九 資本攻勢に対決し、生活防衛闘争の先頭に
       ――職場から戦列をうち固めよ
 
 一九六六年の「前進』新年号の巻頭を飾った論文である。六五年十二月一八日、ついに日韓条約の批准を強行した日本帝国主義は、これを転機にいっきょに朝鮮植民地化攻撃、朝鮮・アジア侵略の攻撃を強めてゆく。しかもその過程は、アメリカ帝国主義によるベトナム侵略戦争の拡大激化と完全に歩調を合わせたものであり、日帝自身のベトナム参戦国化への決定的ふみこみの過程であった。戦後史を画するかかる重大な情勢にたいして、日本の革命的左翼が果たすべき任務を、とくに日帝の政治反動化、あらたな資本攻勢にたいする生活防衛闘争の強化、たたかう労働者党の建設を軸とする戦闘的労働運動の戦列の強化という観点から力説したのがこの論文である。
 
 
 世界危機の深化と矛盾の焦点・アジア/日韓強行批准と政治反動の激化/深まる不況と労働者階級の任務
 
 
 世界危機の深化と矛盾の焦点・アジア
 
 現代世界の構造的矛盾は、疑いもなく、アジア情勢のなかにその集中的表現をみいだすことができる。ベトナム戦争の深刻化、インドネシア反革命の勝利と北京――ジャカルタ枢軸の崩壊、日本帝国主義の朝鮮植民地化の開始と日韓問題のあらたな登場は、アジア情勢の動向を決定する重大な基軸であるのみならず、現代世界の危機的構造をもっとも先鋭に表現するところの世界的焦点である。それらは、個別的にも関連的にも、こんにちにおける革命の問題を鋭く反省的に照らしだしている。
 ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の侵略戦争は、クリスマス休戦という小休止ののちに、より全面的な戦火の拡大を迎えようとしている。ハイフォン地区への北爆の拡大は、北ベトナムの首都ハノイへの爆撃がすでに日程にのぼりはじめたことを意味している。ラオス爆撃の開始とカンボジア爆撃の警告など、ベトナム戦争はしだいにインドシナ全域の戦争へと発展しはじめている。南ベトナムにおけるアメリカ帝国主義による住民皆殺し作戦の展開は、この戦争のもつもっとも残忍な性格をあばきだすとともに、ベトナム戦争の現実的解決が世界人民の共同のたたかい、とりわけアメリカと日本における反戦闘争の発展にかかっていることを切実な重さで訴えているのである。
 周知のように、第二次世界大戦の戦後処理の過程をとおして、戦後世界は「二つの世界」に分割され、いわゆる「体制間矛盾」が戦後世界の基本関係を支配する統一原理であるかのように理解されてきた。そして、このような世界的擬制は、アメリカ帝国主義の圧倒的な物質力を基礎とした戦後資本主義の強大な世界的編成の形成を前提としてはじめて可能であったことはいうまでもない。だが、EECの台頭を契機とする戦後世界編成の動揺と分解、帝国主義的ブロック間の対立の激化、そして戦後植民地革命の処理をめぐる後進国編成の動揺と再編は、世界帝国主義の専制君主たるアメリカ帝国主義の国際的地位の相対的後退をもたらすとともに、スターリン主義圏の動揺と解体、中ソ対立を基軸とする大分裂を必然化したのであった。
 中国共産党のいわゆる中間地帯論は、戦後資本主義の世界的編成のこのような動揺と分解、植民地・後進国の動揺と再編を世界プロレタリア革命の客観的条件の変化として具体的に考察し、労働者世界革命論に立脚した統一的な革命観を提起するのではなくして、現代世界をアメリカ帝国主義と後進国革命の対立として現象的に解釈し、アメリカ帝国主義以外のいっさいの帝国主義を中間地帯として位置づけようとするものである。かくして中国共産党は、世界革命の原動力としての先進資本主義国の労働者階級を革命の基本部隊から追放し、右翼社民主義者と修正主義者の手に譲り渡してしまうとともに、後進国において苦闘する労働者と農民のたたかいを先進国革命から永遠的に切断し、民族資本への屈服の道か、絶望的な一揆の道へとかりたてることしかできないのである。
