七〇年代・革命の時代
 
 「第二の十一月決戦」を目前にした一九七一年十月二五日、破防法研究会主催の「ドル・円問題“日本はどうなる」講演集会において本多書記長がおこなった講演をもとに、『破防法研究』第一四号(一九七二・一・一)の巻頭論文としてまとめられたものである。七一年八月のニクソン新経済政策発表を歴史的転機とする世界経済の激変、アメリカ帝国主義――帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機局面への突入に焦点をあて、七〇年代における革命者の立場から、二〇世紀現代という時代がまさしく戦争と革命の時代であることをきわめて平明に説きあかしている。本巻Wの「安保体制にかんする覚え書」とともに、わが同盟の時代認識、世界情勢把握の基本点をつかみとるうえで絶好の論文といえよう。
 
 はじめに
 
 革命の時代が始まった――これが、わたしの卒直な実感であります。
 もとより革命の時代という問題を検討する場合、支配階級、被支配・被抑圧階級、革命的前衛党という三つの契機が具体的かつ総合的に考察されなくてはなりませんが、本日は時間も限定されていますので、支配階級にとって現代世界がどのような行きどまり状態にあるのか、という側面について主要に検討していくことにいたします。しかし、それはけっして客観主義の立場でおこなわれるものではなく、あくまでもつぎのような実践的立場にふまえておこなわれなくてはならないことはいうまでもないところであります。
 
 一
 
 現在のドル・円問題を考えていく場合に第一に、体制の病いを治療する医者の立場からではなく、体制の危機を体制そのものの死に導く墓掘人の立場から接近していくことが大切であります。商業新聞の最近の表現を借りますと、いわば「過激な殺人集団」の視点で帝国主義、資本主義の危機の分析をすすめなくてはならないのであります。体制内平和、組合主義左翼の座に恋々としている反革命主義者の諸君は、戦後世界体制の根底的動揺と、そのもとでの日本帝国主義の体制的危機の深まり、この両者を条件とした内乱的死闘期の到来、という数年来のわれわれの主張にたいし、「革命パラノイア」などと口汚くののしり、日本帝国主義には危機はないと強弁してきましたが、このような見当ちがいの時代認識は、じつのところ、かれらが革命の時代の到来を恐怖しているところに主体的根拠があります。反革命に偏執した輩のしからしむるものというべきでありましょう。
 第二には、帝国主義の危機の認識にとどまらず、その認識にふまえて革命的に実践していくこと、また、その実践をとおして認識を深めていくこと、つまり、実践者と認識者の統一というマルクス主義の基本的立場に決定的に立ちつくすことが大切であります。
 十数年前、共産主義運動のスターリン主義的歪曲に愛想をつかして、本当に革命的な共産主義運動をつくろうと決意したときは、正直いって、わたしには革命の課題はかなり抽象的なものでした。経済問題という側面によせて考えてみても、当時は、ブルジョア経済学、マルクス経済学を問わず、ほとんどすべての既成の経済学者たちは、戦後資本主義の経済的発展をほぼ与件のように考えていました。黄金の六〇年代という幻想の標語が、あの六〇年安保闘争の新年のマスコミに氾濫していたのは興味ぶかい事実です。マルクス経済学者の側の独自性といえば、せいぜいのところ資本主義の経済成長率にたいしソ連、中国のそれの高さを対比し、後者の優位性を強調するくらいのものでした。この点では、フルシチョフも毛沢東もトリアッチ(当時は団結を謳歌していましたが)もまったく同一の世界認識に立っていたわけです。そのためにかれらは、戦後資本主義がいぜんとして一定の成長をつづけ、他方、皮肉にもソ連や中国の生産力主義が破綻し、経済的停滞を顕著にしはじめると、帝国主義批判の面でも社会主義社会論・過度期経済政策論の面でも、完全に展望を失い、混乱と分裂の時代を迎えざるをえなかったのであります。
 しかし、われわれは、スターリン主義者たちのこのような帝国主義批判の方法、社会主義社会論、過渡期労働者国家の政治・経済政策の方法の歪曲について根底的な疑問をもつところから出発しました。マルクスが『ドイツ・イデオロギー』でいっているように、もともと革命とは、資本の世界市場(そこにおける資本の生産力の膨大な発展と、プロレタリアートの大量的な再生産)を基礎とし、その総体的な転覆として実現するものであり、いわば、現実を止揚する現実的運動として世界史的な普遍性をもつものです。したがって、帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期の時代にあっては、勝利したプロレタリアートの「過渡期国家」は、可能なかぎりにおいて社会主義社会にむかっての社会建設を追求しつつも、その根底的な解放の条件を世界革命の完遂に求めなくてはならないのであり、世界市場の支配的部分においていぜんとして存続する帝国主義にたいし経済成長力を一国社会主義的に競うことは、まったく本末転倒したものです。問題は、帝国主義の支配のもとにある本国プロレタリアート人民のたたかい、半植民地・後進国人民のたたかいを出発点として帝国主義の世界支配を永続的に打倒し、このあらたに獲得された政治的、経済的条件をもって、部分的過渡期社会の独自の困難を突破し、そのゆがみを解決していくことにあります。こう考えてみますと、ソ連や中国の指導者のいっていることや、やっていることは、かなり重要な問題をもっていることが明瞭になってまいります。
