二 五全総第三報告
   革命的共産主義運動の当面する任務とわが同盟の課題
 
 革共同第五回全国委員総会(五全総)は、一九六四年秋に開催され、いよいよ本格化し重大化しつつあった日韓問題とベトナム・原潜問題にたいする革共同の革命的前衛党としての立場を鮮明にうちだす場となった。本稿はそのときの基調報告の第三部である。第一、第二報告をうけて本多書記長は、民族・植民地問題、帝国主義戦争の問題にかんする日本プロレタリアート人民、とりわけ革命的共産主義者の基本的態度と任務について明確な提起をおこない、わが同盟の綱領的深化をはかるとともに、党派闘争の面で決定的な優位性の地歩を築いていったのである。
 
 
はじめに
一、激動に向かう世界と革命的共産主義運動の任務
    1 世界の構造的変動と世界革命への新しい胎動/2 転 機に立つ日本/3 プロレタリア運動の転機とわれわれの態度/4 党のための闘争と党としての活動
二、革命的共産主義運動の直面する闘争課題
    1 当面する環としての原潜闘争/2 全面的政治攻勢の 開始/3 経済闘争の問題点/4 参議院選挙闘争の課題
三、革命的前衛党建設のために
    1 反スタ戦線における責任ある多数派/2 革命的共産 主義運動の公然部隊としての「全学連」と学生戦線の課題 /3 労働組合運動における活動の拡大/4 党派闘争の新段階にたいする対処/5 同盟の組織的強化のために
 
 
 はじめに
 
 第一・第二報告において明らかにされたとおり、現代世界は第二次大戦以来の巨大な激動へと大きく進みつつある。世界帝国主義は再度のプロレタリア世界革命の挫折とスターリン主義体制に助けられながらこんにちまで生きのびてきたが、いまやその根本的矛盾ゆえにあらたな危機へ向かいつつあるのだ。それは一国社会主義の自己矛盾たるスターリン主義圏の大分裂とからみ合い、現代世界の構造的変動をつくりだしている。
 レーニン死後、ロシア革命の栄光とプロレタリア世界革命の旗を簒奪し、ふみにじってきたスターリン主義を中心に、帝国主義とスターリン主義の対立という擬制的世界分割を現状肯定的に説明することをもって、労働者人民の解放の指針におきかえてきたいっさいのイデオロギーは、いまやなによりも事実のまえに破綻し、その反動的役割をさらけ出しつつある。帝国主義者の「自由と繁栄」が、ソ連、中国の「一枚岩の団結」「東風圧西風」が音を立てて崩れていくなかで、現代世界を統一してとらえ、そこにおける人間解放の道を指し示す現代革命の思想がこんにちほど強く必要とされることはないであろう。「帝国主義打倒・スターリン主義打倒」の革命的共産主義の立場は、まさにかかる現代世界の唯一の革命的思想の基調なのである。
 世界帝国主義の弱い環としての日本における階級闘争の現実もまた同じ結論を示している。「反帝国主義・反スターリン主義」はいまやたんなる世界認識の立場ではなく、日本労働者人民のささやかな日常的利益を守るたたかいにおいてすら、それをもっとも優れて遂行しうる、現実的運動の基調である。社会民主主義とスターリン主義の深刻な動揺と分解のなかで労働者人民の利益を守ってたたかう全責任を、革命的共産主義運動は背負わねばならないのだ。
 共産主義者は、嵐を海つばめのごとく察知し、これに備えねばならない。われわれの力量は、課せられるべき任務にくらべていまだあまりにも小さい。三全総および四全総において、日本階級闘争の現実に自己を密着させる努力を続けてきたわれわれは、しかしいまだ、われわれの直面している歴史的・世界的現実を深くつかみえないでいた。このために、現実の階級闘争に深くかかわればかかわるほど、いっそう多くの新しい課題にぶつかり、日々、それを克服する努力を強要されてきた。これをとおして、われわれは本総会において、現代世界にたいする総体的把握の深化、日本労働者人民の現実の階級的力量にたいする全面的な評価、その上に立ったわれわれの活動の大胆な改革を提起し、これをかちとるべき時にいたっていることを自覚してきた。これは、当然、われわれの活動の厳しい改革を迫るものであった。われわれは、ただみずからの努力によってのみこれを克服し、革命的共産主義運動を日本労働者階級の本隊のなかにしっかりと定着させ、きたるべき激動に耐えうる強固な物質力とせねばならない。いまは日本における革命的前衛党創成の現実的第一歩をふみ出すときである。あらたな分野を開くべく、われわれは大胆な飛躍をとげねばならない。党派闘争の新しい段階と労働運動の新しい状況は、われわれにきわめて価値多き試練を迫っているのである。
 
 一 激動に向かう世界と革命的共産主義運動の任務
 
 1 世界の構造的変動と世界革命への新しい胎動
 
  a、現代世界の構造的変動
 
 現代世界の政治的・経済的動向は、第二次世界大戦後一応の固定化をみせた世界構造が、基本的に変動に向かいつつあることを示している。戦後二〇年にして新しい再編の時代が始まっているのだ。ロシア革命がその突破口を開きながら、敗北に終わった二〇年代の激動の後、ふたたびその帝国主義的矛盾を世界大戦に向けた世界帝国主義は、大戦の過程で反動的体制を確立したスターリン主義官僚に助けられて、戦後革命の波を乗りきり、ヤルタ――ポツダム体制と呼ばれる一応の均衡を獲得した。アメリカを盟主とする世界帝国主義とスターリン主義は、大戦時の軍事占領を基礎に地球を分割支配し、相互に相手の侵略の脅威をもって自己の支配のテコとしてきた。帝国主義とスターリン主義の相互依存的支配は、世界プロレタリアートを東西にひきさき、相対立せしめ、真の解放への道をおしつぶした。欧米における労働者運動は、スターリン主義をマルクス主義とし、その悪業をもって革命運動を圧殺することによって崩壊させられ、ハンガリア人民の武装蜂起は「帝国主義者の挑発」の名のもとに圧殺された。ベルリンの壁、朝鮮の三八度線はこの最大の犠牲を強いる象徴であった。
 だがこの擬制的安定は、けっしてそれ自体を支えるものではない。分割支配の枠に十分に入りきらせえなかった植民地諸国の解放闘争はいたるところでこれを突き破ろうとし、擬制的安定にしばしば動揺を与えてきた。帝国主義諸国は「奇跡の復興、永遠の繁栄」のうたい文句のかげから、不可避的な不均等発展による帝国主義的対立をその内部に成長させた。EEC成立以来のその対立はいまやフランス対アメリカを中心に、世界帝国主義の政治的・経済的全構造に亀裂を呼ぶにいたった。世界の三分の一を占め、「共産主義社会」実現に向かって驀進するといわれた「社会主義」圏は、中ソの抜きさしならぬ国家的対立の深刻化を中心に、東欧のソ連からの自立化傾向を加えて激しい分裂に向かっている。
 アメリカとソ連が、崩れゆく相互の支配を維持すべく「部分核停」という名の核兵器独占協定を結び、現状維持的平和の守護者を名乗れば、フランスと中国は「ヤルタ体制」的世界支配に反抗する人民の声の代弁者のごとく相互に同盟するというように、複雑なからみ合いのもとに事態は進行し、また東西対立にかわる「第三世界」(トリアッチ)と、一時もてはやされた植民地・後進国の解放闘争は一応の政治的独立の獲得にもかかわらず、深刻な経済的危機にさらされ、帝国主義諸国のあらたな植民地争奪戦の場として、またスターリン主義圏の分裂と帝国主義諸国との同盟の直接の取引きの材料として矛盾のもっとも集中するところとなっている。その最大の焦点であるアジアは、いまや世界的激動の火薬庫となりつつあり、日本帝国主義は現代世界の中心的位置に立たされている。
 帝国主義とスターリン主義による擬制的均衡の動揺は、その呪縛のもとから世界労働者人民を解き放ち、失われた団結を回復し、プロレタリア世界革命に向かう新しい息吹きをよみがえらせずにはおかないものである。これまでの世界支配に従属し、それを支える道具となっていた虚偽のイデオロギーが、事実のまえに崩れ去るべき運命にいたったいま、力をこめてこれをたたきこわし、全人類のまえに現代世界の危機の打破、真の人間解放の道を示すものこそ、わが革命的共産主義運動の光栄ある任務なのである。歴史は人間を抜きにしては回転しない。長く引き裂かれた「東西両陣営」の広範な植民地・後進国のたたかう労働者人民を団結させ、いまだ萌芽の域をさまよう運動を、力強い世界革命の奔流へ結集する旗は、パリ・コンミューン――ペトログラード・ソヴェート――ハンガリア・ソヴェートを貫いて流れる労働者階級自己解放の血を現代に表現した「反帝国主義・反スターリン主義」でなければならない。
 
 b、世界革命運動の再起のきざし
 
 世界の政治的・経済的変動は、それによって生じ、発展すべき革命運動の主体的発展を抜きにして語ることはできない。われわれは、われわれ自身も含めて、全世界に生起するさまざまな色合いの革命的反逆を、世界革命に向けて正しく把握し、再構成する努力を怠ることを厳しく戒めねばならない。その可能性をことごとく追求し、貪欲にみずからの内に同化する点で、危機をわめき立てるのみの客観主義者や、自己の頭脳の遊戯で世界に代える観念論者と鋭く自己を区別するものである。
 第二報告でみたとおり、世界帝国主義は明らかに死闘の時代に入りつつある。帝国主義の死闘が、IMF総会に見られたような平和的演説戦に止まりはしないことは、すでに植民地において鋭く示されている。インドシナ半島をめぐる米、日、仏帝国主義の市場争奪戦は中国と仏帝の同盟によって国際政治に大きな穴をあけ、米の武力対抗は日本帝国主義の核武装へと発展し、中国の対抗的核武装はいっそうこれに拍車をかけていく。植民地解放闘争は、それ自身相対立する帝国主義グループと、それと結びつく中国スターリン主義のあいだにあって、真の解放への道にいっそう複雑な障害物を迎えておりながら、一方では帝国主義とスターリン主義内部の人民に革命的連帯を事実をもって要請する契機となっている。
 帝国主義諸国の内部矛盾は、国際政治の動揺によってますます深まり、アメリカにおけるゴールドウォーターの進出に見られるごとく政治的再編さえ迫っており、そのことが逆にまた国際情勢の緊迫化を呼び起こすという果てしない悪矛盾をたどっている。「自由と繁栄」の金看板と「共産主義の脅威」で眠らされてきた欧米労働者人民は深まりゆく矛盾の下から、ようやく立ち上りつつある。すでに数年前、米ソ核実験競争にたいする反戦闘争として発展した新しい運動は、帝国主義とスターリン主義に反対する先駆的たたかいとして、その小市民的限界にかかわらず新しい可能性を示したが、いまや欧米諸国の新しい運動はより深く、より強力なものとして台頭しつつある。アメリカにおける黒人の闘争は、オートメと巨大な武力でかためられたこの資本主義の心臓部における階級闘争の煙火であり、西欧における賃金闘争、アメリカにおけるオートメーション反対闘争の台頭は、「階級なき福祉国家」の厚いベールを破って、荒々しい階級対立が再現しつつあることを物語る。日本の「構改」理論家が熱心に移植を試みてきた「西欧型労働組合」はこのなかでその本国において崩れはじめているのだ。これまで核実験反対闘争をもって、国際的な反戦・反核兵器運動の中心をなしたごとく、われわれは日本における労働者運動の担い手として、日本でのたたかいをもってこれらと結びつき、反帝国主義・反スターリン主義の旗をこのなかに拡げねばならない。
 一方、スターリン主義圏の対立は、一国社会主義に必然の民族排外主義を動員した露骨な対立に進むことによって、みずからそのニセ共産主義を証明しあっている。中ソの対立はそれぞれの支持につく諸国にたいして「借り」をつくるものとなり、「コメコン」(セフ)の危機に代表されるごとく「社会主義圏」全体の細分化をうながしている。この危機を、「多数中心化」なる名を与えて美化することによって回避せんとするトリアッチの遺志も、「社会主義の神話」の崩壊による人民の新しい動きをつなぎ止めておくことはできないであろう。九年前の「言葉」によるスターリン批判よりも、こんにちのその「物質基盤」の崩壊という批判の方が、決定的な重みをもって世界の共産党とその運動をゆさぶっているのである。だが、四全総報告が指摘したとおり、スターリン主義の崩壊は、革命的共産主義運動の前進がないかぎり、限りない混乱と帝国主義思想の支配の拡大、共産主義自体の崩壊をもたらす危険を常にはらんでいるのである。東欧諸国が非スターリン化を進めるなかで、インテリゲンチャを先頭とする人民の動向は、西欧社会への幻想を強める方向にしか行きえていない。すでにそれを見越して、米、仏、西独帝国主義は中国にたいする仏帝の向こうを張ってソ連、東欧への浸透を準備しているのだ。スターリン主義からの離脱→帝国主義という悲劇的逆行を断ち切るためにも」反帝国主義・反スターリン主義運動の物質化は不可欠なのである。
 こうした矛盾の集中点は、こんにちいうまでもなく植民地諸国、なかんずく東南アジアである。第二次大戦後政治的独立を得てきたインド、インドネシアは、東西両陣営に接近しながら経済建設を進めてきたが、ネルーの死が象徴するかのごとくいづれも深刻な危機を迎え、帝国主義諸国の市場再争奪戦の激化につれて、いっそうその危機を深めている。しかも対立は、かのバンドン精神をあざ笑うがごとく中国対インド、インド対マレーシア、タイ対カンボジア等々、それぞれの民族政権同士の対立を中心とするという新しい様相を呈している。まして、戦後の民族解放闘争を「劉少奇テーゼ」にもとづく硬直した武装闘争によって敗北させたり、「ジュネーブ会議」等々でこれを中途でおしとどめた中ソスターリン主義者の反動的指導によって、いまなお分割され、カイライ政権下にあるベトナム、ラオス等では、危機はどうにもならぬところまでいたっているのである。
 米、英、仏、日帝と中国スターリン主義の争奪戦のなかで、ねじまげられ、妥協させられ、都市と農村に分裂され、先進国労働者との連帯を断ちきられている東南アジア人民の闘争は、しかしながら不屈の戦闘力をもってたたかい続けられ、こんにちの世界政治体制をゆるがしている。このことにはっきりと注目し、その限界性にためらうことなくこれを支持し、帝国主義のもとにあるわれわれが侵略反対の闘争をもってこれと実践的に連帯することによって、世界革命への共同の部隊として進む道を闘かねばならないのである。アジアの動揺は世界戦争にたいする広範な反戦の意志をよびさますとともに、帝国主義のもとのプロレタリアートに自国帝国主義の残忍な正体をみせつけ、またスターリン主義者がアジア人民の解放を、あるいは「平和」の名で米帝に、あるいは「反米」の名で仏帝に売り渡す姿をはっきりと暴露する場となるであろう。
 
  C、急展開する情勢
 
 十一月の米大統領選挙は、こうした矛盾を一挙的に爆発させる口火となるであろう。ジョンソン圧勝の予想が、日とともに後退していくことは、選挙の結果いかんにかかわらず、抑えられてきた矛盾がいっせいに開花せざるをえない性質のものであることを示している。イギリスもまた久々の総選挙を同じ時期に迎え、日本もオリンピックを終える。帝国主義諸国は、新しい激動にたいし布陣を終わるのだ。
 スターリン主義の分裂をかける世界共産党会議も、十二月一五日と予定されている。中国共産党は「その日こそ世界革命運動の大分裂の日となろう」と予告し、世界的に中国派の結成とその純化を進めている。分裂の回避を痛切に叫びながら、しかしトリアッチは死んだ。中ソ対立は、中国の「ソ連は資本主義となった」との攻撃と、毛沢東の日本社会党代表にたいする千島返還発言(これは、「日本は偉大な国である。かつて米・英・仏等の強国と闘った」と太平洋戦争の日帝を賛美する途方もないものである)をめぐる領土問題の応酬によって、破局に突き進んでいる。中国の「中間地帯論」は、中仏同盟からさらに日帝の賛美、西独の承認へと進む気配を示しており、こうした分極化は、かの独ソ不可侵条約と同じ犯罪的役割を結果するにいたるであろう。
 米大統領選と世界党会議を極として始まる動乱の世界が、いかなる内容とテンポをもつかはいまだ明らかでない。しかし、それはベトナムからアメリカが平和的に撤退し、中ソ分裂が回避される方向ではなくて、ベトナム戦争のいっそうの激化と「部分核停的平和」が、無残にも壊れていく方向であることだけはたしかである。フルシチョフの日本議員団にたいするおしゃべりが、大反響をよぶごとくアメリカはすでにその日に備えて太平洋核実験の完全な演習を開始した。フランス太平洋核実験はその引き金となるであろう。中国もインドもイスラエルも「原爆実験可能」と語っている。
 
