四 四・一七スト中止の教訓と日本労働運動の展望
二・一ストの再来といわれた六〇〇万労働者の決起による六四年四・一七ストへの高揚は、六〇年安保・三池闘争の敗北による日本労働運動=階級闘争の混迷を根底から大きくうち破る勢いをもって進展していた。そして二・一スト同様、決行前夜にいたって社共既成指導部の裏切りと屈服によって流産させられたこの四・一七ストは、反帝・反スターリン主義の旗のもとに社共をのりこえる戦闘的労働運動が組織化されねばならぬ現然性と生実的切迫性を、わが同盟の眼前に強列につきつけるものであった。本論文は、戦後労働運動の流れのなかでの四・一七ストの高揚と挫折の意味を明らかにし、革命的共産主義運動の歴史的任務とあらたなたたかいの展望を明確にうちだしたものである。
はじめに
A 民同ハッスル路線の背景は何か
B 共産党のスト破りの本質は何か
C 革命的共産主義者のたたかい
D 日本帝国主義の矛盾の激化と労働運動の当面する課題
はじめに
交通ゼネストを中軸とする六〇〇万労働者の四・一七ストは、日本共産党の反階級的なスト破りと、社会党・民同の欺瞞的な取り引きによって<流産>させられた。またしても日本労働者階級は、階級闘争の決定的段階において、スターリン主義(共産党)と社会民主主義(社会党・民同)の<二重の壁>に直面し、これをつき破って前進することができず基本的な後退を余儀なくされたのであった。またしても日本労働者階級は、四・一七ストの<流産>という高価な犠牲をあがなって、日本帝国主義とのたたかいの前進のためにはスターリン主義と社会民主主義の<二重の壁>とのたたかいが不可避であることを学びとらねばならなかったのであった。
四・一七ストをめざす労働者階級の巨大な結集は、日本プロレタリアートの内部に戦闘的激動の新しい契機が拡大しつつあることを明白に示している。社会党・共産党を政治的支柱とする労働運動の既成指導部の内部分解の深化と大衆の面前における公然たる裏切りは、じつに、労働者階級の内部に成長しつつあるこのような戦闘的激動の契機にたいする既成指導部の恐怖の反映以外のなにものでもないのである。したがって、こんにち、各職場で深化しつつある戦闘的労働者と社会党・共産党指導部との対立、とりわけ戦闘的労働者とスターリン主義の分裂は、労働者階級と社会民主主義およびスターリン主義のあいだの本来的な対立の今日的な表現のひとつである。
われわれは、民間的な幹部指導にもかかわらず四・一七ストの実現をめざしてなぜあのような労働者階級の戦闘的高揚がうまれたのか、共産党はなぜあのような形態でスト破りをおこなわねばならなかったのか、社会党・民同的指導部はなぜスト突入の直前になってスト回避に全力をあげねばならなかったのか――などについて徹底的に総括するとともに、革命的共産主義運動の創成の必然性を明らかにしつつ、四・一七ストにたいする同盟の組織活動の基本的点検にふまえて、今後の階級闘争の展望とそこにおけるわが同盟の任務について明確化するために、全同盟をあげてたたかわねばならないのである。
A 民同ハッスル路線の背景は何か
太田=岩井の春闘ハッスル路線の本質は、労働貴族としての自己保身である。四・一七ストを直前にした太田=岩井の資本家政府との反労働者的な取り引きと、スト中止のためのペテン師的な策動は、太田=岩井の春闘ハッスル路線の本質を、もっとも雄弁に説明している。だが、当面する問題は、なぜ太田=岩井を軸とする民同指導部が<ゼネストをかまえる>という戦闘的ポーズでもって労働貴族としての自己保身を貫徹しなければならなかったのか、の一点にかかわっている。なぜならば、われわれの総括の終局的な目的は、<四・一ストにむかっての労働者階級の戦闘的高揚がなぜ起こったのか、そしてまた、なぜスト中止という形態で敗北せざるをえなかったのか>を解明し、つぎのたたかいに備えるということであって、「指導者の某々の偶然の努力や才能や欠点や課題や裏切り」について称揚したり非難したりすることにあるのではないからである。
安保・三池の敗北以後、企業防衛・労資協調の新路線をうちだした総評=民同的指導部は、貿易自由化の嵐のなかで進行する第三次合理化とのたたかいを政転闘争にすりかえ、池田資本家政府の新植民地主義=日韓会談と帝国主義的治安攻撃とのたたかいを放棄してきたばかりか、消費物資のインフレによる実質賃金の低下に苦しむ職場労働者の生活をよそに賃金闘争すらロクにたたかわず、資本と当局の締めつけに抗して激発する職場闘争にたいして組織統制を強化するという官僚的手段によって民同支配を維持してきたのであった。したがって、民同的指導部のこのような企業防衛・労資協調路線は、反米民族闘争路線にもとづく共産党=総評反主流派の没階級的な政治主義と街頭化と相互依存することによって、職場で苦闘する戦闘的労働者を資本と当局の攻撃のまえに放置し、組合幹部が職場にくるのは、まさに選挙のときと闘争を抑えるときだけといわれるように、多くの職場で組合は<あってなきに等しい>状態をつくりだしたのである。
かくして、低賃金と合理化、労働強化と労働災害の激化という労働条件の劣悪化のなかで無防衛で放置されてきた職場労働者は、一方では、たたかわない組合への不信から資本と当局の攻撃に屈服して第二組合に走る部分を生みだすとともに、他方では、職場労働者の生活と権利を守るために職場を基礎に自発的なたたかいを組織しダラ幹の圧迫をはねかえして各職場にたたかいを拡大するという戦闘的潮流をも創造的に生みだしていったのである。じつに、各職場で進行しているこのような左右の傾向への分解の深化は、労働運動における民同支配の基礎を根底からゆりうごかしている政治的危機の動因である。
しかも「開放経済体制」への移行にともなう国際競争の激化と、過熱的な設備投資による設備過剰と在庫過剰のなかで危機を深めている日本資本主義は、韓国市場をはじめとする帝国主義的勢力圏の確立とともに、時間管理=労務管理を軸とする全面的な合理化の遂行と帝国主義的政治支配の強力的な貫徹を至上命令としており、このような日本資本主義の政治経済的な動向は、安保・三池以後の階級関係のブルジョア的傾斜、とくに労務管理体系の合理化=職場支配権のブルジョア的確立のための攻撃と結合して、労働運動における民同支配の政治経済的基礎をゆさぶりはじめているのである。レッド・パージによる左翼的労働者の職場からの放逐を背景に、一九五〇年――一九六〇年の一〇年間、新鋭設備の導入をテコとする高度成長を基礎として、労働貴族としての地位を確保してきた総評=民同的指導部は、日本資本主義の国際的・国内的矛盾の深化のなかで、炭労の政転闘争に表象されるように全面的な後退を強いられてきたのである。
だが、労働運動における民同支配の政治経済的基礎の動揺と民同的指導部の全面的後退は、直接的に日本労働者階級の戦闘的力量の喪失を意味するものではないのである。いなむしろ、安保・三池以後の総体的な後退のなかでなおかつ職場労働者の抵抗闘争を基礎に起伏に富んだ戦線で攻防のたたかいをつづけてきた日本労働者階級は、低賃金と労働強化、合理化と労働災害の激化のなかで反逆の契機を鋭く内部に蓄積しはじめているのである。従来、民間的指導部の戦闘的支柱をなしてきた職場の青年幹部の巨大な左翼的地すべりは、じつに、労働者階級の内部における新しい戦闘的激動の契機が、民同的指導部のかつての基盤のなかでより急速に成長しつつあることを示しているのである。
