一 前衛党組織論序説
――『何をなすべきか』に学ぶ――
本稿は、一九七三年の夏おこなわれた学生書記局の学習会での講演を録音テープから再生したものである。録音操作や保管の不備により部分的に欠落した個所があるが、全体の理解をさまたげるものではない。別掲のレジュメはそのとき使用したものである。講演はほぼレジュメにそってなされているが、何個所かは省略して話がすすめられている。
レーニンの『何をなすべきか』をテキストにして、党組織論にかんするこの有名な論文を現代的にどう読みこなすべきか、ここから何を学びとるべきか、について平易に口述しているが、その問題意識、問題にしている対象領域、アプローチの仕方はきわめて高度なものというべきであろう。
〔序〕現代革命における党組織論の課題
1 革命的共産主義運動の党組織問題/2 日本における革命的共産主義運動の組織論的な総括/3 党組織論の構成と任務
A、『何をなすべきか』を書いた事情と目的
l 国際的社会民主主義内の二つの潮流/2 ロシア社民党内の「批判の自由」の新しい擁護者/3 〔略〕/4 革命的潮流の任務
B、『何をなすべきか』の構成
1 論文『何から始めるべきか』で提起した構成/2 非論争的な形態から論争的な形態への変更/3 新しい構成/4 章別構成の理論的特徴/5 新しい反革命としてのカクマル
C、理論闘争の意義について
1 革命運動における理論闘争の意義についで/2 〔略〕/3 エンゲルスの教訓/4 カクマル式「階級闘争」論のまやかし
D、〔略〕
E、組合主義的政治と共産主義的政治
1 政治闘争にかんするわれわれと「経済主義者」のあいだの意見の相違/2 政治的扇動にたいする経済主義者の誤った理解/3 宣伝と扇動/4 労働者の革命的積極性をそだてるための政治的暴露/5 経済主義とテロリズムの共通性/6 民主主義のための先進闘士としての労働者階級
F、手工業性と組織性
〔序〕革命家の組織/1 手工業性と経済主義を克服するたたかい/2 労働者の組織と革命家の組織/3 組織活動の規模/4 「陰謀」組織と「民主主義」/5 地方的活動と全国的活動の関係
〔序〕現代革命における党組織論の課題
現代における党組織論をつくりあげていくという観点から、レーニンの『何をなすべきか』をどう学ぶかという問題について、いくつか問題になるような点を指摘したいと思う。
一応、順序からいうと、まず大きくいって、最初に現代革命における党組織論の課題、そういった問題を序説的に問題にする必要があるのではないかと思う。
それから、本論に入って、今度はつぎに『何をなすべきか』からどう学ぶかというようなことに関連して二、三やるとなると、一番目の問題は〔A〕『何をなすべきか』が書かれた事情と目的、それから二番目に〔B〕『何をなすべきか』の構成、どういう論文構成になっているのか、そのうえで順次各章の一章から五章までのあいだの各章からどう学ぶかというような問題をそのあとにやることにしよう。
そういう点でいうと、その後でやるという意味で、三番目として(一が事情と目的、二が構成ということにつづけていうと三、これは別な意味でいうと一になるわけだけれど)、〔C〕理論闘争の意義という問題(T)、それからそのつぎが〔D〕自然発生性と目的意識性(U)、〔E〕組合主義的政治と社会民主主義的政治(これは正しくいえば共産主義的政治)(V)、つぎに〔F〕手工業性と組織性(W)、〔G〕全国的政治新聞の計画――計画としての戦術(X)、最後に〔H〕結論(これはあとがきについての要約)(Y)、ということになると思う。
この後の方の(T)、(U)、(V)、(W)、(X)、(Y)は『何をなすべきか』の論文そのものに即した各章の要約というものとして考えてもらえばいいのではないかと思う。
この〔序〕にあたるところは、くわしくやればくわしくやれるし、かんたんにやればかんたんにやれるというような種類のことだと思います。つまり、こういう題で、それ自身一個の問題を展開することもできるし、また一応まえがき程度に書くことも可能だし、あとで時間があったらすこしこの問題についてくわしくやるということにして、ここのところは、こんにちの行き方としては、ごくかんたんに確認して、『何をなすべきか』の一、二、三以下のところにすぐ入れるようにやろうと思う。
学習会なんかでやるときは、多少この〔序〕の部分もすこし頑張ってやった方がいいのではないかと思う。これは、時間の都合で、あとでうまく配分ができてきたら敗者復活戦でやることにする。この部分はある程度ちゃんとやらないと、普通多くの活動家の場合、頭から党が必要といわれても、また、レーニンがこういってるからこういうのは正しいんだなんていわれても、すぐにはわからない点があると思う。
レーニンだから尊重するというのではなくて、レーニンのやったようなことを、現代のわれわれが運動を進めていくうえで十分とりあげる必要があるのだということを、現代的に確認しないと入れないようなところもあると思う。そこはそれなりに、ある程度つめてやるという必要があるのではないかと思う。
一応、〔序〕のところであつかった方がいいのではないかと思うようなことを二、三いうと、一番目が、(1)革命的共産主義運動の党組織論の問題、ないしは革命的共産主義運動における党組織論の問題、つぎに二番目に、(2)日本における革命的共産主義運動の組織論的な総括、つまり、(1)の方は革命的共産主義運動一般における党組織論の問題ということになる。
二番目の方は、日本における一定の歴史的実践にふまえて、革命的共産主義運動の組織論的問題を総括するということになる。ちょっと次元が違うと思う。
三番目に、(3)党組織論の構成と任務、つまりここでは、そもそも党組織論とはどんなことをとりあつかう必要があるのか、あるいは、そもそも何のためにやるのかというようなことをあつかってみる必要があるのではないかと思う。だいたいこの三つぐらいのところを序論的には確認して、その視野から、レーニンの 『何をなすべきか』を読んでみるというような話の進み方になるのではないかと思う。
だから、いわゆる論理主義的ないい方でいえば、(1)の方は世界史的あるいは一般論的にいって、革命的共産主義運動において党組織論の問題はどうあらわれるのか、ないしは、われわれはどう問題にしなくてはいけないのかというように、やや論理的にあつかうということになる。
二番目は、日本における十数年間の運動のなかで、その問題がどうあつかわれ、どう処理されてきたのか、というようなことをあつかう。三番目のところでは、こうやってきた事実の実践的な視点のうえにふまえるとなると、党組織論というのは、だいたいわれわれとしては、どんなことを明らかにしておく必要があるのか、ということを考えてみる。
(1) 革命的共産主義運動の党組織問題
@ 国際共産主義運動のスターリン主義的変質
〔序〕の(1)に関連して、ひとつはレーニン主義組織論の問題がある。
一番目の指標としていうと、@国際共産主義運動のスターリン主義的な変質に照応して、つまり、@に照応して、Aレーニン党組織論のスターリン主義的な変質がおきる。つまり、一番目でいえば、運動(運動といってもこの場合の運動は大きい意味で)そのもののスターリン主義的なゆがみが、まず第一につき出される。
これに照応して、レーニンによって基本的に確立された組織論がまた、スターリン主義的にゆがむという事態がおきて、われわれが世界史的に多くのかたちで目の前に見いだしているのはこの二つの事態である。
それにたいして、三番目にいいうることは、こういうスターリン主義的な変質にたいしてトロッキーを先頭とする第四インターの闘争があったわけだが、このトロッキーと第四インターそのものの日和見主義、党組織論上、あるいは運動、戦略論上の目和見主義という問題をわれわれとしては問題にしなければならない。いわばBのトロッキー、第四インターのたたかいとは、主観的には、スターリン主義的なゆがみとたたかう者として現われたわけだけれど、しかし実際は、それ自身破産してしまう。
こういう三つの事態のうえにたって、四番目に、C党組織論にかんする種々の日和見主義が発生するわけだ。
五番目の問題として、こういう@、A、B、C、あるいはBとCにたいして、われわれのもっている独自性というのは、E革命的共産主義運動における党組織論という問題を独自にたてなおそうとした、というところにある。
A レーニン主義党組織論のスターリン主義的歪曲
以上のメモのうえにたって、二、三敷衍すると、国際共産主義運動があって、それのスターリン主義的ゆがみがおきる。すると、当然そのゆがみに相応して、あるいは、その一部分として、党組織論そのもののスターリン主義的ゆがみが発生するわけだ。
たとえば、世界革命の放棄ということに対応して、党そのものが、世界革命の手段から一国社会主義の手段へ転化するというような事態がおきる。スターリン主義的な党が、体制内左翼、あるいはスターリン主義政党として革命的左翼にたいする組織的制動としてあらわれる。裏切りと反動の反革命的な敵対物としてあらわれるという事態がでてくる。あげくのはてに、民族の党、国民の党などというところまでゆきつくわけです。
あとでやるけれど、党というのは本来労働者階級の利益にたって行動する階級の自立的な政治組織である。党あってこそ、階級は自分を階級として表現できるわけだ。ところが、スターリニスト党などというものがでてきて、しかもその手で革命運動そのものがむしろ制圧されるということになると、そしてそういう奴が、「レーニンいわく」とかなんとか、年中、党、党、などということをいうと、まじめな人民のなかに「党」にたいする嫌悪感を生みだしてしまうという現実が生じるわけです。
B トロッキーと第四インターの日和見主義
これにたいして、ひとまずトロツキーと第四インターの闘争というのがはじまったわけだけれど、ところがこれは、この間いくつか確認されてきているように、トロッキーの独裁論そのものが客観主義的本質をもっているということ、これに照応してトロッキーならびに第四インターの理論と運動が組織論上の日和見主義をもまたもっている、ということを確認しなければならない。
ついでにいうと、黒田の間違いというのは、トロッキーの独裁論のもっている客観主義的かたよりをぜんぜん無視してしまって、むしろレーニンよりも本質論に接近しているというふうにやって、あげくの果てにその偏向をもっと純化して、俺がそうしたんだというふうに威張っているというやり方をとっている。レーニンにたいしてトロッキーをぶつけて、トロッキーにたいしておのれをぶつけて、俺が一番強いんだと威張っているわけだ。むしろ、問題があるのは、大きくいえばトロッキーの組織論に問題があるんだというふうなかたちで、どちらかといえばいうわけだ。
独裁論も機能主義的な偏向があったとはいうけれど、トロッキーにたいする主たる批判は組織論の方におかれている。もちろん、トロッキーの組織論は非常に大きな問題をもっている。しかしそれは、トロッキーの独裁論そのもののもっている問題性と切りはなして論じることはできないということが、われわれにとって重要な視点になるのではないかと思う。
i、トロッキー独裁論の客観主義的本質
トロッキーならびに第四インターの歴史的な事実ということからいうと、トロッキーに即していえば、つぎの三つの問題が組織論上、あるいは組織的実践にかかわることとして、つまり党建設にかかわるものとして、大きな日和見主義として存在していると思う。
一番目の問題は、ロシア革命にいたる過程でトロッキーが、ボルシェビキとメンシェビキのあいだの折衷主義、中間主義に終始したということ。事実の問題としては、メンシェビキに加担していたということ。
第二番目の点としては、スターリンによって、あるいはスターリン主義者の手によって、ロシア共産党の変質がはじまり、これにたいして当然、左翼反対派の活動がおこるわけだけれど、この左翼反対派の活動にたいして、これを党的な結集体にまとめあげていこうとする傾向にたいして終始一貫日和見主義の態度に終始したということ。むしろこれを、かれは理論的に弾圧してあるいた、左翼反対派の全国的な結集を。むしろ、スターリンの官僚的恫喝と攻撃のまえに完全に崩されてゆくわけだ。
三番目の点としては、第四インターの結成にかかわる問題において、やはりここでも日和見主義をおこしている。
つまりどういうことかといえば、一応トロッキーは追放されるわけだ。中央アジアのアルマアタに、そしてさらにトルコへ。そこでいろいろ、まだ当時は多少自由があって、左翼反対派なんかから手紙がくるだけで、ヨセヨセということで事実上党的結集にチェックをかけて、自分自身はアルマアタだかプリンキポだかに追放される。
その後事実上、国際的にドイツ、フランスを先頭として、左翼反対派のグループ的結集がはじまるわけだ。すると直ちに、このドイツをはじめとして結集した左翼反対派のグループから、第三インターはすでに崩壊しているから第四インターを結成せよという要求がトロッキーにつきつけられるわけだ。
ところが、これにたいしてトロッキーがこたえたやり方というのは、またまことに奇妙なもので、こういうふうにトロッキーはいうのだ。「確かに第三インターはくさっている。くさっているが第三インターは第三インターだ」。日本流にいえば、「腐っても鯛だ」というんだ。「きたるべきヨーロッパの情勢を決定するのはドイツ革命である。ドイツ革命の帰趨を見なければならない」。
この先など、まったく理解に苦しむ発言なのだが、「テールマンを先頭とするドイツの党、つまりスターリニスト党だけれど、KPD、いまのスターリニスト党ほど完成していないけれど、このKPDを先頭とする闘争で勝利すれば、第三インターは革命的に再建される。それでドイツ革命に敗北すれば、その時第三インターの破産と無能は明らかとなるから、その時こそ第四インター結成の叫びはあげられなければならない」。
つまり、自分はKPDから脱党していながら、結集している左翼反対派のグループにたいして、いまの危機、つまりヒトラーの登場をまえにしている危機(この辺ではトロッキーは、ヒトラーの登場の恐しさなんかについての理解としては、かなり正しくて、鋭いものをもっている)だが、このヒトラーとの闘争においてKPDが勝てば、第三インターはきれいになるからいいんだというふうにやり、敗けたら第三インターはおしまいだから、その時は第四インターをつくるんだというわけだ。
実践の基準というのはどこにあるかというと、自分、あるいは自分たちの組織的実践の正否にふまえてつぎの結論を出してくるというのではなく、自分が打倒することを大衆にむかって呼びかけているKPDが頑張るか頑張らないかというところに、つぎの組織的前進のメルクマールをおくという、そういうやり方をとった。
そして事実の問題としていうと、一九三三年にヒトラーが勝って、そのあとドイツのKPD、SPDが全面的に弾圧された後になって、はじめて第四インターを結成せよという叫び声が発せられて、そしてむしろフランス人民戦線をめぐるフランスの情勢の内乱的発展、あるいはスペインにおける文字どおりの内乱、こういうものが、基本的にいうと、反革命的に収束されたあとに事実上の問題として第四インターが結成される、そういういきさつをここではとった。そして、三八年に第四インターがスイスで結成された。
第四インターについての第四インターナショナル派の立場から書いた御都合主義的なその辺の歴史、角川文庫から出ているトロッキーのロシア革命史、あれのたしか一巻の終りに山西英一が解説を書いている。第四インターの歴史みたいなことについて。それをひとまず参考にすると、一応の事実はわかる。別に読むこともないのではないかと思うけれど、もうすこしくわしく読むには、ピエール・フランクの「第四インターナショナルの歴史」というのが第四インター(日本支部)から出ている。ピエール・フランクは、この前解散されたLCの長老としているんだ。
話をもとにもどすと、この三つの過程で、トロッキーの組織論的日和見主義というのは全部暴露されている。かれの生涯のうちにおける三つのたたかいの三つとも、基本的にいえば組織論上の日和見主義をおこしていた。
ただ第一の日和見主義にかんしていうと、革命の直前に、ちょっとマヤカシ的ないい方をして、事実上ボルシェビキと合流するというかたちをとって、実践的にはこの問題は処理された。ドイッチャー流にいえば、この時だけ勝利したことになる。ただドイッチャーは、勝利における敗北、とすかしてしまい、あとは敗北における勝利だとしてしまう。
実際上、この一番目の問題では、ロシア革命のときには事実上、ボルシェビキに入ってボルシェビキの党組織のうえにかれの一種の才能を開花させたということなのだ。しかし、いわば革命にむかって営々と準備する過程のなかで、つくり出されたものではないんだ。
だからたとえば、非常に特徴的なエピソードをいうと、一九〇五年の革命があった。ペトログラードソビエトの議長というのは、山本義隆みたいな人といえるのじゃないか。ないしは、あれよりもっと下らない感じの奴かもしれぬ。それで、その場のワァワァという雰囲気で議長に選ばれてしまった。やっているうちに、すぐ消耗し、一九〇五年の途中、九月、十月頃には会議にもろくに出てこない。
トロッキーがたまたま副議長をやっていた。それで、かれから実際上の第一指導権を奪った。事情なんか聞いてみるとなかなか面白いところがある、やはり。一気に大衆運動が爆発する。われわれも将来教訓になるようなところがあるから注意すべきだが、それまで営々と組織活動をやってきたような人間との関係でいうと、それと大衆のあいだに一定のつちかっている関係がある。そんなものの比較にならないほどの膨大な大衆が動き出してしまう。するとこの部分というのは、どちらかというと浮いてしまう傾向を示す。
これは二月革命の時もそうだけれど、大衆化すればするほど、その思想水準は低くなるから、大衆団体の役員なんかを選ぶ過程では、むしろ、いわゆるセクトなどといわれている人間は、ソビエトなんか選ぶ過程ではみんな落選するという事態が起きる。
つまりボルシェビキにしてもメンシェビキにしても、組織的な方向なんかをゴリッと表現しているような人間はみんな落選してしまって、むしろノンセクト的な人間が議長に選ばれる。トロッキーもどちらかといえば、その辺、ちょっとあいまい模糊たる人物で、しかも演説なんかうまいから、多少格好いいなんていうんで副議長に選ばれたんではないだろうか。で、議長がふっとんでしまって、その後、かれは事実上チャンネルを握って、十二月にソビエト執行委員会が全員逮捕されるわけだ。