 2 転機に立つ日本
 
  a、「弱い環」日本
 
 かかる世界のなかで、日本帝国主義はいかなる位置にあるのか。戦後革命の敗北のうえに朝鮮戦争の血を吸って急激な成長をとげ、極東の例外国から一流の重工業国として生まれ代わった日本は、まさに世界帝国主義の一主体要素、しかももっとも「弱い環」となっている。日本の地理的位置は中ソ両国と直接の接点にあり、帝国主義の政治的軍事的結合のなかでは西独と並ぶ決定的位置にあるうえに、矛盾の焦点たるアジアの中心国としていっそう決定的比重を占めている。日本の政治的・軍事的動向はまさに現代世界の構造的変動のカナメの地位を握っている。しかるに日帝はその急激な成長の結果さまざまな矛盾を国内経済にかかえ、帝国主義市場争奪戦に勝利的にのりださざるをえぬ状況にありながら、十分それをし終えていない。いまだ帝国主義軍隊に不可欠の核兵器をもたず、朝鮮さえその支配下におききれぬうえに、中国政策のカギを握る位置にありながらアメリカ帝国主義との政治的対立のできない弱みをもつという政治的ジレンマは、国際競争力の弱さとともに日本帝国主義をきわめて不安定なものとしている。だがこのことは、帝国主義諸国に例のない戦闘的存在である日本労働者階級の立場からみるならば、まさに世界革命のカナメとなる地位にあることなのであり、わが革命的共産主義運動を含む日本革命運動が、現代世界革命の前衛部隊であることなのである。
 
 b、日本帝国主義の自己矛盾
 
 日本帝国主義は、その世界的地位と自己の力量とのあいだに、その経済成長それ自身の内部に、そしてこれを克服せんとする対策自身のうちにそれぞれ深刻な矛盾をかかえている。
 あらたな段階に突入せる帝国主義市場競争は、一方において純然たる経済的力量を要求するとともに強力な政治的・軍事的影響力を要求し、むしろ前者は後者と一体化されて評価されるものである。日帝は、必死に経済競争力を強める努力を労働者の犠牲のうえに強行しつつ日米軍事同盟に依拠し、東南アジア反革命侵略の積極的推進者を買ってでることによって進出を計っている。しかしこれこそ東南アジア人民をはじめ中国、仏帝等の集中攻撃をあびる道であり、こんにちもっとも後退を強いられている道である。しかるに軍事力を欠き、ドゴールのごとき強力な政治指導部を欠くうえに、これまでながく米帝に依存して成長してきた資本と市場に規定され、日本ブルジョアジーはこれを放棄することができないのである。利子平衡税や綿製品関税でしめあげられ、北の漁場を追われ、ジェツト機が落ちてもなお対米協調をくずせない日帝の存在基盤は、まさに「反米親中」への日帝の転換が幸福を生むかのごとき主張がいかにでたらめなものかを明らかにし、基地撤去も日帝の革命的打倒と同時にしかありえないことを示すものである。
 「日中復交」こそ日本人民の闘争の中心課題であるとするいっさいの論議(それは日共の七〇年「安保闘争」にも、小野義彦=「日本のこえ」派の政策転換論にも共通するものだ)は、まさにこうした帝国主義段階の現実をおおいかくし、人民を真実から遠ざけるものである。これがあたかも「反米帝」のごとき言辞をろうしていても、それは本当の米帝とのたたかいにさえなりえないものだ。しかも、日本帝国主義が、もしこうしたジレンマを強行的に突破して中国大陸にたいする独自政策をとるとすれば、そのときは、かの「ドゴール登場」以上の恐るべき帝国主義的支配の確立を前提とするものであることは必至である以上、日中復交気運のブルジョアジーを賛美することは、進んで日本人民をその支配の犠牲に供することなのである。
 日本資本主義はいまようやく奇蹟的成長の矛盾を露呈しはじめた。高度成長のひずみは深刻な政治問題と化するとともに、日本資本主義自体をゆり動かそうとしている。労働力不足は初任給上昇を強い、伝統的低賃金構造たる年功序列賃金をゆさぶり、なお強力な賃金闘争に主体化されることによって、ブルジョアジーを脅かしている。農村人口の流出=農業の破産は、毎年「史上最大の豊作」によってひたかくしに隠してはいても、深刻な食糧問題の危機――米不足をつくりだし、なお農業政策を確立するにいたっていない。国際競争力強化がよび起こした中小企業の倒産は、四月三三二件、八月三七二件、九月三七九件と相次いで戦後最高を記録し、北九州における大手鉄鋼問屋の倒産に示されるごとく質的な深さをおびてきている。人口の都市集中は都市機能を破壊し、土地の値上りは工場用地確保にさえ困難をうみ、消費者物価の急上昇はいっそう不安をかきたてている。これらはもはやひずみではなく、資本主義発展がそれ自身では償うにみたない危機に転じようとしているのだ。さらに高度成長は、その内部においても合理化にともなう事故の急増とか、コンビナート建設計画の相次ぐ中止、変更など新しい矛盾をみせつつあり、証券市場の大混乱と国際競争力のための資本集中と巨大設備投資の過当競争は、日本資本主義の前途に不気味な影を投げかけている。
 日本ブルジョアジーは、これを労働者人民への犠牲と帝国主義的海外進出によってシャニムニ解決せんとしている。しかし、企業合同と合理化の嵐は、これまでの民同をとおしての労資の一定の安定状態を動揺させ、国際競争の激化と同時的に、はげしい階級対立をよびさまさざるをえない。戦後革命の敗北から「民主主義」「平和」の意識をそれなりに身につけている日本プロレタリアートは、かつて買収の条件になったこれらのものが、いまやブルジョアジーには桎梏と化すなかで、西欧型労働者支配を求めるブルジョアジーの意図をはねつけてたたかいに立ち上がる力をもっている。
 伝統的な政治委員会の無能力さは、方針上のジレンマと相まってさまざまな「対策」を逆に危機の導火線と化してしまうのである。
 
  C、日帝の攻撃
 
 だが、ブルジョアジーは攻撃をいっそう強める。それは帝国主義的海外進出――日米軍事同盟の強化、東南アジア侵略への加担、南朝鮮進出、軍事力強化=核武装等々として、労働者人民にたいする抑圧の強化――労働法規改悪、弾圧立法、選挙法改悪等々として労働者階級の分割支配――組合の民社独裁の推進、政府=「第三者機関」による賃金等々への介入、労働運動の排除等として、税、物価などの収奪強化として、林房雄の「大東亜戦争肯定論」などの新しいイデオロギーの育成や「日本教師の会」に代表される教育支配計画などの思想的攻撃等々として、全面的に展開されるであろう。その頂点が憲法改悪であることはいうまでもない。
 国際情勢の緊迫化は、必然的にこれらの攻撃のテンポを早めるものである。われわれはオリンピック終了を転機として、年末から一九六五年へ、はげしい政治闘争の嵐に突入することをいまからしっかりと覚悟しておかなければならない。
 
 3 プロレタリア運動の転機とわれわれの態度
 
 かかる情勢は、すでに労働者人民のあいだで直感的に感じられている。大衆の持つ広範な危機感、不安感をわれわれは正しく自己のものとせねばならない。しかし同時に、それは意識的にくみあげ、明確な目標に向かって結集する指導と組織なくしては、けっして歴史を動かす主体的な力になりえぬものであることを知らねばならない。日共が四・一七であれだけ裏切りながら左翼のいない職場で民社にたいして進出しているのは、「近ごろ職場きついなあ、そうだろう」と直接この危機感に訴えかけているからであり、創価学会の進出もこの擬制的結集の一例なのである。しかし、それではなんの力にもならない。
 
  a、日本階級闘争の歴史的基盤
 
 こうしたなかで、労働者大衆をたたかいに組織するにあたって、われわれは日本労働者階級のこんにち持っている革命的伝統と階級的力量を正しく評価し、大胆にこれに依拠することが必要である。
 日本プロレタリアートは、戦前と戦後革命以来の戦闘力をいまだ失ってはいない。それは労働者大衆の意識と、こんにちの総評的労働組合組織のなかに存在している。日本の労働者の持っている「民主主義」「平和」「経済(賃上げ・物価など)」「組合の権利」等にたいする鋭い感性は、戦前・戦後の革命的闘争のなかで、その遺産として獲得され、守られてきたものである。これはますます激化する階級対立のなかで、日本革命運動の巨大な力になろうとしている。われわれはこれを革命的思想に対立するものとして、否定的要素としてとらえる傾向を断固として排撃し、これを革命的闘争と革命的意識への貴重な第一歩としてとらえねばならない。
 これまでわれわれはスターリン主義や社会民主主義からの決別を強調するあまり、こうした要素を十把一からげにたたき切る傾向を根強くもっていた。関西共産主義者同盟の「市民的政治闘争の終焉」は、その極論化であるが、たとえば安保総括においても、その思想的欠陥の強調のあまり、正当な大衆的経験までも否定しさる偏向を免れなかった。いまや、はっきりとこれを克服し、日本人民の歴史的に蓄積された力を、革命的に再構成する方向に転じなければならない。安保以後の小市民的潮流や「新左翼」の多く、そしてまた、伝統的に日共がそうであるごとく、これを「遅れた思想」「階級意識をおし止めるもの」とすることは、じつは現実の階級闘争から逃亡している自己を合理化するための、悪質な日和見主義の空文句なのである。
 これまでのたたかいの問題点は、まず大衆の民主主義や平和、賃上げへの意志に一度として満足に答えたことすらないことにこそあるのである。
 これは一方、その大衆の運動母体としての労働組合にもいえることである。日産自動車労組のごとく完全に労働者と無縁な、労働者支配機構と化している「組合」を例外として、大部分の労働組合は、民同はもちろん、たとえ民社支配下にあったとしても、労働者にとって「労働者」としての行動、「たたかい」の唯一の最高の基盤としてこんにち厳然として存在しているのである。それもまた、戦後革命期における大衆的労働組合としての成立が多く変質したこんにちにおいてなお残している貴い遺産なのだ。大衆的労働組合運動は、こんにちなお可能であり、われわれは安易にこれを見捨てて、地域活動に逃れたり、○○委員会とかのセクト的集団のカラにとじこもったり、「下層プロレタリアート」をさがしに出かけたりする傾向をきびしく批判し、あくまでも労働組合運動の階級的前進を第一の任務としなければならない。いかに困難であるとはいえ、自分の困難をもって勝手に大衆的組合運動の崩壊を宣言し、その後の対策を考えることは、日和見主義以外のなにものでもない。召還主義と一発主義に反対し、ねばり強く大衆のなかで活動することはすべての前提条件である。
 
 b、労働運動の危機の深化
 
 大衆的労働組合が、いま大きく動揺し、重大な危機にさしかかっていることは事実である。それはその根底を破壊せんとする資本の攻撃と、これまでの指導の崩壊によって、上下からつき壊されようとしている。しかし、組合の基盤そのものを破壊せんとする攻撃は、有形無形の労働者大衆の抵抗と日本資本主義自体の弱さにさえぎられて、なお停滞を強いられている。これと対照的に雪崩のように進んでいる指導の崩壊を革命的に突破し、日本労働運動に明確な統一と闘争の方向が示されるならば、この危機を革命的に突破することは十分見こみのあることである。
 たしかに、民社の労働組合支配は、合理化と企業合併に乗って着実に進んでいる。民間産業において戦闘力を比較的残す造船・化学にたいし、それは集中攻撃をかけようとしている。そして民社支配は日共・民青の活動の盛んな所ほど正確に拡大し、これを転覆している。民同支配下の組合においては、四・一七をもって日共の一掃と民同支配の安定は進んだが、下部大衆の組合不信はいっこう改まっていない。戦闘的労働者は、その戦闘性に幾何級数的に比例して反幹部意識をもち、大衆は無関心となっている。だが同時に、部分的ではあるが、こうした奔流に逆らう労働組合の戦闘化、革命化の例も増していることを忘れてはならない。三井三池第一組合の強固な団結の保持、長船社研、大阪中電労研の進出、東交の戦闘化、全逓東京・岩手・新潟等の闘争、東洋高圧砂川での委員長の追放などの力を、われわれは注目せねばならない。社民・日共の分解はこの反映なのである。まさに日本労働運動は「起伏に富んだ戦線」をもっているのだ。
 これは、これまでの指導理念をことごとくつき崩している。構改理論の破産は、もはや大衆的に明らかであり、構改派内部は混乱をきわめている。民同は大きく二分され、太田派の 「ハッスル路線」によって自己保身をはかり、みずからそれを圧殺するという矛盾に満ちた行動に終始している。労働者運動の本流から追い落された日共は、自己の綱領的路線にかたくなに立てこもることによってその命脈を保つに必死であり、わが革命的共産主義運動もこの大波のなかでほんの一握りの極小派の域を出ていない。指導部と大衆の戦闘性の大きな落差は、運動全体の危機をいっそう拡大しているのである。
 
  C、労働運動における党派対立の激化
 
 かかる状況は、日本労働運動が深刻な党派的対立の時代を迎えつつあることを物語っている。戦前の伝説が、学生戦線の専売特許とされ、小ブルジョア性の結果として非難されてきた諸党派の分裂・抗争が、労働戦線の内部において開始されようとしているのだ。このことは、われわれの思想の明確化と党のための闘争にいっそうの決意を要求するものであると同時に、それにとどまらず、労働運動の総体の前進の保障と、そのなかでの革命的党派闘争の貫徹という、きわめて困難な任務をつきつけているのである。
 われわれはたんに、諸党派にたいする批判と綱領的優位の確認からではなく、労働者大衆の現実の利益を守るための徹底的な行動上の統一を死守し、大衆の力を結集してたたかいつつ、その内で思想的一致をかちとる正しい統一戦線戦術をもって、この危機的事態に対処しなければならない。
 われわれがこれをしないならば、かの四九年の大攻勢のもとでの民同――日共の抗争と日共の大分派闘争が日本労働運動を内から破壊したのみで、なんの得るところもなく自滅した歴史をまたもくり返すこととなるであろう。この愚をくり返すことなく、日本革命運動に新時代を開きうるか否かは、ひとえにわれわれの努力にかかっているのであり、これに失敗すればわれわれ自身も、大打撃を受けることは必至である。安保闘争以来の、学生戦線における苦痛に満ちた経験を、われわれはいまこそ教訓的に生かさねばならないし、それができるのは、ただわれわれだけなのだ。革命的共産主義運動の鮮明なる世界観・反帝反スタ戦略と統一戦線戦術を統合させることによって、われわれは自信をもってこの危機に対決するであろう。
 
