十 反帝・反スタの旗のもと、日本革命の勝利へ前進せよ
    八・二反戦集会の成功のために
 
 本論文は、六六年八二反戦集会にむけて『前進』紙上に四回にわたって連載された特別シリーズの最終回にあたる論文である。武井健人の筆名で著者は、シリーズのしめくくりとして、戦後世界体制の構造的特質とその変動についておさえつつ、ベトナム侵略戦争の歴史的性格をみごとに浮き彫りにしている。そして、ベトナム危機を導火線とする帝国主義の体制的危機の深化とスターリン主義の一国社会主義的対応の破産の進行とがおりなす戦後世界の歴史的転形期において、いまこそ反帝・反スターリン主義世界革命戦略のもとに日帝打倒=日本革命勝利にむかって前進することが唯一正しい道である点を鮮明に提起している。
 
 
 戦後体制の崩壊と転形期の開始/帝国主義的危機の蓄積と爆発/米帝ベトナム戦争激化に脱出口/日本帝国主義打倒の旗高く
 
 
 戦後体制の崩壊と転形期の開始
 
 帝国主義とスターリン主義の複合的な分割支配を構造的基底とする戦後世界体制は、ベトナム危機を導火線とする帝国主義の体制的危機の深化と、スターリン主義陣営の一国社会主義的対応の自己破産とを基軸として、巨大な歴史的転形期をむかえはじめた。
 周知のように、戦後世界体制は、第二次大戦の戦後処理にかんするヤルタ協定を基底として成立したものであるが、その本質は、東欧を緩衝地帯としてソ連支配下に割譲することの代償として帝国主義本国における戦後革命の波を封殺することにあった。フランス、イタリア、ベルギー、日本など一連の帝国主義諸国で高揚した前革命的情勢は、解放軍万歳・祖国復興というスターリン主義的政策のもとに次つぎと封殺され、帝国主義の基本的延命が確認された。
 アメリカ帝国主義を専制君主とし、ソ連スターリン主義を補助的支柱とした戦後世界体制の形成は、まさに、戦後革命の敗北という世界史的過程を前提とするものであった。もちろん、四九年の中国革命は、アジアにおける帝国主義的秩序を根底的に揺るがしたが、アジア革命の「朝鮮戦争」的変質と日本における戦後革命の敗北・日米帝国主義同盟の成立は、アジアにおける帝国主義的反動のあらたな編成を登場させた。安保を基軸とする日米同盟は、マレーシアを拠点とするイギリス帝国主義とならんで、アジアにおける反動と侵略の帝国主義的起点を形成した。
 ところで、こんにちの現代世界は、ロシア革命を突破口とする帝国主義と社会主義の世界史的分裂が、世界革命の一国社会主義的歪曲と国際帝国主義の延命を前提として「平和共存」的形態に変質したものだが、ヤルタ協定を基軸とした戦後世界体制は、このような世界史的変質の一応の完成を意味するものであった。
 スターリン、フルシチョフ、トリアッチ、毛沢東など、スターリン主義陣営の領袖たちは、世界革命の過渡期の「平和共存」的変質にたいして「世界情勢の構造的変化」とか「経済競争における勝利」とか「東風は西風を圧す」とかいった主観的スローガンで美化してきた。だが、これらのスターリン主義者たちがなんと強弁しようと、戦後世界の主導的要因はアメリカ帝国主義の戦後世界体制の側にあった。この明白な事実を直視しえぬところに、スターリン主義経済学の誤謬の一つの要因があるといえよう。
 ロシア革命の勝利以後、世界プロレタリアートは、帝国主義的基幹部においてただ一つの勝利も経験していない。まさに、この一点にこそ、世界革命の今日的危機が集中的に表現されている。
 われわれは、こんにちにいたるも、現代世界の富と文化の圧倒的部分が、したがってまた、労働者階級の圧倒的多数が帝国主義のくびきのもとにつながれている、という否定的現実から出発する。この確認なしには、スターリン主義官僚制のもとで苦悩する「ソ連=中国圏」人民(直接的生産者)の根底的解放もまったくありえないであろう。
 
