日本帝国主義のあらたな攻勢と労働者階級の任務
    たたかう労働者党の創造めざし、職場にたたかいの拠点を
 
 六四年の『前進』新年号巻頭論文である。カクマルとの分裂以後最初の新年を迎えたわが革共同が、決意もあらたに、国際情勢の構造的変動と日本帝国主義の危機と攻勢の強まりに正面から対決し、労働運動の戦闘的展開と党のための闘争の強化にむかって驀進することを呼びかけたものである。
 
 
 一、総選挙の結果と当面する階級情勢
 二、国際情勢の構造的変動と現代革命
 三、労働運動の危機と党のための闘争
 
 
 一、総選挙の結果と当面する階級情勢
 
 六三年十一月の総選挙の結果は、労働者階級の公認の指導部の指導路線の政治的破産と資本家階級の帝国主義的政治支配の安定的確立を明白に示している。
 総選挙に先だって、社会党・共産党の指導部は、「池田政府の早期解散は自民党の政治支配の動揺の結果であり、人民のたたかいの前進に<追いつめられた選挙>である」と得意となり、ともに自党の躍進を確信していた。だが、総選挙の結果は、社共指導部のこのような予想とは逆に、自民党の得票の増大と社会党の停滞という冷酷な事実となってあらわれた。すなわち自民党は、農村部において圧倒的な勝利を収めたのみならず、都市部においても得票の増加をかちとったのである。しかも都市部における民社党の進出と考えあわせるならば、日本資本家階級は自民党が直接に獲得した議席と得票よりもはるかに巨大な政治的勝利をかちとったといえる。
 共産党指導部は得票数、得票率の実際の低下にもかかわらず議席数の増加に有頂点になって「民主勢力の着実な前進」とか「共産、社会、民社の議席数の合計は一七六で三分の一を大きく上回る」といったくだらない総括をおこなっている。だが、日本労働者階級の緊急の課題は、このような御都合主義的なおしゃべりをはねかえし、総選挙の結果の示す意味を深刻に総括し、日本帝国主義の政治的攻撃の性格と方向を正しく把握し、日本労働者階級の進むべき道を決定的に明確化することでなければならない。
 こんにち、日本資本家階級は、「開放経済」への移行にともなう赤裸々な帝国主義間の市場競争と東南アジアをめぐるスターリン主義圏との政治的・経済的競争にかちぬくために、西太平洋・東南アジア全域にわたる帝国主義的勢力圏の確立にむかって熱病的な努力を傾けている。池田首相の西太平洋三国の訪問と中国大陸との貿易熱の巨大な増加傾向、そして日韓会談への異常な努力は、国内生産力の高度成長と外国市場の狭隘性という日本資本主義の構造的危機を突破するための帝国主義的膨張の具体的姿態として日本帝国主義の対外政策の全一体をなしているのである。日中貿易の展望をめぐって起こっているかにみえる日本帝国主義内部の動揺と「対立」は、西太平洋・東南アジア勢力圏にむかっての帝国主義的再編過程から生ずる調整的動揺である。
 「高度成長←高度蓄積←強搾取←低賃金」という日本資本主義の巨大な膨張こそこのような帝国主義的海外膨張の基本的要因であるが、だが同時に、このような帝国主義的海外膨張は国内における搾取と収奪の強化、重点的な高度資本蓄積をよりいっそう不可避としている。
 生活消費手段の高物価政策による労賃の実質的引下げと大衆収奪、そして公共投資部門における低賃金と合理化、労働災害の激増は、日本帝国主義の西太平洋・東南アジア全域にわたる勢力圏の確立と国内における重点的な高度資本蓄積をめざす熱病的努力から必然的に生ずるものである。したがって、日本帝国主義の西太平洋・東南アジアへの膨張は、西太平洋・東南アジアに新しい帝国主義的搾取と抑圧をもたらすことによって、日本帝国主義への抵抗と反乱の条件を拡大するとともに、国内における重点的な高度資本蓄積の強行によって労働者階級と都市小ブルジョアの内部に深刻な毎週と闘争の要因を加速度的に蓄積している。
 