 4 党のための闘争と党としての活動
 
 かかるなかで革命的前衛党創成のたたかいが決定的重要性を持っていることは、あえていうまでもあるまい。
 
  a 左翼戦線の大再編
 
 既成政党の分解・左翼戦線の再編は、かつてない大規模なものへと発展している。
 すでに『前進』等で指摘されているとおり、日本型社民と組合指導部の分解は、再編の波をより広くひろげ、またより深く組織労働者の内部にもちこむ役割を果たしている。社会党は十一月党大会によって、さきに二月の大会後、野に下った反主流派の処遇を決め、また河上老委員長の後任の準備をしなければならない。これが、社会党に分裂の危機をよびかねない重大事であることは明らかである。しかも主流派は、原水禁大会等を成功させ、訪ソ・訪中使節団を組織し、ソ連共産党の全面的支持をえて「今や国際共産主義運動の主流」としてふるまおうとしているのにたいして、反主流派は中国共産党への接近をめぐって平和同志会や佐々木派内にも動揺をおこし、社会主義協会は独自に「社党を強くする会」を拡大している。総評民同はこれと関連しつつも、一方では独自に労働組合指導をめぐり宝樹――太田の対立を深め、これがまた、社党の内部抗争に微妙な影響を及ぼしている。社青同は十一月大会をまえにして社民分解の集中点となっており、構改派→協会派→解放派→さらに独自のグループへと、左傾化の流れのなかで目まぐるしく、かつ深刻な分派抗争をつづけている。このため「組合運動」のワクを久しく出なかった労働者層にまで、分裂の波紋は直接的に拡大し、多くの労働者を「党派」の問題に直面させている。
 十一月九回大会を控えた日共は、九中総と対ソ決裂による動揺を日とともに深めている。志賀・鈴木に次いで神山・中野を切り、さらに数名の中央委員・文化人党員等が切られようとしている。労働戦線では神山に続くかたちで全日交中央の党員が除名され、日共は有力単産を一つ失ったといわれ、また国労の細井中執、紙パ池ノ谷委員長をはじめ、八名の全国単産幹部級の党員が、連名で九中総の無責任さを弾劾した意見書を出しているといわれる。学者・文化人のあいだでは、先に「意見書」を出した渡部義通・出隆・山田勝次郎らが、今度は「声明」を発表するといわれ、学生細胞ではすでに京大・立命等の細胞LCが活動停止を受けている。区、市議、地区常任などの離党・除名も小きざみながら続いている。原水協内では、吉川勇一が国際秘密会のソ連攻撃の全貌を暴露し、安井はまた引っこんでしまった。
 対立は、部分核停――原水禁――反ソ活動にたいするソ連共産党の立場に立つものと、四・八声明、九中総をめぐる労働運動上の実践的混乱にたいするものと入りまじって展開されているが、これが党組織全体を混乱と停滞におとし入れていることは事実である。これまで、労働運動におよそ縁のなかった居住細胞まで、四・八声明で「スト破壊」の労働運動に初めて「参加」したために、九中総のショックは深刻に及んでいる。こうした混乱にたいし、党機関に支配的力をもつ純中国派は、逆に九中総の四・八声明否定そのものを攻撃し、これを『アカハタ』の紙面から完全に消し去らせている。さらに原潜闘争においても、九中総を明らかに無視して佐世保の現地共闘をブチこわし、九・二七にたいし、九・二三を対置するという強硬路線を貫いている。こうした中国派の巻き返しは、当然宮本書記長との対立を深めずにはおかないであろう。『アカハタ』の減紙、党員の減退、九・二三などの動員の失敗(一〇万目標にたいし、二万)のなかで迎える九回大会はさらに大きな分解をもたらすことが必至である。
 一方、日共脱党組の大同団結、ソ連派共産党結成の動きも活発である。志賀の看板、傷ついていない中野、「中央こそ分派である」との奇妙な自己確認によって猛烈な活動を開始した神山、労働運動において最大の影響をもつ鈴木という面々に加えて、ソ連の本格的テコ入れと膨大な資金(「日本のこえ」の事務所をみよ!)によって、統社同・社革新をはじめ、多数の中間的脱党組を結集せんとするソ連派新党は、九回大会を契機とし、世界党会議をめざして準備されている。
 
  b、革命的共産主義運動への評価
 
 こうした再編のなかで、わが同盟を先頭とする革命的左翼諸潮流は八・二集会において初の統一行動を実現し、社青同解放派をはじめ社青同系左翼をその影響下におきつつあり、また七・一一、一二の労組活動家討論集会を成功させることによって脱党組中間層の労働者部分とも接点を確立してきた。しかし、正直にいってそれらはいまだ端緒が開かれたという域を出るものではない。これらいわゆる「トロツキスト」は、いまや左翼陣営はもちろん一般社会においても一応政治潮流としての存在を認められる市民権は獲得した。しかしいまだそれも「存在を認められた」にすぎず、一人前の党派としての地位を獲得しているものではない。一しかも、左翼陣営内外の公式的評価は、左翼の再編が未来に向かうなかで、「不成功に終った例」として上げられる域を出ていない。われわれは、だからどうということはないが、みずからの立っている社会のなかでの客観的位置を冷静に認めることにやぶさかであってはならない。こうした評価を下される原因は、たんにわれわれの少数さ、あるいは不当な評価または組織防衛の成功の反映にとどまらず、なによりも「はてしない分裂」「生硬な原則主義」「非現実的な対応」「大衆化能力の欠如」なかんずく「分裂」にたいする不信にあることは、十分かみしめる必要のあることである。
 われわれは、これをうち破ることをいまこそ真剣に追求しなければならない。もちろん、分裂と再編の大波にたいして、ただ「統一」を求めるだけでは、統一さえかちとれぬことは明らかである。必要なのはわれわれ自身が理論と実践と組織においてみずからの力量を高め、社会において独立の党派として客観的にも存在しうるに足るだけのものに成長する以外にはないのである。諸党派・諸潮流にたいする評価をいっそう正当なものに改めるのはもちろん、これにたいするわれわれの態度も、主体的力量の前進に応じて大胆に改善することにやぶさかであってはならない。卒直にいって、社民左派的翼にたいする態度、反スタ諸派にたいする態度は、けっして革命組織として十全をつくしたとはいえぬものをもっていたのである。われわれは「責任ある多数派」として、自信をもって現在の情勢に対応せねばならない。それはなによりも、われわれがこうした再編の過程で出されてくる全問題にたいし、明確に態度を表明し、大衆のまえに違いを明らかにしうるようにすること――本当の意味での党派性ある党派としてふさわしい活動をおこなうことにかかっている。理論においても行動においても、あまりにも多い「空白」を、回避するのでなく対決し、克服して行くことこそ「責任ある多数派」の任務なのである。
 
  C、革命的共産主義運動の国際的位置
 
 さらに、こうしたわれわれのたたかいが、現実に国際的な新しい革命勢力にとって、きわめて重要な地位にあることを指摘しておこう。反戦闘争をとおしてわれわれと交通をもった欧米の「非スターリン主義的諸組織」はその後、部分核停的平和のもとで大きな試練に立たされているが、その革命的部分は、われわれの活動に刺激されて労働運動内部への定着をめざして活動している。中ソ対立の激化は国際諸組織とその運動を大混乱におとし入れ、新しい分化を強いているが、国際学連における日本全学連の位置は、このなかできわめて鋭い対極を形成し、スターリン主義圏への働きかけの貴重な機関となっているのである。第四インターがこんにちなお世界の激動をその体内にとらえることができずに、中ソ抗争にゆさぶられているとき、日本革命的共産主義運動はその歴史的限界をはじめてつき破るべき地点に立たされている。だが現実にそうなるためには、日本における党派闘争と同様に、否それ以上に、日本階級闘争における実力をもった部隊として大衆的に登場しないかぎり絶対に不可能なのである。ラーヤの本にあるように安保闘争における「ゼンガクレン」のごとき力をもってはじめて、運動は世界の同志の目に映ることができるのである。
 いまこそ、飛躍の秋である。
 
 二 革命的共産主義運動の直面する闘争課題
 
 1 当面する環としての原潜闘争
 
 一にのべた情勢のなかで、いまわれわれが取り組んでいる原潜闘争は奇しくも全闘争の結節点をなすものとして存在している。原潜闘争は、(1)現代世界と日本の政治情勢の中心点に位置すると同時に、(2)オリンピック後の全面的政治闘争の第一歩であり、(3)またわが同盟にとって公然たる政治闘争を労働者大衆の内部で組織する転機をなすものである。
 
  a、原潜闘争の階級的意義
 
 われわれは原潜闘争の意義を、ある側面に限定するのではなく、総合的・全体的にとらえることによって、いっそう明確な位置付けと闘争の展望を示さねばならない。大衆闘争の組織化に当たって、「日本に核兵器がもちこまれる」「核戦争の基地にされる」ことにたいする日本人民の鋭い反応に大胆に依拠するとともに、われわれは党としての立場から、これにいっそう深い階級的理解を与え、これをいっそう深い現代世界の矛盾への反逆要因になすべく、大衆をたたかいのなかで階級的に鍛えるためにたたかわねばならない。これを怠るならば、われわれ自身を強くすることもできず、複雑化する党派闘争に耐え抜くことはできないであろう。われわれは、これまで、ともすれば独立してたたかわれてきた、次のような諸闘争を一つに結びつけねばならない。
 第一は、日米軍事同盟の強化にたいする闘争である。新安保条約によって、日帝の主体的参加として強化された日米軍事同盟は、スターリン主義圏にたいする防衛を口実にしながら、まさに帝国主義者のアジアにおける侵略と抑圧の強盗同盟であり、高まる東南アジア人民の解放闘争にたいする野蛮な攻撃の陣地であり、同時に恐るべき世界戦争の兵営である。その戦争と侵略の兵営にあらたな核兵器が持ちこまれようとする事態にたいして、日本人民の力強い反戦の意志を総結集してこれを阻止することは人類にたいするわれわれの崇高な任務である。
 この闘争は人民の広範な反戦平和の意志を背景にして、当然にも現代世界を覆う核戦争の脅威そのものに対決せざるをえない。すなわち、米ソ核実験競争反対の実績から、米ソ核ミサイル潜艦競争反対へ、帝国主義者とスターリン主義者の核軍拡競争そのものとの闘争へと向かうであろう。モスクワの放送は、すかさず日本への核攻撃を宣伝し、帝国主義者はこれを核武装強化の口実に逆用している。
 さらに近づきつつある仏帝の太平洋核実験、そしてこの核軍拡競争を凶暴化させるうえで決定的な比重をもつ中国スターリン主義者の核武装が、原潜寄港=日本の核基地化をもって促進されようとしている。帝国主義者とスターリン主義者の悪魔の競走は、いまや「死の灰」のごとき間接的恐怖でなく、核兵器それ自体としてわれわれの頭上に降りかかってこようとしているのだ。
 こうした現実は、スターリン主義者の「平和運動」を破産させ、その正体をようしゃなく暴露していく。中国はみずからの核武装のために、仏帝の太平洋実験を支持し、さらに同じ論理によって原潜闘争=日本の反核兵器闘争に敵対しはじめている。この中国派によって「日本原水協」からたたきだされながら、平和運動の正統派をもって登場しているソ連派も、部分核停の幻想平和が破綻するとき、その仮面を捨ててみずからの核兵器にすがることは必死である。原潜闘争は米ソ核実験反対・中ソ核実験反対の闘争と同じく、こんにちの反戦闘争の環なのであり、それはまた「基地めぐり」と「ゴーホームヤンキー」の民族排外主義者の、闘争ならぬニセ基地「闘争」とするどく対比される、日米軍事同盟にもとづくいっさいの軍事基地反対のもっとも優れたたたかいの一つなのである。われわれは、日共の民族主義との区別に急なあまり、この側面の意義を過小評価する傾向を一刻も早く改めねばならない。
 第二は、日米帝国主義の東南アジア侵略に反対する闘争である。原潜寄港はインドシナ人民の植民地解放闘争にたいする帝国主義者の侵略そのものであり、日本政府の寄港承認は、日帝がみずからこの侵略に参加することである。われわれは、われわれの支配者がふたたび東南アジア侵略に乗りだしつつあることを全力をあげて暴露し、「他民族を抑圧する民族はけっして自由ではありえない」ことを太平洋戦争の苦難にふまえて訴えねばならない。これはアメリカ帝国主義の野蛮な侵略にたいする怒りを結集するとともに、日本帝国主義自体が、それと協力して海外進出を進めていることにたいする怒りを呼びさますものとしなければならない。これは、すでにたたかわれているもっとも具体的な日帝の海外侵略――南朝鮮への帝国主義的支配の野望たる日韓会談粉砕のたたかいと、原潜寄港阻止のたたかいを固く結びつけるものである。「日韓か原潜か」といった、笑うべき二者択一は一刻も早く捨てさせねばならない。帝国主義の侵略に反対するという実践的立場を忘れて、日米帝国主義の競争のみを論ずる論者の必然的に行きつくかかるジレンマは、いまや有害な存在なのである。
 これは第三に、侵略の対象とされている東南アジア人民の解放闘争との連帯に分ちがたく結びつく。侵略者の国民であるわれわれ日本プロレタリアートが被侵略者の南ベトナム人民と連帯する道は、その侵略を打破するたたかい以外にない。日本を基地としてトンキン湾に出撃している第七艦隊に加えて、さらにポラリス潜水艦隊が日本にやってくるというのに、それに有効な打撃を加えられないような日本人民を、ベトナム人民はけっして信頼しないであろう。自分を爆撃する飛行機の飛び立つ島の人間からあれこれたたかい方に文句をつけられて、君はそれを受け入れられるだろうか? われわれは多少の反戦闘争をもって、帝国主義者の侵略を阻止できないわれわれの決定的弱さをごまかしてはならないのだ。原潜阻止――それは虐殺された友の屍を越えてたたかう南ベトナム人民へのささやかな連帯の第一歩なのである。現代における世界革命は、かかる実践的なインターナショナリズムの形成を抜きにして語ることはできない。
 もちろんこのことは、東南アジア人民の解放闘争のはらむ矛盾・欠陥をも承認することをいささかも意味しない。逆に、実践する者のみがもつ説得力をもってそれを常に指摘することは、世界革命をめざす者にとって共通の義務である。われわれは、植民地解放闘争をこんにち圧倒的に支配しているスターリン主義がかならず解放闘争そのものに敵対するものであることを知っている。それは解放闘争がいまだ十分な展開を見せぬうちは、むしろ矛盾を顕在化しないであろう。しかしひとたび闘争がもえ上がり、巨大なエネルギーが発揮されようとするとき、中国・ソ連の指導はかならずこれに敵対するのである。ディエンビエンフーの勝利からフランス帝国主義にとどめを刺すときにいたって、「ジュネ一ヴ会議」のわくにはめこんだのはいったいだれだったのか。一七度線でインドシナ半島を分割し仏帝を米帝に交代させた中国・ソ連の指導こそ、こんにちのインドシナ戦争の原因を作った責任者ではないのか。再び三度び同じことが繰り返されることは、スターリン主義の歴史が示しているのだ。われわれは植民地解放闘争をたたかう人民を断固支持し、これとの連帯を誓うからこそ、本物の反植民地闘争の勝利のためにこそ、スターリン主義との闘争を強く主張するのである。
 第四は、同じ帝国主義者の国内支配にたいする闘争、なかんずく日本核武装と日帝の軍事力強化反対、国内反動支配強化反対、その頂点としての改憲阻止闘争である。
 原潜寄港が日本核武装の直接的第一歩であることは明白である。日米軍事同盟のなかで日帝は、在日米軍の公然たる核武装化→それと日本自衛隊の一体化→日本自身の核武装という既成事実の積み上げをもって、日本人民の強烈な反戦反核意識を掘り崩そうとしている。それは、たんに軍事力の問題にとどまらず、政治的支配の強化として、全社会生活にわたって波及することは明らかである。戦争は政治の継続であるとおり、軍事力の強化はそれにふさわしい政治支配の貫徹を要求するのである。かくして原潜闘争は日本核武装と憲法改悪を頂点とするいっさいのたたかいの第一ラウンドなのだ。戦後二〇年、日本人民の大衆的なたたかいのよりどころであった「平和」と「原爆反対」の意識が破られるか否かの第一戦は、その後の闘争を決定する天王山なのだ。
 われわれはこれまで、これらの諸闘争を全力をあげてたたかってきた。いま、原潜闘争においてそれらが一つのものであることを具体的に示し、労働者人民を階級的に武装しつつ、その全エネルギーを一点に結集してたたかわねばならないのだ。
 
 b、その政治的位置
 
 さらに、原潜闘争は、オリンピック後に開始される全面的な政治闘争の第一戦としても重要な位置にある。オリンピック休戦を念頭に「今しかない」という「高度な政治判断」をもって挑戦してきた池田の攻撃は、しかし逆にこれをうち破るならば、池田内閣の死命を制し、そのプランを混乱させ、今後の政治闘争の様相を一変させるものである。十一月寄港をまえにしながら、オリンピックムードにおされて総評・社会党は小市民的動揺を深め、マスコミへの強力な規制とともに運動を後退させ、もって池田の政治判断は、成功しつつあるかに見られる。われわれはいまこそ死力をつくしてこれをうち破り、逆に原潜阻止から池田内閣打倒に進むことを目ざすべきである。
 またこれは、運動の内容においても、われわれに新しい試練を与えている。労働者階級にとってもっとも公然たる政治闘争であり、しかも全国民的反対運動として存在しうる課題である。日本型社民は、その特色からこれに敏感に反応している。日共がこれを七〇年革命への前段闘争としてしか見ず、セクト的分裂を固執していることは、いっそうわれわれを大衆のなかできわだたせる。三全総以来の労働戦線の実践、八・二集会の成功、全学連の革命的再建は、われわれをこのなかで大きく飛躍させる主体的条件が築かれていることを物語っている。いまこそわれわれは全運動の責任を負う部隊としてカラをぬぎすて、直接大衆を政治闘争に組織するというまったく新しいたたかいに飛びこむ秋である。海は冷く荒れていても、陸にいては泳ぎは覚えられぬのだ。原潜闘争は、大衆の広範な憤激、既成指導部の取組み、戦術の単純さ、等によって、初の試練に得がたい体験なのである。安保の初期、われわれはまず「安保は悪い」ことを理解させるのに一年余を必要とした。だが今度は、すべての人びとが原潜は危険と感じているのだ。これを利用できなくてなにが第三潮流ぞというものだ。
 
