安保体制にかんする覚え書――現代帝国主義の軍事体制
 
 本稿は、破防法裁判被告としての本多書記長が、公判準備資料として七〇年に書きつづった論稿で、これまで未発表だったものの一つである。ドルとベトナムを焦点に七〇年代的な激動過程に突入した戦後世界、とりわけアメリカ帝国主義と日本帝国主義をめぐる基本的諸問題にメスを入れ、日米安保体制の歴史的・今日的意味について理論的な掘りさげをおこなったものである。戦後世界体制(とくにその帝国主義軍事体制)にかんする歴史的考察、基軸国アメリカの世界政策とその矛盾・破綻の分析、日本帝国主義にとっての安保の意義と動向の分析、それらが高度にかみ合わさり、すぐれた世界認識の視点と方法を呈示するとともに、現代帝国主義の打倒を展望する革命戦略論としても大いなる光彩を放っている。日本帝国主義の軍事大国化・改憲攻撃の急展開過程にある八〇年代初頭のこんにち、本多書記長のこの論文はわれわれに多くの示唆を与えることであろう。
 
 
はじめに
第一章 帝国主義軍事体制の戦後的特質
 第一節 巨大軍事体制の恒常化と終了しない戦争/第二節 現代帝国主義の特殊戦後的性格/第三節 帝国主義の戦後軍事体制の論理構造と特質
第二章 現代帝国主義の軍事体制の諸相とその矛盾
 第一節 戦争国家への道/第二節 現代帝国主義における軍事力の恒常的肥大化/第三節 軍国主義体制とその崩壊の開始
 
 
 はじめに
 
 ベトナム侵略戦争におけるアメリカ帝国主義の決定的な敗勢と、その基底において進行するドル・ポンド国際通貨制度の解決されざる危機の深まりのなかで、米帝を基軸とする帝国主義戦後世界体制はその崩壊的危機にむかって日に日に苦悩の色を濃くしている。アメリカにおけるケネディ・ジョンソン政権の崩壊は、ニューディール以来の内外政策の基調の破産を世界史的に示したものであるが、より直接的には、六〇年代に入って顕著となった米帝の世界支配の動揺をまきかえし、昔日の栄光を回復しようとする反動的試みがみるも無残に挫折してしまったことを意味しているので ある。
 一方、あらたに政治委員会を掌握したニクソン政権は、ケネディ・ジョンソン政権の世界政策の失敗のうえにたって、アメリカ帝国主義と、それを基軸国とする帝国主義戦後世界体制における矛盾の歴史的累積を爆発的破局にみちびくことなしに、なしくずし的に解決していくことを独自の任務としているのである。しかしながら、ベトナム政策の行きづまりにはやくも露呈したように、ニクソン政権の試行錯誤的な政策遂行過程は、米帝の累積した矛盾を解決していく道であるどころか、むしろ米帝のかかえている矛盾の深刻さを一つひとつ暴露し、その解決が帝国主義体制そのものの変革といかに不可分のものであるかを明らかにしていく里程標となっているのである。
 しかも重要な点は、このような米帝の、破局的危機にむかっての苦悩の深まりが、特殊アメリカ的な矛盾の爆発を意味するものではなくして、むしろ、帝国主義の戦後的な延命=発展のあり方にかかわる一般的な矛盾が、そのあり方に規定されて、アメリカ帝国主義のうえに集中的に累積し爆発しているのだということである。したがって、危機を他者に犠牲転嫁しょうとするアメリカ帝国主義の苦悩にみちた政策的展開と、それにもかかわらず避けがたい力をもっていっそう深まりゆくであろう体制的崩壊の危機は、帝国主義総体の存立条件を根底からゆるがしていくとともに、現代世界の基底に物理的に閉塞させられてきた歴史的話力をときはなつ役割をはたしており、それゆえ、このような矛盾の展開は、世界革命にむかっての主客の条件を永続的に成熟させていく過程以外のなにものでもないのである。矛盾とその爆発の条件は、同時に、矛盾を解決する主体的条件を照らしだしているのである。
 周知のように、帝国主義の崩壊の条件は、帝国主義支配体制を打倒し、プロレタリア独裁権力の樹立をとおして共産主義社会を建設しようとするプロレタリアートの主体的勢力の革命的闘争を世界史的根拠としているのである。共産主義者の組織活動を媒介としたプロレタリア階級闘争の発展と、それを基礎とした内乱的死闘におけるプロレタリアートの革命的勝利なしには、帝国主義は、いかなる危機のもとにあろうとも自動的に崩壊するものではないのである。
 同時に、われわれは、プロレタリアートの革命的形成とその闘争が賃労働と資本という基底的な階級的矛盾を基礎としながらも、帝国主義の支配体制とその矛盾の具体的な展開との媒介的過程をとおして実現していく階級闘争の弁証法的構造について過小評価することはできないであろう。いいかえるならば、打倒すべき対象の存在様式と、そこにおける矛盾の段階的発展との関係においてプロレタリアートの革命的原理を媒介的に貫徹していく、というレーニン革命論の方法は、対象の把握のうちに自己認識とその変革の条件をつかみとっていく、というプロレタリアートの認識構造の階級闘争への適用以外のなにものでもないのであり、また、このような方法を媒介することなしには、プロレタリアートの階級への主体的な形成も、その革命的闘争の勝利も断じてありえないのである。なぜならば、プロレタリアートは、帝国主義の支配体制と、その矛盾の具体的な展開のうちに自己の存立条件をもっており、また、階級闘争の現実的な参加の条件もこのような事実を基礎としているからである。
 ところで、アメリカ帝国主義を基軸とする帝国主義世界体制の根底的動揺を世界史的に規定している条件が、まずもって、帝国主義世界市場の戦後的編成とその矛盾の国際金融的な爆発にあることはいうまでもないところである。国際通貨制度のうえに不断に襲いかかる危機は、制度そのものの不備に基礎をもつものではなくして、アメリカ帝国主義の圧倒的な経済的、政治=軍事的力を背景にいわゆるドル散布政策をとおしてドルの世界支配をうちたて、各国の管理通貨をそれに固定的にリンクする、という異常な方法をもってしか世界市場の再建をなしえなかった帝国主義の戦後的な延命=発展の存立条件そのものの矛盾のあらわれなのである。現代帝国主義の世界体制とその崩壊の条件を解明していくうえで、われわれが、まず基底的にふまえねばならないところのものは、帝国主義世界市場の特殊戦後的な形態をもってする編成と、その矛盾の展開にかんするマルクス経済学的な究明であるといえるであろう。しかしながら、われわれは、こんにち、この基底的な作業のうえにたって、帝国主義が戦後全世界的に構築した巨大な軍事体制と、その矛盾の諸相の内包する戦略論的な意味にかんしてさらに究明していくことが要求されているのである。
 もともと、帝国主義の体制とその崩壊の条件を解明するというマルクス主義的な営為は、いわゆる経済過程の究明をもって終るものではなく、それを基礎として、打倒すべき国家権力の性格と構造、打倒の主体をなす階級とその同盟軍、樹立さるべき権力の性格と任務などにかんする綱領的=組織論的認識を前衛党の革命戦略=組織戦術として実践的に構築することをとおして達成されるのであるが、現代帝国主義の巨大軍事体制の問題は、(民族的抑圧、後進的経済のプロレタリア的解決の問題や)議会制民主主義ならびに、労働組合制度の革命的突破の問題とともに、その中核的意味をもっているのである。それは、現代の帝国主義が、その特殊戦後的な性格に規定されることによって、いわゆる経済過程そのものすら、階級闘争と、それを媒介とした国家の政策的展開を不可欠の存立条件としていることと重要な関係をもっているのである。事実の問題として、戦後の世界市場編成と、それを機構的に保障したドル・ポンド国際通貨制度は大恐慌にもとづく世界経済のブロック的解体と、米帝への富と生産力の偏在とを、いわゆるドル散布政策をもって擬制的に解決したものであるが、そのドル散布政策の決定的水路の一つとなったものこそ、アメリカ帝国主義を基軸にして世界的に構築された軍事体制であった。戦後帝国主義の巨大な世界的軍事体制の構築は、帝国主義体制の崩壊的危機を超軍事的な強権支配の網をはりめぐらすことによって阻止しようとするきわめて政治的な反動攻撃のあらわれなのであるが、また、それは、帝国主義経済の発展を支え、その危機を政策的に回避する重大なテコをなしていたのである。
 しかしながら、問題はそれにつきるものではない。というのは、軍事体制の巨大化と、その結果としての人的構成の大衆化という現実は、反共を声高に叫びたてる現象をテコとしたミリタリズムの成立根拠であるとともに、同時に、帝国主義体制の革命的崩壊の決定的条件の一つをなしているからである。こんにち、アメリカ帝国主義の体制的危機が、基底的にはドル危機として現象する国際通貨体制の矛盾の爆発に苦悩しながらも、より直接的には、ベトナム侵略戦争における敗勢とその負担からの脱却の困難化という優れて政治的=軍事的な表現をとって示されているのは、けっして偶然でも例外的事態でもないのである。戦後日本の階級闘争の主要な政治的対決点が、日本帝国主義の日米安保同盟政策と、それに関連した諸課題のうちに設定されてきたという事実もまた、以上の事実と断じて無関係ではないのである。安保問題は、帝国主義の戦後的な世界市場編成への日本帝国主義の参加の方向を自己規定するものであるとともに、外交=軍事政策にたいするきわめて特殊戦後的な対応であるといいうるのである。
 
 第一章 帝国主義軍事体制の戦後的特質
 
 第一節 巨大軍事体制の恒常化と終了しない戦争
 
 日本帝国主義の軍事的崩壊をもって、枢軸国側(ドイツ、イタリア、日本)と連合国側(アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス)との対立と死闘を基軸とした第二次世界大戦は、後者の勝利のうちに終了した。すでに大戦の最中に「大西洋憲章」(四一年八月一四日)を発表して、(1)領土その他の不拡大、(2)民族自決権の承認、(3)一般的安全保障制度の確立などを公約したアメリカ、イギリスの両帝国主義は「一般的安全保障に関するモスクワ宣言」(四三年十月三〇日)、「ダンバートン・オークス提案」(四四年十月九日)を基礎にして、スターリンのソ連の窮極的な協力のもとに「国際連合憲章」(四五年六月二六日)を制定し、世界戦争からの脱出を希求する全世界の人民にたいし「国際の平和及び安全を維持する」一般的な集団安全保障機構としての「国際連合」の役割と使命を宣言していたのであった。人類は、第二次世界大戦の史上未曽有の犠牲からの脱出の道を「大戦中における反ファッショ連合戦線の団結を戦後にも維持し、その力によって平和を守ること」に求めようとしたのであった。日本の敗戦もまた、このような世界的な脈絡のうちにあって、日本に恒久平和をもたらすものとして民衆の力強い歓迎を受けたのであった。
 しかしながら、第二次大戦の終了から四半世紀を経過したこんにち、世界の人類ははたして平和を保障されたであろうか。たしかに、われわれは、全世界を戦乱のうちに一挙的に巻きこむ第三次世界大戦を経験してはいない。日本の民衆も外見的には、戦後二五年間、戦争の外に生活を送ってきたといいうるかもしれないのである。にもかかわらず、われわれは、もう一歩ふみこんで戦後の四半世紀の歴史を検討してみるならば、それが絶え間ない戦争の連続であったことを知ることができるのである。ここでは便宜上、マクナマラ国防長官時代にその直属のゲリラ戦争担当特別補佐官であったシーモア・J・ダイチマンの『アメリカの限定戦略』の試算によると、大戦後から六五年までの二〇年間に戦争は三二件にもおよんでいることを知ることができる。さらに、われわれは、こんにちでは、ビアフラの不幸な戦争や、イスラエルとアラブ諸国との中東戦争や、中ソの国境戦争を加えることができるであろうし、また、ダイチマンがどう認知するかは別として、六八年四月のアメリカの黒人反乱や、同年五月のパリの「五月革命」や、同年八月のチェコスロバキアや、六九年八月の北アイルランドの反乱などの一連の内乱的戦闘もこうした表に書き加えることができるであろう。
 近代史においてもっとも戦争が続発した時期は、一般的には一九世紀末から二〇世紀初頭にかけての帝国主義段階への移行期であるとされているのであるが、この時代の戦争にかんしてレーニンの『帝国主義論』によってみると、別表(2)のようになり、この簡単な対照表から判断しても、「戦後」と概括的に呼称される現代が、じつは史上類例のない戦争の時代であることに注目しないわけにはいかないのである。アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争は、このような戦後における戦争の連続の内包する世界史的意味をもっとも鋭く突きだしたものであり、また、そうだからこそ、それは戦後の帝国主義体制を根底からゆるがすものとして発展していく必然性をもつこととなるのである。
 もちろん、このような戦後における終了せざる戦争という皮肉な現実にたいして、弁解ともつかない説明がおこなわれるであろう可能性を拒否することはなかろう。現代世界の権力者たちは、帝国主義者たちだけではなく、革命家を自称するスターリン主義者たちも、権力政治の論理の谷間からいろいろな理由をあげて、その責任を相手になすりつけるために、何時間でも何日でも、何年でも討論しつづけることであろう。帝国主義者たちはこういうであろう。――たしかに、一般的安全保障制度としての国連は発足したが、共産主義者たちが世界支配の野望を放棄せず、侵略の試みをくりかえすため、世界の平和がおびやかされているのだ、と。他方、スターリン主義者たちは、帝国主義者の非難にこたえてつぎのようにいうであろう。――われわれは両体制の平和共存を真剣に求めているが、帝国主義が国連憲章の精神に反して戦争政策をつづけるからだ、と。しかしながら、このような権力政治の論理は、はたして現実を正しく説明し、その解明を与えることになるであろうか。
 まず、最初に帝国主義の論理から検討してみょう。ここでは、いちおうかれらの論理を受容して「共産主義者の世界支配のための侵略の脅威」を前提にして話をすすめるとしよう。なぜならば、戦後の帝国主義軍事体制の構造と役割を具体的に検討するならば、このような反共主義がまったく自己の危機的な姿の転倒した認識以外のなにものでもないことがたちまちあきらかになるからである。周知のように、アメリカ帝国主義は、戦後、全世界にわたって巨大な軍事体制を構築したが、その軍事的構成と目的にかんして、プリンストン大学の高等研究所長、カール・ケイセン教授は、ニクソン政権のブレインを目指す政策論文集『アメリカは何をなすべきか』所収の「軍事戦略、軍事力、軍備管理」においてつぎのようにのべている。
 すなわち、戦後のアメリカの軍事政策の基本目標は、ソ連が指導する共産勢力の進出に歯止めをかけるために地球上のほとんどの地域に米軍を展開するという防衛的な性格をもつものであり、具体的には(1)第一目標、米国にたいする攻撃を抑制し、防衛すること、(2)第二目標、西欧にたいする攻撃を抑制し防衛するととむに、政治的手段で西欧を間接支配するための武器として、米国にたいする攻撃の脅しを含めて軍事力を行使することを抑制し防衛すること、(3)第三目標、世界のどの部分においても共産主義勢力の拡張に反対すること、とくに非共産主義国家が、ソ連の公然、非公然の援助を受けた共産主義者によって政権が奪取されるかたちをとった場合に反対すること、の三目標をもつものであったと確認している。
 かくして、アメリカ帝国主義は、(1)熱核兵器を装備し、全世界的に行動しうる長距離戦略打撃兵力の建設という戦略的優位性を基礎に、(2)膨大な軍事力とその基地を全世界に配備し、(3)いわゆる同盟国とのあいだに多角的な集団防衛条約機構をつくりあげていったのであった。かくしてその規模は、アメリカの兵力のみで六八年末現在で西半球二二三万、欧州地中海地域三二万、アジア太平洋九〇万、計三四五万となり(うち海外駐留の部隊だけで一五一万七千)、国防省関係では文官も含めて総計四七〇万人におよんでいるのである。また、基地網も主要在外基地だけで三四〇ヵ所にわたっているのである。また集団防衛条約機構も、NATO(四九年)、SEATO(五四年)、CENTO(五九年)、中南米諸国とのリオ条約(四七年)をはじめ四三ヵ国と締結されており、この条約機構にそって各国の軍事力が米軍事戦略と結びつけられているのである。
 したがって、古代ローマ帝国を想起させるような、この巨大な世界軍事体制は、すくなくともソ連・中国などとの軍事的対抗(帝国主義者の論理によれば「共産主義勢力の攻撃」を抑制し防衛すること)を達成するという意味では、あまりにも十分のものであったというほかはないのである。それどころか、こんにちでは、アメリカ帝国主義が反共合唱の仮想敵国として対象化してきたソ連とアメリカとのあいだには、各種の政治的、軍事的な協力関係が形成されているのであり、米ソの世界戦争の危険よりも、米ソの超世界的な軍事力が協力して他の国ぐににたいする伝統的支配機構を再強化していく道の方がはるかに現実的なのである。にもかかわらず、先にも指摘したように、戦争はいっこう終了せず、かえってアメリカ帝国主義にとって絶望的なほどに深刻な性格をもった戦争と、その危険がますます増大しているのである。すなわち、中東戦争の永久戦争化であり、ベトナム侵略戦争を導火線とする台湾危機、朝鮮危機などアジア全域の危機の不可避的な深まりであり、また帝国主義本国におけるベトナム侵略戦争に反対する民衆のたたかいの高揚であり、それを基礎とする軍事政策の根底的な動揺のはじまりである。現代帝国主義は、反共をテコに超地球的な軍事体制を構築したために、かえって、それが帝国主義の戦後世界体制にとって異常な経済的負担となってはねかえっているばかりか、いわゆる反共軍事基地の密集地域において帝国主義体制を根底的にゆるがすような政治的=軍事的勢力が増大する傾向を強めはじめているのである。
 このようにみてくると、事態ははなはだ転倒した様相を示すことになる。帝国主義者たちにとって、当初はすくなくとも「共産主義の脅威」に対抗する目的をもって構築されたはずの全地球的な巨大軍事体制が、帝国主義の体制を根底からゆるがし、共産主義革命の現実の脅威を生みだす条件に転化しはじめているのである。後に検討するように、もともと戦後の帝国主義軍事体制の形成の根拠そのものが、戦後帝国主義の体制的危機の排外主義的表現以外のなにものでもなかったのであるが、いまや、このような危機の排外主義的な転嫁の機構そのものが、帝国主義体制の世界史的な崩壊を準備する導火線としての役割をいっそう明らかにしはじめているのである。カール・ケイセン教授は、アメリカの戦後の軍事政策が「共産圏」の軍事力の行使を抑止し、その分裂をもたらし、かつ西欧共産党の「政治的節度」を強制したといささか得意気に確認しながらも、「アジアに障害のない平和が訪れる見通しは暗い」ことを渋々と告白せざるをえないのである。帝国主義戦争から革命戦争への転化は、米ソ対立という幻想的関係の基底において、より根底的な危機として進行しているのである。ソ連との軍縮交渉(正しくは軍備管理にかんする交渉というべきもの)についてのアメリカ帝国主義の錯乱したイデオロギー的態度の秘密は、まさにこの点に根拠をもっているといわねばならないのである。
 一方、スターリン主義者たちは、戦後における帝国主義の世界軍事体制の構築とその戦争政策にたいし、これを第二次世界大戦における連合国側の戦争目的と、それにもとづく一般的安全保障制度の国連としての確立からの逸脱であると非難し、帝国主義の軍事体制にたいし一国社会主義的に対抗する軍事体制を構築しながら、同時に、軍縮の締結と平和共存体制の回復をイデオロギー的にくりかえし要求しているのである。しかしながら、アメリカ帝国主義を基軸とする戦後の軍事体制の構築は、スターリン主義者が幻想しているように、第二次世界大戦における連合国側の戦争目的からの背離を意味するものなのであろうか。また、帝国主義世界軍事体制と、それに対抗するスターリン主義陣営の軍事体制という全地球的な軍事制圧複合体の形成にもかかわらず、戦後の四半世紀にわたって戦争が終了せず、それが連続しているのは、はたして現代の権力者たちが平和共存の原則を無視しているためなのであろうか。いやむしろ、帝国主義から社会主義への世界史的移行期が、帝国主義とスターリン主義(社会主義への過渡期の一国社会主義的変質)の平和共存として現象的に固定され、それがあたかも平和の保障であるかのごとく受容されていることに関係あるのではなかろうか。もっと端的にいうならば、帝国主義の死滅せざることに戦争の終了しない原因があるのではなかろうか。
 そうだとするならば、まさに、体制間の平和共存という転倒したイデオロギー的な仮構が、現代帝国主義の特殊戦後性に規定されて、終了せざる戦争という衝突的表現をとってその矛盾を爆発させているのではなかろうか。ベトナム戦争はその根底において戦後世界のヤルタ=ジュネーブ的編成の矛盾の爆発であり、その突破の道を模索するものなのである。それゆえ、戦後の戦争の原因は、第二次大戦とその戦後処理の性格の検討を軸に現代帝国主義の特殊戦後的規定性の問題を追究してみることのうちに求められなくてはならない。
 
