者、某々は対外追従分子などという愚劣なレッテルでつぎつぎと制限を加え、ほとんどの知識人が参加できない、という横車を押したが、後半戦にいたって日共のこうしたセクト主義が通用しなくなったことが美濃部勝利の決定的要因であるとはこんにちでは「会」の内部で常識である。それなのに、相も変らず日共指導部は「美濃部氏の知らぬ間に支持を決め……」などという思想にとりつかれている。いったい選挙における候補者と有権者との関係をどう理解しているのであろうか。〕
つまり、日本共産党は、美濃部氏や社共両党に異論をもつものは美濃部候補を応援したり、投票したりしてはいけない、と主張しているわけであるが、もし日本共産党のこのような民主的主張が都民に「正しく理解」されていたならば、美濃部候補は社共支持票の一六〇万をどれほど上まわることができたであろう。まさに、このような日共的セクト主義を超えたところに美濃部勝利の力が生まれたのである。〔なお、メーデーで日共野坂議長は松下支持の民社党西村書記長と腕を組んで行進したが、第二保守党の「市民権」は粉砕しようともしないらしい。〕
日本共産党によるトロツキスト非難の第二の危険な正体は、日本共産党が美濃部都政の直面する困難をおしかくし、都労連を先頭とする首都労働者の戦闘的前進に反対していることである。
美濃部都政が革新都政としての実をあげるためには、当然、(1)佐藤自民党政府――中央官庁――独占資本、(2)自民党都連――警視庁――都庁高級官僚、(3)民社党――同盟幹部――新宗連という三つの反対勢力の抵抗をはねのけていかねばならない。東交合理化、砂川基地拡張、公安条例撤廃は、まさに美濃部都政の試金石であるが、こうした試練に耐えぬくためは、まずもって美濃部知事が「蛮勇をふるって事に当る姿勢」を示すとともに、都労連を先頭とする首都労働者の戦闘的前進に決定的に依拠することが重要である。
首都の戦闘的労働者部隊は、美濃部都政にたいして微視的に対応することなく、帝国主義との全面的対決という戦略的観点のうちに美濃部都政の位置を正しく設定していくこと、「革新都政擁護」のスローガンを、職場労働者の要求および闘争の抑制の方向ではなく、要求貫徹・闘争強化の方向に転移しながら、一歩一歩前進し、戦闘的陣地を拡大強化していくであろう。改良的要求の部分的実現をつみあげながら、具体的要求をはばむ壁を帝国主義支配との関連のもとに一つひとつ明確化し、それと対決する方向に労働者・都民全体の動員を準備することこそ、北九州市や横浜市の革新市政の失敗をのりこえる現実的な道である。
ところが、日本共産党にとって問題の中心は、社共協定を守るかどうか、つまり都政にたいする日共の発言権をどう強化するか、という一点に逆転されてしまうのである。かれらは、トロツキスト非難にかくれて首都労働者の実力闘争に統制を加え、東交合理化攻撃・砂川基地拡張・公安条例存続に道をひらこうとしている。まさに、首都労働者の実力闘争に反対することは、都庁高級官僚と結託した都労連右翼幹部に降服することであり、美濃部都政の日帝への屈従を準備することである。
日本共産党によるトロツキスト非難の第三の危険な正体は、日本共産党が公安条例の撤廃のためには権力と独占資本にたいする「実力闘争」をなくさねばならない、と主張していることである。
自民党は、今回の東京都知事選挙の眼目を、明らかに七〇年問題の対策においていた。七〇年安保改定を機会に核武装・参戦国化の道を策謀する佐藤自民党政府は、当然予想される労働者人民の反対運動を暴力的に鎮圧するために、都知事を安保支持の反動的治安実行者の手に確保せんとし、従来の予定候補をさげてまで民社との連合を追求するという恥知らずな暴挙をあえてした。それは、都政のゆきづまりをどう打開するか、という一千万都民の願いを踏みにじるものであった。
だが同時に確認しておかねばならないことは、七〇年に向かっての反動攻撃はすでにはじまっている、ということである。砂川・沖縄・空母をめぐる政治的対決は日に日に切迫している。これらの諸攻撃を具体的にはねかえす階梯をとおして七〇年安保闘争は現実に準備されていくのである。一一年前の砂川闘争のように、一〇年前の国鉄新潟闘争のように、九年前の勤評・警職法闘争のように、そして八年――七年前の安保闘争のように、いまこそ実力闘争をもって反撃を開始せねばならない。
ところが『赤旗』では問題はまったく逆にたてられている。
「とくに、トロツキストらの策動で警戒を要するのは、かれらが「一九七〇年決戦説』を唱え、砂川基地拡張反対闘争や東交の合理化反対闘争に『実力闘争』というスローガンをもちこみ、暴力行為を扇動して、自民党の『社共は公安条例を撤廃して七〇年暴力革命を準備しようとしている』というデマ宣伝におあつらえむきの口実をあたえようとしていることです」
カラスをサギといいくるめるとはこのことではないか。そのうえ、さらにかれらは、実力闘争の弾圧には刑法を適用すべし、とつぎのように権力に進言している。
「トロツキストの暴力行為を取締るためには、公安条例などなくても、別に刑法の『住居侵入』(第百三十条)、『器物損壊』(第二百六十一条)など十分すぎるほど法律があります」
権力と相呼応した実力闘争弾圧の道! これが七〇年安保闘争にたいする日本共産党の真実のプログラムである。ストがなくなればスト規制がなくなる、いやストは鉄道営業法でも取締ることができる――これが、日本共産党の「民主革命」の本質である。
このような反動的主張にたいする労働者人民の解答はいわずとも明らかであろう。われわれのまえにはただ前進あるのみである。
(『前進』三三三号、一九六七年五月八日 に掲載)