 六三年の年末における動力車と全逓の反合理化闘争は、公労協労働者のあいだに低賃金と合理化にたいする巨大な不満と抵抗力が存在していることを疑う余地もなくあきらかにしている。いな、擬制的繁栄のもとで資本の巧妙な労働管理と合理化の攻撃のまえに多年にわたる屈服をしいられてきた巨大な民間産業の内部でも、資本の第二労務課として買収されたダラ幹をつきあげて低賃金と合理化をはねかえす、戦闘的契機がしだいに形成されはじめている。
 池田政府の早期解散と十一月総選挙は、じつに、戦後一八年間に蓄積した巨大な資本の生産力と国際関係における帝国主義的位置の強大化を背景とし、安保以後の労資の階級関係のブルジョア的傾斜を前提としつつ、帝国主義的膨張から必然的に生ずる労働者階級の抵抗と都市小ブルジョアの不満を正面からうち破り、帝国主義的政治支配の長期的確立を意図したところのきわめて攻撃的な性格のものだったのである。安保闘争に勝利した日本資本家階級は、六二年夏の総評大会以後、とくに顕著となった日本労働運動の右傾化と階級関係のブルジョア的傾斜を前提にして政治的に明確な表現をあたえ、都市小ブルジョアと農民を決定的に資本家階級の側に獲得しようとしたのである。
 ところが階級闘争の平和的発展のもとで議会主義的幻想に陶酔している社会党と共産党の指導部は、自己の構造改革路線と反米闘争の勝利を総選挙のなかにみいだしうると思っていた。
 炭労の政転闘争の結果があきらかに示しているように、日本資本家階級は、資本の利潤をゆいいつの基準にして資本主義の全面的な合理化を実現しようとしている。資本家階級の合理化政策を根本的に承認したうえで、その具体的結果をあれこれ協議するといった政転闘争路線の総評における基本的勝利は、日本労働運動を資本の重点的な高度蓄積から必然的に生起する失業と労働災害、配転と合理化にたいする「泣き男」に堕落させる以外のなにものでもないのである。
 したがって、つぎつぎと加えられてくる資本の攻撃にたいして労働者の生活と権利を守るためにたたかうことを放棄した地点で遂行される社会党・組合幹部の選挙闘争にたいして、圧倒的多数の組合員が外在的にしか、かかわりあおうとしなかったのはまったく当然である。組織労働者の基本的部分は、組合執行部が社会党系か民社党系であるかを問わず社会党候補に投票したが、にもかかわらず選挙闘争にたいしてけっして能動的であろうとはしなかった。じつに、総選挙の過程と結果をとおして鋭く映しだされた問題は、組合幹部と組合員大衆のあいだのかつてない分離であり、日本労働運動の民同的指導部の危機である。
 老練な組合貴族である太田総評議長はこのような危機を直感してか、最近になって下部の労働貴族にむかってさかんにハッスルすることを要求し、危機の原因があたかも江田ビジョンにあるかのようにふるまっている。かくして、総評系労組のダラ幹たちは、一方では自己の官僚的保身のために新しいボスを求めて右往左往しながら、組合内の戦闘的・革命的翼への官僚統制を強めるためにありとあらゆる卑劣な手段を駆使し、他方では資本のあまりにも強圧的な攻撃によって組合的基盤が崩壊することを防ぐために、ある程度は戦闘的かまえをとらざるをえなくなっている。民同指導部の自己保身的な戦闘化は、労働者階級の内部に蓄積されている不満と結合することによって、六四年の階級闘争に一定の戦闘的性格をもたらすであろう。
 だが、このような小手先の手段では事態を収拾しえぬところまで日本労働運動における階級関係のブルジョア的傾斜は進行しているのである。民同系労働貴族の派閥の再編過程の開始と社会主義協会の分派組織化は、疑いもなく社会民主主義運動の内部対立の激化と分解過程の序曲である。したがって、このような日本労働運動の危機とそこから必然化する社会党・総評系組合の動揺と一定の戦闘化を戦闘的労働運動の防衛と創造の契機として左翼的に転化しうるかいなかは、じつに労働者階級の内部における革命的共産主義者の組織的闘争がどの程度まで進みうるかにかかっている。