 第二節 現代帝国主義の特殊戦後的性格
 
 第二次世界大戦の戦後処理の過程をとおして形成された戦後世界と、そこにおける全地球的な巨大軍事体制と終了せざる戦争という異常な事態を解明するためには、われわれは、いまひとまずここで、戦後世界の主導的要因をなし、終了せざる戦争の基底的根拠をなしてきたところの現代帝国主義の世界史的性格について主として戦争との関係において幾点か確認しておくことが必要であろう。それは同時に、スターリン主義者たちの抱いてきた戦後世界にかんする基本的構図の幻想性を明らかにすることにもつながるものと思われるのである。
 現代の帝国主義を世界史的に規定している第一の要因は、特殊戦後的な形態をとっているとはいえ、その運動と体制を根底的に支配する法則性がほかならぬ資本主義の帝国主義段階的矛盾であるという点である。もともと、資本主義は労働力の商品化を基本矛盾とし、恐慌をその矛盾の爆発=解決形態として独自の発展をとげるものなのであるが、帝国主義段階にあっては、重化学工業の発展を基軸とする固定資本の巨大化を基礎として、労働力の商品化の矛盾にもとづく資本の過剰を恐慌をとおして自律的に解決していくことが困難となり、その矛盾を帝国主義段階に特有な諸機構をとおして戦争として爆発させていくことになるのである。帝国主義段階の資本主義は、労働力の商品化の矛盾の展開をとおして旧社会を分解し、資本蓄積を自律的に促進していくばかりではなく、その過剰資本の未整理の負担を他者に犠牲転嫁していくための独占的機構をつくりあげたのであるが、このような独占体制の形成は、市場を国外市場と国内市場とに人為的に分割し、特定の地域を自己の排他的な勢力圏として獲得し確保しようとするために、諸列強のあいだの衝突を不可避とするのである。
 かくして、世界の分割と再分割をめぐる帝国主義諸列強の対立と衝突は、一方では植民地支配のための侵略戦争を激化させるとともに、他方では帝国主義的世界支配権をめぐる世界戦争として爆発していくこととなるのである。こうした事情のもとでは、帝国主義諸列強にとって世界支配のための世界戦争に耐えうる軍事体制の構築が必要とされるのであり、いわば、世界政策の成否が帝国主義の運命にとって決定的な意義をもつにいたるのである。二度にわたる世界戦争は、全人類を戦火のもとにいっきょにたたきこみ、史上未曽有の破壊と死傷をもたらしたのであったが、帝国主義にとっては、それは自己の世界支配権をかちとるための文字どおり死活をかけた決闘であった。帝国主義の時代は、まさに戦争の時代であり、戦争にたいする軍事体制の絶えることなき巨大化の時代なのである。もちろん、こんにちでは、特殊戦後的な経済的・政治的・軍事的条件に規定されて、帝国主義諸列強間の軍事関係は特有な形態をとって現象しているのであるが、にもかかわらず、現代の帝国主義ほど、その政治と経済が軍事体制=軍事政策に強固かつ恒常的に結びついている時代をわれわれは知らないのである。
 後にふたたびわれわれはこの問題について具体的に検討することになるであろうが、ここで結論的にいうならば、現代帝国主義、とりわけアメリカ帝国主義に顕著にみられる軍事政策が経済政策に先行するような事態は、資本主義の帝国主義段階的に規定された矛盾の具体的な表現としてみなされなくてはならないのである。小ブル平和主義に骨の髄まで冒された平和論者たちは、世界戦争が一挙的な爆発形態をとって勃発していないという現象的事態に幻惑されて、軍縮にむかってのプログラムにかんする終了せざる研究と討論をつづけているが、われわれは、現代帝国主義の軍事体制が極限にむかって上昇していこうとしている事態と、その過程をとおして帝国主義体制そのものの矛盾の爆発を準備している事態とを、帝国主義のその特有な矛盾の戦後的な現象形態として把握していかなくてはならないのである。
 現代の帝国主義を世界史的に規定している第二の要因は、特殊戦後的な形態をとっているとはいえ、その運動と体制が、ロシア革命を突破口とする世界革命の開始と、それにもとづく世界の帝国主義と社会主義(それにむかっての過渡期社会=労働者国家)への分裂であり、したがってまた、世界革命の脅威とその根拠地にたいする瞬時も休むことを許されない帝国主義的反革命の恒常化によって決定的に条件づけられているということである。
 周知のように、第一次世界大戦は、重化学工業化を基軸としたドイツ帝国主義の興隆と、それにたいするイギリス帝国主義の防衛的対応とをめぐって帝国主義世界市場編成の矛盾が帝国主義戦争として爆発したものであったが、このような世界戦争の惨禍は、たがいに死闘する欧州大陸の帝国主義軍事ブロックを史上未曽有の疲弊状態にたたきこむとともに、帝国主義戦争を内乱に転化する階級的条件を成熟させたのであった。もともと、帝国主義戦争は世界支配権の再分割をめぐる列強間の軍事的死闘であり、国民経済とその可能的軍事能力のすべてを動員した総力戦としての性格を不可避的にもたざるをえないのであり、それゆえ、この過大な負担に耐ええない帝国主義国家は、敵対的陣営への軍事的敗北の承認か、それとも革命による戦争の内乱への転化かという危機に直画したのであった。
 ツァーリズム権力の構築した巨大かつ重厚な軍事的・警察的・官僚的機構によって脆弱な帝国主義的基礎を補強してきたロシア帝国主義は、東部戦線の泥沼的な死闘の慢性化に耐ええず、その歴史的に累積した矛盾をツァーリズム権力の崩壊として爆発させたのであった。労農兵士ソビエトを基礎とする人民革命の高波のなかでツァーリズムにかわって単一の権力を掌握したロシア・ブルジョアジーは、大衆の自然発生的高揚によってかえってソビエト内の多数派の地位を占めたメンシエビキ、エス・エル右派の協力のもとに、ブルジョア支配を確立し、帝国主義戦争のあらたな貫徹を追求しようとしたのであった。レーニンを先頭とするロシア・ボルシェビキは、帝国主義段階論の確立と、それにもとづくプロレタリア革命論の飛躍的前進を基礎として党の再武装をかちとるとともに、労農兵士ソビエトの革命的自己権力への道を英雄的に推進することをとおしてプロレタリア権力の勝利をかちとったのであった。帝国主義戦争を内乱に転化し、プロレタリア世界革命を永続的に展開していく突破口がきりひらかれたのである。
 一七年十月のロシア革命にひきつづいて、一八年にはドイツではキールの水兵の反乱を合図に反戦・反帝の革命的政がまたたくまに全国にひろがり、カイゼル廃帝と労農兵士レーテの全国的な組織化を生みだしたのであり、またイタリアにあっても、トリノを中心に工場労働者評議会運動がまき起こり、ハンガリア、ヨーロッパ全土に革命の波が襲ったのであった。帝国主義戦争は、膨大な労働者・農民・市民を兵士に組織し、軍事体制のうちに全社会的過程を暴力的に包摂することによって、一方では、ブルジョア民主主義の極度の制限と軍国主義的奔流をうみだしたのであったが、他方では、帝国主義世界政策の破綻がただちに支配体制の政治的崩壊をもたらすはかりでなく、革命をめざすプロレタリアートの側に帝国主義軍事体制の遺産を大量的に相続させることになったのである。総力戦体制は、軍事力の国家的独占を史上類例のない規模にまで高度化することによって、逆に、軍事力を特定の軍事官僚の手に独占してきた従来のブルジョア軍事体制を解体してしまったのである。いまや、軍事力は、帝国主義列強間の世界支配権をめぐる死闘の手段、植民地人民と自国プロレタリアートの抑圧の手段としての役割とならんで、プロレタリア世界革命の推進手段として自己を再組織する役割を担うようになったのである。
 もちろん、ドイツ革命の敗北を決定的契機とする世界革命の波の一時的な後退は、ロシア革命の一国的孤立をもたらすとともに、スターリンの一国社会主義理論の登場とロシア共産党におけるその勝利を基礎として、ロシア労働者国家の官僚制的変質と国際共産主義運動の不幸な混乱をうみだしたのであった。そして、このような革命主体勢力の変質と混乱を根拠として、ロシア革命を突破口とする帝国主義と社会主義との世界史的分裂は固定化され、帝国主義とスターリン主義の平和共存形態に変容させられていったのであったが、にもかかわらず、ロシア革命を根拠とした世界の分裂は帝国主義体制を基底的にゆるがすものとして存続し、革命のしのびよる影を恒常化する決定的な条件となっているのである。したがって、現代の帝国主義は、ソ連にたいし他の列強への対抗の手段として軍事力を維持するのみならず、その巨大な軍事力が帝国主義支配の手段からプロレタリア解放の手段に転化する危険を阻止するために、軍事体制内部での兵士の自由を徹底的に抑圧し、「共産主義の脅威」=侵略に対抗するという虚偽のイデオロギー的教育が不可欠の要件となって定着していくことになるのである。
 現代の帝国主義を世界史的に規定している第三の要因は、特殊戦後的な形態をとっているとはいえ、その運動と体制が、二九年の大恐慌と、それにもとづく世界経済のブロック化、そして、そのもとで帝国主義の歴史的命運をかけて展開された国際階級闘争によって条件づけられているという事実である。もともと、現代の帝国主義は、帝国主義段階――帝国主義戦争、ロシア革命――世界の分裂という二つの決定的な契機によって規定されたものであり、戦争と革命の時代として性格づけられたものなのであるが、二九年の大恐慌と帝国主義のブロック的解体という大事件は、戦争と革命という時代史的な特質を帝国主義の内在的な体質として消しがたい力をもって刻印づけることとなったのである。
 すなわち、第一次世界大戦と、ロシア革命を突破口とする世界の帝国主義と社会主義への分裂は、帝国主義諸列強本国における階級闘争を激化させ、ヨーロッパの革命闘争とアジアの植民地革命とを結びつける巨大なのろしとなった。もちろん、革命の波がロシア一国に閉塞しうるかぎりにおいては、そのイデオロギー的波及力はともかくとして、世界経済論的には、それを特殊地域的な異物現象として世界資本主義の編成をすすめることは不可能ではなかった。
 事実、第一次世界大戦をつうじてヨーロッパの兵器工場として巨大な富と生産力を集積したアメリカ帝国主義は、欧米間の戦時負債の矛盾が対独賠償取り立ての重圧としてドイツに集中し、それがドイツ革命の永続的な条件に転化しはじめたのに恐怖して、二四年のドーズ提案を転機に対欧信用回復と対独資本輸出にふみきり、かくしてヨーロッパ経済の熱病的再興がはじまり、階級闘争のいちおうの平静化をむかえるようになったのであった。戦後革命の波がヨーロッパでその党的未成熟を主体的要因として敗北したかぎりにおいては、世界市場の帝国主義的再編成がそれなりに成立したのは当然であったといえよう。
 しかしながら、ヨーロッパ――アメリカの繁栄は、あまりにも短期日に終った。世界大戦によって停止されていた金本位制復活の努力がようやく緒につくかいなかといううちに、早くも大恐慌が世界経済を襲い、世界貿易と資本移動を縮小し、各国経済を破局的危機にみちびいたのである。ウォール街の株の大暴落をもってはじまった大恐慌は、米資本のドイツへの輸出がドイツ経済の復興をもたらし、米経済にたいする競争力を強化するという第一次大戦後の世界市場編成の構造的矛盾が爆発したものであったが、それは、アメリカ、ヨーロッパの経済的大破局をもたらし、植民地・後進国の金融構造の絶望的な崩壊を生みだし、かくしてアメリカ、ヨーロッパにおいて、アジアにおいて階級闘争を一挙的に爆発せしめ、ロシア革命の影を全世界になげかけたのである。こうした危機のもとにあって、各国の帝国主義権力は、一方では、プロレタリア革命にたいする軍事的な制圧体制を強化するとともに、他方では、不況の長期化が階級闘争の革命的爆発の条件に転化するのを阻止するために、いわゆる国家独占資本主義的な政策の採用にむかったのであった。すなわち、それは、世界経済の犠牲において国内経済の一国的均衡を実現するための異常な国家措置としての管理為替制度の採用を条件として、国家財政の政策的な支出をもって資本の過剰を重点的に整理し、余剰労働力の管理を促進しようとするものであったといえよう。このような国家政策の遂行のためには、中央執行権力の決定的な強化確立が不可避であり、プロレタリア階級闘争の存立条件をなしていた政治的民主主義の制限と、その解体とが不可避なことはいうまでもないであろう。
 この道は、基本的には二つの形態をとって現象した。第一の道は、ドイツにおけるナチズムであり、第二の道はアメリカにおけるニューディールである。ドイツにあっては、国防軍首脳と結託した金融資本は、世界最強のドイツ・プロレタリアートの政治的背骨を粉砕することなしにはこの政策の実現は不可能であり、また、そのためには国防軍と警察力の直接的な弾圧だけでは困難であると判断し、ナチスの組織した巨大な小ブルジョアに政治的に依拠し、その組織的暴力をテコとして国家独占資本主義政策への推転を強行していったのであった。他方、アメリカにあっては、金融資本は、連邦政府の軍事的・財政的権限を飛躍的に強大化させながら、政治的には政治支配層内部の保守的傾向を排除して社会改良的な政策を先行的に施行し、プロレタリアートと没落する小ブルジョア層を体制内的に包摂し、プロレタリア革命の萌芽をイデオロギー的に解体する道をえらんだのであった。
 ところで、国際共産主義運動の公認指導部を掌握したスターリン主義者は、このような金融資本の体制的危機をかけた攻撃にたいし、これを大恐慌下の階級闘争の激化と、そのもとでのプロレタリア革命の発展への先行的な反革命として実践的にとらえかえすことができず、一方では、ナチズム=ファシズムに反対する共産主義者と社会民主主義者との統一戦線を拒否してヒトラーの勝利を許すとともに、他方では、その裏返しとして人民戦線戦術にのめりこみ、ルーズベルトのニューディール政策を恐慌の人民的克服の道として美化してプロレタリアートの思想的武装解除に手をかしたのであった。かくして、全世界のプロレタリアートは、大恐慌とその深刻な影響のもとでたたかわれた三〇年代の世界史的選択において帝国主義の危機をプロレタリア革命に転化する道をすすむことができず、ニューディール政策とその道にそった民主的£骰綜蜍`にたいしてそれを支援する部隊にまで堕落せしめられたのであった。
 しかしながら、われわれが同時に着目しなければならない点は、このようなプロレタリアートの革命的暴力の自己解体にもかかわらず、三〇年代をとおして帝国主義の軍事体制は、議会的統制からもほぼ完全に独立した巨大な軍事力を中枢とするようになり、しかも、軍部指導者の支配階級内部における地位がいちじるしく重要性を占めるようになったということである。
 現代の帝国主義を世界史的に規定している第四の要因は、特殊戦後的な形態そのものにかかわることであるが、その運動と体制が、第二次世界大戦の歴史的性格と、その戦後処理の特殊性によって決定的に条件づけられているということである。すでにみたように、国際帝国主義は、スターリン主義者の武装解除にたすけられて、二九年大恐慌と、その深刻な影響のもとでの帝国主義体制の史上未曽有の危機を国家独占資本主義的政策をとおして収拾しようとしたのであったが、しかしながら、それは大恐慌のもたらした矛盾を解決したものではなく、その矛盾を排他的に犠牲転嫁したものでしかなかったのであり、必然的に世界戦争として爆発せざるをえなかったのである。第二次大戦は、その本質において帝国主義的矛盾が帝国主義の二大軍事ブロックの死闘として爆発したものであるが、にもかかわらず、それは第一には、イデオロギー的には、ファシスト陣営と反ファシスト陣営の戦争という表現をとったこと、第二には、独ソ戦の開始によってソ連が世界戦争に暴力的に包摂され、一方の陣営に不可避的に加担することによって、このようなイデオロギー的仮構にたいするスターリン主義的な意義付与がおこなわれたために、その本質はきわめて不明瞭なものとされていったのであった。そのために、ファシスト陣営の侵略下にあって、武器をとって抵抗闘争にたちあがった民衆を「帝国主義戦争を内乱に転化」していく綱領的方向にみちびいていくのではなしに、逆に、ブルジョア民族主義とブルジョア民主主義を鼓吹する方向を氾濫させることになったのであり、他方ファシスト陣営内にあっては、その反戦闘争を自国帝国主義打倒にむかって解放するのではなしに、米帝解放軍的な偏向にむかって霧散させていってしまったのである。
 すなわち、戦後の特殊性を構造づける第一の条件は、第二次大戦は連合国側の軍事的勝利に終ったことは周知の事実であるが、この事実は同時に、戦後世界の支配権は連合国のあいだで分割されたということを意味しているのである。
 ルーズベルトとチャーチルは、「大西洋憲章」において「領土その他の不拡大」を宣言し、その後も戦後処理にかんする連合国内の取り決めにおいて平和的、民主的スローガンをくりかえしていたが、にもかかわらず、連合国の戦後処理の本質は、枢軸国にたいする軍事的勝利を基礎として、米英を主力とする帝国主義軍事ブロックが、その内部で米英の地位にかんする矛盾をともないながら、世界支配権を掌握したことにあるのである。ただそれが、従来の帝国主義的戦後処理とは異なった特殊性をもっているのは、いわゆるヤルタ協定にもとづいてソ連圏の存在を承認し、その代償として戦後処理にたいする国際スターリン主義運動の支持をとりつける、という形態でおこなわれたところにあったといえよう。いわば、戦後の帝国主義体制は、たとえ変容された内容のもとではあれ、帝国主義と社会主義への世界の分裂を体制的に前提化し、しかも、帝国主義本国における戦後処理においてもスターリン主義運動を体制内的に包摂することをとおして達成されたものであり、きわめて危機的な性格をもっているのである。
 したがって、米帝を基軸とする帝国主義世界体制はこのような戦後世界の危機的構造から脱却するために、試行錯誤的ではあるが、ソ連圏と、それを物質的支柱とする国際スターリン主義運動にたいする徹底的な軍事制圧の世界戦略を展開するとともに、同時に、米帝を基軸として発展する帝国主義市場編成とその世界体制をもってスターリン主義圏を積極的に包摂していく政策をとることになったのである。この事実に規定されて、帝国主義諸列強間の世界支配権をめぐる軍事的対立もまた、共産主義の脅威に対抗する軍事体制の責任分担という外見性をもって争われることになるのである。
 その第二の条件は、ドル・ポンド国際通貨制度という擬制的形態をとって帝国主義世界経済が統一性を回復したにもかかわらず、その矛盾が、第一にはドル危機として、第二には終了せざる戦争=内乱への転化として永続的に爆発していることである。
 もちろん、それは、二九年大恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック化を根底的に解決するものではなく、米帝の圧倒的な富と生産力を基礎として、ドル散布政策にもとづくドルの世界支配化をとおしてブロック化の矛盾を補完したものにすぎなかったのであるが、にもかかわらず、戦時経済の半恒常化にもとづくアメリカ経済のゆるやかな発展を基調にして世界経済は膨張をつづけ、戦後の崩壊状態から立ち直ったのであった。しかしながら、EECの形成と発展にともなう米帝の地位後退という、それじたいとしていうならば世界経済の異常性の修正ともいうべきこの事態は、逆に、帝国主義の世界体制を根底的に動揺させることとなったのである。
 アメリカ帝国主義は、かくして、ヨーロッパ市場にたいする本格的なまき返しに出るとともに、いわゆる核柔軟反応戦略をテコに軍事支出の膨張にふみきり、長期的な好況を謳歌するにいたるのであったが、それは同時に、一方では米軍事体制のベトナム=アジアにおける破綻、他方では膨大な軍事支出によるドル危機のいっそうの深刻化として、米帝の体制的危機を破局に追いこむ水路となったのであった。第一次世界大戦後からの半世紀、帝国主義の危機は、いわゆる不均等発展に規定されて、アメリカ経済の相対的安定によって補完された特異な世界市場編成(それはアメリカ経済の対外構造の特殊性にもとづいている)をとりながらも、かろうじて乗りきられてきたのであったが、いまや、その最後の基軸がゆらぎはじめたのである。
 なお、ここであわせて注意しておくべきことは、大恐慌の打撃を帝国主義諸国は国家独占資本主義政策の採用と、戦後のドル散布政策をとおしていちおう乗りきることができたが、植民地・後進国経済にあってはその金融構造の破綻は、戦後になっても回復せず、植民地解放闘争の激化と結合して、伝統的な植民地・後進国体制の永続的な崩壊をもたらしたという点である。もちろん、アメリカ帝国主義は、いわゆる後進国経済援助をとおして、これらの地域の経済とその国際金融構造をいっそうゆがんだものにしながら、その巨大な軍事力をもって超軍事的な支配体制を構築し革命に対抗しようとしたのであったが、かえってそれは、植民地・後進国地域における三〇年以来の永続的な危機を戦後世界体制の根底的動揺の決定的要因として積極的に結びつけ、戦後における終了せざる戦争の性格をくっきりと照らしだすものとなっているのである。第二次世界大戦は、いわゆる第三世界において、植民地戦争とそれにたいする帝国主義的反動との永続的戦争という特殊な形態をとって「戦争を内乱に転化」しているのであり、それはまた、侵略戦争と、それにたいする本国プロレタリアートの反戦闘争をとおして、本国の内乱へとひきつがれようとしているのである。
 その第三の条件は、戦後における帝国主義の世界支配が、一般的集団安全保障制度としての国運と、地域的集団安全保障体制としての多角的な帝国主義軍事ブロックという二重の機構を媒介として成立していることである。
 それは、すでにのべた第一、第二の条件のうえに世界的な政治的=軍事的上部構造として構築されたのであるが、その構造の特殊性については節をあらためて検討することにしよう。
 
