二 激動する現代世界と日本階級闘争の使命
   ――二・一七集会へのわれわれの主張
 
 本稿は、六七年二月一七日に開催された二月大政治集会(革共同主催、於杉並公会堂)の成功のために、前もって同盟の基本主張を内外に提起し、全党的武装をはかる目的で書かれた論文である。一月二三日付『前進』一面に掲載。本多書記長は、前年(六六年)の同盟第三回大会における革共同の綱領的深化・路線的確立にふまえて、この論文のなかであらためて七〇年安保をめぐる日本階級闘争の世界史的位置と性格の問題を解きあかしている。
 
 
 わが階級闘争の世界史的性格/戦後世界体制を規定する諸要因/帝国主義の危機とスターリン主義の没落/革命的左翼の課題
 
 
 わが階級闘争の世界史的性格
 
 六二年以来の構造的不況の深まりと、労働者人民の犠牲においてそれを克服せんとする政府・独占資本の諸攻撃の展開、そして、その諸攻撃そのものが累積した経済的・政治的矛盾の深刻化のなかで、日本帝国主義は、五〇年以来の政治支配過程を根底的に画期する政治的動揺に直面した。
 日本帝国主義とその政治委員会は、佐藤内閣の政府危機として露呈した自民党支配体制の動揺を反動的に解決するものとして、小選挙区制――安保再改定の道をあゆみはじめた。具体的な経過がいかなるものになろうとも、小選挙区制――安保再改定の攻撃は、日本帝国主義にとってけっして避けることのできない基本的政治課題である。だが、このような反動的政治攻撃は、賃金抑制と首切り合理化、大衆収奪と生活破壊の諸攻撃にたいする不満と抵抗の増大と結合して新しい階級的反撃を準備せざるをえない。
 小選挙区制――安保再改定を基軸とした日本階級闘争の展開は、うたがいもなく、戦後日本帝国主義の世界史的特殊性にかかわる重大な政治的・階級的分岐を形成するであろう。それは、戦後日本帝国主義の復興と発展が蓄積した政治的・経済的矛盾の爆発を意味するばかりでなく、戦後世界体制の根底的動揺の結節点としての性格をしだいにつよめている。われわれは、日本階級闘争の激動にむかって前進しながら、その世界史的性格を規定している諸要因を先鋭に照らしだしていくことが必要である。
 日本階級闘争の世界史的性格を検討するにあたって、まず前提的に確認しなければならない点は、現代世界を歴史的に規定している要因は何かという問題である。
 周知のように一九一七年のロシア革命は、帝国主義の世界的連鎖の一環をうち破り、世界革命の突破口として「帝国主義から社会主義への世界的移行」の時代をきりひらいた。勝利したロシア労働者階級は、農民と被抑圧民族をロシア専制主義のくびきのもとから解放するとともに、生産手段を資本家的所有からとりもどし、社会主義へむかっての過渡期社会の建設の道をあゆみはじめた。それはレーニンが幾度も確認しているように、ロシア一国の自立的努力をもって社会主義社会を地方的に建設しようと意図したものではなく、ドイツ革命を突破口とする世界革命の完遂のうちにロシア革命の最後的勝利を獲得しようと意図したものであった。
 だが、世界革命の一時的敗北のなかで孤立した革命ロシアは、工業生産力の疲弊と農民的小商品経済の大海のなかで呻吟した。こうしたなかで、スターリンは新経済政策のなかで進行した党と政府の官僚主義的堕落を背景としながら「一国社会主義論」を提起し、革命ロシアの一国的孤立を固定化する新路線をうちだした。かくしてスターリンとその徒党は、一国社会主義論をテコとして、一方ではロシア過渡期社会の固定化とその官僚制的変質を遂行するとともに、他方では国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲(平和共存と二段階戦略、社会ファシズム論、人民戦線戦術)とその敗北を必然化した。
 二九年恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック化は、第一次大戦以後の金本位制復活のための帝国主義者の努力に最終的打撃を加えるとともに、アメリカ帝国主義をはじめとするすべての帝国主義諸国において史上最高の階級的激動を現出させた。ドイツ、スペイン、フランスと西欧をつぎつぎと襲った直接的革命情勢は、国際左翼反対派の敗北と、社会ファシズム論、人民戦線戦術の歴史的破産とをとおして「反動と世界戦争の時代」に転化した。
 独・伊・日の枢軸国と、英・仏・米の反枢軸国という二大帝国主義陣営の対立を基軸とした第二次大戦は、ソ連を帝国主義戦争のうちに暴力的に包摂するとともに、欧米の労働者階級をブルジョア的民族主義の洪水のなかに押し流した。コミンテルンの解散という反動的犠牲をもって米英帝国主義の円卓に座ったスターリンは、東欧の緩衝国化を条件に西欧革命を制圧するという帝国主義的戦後処理案(ヤルタ協定)に同意した。かくして、第二次大戦後、フランス、イタリア、ベルギー、日本などに生起した前革命情勢は、アメリカ帝国主義の直接的な軍事威圧と、各国共産党のスターリン主義的解放軍規定とを相互規定要因として敗北し、帝国主義としての復興と発展の道がはききよめられた。
 