 もちろん、労組内の一定の戦闘的翼が日本共産党のもとに結集していることは否定しえない。社会党・民同指導部の露骨な労資協調路線と官僚的組合統制は、組合内の多くの誠実な活動家を不可避的に共産党のエセ左翼性にむかわせている。そして、それゆえに日本階級闘争の危機は二乗化されているのである。すなわち、共産党は、社会党・民同の指導に不満をもつ組織労働者の一定の部分を自己の政治的指導下に結集しはするが、かれらを反米闘争にもとづくありきたりの政治集会に動員し、日共の選挙闘争にかりだすだけで、労働組合運動の現場で危機を内在的に克服するためにはなんの指導もなしえないのである。それどころか、日本共産党の官僚的指導部は現場労働者の不満と要求を基礎に職場闘争を遂行している党員活動家にたいして、「経済主義」「ストライキマン的傾向」などというレッテルを貼りつけて統制するという傾向を強めている。
 したがって、日本労働運動の危機を根底的に突破するためには、日本共産党の反米闘争路線、民主的帝国主義との協調を訴える「民主連合政府」路線を容赦なく粉砕し、あらゆる闘争形態をとおして反米的民族主義の袋小路のなかに低迷している若い戦闘的翼を日本帝国主義の打倒の綱領的方向に解放することが決定的に必要である。なぜならば、日本共産党の反米=民主連合政府の路線は、日本帝国主義の膨張の過程で生起する資本家階級内部の再編のための調整的動揺をあたかも独占内部に親米派と反米親中派の分裂がおこっているかのように信じこみ、後者のまえに労働者階級の武装解除を要求する裏切りの路線だからである。
 だが、このような反米闘争=民主連合政府路線の破産は必至である。日本帝国主義の内部に反動的親米派と民主的反米親中派の二分派が独立して存在するかのような反プロレタリア的評価は、原則的、理論的に誤っているばかりか、日本帝国主義の熱病的な膨張とそれにともなう労働強化、低賃金、合理化の進行、日本帝国主義と労働者階級の基本的な階級対立の顕在化のまえに、ますます現実に符合しえぬものになっている。
 最近になって、日本共産党指導部は、総選挙における主要都市・工業地帯の得票の停滞と横ばい状態を合理化するために「京都・大阪では票は延びたが党勢は拡大していない。東京・関東では党勢は拡大したが票は延びていない。全体としては党の基本路線は正しいが、下級指導機関には問題がある」などと奇妙な総括をして下部党員の動揺を抑えるためにやっきになっている。だが、問題の根本は票が延びたかどうかにあるのではない。党勢が二倍・三倍化したにもかかわらず得票が横ばい化しているというこの事実は、党勢の拡大そのものが基本的に労働者階級の生きたたたかいと無縁なところでおこなわれていること、共産党が組織労働者のあいだに党の影響力を拡大することに失敗したことの反映なのである。
 総選挙における帝国主義的政治支配の安定的確立を背景に、資本家階級とその政治委員会である池田政府は、対外政策においても国内政策においてもいっそう露骨な攻撃を労働者階級と人民諸階層にむかってかけてきている。当面する階級情勢の基本的カギは、このような帝国主義的攻撃にたいして労働者階級が労働者階級として自己の生活と権利を守るために反撃のかまえをうちだしうるかどうかにある。
 このような闘争をとおしてのみ中間的諸階層のプロレタリアートの側への獲得も可能となる。だが、国民との結合と称して労働者階級の独自の闘争を放棄する道を労働者階級が歩むならば、都市小ブルジョアを「階級闘争を超越する」民社党の方向にますます追いやるばかりでなく、急速度に進行する農民分解の過程で大量的に産出される若きプロレタリアを決定的に資本家階級の側にわたしてしまうことになるであろう。