 いうならば、われわれは運動の出発点において、現代世界をトータルに変革するというマルクス的世界革命論に立ったのでありますが、しかし、帝国主義戦後世界体制の世界史的特質、その崩壊の道筋という問題については、十分な科学的分析をもっていたとはいえないことを率直に認めなくてはなりません。ただここではっきり申しておかなくてはならないのは、善意のものであれ悪意のものであれ、われわれの革命論とマルクーゼ理論を同一視するのは誤りだ、という点です。マルクーゼから学ぶ点が多々あるとしても、そもそもかれの理論は、現代資本主義では帝国主義ブロック間の矛盾や恐慌の条件が消滅していること、それどころか、労働者と資本家の階級対立を基軸的な矛盾とすることに反対しているのですから、その相違はおのずから明白です。マルクス主義の「疎外された労働」論は、プロレタリアートの状態のなかに人間の被抑圧、被支配のもっとも普遍的な姿をみいだし、それゆえにこそ、労働者階級の自己解放は人間の普遍的解放の条件であり、また、人間の普遍的解放の条件において労働者階級は自己解放を達成できる、という原理があきらかにされるのであり、マルクーゼ流の情況疎外論とは混同の余地はいささかもないのであります。
 ところで、戦後世界体制、とりわけ、その基軸をなす帝国主義戦後世界体制の歴史的特質や、その崩壊の展望をはっきり確信をもって把握できるようになったのは、六五年の春ころであったと思います。われわれは、約一年数ヵ月の準備的討論をとおして、この見通しを革共同第三回大会報告としてまとめあげたのは周知のとおりです。この大会報告は、宇野経済学の位置づけや、社会主義社会論、過渡期政策論の領域においても運動の重要な前進を約束する理論的成果をもたらしましたが、とりわけ現代帝国主義論、日本階級闘争論の領域において決定的な理論的、実践的な飛躍を保証するものとなりました。いささか性急に要項化しますと、それは(1)帝国主義戦後世界体制が経済的にも政治=軍事的にも破綻し、戦後世界体制総体の根底的動揺が始まっていること、(2)沖縄、朝鮮、台湾、ベトナムなど反共軍事基地=分割国家の密集するアジアは世界体制の矛盾のもっとも先鋭な爆発点であること、(3)日本帝国主義の戦後的成長の条件がしだいに狭いものになりつつあるなかで、帝国主義戦後世界体制の経済的、政治=軍事的ゆきづまりの負担が大きくのしかかってくるであろうこと、(4)にもかかわらず日本帝国主義としては新しい困難な条件のもとで日米同盟を再編強化し、アジア再侵略の道をすすまなくてはならないであろうこと、(5)日米安保同盟の再編・強化と、それをテコとしたアジア侵略をめぐる日本帝国主義と労働者階級=人民大衆の激突は不可避であること、というかなり大胆な予見を含むものでした。
 このような第三回大会の方向にたいし、もとより反革命主義者の諸君が、報告者にかんするまったく見当はずれの推測をおこなうだけで、問題の所在を検討する理論的、実践的能力が皆無であったのはいたし方ないとしても、他の戦闘的諸潮流の諸君(中核派をのぞくすべて)が七〇年安保をめぐる階級的激突の不可避性について無意味な抵抗をくりかえしていたのは、まことに教訓的であったといわざるをえません。すでに数年の歴史的な激動の経験をもった日本プロレタリアート人民にとって、いったいだれが正しかったのか、いまさら問うまでもないところです。むしろわれわれにとって、より重要で、より決定的な問題は、このような時代認識に本当に応えうる階級的実践を党として保障しうるかどうか、の一点にあったといえましよう。
 第三には、認識を実践にうつし、実践をとおして認識を深めるだけでなく、労働者階級=人民大衆の革命的実践が情勢そのものをつくりだしていく、という観点が大切であります。いいかえるならば、客観情勢、主体的実践の相互作用を動的に洞察していかなくては現在の情勢を正しく把握することはできない、ということです。
 もともと現代世界が過渡期の時代にあるとするならば、それは革命と反革命の具体的な攻防をとおして情勢が決定されていくことを意味しております。帝国主義と社会主義とが血で血を洗う闘争をくりかえして世界史的転形の主導権を競いあっているのが、過渡期の政治的特徴です。もとより日本の革命的左翼が主体的力量においていちじるしく未成熟であることは、まったく無念な事実です。しかしわれわれは、羽田以来の激闘のなかで、日本帝国主義のアジア侵略が内乱に転化していく現実の情勢を革命的左翼が死力をつくしてつくりだしていること、しかも数百名、数千名の同志を牢獄に送りながら、壊滅するどころか逆に力をのばし、文字どおり一握りのグループから政局の主導権に決定的な影響力を与えうる勢力にじわじわと成長しつつあることも、同時に確認してよいことです。
