三 反スターリン主義運動の結集と前進をかちとろう
   八・二大阪反戦集会に際し訴える
 
 本稿は、六四年八・二大阪反戦集会にむけての指導論文として書かれ『前進』に発表されたものである。ここでの基調的提起をうけて八・二集会は画期的成功をおさめ(一七〇〇余名結集)、六四――六五年の日韓闘争、原潜阻止横須賀闘争をはじめとする大闘争の高揚を準備するものとなった。
 
 
 反戦闘争の前進へ/職場にたたかいの拠点を/戦闘的交通の拡大を/たたかう労働者党創成へ
 
 
 全国の革命的労働者・学生・知識人諸君!
 日韓条約の粉砕・改憲阻止・反戦全国労働者学生集会は、きたる八月二日に大阪の国民会館大講堂において約一五〇〇名の代表者の参加のもとに開催されようとしている。現在、この反戦集会の成功をめざして関西はじめ全国各地で最後の努力がはらわれている。
 反戦集会の開催を直前にして、わが同盟全国委員会政治局は、ここにあらためてこの反戦集会のもっている意義と任務、そして克服さるべき弱点を卒直に提起し、反戦集会の成功のために全国の革命的労働者・学生・知識人諸君のよりいっそうの努力をうったえ、かつまた集会への動員過程を徹底した政治的討議と思想的武装の場とすることをこころから呼びかける。反戦集会を与えられたものとしてではなく、たたかいとるものとして取りくむこと――ここにすべての成功の鍵がある。
 
