激動の一九六七年を迎えて
   佐藤内閣糾弾の先頭に立ち来たるべき激動に突進せよ――小選挙区制阻止・安保再改定粉砕
 
 一九六七年という年は、十・八羽田という日本階級闘争史上有数の輝かしい金字塔をうちたてた年である。本稿は、その年頭にあたり、来たるべき七〇年安保再改定をめぐる階級激動の時代を展望し、その扉をおし開くべき唯一の革命的主導勢力たる革共同の任務を明確に提示したものである。『前進』の六七年新年号巻頭論文。この論文はまた、前年六六年夏の同盟第三回大会における綱領的深化、路線的確立のうえにたって、その現実的物質化の巨大な第一歩をふみだす実践的な檄でもある。
 
 
 帝国主義の危機の激化とスターリン主義の自己破産/政治反動攻撃の本格的開始と政治的階級的対決の激化/総選挙、地方選挙、春闘をたたかい、戦列をうちかためよう
 
 
 戦後世界体制の深まりゆく根底的動揺のなかで、日本帝国主義は、その戦後的発展過程を画期すべき新しい政治的動揺の時代を迎えようとしている。
 戦後的高度成長の終末と植民地主義的対外膨張の開始という日本帝国主義の発展過程の質的転換は、ベトナム侵略戦争を焦点とした戦後世界体制の根底的動揺と対応することによって極度に深刻な政治局両を準備している。佐藤内閣の政府危機として露呈した日本帝国主義の体制的危機は、いわゆる野党連合による議会主義的かけ引きの結果として、佐藤内閣の延命――国会解散・総選挙という体制内的収拾過程にすりかえられようとしている。だが、このような収拾はけっして危機を解決するものではなく、逆に危機の深刻さをより大衆的に明らかにするものとなろう。すなわち、一方では、佐藤内閣のいっそうの孤立と危機を示すものとして、他方ではいわゆる野党連合の無策と混乱を示すものとして。
 われわれは、総選挙――統一地方選挙――春闘という六七年度前半の階級闘争にたいする決意をうちかためつつ、日本帝国主義打倒の基本的方向にそって七〇年安保再改定粉砕――小選挙区制阻止の展望を明確化していかねばならない。
 
 帝国主義の危機の激化とスターリン主義の自己破産
 
 日本帝国主義の政治的動揺を根底的に規定している世界史的条件は、戦後世界体制の危機の深まりと、そこにおける日本帝国主義の位置の特殊的性格である。
 すぐる一ヵ年のあいだに世界各国で起こった一連の事態は、世界体制の深まりゆく危機を鋭くあばきだしている。すなわち、国際情勢の第一の今日的特徴点は、ベトナム侵略戦争を頂点として植民地・後進国地域において帝国主義世界体制の矛盾が爆発的に展開されはじめたことである。
 インドにおける食糧暴動の激化と政府危機、南朝鮮における政治腐敗と生活苦への民衆的不満の高まり、インドネシアにおける軍部テロ支配の強化とスカルノ体制の崩壊、エンクルマ失脚とアフリカの再編成、アラブ連合とサウジ・アラビアとの対立など、こうした一連の政治的動揺は、一方における戦後的独立と金融的従属という経済的矛盾の累積、他方における植民地支配体制の崩壊的危機と、それにたいする帝国主義列強の反動的再編成の動きを統一的に表現するものである。ベトナム侵略戦争は、こうした植民地・後進国地域の政治的動揺の集中的爆発点をなしている。現代帝国主義は、幾百万の人民を血の海に溺れさせることによって、かろうじてその植民地・後進国への反動的支配を維持している。
 国際情勢の第二の今日的特徴点は、ドル危機として現象した帝国主義世界体制の経済的矛盾が、EECの中軸をなす西ドイツに深刻な影をなげかけはじめていることである。