 戦後世界体制を規定する諸要因
 
 以上の簡単な素描からも明らかのように、戦後世界を歴史的に規定している要因は、基本的には、(1)資本主義の帝国主義段階への世界史的推転、(2)ロシア革命を突破口とした帝国主義と社会主義の世界史的分裂の開始、(3)世界革命のスターリン主義的歪曲にもとづくソ連過渡期社会の官僚制的変質、(4)帝国主義の歴史的延命とその矛盾の展開、の四点にあるといえよう。
 第一の要因と、第二、第三、第四の諸要因を世界史的に画期しているものは、いうまでもなく、階級闘争という具体的政治要因の決定的な介在である。したがって、ロシア革命以後の五〇年の世界史は、本質的には、国際共産主義運動の総括のうちに展開されるものとしなければならない。二九年恐慌以後の現代帝国主義の矛盾の展開は、もちろん、帝国主義段階論にふまえた具体的な現状分析として検討されねばならないが、その歴史規定として、世界革命のスターリン主義的変質と帝国主義の歴史的延命という具体的条件が、当然考慮されなければならないことはいうまでもない。
 日本階級闘争の世界史的性格を検討するにあたって、つぎに前提的に確認しなければならない点は、戦後世界体制の具体的展開とその動揺を歴史的に規定している要因は何かという問題である。
 戦後世界体制の形成と動揺の主導的要因をなしているのは、いうまでもなくアメリカを中心とした戦後帝国主義世界体制の成立・発展・動揺である。
 すでにみたように、西欧および日本を襲った戦後革命の危機は、帝国主義とスターリン主義の相互補完的な関係をとおして制圧されたが、東欧および北朝鮮の緩衝国化は、そのソ連圏への官僚制的包摂を促進した。他方、四九年の中国革命の勝利は、アジアにおける植民地支配体制を根底的に崩壊せしめるとともに、「帝国主義と社会主義の世界史的分裂」の歪曲された形態での拡大をいっそうおし進めたのである。
 このような戦後情勢の発展のなかで、アメリカ帝国主義は、第二次大戦をとおして達成した巨大な生産力を基礎に、一方では、戦後革命の制圧・ソ連圏への対抗、植民地支配体制の暴力的再編成という反動的課題を軍事的・政治的に遂行するとともに、他方では、西欧および日本の帝国主義的再建をドル・ポンド通貨体制のもとに達成しようとした。戦後帝国主義の世界体制を特徴づけている(1)極度に濃厚な軍事的・政治的性格、(2)アメリカの圧倒的な生産力を基礎とした世界支配、(3)いわゆるドル・ポンド国際通貨体制などは、まさに、右のような戦後帝国主義の危機を脱出するための不可避的な延命形態として把え返されねばならない。西欧および日本の戦後的成長とその循環は、アメリカ帝国主義を中心とした戦後世界帝国主義の延命と発展を前提とするものであった。
 