 c、当面する行動上の問題点
 
 九・二七統一行動から、闘争は次の段階――十一月初旬の「寄港」へ向けて進んでいる。すでに『前進』等でのべているが、行動の当面の主な問題は次の点にある。
 第一は、オリンピックによる小市民的動揺が、運動をむしばんでいることである。当初の「開会式当日の大デモ」案は日に日に後退している。だが、最大のヤマが十月下旬〜十一月初旬にあることが明白な現在、そのときの闘争の爆発を実現できるか否かは、まさにオリンピック中の行動にかかっているのだ。この運動のリアリズムを、大衆にはっきりと呼びかけ、オリンピックを民族排外主義に利用している政府のやり方にたいする反感を最大限引き出してたたかいを盛り上げねばならない。
 第二は、日共の分裂策動にたいする断固としたたたかいである。行動上の分裂は、「二三」とアカハタ祭りですでに大衆的憤激をよびつつある。四・一七問題の教訓にふまえ、これをとことんまで推しすすめることは、実践的にきわめて重要である。
 同時に、その論拠となっている「安保共闘再開要求」へ、根本的批判を加えねばならない。安保共闘再開か否かを、原潜闘争の発展の基準にするということは、要するに原潜阻止はどうでもよくて、これを七〇年安保闘争の一手段に利用するのみという日共の思想を暴露しているものだ。問題はまさに「原潜阻止」それ自体のたたかいにあるのであり、かかる評価は悪質な妨害なのである。
 しかも「安保共闘再開要求」は、統一行動の要求ではない。統一行動はまさに「原潜阻止」の現実的行動の統一として進められるべきなのに、日共は「安保共闘」を理由にそれをぶちこわしているのである。これは「統一行動」ではなく、日共が指導に参加することを要求し、闘争を日共の思うままにさせようというセクト的主張以外のなにものでもない。
 さらに、「安保のように闘おう」という大衆の戦闘性を「安保共闘」にすり変えることは、決定的な裏切りである。安保闘争は、全学連を先頭とする革命的大衆行動が、指導部――「安保共闘」を乗りこえて進んだことによってはじめて「安保のように」なったのである。社共の連合戦線「安保共闘」は、十一・二七国会デモを「挑発」とよび、羽田闘争を圧殺し、全学連を除名する、という具合に常に闘争の阻害者になっていたのだ。日共の要求はまさにこの運動の抑圧者の立場の回復を狙うものなのである。大衆の安保闘争にたいする戦闘的記憶を、われわれは正しくよびおこすことによって、日共の陰謀を逆にうち破るべきである。
 第三は、「現地動員」「実力阻止」にたいするさまざまな日和見主義との闘争である。砂川闘争や三池闘争の例をひくまでもなく、原潜寄港「現地」での断固たる実力行動が、闘争の中心にあることは明白である。首都における戦闘的デモ、政府・国会にたいする大抗議デモが必要なことはいうまでもない。だがそれは、けっして現地動員とそこでの徹底的抗議行動や「実力阻止」と、なんら対立する要素をもつものではないのである。労働者階級の生産点闘争――ゼネストが、最大の武器であることも同様である。われわれは現地実力阻止、首都の対政府・国会デモ、ゼネストを、すべてたたかうべきなのである。そして、本当にゼネストや圧倒的大衆デモを引き出すためには、むしろ現地動員がもっとも有効な力となることは、砂川闘争が見事に示しているのだ。安易にゼネストを口にして、現地動員にケチをつける者は、じつは徹底した実力阻止への恐怖をそうやって示しているのである。
 佐世保においては、すでに地元民を中心にして強力な文字どおりの「実力阻止J作戦が練られている。われわれはこれを断固として支援しなければならない。すでに、日共・「新しい路線」・「日本のこえ」は、「実力阻止方針は極左的だから反対」の悲鳴をあげている。われわれは、安保におけるあの「整然とした」「全国民の支持を得るような」という闘争妨害者の行動を怒りをこめて想起すべきである。九・二七の横須賀基地ゲート前における全学連と戦闘的労働者の、革命的左翼と社青同系左派の固いスクラムのなかにこそ、たたかいの道はあるのだ。
 
 2 全面的政治攻勢の開始
 
 a、政治情勢の急動化
 
 原潜寄港の緊急の承認は、第三次池田内閣がその最後の努めとして、これまで回避してきた諸懸案解決のため、オリンピック終了を機に全面的攻撃を開始することの不吉な先ぶれである。米大統領選を軸とする国際情勢の激動の開始のなかで「不作為の罪」とブルジョアジーから攻撃されながらやっと三選された池田は、これまでの低姿勢を捨てざるをえない。
 十一月臨時国会は原潜寄港への追及とILO条約批准をめぐってたたかいが始まり、そのまま通常国会へと直結するとみられる。年末から来春一杯をつうじての国会会期は、政治闘争を必然化させ、さらに六五年六月の参院選(あるいはそれ以前の解散、総選挙)へと引きつがれるであろう。この集約された「政治闘争の季節」は、同時に池田内閣の退陣、新しい政治委員会の形成をめぐるはげしい攻防戦をそのなかに含んでいる。支配階級内部において、池田がこれが最後であることは明白であり、その交代の方法と「次の政権」は、同時に日本資本主義の出口なき矛盾にたいする、ブルジョアジーの側の突破策の決定なのである。ブルジョアジー自身まだその方策を決めかねているいま、安易に「予想」をたて一面的な対策のみを強調することは、かえって闘争に立ち遅れるものとなろう。われわれは、諸攻撃にたいする徹底した階級的反撃こそが最大の打撃を与えることを確信してたたかいつつ、池田退陣をブルジョアジーのあれこれの策意に委ねるのでなく、労働者人民のたたかいにたいする支配階級の一大敗北とすべく、すべての闘争を「池田内閣打倒」に結集してたたかい抜かねばならない。
 社会党・社青同・共産党の大会も十一月に集中し、ソ連派新党の工作もこの時期を狙っている。われわれもこの間の事態を機敏にとらえ、立ち遅れることをなくさねばならぬ。
 
 b、当面する諸攻勢の性格
 
 現在予想される攻撃の主なものは、次の諸点である。
 @日韓会談の推進――これが日帝の諸課題のなかでもつ比重についてはあらためていうまでもあるまい。その遅延は日帝の帝国主義としての初歩的能力を疑わしむるものである。朴政権は、経済援助もインドネシア以下にするという日帝の露骨な態度に対抗して、西ドイツ、イタリアからの大量借款を交渉し、李ライン強化を進め、日帝は経済援助の妥協から再開の糸口を求めて苦悩している。われわれはこれまでの闘争にふまえ、日韓会談粉砕の闘争を進めるとともに、これを日本帝国主義の新植民地主義・民族排外主義にたいする、きわめて長期にわたるたたかいの第一歩であることをしっかりと確認する必要がある。帝国主義的イデオロギー・政策といっさい妥協せずにたたかうということは、けっして容易なものではない。それは日韓闘争を、たんなる一つの政治攻勢反対とのみとらえる立場では、けっしてたたかえないのである。
 A日米軍事同盟の強化、帝国主義的侵略への加担――原潜寄港に続いて、ベトナム危機を中心とする東南アジアの激動に、日帝が積極的に参加することはいっそう露骨に進むであろう。日米帝国主義の侵略反対・アジア人民との連帯・反戦のたたかいは、海外派兵・核武装を現実の日程にのぼせるなかでいっそう鋭さを要求される。
 Bこれは帝国主義とスターリン主義の軍事的進出にたいする反対、さらに部分核停的「平和」の崩壊にともなう米ソ核実験再開反対・中仏核実験反対・核軍拡競争反対の大闘争に発展させるべきである。世界人民の反戦の闘争を引き出すと同時に、われわれは、東南アジアの危機の激化が全世界的に戦争と軍拡への渦をよびおこすことのもつ恐るべき危険をけっして見落してはならない。
 C国内的には、憲法改悪へのいっそうの進行――国際情勢の緊迫、海外進出により投下された日本の資本と人間が解放闘争によって危険にさらされる際など、十分考えられる事態が引きおこす、日本国内の排外主義、帝国主義的愛国主義の危険をわれわれは軽視してはならない。憲法改悪は、これを十二分に利用して強行されうることを知っておかねばならない。核武装・海外派兵は、平和的漸進的におこなわれるとはかぎらないのである。憲法改悪は、それらを法制化し、逆に、それによって事態をいっそう進めるものとして、条文改訂そのものが決定的な力をもっているのである。その内容は、憲法調査会の活動によって@軍事力の強化、A強権的支配権の確立――行政権強化・非常大権の確保、B戦後革命収拾の過程で与えた民主的諸権利の奪回にあることはすでに明らかにされている。法律的にも、国会に調査機関を設置して、「発議」にもちこむ布石は完了している。残されているものは、具体的な攻撃の戦術のみなのである。「次の内閣」の、改憲宣伝にたいし、正面から改憲阻止のたたかいをよびかけねばならない。
 Dさらに、改憲に含まれる諸課題を、先取り的に実施せんとする攻撃の活発化である。教育の徹底したブルジョア支配、小学生からの系統的な人間育成は、支配階級の常に狙うものであるが、日本の場合、頑固な保守的イデオロギーと結びついて、これは徹底した反動化となっている。勤評等による日教組の破壊、「日本教師の会」の拡大、学テ競争等として進められている。軍事力強化の一環として防衛庁の省昇格問題も六五国会の懸案の一つであり、選挙制度審議会の活動を皮切りに、小選挙区制への準備も公然と開始された。
 Eそれらのなかで、もっとも中心をなすものは労働法規改悪を軸とする労働者階級への攻撃であろう。政府は、ILO批准で追いつめられたことを逆用して、ILO条約と関係法規改悪を分離し、まずILO条約を批准したうえで、公労法、国会、地公法の改悪を直接通常国会にぶつけようとしている。ILOと結びつけた議会内かけひきでこれを防ごうとしてきた社会党・総評は、政府のこの正面攻撃に早くもたじろぎを見せているが、われわれはこれをのりこえて、六五春闘の中心柱の一つに「労働法規改悪反対」をすえた総反撃を準備せねばならないのである。五二年の「労闘スト」の先例のごとくこれを日本労働運動の再起の機会とすることは、困難ではあるが、十分可能なのである。
 
 3 経済闘争の問題点
 
 a、経済闘争の階級的意義
 
 これとともに、われわれは労働者大衆の経済要求にもとづく闘争のもつ意義を正しく評価し、こんにちの階級情勢における「経済闘争」とその「組合運動」の占める役割を高くとらえ、その発展のために全力を上げねばならない。日共から反日共諸派にいたる自称革命的勢力の、「経済主義反対」「ものとり闘争の限界」というインチキな「政治主義」「革命的闘争」を、われわれは現実の階級闘争に背を向ける日和見主義として厳しく批判しなければならぬ。
 経済闘争は、「政治問題化するのが必然だから重要」なだけではない。なによりも、それは広大な大衆の参加する、日本プロレタリアートの闘争そのものであることに重要性がある。このほかに人為的に「革命的」行動を対置することは、プロレタリアートの闘争からの逃亡か分裂かでしかない。そして経済闘争のかかる性格ゆえに、それは一部買収された特権層の「体制的」運動ではありえず、日本資本家階級との根本的な対立そのものなのである。日本資本主義の特殊的な構造的脆弱性は、それをいっそう鋭角化するものであり、経済闘争の階級的性格は、なによりもプロレタリアートの大量的闘争参加によってもたらされている普遍的なものなのである。
 これを頭のなかで勝手に「下層」プロレタリアートの運動に限定せんとするドンキホーテ的試みは、みずからの階級性の欠落を示す以外の役割を果たさぬであろう。またこのことは、労働者階級の一部の貴族化と、植民地からの収奪のおこぼれによってかなりの部分をも買収するうえに、強力な「反共イデオロギー」に支えられて成立している西欧型労働組合による支配を、日本において不可能としているものなのである。
 もちろん、経済要求解決のための雇用主との闘争は、しばしば、中途でとめられ、またそれ自体からはそうした。プロレタリアートの存在自身を否定する運動は生まれてこない。しかし、大衆的経済闘争は、その限界をうち破ることをめざす意識的部分――日本においては、革命的共産主義運動とわが同盟にとって、その闘争への広範な大衆的基盤を与えるものである。革命的共産主義者が、日常の労働者人民の利益を守るたたかいにおいて、もっとも献身的で勇敢な戦士でありその戦術がもっとも秀れていることは、その思想へ広範な大衆の信頼と支持を獲得させ、それが大衆自身のなかに物質化する第一歩を築くものである。本当に大衆を革命的共産主義の思想で武装させるためには、このうえに、さらに独自の思想闘争を必要とするが、この過程をとびこして、それを勝利的に遂行することは不可能である。
 経済闘争は、また社会民主主義とスターリン主義の反労働者性をすべての大衆が理解できる姿で.バクロするものであることは、四・一七をめぐる日共と社民の行動がはっきりと示している。意識的にこれをバクロする力が、たたかう大衆のなかにしっかりと存在している時にのみ、かれらを大衆的に追放しうるのだ。
 また、経済闘争のかかる意義は、その運動主体である現在の労働組合の組織と組合運動そのもののなかでの、革命的共産主義者のねばり強い活動を義務づけている。大衆的規模でたたかわれる経済闘争は大衆の組織である労働組合を守り、強め、これを真にたたかう大衆のものにすることと離れては考えられないのである。われわれは、だれが主導権を握っているかにかかわらず、こんにちの労働組合運動のなかでの活動をいっそう強めねばならない。
 
