激化する反動の嵐に抗して、労働運動の転換を進めよう
 
 一九六五年の『前進』新年号巻頭論文である。池田内閣から佐藤内閣への政権交代は、六四――六五年を転機として日本が敗戦帝国主義から侵略帝国主義へと脱皮してゆく画歴史的過程に対応したものであった。このときにあたり、日帝の危機の深まりと反動の強まりに抗してあらたな階級的胎動を開始した日本労働者階級のたたかいの現実に立脚し、わが革共同が責任ある組織者へと飛躍してゆくことを訴えた論文である。
 
 
 日本帝国主義の危機の深化と反動の強化/構改、反米路線 の破産と労働運動の転機/革命的理論をみがき責任ある組織者へ/当面する課題のもと、闘う翼の統一行動を
 
 
 池田首相の退陣と佐藤内閣の登場は、戦後日本帝国主義の発展過程の質的転換と、それを基礎とした日本階級闘争の激動の開始を決定づける政治的画期をなしている。
 佐藤内閣は、池田内閣の蓄積した<解決不能>な矛盾をすべて、「解決」せねばならない帝国主義的責務を担って登場した。だが、いったいそれは可能であろうか。
 
 日本帝国主義の危機の深化と反動の強化
 
 第一の矛盾は、池田の辞任決定がフルシチョフ解任をはじめとするいわゆる三大事件を直接の契機としたことからも明らかなように、現代世界の構造的変動の激化と世界資本主義の危機の先鋭化であり、それを客体的条件として全面的に露呈した日本帝国主義の国際的位置の決定的脆弱性である。
 第二の矛盾は、五〇年以来の無政府的な高度成長のゆきづまりの集中的な現象――すなわち、過剰生産・金利負担の増大・企業利潤率の低下・中小企業の倒産・成長産業の鈍化と停滞・株式の不況など、日本資本主義の危機の深刻化である。とくに、外部資金に依拠した熱病的な設備投資とそのための減価償却率と金利負担の増大化は、過剰生産にもかかわらず大幅な操短が不可能であるという構造的矛盾を生みだしている。
 第三の矛盾は、帝国主義的政治支配の強権的確立の決定的な立ち遅れであり、広範な反戦的・反政府的要素の存続であり、しかも、六四年度の二大闘争――四・一七ストと原潜阻止闘争が明確に示したように、日本帝国主義の攻撃の激化を客体的条件とする新しい労働者的抵抗闘争の増大である。
 以上の三つの矛盾はいずれも<解決不能>な日本帝国主義の集約的な危機の深化を示している。佐藤内閣の最初の施政が原潜寄港であり、公共料金の値上げであり、失保うち切りの攻撃であり、法人税の軽減と大衆課税の増大であることからも明らかのように、佐藤内閣は、このような<解決不能>な日本帝国主義者の矛盾を大衆収奪と政治反動、そして東南アジアへの植民地主義的膨張という政治的・軍事的攻撃でもって「解決」しょうとしている。
 (1)原潜寄港・日韓会談を突破口とする東南アジア「政治」外交の開始と日米軍事同盟の強化、(2)公共料金の値上げと重税、賃金抑圧と合理化をテコとする搾取と大衆収奪のあくなき追求、(3)ILO関係法改悪、防衛庁昇格、小選挙区制採用など憲法改悪をめざす国内政治反動の徹底化、(4)国難・国防意識と企業防衛意識を起点とする反動的イデオロギー攻撃の全面的強化――こうした一連の当画した攻撃は、日本帝国主義の危機を政治的・軍事的に「突破」しようとする佐藤内閣の基本的方向を示している。原潜の佐世保寄港強行は池田路線の継続であるばかりでなく、佐藤内閣の帝国主義的姿勢を内外に断固として宣言したものである。
 
