一 四全総討議の深化のために
中ソ「対立」の激化とわが同盟の当面する問題点
一九六三年八月の革共同第四回拡大全国委員総会(四全総)は、わが同盟からの黒田・カクマルの脱落の直接的契機となった三全総(六二年九月)以降一年間のたたかい、とりわけ「山本派」(=黒田一派)との分派闘争の教訓を総括しつつ革命的共産主義運動の現段階を明確にし、同盟第三次分裂をあらたな前進への契機に転化することを全同盟的に確認する場であった。本論文はその四全総で提起された路線をさらに深化させる目的で書かれ、『前進』に発表されたものである。
中ソ論争という形態で現象した国際スターリン主義運動の内部矛盾は、いまや・中ソ両官僚政府を支柱とする深刻な国家的分裂へと発展しようとしている。
中ソ国境線をめぐる両官僚政府の醜悪な紛争は、このような紛争を激化させつつある中ソ両スターリニスト官僚の、領土問題にかんする完全に反プロレタリア的な立場を赤裸々に暴露するとともに、このような紛争の根底によこたわる中ソ両官僚制国家の一国「社会主義」的現実の深刻な矛盾を鋭く照らしだしているのである。かつてエンゲルスは「社会主義フランスと社会主義ドイツの問にはルール(領土)問題はない」とかたったが、われわれは、この国境紛争にかんする中ソ両官僚政府の態度のなかに、領土問題にかんするマルクス主義的原則、すなわち、国際プロレタリアートの団結と解放の条件をいかに強化するかというプロレタリア的観点の一片すらみいだすことはできないのである。そこにあるところのものは、ただ、官僚制的計画経済の危機を「排外主義」的に転嫁し、官僚制的余剰労働に寄生する自己の官僚的保身をはかる以外のなにものでもないのである。
部分的核停条約の調印を契機としたソ連官僚政府の露骨な帝国主義との協調政策の強化、中国核武装の道を閉ざすものとして部分的核停条約に反対し、欺瞞的に「反帝」闘争を強調することによって後進諸国における急進主義的要素を結集しようとする中国官僚政府、こうした国際スターリン主義運動の分解過程の深化は、EECの登場を契機とする帝国主義市場の再編過程と力学的に相互作用することによって現代世界構造の急激な変動と、分極・再編の過程をもたらしているのである。ソ連――アメリカにたいする中国――フランスという権力政治の奇妙な「同盟」関係は、まさに、このような現代世界の構造的変動がもたらした過渡的仮象をなしているのであり、しかも、部分的核停条約が事実上は米英ソ三国権力者の核兵器独占協定であることにたいする、構造的変動の主導的要素をなしているフランス・ドイツ・日本および中国の軍事的要求の一側面を表現しているといえるのである。
したがってわれわれは、中ソ両官僚制国家間の対立が帝国主義的市場再分割との相互作用のなかで現代世界にもたらしつつある構造的変動を、プロレタリア解放の諸条件を解明する仕事の重要な一構成部分として注視し、さらに深く追究していかねばならないであろう。
だが、われわれ革命的共産主義者にとってさしあたり決定的に重要なことは、中ソ論争という形態で激化しつつある国際的スターリン主義運動の内部対立と分解過程が、現代世界のプロレタリアートにもたらしている巨大な階級意識の変動過程であり、それに対応した政治的・組織的な分解と再編のダイナミックスである。なぜならば、ありとあらゆる露骨な表現をとってなげつけあわれる中ソ両スターリニスト官僚の中傷と事実暴露は、マルクス・レーニン主義の正統な弟子をもって認じてきたフルシチョフや毛沢東をはじめとするスターリニスト官僚の醜悪な現実の一面を相互にあばくことによって現代スターリン主義の問題性を鋭く提起し、世界のプロレタリアートがスターリン主義の規範から自己解放すべき契機を豊富にうみださずにはおかないからである。『人民日報』は、部分的核停条約にかんする論評において「ソ連人民の利益を裏切るフルシチョフ一味」という非難をなげかけたが、このような非難は、労働者階級とスターリニスト政治官僚を一体視しようとするスターリニストの神話の崩壊を無慈悲に準備せずにはおかないであろうし、やがては「中国プロレタリアートの利益を裏切る毛沢東一味」の現実を赤裸々にせずにはおかないであろう。