 b、六五年春闘の展望
 
 来春闘は、内外情勢の緊迫化のなかで、特殊な重要性をもっている。国鉄運賃をはじめとする公共料金、消費者米価の値上げによる、せきを切ったような物価騰貴は、大衆を生活擁護のための賃金闘争へかりたてることは必至である。しかも 裏切られたとはいえ、四・一七を中心とする六四春闘の経験は、民間産業においては「闘争による賃上げカクトク」の自信を増し、また太田ハッスル路線は、大衆のあいだでは忘れられてはいない。日共の九中総とそれに付けて出されたレーニンの『ストライキについて』は、大衆を教育し、頑迷な党員にたいしてすら経済闘争否定の誤りを感じさせている。これらは六五春闘をたたかう条件が大衆のなかに強固に存在していることを示す。
 だが、ブルジョアジーは、内外情勢の緊迫に備えて、その切崩しを進めてきている。生産点における民社支配の拡大は、きわめて系統的組織的に進められ、四・一七をめぐる日共の混乱は、民社進出の絶好の場をいたるところで与えている。民青の強いところほど、民社の強力な伸長をみせているのはけっして偶然ではない。資本攻勢は民間単産における総評の中心・合化労連にたいする組織破壊と造船にたいする企業合併にともなう攻撃にその力を集中している。公労協の合理化、公務員への行政改革もまたその重要な狙いである。さらに職務給の広範な普及、初任級調整にともなう賃金体系の変更は、賃金闘争を分断する武器としてこんにちでは全面的に活用されている。さらに人事院勧告を軸に公務員→公労協→民間と、政府による統一的賃金政策をもって、不均等な賃金闘争を弱い点に集約・破壊せんとする試みは、石田労相を得ていっそう促進されるであろう。また週休二日制を軸とする時短――実質的労働強化策は、賃金とからみあって賃闘を引きもどす役割を果たしている。
 さらに中小企業の相次ぐ倒産、企業合併の進行、国際競争のあおり、経済の先行き不安は、労働者を立ちすくませ、闘争を全体として困難とさせるに十分である。
 労働運動指導部の危機はいっそう情勢を困難にしている。
 総評、社会党の内部にあって、新しい労資協調路線の推進者となっている構改派は、日本資本主義の行きづまりにたいし、「鉄鋼産業新秩序を」なる提言をおこない、かつて軍部の先兵になった者達と同じような思考活動をおこない、また「石田労政」を歓迎し、これと協力して労働運動の「近代化」をおこなう意図を露骨に示している。総評内宝樹一派は、六四年の各単産大会における国際自由労連系諸組織への加盟・交流の推進(否決されたのは私鉄だけ)にのって日本労働運動の欧米反動的労働組合指導部への結合・変質・再編をいっそう大胆に進めようとしている。こうした傾向にたいする反発は、太田派としていっそう総評内の分裂を深め、社会主義協会の進出となって結実しつつあるが、それが左翼的ポーズにもかかわらず、結局四・一七スト中止に示される民同の指導を支持し、再現するものをけっして出ていないゆえに、その行く末は明白である。さらに日共は、九中総をめぐるはげしい内部抗争をはらみつつも、綱領と中国共産党理論の必然的帰結から四・八声明の立場への逆行・労働運動からの召還と敵対に向かうことは必至である。そして、こうした既成指導部の分裂・抗争の激化は、総評の指導力を失わせ、日本労働運動の統一を破壊し、各単産・単組の幹部にいっそう強力な企業意識をますます自由にさせ、労働運動を総体として後退させているのである。われわれは、これを「組合員の自主性の回復」とか「下部にヘゲモニーをとり返す好機だ」と一面的に喜ぶだけであってはならない。
 そして、これまでの例のとおり、参院選挙は春闘の早期打切り、闘争放棄を決定づけている。指導部は大衆とは逆に、「今年四・一七をやったのだから」と来年はやる気をもっていないのだ。そのうえの選挙である。
 伝えられる六五春闘の「太田構想」は、はじめからたたかえない構想となっている。
 それは例年の総評、中立労連の「春闘共闘」を民間、公労協、公務員の三部会に分割し、それぞれ「独自」にたたかわせるものである。太田は今春闘でのおおかたの非難の腹いせに、六五春闘が選挙でたたかえないことを見越して、「文句をいう奴は自分でやってみろ」と突き放し、みずからは民間部会のみを率いてたたかって、差をつけるハラといわれる。しかし、日本労働組合運動は、これまで公労協の戦闘性とその闘争の「政治的」性格に決定的に支えられてきたし、民間のたたかいも、これと結合することによってはじめて「春闘」としての全体的力となってきたのである。
 戦闘的労働者の民間――公労協のワクを越えた交流・連帯こそ、日本における階級的団結の具体的第一歩であり、四・一七はそのことをすばらしく明確に立証したばかりではなかったか。それゆえ、こうした三分割そのものが、すでに春闘の崩壊であることは明らかではないか。太田は民間において、合化・造船・電機を軸にたたかうつもりでいるが、合化のひざもとから、昭和電工につづく東洋高圧の脱退が準備されていること、全造船が中核三菱の合併による右傾化のなかでたたかう力をもたぬこと、電機がもともと独自の闘争力をもたぬうえに、職務給攻撃のただなかにあることを見るならば、公労協との分裂は自殺行為に等しい。また公労協は、組織内候補をかかえることで参院選に没頭することのみでなく、六四春闘以来の「格差問題」がいっそう深刻に内部を分裂させている。公労協幹部は、みずからアベック的賃闘の姿勢をますます強めてこそあれ、それを反省する気配すらない。公務員共闘は日共に代って社会党の指導権がつくられ、賃金闘争に一定の高揚を見せているとはいえ、労働運動としての基本的な弱さは如何ともしがたく、さらに宝樹一派の「賃金闘争二年に一回論」「人事院勧告依存論」の影響で、労働運動としての基本的姿勢の奪回がねじまげられていることを見なければならない。こうした混乱は、職務給の普及、労働力の不足等により、賃金理論の混乱が普遍化し、それなりに大衆の戦闘性を代弁していた太田式単純大巾賃上げ論をいっそう後退させることによって、賃闘をいっそう困難にするものである。
 かくて、六五春闘は、運動総体としての後退のなかで、指導部の分解、下部労働者と指導部との亀裂を、いっそう急激に拡大するものとして進むであろう。これはまた下部労働者の力が一定の結集を見た場合、きわめて突出した戦闘を、さまざまなかたちで展開する可能性を十分含むものである。われわれはこの複雑な運動の起伏を、くわしく見つめていかねばならない。
 
 c、反合理化闘争の新しい萌芽
 
 一方、合理化反対闘争は、ようやく新しい展開を示そうとしている。全体的な企業合併、国際圧力のもとで、時間管理・労働管理・賃金管理を一体化した近代的労働者支配の強行は、その恐るべき本質を大衆にひしひしと実感させつつある。
 これまで、合理化は、ともすれば、ビルドとスクラップの落差をもって、スクラップの悲惨として、同時にビルドの安堵感として受けとられてきた。だが、炭労や東交など「スクラップ」闘争と同時に、ビルド部門の合理化のもつ恐るべき現実が自己暴露をはじめている。鉄鋼の作業長、全逓の班長制度、電機の週休二日制など、たしかに労働者に幻想を与え、労働者の分裂を促進することによって成功してきた。だがいまや近代化と合理化にかんする哲学的説教によらずとも、日々の現実の正確な説明が、その本質を物語りつつある。相次ぐ事故、恐るべき労働強化、きびしい時間規制、職場支配権の破壊等々は、大企業中心工場の労働者に深刻な反省を迫っている。一方ではこれと反対に、指導部の反合理化闘争の放棄はいっそう完成し、職場の抵抗を「組合統制」で圧殺し、合理化を無条件的前提としておしつけるところまでいたろうとしており、他方、社会主義協会の影響などで民同の一部は、合理化反対闘争をふたたびかかげつつある。
 職場の苦しみは、しかし正しい組織なしには力にならない。「近ごろ苦しいなあ」という声にのって、日共は進出し、創価学会は組織をのばしている。しかしこれらを含めて、これを主体的な有効なたたかいに結集しえないために、ますますニヒリズムが拡大されるのみなのである。われわれは、大胆にこれを組織し、日本労働運動の戦闘力とすべき具体的な戦術を編み出さねばならない。炭労と決定的に対立し、なお強固な団結を誇る三池第一組合や、全国的な社青同的翼の拡大は、それが可能なことを示唆している。反合理化の具体的な職場闘争はあれこれの論議からは生まれない。われわれは、三井三池が一〇年かかって築きあげた苦闘の歴史を、もう一度、新しい条件のもとで第一歩からやり直す以外にない。創意に満ちた職場闘争の実践を集約し、これを積み上げるなかからしか、その初歩的な第一歩からしか、道は開かれないのである。
 
 d、政治闘争との結合
 
 先に述べた政治闘争の新展開は、こうした賃金・反合闘争と不可避的に結びついて、相互に新しい局面をきりひらくものとなるであろう。太田はすでに、経済闘争の困難を見こんで「来春闘は政治闘争で」といいだしている。それが憲法であろうと原潜であろうと、一応の闘争になりさえすれば、彼の「戦闘性」を保証するものとなりうるのである。われわれは相互すりかえ的に操作される政治闘争と経済闘争を、ともにプロレタリアートの大衆的・階級的闘争であることをとらえて結合せねばならない。われわれは、勝手にこれに「市民主義」「街頭主義」「経済主義」「企業主義」という名をつけて排斥する傾向を一掃すべきである。かかる立場で運動の主体的条件を見るとき、そこには大きな危機が存在する。まじめな組合員の指導部からの離反は、運動全体の後退をまずもって結果するものであることを、片時も忘れてはならない。社民・日共の分解にともなう小党派、小グループの乱立抗争の時代への突入は、われわれの運動を相対的に有利にすると同時に、組合的運動の擁護、戦闘的・大衆的労働運動の防衛にいっそう厳しい困難をつきつけ、またそのなかにおける「第三潮流」としてのわが同盟の指導性に、きわめて大きな試練を課しているのだ。われわれは大衆的運動基盤そのものの動揺に、きびしい責任感をもって臨まねばならない。
 
 4 参議院選挙闘争の課題
 
 こうした政治・経済闘争の集約点が、六月の参院選におかれていることは明らかである。参院選は、内外情勢のなかで、左翼再編のなかで、わが同盟と革命的共産主義運動のなかで、重要なポイントをなしている。
 
 a、選挙にたいする革命的共産主義者の態度
 
 現代日本革命における、選挙の意義は何か? 六二年の選挙闘争において確認したごとく議会制民主主義のこんにち、選挙それ自体が、もっとも高度な政治闘争であることを正しく認めねばならない。それがプロレタリアートにとっていかに欺瞞的に仕組まれたブルジョア支配の方法であれ、それがブルジョア支配を規制するという擬制をとっていること自体が選挙闘争の位置を高めている。プロレタリアート解放をめざす者にとって、それは現在、支配の転覆をよびかける政治宣伝の平時における最大の場である。選挙は、議会主義者によって労働者階級のたたかいをすり替えるものとして使われるが、同時に革命的共産主義者によって、労働者階級の闘争を全人民に代表し、宣伝し、押し広める場としても使われうる。「選挙か闘争か」の二律背反は、「闘争のための選挙」として止揚されねばならない。革命的共産主義者にとって、議会と選挙を暴露の演壇とすることはこんにち十分可能かつ有効である。われわれは小市民的動揺にたいして革命的議会主義の旗を高くかかげねばならない。
 また選挙は、わが革命的共産主義運動の存在を広範な人民大衆のまえにしらしめ、広範な交通を確立する得がたい場である。そしてわれわれの政治的訓練にとっても、貴重な場なのである。現在の日本の民衆の一般的感覚として、選挙に出てどのぐらい票をとるかが、政治勢力としての評価を決める重要なメルクマールとなっていることを、冷厳な事実として承認しなければならない。
 
 b、六二年選挙闘争の教訓
 
 六二年の参議院選挙闘争は、われわれに、こうした現代における選挙闘争の意義を、骨身にしみて感じさせた。われわれは「左翼」の温室に住む住人達からの冷笑と一般社会からの厚い拒絶のなかで、しかし大胆に(本当に無鉄砲にも)参加することによって、他ならぬわれわれ自身の内に、本物の前衛党への成長にとって何が必要かをしっかりと感じとらせたのであった。たたかったもののみの特権であるこの貴重な体験から、われわれは三全総をかちとり、革命的共産主義運動のこんにちの前進をきりひらいたのだ。まことに、三全総は参院選参加によってかちとられたのである。
 同時に、われわれを支持し、投票してくれた「ごく少数」の人びとのあいだで、そしてこれを注目してくれたより多くの真面目な労働者人民のあいだで、われわれはけっして、「学生」の運動や「子供の遊び」でなく、本当に全責任を社会にたいして負う用意のある組織であることを実証した。反スターリン主義運動は、これなくしてけっして大衆のなかに入れるものではない。同時にこのことは、われわれがその果たすべき責任にたいしていかに未熟であるか、一人前の政治勢力にほど遠いかを証明したのである。選挙闘争にたいする無知識・無準備・無能力・具体的方針の試行錯誤のなかで、しかしわれわれは問題の所在をいくらかでも把えることができた。問題がわかれば、半分回答ができたようなものである。今度は、われわれはもっと有効にたたかえるのだ。
 さらに、六二年参院選の特殊的問題として、ここにおいて共同戦線を張った「反議会主義」者との問題を明らかにしておかねばならない。われわれは、日本における革命的議会主義の初の試みとして、さまざまな傾向の文化人を中心とする「反議会戦線」が統一戦線としてきわめて大きな役割を果たしたことを高く評価するものである。しかし、その内部において、日本革命に現実に責任を負う力をめざすものとして、その思想的弱点との十分な闘争ができなかったため、反スターリン主義の選挙活動を、かなり誤解させたことを認めねばならない。そこにおける主要な対立点は、選挙と議会の現実政治における位置を無視する観念的な議会主義一般の総否定の傾向、議会主義にたいする否定の思想的確認と、現実にそのもとにある労働者人民を思想的に変革していくねばり強い、かつ現実的な過程を無視し、対立させ、ひとりよがりの宣伝に走る傾向、選挙闘争のもつ政治闘争としての現実的意味を無視して一般的な思想宣伝に解消する傾向、等としてあらわれた。これは、「選挙ボイコット」的気分と本質的にたたかえるものではなかったといえる。これを十分克服できなかったわれわれの弱さは、社共にたいするかなりの批判的気分と、新しい闘争の指導部を求める戦闘的労働者の要求に十分入りこむことができず、直接的な議会主義反対にみずからを限定する傾向を十分に突破できなかった。
 今度は、われわれは周到な用意をもって、戦闘的労働者の闘争をもっともよく代表するものとしてみずからを選挙闘争に位置づけねばならない。
 
 c、六五年参院選の位置
 
 六五年の参院選の特殊的意義は、第一に、すでにのべてきた内外情勢のなかにおける、政治闘争としての位置である。ここにおける革命的共産主義者の公然たる参加は、みずからのたたかう意志を表明する手段を戦闘的労働者に与え、選挙闘争においてもブルジョアジーと反動的労働者内勢力にたいする闘争を継続させるものである。
 第二は、音をたてて進行している政治的流動、とくに社民・日共の分解と没落の政治的バロメーターとなることである。議会主義政党である社共は、われわれの感覚以上に票と議席に敏感であるため、社党の後退、日共の大物落選は巨大な打撃となっていっそう再編を促進する。とくに野坂の落選は、日共の政治的威信に大打撃を与えるだろう。十一月に公明党として発足する創価学会の動きも明確になってくると思われる。
 第三は、こうした分解によって生じた膨大な反社共勢力が組合運動から政党段階において、政治的定着を示す機会であることである。これは今後の日本階級闘争とわが運動にとって、重要な意味をもつ。なぜなら、これまで何度もおこなわれた社民・日共の分解は、結局新しい政治組織への定着のないまま、やがて社共へ再吸収されていたからである。
 第四に、そこにおける中間諸潮流と革命的共産主義運動の死闘の場となることである。ソ連派新党と社会主義協会に代表される二つの中間主義勢力は、後者は社会党の補完物になるとしても、前者は日本労働者階級の新しい前衛の装いをもって、政治舞台に華々しく登場するであろう。それは戦闘的労働者に幻想といっそうの混乱を与え、その革命化を阻害するものであり、革命的共産主義運動はこれによって大衆化の気運を大きく後退させられる危険をはらんでいる。われわれは、このスターリン主義の分流とたたかい、日本プロレタリアートの革命化を推し進めねばならない。
 第五は、こうした状況が提起する、革命的左翼の統一行動の必要性と、それがもたらす反スターリン主義運動の革命的統一への役割である。反スターリン主義運動の最大の弱点である「分裂」にたいし、われわれが大胆にこれを突破する方向を示さぬかぎり、選挙闘争という巨大な政治闘争の場で、われわれの総体の存在を主張することはきわめて困難である。だが、選挙は八・二とは質的に違う闘争であり、もっとも党派性を要求するものである。それゆえこれに耐え切れぬグループは、あらゆる口実をもうけて選挙闘争を回避し、自己のカラにとじこもることは必至である。八・二の統一行動がスムーズに春闘・参院選へと発展することは、望ましいことではあるが空想である。しかし、それならそれで、その状況を追求し、だれがこんにちの階級闘争に責任を負うものであるかを明らかにし、揺れ動く情勢に目をそむける日和見主義から、共産主義者としての当然の決裂を要求することによって、反スターリン主義戦線の革命的統一への歩を進めることは不可能ではないのだ。
 
 d、参院選にたいする革命的介入
 
 反スターリン主義戦線は、重大な試練を迎えるのである。志賀、神山らの圧力によって日共左派的幻想は吸収され、労働運動のなかで営々として築いてきたささやかな成果を、政治的に定着しうるか、一気に崩されるかの岐路に立たされるのだ。そこに敗れんか、もはや「第三潮流」等を口にすることすら不可能となろう。われわれは後退して出直すことを欲しない。ただ前進するのみである。
 選挙闘争への本格的参加は、なによりもわが同盟を組織として一人前の政治組織とすることを要求し、われわれ一人一人に一人前の革命党員に成長することを要求する。われわれは苦しくともこれを受けて起とうではないか。その先にはより豊かな緑の沃野≠ェあるのだ。
 このようななかでの選挙闘争は、われわれに思いきって新鮮な選挙戦術を要求している。「社共に代る闘う労働者党を」との旗をほんとうに鮮明にうち出すために、その新鮮なイメージを強烈にうち出さねばならない。日本の労働運動を変え、日本の政治を変え、国際政治を変え、世界を、人類の歴史を変えようというわれわれの革命の姿を、鮮やかに大衆のまえに示さねばならない。すべての革命が若者によっておこなわれたごとく、われわれの若さは、ひからびた思想や運動とするどく自己を区別しうる特権である。
 革命運動の一環としての選挙は、奇をてらってできるものではない。それはわれわれの候補者、スローガン、運動方法において、われわれの主張を簡明にうち出し、本当の意味での大衆性をわれわれが獲得し、たたかう大衆と大胆に結びあうことしかない。この立場から、われわれは反スターリン主義運動の紘一戦線候補を立てて選挙戦に参加することを徹底的に追求するよう、革命的左翼の全組織・全労働者大衆にここによびかけるものである。
 候補者の決定、統一選挙綱領の作成、統一選挙方針の決定のための具体的な政治協商を、われわれは、反スターリン主義諸組織はもちろん、さまざまな中間的諸グループ、個人に、誠実によびかけるものである。そのための具体案は、近く別に発表されるであろう。
 