 恥しらずにも「革マル」を自称する反革命主義者の諸君は、従来の「危機否定論」や「沖縄解決論」を最近になって突如として撤回し、中核派の口真似をして「日帝の未曽有の危機」「沖縄闘争の決定的重要性」とかを論じはじめています。もっとも、その内容たるや、日帝の危機についていうならば、日中問題で自民党内の意見が割れている、といったような社共以下のシロモノで話にもなりませんが、にもかかわらず、かれらの無節操な変節が、七一年五月以来の沖縄闘争の大爆発について「完全に情勢の見通しを誤っていた」(カクマル「全学連大会」議案書)ことにたいする動転の結果である点は無視できないものがあります。いうならば革命党のつくりだした情勢のなかで言訳をいいながら右往「左」往しているのですから、反革命党たるカクマルもお粗末なものです。
 結論的にいうと、ドル・円問題として焦点化している帝国主義の国際通貨体制の危機は、われわれの側からいえば、待ち伏せしているところに敵がはまりこんできたようなものです。あとはただ、内乱の時代の到来という見通しの正しさ、体制内左翼や反革命主義者にとってはまったく予測不可能な悪夢のような情勢が不可避であることを確認するだけのことですが、もうしばらくのあいだ、時間をもらって、われわれの時代認識の前提をなす若干の規定について簡単にのべさせてもらいます。
 
 二
 
 現代という時代、二〇世紀と呼ばれる時代の基本的性格は、戦争と革命の時代である、と規定することができます。この基本的な時代認識に立ちえないものは、遅かれ早かれ帝国主義的反動に屈服していかざるをえないでありましよう。もちろん、戦後四半世紀のあいだ、革命と反革命の死闘、帝国主義と社会主義の国際的内乱が、いわゆるヤルタ=ジュネーブ協定にそって不断に平和共存的対立関係、体制内的階級闘争の方向に封じこめられてきた結果として、この時代的基調があたかも過去のものであるかのような仮構が多くの人びとの心をとらえていたことは、否定しえない現実であります。いわば革命の側からの反革命の側への有形無形の屈服と協力、世界革命にたいする帝国主義とスターリン主義の神聖同盟の形成という事態によって、革命は鎮圧されるか、中途で押しとどめられてきたのであります。
 他方、戦後帝国主義は、ソ連を中心とする広大なスターリン主義圏の形成、伝統的な植民地支配体制の崩壊、民族解放闘争の高まりと、本国における労働者階級の組織力の増大という内外する困難のなかで、スターリン主義者と社会民主主義者の屈服と協力をとりつけながら、対ソ・対中軍事包囲=多角的集団安全保障体制とドル・ポンド国際通貨体制を両軸として帝国主義戦後世界体制を構築し、四半世紀にわたって帝国主義体制をいちおう維持してきました。その最大の保障がアメリカ帝国主義の圧倒的な経済的、政治=軍事的な力量にあることは、いうまでもないところです。しかし、アメリカ帝国主義を主軸とする帝国主義戦後世界体制の基底にあるところのものが何であるのか、を世界史的に照らしだしたものこそ、ベトナム危機とドル危機だったのであります。帝国主義世界軍事体制と国際通貨体制という戦後帝国主義を支える二つの柱の破綻は、戦争と革命の時代という基底的本質がけっして過去のものではなく、むしろこんにちの情勢のなかで、いっそう壮大な規模で問われようとしていることについてあらためて確認しておく必要があります。
 現代を根底的に規定している第一の契機は、いうまでもなく、帝国主義がいぜんとして世界の主要な地域を支配し、労働者階級と人民大衆を抑圧し、搾取しつづけていることであります。
 周知のように、資本主義は、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化を基本矛盾として展開している特殊歴史的な社会形態であります。産業資本的蓄積様式を基軸とした自由主義段階でも、金融資本的蓄積様式を基軸とした帝国主義段階でも、資本主義的矛盾がその主要な社会的内容をなしている点は、いうまでもないところですが、しかし、前者の段階から後者の段階への資本主義の世界史的推転が、資本主義の労働者人民の支配の方法に大きな変化を与えたことも、無視することはできません。すなわち、資本家社会の基軸的産業を掌握した特定の独占的資本家グループは、労働力の商品化をとおしてみずから膨大な剰余価値を蓄積しながらも、同時に、国内市場の独占的支配権、世界市場の帝国主義的再分割、それから生ずる膨大な超過利潤を自己の存続の不可欠の要件としはじめるのであります。いいかえれば、帝国主義段階の資本主義は、資本の自己運動のうちに非資本主義的諸関係を解体摂取していくばかりでなく、むしろ植民地の支配、非資本主義的諸関係の残存、資本内部の大独占グループと中小資本の分裂などを利用して積極的に犠牲を労働者人民に転嫁していく機構をつくりだします。しかし、このようなやり方は、世界の再分割をめぐって帝国主義列強間の争闘を激化させるとともに、植民地人民との矛盾、本国プロレタリアート人民との矛盾の爆発を不可避とするのであります。