 じつに、日本労働者階級が帝国主義的攻撃をはねかえし階級的前進を開始しうるかどうかは、<反帝国主義・反スターリン主義>世界革命の一環として日本帝国主義の打倒を実現せんとする革命的労働者党のための闘争の成長にかかっている。
 
 二、国際情勢の構造的変動と現代革命
 
 ケネディ大統領の暗殺事件は、資本の専制君主としてのアメリカ帝国主義の深刻な内部的危機を赤裸々に暴露するとともに、部分的核停条約によって約束されたかにみえた条約的平和の根底によこたわる危機的現実を如実に照らしだした。
 六三年七月に米英ソ三国の権力者のあいだで部分的核停条約の締結が同意されたとき、ドゴール大統領と毛沢東主席をのぞく全世界のすべての支配階級は、この条約によって現実の平和が達成されたかのように賞賛した。また、ケネディ大統領がワシントン行進を支持し「公民権法案」を提出して黒人の地位向上に努力しているという報道に接して、ドゴール大統領と毛沢東主席をのぞく世界のすべての支配階級は、北アメリカにおける黒人解放がこの法案によって実現しうるかのように賛美した。かくして、各国の労働者階級の圧倒的部分は資本家階級とスターリン主義官僚の共同の唱導のもとに、条約的平和と法律的解放の賛歌を合唱し「平和と民主主義の守り手」としてのケネディ大統領の死をいたんでいる。
 だが、ケネディ大統領の暗殺とその仕立てあげられた容疑者オズワルドの白昼公然たる抹殺という一連の事態は、条約的平和と法律的解放の背後によこたわる現代世界の危機的構造をまざまざとのぞかせる亀裂なのである。すなわち、アメリカ資本家階級は、フルシチョフ首相と神聖同盟を結ぶことによって国内で成長しつつある反戦運動と黒人運動がブルジョア的改良主義からプロレタリア革命の方向に成熟するのを阻止し、あわせて、ヨーロッパ共同体の急速な成長からアメリカ帝国主義の覇権を防衛しようとしたのである。あたかも核実験に反対し核戦争の準備に反対している全世界の民衆の意志を代表するかのようなポーズを示しながら、そのじつ米英ソ三国の権力者はフランスと中国という二番手の権力者から核独占を防衛し、全世界のプロレタリアートにたいする現状維持の神聖同盟を形成した。
 一方、ロシア革命の成果を横奪し官僚制的変質を完成したフルシチョフ首相とソ連スターリン主義官僚は、世界革命の立場を完全に放棄し帝国主義との平和共存を長期的に現状維持化することによって、国内における工業生産の飛躍的発展と農業生産の回復のために努力を集中しようとしている。フルシチョフ首相は、プロレタリア革命に敵対する共同の神聖同盟を帝国主義と結び、中国への核兵器の移譲の中止を約束することによってアメリカ帝国主義の誤解をとき、中ソ論争というかたちで激化しつつあるソ連官僚制の政治経済的な危機をのりきるための時間的余裕をかちとろうとしている。
 したがってこのような条件のもとで達成されるソ連の官僚制的計画経済の発展は、けっしてソ連における労働者・農民の生活を高めるどころか、全余剰生産物の官僚制的収奪をますます強め、官僚層と労働者大衆の非和解的対立を深刻化させるだけである。
 いまや、帝国主義者とスターリン主義者は、各国の政治的・経済的基礎の相違からくる対立性を注意深く保留しながら、プロレタリア的反乱にたいする非和解的対立において相互依存性をたえず確認し強化する方向にむかいつつある。五六年十月――十一月のハンガリアにおける反スターリン主義・プロレタリア革命の経験にかんする深刻な検討をとおして帝国主義者とスターリン主義者は、たとえ対立者の国内の事件であるとしても、民衆の反乱にたいしてきわめて警戒的になりつつある。かくして、帝国主義とスターリン主義の盟主である米ソの権力者は、プロレタリアートの革命的反乱・現状変革の方向に敵対する共同の戦線を保持するためには、このような反動を美化し、国際プロレタリアートの支持をとりつけるためのありとあらゆる幻想的表現を惜しみなくまきちらすことが必要だったのである。