その後、モスクワで蜂起が起きる。これはレーニンの指導で、それがモスクワ蜂起といわれるものだ。この後トロッキーは、裁判が終って、一年ぐらいののちに釈放されるわけだ。そのあとかれは、アメリカかなんかに飛んでいって、新聞記者みたいな仕事をやっている。
第一次世界大戦がはじまった時など、アメリカの新聞社の特派員としてセルビア(ユーゴ)などに派遣されて、アメリカのブルジョア新聞に、従軍記なんか書いてるわけです、トロッキーは。そういう感じなんです。レーニンなんか目の色かえて内乱、内乱なんていって、必死にさわいでいるのに、かれは大らかに新聞社から金をもらってベオグラードあたりにいて、戦争がああなってるこうなってると、面白おかしく記事を書いて送っている。だいたいこういう関係ではっきりしてくるものだ、ものの考え方、感じ方というのは。
けれども、二月革命がバーンとおきると、ワァーッとなってしまって、ソレッてんですごい勢いですぐさまロシアに帰る。そこはやっぱり革命家である。それでロンドンにいったらバサッとそこで抑留されてしまう。その間レーニンの方は、ドイツとある程度うまく話をつけて、封印列車にのってロシアにもどってくるわけです。その後トロッキーがくるわけだけれど、いろいろのいきさつがあって、ボルシェビキとペトログラードの――地区組織連合といわれているのかな、これとボルシェビキが合流するわけです。
ただこのグループのなかにはかなり個人としては優秀な人がいて、インテリゲンチャ的に、優秀なラディックみたいな人、そういうのがのちに、ロシアの党でかなり重要な役割を果たしていくことになります。
そういう過程からみても、かなり問題があるし、それからスターリンとの闘争でもはっきりいって組織論的に惨敗である。それから第四インターをつくる過程は、さっきいったような話で、なんとも奇妙である。
A 第四インター 無為と破産の四〇年
そういう状況で、しかも、そのあと第四インターの歴史というのは、二三かいつまんでいうと、事実上、分裂、分散の歴史なのだ。しかもこの分裂、分散の歴史というのは、基本的にいって、ひとつは、スターリン主義にたいする評価の問題をめぐって、たえず分裂がくりかえされてゆくということだ。
もうひとつは、一定の革命的情勢のようなものがおとずれると、これにたいする対応において組織論的に破産して、ないしは組織的に破産してゆくという、だしたしこの二つを重ねて、あるいはそれそれをシグザグしなから、第四インターというのは崩れてゆく。結局、すでに三八年に結成されて、ことしは七三年だから、ざっと三〇年から四〇年、鳴かず飛ばずというか、そういう歴史をくりかえしている。
近くをいえば、「五月革命」の際のフランスでは、いまのLCの前の組織、JC、日本流にいえば共産主義者同盟みたいな組織があったんだ。Jはジュニアだから、JCというそういう組織があったんだけれども、これは、ソルボンヌなんかの共産党が分裂してそれが主要な基盤になってつくられていくという点では、日本の五八年の分裂のあとにできたブントやなんかに似てるところがある。ただそれが第四インターの一組織としてつくられた。これが「五月革命」の時に活動して(「五月革命」いわゆるカッコ 五月革命 カッコとじ、あれは革命ではないからね、念のためにいっておくけれど)その後解散させられてしまう。
この過程なんかで非常にはっきりしている点は、実際一ヵ月くらいパリというのは完全にカルチェラタン化する。ところがこれにたいして、当然ブルジョアジーの側が、ある時期をみはからって、反革命として巻き返してくることは確実である。
だから、たんにパリを一種の革命前夜的混乱状態のまま放置するのではなしに、これを中央政府にたいして組織して、そして、来たるべき反動との闘争にそなえるというのが、革命党の基本任務だ。で、当然、武装の問題についても、本格的に準備を開始しなくてはいけないし、それから、仮りに勝てない、いまたたちに中央政庁など、完全に権力奪取することがてきないまでも、来たるべき反動にむかって組織を準備する必要がある。で、可能なことなら、一戦交えて敗れるということは重要なメルクマールになるわけだ。
ところが実際上、一ヵ月遊ばせておいて、そこはドゴールはすごいもので、ある日軍隊をワァーッとパリのまわりに集結させて、まわりからワァとおどかしたら、きわめてだらしないことに、棒をもって突っこんでいく人間が一人もいなかった。それてもう終りだ。
この過程において、第四インターは、つまり「五月革命」という、あれは一種の状況なのだが、そのなかにただよって喜こんでいたというだけで、実際上それを権力奪取にむかって転化していくような指導能力、あるいは、そういう組織的な立場、展望、そういったものをまったくもちあわせていないということが、はっきりいって暴露されてしまう。そこであげくの果てに解散させられてしまう。
ところがブルジョアジーの側は、そんなに危険がないということを知っているから、いわばLCというかたちで再建されるのを許したわけだ。ところが、このLCというかたちで再建された党というのは、早晩、つまりヨーロッパにおいての一定の情勢の進展のなかでふたたびいくつかの戦闘的な行動、革命的な行動を当然要求されるはずだ。だから、それに見合うようなひとつの組織的な形態を準備して進まなければいけないわけだ。現在われわれが確認しているようなことでいえば、レーニンのいう三つの義務を党の根幹にすえで、前進しなければいけないわけだ。
ところが、完全な合法政党として、あけっぴろげに再建されてそれに終り、三階建てか四階建ての鉄筋のかなりいい事務所らしいが、われわれが建てたいと思っているような事務所を建てたりしている。ところが、三階か四階に党の偉い奴のいる部屋があるらしいんだけれど、そこまでノーチェックで通れるんだそうだ。
日本だったら、社会党だってチェックされる。共産党なんか絶対入れない。玄関に戸締りのない家なんかあるわけはないし、そういうかたちでつくられて、それで今度の新聞に公表されているようなかたちで……。
あの闘争自身、いわば移民労働者にたいする反動の強化にたいして、ひとまずフランスの労働者がたたかいをぶつけたという意味では一定の重要な意味をもった闘争だ。しかし、それにたいして返す刀で。パーンとたたかれたら、もうペチャンコ、というかたちになっている。おそらく、早晩すぐまた再建されるだろう。帝国主義者は別の名前で許すのではないかと思う。しかし、そういうことのくり返しというのは、やはり実際ブルジョアの手の内だから、つまり、決定的な闘争がおきなければいけない時には、もうバーンと叩かれれば終りという……。(以下、録音テープ欠)
(2)日本における革命的共産主義運動の組織論的な総括
@「ベトナム革命の偉大な勝利・前進万才」とかいって、返すことばで「中核派の二段階戦略反対」だとかいっている、そういう人たちがいるでしょう。むしろ北ベトナム労働党なんかが聞いたらビックリするようなことをいっている。こういうふうに、時には共産党に入ったり、社会党に入ったりしている (時には入っても入らなくてもいいわけだけれど)、そういうかってな自分の気持をくっつけて、ある時期は朝鮮労働党だとか、ある時はベトナム労働党だとか、いやキューバがいいとか、かってなことをいって、その時その時の雰囲気でいくっていうこんなやり方をするのがでてくる。
それから、いわば党をきちんと組織していくということやらないで、一応、党を形式的に認めるのだけれど、戦術左翼主義的に闘争を展開していけば、やがてどこかで芽が出るのではないかというふうにやる傾向、これはわが党にもある。そういう種々の形態をとってあらわれるわけで、こういうのにたいして、われわれは、スターリン主義=党建設の路線というような等式ではなしに、やはりスターリン主義者の党にたいしてレーニン主義の党を再建してゆくという観点から、こんにちの党組織の問題をあつかってゆく、という立場にたたなければいけないということがわれわれの側から突き返されたということなんだ。
これが、スケッチ的にいえば、一番目の問題点になる。
つぎはもうすこしかんたんにしよう。二番目の問題点としては、つぎの五点ぐらいをとりあげる必要がある。第一の問題としては、スターリン主義党との分裂、新しい党の建設という問題がひとつ。つまりスターリン主義と革命的共産主嵐の分裂ということに対応する。
それから二番目の問題として、Aこの分裂した新しい党をつくる運動の内部における三つの日和見主義との闘争という問題がある。
それから三番目に、B党建設のための闘争の前進という問題がある。それから四番目に、C反革命カクマルとの闘争、五番目に、D二重対峙下の党建設。
一番目がスターリン主義党との分裂、二番目が三つの日和見主義との闘争、三番目が革命的前衛党づくりのための闘争とその前進。四番目にカクマルとの闘争、五番目に現在の二重対峙下でのたたかいをとおしての党建設、といったような問題が、日本の運動の内部における組織論上の問題点としても浮かび上がってくると思う。
概していうと、さきほど(1)で述べたようなこととほとんどおんなじようなことが、日本の階級闘争の内部における問題として基本的にはくりかえされたということだ。
(3) 党組織論の構成と任務
三番目の党組織論の構成と任務という問題だが、第一の問題としては、@党とは何かという問題。それから二番目には、A党の歴史的な任務は何か、党の歴史的任務ということが、二番目に明らかにされなければいけない。三番目に、B党建設という独自の課題。党建設上の独自の課題という問題が三番目に明らかにされなければいけない、一応独自性をもっているから。それから四番目に、C党の組織的活動。五番目に、Dプロレタリア世界革命の完遂と党の止揚、という問題。一応、党はなくなるということだから。永遠不滅にあるというのではない、党の終りという問題、これは当面の問題としては確認しておくだけでいいと思うんだ。
@ 党とは何か
党とは何か、ということになるが、一言でいうと、党というのは共産主義者の結集体といえばいい。さしあたっていうと、これは党の一番やさしい説明だ。かんたんだけど、これはわりと重要な規定で、党とは共産主義者の政治的結集体である。だから共産主義者というのが前提的にあるんだ、党の前に。
党としてしか、ある意味では表現されないから、たえずその構成員は、共産主義者であることに自分自身がたちかえるかたちでしか党にかめないのだ。それなしには、党の構成員の一人になることはできない。そういう意味では、党とは何かというのは、まずもって共産主義とは何かということを明らかにすることから基礎づけられなければいけないということだ。
別ないい方をすると党というのは、プロレタリアートの完全な解放めざして、階級のなかの先進的分子が結集し、そのためにたたかう組織である、というふうにもいうことができる。
もっと広くいうと、党とは何かということになるけれど、党とは、ブルジョア党もプロレタリア党もひっくるめて全部大ざっばに集め、そのうえで党とは何かと抽象的に考えてみると、はっきりしてくる。その階級の独自の利害を代表して、その階級のなかの先進的分子が集まって、そして、その階級の利益を実現するために活動するグループ、それが党だ。これはブルジョア政党だろうがプロレタリア政党だろうがかわらないわけだ。またそういう党をもつことによって、階級は自分自身の意志を表現することができる。党とは何かということをくわしくやっていけば、いろいろあると思うが、ひとまず、そういうふうにおさえていたらいいと思う。
A 党の歴史的任務
それから、一体それでは、党とは何をやるものかということになるのだが、これが二番目の問題だ。
一言でいえばプロレタリア独裁をかちとり、維持することだ。維持・強化するということ、これが党の任務。もうすこしいうと、階級闘争をとおしてプロレタリア独裁をかちとり、それを維持・強化すること。これが党に与えられている歴史的任務だ。この任務を達成しない人間は、いくら勝ったとしてもあまり威張れないわけだ。
階級闘争をとおしてプロレタリア独裁、別な意味でいえば、社会主義的生産組織ということだけれど、プロレタリア独裁をかちとり、社会主義的生産組織の建設をめざしてそれの維持・強化のためにたたかうことだ。そこまでいえば完全だ。社会主義的生産組織、これは一応、生殖と労働、両面含んでいると思ってもらいたい。生産という概念は両方を含むから、つまり生産というのは生産的労働と、生殖と二つから成り立っているわけだから。
もう一度いうと、階級闘争をとおしてプロレタリア独裁をかちとり(言葉はまだ練れてないけど)、いわば、社会主義的生産組織の建設をめざして、たたかうということだ。
完全に社会主義的生産組織が出来上がると、もう党はいらなくなる。完全にできてしまえば、つまり一応共産主義の第一の段階にいたったら、党はないのではないか。党というかたちでは指導を表現する必要はなくなってくるのではないかと思う。その辺はいまからあんまりスコラ的に論じてもしようがないから、将来の課題として残しておけばいいのではないかと思う。
B党建設の独自的課題
それから党自身が自分自身を維持していくうえで、あるいはつくり出していくうえで、果たしていかなければならない独自の役割をもっているわけだ。つまり、歴史的任務を果たしていくために、おのれ自身を維持しなければいけないわけだから、そういうような問題もこのBのところであつかわなければいけない。
i、党の団結
たとえば、具体的問題としていうと、党が自分自身を成り立たせていくためには、まず党の団結という問題がなによりも重視されないといけない。
内容的にいうと、党組織をブルジョアーと反革命から守り、維持していくことだ。
(以下、録音聞きとれず、数行分略)………
党を守り、維持していくこと、維持し、守っていくやり方が、いわゆる会議をもち、党費をはらい、新聞を購読するということだ。
いわゆる党の三原則。会議、財政、機関紙というものだ。これはかなり重要なことだ。会議をきちんともってそれに出ること。それから党費をちゃんとはらうこと、新聞をちゃんと読むこと。
これは面白いんだね、気持としては新聞を読んでふやすことというふうにしたいところなのだ。事実、その方がいいんだ。だけど、ふやさなくても新聞をちゃんと読むということはまず前提だ。会議に出ることというのも、党員を、会議に出る人をまたふやすという課題を含んでいるだろう。だけど、それは党員のまず最低の義務ではない。
まず会議をやって、自分が出ること、これが義務なんだ。それから党費をちゃんとはらうこと。つまり自分がすることが先なんだ。会議をやって、会議に出ること、党費をはらうこと、自分自身が新聞を読むこと、ひどい奴は自分で読まないで人に売って歩いている人がいるけれど、こういうのはけっして模範的とはいわない。
まず読むことが先なんだ。お金を出して読むこと、購読すること。
それから党の団結のなかの二番目の要素としては、党員を厳格な基準で獲得して、党を拡大・強化していくということ。
それから三番目の課題が、党の幹部要員、ロシア話でいうとカードル。
機関部員の養成、それをとおしての党の強化。このカードルという概念は、いわゆる指導部という概念よりもうすこし独自な概念なんだ。指導部とイコールではない。党の基幹部分をしょってたつような各種の要員がいるでしょう。つまり党中央から細胞のキャップにいたるまで、それぞれの部署における基幹部員、これの優秀さによって党の勢力とか性格とかは決まるということなんだ。細胞が強いかどうか、支部が強いかどうかは、しょせん、そこの指導部の質にかかってくる。
その質が悪ければ、いくらいい人がやっていても増えないし、増えないだけならいいけれど、維持できないし、そういう意味では、基幹部という問題は党にとっては非常に大きな問題なんだ。つまり、党を維持すること、党を拡大すること、党を強化すること、この生命の維持・発展・強化ということだけれどm、そういう問題が党の団結としてまず最初に確認されなければいけない。
A 党員のプロレタリア的規律
つぎは、こういう団結を一人ひとり支えている(党員の問題としていうと)、党の団結を支えてゆく規律の問題というのが二番目に明らかにされなければいけない。
党の規律、ないしはこの規律を支えていくものは何かということ、これは『左翼小児病』のなかでレーニンがいっていることの三つの指摘が一応有効なのではないかと思うのだけれど、ひとつは共産主義的自覚にふまえてたたかうことだ。
ここでは、だから一番先に各人の問題が問題になっているんだ。あの文章のなかで、これにいろいろなことがくっついて、プロレタリア的英雄主義とかいろいろついてるけれど、うんと枝葉をとってしまうと共産主義的自覚ということだ。
「一番目の問題としていうと、政治的能力を養うこと、つまり一番目は共産主義的自覚を深めること、二番目は政治能力を養うこと、培養すること。
それから三番目に、正しい理論、正しい方針。
つまり党の規律が守られていくためには、各人がおれは頑張るんだという共産主義的な自覚が.もとにならないことにはどうにもならない。最初の一人の、今流にいえば、決意が重要なんだ。これがないことには、規律なんて百万遍のべたって、会議にちゃんと出ることなんてくり返しいったところで、当人が出る気がなければ出てこないだろうから。だから、まず一番目に自覚が重要。
しかし、自覚だけあればいいというわけではない。やはり、政治的能力がついていないと、もうひとつ前進しないでしょう。
やはり、いろいろな運動をやり抜いていく能力とか、会議をちゃんと主催してやっていけるかどうか、大衆の前で多少なんとかいえる能力とか、場合によったらベッタリとくっついてしまう能力だとか。いろいろなこういう能力によって、これが促進されていないとやっぱり弱い。そういう意味で二番目に・各人の政治的能力が一歩一歩高められていかないといけない、これはもう確かだ。決意だけでは二〜三ヵ月はもつけれど、すぐむなしくなってしまう、能力を高めながら決意を深めていかないと。
それから三番目の問題としては、自覚・決意もある、能力もある、けれども、方針がまったくトンチンカン、党の方針がまったくトンチンカンでは、これは頑張れないわけだ。
そういう意味では党自身が正しい理論にふまえていること、正しい方針をもっていること、これが何といっても党の規律を支えるものだ。だから規律というのは、そういう意味ではたんに抽象的な、非政治的な性格のものではなしに、規律というのは同時にそういう思想面でも、能力面でも、理論面でも、党が正しい状態にあるときにはじめて維持されるような種類のものだ、というふうに理解しないといけないのではないかと思う。