 資本主義の不均等発展の結果として政治と経済の矛盾が全面的に露呈してくる時代、いいかえるならば、帝国主義戦争の内乱=革命戦争への転化、植民地解放闘争の永続的な高まり、帝国主義本国プロレタリアートの革命闘争の発展、これら三つの闘争が文字どおり一つの時代の闘争として結合し展開していく時代――これが帝国主義段階の歴史的意義であります。だからこそ、レーニンは、帝国主義はプロレタリア革命の前夜である、と指摘することができたのです。
 現代を根底的に規定している第二の契機は、一九一七年のロシア革命を突破口とする帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期の時代、帝国主義と社会主義の死活をかけた激闘の時代である、ということであります。
 こんにちの世界情勢を平板に観察しますと、あたかも帝国主義と「社会主義」とが東西に対立しながら、米ソ中の三極のあいだで大国主義的な駆け引きをくりかえしているようにみえます。事実、ソ連や中国の指導者たちがプロレタリア国際主義を忘れさり、一国社会主義と平和共存政策に立脚した権力政治の論理に埋没してしまっているところに、現代革命の痛苦にみちた現実があります。しかし、このようなスターリン主義的な歪曲にもかかわらず、現代世界がその根底において過渡期の時代という規定性を有していることについては、けっしで見落すべきではありません。われわれは、客観主義的に世界を把握するのではなく、現代世界を世界史的過渡期の平和共存形態的に変容したものとして主体的に把握し、世界革命の完遂にむかってそれを突破していく立場にたたなくてはならないのであります。
 ところで、最近の情勢のなかで三〇年代的選択へのラセン的回帰ということについて数多くの人びとが問題としておりますので、若干付言しておきますが、わたしは、世界史的過渡期としての歴史的意味が、大衆にとって文字どおり選択可能なものとして壮大な規模で問われたのが、二九年の大恐慌=世界経済のブロック的解体と、それにもとづく両階級間の革命的激突を特徴とする三〇年代の意義であったと考えております。
 もとより三〇年代の激突は、ヨーロッパにおけるナチズムの勝利、アメリカにおけるニュー・ディールの勝利、ソ連におけるスターリン主義の勝利という三つの回路をとって反革命の勝利のうちに終ったことは、無念ではありますが、否定のしようもない歴史的事実です。しかし、われわれがこの事実から三〇年代を反革命と帝国主義戦争の序曲として敗北主義的に評価するとしたら、これは大きな誤りです。まさに、ドイツでもフランスでもスペインでも、帝国主義の史上未曽有の危機を革命をもって解決するのか、それともプロレタリアート人民を血の海にたたきこんで帝国主義の延命をはかるのか、という歴史的選択が力と力の対決として問われたのであります。いいかえるならば、国際共産主義運動におけるスターリン主義の勝利、コミンテルンにおける社会ファシズム論と人民戦線戦術のジグザクを主体的契機として革命が敗北していくなかではじめて、三〇年代は戦争と反動の序曲となったわけであります。革命の敗北は、より悲惨で、より無意味な目的にむかって膨大な血を流す結果になったのです。マンハイムをはじめとする大衆社会論者たちは、三〇年代の経験を敗北主義的に同定化し、大衆の時代のあとにファシズムの時代がつづくかのような結論におちいりがちですが、われわれは、現代デモクラシーとファシズムとの関連について、あくまでも連続性と非連続性を統一する観点でとらえていかなくてはならないのであります。
 現代を根底的に規定している第三の契機は、第二次世界大戦とその戦後処理過程をとおして形成された帝国主義の戦後世界体制の問題、世界史的過渡期の特殊戦後的な再編の問題であります。
 スターリン主義者たちは、第二次世界大戦を「民主主義とファシズムの戦争」として基本的に評価しますが、これはあきらかな誤りです。いわゆる解放軍規定の問題もここに原因があります。まえにものべたように、三〇年代の革命が敗北した結果としてナチズムやニュー・ディールが欧米の支配権を掌握しますが、大切なのは、ナチス経済やニュー・ディール政策によっては大恐慌=世界経済のブロック化の矛盾を解決することができず、アメリカを中心とする反枢軸グループと、ドイツを中心とする枢軸グループとの世界支配をかけた軍事的激突としてその矛盾が爆発的に噴出した、という点です。本質的には第二次世界大戦は、ドイツ帝国主義とアメリカ帝国主義の世界支配の野望の激突を基本軸として展開されたところの、どちらの側からも侵略的な帝国主義戦争であります。