 第三節 帝国主義の戦後軍事体制の論理構造と特質
 
 現代帝国主義の特殊戦後的な性格は、すでに検討してきたように、帝国主義的矛盾が戦争と革命として不断に爆発している時代の帝国主義であるが、しかしながら、帝国主義から社会主義への世界史的過渡期が帝国主義とスターリン主義の平和共存的変容形態として現象している現代世界の特殊性に規定されて、ドル・ポンド国際通貨制度といわゆる集団安全保障体制を両軸とする帝国主義的世界機構の維持をとおして、かろうじて「戦争と革命の問題」の一挙的爆発が抑止されているところに、その特殊的な性格があるといえよう。
 いいかえるならば、二九年恐慌と、それにもとづく世界経済のブロック的解体という帝国主義世界市場の有機的統一性の崩壊が、現代帝国主義をして経済的・政治的=軍事的世界機構の強権的な構築とその維持とを絶対的に要請するという転倒した現象形態をとっているところに、その世界史的な性格があるのである。マルクーゼのように、この転倒性に無自覚のまま、帝国主義的矛盾の消滅を確認し、その幻想のうえに革命を希望する私観的プログラムの上には、周辺革命論あるいは、小ブル革命論というような日和見主義しか生まれてこないであろう。
 われわれは、帝国主義本国におけるプロレタリア革命の現実性をあきらかにしていくためには、賃労働の本質的把握にもとづいた共産主義的自覚にふまえながら、現代帝国主義が構築する世界的・国内的体制と、それがもたらす幻想性=虚偽のイデオロギーの批判をとおして帝国主義体制の崩壊の条件を具体的・媒介的に解明し、それを基礎としてプロレタリア革命の戦略論と組織論を実践的に再検証していく方法にたつべきなのである。
 まさに、第二次世界大戦は、ヤルタ協定と、それを前提とした帝国主義戦後世界体制の形成として処理されたのであったが、にもかかわらず、第三世界において植民地支配の根底的打倒をめざす人民的武装反乱として永続的にひきつがれたのであり、それにたいする帝国主義的侵略戦争=終了せざる戦争をとおして本国プロレタリアートをふたたび第二次世界大戦にラセン的に結びつけたのである。いなむしろ、われわれは、一見すると世界的統一性を機構的に保障しているかのようにみえる帝国主義の戦後世界体制の根底的動揺の具体的諸条件と、そこにおける終了せざる戦争のなかに、帝国主義の矛盾の戦後的な発現の諸相をみていかなくてはならないのであり、この水路にそってプロレタリアートの反乱の条件をさぐりだしていくことが必要なのである。
 ところで、国連ならびに、いわゆる地域的集団安全保障体制の本質はいかなるものであろうか。まず帝国主義のイデオロギー的代弁者たちの説くところに耳をかたむけるとしよう。
 「集団安全保障の観念は、二〇世紀の産物であり、第一次世界大戦の惨禍を経た後に生まれ、国際連盟によって最初に具体的な形となってあらわれた。それ以前のヨーロッパにおける安全保障が、国家対国家あるいは国家群対国家群の力のバランスによって安全を維持していこうとしたいわゆる勢力均衡方式であったのに対し、集団安全保障とは、対立関係にある国家をも含め、関係のあるすべての国家が相互に不可侵を約し、これに違反して平和を破壊した国家に対しては、他のすべての国家が協力し集団として強力措置を発動し、もって平和の維持回復をはかろうとする方式である」『安全保障体制論』大平善悟「安全保障の諸形態」)「ところで注意しなければならないのは、この集団安全保障という言葉は、最近、一部の人々によって、本来の意味を失わせるまでに、ことさらに歪めて用いられ、『危機にさいして、二国以上の国が共同の軍事行動をとること』といった広い意味に使い、従って軍事同盟なども、この概念に含めようとするものである。しかし、本来、集団安全保障は軍事同盟と本質を異にするばかりか、これと対立する概念として登場したものであることを忘れてはならない」(前掲書、香西茂「国連の平和維持機能とその限界」)
 つまり、集団安全保障の概念とは、相対立する国家および国家群が共同して不可侵の盟約を結ぶことであるというのである。帝国主義者たちは、大変に結構な平和維持の保障を考えだしたものである。それでは、現実には、このような概念はいかなる形態で存在しているであろうか。
 「現在の国際社会において機能している安全保障の形態は、一般的集団安全保障、地域的集団 安全保障(ロカルノ型および集団防衛型)、個別的安全保障、永世中立の四つである。具体的 には(1)「その関係国の範囲が世界的規模に及ぶときに、普遍的あるいは一般的集団安全保障といわれる」(例、国際連盟、国際連合)、(2)「普遍主義による世界平和の維持が不充分」の場合「地理的に隣接する国家が相協力し提携する体制」(例、ロカルノ体制、北大西洋条約機構、ワルシャワ条約機構など)、(3)「二国あるいは三国が防御の同盟を結び相互に協力し合って外部の侵略に対する場合」(例、日米安保条約、米韓相互防衛条約、米華相互防衛条約など)、(4)「永世中立は、きわめて特殊な安全保障の形態であり、以上にのべた現在の国際社会における安全保障の形態が、みな国連憲章の枠内においてとらえられるのに対して、国連憲章の枠外に位置するもの」(スイス、オーストリアなど)(前掲書、大平論文)
 以上の四つの型のうち第四の型は、ここで問題にしている集団安全保障から捨象することができるし、また第三の型は、アジア情勢に規定されて第二の型が変容して実現したものとみなすことができるであろう。したがって結論的にいうならば、いわゆる集団安全保障が、一般的集団安保体制としての国連と、地域的集団安保体制としてのNATO(北大西洋条約機構)、日米安保条約などの二つの型からなっていることはあきらかであろう。
 このように整理してくると、われわれは、はやくも集団安保体制の現実と「国際社会の連帯感を基礎として戦争を防止する方式」(田中論文)というイデオロギー的建て前とのあいだに、度しがたい乖離が存在することに気づかざるをえないであろう。事実、いまここでは、国連の性格にかんする判断を保留するとしても、NATOや日米安保条約など「今日の世界におけるもっとも顕著なる安全保障の方式」(大平論文)をなす集団防衛型の地域的安全保障が「従来の軍事同盟に類似する」性格をもっていることは、公平な判断力を有するならば、なんぴとにとっても否定しえないことだからである。
 もちろん、このような判断に抗して大平善悟は、(1)国連憲章への適法性、(2)仮想敵国の不特定、(3)軍事、政治、経済、技術、文化などにおける提携、(3)戦争達法化の観念、という四つの理由からNATOや日米安保条約は軍事同盟ではないと愚にもつかない合理化を試みているのであるが、集団安保体制をこのように国連との関係で整合化し、幻想化していく過程こそ、じつは、現代世界における軍事体制の二重構造、すなわち、国連と軍事同盟との複合的関係を示しているともいえるのである。しかも重要なことは、このような集団安全保障にかんする世界主義と地域主義の分離が、じつはこんにちにおけるアメリカ帝国主義の世界支配の矛盾的構造を国際法イデオロギー的に反映していることである。
 大平、田中らとならんで反動的国際法学の一翼を占める一又正雄は、「地域的安全保障体制の強化とその国際連合への非従属的傾向」にたいして「世界機構と地域機構の合理的に妥当の調整が不可能なこと」を慨嘆し、「結果論ながら、くやまれるのは、いかに米ソの対立の激化の以前とはいえ、国際連合憲章制定の際において、強い地域主義と、過度の観念的世界主義とが衝突し、世界機構に処理の具体性を欠いたまま『妥協』が行なわれたことである」(前掲書、一又正雄「地域的集団安全保障体制の発展」)と地域主義の優位性を批判しているが、それは米帝の戦後の世界支配の矛盾的構造にかんする無知の結果であるとはいえ、こんにちの集団安保体制なるものが法イデオロギー的には、いかに錯乱した性格をもったものであるかを自己暴露しているといえるであろう。
 なお日共=官本指導部の御用イデオローグ不破哲三は、「集団安全保障と軍事同盟とは安全保障の根本的に対立した方式です。……歴史的にも、集団安全保障の概念は、第一次大戦の教訓から軍事同盟と軍事同盟とが対抗しあう状態を解消し、平和を維持する新しい方式としてもともと軍事同盟の対立物としてうみだされたものなのです」(『日本の中立化と安全保障』)などと反動国際法学まるうつしの評価のうえにたって、国連の平和維持機能の回復をつぎのように願望しているのである。
 「今日の国際連合は、それが現実にはたしている機能と役割のうえでは、朝鮮戦争やコンゴ問題などでのように、アメリカ帝国主義の侵略の道具となるなど、多くの重大な問題をはらんでいますが、すくなくとも国連憲章に規定された創設の精神においては、世界的規模での集団安全保障機構としてもうけられたものです。そしてこの国連をアメリカ帝国主義がその侵略戦争の道具として利用することに反対し、国連憲章に規定された『国際の平和と安全の維持』『人民の同権と自決の原則の尊重に基礎をおく諸国家間の友好関係の発展』の実現に役だつ機構となるように努力することは、独立、民主、中立の日本が実行すべき対外政策の重要な課題の一つです」(不破哲三『日本の中立化と安全保障』) こんにちの日本共産党が、いかに帝国主義者の論理に屈服した地点で小ブル平和主義的対策を作成しているか、ここにもっともよき標本をみることができるであろう。
 しかしながら、こんにちの集団安全保障体制にかんして、帝国主義的国際法学者がいかに幻想的意義を付与し、その法イデオロギー的整合化のために努力をはらおうとも、また、帝国主義的幻想性に屈服した日共スターリン主義者がいかに軍事同盟と集団安全保障との相違について強調しようとも、歴史の冷厳なる事実は、集団安全保障制度こそ、帝国主義軍事ブロックの特殊戦後的実現形態であることをはっきりと示しているのである。
 つぎに、その理由について具体的に検討していくことにしよう。
 集団安全保障の帝国主義的本質を解明していくうえで、まず第一に注意しなければならない点は、それが世界の再分割をめぐる帝国主義戦争と、その帝国主義的戦後処理、そして、その獲得物=支配権の維持にかかわる制度的保障として生みだされたということである。
 周知のように集団安全保障の先駆をなすものとして一般に評価されている機構は、両大戦間時代に成立した国際連盟およびロカルノ体制であった。すなわち、前者は第一次世界大戦の戦後処理ならびに、その維持の機構として米大統領ウィルソンによって提唱され、国際社会の平和と安全の維持を目的として世界的規模をもって構成しようとしたものであり、後者は欧州地域の平和と安全の維持の目的をもって一九二五年に締結された独、仏、伊、英、ベルギー間のロカルノ条約を基礎とするものであった。両者の共通する性格は、第一次世界大戦の交戦国であったイギリス=フランス側ブロックとドイツ側ブロックの諸国をともに包括する形態をとり、第一次大戦と、その戦後処理をとおして確定した勢力分布を維持し、その侵犯国にたいして共同の制裁を加えようとした点にあったといえよう。
 それゆえ、このような機構は、外見的には、参加国に共通の権利を保障した平和の制度のように幻想的意義を付与されていたのであったが、しかしながら、レーニンが国際連盟について「帝国主義ギャングの集会場」と憎悪と軽蔑とをもって糾弾したように、その内実とするところのものは、強盗的世界戦争をとおして暴力的に獲得した帝国主義的権益を排他的に擁護しようとしたものだったのである。だからこそ、アメリカ帝国主義は自国大統領の提唱したものであるにもかかわらず、国際連盟に参加することで、南北アメリカの排外的勢力圏が動揺するのをおそれて、それへの加盟を拒否する行動をとり、金融関係などをつうじてヨーロッパに間接的に関与する方式をとったのである。
 しかもロカルノ体制についていうならば、それは直接的には、フランス、ベルギーなどドイツと国境を接する帝国主義諸国がイギリスなどの参加を求めてドイツの再攻撃に対抗するヨーロッパ帝国主義列強同盟を形成し、共産主義革命にたいする共同戦線の形成を表看板としてその同盟にドイツの加盟を強制する構造をとったものであった。それゆえ、ドイツ帝国主義にとっては、ロシア革命を突破口とする共産主義革命に対抗するという階級的使命と第一次世界大戦における敗戦国であるという帝国主義的現実に規定されたものとして、ロカルノ体制への参加の道を選んだのであったが、ドイツ経済の平和的発展がつづいていたあいだはともかく、大恐慌の深刻な打撃をうけてドイツ経済が破局し、そこから暴力的に脱出することが問題となるや、戦後秩序との衝突が不可避となったのである。
 第二次世界大戦後に形成された国連および集団防衛体制(NATO、リオ条約機構、日米安保条約など)もまた、基本的には、戦前の国際連盟およびロカルノ体制の性格をひきついだものであった。すなわち、国連は、第二次世界大戦における連合国ブロックの軍事的勝利と、その世界制覇を機構的に確定したという点で国際連盟と同じ歴史的位置を占めるものであるが、その相違点は、(1)アメリカ帝国主義がその巨大な経済的=軍事的力量を基礎として国連の中枢的担い手となったばかりか、その世界支配のための政治的手段として積極的に利用したこと、(2)ヤルタ協定を基礎にしてソ連を国連内に体制的に包摂し、その政治的=イデオロギー的影響力をもって米帝を中軸とする戦後世界の支配機構にたいするプロレタリアート人民の抵抗を制圧する方法をその補助的手段としたこと、にあったといえるであろう。
 いわば、戦前の国際連盟が、ドイツ帝国主義の好戦的復活に対抗するという消極性に動機があったが、これにたいして国際連合は、アメリカ帝国主義の世界支配政策と、それに平和的仮構を付与するための機関として積極的に創出されたわけである。したがって、帝国主義者や、それに屈服したスターリン主義者がなんといおうと、国連は、米帝の世界支配にたいし、それに名目を与える機関であったばかりではなく、朝鮮戦争やコンゴ紛争にみられるように帝国主義の軍事的支配のテコとして文字どおり機能したのが、いつわらざる現実であったといえよう。
 また、NATO、リオ条約機構、日米安保条約などを基軸とした集団安全保障体制は、アメリカ帝国主義が欧州を中心に各地域とのあいだに軍事同盟機構をつくりあげたものであった。それは、国連を基軸とした一般的集団安全保障の観念的操作では処理しえない軍事的側面を積極的に保障するものとして構築されていったのであるが、その構造は、ソ連にたいする軍事的対抗力を保障することを一般的目的としながらも、同時に、その対抗という形態をとって帝国主義の戦後的世界編成を維持する重要な体制的保障をなしているところにあるのである。
 集団安全保障体制の帝国主義的本質を解明していくうえで、第二に注意しなければならない点は、それが、擬制的統一性と反共主義的絶叫の複合構造をとってあらわれてくることである。このような複合構造は、制度的には、国連と集団防衛機構型の地域的集団安全保障体制という二重的機構として与えられているのであるが、しかしながら、このような対応は単純に擬制的統一性が前者、反共主義的絶叫が後者に基礎づけられるという構造をなしているばかりではなく、前者、後者の各次元においてそれぞれ擬制的統一性と反共主義的絶叫との矛盾的な複合構造をとって機能していることをみなければならないであろう。
 すでにみたように、国連も、いわゆる集団安保体制も、帝国主義にとっては、第二次世界大戦における米英を基軸とする帝国主義軍事ブロックが、その勝利を基礎として戦後の世界支配を保障するものとしての意義と役割をもつものであったが、にもかかわらずこのような意義と役割は、その戦後的な特殊性に規定されて、各種の幻想的なイデオロギー的粉飾をまとって現象してくるため、外見的には、あたかもこのようなイデオロギー的シンボル操作に本質があるかのような転倒的認識も生じてくるのである。
 まさに、現代の帝国主義は、戦後の特殊な条件のもとで自己の体制を維持していくために、一方では、帝国主義の体制とその政策があたかも世界人類の共同の利益を目的とするものであるかのようにうちだしながら、他方では、反共をあおりたてることによって帝国主義の体制とその政策の矛盾を排外主義的に犠牲転嫁していくという二重的な作業をとっているのである。アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争のような、その帝国主義的性格があまりにも露骨な事態にかんしてすら、帝国主義者たちは、自由世界の防衛という建て前にますますしがみついていく傾向を示すのである。このように、現代帝国主義がその世界支配を展開するにあたって、たえず擬制的統一性と反共イデオロギーをふりかざさなくてはならなくなったのは、基本的には、つぎの事情によるのである。
 すなわち、第一には、現代帝国主義の体制維持にとって大衆の動向が決定的な意義をもちはじめていること、とりわけ、帝国主義の軍事体制がますます総力戦体制的な性格を帯びてくるために、軍事体制とその政策目的にむかって大衆を吸引し動員するイデオロギー的意義付与の占める役割がきわめて重要なものとなることである。
 アメリカの軍事体制を見ればあきらかのように四〇〇万もの民衆が軍隊に組織され、さらに、家族、工場、大学、地域などの紐帯をつうじて数千万の民衆生活に軍隊の問題が直接に結びついているような政治的、社会的状況のもとにあっては、軍事目的にかんする政治的結集力の動揺は、ただちに軍隊組織の規律後退につながる危険をもつのである。職業軍人を中核とする恒常的軍事官僚機構が軍隊の骨格をなしているところでは、政治的影響への抵抗力はきわめて強固であるが、大衆的に膨張し、軍指導層の再生産構造が脆弱化しているこんにちの軍隊にあっては、軍隊を社会から隔離した真空地帯として維持していくことは容易ではないのである。しかも、現代の帝国主義者は、その体制の重要な機構的保障を軍事体制とそれを基礎とした政策的展開においているため、軍事目的の政治的動揺は、帝国主義体制にとって死命を制するような意味をもってくるのである。
 第二には、現代帝国主義の体制維持にとって大衆を共産主義革命の影響から切りはなすことが重要な意義をもっていること、とりわけ、帝国主義の軍事体制がますます革命的反乱を制圧する暴力装置としての役割を恒常化させてくるために、軍隊内部の規律を維持し、軍事目的に大衆を吸引し動員していくためのイデオロギー的なテコとして、反共主義の鼓吹がきわめて重要な意味をもつようになることである。
 外敵に対抗して民族的統一の軍事的テコとなった近代国家における国民軍や、市民革命における市民軍、義勇軍、あるいは、戦前の日本やカイゼルのドイツのように軍隊の骨格が伝統的貴族と農民の関係を反映している場合とは異なって、現代帝国主義の大衆的軍隊は本来的な意味で自己の規律を維持していく論理をもっていないのである。また一般的大衆をきわめて暴力的に軍事体制に結びつけていくのであるが、そのような軍事問題の大衆的な普遍化にもかかわらず、それを本来的に 基礎づけるような共同利害も、その論理も存在しないのである。
 ところが、現実には、現代の帝国主義は、巨大な軍事体制を恒常的に維持し、そのために過重な財政負担を国民に納得させていくために、大衆の揺れうごく危機意識をたえず虚偽の攻撃目標にむかって動員していくことが必要であるのであり、反共主義の鼓吹は、このような大衆のシンボル操作の有効な武器となっているのである。それは、積極的にはプロレタリア革命の現実性が常態化し、これに対抗する反革命的諸政策を精密化しなければならないという階級闘争の現代的質にもとづいているのであるが、それと同時に帝国主義国家権力の支配機構の巨大化を保障しうるだけの結集論理が過疎になっているという体制的空洞化現象にも厳しく規定されたものなのである。したがって、このような反共主義のまん延は、さしあたっては、排外的な軍国主義の謳歌として現象するのであるが、より大局的には、帝国主義体制をきわめて脆弱な基礎のうえに位置づけていることを意味しているのである。
 スターリン主義者たちは、このような帝国主義軍事体制の二重的な構造にたいして、一方ではワルシャワ条約機構を防衛的に構築するとともに、他方では東西を包括した集団安保体制の成立をもって解決しようと提唱するのであるが、それは帝国主義軍事体制の構造と役割にかんする無知を示すばかりでなく、かれらが、平和と戦争の問題にかんして帝国主義の権力政治の論理=諸勢力の均衡論に立っていることを自己暴露する以外のなにものでもないのである。
 かくして、現代の帝国主義は、世界支配体制の合法的整合性を国連にもとめながら、その矛盾を国連憲章五一条の「個別的および集団的自衛権条項にもとづく地域的集団安全保障体制(集団防衛機構)」の構築をとおして軍事的に解決するという構造をもって帝国主義の世界的な軍事体制を与えられているのである。すなわち帝国主義の世界的軍事体制は、ソ連=中国などの「共産主義的侵略の脅威」に対抗し、その軍事力を絶滅するにいたる軍事力の構築にむかって極限への上昇をつづけるものとして機能するのであるが、それは同時に、その対抗的な軍事制圧の構築と、そこにおける帝国主義諸列強間の責任分担の協定という形態をとって米帝と他帝国主義諸国との同盟関係を維持し、事実上、米帝の支配力と、そのもとへの世界諸国の系列化を達成していく機構としての役割を担っているのである。
 しかしながら、このような米帝の超地球的な軍事力を基礎とした現代帝国主義の世界的軍事体制の形成は、現代帝国主義の歴史的生命力の上昇性を示すものではなく、逆に、その衰退の極限を意味しているものなのである。たしかに、それは、地球全体を制圧し、人類文明を絶滅させるまでの巨大な軍事力を誇っている。それはフォーカス・レチナ作戦に示されるように、地球上のいかなる地域の紛争にたいしても一日で巨大な兵力を派遣する軍事体制をもっており、史上類例のない規模を有するものといえよう。にもかかわらず、軍事力だけでは人間の心を完全に支配しつくすことはできない。
 現代の帝国主義者は、プロレタリア革命の脅威という、人間があるかぎりけっして絶滅しえない力にたいし、その「軍事力」の絶滅にむかって自己の軍事力の極限への上昇をつづけなくてはならないのである。だが、結局のところ、帝国主義の巨大軍事力は、人民の武装解除、死闘への恐怖をテコとした階級闘争の体制内的包摂を実現するための外的条件でしかないのである。それは、ベトナムをはじめとする後進国革命においてのみ真理であるのではない。帝国主義本国にあっても、民衆が、帝国主義の巨大な軍事体制の恐怖のうみだした志気阻喪から自己を解放する綱領と組織戦術をもったとき、帝国主義のもつ巨大軍事力は、一瞬のうちに無意味な虚像に転化していくであろう。
 それどころか、人間の自由のためのたたかいに対抗して極限への上昇にむかって膨張してやまない帝国主義の軍事体制と、それにもかかわらず、終了せざる戦争として爆発するその体制的破綻と、それにたいする応急的な軍事力の膨張という悪循環は、かえって、巨万の民衆を帝国主義体制の内側からの崩壊にむかって動員していく水路としての役割をいまやはたそうとしているのである。戦争と、そのための巨大軍事体制の恒常化は、帝国主義体制の矛盾の貯蔵庫であり、革命の温床である。
 