 だが、米英ソ三国の支配階級の神聖同盟は、プロレタリアートを獲得するために安易にまきちらされた「進歩的」な幻想的スローガンのゆえに、かえってアメリカ帝国主義の内部における政治的対立を深化させることになった。
 部分的核停条約と公民権法案をめぐる北部工業資本と東南部工業・農業資本の対立は、あきらかにアメリカ帝国主義の内部分裂の経済的契機と政治的契機に発展する危険をはらんでいた。ケネディ大統領の暗殺と「共産党員ではないがマルクス主義者」である白人労働者オズワルドへの容疑と白昼公然たる抹殺は、まさにこのようなアメリカ帝国主義の政治的危機を背景にして進行したのである。
 フルシチョフの忠実な使者としてアメリカ帝国主義のみじめな従僕の役割を果たしてきたアメリカ共産党は、容疑者「オズワルドが党と無関係である」ことを声明し、ジョンソン新大統領の就任演説について「まったく同意しうるもの」だと賛美した。だが、アメリカ共産党のこのような驚くべき態度にもかかわらず、アメリカの労働者階級、いな全世界の労働者階級は、皮膚の色の違いをこえて、ダラス警察の保護のもとに職業的殺し屋にイヌのように殺された、このホワイト・プアー(白人下層プロレタリア)が自己の分身であったことを、自己解放のための長いたたかいのなかでたえずたちどまって反省するにちがいない。
 アメリカ帝国主義は、ケネディとオズワルドの銃弾の犠牲のもとに政治的危機をのりきり、ブルジョア政治委員会の統一を回復した。したがって、巨大な生産力のもとに腐敗を深化しつつあるアメリカ帝国主義、この巨大な労働者の牢獄のなかで階層的・職業的・人種的に分断され、抑圧されているアメリカ労働者階級を、世界革命の前衛として統一し、前進させるためには、まずもって、アメリカ労働者階級の生活と権利を守るための現実的闘争に、しっかりとふまえつつ、ケネディとオズワルドの血にいろどられて延命したジョンソン=フルシチョフの同盟をアメリカ労働者階級の敵対物としてとらえかえす立場を確立することが不可欠なのである。
 ところで、部分的核停条約を米英ソの「核独占協定」として調印を拒否してきたドゴール大統領と毛沢東主席は、ケネディ暗殺をめぐる国際政局の流動状況を徹底的に利用して、ヨーロッパ帝国主義圏とアジア・スターリン主義組における各自の覇権の確立のために努力を集中しつつ、相互に接近の方向を強めはじめている。
 アメリカ南北大陸を席巻する帝国主義的勢力圏を背景に資本の専制君主として君臨してきたアメリカ帝国主義と、東欧からアジアにまたがる広大な官僚制的「共栄圏」を背景に官僚的計画経済の発展を謳歌するソ連官僚制にたいして、ドゴール大統領とフランス資本家階級は、農業政策などをめぐって西独とのあいだに鋭い政治的経済的対立を内包しつつ、EEC (ヨーロッパ経済共同体)を中心とする巨大な帝国主義的勢力圏を構築し、アフリカ大陸とアジア諸地域をその勢力下に吸収しようとしている。ドゴール大統領の中国接近政策は、後進国の民族ブルジョアジーとの結合をきりひらくための跳躍台である。
 一方、ソ連の官僚的計画経済の「援助」のもとに急速度の工業化と農業集団化を強行し、後進国革命の本拠を自認してきた毛沢東主席と中国官僚層は「経済援助」の名のもとにソ連――中国の経済関係を「生産財の輸出――消費財・鉱工業原材料の輸出」という関係に構造化し、政治的従属を強要するソ連スターリン主義官僚にたいして、自力更生をうちだすことによって極度に後進的な国内的富と文化のうえに工業化のための本源的蓄積を強行し、「大躍進」の喧騒の背後で進行し深刻化していた五九年以来の経済的危機からなんとしても脱出しようとしている。