 三 革命的前衛党建設のために
 
 きびしい内外情勢のなかでの、これら諸課題の遂行は、なによりもその実践的担い手の問題を欠いて語ることはできない。われわれが、これまで反スターリン主義諸潮流のなかで、最大の課題として追求してきた革命的前衛党建設のための闘争は、こんにち、いっそうその重要性を高めている。われわれがこれまで実践してきたことは、党建設のための闘争は、なにか他のものを求めることではなく、われわれ自身の組織と活動をきびしく点検し、不断にこれを自己改革していくことだということを教えている。内外情勢と党派関係が新しい段階に入ったいま、われわれは大胆に自己の活動を改善することによってのみ、歴史に主体的に参加できるのだ。
 党のための闘争――革命的共産主義運動を、日共反対派やかぎられたインテリゲンチャのワク内におしとどめることなく、揺れ動く全世界・全日本の階級闘争のなかに位置づける視点をもたねばならない。われわれは、現在おかれている苦しい孤立した状況から、ともすれば、するどいが狭い、限られた視野にみずから立てこもり、自己を防衛する必要から、自己のカラのなかに安住する傾向に陥ることが少なくなかった。いまやわれわれは、××派とか誰れ彼がどうしたとかいうことに全関心を投入することに陶酔するのではなく、日本の全労働者大衆のなかに自己を位置づけねばならない。
 そのためにわれわれの綱領的立場――反帝国主義・反スターリン主義を現代世界革命の具体的綱領に豊富化するために、複雑な世界政治経済構造の解明とその打倒、新しい世界像の確立のために勉強しなければならない。われわれは、世界経済構造、植民地問題、軍事同盟の性格、日本資本主義の構造、農業問題等々、核心的な理論問題であり、しかも実践的に切実な問題について、あまりにも多くの空白をもっているが、早急にこれを埋めねばならない。
 また反スターリン主義戦線の「分裂」を克服し、社民・日共のあらたな層まで拡大しつつある党派闘争に大胆に介入し、いっそう膨大な中間的労働者と交通を確立するための体制を確立せねばならない。労働組合運動における大衆的力量をもった部隊として、学生運動の責任ある大衆的指導部隊として、われわれは行動する力をもたねばならない。こうした活動とともに、独立せる党派として、直接大衆に思想をよびかける能力をそのなかでもたねばならない。
 こうした力をみずからつくりだしてこそ、はじめてわれわれは現実政治における革命的第三潮流を名乗ることができる。それはわれわれ――すなわちわが同盟・マル青労同・マル学同の組織的拡大強化に最終的に規定されるのである。
 
 1 反スタ戦線における責任ある多数派
 
 原潜闘争をわれわれが重視する一つの側面は、これがわれわれの大衆的政治闘争の転機をなす得がたい機会だからである。これまでわれわれは、経済闘争においてはかなり大衆活動の経験を積んできたが、政治闘争においては、学生戦線を除いてほとんど経験をもっていない。三全総において反戦闘争の意義を確認したが、全体的な政治闘争の位置づけにいたらず、四全総において、はじめて問題の提起がおこなわれた。しかし、四全総は政治闘争における党的立場の必要性の提起を出るものでなかった。その提起にもとづく一年間の実践は、すでにのべた理論的な不十分さの克服と同時に、実践的にもわれわれの活動の大転換を要求したのである。たしかに労働者としての政治闘争といえば、一般にせいぜいごく近い労働者を説得し、公然活動といっても、われわれの主催する集会に連れてくるのが精一杯であった。大衆的には、むしろ日共や社民――主に日共の独自集会に、活動家との連帯上批判的参加をして、それを暴露に使うことが多かった。するどく社民、日共と対立してわれわれの政治的主張でそれ以上の大衆性を獲得することは、力に余るものだった。しかし原潜闘争は、そうした溝をうずめて、行動とスローガンにおける大きな一致のもとに動きうる場である。
 いまこそわれわれは、労働組合の原潜闘争をみずからの力で組織すべく、組合動員を下で責任もつ地位を大胆に占めるべきである。しかも、日共のセクト的分裂と組合からの召還・没落は、社民にたいする戦闘的翼として、革命的共産主義運動の比重を増大させる。われわれは、それが社党・民同の主催せる街頭行動であっても、それ自身が大衆的原潜闘争として持っている意義をとらえて、この成功のためにたたかわねばならない。
 この経験は、われわれの政治闘争、大衆のなかでの活動を飛躍的に豊富化させるだろう。これをテコとし、今後われわれはすべての政治問題にたいして、党としての主張を明確に表明し、それをもって大衆に働きかけ、大衆の運動そのものに内容的に浸透することを目ざさなければならない。たとえば基地問題、ジェット機墜落事故など、日共との対立からとかくこれから「召還」しがちであった態度を改め、大衆の怒りのもっとも優れた代弁者として、大衆の利害を組織の利害とする立場を貫徹しなければならない。行動においても、社民の主催する行動に、それが明確に反動的であることが大衆的に明らかにされる場合をのぞいて、遠慮することなくこれに参加し、むしろ積極的にそうした行動を組織する方向に指導部を突き上げ、党として大衆を内から組織すべきである。
 そうした大衆闘争への組織は、そのなかでわれわれの党的主張の貫徹をいっそう厳しく必要とさせる。そこでは大衆の感情と意識に密着して行動を組織することと、それを真の階級的立場に高める意識的闘争とが、現実的に結合されねばならず、その両面において、するどい党派闘争が展開されるのである。われわれの党派闘争・独自活動とは、まさにこのなかにおいて、日共・社民・その他もろもろの思想をうち破り、その論争をとおして行動に結集する大衆と、その一人一人の階級意識の深化をもって貫徹されるのである。これは、安易な一面化――大衆を動員するのに一時的に有利な要素にのみ自己自身までを没落させてしまったり、あるいは大衆の意識を無視して「階級的視点」を独断的に主張することで革命的にたたかったと錯覚したりする傾向を、常に厳しく反省して進まねばならないのである。一人の労働者や学生を、こうした討論のなかで行動に立ちあがらせ、その行動の意義を自己の内部に確認し、自己の思想化して行く努力こそ、運動の組織であり、かつ党建設の過程でもあるのだ。そこに立ちはだかるあらゆる種類の思想・行動上の敵とたたかうことをとおして、われわれは鍛えられるのである。
 このたたかいにとって最大の武器は、機関紙『前進』である。われわれは独自活動の中心が、系統的な『前進』の配布、『前進』による宣伝・扇動であることを確認する必要がある。『前進』は、批判の武器であると同時に、宣伝の、扇動の、組織の、思想教育の武器なのである。『前進』を中心に『最前線』『中核』、労働者文庫、『共産主義者』、パンフ、ビラ、ステッカーなどを、たくみに配置し、運用することによって、総合的に諸課題をたたかわねばならない。これが党派闘争である。参院選挙闘争がこうした闘争の代表的地位を占めることはすでに明らかにしたとおりである。われわれは「責任ある多数派」として、革命的共産主義の思想を大胆に大衆のなかにもちこむために、みずからを「党派として」独立したものに強めねばならない。
 
 2 革命的共産主義運動の公然部隊としての「全学連」と学生戦線の課題
 
 全学連の革命的再建は、われわれのねばり強い努力によっていまや確実な段階に入った。われわれはこれを成功裏にかちとり、日本学生運動の伝統を受け継ぐ「全学連」を日本における革命運動のなかでもつ高い地位に返り咲かせねばならない。それは安保闘争以後の苦難の学生戦線を、その成果も欠陥もことごとく含めて一身に負ってきた、わが同盟とマルクス主義学生同盟の責任において絶対に成功させねばならないのである。
 学生運動――「全学連」は、依然として日本革命運動における伝統的最左翼の地位を占めている。労働者大衆はそのことを十分知っており、期待しており、それは諸闘争における共闘においても、全体の戦線を前進させる上でも巨大な力を持っているのである。かの先駆性理論とは別に、この地位をわれわれは正しく確認する必要がある。安保闘争のなかで全世界に示された「ゼンガクレン」のたたかいは、同時に広範な日本人民のなかに、「全学連」を社共に対立する新しい革命勢力の部隊として、その印象を強烈に刻みつけている。安保闘争、安保全学連にたいする批判のうち、これを否定するような傾向とはわれわれは断固としてたたかわねばならない。樺さんの死はわが革命的共産主義運動のなかに生かされねばならないのである。
 五六年の再建から安保にいたる「全学連」のたたかいは、これを日本における革命的前衛の創成のためのたたかいの立場として見れば、同盟一回大会や三全総で指摘されたごとく、スターリン主義からの革命的断絶の不明確さゆえに、その戦闘性の限界と崩壊の必然性を含んだものであった。われわれは激しい党派闘争を経てそれを克服することをとおして、はじめてこんにちの革命的共産主義運動の出発点を築きえたのである。
 だが、そのことの確認は、この期間の学生運動――とくに大衆団体としての「全学連」がそれ自体として果たしてきた革命的役割をけっして否定するものではなかったのである。これまで、われわれは自己の党的立場のために、強引にそれをも否定することによって問題を明らかにするという方法をあまりにもとりつづけてきたために、かえって日本階級闘争のなかに自己を正しく再構成することを困難にしてきた傾向が少なくなかった。「全学連」の再建は、われわれが明確な革命的マルクス主義の立場の確立と党的基盤の強化の現実にもとづいて、こうした歪みを大胆に改め、日本革命運動における戦闘的学生運動の地位を正しく再確立する、まさに革命的事業なのである。
 いうまでもなく、日本学生運動の革命的地位は、先輩の伝統や「学生」の身分からではなく、その高い理論・政治方針と大衆的組織としての力量によるものである。
 学生運動が、革命運動のもっとも高い理論をもった部隊となることは歴史的使命である。老人の指導する運動では寿命は知れている。未来をきりひらく理論は、若きインテリゲンチャの新鮮な頭脳とあふれる情熱によってこそ不断に高められねばならない。学生共産主義者はなによりも革命的インテリゲンチャとしての自己の使命に立って、大胆な指導性を発揮すべきである。このことは、「全学連」の運動が「反帝国主義・反スターリン主義」に内容的に貫かれた、明確な政治方針によって進められることを意味している。
 また、日本学生運動の力は、学生自治会を基盤とする大衆団体としての存在、圧倒的な学生大衆の精神的支持と政治闘争への現実の動員によってこそ示されてきたことを忘れてはならない。学生の状況の変化、大学の地位の変化などが、そうした大衆的学生運動を大きな困難にさらしていることは事実であるが、しかしこんにちの学生運動の困難は、けっしてそこにではなくて、指導部の力量の不足に決定的に規定されていることを知らねばならない。
 「全学連」を、この二つの力に支えられたものとして真に再建し発展させるためには、活動家――学生共産主義者の指導性が決定的なものであることは、全歴史が示している。戦後学生運動の高揚は、ことごとく日本共産党学生細胞および共産主義者同盟細胞等の圧倒的指導力のもとではじめて可能であったのだ。学生戦線における、わが同盟とマル学同(中核派)の飛躍的強化、自治会活動の方針と理論的影響力における、圧倒的高さこそ鍵なのである。統一戦線組織としての大衆団体・全学連のなかにおけるマル学同のヘゲモニーの確立とは、こうした内容として貫徹されるべきものなのである。
 われわれは、長い党派闘争の歪みを深く負っている学生戦線において、大衆団体としての全学連を再建し、その組織を強く維持しつつ、その活動の革命化のための闘争を模範的に遂行する、重大な責任を負っているのである (学生戦線の当面する問題については第一報告E項と合わせて、別に全面的に検討する)。
 
 3 労働組合運動における活動の拡大
 
 同盟の分裂を賭してたたかわれた三全総路線は、われわれを日本労働運動の内部にしっかりと定着させる道をきりひらいた。といってこれは、たんにわれわれの「党勢」拡大といったものではなく、われわれ自身を日本プロレタリアートのたたかう息吹きと一体化させ、その魂を自己そのものとする自己変革の過程であった。われわれは戦闘的労働者との交通の拡大と戦闘的労働運動の防衛の共同のたたかいのために、みずからの小児病的欠陥を進んで取りのぞいていったこれまでの過程をいま一度想いおこさねばならない。組合運動におけるもっとも戦闘的な翼としての責任と信頼は、いっそうそのことを要求しているからである。
 情勢のいっそうの緊迫化、われわれにたいする攻撃の激化が予想されるなかで、「組合における」戦闘的翼の地位を守り抜くこと、あくまでも大衆的労働組合運動のなかにふみとどまり、そこで大衆とともにたたかうこと、安易にその場から飛び出ることを厳禁することを再度確認しなければならぬ。動揺と絶望は、時として極左的言辞をもって始まるものである。民同的翼の良心的部分との行動と組合組織における統一・連帯は怖れることなくおこなわねばならない。あくまでも大衆に依拠し、事実にもとづき、着実に資本との闘争を、戦闘的組合運動を指導することが、危機に擬した民同幹部からの攻撃に対処する道である。それは組合統制への屈服ではなくそれとのもっとも勇気の要るたたかいである。
 われわれは、そのために、組合機関――職場委員会、代議員会、支部、分会委員会、青婦部等々における活動や、地区産別機関――地区労、産別地協、同青婦協、地域共闘等々における活動に、いっそう習熟せねばならない。わが同盟とマル青労同は、徹底した組織防衛のもとに、大方の予想を上まわって(逆に過大評価も一部にあるが)日本労働運動の下部機構に、着実な進出をとげつつある。そこにおける同志の活動のなかに、直接わが革命的共産主義運動は実体化されている以上、その強化はわが労働者組織の当面する中心的課題なのである。
 こうした組織の実態は、いまやわれわれに新しい「独自活動」――われわれの立場にたった労働組合運動――の具体的展開を要求している。われわれは「組合は民同的に、党の活動は独自に」といった二元論をきびしく批判してきた。いまやわれわれは、これまでのさまざまな試行錯誤の経験を整理し、われわれの立場を労働組合連動の具体的姿として貫徹しなければならない。日共や社民は、その党派としての主張と同時に、日常的活動の姿において自己を表現している。それが彼等の大衆的基盤そのものをなしているのである。日共は、よく「安保のように闘おう」という。社会主義協会は「三池のように」という。民同は、その組合の現実の運動として自己を主張している。しかしそれらは、いまや行きづまり、組合運動は新しい具体的な活動方法を痛切に必要としている。われわれにはまだそれがない。これは、労働運動において現実に実践されねばけっして語れるものではないし、また安易に「羽田のように」「長船のように」ということではない。それはスタイルの問題ではなく、それぞれの持場における、きわめて具体的な行動そのものなのである。まさに同志一人一人のそうした活動の強化のために、三井三池や長船社研のたたかいを、あるいは戦後革命からこんにちまでの日本労働運動の歴史を、それをたたかってきた先輩の経験を(それが民同・日共であろうとも)誠実に学ぶことが必要なのだ。われわれはそれをとり入れみずから骨肉化するに足る強い胃袋を、すでに備えていると信ずる。
 同時に、それはわれわれを、工場における戦闘的組合主義から解き放ち、共産主義者としての統一された組合活動へ、組合主義者から革命党員への成長を可能とするであろう。われわれは「組合主義」化を怖れることなく大胆に組合連動に投入してきた。いまやその実績を、さらに高い次元からとらえ返す段階にきているのではなかろうか。
 このことは、日本労働運動における、新しい戦闘的潮流の形成に直接連なるものである。これまで、われわれの成長のために大胆に接近し、喰いついてきた組合内左派フラクや良心的社民幹部との関係を一歩進めて、われわれの立場からの労働組合運動を推進する勢力を結集するという、積極的姿勢をもって再評価し再編成すべきである。社民、日共の分解の進行による運動の総体的後退を防ぎ、戦闘的労働運動の防衛と再建のために、われわれはすべての良心的活動家の結集と具体的な新しい組合活動を、いまこそ大胆によびかけるべきである。
 これは、産業別統一戦線の形成を軸とする春闘への共同行動のなかで、具体的に進められねばならない。七月の労働者同盟準備会の集会に、われわれがもっとも誠実に参加し、それを支えたこと、八・二集会を成功させたことは、さらに六五春闘でいっそう強められるべきである。産業別に、すでに長船社研とわれわれの協力によって「造船社研」の結成がかちとられている。全逓においては、社青同都連の主催による大きな活動家会議がもたれ、われわれの協力によって成功裏に終った。東交において、社青同とわれわれの共闘は、東交大会においては日共まで巻きこんだ反対派の結集に成功している。電通労研との関係も、民間における左派戦線の形成も、こうした方向でいっそう強められねばならない。これは全体として労働者同盟準備会主催の交流会議の再開、八・二を上まわる春闘統一決起集会の準備、社青同や日共脱党派との誠実な行動上の協同の追求等として全体にもひろがりつつある。われわれはためらうことなくこれを推進するであろう。
 ただし、これまでの共同行動の成功は、けっして「かつて有名であった人びと」による野合ではなく、七月討論集会で一労働者がするどく指摘したごとく、そうした、老人の「組合せ運動」でない、たたかう青年の共闘としてかちとられたのだということ、それを保障するのは、各政治組織の誠意ある指導にあることを明確にしておくべきであろう。
 こうしたなかで、われわれは、マル青労同の大衆的確立と、その労働運動内における公然たる活動の実績をかちとらねばならない。マル青労同の大衆的確立は、いまや焦眉の急務である。マル青労同は、民青・社青同にくらべ、その影響力に比してあまりにも実体が小さすぎるのである。われわれは、組織をこの現実に追いつかせねばならない。それは当然、次の飛躍をきりひらくものである。そのためには、マル青労同としての公然活動が重要な地位を占めているのだ。労働運動における公然活動とは、マル青労同を名乗ることでなく、徹底的に階級的立場に立った行動を貫き、「マル青労同の労働運動」を推進することである。そのなかで『前進』をアカハタ同様労働者が当然読むべき新聞として確立して行くことを始めるべきである。マル青労同は、それにふさわしい力をもっているのだ。
 