B 党の指導体系
それから、第三の問題としては、党の団結、二番目の規律ということにひきつづいて三番目の問題として、党の指導という問題になる。
党建設の独自的課題の三番目。一番目が団結。二番目が規律、三番目が指導ということなんだ。ひとことでいえば、党はなによりも中央集権主義的な指導の体制をつくらないことには、やっていけないということだ。
これもわりと重要なことでありながら、なかなか長いあいだはっきりさせられないような面をもっていたんだ。民主主義的中央集権制という問題は、ともかく党は中央集権的であるということは、つまり単一の党ということはたえず意識されなければいけないということだ。
C 全国的政治新閥
それから四番目の問題としては、こういう党全体をひとつに結びつけていく手段というのは何かというと全国的政治新聞だということだ。だから、団結、規律、指導、新聞ということだ。これが党の独自的なもので、党は、この四つが保持されていないと維持されないわけだ。党だってだって、分裂してたらもう党ではないし、規律が守られているような状態でなかったら党ではないし、各個バラバラにやっていたら、つまり、中央集権制がないようだったらダメだし、やはり新聞によって、合法新聞であるか、マル秘新聞であるかを問わず、なんらかの新聞、系統的に発行される新聞によって全党が思想統一されていなかったら、党が成り立っていかない。そういう問題がでてくるのではないかと思う。
C 党の組織的活動
四番目の問題としては、党はいろいろな活動をやっていくということ。
これはいわば現在的にいうと、三大義務のようなことと関連させて考えてもらったらいいと思う。三大義務とか、二重対峙・戦略的前進・党建設というような活動領域と関連させて理解してもらえばいいと思う。
D 党の止揚
それから五番目には党の止揚。
だいたいそういったところが、ごくごく大ざっぱにいった〔序〕の部分になると思う。
(レーニンは)労農独裁論の段階をもっているわけで、それは、われわれがこんにち確認しているように明らかな誤りであり、理論的にいえば、限界をもったものだ。
これは、レーニンの次元でいうと四月テーゼというかたちをとって、政治論文の世界で事実上解消されたわけだ。
より理論的な表現をとっては、『国家と革命』の第二章第二節「革命の総括」というところで理論的には完全に清算された(国民文庫四五ページ)。
『国家と革命』第二章「国家と革命――一八四八年〜一八五一年の経験」という、この第二章の第三節「一八五二年におけるマルクスの問題提起」という節、これは一八年に『国家と革命』にあとから書き加えられたものだ。しかし、ここは三ページくらいの非常に短い部分なのだが、非常にはっきりとした指摘がおこなわれている。
ここでは大きくいうと二つのことがいわれている。この章では、ひとつは「階級闘争を認めるだけでは共産主義者ではない。階級闘争が必然的にプロレタリアートの独裁に導びくということ、このことを認めるものだけが共産主義者である。そして、もうひとつの問題としては、「この独裁は、つまりプロレタリアート独裁は、いっさいの階級の廃絶と無階級社会とに至る過渡にすぎない」、そういう独裁をつくるということがひとつ。
二番目の問題としては、「いっさいの独裁というのは、かならず一階級の独裁」だということ、独裁というのは、一階級の独裁であるということを確認したことなんだ。
おそらく古参ボルシェビキなんか、なかなかその辺、ピンとこなくて、結構、労農独裁論風の残りカスをまとって、なんだかんだいってた人間がいるのではないかな。それにたいする教育にも決着つけるために、わざわざ第二章第三節を書き加えたのではないかと思うんだ。
ここでは、こういうふうにいっている。「一階級の独裁はあらゆる階級社会一般にだけ必要なのではなく、また、ブルジョアジーをうちたおしたプロレタリアートにだけ必要なのではなく、さらに資本主義と無階級社会、共産主義とをへだてる歴史的時期全体にも必要だということを理解した人達だけがマルクスの国家学説の本質を会得したものである」。
そのあと、「ブルジョア国家の形態はさまざまであるが、その本質はひとつである。これらの国家は、皆、形態はどうであろうとも、結局、必ずブルジョアジーの独裁なのである」。これが前半。
それから後半は「資本主義から共産主義への移行は、きめて多数の、さまざまな政治形態をもたらさざるをえないが、しかし、その際、本質は不可避的にただひとつ、プロレタリアートの独裁であろう」というふうにいっている。
かなりここでは、理論的には非常に明解に、労農独裁論の残りカスが、ロシア革命の経験をとおして、完全に一掃されている。
僕らの考え方からいうと、労農独裁論にかんしていえば、これは理論的誤りだ。
ただ、黒田流に、理論的誤りの指摘で終るのではなしに、労農独裁論といった問題の意識がどこから出てきたのかということを、つまり、ロシア革命のかかえている実践的課題との関係で、われわれがつかみとって、そしてその課題そのものに解答を与えるようなかたちで批判しなければ批判にならないということだ。さもなければ、スコラ的な批判にすぎない。
つまり、別ないい方をすれば、独裁というのは一階級の独裁だと、ここでレーニンもいっているし、僕もこれは正しいと思うんだ。
しかし、これはその限りでいえば、理論的独断にすぎない。「違うんじゃないの」という人がでてきたら終りだから。すくなくとも、マルクス主義・レーニン主義の範囲内では、われわれは、そういうふうに理解している。これは絶対的にいえる。
だから共産党のように、複数の階級が、というのは問違いだ。「レーニンはひとつのといっているけれど、あれは間違いであって、複数のも入れるべきだ」というのなら、それでいいけれど。
しかし、われわれはさらに、一歩進んでいえば、ロシア革命で、なぜ労農独裁という問題がでてきたのかということ、ひとことでいえば、ロシアにおける膨大な農民の革命的決起を、革命のなかに、どう、いかに、とり込むのか、どう位置づけるかということ、ないしは、プロレタリア革命をめざすプロレタリアートの階級闘争が、その途上にあって、農民革命あるいは膨大な農民の自己解放のたたかいをどう位置づけてたたかうか、これを、とくに権力問題との関係でどう解決すればいいか、そこの実践的意識から、いうなれば労農独裁論という、理論的には誤ったひとつの答がひきだされてきている。
われわれは一応、プロレタリア革命をとおして農業問題、を解決するという、労農同盟にもとづく、労農同盟を基礎としたプロレタリア独裁の実現をとおして、農業問題、農民問題の解決をはかるというところに、われわれはロシア革命の経験をとおして、いまは結論をもっているわけだ。
そしてまた、労農独裁論もまた、そういうかたちをとって止揚されたわけで、その全体の生きた過程を、やはりロシア革命の課題にそって、われわれは読み直さなければいけない。現にわれわれはまた、日本において、労農同盟に基礎をおいたプロ独裁を樹立しなければならないわけで、そういう実践的な意識にふまえて問題をたてなければいけないと思う。
黒田の場合は、ともかく後半において、つまり一七年以降にレーニンによって到達された視点で、一九〇五年のレーニンを誹謗している、というやり方だ。それで威張ってるんだ。威張ってるといっても、それだってレーニンがつくったもので、自分がつくったものではないのに。大人のレーニンで子供のレーニンを批判しているようなやり方をしているんだ。ずいぶん無理な批判をやっている。
ところが黒田の場合は、問題をひっくりかえして、レーニンは労農独裁論!――。こういう言い方をする。
トロッキーの場合は、ブルジョア革命がプロレタリア革命をひきだすっていうか、そういうふうにトロッキーはやったわけである。
しかしこの場合トロッキーは、直観的にいってロシアにおける革命は、プロレタリア革命にならざるをえないだろうということを見越した、その限りではトロッキーは正しいものを含んでいるわけだけれども、ただその場合に、農業問題なり、農民問題なりが、その革命、あるいは権力のなかで、どういうふうに解決されるのかという、実践上の問題について、ほとんどつっこまないまま、それこそ客観主義的に、そうなるだろうと予想をたてるだけなんだ。
ところが黒田は、その問題をひっくりかえして、レーニンは現象論であり、トロッキーは機能論的ゆがみをもっているけれど本質論に接近した、と、こういうふうに理解する。
そうしておいてその視点から今度は、しかしトロッキーもまた、機能論的な偏向をもっていた、これはまずい、というふうにやって、そして、現代におけるすべての革命はプロレタリア革命であるということだけ、のたまわって終りになるんだ。これが俺の本質論だっていうのだ。
それでトロッキーの批判についていうと、機能論的な傾向というのは、こういう操作をとるわけだ。
トロツキーの「永続革命論」というのは、二つの柱の上に成り立っているんだ(ここのところをまず説明しないといけない。さっきの説明ではまだ不十分だから)。
二つの柱というのは、ひとつは革命の、あるいは各国革命の世界的な意味での永続的発展、世界史的な永続的発展。つまり、どういうことかというと、つぎつぎと連続的に。プロレタリア革命がまきおこって、ブルジョアジーが連続的に打倒されていくという過程だよね。こういう過程に即したものと、それからロシアにおける、ブルジョア革命がプロレタリア革命をひきだす、ないしはプロレタリア革命に発展するという、この二つの面から説明がおこなわれているのだ。
この二つの柱の、ないしは二つの契機のいわば統一として、トロッキーの「永続革命論」というのは構成されている。
もう一度いうと、トロツキーの「永続革命論」というのは、来るべきロシア革命は、ブルジョア革命からはじまってプロレタリア革命に終わるという意見だ。
それを論証するための説明は、ふた種類あって、あるいは二つの柱においておこなわれていて、ひとつはロシアではじまった革命が、世界的な革命へとひきつがれていく過程のなかでプロレタリア革命たらざるをえなくなる、ということだ。
つまり、ロシアではブルジョア革命として始まっても、それはすぐにヨーロッパに飛び火してヨーロッパ・プロレタリア革命の烽火となる、そうすればいやおうなしに、ロシアの革命もブルジョア革命の水準を飛びこえてプロレタリア革命にならざるをえないということだ。
つまり、ロシアで革命が起きる、これはブルジョア革命としてさしあたって起きる、しかし、この衝撃はただちにヨーロッパに輸出されて、ワァーッとなる。そうするとヨーロッパの革命はプロレタリア革命しかない。ヨーロッパ全体のプロレタリア革命の巨大な炎のまえには、ロシアのブルジョアジーはふるえあがる。当然、これはもうプロレタリア革命以外にないから、これがどんどん純化・発展してゆく、というようなことだ。
これがトロッキーの「永続革命」で、そのなかの後者のような側面を、いわば今度は、ロシアにおけるブルジョア革命のプロレタリア革命への転化というか、そういうふうに説明するわけだ。これについては、どうしてもつっこんでやりたければ、トロッキーの『永続革命論』を読んでやって下さい。
それにたいして黒田がいうのは、「前者はいい、後者は機能論だ」と。だから後者を切りすてたトロッキーの「永続革命論」が正しいということなんだ。つまり一言でいうと、二〇世紀の革命は世界史的にいって、プロレタリア革命なのであるから、したがってロシア革命もプロレタリア革命であるということを、ただ抽象的に確認する、というものとしておこなわれている。だから、ロシア革命がそれ自身としてもっている具体的課題、そういったものは全部捨象されてしまうわけだ。
けれど、われわれは黒田の見解とは逆で、つまり、むしろロシア革命の主要な戦略問題というのは、ロシアにおける農民問題、農業問題をプロレタリア革命としてどう解決するのか、という課題にあった。そしてこの課題との関連においてブルジョア革命とかプロレタリア革命とかという段階が問題になっているわけだ。なにも抽象的一般的にブルジョア革命だの民主主義革命段階だの、プロレタリア革命段階だのという段階、ステージが問題になっているのではない。農業問題ということの解決についてどうするかということなんだ。
初期の段階のレーニンは、つまり農業問題の解決はブルジョア革命である、というひとつの確固たるテーゼをもっている。カウツキー以来の農業問題・農民問題の解決はブルジョア革命である。したがってロシアにおける革命はどうみてもこの農業問題、農民問題の解決という課題が一番多くでてくる。そうなるとブルジョア革命たらざるをえない。プロレタリア革命をめざす革命として、非常にプロレタリア革命に接近していながら、究極のところ、ブルジョア革命としての性格をすてることはできないでいる革命になるだろう、というのが、レーニンの初期の見通しなんだ。
これはつまり、農業問題の解決は、かならずしもブルジョア革命ではないんだという、ブルジョア革命でも解決できるんだというふうに、パァッとこう開けてしまえば、ここのブルジョア革命という言葉は、消えてなくなってしまう。この辺は、だから論理的にいえば、難しい問題を含んでいる。サッと話をひっくり返してしまったわけだ。
で、トロッキーの場合は、その辺の実践的感覚がなくて、つまりロシアにおける農民問題、農業問題の比重ということについての認識がなくて、レーニンがなんで、つまりプロレタリア革命に、ものすごく接近していながら、しかし本質はブルジョア革命であるというふうに、レーニンがなぜこだわっているかということについて、トロツキーは理解できなかった。その水準で文句をつけているにすぎない。
ところが黒田は、そのトロッキーのケチつけの仕方もまだ足らない、もっと頑張れよといっているわけだ。そして、これは俺によってはっきりさせられたんだという……。
だから実践的には、つまるところ、たとえば現代革命における民族の問題とか、現代革命における農民の解放の問題とかいうのは、つまり。プロレタリア革命に敵対する二段階戦略的混乱、あるいは残滓の現われとしてしか、かれにはみえないわけだ。話が完全に逆だちしてでてくる、かれの内部世界では。農業問題などを真剣にとりあげること自体が、あるいは民族問題などを真剣にとりあげること自体が、プロレタリア革命に敵対するもの、あるいは二段階戦略論の残滓としてかれの眼にはうつる。その限りでは、宮本顕治と同じ理論的前提の上にたっているんだ。
つまり、農民=農業問題だとか、そういう問題は、それ自身ブルジョア革命の課題である、というシェーマを牢固として両者のあいだでもちあっていて、黒田のレーニン批判というのは、その農業問題を切り捨てろということだ。たしかに、口ではちょっと違ういい方をしているけれど。まあそういうかたちで表われてくる……。
ところが、われわれにとって重要なのは、トロッキーのいわゆる組織論上の日和見主義といわれているものは、じつはこの、トロッキーの独裁論の客観主義的な性格の帰結だという点である。独裁論は正しいけれど、組織論がまずかったからうまくいかなかっというのは、ないしは独裁論は相対的に正しかったのだけれども組織論が間違っていたからダメだったというのは、これは黒田的に転倒された意識であって、実際上はトロッキーの組織論の誤りをとらえていない。プロレタリア独裁というのは、つまりプロレタリアートが自分自身でたたかって、そのプロレタリアートの権威のもとに、ロシアの圧倒的多数である農民をひきつけて、そしてひきつけたその力で、プロレタリアートが権力を単独で握ることでしょう。この現実のプロセスをなしとげていくところに、独裁論のポイントがあるわけだ。
それを、つまりトロッキーの場合は、ロシアにおいては、ブルジョア革命を最後まで完成させる独自の勢力が弱い、つまりブルジョアジーが脆弱である、ということに利点をみいだしているわけだ、ロシア革命のプロレタリア的発展の主要な要素としては。
つまり、プロレタリアートが、いかにしてブルジョアジーとたたかって、そして農民を自分のもとに獲得するかという、そっちの側の、つまり主体軸の側から、独裁論がレーニンの場合追求されているのにたいして、トロツキーの場合は、ロシアにおけるブルジョアジーの脆弱性、つまりブルジョア革命を最後までおし進める階級はない、と。つまりブルジョアジーは脆弱であり、農民は権力をつくれない。したがって、しょせんプロレタリア以外、誰も権力をとるものはいないじゃないかという消去法としてやられている。
だから、プロレタリアートを独自に党に組織して、その強大な組織力と指導力をテコにしてプロレタリアートの闘争を前進させ、農民を獲得してくる、農民との同盟をおし進める、と。これを基礎にして、プロレタリア独裁権力をつくるという、そういう組織論上のバネが、ここではきわめてあいまいなものとして存在しうるわけです。党をつくる場合は。
むしろ、われわれがトロツキーの組織論上の日和見主義を批判していく場合に、やはり、そういう革命の主体的な力量をどういうふうにつくるあげていくのか、あるいは客観的に成熟する革命的情勢に対応して、それに対応できるだけの党組織をいかにしてつくりあげていきのかという、この実践的観点から、組織の問題というのはとりあげられねばいけない。
そういうかたちをとって問題にされなければならないのを、いわば黒田の場合、ひっくり返してしまう。そしてむしろ、トロッキーの独裁論を一歩前進として見、そして、にもかかわらず組織論が弱かったからダメだったんだというふうにしてしまっている。だから、そもそも組織論上の日和見主義が、なぜでてくるのか、なぜ不可避だったのか、ここのところが、明らかにされないわけだ。組織論がない、組織実践論がないで終りなんだ。
しかし、トロッキーにおける組織論上の欠落、あるいは組織的実践における徹底的な脆弱性というのが、どこから生じてくるのか、ということを理論的にバクロしなかったら無意味でしょう。しょせん、トロッキーはどうしようもないということを確認するだけにすぎないのではダメなのだ。
つまり、トロツキーにおける組織論の欠落というのは、じつはトロツキーにおける独裁論の日和見主義からひきだされてくる一つの結論なんだ。そういう関係としてトロツキーの組織論なるものは批判されなければいけないのだ。それなのに、組織論の、組織現実論の欠落というかたちで切り捨てられて終りになっている。そこは俺が補うんだというふうになっているんだ。俺っていうのは黒田のことだが。