 従来、西ドイツは、敗戦と民族分割という不利な条件をかかえながらも、東ドイツ難民、イタリア人出稼ぎ労働者などをもって労働市場の限界を解決しながら、その卓越した重工業力をもって<マルクの奇跡>を達成した。だが、西ドイツの戦後的高度成長の国際的与件をなしていた軍事負担の軽減と外資導入は、一方における西ドイツ防衛負担金の増大と核武装政策の破綻、他方におけるアメリカ高金利政策とドイツ金融市場の崩壊的危機という二つの国際的変化のまえに、深刻な危機的要因に転化した。
 ヨーロッパ大陸における戦後的高度成長の終末の危機的爆発は、これまでアメリカ経済のいわゆる長期的繁栄によって回避されてきたが、アメリカ経済の質的転換の全面的露呈は、帝国主義世界体制とその金融体制の絶望的な破綻を連動させずにはおかないであろう。西ドイツの危機は、帝国主義的戦後世界体制の矛盾の先鋭な今日的表現である。注目すべきことは、西ドイツ社会民主党が大連立というかたちをとって、こうした危機を労働者の犠牲に転嫁するブルジョアの先兵としての悪らつな役割を演じていることである。
 国際情勢の第三の今日的特徴点は、帝国主義世界体制の危機の深まりと対応して、スターリン主義陣営の分解と没落が深刻化していることである。
 中国における紅衛兵運動は直接には「プロレタリア文化大革命」として登場したが、その本質とするところは、反米中間地帯論を基軸とした毛沢東世界戦略の破綻と中国の孤立、大躍進――人民公社運動の失敗と社会的矛盾の累積、調整期の政策をめぐる中国共産党指導部の動揺と堕落を解決するための官僚的クーデターにすぎない。だが、ベトナム問題、人民公社の失敗――自力更生論として露呈した毛沢東思想にもとづく内外政策の「一国社会主義」論的誤謬を検討しながら、その基礎のうえにたって、プロレタリア民主主義と国際主義路線の政策的展開を実現するという社会主義原則を放棄して、ただただ誤謬の責任を「実権派」なるものに転嫁するという毛沢東――林彪の指導路線では、混乱は拡大しこそすれ、けっして解決されるものではない。
 他方、キューバ問題と中ソ分裂をとおして国際的位置の後退したソ連スターリン主義官僚は、一方では、ベトナム武器支援論にかくれて対米協調策を強行するとともに、他方では「利潤導入」などの経済管理体制の改革をもってソ連経済の停滞傾向を克服しようとしているが、それらの諸政策は、ソ連指導部の官僚的意図とは逆に、ますます帝国主義的矛盾の激化する渦中にソ連社会とスターリン主義陣営を埋没させていくこととなるであろう。
 第四の特徴点は、以上の三つの問題が戦後世界体制の世界史的動揺という統一性をもって発展していることがますます明らかになっていることである。
 もともと、ヤルタ=ジュネーブ協定を基調とした戦後世界体制なるものは、ロシア革命を突破口とした帝国主義と社会主義の世界史的分裂が、世界革命の「一国社会主義論」的変質と、それにもとづく帝凶主義の延命を前提として平和共存形態に変容したものであり、その一応の完成を意味するものであるが、こんにち、それが、ベトナム侵略戦争に集中的表現をみせている帝国主義の体制的危機と、スターリン主義陣営の一国社会主義路線の自己破産とを基軸として巨大な転換期をむかえつつあることに、現段階の世界史的意義があるといえよう。すぐる一ヵ年のあいだに現代世界を揺るがしつづけた一連の事態は、こうした世界史的転換期の到来を鋭く示唆している。国際共産主義運動のスターリン主義的変質として集中的に表現される革命的主体勢力の危機は、戦後世界体制の深まりゆく動揺のなかで深刻な自己脱皮の試練に直面している。