 4 党派闘争の新段階にたいする対処
 
 a、日本共産党の分解
 
 日本共産党の分解は、徐々にではあるが確実に、五〇年分裂に比すべきものとなってきている。党七回大会以前の革命的共産主義運動に向かった部分の分離以後の、すなわち安保後の春日・内藤らの離脱は、志賀・鈴木、そして中野・神山にいたる離脱は、いまや「国際共産主義運動」の「不団結」の必然的波紋として最大の終局を迎えようとしている。日共九回大会は、その区切りとなると同時に、むしろ宮本と純中国派との対立を必然化させるものとなるであろう。伝えられる純中国派の六全協否定、火炎ビン礼賛、新軍事方針などはいっそうの破局を予言するものである。
 学生細胞、拠点経営細胞、インテリゲンチャの内に、深く拡大する分裂にわれわれは介入し、これをおしすすめ、スターリニズムの解体を徹底化させねばならない。たしかに、こんにちなお党内に残っている指導者には、ロクな人間がいないといえるが、それでも日共の持つ重みは、だからこれを放置することを正当化しない。
 日共分解への介入は、その綱領と革命思想――中国共産党イデオロギー自体にたいする全面的闘争としておこなわれねばならない。
 四・一七問題のごとく労働運動の実践において、かれらの反労働者性を徹底的に追及し、中仏核実験支持の反動性を弾劾し、運動のなかから大衆的に追放することは、大衆のなかのスターリニズムの幻想を断ち、かれらを孤立させ、消耗させ、動揺させるうえでもっとも有効な方法である。しかし、本当にかれらを変革するためには、そうした動揺のうえにその「革命」そのものにたいする批判を加えねばならない。かれらはいかに孤立し、動揺しても、結局はその「革命」思想に依拠して生きのびようとするからである。
 中国共産党の思想・理論との闘争の中心は、かれらがもっとも頑固なスターリン主義であることである。革命の戦術過程においては、豊富な感性に与えられた柔軟性をもっていても、革命の本質把握すなわち、何のために、何を解放するか、において、人間の解放を資本制生産における疎外労働からの解放としてとらえ、プロレタリアートによる権力の奪取をそのための手段とし、階級も国家もない新しい本当の人間の歴史を開くものとしたマルクス主義にたいし、その権力奪取のみをとりだし、自己目的化し、新しい権力機構の建設をもって「社会主義」にすり替えていること、そのために一国社会主義――世界革命の放棄と、「プロレタリアート自己解放」の否定にまったく無感覚であることを基調にしてたたかって行かねばならない。そのうえに立って、さらに毛沢東の『実践論・矛盾論』から中国革命の評価、植民地解放闘争、中国国内建設にいたる膨大な分野にわたっておこなわれねばならない。その具体的内容は、なお今後のわれわれの課題である。
 
 b、ソ連派共産党への動き
 
 日共の分解にともない生まれてくる膨大な反日共的翼は、ソ連派新党結成を軸に動いている。われわれはこれを、日共分解の開始として評価するとともに、これまでの多くの日共内分裂抗争と同じく、根本問題としてのスターリン主義への検討を阻害し、それを隠蔽する役割を果たすものであることを暴露し、これを弾劾せねばならない。かれらがいまさら党を離れ、党を批判しても、大衆は簡単にかれら脱党組を賛美するほど愚かではない。まして世界党会議をひかえたソ連のお墨付をもって、新党の基調とせんとする意図は、笑うべきものである。かれらの度しがたいモスクワ追従は、その構改理論と平和共存論にたいする批判によって、いっそう深い地点から批判して行かねばならない。米・仏・中の核実験に反対し、わざわざソを抜かす、という感覚に典型的に示されるかれらのスターリン主義を批判することは十分可能なことである。
 ただ、問題は、かれらが良心的日共批判者として、四・一七問題などをめぐる労働者的反対派を結集することにある。経済闘争の正当な評価、戦闘的労働運動の推進をかれらがかかげるならば、それは下部脱党組の良心的部分を結集するうえでかなりの力をもちうるであろう。われわれは、そうした部分にたいし、「ソ連派」の綱領的立場とそうした労働運動における誠実な立場、とが持っている大きな矛盾をあばきだし、階級的良心からの安易な政治的結合への批判を引き出さねばならない。
 このことは、膨大な組合主義的傾向にとどまっている離党者群の獲得における、ソ連派とわれわれとの闘争を意味する。日本における真の意味でのスターリン主義からの分離は、むしろここにかかっているのである。われわれは、労働組合運動における大胆な統一戦線戦術の展開、労働運動における共闘からの接点の拡大、信頼関係を足場に、この層を綱領論争へ――スターリニズム批判へと引きこむとともに、現実的に「反スタ」派の党的活動に、巻きこんで行かねばならない。組合主義のカラにとじこもって、かろうじてこれを避けているのは、むしろこの層に多いのだ。
 かれらの最大の不安は、これまでの脱党者のたどったみじめな末路である。われわれは、過去のすべてのそうしたものと違って、いま力強く前衛党建設のたたかいを進め、労働運動内の力を増しつつあることをかれらに示し、脱落ではなくいっそう積極的な革命への参加の道が開かれていること、それはスターリン主義との徹底的決別によってのみ可能であることを、生き生きと示すことが必要である。かれらには豊かな経験と大衆の信頼があり、われわれには強固な思想的立場と若いパトスと組織がある。かれらを、われわれの戦列に獲得しなければならないのだ。
 
 C、左翼社民の分解
 
 社民の分解への介入は、これまでに例のなかった戦線である。六三年の年末闘争から六四春闘にいたる労働運動の推移と、われわれ自身の労働組合運動への進出等から、日本労働組合運動における「民間」的要素について、いっそう深い注目をしはじめてきた。そのなかでわれわれは、日本型社民がいわゆる改良主義一般でなく、日本プロレタリアートを引きつけるに足る特殊な戦闘性をもつものであることを明らかにし、そのもとにある戦闘的翼を社民として敵視するのでなく、忠実に介入と獲得の努力を進めてきた。こんにち分解の進むなかで、われわれは新しい理解にもとづいてこれまでの直線的態度を大胆に改め、社民の本体に、それが日本の労働者の本体に深く依拠しているものであるゆえに、ぴったりとくっついてその革命的解体のためにたたかわねばならない。
 労働運動内で日共の没落と対照的に社民が自信をもって進出していること、そのなかで構改批判が強まり、協会が大きくのびていること、東京では協会内部から解放派への流出が続いていること、という傾向を、われわれは戦闘的労働者の左翼化の過程として積極的に評価すべきであって、「相変らず社民のワクに……」式にまず非難すべきではない。問題は、この流れを逆流させんとする傾向、中途でとどめんとする傾向を批判し、さらに深い反省へと導くことである。
 最近いっせいに開始された協会の「解放派批判」は、その点でこの流れを逆行させんとする反動的なものである。解放派の唯一の良い点は、協会の「社民のワク」を破る意志にある。まさにそれゆえ、そのことを「トロツキズム」「小ブル的観念性」「組織を守らない」と非難することは、反動的なのだ。
 協会は、「左翼社民」の「社民」としての最後のトリデである。その実践において協会は「民同」そのものである。四・一七批判を「階級的裏切りなどと感違いした」云々と攻撃することは、かれらに戦闘的労働者の苦悩を感ずる「魂」が完全に欠けていることの実証でなくてなんであろう。その組織において、協会は「社会党」の最大の支えである。構改への批判の盛大さにかかわらず、下部大衆の社民不信にたいし、またまた「社会党を強くする会」をもってこれをおしとどめている姿、かれらは万年不満派の域をけっして出られないのだ。さらに、その思想における改良主義と親スターリン主義、中ソ論争等にたいし、協会は「日本は日本」との口実で自己の当惑を隠している。
 「腰が重い」などというのは、日和見の言いのがれである。「中ソともマルクス・レーニン主義の思想に立っている」(『月刊労働問題』十月号)ことが、中ソ論争の「一番中心な点」だなどといまなお言っていては、日共の外国追従を責める資格はないではないか。このことは協会の語る「平和革命論」が、スターリン主義理論の水準にさえ達しない、それゆえ現代革命に討論の素材とさえならぬものであることの結果である。
 協会はもう一〇年以上も「左派社会党綱領」を一歩も出ようとしないが、その平和革命論の最大の問題は、「平和」革命にあるのでなく、平和「革命」に潜んでいるのだ。その「革命」は、マルクスやレーニンが、そしてスターリン主義者でさえ必死に追求した「権力奪取」の現代的方法と、創られるべき「社会主義社会」の政治・経済的構造とそれへの方法について、現実的な真剣な検討をはじめから放棄しているのである。だから、人民の切実な問題――生きた国家権力のなまの攻撃にたいする闘争と、感性における連帯さえなくなって、のんびりしていられるのである。ブルジョア階級の支配がいかに強いものかについて、実感できないもの――これは改良主義者の本質でなくてなんであろうか。
 解放派は、こうした「改良」性にたいする反発を基としている点では一歩先んじている。ただし、「派」というとき、『解放』六号論文をなお基調とするその理論と、協会にたいする実践的反逆から左へ進んだ労働者メンバーの実体との、完全なギャップを認め、後者を中心に「派」と呼んだうえでのことである。このギャップこそ、協会からの反撃を許し、また労働者内部に、強固な力をもつことを不可能にしているものである。レーニン組織論を否定し、「トロツキズム」に敵対することを主目的とする「六号」の立場は、現在解放派のもとに流入してくる戦闘的労働者の要求とは、はっきりと対立している。すでに崩壊しかかっている「六号」の立場は、放棄さるべきであり、代って革命的共産主義運動にたいする本格的対決が、下部「解放派」一人一人の責任ある態度なのだ。そのことが、この派の非組織性、社民組織にたいする立場のあいまいさを克服するものとなろうし、聞きかじりの「原則主義」と労働運動にたいする無責任な態度を改める足がかりを与えるであろう。われわれは、誠実にこの克服を助け、協会――解放のおよそムチャクチャな抗争による混乱から、戦闘的労働者を守るために、全力をあげねばならない。
 社民内において、「トロ」とは左翼的反対派の代名詞である。構改は協会以下を「トロ」と攻撃し、協会は、自分は「トロ」ではない、トロは「解放」だといい、解放もトロは自分でなく、「第四インター」の加入派だといい、加入派は卑怯にも、自分は社会党そのものであり、トロは「革共同だ」という。われわれはいっさいの非難を喜んで引受ける用意があるし、身替りにトロ呼ばわりされる人びとをお気の毒に思う。しかし同時に、そうした人びと固有の誤りまで引受けるのは御免こうむる。問題は「トロ」との区別立てに窮々とすることではなく、逆に大胆に、かくも敵から憎まれる「トロツキズム」を対象化することではなかろうか。
 
