三 革命的日大生諸君に、獄中より連帯のあいさつを送る
本稿は、破防法被告として獄中にあった著者が、一九六八――六九年の歴史的な日大闘争にたちあがった一〇万の日大生への連帯のあいさつとしてマル学同中核派日大支部の機関誌『拠点』五号のために書き下ろした寄稿文である。たんなる「あいさつ」にとどまるものではなく、米帝のベトナム敗勢、ジョンソンからニクソンへの移行、ポスト・ベトナム論の横行といった国際的・国内的状況の推移に焦点をあてつつ、戦後世界体制の解体的危機の深まりのもとで生ずる現代帝国主義の固有の矛盾の爆発的あらわれの一つとして日大――大学闘争を位置づけ、現代革命の核心問題にまで筆をすすめた好論文である。
一九六八年三月三一日、当時のアメリカ大統領ジョンソンが、いわゆるジョンソン声明を発表し、ベトナム侵略戦争のペテン的な収拾策をうちだしたとき、元駐日米大使ライシャワーは、「たしかに、これは戦争の終りを意味するものではないが、しかし、戦争の終りの始まりであることは明らかだ」と語った。『朝日』、『毎日』をはじめ日本のブルジョア的報道機関は、いっせいにポスト・ベトナムにかんする希望的な観測をならべたて、アジアにおける日本の責任を論じはじめた。
こうしたなかで、ベトナム侵略戦争に反対する立場を公式的に表明しながらも、ベトナム人民にたいするたんなる同情によりかかってきた社共など既成左翼は、このようなブルジョア的宣伝の洪水に埋没し、日帝への屈服をいっそう深めていった。他方、六七年十月八目の羽田闘争以来、中核派を中軸とする激動の七ヵ月にたいし、中途半端な共闘と反発をくりかえしてきた戦闘的左翼諸派の多くは、ポスト・ベトナム論の虚妄に抗しきれず、アメリカ帝国主義のグアム島以西への撤退と、日本帝国主義の全一的なアジア支配にかんする没実践的な議論を開始し、中核派の反戦闘争の破綻をわめきたてたのであった。
われわれは、ブルジョア・ジャーナリズムから戦闘的左翼にいたるポスト・ベトナム論の虚妄な論議に確固として反対し、つぎのように主張した。すなわち、第一には、ジョンソン声明の本質は、米帝のベトナム敗勢と国際的な反戦闘争の高揚を沈静しようとするものであり、米帝の一方的な撤退はありえないこと、それゆえ、一定の調整的策動の失敗のあとでいっそう絶望的な攻撃をくりかえすであろうこと、第二には、このような米帝のアジア支配政策の動揺と絶望的な侵略行動の拡大は、ライシャワー流にいうならば、帝国主義の終りでないとしても帝国主義の終りの始まりを意味していること、第三には、スターリン主義陣営の内部で再度のジュネーブ会談の動向が生ずるであろうが、こんにちのアジア階級闘争は、そのような動揺をのりこえて進むであろうこと、第四には、沖縄の軍事的分離支配の破綻と、その解決をめぐる帝国主義のペテン的政策と労働者人民の沖縄奪還闘争との対決が、アジア危機と日帝の安保同盟政策を粉砕するたたかいとを具体的に結びつける決定的な水路となるであろうことである。
歴史は、誰が正しかったのか、はっきり示している。まさに、帝国主義の戦後世界体制は、二九年の大恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック的解体、そして、その矛盾のけいれん的爆発としての第二次世界大戦という史上類例のない大危機をヤルタ協定に代表されるスターリン主義陣営の屈服の政策に助けられて延命した帝国主義諸国が、アメリカ帝国主義の圧倒的な軍事的、経済的力量を基礎にして、ドル・ポンド国際通貨制度といわゆる集団安保体制=帝国主義軍事体制の世界的構築を両軸に成立したものであり、米帝の緩慢な景気上昇と、世界的な軍事配置に支えられて発展してきたのであった。