A、『何をなすべきか』を書いた事情と目的
この部分は、主として『何をなすべきか』の第一章の前半の部分を、ある程度参考にしてまとめたもの、ということになる。
つまり、あとでもう一度やるけれど……、第一章というのは、二つのことをいっしょに書いている。といっても、もちろん、二つのことといっても関係があるんだから、書いて悪いわけではないけれど、つまり前半の部分は、国際的な社会主義運動の内部に二つの潮流が生まれているというふうな種類のことが前半。そしてこの二つの潮流のひとつが「批判の自由」と結びついており、ひとつが古くて正しい原則にふまえている、というようなことをいっている。
そして、後半の部分では、理論闘争の意義ということについて論じられている。つまり、もちろん、関係があるというのはどういう意味かというと、「批判の自由」をとなえる日和見主義者のグループは理論闘争の価値を無視している、それにたいしてわれわれは理論闘争を重視する、という ことなんだ。
だから一応、理論闘争の意義というふうな部分については、いわば、論理の展開の基礎になる、ようなことになっているから、そこはあとであらためてやることにして、この事実上、第一章の前半の部分をやや解説してみると、『何をなすべきか』をレーニンは、いかなる目的をもって、いかなる事情のもとで書いたのか、ということがほぼ明らかになる、というふうな構成になっている。どちらかというと、よくやるやり方で、まえがきとか序文なんかで書くようなことが、第一章の前半になっている。
で、それの一番目の問題としては、(1)国際的社会(民主)主義運動内の二つの潮流、それから(2)は、ロシア社会民主党内の「批判の自由」の新しい擁護者、つまり、ロシア社会民主党内部に生まれてきた「批判の自由」の新しい擁護者たちと、その人たちの意見の結論というもの。
それから三番目に、(3)革命的潮流と日和見主義的潮流の分裂。
それから四番目が、(4)革命的潮流の任務。まあこの四つくらいのことが、一応問題にしうることだと思う。
(1) 国際的社会民主主義内の二つの潮流
すこし敷衍して説明すると、当時の第二インターナショナルの内部においては、ベルンシュタインに代表される新しい批判的な潮流というものが生まれたということ、そして片や、古い教条主義的な潮流――これはカッコつきなんだが――「古い教条主義的なマルクス主義」が存在している。つまり、一方に、カッコつきの、「新しい批判的な」潮流、それから他方に、やはりカッコつきの 「古い教条主義的マルクス主義」。
もう古いというのと、古くないというのとがいるわけだ。古くないというのが、「古い教条主義的マルクス主義」であり、もう古いというのが「新しい批判的な潮流」ということだ。
そういう二つの潮流が国際的な運動のなかであらわれたということをいっているわけで、事実の問題としてみんなが知っているとおり、第二インターナショナルの内部にあっては、資本主義はもう変ったということを主張するベルンシュタインの傾向、すなわち、資本主義はもう変った、したがって新しい運動は、社会主義運動は変らなければならないと、目的が問題なのではなしに過程が問題であると、目的が問題ではなく過程が、プロセスが問題であるということを主張する、ベルンシュタインの潮流が生まれてきた。
.それにたいして、資本主義は本質的に変らない、共産主義的な究極目標は堅持されなければならないということを主張する潮流とのあいだの対立が、第二インターナショナルの内部で国際的にくり広げられ、この両者の討論を代表しているのがベルンシュタインとカウツキーであった。
のちに、このカウツキーの反論のしかたのなかにはらまれている限界性が問題になってくる。とくに資本主義の変化ということについて、ベルンシュタインもカウツキーも、本質論ぬきにして、段階論をぬきにして、片や帝国主義、資本主義のもっている帝国主義的な変化をとらえて、段階論的な変化をとらえて、資本主義は変ったといい、つまり、資本主義ではなくなったといい、カウツキーはちっとも変らないというふうにいっているという、こういうひとつのありかたは、いわばレーニンの帝国主義論、つまり段階論にふまえて、止揚されていかねばならない限界をもっているのだけれど、しかしさしあたって、この本が書かれた事情でいえば、マルクス主義を維持しようとするものと、マルクス主義を修正しようとするものとのあいだの対立というかたちをとって、国際的な運動の分裂が進行していた。
いまのわれわれからみれば、そのようなことはどちらでもいいのだけれど、ひとまずいうと、日和見主義者の発行している合法的な文書から、革命的潮流の執筆者がみんな放りだされてしまうという事情があった。だから、こういうのは許せないということなんだ。
(2) ロシア社民党内の「批判の自由」の新しい擁護者
それから、i二番目の事情として、そういうなかで合法的な批判(合法的な批判というのはマルクス主義にたいする批判のことなんだが)と、それから非合法的な経済主義(あとでちょっと解説するけれど)、合法的な批判と非合法的な経済主義との結びつきと、相互依存の関係がつくり出されたこと。
つまり、合法的な批判というのは、いまいったように、合法的なかたちで、権力に許されるかたちでおこなわれているマルクス主義にたいする批判的な潮流の活動、これが合法的な批判ということだ。
『何をなすべきか』でいっている場合の合法的な批判というのはそういう意味だから、政府にたいする批判というより、主として、運動の内部にむけられた批判だ。ここで合法的な批判というのは、批判の自由の批判。批判の自由の批判の対象というのは、マルクス主義でしょう。つまり、合法的な、権力に許されるかたちでおこなわれているマルクス主義者にたいする修正のうごき、これが合法的な批判ということだ。
それと、非合法的な経済主義というのはどういうものかというと、のちにだんだん明らかになってくるけれど、これがいわゆるマルチノフ一派のことなんだ。経済主義とはなんぞというのはあとでやるとして。
しかし、この経済主義の潮流というのは、権力からみれば、許されていない。権力からみれば非合法なわけだ。権力によって非合法的な活動に追いこまれている経済主義者、この二つの、つまり、権力に許されたかたちで、合法的な批判をやっているグループと、権力によって基本的には非合法に追いこまれている経済主義者との、二つの潮流のあいだの結びつきと相互依存の関係、ここに問題があるのだというふうにみている。
ここで、一言だけ、非合法とは何かというと、これはロシアや戦前の日本の運動の特殊性を考えれば明らかになることだけれど、マルチノフそれ自体は、経済闘争の発展のうえに政治闘争が生まれるという理論で、一言でいえばこれは日和見主義なんだ。
しかし、一応あの戦前の段階でいうと、ロシアや日本の場合はストライキはそれ自身非合法である。だから、理論的、本質的には日和見主義の実践なんだけれども、それも権力の目からみれば、非合法の活動として弾圧の対象になる。
ちょうど、いまの国鉄におけるストライキみたいなもので、それ自身としては体制内的あるいは経済主義的潮流によって指導される場合があるわけだけれど、しかし、それにもかかわらず、ストライキそのものが禁止されているでしょう。それと、ロシアや戦前の日本の場合は全面的にそうだから、たとえ経済主義的な内容をもつものであれ、経済的な、経済主義的な闘争がおこれば、非合法な関係になるんだ。
ついでにいっておくと、マルチノフ、マルチノフなんて、日和見主義者の代表としてわれわれは気安くいうでしょう。それから、だいたい経済主義なんていうと、かんたんに「ナンセンス!」などとやるけれど、けっこうそれ自体は、当時のロシアでは非合法の団体で、マルチノフをはじめとして主観的には革命家たちであり、それで地下的にゴソゴソうごめいていて、バンバン闘争をやっているんだ。いまの民同みたいなものを思いうかべるわけにはいかない。もうすこしすさまじいんだ。日本のマッセンストライキなんていっている連中よりはるかに戦闘的だし、事実ストライキをやるんだから。
しかし、そういうふうにして権力との関係では非合法においこまれているけれども、この経済主義というのは、労働者が自分自身を解放するための歴史的事業の課題を真に正しく位置づけてはいない。むしろ混乱させる役割を果たしている。この限りでやはり反動的であるということを、この論文では逐次いっている。ロシアのプロレタリアートのかかえている全体的な任務を、全体として正しく解決するものではない、ということを以後批判していくことになるわけだ・。
こういう@、A、Bの事情がある。つまり@国際的に二つの潮流があり、Aそれに照応してロシアの内部で「批判の自由」を要求する人たちがあらわれ、Bそして革命的潮流と日和見主義的潮流の分裂が進行しているという、こういう三つの情勢のもとにあってこの本は書かれたということだ。こういう三つの情勢のもとにあって革命的潮流というのはいま何をなすべきか、ということで、四番目に革命的潮流の任務ということが問題になってくるわけだ。
〔(3) 革命的潮流と日和見主義的潮流の分裂……省略〕
(4) 革命的潮流の任務
では、革命的潮流の任務とは何ぞや、ということになると、第一には、@理論活動を復活すること、二番目に、A合法的批判との、つまり日和見主義者ないしは修正主義者との闘争に積極的にのりだすこと、それから三番目に、B綱領、そしてその綱領にふまえた戦術を低めようとするあらゆる試みを暴露し、反駁すること。この三つが、いますぐロシアの革命的潮流がやらなければならない仕事だ。
したがってそのために、この本が書かれたんだということになる。
『何をなすべきか』のなかでは、こういうふうにいっている。
「ドイツ人は現にあるものを堅持し、それへの変更を拒否するのであるが」、つまり、ドイツ人の場合は、すでにマルクス主義の革命的潮流が存在しているから、それを堅持して、それの変更を要求する者にたいしては拒否する、というかたちでたたかいがおこなわれるけれども、われわれロシア人の場合はちょっと違うんだと。「われわれは、現にあるものがすでに批判の自由、つまり修正されたものでしかないから、現にあるものを変更するよう要求して、この現にあるものへの拝跪やそれとの妥協を排撃するんだ」というふうにいっている。
ロシアとドイツとの事情の違いということだ。だから形のあらわれ方は違うけれど、結局同じたたかいをやっているんだ、と。一応、『何をなすべきか』の第一章をすこしバラバラにくずして組みなおすと、レーニンによって主張されている『何をなすべきか』が書かれた事情と目的というのは、おおよそ以上のようなものだといえる。
だからわれわれは、これにすこし、その後の歴史のなかで知っている事情などを加味して理解を深めてゆく必要があるだろう。たとえばカウツキーとベルンシュタインの論争がその後発展していくなかでどうなっていったか、われわれはそれを段階論にふまえてどう止揚するか、等々の問題を一応ふくみながら、レーニンによってここで主張されていることをまとめて理解したらいいのではないかと思う。
B、『何をなすべきか』の構成
最初に、例によって項目だけ読みあげます。
(1) 論文『何から始めるべきか』(これは『何をなすべきか』ではない)で提起した構成。
(2) 非論戦的な形態から論戦的な形態への変更。
(3) 新しい構成。つまり『何をなすべきか』ではどういう構成になっているか。
(4) 章別構成の理論的な特徴。章別、つまり一章、二章、三章と、どういうふうに論理が展開してゆくのか。
この四つについて検討しておきたいと思う。もともとレーニンは、『何から始めるべきか』という論文を書いたときに、近く新しいパンフレットを発行するということを、そこで約束している。『何から始めるべきか』のはしがきのなかで。
そしてそのときに、つぎのような構成をもつものとして自分はこんど論文を発表する、という約束をしている。
『何をなすべきか』の主要なテーマは、論文『何から始めるべきか』のなかで提起した三つの問題となるはずであった。一二ページの四行目。すなわちそのあと、われわれの政治的扇動の性格と主要な内容の問題。これが(1)だ。それから(2)が、われわれの組織上の諸任務の問題。それから(3)が、さまざまな方面から同時に、全国的な戦闘組織を建設してゆく計画の問題。この三つであった。
その後事情が変ったので、つまりロシア社会民主党内の二つの潮流の根本的対立がおこったので、すこしとりかえた、と。そして、読みつづけていくと、この小冊子では以下のようだ(一三ページ)。
「さきほどのべた三つの問題の検討がやはり主要な主題となっているが、しかしわたしは、もつと一般的なこの二つの問題から始めなければならなかった、すなわち、一、なぜ『批判の自由』というような罪のない当然なスローガンが、われわれにとって本式の戦闘開始の合図となっているのか」
聞くかぎりでは、批判の自由なんてもっともでしょう。マルクス主義批判をしてもいいけれど、しかしそのマルクス主義にたいする批判の自由という罪のない当然のスローガンが、じつは、マルクス主義の根本的な内容をゆがめようとしている策動だということだから許せないということで、レーニンはこの論文を書き出すわけだけれど、そういうかれらの罪のない当然なスローガンにたいして、われわれはなぜ断固たる本式の戦闘開始をしなければならないのか、というような問題、これが@。
つぎにA、「なぜわれわれは自然発生的な大衆運動にたいする社会民主党の役割という基本的な問題についてさえ、了解をとげることができないのか」という問題、それが二つ目である。
それからさらに、「政治的扇動の性格と内容。すなわち、B組合主義的政治と社会民主主義的政治の相違という問題を説明することにかわり、組織上の諸任務について、見解をのべることは、C経済主義者がそれで足れりとしている手工業性とわれわれが必要と考える革命家の組織の相異を説明することにかわった」と。
つぎに、D「全国的政治新聞の計画については、この計画にたいして唱えられた異議が根拠のないものであっただけに、また、わたしが論文『何から始めるべきか』のなかで、どうすればわれわれは、われわれが必要とする組織の建設に、あらゆる方面から同時に着手することができるのか、という問題を提出したのにたいして、本質にふれた回答があまり寄せられなかっただけに、なおさらわたくしはこの計画に固執する」と。
(1) 論文『何から始めるべきか」で提起した構成
まず、一番目の問題としていうと、論文『何から始めるべきか』で提起した構成というのは、つぎのようになっている。
@政治的扇動の性格とその主要な内容。
A組織上の任務。
Bさまざまな方面から、同時に、全国的な戦闘組織を建設していく計画(序文の文章をすこし変えたかもしれないけれど、そのまま書いてあるから参考にしてくれればいい)。
この三つのことを『何から始めるべきか』では書くつもりだ、ということを自分は約束したと。
あとで事情は説明するけれど、その@のうしろに〔V〕というふうに書いてほしい。Aのうしろに〔W〕、Bのうしろに〔X〕というふうに書いて下さい。
政治上の扇動云々いうところのうしろに〔V〕、それからAの組織上の任務の終りに〔W〕、Bの終りに〔X〕というふうに。
つまり、結論的にいうと、『何をなすべきか』のなかでは、この@の課題が若干変形されて、三章になっているということ。Aの課題が若干変えられて四章になっているということ。Bの課題がやはり五章になっているということ。ということを本来……(以下、録音テープ欠)……
(2) 非論争的な形態から論争的な形態への変更
で、なぜそういうつもりであったのが、論争的形態にかえざるをえなかったかということが二番目の事由で、この二番目の事由のよってきたるゆえんは、書いた事情というところですでに説明されている。
つまり非論争的形態ということはどういうことかというと、組織論をかなり論理的、体系的に展開しようと思っていたらしい、レーニンは。ケンカ的に書かないで、すこしオーソドックスに論理的に書くつもりでいたらしい。
非論戦的形態という意味はそういうことだ。そして、その論理の本質性において「批判の自由論者」を粉砕してしまおうとレーニンはこの段階においては、ひそかに考えていたらしい。
ところが、その後論争が発展して、バチンバチンということになったから、いまさらおっとり構えて、非論争的な論文なんか書いているわけにはいかないということで、論争的形態にとりかえた。そして論争的形態にとりかえることによって、多少論文の実践的直接性が強調されるというふうにかわってきているということが、この論文のもっている特徴なんだ。
ただあとでいいたいんだけれども、この『何をなすべきか』は非常に論戦的で論争的な形態にもかかわらず、よく読んでいくとその背後にかなり理論的な上向展開という理論の展開の仕方が、骨格としてあることがわかる。
われわれがこんにち読む場合は、むしろその骨格を読みとるということが重要だということなんだ。
この論争をつうじてレーニンがひきだしたひとつの理論的な骨組みを、むしろわれわれはつかみとって、いまに適用していくということが必要になっている。
あまりくわしいことを知ったところでしょうがない。ストルーベがどうなったとかマルチノフがどうしたとか……。そういうことを一生懸命勉強している人もいるから、そういう人にやってもらえばいいんで、そういうのは菊地昌典みたいな人が給料をもらってやればいいんで、われわれはそれほどやる必要はない。つまり、より骨組みのようなものをつかめばいいわけだ。
(3) 新しい構成
ではどういう構成になったかというと、さっきいった『何をなすべきか』の序文のあとの方の構成、つまり、
@「批判の自由」批判がなぜ戦闘開始の合図となっているのかという問題〔I〕。
A自然発生性にたいする社会民主党の役割〔U〕。
B組合主義的政治と社会民主主義的政治〔V〕。
この場合社会民主主義的政治というしかないけれど、いわゆる社民ではない。念のためにいうけれど、この場合社会民主主義というのは共産主義と同義語としてつかわれているのだ。
C手工業性と革命家の組織〔W〕。
D全国的政治機関新聞の計画〔X〕。
こういうふうな新しい構成に変ったということだ。その結果として、さっきふった番号と同じやり方をとると、
@のうしろに〔T〕、Aのうしろに 〔U〕、Bのうしろに〔V〕、Cのうしろに〔W〕、Dのうしろに〔X〕というあたりまえの番号をふってみると、一章と二章が、以前の計画になかったものが新しく書き加えられて、三章と四章と五章がやや変更されてあらわれるというかたちをとっている。