 
 第二章 現代帝国主義の軍事体制の諸相とその矛盾
 
 第一節 戦争国家への道
 
 ラウスウェルが「兵営国家」(The Garrison State and Specialist on Violence(’41)――in The Analysis of Political Behavior,’48)の概念をもって現代戦争がもたらす国家と社会の全体主義的風潮に危惧の念を表明したのは、第二次世界大戦のさなかのことであった。もちろん、かれにとっては、このような概念は、ナチス支配下のドイツとスターリン主義専制下のソ連においてのみ現実的意味をもったのであり、アメリカ、イギリスなど、いわゆる民主主義国家にとっては危惧以上のものをもつわけではなかった。
 ジョージ・オーウェルが小説『一九八四年』において戯画的に注意を喚起したものもまた、このような「兵営国家」の恐怖であった。しかしかれにあっても、いわゆる自由世界のうちに進行している「兵営国家」の危険性については、あまり切実であったとはいえなかった。第二次世界大戦から戦後にかけての時期にあっては多くの知識人は、ナチスのもたらした極限的な恐怖政治を目のあたりした衝撃から、ファシズム対反ファシズムという構図を好んで選ぼうとした。いっさいの政治的罪悪とその傾向は、ファシズムと結びつけ説明されようとしたのであった。連合国のまきちらすイデオロギー的なシンボル操作にもっとも敏感に反応し、その先兵として活躍した人たちこそ、また、これらの知識人であった。
 このような脆弱な思想傾向を利用して、戦後いち早く攻勢に出たのは帝国主義者であった。チャーチルのフルトン演説(四六年三月五日)における鉄のカーテン≠フ強調と、それに呼応したトルーマン・ドクトリン発表を転機に米英を基軸にした帝国主義者は、スターリンの政治支配のもつ専制主義的要素と東欧における革命≠フ官僚制的性格をたくみにとらえて、「共産主義の脅威」への対抗を声高に叫びたて、帝国主義的な戦後の処理の困難と行きづまりの矛盾とを排外主義的に責任転嫁し、そのかげにかくれて、戦時体制のなしくずし的な恒常化の野望を達成しようとしたのであった。戦時軍事経済体制から平和体制への移行にともなう急激な社会的動揺と、それを条件とした階級闘争の激化の危険にたいし、帝国主義は旧戦時体制を新戦時体制に連結させる政策をもって対処したのである。
 このような帝国主義者の新しい戦争政策の展開のなかで、スターリンとその追従者たちは、一方では、第二次大戦中の連合国間の平和的友情の復活をセンチメンタルに訴え、帝国主義の戦争政策を新しいファシズムとして非難しながら、他方では、帝国主義の軍事体制とその核戦略に一対一的に対抗する軍事政策を採用し、勢力均衡の原則をもって対処したのであった。
 かくして、戦後の四半世紀の歴史は軍事的にいうならば、米ソ間の軍備の拡大的均衡の歴史であったともいいうるのである。周期的にくりかえされる軍備管理にかんする交渉(それをかれらは軍縮交渉と呼んでいる)で相互の支配権の承認を求めあいながら、相手戦力の絶滅にむかって軍備能力の極限への上昇を追いもとめて争っている。それは中国の古いことわざの矛(ほこ)と盾(たて)の話を想起させるのに十分なものである。
 米ソの指導者たちは、たがいに相手にむかって「共産主義の脅威」や「帝国主義の戦争政策」についてイデオロギー的非難を投げあいながら、相手の本心を冷静に読みあい、手を打っていく計算的方法をとるように訓練されてきたのであった。それは、権力者にとって勢力均衡のうえに達成される武装平和の恒常化を意味するものであった。
 しかしながら、このような勢力均衡という権力政治の原則と、それを維持していくための巨大軍事体制の絶えず拡大する構成とは、一方では、費用の増大、兵役強制の拡大などをとおしてその体制内部に矛盾を生みだすとともに、他方では、支配層の内部に恒常的な腐敗と退廃とを深化させていったのである。それは、スターリン主義者にとって、将来する破産の深刻さを警告しているものであるが、いまここでは、課題にそって帝国主義の体制についていうならば、このような軍事力の極限への上昇と、そのもとで不断に形成される勢力均衡という現実は、いかに「反共」を粉飾されていようとも、帝国主義体制の崩壊の条件を恒常化する役割をはたすであろうということである。
 ラウスウェルの危惧した兵営国家≠フ恐怖は、ほかならぬアメリカの現実として登場したのである。ファシズムとは異なり、議会制民主主義という政治形態のもとで、ナチスの実現したものと同じものが「自由世界の防衛」のスローガンのもとにしのびよりはじめたのである。それは、ナチスに対立するものとされたルーズベルトのニューディール政策の必然的産物であったともいいうるのである。第二次世界大戦時代のアメリカ世界政策とこんにちのベトナム政策とのあいだに、断絶しかみょうとしない知識人の幻想とは逆に、われわれは、この連続のうちに現代帝国主義の軍事政策の傾向をみいだしていかなくてはならないのである。事実、アメリカ帝国主義の全地球的な巨大軍事体制は、対立的統一のうちにソ連軍事体制にたいする均衡的包摂を実現したのであったが、しかしながら、このような帝国主義軍事体制の全世界的な形成がかえって、ベトナム問題にみられるようにその末肢において脆弱な性格を暴露したばかりでなく、むしろ兵営国家%Iな現実そのものが、帝国主義の心臓部において」より深刻な危機を醸成しているのである。マンモスの悲劇が、アメリカ帝国主義をとらえたのである。
 まさに、アメリカ帝国主義における軍事体制の恒常的な肥大化傾向は、第二次世界大戦と、その戦後処理の歴史的性格に規定されたものであるが、こうした悲劇的な現実の諸相は第二、第三節でみるように、(1)総力戦体制、(2)核戦略体制、(3)産軍体制、(4)軍国主義体制という形態をとって具体的に現象しているのである。そしてそれらの諸相は、その一つひとつの局面をとおして現代帝国主義体制の内包する矛盾をドラスティックに暴露し、帝国主義の世界史的死滅を根底において準備する役割をはたしているのである。
 しかしながら、共産主義の脅威に対抗し、それを絶滅するはずの帝国主義の軍事体制が、かえって帝国主義の崩壊の客体的条件を成熟させ、プロレタリア革命の脅威を増大させるという矛盾した現実がいったいなぜ生起したのであろうか。それは、帝国主義が対抗し絶滅しようとする対象に本質的に逆規定されたものであるが、軍事思想的にいうならば、国民的防衛にたいする帝国主義者の不信、すなわち帝国主義の防衛原則が民衆への不動の信頼のうえに築かれたものではない、ということにあるのである。
 ベトナム戦争の初期の局面にあって、すでにシーモア・J・ダイチマンは、「抽象的な道徳的考慮よりも絶対重要な国家利益の方がさきだ」という考え方のもとに、「純粋かつ重要なアメリカの利益というものの性質や程度を、われわれが認識し、表現し、広範な国民的支持、政治的支持をえられなければならない」と強調し、「国際間の問題をとり上げるにあたっても(公共の福祉という考えも秩序のために順ずるべきだ、という)、こうした考えを適用すれば、(アメリカが)法と道徳をじゅうりんしている、との批判もなしに目的を達成することができよう」(『アメリカの限定戦略』、「法と道義」』)と不安と居直りを表明しているのであるが、そこに一貫して流れているトーンは、民衆にたいする詐術師的なこじつけとその詭弁のからくりがいずれ破綻する日の、民衆の怒りにたいするいいしれない不安のおののきであるといえよう。こんにちの帝国主義の軍事体制は、その軍隊組織の規律を維持する内的紐帯についても、また、軍隊組織を支える国民的結集政策についても、「反共」以外には何も存在していないのである。
 かつて、ジャコバン的急進主義の先駆者、ニッコロ・マキャヴエリは、「イタリアを外蛮の手から回復」するために共和主義的民衆の武装蜂起を基礎とした民兵制度が必要であること(『君主論』)を力説し、貴族的軍隊、傭兵、常備軍、同盟国軍などの存在が功よりも害の大なること(『戦術論化』)を共和主義的情熱をもって訴えたのであった。それは、モンテスキュー、ルソー、ボルテールあるいはベーコンらの革命的イデオローグたちの魂を経過して、イギリス革命、フランス革命など近代ブルジョア革命のジャコバン的流れのうちに復権していくのであったが、このようなマキャヴェリ的な理想の底に流れていたものは、いわゆる国民防衛の基礎が民衆の自発的な武装蜂起を基礎とした防衛戦争の不敗性への確信にあったことは疑うべくもないのである。
 しかしながら、世界支配を目的とし、民衆の武装に敵対することを使命とした帝国主義軍事力にとって、軍紀を内的に維持し、軍事目的と政治目的を自発的に保障するいかなる論理も存在しうるはずもないのである。兵営国家≠フいきつくところは、腐敗であり、退廃であり、絶望的な皆殺しへの病的衝動であろう。したがって、われわれは、現代帝国主義の軍事体制のかかえる問題の諸相とその矛盾について、具体的に検討していくための前提として、近代ブルジョア国家における軍事力の位置の問題にかんして若干の確認をおこなっておかねばならないのである。
 周知のように、近代ブルジョア革命とそれにもとづく近代ブルジョア国家は、絶対主義君主制の打倒をとおして民衆を封建的身分関係から政治的に解放し、すでに一定の発展をみせていたブルジョア的市場関係の自由な発展を保障することを歴史的使命とするものであった。それゆえ、このような歴史的な使命を達成し、維持していくためには、絶対主義君主の騎士団とそれを中核とする常備軍を軍事的に粉砕し、外国反動勢力の反革命的干渉戦争を排除し撃滅する新しい型の軍事力が必要であった。
 もともと、絶対主義君主制のもとに成立した常備軍制度は、都市におけるブルジョア市民関係の一定の発展を基礎として、分散的な領主権力を中央集権的な国家機構のもとに集中していく軍事的テコとしてうちだされたものであった。このような封建的家臣団の解体とその軍事力の国家的独占の過程は、封建的性格をもった土地貴族の軍事的役務と、その補助としての農民の賦役的召集を常備軍として再編成し、それを基礎とした近代的統一国家の形成をとおしてブルジョア的市場関係の促進をはかるという矛盾した性格をもったものであったが、軍事的にみるならば、それは封建的騎士団の絶対的な指揮権を機構的本質としながらも、現実には農民兵士の密集した軍団形成を軍事的中核とするために、貴族のもつ軍事的威信を空洞化させる役割をもはたしていたのであった。
 近代ブルジョア革命は、市民および農民の武装蜂起を基礎として絶対主義権力を打倒し、絶対主義君主制のもとで発展した中央集権的国家機構をブルジョア的私有財産制度の維持のための保障として全一的に掌握し、その運営を議会主義的統制下においたのであった。このような移行過程は、軍事体制の面において極度に特徴的な姿をとったのであった。すなわち、絶対主義的軍事力に対抗し、その崩壊を生みだす革命的火柱として市民・農民の平和主義的・共和主義的民兵制度が歴史を照らしだしたのであったが、にもかかわらず、革命と反革命の死闘に決着をつける最後的な強力をつくりだすためには、民兵制度を基礎とした新しい型の正規軍の形成――鉄甲騎兵とロンドン市義勇軍を結合したクロムウェルの新型軍や、義勇軍を職業的将校団の指導性のもとに再編したナポレオンのフランス国民軍――が不可避であったのである。
 マキャヴェリを先駆とし、モンテスキュー、ルソー、ボルテールとひきつがれた民兵制度の思想、あるいは、ベーコンにみられる人民の武装の思想は、絶対主義的軍事体制を焼きつくす根源的暴力として登場したのであったが、同時にその過程は、民兵制度の矛盾を止揚する新しい型の常備軍と、その民主的統制を永続的に形成し維持していくことなしには民兵制度そのものが空洞化し崩壊していく危険を避けることができない、という問題をはらんでいるのであった。
 したがって、民兵制度を維持し、その内的生命力を発展させていくためには、民兵制度を基礎とした常備軍にたいする国民的な統制と、軍内部の規律の民主的保障を永続的に形成していかねばならなかったのであるが、このような可能性は、ただ革命が平民主義的に発展し、それが軍の内的規律を政治的に保障しえた場合にのみありえたといえるであろう。しかしながら、近代ブルジョア革命は、その階級的特殊性に規定されて絶対主義的反動を基本的に打倒するや、その歩みをとどめるのであり、その結果、民兵制度は空洞化し崩壊していくとともに、常備軍もその内的規律を保障する契機を喪失し、絶対主義時代にみられた軍事機構の独自化の傾向を復活することとなったのである。
 もちろん、支配階級となったブルジョアジーは、安上りの政府のスローガンのもとに、常備軍を可能なかぎり縮小しょうと努力し、イギリスの場合などは、植民地維持のための少数の常備軍をのぞいて陸軍は極力抑制されていたのであったし、また、軍の政治的中立化と、軍にたいする議会の優位原則の確認という形態をとって軍事機構への統制権を維持していったのである。すでに、このような軍事力にたいするブルジョア的統制の方式は、軍事力の内的生命力の解体、軍指導部の独自的勢力化と、その結果としての軍規の暴力的支配系列化となってあらわれたばかりか、プロレタリア階級闘争にたいする軍事的制圧の暴力装置としての役割をしばしば示すものとなったのであったが、にもかかわらず、ブルジョア支配階級内部の問題としては、軍事機構にたいする階級的政治目的の優位性を保障するものとなっていたのである。
 このようなブルジョア国家とその軍事力との関係は、労働力の商品化という資本制的経済的過程をとおしてブルジョアジーの階級的な支配と搾取がおこなわれ、その上部構造としての国家は、国民の生命と財産の安全を維持するという機能をとおしてブルジョア的私有財産制度をまもりぬいていく、という媒介的関係を反映したものなのである。
 ところが、資本主義の産業資本段階から金融資本段階への推転とともに、ブルジョア国家の内部における軍事機構の位置は、決定的に変化することとなった。資本主義の帝国主義段階は、重化学工業を基軸とした金融資本的蓄積様式を特質とするものであり、したがってまた、それは、その特質に規定されて国内市場の特定金融資本グループによる独占的支配――系列化をもたらすとともに、それによって生ずる過剰資本の慢性化の矛盾を解決するために資本の輸出、商品、原料市場の排他的独占をめざして帝国主義諸列強間の死闘の激化を必然的にもたらしたのであった。資本主義の再生産が資本の運動の外部に存在する諸条件を前提とする、この帝国主義段階的な資本主義の特質は、産業資本と銀行資本の結合にもとづく金融資本を生みだすばかりでなく、この金融資本グループと政府行政執行権力――軍事・官僚機構とのつながりをきわめて強力なものとしたのであった。
 かくして、帝国主義諸列強間の世界の再分割をめぐる死闘の激化と、その矛盾の世界戦争としての爆発は、帝国主義の命運がその世界政策の成否に従属するために、帝国主義的支配グループ内において占める軍部関係者の発言力をいちじるしく高めることになったのである。しかも、帝国主義的矛盾の世界戦争としての爆発は、帝国主義の不均等発展と体制的危機をいっそう促進したばかりか、階級闘争の激化とプロレタリア革命の危険を恒常的なものにしたのであった。このような戦争と革命の時代の到来は、自由主義段階における政治的国家と資本主義的市民社会との特有の関係をつきくずし、国家の前線司令部としての役割を強化し恒常化させるとともに、国家内部における軍事機構の傾向的肥大化を決定化するものとなったのであった。
 しかしながら、問題は国家における金融資本の独占的支配が確立し、その内部で軍事機構が占める役割と比重が増大していくことにあるばかりではなくして、このような構造的推転をとおして、軍事機構にたいする国民的統制(ブルジョア的特殊利害にもとづくものであれ)ならびに、軍事機構内部の軍規を支える自発的系列性がしだいに空洞化し、ブルジョア支配構造を内部からおびやかすガン細胞として成長していくことにあるのである。いいかえるならば、軍事体制の巨大化と、そのための財政負担の不断の増大が、いったい何のために必要なのか、という政治的反省の契機が体制内的に保障されなくなってくるのであり、それゆえ、事態はただ「反共」と、それを武器としたシンボル操作という議会主義的デマゴギーをもって死の行進≠粉飾することだけが、帝国主義支配維持の手段となっていくのである。
 戦争国家化した攻撃型の帝国主義は、いわば帝国主義諸列強にとって、選ばれた贖罪の羊以外のなにものでもないのである。第一次大戦ならびに第二次大戦において、アメリカ帝国主義はその独自の地域条件から戦争に「防衛的」に参加することによって、帝国主義戦争による膨大な物的・人的負担にたいする国民的信任をとりつけることができたのであったし、そればかりか、二つの大戦をとおして世界を支配する巨大帝国にまで成長したのであった。持たざる帝国主義として、イギリスを中心とする世界市場編成の暴力的再編成を求めて軍事体制を極限にまで上昇させたドイツ、イタリア、日本の枢軸国側の帝国主義は、その過大な世界政策の負担に耐えきれず崩壊した。
 かくして、ヨーロッパにおける枢軸国と連合国の二度にわたる死闘で共倒れとなった旧大陸の帝国主義にかわって、南北アメリカ大陸のブロック的支配を背景にアメリカ帝国主義は、第二次世界大戦後、世界支配の覇権を掌握したのであったが、わずか四半世紀もたたないうちに、戦後の特殊歴史的性格に規定されて、このような米帝の世界支配ははやくもゆきづまろうとしているのである。アメリカ帝国主義の世界支配を維持し、帝国主義体制の歴史的命運を支えるための過大な軍事的=経済的負担は、ぎりぎり米帝を締めあげ、現代帝国主義の矛盾をアメリカに集中させはじめている。しかも、このアメリカの苦境を救済する力をもった帝国主義は、すくなくとも地球上には存在しないのである。
 もちろん、きわめて皮肉なことに、現在の慢性的な通貨不安のなかで、ドイツ、イタリア、日本の旧枢軸国が、いわゆる黒字国として注目されている。だが、それらの諸国は、戦後、アメリカを基軸とする帝国主義世界体制に積極的に参加し、その体制の内部的な動揺をついて相対的地位を確保したものにすぎず、とうてい米帝の世界支配にとってかわるべき力をもったものではないのである。アメリカ帝国主義は、北大西洋条約機構(NATO)および日米安保条約をとおしてドイツおよび日本を帝国主義軍事体制の動揺を阻止する支柱としていっそう積極的に包摂し、その矛盾を分担させていくことに努力を集中していくであろうが、このような政策遂行過程は、ただ帝国主義体制の永続的な崩壊をいっそう世界的に統一していく苦悩にみちた道以外のなにものでもないのである。まさに、アメリカ帝国主義における軍事体制の巨大化と、その矛盾にみちた諸相は、アメリカ政治指導層の偶然の政策的誤謬の結果ではなくして、現代帝国主義の矛盾の世界史的結節点を示すものなのである。したがって、その諸相の必然性と矛盾性を検討していくことは、現代帝国主義の体制の崩壊の具体的諸相を示すものとなるのであり、それゆえまた、その崩壊の永続的過程をとおして形成されるプロレタリア的軍事力の性格と形態を否定面において照らしだすものとなるのである。
 
 第二節 現代帝国主義における軍事力の恒常的肥大化
 
 すでにみてきたように、アメリカ帝国主義にその矛盾を特徴的に示しているところの現代帝国主義の軍事力の極限への上昇と、そのための経済的負担の無限の増大という危機的な事態は、戦争と革命の時代としての現代の世界史的特質に規定されたものであり、いわば、帝国主義としての体制的危機をかけた対応の必然的結果である。つぎにその矛盾の諸相について具体的にみていくことにしよう。
 現代帝国主義の軍事体制の第一の特徴は、恒常的な総力戦体制である。【注1】
 【注1】「総力戦体制=総動員体制――@社会的労働の組織関係→戦争遂行の動員体制、A「高度産業国家における戦争のための動員は、市民のための日常のきまりきった仕事のなかに有機的に組みこまれている。――その日常的な仕事の位置というのは、ふつう相互に寸断され、離間され、官僚主義化されていて、とりたてて迫熱的な行為なしに、市民生活上の大切な要求に従わされているのである。つまり、国家権力が文明を発展させてくると、それにつれて、全市民にたいし、一律に開放されている選択の道というものは少なくなるものである。実生活の中央集権化した諸事業計画にたいする市民の自発的な参加が減ってきたことがそうだ。国民はふつう、あらかじめ自分の行動を大規模戦争と合うようにさせられているのである」(米人類学会六六回年度大会における総シンポジウム=,67・11・30におけるスタンレー・ダイヤモンドの発言。M・フリート他『戦争の研究』)
 