しかし、第一には米国経済の国際的、国内的危機の深刻化、第二には帝国主義軍事体制の解体的状況と軍事戦略の動揺、第三には、スターリン主義陣営の政治的影響力の後退、第四には後進国武装反乱の永続的な発展と、それに呼応した帝国主義本国における革命闘争の高揚という新しい条件に規定されて、帝国主義の戦後世界体制は、いまや、根底的な崩壊的危機を深めはじめているのである。軍事戦略的な観点でみるならば、帝国主義の戦後世界体制は、対ソ軍事包囲網構築と対西欧同盟政策=反革命的軍事制圧体制を主軸としつつ、第二次世界大戦の民族解放戦争への転化と、旧植民地・後進国人民の永続的武装反乱の発展にたいし、後進国経済の破局的状況を帝国主義的な軍事=経済援助(それ自体が危機の累乗効果しかないのだが)で弥縫的に対処しつつも、主としてこれを米帝を基軸とする超軍事的制圧体制=米軍基地と反共軍事要塞国家の複合体制の構築と、ヤルタ=ジュネーブ的協商を基軸としたスターリン主義陣営の裏切り的援助とによって局地的に処理してきたのであったが、米帝のベトナム侵略戦争の敗勢の深まりと、インドシナ解放戦争の発展は、後進国人民の武装反乱をこのような特殊な形態のもとで包摂してきた戦後帝国主義の後進国支配体制の無理性を破綻せしめ、帝国主義戦後世界体制の崩壊と、それの世界革命への転化の重大な水路としての役割をはたしているのである。
全世界の革命的プロレタリアートは、ベトナム=インドシナ戦争と、それにもとづく米帝の軍事体制の解体的危機の進行と、米世界戦略の動揺のもつ意義について決定的に重視しなくてはならない。しかし、それはインドシナ三国人民を先頭とする後進国人民の武装反乱の永続的発展を支持し、連帯を表明することにとどまらず、帝国主義の軍事侵略政策の破綻を帝国主義本国の革命的内乱に転化する戦略的課題を明確にしていくものでなくてはならないのである。帝国主義戦後世界体制の専制君主であったアメリカ帝国主義は、ベトナム敗勢を導火線として特殊部分的な構成のもとに戦後革命の条件を成熟させているのみならず、株式市況の暴落という形態をとって二九年の大恐慌の不安を悪夢のようによみがえらせているのである。もちろん、ニューディール以後の国家独占資本主義体系のもとで、今回の景気後退が直接に経済的破局に発展するかどうか安易に判断することはできないであろう。しかし、われわれは、ニューエコノミックスと戦争経済というケインズ的経済政策にもかかわらず、いなそれが生みだした矛盾の重層的な累積のなかで構造的危機を深めたアメリカ経済が、こんにちニクソンの試行錯誤的なインフレ対策のもとで「インフレ下の景気後退」という異常な経済危機の形態を示しはじめていることに深く注目しなければならないのである。ニューディール以来のアメリカ帝国主義の基本的政策は、世界政策ならびに政治的統合政策において重大な危機に直面しているばかりか、経済政策という決定的局面において破局的不安に襲われはじめているのである。いわば、三〇年代的選択の基底が、より深刻な世界配置のもとでアメリカ帝国主義のうえに加重されようとしているのである。
日本帝国主義もまたその例外ではないのである。いや、それどころか帝国主義戦後世界体制の矛盾のもっとも先鋭な結節環の一つをなしているのである。たしかにこんにち、日本経済は、持続的な高度成長と国際収支の黒字を維持している。しかし、この事実から日本帝国主義の繁栄と安定をしかみることができないとしたら、それはあまりにも皮相な観察としかいいようがないのである。事実、日帝の現在の経済的繁栄は、独占本位の財政金融政策と、それをテコとした対米、対アジア貿易の膨張を基軸としているのであり、このような構造は、ドル危機、アジア危機として進行する帝国主義戦後世界体制の根底的動揺にたいし、日本を強固に連係させる装置をなしているばかりか、国内的破局においてもインフレなど経済的・社会的不均衡を深めさせており、日帝の政治支配体制の矛盾を累積し、その爆発を準備する条件となっているのである。