 第一次世界大戦との決定的な相違は、第一には、ソ連が存在し、それが平和共存政策(そのもっとも恥ずべき象徴が独ソ不可侵条約であり、日ソ中立条約です)の追求にもかかわらず、現実には帝国主義的矛盾の不可避的爆発としての第二次世界大戦の過程に暴力的に包摂されていったこと、第二には、世界戦争の内部にはやくから帝国主義戦争の内乱=革命戦争への転化の要素(中国、ユーゴなどのパルチザン戦、ヨーロッパのレジスタンス運動など)が内包されていたこと、第三には、ソ連の祖国戦争や各国の解放戦争が主要に枢軸グループとの対決にむかわざるをえないことを察知した米英の両帝国主義が、民主主義のための戦争というデマゴギッシュなスローガンをかかげて総力戦体制構築の重要な手段にした点にあります。しかし、第二次大戦の帝国主義戦争としての本質と、それが革命戦争への転化の要素をはやくから内包していたという過渡期的な現実とは、明確に区別される必要があります。また、そうすることによってはじめて、帝国主義戦争(国家間の戦争)から革命戦争(国際的内乱)への転化も目的意識的に追求しうることになります。
 しかし、第二次大戦ならびに、その戦後処理過程が、このような革命的内容をもつものとしては展開されず、いわゆるヤルタ体制の形成(東欧のソ連圏への官僚制的包摂と、それを代償とした西欧革命の制圧へのソ連の支持の獲得、アメリカ帝国主義の特殊戦後的な世界支配の機構としての国連の創設)をもって終了したことは、周知のところであります。もちろん、このような過程は、帝国主義と社会主義の世界史的激闘を特徴とする過渡期の時代のなかで、アメリカ帝国主義の圧倒的な経済的、政治=軍事的力量を背景にして、きわめて強制的におこなわれたものですので、けっして整合的なものではなかったわけです。中国とユーゴの革命は、そうした意味では戦後のヤルタ体制の構造的な矛盾をつきだす重要な事態でしたが、その指導部の一国社会主義的な性格に規定されて国際主義的普遍性を獲得しえず、いわゆるヤルタ=ジュネーブ的な再調整のうちに収拾されてしまったのです。
 かくして、戦後革命の危機をソ連の協力=各国共産党の屈服をとりつけることによってひとまず乗りきった帝国主義諸国は、反共主義的絶叫をテコとした対ソ対中軍事包囲網=多角的集団安全保障体制と、ブレトン・ウッズ協定を基礎としたドル・ポンド国際通貨体制の形成を両軸として、アメリカ中心の帝国主義戦後世界体制をつくりあげたのであります。軍事援助と経済援助の二つの通路をとってヨーロッパに供給されたドルが、西欧の帝国主義的再建、崩壊した古典的植民地体制にたいする帝国主義的巻き返しの決定的な武器になったことは、いうまでもないところです。それゆえ、帝国主義の戦後世界体制は、以上の経過からもあきらかのように、けっして二九年恐慌=世界経済のブロック的解体という三〇年代的な刻印を解決したものではなく、むしろその歴史的刻印のうえに擬制的に成立した統一でしかなかったのであります。
 いいかえるならば、戦後成立したドル・ポンド国際通貨体制は、一種の経済制度とはいうものの、ドル経済による世界市場の制圧という異常な条件を前提としたものであり、経済的、政治=軍事的な諸関係の複合的な相互規定を受けたものであり、きわめて国家主義的な人為性の側面の濃厚なものであることに注目すべきであります。マルクーゼなどは、この人為性という側面を誤解して、帝国主義列強間の矛盾や恐慌=経済的破局の危機があたかも過去のものになったかのように考えていますが、わたしは、国家主義的な政策的人為性に支えられなくては国際的信用関係も国内的な経済成長も維持しえないところに、戦後帝国主義の歴史的脆弱性が先鋭に照らし出されているように思います。いわゆる国家独占資本主義の問題も同じ脈絡のなかで整理する必要があります。国家独占資本主義政策の基軸をなす財政金融政策の制度的保障が、二九年恐慌=世界経済のブロック的解体の歴史的刻印をもつ管理通貨制度であることは、まことに示唆的であります。
 現代を根底的に規定している第四の契機は、戦後世界体制の基軸をなす帝国主義戦後世界体制が破局の始まりに立っている、という重大な事実であります。多くの人びとにとって万能の巨人であるようにみえていたものが、じつは粘土の足をもった巨人にすぎなかったことがひとつひとつ暴露されていく過程が、この一〇年間の経済史、政治=軍事史の中心問題であったわけです。
 
 三
 
 帝国主義戦後世界体制の第一の矛盾は、それがヤルタ=ジュネーブ体制を前提としていること、すなわち、帝国主義とスターリン主義の世界分割協定を基調として世界体制の破綻を収拾し、革命を体制内的に制圧していくという方法をとっていることであります。