 反戦闘争の前進へ
 
 全国の革命的労働者・学生・知識人諸君!
 日本原水禁運動の反労働者的な堕落と党利党略的な分裂は、職場で学園で苦闘しているすべての戦闘的翼のなかに深刻な憤激と批判をよびさましはじめている。
 六一年夏のソ連政府の一方的な核実験再開以来、悪循環的に継起した米ソ両国政府の核実験競争にたいしてなにひとつ実践的な反対闘争を組織しえず、ソ連核実験支持か、すべての核実験に反対か、をめぐって無意味な内部抗争をくりかえしてきた日本原水禁運動は、いまや、激化する中ソ対立を背景に「部分核停条約」の評価をめぐって混乱の極に達しようとしており、社共両系統への分裂にむかって坂道を転落しはじめた。四八年以来のスターリン主義的な平和擁護闘争の経験と実績にものいわせて原水協事務局を私物化し、原水禁大会の正統派を任じようとする日本共産党。ソ連核実験支持を強弁する日共への労働者大衆の反発に便乗して総評の物質力を基礎に原水禁運動の本流をのっとろうとする社会党。だが、この分裂したいずれの原水禁運動のなかにも、核実験と核戦争の準備に反対し日本帝国主義の日韓、改憲、軍事力強化の政策とたたかう戦闘的方向性をみいだすことはできない。そこにあるものは、核実験に反対し、核戦争につらなるいっさいのあらわれと不断にたたかってきた日本労働者階級を主力とする反戦のたたかい、原水禁運動の前進を根底においてささえていた労働者大衆の反戦的自発性からの絶望的なまでの疎外である。
 しかも、きわめて重大な問題は、日本原水禁運動のこのような社共両系統への分裂の進行が、原水禁運動の労働者的な反戦的自発性からの分離と対立の深化の過程であるにもかかわらず、一〇〇万を超える組織労働者が社共両党の党組織および労働組合組織をとおしてこの二つの分裂大会への政治過程に直接的に包括されつつあり、そのことがますます逆に組織労働者のなかに存在する反戦的自発性を圧迫し虚偽の平和意識を拡大する要因となっていることである。
 したがって、プロレタリア運動の革命的前進をきりひらこうとしているいっさいの前衛的組織は、日本原水禁運動がいかに堕落し、いかに労働者的現実から遊離していようとも、けっして日本原水禁運動の反労働者的危機から目をそむけてはならない。それどころか、責任ある前衛的政治組織は、民社党・社会党・共産党に系列化されつつある原水禁運動の反労働者性を具体的かつ理論的に暴露しつつ、同時に、労働者大衆の内部に存在する即自的な反戦意識を現状変革の革命的・階級的意識にむかってひきだし発展させるための現実的環をたえず具体的に提起し、行動をとおしてその現実性と革命性をかちとるためにたたかうことが要求されている。核実験と核戦争の脅威を現状維持とソ連=中国(スターリン主義)圏の防衛の意識にすりかえてきたスターリン主義的な平和擁護運動と決別しつつ、核実験と核戦争にたいする労働者大衆の反戦的自発性を現状変革=<反帝国主義・反スターリン主義>の世界革命にむかっての<開かれた運動>として展開すべきものとして反戦闘争は登場し、実際のたたかいをとおして、その現実性と革命性を強めてきたのである。
 六一年夏のソ連核実験を契機として開始された米ソ核実験反対の反戦闘争は、原水協を中心とする既成の原水禁運動が米ソ核実験になんら実践的に対処しえず、他方、安保闘争をとおして登場した革命的左翼の多くが、スターリン主義的残滓から「ソ連核実験」の反労働者性を理解しえず、あるいは、既成のスターリン主義的な平和擁護運動への反発から「戦争と平和」の問題を提起すること自体が小ブル的意識への追従であるかのように早合点する当時の状況のもとでは、わが同盟と日本革命的共産主義運動を前衛とするきわめて先駆的な、それゆえすぐれて党派的なたたかいとして、労働者階級と学生層のなかで大衆的基礎を拡大していった。
 事実、米ソ核実験反対の反戦闘争が<反帝国主義・反スターリン主義>を綱領的立場とするわが同盟と日本革命的共産主義運動によってはじめて提起され、それを前衛とすることによって大衆闘争として登場し、前進しえたことは、けっして偶然でも奇蹟でもない。なぜならば、第一次大戦にさいしてレーニンとボルシェビキが戦争にたいする革命的立場を提起し、いっさいの日和見主義的潮流に抗して国際的反戦闘争を展開しえた前提に世界資本主義の帝国主義段階への発展とプロレタリア革命の必然性にかんする直感的、理論的洞察が不可欠であったように、現代の核戦争の危機にたいする唯一の革命的立場は、世界革命のスターリン主義的変質と帝国主義の延命を前提とする現代世界の帝国主義とスターリン主義の分割支配とその構造的変動、<反帝国主義・反スターリン主義>世界革命の必然性にかんする直感的、理論的洞察を出発点とすることなしにけっして導きだされえないからである。
 こんにち、現代プロレタリアートの革命的任務としての反戦闘争を拒否することは、レーニン主義的原則にかんする驚くべき無知と背教を意味しているばかりでなく、現代世界の危機的構造の提起している根本的な現実的課題にかんしてその党派がまったく無感覚であることの証拠である。われわれは、第二次世界大戦にさいしてスターリン主義者とトロッキー主義者(第四インター)のおかした誤り、すなわち国際的反戦闘争の放棄を断じてくりかえしてはならない。しかも、現代世界の危機的構造は、「戦争を内乱へ!」などという古典的テーゼへの安易なよりかかりの危険性をはっきりと警告している。現代プロレタリアートは、「戦争を内乱へ!」という古典的テーゼを「戦争と革命」にかんするより本質的な意義において把握し、それを核戦争を阻止する現実的過程の内側に具体的に貫徹する任務に直面しているのだ。
 