 構改、反米路線の破産と労働運動の転機
 
 佐藤内閣の登場を政治的画期とする日本帝国主義の発展過程の質的転換と政治反動の明確な開始は日本階級闘争の客体的条件を根本的に変化せしめ、日本労働運動の従来の経済的・社会的基礎を激しく動揺せしめている。そして、こうした日本帝国主義の攻撃の急激な質的変化は、生産点において資本の攻撃と対決を余儀なくされている職場活動家の広範な層のなかに、運動姿勢の根本的転換を追求する契機を拡大させてきた。
 六四年度の日共第九回大会と社会党第二四回大会を襲った階級的衝撃の基礎はじつにこのような日本帝国主義の危機と階級関係の基本的変化にあった。この二つの大会の示したものは、構造改革路線と反米愛国路線という相互補完的な反階級的路線の明白な破産であり、社共指導部と階級関係の基本的動向との明確な遊離の自己暴露であった。
 日本帝国主義の危機の深刻化と攻撃の質的転換は、日本資本主義の平和的発展のうえに改良主義的ヴィジョンを託した構造改革の白日夢を無残にも粉砕するとともに、日本帝国主義を反米の「中間地帯」に獲得しようとした民族主義的願望の反階級的本質を無慈悲にもあばきだしたのだ。六四年度の二大闘争――四・一七ストと原潜阻止闘争は、社共指導部の伝統的指導理念の破産を大衆的に露呈せしめるとともに、この二大闘争を下から支えた圧倒的な職場活動家と伝統的指導部とのあいだに重厚な矛盾を形成せしめた。
 四・八声明後の壊滅的な階級的孤立を回避するための日共の九中総・九回大会的手直し=反独占の一応の強調、そして江田ヴィジョンの幻滅と下部党員の戦闘的不満を背景に実現した社会党の「左派」的派閥均衡の成立は、社共的な伝統的指導部が多かれ少なかれ日本帝国主義との「階級的」対決の姿勢を示すことなしには労働者階級への従来の政治的支配を維持しえないことを意味している。だが、日本帝国主義の発展過程の質的転換と、それを基礎とした日本階級闘争の激動の開始は、社会党と日共という二つの伝統的指導部の今回の調整的転換が現実の階級関係の基本的動向にたいしていかに学ぶものが少なく、いかに<後衛的>なものであるかを、事実をもって示すであろう。
 社共的な伝統的指導部の改良主義と民族主義の存立条件をなしてきた階級闘争の<平和的発展>の時代はすでに過去のものになろうとしている。一九四九年――五〇年に日本労働者階級をおそった転換よりももっと深刻な運動史的転機が近づきはじめている。六五年度における日本階級闘争の進展は、まさにこのような転機を労働者階級内部のすべての政治的潮流のうえに、避けえない課題として課するにちがいない。日本労働者階級は、この試練にたえねばならない。
 日本階級闘争の激動と日本労働運動の転機を帝国主義的攻撃を主導的契機とする後退の局面としてではなく、<後退をも前進の契機に転化する>労働者的反撃の過程として主体的に受けとめるためには、日本労働者階級の戦闘的翼が社共的=伝統的指導部の調整的な「転換」をだんことしてのり超え、伝統的指導部の基調をなしていた社会民主主義とスターリン主義との決定的分離をなしとげ、<日本帝国主義打倒>という明確な階級的姿勢に立つことが必要である。日本帝国主義の発展過程の質的転換のなかで先鋭化する搾取の強化と大衆収奪にたいする生活防衛闘争を徹底的に強化するとともに、帝国主義と民主主義の矛盾・帝国主義と平和の矛盾の深化のなかに不断に形成される政治的危機を、伝統的指導部のように社会主義と段階的に区別された「平和と民主主義」に固定することなく、<日本帝国主義打倒>の方向に組織化していくことがますます焦眉の課題となっているのだ。
 