 帝国主義的危機の蓄積と爆発
 
 だが、戦後世界の主導的要因が帝国主義の世界体制の側にあった、という事実の確認は、帝国主義の戦後世界体制における矛盾の蓄積と、その危機的発現を否定することをいささかも意味しない。それどころか、戦後世界の主導的要因をなしてきた帝国主義的世界体制が、帝国主義としての特有の矛盾を基礎とした体制的危機の深化という形態をとって、戦後世界体制の歴史的転形期を準備しつつあるところに、こんにちの重大な局面があるとさえいえる。
 アメリカ帝国主義を中心とする帝国主義の世界体制は、帝国主義とスターリン主義の対立的共存という戦後的特殊性に規制されながら、帝国主義としての特有の矛盾の蓄積を基礎に、スターリン主義陣営の危機をも招来している。フルシチョフ以後、スターリン主義者のあいだで隆盛をきわめた「経済競争」の理論(二〇年でアメリカを追いこせ――フルシチョフ、一五年でイギリスを追いこせ――毛沢東)は、こんにちでは完全に破産してしまった。
 帝国主義の体制的危機は、帝国主義の特有の矛盾を基礎としつつ、その矛盾の危機的発現をとおして、逆にスターリン主義陣営の一国社会主義的矛盾を激化せしめ、帝国主義の世界的危機のうちにスターリン主義諸国を包摂しはじめている。経済競争という物化された闘争形態の自己矛盾は、スターリン主義の世界体制のうちに経済成長率の停滞という皮肉な結果をうみだすとともに、当の競争相手たる帝国主義陣営の体制的危機がスターリン主義の内部矛盾を激化せしめるという当然の解答をあたえたのである。
 さて、戦後世界の歴史的転形期を準備している基軸的要因が、アメリカ帝国主義における経済的矛盾の深まりであり、この矛盾を回避するためのインフレ=経済軍事化と凶暴な戦争政策が蓄積せしめている体制的危機の進行であることは、『前進』二九三号のトップ論文で正確に指摘されたとおりである。帝国主義の戦後世界体制の矛盾は、戦後的特殊性に規制されながら、国際帝国主義の背骨をなすアメリカ帝国主義のうえに集中的に蓄積されているのである。アメリカ帝国主義における経済的矛盾の危機的深化は、こんにち、ベトナム危機として発現しているが、ベトナム戦争は、まさに、アメリカ経済の帝国主義的矛盾の必然的爆発であり、帝国主義の戦後世界体制が、過去二〇年間に蓄積した体制的危機の深まりを根底としているのである。
 もともと、帝国主義の戦後世界体制は、ヤルタ協定を基底としたスターリン主義陣営の平和共存政策と、労働者運動の綱領的敗北を補助的条件としながらも、なお「ソ連=中国圏」への政治的=軍事的対抗をテコとしたアメリカ帝国主義の世界政策(軍事同盟とドル体制)を基礎として形成された。だが、こんにちでは、かつて帝国主義の戦後世界体制を存立させた国際的条件そのものが、国際帝国主義の専制君主たるアメリカ帝国主義の政治的・軍事的・経済的矛盾を集中的に深化せしめる客観的条件に転化している。かくして、アメリカ帝国主義のうえに集中的に蓄積された国際帝国主義の矛盾は、帝国主義の世界体制の崩壊の誘因としての脅威を深めながらも、戦後的特殊性に規制されることによって、帝国主義的世界体制を崩壊させるところまで、容易にはすすむことができない。
 もちろん、こんにちのアメリカ経済は、ケネディ=ジョンソン政権のインフレ=経済軍事化の政策をテコとして「長期的繁栄」を享受しているといわれる。だが、このような「繁栄」は、赤字公債=軍事生産という消費的生産を基礎的刺激とするものであり、しかも、インフレとベトナム特需にもとづく輸入の増大は、アメリカ帝国主義の国際収支の危機をいちじるしく脅かしている。
 ケネディ=ジョンソン政権の経済成長政策は、もともと、帝国主義の戦後世界体制の存立条件であったドル散布政策と、EECの台頭を契機とする西欧帝国主義の復興との矛盾として発現したドル危機、そして、このドル危機にともなう景気の大幅な後退を回避するためにうちだされたものであるが、この成長政策にもとづく「繁栄」現象そのものが、その基底においてこんにち、より深刻な危機を蓄積している。しかもアメリカ帝国主義は、国際帝国主義の全般的な経済危機の招来を覚悟することなしには、大胆な国際収支対策をうちだすことができない。いわんや、赤字公債にもとづく金利負担だけでも年間一三〇億ドルにのぼるということは、じつは、戦争経済の終止がまったく容易でないことを意味している。
 