 職場にたたかいの拠点を
 
 全国の革命的労働者・学生・知識人諸君!
 四・一七ストにたいする日本共産党の組織的ストやぶりと職場労働者からの孤立、民間指導部の<池田・太田会談>を口実とした四・一七スト裏切りと職場労働者の不満の日共への転嫁、民同指導部の官僚的統制処分の強行と九中総を転機とする日本共産党の民同指導部への屈服、格差問題をめぐる民同指導部の内部対立の激化と総評大会における太田=岩井路線の信任――こうした日本労働運動の既成指導部の一連の動揺の過程は、日本帝国主義の発展の質的転換が日本労働運動の政治的、経済的基礎をかつてない激しさで変動させていること、しかも、かれらがこのような変動に対応してそれぞれ自己を経済主義と政治主義の二つの傾向に純化することによって自己防衛をはかりながらも、日本帝国主義の国際的、国内的危機の深化にもとづく階級攻撃の激化と労働者階級の職場を基礎とした下からの戦闘的抵抗の増大という新しい階級関係の成長のなかで、際限のない動揺と再編の過程をあゆみはじめたことをしめしている。
 周知のように、安保・三池の敗北以後、企業防衛・労資協調の新路線をうちだした総評=民同指導部は、<開放経済体制>への移行の嵐のなかで進行する第三次合理化とのたたかいを政転闘争にすりかえ、日本帝国主義の新植民地主義=日韓会談と治安攻勢とのたたかいを放棄してきたばかりでなく、消費者物価の構造的インフレにもとづく実質賃金の傾向的低下に苦しむ職場労働者の生活をよそに、賃金闘争にすらロクにとりくまず、資本と当局の締めつけに抗して激発する職場闘争にたいして組織統制を強化するという官僚的手段によって、民同支配を維持してきた。他方、基地行進を主軸に反米民族闘争路線を強化した日本共産党は、「ものとり主義反対、ストライキマン的傾向の克服」のスローガンのもとに、帝国主義の発展の質的転換にもとづく攻撃の激化、とくに労働=時間管理を軸とする合理化攻撃とのたたかい、賃金ストップ=実質賃金の低下の壁をうちやぶる大幅賃上げのたたかいを完全に放棄し、極左的言辞をろうして職場労働者を街頭主義的な反米行動にひきまわし、職場支配権をめぐる資本と当局の攻撃に一方的な屈服と後退の道をひらいてきた。
 しかも、いわゆる「開放経済体制」への移行にともなう国際競争の激化と過熱的な設備投資による設備過剰と在庫過剰のなかで危機をふかめている日本帝国主義は、南朝鮮への帝国主義的進出とともに国内の帝国主義政治支配の強力的確立と労働=時間管理を軸とする全面的な合理化を階級的至上命令としており、そしてこのような日本帝国主義の政治経済的な動向は、安保・三池以後の階級関係のブルジョア的傾斜、とくに労務管理体系の合理化=組合主義的職場支配権の解体のための資本攻勢と結合して、労働運動における民同支配の政治経済的基礎を根本からゆさぶりはじめている。
 だが、労働運動における民同支配の政治経済的基礎の動揺と、民同指導部の全面的後退は、直接的に日本労働者階級の戦闘的力量の喪失を意味するものではない。いなむしろ、安保・三池以後の総体的な後退のなかで、なおかつ職場労働者の抵抗闘争を基礎に凹凸に富んだ戦線で攻防のたたかいをつづけてきた日本労働者階級は、低賃金と労働強化、合理化と労働災害の激化のなかで新しい反逆の契機を鋭く内部に蓄積しはじめている。従来、民同指導部の戦闘的支柱をなしてきた職場の青年活動家の巨大な左翼的地すべりは、このような階級的変化のはじまりである。