 もとより世界の一部分(国家分割も含む)をスターリン主義者の支配にゆだね、その代償としてスターリン主義者の屈服と協力をとりつける、という方法が世界史的過渡期の乗りきり策として一定の有効性を有していることは、疑いようもない現実であります。しかし、同時に確認しておかなくてはならないのは、帝国主義の世界支配が、一方では革命の危機を暴力的に鎮圧するために凶暴きわまる強権政治を展開しながら、他方では勝利しつつある革命にたいしてはこれを一国社会主義的=半国社会主義的な枠内に封じこめ、これに各種の軍事的な脅迫を加えるやりかたをとっていることであります。沖縄をはじめ世界各地に構築されている軍事基地網、南ベトナム、台湾、南朝鮮、イスラエルなどの反共分割基地国家群は、帝国主義のこのような軍事脅迫の最前線や出撃基地をなしていますが、それらがまた、帝国主義の軍事的世界支配の矛盾の爆発点としての役割をますます強くしていることについて注目すべきであります。
 第二の矛盾は、戦後帝国主義が後進国経済を排除する方法で再建、発展していったために、後進国経済の慢性的な恐慌状態が発生し、政情不安=革命的危機が永続的にくりかえされていることであります。
 すなわち帝国主義の戦後の再建は、革命の危機を回避するという体制維持を至上命令としておこなわれることによって、農民を体制側に獲得しつつ生かさず殺さずの状態におく農民保護政策を採用しましたので、その結果として後進国経済が世界的流通からほぼ完全に締め出されたわけです。
 そのうえ、いわゆる科学技術革命によって重化学工業における原料資源の大変化が生じたために、後進国経済は石油産出国など一部の国々をのぞいて一般に慢性的停滞におちいりました。アメリカ帝国主義を中心とする国際帝国主義は、このような経済的破局の慢性化が革命の永続化に転化していくのに恐怖して、一九五五年ころを転機にいわゆる後進国援助に積極的に取り組みはじめますが、軍事援助にしても経済援助にしても、せいぜいのところ反動的軍部勢力を強め、政財界の腐敗を促進するだけの役割しか果たしていません。後進国援助なるものは、あらたな帝国主義的勢力圏を形成するための呼び水か、後進国支配維持のための帝国主義的共同保険料のようなものです。三大陸の後進国人民が、帝国主義のこのような新植民地主義攻撃にたいし、数世紀にわたる被抑圧と屈辱の歴史を根底から転覆する偉大な闘争につぎつぎと立ちあがっていることは、諸君がすでによく知るところであります。
 第三の矛盾は、戦後帝国主義のドル・ポンド通貨体制が二九年恐慌にもとづく世界経済のブロック的解体を解決したものではなく、アメリカの圧倒的なドル支配力をもって擬制的な統一性を回復したものにすぎなかったことについては先に指摘しましたが、資本主義の不均等発展、すなわち、EECをテコとした西欧経済の再建と強化、日本経済の一定の成長、アメリカ経済の地位低下という事態のなかで、ドル・ポンド通貨体制の基底に横たわるものが赤裸々になりはじめたことであります。
 いわば戦後帝国主義は、アメリカという巨人の力によって支えられてきたわけですが、西欧や日本が復活してくるとそのアメリカそのものの危機を招来する、という皮肉な構造になっているのであります。しかも重要なことは、西欧、日本の興隆、アメリカの地位低下という現実にもかかわらず、アメリカにとってかわって政治=軍事的、経済的負担に責任をもつ帝国主義がどこにも存在しない、という点であります。政治と経済の不均等という帝国主義段階での国際政治的特質が、ここに鋭く照らしだされているのです。したがって、現実的な解決としては、アメリカ帝国主義の負担を可能なかぎり軽減するために、一方では西欧、日本にたいし負担責任の一部分をゆだねつつ、あわせてドル危機の犠牲の共有を要求すること、他方ではベトナム敗勢によって帝国主義アジア支配体制が全面的に崩壊するのを阻止するために「息つぎ」の政策を展開すること、つまり、世界政策の一定の軌道修正をおこないながら、労働者人民の犠牲のもとに国内経済の建て直しをはかる余裕を得る、というくらいのものです。
 しかし、このような姑息な方法は、世界政策においても国内経済政策においても問題を解決する力をなにひとつもってはいません。ニクソンの訪中と新経済を両軸とする新政策なるものが、どうやらその具体策のようですが、このくらいの手しか残っていないところに、帝国主義戦後世界体制の専制君主であったアメリカの苦しさを読みとることができます。
 第四の矛盾は、ニクソン訪中という独ソ不可侵条約以来の裏切りがおこなわれようとしているにもかかわらず、ベトナム、パレスチナを先頭として解放戦争の火はますます燃え広がっており、帝国主義本国にあってもプロレタリア階級闘争は密集した反革命に抗して政治と軍事を高度に統一したあらたな段階をきりひらこうとしていることであります。
 もともと第二次世界大戦以後の四半世紀にわたる時代は、一般に平和の時代と呼ばれていますが、実際に内容を検討してみると、大変な国際的戦乱の時代であることがわかります。「戦争を知らない子供たち」なんて粋がっているのは、戦後日本の帝国主義的城内平和に安住するモヤシッ子の錯覚以外のなにものでもありません。事実はまったく逆で、第二次大戦後の四半世紀は、まさに戦争が終っていないこと、また終りえないことを示しております。第二次大戦の終了にもかかわらず、帝国主義本国内の擬制的城内平和の夢にもかかわらず、帝国主義の世界支配の周辺部では帝国主義を呪う業火のように解放戦争が火を吹いており、あたかもカイコが桑の葉を食うように帝国主義体制をゆるがしてきたのであります。このことは、根底的には、第二次大戦とその戦後処理が現代世界の矛盾をなにひとつ解決していない、という優れて世界的な普遍性をもったものなのであります。