 九・三〇運動を転機とする軍部反革命の開始とインドネシア共産党(PKI)の無残な壊滅、そして北京――ジャカルタ枢軸の一挙的な崩壊は、中国路線の反労働者的、反人民的な本質をものの見事に暴露した。白色テロルにたおれたインドネシア人民十数万の血の犠牲にこたえるためにも、われわれは、インドネシア反革命のもつ決定的教訓を日本労働者階級の責任にかけて明らかにしていかなければならないだろう。こんにちにいたるも、戦闘的左翼の一部には、スターリン主義は先進国の運動には有害だが後進国では有効だ、などという驚くべき見解が存在しているが、世界をこのようにモザイク的に分離して、プロレタリア的統一原理を解体してしまうところに、そもそもスターリン主義の問題性があることをはっきりと直視すべきである。
 アジアにおける帝国主義的植民地支配の動揺と危機は、アメリカ帝国主義の巨大な軍事力によってかろうじて破局を回避している。インドネシア反革命が勝利したこんにちにおいても、いぜんとして真理は不動である。日本帝国主義は、このようなアジアにおける帝国主義的植民地支配の動揺と危機の深化のなかで、アメリカ帝国主義のアジア最大の同盟国として侵略戦争の兵站基地の役割を進んでおこなうとともに、南朝鮮の植民地支配のためにみずからのりだし、さらにインドネシアへの進出を着々と準備し、アジア植民地支配再編の一角に介入しだしたのである。
 日本帝国主義は、いまや不可避的な重みをかけて、激動のアジア情勢のなかに自己を結びつけた。日本労働者階級は、日本帝国主義の攻撃のこの質的転換の重みを、はっきりと自覚的にうけとめなければならない。日本資本主義の経済的危機の深化は、一方では犠牲の全面的な大衆転嫁と政治反動の強化を必然化するとともに、他方では海外膨張の衝動をますますはげしいものにするだろう。われわれは、帝国主義の企業防衛・国益尊重の思想攻撃にたいする反撃を強めながら、植民地支配をテコとする社会排外主義の成長にたいし、労働者国際主義の思想的武装をもってこたえるべき試練に直面している。
 日本帝国主義の南朝鮮・アジア侵略の開始は、同時に、朝鮮人民をはじめとするアジア人民と日本労働者階級の国際主義的団結のはじまりでなくてはならない。アジアの植民地支配をうち破る最大のカギは、反植民地主義のたたかいを帝国主義的軍事路線の背後に、抑圧の拠点たる帝国主義本国に拡大することである。われわれは、どんなに困難であろうと、ベトナム、朝鮮、インドネシア、そしてアメリカの兄弟たちとともに、帝国主義的植民地支配を縦断する反戦・反植民地主義の戦線の創成のために前進せねばならない。
 
 日韓強行批准と政治反動の激化
 
 一九六五年十二月一八日――日本帝国主義は、日韓条約・諸協定にかんする批准書を朴政権と交換し、南朝鮮への新しい植民地支配の第一歩を踏みだした。
 第二次大戦における軍事的敗北の結果としていっさいの植民地と海外権益を喪失した日本帝国主義は、戦後二〇年間に蓄積した巨大な資本を基礎に、いままた南朝鮮再侵略を開始し、東南アジアにたいする植民地支配の道を歩みはじめた。敗戦帝国主義から「植民地」帝国主義への歴史的転換はわれわれの両前で現実に進行しているのだ。
 もちろん、日本労働者階級の戦闘的部隊は、歴史のこの反動的転換を阻止し、日本と朝鮮の本当の労働者的連帯を創成するために全力をあげてたたかった。南朝鮮人民の決死的闘争は、日韓会談をいくどとなぐ挫折させ、日本労働者階級のたたかいにたいして力強い激励をあたえてきた。だが、われわれは必死の努力にもかかわらず、ついに日韓条約の批准を阻止することができなかった。われわれは、この階級的屈辱を全身をもってうけとめねばならない。
 社会党・共産党などの既成左翼は、条約の「無効」を宣言することによって、あたかも日韓条約を無効化したかのようにふるまっている。だが、事実は冷酷である。日韓条約は、朝鮮再侵略のための「生きた条約」として、戦争と侵略と反動の法制的規範として、日朝人民の上に重々しくのしかかっている。日韓条約は、南朝鮮人民にたいする植民地支配の根拠を形成しているのみならず、日本労働者階級にたいする抑圧と収奪の反動的基石を準備しているのである。われわれは、従来の議会制的慣例をふみにじって、日韓条約批准を強行した政府自民党の暴挙にたいし断固として「不承認」を宣言するとともに、日韓条約を起点として具体化する植民地主義政策にたいし、反植民地主義の旗を高くかかげてたたかいぬくべきである。