したがって、太田=岩井を軸とする総評=民同的指導部の春闘ハッスル路線は、すでにみたような労働運動における民同支配の危機をのりきるための、労働貴族としての自己保身の成否をかけたところの最後の手段だったのである。すなわち、民同指導部は、一方では、職場闘争をとおして各職場で成長しつつある左翼的な戦闘的労働者にたいする組合統制を強化することによって自己の政治的基礎を確保するとともに、他方では、職場労働者のなかにうっ積している経済的不満を組織化し、資本との経済闘争をかまえる方向にむかったのであり、かくして、かれらは、労働者階級の内部に蓄積している<反逆の契機>に依拠して経済闘争の一定の高揚をひきだすことによって、階級関係のブルジョア的傾斜にもとづく民同支配の危機を克服し、あわせて、<たたかわない組合>への職場労働者の不信を一掃し、民同支配の再強化をはかろうとしたのである。
もちろん、民同的指導部の手のひらを返すような春闘ハッスル路線にたいして、たびかさなる民同の裏切りを経験してきた多くの職場労働者は根本的な不信を抱いており、容易に腰をあげようとしなかったのである。だが、このような民同指導部への不信を根底に秘めつつ、公労協労働者を中心に各産業の職場労働者は、四・一七ストの実現にむかって巨大な足音をたてて前進しはじめた。なぜならば、交通ゼネストを主軸とする六〇〇万労働者の四・一七ストで大幅賃上げをかちとろうという総評=民同的指導部の闘争方針は、たとえそれが民同支配を維持するための労働貴族的な自己保身に由来するものであろうとも、低賃金と合理化の攻撃のなかでじりじりと後退を余儀なくされてきた職場労働者にとってはまさに反撃の第一歩を意味していたからであり、したがって、四・一七ストに内在する諸欠陥、とくに、(1)反合理化闘争との結合の放棄、(2)日韓をはじめとする政治的課題との切断、(3)一発主義、(4)幹部闘争的限界、あるいは、(5)「生産性にみあう賃金」などという資本主義肯定に立つ賃闘方針などの欠陥は、四・一七ストを準備し実現するたたかいのなかでのみ基本的に克服さるべきものだったからである。
交通ゼネストを中軸とする六〇〇万労働者の四・一七ストは、太田=岩井らの民同的指導部の「平和的ストライキ」という矮小な改良主義的言いわけにもかかわらず、いったん開始されるならば、社会資本の中枢的機能を停止させ、ブルジョア的社会の生産と流通を基本的にストップさせるところの<大衆的ストライキ>として資本家階級への総反撃の出発点をつくり出し、反合理化闘争の再生のみならず、日韓などの政治攻撃をはねかえす戦闘的激動の開始にひきつがれたであろう。経済闘争であってもそれが階級的力を総結集したたたかいとして進むならば、階級関係を有利に動かし、政治攻撃をはねかえす力となることは、自民党右派のつき上げにもかかわらず、新暴力法やlLOの強行採決がこの間は不可能となっていたことからも明らかであろう。南朝鮮の学生デモによって日韓会談が一時中断され、またまた四・一七ストで巨大なたたかいが実現するとなれば、さまざまな破綻をみせていた池田政府が支配階級内部からもその<無能無策>の批判をこうむり、遅くとも七月の総裁選挙にはその打倒が日程にのぼったであろう。山本派のように「ストが実現しようとしまいとケルンを創るためにたたかうのだ」などという主張は、何もいわないのに等しいのである。じつに、太田=岩井をはじめとする総評=民同的指導部は、四・一七ストが資本家政府にたいする巨大な政治経済闘争に発展しようとしていることに恐怖して、政府との取り引きにやっきになりだしたのである。階級闘争の平和的発展に政治的基礎をもつ民同的指導部は、四・一七ストがブルジョア社会の壁にぶつかり、その激動のなかで労働運動の階級的再生が自発的に開始されることによって、民同支配が左翼的に解体されることを恐怖したのである。四・一七ストの実現は、資本家階級にたいする労働者階級の総反撃のトキの声であり、階級闘争の激動の開始を意味するものであった。
だからこそ、資本家政府は、四・一七ストを回避するために官憲といっさいのブルジョア的宣伝機関を動員してスト弾圧の体制を固めるとともに、太田=岩井との取り引きによって四・一七ストを内部からきり崩し、一定額の賃上げ=経済的譲歩の「約束」と民同支配の「承認」を代償にして、激動する局面を資本家階級の掌中に収める方針をとったのである。
こんにち、総評、公労協各単産の民同的指導部は、共産党の組織的なスト破りにたいする職場労働者の怒りに便乗して戦闘的ポーズで共産党を非難し、組合内のいっさいの批判的勢力にたいする官僚統制を強化するための手段としようとしているばかりか、あまつさえ、全電通民同のごときは、公労協各単産問の格差問題にたいする全電通労働者の不満を総評内部における派閥抗争に利用しようとしている。だが、社会党・民同こそ、四・一七スト裏切りの究極の責任者であり、春闘共闘会議に結集した六〇〇万労働者の死活の利益を資本家政府に売り渡すことによって、労働運動における民同支配の<ブルジョア的承認>を買いとったもっとも悪質な裏切り者である。また、全電通民同の太田=岩井の「取り引き」にたいする批判的ポーズは、スト中止にたいする職場労働者の不満を共産党と総評指導部に責任転嫁し、自己の官僚的地位を保持し、あわせて民同的指導部内部における潮流分解と派閥の再編過程の主導権を獲得しようとする陰性の策謀なのである。
四・一七ストの<圧力>を背景に労働者階級の闘争を資本家政府に売り渡し、労働運動における民同支配の<ブルジョア的承認>をとりあえず確保した総評=民同的指導部は、一方では、スト破りを口実に共産党系役員への統制処分を強行することによって自己の官僚的支配を補強するとともに、他方では、社会民主主義の潮流分解と民同内部の派閥の再編過程をより深刻化させることによって、民同的指導部と戦闘的労働者の分裂の契機を拡大させつつ、総体的には、職場労働者の内部に成長している戦闘的圧力をうけて経済闘争の一定の激化に道を開くことになるであろう。したがって、民同支配の<ブルジョア的承認>を前提とした階級闘争の平和的発展は、ブルジョアジーあるいはプロレタリアートのいずれかの側からの行動によって急激な変動に転化するにちがいないのである。
B 共産党のスト破りの本質は何か
四月九日の「アカハタ』声明を転機に組織的総力をあげて開始された共産党のスト破りは、日本労働運動はじまって以来の深刻な衝撃を労働者階級と全人民に与えた。
四月上旬まで、「春闘はものとり主義」だと職場をほうりだして基地行進や農村工作に血道をあげ、春闘に熱心な一部の職場細胞にたいして「ストライキマン的傾向」などとレッテル貼りをして敵視してきた共産党は、四・一七ストの直前になって突如としてスト破りという反階級的な策動のために党の総力をあげて<春闘にとりくみ>、四・一七ストの体制を下からズタズタにひきちぎったのである。党中央の官僚的権威に無批判的に追随した下部の職場党員は、かれらも含めて準備してきたスト体制を内部からきり崩し破壊するためには、職場労働者の不信や憤激すら恐れることなく、その活動力と影響力を貫徹したのである。それゆえ、四月九日以後の日本階級闘争の現実的過程において、日本労働者階級は、四・一七ストという階級的反撃戦を実現するためには、第二組合などの帝国主義の手先と連合した<スターリン主義的反動>との公然たる闘争が主要な局面として登場したのである。