 米帝、ベトナム戦争激化に脱出口
 
 したがってアメリカ帝国主義にとって現実に可能な唯一の脱出口は、ベトナム戦争を帝国主義の戦争体制の危機をかけた総力戦に転化していくことである。ハノイ・ハイフォン爆撃に表象されるベトナム危機の深刻化は明らかに、中国大陸をも包括した戦争拡大の危険を示している。ベトナム戦争を導火線とする帝国主義の体制的危機の深まりは、アメリカ帝国主義のみならず、すべての帝国主義諸国とスターリン主義諸国をこの泥沼的過程にひきこまずにはおかないだろう。
 京都における日米経済合同委がはっきり示しているように、アメリカ帝国主義を中心とする帝国主義的世界体制を根底から揺さぶりはじめた体制的危機の深化と、急激な反動的潮流の進展は、日本帝国主義の独自の政治反動のプランよりもはるかに急速なテンポですすんでいる。帝国主義の時代、とりわけ戦後的特殊性に規制せられたところの帝国主義段階にあっては、安易に帝国主義諸国間の対立の爆発について語ることはできない。帝国主義の世界体制の内部矛盾は、帝国主義に特有の矛盾にもとづいて帝国主義諸国の不均等発展と相互対立を強めながらも、なお、戦後的特殊性に規制せられて、内部対立を全面的に発現させることができない。アメリカ帝国主義のうちに集中的に蓄積せられた体制的危機と、ベトナム戦争として発現しているその矛盾的過程にしゃにむに包括されていくことのなかに、世界的危機と国内危機との今日的な関連のひとつのあり方があるといえよう。
 従来、戦後日本帝国主義はアメリカ帝国主義の世界支配政策を国際的存立条件として再建・発展の過程をたどってきた。戦後革命の危機をアメリカ占領軍の援助のもとにのりきった日本帝国主義は、アメリカ帝国主義の圧倒的軍事力に依拠することによって独自の軍事支出を極度に軽減しながら、重化学工業中心に飛躍的な経済成長を達成してきた。敗戦による軍事力の決定的な脆弱化と、欧米技術水準との全面的落差は、帝国主義の戦後世界体制を国際的存立条件として、日本帝国主義の再建・発展の有利な内的条件を形成した。
 六〇年の安保改定は、五〇年以来の経済成長を主体的基礎とし、日米同盟を「戦後処理的傾向」の濃厚な五一年条約の段階から「相務的性格」をもった本格的な帝国主義同盟の段階へと転化せしめるものであった。同時にそれは、アメリカ帝国主義を主軸とする戦後世界体制のもとに自己の運命を一体的に結合することなしには帝国主義的存立を確保することができないという日本帝国主義の独自の国際的性格に起因するものであった。
 日韓条約を転機とする東南アジアへの日本帝国主義の膨張政策は、敗戦帝国主義から植民地問題を内包した本格的帝国主義への転化を画期するものだが、しかしそれは、アジアにおけるアメリカ帝国主義の強力な植民地支配体制を決定的な存立条件とするものであって、その道ではない。日本帝国主義は、日米同盟を基軸として帝国主義的世界体制のうちに強固に自己の運命を結びつけるとともに、東南アジアへの帝国主義的膨張を契機としてアメリカ帝国主義のアジア政策への協力をますます不可避とされている。
 六三年以来の日本帝国主義の経済危機は、対外膨張と国内体制の整備・強化を焦眉の課題としてしいる。合理化と大衆収奪、そして政治反動の全般的開始が、日韓条約を突破口とする植民地主義政策と一体となった帝国主義的攻撃であることはいうまでもない。だが、このような日本帝国主義の体制的危機をかけた攻撃が、ベトナム戦争を導火綿とするアメリカ帝国主義の矛盾の危機的深化と対応して進行しているところに、こんにちの帝国主義世界体制の深刻な危機的性格、したがって日本帝国主義の攻撃の深刻な性格がある。こんにち、日本の経済危機は、赤字公債経済への移行とアメリカの好景気にもとづく対米輸出の増大によってかろうじて爆発的破綻を回避しているが、それは、日本帝国主義の危機をますます国際帝国主義の体制的危機と一体化するものである。ベトナム戦争とアメリカ帝国主義との矛盾的結合関係の深化は、アジアに関連するすべての帝国主義勢力の矛盾を爆発的に集中する決定的要因である。
 