 だが、このような工業化と農業集団化の強行と中ソ対立の激化から必然的に生ずる労働者・農民の窮乏化と反抗を抑圧し中国官僚制の政治的危機をのりきるためには中国スターリン主義官僚は、いぜんとして、一方では東南アジアをはじめとする後進的資本主義国における急進主義的要素と結合して反米闘争を拡大し政治的動揺をつくりだすことで国際的緩衝と国内的統合をもたらそうとするとともに、他方では西独・日本・イギリス・フランスなどの帝国主義との接触を強め、生産財の輸入と農産物・鉱工業原料の輸出をさらに拡大する、という二面作戦をとらざるをえないのである。
 
 毛沢東主席と中国共産党の主張する反米闘争路線の根源は、じつに、中国大陸におけるスターリン主義官僚制の危機とそれを官僚的にのりきろうとする反労働者的保身にある。ケネディ暗殺にかんする態度からも明白なように、中国共産党の反米闘争路線は、アメリカ帝国主義の本国で苦闘するアメリカ労働者階級と完全に無線な排外主義路線であり、西独・日本・イギリス・フランスの労働者階級にたいし「反米・親中」の旗のもとに自国帝国主義との協調を要求する背教者の路線であるばかりか、先進国革命と切断されることによって世界帝国主義の刻印した経済的後進性のもとにいまなお呻吟している後進諸国の労働者階級と農民にたいし、空疎な反米スローガンのもとに独立の過程で急速に支配階級に成長しつつある民族ブルジョアジーへの屈服をよびかける裏切りの路線である。
 日本帝国主義は、国内生産力と海外市場の不均衡という構造的矛盾を突破するために、アメリカとEEC、ソ連と中国という新しい対立を契機として激動している国際関係の構造的変動を利用しつつ、西太平洋・東南アジア全域にわたる帝国主義的勢力圏を確立しようとして熱病的努力を傾けている。いまや、西太平洋・東南アジアは、帝国主義とスターリン主義の各勢力の国際的経済競争の過熱したルツボになろうとしている。このような新しい市場競争の激化は、中国共産党を盟主とする反米闘争路線の破産を必然化するであろう。
 毛沢東主義の桎梏のもとに危機に瀕している中国革命と東南アジア革命の再度の前進と勝利をかちとるためには、中国と東南アジアの労働者階級が民族ブルジョアジーとスターリン主義官僚の規範を突破し、農民との固い同盟のもとに革命を指導しうる<反帝国主義・反スターリン主義>の革命党を形成することができるかいなかにかかっている。西太平洋・東南アジア全域にわたる帝国主義的勢力圏の確立のための日本資本家階級の熱病的努力は、同時に、分断され孤立させられている日本・朝鮮・中国・インドシナ・インドネシアなどの各国革命をアジア革命として結合する客体的条件を成熟させている。アジア革命の真の担い手の創成と再度の高揚は、日本プロレタリア革命の客体的・主体的条件の成熟と不可分の関連をもって進行するであろう。
 
 三、労働運動の危機と党のための闘争
 
 日韓会談の早期妥結にむけて日本帝国主義の海外膨張は急速度の展開をみせはじめた。国内における重点的な高度資本蓄積のよりいっそうの強化と帝国主義的政治支配の全面的な貫徹は、このような海外膨張の必然的な結果である。
 日本資本家階級は、総選挙における政治的勝利を前提に帝国主義的政治支配の全面的な貫徹と確立を急いでいる。そしていまや、帝国主義的政治支配の安定的確立のための集中的攻撃は、戦闘的労働運動のいっさいの圧殺と職場におけるブルジョア的支配権の確立という一点にむけられようとしている。なぜならば、生産点における戦闘的労働運動の存続と創成をなおも許しておくならば、帝国主義的膨張にともなう労働強化と低賃金・合理化と労働災害は必然的に労働者階級の反抗と闘争の激発の条件に転化するにちがいないからである。だからこそ、資本家階級とその政治委員会である池田政府は、帝国主義的超過利潤の一部をさいて労働貴族の養成に力をそそぐとともに、戦闘的労働運動のいっさいの傾向を徹底的に叩きつぶそうとたくらんでいるのである。