当初、共産党は四・八声明ではっきりしているように、四・一七ストそのものには反対せず、(1)スト体制が無準備・無防衛である、(2)日韓などの政治的課題との結合がなく、(3)労働者独自の闘争であり国民から孤立している、(4)さらにストには挑発のにおいがするから「再検討」すべきであると訴えたが、四月二日以後は明白に「ストを挑発しているのはアメリカ帝国主義であり日本の売国反動勢力でありそれらと結びついた組合内部の分裂主義者である」として、四・一七ストそのものが<挑発>だとひらき直ったのである。
だが、共産党の主張する<再検討>の理由は、ただただ、スト破りのための口実以外のなにものでもないのである。たとえば、共産党は<再検討>の理由として「無準備・無防衛」をあげているが、「四・一七闘争にたいする十分な意識と準備」「職場の戦闘体制」は、まさに四・一七ストの実現をめざし、当局と第二組合に抗して職場を基礎にスト体制を築きあげるためにたたかうことによってのみ可能なのであり、共産党のように職場をほうりだして基地めぐりや農村工作にうつつをぬかしているようでは実現することは不可能なのである。
もちろん、前節で指摘したように、四・一七闘争は多くの欠点をもっている。とくに、その主力となる国鉄の全線ストを保証するためには、第一には、職場を基礎に職場大衆の力で当局と官憲の弾圧をはねかえす職場の闘争体制の強化が必要であり、第二には、国鉄の闘争を他産業のストでつつむのみならず、各産業にわたる統一的なスト防衛の行動体制の形成が必要であった。だからこそ国鉄の職場労働者は、戦闘的幹部を中心に団結し、当局と第二組合の分裂策動に抗して職場を基礎にスト体制を築くために苦闘していたのであり、同時に、他産業の職場労働者は、自分の職場のスト体制を築くためにたたかうとともにダラ幹との闘争をとおして国鉄ストの防衛体制を準備していたのである。
だが、事態はまさに逆であった。共産党がスト直前の四月九日ごろになって突如として四・一七ストの<再検討>を口実にスト破りを開始したのは、四・一七ストが無準備・無防衛だったからではなく、まさに逆に、職場を基礎に四・一七ストが<大衆的ストライキ>に発展する方向を力強く示しはじめていたからであった。『アカハタ』四・八声明における、ストライキは「幾百万の国民生活に直接影響をおよぼし、国民全体にかかわる重大な政治問題になるから」再検討すべきだ、という主張は、共産党の判断の規準がプロレタリアートの利益にあるのでなく、「国民」などという無規定なものにおかれていることの明白な自己暴露であるとともに、共産党が四・一七ストの実現をいちおう既定の事実としていたことのなによりの証拠なのである。
じつに、四・一七ストをめざす日本労働者階級の巨大な進撃は、共産党の反米闘争路線を破産的危機に追いこんでいたのである。交通ゼネストを主軸とする六〇〇万労働者の四・一七ストが実現されるなら、それは、安保・三池の敗北以来、職場を資本と労働貴族の支配にまかせておいて、職場労働者の犠牲のうえに平和運動などの街頭主義的なエセ政治闘争で築いてきた社会党・民同への共産党の政治的優位性を一瞬のうちにふきとばしてしまうばかりか、日本資本家階級を中間地帯として<反米親中>の路線に獲得するという反階級的な中国共産党=日共の<世界戦略>の破産を意味したであろう。恥も外聞も捨てての共産党の公然たるスト破りの開始は、こうした破産的危機にたいする最後かつ唯一の官僚的自己防衛の手段だったのである。
だからこそ、共産党は、事前の討議をすべて省略して直接『アカハタ』に声明を発表するという異例の処置をとらざるをえなかったのであり、かつまた、職場のスト体制をきり崩すためには、職制であろうと第二組合であろうと民社党系の分裂主義者であろうと公然と手を組むことをおそれなかったのである。共産党は、職場労働者の意識のなかに潜在する<四・一七スト>への右翼的不安を巧みに組織化しつつ、職制・第二組合・右翼幹部の共同の援護射撃のもとに、反階級的<勝利>のために全組織をあげて活動したのである。
したがって、国鉄をはじめ各産業の職場労働者は、四・一七ストの勝利をかちとるために、一方では、四・一七ストの準備を可能なかぎり幹部闘争的限界におしとどめようとする民同的指導部との闘争をとおして職場のスト体制を確立するためにたたかうとともに、他方では、職制・第二組合・右派幹部と結託した共産党の組織的なスト破りとの闘争をとおして、職場を<闘うトリデ>とするためにたたかわねばならなかったのである。それは、いっさいの想像を超えた壮絶なたたかいであった。なぜならば、多くの戦闘的労働者にとって共産党は革命の組織者であり、民同にたいする左翼的批判者であると信じられていたからであり、それゆえ、共産党のスト破りに抗して四・一七ストをめざす職場オルグの過程は、同時に、共産党にたいするありとあらゆる幻想との内と外からの思想闘争の過程であったからである。したがってまた、安保・三池の敗北以後、数々の試練にみちたたたかいのなかで職場闘争を基礎として成長してきた革命的労働者たちは、共産党のスト破りにたいする職場労働者の憤激に便乗してもちこまれる民同的指導部の官僚的統制処分やブルジョア宣伝機関の反共宣伝に抗して、職場労働者のたたかいを基礎とした組合の労働者的運営を防衛し、発展させることの必要を訴え、かつまた、<反日共=反共産主義>というスターリン主義的神話を歴史的、理論的に暴露し、反スターリン主義的な革命的マルクス主義に立脚した新しい労働者党の創成のためのたたかいの意義をねばりづよく説得せねばならなかったのである。
じつに、四・一七ストの<大衆的ストライキ>としての実現を直前にしての共産党の突如としたスト破りは、きわめて大衆的な基礎のうえにあらためて<共産党は労働者階級の利益に忠実な党といえるか>という反省の契機をもたらした。だが、多くの革命的労働者が知っているように、四・一七ストのみならず階級闘争の決定的段階において、共産党はつねに反階級的な闘争妨害者として登場した――。
日本帝国主義の軍事的敗北にひきつづく日本資本主義の未曽有の政治経済的混乱と前革命的情勢のなかで、プロレタリア革命の綱領に反対してブルジョア日本の政治的・経済的復興に協力し、アメリカ帝国主義の占領軍を<解放軍>と規定して、占領軍の一連のブルジョア的改革を美化し支持することによって戦後革命を敗北に導いた共産党は、二・一スト以後の情勢の後退のなかで防衛的な経済闘争をたたかう職場労働者にたいし、<ストライキマン的傾向><ものとり主義>のレッテルをはりつけて街頭主義的な地域人民闘争にひきずりまわし、資本家権力の再建を背景に、党中央の官僚的ひきまわしによる産別会議の動脈硬化にたいする職場労働者の不満に便乗した、産別民主化同盟(民同)の発生と伸長のなかで、強行された占領軍と吉田政府のレッド・パージ(戦闘的活動家の大量首切り)にたいし、これを国内反動勢力のあせった挑発と評価し、レッド・パージに反対するスト闘争を準備していた国鉄・全逓の職場労働者にたいして<反動政府と民同の挑発にのるもの>と反対し、一〇〇万にのぼる戦闘的労働者の首切りにたいし拱手傍観していたのである。
かくして、レッド・。バージの過程でほぼ完全に職場細胞を壊滅された共産党は、朝鮮戦争による特需発注をテコとする設備更新の熱病的発展のなかで回復し成長しつつあった日本帝国主義との闘争を完全に放棄して、<日本の経済を崩させようとしている>アメリカ帝国主義からの独立闘争を訴え、民同的指導部のもとに発足した総評のなかで民同右派との闘争をとおして成長した戦闘的翼を<経済主義>と非難し、極左的軍事行動をめざして壊滅の坂道をころげ落ちたのである。