つまり、本来〔V〕〔W〕〔X〕をやや非論争的に書くつもりでいたのが、論争的な形でやらざるをえなくなったので、あらたに〔I〕と〔U〕を加えて、そして、〔V〕、〔W〕、〔X〕もすこし論争的に書くようにしたぞ、ということなんだ。
ということを序文で説明しているんだが、逆にいってわれわれからすると、『何をなすべきか』の内的構成はこういうかたちをとってつくりだされているんだということを、こっち側、つまり裏から見ればいい。手のうちを読むということなんだから。
大体、論文というのは、書いた人の魂胆をよく知って読まないと中味をつかめない。
で、われわれがこんにち読む場合に大切なことは、たしかに論争的なかたちで書かれているし、またその論争をおこなっていた、あるいはおこなわざるをえなかったレーニンの実践的な見地、考え方というものからも、われわれは徹底的に学ぶ必要があるんだけれど、しかし同時に、このレーニンの『何をなすべきか』という論文が、きわめて論争的なかたちをとって書かれていながら、その背後にかなり本格的な理論的構成をもって展開されているというところを見のがしてはいけないと思う。
こんにち、われわれが現代の組織論、現代の党組織論をつくりあげていくという、学びとっていくという実践的立場からいうと、むしろそこのところをちゃんとつかみとっていくというてとが重要なのだ。
(4) 章別構成の理論的特徴
そこで四番目の問題として章別構成の理論的特徴ということについて、すこしくわしく述べたいと思う。
@ 論争的形式と本質論的構成
この理論的特徴というものの第一をなすものは、論争的な形式と本質論的な構成がうまく結びついたかたちでおこなわれているということ。ここを見おとしたのではダメだということだ。
われわれがこんにち読む場合、論争は形式であって、その論理の展開の方が本質だというふうに読まないといけない。半世紀も前に書かれたものの事情にいくらくわしくなったところではじまらないわけだから。
この『何をなすべきか』という論文は、格好よくいうと、論争・論戦的な形式と本質論的な構成とが統一されるというふうに書かれているということなんだ。
まあ、われわれとしては、ありていにいうと、論戦的な形式のなかであらわれてくる本質的な理論的構成、それを『何をなすべきか』をよく読むなかでつかみとってしまう。そしてつかみとったものをわれわれは、現代において適用していくというふうにしていく必要があるということなのだ。
われわれはレーニンいうところのドイツ人だから、なんでも理屈っぽくやらないと気がすまない。レーニンにいわせると、ドイツ人の特徴は理屈っぽくやることと、短いことばでパッということが好きだということなんだ。ロシア人は長く論ずるのだそうだ、ゴチャゴチャと。われわれだってゴチャゴチャとやるけれど。
A 対立的概念の矛盾的な展開
で、二番目の特徴は、そういうふうにしてよむと、対応的な概念の矛盾的な展開ということ(とりあえずそう書いておいて下さい。そういうふうに各章が書かれているということ)。
これはどういうことかというと、つぎに(@)(A)(B)(C)(D)と五章のそれぞれの特徴をあげていってみるとハッキリしてくる。
一章では、(@)日和見主義の理論と革命的潮流の理論というふうになっている。対立概念をあらいだすと、片や日和見主義の理論、片や革命的潮流の理論と、こういうふうになっている。これが一章でつきだされてくる対立概念なんだ。
二章では、(A)大衆の自然発生性と社会民主主義者の目的意識性、とこういうふうになっている。ここでも対立概念として、片や大衆の自然発生性、片や社会民主主義者の目的意識性というふうに両側が出てくるわけだ。
三章では、(B)組合主義的政治と社会民主主義的政治というふうになっている。
四章では、(C)経済主義者の手工業性と革命家の組織性というふうになうている。つまり、片や経済主義者の手工業性、片や革命家の組織性。これが四章では対立概念としてあつかわれている。
それから五章では、(D)過程としての戦術と計画としての戦術。片や過程としての戦術、片や計画としての戦術ということが論じられている。一方における過程としての戦術、他方における計画としての戦術ということが論じられているということだ。
こうしてあらいだしてみると非常におもしろい。前提的にいうと、「批判の自由」を主張する修正主義(者)というものをひとつおいて、々してこちら側にマルクス主義の立場を堅持せんとするものというふうにあらわれてくるでしょう。
こちら側のもとに浮きだしてくるのが、日和見主義者の理論。もう一方の側のもとに出てくるのが革命的潮流の理論というわけだ。
つぎに、日和見主義者の理論とはじつはなんだろうかということを分析するという立場から、大衆のもっている目的意識性というものと共産主義者の目的意識性というものがひっぱり出されてくる。そこで、この大衆の自然発生性のうえにだけ立脚して行動しようとする組合主義的政治と、目的意識性を媒介にしてあらわれてくる共産主義的政治というのがつぎに出てくる。そして、組合主義の政治と対応するものとして経済主義者の手工業性がひき出されてきて、そして、共産主義者の政治と対応するものが革命家の組織性として出てくる。さらに戦術という問題については、過程としての戦術と計画としての戦術というものが出てきて、こういうふうに全部対立する二つの概念が展開していくような構成で、一章から五章までが書かれている。
B 革命党の基礎的概念
三番目の特徴は、ことばでいってしまうと、革命党の基礎的概念ということについてのある程度の考え方をうかがうことができるということだ。
つまり、革命党ということを論じていく場合、どういうことが理論的、基礎的には問題になっでくるかということがおおよそここから察しがつく面がある。
それはどういうことかというと、
(@) 革命的理論
(A) 革命家の意識(共産主義者の目的意識性)
(B) 共産主義的政治
(C) 革命家の組織
(D) 戦術の計画性
つまり革命党というものをつくりあげていくうえで、そもそも共産主義的理論ないしは理論の良し悪しが問題となるんだということが、レーニンが問題にする問題の仕方なのだ。
そして党というものをわれわれがあつかっていく場合、目的意識性というものが非常に重要な概念としてあつかわれなければならないということが、つぎに浮かびあがってくる。
党というものを考える場合に、まず第一に理論の正しさというものがおさえられなければならない。それから、そもそも目的意識性ということに対応して党ということがあらわれてくるということ。党の積極性は、一貫した目的意識性にあるんだということが、二番目に特徴的にあらわれてくる。
その目的意識性、正しい理論にふまえ、正しい目的意識性をもった共産主義的政治がおこなわれなければならない、ということが三番目に問題となる。この場合政治というのは政治闘争に近い意味だが。
四番目に、しかしなんといったって組織性がないことには話にならない。つまり、正しい理論にふまえ、正しい目的意識性をもち(念のためにいうと、Bの共産主義的政治というのは、今日的にわかりやすくいうとプロレタリア独裁をめざすたたかいということ)、いいかえれば最終的にはプロレタリア独裁の樹立に集約されるような政治性をもっていなければならないということ。したがって同じような意味で、党というものは革命家の組織でなければならないということ。だから経済主義者の手工業性ではダメで、革命家が革命をやるために必要とするありとあらゆる組織性を発揮するようなものでなければいけない。
五番目に、なにがなんだって計画的にやらなければいけない。計画的、系統的に活動しないといけない。行き当りバッタリでやったってロクなものができない。ということを、別ないい方でいうと、それぞれの各章で批判していると思えばいい。つまり、一章では日和見主義者の理論と革命的潮流の理論の対比というかたちをとおして、いかに理論問題が党にとって重要であるかということを照らしだしている。
第二章においては、大衆の自然発生性と社会民主主義者の目的意識性ということの対比をとおして、党の本質をなすものは目的意識性にあるんだということを照らしだしている。
そして第三章においては、組合主義的政治と社会民主主義的政治の対比というかたちをとおして、プロレタリア独裁をめざす共産主義的な政治が大切なんだということを、そして党がやらなければならないのはこれなんだと、党のおのずから任務としてやらなければならないのは、このプロレタリア独裁をめざす共産主義的政治なんだということを照らしだすことをやっている。
さらに第五章では、経済主義者、つまりマルチノフなんかのやる手工業性に革命家の組織性を対比させて、そもそもそういう組織性こそ党を支える重要なメルクマールなんだというふうにやって、最後では、具体的なポリシーとしては全国的政治新聞の問題ということになる。
しかし、内容的にいえば、計画性のもっている意味を、計画性とその計画性を支える系統的な手段が何かということの解明を五章においてはやっているわけだけれど、そういうかたちをとって計画性ということを問題としているわけだ。
この『何をなすべきか』の構成というのは、ここのところをつかんでしまえば、あとは読めばわかるということなんだ。きょうはこれで終ってもいいんだ、本当は (笑)。僕も『何をなすべきか』とつきあって二〇年くらいになるけれど、ここのところがわかれば、あとは大体読めるのではないか。そのうえでいろいろこまかいところはあるけれど、こういうところが『何をなすべきか』の特徴だと思う。
本来、非論戦的な形で書こうと思っていたけれども、事情が変化したので論争的な論文になったというかたちで書かれていて、さしあたってわれわれは、論争的論文として読んでいる。それはそれで正しいと思う。
つまり、メンシェビキとボルシェビキの分裂を本質的に基礎づけるもの、ないしは経済主義者とボルシェビキとの対立を本質的に基礎づけるものとしてわれわれはこれを読んでいればいい。またそういう観点でも読むべきなんだ。
しかし同時に、この論文がただたんに論争的な論文であるというだけではなしに、われわれが党組織論というものを考えていく場合に、ないしは前衛党というものを考えていくうえで、やはり本質的に問題にしなければならないような項目が、ここではかなり理論的な本質をもって展開されている。ここのところをつかみとらなければならないわけだ。
だからこういうの(カクマルのパンフレット『批判の武器』、のこと)はダメなんだ。こういうのは、武器の批判で粉砕しなければならない。
カクマルは、もっともらしくああだこうだといっても、『何をなすべきか』の肝心な、骨格的に何を読みとらなければならないかという、そこのところがない。ああだこうだ、ああだこうだといっているだけだ。
だからわれわれは、ここから骨組的なもの、(ここで骨組みというのは、マルクス主義的な確信、レーニン主義的な確信)、そういうガイストになるものをグッとつかみとって読んで、この魂で動かなければダメだ。
あとでやるが、レーニンの政治闘争の概念があいまいであるとかないとか、ここ(『批判の武器』)で(カクマルは)しゃらくさいことをいっている。まだ二二〜三の人が。二二〜三でも三〇でも五〇でもかまわないんだけれど。二二〜三の人だから批判してはいけない、なんてことはないからね(笑)。
いま冗談でいったことなんだけれど、そのガイストになるところをパッとつかんでしまうことが、 『何をなすべきか』を読むときの根本的読み方ではないかと思う。
C 日和見主義者の組織論的特徴
補論的にいうと、四番目に日和見主義者の組織論的特徴は何かということから、逆算的に抽象するとどうなるかということなんだ。
革命党の基礎的概念というのがB。
これにたいしてCとして日和見主義の組織論的特徴。このことは『何をなすべきか』のなかでは、特別にそうは書いていないことなんだが、いままで確認してきたことをストンとひっくりかえして、逆なことを確認するとどうなるかということなんだ。
日和見主義というのは、レーニンの分け方を逆算して、肝心なところだけ全部反対するという建前をとると、どういうところだけ主として反対しなければいけなくなるかということだが。
一番目には、(@)マルクス主義理論の革命的核心をブチ壊すということ、いろいろ建前みたいなことは認めるけれど、マルクス主義理論の革命的核心をブチ壊すこと、これが日和見主義者の第一の組織論的任務ということになる。
二番目に、(A)大衆の自然発生性に追従すること。これが日和見主義的組織論の二番目の特徴ということになる。
三番目に、(B)組合主義的政治。こういうものがでてくる。
四番目に、(C)解党主義ないしは革命家の組織であることの否定。
それから五番目に、(D)計画としての戦術への敵対。
こういう五つの特徴が日和見主義の組織論的特徴として出てくると思う。
(5) 新しい反革命としてのカクマル
こうみてくると、カクマルはあるところで合っているし、あるところで違うところがある。そこがカクマルがたんなる日和見主義ではないゆえんで、ひとつの反革命という目的意識性をもった特殊性、つまり新しい反革命としての特徴も、これとの関係で浮かびあがってくる。
カクマルは本質的にこの日和見主義としての五つの特徴を、やや独特の形態をもって実現している。
これがそのままずうっとあらわれていくと社会民主主義になる。けれども社民の反革命的補完物としての特徴に媒介されているから、カクマルの場合はすこしづつニュアンスがちがってくるわけだ。
たとえば、一番目の(@)マルクス主義理論の革命的核心をブチ壊すこと。これは本質的にそうだ。ところがカクマルのやり口というのは、革命的マルクス主義と称するものを自分たちでつくって、あたかもそれが核心であるかのようにふれまわるやり方をする。だけれど、よくみればブチ壊しているわけだ。
それから(A)自然発生性への追従の場合でも、自然発生性に対置された共産主義的目的意識性には反対するが、けれど単純に自然発生性に追従するわけではない。これまたちょっとカクマル独特のあらわれ方をする。かれらは大衆に敵対するから、あたかも自然発生性に反対するかのごとくあらわれさえするんだ。
けれども、それは共産主義的目的意識性の実現というのではないんだ。早くいうと、分離と結合論としてあらわれるんだ。
第二章に関連したことでいえば(第二章、第三章にたいする関係は分離と結合論という問題といえる)、分離と結合論というかたちをとって究極目標を向う側に追いやってしまって、そして組織現実論的にはそうではない、というやり方をする。非常にペテン的方法をとってあらわれる。
新しい日和見主義、新しい反革命というのは、かならず前と同じ姿ではあらわれない。前と同じようにやっていたのでは、こういう本を読んでいるとすぐわかってしまうから、すこしづつみんなとりかえてあらわれる。そう悪意的に理解しなくても、われわれが誤りを犯すときもそうだから。ちょっとずつ新しい姿をとって日和見主義というのはあらわれるのだから。
だから自然発生性への追従という側面についていうと、いわば目的意識性の否定という特徴をとって、主としてあらわれる。実際かれらがやっていることは組合主義であり、かれらのいう政治闘争とは組合主義的政治闘争なんだ。
それから四番目の解党主義の問題でも、一見かれらは党セクト主義者のごとくあらわれる。で、気の早い黒ヘルなんかはセクト主義とか党派主義とかいっている。だけれど実際上は、カクマルが実現せんとしているのは、革命家の組織をつくることではなくて組合主義者の党をつくることなんだ。しかもそれを突撃隊的なものと組合せてつくっていくのだ。そういう意味でも、そこにある種の特徴があると思う。
しかし、よく考えてみると、たとえばマルクス主義理論の核心を破壊すること、ここにおいてもかれらの特徴は貫かれているし、共産主義的目的意識性に反対するという点でもかれらの特徴は貫かれているし、それから組合主義、組合主義的政治をやるという点でもかれらの特徴は貫かれている。それから現にある革命家の組織に敵対するという点でも、かれらのやっていることは日和見主義をもっとも悪く実践しているし、それから、戦術というものが蜂起にむかっての目的意識的、系統的な戦術として展開されなければならないということについては、いま執拗に反対している。
だからそういう意味では、『何をなすべきか』の五つの項目のなかの教訓にはひとつ残らず反対しているということはハッキリしている。
革命理論のガイストに反対して、目的意識性に反対して、組合主義と組合主義的政治をやって、革命家の組織づくりに反対して、蜂起にむかっての計画としての戦術に反対しているのだから、必要条件は全部みたしている。単純化していえば、すべての項目に、かれらは理論的にも実践的にも敵対しているということが、こんにち重要なのではないかと思う。
肝心なところについてはすべて反対していて、レーニン主義の学習などといっているのだから、宮本顕治とどっこいどっこいだ。宮顕のやり方そっくりだが、カクマルの方はそのうえで、レーニン主義の肝心なところだけ露骨に否定する。
C、理論闘争の意義について
いままでのところで『何をなすべきか』が大体どういう骨組みになっていて、どういう魂をもって展開されているか、理論的魂で、ということはハッキリしたから、つぎは第一章についてひとまず解説するということになる。
(1) 革命運動における理論闘争の意義について
ここで一番重要なことは、理論的相違をハッキリさせること、つまり、日和見主義との関係をごちゃごちゃにするようなことはやらない。そしてむしろ独自な理論的能力と政治的経験をつくりあげていく必要があるんだということをいっている。
ついでにいうと、この二番目の「国際的経験を批判的にとりあつかい、それを自主的に検討する能力」というのは、つまり国際的な日和見主義の潮流にたいしてキチンとした批判的な態度をとれということをいっている。
けれど、宮顕は、ここから自主独立論をひきだす文献学的な証拠につかっている。
〔(2) ロシア社会民主党における理論闘争の意義……省略〕
(2) エンゲルスの教訓
そのあとレーニンは、これは自分の意見というだけでなく、エンゲルスによって歴史的に確立されている理論なのだということを明らかにする、ということでのべている。
第一には、階級闘争というのは、三つの闘争形態をもっているということについてのエンゲルスの指摘を非常に重要なものとして紹介している。