 動力車の反合理化闘争にたいする国鉄当局と警察権力の戒厳令的な弾圧体制は、日本資本家階級がいかに異常な決意をもって戦闘的労働運動を圧殺しようとしているかを明白に示している。一昨年のわが同盟三全総において正しく提起されたように、日本階級闘争の決定的比重はますます戦闘的労働運動の防衛と創造をめぐって決定されようとしている。
 しかも、きわめて重要な問題は、日本の資本家階級が従来の民間的な労資協調路線にさえ不満をもち、より全面的な屈服を要求しだし、本腰をいれて民社党の養成と第二組合(全労)づくりにのりだしたということである。郵政当局のこんにちの特定局舎への簡保転貸をテコとする特定局強化政策の真の狙いは、特定局関係の八万の全逓労働者を完全に特定局長の統制のもとにしぼりつけ、全逓をより決定的に骨抜きにしようとするところにある。全逓東京の戦闘的拠点・羽田空港支部への郵政当局の第二組合づくりの策動は、じつに、このような攻撃の最先端をなしているのである。
 いまや、資本の露骨な攻撃のまえに、組合的基盤の崩壊の危機を直感した民同指導部は、組合内の左翼的批判にたいし容赦なく官僚的処分をくわえつつ、同時に自己の保身のために、ある程度まで資本と対決するかまえを示しはじめた。だが民同指導部の深部でおこっているこのような戦術転換は、民同的運動のもっと深刻な危機を準備するであろう。なぜならば、日本労働者階級のすくなからぬ戦闘的翼は、安保闘争からこんにちにいたる数多くの反幹部闘争の経験をみずからのものにすることによって、民同指導部のみせかけの戦闘的方針を現場労働者の直接の参加のもとに「自己流にたたかう」ことを身につけはじめているからである。
 動力車と全逓の年末闘争が明白に示しているように、たとえ本部が改良主義的立場からであれ闘争に入った場合、闘争が大衆的性格を帯びればおびるほど独自の戦闘的性格を強めはじめずにはおかないのである。労働者階級の深部における革命党創造のための闘争の前進のうえにかちとられたこれらの闘争は、広範な戦闘的労働者のなかに具体的な行動をとおして貴重な教訓を定着しはじめている。
 たしかに、帝国主義の攻撃は強まっている。だが、弾圧の嵐のなかでこそ、敵階級をうちたおす労働者階級の武器は鍛えられる。すでにみたように、日本帝国主義の国内的・国外的膨張は労働者階級の内部に新しい反逆の契機を加速度的に蓄積させている。疑いもなく六三年度の年末闘争は、日本労働運動のあらたな激動の序幕を意味している。民同系労働貴族の醜悪な保身のための策動をうち破ってこの激動の契機を正しくつかみとり、日本帝国主義打倒の方向にむかって全事態を指導するために、わが同盟は注意深く階級情勢の変化を追求し、攻撃と守勢の起伏に富んだ闘争にたえうる戦術的能力を厳しく鍛えあげねばならない。
 だが、このような新しい帝国主義的攻撃とのたたかいをとおして日本労働運動の革命的前進をきりひらくためには、われわれは、資本との闘争をおそれ、民間的指導部との闘争を回避したり、学生運動の大衆的戦闘的展開を放棄するような新しい日和見主義をわれわれの戦列の内外から徹底的に追放することが必要である。このような日和見主義は、主観的願望に応じて極左主義的表現をとったり右翼日和見主義的表現をとったりしてあらわれる。だが、その両翼は、現時点的に労働運動の左翼的展開や学生運動の大衆的・戦闘的展開に反対するという一点で一致してあらわれるところに共通の特徴をもっている。