 三〇年代および第二次大戦直後の階級闘争の生きた経験は、帝国主義の体制的危機の激化、スターリン主義の破産と反労働者性の自己暴露という深刻な危機的情勢の到来も、それが自然発生性にゆだねられるならば、なんらの革命的結果ももたらしえないことを明瞭に示している。それどころか、その結末は、逆に、国際的階級闘争のおそるべき混迷、帝国主義の危機の労働者人民への犠牲転嫁、スターリン主義圏のいっそうの反動的状態の現出を意味している。したがって、帝国主義の危機の革命的解決と、国際共産主義運動動のスターリン主義的変質の革命的克服とは、現代世界の革命的転覆という同一物の相互規定的表現である。戦後世界体制の動揺として始まった世界史的転換期の到来は、反スターリン義の革命的共産主運動の前進をますます緊急のものとしている。
 
 政治反動攻撃の本格的開始と政治的階級的対決の激化
 
 すぐる一ヵ年のあいだにわが国で進展した一連の事態は、日本帝国主義が戦後世界体制の動揺のなかで矛盾のもっとも先鋭な爆発点としての世界史的性格をますます鮮明に示している。その第一の特徴点は、六二年を転機とした高度成長の終末と構造的不況の深刻化が、日本帝国主義の重大な歴史的転換期を準備していくなかで対外膨張と大衆収奪・搾取強化の政策がますます強められようとしていることである。
 日本帝国主義の戦後的発展過程は、戦後革命の敗北にもとづく世界帝国主義の延命と発展を世界史的前提としながら、五〇年以来の民間設備投資を基軸に国内市場の異常な膨張の達成過程として実現してきたが、六二年以来の経済危機は、日本帝国主義が戦後的膨張の矛盾の爆発としての構造的不況に突入したことを明白に示している。対米輸出の増大と、公債発行をテコとした経済=財政政策の展開のなかでこんにち、日本経済の好転を意味するかのような現象が部分的に起こっているが、それは、民間資本の設備投資を主軸とした資本蓄積段階の終末という事態を克服しうるものではない。
 しかもアメリカの高金利にもとづく日本の資本収支の変動は、対米輸出の増大にもとづく貿易収支の逆転の可能性と結合することによって日本の国際金融構造をいっきょに崩壊せしめる危険を成熟させている。
 したがって、日本帝国主義に現実的に可能な危機の脱出策は、第一には公債発行をテコとした膨大な独占救済財政、公共料金の大幅値上げをはじめとする高物価政策=大衆収奪政策のいっそうの強行であり、第二には資本の集中、合併、整理の遂行と、首切り、合理化、労働強化という搾取のいっそうの強化であり、第三には国内市場の膨張の終末で極度に緊迫した過剰資本、過剰商品のハケ口を求めての必死の帝国主義的対外膨張である。先進国市場の分割戦への熾烈な介入と、アジアへの植民地主義的進出の野望はこうした帝国主義的対外膨張の二つの側面をなしている。
 だが、こうした日本帝国主義の脱出策は、二つの局面において重大な困難をかかえている。その第一が日本労働者階級の組織的抵抗にあることはいうまでもないが、当面、より重大な困難を形成している第二の要因は、日本帝国主義の本格的な対外膨張が、世界市場をめぐる先進国間競争のかってない激化のなかで開始されたという点である。しかも、アジアにおける植民地支配体制の根底的崩壊は日本帝国主義の植民地主義的勢力圏形成の野望の実現を容易に許しはしないであろう。したがって、こうした二つの困難は、アジアへのより強盗的な進出と、それを可能とする国内反動体制の確立、そして労働者人民への搾取と収奪の攻撃の全面的な開始を不可避とするのである。
 第二の特徴点は、ベトナム侵略戦争を基軸としたアジアの反動的再編成の進展と、日米安保同盟の「侵略的強盗同盟」としての本質の露骨な発現である。