レッド・パージと極左的軍事方針で労働者階級にたいする影響力を完全に喪失した共産党は、五四年の「一・一論文」と五五年夏の六全協をとおして極左的軍事行動にかんするなしくずし的な戦術的自己批判をおこない、右翼日和見主義的傾向を深め、民同的指導部への<アメリカ帝国主義の手先>との非難をひっこめるとともに、民同の右翼的指導への左翼的批判を抑制し、民同的指導部の<左翼的>支柱としての役割を演じつつ反米民族闘争路線の浸透をはかるという方向に転じたのである。だが、五〇年分裂と軍事行動の責任をめぐって激発した党内闘争と中央官僚体制の動揺、そして労農党系の国鉄革同をはじめとする戦闘的労働者の大量的な入党による階級的基盤の拡大と、学生細胞の戦闘的再建を基礎とした全学連の全国的政治闘争の展開は、党中央のこのような官僚的思惑にもかかわらず、総体として共産党を階級闘争の現実的課題のなかにひきずりこみ、教育三法・小選挙区反対闘争、砂川闘争、原水禁闘争、国鉄の東京・広島・新潟闘争、勤評闘争、警職法闘争の過程をとおして、労働運動や学生運動に基礎をもった戦闘的党員と居住細胞や機関役員に依拠した党中央官僚とのあいだに深刻な対立を生みだし、共産党中央指導部の反米闘争路線に重大な危機をもたらしたのである。
共産党第七回大会における<反米闘争路線>の欺瞞的可決と、これをテコとした党内左翼反対派の除名によってかろうじて危機を乗りきった共産党中央指導部は、<トロツキズム>にたいするありとあらゆるデマと非難でもって党内の戦闘的翼を恫喝し、党官僚体制の強化を急ぎ、あの歴史的な安保闘争において一貫して闘争阻害者として登場し、ついには、党第八回大会をまえにして党内右翼反対派としての構改派を党内から官僚的に一掃して反米闘争路線による党の「再武装」をかちとることに成功したのである。
以上のきわめて簡単な総括からもあきらかなように、共産党は、階級的使命に誠実たらんとする数多くの戦闘的労働者と学生・知識人をその翼下に結集しつつも、つねにこのような労働者・学生・知識人の革命的期待を裏切り、プロレタリア革命の綱領に反対し、階級闘争の発展を阻害する要因として登場してきたのであり、かつまた、共産党に結集した数多くの労働者・学生・知識人をスターリン主義の害毒のもとに汚染し腐敗させてきたのである。二・一ストとレッド・パージ反対闘争における共産党のスト破り、国鉄新潟闘争と安保闘争における共産党中央の闘争阻害は、じつに、このような共産党の過渡期におけるスターリン主義と労働者階級の対立の危機的表現以外のなにものでもないのである。
したがって、今回の共産党のスト破りは、偶然的な戦術的誤謬でもなければ、情勢判断の相違から生じた方針の錯誤でもだんじてない。それは、中間地帯として日本資本主義を<反米親中>の路線に獲得するという中国共産党=日共の反階級的な世界戦略から必然的に帰結するものである。共産党は、四・一七ストをめざす労働者階級のたたかいを敵階級に売り渡すことによって、日本帝国主義と中国スターリン主義官僚制との協商を買いとろうとしたのである。まさに、このような共産党の反労働者的行為は、共産党が<共産主義者の党>であるから起こるのではなくして、<共産主義者の党>としての原則を喪失し、中国スターリン主義官僚の特殊的利益に従属した<スターリン主義官僚の党>に変質してしまっていることから起こるのである。
いまや、共産党と労働者階級の戦闘的翼との矛盾は、かつてない鮮明さで照らしだされた。共産党にたいする幻想は、戦闘的労働者の憤激に直面して深刻に動揺しており、全体として異質なものへと移行しつつある。二・一ストとレッド・パージ反対闘争における共産党のスト破りは、当時の組合活動家の活動歴がほとんど一、二年という労働者階級の実践的理論的力量の弱さのゆえに、部分的不満を生みだしつつも、若干の例外を除けば総体的には首切られた党員への同情や民同への階級的不信にとどまり、深く追及されることがなかったのである。国鉄新潟闘争と安保闘争においては、共産党の決定的な闘争阻害は、共産党にたいする戦闘的幻想の崩壊を準備し、スターリン主義と革命的共産主義の分裂の端初を不断に形成したのである。今回の共産党のスト破りは、このように歴史的経験にふまえて、労働者階級の内部に存在する共産党への幻想を根本から動揺せしめているのである。
しかも、日本プロレタリア運動の今後の動向をみきわめるうえできわめて重要な点は、第一には、共産党のスト破りにたいする職場労働者の不信と憤激が、総体としてみるならば左翼社会民主主義を補強する方向にむかっており、このような動向の進展は、一方では、労働運動における民同支配を当面は強化するとともに、他方では、社会民主主義運動の分解過程と相互浸透しつつ戦闘的労働組合主義的な潮流を不断に形成せしめるであろうこと、第二は、共産党が職場労働者の戦闘的批判に耐えて反米闘争路線を守りぬくという<浄化作用>をとおして左右の分解をほぼ最終的になしとげ、総体としては党中央の官僚的指導体制のなかに強力に包摂されつつ右翼的変質をより完成するであろうこと、である。もちろん、反米闘争路線にもとづく日本共産党の右翼的変質の完成は、外面的には、七〇年革命説に類する左翼的言辞のかげで進行するであろう。だが、構改派のように、このような現象的<左翼性>に幻惑されて<社会ファシズム論の再現>とか<赤色組合主義>とか批判することは、それがたとえ部分的批判として妥当するとしても、共産党の総体的な親民族ブルジョアジー路線=<独占資本との協商>政策への右翼的変質過程における戦術的一表現として正しく位置づけられぬならば、事態の本質をみあやまるものとなるであろう。
旧労農党系の戦闘的反対派としての国鉄革同の出発と、その共産党へのなしくずし的な移行は、戦闘的労働者とスターリン主義との矛盾を党内に反映せしめたが、同時に国鉄新潟闘争以後のスターリン主義と革命的共産主義の分裂の深化のなかで党中央の官僚的指導体制への屈服とスターリン主義への変質を強めた国鉄革同は、いまや、四・一七ストの過程をとおして、過去のいっさいの<栄光>をほうむり、革同的体質を一掃して官僚の忠実な使徒としての運命を選んだのである。だが、このような国鉄革同の終焉は、同時にまた、国鉄革同の旗のもとにあった戦闘的労働者と革命的共産主義運動との交通をその戦闘的拠点においてきりひらく契機に転化しつつある。
中ソ対立の激化を背景とする日本スターリン主義運動の中国派とソ連派の分裂は、部分核停条約の評価をめぐり極点に達しようとしている。日本階級闘争における共産党の決定的裏切りをよそにソ連=中国圏のスターリン主義官僚の特殊利害の内部対立を政治的基礎としたこのような分裂は、日本共産党の衰退と解体を促進せしめる要因となりえたとしても、日本プロレタリア運動の危機を克服するいかなる可能性も生みだしはしないだろう。スターリン主義運動のソ連派と中国派の分解過程を革命的共産主義運動の創成過程に転化せしめうるかいなか、すべてはこの一点にかかっているのである。
C 革命的共産主義者のたたかい
四・一七ストをめざす日本労働者階級の巨大な結集と、社会党・民同と共産党の相互依存的な裏切りによるその敗北は、日本プロレタリア運動の革命的前進を担いうる<たたかう労働者党>の創成をめざして職場を基礎にたたかいをおしすすめてきたわが同盟と日本革命的共産主義運動にとって、きわめて厳しい戦闘的試練であった。