 <戦闘的労働運動の防衛>というわが同盟の闘争=組織戦術に恐怖して、わが同盟から逃亡した山本派の本質は、じつに、日本における革命的労働者党のための闘争の現実的基礎が日本帝国主義の思想的・政治的・経済的攻勢にたいする日本労働者階級のたたかいにあるのだという単純明快な立場の喪失にある。だからこそ、偏狭なサークルのなかにますます自律的にはまりこんでいる山本派の諸君は、日本帝国主義打倒のスローガンを「反帝主義」だと反対し、「スターリン主義者も帝国主義を打倒する」などという愚にもつかぬ理屈をならべて得意となりうるのだ。
 だが、このような新説は、スターリン主義美化の理論以外のなにものでもない。いったい、山本派の小理論家たちはラオスやベトナムの例をあげて毛沢東主義の「反帝性」を論証しようとするが、スターリン主義者がラオスやベトナムで本当に反帝闘争を指導しているとでも思っているのだろうか。
 たしかにインドシナにおける農民革命の進展はアメリカ帝国主義と同盟した南ベトナム政権をゆるがし、客観的には先鋭な反帝的傾向を示している。
 だが、インドシナ革命の危機は、毛沢東主義的指導のもとにこの農民革命が都市プロレタリア革命および帝国主義本国における労働者階級の反帝闘争と結合する方向が意識的に切断されていることにある。それどころか、中国共産党は、カンボジア政府問題ではインドシナの帝国主義的旧宗主国であるフランス帝国主義と手を組むということすらやってのけている。つまり、スターリン主義官僚は、自己の官僚的利益のために後進国の政治的激動との結合は追求するが、けっして帝国主義そのものの打倒を準備しようとはしないのである。
 じつにわが同盟における山本派との闘争はわが同盟がサークル主義的母斑を克服し、日本帝国主義の打倒をめざして日本労働運動の革命的前進を真にきりひらきうる戦闘的な革命集団に自己を再武装するためのたたかいだった。事実、日韓――ポラリス闘争をはじめ、合化の首切り反対闘争、全逓の深夜便・簡保転貸反対闘争、国労の権利闘争、動力車の運転保安闘争、電通の配転・合理化反対闘争、日教組の分限免職反対闘争などの六三年における一つひとつのたたかいはこのような再武装の過程であった。
 われわれは、六三年における諸闘争をとおしてかちとられた組織的前進を基礎に、日本労働者階級の戦闘的翼のなかにさらに広範な交通を確立し、帝国主義的攻撃の激化のなかで不可避的に労働者階級の内部に蓄積されつつある抵抗と反逆の契機に依拠しつつ、現場労働者の要求の先頭にたってたたかいを拡大していかねばならない。六四年における階級闘争の進展は労働者階級の政治的・経済的闘争の大衆的局面において、かつてない厳しい指導的責任をわが同翼(盟の誤りだろう)に課するであろう。
 したがって、このような階級的任務にたえうる同盟を建設するために、組織体制の徹底的強化と宣伝・扇動の方法のよりいっそうの改善をかちとることが必要である。昨年一年間の組織活動をとおして、われわれは同盟中央を先頭に各地方・地区委員会、各産別労働者委員会、各細胞の強化と発展をたたかいとってきた。とりわけ昨年一年間をとおして、同盟機関紙『前進』の紙面と運用の改善において大きく前進してきた。だが、われわれはこれに満足することなく、『前進』を同盟の政治的・組織的活動の生きた指針としていっそう充実したものにしていくとともに、たたかう労働者の大衆的な政治新聞に高めていくために編集局を中心として同盟の全力を尽さねばならない。
 同時に、職場に、学園に、すべてのたたかう労働者・学生の手もとに『前進』が届けられ、たたかいの導きの指針として読まれるよう、全同盟・全読者をあげて読者の拡大に精力的にとりくむ必要があるのである。一九六四年のあらたな年を迎えてわれわれは、従来にもましていっそう『前進』を中心として組織活動を展開するという組織体制を確立し、わが同盟に課せられた厳しい指導的責任を果たしていくためにたたかわねばならない。
      (『前進』一六五号一九六四年一月六日に掲載)