 したがって、太田=岩井の春闘ハッスル路線は、一方では職場で成長している左翼的潮流にたいする組合統制を強めるとともに、他方では職場にうっ積している経済的不満を組織化することによって経済闘争の一定の高揚をかちとり、階級関係のブルジョア的傾斜にもとづく民同支配の危機を克服し、あわせて<たたかわない組合>への職場労働者の不信を一掃し、民間支配の再強化をはかろうとした労働貴族としての死活をかけた最後的なたたかいだったのである。
 だが、たとえ四・一七ストが民同指導部の労働貴族的な自己保身から提起されたとしても、社会資本部門を軸とするストライキの実現のためには大衆的な闘争態勢の形成が不可欠であり、同時にまた、低賃金と合理化の攻撃のなかでじりじりと後退を余儀なくされてきた職場労働者にとって四・一七ストはまさに階級的反撃の第一歩を意味していた。じじつ、交通ゼネストを中軸とする六〇〇万労働者の四・一七ストは、太田=岩井らの民同指導部の「平和的ストライキ」の実現という矮小な改良主義的な願望にもかかわらず、それがいったん開始されるならば、社会資本の中枢的機能を停止され、ブルジョア的社会の生産と流通を基本的に途絶せしめるところの<大衆的ストライキ>として資本家階級への総反撃の出発点をつくりだし、反合理化闘争の再生のみならず日韓・改憲などの政治攻勢をはねかえす戦闘的激動の開始にひきつがれたであろう。
 まさにこうした労働者階級のたたかいが、資本家政府にたいする非妥協的な衝突に発展しようとしていることに恐怖したがゆえに、またこのたたかいの発展が労働運動の階級的再生を促進し、民同支配の左翼的解体をもたらすことを恐怖したからこそ、太田=岩井らの総評=民同指導部は政府との取り引きにやっきになったのである。資本家政府は、太田・池田会談において一定額の賃上げ=経済的譲歩を「約束」し、民同支配の「承認」を代償にして激動する局面を資本家階級の掌中に収めることができた。
 こんにち、総評、公労協各単産の民同指導部は、共産党のストやぶりにたいする職場大衆の怒りに便乗して、一見左翼的言辞で共産党を非難している。だが社会党・民同こそ、四・一七スト裏切りの究極の責任者なのである。
 日本共産党の四・八声明を契機とするやみくもなストやぶりは、このような四・一七ストの実現が階級闘争の赤裸々な激動をうみだすことによって、日本帝国主義を<反米親中>の中間地帯として獲得するという中国共産党=日共の反米民族闘争路線を破産的危機に追いこむことにたいする最後的かつ唯一の官僚的防衛手段であった。こんにち、日本共産党は、九中総決議として四・一七ストにたいする日共の態度を四中総路線から逸脱した特定の指導者の誤りとして自己批判し、今回の日共の反階級的行為を例外的かつ偶然的な戦術的誤謬として隠蔽しようとしている。だが、日共指導部がどんなに自己弁護的に責任回避しようとも、日共の四・一七ストにたいする反階級的裏切りは、日共綱領と四中総・七中総決議を一貫して基礎づけている<反米民族闘争路線>の必然的な帰結である。
 今回の自己批判の本質は職場労働者の戦闘的翼からの孤立、民同の官僚的統制処分から日共の労働者組織の混乱と動揺を防衛し、民同的改良主義と妥協し、民同指導部の官僚的指導に屈服することによって<反米民族闘争路線>の破産的危機を政治的にのりきろうとする中間主義的手直し以外のなにものでもない。レーニンの「ストライキについて」という論文をかつぎだしてまでの日本共産党のこのような中間主義的手直しは、たとえ一時的には職場労働者の戦闘的批判を混乱させ、民同指導部の官僚的統制処分を緩和させえたとしても、このような「戦術的誤謬」を可能とした党指導部と綱領の民族主義的=反プロレタリア革命的本質への根本的検討を呼びおこすとともに、他方では、宮本=袴田的中間主義の御都合主義的な決定にたいする民族主義的反動の党内における台頭を不可避とするであろう。
 