階級闘争には三つの闘争形態がある。
どういう闘争形態かというと、第一に理論闘争、第二には政治闘争、第三には経済闘争。この三つの闘争の形態があって、階級闘争に理論闘争、政治闘争、経済闘争という三つの領域の闘争があって、このそれぞれの分野において、党は正しくたたかいを指導しきれなければならないということをエンゲルスはいっている。
この『何をなすべきか』のなかでは、特別に解説されているわけではないのだけれど、理論闘争、政治闘争、経済闘争とは、それぞれ何かということについて、ちょっと説明しておくと、つまり、われわれが今後の階級闘争を全面的にすすめていくという場合に、この三つの領域をキチッとみてすすんでいく必要があるので、それぞれの領域について、それは何かということについてごくかんたんに説明しておく。
a 理論闘争の任務
理論闘争というのは、一言でいうと、労働者階級とすべての被抑圧人民の完全なる解放のためには共産主義が必要であるというこの考え方、つまり原則で武装するということ、あるいはそれに敵対する思想を粉砕すること。これが理論闘争の任務だといえる。
この実践的環を失った理論闘争は無意味なんだ。理論闘争というと、なにか高尚なことをやるということだと感ちがいする人がいるけれど、理論闘争というのは、つまり、共産主義的諸原則を守り、それに敵対するものとたたかうこと、これが一言でいえばイデオロギー闘争の中味なんだ。
だから労働者階級と被抑圧人民の完全な解放をかちとるためには、共産主義、そのための結節環をなすプロレタリア独裁、これをかちとるということが理論闘争の目的だといえる。
b 政治闘争の任務
これにたいして政治闘争というものは何かというと、一言でいえば権力をめざす闘争のことだ。そういうふうにかんたんにいえば、前のところは共産主義的原則を守る闘争なんだ、理論闘争とは。共産主義的原則を守り貫くたたかいというのが、すなわちイデオロギー闘争だ。
それにたいして、政治闘争の特徴というのは、一言でいえば権力をめざす闘争、もうすこし敷衍していえば、ブルジョアジーの独裁をプロレタリアートの独裁におきかえるたたかい、これが政治闘争の本質なんだ。
要するにブルジョア独裁をプロレタリア独裁にかえることをめざすたたかいだ。ただし、政治闘争という場合、直接に権力の獲得が政治課題になっているような情勢のもとでの政治闘争と、そうでない情勢のもとでの政治闘争と大きくいって二種類あるが、しかしどちらもプロ独をめざすという意味ではかわりがない。またかわりがあるべきではないんだ。
そういう意味では、直接権力をとる場合もあるし、権力をとることにむかって準備していく場合もあるわけだけれど、しかしどちらにしても権力をめざすという一点で総括されなければならないのが政治闘争なんだ。
そういう意味では、一言でいって権力をめざす闘争だといっていい。
ところでついでにいっておくと、カクマルのいう政治闘争というのはちょっとちがうんだ。だから『批判の武器』のなかでも、ある個所でレーニンの政治闘争の概念はあいまいであるなどと生意気なことをいっている。けれどかれらのいいたいことはどういうことかというと、日帝打倒ときりはなされた反戦反基地闘争というようなものをかれらは政治闘争だと思っている。
日帝打倒の戦略ときりはなされた反戦反基地闘争のようなもの、そういうのがかれらにとっての政治闘争だ。革命の課題あるいは統治形態の問題ときりはなされたかたちでの小選挙区制とか、そういうものがかれらにとっては政治闘争なんだ。
レーニンの場合は、直接権力をめざす場合も、権力をめざして準備する場合も含めて、権力をめざすたたかいとして政治闘争は基本的に規定されているから、どんなに改良主義的課題、あるいは直接に現在的にいえば、権力奪取が直接の目的にならないような段階にあっても、政治闘争というのは多かれ少なかれ、権力を奪取する蜂起を準備するという、この闘争との関連で総括されていかなければならないような種類の闘争だということがいえる。
ところがこれではマズイんだ。カクマルの区別と連関論あるいは組織現実論としては。レーニンの政治闘争の概念はあいまいだというかれらの非難でかれらがいいたいことは、権力をめざす、あるいはブルジョア独裁をプロレタリア独裁におきかえるような闘争という政治闘争のレーニン的規定を破壊して、権力をめざすような闘争というのは、これはあくまでも革命闘争であって(しかもかれらの革命闘争というのはこれまた独特の概念で、直接に権力の奪取をめざすようなたたかいである)、これといわゆる政治闘争とは区別しなければならないということだ。
だから実践的にいうと、政治闘争において革命の問題とか体制の問題とかいうことをすぐもちだすのは、そういう問題を直接大衆に訴えるというのはハミダシ的であり、革命妄動であるというかれらの理論を擁護するために、そういう政治闘争の概念の修正を要求している。
しかしわれわれは、あくまでもレーニンの規定にしたがって、政治闘争というものについていえば、プロレタリア独裁権力をめざすたたかい、ブルジョア権力を打倒し、プロレタリア権力の樹立をめざすたたかいとして、政治闘争を規定しなければならない。
こうしたとき、ただちに権力奪取が問題とならないような情勢のなかにあっても、一個一個の政治課題のたたかいにたいしても総括していく基軸をわれわれはつかむことができるということだ。
C 政治闘争における三つの領域
現在のわれわれの党の任務ということからいうと、政治闘争というのは大きくいうといくつかの領域にまたがっている。
三大政策をある程度前提にして考えてみると、基本的にいえば、まず大前提的には「たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という性格のものとしてあらわれる。
さらにそれを個別具体的にいうと、ひとつはベトナム、沖縄、基地、派兵というふうな第一政策にかかわるような課題、つまり、日帝の政治外交政策にかかわる領域において、敵の攻撃とたたかい、人民の要求を実現していくという、そういうたたかいの領域がある。
反戦反基地闘争というようなものも、ここにかかわる概念だと思う。あるいは沖縄奪還闘争とか。つまり、日帝のアジア政策、安保政策、五・一五政策にかかわる領域のもの。
それから、二番目には小選挙区制とか反動諸法案とかいうふうな直接政治制度あるいは反動政治の政策にかかわるような領域、そこをめぐるたたかいというものがある。
それから三番目には、入管の問題だとか、狭山の問題だとか、天皇の問題だとか、国士舘の問題だとか、いわゆる国民を侵略と抑圧の方向にむかって動員するための敵の攻撃、そういったものとのたたかいを示す……。
その他、政治闘争ということでわれわれがさしあたってとりあげていくようなことはいろいろあるが、しかし大きくいえば政治外交政策にかかわるようなものがひとつ。
′それから、国内政治反動の核心をなす政治制度あるいは統治形態の転換とかそれを先どりするような反動攻勢の諸実態をめぐるようなたたかい。
それから、いってしまえば諸戦線的課題、これが三番目だ。
そういう三つの領域をわれわれはそれぞれやりぬいていくわけだ。
こういう三つの領域にわたるようなことをわれわれは政治闘争としてたたかうわけだけれど、そのどれもが最終的にはプロレタリア独裁をめざすたたかいとして集約されていくという、そういう性格をもったものとしてやりぬかれなければダメだということだ。そうでなければ政治闘争たりえないということだ。
ところがカクマル流のやり方というのは、こういう一つひとつの個別の課題と「侵略を内乱へ」という基本的な戦略、「侵略を内乱へ」という場合、総路線だけれど、その総路線に結びつけていくものとしてたたかいぬくのではなくて、そういうものから自立した一個の、おのずから革命ときりはなされた政治過程のたたかいがありうるかのように主張するという、そういう反動的思想としてあらわれているということだ。
しかも、小選挙区制のような重要な統治形態の転換を含む文字どおり支配の仕方が問題となっているときでも、なおかつ独裁の問題と関係のないような政治闘争がありうるように考えている。
だから、実際上カクマルのいっている政治闘争というのは、じつはブルジョアジーの独裁を前提とし、その範囲内でのプロレタリアートの地位の改良、あるいはプロレタリアートと帝国主義者とのあいだの一定の和解、そういうものをひき出すための闘争ということでしかないということだ。
それ以外のものは区別と連関を知らぬものであり、組織現実論をふまえない妄動的たたかいだということを、かれらは主張しようとしているのだ。
d 経済闘争の任務
つぎに経済闘争の問題にいく。
経済闘争というのは、一言でいうと、労働者階級の完全な解放をめざして、労働者の直接的な諸利益の擁護、改善のためにたたかうということ。
もう一度いうと、労働者階級の完全な解放をめざして、労働者の直接的な利益(生活と権利)を守り、労働者の直接的利益ないしは現実の直接的利益、すなわち労働者の生活と権利を守り、改善することを目的とするためのたたかい、これが経済闘争。
経済闘争とは、さしあたっていうと、労働者階級の生活にかかわるようなことを守ったり、改善したりするためにたたかうことなんだ。
しかし、これはあくまでもプロレタリアートの階級闘争の一翼としての経済闘争だ。同盟などが考えている経済闘争とはちがう。
プロレタリア階級闘争の一翼としての経済闘争とは、あくまでも労働者階級の現実の直接的利益、すなわち生活と権利を守り、改善するためのたたかいであるけれども、それはあくまでもプロレタリアートの完全な解放をめざすたたかいの一翼としてたたかわれるものでなくてはならないということ。
これをプロレタリアートの完全な解放をめざすという、この規定性ときれはなしたところで、自立、独立した経済闘争を設定すれば、これは明らかに改良主義に転落する。
改良主義と革命的経済闘争のちがい、改良主義的な経済闘争とプロレタリア階級闘争の一翼としての経済闘争との相違は、後者が労働者階級の完全な解放をめざす立場から、労働者の現実の直接的利益を守り、改善するためにたたかうという点にあるわけだ。
(4) カクマル式「階級闘争」論のまやかし
労働運動というのはイコール労働組合運動であるというのがカクマルの図式なんだ。階級闘争イコール労働運動イコール労働組合運動というのがカクマルが勝手につくりあげている図式で、そしてこの図式において労働組合運動というのは、あくまで帝国主義の体制的打倒をめざすものではなく、あくまでも体制内における改善、改良をやるたたかいであるというふうにかれらは枠づけている。
むしろ、このなかに革命だとか、安保粉砕だとか、つまり革命の直接の課題であるとか、革命にいたる過渡的な課題であるとかいうものを――安保粉砕などというのは、いわば過渡的な課題だが――こういう種類のものをもちこんでくる奴は日和見主義だとかれらはいっている。日和見主義というか、誤りだと……。
ついでにいっておくと、そういっていながら、その問題を問題にしなければいけなくなってきた時期というのは、ひとつは六九年の秋の段階であり、もうひとつは、現在の段階なんだよ。この両方ともカクマルにとっては、戦略的矛盾が一番露骨に出てきた時期なんだ。いまは六九年以来の危機だ。戦略論では。あの年(六九年)の十月に、過渡的綱領にかかわる領域でカクマルは完全に追いつめられたんだ。
つまり、われわれのいう安保粉砕・日帝打倒という革命ないしは革命にいたる過渡的な課題を直接とりあげ、直接に大衆に提起してやる運動、こういうものが大衆をとらえて、現に運動として成立しうるということについて、かれらは想像できなかったんだ。
たとえば「侵略を内乱へ」とか「安保粉砕・日帝打倒」とか「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」とか、こういう革命の課題、あるいは革命にいたる、革命をめざす過渡的課題を直接にとりあげ、直接大衆によびかけて一定の動員をかちとり、運動として成り立たせていくというようなことが、かれらには信じられなかったんだ。そういうことは、いわば区別と連関を理解できない妄動主義者の行動だというふうにかれらは全部処理してきた。区別と連関論で処理してきたんだ。
ところが、六九年の段階で、実際上は大衆が文字どおりそういう課題で動いたでしょう。
そこでかれらは完全に動揺して、九月から十月の段階でいっぺん、安保破棄というスローガンをとりあげるべきだと、しかもこの安保破棄というのは、革命への過渡的課題をなすものとして提起しなければならないということを、論じはじめたんだ。六九年の九月、十月の時期に。
ところが六九年の十一月決戦が終って、基本的にはわれわれのたたかいは勝利したけれど、大きな意味では大衆連動としては後退する。この情勢をかれらはハッと見てサッサとこれを捨てたわけだ。そしてもう一度、階級闘争のスローガンとか課題――直接に革命にかかわるような問題には絶対ふれない。ふれるのは誤りだという従来の立場にもどった。これが六九年の危機だったわけだ。
ところが、現在の情勢というのは、小選挙区制の問題がでてきている。かれらは、この小選挙区制の問題というのは、議会主義の再確立のための攻撃だといっている。しかし、そうはいっても、小選挙区制というのは統治の仕方を直接問題にした攻撃だということは、かれらとしても完全に否定はできない。そうは認めないし、非難もするんだけれども。そこのところは、「じゃあお前らどういうふうに説明するんだ」というと説明できない。そこでかなり、かれらは四苦八苦している。諸矛盾の激化だとか支配の脆弱性とか。
かれら小選挙区制がでてきたとき論争したらしいんだ。ひとつは社共が躍進したから小選挙区制がでてきた、というのがあるらしい。これはまあ『朝日新聞』と同列だ。そして、これはナンセンスだということになったんだ。まあ当然なんだけれど。で、そうではなくて、動労を中心とする部隊が頑張ったからでてきた、というのがあるんだけれど、これはまあ主観主義丸出しだ。で、こういうのもダメということになったんだ。
そこで、われわれがいっているように客観的危機の成熟という問題に手をつけなければならなくなってしまった。だけれど、体制的危機あるいは革命情勢への過渡という問題を、ことばをかえてであれ認めてしまったらもう終りだ。その場合には、いわゆる組織現実論、区別連関論は崩壊してしまうのだから。たとえ区別と連関論に立脚しても、革命の問題をとりあげなければならないということになってしまうからだ。
そうなると、事実上かれらがいままでやってきた戦術体系は全部崩壊する。そこから、これをどう現実的に手直しするかということで、ものすごく四苦八苦している、いま。だから、かれらは六月から七月にかけて、小選挙区制にかんする理解の混乱をどう手直しするかについて全力をあげているといえる。
なにしろ、ブルジョア独裁とはかならず民主主義であるというようなものすごい意見があらわれたりしている。これは、われわれの日本における反スターリン主義運動の一定の理論的成果をあまりにもかんたんに投げすてたものだ。
ブルジョア社会の本質はブルジョア独裁であって、そのひとつのあらわれ方がブルジョア民主主義なんだ。ブルジョア独裁イコール民主主義ではない。ブルジョア民主主義の本質は、ブルジョア独裁であるという等式は正しいひけれどブルジョア独裁はかならずブルジョア民主主義であるというのは、これはまちがいだ。逆かならずしも真ならず、つまり次元のちがうイコールだからね。
たとえば男は人間であるというのと、人間は男であるというのはちがう次元に属しているでしょう。
個別のあらわれ方とその背後にある一般的なもの、あるいは本質的なもの、つまりブルジョア民主主義もあればファシズムもあるという具体的なもの、たとえば男もあれば女もいるということ、しかし、その双方とも人間であるというこの本質規定になるものとは、人間であることは、男であるとか女であるとかということにはならないでしょう。男としてあらわれたり、女としてあらわれたりというふうに理解しなければならない。しかしかれらは、ブルジョア独裁=ブルジョア民主主義という等式をつくりあげて、それがいったいどうなるんだということになるとハッキリしないんだ。そんなことをいまガタガタいっている。
話をもどすと、階級闘争イコール労働運動イコール労働組合運動という等式をつくりあげておいて、労働組合運動は体制の問題に手をつけないというわけだろう。逆に等式をつくっていくと、現在における階級闘争というのは全部やらない、ということになる。経済闘争においても、当然のことながら革命の問題とか、労働者階級の完全な解放、マルクスのことばにしたがえば賃労働制の廃止、このスローガンをかかげることに断固反対するというやり方としてあらわれてくる。
われわれは、あくまで賃労働の廃止をめざして経済闘争をたたかうということだ。それはなにも、経済闘争の個々の領域でただちに賃労働の廃止を直接の実現目的にするということとはちがうんだ。そうする場合もあるけれど。
ついでにいうと、階級闘争=労働運動=労働組合運動という等式は、これ自体マチガイだということだ。かんたんにいうと、プロレタリア階級闘争とは、まず闘争の全領域を示している。労働運動という概念は労働者のたたかいのことをさす。労働者を実体的基礎とするプロレタリア階級闘争のことをさすんだ。
だから厳密にいうと、労働運動は労働者運動なんだ。労働者の運動なんだ。労働組合運動とは同一ではないんだ。労働者の運動イコール労働組合運動ではない。労働者だっていろいろな活動をするから。卒直にいえば、プロレタリア階級闘争ないしはその主軸をなす労働運動の主要な組織形態は、党だということだ。
この党の活動のなかに労働組合運動の指導という問題も含まれているということだ。逆にいうと労働組合運動というのは、労働者の産業的、職業的利益のための大衆組織だということだ。たしかに人数という面からいえば概して労働組合のような大衆組織の方が党より大きい、人数という不等式からいうと。しかし活動領域という面からみると、党はプロレタリア階級闘争ないしは労働運動の全領域を表現しているのにたいして、労働運動は概していえば、その一部分を表現しているにすぎない。
話をもうすこしもとにもどすと、エンゲルスの教訓というのは、階級闘争というのは三つの闘争形態があって、それは理論闘争と政治闘争と経済闘争である。
〔D、自然発生性と目的意識性………講演で略〕