 もともと戦争の本質が死闘性にあるといわれる以上、過去におけるいっさいの戦争が多かれ少なかれ、自己の保持する戦力を効果的に結集するために重大な関心をはらったことはいうまでもないであろう。戦争の当事者にとって、勝敗は全てか無かの選択を求めるものだからである。では、すべての戦争は総力戦的にいっさいの物的・人的資源を投入しておこなわれをものであろうか。戦争といえども人間社会の成立根拠をなす社会的生産を無視してその軍事目的を純化しうるものなのだろうか。
 われわれは、まず、戦争のもつ無慈悲な性格をもっとも体現している戦争民族の考察から問題を解いていくことにしよう。すなわち、いわゆる戦争民族は、おおむね農業地帯と遊牧地帯の接触地点において大砂塵のごとく巻き起こり、周辺の民族の富と文化を略奪し呑みつくし破壊することをとおして、その恐怖を歴史に刻みつけたのであったが、かれらにとっては戦争そのものが社会的生産を維持していく主要な交通形態であった。われわれはもっとも巨大で強力な例としてジンギスカンのヨーロッパ遠征軍を想起しうるであろう。まさに、このような戦争民族にとって、死闘とは文字どおり相手防御の完全な無力化を意味したのであり、それゆえ、それは、戦争可能戦力の絶滅、すなわち、住民の皆殺しの恐怖を内包していたのであった。
 しかしながら、戦争民族といえども、その社会的生活がなりたっていくためには、その歴史的前提として物質的富の社会的再生産が与えられていなくてはならず、したがって、不断の戦争と略奪をとおして、つねに新しい敵を発見していかなくてはならなかったのであり、したがってまた、その脅威があきらかになればなるほど住民の総戦力を結集した強力な防御戦に遭遇する機会も多くなり、容易に軍事的勝利を獲得しえなくなるのである。それゆえ、ヨーロッパ=ロシア遠征軍や、中国大陸に進出した元帝国などのように、征服民族として被征服民族の社会的生産をその支配機構のなかに包摂し、みずからが、被征服民族の富と文化のうえに君臨する支配階級=¥纒剥\造に変容していくことが不可避となるのである。
 戦争民族は、いかに壮大にみえようとも、それ自身の文化をもった諸民族の周辺にしか登場しえないのであり、自分自身の文化と歴史をもつためには、住民の物質的生産過程を基礎とした支配階級に自己を転形していくことしか道がないのである。こうした意味では、戦争は、しょせん社会的剰余労働の分配にかんする人間集団間の闘争として総括していくことが可能なのである。
 一定の恒常的な社会的文化のうえに構築された国家間の戦争もまた、もちろん死闘として相手戦力の絶滅をめざし、そのために動員しうるすべての戦力を傾注しようとすることはいうまでもないのである。古代にあっては都市国家の軍隊が、中世にあっては騎士団、傭兵隊、農民の賦役的召集からなる軍隊が、また、絶対主義下の近代国家にあっては、騎士と農民とからなる常備軍が、戦争遂行の軍事力として動員されたのであったが、その戦争と軍事力を基底的に条件づけていたところのものは、交戦国双方の社会的生産の歴史的性格であり、その剰余労働の分配の様式にあったといえよう。
 『孫子』は「善く兵を用うる者は、役は再びは籍せず、糧は三たびは載せず。用を国に取り、糧を敵に困る。故に軍食足るべきなり」、「故に敵を殺す者は怒なり。敵の貨を取る者は利なり」と作戦篇で優れた洞察を示しているが、戦争と国富との関係を社会的に規定し、その脈絡において戦争を統制していこうとする思想として読みかえさるべきであろう。
 かくして、戦争が権力にとって合理的な基礎をもちうるためには、敵戦力の絶滅という死闘原則は、直接的には皆殺しとしてはあらわれず、敵戦力の解体と、それの自己の支配体制のもとへの再編成としておこなわれねばならないことはいうまでもないであろう。それゆえまた、戦勝者の主要な関心は、あらたな支配地域の住民が新しい主権者にたいし従うかどうかという点にむけられていくようになるのである。いわんや、主権者と新しい支配地域の住民とが言語、習慣、制度が異なる場合には、問題はいっそう困難をきわめることになるのである。
 マキャヴエリは『君主論』で、相達する地域を併合した場合には、主権者がそこに移り住むことを勧告するとともに、守備隊を派遣するようなやり方の愚をいましめており、それはこんにちの米帝の世界政策と関連させて考えると非常に興味ある問題を提起しているのであるが、しかし、いずれにせよ、その地域の住民が自治の経験をもっている場合には、軍事的勝利者の立場は不安定なものであり、いついかなるときに住民の武装反乱にあうかわからないと指摘しているのである。異民族間の戦争にあって、一方の他方への持続的占領がしだいに困難になっていくのは、被占領地域の住民の支持をとりつけることが容易ではないためであるし、また、一時的に支持をとりつけたとしても、いつそれが反乱に転化するか、保障のかぎりではないからである。
 したがって、略奪と破壊を目的としたものか、被征服民族との同和化に移行していく場合を例外として、一定の伝統的文化を維持する近代的国家間の戦争にあっては、短期的な軍事占領あるいは州県の侵略はあっても、長期にわたって一方が他方を軍事的に制圧しつづけることは、事実上不可能であり、そこから戦争における死闘は講和という別のかたちの戦争に席をゆずることになるのである。戦争を基底的に条件づけている社会的生産とその剰余労働の分配の問題は、すくなくとも近代的国民においては、交戦国間の住民の戦争にたいする態度の問題として、いっそう具体化してくるのである。すなわち、クラウゼヴィッツのいわゆる攻撃と防御の不均衡は、住民が攻撃国では消極的要素として、防御国では積極的要素として登場してくる近代的諸国民の現実の経験的事実のうちに確固とした基礎をもつにいたるのである。戦争の動向を決定づける要素として民衆のもつ比重が大きく照らしだされてくるのである。貴族的軍隊や傭兵隊や絶対主義的常備軍にかわって、戦争の侵略的要素を内在的に統制する可能性をもった力が近代における戦争の様相の決定的変化を準備するのである。
 かくして、近代的諸国民の政治的=経済的支配権を掌握したブルジョアジーは、一方ではいぜんとして軍事力を競争国との軍事的対抗ならびに植民地人民、本国プロレタリアートにたいする抑圧の手段として維持しながらも、他方ではその主たる関心を国内における資本主義的発展と、そのための植民地の確保にむけることとなり、またそれに規定されて、むしろ軍事力を職業軍人を中核とする最小の常備軍と、有事の際の動員体制に縮小する方向を選んだのであった。それは、自由主義における産業資本の利益にもとづくものであったが、しかしながら、同時に無視しえない点は、国民の武装という近代革命の軍事的=制度的遺産が、軍事力をきわめて防衛的性格のものにしたことである。いわば、ブルジョア軍事力は、資本主義経済の自律的発展を保障するものとして、またあくまで資本家的社会の利益に厳重に統制されたものとして、存在しえたのである。
 もちろん、ドイツ、ロシアなどの後進的資本主義国は、資本の本源的蓄積を金融資本的様式をもっておこなったことを基礎として、軍事的には、絶対主義的常備軍を国民皆兵的制度のうえに融合し再編するというエセ・ボナパルティズム的な方法をもって経済的後進性を補完したのであり、巨大な陸軍力をもってイギリス・フランスなど先進資本主義に対抗したのであった。また、フランスは、ナポレオン以来の軍事的伝統にたった「攻勢的」戦略ならびにツァーとの同盟政策をもってドイツの軍国主義に対抗したのであった。他方圧倒的な海軍力を背景に世界市場をにぎっていたイギリスは、当初、大陸における勢力均衡を基礎としてドイツの台頭をものともしなかったのであった。
 しかしながら重工業の急速な発展を基礎としたドイツの軍事力の近代的強大化と、それを背景としたイギリスを中心とする世界市場編成への挑戦、そしてイギリスのこれにたいする防衛的対抗という国際政治的対立関係をとって到来した帝国主義時代は、ただちに、経済的利害と軍事政策を転倒させるものとなったのである。もちろん、本質的にはこのような転倒そのものは、金融資本の特殊な経済的利益が国家政策決定過程において重要な役割をはたすようになったことの結果なのであったが、にもかかわらず、帝国主義的世界政策に個別資本の利害が収れんされていく新しい状況は、軍事的には、軍事力にたいする国民的統制を解体するとともに、軍事戦略を一九世紀における事実上の防御優位の原則にかわって、ふたたび、相手戦力の絶滅を目的とする攻撃優位原則に立つものにかえていったのである。
 かくして、嵐のような軍事力の極限への上昇が再開されたのであったが、それは必然的に極限的な勢力均衡という絶対主義時代の権力政治の論理をもっと破局的な構造をもって再現させたのである。それが戦争に転化するためには、ほんのささいな衝撃で十分であった。
 すなわち、その第一は、相手戦力を絶滅する戦力の構築を相互に競いあうという極限への上昇である。第二は、その結果としての臨戦的体制を相互にもった勢力均衡の形成である。このような危機的な構造は、ささやかな衝動でもただちに均衡が破綻し、全面的な戦争に転化せざるをえないのである。第三は、帝国主義の軍事ブロック間の死闘の開始である。殺りくと破壊の繰り返しのなかでの戦線の膠着と、物的・人的動員の負担の過重化。第四は、戦争遂行の軍事的=政治的=経済的負担に耐えられぬ帝国主義国の脱落である。それは同時に、国内における革命的反乱の危険性を生みだすことはいうまでもないであろう。第五は、講和の成立として確定される世界支配の新しい勢力分布と、あらたな戦争にむかっての対立の始まりである。
 このような循環はもちろん、プロレタリア革命によって別の歴史過程に転化していくのであるが、しかしながら、その歴史的転形が部分的であるかぎりでは、帝国主義的矛盾の戦争としての爆発はいっそう破局的な様相をとって訪れるのであり、その結果として、帝国主義の軍事体制はますます恒常化し、総力戦体制化していくのである。しかも重要なことは、帝国主義戦争が世界戦争としての性格をもつために、特定の帝国主義列強がかりに「平和的」政策をとっていたとしても、物理的な破壊力をもって、このような国をも暴力的に包摂していくことである。
 かくして、帝国主義の軍事体制の極限への上昇は戦争の非任意性と結びつくことによって、総力戦体制への傾向をいっそう促進することとなったのである。帝国主義体制の存続がいっさいの社会的要求に先行する権限を獲得するのであり、国家的に動員しうる物的・人的資源をすべて戦争目的にそって配置することになるのであった。
 こうした総動員体制は、経済的には軍事生産に物資と労働力を過度に集積することによって生産的生産を圧迫し、社会的破綻を準備するのであるが、政治的=軍事的には、軍事機構の人的構成をますます社会化し大衆化することによって、軍隊の相対的独自性を保障してきた専門的=官僚的系列が内部から弛緩し、その崩壊の条件を社会情勢に直接させていくのである。いわば帝国主義の総力戦体制は、軍事組織という観点でみるならば、全住民の武装という状況を転倒した形態のもとに実現したものともいえるのであるが、にもかかわらず、それが帝国主義的強盗戦争を目的としたものであり、植民地・後進国人民と本国プロレタリアートにたいする軍事制圧の手段として動員されたものである以上、いかに全人民的構成に接近しようとも、軍事目的と人的構成の転倒に規制されて、その脆弱性をいっそう深めることとなるのである。したがって、帝国主義とその軍事指導部は、膨張しマス化した兵士の創意性をまっ殺し、ますますそれを画一主義の枠に強制的にはめこもうと努力するとともに、戦略課題を大量殺人武器=大量破壊兵器の開発にもとづく敵戦力の圧倒という物的条件にのめりこませていくこととなるのである。
 現代帝国主義の軍事体制の第二の特徴は、無限定な核戦略体制である。
 第二次世界大戦の終了直前に広島、長崎に原爆を投下し、非戦闘員を皆殺しにする犯罪をおこなったアメリカ帝国主義は、国連をとおして米帝の世界支配権を追認的に合法化していくとともに、そのイデオロギー主義的限界を補完する支柱として帝国主義軍事ブロック=集団防衛機構を構築し、その世界支配体制をうち固めていったのであったが、このような世界支配政策の決定的な威圧手段をなしていたものこそ、最終兵器として恐怖をもってむかえられた核兵器の独占であり、それにもとづく核戦略体系であった。もとより、このような米帝の戦後の核戦略体制は、ソ連、東欧、中国などスターリン主義圏にたいし、圧倒的な軍事優位を確保し、それを基礎として帝国主義への屈服を強制することを基本的な目的とするところであった【注2】。
 【注2】・現実主義者の力の均衡§_――「勢力的均衡体系はむしろ戦争(限定戦争)を前提として作られた一種の抑止と制御のシステムなのであって、戦争が防げないのは、当然である。しかし、少なくとも、そのシステムは全両戦争ないし、国際体系それ自身を変革するような大戦争を抑止すべくつくられた巧妙なシステムであったことは間違いない」(『中央公論』六六年七月、永井陽之助「国際目標としての安全と独立」)
 ・核抑止論の破綻(『世界』七〇年十月、豊田利幸「核兵器とわれわれの生活」)
 @「核戦略の柱となっている核抑止論はまざれもない市民人質論」
 A核ミサイルの命中精度向上→第二撃力をほとんど無力化。(@)爆風による破壊範囲、核ミサイルの命中精度、(A)MIRVの開発、(B)ICBMのサイロの無力化、(C)第二撃力の主力としての原潜、(D)ABM――MIRV、(E)海外軍事基地の強化=核ミサイル搭載機を含む爆撃機+原潜。
 