 南朝鮮にたいする植民地主義的進出は、日本帝国主義の政治的経済的上層部の反動的編成にとって決定的な意義をもっている。日韓国会における政府自民党の強権的な議事進行は、けっして一時的なものではない。政府自民党内部における右派の台頭と強化は、日本資本家階級の反動的編成を基礎としているのであり、まさに日韓条約と対応する政治編成のはじまり以外のなにものでもない。新聞・放送などマスコミ機関にたいする反動的編成も、従来の報道規制型からより積極的な報道操作型に移行しはじめている。敗戦帝国主義から「植民地」帝国主義への歴史的転換は、帝国主義の基本動向と政治形態(議会制民主主義)との矛盾をますます先鋭化させずにはおかない。
 社会党・共産党などの既成左翼や知識人は、日韓国会における自民党の暴挙を目撃して民主主義の危機をわめきたてている。だが、かれらは、ただ政府自民党の脱線を非難するだけで、なぜこのような<民主主義の危機>が必然化するのかについて根底的に暴露することができない。日本資本主義の構造的な経済危機と、その反動的ハケ口としての朝鮮再侵略のもつ深刻な性格を把えることなしには、こんにちの議会制民主主義の危機の本当の意味を理解することは困難である。日韓国会に露呈した議会制民主主義の危機は、南朝鮮再侵略――新植民地主義を基礎とし、それと内的に結合した国内政治反動のあらわれである。それは反動のはじまりであって、けっして終わりではない。
 しかしながら、一部の左翼の諸君のように、この事実から裏返し的に「戦後的政治過程の終焉」や「議会主義の全面的崩壊」などという結論をもてあそぶことは、理論的に幼稚な誤りをおかすことになるばかりか、実践的にはきわめて有害な役割を演ずることになるであろう。なぜならば、帝国主義段階にあっては帝国主義と民主主義的傾向との矛盾的共存は広範囲に存在しており、その矛盾はときとして先鋭な形態をとって爆発することがあるからである。帝国主義が自己の従来の統治形態である議会制民主主義を「足カセ」として感じはじめたということと、現実に「足カセ」が破壊されたこととは同一ではない。われわれにとって必要なことは、帝国主義と一緒になって「足カセ」の死を宣告したり、逆に「足カセ」(もともとわれわれにとっての足カセ)の擁護を絶対的に主張することではなしに、帝国主義と「足カセ」の矛盾を極点まで発展させること、政治反動との階級的対決を強めながら、議会制民主主義の危機の根底に横たわる帝国主義の危機を徹底的に暴露していくことである。
 日韓闘争は、敗北したとはいえ、闘争の主力としての労働者階級の戦闘的前進をはっきりと示した。都学連を先頭とする戦闘的学生運動は、各地において独自の戦闘的デモを展開するとともに、反戦青年委員会の旗のもとに結集した青年労働者の部隊との戦闘的共闘をきりひらいた。われわれは、日韓闘争の敗北、その後の政治反動と資本攻勢のもつ深刻な意味を徹底的に総括するとともに、日韓闘争のきりひらいた新しい戦闘的局面をうち固め、強め、発展させ、階級闘争の内部に定着させていくこと、反植民地主義の旗高く日朝人民の団結を強めていくことである。
 
 深まる不況と労働者階級の任務
 
 日本資本主義の経済的危機は、金利調整など一連の景気政策にもかかわらず、ますます深刻化の様相を呈している。
 鉄鋼、工作機械、造船、電機、化学、合繊など、日本帝国主義の基幹をなしてきた巨大独占体の支配する産業において不況は次つぎと深まっており、不況の影は全産業をおおいはじめている。こんにちの不況は、巨大独占体間の過当競争を基礎とする構造的不況であり、戦後資本主義をいくどか襲った一時的な景気後退と異なる本格的な経済的危機である。株価の低落など多くの経済指数は、恐慌現象に近い数値をとっており、これらの矛盾が信用恐慌の形態をとって爆発しないのは、山一証券への日銀融資にみられるような国家的財政処置によって摩擦が弱められているからにすぎない。だが、それは矛盾をより蓄積し、不況を長期化、慢性化させるだけである。