まさに、こうした国際的国内的与件のもとで、日本帝国主義は、米帝を基軸とした帝国主義アジア支配体制の崩壊的危機と、米帝の軍事戦略体制の動揺を補完するために、いわゆる自主防衛力強化とアジア経済援助増強と本格的にとりくむとともに、日米共同声明を基調としたアジア侵略と、そのための城内平和体制の構築を強権的に遂行していかなくてはならないのである。しかし、ここの道は平坦なものではないのである。すなわち、それは、国内的条件に限定しても、第一には、インフレなど経済的社会的不均衡の拡大と、そのもとでの恒常的な社会的不安の増大として、第二には、国家の軍事的、行政的執行権力の強権的肥大化のための攻撃の激化とそれにたいする労働者人民の「実力」的抵抗闘争の永続的な展開として、第三には、自民党の院内安定多数の形成と野党の無力化、既成左翼の屈服と労働組合の右翼的再編の進行にもかかわらず、その基底においては、民衆にたいして議会的、同業組合的通路をとおして社会的均衡をつくりだし、総体として帝国主義体制のもとに包摂していくことがしだいに困難になりつつある事実として、第四には、日米共同声明を基調とするアジア侵略体制の構築と、そのもとでの沖縄のペテン的返還準備過程そのものが、日帝の政治的矛盾を累積し、爆発を準備する過程に転化していく危険として、日帝の命運を規定しようとしているのである。
もともと現代の帝国主義の特質は、資本主義の金融資本的蓄積様式にもとづく矛盾の激化と、それを基底的要因とする戦争と革命という体制的危機に反動的に対処するために、一方では、膨大化した国家財政規模を基礎に恐慌を財政金融的に緩和、回避し、社会不安の条件を社会政策的に補完することによって階級闘争の激化を沈静化しつつ、他方では、国家の軍事的、警察的暴力装置の強権的強化をもって革命的反乱を制圧し、階級闘争を帝国主義体制のもとに包摂していくところにあり、極度に危機対応的な資本主義の延命形態なのである。したがって戦後的条件のもとにあっては、それは、社民の協力を不可避の支柱とするばかりでなく、一国社会主義理論と平和共存政策にもとづく国際共産主義運動のスターリン主義的変質=帝国主義への屈服をも決定的な条件とするものであった。いわば、国際政治上のヤルタ=ジュネーブ体制を国内政治においても構造化することが必要であったのである。
しかし、こんにちの国際的、国内的情勢の諸特徴は、帝国主義の矛盾と階級闘争の激化を、国家独占資本主義的な政策体系のもとに包摂しえなくなっているばかりか、むしろ国家独占資本主義の政策体系の生みだす重層的な矛盾が現代革命の独自の条件を形成しはじめているのである。ドル危機に集中的に表現される帝国主義世界市場編成の矛盾の深まり、アジア危機を導火線とする帝国主義軍事体制の解体的危機の進行という帝国主義戦後世界体制の根底的動揺とならんで、インフレと、そのもとでの景気後退という異常な経済的不均衡、帝国主義的管理体系への社会的不満と反逆の契機の増大という帝国主義政治支配体系の危機が成熟しようとしているのである。
あたかも、帝国主義軍事体系の矛盾がアジアという伝統的植民地支配体制の空白的解体地帯において爆発したように、帝国主義本国の政治支配体制の矛盾は、教育問題、黒人問題、沖縄問題、少数民族問題、物価問題、都市問題、農村問題、基地問題など、帝国主義の国家独占資本主義政策体系の脆弱な構造部分において爆発し、永続的な反乱の条件を形成しているのであるが、革命的プロレタリアートの思想的、政治的、経済的、組織的闘争を媒介として、労働者階級本隊の革命的爆発の条件は、加速的に成熟しているのである。