 日本帝国主義打倒の旗高く
 
 日米安保条約を基軸とした日米帝国主義同盟は、帝国主義の戦後世界体制の必然的産物であり、したがってまた、体制的危機をたえず構造的に規制されている日本帝国主義にとって、自己を存続せしめる唯一の帝国主義としての本質的基底の変革を捨象しておいて日米同盟の「解消」を要求する、という日共=スターリン主義者の伝統的政策は、永遠に実現せざるところの改良主義的路線にすぎない。日米安保条約を国際法的表現とした日米同盟の「解消」という問題は、けっして「国際法」的改良の問題として過小評価することができない。それは、まさに、日本帝国主義の革命的変革にかかわる問題であるのみならず、帝国主義の戦後世界体制の全般的な変革につながる重大な世界史的問題である。
 ベトナム危機の深化と、日本帝国主義のより公然たる加担は、日米におけるベトナム戦争反対のたたかいが、ますます自国政府の打倒という方向にすすまねばならないことを要請している。ベトナム戦争反対という共同のキズナをうちかためながら、いまこそ、われわれは、国際帝国主義の反動的枢軸のひとつをなす日米同盟の革命的打倒をめざして、日米プロレタリアートの国際主義的団結をひとつひとつうちかためていかねばならない。
 ベトナム危機を導火線とした帝国主義の体制的危機の深化と、スターリン主義陣営の一国社会主義的対応の破産の進行、そして、日本帝国主義の体制的危機をかけた政治反動と合理化・生活破壊の攻撃の激化のなかで、社共既成指導部の帝国主義への露骨な屈服は日に日に強まっている。いまや、戦争と植民地主義に反対し生活と権利を守る、という当面の基本的要求をつらぬきとおしていくためにも、現代世界の根底的変革の綱領的立脚点にふまえることが、ますます不可欠の主体的根拠となっている。反帝国主義・反スターリン主義の世界革命戦略に立脚した日本帝国主義打倒の旗印こそ、帝国主義的反動の嵐に抗し、たたかうすべての革命的労働者の共同の綱領的展望でなければならない。
 帝国主義とスターリン主義への屈服にもとづく無原則的野合への道か、反帝国主義・反スターリン主義に立脚した革命的団結の道か――問題は厳然としてこう提起されている。われわれは、確信をもってこの提起に応えていくだろう。
       (『前進』二九四号一九六六年七月二五日に掲載)