一 早大闘争の意義はなにか
――「真理の大学」を回復するために
一九六六年二月、前年の慶応大学学費闘争につづいて爆発した早稲田大学学費・学館闘争の高揚にさいして、早大出身者でもある著者が、たたかう後輩たちへのかぎりない連帯の気持をこめて早大闘争の歴史的意義と勝利の展望を簡潔に描ききった珠玉の論文である。帝国主義的腐朽の深化のなかで荒廃する大学の現状を打破する力こそ、「真理の大学」の回復をめざす大学闘争の革命的大衆的爆発にあることを解き明かす。
二月四日、早大記念会堂でおこなわれた大浜総長の説明会は、会堂に結集した一万五千名の学生の怒りの声のまえに、学費値上げ白紙撤回、学生会館自主管理、理事会専制反対を要求する大衆的団交の場に転化した。「授業料値上げや学館管理は大学行政の問題であって、諸君たち学生の関与する問題ではない」という大浜総長の傲慢な回答と話し合い拒否の態度は、無期限スト=同盟登校という不退転のたたかいに決起したワセダの学生たちにとって新しい憤激と決意を呼びさますとともに、こんにちの大学教育=文教政策がかかえている深刻な問題性を赤裸々に暴露した。
早大学園闘争の大衆的爆発をもたらした直接の契機が、年間一六万円(文科系)、二一万円(理工系)という慶応以上の多額な学費値上げにたいする学生たちの当然の怒りにあったことはいうまでもない。国鉄運賃値上げなど一連の物価上昇は、学生生活を日に日に圧迫している。そのうえ、今度は学費の値上げだ。在学生にとって直接の影響はないとはいえ、学生生活防衛の見地から学生たちが学費値上げ反対のたたかいに決起したのはまったく当然である。だが、事態はもっと深刻な問題と結びついて発展している。すなわち、学費値上げが大学教育のよりいっそうの粗放な膨張のための資金準備として計画されていること、ここに今回の早大学園闘争の第一の問題点があるということである。
民青系学生(自称、全学連連絡会議)たちの国庫補助要求、国会請願の路線が、共産党議員に請願書を手渡すという政党的セクト主義まるだしの漫画的方針であることはここでは問題にしないとしても、それが、資金拡大=校舎増築=学生増加という大学教育の粗放的膨張という本質をあいまいにし、資金不足という大学当局の口実を当然の前提としているところに、そのもっとも犯罪的な役割があらわれていることは黙って見過すわけにはいかない。しかも、そのような民青系学生の路線は、再度の大衆団交を要求してたたかう全学共闘会議にたいする公然たる分裂策動としてあらわれている。二月五日の民青系学生の国会請願は、圧倒的な学生の軽蔑的拒否にあって破産し、わずか十数名の動員に終わったが、ワセダのいっさいの戦闘的翼は、民青=日共の裏切り的な分裂策動をけっして過小評価することなく、その大衆的な粉砕のためにさらに徹底した批判と団結をもって答えるべきであると思う。
早大学園闘争の第二の問題点は、大学当局が一方的に強行している産学協同路線にたいする学生の不満と不信が抗しがたい力をもって拡大していることであろう。「大学当局は学生を就職のための商品ぐらいに考えているのではないか」という学生たちの卒直な声は、設備拡張を基礎とする大学教育の粗放的膨張=早稲田大学の非学問的肥大化が産学協同路線のめざすものと一体の内容であることを端的に批判しているといえよう。
産学協同の路線は、周知のとおり産業社会(独占資本)の経済的要求に直接的にそって大学を思想的、制度的に改編しようとするものであり、私学にたいしては資本の要請に従順な中堅労働力の大量的養成のための特殊的専門学校への道を強制している。中級技術者の大量的養成をめざす理工系学部の肥大化と、管理部門の膨大化にともなう中級サラリーマンの大量的養成をめざす文科系学部の画一化は、まさに産学協同の基本的方向を示している。早大生産研究所における軍事研究の発覚(六二年)に象徴される大学研究の独占資本への直接的奉仕は、このような大学教育の粗放な膨張と対応したものであり、帝国主義段階における大学の腐朽の深化、独占資本と大学とのゆ着の進行を意味している。
資本制社会の基本的矛盾は、本来的には資本の生産物でない人間労働力を商品として資本家的生産過程に包摂することにあるが、こんにちの大学教育、とりわけ私学における「大量生産」的状況は、資本主義の技術構成の発展にともなう労働力市場の変化に対応した大学の資本制社会的位置の低下に基礎がある。大浜行政に象徴される産学協同路線の示すものは、このような資本制社会的位置の低下に即応して大学を中堅労働力の養成所に堕落させようとするものである。しかも「一流大学」との美名にかくれて多額の費用を学生から収奪しながら……。したがって、今回の学園闘争の社会的基礎は、人間労働力の商品化という資本制社会的な矛盾を根底とする大学教育の堕落、独占資本の経済的要請に即応する大学教育の粗放化にたいする学生の人間回復の要求であるといえよう。