 d、反スターリン主義諸派への態度
 
 社民、日共にたいする全体的党派闘争の位置づけから、当然反スタ諸派にたいする態度も決定され改善される。われわれの力量の強化、この間の党派闘争の経験、党派間の交通の前進、なかんずく長船社研との交通再開と八・二統一行動の成功は、われわれに諸派にたいする評価と党派闘争の態度の現実的な、卒直な変更を要求している。われわれは、党派闘争の前提条件として、こんにちの階級情勢、とくに左翼再編の状況にたいする全体的立場に立つことを、われわれ自身にも他党派にも要求したい。それは党派闘争の環があたかも××派をつぶすことに集中されるかのごとき考え方に反対のものである。
 八・二集会の成功と情勢の進展は、反スタ統一行動の推進をいっそう要求している。それはただわれわれの不足をカバーするとか、過去の対立を柔げるとかのためではなく、積極的に反スタ運動の分裂を止揚して行く前進的方法なのである。原潜闘争・春闘から参院選にいたる統一行動の追求は、われわれの中心的課題である。そしてこれは「トロ」諸派に限定されるべきでなく、現実に社共に反対してたたかおうとしているすべての翼――社青同内左派、労働者同盟準備会などの中間派にまで門戸を開かれたものとして行かねばならない。こんにちでは、その出生がブントか革共か、等は、もはや、連係の基準になどなりはしない。変な「トロ同族意識」は、われわれが卒先して破らねばならない。全学連再建、産別・地域別共闘等をとおして、なによりも当面の行動における一致と、こんにちの労働運動における共通感覚の獲得を深め、あくまでもそれを基調にした綱領論争を提起すべきである。その点で、われわれは言葉のうえでの「トロツキズム」よりも運動における反日共・反民同のパトスを重視するものである。
 八・二以後の情勢は反スタ統一行動にむしろ新しい困難をもたらしており、われわれは安易な統一の展望を語るべきでない。諸派はわが同盟にたいし圧倒的少数派であることが実証された。わが同盟の介入が、組織におこす現実的動揺を恐れ、組織維持にかたくなになっている。そしてわれわれの欠陥を含めたこれまでの党派闘争の歴史が蓄積してきたわが同盟への不信感は、われわれの予想をはるかに越えるものとして諸組織に骨肉化している。これは是非善悪の論戦ではいかんともしがたい「事実」である。にもかかわらず、かれらはそれぞれの苦難に耐えぬいてきた根性と能力、革命への信念をもった優れた人びとであり、主観的には、社民やスターリニストとはっきり自己を区別している者である。われわれは、徹底的に論争しても相手の革命家としての資質に尊敬と信頼の念を忘れなかったレーニンの態度を学ぶべきである。暴力や一時的な政治的打撃では、けっして革命家は屈服しないことを、わが身に照らして考えるべきである。これまで、とかく忘れられてきたこのことを公然と認めて、わが同盟が党派闘争に臨むことは、これまでの長い闘争の歪みを解きほぐす、唯一の糸口となり、本当の論争が花開くであろう。
 反スターリン主義諸派との闘争は、スターリン主義をめぐる、すぐれて理論的な革命論争である。われわれはあくまでもスターリン主義にたいする態度を、革命家の中心的姿勢として論争する。さらにそのことを成功的に貫徹するために、われわれは、多くの理論的空白を埋めなければならぬ所に立たされている。現代帝国主義論、ソ連論、植民地問題、過渡的綱領の問題、反スターリン主義哲学の問題等々におけるわれわれの空白が、それを理由に「反帝国主義・反スターリン主義」を拒絶するものとなって、さまざまな党派の存立を許しているのである。
 党組織論をめぐる論争は、すぐれて実践的現実的なものである。われわれはこの問題をなによりも日本において実際に革命連動を進めるうえでどうしなければならないか、の視点から追求し、理論化もそれによって進めてきた。「哲学によって党をつくる」という迷信は山本派との闘争とわれわれの現実の活動によって徐々に破られつつあるが、諸派はまだその底になにかが隠されているのではないかとの疑いを解いていない。統一行動の現実のなかで、これはうち破られていくだろう。
 こうした点から、現存する諸派を見るとき、その中心的問題点は次のようなものと考える。ただし、かかる規定は、事実にもとづき、冷静になされるべきであって、相手の主張を勝手に歪曲してレッテルを貼ってたたくという態度は、厳しく禁ぜられるべきである。それゆえ、この間の活動をとおして解消された、誤解や独断を含んでおこなわれてきたこれまでのわれわれの態度の、卒直な変更を含むものである。今後も、長船社研とわれわれとのあいだで確認された諸組織間の関係のありかたを、われわれは誠実に保障することを誓うものである。
 諸派を通じて、こんにちの革命的左翼運動が日共内の闘争から出発し、長い組織的歴史をもつことを認識する者としない者とでは、大きな落差がある。安保闘争にしても、全学連の評価にしても、これを五・一九以後の街頭的現象とだけ思いこんでいる部分とは、論争の基準が違ってくる。実体的にも、安保以前の党派闘争の経験者のいない「マル戦」などはともかく、旧京大細胞の生え抜きを指導部にもつ関西ブントの諸君が、六全協後の日共党内闘争から五六年の全学連再建、そして七回大会での対立からブントの結成・革共同との分派闘争という過程のうえに、一年余の地下活動の結果、安保闘争がつくられたことを、完全に忘れ去っていることは、われわれには思想的退廃としか思えないのである。もし関西ブントを中心に、全党派によって日本革命的左翼運動を正しく総体としてとらえることを論争の前提として確認するならば、論争は大きなムダをはぶけるであろう。ブントの後継者を自認する派ほど、ブントの現実さえ知らず、勝手な自己確認をしているのは困ったことである。
 諸派を評価する際、反スターリン主義への態度と、労働運動への姿勢を基準にするわれわれの態度を貫くならば、戦線を「共労協対同盟」とすることは誤りである。「共労協」は、関西ブントの願望にもかかわらず、一つの戦線をなすに足る実体など持っていないのである。
 戦線は、同盟と長船社研の「反スタ」を明確にする部分と、これに反対の態度をとる関西ブント、東京ブント、マル戦を軸として」特殊な地点に山本派と第四インターが立っているのである。われわれは個々の政治折衝のなかでの態度に一喜一憂するのではなく、その基本的立場をもとに評価すべきである。その一致のためにたたかっているのではないか。もし綱領的立場と実践とのあいだに背理があれば、そこをそれとして突くべきである。
 長船社研にたいし、われわれは、基本的に反スタの立場にあることをなによりも評価すべきであり、その労働運動における実践に学び、協同作業をおしむべきでない。綱領的諸問題は、そのなかで十分深められるべきであり、反スタ運動の現状認識と全国的革命党創成への考え方の相違は、長船社研のおかれている歴史的・地理的・運動上の特殊な地位を十分認めたうえで討論されるべきである。
 関西ブントと、われわれの関係が、反スタ戦線の中心環であることは間違いない。いまや彼等の全理論にわたって、とくにスターリン主義にたいする姿勢を中心に、全面的綱領論争を開始すべきである。八・二の過程で、なしくずし的ではあるが内容的にも一定の接近をかれらが見せてきていることも忘れず、またそれが、かれらの労働運動への進出によって生じた、厳しい現実からの規制につき上げられていることを見抜いて、いっそう全面的な労働運動への参加をうながすべきである。構改派にたいする妥協的態度は、そのなかで砕かれるであろう。
 マル戦派が、はじめにのべた反スタ運動の歴史的前提に無知のまま、「帝国主義論」のみで運動は進んだかのごとき幻想の極端な代表者であることはよく知られている。この派が先日の大会で、その第一任務に 「労働組合における活動の強化」をかかげたことは喜ばしいことである。現実がかれらを揺るがすであろう。しかし同時に論争は、その帝国主義論そのものへの批判として貫徹されぬかぎり、動揺の結果が崩壊に行ってしまうことを恐れるものである。
 東京ブントも、労働者部分の圧力によって、これほどでもないにしても、なお同じ誤りに無自覚であり、また労働運動への接近が、逆にスターリン主義にたいする妥協として、すなわち多くの戦闘的労働者が根深く残すスターリン主義への「妥協」として、スターリン主義批判を日共批判、スターリン主義の政策批判に止めていることを明らかにする必要があろう。旧西派系諸派が、現実的に問題になる領域は多くはない。太田派がもっとも極端化し、青年インターがもっとも批判的である加入戦術の誤りは、もはや行きつくところに来ている。社民分解の好機にいたりながら、かれらの活動は「トロツキズム」の信用を落しているだけである。この原因が、その第四インター追従と綱領自体にあることを何度も語りかけ、死んだ化石のなかでなく揺れ動く日本階級闘争の生き生きした波のなかにとびこんで、その力を発揮することを、心から訴えたい。山本派は、こうした反スターリン主義運動の現段階に、その統一行動を阻害し、わが同盟にケチをつけ、反スターリン主義運動の「悪例」の見本をふりまいて全体の信用を落す役割しか果たしていないことはいまや明白である。太田派が独自に社会党のなかを進むのとは対照的に、反スターリン主義運動への「介入」破壊のみを目的とするかれらには、きびしい批判の鉄槌以外にありえない。「われわれの崩壊と彼等の躍進」のデマとわれわれの失策で支えられている運動は、われわれの発展によって消えるのだ。
 最近学生戦線においては、統一行動の発展に抗しきれず、そこに進んで参加する傾向が強まってきたことは注目してよい。社学同と統一行動を考えること自体すでに腐敗である、という調子でわれわれを批判していたかれらの変化は、当然その全論理に波及するであろう。われわれはこれをとり入れつつ、三全総以来の分裂活動の総括をそのなかで迫ることによって、いっそう問題を明らかにするであろう。
 こうした論争は、あくまでも相手を正しく見た、共通の接触のなかでこそ発展することを、八・二集会の教訓にふまえて、今後も貫徹しよう。
 
 5 同盟の組織的強化のために
 
  a、同盟中央の強化
 
 わが同盟の強化が、すべての課題のカナメであることについては、多くのべる必要はあるまい。三全総において力強く出発した地区党建設はすでに不動のものとして定着している。四全総はそのいっそうの強化のために、中央・地区・細胞から機関紙・財政にいたる方針をうち出した。この一年間、機関紙を中心とする宣伝活動の飛躍的強化、地区建設の着実な前進、産別委員会のより現実的な方向への前進等をわれわれはかちとってきたが、すでにのべてきた内外情勢の急展開ははるかにこれを超えているといえる。そのため、規約改正を含む全体的な組織構成の確定は、もう一まわり大きくこの情勢を突破するなかで前進的にかちとるべき状況にあるといえる。現時点における同盟強化の中心的環は、新しい次元での同盟中央のあらゆる面での強化にある。わが同盟の発展は、下部組織における努力によって戦線を急速に拡大しており、これに完全に追いつき、いっそう強力に指導するために、中央の強化を切実に要求している。だが理由は立遅れの克服にあるのみではない。すでにのべてきた新しい情勢と新しい任務に応えるためには、まず中央からの新しい活動への大胆な取組みが必要なのである。中央を先頭に、地区においては地区指導部、細胞においてはその指導部が、旧来のワクをふりすてて新しい課題に突入する時なのである。頭から動き出すとき、もっとも早く進みうる。
 強化の第一は、いうまでもなく理論活動の強化である。その意義についてはすでにのべたとおりである。その中心は「現代世界の理論的解明」の作業と「日本労働組合運動の具体的方針」確立のための作業との二つを同時的に遂行することである。前者については、本総会への第二報告において、その第一歩をふみ出した。その内容において論争はむしろ今後に残されており、さらに多くの問題について理論的解明を迫られているものは膨大に存在する。後者については、われわれはいまだ解明の手がかりさえつかんでいない。労働組合論、賃金論、合理化問題、職場闘争の理論等々に大胆な踏みこみを開始することは、わが同盟と、日本労働者階級全体の急務である。
 この作業をおこなうためには中心的に理論活動にたずさわる具体的人間を大量につくり出す以外に道はない。もちろん、われわれは同盟外のまじめな理論家の仕事を政治的判断や偏見なしに謙虚に学び、大胆に取り入れなければならず、また若き進歩的研究者との、共同の作業の道を開かねばならない。われわれと同世代のインテリゲンチャのなかに、そうした作業への協力者はかならず存在するものだ。だがそうしたことのためにも、まずわれわれ自身が、高度の理論水準を持たねばならないのである。特定のメンバーの、ケチな「専門化」をのりこえ、新しい同志の活発な発言を望みたい。とくに前者については学生の同志のなかから、後者については地区活動の中心メンバーのなかから、新しい「書き手」が生まれねばならない。高い理論は人の話を聞く研究会によってではなく、自分が勉強し、書くことによってしか得られないのだ。理論問題にたいする他人依存の姿勢を葬ろう。
 第二は、宣伝活動のいっそうの改善である。党派闘争の展開にともなう活動の「巾」の拡大、大衆への直接の働きかけに際しては、『前進』を中心とする宣伝活動の内容がいっさいを左右する。高い理論水準を、しかもわかりやすく表現して、大衆の感覚に直接ふれる方法でしかも系統的に連続的に与えていくために、いっそう努力せねばならぬ。『前進』の紙面をはじめ、『最前線』、パンフ、ビラ等々は、一年前にくらべればめざましい進歩ではあるが、まだまだ直接大衆を革命に向けて組織する武器としては水準以下なのである。『前進』二〇〇号に発表された編集局・経営局論文の示すとおり、『前進』の月一回四ページ刊を第一歩に、われわれの活動のすべての軸をここに据えねばならない。
 第三は、中央機関の実体的強化と財政の確立である。新しいたたかいに臨むわれわれの布陣は、まず池袋の事務所の強化から考えられねばならない。政治局、前進編集局を、総合的中枢としてしっかりと定着させるとともに、中央指導を機能的に遂行しうる書記局の確立が不可欠である。これまで事務所の掃除から電話番まで、ことごとく編集局プラスαにかかってきたことが、全体の活動を混乱させ、非能率化させてきた。いまこそ、独立した活動の管制塔を建設すべきである。さらに財政活動を整備し、『前進』『最前線』と中央体制を支えていくに必要な金を、切れめなく組織から集中する「アメリカ的事務能率」を獲得せねばならない。機能さえ十分に発揮されるならば、同盟は十分それを支える資本主義的力量をすでにもっているのだから。
 第四に、これに続いて、地方組織の確立・整備が同様の内容でおこなわれねばならない。すでに強大な力をもち八・二集会を支えた関西に続いて、××を軸とする××地方委員会が確立され、さらに××、××、××に、独立した指導部を確立することが必要となってきている。全学連の再建のなかで××と××への再進出は明るい見通しが生まれるであろう。われわれは、長期的建設の展望のもとに、同志の配置を慎重に検討して、一人のムダもないようにとり組まねばならない。
 第五は、指導的組織者の大量的養成である。いまやわが同盟は、社・共から反スターリン主義諸派にいたる、日本の全党派、全左翼を相手とする闘争に入るのであるから、一人一人がこのたたかいに耐えうる思想、理論、実践力、組織力、言論等々で武装せねばならない。一寸手強い相手だとすぐだれかをつれてくるといったことでは、とても今後の党派闘争をたたかい抜くことはできない。党派闘争に耐えうるオールラウンド・プレーヤーと新しい専門家をつくりだすためには、系統的・全面的な「教育」と独習、そして「やってみる」ことしかないのだ。
 さらに、「第三潮流」としての登場のためには、大衆のなかでの活動能力の飛躍的増大をなんとしてもかちとらねばならぬ。組合やクラスのなかでの、大衆の圧倒的信頼の獲得のためには、直接大衆に働きかけ、その反応から謙虚に自己を改革することを、不断に積み重ねることである。大衆に学び、大衆に服務せよという点では「整風文献」を見習うべきである。スターリニストでさえできること、やってきたことが、われわれにできないはずはない。そうする謙虚な努力を、ともすれば忘れがちなだけである。
 そして、組織活動の指導者、同盟の組織的指導を日夜考える同志を大量につくり出すことである。マル青労同・マル学同を通じて若々しいエネルギーをもった仲間が続々戦列に加わるのに比例して、それを組織的に訓練し、教育し、組織人、革命党員に育てることなくしては、われわれの運動は砂上楼閣に終わることは明らかである。すでに日共の細胞活動の体験者の比率は極限まで低下し、手工業的熟練では追いつけないほどに、わが組織は発展しつつある。ギルドの時代に代わって、近代的学校教育をわれわれは真剣に考えねばならない。もう常任は手一杯である。わが同盟の同志は、一人一人が自立せる組織者となって自己のマル青・マル学を指導し、「老人」達を自由にしてほしい。そしてマル青・マル学のなかから新しい組織者を系統的に育ててほしい。幹部養成こそ、困難な時期にマルクスやレーニンがもっとも力を入れたことである。党学校、研究会、マン・ツー・マン・システム等々いっさいの創意を幹部の養成に集中しよう。
 
 b、細胞活動の強化のために
 
 こうした全体的課題とともに、地区各細胞においては、機関紙を軸とする党活動の確立と計画的な組織づくりがいっそう強化さるべきである。機関紙が、内部的意志統一のパイプであると同時に大衆にたいする工作の武器、大衆にとっては党(同盟)そのものであること、その配布が、公然活動の中心であることは、二〇〇号論文がのべているとおりである。
 同時に、組織づくり――計画的な拡大と内部教育にいっそうの注意が払わるべきである。組合、学園における活動、そこにおける活動家の発掘・結集・大衆フラクションの運動、そこからマル青・マル学への計画的獲得が大胆かつ周到な計画のもとに進められるべきである。社民・日共分解のなかでこれは中心的位置を占めているのだ。これまでわれわれはこの点であまりにタナボタ的な傾向がありはしなかったか。これぞと思う活動家の獲得のために、あらゆる手を使うことは組織活動の手はじめなのである。活動家はマル青に結集せねば結局なんにもならぬことを、わが身をつねって常に思い出すことだ。
 マル青・マル学における系統的教育、同盟への急速な教育は、四全総以来かなり努力されているが、さらにもっとも力を注ぐべきである。われわれは、こんにち大きな大衆的力をもつマル青を必要とする。そしてマル青を大きくするためには、わが同盟自身が強く大きくならねばならぬのである。同盟こそ、水ぶくれでは役立たぬものであるから、すでに東京、神奈川の各地区でおこなわれているような、系統的学校、個人的な独習指導等を、一人一人についてキメ細かに進める必要がある。
 最後に、いまわが同盟にとってもっとも必要とされるものは、まさに「人間」であることを再度強調したい。優れた人材の獲得・発掘・育成こそわが同盟と革命的共産主義運動の未来を決するものである。革命運動は、人類の未来をきりひらくものであり、社会における第一級の人間を必要とする。それはけっしてスーパーマンではなく、革命への情熱とマルクス主義の変革の科学としての力がつくり出すものである。われわれは、自身の変革とともに、そうした仲間をわが戦列に加えねばならない。こんにちの特殊的状況のなかで、当面次の点を提起したい。
 第一は、活動家を大切にし、けっしてこれを殺さないことである。いかなる激烈な論争、党派闘争も、打倒の後にわが戦列に共に加わることを忘れるべきでなく、とくに未経験な若い活動家への慎重な配慮が必要である。
 第二は育てること、常に新しい運動参加者のフレッシュな感覚と頭脳を尊重し、創意と自主性を発揮できるよう努力することである。
 第三は人を正しく評価し、優れた人を獲得することである。長期の革命運動の展望のうえで相手を見ることは、運動に力を与え、投機分子のまぎれこむ(今はありそうもないが)ことを防ぐ道であり、たとえ現在は対立しているとしても、革命に忠実か否かを基準に判断を下すべきである。レーニンとトロッキーの長い対立と一九一七年における劇的な握手を想い出そう。
 第四は、これまでの党派闘争に耐えきれずに脱落した人びとを、革命運動の戦列に復帰させる努力を尽すことである。安保闘争以来の反スターリン主義戦線の内部抗争は、基本的には革命運動にとって不可避な道であったとはいえ、あまりにも無用な犠牲を強いたかたちでおこなわれてしまった。わが同盟に結集したわれわれ自身がその責任を前向きに負い、解決して行くことのできる唯一の部分である。われわれはそのことを自覚し、その傷跡の深さをかみしめ、それを「されどわれらが日々」と慰め合うのでなく、痛手を越えて立上ることこそ、唯一の解決であることを心から訴えねばならない。反スターリン主義戦線の総一行動の開始と、あらたな党派闘争の開始は、四年間の苦錐を克服するもっとも良い時がやってきたことを示しているのだ。
 
     *   *   *
 
 日本革命運動において、日共を去った者の末路は常に革命からの脱落であった。この事実が日本革命運動の真の前進を重苦しく阻んでいた。だが、いまこそ日共をのりこえて、力強い革命的共産主義運動は本格的な第一歩をふみ出さんとしているのだ。われわれの歩みはすでに歴史を変えつつある。自信をもって前進しようではないか。
      (「共産主義者』一一号 一九六四年十二月に掲載)