一九六七年十月八日の羽田闘争以来の二年有余におよぶ日本階級闘争の永続的高揚は、まさに、帝国主義本国における革命の現実性と緊迫化という時代史的動向をもっとも主体的に表現したものなのである。
日大における古田体制が近代化の立ち遅れの結果なのではなくして、帝国主義のもっとも現代的な要請を実現したものであることは、多くの諸君のすでに指摘しているところであるが、同時にわれわれが確認しなくてはならないことは、日大における闘争の爆発の経験が、近代的労務管理の網の目におおわれた民間巨大工場における大衆的反乱にとって重大な教訓を示していることである。日米共同声明を基調とするアジア侵略と、そのための城内平和体制の構築をめざす日本帝国主義の攻撃、そして、それにたいするアジア人民と日本労働者人民の血みどろの反撃という、日本階級闘争の内乱を内包した持続的な高揚の前提にあるところのものは、まさに、このような世界史的事実である。
それでは、帝国主義の戦後世界体制の根底的動揺の深まりと、そのもとでの現代革命の緊迫化を世界革命の勝利に転化していく決定的条件はなんであろうか。それは、いうまでもなく反帝国主義・反スターリン主義を世界革命戦略とする革命的労働者党の創成の問題である。プロレタリアートの目的意識を現実の歴史に転化していくためには、その主体的根拠として党の問題が決定的に検討されなくてはならないのである。もちろんノンセクトといわれる人びとが次つぎに闘争に参加し、その重要な部署を担いぬいていくことは、きわめて重要なことである。しかし、もしもそれらの諸君が自己の立場を一般的に固定化し、いわゆるノンセクト主義者として自己を大衆に同一視し、その背後で無自覚的な「ブルジョア政治」を密輸入しようというならば、それは明らかに誤りであるといわねばならないであろう。われわれは、帝国主義の政治的、暴力的な支配体制のもとで直接に政治を止揚しようとする宗教的観念に立つことはできないのである。なぜならば、そのような観念は、その担い手の主観的善意にもかかわらず、資本家的商品経済=市民社会の無政府的な均衡を階級闘争に反映しようとするものであり、一九世紀のブルジョア自由主義と、その労働運動への反映形態としてのアナルコ・サンジカリズムを今日的に再現せんとすることを意味しているにすぎないからである。
政治の要請は、好むと好まざるとにかかわらず指導者と被指導者の存在を卒直に認めることにある。プロレタリア政治とブルジョア政治との分岐は、もとより両者を規定する階級的利害の対立にあるのであるが、しかし、政治的要素に限定してみるならば、後者が被指導者を無限に拡大しようとするのにたいし、前者が大衆を無限に指導者に転化していくことにあるといえるであろう。平常的に使われる用語でいえば、組織されるものから組織するものへ!
この不断の成長、転化を組織的に体系化し、プロレタリア的階級意識をもった一個の政治的・軍事的活動体として対自化していてものこそ、プロレタリアートの革命党なのである。
もちろん、反帝国主義・反スターリン主義をめざす革命党の創成の課題は、一〇年を超える苦闘をとおして労働者階級と学生の内部に強固な革命的中核を組織化することに一定程度、成功したとはいえ、その巨大な世界的任務に対比するならば、いまだその端初の試練の段階にあるといわねばならないであろう。しかし、われわれはいかに困難であろうと、社民主義者の左翼的動向や、スターリン主義者の「左翼的」分派に追従し、その庇護のもとに自己の存在理由をみいだそうとする安易な道を選ぶべきではないのである。
およそ歴史を根底的に転形するような行為は、現実世界のより深刻な批判を前提としなくてはならないであろう。革命もまた、その例外ではないのである。
(マル学同中核派日大支部機関誌『拠点』五号一九七〇年九月に掲載)