 帝国主義の危機とスターリン主義の没落
 
 だが、EECの登場を画期とした西欧帝国主義の復興と発展は、ドル・ポンド国際通貨体制に内在する矛盾(ブロック経済の未解決)をドル危機として露呈せしめるとともに、アメリカ帝国主義をしてEECへの本格的まきかえしの展開を必然化した。ベトナム侵略戦争はまずもって、植民地支配体制の崩壊的危機にたいするアメリカ帝国主義のきわめて凶暴な暴力的再編成の過程であるが、それは同時に、帝国主義列強間におけるアメリカ帝国主義の絶対的地位を維持し、中ソ・スターリン主義への反動的優位性を誇示するための世界政策の展開過程でもある。
 しかも、六一年以来のアメリカ経済の長期繁栄が終末をむかえはじめたという不安は、アメリカ帝国主義における軍事経済の位置をますます重くしている。もともと、戦後のアメリカ帝国主義は、独占体の巨大な利益を保障するために軍需という膨大な浪費を構造上の必要条件としてきたが、長期繁栄の終末という不安のなかで、ベトナム軍需の比重は増大の一途をたどっている。
 まさに、アメリカ帝国主義は、自己の反動的命運を維持するためには、ベトナム侵略戦争の泥沼のなかにより深くのめりこまなくてはならないが、それは同時に、一方におけるインフレの増進と対外収支の悪化、他方における民族的抵抗の激化と国内反戦闘争の激化というアメリカ帝国主義の構造上の矛盾を不可避的に深刻化させずにはいない。ベトナム侵略戦争として爆発した戦後世界体制の矛盾は、ベトナム危機を導火線として世界的反動の本拠地アメリカのうえに没落の影をなげかけはじめた。
 戦後帝国主義世界体制のこうした矛盾激化のなかで、戦後世界体制の補完的要因としてのスターリン主義陣営は、その歴史的破産を露骨に示しはじめた。
 いわゆる戦後「社会主義世界市場」の形成は、西欧戦後革命の制圧を代償とした東欧緩衝国のソ連圏への官僚制的包摂および、中国軍命を突破口としたアジア植民地革命のソ連スターリン主義圏への参加という二要因を世界史的条件とするものであるが、その本質とするところは「帝国主義と社会主義の世界史的分裂」という現代史の基底的要因の歪曲的拡大である。戦後、東欧およびアジア大陸に生起した革命的高揚は、西欧および日本の戦後革命と結合することをとおして世界革命を完遂し、ソ連過渡期社会のスターリン主義的変質を内より超えるという方向に発展することができず、逆に、「一国社会主義論」をテコとして急速なる官僚制的変質を現出せしめるとともに、ソ連社会に特有のスターリン主義的矛盾を外延的に拡大したのであった。
 スターリン主義者とその党(各国共産党)は、戦後世界の基本的歴史規定としては(1)社会主義世界市場の成立と発展にもとづく帝国主義単一世界市場の崩壊と縮小、(2)資本主義国における労働者運動の発展、(3)植民地支配体制の崩壊と民族解放闘争の高揚、の三点を指摘してきた。だが、このようなスターリン主義的歴史規定は、基本的には、(1)戦後革命の敗北=帝国主義の延命のもつ世界史的重量の決定的過小評価、その必然的結果としての現代帝国主義論の混乱、(2)「分裂の歪曲的拡大」の一国社会主義論的美化と、その帰結としての「社会主義世界市場」の自主的発展の幻想、(3)両者からの戦略的推論として平和共存政策の世界戦略化(その右翼的発展としての経済競争論、その民族主義的発展としての中間地帯論)を意味するものであった。
  帝国主義的矛盾の激化と、それを主導的要因とした戦後世界体制の動揺は、一方では、中ソ分裂・セフ(コメコン)分解・ソ連経済の停滞・中国社会の崩壊的危機として露呈した「社会主義世界市場の自立的発展」の幻想の歴史的破産を解決不能の過程にたたきこむとともに他方では、帝国主義矛盾の激化にたいする「対応」をめぐってスターリン主義の四分五裂を必然化した。中国における政治危機は、世界革命の一国社会主義的な固定化とその官僚制的変質の蓄積した矛盾の集中的表現である。
 
 革命的左翼の課題
 
 帝国主義世界体制の矛盾の激化と、そのベトナム侵略戦争としての爆発、そして、スターリン主義の歴史的破産という世界史的転換期の現出は、幾百万・幾千万の日本労働者階級を伝統的に結びつけてきたイデオロギー的紐帯を根底からゆるがしはじめた。国際スターリン主義運動の分解と没落は、するどく日本階級闘争のうえに影をかけている。帝国主義諸国のなかで最強の戦闘的労働運動を守りぬいてきた日本労働者階級は、いま、日本帝国主義の内外する矛盾の深まりのなかで、日本スターリン主義の革命的解体という世界史的任務を、日本帝国主義打倒にむかっての具体的闘争のうちに達成していく課題に直面している。われわれは、革命的左翼の責任にかけてこの闘争を前衛的にきりひらかねばならない。
      (『前進』三一八号、一九六七年一月二三日 に掲載)