E、組合主義的政治と共産主義的政治
ここは『何をなすべきか』でいうと第三章にあたる。例によってその内容をまず整理すると、
(1) 政治闘争にかんするわれわれと「経済主義者」のあいだの意見の相違。
(2) 政治扇動にたいする経済主義者の誤った見解
(3) 宣伝と扇動
(4) 労働者の革命的積極性をそだてるための政治暴露
(5) 経済主義とテロリズムの共通性
(6) 民主主義のための先進的闘士としての労働者階級ということになる。この各項目についてかんたんに説明したいと思う。
(1) 政治闘争にかんするわれわれと「経済主義者」のあいだの意見の相違
第一の問題は、@「経済主義者」は絶対に「政治」を否定するのではない。ただ政治の正しい、共産主義的な理解から組合主義的理解へとたえず迷いこんでいくのが経済主義者の特徴である。
つまり、政治要求を絶対に否定するのではないのだけれど、政治についての理解がおかしいんだということだね。一言でいえば、政治を否定しないけれど、政治についての理解がまちがっているということ。
第二点は、しかしA大衆運動の自然発生性のまえに拝跪すること、共産主義的政治を組合主義的政治に低めることは、実際には労働運動をブルジョア民主主義派の道具にかえる基盤を準備することになる。
つまり、大衆運動の自然発性への拝跪は、共産主義的政治を組合主義的政治に低めることは、労働運動を小ブル民主主義派の道具にかえる基盤を準備することになるという問題。
したがって第三点としては、B労働者の積極性を高めるためには、経済的暴露を組織するだけでなく、全面的な政治的暴露を組織することが必要である。
というのが第一の項目にかんする問題である――そうわれわれはいい、経済主義者はそう考えないということだ。
(2) 政治的扇動にたいする経済主義者の誤った理解
第二の政治的扇動にかんする経済主義者の誤った理解についての批判。
まず、ここでレーニンは最初に、そもそもわれわれにとって経済的暴露の意義と限界がどこにあるのかということについて論じている。ここのところはよく読んでほしいところだ。
ここではどういうことをいっているのかというと、
まず第一に、(@)「党は、労働力販売の有利な条件を獲得するだけでなく」、つまり、経済的利益のための闘争を指導するだけでなく同時に「また、無産者が金持ちに身売りしなくてはならないような社会制度(賃金奴隷制度)をなくするためのかれらの闘争をも指導する必要がある」――これが経済闘争についての指導のあり方について論及していることの第一点。
つまり、たんに経済闘争を指導するだけでなしに賃金奴隷制の廃止のための闘争をも指導する必要がある。
二番目は、(A)「党は、ひとりその当該の企業家集団にたいしてだけではなしに、現代社会のすべての階級にたいし、組織された政治的暴力としての国家にたいして、労働者階級を代表する立場にたたなければならない」。
つまり、個別資本とのいくさだけでなしに、資本家階級という階級にたいして、あるいはブルジョア国家という国家にたいして、対立しなくてはならないということをいっている。
したがって第三に、「これからして明らかなことは、(B)共産主義者は経済闘争にとどまることはできないばかりか、経済的暴露の組織が、かれらの主要な活動であるような状態を許すこともできないということである。われわれは、労働者階級の政治教育、その意識を発達させることに積極的にとりかからなければならない」。
これが経済闘争にかんする党の指導原則みたいなものをまとめたものといえると思う。
つぎに第二点として強調していることをいうと、A「専制政治の全面的政治暴露を組織する仕事なしには、労働者の政治意識を発達させることはできない」。
つまり、専制主義(ツァーリズム)にたいする全面的な政治暴露をやれということだ。
いままでいったのは一般論。こんどはロシアにおける具体的なそこから出てくる政治的任務は何かということで、やはり、経済闘争の暴露だけでなくて、政治教育が必要であり、政治教育のためには、ツァーリズムの全面的政治暴露が必要だということだ。
ところが第三の問題としては、
B「経済主義者は、経済闘争そのものに政治性を付与することを主張している。すなわち、あらかじめ政治的扇動の規模をせばめるようにすることを要求している」。
だからマチガイなのだといっている。
レーニンは、いまふれた三つの指摘をおこなったあと、これをまとめるかたちで、第四点として、Cその誤りは何かということでもう一度経済闘争にかんする党の考え方とそれにたいする経済主義者のまちがった態度の批判についてのべている。
その中味が(@)、(A)、(B)ということだ。
(@)「経済闘争とは労働力を販売するいっそう有利な条件を獲得するため、労働条件と生活状態を改善するために、労働者が雇主にたいしておこなう集団的闘争である」
(A)「それゆえ、党は改良のための闘争を、部分の全体にたいする関係として、自由と社会主義のための闘争に従属させる必要がある」
(B)「ところが、マルチノフは、政治闘争に、いわばもっぱら経済的な発展の道だけを指定しようとして、段階論を別の形で復活させている」というふうにまとめているわけだ。
ここでついでにいっておくと、ここでのレーニンの批判の仕方は、われわれにとっても原則なんだ。
ここでの批判の仕方はこうだ。
つまり、これをまず原則としてバーンとぶつけておいて、それでこの立場にたつとロシアではこうなるんだと、こうやる。そうしておいてつぎに、ところで経済主義者はどうか、というふうにして「経済主義者はダメ!」というわけだ。で、「ダメ!」というときは、もう一度さっきの話が出てくる。これは文句をつけるときの常道だ。
まず、プロレタリアートはかくかくでなければならない、とこういう。世界革命のためにたたかわなければならない。われわれは日本でそのためにたたかわなければならない。何の太郎兵衛は世界革命がない。なぜならその誤りはかくかくしかじか、という具合に事実上は第一にいったことをいいかえてやる。
これは文句のつけ方の原則だ。
どちらかというと、共産党もいま主張していることだけど、うんと大量に宣伝するような場面では、正しい意見を先にいってしまった方がいいんだ。正しい意見を先にいってしまう。
まず「侵略を内乱へ」というようなことを先にいってしまう。ところが共産党は何もいっていない! というふうにやった方がいい。共産党のいっていることをじくじく紹介して、ああだこうだと分析して、だから「侵略を内乱へ」でなければダメだといったって、よほど回路の高い人でないとピンとこない。
話なんかしているときは、最初のところだけ聞いていて、共産党はこういうことをいっているんだというところだけ憶えているけど、終りのころになるとあきてしまってダメだなんてことになりかねない。とくに若い活動家を教育するときは、こういうまわりくどいやり方をするのはダメなんだ。
話を正しいやり方でひっくりかえして、自分の積極的意見をまず出して、そのつぎにまちがった意見をあげて、それからそのまちがった意見がなぜまちがっているかということをもう一度説明していくという、そういう三つのいい方(書き方)をした方がいいと思う。
これはアメリカの政治学者がいっているのだが、アンケートなんか、聞く順番によって答がずい分ちがってくるということだ。
この三章というところは、よく読んだ方がいい。全体のなかで、とくにどこが重要であるとか、どこが重要でないとかいうことは、この際僕はいわないが。
三章というのは非常に実がある。それぞれの章のいっていることは、むろん非常に重要だ、全部やけれども『何をなすべきか』は目的意識論の面があるでしょう。だからこの三章のところは非常に内容の高いところを展開していてむづかしい。
たとえば五章なんかは、実際はむづかしいけれど理解はやさしい。実践することはむづかしいけれど、現在のわれわれにとっては、いっていることを理解することはかなりやさしい。
,しかしこの三章は、いっていること自体をキチンと理解することがかなりむづかしい。全体として三章がそういう意味でむづかしいんだ。
(3) 宣伝と扇動
つぎに、(3)宣伝と扇動ということをこの文章のなかで説明している。これは知っていることだろうと思うから、ごくかんたんに説明すると、
@宣伝とは「多くの思想」を少数の人びとに与えることである。
プロパガンダは「多くの思想」を少数の人びとに与えることだ。つまり、たとえは『賃労働と資本』の本に書いてあることの全部だとか、『宣言』で書いてあることの全部ぐらいをゴチョゴチョ人に教えることなんだ。
労働者階級が自分を解放するためには、共産主義が必要であって、共産主義を実現するためには、現在の二重対峙戦をたたかいぬいて党を建設しなければならない、ということを全部いうことなんだ。
それにたいして扇動とは、A一つまたは数個の思想を多数の人びとに与えること」――これが扇動というものの意味だ。
だから宣伝というのは(内容の)高いことをいって、扇動とは(内容の)低いことをいうっていうのはマチガイだ。
高いとか低いとかは関係なく、高いことでもひとつだけ、あるいはひとつかふたづぐらいのことだけは絶対にわかってもらうというのが、アジテーションなんだ。
それにたいして、ともかく全体像をキチッと与えていくというような仕事をシコシコとやるのが、宣伝なんだ。
これが宣伝と扇動のちがいだといっている。
これにたいしてマルチノフというのはまちがった解釈をとなえたんだ。
行動をよびかけるのが扇動で、そうでないのが宣伝だといったんだ。
それにたいして、レーニンは、お前はプレハノフのいっている宣伝と扇動についての解説がわかっていない。宣伝とは、多くの思想を少数の人びとに与えることであり、扇動とはひとつまたは数個の思想を多数の人びとに与えることである、といってるんだ。
むしろ、B行動のよびかけというのは、宣伝、扇動とともにおこなわれる。だから、行動のよびかけというのは、宣伝、扇動とは別個の独立したひとつの行為だ、ということをここでいっている。
もちろん、行動にたつ必要があるという思想を与えるのは、これはアジテーションだ。行動のよびかけは、アジテーションのひとつでもありうるわけだけれど、それは同時に宣伝の最後にもやるわけでしょう。
こういうふうにやるわけだ。
六月一五日のデモに集まろう。
これは行動のよびかけでしょう。そしてダーツと資本主義社会のことについて全部話したり、世界体制の崩壊についていろいろと語り……したがって、六月一五日にどこそこ、たとえば日比谷なら日比谷に結集せよ、と、こういうのがひとつの宣伝というやり方だ。
それにたいして、目先のことやみんなのわかっていることについて、ひとつふたつだけ問題にして、だから六月一五日、日比谷に集れという、こういういい方もあるわけだ。
そういう意味では、宣伝と扇動と行動のよびかけというのは、それぞれ三つの独立した任務をもった領域だということができる。
マルチノフはこれがわかっていない。
(4) 労働者の革命的積極性をそだてるための政治的暴露
つぎに、(4)労働者の革命的積極性をそだてるための政治的暴露は、どういうものでなければならないのかということで、基本的にいうと二つのやり方を要求している。
@ 具体的な、しかも焦眉の政治的事実や事件にもとづいて、他のそれぞれの社会階級の知的、精神的、政治的生活のいっさいの現われを観察することを学ぶこと。
つまり、具体的なもので、しかも集団の事件の暴露をとおして、社会全体におこっているすべてのことを、正しく認識する能力を養わせるようにやらなければダメだということをいっているんだ。
A 住民のすべての階級、階層、集団の活動と生活すべての側面の唯物論的分析と唯物論的な評価を実地に適用することを学ぶことである。
こういうふうにいうとむづかしいが、要するにすルクス主義の階級論、国家論、そういうものを実地に適用することを、こういうことをつうじて学んでいけといっているんだ。
どこかで、ブルジョア国家とはなんぞや、ということを教わってくるとする、そこでブルジョア国家とはなんぞやとだけいっていたところでしょうがない面があるから、そういうふうにして知っていることを、現実におこった事件と関係させて、具体的に政治暴露をして、みんながやっぱりブルジョアジーというのは悪い奴だと思う、というふうにやる、そういうやり方が必要だということだ。
B こういう二つの過程をとおして、労働者大衆の意識を真の階級意識にたかめることが必要だ。
(5) 経済主義とテロリズムの共通性
このあと、かんたんなことだけれど、非常におもしろいことをいっている。
経済主義とテロリズムの共通性ということ。
この経済主義とテロリズムというのは、まったく似ても似つかぬもののような関係にみえるけれど、「どこかで共通しているところがないだろうか」ということを自問自答して、「ある」「ある」といっている。
それはどういう点かというと、@偶然でない必然的な内的なつながりがあるといっている。
それは何かというと、A自然発生的潮流の相異なる対極のまえに拝跪することだといっている。自然発生性というのは、かならず経済主義とテロリズムという二つの形態をとってあらわれる。 片や、マッセンストとか、片や世界赤軍なんていうように。
共通性は大いにある。一つの政党になっていたところもある(笑)。
(6) 民主主義のための先進闘士としての労働者階級
ここでは、ロシア革命におけるプロレタリアートの役割ということについて、いままでのべたことの結論として五つのことをまとめている。
@全面的な政治暴露が重要だということ。その場合にツァーリズム打倒の任務の観点をもっと重要視しなければならないということを第一点で強調している。
A労働者に政治的知識をもたらすためには、共産主義者は住民のすべての階級のなかに入っていかなければならない。
ここでいいたいことは、経済闘争ばかりやっていないで、ありとあらゆる政治闘争の部署に、プロレタリアートはみずから代表者を派遣しなければならないといっているんだ。
それから、B社会民主主義者の理想は何かということについて。
社会主義者のあるべき姿とは何かというと、そもそもつぎのようなものでなければならない。もともと社会民主主義者というのは労働組合の書記ではないのだから、つぎのような三つの点についてのすぐれた行動家でなければならない。
すなわち、
(@) あらゆる専横と圧政のあらわれに反応することができ、
(A) これらすべてのあらわれを、警察の暴力と資本主義的搾取についての一つの絵図にまとめあげることができ、
(B)一つひとつの瑣事を利用して自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人のまえで叙述し、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することができること。
この三つができるのがコミュニストだといっている。
もう一度いうと、あらゆる政治のあらわれ、抑圧、そういうもののあらわれにたいして、敏感に、一つひとつチャンと反応することができて、そのうえ、これらのすべてのあらわれをブルジョア独裁、あるいは資本主義の搾取、そういうものをひとつに、パッとみんなが理解できる絵図にまとめあげることができて、そしてさらに、その一つひとつの出来事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を(このあたりがむづかしくなってくるんだ)万人のまえに叙述し(なにも大勢のまえで演説するという意味ではないが)、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することができる。
これはなかなかむづかしい。しかしまあ、そういうふうに頑張らなければならないということをいっている。
そのあと、C住民のすべての階級のなかにはいっていくことの問題点ということがかかれているが、これまたわれわれにとって、こんにちの実践にとってかなり重要なことなんだ。
ここで、三つの疑問をあげて逐一反論を加えている。
(@) そういうことをやると、階級的見地から逸脱することにならないだろうかという疑問。
かつて六七年ごろだけれど、三里塚にいくときめたら、三里塚にいくとプロレタリア的利益が失われるんじゃないかと心配した人がいるけれど、まあそういうたぐいの疑問だ。
(A) そうするだけの人手があるだろうかという疑問。
人手が足りないんだから、無理していかなくてもいいではないかという疑問。
(B) そのような活動をやる基盤があるだろうか、行ったってスッテンテンに浮いてしまうのではないかという疑問。
それについて、それぞれ、そんなことはない、すべての階級のなかに入っていくからこそプロレタリアートは自己の思想をみがきあげていくことができるのだといっている。………(以下、録音欠)……
D現代では、真に全人民的な暴力を組織する党だけが、革命勢力の前衛になることができる。
これについてレーニンは、
「全人民の名による政府にたいする攻撃をも、プロレタリアートの政治的独自性を守りながら、おこなわれるプロレタリアートの革命的教育をも、労働者階級の経済闘争の指導をも、つぎつぎにプロレタリアートの新しい層を立ちあがらせてわれわれの陣営に引きいれるような、労働者階級とその搾取者との自然発生的な衝突の利用をも、不可分の一体に結びつける党」これが必要なんだといっている。
ここのところは番号ふった方がよみやすいから、僕が番号ふったのだが、
(@)全人民の名による政府にたいする攻撃。
(A)プロレタリアートの政治的独自性を守りながらおこなわれるプロレタリアートの革命的教育。
(B)労働者階級の経済闘争の指導。
(C)つぎつぎにプロレタリアートの新しい層をたちあがらせてわれわれの陣営に引きいれるような労働者階級とその搾取者たちとの自然発生的な衝突の利用。
この四つの任務を不可分の一体に結びつけるようなな党が必要だということだ。
これは政府にたいす闘争、労働者にたいする革命的教育、それから経済闘争そのものの指導、場合によっては直接指導できなくとも、自分たちの手のはなれたところで自然発生的に衝突がおきるから、こういうものをどんどん利用して前進していくということだ。
経済闘争という場合そういう面があるから。党の手でキッチリ指導し前進するような経済闘争と、党が手つかずでおきる衝突がいっぱいある。その場合にそれを抜け目なく利用して前進するということが必要だということ。