 したがって日本資本主義にとって、この経済的危機を突破することは、けっして容易な道ではない。それは日本労働者人民と植民地人民にたいする徹底した大衆収奪と犠牲転嫁の道である。すなわち、それは、第一には、独占体制の強化、企業の集中合併、組織的独占の確立の道であり、第二には、道路・港湾・工業用水など、独占資本の産業基盤への投資――関連産業への刺激を目的とした赤字国債の発行と、公共事業への合理化――関連産業への刺激の資金づくりを目的とした国鉄運賃・郵便料金・水道料金の値上げの道であり、第三には、帰休制――日本的レイオフなど首切り合理化と賃金ストップ――実質賃金の低下の道であり、第四には、朝鮮再侵略を突破口とする本格的な対外膨張の道である。
 だが、このような一連の政策は、一部巨大独占体の利益をはかるのみであって、労働者人民の犠牲と屈従のうえにのみ成立しうるものであり、労働者人民大衆の不満と抵抗を増大させずにはおかない。したがって、このような政策の実現のためには、一連の反動政策を強力に遂行しうる強権的政府の確立、政治反動の徹底的強化と、労務管理政策の全面的な改編強化、労働組合の骨抜きと反労働者的編成が不可欠の存立条件となるのである。国際金属労連日本委員今(IMF――JC)路線の浸透と金属共闘の事実上の解体、公務員にたいする政治活動の禁止命令、公共事業における料金値上げ――合理化と賃上げの抱き合せ、など最近強まりはじめた一連の資本攻撃は、前にのべた日本資本主義の基本動向を基礎としているのせある。
 日本帝国主義の攻撃の質的転換は、従来の労働「労務管理政策の妥協的性格を完全に一転させるとともに、労働組合への資本の直接的干渉、労組幹部への露骨な買収をいたるところで生みだしている。総評――民同的労働運動の従来の存立基盤であった日本資本主義の好況的拡大の終了と、経済的危機の深刻化は、日本労働運動の前途に厳しい試練を準備している。四・一七ストの中止処置をめぐって露呈した民間指導部の亀裂と対立は、二年たったこんにち、ますます深まっており、民同的統一指導体制の崩壊は公然の秘密となっている。だが、この事実から直接的に日本的労働運動の壊滅を結論づけることはまったく軽卒である。
 たしかに、こんにちの資本攻撃は強烈であり、民間部門では不況を背景にして合理化=首切り攻撃の嵐が吹きすさび、公共事業部門へとしだいに波及しはじめている。だが、資本攻撃の実体が労働者階級の生活基盤の破壊を本質とするものであり、企業防衛・国益尊重というイデオロギー的買収と、組合弾圧・組合分裂という職制的・強権的抑圧をのぞくならば、なにひとつ反対給付を準備しないむきだしの攻撃であることは明白である。昨六五年度年末闘争のみじめな妥結条件は、労働者階級が一歩後退すれば、資本家階級が何をもってこたえるかをはっきりと示した。このような方法は、労働者階級を一時的に屈服させることはできても、長期にわたって継続しうるものではないのである。
 IMF――JC路線を突破口とする日本労働運動の右翼的編成は、六六年度を通じて金属関係部門での支配を強めながら、さらに化学産業部門へと拡大されていくであろう。巨大独占体の企業組合系列を基礎に、総評――同盟という従来の上部団体を棚上げして、第三の御用組合系列を形成しようとするIMF――JC路線にたいして、われわれは、断固として階級的警戒心を強めるとともに、いたずらに悲観的評価や革命的空語をふりまわすのではなく、労働者大衆の意識の流れと幹部の分解・再編の弁証法を具体的に把握し、戦闘的潮流の結集と強化のために弾力ある戦線配置を追求すべきであろう。
 情勢は困難だが、いぜんとして起伏にみちたたたかいの戦列は続いている。激しい資本攻撃のもとでたたかう金属共闘、化学共闘はもちろんのこと、交運共闘、公労協、公務員共闘における「戦闘的労働運動の防衛」の任務は、ますます重大なものとなっている。民同指導部の分解と解体の進行のもとで必然化する組合幹部=職場指導者=青年活動家の左右への分化を新しい戦闘的左翼の潮流に結集し強化する方向に導きうるかどうかは、ひとえに革命的左翼による統一戦線戦術の具体的適用いかんにかかっている。