一昨年秋の同盟第三回全国委員総会における<戦闘的労働運動の防衛>にかんする決議は、六一年夏の同盟第一回大会以来のわが同盟の組織的活動の前進と階級的基盤の拡大にふまえ、わが同盟と戦闘的労働者との生きた戦闘的交通を徹底的に拡大し、革命的共産主義運動をさらに深く労働者階級の内部に定着させるための組織戦術としてうちだされたものである。周知のように、労働運動を党創成のためのただたんなる手段とみなし、革命的労働者党の創成過程における党と階級闘争との今日的=具体的関連を理解しえない一部の諸君は、<戦闘的労働運動の防衛>の方針にたいして労働運動主義などとの反発をしめし、わが同盟から逃亡し、わが同盟への非難と中傷のみを唯一の組織的身上とするセクト主義的グループとして純化し衰退していった。だが、その後の二年間の階級闘争とそこにおけるわが同盟の組織的闘争の経験は、日本階級闘争と革命的共産主義運動との実際の結節点がたえず<戦闘的労働運動の防衛>という任務をめぐって生起し発展してきたことをはっきりしめしている。まさにわが同盟と日本革命的共産主義運動は、<戦闘的労働運動の防衛>の任務を自己の組織的な実践的課題として受けとめることによって、わが同盟を労働者階級の戦闘的翼と生きた交通をもった革命的労働者の密集した戦闘部隊に再武装するとともに、わが同盟のきわめて急速な組織的成長と政治的発展をきりひらいてきたのである。
安保・三池の敗北を<前革命的な伝統的付随物>の敗北として根本的に把えかえすことのできなかった小ブル急進主義者たちは、日本労働運動の総体的な後退のなかで、なおかつ、各戦線で<戦闘的労働運動の防衛>のために職場を基礎に苦闘している職場労働者の戦闘的翼の深部に、日本労働運動の後退を根底的に突破する力が成長しつつあることを理解しえず、小ブル的な喧騒と絶望のあいだを往来しつつ退廃し去勢されていった。だが、このような小ブル的動揺は、当然のことながら、わが同盟と日本革命的共産主義運動の内外に形態をかえて反映した。そのひとつは、「ブルジョア的労働運動の完成」論や「労働運動のブルジョア体制への全面的包摂」論であり、もうひとつは「日本労働者階級はスターリン主義の支配のもとにあるからたたかえない」という主張である。前者は西派系の一分派から、後者は山本派から主として精力的にまきちらされたが、わが同盟の前進の過程でみずからセクト主義的にわが同盟から分裂し衰退していったこの二つの集団が、二つの道をとおって日本労働者階級の戦闘性にたいする不信の哲学に到達したということは、きわめて深刻な教訓をわが同盟と日本労働者階級になげかけている。
すでに指摘したように、日本労働者階級は、安保・三池の敗北と労働運動の既成指導部の右傾化にもかかわらず、いたるところで屈服を拒否し、戦闘的抵抗線を形成してたたかっているばかりか、帝国主義的な対外膨張にともなう日本資本主義の国際的・国内的矛盾の激化、とりわけ第三次合理化の強行と消費者物価の構造的なインフレによる労働強化と実質賃金の低下は、労働者階級の内部に経済的不満と反逆の契機を加速度的に蓄積せしめることによって、労働者階級の戦闘的抵抗線に新しい力をさらにもたらしはじめている。
昨年の全逓と動力車の年末闘争は、その民同的指導部の自己保身的な動機にもかかわらず、革命的労働者を指導的中核とする職場労働者の大衆的な闘争に発展するなかで戦闘的性格を強めていった。じつに、六三年の全逓と動力車の年末闘争は、日本資本主義の矛盾の激化に基礎をもった新しい激動への<戦闘的序幕>であった。反逆の契機の新しい蓄積――この階級的変化をしっかり把えておかない場合には、全逓や動力車の年末闘争を例外的な偶然的事件として分析の対象外におくか、本質的には同じことなのだが、山本派のように動力車の闘争を民同的指導部にたいする革命的労働者の<思想闘争の産物>としてのみ評価することによって主観主義と民同美化の理論に落ちこむようなことになるのである。したがって、わが同盟と日本革命的共産主義運動は、このような激動の契機をいちはやくとらえ、民同的指導部のハッスル路線を日本階級闘争の基本的諸関係のなかに大胆に整序し、階級闘争の戦闘的激動をきりひらく方向に全事態を指導するために、攻撃と守勢の起伏に富んだ闘争にたえうる戦術的能力を厳しく鍛えあげることが必要だったのである。
民間的指導部のハッスル路線と組合内の戦闘的反対派にたいする官僚的統制の強化は、じつに、労働者階級の内部で起こりつつある変化にたいする労働貴族としての自己保身の二つの側面である。民同的指導部は、日本帝国主義の発展の質的転換によるブルジョア的基礎の危機と、労働者階級内部における経済的不満の増大と<たたかわない組合>への不信の深化という政治的・経済的危機のなかで、一方では、職場労働者の経済的不満を背景に資本との闘争をかまえるポーズをとるとともに、他方では、組合内の戦闘的反対派にたいする官僚的統制を強めることによって、動揺する民同支配を補修しのりきろうとしている。しかも、第三次合理化の強行と賃金ストップのブルジョア的強制は、改良的要求をかちとるためにも厳しい階級対立を不可避としており、たえず民同的指導部を<資本の要求への全面的屈服か階級闘争の激化か>という岐路にたたしめることによって、民同支配の危機を深化せしめ、組合内の戦闘的反対派にたいする官僚的統制の必要をますます拡大させているのである。
だが、われわれは、日本帝国主義の発展の質的転換から階級関係の分析を捨象して直接的に労働運動の全面的崩壊を<予想>したり、既存の労働組合組織から恣意的に独立したあれこれの行動組織を<考案>したりすることを厳しく戒める必要がある。もちろん、一定の条件のもとでは、われわれは、既成の労働組合組織から独立した大衆的組織を結成する必要に部分的に直面することもあるであろう。また、われわれは、わが同盟と日本革命的共産主義運動の主体的たたかいにふまえつつ、時と場合に応じて、統一戦線的な戦闘的活動家組織の形成のためにたたかうであろう。だが、それは、あくまで既存の、とりわけ総評的労働組合のもとに結集している職場労働者の生活と権利をまもり、労働組合組織を<防衛>し発展させるためであり、同時に、その闘争をとおして職場労働者をわが同盟と日本革命的共産主義運動の基本路線の方向に獲得し、その先進的部分を革命的労働者党の実体的担い手へと成長させるためである。
したがって、わが同盟と日本革命的共産主義運動は、既成の労働組合組織の内部で職場を基礎にして長期にねばりづよく活動を拡大し、職場を基礎に職場労働者の戦闘的信頼を強める方向で<戦闘的労働運動の防衛>と前進のためにたたかうとともに、職場と組合の力関係の厳密な評価にもとづいて確実に独自活動をつみあげねばならない。また、民同的指導部の官僚的統制にたいしては、一方では、統制処分への恐怖から労働運動主義反対を口実に戦闘的労働者のたたかいに背をむけ民同にゆ着し屈服するような右翼的=山本派的傾向との非妥協的闘争を強化し、職場闘争と反幹闘争を不断に結合することによって民同支配を下から実践的につきくずし<たたかう組合>のためにたたかうとともに、他方では、ダラ幹の言いがかり、足すくい、侮辱、迫害をおそれることなく職場を基礎に断固として官僚的統制と組合組織の分裂策動に反対し、ねばりづよく職場労働者のたたか いと結合して処分反対闘争を拡大し、処分反対闘争を組合の戦闘的強化と民同支配の打倒のためのたたかいの有機的一環として遂行してゆかねばならない。