大学闘争でもいえることだけれど、党の手によってある程度までキチッと指導されて高揚していく場合と、われわれの手がかならずしも入っていないけれど、新しい層がひきこまれてきて、衝突がバチンバチンとおきる場合とがある。
そういうことを統一してやれる、不可分の一体に結びつけるような党、そういう党をロシアにつくらなければならないということが、三章の実践的結論になっている。
くりかえしいうけれど、この三章というのはちゃんと読んでおくと本当に役立つ。もちろん全体が役にたつのだけれど。五章はわりと理解しやすいけれど、三章はちょっとむづかしいところがある。
そんなにむづかしいわけではないけれど、いろんなことをゴチャゴチャといっている、けれどそれを整理しながら読みなおすと、三章は階級闘争を理解するうえではかなり重要な手引になるようなものを沢山含んでいるといえる。
やはり自然発生性と目的意識性というのは、われわれにとってたえず問題となることだから。いろんな運動をすすめていくうえで。
くわしくやれば、いろいろとつっこんでやった方がいいことが沢山あるけれど、いまいったことを水路にしてよく読んでやってもらうということだと思う。
F、手工業性と組織性
つぎに、四章の手工業性と組織性ということについて、いくつか問題になる点を指摘しておきたいと思う。
最初のところが〔序〕革命家の組織。ここのところは僕の読み方だと最初のところに序文みたいなものがある。革命家の組織とはなんぞや、ということが論じられているところがある。
そのあと、わりと項目的に進展するような構造になっている。
(1)手工業性と経済主義
(2)労働者の組織と革命家の組織
(3)組織活動の規模
(4)「陰謀」組織と「民主主義」
(5)地方的活動と全国的活動
いまここにあげた項目でわかると思うが、比較的ここは読みやすく整理されている。三章の方が読みにくいところがある。
だから、序を(1)にして(1)を(2)としてもいいと思う。ただ、最初のところを序としてまとめて読んでみて、そのあと(1)82)(3)(4)と整理して読んでみると、かなり構成としてわかりやすいということですこし直してみた。
〔序〕革命家の組織
ここでは、革命家の組織とはなんぞやということについて二点あげている。
@政治的反対や抗議や憤激のありとあらゆるあらわれを結びつけて、一つの総反攻にする全国的で中央集権的な組織。
これがひとつ。それからもうひとつこういういい方をしている。
A職業革命家からなりたち、全人民の真の政治的指導者たちに率いられる組織。
つまり、この@とAの関係は、前者は政治的な任務との関係でいっているいい方で、後者はその中央集権的な組織の内部的な性格を論じているものだというふうにみたらいいと思う。
@というのは、いろんな政治的なあらわれを結びつけて、ひとつのブルジョアジーにたいする総反攻に仕上げていくような、そういう中央組織が必要なんだということを一方でいっているわけです。二番目では、ではそういう組織というのは、どういうふうにしたら与えられるのかということ、職革からなりたち、全人民の責の政治的指導者たちに率いられるような組織というのが必要になる。
(1) 手工業性と経済主義を克服するたたかい
つぎにそういううえにたって、手工業性と経済主義を克服するたたかいで、ここではこんなことをいっている。
@手工業性とは、運動全体につきまとっている成長の病気である。
Aところが、手工業性と経済主義の結びつきがおこっている。
これはなんとしても克服しなければならないということなんだ。ではどうしてこういう経済主義と手工業性の結びつきがおこってくるかということとして、五点ほど理由をあげている。
第一点としては、(@)訓練の不足、第二点としては、(A)革命的活動の範囲が狭いこと、第三に、(B)このような狭い活動ではすぐれた活動家の組織が生まれるはずがないことを理解しないこと、第四には、これだけならいいけれど、(C)この狭さを正当化して、特別の理論にまつりあげようと試みていること。
つまり(@)から(C)までを要約していうと第五に、(D)政治闘争に勢力と確固さと継承性とを保障できるような革命家の組織をつくる任務についての、無理解があるからだ。だからこういう手工業性が放置され、これと経済主義が結びついていく、ということがおきる。
@手工業性とは成長の病気であり、しかも、A手工業性と経済主義の結びつきがあらわれている、ということのうえにたって、もともと考えてみると、B政治警察との闘争には職革が必要なんだ、つまり(1)のBとしては、政治警察との闘争には職革が必要なんだということを入れる必要がある。
(1)というのは、こういったらいい。手工業性と経済主義の克服の必要、そういう表題にしておこう。(1)は手工業性と経済主義、とさっきいったでしょう。それを修正して、かき加えて、手工業性と経済主義を克服すること、ないしは、克服するたたかい、というふうにしよう。その方が意味が鮮明になるから。
(2) 労働者の組織と革命家の組織
それから、(2)つまり〔F〕の(2)。労働者の組織と革命家の組級について。
ここで、それぞれ労働者の組織とはどういう性格をもった組織で、革命家の組織とはどういう性格をもった組織か、について説明がおこなわれています。
@ 二つの組織の異質性
.つまり第一点としては、@党の組織は労働者の組織とは別種のものだ、労働者の組織そのものではないんだ、と。労働者階級の利益を代表するけれども、労働者の組織そのものではない、それ自体の独自性をもっている。それに関連した問題として、三つのことがらを問題にしている。
一つは、(@)政治闘争というもののもっている複雑さからして、党というものは必要なんだ。
二番目に、もともと(A)政治的自由の国においては、労働組合的組織と政治的組織のちがいということについても自明なんだ、明瞭なんだ、と。
第三点として、ところが、(B)ロシアの場合には、経済闘争そのものが政治問題につきあたってしまうために、経済闘争が経済闘争として終らずに、すぐ政治問題になってしまうために、あたかも、経済闘争をたたかう労働者の組織と、政治闘争をたたかう党の組織とが、いっしょくたになるような状況が生まれてくるんだ、ということを、事情として説明している。その事情のうえにたって、党の組織と労働者の組織とは、おのずから性格を異にする面をもっているんだ、と。
それで、このあと、それぞれ、A経済闘争のための労働者の組織とはなんぞや、B職業革命家の組織とはなんぞや、という説明がつづく。
A 経済闘争のための労働者組織
つまり、労働組合ということだ。で、この経済闘争のための労働者組織は、第一に、(@)労働組合的組織でなければならない。それから二番目に、(A)広範なメンバーから成り立っていなくてはならない。できるだけ広範囲なメンバーから成り立っていなくてはならない。第三番目に、(B)可能なかぎり合法化しなければならない、という性格をもつ。
これにたいして、職業革命家の組織、あるいは革命家の組織は、どういう特徴をもつようになるのか、という点で五点、それに関連した問題について、その特徴をあげている。
B 職業革命家の組織
労働者の組織と革命家の組織のなかで、@はそもそも党の組織は労働者の組織とは違うんだということ。Aは、経済闘争のための労働者の組織とは何かということ。あとは職業革命家の組織とは何か、というのがB。
そのBの特徴、つまり革命家の組織の特徴ということについて、五点あげていることを要約すると、 第一には、(@)確固たる継承性をもった組織がなければ、どんな革命的組織も、永続性をもった組織にはなりえない。つまり、確固たる継承性をもった指導者の組織、ということが要求されている。
それから二番目に、(A)その自然発生的な闘争にひきいれられて運動の土台となり、運動に参加してくる大衆が広範になればなるほど、革命家の組織の必要はいよいよ緊急なものとなり、また、革命家の組織はいよいよ永続的なものでなければならない。 それから第三に、(B)この組織は、職業的に革命的活動にしたがう人びとから主として成り立たなければならない。
それから四番目に、(C)専制国家では職革的活動にしたがい、政治警察と闘争する職業的訓練をうけた人びとだけが活動できるような組織にすること、いいかえれば、メンバーの範囲をできるだけ小さくすればするほど、一網打尽は困難になる、というようなことをここでいっている。
これはあくまで、専制国家では、という一応の限定がついている条件のなかでのべられていることだ。
このあと、有名な部分がでてくる。
第五点として、(D)党員である、というのは、労働者階級出身であろうと、その他の社会階級の出身であろうとを問わず、運動に参加し、そのなかで積極的に活動できる人びとの範囲が、こうすることによってますます広くなるんだ、と。
つまり、労働組合という組織をとった場合には、非常にメンバーが限られてくる。ところが、党という形態をとった場合には、労働者階級の出身であろうと、その他の社会階級の出身であろうと、そういうことを問わずに運動に参加し、そのなかで積極的に活動することのできる人、そういった人びとの範囲がますます広くなることができる。
党の組織というものを考えるときに、経済闘争をたたかう労働組合と、それにたいする党の関係ということとして、われわれはひとまずレーニンによって展開されていることを基礎にして(そのまま、機械的に日本に適用するということではない)、そのガイストをわれわれのなかに適用していくということになるわけだ。われわれは、いま、メンバーが狭ければ狭いほど安全だという立場にたっているわけではないから。その時の政治情勢によって決まることなのだから。
(3) 組織活動の規模
つぎに(3)、組織活動の規模の問題。
ここで、こういうことをいっている。
ともかく、@組織活動のポイントをなすものは、仕事を集中化し、専門化することだ、と。なんでもかんでも、みんなで一緒にやっているようではダメだ、と。
仕事を集中化し、専門化することが必要だ、こうした方が、かえって能力のある人物をますます多く発見することができる。
第二には、そのためには、A試練を経た革命象の強固な組織が必要である。
第三に、そのためには、B労働者の革命家を職業革命家に育てることについて頑張らなくてはダメだ、と。
かんたんにいうと、仕事を集中化し、専門化することによって、活動の規模がかえって広がっていくんだ、なんでもかんでもメダカみたいに一緒にやっていてはダメだということだ。
で、そうやるためには、革命家の強固な組織がなくてはできないし、労働者の革命家をドンドン職業革命家に育てるような配慮が必要なんだ。実際、労働者でも、かなり優秀な労働者がいた場合、職場で働いている人は大変だ。やっぱりもったいない気がする。
(4) 「陰謀」組織と「民主主義」
それから(4)、「陰謀」組織と、そこにおける「民主主義」の問題。
陰謀というのは、ちょっと直してほしい。陰謀というのは、さっき言い忘れたがカツコをしないとダメ。つまり、人から「お前は陰謀組織だ」と非難されているわけだから。だからカツコをつけなくてはダメ。でないと陰謀組織であることを認めたことになるから。つぎに民主主義というのもカッコをつける。
ここでも、順番にいうと、まず第一には、@レーニンのそういう主張は、人民の意志主義という傾向じゃないか(「人民の意志主義」というのは注についている。ナロードニキの一つの潮流のこと)。その潮流じゃないか、というふうに非難されている。
これにたいするレーニンの解答。
、(@)「七〇年代の革命組織は、われわれの模範である。われわれのことを、人民の意志主義などと非難している連中は、ロシア革命運動史についてまったく無理解な輩である」
つまり、レーニンが考えていることは、七〇年代のロシアの運動のもっている、ものすごい革命性と規律性を、プレハノブからはじまった労働運動のなかにもちこむということ、ないしは、労働運動の基礎のうえに革命主義を発展させることが、実際はレーニンのひそかにいっていることなんだ。だから、お前の方は文句をつけられたという気持ちかもしれないけれど、俺は尊敬しているんだから、なんといってもダメだっていうこと。実際、これは模範じゃないか。お前、何もわかってないという……。
もう一つは、(A)政治闘争を陰謀にせばめるということと、強固な革命家の組織をつくるということとは違うじゃないか、ということ、つまり強固な革命家の組織をつくるからといって、政治闘争を陰謀にせばめるということになりはしないではないか、ということをいっている。
裏返していえば、革命家の組織を強固なものにするからこそ、政治闘争を、陰謀ではなく非常に大きな大衆的なものとして発展させることができるのではないか。こういうことが問題の本質なのにちっともわかってないという、そういう反論をここでやっている。
それから二番目に、これからあとは自分のそういう主張にたいする、あるいは疑問にたいする反論としてずっとつづいていく。二番目が、そんなこというけど、強固な組織なんかつくったら軽卒な攻撃を開始する奴がでてくるから、まずいんじゃないかという説がでてくる。
一つは、だから強固な革命家の組織をつくると、政治闘争が陰謀的になりはしないか、というのにたいして、強固な革命組織をつくるから政治闘争は陰謀的ではなくなるんだというふうに答えている。
それで、こんど二番目に、A中央集権的な戦闘組織があると、軽卒な攻撃をはじめるのではないか、という疑問にたいして、中央集権的な戦闘組織だけが、軽卒な攻撃を未然に防止し、勝算のある攻撃を準備することができるんだ、というふうに、ここで答えていることだ。
これは、われわれにとっても、重要な教訓なんだ。指導部がしっかりしていた方が変なことはやらないんだ。しっかりしてないと、すぐあれこれ勝手にやってしまうから。
それから三番目に、どうもお前のいっていることは、B反民主主義的な傾向があるのではないか、という非難にたいして答えている。
この反論は、三つにわたっていっているのだが。
もともと、この民主主義とはなんぞや、ということについて開き直っている。
(@)広範な民主主義原則の二つの必要条件とは何かといえば、公開性と選挙制である。つまり、公開であることと、役員が選挙されること。ところで、こんにちのように、(A)専制主義が支配しているもとで、組織の公開性なんていったって、できるはずはない、と。
それから、役員を選挙で選ぶといつても、そんなことできるはずがない、と。だから公開性と選挙制の要求というかたちをくっつけて、それをやらないからといって、非民主的だといっても、そんなのは愚の骨頂だ、と。
では、どういうかたちで実際は、(B)その組織の民主主義的中央集権性は保証されているのか、というと、それはつまり、幹部が党員によって信頼されている、ということによって、それはちゃんと保証されるんだということを、ここでいっている。
これは、ちょっとおもしろい考え方だけど、重要なんだ。反対の人はやめてしまうでしょう。だから、ちゃんと民主主義はあるんだ。選択する自由はあるのだから。国家みたいに自分の意志にかかわりなしにいれられてしまって、でるにもでられないでいるのと、政治組織とは違う。国家というのは、日本人とか、何とか人とか決められて、自分に関係ないのに、「お前は、もう、そういうふうに決まっているんだ」とか、……。だけど政党は違う。皆、けっこう民主主義を発揮してやめてゆくでしょう。(笑)
このあと、ではC活動家にとって唯一の真剣な組織原則は何か、ということで、さっき、ちょっと触れた三つの原則、というのをあげている。
つまり、どういうことか、というと、
(@)もっとも厳格な秘密活動。
(A)成員のもっとも厳格な選択。
(B)職革の訓練。
これが活動家にとっての唯一の真剣な組織原則である、というふうにいっている。
これを翻訳すると、こういうことになると思う。
もっとも(@)厳格な秘密活動、ということは組織活動を守る、ということでしょう、つまり権力と反革命の手から。
それから、(A)成員のもっとも厳格な選択、ということは、厳格な基準のもとに党員をふやす、ということは、指導部を強化し、指導部の質を高める、ということだ、現代風、今風にいえば。だから、いつも僕がいうことだけれど、この背後でいっていることは、生命保存の原則について、いっているんだ。
僕はかねがね思っているんだが、レーニンのレジュメにはこういうふうには、最初書いていないのではないか、と思うんだ。ドイツ語かなんかで、こう、超概念的なことが書いてあるんじゃないか、と。
つまり、生命原則に関連していえば、この(@)にあたるものは個体の維持でしょう。(A)は、個体の繁殖だ。膨張、発展、というか。
つまり、(@)は動物体としての維持。(A)は、増えることなんだ。(B)は維持されることで、(A)は増えること、三番目は質が良くなることなんだ。そういうふうなことをドイツ語かなんかで書いていて、それをもう一度ナロードニキの言葉かなんかに翻訳したのではないか、と思うんだ。
かれの文章をよく読んでいると、そうではないかと思うことがある。いっぺん、マルクス主義の用語で、しかもかなり観念的なことをパッと書いておいて、それをもう一度当時のロシアの革命家の雰囲気によくあうような用語にピシーッと変えたのではないかと思うんだ。実際にはわからないけどね、こっちの思い入れだから、聞いたわけではないから……(笑)。
しかし、これは個体維持の三原則だ。別の言い方をすれば労働と生殖だ。欲望の増大ということだ、これ。書いてあることは労働、生殖、進歩といった感じのことだから。
それから(4)のD、「陰謀」組織云々の五番目に、民主主義ということについての原始的な見解の誤り、つまり、原始的民主主義についての批判がそこにのっている。これもまあよく読んでおいてもらうといい。
なんでも、みんなが共通に同じことをして、なんでもみんな共通に同じことをやらないと、なんかすっきりしない、というデモクラシー。これはわが党にもかなりまん延している。
そのうえわが党は、貧困と苦しみのコミュニズムが加わるから。これはまあ仕方がないけれど。貧困と苦しみのコミュニズム――、苦しいことは全部に押しつける。押しつけないと満足しない。貧困の押しつけはいいけれど。つまり、まだありそうな人から取り上げるということだから。
しかし、まあ、タダタダ平均化していくだけではダメだからね……。そこに指導としての中央集権的なものをつくりだしていかなければならない、ということの反省をこめて、ここを読めばいいと思う。
(5) 地方的活動と全国的活動の関係(以下略)