 戦闘的交通の拡大を
 
 日本帝国主義の国際的・国内的矛盾の複合的蓄積とその一挙的な危機の深化は、労働者階級にたいする帝国主義的政治反動の急激な成熟をブルジョア的至上命令としている。南朝鮮を自己の勢力圏として植民地主義的に獲得しようとする日本帝国主義の海外市場再分割のための死闘と、国内における帝国主義政治支配の強力的確立のための改憲への政治攻撃、そして労働=時間管理の合理化を軸とする職場支配権のブルジョア的確立のための資本攻勢は、じつに、日本帝国主義の当面する政治反動の三位一体的な基本方向を示している。だが、階級闘争の発展はブルジョア社会の政治経済的発展を基礎としながらも・基本的には資本家階級と労働者階級の生きた階級関係を媒介として実現するのであり、支配階級の必要に応じて恣意的に決定されるほど得手勝手なものではない。
 しかも、日本帝国主義にとっての決定的危機は、日韓、改憲、合理化という三位一体的な攻撃が、内外の階級情勢によっていくつかの困難に直面して不均衡な発展を余儀なくさせられていることである。日本帝国主義は、海外における帝国主義的権益を保護し国内における労働者階級の抵抗を強力的に抑圧する政治的軍事的支配体系の致命的な未完成のなかで、帝国主義諸国およびスターリン主義諸国との赤裸々な国際的な争闘過程に突入せざるをえなかったのである。
 したがって、われわれは、日本帝国主義の日韓、改憲、合理化の攻撃を統一的関連において基本的に把握しながら、そして反撃のたたかいをたえず統一的方向にたかめるために意識的に追求しながら、プロレタリア運動における戦闘的潮流の創成のための客体的、主体的条件について比類なき革命的レアリズムをもって対処することが必要である。
 職場労働者の現実的意識過程、戦闘的革命的主体の形成の有無、先進的中核と職場労働者の結合の有機的成熟の程度などには無関係に、外圧的に、労働者にいわゆる「政治方針」を与えるならば労働者はたちあがるだろう、といった小児病的な政治主義の破産は、ここ数年来の革命的左翼戦線の歴史が明白に証明している。また、四・一七ストの挫折の教訓として「モノトリ主義の歴史的消滅」を宣言し、下層プロレタリアートを「本工大組合の圧力団体的運動と決定的に異質な社会闘争としての運動領野に導き新たな部隊=闘争主体にきたえ」(関西共産主義者同盟機関紙『烽火』)あげるか否かにいっさいの絶望的期待をかけ、接ぎ木的に「少数者支配の打倒」(同)を空論的に呼びかけるような方法では、しょせん、永遠に小ブル急進主義に依拠した地方的小サークルの域を脱することは不可能であろう。
 たしかに、反合理化闘争はおろか賃上げ闘争すら、こんにちの民同指導部あるいは日共指導部のもとで大きな壁に直面していることは事実である。生産性にみあった賃上げ、という資本家的スローガンのもとにきびしさを増している賃金ストップの壁を突破して大幅賃上げをかちとっていくには、部分ストと有機的に結合した大衆的ストライキを背景としてたたかうことがますます不可欠となるであろうし、改良主義的指導を職場を基礎に空洞化し、戦闘的な指導を充実していく過程が不可避的に形成されるであろう。だが、このことは、直接的に「賃闘の歴史的消滅」を意味するものでは断じてない。いわんや、観念的に勝手につくりだされた「下層プロレタリアート」に反革命(いわゆる改憲のことか?)をはねかえすいっさいの鍵をあずけてしまうことは、現実には、総評=中立労連の翼下にある日本労働者階級の組織的本隊から革命的左翼をセクト主義的に分離させるものでしかない。
 四・一七ストをめぐる階級闘争が示したものはまさに逆である。日本帝国主義の攻撃のあらたな激化は、公労協と巨大民間を主力とする日本労働運動の既成指導部の傾向的ブルジョア的傾斜をもたらしながらも、同時に既成指導部から独立した新しいタイプの戦闘的青年活動家を生みだすとともに、従来は民同的運動を支えてきた職場の中堅的な組合活動家のなかに深刻な戦闘的反省の過程を呼びおこしている。階級意識の成熟の条件を単純にプロレタリアートの階層的分化に還元することは無意味である。
 われわれは、経済主義反対、労働運動主義反対のスローガンのもとに登場するいっさいの敗北主義をわが同盟と日本革命的共産主義連動の内外から追放し、職場労働者の生活と権利をまもるための改良的要求にねばり強く結びつき、大幅賃上げと反合理化のたたかいのもっとも誠実な組織者として活動を拡大し、革命的左翼と組織労働者とのあいだの交通と結合を多面的にきりひらくためにたたかわねばならない。
 日韓・改憲を主軸とする日本帝国主義の政治反動にたいする労働者的暴露と反撃のたたかいの準備はこのような大幅賃上げ、反合理化のたたかいと可能なかぎり連関性をあきらかにしながら、独自に政治闘争としてもちこまれなくてはならないことはもちろんである。大幅賃上げ、反合理化のたたかいと、日韓条約粉砕・改憲阻止・日帝の軍事力強化反対のたたかいを有機的に結合し、反帝国主義・反スターリン主義の世界革命の一環としての日本革命の方向に意識的=組織的にたかめていく前衛的政治組織=<たたかう労働者の政党>を不断に今日的に準備していくこと、まさにこの一点に改良と革命を結合する今日的な環がある。
 