全逓東京空港支部執行部にたいする全逓中闘の当局と相呼応した弾圧と、これにたいする全逓東京の職場労働者の<不当弾圧反対・犠牲者救援>の不屈のたたかいは、全逓東京空港支部をはじめとする全逓東京の戦闘的労働者たちが、当局と民同の二重の支配をはねのけ、敗北の教訓を深く身に刻みこみつつ、いまや、前よりも強力な組織的中核と新しい戦闘的保塁を築きあげ、民同支配と の闘争の新しい局面をきりひらきはじめたことを明白に示している。われわれは、この全逓東京の闘争に深く学び、無条件降伏主義とセクト的な<革命的>分離主義をわが同盟と日本革命的共産主義運動の内外から追放し、労働組合におけるわが同盟の活動の全面的な強化のために全同盟をあげて前進する任務に直面しているのである。
六四年春闘は、じつに、日本帝国主義の発展の質的転換のなかでたたかわれる最初の本格的な経済闘争としての意義をもっていた。昨年の全逓と動力車の年末闘争のなかに<激動の戦闘的序幕>をみたわが同盟は、民同的指導部の醜悪な自己保身的策動を突破し、六四年春闘を戦闘的激動の発火点とするために、そしてそのための組織的闘争をとおして職場を基礎にたたかう力を築きあげ、わが同盟と日本革命的共産主義運動の戦闘的強化と組織的前進のために、たたかうことを決定したのである。わが同盟は、民同のハッスル路線の本質が労働貴族としての自己保身であること、したがって、六四年春闘が経済主義的な限界を色こくもっていることを卒直に訴えつつ、同時に六四年春闘のもつ戦闘的意義をはっきりとらえる必要性を強調した。
かくして、われわれは、労働運動の指導部がたとえ自己保身からであろうと職場労働者の要求をかかげてたたかうかぎり、「指導部」の方針を職場のたたかいの「武器」として利用しつつ、幹部闘争としての限界を突破し、職場を基礎に職場労働者の大衆的な戦闘体制を築きあげるとともに、社会民主主義的、またスターリン主義的な既存の指導部の思想的実践的誤謬を職場労働者の生きた現実的意識と結合して暴露し、職場を基礎に革命的労働者党を創成することの意義を広く深く宣伝するためにたたかったのである。また、民間的指導部の政治闘争の完全な放棄にたいしては、わが同盟は、四・一七ストをめざす賃闘の徹底的な展開と反合理化闘争の不断の結合を追求しつつ、政治的課題にかんする独自的な宣伝・扇動を強化し、系統的政治暴露にもとづく<日韓会談反対のスローガン>のもちこみのために努力し、四・一七ストを同時に日韓闘争としてたたかう方向をあきらかにしていったのである。
六四年春闘の<幹部闘争から大衆的・戦闘的ストライキへ>の不断の実践的転化は、ヨーロッパなみ? の平和的ストライキを夢想していた社会党・民同的指導部、そして四・一七ストの爆発のなかに反米闘争路線の破産を本能的に感じとった共産党指導部をして、四・一七ストの背後にまたしても<トロツキズムの亡霊>をみいださしめたのである。だが、かれらが恐怖した<トロツキズムの亡霊>の実体は、四・一七ストをめざして前進を開始した日本労働者階級の不滅の戦闘性そのものだったのである。国鉄・全逓・全電通・東交などにたいするわが同盟の内外からの系統的な政治的組織的工作は、わが同盟と職場労働者とのあいだにかつてない生きた交通をつくりだすとともに、巨大な思想的流動化と既成左翼の急激な分解と再編の過程を現出せしめたのである。また、私鉄・電機・化学・造船・鉄鋼などの民間産業において、わが同盟を中核とする革命的労働者は、職場労働者の要求をかちとるためのもっとも徹底した戦士として、革命の不断の準備のための一貫した組織者として、工場=経営の中枢部に不抜の影響力を拡大し、民間産業における戦闘的労働運動の防衛と前進のための足場をかためたのである。また、従来は労働者組織の未成熟であったいくつかの地方においても、四・一七ストをめざすたたかいのなかで組織的強化をかちとり、わが同盟と職場労働者の戦闘的翼とのあいだに新しい組織的交通が創意的方法でかちとられはじめている。
まさに、わが同盟と日本革命的共産主義運動は、四・一七ストをめざす戦闘的高揚のなかで、それと不可分に結びついたものとして、不死鳥のように労働者階級のまえに登場したのである。わが同盟は、春闘の戦闘的展開をめざし、確信をもって最後までその大衆的実現を追求した唯一の全国的政治集団であった。『アカハタ』によって連日のように報道された<トロツキストの挑発>は、このようなわが同盟と日本革命的共産主義運動の不抜の前進にたいする恐怖にみちた悲鳴以外のなにものでもないのである。
なお、わが同盟への非難と中傷を唯一の身上としている山本派(自称革マル派)の指導部は、今年の春ごろわが同盟が<解体的危機>にあると妄想しておおいにハッスルしていたようであるが、これが妄想だったとわかると、とたんにシュンとなって、春闘への組織的とりくみを完全に放棄し、一単産でたたかっている唯一の部隊にすべてをまかせきりにしてしまい、半月刊の分派通信も維持できず、四・一七ストの中止の後になって発行した四月一日付の分派通信で「共産党は最賃制を中心に独自の賃闘を展開している」ことを異常に強調した奇妙な論文を発表しただけ、というところまで衰弱し機能喪失してしまったのである。かつてエンゲルスは「市民なにがしは信頼にあたいしないというたった一つの知識を一枚看板にしているような政党の前途は、まったく心ぼそいものである」といったが、まったくそのとおりで、心ぼそさどころではない。もういいかげんに他人の頭のハエを追う愚行をやめて、なぜ山本派がクシの歯がこぼれるように脱落者をだし衰退していくのか、<内部の腐敗>をじっとみつめてみればいいのだと思う。さて、閑話休題――。
四・一七ストをめぐる階級闘争の現実的展開は、日本帝国主義の国際的、国内的矛盾の深化のなかで日本労働者階級の内部に新しい反逆の契機が加速度的に蓄積されつつあること、たとえ改良的な要求であっても資本の厚い壁を突破してそれを実現するためには、大衆的闘争を基礎にした不退転の決意が必要であることをはっきりと示した。
民同的指導部は、労働貴族として自己を保身するためには、組合にたいする官僚的統制を強めるとともに、職場労働者の経済的不満を組織化して独占資本にたいして一応は闘争を構える方向をとりながらも、資本の強力な賃金ストップと合理化の要求に衝突して、後退を余儀なくされ、たえず大衆的な圧力と独占資本の壁とに挟撃される危機にさらされるであろう。また共産党は、このような困難な改良闘争からむしろ召還して反米闘争路線にそったエセ政治闘争に集中し、日本独占資本の中国市場への進出の左翼的援助者としての役割を演ずることによって、ますます日本労働者階級との対立を深めつつ、同時に、中ソ市場への接近と国内的な帝国主義的治安体制の強化を一挙的になしとげようとしている日本独占資本の<意外な敵意>に直面し、ますます反米民族主義を強めざるをえないであろう。
わが同盟と日本革命的共産主義運動は、日本労働運動の既成指導部の改良主義と民族主義への明瞭な分化のなかで、職場労働者の生活と権利を守るたたかいに根深く依拠しつつ、<反帝国主義・反スターリン主義>のプロレタリア革命の旗を高くかかげて前進するであろう。四・一七ストをめざすわが同盟のたたかいは、わが同盟が山本派との分裂によって派生した幾多の困難をのりこえて新しい組織的闘争の段階をきりひらきつつあることを事実をもって証明した。社会民主主義運動とスターリン主義運動の内部分解と相互対立は、四・一七ストという<巨大な階級的経験>をとおして、いまや深刻な局面をむかえようとしている。われわれは、全力をあげてこれら社会民主主義運動とスターリン主義運動の分解過程を革命的共産主義運動の創成過程に転化せねばならないのである。