 四〇〇万の米軍と、全世界に配置された四二九ヵ所の基地は、直接的には、ソ連圏にたいする核攻撃を戦略的中核として展開されており、その基軸をなしていたところのものは、第一にはアメリカを中心に北極圏を周辺的にとりかこむかたちで設置された核基地網であり、第二にはNATOをテコとしたヨーロッパ軍事体制であった。しかしながら、米帝の核戦略体制は、ただたんにソ連、東欧、中国圏にたいする軍事的威圧の手段をなしていたばかりではなく、同時に、(1)西欧、日本などの帝国主義諸国にたいして同盟政策と軍事体制の系列化を確保する手段、(2)旧植民地の崩壊にたいする軍事的巻き返し=新植民地主義的侵略体制を強制する手段、(3)本国プロレタリアートの革命的反乱にたいする制圧手段という三つの役割をはたしてきたのであった。
 すなわち、第一にはアメリカ帝国主義は、核兵器を独占することによって、NATO参加の西欧諸国、日米安保条約で結びついている日本にたいし、同盟政策=軍事体制の系列化を強制したので あったが、それは、いわゆるドル・ポンド国際通貨体制を基軸とする世界市場の戦後的編成を維持する政治的=軍事的上部構造としての独自の役割をになうものでもあった。戦後の国際金融体側を協力体制として美化する傾向があるが、その協力とは、このような軍事的支配関係を背景としたものであった。第二には後進国・旧植民地的諸国にたいし、米帝の核を頂点とする巨大軍事力は、人民の武装反乱を制圧する物質的=精神的手段であったと同時に、いわゆる軍事援助をとおして遊休化した通常兵器の大量的払下げをおこない、後進国の軍事機構を米帝の支配系列下に包摂したものとしても機能していたのである。
 ラテン・アメリカ諸国はもちろん、アジアにおいても、インドネシア、タイ、ビルマ、パキスタン、台湾、韓国、南ベトナムなど軍政形態の国家が多くみられるのであるが、こうした軍政の物質的基礎をなしているものは、米帝の軍事援助であることはいうまでもないのである。たとえ、こんにち、直接的には軍政形態をとっていない国でも、多かれ少なかれ軍部は米帝の強い影響下にある。付言すれば、スカルノ体制下のインドネシア国軍は、米帝の軍事援助のもとに強くくりこまれていたのであり、こうした現実を無視して議会的力関係のみに気をとられていたところにインドネシア共産党の悲劇の一つの根拠があったといえるだろう。〔ところで、日本共産党の宮本書記長は『共産党政権下の安全保障』のなかで、民主連合政府下で自衛隊の再就職を保障するなどとのんきなことをいっているが、アイジットの二の舞にならなければ幸いである。もっとも「反動の武装反乱には警察力で鎮圧する」そうだから、警視庁機動隊も、買いかぶられたものである。〕 第三には、本国プロレタリアートにたいし、米帝の巨大軍事力と、西欧、日本との軍事的系列化は、その革命的反乱を精神的に威圧するテコとなったのである。国内の階級関係を逆転させても、アメリカの巨大な軍事力が干渉してくるのではないかという不安が(それは現実の可能性でもあるのであるが)、有形無形のかたちでプロレタリアート前衛の意識に影響を与えたことは、だれも否定できないであろう。帝国主義本国の共産党(スターリン主義党)がおしなべて平和革命=議会主義方式に移行した原因は、もともと、スターリン主義的平和共存政策と機能主義的国家論の帰結なのであるが、同時に、それは、米帝の巨大軍事力にたいする敗北主義と、その結果としての志気阻喪という階級的状況を右翼的に反映したものといえるのであろう。
 ところで、ソ連における核兵器の開発、とりわけ、ICBMにみられる核運搬手段の飛躍的発展は、アメリカの核独占をうち破るとともに、核戦略体制に強烈な衝撃を与えたのであった。それは、軍事戦略的には戦後の帝国主義軍事体制に根底的な転機をもたらしたものであったといえよう。このような危機をいちはやく察知したのは、アメリカ帝国主義の産軍複合体であったが、かれらは、動揺する米帝の核戦略体制を再強化するために、ミサイル・ギャップを声高にわめきたて大量報復戦略をもって米帝核戦略の圧倒的優位性をうちたてようとしたのであった。しかしながら、ダレスの大量報復戦略は、三つの経路をとって、その矛盾が暴露されたのである。
 すなわち、第一には、核兵器の生産、貯蔵、配備を高めることによっては軍拡競争を拡大していくだけで、現実に一方的な核優位を回復することはできないという事実であった。もともと、核戦略体制は極度に反人間的な大量殺りく=自然破壊の攻撃体系であるが、その有効性は、実際の使用にあるというよりも、その脅威をちらつかすことによって権力政治的な世界支配を維持していくことにあったことはいうまでもないであろう。したがって、現実に双方が核兵器を所有するということは、事実上核脅威の効果を半減させてしまうのである。
 もちろん以上の過程は、スターリン主義者が美化しているように、ソ連の核武装が帝国主義者の戦争政策を抑止する「平和の武器」であることを意味するものではない。このような評価は唯武界の思想であり、戦争の人間的基礎を無視するものでしかないのである。戦後の歴史が教えるように、米帝の核独占にもかかわらず、米帝の大規模な世界戦争挑発の野望を阻止してきたところのものは、ほかならぬ、このような世界戦争が帝国主義の崩壊を準備するもの以外のなにものでもないからである。労働者国家は、核兵器の脅威のかわりに、電波と紙のたたかいにおいて世界人民への道徳的権威を確立すべきであり、かくしてはじめて帝国主義の侵略にたいしおそるべき革命的軍事力を準備しうるのである。
 〔ここに一つの歴史的構図を設定してみよう。アメリカ帝国主義が圧倒的な核戦略を背景にソ連、東欧、中国への侵略を開始し、その大半あるいは全部の地域を占領してしまった状況を想定してみるとしよう。これはいったい米帝にとって望ましい情勢であろうか。占領地域では執拗な全人民的な武装抵抗がもえひろがるであろう。しかも、そのたたかいは、事実上スターリン主義官僚制を突破していくものとして発展するだろう。他方、帝国主義の道徳的権威は失墜し、各国で深刻な反戦武装反乱ののろしがあがるであろう。帝国主義はスターリン主義をたたいてプロレタリア革命をひきだすことになるだけではないか。
 このような設定は、もちろん大局的なものであって、その過程には、人類史上意悪の皆殺し的惨事や、ナチス支配以上の圧制の時期をふくむかもしれないが、しかしながら、そのような恐怖政治的な圧制がきわめて短期日のうちに崩壊するであろうことは疑うべくもないのである。あるいは、多くの人は、こういう設定を空想的で楽天的なものとして受けとるかもしれない。だがこうした設定よりも、もっと恐怖にみちた構図は、米ソ両国が陣地戦的な対峙のもとで核兵器の応戦を展開する地獄絵であるといったら、あるいは多少の同意をえられるかもしれない。〕
 しかしながら、周知のように、ソ連政府は核武装の道を選び、中国もまたこれにつづいた。帝国主義は、これに倍する核兵器の装備をもって応えた。かくして、勢力均衡という権力政治的な力関係は、核を背景とした米ソ陣営の対峙として再現したのであったが、それは、核脅威のもつ無意味さを暴露するものでしかなかったのであり、同時にまた、米ソ権力者にとって権力政治的な相互理解の道を準備するものであった。
 まさに、ダレス型の大量報復戦略の非現実性は、第二には、核軍拡競争と、その均衡を基礎とした米ソ核独占共同体制の事実上の構築の試みとしてあらわれたのであった。
 もちろん、それは、平和への道を示すものではなくして、帝国主義とスターリン主義とのあいだの悪無限的な核軍拡競争と、そのもとでの勢力均衡関係の危機的な上昇以外のなにものでもないのであり、戦後の帝国主義世界体制をソ連とのあらたな関係のもとに再強化するものとしての役割をはたすのである。ソ連の核政策は、アメリカ帝国主義の核武装を解体し、平和の道を準備するどころか、帝国主義をしていっそう熱病的な核拡大をとおして極限への上昇をかりたてるものとなったのである。しかも、注意すべきことは、米ソの核独占共同体制の事実上の構築と、軍縮の名のもとにおこなわれる相互の軍備協定承認の動向にたいし、他の帝国主義諸国のあいだに独自の反応がみられはじめていることである。
 すなわち、もともと帝国主義軍事体制にとって核武装は対ソ、対中国における軍事的優位を維持する手段であるばかりか、帝国主義陣営内における勢力順位を確定しあう手段としての役割をはたしてきたのであったが、このような新しい国際関係のなかで、フランスが独自の核武装をもって発言権の強化を狙ったのみならず、西ドイツ、日本においても核クラブ参加の自由を確保しようとする動きを示しているのである。たとえば、フランス帝国主義の全方向戦略は、核戦争におけるフランスの独自的防衛をより効果的に達成することを目的としたものであるが、同時に、それは帝国主義的発言力の上昇を狙ったものとしての性格もつよく、最近では、核武装の既得権のうえにたって、NATO軍事体制に協調する傾向を顕著にしているのである。
 第三には、ベトナムを頂点とする第三世界の人民の革命的反乱の永続的な高まりのなかで、大量報復戦略――対ソ核制圧戦略の矛盾がはっきりしてきたことである。
 ソ連にたいし軍事的威圧を加え、その協力をひきだすことによって五四年のジュネーブ型解決は可能となったのであったが、こんにちでは、ソ連の裏切り的な協力にもかかわらず、第三世界における永続的戦争を帝国主義的に処理することはまったく絶望的になってきているのである。第二次大戦後、帝国主義戦争を帝国主義打倒の内乱に転化していく永続的過程は、その内部に幾多の困難や問題をかかえながらも、帝国主義者の手によってもスターリン主義者の手によっても容易に抑制しえないところまで発展しているのである。
 ケネディ政権の登場とともに確定した大戦略=核柔軟反応戦略は、まさに、一方における核のアメリカ的独占=圧倒的優位性の崩壊と、その結果としての核均衡の形成(もちろんアメリカの優位性のもとでの)、他方における帝国主義軍事体制のアジア、中東、ラテン・アメリカにおける動揺と崩壊的危機という米帝の核戦略体制とそのゆきづまりのもとで、現実に即してそれを修正し、米帝の世界支配をたてなおそうとするものであった。その柱をなしたものは、(1)エスカレーションの理論であり、(2)そのもとでの限定戦争の理論であった。いわば核柔軟反応戦略は、アメリカ帝国主義の核戦略体制の破綻を具体的局面に対応して修正しながら、しかも、それをいちおう統一性をもったものにしようとする苦心の計画があったといえようが、しかしながら、それは、より大局的にみるならば、米帝の核戦略体制のいっそう深刻な破綻を準備するものであった。
 すなわち、第一にはエスカレーションの理論である。その核心はハーマン・カーンの規定をかりれば「戦略技術は戦場だけにかぎられる必要はなく、戦争に先立って通常おこなわれる相互の脅迫による攻撃と回避、威嚇と反威嚇とにまで拡大されること」、つまり戦争そのものよりも、戦争の準備能力を示しあうことによって「一方または他方が『勝つ』ことが可能」であることを証明しようとするところにあった。いいかえるならば、核戦争という皆殺し的な全面戦争局面にいたらないゲーム的局面を米ソ両権力者が理性的に想定しあうことにより、クラウゼヴィッツのいわゆる戦争の合理的原理(戦争は、特定の国家意志を強制するための合理的な手段でなくてはならない)を核戦争に適用しようとしたものである。
 したがってまた、それは、核戦争を「相互の限定核攻撃」のなかに枠づけることを意図しているのであり、ハーマン・カーンは、これについて「周辺的な紛争では、恐喝、威嚇の使用、奇襲攻撃、間接的攻撃、政治的にも道徳的にも高率の損害を受けいれるだけの勇気をもつこと」が必要だと強調している。アメリカの平和研究家ラバポートは、このような核脅威の均衡のうえにたったエスカレーション理論について、若者たちが高速道路で真正面から全速力で走りあい、先にハンドルを切った方が敗けになる、というチッキン・ゲームを核戦略において再現するものだと厳しく批判するとともに、「米ソの間にもしも『共通の利益の認知』があって、そのおかげで破壊の程度を限定するように戦争を合理的コントロールの下に置くことができるとするならば、何故に、その同じ『共通の利益の認知』が核戦争をも完全にふせぐことができないのか」という善意の疑問を提出している。
 しかしながら、われわれはすでに米帝の核戦略体制が、その帝国主義的総力戦体制の矛盾から必然的に生じてくることを知っており、また、反共主義なしには、帝国主義軍事体制を維持しえない ことを知っている以上、この善意の疑問は帝国主義と、それに複合的にからみあっているスターリン主義を同時的に打倒していくための別の命題にかえられなくてはならないであろう。それは、さしあたって産軍体制――軍事主義体制というかたちをとって崩壊のための極限への上昇をとげる米帝軍事体制の検討としてなさねばならないであろう。
 第二には、限定戦争の理論である。それは直接的にはアジアを中心とする地域での帝国主義軍事体制の崩壊的危機にたいする応急処理として設定されたものであるが、にもかかわらず、共産主義の脅威に対抗するという建て前のもとに、第三世界における反帝武装反乱から全面核戦争までを階梯的に結びつけるところに、その核心があったといえよう。
 マクスウェル・テーラーは『はっきりしないトランペット』で大量報復戦略は「全面的な戦争をはじめるか、あるいは妥協か後退かという選択しか与えることができなかった」ために「大戦争の発生を防いできたかもしれないが、小さな平和を維持できなかった」と批判しているが、ケネディは、テーラーのこのような意見をくみあげる方向で限定戦略を提起したのであった。すなわち、「平和」と「戦争」、「通常戦争」と「非通常戦争」の区別しかやってこなかった旧来の概念の粗雑さにたいし、第一段階〜第三段階(危機以前の対応策)から第四段階(大発作戦争)まで精密に区分したのであり、いわば、計算された応戦による瀬戸際政策であるといえよう。