 ところが、日本共産党は、このような日本労働運動の全体的な危機について、なんの関心をはらうでもなく、党員の拡大に熱中し、労働組合の「階級的民主的強化」のスローガンをふりまわしているだけである。共産党の主張する労働組合の「階級的民主的強化」とは、組合の指導権をセクト主義的に掌握し、組合を日共的政治動員の下請機関とすること以外のなにものでもない。日韓闘争における共産党の的はずれな平和デモとスポーツ祭典の強行は、共産党の量的拡大が労働者階級にいかに有害な影響をもたらしたか、の生きた証拠である。六五年秋に経験したインドネシアと日本の二つの共産党の思想と行動は、共産党(スターリン主義者党)とは何か、という問題を日本労働者階級のまえにふたたび提起したのである。
 ソ連共産党二〇回大会、ハンガリア革命(五六年)から国鉄新潟闘争(五七年)、勤評・警職法闘争(五八年)をへて安保・三池闘争(五九年――六〇年)にいたる激動の五年間のなかでスターリン主義と決別し、革命的共産主義の道を独力で歩みはじめた日本の革命的左翼は、安保以後の苦闘にたえぬき、四・一七、原潜、ベトナム、日韓のたたかいのなかで、躍動的な前進をかちとってきた。原潜左翼、日韓左翼ともいうべき青年労働者の若い力の登場は、わが同盟の躍動的な前進と生きた相互連関をもって発展してきた。だが、青年労働者の必死の闘争にもかかわらず日韓闘争が敗北したこんにち、われわれが、従来とは比較にならぬほど厳しい政治反動と資本攻撃の壁に直面していることをはっきり確認しなければならない。四・一七から日韓にいたる二年間のたたかいのなかで成長してきた青年労働者の若い力を革命的マルクス主義の思想でガッチリと武装させるとともに、革命的労働者党のための闘争の若い組織力に一人ひとり成長させていくべきときである。
 戦闘的労働運動の先頭にたってたたかう青年労働者にとって、そしてまた、新しい革命的指導部隊の創成のためにたたかう青年労働者にとって、きたるべき六六年の階級闘争は、厳しい試練の年となるにちがいない。卒直にいって、ここ二ヵ年のわれわれのたたかいは、予想以上に有利な条件のもとで進むことができた。だが、情勢の質的転換はけっして過小評価しえない。われわれは、いままで以上に革命的情熱をたぎらせ、密集した軍団をなして敵の攻撃にあたらなければならない。生産点における部分的な抵抗闘争の一つ一つを相互にむすびつけ、高めあい、全国的な統一観点をもって集中的に表現しうる前衛的組織なしには、日本帝国主義の圧倒的な反動攻撃に抗して、若い力を守り、若い力をうち固めていくことはまったく不可能である。
 日韓闘争の具体的経験にふまえて、戦闘的労働者のイデオロギー的危機の克服のために全力をあげてたたかうとともに、新しい革命的労働者党のための闘争の意義を大胆に青年労働者の戦闘的翼のなかにもちこむことが必要である。同盟機関紙『前進』は、日韓闘争をとおして新しい革命的大衆新聞として、多くの青年労働者、学生、知識人の関心を集中することに成功した。われわれはこの成功に依拠して『前進』の内容的深化をよりいっそうおし進めるとともに、さらに多くの青年労働者、学生、知識人を『前進』の系統的な読者として獲得し、わが同盟を数万の組織的支持者で包囲しなければならない。
 社会党、共産党などの既成左翼の限界と誤りをのりこえて進む新しい革命的労働者党の創成のための闘争は、同時に、このような任務を担いうる革命的労働者を創造し組織化するためのたたかいを基礎として、はじめて前進することができる。日本における新しい本当の共産主義者の党は、階級闘争の最前線で苦闘する若い力を基礎とし、この力を革命的に育てることをとおしてのみ実現するであろう。現場での苦闘を学ぼうともせず、綱領的対立を棚上げにして官僚的ボス交のうえに成立する「新党」など、労働者階級にとって唾棄すべき対象以外のなにものでもない。労働者インターナショナリズムは、他国の権威になんの批判もなく服従することとはまったく無関係である。日本労働者階級の主体的立場にふまえた日本階級闘争の展開のなかにこそ労働者国際主義の生きた日々の試練が存在しているのである。
 試練の一九六六年をあらたな前進の年とすべく、日本労働者階級の最前線にたってたたかいぬこう。
           (『前進』二六五号一九六六年一月三日に掲載)