D 日本帝国主義の矛盾の激化と労働運動の当面する課題
四・一七ストの中止とひきかえに民同支配のブルジョア的な<承認>と一定の経済的妥協を<約束>した資本家政府は、一転して帝国主義政治支配の強力的確立をめざして治安攻撃の強行突破にむかいはじめた。四・一七ストの中止の決定した四月一六日、はやくも資本家政府は、新暴力法の法務委員会の強行採決をはかり、はやくも四月二八日には社会党・共産党の裏切り的な闘争放棄のなかで衆院を通過してしまった。職場では、闘争中はおとなしくしていた職制たちがまたもしめつけを強めはじめた。全逓では、当然のことのように当局からの一六時間勤務と班長制度導入の攻撃が加えられようとしている。全電通では、六万人の首切り法案が社会党と共産党黙認のもとに衆院を通過した。国鉄では職務給の導入がもくろまれている。にもかかわらず、四・一七ストを中止させるために政府がおこなった<約束>にたいして、日経連は公然と不満を表明し、<池田・太田会談>の成果? は、はやくも内実のないものになろうとしている。四・一七ストの爆発とそれが誘発する社会的激動を回避するために、労働者階級への妥協のポーズを示した資本家階級は、四・一七スト中止後の急速な階級情勢の平静化のなかで、<与えすぎた妥協>をとりもどすために全力を傾けだしたのである。
こんにち、資本家政府の謳歌してきた日本資本主義の<高度成長>は、それ自身が蓄積した諸矛盾と国際経済の苛酷な壁に直面することによって、かつてない巨大な困難に突入しようとしている。戦後、日本資本主義は、第二次大戦による設備の荒廃を更新し、朝鮮戦争による特需発注をテコとする二次にわたる産業合理化=技術革新的設備投資を熱病的に遂行することによって、驚異的な成長率を誇ってきた。だが、いわゆる開放経済体制への移行という転換期のなかで、五五年以来の高度成長の累積した矛盾の集中的な発現に遭遇したのである。外国技術の導入をテコとし、超過利潤を目的とした過剰投資は、一方では、自己資本の能力をはるかに超えた他人資本の導入=金利負担の増大を生みだすとともに、他方では、市場占有率の確保と拡大を規範とする独占競争の激化、その結果としての過当競争と過剰生産を生みだした。しかも、重化学工業を中心とする高利潤の要因となっていた労賃の低水準は、資本の拡大と若年労働力の不足による労賃の順次的な上昇によっておびやかされはじめ、利潤率の傾向的低下を不可避としているのである。補填的な追加投資によってさらに悪化する金利負担の増大と利潤率の傾向的低下は、しだいに企業利潤の分岐点をおびやかしはじめている。
しかも、日本資本主義の「開放体制」への移行は、EECおよびアメリカ資本主義のブロック経済化と保護主義の強力な反作用のなかで開始しはじめたのであり、このような反作用は、日本資本主義の国際金融面における構造的脆弱性と、植民地の喪失による安定した勢力圏の欠如という決定的な弱点と結合することによって、国内的矛盾をいっそう先鋭なものとしているのである。
したがって、日本資本主義は、帝国主義諸国間およびスターリン主義諸国とのあいだの経済競争にたえぬくためには、一方では、労働=時間管理を軸とする産業合理化による国際競争力の強化=利潤率の確保を不可欠の要請とされており、他方では、日本資本主義の確固とした帝国主義的勢力圏の確立を急務とされているのである。職務給の導入をはじめとする労働=時間管理の全面的な合理化の開始と、これと対応した戦闘的労働運動の圧殺と職場支配権の確立のための集中的な攻撃は、このような日本資本主義の危機を突破するための死活をかけた苦闘であり、また南朝鮮をはじめとする東南アジア・西太平洋における帝国主義的勢力圏の確立のための熱病的な努力と中国大陸市場の獲得のための調整的動揺は、じつに、日本資本主義の国際的・国内的矛盾を突破しようとする対外膨張の苦悶にみちた両側面である。
だが、日本資本主義のこのような苦悶にみちた攻撃は、二つの戦線において手ごわい抵抗に直面しているのである。その第一は、日本資本主義の帝国主義的勢力圏の生命線としての日韓会談が朝鮮人民の英雄的な抵抗闘争によって、その当初の安易な<夢>をうちくだかれてしまったことである。南朝鮮にたいする日本帝国主義の新植民地主義的な進出をあたかも<困窮した隣国にたいする友情ある大国としての援助>であるかのような幻想につつんで実現しようとした日本資本主義は、朝鮮人民の深刻な反日帝闘争に直面して、新植民地主義としての本質をあからさまにあらわしはじめている。日本帝国主義は、じつに、朝鮮人民の必死の抵抗を暴力的に抑圧し粉砕することなしには南朝鮮への完全な帝国主義的支配を実現することはできないであろう。南朝鮮における朴ボナパルティズム政権を維持し延命させるために、すでに賠償金のうち二億六〇〇〇万ドルが秘密裡に朴――金権力の手に移譲されており、しかも、これらの巨額の資金は、朴政権の膨大な密偵組織と特務機関の維持のために使途されている。南朝鮮への新植民地主義的進出は、日韓会談の正式の妥結以前にすでにはじまっているのである。
したがって、日本資本主義の南朝鮮への新植民地主義的進出は、部分的には植民地的超過利潤によるプロレタリア上層の精神的物質的買収を可能にするであろう。だが、このような買収は、物質的面に限定するならば、きわめて層のうすいものであろう。いなむしろ、南朝鮮への植民地主義的な収奪と抑圧は、全体として日本労働者階級にたいする苛酷な抑圧と搾取の強化を不可避的にもたらすことによって、労働者階級の内部に不満と抵抗を増大させずにはおかないであろう。だからこそ、日本帝国主義は、大国主義的な幻想をふりまき、南朝鮮人民の反日帝闘争にたいする排外主義的反発をたくみに扇動することによって、帝国主義的政治支配の強力的確立のためのイデオロギー的支柱を強化しようとしているのである。
民族的外被に保護されることによって、日本帝国主義の内的論理としての資本の運動は、より露骨な、より凶暴な発現様式をもって貫徹されることを、われわれははっきりと把えることが必要である。したがって、われわれは、すでに種々の形態であらわれている排外主義――そこには、日韓会談に賛成している民社党はもちろん、李ライン撤廃を要求する社会党も、反米の空疎なスローガンで日帝の海外進出を隠蔽する共産党の立場も含まれる――に抗して、断固として<日本帝国主義の新植民地主義>日韓会談反対のスローガンをかかげ、戒厳令的な弾圧に抗して不屈の抵抗闘争を展開している朝鮮人民のたたかいにたいして無条件に連帯する立場にたつことを日本プロレタリアートに訴えるべきである。これのみが、抑圧民族としての日本帝国主義支配下でたたかうプロレタリアートの唯一の国際主義的立場である。山本派のように無内容に「日本プロレタリアートの立場にたて」などとわめくこと――もっとも近頃はだいぶか細くなったが――は愚かなことである。なぜなら、問題は、まさに、日本プロレタリアートがいかなる態度をとるべきか、の一点にかかっているからである。真理はつねに具体的なのである。
日本資本主義の国際的・国内的矛盾を克服し突破するための攻撃を阻む第二の要因は、いうまでもなく、民同的指導部の労資協調・企業防衛路線への明白な移行と共産党の右翼的な反米闘争路線への逃亡という二重の<指導部の危機>のなかで、なおかつ不屈の抵抗線を組織している労働者階級のたたかいである。