 アメリカ帝国主義は、戦後における旧植民地人民の永続的な武装反乱が、帝国主義の後進国・半植民地体制構築の攻撃が必然的に生みだしていることをみることができず、これをソ連の間接侵略によるものとして、対ソ核脅迫によって解決しようとしてエスカレーション理論をうちたて、同時にその重要な構成要素として戦術核兵器の使用も含む限定戦略を提起し、「これらからもゲリラ戦争を、という回転木馬$略」(ダイチマン)を追求したのであった。まさに、このようなケネディ=ジョンソンの核柔軟反応戦略の最大の実験場こそベトナム侵略戦争であった。
 現代帝国主義の軍事体制の第三の特徴は、構造化した産軍複合体制である。
 アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の敗勢と、それを決定的な契機としたアメリカ本国における反戦運動の高まりのなかで、アメリカの戦争国家的な体質が問題化しているが、いわゆる産軍複合体制こそは、その核心的な構造をなしているところのものであろう。
 ベトナム侵略戦争の問題は、もちろん、ケネディ=ジョンソン政権の戦争政策として遂行されたものであるが、しかしながら、同時にそれは、特定の政権の恣意的な政策決定過程の結果なのではなくして、アメリカ帝国主義が世界史的にたたされている条件と、それにもとづくアメリカの政治的=軍事的=経済的な内外政策の必然的な産物なのである。それゆえにこそ、ベトナム問題の解決が、反戦運動に決起した労働者、学生、知識人のみならず、ある意味では帝国主義的権力担当者にとってもあきらかに必要となっているにもかかわらず、容易に現実の問題とならないのである。まさに、ベトナム侵略戦争は米帝の世界支配政策と、そのための軍事的経済的体制のなかにしっかりとくりこまれ、その不可欠の条件となっており、したがってまた、ベトナム政策の修正は米帝の政策とその体制の総体の修正と切りはなしておこなうことができないのである。ここでは産軍複合体制をもたらしたもの、またそれがもたらすであろう問題を焦点として検討していくことにしよう。
 ところで、アメリカ帝国主義において産軍複合体制が形成されるにいたった歴史的条件はなににあったであろう。それは、すでに幾度か指摘してきたように、第一には、帝国主義における世界政策にたいする経済の体制的従属性である。
 すなわち、資本主義社会は、個々の資本家が利潤追求を目的として経済活動をおこない、その総和をとおして社会の自律的な調和が達成されていくものとして理念化されているのであり、国家はいわばこうした経済過程の立地条件を保障していくものとしてあらわれたのである。ところが、帝国主義段階にあっては、世界の再分割をめぐる列強間の死闘に規定されて、世界政策の成否が個々の資本家の経済的利益を決定するものとして重要性をもつようになるのである。しかも、金融資本の形成にもとづく、独占体と政府行政執行権力との特有の結合は、特定の資本家団体の利益を文字どおり国家政策の動向に直結するものとするのである。自由主義段階における安上りの政府にかわって「強力な政府」が、独占体の前線指導部としての役割をはたすものとして要求されるのであり、資本総体の利益の対象化されたものとしての政治的=体制的利益が、個々の資本の経済的利益に先行する過程を生みだしていくのである。それは、戦争と革命の時代にたいする不可避的な対応であったといえよう。
 第二には、独占救済のための財政金融政策と、軍需産業との結合である。
 すなわち、帝国主義的政府は、第一次大戦後、とくに二九年大恐慌の影響のもとで、不況の長期化とそのもとでの階級闘争の激化を回避し、独占体に構造化した過剰資本を整理するために、各種の政府支出=市場の人為的創出をおこなうなど、積極的な財政金融上の政策をうちだしていったのであるが、このような政府支出のもっとも重要な役割をはたしたものが、軍需生産であった。しかも軍需生産は、第二次世界大戦をとおして、不況脱出のテコとして機能したばかりでなく、帝国主義的な重化学工業の飛躍的な発展をもたらしたのであった。イギリスやヨーロッパ大陸の諸国は、戦火によって生産設備が破壊されたが、他方、アメリカ帝国主義はその地理的条件によって圧倒的な生産を維持したまま終戦をむかえたのであった。
 しかしながら、こういう事情は、一方では米帝の世界支配を物質的に支えるとともに、他方では戦後需要の一巡とともにアメリカ経済そのものの深刻な不況を予想させたのであった。しかも、帝国主義の戦後の特殊的条件のもとでは、アメリカ経済の不況がおこるならば、帝国主義体制の全体的な崩壊の危機をはらんでいたのである。アメリカ経済における長期不況の到来の予想を救ったのは、いうまでもなく、朝鮮戦争とそれを契機とした世界的な軍事支出の大規模な膨張であり、世界経済はこれ以後、アメリカ経済のゆるやかな拡大を基礎にして発展したのである。いわば、帝国主義は特殊戦後性に規定されて、戦時経済から「平和」経済への転換の困難をのりこえることができず、逆に、朝鮮戦争とそれ以後の永続的な部分戦争の過程をとおして、戦争経済の恒常的な体制として構造化したのである。アメリカにおける産軍複合体制は、朝鮮戦争で基礎を与えられ、ベトナム戦争をとおして発達したのである。
 第三には、帝国主義国家内部における軍事機構指導部の地位の強化と、その人的構成の変貌である。
 従来、いちおう軍事機構の議会制的統制が発達した国においては、軍指導部は、職業軍人としての軍事的関心が強く、専門家的傾向が濃厚なのであったが、アメリカ帝国主義の世界政策の基軸が軍事戦略的要素に重点をおくようになるにつれて、経営者的な合理性をもった人物が主流を占めるようになった。第一次大戦が化学者の戦争、第二次大戦が物理学者の戦争であったとすれば、第三次大戦は数学者の戦争となるだろう、といわれるように、マクナマラ型の「合理性」が軍事指導者に要求されているのである。もちろん、このような「合理性」は、いかに最小の経済的費用をもっていかに敵戦力の絶滅をはかるか、というものでしかないのであり、しかも、特定の独占体の利益を優先させたものでしかないのであるが、それにしても、職人的な傾向の強かった旧軍指導者にかあって、冷徹な神経をもった人物像が重きを占めはじめているのである。いわば、企業の利潤計算で資本量と労働力の関係でもあつかうように、軍事予算や兵器や兵士を論ずるタイプであり、軍指導部と独占体との結合は、その気質にまで相互浸透しはじめたわけである。
 では、帝国主義支配体制のなかで産軍複合体がこのように確固とした地位を占めるにいたったということは、資本主義の運命にとっていかなる意味をもつのであろうか。いうまでもなく、その第一は、資本主義経済の再生産の条件に軍事生産が構造化していることであり、まさにそれはこんにちの資本主義経済が自律性をいちじるしく喪失してしまっていることを意味しているのである。
 もともと、資本家的商品経済は、労働力の商品化を基本矛盾とするものであり、価値法則の展開をとおして社会的総労働の比例的配分を自律的に実現しているところに特殊歴史性をもつのであるが、こうした観点にたつならば、資本主義に特有な周期的恐慌現象は、資本主義の基本矛盾の爆発形態であるばかりでなく、その解決形態である。スターリン主義者たちは、資本主義の基本矛盾を生産の社会的性格と所有の私的性格の矛盾″あるいは生産の無政府性″に求めようとするが、そのような評価は、資本主義がなぜ歴史的な一社会をなしうるのかを無視するものである。しかし、いずれにせよ、恐慌は生産力を大量的に破壊し、失業した労働者の大群を街頭にほうりだす社会的災害であり、労働者をして即自的に資本主義の基本矛盾に眼をむけさせる過程となるのである。
 帝国主義段階の資本主義経済は、金融資本による独占形成に規定されて、景気循環が変化をうけ、不況が長期化する傾向をもつのであるが、こうした不況の長期化が階級闘争の激化の条件となるのを警戒して、金融資本とその政府は、一方では社会保障や失対事業など労働者の体制内的維持のための政策をおこなうとともに、他方では、独占体における資本の慢性的過剰を整理するために国家財政による人為的市場の創出をはかるようになるのである。帝国主義戦争とそのための総力戦経済の推進のもとで世界政策、とりわけその軍事戦略的側面が最重要視されることからして、重化学工業を基軸とする独占体にとっては、安定した市場が政策的に確保されることを意味したのであった。
 こうした事情は、戦後になって一時的には解消される方向にむかったのであったが、すでに指摘したように、戦後のくりのべ需要の一巡後に予想される長期的不況への予防的警戒から、四八年のベルリン危機、とりわけ朝鮮戦争を契機に全面的な軍事生産再開にふみきったのであった。朝鮮戦争も山を越えた五二年に大統領に就任したアイゼンハウアーは、アメリカの自由経済主義的な経済政策家たちの提案のもとに、国防費を抑制して予算の硬直化を打開する努力をおこなったのであったが、ダレスのまきかえし政策=大量報復戦略を基軸とした冷戦下の反共主義の嵐のもとではなんら実効性をもつものではなく、その中途半端な経済政策によって一方では経済成長の停滞をもたらすとともに、他方では、産軍複合体の膨張が進行するという皮肉な結果をもたらしたのであった。
 アイゼンハウアーにかわって政権についたケネディは、軍事戦略では、アイゼンハウアー時代の大量報復戦略のゆきづまりを修正して、核柔軟反応戦略・限定戦争戦略をうちだすとともに、経済政策的には、世界経済における米帝の地位後退をまきかえすために、ケインズ的な経済成長をもってドル赤字を補完する積極的な政策を追求したのであった。かくして、アメリカ経済は史上最高といわれる好況の長期的持続を生みだし、対外競争力の強化による貿易収支の黒字幅の再拡大という狙いを一応達成したのであったが、その根拠となったところのものは、大企業の減税措置などの一連の金融財政政策とともに、六一年以降の国防支出の増加、とくに一般産業への波及効果の強い通常兵器産業部門の拡充強化によったものであったことは否定しえないことである。
 にもかかわらず、六四年にははやくも深刻な不況のカゲをなげかけることとなると、トンキン湾事件のフレーム・アップをおこない、ベトナム戦費の熱病的な膨張にふみきったのである。軍需生産関係の特定の金融資本団体の利益が、逆に軍事政策をいっそう危険な方向へとおしすすめるものとしてあらわれたのである。いいかえるならば、経済利益に先行する軍事目的の遂行を、独自の独占体の利益とする機構が成立し、それが国家政策を決定する重点となってしまっているのである。
 その第二は、軍事生産という非生産的生産部門の特異な増大とそれにもとづく生産的生産部門への圧迫である。
 たとえば、産軍複合体は、すでに軍関係者四七〇万人、軍需産業労働者三八〇万人を擁しており、家族を加えるならば米国人口の五分の一が国防支出に関係しており、産業的にも飛行機から医療器具にいたる七六種類の産業が国防支出でうるおい、飛行機、造船メーカーでは利益の大半が軍需に依存しているといわれるのである。また、地域的にも、カリフォルニアなど一〇州が国防発注総額の約六〇%を占めており、ロサンゼルスでは全雇用者の六〇%が国防支出関係に依存しているともいわれるのである。われわれは、このわずかな資料からも産軍複合体がいかにアメリカ社会のなかに根をおろしているかを知ることができるのである。
 しかしながら、問題は、軍事生産が資本主義経済の再生産のための条件としてくりこまれ、独占体の利益追求のための手段になっていることにつきるものではないのである。というのは、もともと、軍需生産はまず第一に帝国主義的世界政策に規定されるものとして、第二に戦後における長期的不況にたいする政策的予防としておこなわれたのであったが、こうした軍需生産の熱病的な自己増殖が、非生産的生産部門をアンバランスに肥大化することによって、生産的生産部門を圧迫し、さらには、インフレと国際収支の赤字要因としてはねかえってきているのである。すなわち、国防費膨張の主軸をなしたベトナム戦費の急上昇は、六六年会計年度の予算からであり、それは、不況のカゲをなげかけたアメリカ経済に好景気維持の強力な刺激となったのである。膨大な軍事財政負担はもちろんのこと、資材や労働力や技術者を軍需産業に大量的に吸収し、他産業を圧迫したばかりか、軽電機にみられるように民間需要の大半を外国製品にまかすことによって国際収支をいっそう困難化させる要因となっているのである。
 その第三は、腐敗と寄生性の際限のない進行である。
 ロッキード、GE、GM、フォード、スタンダード石油、ダグラス、ユナイテッド航空機など特定の独占体と軍部との結合、不当価格や契約見積りの水増し請求など発注・納品・支払にかんするナレ合いと不正、軍指導部の独占体企業への天下りなど、その腐敗はいまや目をおおいたくなるほどである。アメリカ帝国主義の巨大軍事体制は、共産主義の脅威に対抗するための神聖な事業の遂行というスローガンのかげで、史上未曽有の不正と腐敗を生みだす培養基となっているのである。死の腐臭が、産軍複合体というかたちをとって、アメリカ帝国主義の深部をむしばみはじめているのである。ベトナム侵略戦争における敗勢と、住民皆殺しにみられる道徳的権威の失墜のなかで、いまや、アメリカ帝国主義は、その国家の中枢的機構が死の商人によって占拠されてしまっていることを全世界の人民のまえに暴露してしまったのである。かつて、一九世紀から二〇世紀への移行期にあって、フランス帝国主義はその歴史的崩壊の形態をドレフュス事件として予告したのであったが、アメリカのドレフュス事件は、いまはじまろうとしているのである。
 