 本来、日本帝国主義の戦後の復興と発展は、戦後世界革命の敗北にもとづく帝国主義の延命と発展、すなわち、スターリン主義への対抗と戦後革命の制圧をテコとした帝国主義戦後体制の成立と発展を世界史的前提としている。アメリカ帝国主義との軍事的・政治的・経済的な結合という日本帝国主義の戦後的特質は、世界帝国主義の戦後的歴史規定にもとづくものであり、日帝が日帝として自己を維持するための不可避的延命形態であった。戦後日本帝国主義の平和的発展は、アメリカの絶対的な軍事的・政治的・経済的力量を基礎とした帝国主義世界体制の形成を国際的存立条件としたものであった。
 だが、EEC台頭を契機としたアメリカの絶対的地位の動揺と、まきかえし政策の展開、そしてベトナム侵略戦争を中軸としたアジア植民地支配体制の暴力的再確立のための死闘は、日米関係のあらたな展開を必然化した。日本帝国主義は、日米市場の再分割、アジア勢力圏の形成をめぐって相互矛盾な深めながらも、アメリカ帝国主義との強盗同盟に、より強く命運をかけなくてはならない。日韓条約を突破口としたアジアへの植民地主義的進出の野望は、現実的には、アメリカ帝国主義のアジア支配体制の暴力的延命を不可欠の条件とせざるをえない。
 日本帝国主義は、アジア経済閣僚会議など独自のアジア政策を追求しながらも、ベトナム加担政策の露骨な展開にますます泥沼的に没入していくこととなる。アジアへの植民地主義的進出と日米同盟の強化は、相互に依存して進行しながら、日本帝国主義の反動化の集約的表現としての性格を強めている。七〇年安保改定の攻撃は、一方では、日米帝国主義同盟の極反動的な強盗同盟としての強化の道であるとともに、他方では、こうした侵略的帝国主義への強化と対応した国内反動体制の形成を必然化する道となることも明らかである。まさに、安保再改定を画期とした日米同盟強化の道は、不可避的な力をもって日本帝国主義を世界的危機の渦中に導いているのである。
 したがってまた、安保再改定をめぐる日本階級闘争は日本帝国主義が帝国主義としての存亡をかけた妥協なき政治的・階級的対決へと発展せざるをえないが、それは同時に、日米同盟を決定的な構成部分とした戦後帝国主義世界体制の世界史的変革をもその闘争課題のうちに展望させるものとなるであろう。
 第三の特徴点は、日本階級闘争の政治的焦点が、安保再改定への動向に規制されながら小選挙区制を基軸とした国内支配体制の反動的再編の野望をめぐって基本的展開をみせようとしていることである。
 すでにみてきたように、日本経済の構造的不況期への移行、日韓条約を突破口としたアジアへの日本勢力圏形成の野望の開始、そして先進国市場争奪戦への参加という日本帝国主義の発展過程の質的転換は、労働者人民にたいする収奪と搾取の強化、これにたいする労働者人民の必死の抵抗を必然化するが、それは同時に、国内政治支配体制の反動的再編の野望をめぐる政治決戦へと発展していかざるをえないであろう。その当面する環は、疑いもなく小選挙区制である。
 六五年の日韓闘争の敗北は、安保以後の政治反動攻撃に決定的な転換をもたらした。すでに六四年秋の佐藤内閣成立以来、大衆収奪と首切り合理化の攻撃を強めてきた日本帝国主義は、日韓条約の強行をもって日帝の侵略的帝国主義としての本格的復活を宣言した。それは内にむかっては政治反動攻撃の本格的開始を画期するものであった。
 こうした日本帝国主義の内外政策のあらたな展開は、当然にも、日本階級闘争の分岐を必然化した。すなわち、それは、一方では、労働者人民の深部に帝国主義的攻撃への根底的反逆の契機を形成しながらも、他方では、社共、総評など既成左翼指導部の内部に帝国主義へのあらたな屈服路線を生みだしたのであった。六六年度前半を特徴づけている社民的政治闘争の危機と、日本共産党の中国路線からの右翼的逃亡は、日韓条約を突破口とした日本帝国主義の本格的な反動攻撃にたいする社民およびスターリン主義者の思想的屈服を最深の根拠としたものである。