 たたかう労働者党創成へ
 
 全国の革命的労働者・学生・知識人諸君!
 きたる八月二日の大阪反戦集会は、民社党・社会党・共産党の三系統に分裂した原水禁運動に抗した国際的反戦闘争の一環として、また既成の労働運動指導部と決別した、新しい戦闘的労働運動者の結集と前進のための力強い跳躍台として開かれようとしている。
 しかも、今回の大阪反戦集会の決定的意義は、従来、米ソ核実験反対のスローガンや反戦闘争の位置づけをめぐって四分五裂していた革命的左翼戦線が、幾多の保留条件を付しながらも<日韓条約粉砕・改憲阻止・反戦>の一点で総結集して共同の政治集会を開催し、あわせて反スターリン主義の革命的左翼戦線の行動の統一のための出発点をきずこうとしている点にある。まさにこの点に、大阪反戦集会の特殊的な意義と、それゆえに内容的な諸欠陥を派生する過渡的脆弱性が存在するのである。
 周知のように、今回の反戦集会は、六一年以来の米ソ核実験反対闘争を根拠としつつ、六二年秋の大管法闘争とくに六三年春以来のポラリス・日韓をめぐる学生運動の戦闘的統一行動の発展、六四年春のわが同盟の長船社研との戦闘的交通の再開などにあらわれた革命的左翼戦線内部におけるねばり強い統一の努力を共同の前提として、はじめて可能となった。われわれは、この大阪反戦集会の準備の過程をとおして革命的左翼戦線内部における協力と行動の統一のよりいっそうの前進のためにたたかうとともに、この大阪反戦集会の成功を跳躍台として社共をのりこえ、社共にかわる<たたかう労働者党>の創成をめざして原則的なたたかいを、さらに力強く前進せしめねばならない。
 きたるべき八月二日の大阪反戦集会は、日本労働者階級の内部に既成の社会民主主義とスターリン主義の二潮流から決別した革命的左翼が<第三の潮流>として、抗しがたい力をもって成長しつつあることを事実をもって示すであろう。スターリン主義と革命的共産主義の分裂の過程をとおして形成された諸党派とともに、いままた、日本社会民主主義運動の右傾化のなかで左翼的分離の方向を歩みはじめようとしている一部の誠実な社会党員や社青同員も、すくなからずこの大阪反戦集会へ合流しはじめている。わが同盟と日本革命的共産主義運動は、もっとも一貫した責任ある前衛部隊として、この大阪反戦集会の成功のために全力をあげてたたかうとともに、この大阪反戦集会に基本的に参加しようとしている諸党派とその影響下にある戦闘的労働者、学生、知識人にむかって、いわゆる<新左翼統一戦線党>の非現実性と反動性を暴露し、反帝国主義・反スターリン主義を革命的立脚点とする<レーニン主義的党>の創成のためのたたかいの意義を公然と訴えるであろう。
      (『前進』一九四号一九六四年七月二七日に掲載)