たしかに、四・一七ストの敗北とその後の急速な階級情勢の後退、帝国主義的治安攻勢の激化、四・一七スト中止の責任転嫁をめぐる社共の分裂策動と労働組合組織の分裂的危機――こうした一連の事態は、日本プロレタリア運動の危機をきわめて深刻なものにしている。また、職務給の導入をはじめとする労働=時間管理の合理化の全面的進行と、戦闘的労働運動のいっさいの傾向にたいする苛酷な圧殺の攻撃、そして職場のブルジョア的支配権の確立と職場からの組合活動のしめ出し――こうした一連の帝国主義的攻撃は、総評=民同的労働運動のブルジョア的基礎をほりくずしつつある。
だが、この事実から直接的に総評=民間的労働運動の早期の崩壊を予想し、このような<予想>のうえに労働者階級のあれこれの闘争=組織形態を設定することはきわめて危険であり、表面的にはいかに<左翼>的にみえようとも、じつは、わが同盟と労働者階級との大衆的な生きた交通を維持し拡大するための困難な闘争からの事実上の召還を要求する以外のなにものでもない。われわれは、プロレタリア運動の危機の深化を強調するあまり、新しい<反逆の契機>の蓄積と激動への戦闘的萌芽を捨象して、一部の悲観主義者のように<万年後退論>におちいる危険を十二分に警戒する必要があるのである。
四・一七ストへの六〇〇万労働者の結集を頂点とする六四年春闘は、階級闘争の発展が単純な下向線をとって後退しているなどという安易な評価の危険性をはっきりと示している。日本労働者階級は、民同支配のもとにあってもいぜんとして戦闘的な抵抗線を各所に現出せしめている。ここ一年間におけるわが同盟の労働者組織の急速な成長は、多年にわたるわが同盟の一貫した組織活動の生みだしたものとはいえ、同時にまた、社会党・民同と共産党の二重の裏切り的な指導のもとでなお労働運動の戦闘的前進を求めている日本労働者階級の戦闘的翼の傾向的な左翼化の党的反映でもあるのである。そして、日本労働者階級の戦闘的翼の深部に確固とした革命的中核が創成され職場を基礎に組織的・政治的・思想的影響を拡大していくなかで、わが同盟と日本革命的共産主義運動は各産業別闘争の最前線に強力な戦闘的保塁を築きあげはじめている。したがって、われわれは、四・一七ストの敗北とその後の労働運動の危機の深化をはっきりととらえ、職場においてますますきつくなってきた資本と当局の締めつけの本質をはっきりととらえかえし、職場を基礎に反撃の力を築きあげ革命的中核の強化のためにたたかわねばならない。
民同支配の<ブルジョア的承認>と一定の<経済的妥協>のうえに成立した階級情勢の中間的<安定>は、きわめて短命のものであろう。日本独占ブルジョアジーは、日本資本主義の国際的・国内的矛盾の深化のなかで民同的労働運動に幾多の不満をつのらせながらも、民同的指導部がいぜんとして組織労働者の基幹部分を掌握しており、なお全労的労働運動が未成熟かつ弱体の現状のもとでは、民同的指導部をとおして労働者階級への政治支配を貫徹する方法を当分は踏襲せざるをえないであろう。労働者階級のたえざる賃金上昇の圧力は、日本資本主義の高度成長の決定的保障となっていた低賃金の壁に衝突することによって、先鋭な矛盾をうみだしている。労働=時間管理の強化を焦点とする第三次合理化の強行にともなう労働者の抵抗の増大と結びつくことによって、このような労賃上昇の圧力は、不可避的に日本帝国主義の国際競争力の停滞要因となるであろうし、したがってまた、改良主義的な賃金闘争にたいしてすら日本資本主義はかつてない不退転の態度でのぞんでくるであろう。われわれは、民同的支配のブルジョア的<承認>にもとづく階級闘争の平和的発展が、日本資本主義の国際的・国内的矛盾の激化と労働者階級の内部における戦闘的翼の成長のまえにおそかれはやかれ不可避的な破局に転化するであろうことをはっきりと確認し、階級闘争の嵐の激動にたえうる革命的労働者党の創成のために、さらに力強くたたかわねばならないのである。
帝国主義的政治支配の強力的確立のための正面攻撃としての<憲法改正>は、南朝鮮への新植民地主義的進出とその帝国主義的権益の強力的保護と、日本資本主義の矛盾の深化にもとづく労働者階級の激発する抵抗を抑圧するために、日本帝国主義の不可避な課題として遠からず現実的日程にのぼるであろう。国防力の強化、行政権の拡大、労働権の制限を三つのを柱とする憲法改正のための動向は、まさにこのような階級的利害の緊迫と結合することによって、階級闘争の一大局面を形成することになるであろう。憲法調査会の六月答申は、このような憲法改正への法制的準備の第二段階への移行を意味しており、すくなくとも手続的には憲法改正の前夜の到来を意味しているのである。
以上の確認のうえにたって、わが同盟と日本革命的共産主義運動の当面する課題としてわれわれは、(一)四・一七ストの政治的教訓の深化と労働者階級の戦闘的翼への精力的もちこみ、(二)民同の官僚的処分反対・共産党のスト破りを大衆討議で弾劾せよ――をスローガンに職場を基礎に組合を守り強化すること、(三)賃上げ、反合理化のもっとも徹底した戦士として職場を基礎にたたかう力を築きあげること、(四)日韓・憲法を軸とする政治闘争の思想的・組織的準備を強化し独自な宣伝・扇動の大量的展開と大衆闘争としての発展の追求、(五)中ソ対立を背景とする原水禁運動の分解と危機に抗して国際的反戦闘争の前進のためにたたかうこと、(六)労働組合組織から独立した「ストライキ委員会」「改憲阻止委員会」などの行動組織の安易な提起に警告し、同盟・左派統一戦線・大衆団体の有機的発展のもとに職場を基礎に闘争を準備すること、(七)社会民主主義運動・スターリン主義運動の動揺と分解への革命的介入と、革命的労働者党のための闘争を大胆におしすすめることに、直面しているのである。
四・一七ストをめざす日本労働運動の戦闘的高揚と、社共両党の決定的次元における裏切りは、日本労働者階級の戦闘的翼の内部にかつてない深刻な政治的流動過程をもたらした。こんにちのところ、流動過程は、主として既成の政治的外被につつまれて進行している。だが、事態は、決定的比重をもって左翼的方向に傾斜しはじめている。戦闘的翼のこのような傾向的な左翼への流動過程は、かならずや既成の政治的外被との先鋭な衝突を各所に発生させつつ、社会党・共産党にかわる<たたかう労働者党>の創成の課題を戦線的翼の共通の課題としてますます提起せしめずにはおかないであろう。
もちろん、社会民主主義やスターリン主義と根底的に決別した<新しい型の党>を創成するということは、けっして容易なものではないであろう。だが、われわれは、それがどんなに困難な課線であろうとも、それなしにはプロレタリア解放運動の今日的危機を突破しえない以上、総力をあげて<たたかう労働者党のための闘争>の前進のためにたたかわねばならないのである。わが同盟と日本革命的共産主義運動は、日本帝国主義の激化する攻撃に抗する日本労働者階級の抵抗闘争の最前線に立ってたたかいつつ、<反帝国主義・反スターリン主義>という二〇世紀的課題を真に実現しうる<たたかう労働者党>の創成のための不抜の中核としてたたかいつづけるであろう。プロレタリア運動の社会民主主義的堕落とスターリン主義的歪曲を突破し、プロレタリア解放の前衛部隊を創成するためのたたかいは、四・一七ストをめぐる階級闘争のなかでますます明瞭となりつつある社共両党と戦闘的労働者の分裂の深化のなかにその現実の基礎を力強く築きはじめているのである。
(一九六四年五月一〇日)
(『共産主義者』一〇号一九六四年六月に掲載)