 いいかえるならば、半植民地・後進国の支配の再分割権をめぐる帝国主義列強間の矛盾、帝国主義とスターリン主義のヤルタ=ジュネーブ的分割支配をめぐる矛盾、帝国主義と三大陸人民との矛盾、帝国主義と本国プロレタリアート人民との矛盾が、世界のいたるところで各種の戦争として爆発しており、それらが全体として帝国主義戦争から革命戦争(国際的内乱)に転化しながら、まだ現代世界の全体を焼きつくす総反乱にまではいたっていない状態――これが戦後の四半世紀の現実であります。三大陸の人民と固く連帯して本国プロレタリアート人民の革命的反乱を達成すること、革命戦争の全人類的な爆発の決定的な任務がこの一点に大きくかかっていること――これが戦後の四半世紀の教訓であります。
 第五の矛盾は、万能の理論を謳歌していたケインズ経済学、その経済政策が、まったく見る影もなく破産してしまったことであります。
 周知のように、マルクス経済学は、資本主義は倒れるときがあるし、また倒さなくてはならない、というプロレタリアートの世界観に立っております。これにたいして、スミス、リカードなどの国民経済学は、新興の意気にもえた当時のブルジョアジーの状態を反映して、資本主義は人類の最適の健全な経済制度であり、自由放任していれば予定調和的に矛盾を解決していくだろう、と確信していました。それではケインズ経済学の特質はどこにあるかというと、それが二〇世紀の没落期のイギリス資本主義を前提として成立したため、資本主義は病んだ経済制度であり、放置しておくと崩壊するので絶えず財政的、金融的、社会政策的な方策を講じなくてはならない、と考えているところにあります。国民経済学もケインズ経済学もともにブルジョア経済学という点では共通性を有していますが、両者の相違を比喩的に申しますと、前者は生命力にみちた青年期のブルジョアジーの経済学であり、.後者は自分の寿命を自覚している老人期のブルジョアジーの経済学であります。六〇年安保闘争の敗北を契機にしてマルクス経済学からケインズ経済学に転向した人がいくらかありましたが、むしろ最近では近代経済学者の陣営の方から、ケインズ経済学は万能の理論ではなく大きな問題性を内包しているのではないか、という疑問が出はじめているのは興味あるところです。
 ついでに付言しますと、恐慌現象が撹乱的に回避されるような傾向について、これをもって資本主義の矛盾が消滅したかのような俗説が存在しますが、それは資本主義の特質についての無理解を示すものです。もともと資本主義は、労働力の商品化という基本矛盾にもとづく「資本の過剰」を恐慌という形態をとおして解決していくところに、その歴史的特殊性があるのであります。いいかえるならば、資本主義にとって恐慌とは死の病いであるばかりでなく、自分の矛盾を解決していく自分なりの方法でもあるわけです。ところがケインズ経済学のやり方では、巨大な固定資本をかかえる独占資本の延命をはかること、ロシア革命以後の階級関係の予断を許さぬ緊迫した情勢のなかで資本主義の体制維持を至上命令とするため、資本の過剰をドラスティックに解決する方策をとることができず、そのために未整理の膨大な過剰資本をかかえながら成長するという不自然な様態をとらざるをえなくなるのであります。
 結局のところ、ケインズ経済学と、それを政策的テコとする国家独占資本主義なるものは、労働者階級からの搾取、植民地人民からの収奪をとおして膨大な利潤を独占資本に保障しながらも、同時に、独占資本の矛盾を国民経済的にしわよせし、犠牲の全国民的な共同負担化を機構化したものにすぎないのであります。現代資本主義においてインフレと通貨危機という形態をとって矛盾が顕在化してくるのは、国家主義的な金融・財政政策をテコとして、資本主義の矛盾を「国民経済」的レベルの問題にすりかえる方法に原因があるとみるべきです。ケインズ経済学者でさえもサジを投げざるをえないところまで現代帝国主義の死の病いが重いとするならば、われわれはこれにたいして、矛盾のすりかえや体制の救済に努力すべきではなく、革命をもって資本主義の危機の根底的な解決をはかる、というプロレタリア的回答を用意しなくてはならないのであります。
 
 四
 
 最後に日本はどうなるか″をのべるときがきましたが、もう時間がありません。それで詳しい点は別の機会にゆずって、きょうは結論的なことだけ強調させてもらいます。
 第一には、帝国主義戦後世界体制の矛盾がとてつもない過大な重荷となって日本帝国主義のうえにのしかかってくる、ということです。