 他方、資本の集中・合併・整理を基礎とした資本攻撃は、全造船三菱支部、全金プリンスの組合破壊など日に日に熾烈化している。民間基幹労組の空洞化を意図したIMF・JC路線の一定の伸長は、まさに熾烈きわまる資本攻撃を背景としている。企業防衛意識をテコとした労働者的経済闘争の圧殺、資本家的職場支配体制の形成と職場活動の抑制強化、企業労組幹部の買収と右翼化など、企業労組空洞化の攻撃は、民間基幹産業全般にわたって進展している。
 だが、こうした資本攻撃の激化は、民間労組において一定の勝利を収めながらも、逆に、一方において基底的活動家層の左翼化を必然化するととも、他方において職場労働者全体の「不満化」を形成することによって、資本支配のより深刻な危機を準備している。賃金抑制と労働強化、高物価と大衆収奪にたいする職場労働者の不満は、激化する資本攻撃にもかかわらず、抗しがたい力をもって高まりはじめている。こうした過渡的な階級関係は、帝国主義的政治支配体制の動揺と結合するならば、容易に逆転する「危険」をはらんでいる。
 まさに、こんにちの帝国主義的政治反動は、社会党・共産党・総評など既成左翼指導部の帝国主義への思想的屈服を不可欠の支柱としたものであり、きわめて脆弱な政治的基盤のうえに立っている。したがって、侵略的帝国主義としての本格的な内外政策の展開を達成していくためには、小選挙区制を基軸とした政治支配体制の反動的確立が絶対的に必要となっているのであり、また、それゆえにこそ、小選挙区制をめぐる日本階級闘争は、不可避的に政治決戦に転化していく政治的性格を帯びざるをえないのである。
 反撃の前段的闘争として小選挙区制阻止をかちとりうるかどうかに、七〇年安保闘争の基本的動向かかかっている。
 第四の特徴は、日本帝国主義の政治的動揺が佐藤内閣の政治的腐敗にたいする批判の激化としてすでに開始されていることである。
 いわゆる佐藤内閣の黒い霧は、荒船停車・上林山お国入り問題として露呈したが、その疑惑が中央政治から地方政治の末端にいたるまで急速に発展したという事実こそ、黒い霧問題のもっている深刻な意味を雄弁にものがたっているといえるであろう。もともと、自民党支配構造を本質的に規定している「汚職と腐敗」は、日本帝国主義の戦後的発展過程における政府・高級官僚・独占資本の三位一体的な結合関係の特殊的形成を基礎とするものであるが、日本帝国主義の質的転換は、こうした伝統的結合関係のあらたな反動的再編成を不可避とした。すなわち、構造的不況の深刻化と植民地主義的対外膨張の開始は、一方では、不況にもとづく民間政治資金源泉の縮小を必然化するとともに、他方では公債経済への移行にともなう大口利権の争奪戦を激化せしめた。いわゆる佐藤内閣の黒い霧はこうした自民党支配構造の動揺と再編の矛盾が、その一端を暴露したものにすぎない。
 佐藤内閣の「汚職と腐敗」は、日本帝国主義の腐朽性と寄生性の際限なき拡大の政治的表現であるはかりでなく、野党をも包摂した中央政治体制の全般的腐敗をも示す生きた具体的過程である。いわゆる野党連合は、佐藤内閣の政府危機を「佐藤内閣打倒をめざす全人民的政治闘争」の決起をうながす方向に転化する政治的指導を完全に放棄して佐藤内閣の延命に手を貸したばかりか、逆に、国会解散――総選挙という体制内的方向のなかで「中道連立内閣」の夢を追いはじめている。自民党粛党派から民社党・公明党・社会党・共産党にいたる全党派は、いわゆる佐藤内閣の黒い霧をただただ自分の党派の議席拡大に利用しているにすぎない。いわゆる野党連合は「佐藤内閣打倒をめざす全人民的政治闘争」の爆発を回避する最悪の反動的役割を現実に演じている。