 第三節 軍国主義体制とその崩壊の開始
 
 以上、第一章、第二章をつうじて展開したことがらを本節の主題との関連において総括すると、つぎのようになるであろう。
 すなわち、第一には、第二次大戦は連合国側の勝利に終わったにもかかわらず、それは、帝国主義戦争の原因を根底的に解決したものにはならず、永続化する植民地戦争と対ソ軍事包囲ブロックの攻撃を両軸として帝国主義の巨大軍事体制が構築されたこと、 第二には、このような帝国主義軍事体制は、特殊戦後性に規定された帝国主義の具体的な延命のあり方、すなわち、いわゆるドル・ポンド国際通貨体制と帝国主義的軍事ブロックという二つの強権的機構を形成することによって帝国主義の世界的有機性が擬制的に維持されてきたのであること、いいかえるならば、戦争と革命の時代にたいする戦後的な対応形態であったこと、
 第三には、国際共産主義運動の疎外態としてのスターリン主義運動は、帝国主義の根底的打倒をとおして平和を実現していく立場にたつのではなく、核武装をもって帝国主義軍事体制への勢力均衡をはかり、その補助的手段として反戦闘争の平和共存政策要求運動への歪曲をはかり、そのため、帝国主義とスターリン主義の核攻撃力の極限への上昇と、それにもとづく勢力均衡が生じていること、
 第四には、こうした恒常的な軍事体制化のもとで、総力戦体制、核戦略体制、産軍複合体制が構造化し、それらは、ベトナム侵略戦争の敗勢の深まりのなかで、米帝の軍事体制の矛盾をいちじるしく焦点化させはじめていること、
 第五には、こんにちの帝国主義の巨大軍事体制が、その構成において全社会を措定し、人的にも労働者、農民、学生を大量的に包摂する構造をもちながら、その歴史的な危機性に規定されて、戦略目的への国民的統合の画においても、軍隊内部の規律維持の面においても、デマゴギーと強制に主として依拠しなければならなくなっていること、
 第六には、こうした諸条件のもとで、帝国主義巨大軍事体制は、一方では、腐敗と退廃とを内部に蓄積していくとともに、他方では、その動揺と永続的な崩壊過程をとおして帝国主義の死滅を一歩一歩はやめていること、である。
 しかしながら、以上の世界史的な過程は、帝国主義本国におけるプロレタリアートの革命的形成が決定的に未成熟な段階にあっては、さしあたって、デマゴギーと強権的な中央権力支配をテコとした特殊戦後的な軍国主義体制の形成としてあらわれたのであった。われわれは、すでに、軍国主義体制の歴史的類例として、(1)ドイツのビスマルク主義、ロシアのツァーリズム、日本の天皇制、(2)ドイツのナチズム、イタリアのファシズムの二つの型を知っているのである。すなわち、第一の類型は、イギリスを中心とする資本主義的世界市場の形成のもとで、これに対抗して自国の産業を振興するために資本の本源的蓄積を金融資本様式でおこなわねばならなかった国で特殊的に採用された統治形態であるが、その本質とするところは、絶対主義君主制のもとで中央集権的に形成された軍事的、官僚的機構と、農村における地主=農民の前近代的な意識関係にもとづく秩序体系を革命的に解体せず、むしろ、それを金融資本的蓄積の強制として利用し、その内部からブルジョア的に変質させていったところにあったといえよう。しかしながら、このような複合的な支配様式は、プロレタリア運動の初期の段階に対抗するには有効であったが、世界戦争の過重な負担に耐え、世界戦争のもとで発展する内乱への綱領的見通しを確立していくプロレタリア運動に対抗するには、かえって弱点をさらけだすものとなったのであり、それぞれ世界戦争をとおして崩壊した。他方、アメリカは、資本主義的形成の歴史的位置においてはドイツなどと同じ立場にあったが、旧大陸の伝統的支配機構が決定的に脆弱で、しかも、農民が開拓民的な独立自営型であったため、議会主義的統治形態を発展させることになったのである。
 第二の類型は、世界戦争と大恐慌のもたらしたプロレタリア革命的危機に対抗し、ドイツ国防軍の軍事力を背景としながらも、直接的には、没落した小ブルジョアの国家主義的=排外主義的動員をもってプロレタリア運動の陣地を暴力的に解体し、帝国主義的矛盾を積極的に世界戦争の準備にむかって転化していくところに特徴があったといえるであろう。それは、デマゴギッシュなシンボル操作と、国家独占資本主義政策をもって国民を暴力的に統合していったのであったが、もちろん、それは矛盾を解決したものではなく、むしろ帝国主義的矛盾を世界政策の破綻として爆発させていくことで、その体制的崩壊を現象させたのであった。
 第二次大戦中の日本の統治形態=統合方式は本質的には第一の類型に属するものであり、あえていうならば軍部独裁であったが、にもかかわらず、世界政策上の要因に逆規定されてファシスト・イデオロギーに粉飾されていたところに独特な性格がみられるのである。こんにち、アメリカにおいて問題とされるところの軍国主義体制は、議会主義的な統合方式を維持しながら、議会主義的承認のもとで実現されているのであり、いわば、第三の型とみなすべきものである。
 勝部元の『現代のファシズム』をはじめ、すくなからぬ数の政治学者は、このようなアメリカの軍国主義体制を「ファシズムの戦後的な型」あるいは 「プレ・ファシズム」と規定するが、その危機意識は是としても、アメリカにおける政治支配体制の特質を正確にとらえることはできないであろう。なぜならば、戦後アメリカの政治支配体制の特質は、プロレタリア運動がイデオロギー的に解体してしまったことを前提としながらもそのうえに、(1)反共主義、(2)社会福祉政策、(3)連邦権力の強大化と巨大軍事体制の構築、以上を基礎とした(4)世界支配政策を軸として展開されてきたことにあるのであり、むしろ、こうした過程の崩壊的危機に対抗するものとして、ファシズム的な反革命の危険が避けがたい現実として登場してくることに注意しなくてはならないのである。
 それでは、戦後アメリカ帝国主義の軍国主義体制はいかなる特徴をもつものなのであろうか。その第一の特徴は、反共主義とデマゴギーの、上からの意識的な操作である。
 すなわち、第一には、反共主義である。アメリカの政権担当者は、その世界政策の遂行ならびに、そのための国内体制の整備にあたって、つねに「国際共産主義の脅威」にかんする不安をかきたて、いまにもソ連軍がニューヨークに侵攻してくるかのようにわめきたてるのである。トルーマン・ドクトリンにおける赤色侵略の脅威、ベルリン危機、ケネディのドミノ理論など、枚挙にいとまがないほどである。しかしながらこういう不安は、アメリカの保持する巨大軍事体制と矛盾するので、第二には、ソ連のスパイの暗躍がまことしやかに不安をかきたてることになる。壁に耳あり、とはナチ宣伝相ゲッベルスの考案したスローガンであるといわれるが、不確定な敵を浮かびあがらせることで、民衆を民族排外主義にかりたてる重要なテコとなるのである。原爆の機密文書をソ連に流したとの疑いで処刑されたローゼンバーグ事件は、スパイへの不安をかきたてるとともに、ソ連の核開発の秘密をなんとなく説明してみせる二重の役割をはたすものとなる。
 第三には、反政府的な運動や、その支持者たちにたいする非国民、売国奴、国家反逆などの非難であり、間接侵略というデマゴギヅシュな用語をふりかざしてのプロレタリア革命への恫喝である。また、たとえ国内的矛盾から内戦がおこったとしても、それが共産主義的傾向をもつものならば、それはすべて間接侵略なのであるから軍事体制の本格的発動になる、と宣言することによってプロレタリアート前衛の恐怖を呼び起こし、革命を間接的に抑制する効果をもっているといえるであろう。
 第二の特徴は、ニューディール政策以来の社会福祉政策にもとづく社会改良にかんするシンボル操作の洪水と、それを背景とした労働者階級、都市住民、農民の体制内包摂機構の整備である。
 すでに他のところで指摘したように、三〇年代におけるルーズベルトのいわゆるニューディール政策は、(1)モンロー主義を清算して帝国主義的世界政策を積極的に推進すること、(2)テネシー河流域の改造計画をはじめとする、恐慌の改良的克服のための財政政策、社会保障政策の立案、(3)以上を遂行するための連邦政府権限の飛躍的強化(財政権限、軍事統制など多方面にわたるもの)を三つの柱としたものであったが、とくに、第二の柱は、二〇年代――三〇年代におけるアメリカ労働運動の戦闘的傾向に打撃を与え、労働組合の労働市場整備機構への転化をいちじるしく推進させたのであった。いわば、アメリカの労働者階級は、一方では反共合唱などのイデオロギー攻撃によって帝国主義体制の擁護者に変質させられるとともに、他方では労働組合機構をとおして体制内に包摂されていったのである。労働組合は、労働力の販売機構として整備されただけではなく、労働者の革命的団結とその闘争を予防し制圧し解体する機構として自己を完成していったのである。
 もちろん、われわれは、組合機構とそのヘゲモニーの問題を機械的に同一視し、両者を混同するべきではないのである。プロレタリアート前衛は、労働組合の内部にあって活動の分野を拡大し、その戦闘化をはかり、階級闘争の革命的推進の陣地としての可能性を徹底的に追求していかねばならないのであるが、しかしながら、同時に注意しなければならないことは、指導的チャンネルが変われば組合の機能と役割が変わるというものではなく、既成の労働組合の機構のなかに、労働者の新しい闘争系列を独自に組織することによって、それは達成されるということである。
 こうした観点にたってみるならば、アメリカ型労働組合は、下からの革命的ヘゲモニーに対抗する機関として現実に機能にしてきたのであり、まずもって解体の対象としてみなし、その立場からその深部にガンのように定着していくことが必要であろう。しかしながら、スターリン主義者は、ニューディール政策を恐慌の人民的克服の道として美化し、しかも、組合主義者として右翼改良主義者と野合する方向(CIO=AFLを含むものとして世界労連は発足した)を選んだのであったが、そのような試みは、労働者階級にたいしアメリカ型労働組合に幻想を与える役割をはたしただけなのであった。まさに、アメリカ帝国主義は、「反共」をテコにプロレタリア革命にたいする予防的反革命をおこないながら、同時に、社会改良的政策を先行的にうちだし、それを条件にしてプロレタリアートを体制内に包摂していったのである。
 第三の特徴は、連邦政府権力の財政的・軍事的権限の飛躍的強化であり、そのもとでの軍事体制の肥大化である。こうした傾向は同時に、議会による軍事力の統制を事実上無意味化していくのであった。こんにち、アメリカ議会でトンキン湾事件の真相やソンミ村民皆殺し事件などがおおげさに討論されようとしているが、こうしたエピソードは、いかに議会が軍事外交政策に無縁な存在であるかを示すものといえよう。
 もともと、アメリカの政治制度は、大統領権限の強大さにその特色があったのであるが、連邦財政の膨張と、軍事外交権限の強化は、政府行政執行権力の自立化の傾向をいっそうつよめ、事実上、議会の統制のおよばない独立の府をつくりだすこととなっているのである。ペンタゴンのベトナム軍事政策にみられるように、アメリカ国防省とその配下の巨大軍事体制は、自律的な内部指導によって政策が決定され、議会は追認的に合法化する過程となっているのであるが、そのあまりのギャップは、ベトナム敗勢のなかで議会内の不満を表面化させるほどとなっているのである。アメリカ帝国主義は、「反共」をあおりたてて国民を軍事政策のもとに統合し、それを背景にして、巨大軍事体制の史上類例のない構築に成功したのであったが、それは軍事力の国民的統制の形式的保障さえ解体してしまったわけである。こんにちのアメリカ軍部は、米大統領の世界政策にまで決定的影響を与える独立した政治勢力にいまや成長しており、それは、ワイマール時代のドイツ国防軍の恐怖を想起させるはどなのである。
 第四の特徴は、戦後世界におけるアメリカ帝国主義の専制的地位そのものが、国民を政府の世界政策=軍事戦略のもとに統合する決定的な条件をなしていたということである。
 もともと、アメリカは地域主義的な伝統の強い国であり、時代錯誤的な団体、ジョン・バーチ協会によれば、連邦政府権限の増大は共産主義者の陰謀でFBIはアカの巣なのだそうであるが、こういう漫画的な意見が、あるていど支持を受けているところにアメリカの古い顔があるのである。したがって、ルーズベルト以来のアメリカ政府は国内政策の面でも、むしろこういう右翼的抵抗にあうことによって、かえって改良的幻想を連邦政府に集中する政策を意識的にとってきたのであったが、世界政策の面でも、モンロー原則的な反対を抑えて、進歩的な世界主義をとることによって戦後世界支配者への道を選んだのであった。ルーズベルト=ケネディ型の改革派的政治家の系譜のうえに、ベトナム問題が必然化しているのである。
 多くの民衆にとって、アメリカが自由世界の防衛のために世界のいたるところで勇敢にたたかっている、というイメージがもっている意味も無視できないであろう。帝国主義の世界的没落を阻止するための米帝の必死の試みは、それがいちおう成功しているかぎりでは、自由をまもり、侵略者を撃退し、反逆者をこらしめる過程として転倒して映ったのであった。こんにち、アメリカがアポロ計画に異常な情熱をそそいでいるのは、科学振興そのものに主要な目的があるのではなく、この軽薄な大事業をとおしてベトナム敗勢による敗北感をカバーし、あわせて、独占資本に巨大市場を提供するもの以外のなにものでもないのである。
 しかしながら、ベトナム侵略戦争における敗勢と、それにもとづくアメリカ帝国主義の世界政策は、軍国主義体制の国民的基礎を根底的に揺るがしはじめたのである。それは、まだ、きわめて端緒的なものであるかもしれないのであるが、それゆえにこそ、その意味するものは重大であるといえよう。
 すなわち、第一には、ベトナム侵略戦争にみられる植民地戦争の失敗と、それにもとづく軍事戦略の動揺である。帝国主義の世界政策の崩壊がもっとも冷酷に生起するのは、世界戦争における軍事的敗北であることはすでに幾度か指摘してきたところであるが、ベトナム敗勢は、特殊な形態をとって米帝の体制的崩壊の根底的衝撃となっているのである。もちろん、完全にベトナムで敗北するとしても、それが直接的にアメリカ帝国主義の軍事的崩壊を意味するものではない。にもかかわらず、もしそのような事態が起こったとするならば、米帝の従来の軍事戦略=世界政策と、そのための国民的統合政策が根底的に動揺するであろうことは疑問の余地もないであろう。こんにち、米帝はベトナム敗北の衝撃を緩和するために、ベトナム戦争のベトナム化というペテン師的な政策をとろうとしているのであるが、ベトナム化は敗北を決意することなしには事実上不可能であろう。
 したがって、いぜんとして泥沼的な植民地戦争をつづけようとも、また、その負担に耐えきれずベトナム敗退の道を選ぼうとも、アメリカ帝国主義にとって汚い戦争のために巨大な人命と物資を犠牲にしたという国民の批判を避ける方法はどこにも存在しないのである。しかも、重要なことは、ベトナム敗退の道は、いずれにせよ、反戦運動の高まりと、それにたいする主戦派の反発とまきかえしとのあいだの血みどろの長期にわたる死闘の結果であることである。
 第二には、超地球的規模に達した核装備や、膨大な財政負担をしている産軍複合体制にたいする不信と批判のひろがりである。ニクソン政権は、さしあたっては、対ソ軍縮交渉なるものによって、国民の批判をかわそうと努力するであろうが、軍縮交渉の本質が核装備とその管理体系にかんする調停でしかない以上、核戦略体制の極限への上昇がいぜんとして継続されるであろうことは疑いもないのである。しかも、産軍複合体制にまつわる財政の乱脈と腐敗のひきつづく露呈は、だれのための巨大軍事体制なのか、という疑問を浸透させていくことによって、アメリカ帝国主義の軍事目的にたいする国民的統合の基礎を道徳的に崩壊させていくことになるであろう。
 第三には、ベトナム反戦闘争の持続的な展開である。こんにちのところ、運動の指導的潮流はいぜんとして小ブル平和主義的傾向が支配的であり、そのなかには、アジアのために死ぬのはごめんだという傾向すら含んでいるのであるが、にもかかわらず、数年にわたる反戦運動の経験は小ブル平和主義と決別した革命的傾向を加速度的に生みだし、黒人解放闘争や、労組内の戦闘的潮流との階級的連帯のもとに、帝国主義体制崩壊の決定的条件を準備しはじめているのである。しかしながら、反戦運動の持続的展開と、その深部における左翼化の動向は、平坦な道をとって前進するものではなく、逆に、反革命の密集した集団をつくりだしていくであろう。すでに、米帝の白色テロは、黒人解放闘争の最左翼部隊にたいし、執拗な襲撃を加えはじめているのである。やがて、それは、白人の反戦運動にたいし向けられることであろうし、またそれを背景とした買収と恫喝のなかで、反戦運動の左右の分解が必然的に生起するであろう。たたかいは、ただ、強化され密集した反革命の力を生みだし、それを突破していくことによって革命を実現しうる力を獲得するにいたるのである。
 第四には、権力の弾圧と反革命の襲撃にたいする武装抵抗組織の登場と、帝国主義軍隊内部における不服従の拡大である。戦争を経験した百数十万の青年が、帝国主義の側と革命の側という立場に立って公然と対峙する時代がはじまろうとしているのである。アメリカにおける内乱的情勢は、部分的かつ持続的な性格をもってじょじょに燃え拡がろうとしているのである。疑いもなく、それは、世界的内乱の煙火となるであろう。
 革命的共産主義者は、アメリカ帝国主義を中心とする帝国主義巨大軍事体制が、その末肢の部分で永続する戦争によって崩壊の危機をつきつけられているばかりか、その心臓部において内乱の危機を準備していることについて直視しなくてはならない。もちろん、アメリカでも、フランスでも、イタリアでも、アイルランドでも、日本でも、情勢はいぜんとして萌芽的であり、革命主体勢力は、イデオロギー的にも組織的にも未成熟である。
 しかしながら、帝国主義の体制的危機が、内乱をふくむ崩壊過程への過渡期にさしかかっていることは、断じて疑うことはできないであろう。現代の革命は、国際金融体制の崩壊的破局によってもたらされるかもしれない情勢を考慮にいれないとしても、なお、その経済的基礎において十分すぎるほど成熟している。問題は、権力をめぐる階級闘争の質と量とにかかわっているのである。
 それは、同時に、公認の左翼指導部によって圧殺され、おしかくされてきた内乱の問題について、プロレタリアート前衛が綱領的=組織的にとりくみを開始することを要求しているのである。
 おそらく、このような歴史過程は、帝国主義の戦争政策と、それを支える軍事体制に反対する幾百万大衆の創意的なたたかいとなるであろうが、いかなる現実的形態をとろうとも、その実現のうちにつぎのような課題を含むものとなるであろう。
 すなわち、第一には、革命綱領とそのための軍事思想の確立、第二には、具体的な大衆行動の発展を基礎とし、それを反動的襲撃から自衛するための武装部隊の意識的な組織化と、その活動目的、訓練にかんする組織戦術の形成、第三には、政治ゼネスト、工場占拠型ストライキの大衆的爆発にむかっての闘争形態と組織形態の創意的解明と、そこにむかっての実践的活動の追求と総括、第四には、闘争の持続性と意識性、合法と非合法、公然と非公然、集中と散開、政治的指導の重心とその防衛を統一的に保障する階級的前衛機関としての党組織=党闘争論の深化。