 ハーマン・カーンなどというベトナム戦略で破産した山師に「日本は二〇〇〇年には国民総生産世界第一位になる」といわれて喜んでいるようでは、日本の大独占もあまりに知恵がなさすぎます。帝国主義のあらたな破局的危機をまえにして、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランスなどの欧米帝国主義諸列強は、当分のあいだは牙を外交的修辞句でかくしながらでしょうが、国家主義的利益をしだいにはっきりさせてきております。国際通貨危機の多角的な調整作業なるものも、一皮むけばアメリカ、ヨーロッパ、日本の三者のあいだで犠牲を押しつけあっているだけのことです。トランプのゲームにババ抜きというのがありますが、ババを引くのがいやなのでヨーロッパも日本もパスばかりしています。しかし、早晩だれかの手に不運が残るとすれば、貧乏クジを引くのは日本に決まっています。不況の長期的深刻化も疑いないところです。資本主義が不況をむかえたとき、その犠牲を労働者人民に転嫁してくるのは明白です。
 第二には、日本帝国主義にはアメリカとの安保同盟を再編・強化し、それを背景としてアジア侵略の道をすすむ以外に、いかなる政策的選択の余地も残されていない、ということです。
 もちろん、過渡的には日本帝国主義の政治委員会の構成や階級関係の変化に応じて調整的な動揺が起こるであろうことについて、いささかでも否定する必要はないのであります。しかし、帝国主義にとっての究極の目標は明白です。反革命主義者の諸君のように、先日までの日帝堂々発展論を裏返して「日帝は進路を失っている」などブル新的な評価をおこなうのは、帝国主義の本質とその政策的修正を同一平面で論ずる政策恣意論であり、カウツキー以下の日和見主義であります。
 今年(七一年)八月にドル危機が再燃した際、ドルが紙きれになる危険をおして佐藤政府は買い支えをおこないましたが、これを佐藤個人の無策として非難するのは妥当ではありません。むしろ日本帝国主義にとって佐藤に示されるような悲喜劇的な方法をとる以外に生き延びる道がないのであり、日本帝国主義がその危機から脱出するために恥も外聞もない凶暴な姿をとらなければならないとすると、その姿を予知的に象徴しているのが佐藤の頑迷さである、とみるべきでありましょう。もちろん、われわれがこういったからといって、日米同盟は不動であり、アジア侵略の道は容易だと主張しているわけではないことは、けっして誤解がないものと確信しております。むしろ問題は、七〇年代をとおして日本帝国主義のこのような基本的進路がつぎつぎと挫折し破綻し崩壊していくであろうことにあるからであります。この点は、アジアの情勢をみても、日本の情勢をみても、まったく明白です。
 第三には、革命的内乱の時代の到来は不可避である、ということです。
 なぜならば、アジア侵略の道を歩む日本帝国主義と、これを内乱に転化していこうとする日本労働者階級=人民大衆とのあいだには、妥協の余地がひとかけらも存在しないからであります。<三里塚、沖縄・入管>を基軸に七二年秋のたたかいとして現在進行しているところのものは、疑いもなく日本階級闘争の質を決定的に高めるものとなるでありましょう。三里塚農民を中核とする北総暴動の爆発は人民的総決起の未来のあり方を照らしだしています。マル生運動粉砕のための国鉄労働者のたたかいの経験、職制と労働者が職場で日常的に敵対し、憎しみあい、死活の対決をつづけている状態は、七〇年代日本労働運動の暴動的爆発のあり方を経験的に示唆しております。十一月東京大暴動は、さらに新しい勝利の展望を日本階級闘争にもたらすでありましょう。
 第四には、革命党創成のたたかいにとって決定的な飛躍の時代になるであろう、ということです。
 政府の手の上で踊る公明、民社は論外としても、体制内平和に骨の髄まで冒された社共既成左翼の破産は、かれらの沖縄協定批准反対闘争なるものによって、またしても明白です。しかし、三〇年代的階級闘争の時代のラセン的到来という現実は、新左翼・革命的左翼を自称する諸党派を徹底的にふるいにかけ、反革命主義と日和見主義の没落を苛酷なまでに刻印づけるものとなるでありましょう。口先では左翼的ポーズをとりながら、権力との真正面からの対決を回避してアリバイ闘争でお茶を濁しているような諸君には、悪夢のような没落の時代がやってくるわけです。左にむかって決定的な転換を開始するのか、それとも、権力に屈服しその庇護のもとに革命的左翼襲撃の反革命的私兵になりさがるのか、かれらにとって延命の道は二つしか残っていません。
 われわれは、かれらが前者の道を選ぶことを期待しよう。なぜならばこの道だけが革命家の本当に生き残る道だからであります。しかし、不幸にして後者の道を選ぶとしたら、それも許してやるとしよう。なぜならば、この道の前途には無残な没落が待っているからであります。真にたたかうもの、内乱と武装の精神でたたかいぬくもののみが成長し、生き残り、勝利する時代――それが三〇年代的時代における党派闘争的真理であります。
     (一九七一年十月二五日「日本はどうなる」講演集会より)