 だが、総裁選挙――内閣改造――補正予算――衆院解散――総選挙という佐藤構想は、佐藤内閣の政府危機として始まった日本帝国主義の政治的動揺を解決するどころか、さらに際限なき混乱を準備しているにすぎない。
 日本帝国主義の反動攻撃にたいする労働者人民の不満は増大し高まりはじめている。こうした民衆の動向は、佐藤批判票として当面いわゆる野党連合を押し上げ、佐藤内閣と日本帝国主義に深刻な打撃を与えるであろう。・
 自民党の内部ではすでに佐藤後継者をめぐる醜悪な離合集散が進行しており、いわゆる野党連合の分解を想定した様ざまな構想が渦巻いている。総選挙の結果がいかなる形態をとろうとも自民党は一方では、野党の協力をうるため、ありとあらゆる工作を加えながら、他方では、こうした中間的動揺を体制的に「解決」するものとして小選挙区制を準備していかざるをえないであろう。まさに、佐藤内閣の延命に終ろうが、いわゆる中道連立内閑の可能性が生じようが、いずれにせよ、革新都議会の現状がはっきりと示しているように、いわゆる野党連合の「勝利」は、あらたな裏切りと際限なき動揺の出発点を形成するにすぎない。
 それはより根底的な政治決戦への混乱した中間的過渡期を意味するものである。それは同時に、こうした野党連合的幻想をのりこえて進む革命的労働者階級のあらたな戦闘的出発点の形成をも意味している。
 
 総選挙、地方選挙、春闘をたたかい、戦列をうちかためよう
 
 六七年の新年をわれわれはこうした激動への過渡のなかで迎えようとしている。ベトナム侵略戦争を頂点とした戦後世界体制の危機的動揺、日本帝国主義の経済的危機の深刻化と、その犠牲の日本労働者人民およびアジア人民への転嫁、七〇年安保再改定――小選挙区制を集約点とした政治反動攻撃の激化――こうした内外の危機的情勢の展開のなかで、日本帝国主義の政治的動揺は開始された。
 六七年度前半の階級闘争を特徴づけている総選挙(一月)、統一地方選挙(三月――四月)、春闘(三月――六月)は、疑いもなく、日本帝国主義の戦後的発展過程を画期すべき巨大な政治的動揺の序曲をきりひらくものとなるであろう。
 いまや、自民党を基軸とした伝統的支配構造は根底的に動揺しはじめている。こうした政治的動揺は、当面、いわゆる野党連合を押し上げ、自民党支配をいっそう窮地に追いこむこととなるであろう。それは同時に、いわゆる野党連合にとって「帝国主義の政治的救済者たるか、その革命的墓掘人たるか」の岐路に直面することを意味しており、したがってまた、こうした岐路のまえで急速なる分裂と混乱が不可避となることは確実であろう。
 いわゆる野党連合の分裂と混乱を政治的指標とした日本帝国主義の政治肘動揺のいっそうの進展を、あらたなる政治反動の到来として決着せしむるか、あるいは、日本労働者階級の巨大な戦闘的高揚の政治的条件に転化しうるか、という根本的分岐は、まさに、日帝打倒の旗をかかげた真実の革命派の社会的登場いかんにかかっている。
 われわれは佐藤自民党内閣の腐敗政治にたいする民衆的批判の最左翼としての社会的位置な断固として形成しつつ、より根底的な激動にむかって戦闘態勢を準備していかねばならない。総選挙=統一地方選挙――春闘を勝利的にたたかいうるかどうか、この一点にすべてはかかっている。七〇年安保再改定粉砕――小選挙区制阻止を基本的政治課題とした日本階級闘争の展望はこの過程においてますます焦眉のものとなるであろう。
  (「前進』三一五号、一九六七年一月二日 に掲載)