早大学園闘争の第三の問題点は、大学運営の官僚体制化と学生自治権の破壊を相互補完とする大学自治の腐朽化である。早稲田大学の校旨が「学の独立」にあることはあまりにも有名であるが、こんにちのワセダの事態は、まさに「学の独立」という校旨そのものの危機として現実化している。ここに、今回の学生ストの全学園的な性格が横たわっているのである。
本来、「学の独立」というワセダ建学の校旨は自由民権運動を背景としながら、明治絶対政府の権力介入を排して学校教育を発展させようとする創成期の産業資本的要求(自由主義)から出発しており、絶対主義的統制のもとに成立した官学に比較して自由な学園的気風を育てる精神的酵母をなしてきた。日本資本主義の確立(それは同時に日本帝国主義の登場としてのみ可能であった)と対応したところの日本国家権力の絶対主義形態からボナパルティズム形態への転化のなかでも、早稲田大学は多かれ少なかれ反政府的な傾向の一大陣地を形成してきた。だが、このことは、大学当局が看板どおり「学の独立」を守ってきたということを意味するものではない。問題はまったく逆であって、資本主義の段階的発展に即応した大学の腐敗にたいする学生たちの不断の抵抗闘争こそ、「学の独立」をたえず内容的に継承し発展させてきた内容的生命力であった。大正期におけるワセダの学園的高揚は、大正六年の早稲田騒動から大正一二年の軍研団事件にいたる学生運動の発展を学園内的保証としてはじめて可能であったといえよう。大山郁夫教授追放(昭和二年)から津田左右吉教授辞職(昭和一五年)にいたる学問弾圧と「学の独立」の自己放棄の歩みは、学生自治権の破壊と結合し、学生運動の弾圧を先行的条件として進行した。
戦後、かつての官学の多くが戦後革命の敗北の改良的副産物として「教授会民主主義」とでもいうべきものを確保したのに反して、早稲田大学が理事会専制と呼ぶより仕方のない官僚体制を発展させたということはあまりにも皮肉である。教授会――学部長会議、商議員会――評議員会――理事会、総長選挙人会――総長という独特の大学行政機構のヒェラルヒー構造は、学生の発言権の無視はもちろんのこと、教職員の意向すら傾向的に減殺するものとなっており、校友(実際には独占資本)の支配的意向と結託した一部の学内勢力がつねに大学の支配権を掌握できる仕組みとなってしまっている。そして、このような大学行政機構の官僚的仕組みにそって、産学協同路線は早稲田大学の骨髄を冒し、大学教育の量産的粗放化と非学問的肥大化を必然化しているのである。大浜総長を先頭とする大学理事会は、このような腐朽の人格的表現であり、そのもっとも破廉恥な推進者なのである。
学生自治会にたいする大学当局の一貫した敵視と弾圧は、大学と独占資本とのゆ着、大学の自治=「学の独立」の内部からの腐朽化のもっとも先鋭な表現である。学館問題として登場した大学当局の既得権はく奪の攻撃は、産学協同の実質化に対応した露骨な自治権破壊のあらわれである。戦後の早稲田大学の歴史は、学生自治権の破壊こそが「大学の自治」の腐朽化の根底的な基礎であることを明白に教えている。民青系の学生が安易に主張する「教職員との共闘」という問題も、学生自治権のための闘争の第一義的強化という明確な視点のうえに展開されないならば、学生自治権の独自的発展を内部から脆弱化する「トロイの馬」となるであろう。
学生の強力な団結の力を背景とする以外には良心的教授といえども動きようがないのが早稲田大学の現実である。だが、すでに学生たちが決意を固めて無期限ストに決起している以上、良心的教授のすすむべき道は、学生との形式的共闘ではなく、教職員としての独自的な「事態収拾」の努力ではなかろうか。理事辞職、学部長会議の総辞職など、まだまだ手は残っている。大学危機の打開の責をひとり学生の肩に課してなお平然としていられるとしたら、売職のそしりをまぬがれえないであろう。
以上三つの問題点からも明らかのように、今回の早稲田大学の学園ストは、学費値上げ反対・学館自主管理という当然の要求から出発しているが、その根底には、大学の腐朽化――産学協同――大学教育の粗放な膨張という「学の独立」そのものの危機にたいする学生たちの止むに止まれぬ気持が渦まいている。それはアメリカの大学におけるティーチ・イン運動やフリー・スピーチ運動と同様に、真理を放棄した大学にたいする「真理の大学」の回復のたたかいである。
早稲田大学の内部にどす黒くよどんでいる腐敗にたいする学生たちの怒りは根深く幅広い。事態のゆくえは局外者の予断するところではないが、今回の学生ストが、大正六年の早稲田騒動に優るとも劣らぬ重みをもって大学の将来に問題を投げかけることは明白である。学生ストのこの情熱と苦しみのなかに、生きた「我らのワセダ」が脈うっていると思う。学生たちが団結をより固め、徹底した大衆民主主義にふまえて「ワセダ閉塞の状」を打破するために奮闘してくれることを切に望みたい。
(二月六日)
『前進』二七〇号一九六六年二月七日に掲載)