 革命的理論をみがき責任ある組織者へ
 
 われわれは、このような日本革命運動の転換を社共的=伝統的指導部のうちに絶対に求めることはできない。戦後日本革命運動のいっさいの経験は、社会党や共産党を改良しようとする試みが、先達者たちの血のにじむような献身的な努力にもかかわらず、いかに労多くして望みなきものであるかを示している。
 一九一七年のロシア革命を突破口とする世界革命の激動が、階級闘争の平和的発展と帝国主義的超過利潤のもとに堕落した第二インターナショナルを粉砕し革命的前衛党を創成するための闘争と決定的に不可分であったように、現代革命は帝国主義とゆ着した改良主義的な社会民主主義運動の粉砕というレーニン以来のたたかいとともに世界革命の一国社会主義的=官僚主義的な堕落のうえに<平和共存と二段階戦略>という反階級的イデオロギーをふりまいているスターリン主義運動を打倒し、<反帝国主義・反スターリン主義>の世界革命戦略に立脚した革命的労働者党のための闘争と不可分に結びついている。中ソ論争を契機とする国際スターリン主義の内部崩壊と各国スターリン主義の<民族共産主義>への変質、そして日本における社会民主主義運動とスターリン主義運動の分解と流動化はまさにわれわれが一貫して主張してきたように、このような分解と変質を根本的に克服しうる革命的理念の回復と創造を要求しているのだ。
 志賀=神山新党のように、過去における日共と自己の検討を完全に放棄し、クレムリン官僚への忠節を唯一の尺度として分裂し、あまつさえ「日本共産党の正統派」を自称するような時代錯誤的方法では、ソ連一辺倒の人たちはいざ知らず、日本帝国主義の資本攻勢と政治反動に抗してたたかう若き労働者にとってそれはたんなる世迷い言としてしか映りはしない。
 そこには革命家としての一片の良心すら存在していない。いぜんとして日本革命運動の内部に色こく残っているこのような国際権威主義から決定的に飛躍した地点=日本労働者階級のたたかいの現実からわれわれは出発するのだ。
 われわれは、四・一七ストの挫折と原潜阻止闘争の危機のなかで、なおかついたるところで成長しはじめている新しい階級的胎動に大胆に依拠し、そのもっとも非妥協的な戦闘的部隊として、日本革命運動の転換をきりひらくために自己を厳しく点検し、恐れず前進を開始せねばならない。われわれは、理論的武装でも大衆運動の経験でも組織的訓練でもきわめて未熟である。だが、いかに未熟であろうとわれわれは、社会党や共産党にたいする告発者たるにとどまらず、労働組合運動と日本革命運動の階級的転換のもっとも責任ある担い手として自己を変革せねばならない。われわれは、わが同盟を含めた日本革命運動の現状を総体として転換することが必要なのだ。
 日本帝国主義の発展過程の質的転換と新しい労働者的抵抗闘争の増大は、日本の階級情勢の傾向的変化をもたらしている。日本労働運動と革命運動の階級的転換のためのたたかいは、まずもってわが同盟を前衛とする日本革命的共産主義運動の双肩に課せられるであろう。だが、われわれは孤立していない。八・二集会と原潜阻止闘争のなかでうちかためられはじめた革命的左翼諸潮流間の戦闘的統一行動と革命的党派闘争をさらに強化するとともに、日本労働組合運動と革命運動の階級的転換のために社会党や共産党の内外で苦闘してきた膨大な先達者たちから謙虚に学び、誠実に協力を求め、日本革命的共産主義運動の飛躍と脱皮をかけてたたかうならば、局面の転換はけっして不可能ではない。われわれが<せめてこれだけは……>という階級的=大衆的要求のもっとも責任ある戦闘者としての位置を可能な極限まで追求し、進退を恐れず大衆の戦闘的統一のための誠実な組織者として貫徹するならば、われわれは、さらに若い新鮮な戦闘力でわが戦列を強化し、従来にもまして職場における大衆的支持を増大せしめるのみならず、いぜんとしてわれわれの運動に懐疑的な<経験ある活動家>をもっと多くわれわれの戦列にむかえ、また、その援助を得ることができるであろう。
 
 当面する課題のもと、闘う翼の統一行動を
 
 四・一七ストと原潜阻止闘争という二大闘争を経験し、東交・日特・サンウエーブなどにおける反合理化と生活防衛の年を越すたたかい、全電通・国鉄・全逓・鉄連などにおける激しい戦闘性の志向と幹部闘争へのすりかえ、全林野・全日自労などの失保打ち切り反対・重税反対のたたかいのなかでいま、われわれは、一九六五年の階級闘争をむかえる。疑いもなく今年の日本階級闘争は、昨年にもまして厳しく緊迫した年となるだろう。
 われわれは、(1)日韓・原潜闘争の強化、(2)ILO関係法改悪反対・小選挙区制粉砕・防衛庁昇格阻止・改憲阻止勢力の結集、(3)公共料金値上げ反対・重税反対・失保打ち切り粉砕など大衆収奪との闘争の強化、(4)不況宣伝と企業防衛意識の打破、生活防衛と反合理化のたたかいの前途、のためにただちに戦列を配置するとともに、(5)以上の大衆的政治経済闘争の展開をとおして職場のたたかう核を結集強化し、「闘う部分」の統一行動と階級的協力を拡大し、(6)参院選挙闘争を焦点とする独自的政治活動の勝利のために全力をあげてとりくまねばならない。われわれは、これらのたたかいのなかで<戦闘的労働運動の防衛>と前進のための一昨年来の闘争をさらに推進するとともに、すべての誠実な共産主義者の共同の事業として日本革命運動の階級的転換のために全力をあげてとりくむであろう。
 (『前進』二一五号一九六五年一月四日に掲載)