スターリン主義反動は、明白に崩壊の坂道を転落しはじめた。内部対立の激化と分解の深化は、疑いもなく、崩壊過程の開始を意味する遠雷である。全世界のプロレタリアートは、自己解放をめざす苦難にみちたたたかいのなかでたえずふみとどまり反省することによって、みずからの戦列の「前衛」を自称するスターリニスト官僚を他の非プロレタリア的汚物とともに歴史のくず箱になげすてて前進するであろう。
トロッキー左翼反対派を先駆とする反スターリン主義の革命的共産主義運動は、五六年十月――十一月のバンガリア労働者階級の革命的反乱をとおして消しさることのできぬ人間的=物質的重みをもってスターリン主義反動の崩壊の前夜を準備した。たえず高まりくるプロレタリアートの永久革命の波に恐怖し、責任を転嫁しあうスターリニスト官僚の保身的分裂こそ、スターリンのたえざる粛清の歴史であり、こんにちの中ソ両スターリニスト官僚の対立と抗争である。
だが、プロレタリア革命の進路は、小ブル的急進主義者が夢想するように直線にひらかれているものではけっしてないのである。スターリン主義のエセ「社会主義」の神話は急激に崩壊しつつある。しかしながら、このような「神話」の崩壊、そしてまたその物質的基礎をなすスターリニスト官僚制と官僚的計画経済の危機をプロレタリアートの革命的再武装の条件に直接的に転化するためには、なお、苦難にみちたジグザグをわれわれは国際プロレタリアートとともに経験しなければならないであろう。国際プロレタリア運動のスターリン主義的歪みを打開し、プロレタリア自己解放の大業をなしとげるためには、われわれ革命的共産主義者は、いまドラスティックに進行しつつある中ソ「論争」が現代世界にもたらす構造的変動を的確に分析するとともに、とりわけ、それが世界プロレタリアートの階級意識にもたらす影響と政治的・組織的変動を注意ぶかく追究し、スターリン主義運動の分解過程を革命的共産主義運動の創成過程に主体的に転化するために全力をあげてたたかわなければならないのであり、それは同時に、わが革命的共産主義運動がたえず階級的・戦闘的意識をたかめながら、プロレタリアートのもっとも戦闘的な翼と生きた交通をもった革命の主体的運動に自己を変革するためのたたかいでなければならないのである。
・事実、国際共産主義運動の内部対立の激化は、スターリン主義反動の崩壊を準備する諸前提を成熟させながらも、なお直接的には国際スターリン主義運動の危機をフルシチョフ=トリアッチ的右派と毛沢東的「左」派に再編することによって補修し、相互に補完することによってスターリン主義運動を延命させているのである。帝国主義の擬制的繁栄のもとで「平和」的状況に安住する欧米のスターリニスト(共産)党は、フルシチョフとケネディの条約的平和に幻想をまきちらしながら構造改革を求めて社会民主主義連動の衰退と危機をうずめる役割をはたしている。これにたいして、経済的後進性からたえず生まれる社会的危機を世界市場の革命的転覆と切断して一国社会主義(=「自力更生的」)に解決しようとしている中国・東南アジア等のスターリニスト(共産)党は、「反帝」のスローガンのもとに農民的反乱をたえず急進主義的に動員することによって、生産力の低さを人海的に克服するための労働力のアジア的結合を補強する必要に直面しているのであり、ここから非プロレタリア的「反帝」闘争のたえざる呼号と大衆の背後におけるフランス・イギリス・日本帝国主義との「密会」によって先進資本主義の工業力と結合するという二面性が必然化するのである。まさに、現代資本主義の発展の不均等性に直接的に対応して自己を分化することによって、スターリン主義反動は「現実性」を保持し延命しようとしているのである。
したがって、欧米におけるスターリニスト党の「現実性」は、欧米帝国主義の擬制的繁栄と階級闘争の「平和」的発展が危機に直面するとともに、工業。プロレタリアートの戦闘的翼と不可避的に衝突せざるをえないであろう。フランス炭鉱ストやイタリア金属ストの経験は、現在的にも、フランス――イタリアの工業労働者がスターリニスト的指導性と衝突し、新しい革命的前衛部隊の創成の課題に直面していることを明白に示しているのである。
だが、欧米の左翼反対派の諸潮流の圧倒的部分がいぜんとしてサークル的な宣伝団体か大衆運動(あるいは既成の大衆的・政治的団体)の左翼的フラクションにとどまっているという状況のもとで、工業プロレタリアートやインテリゲンチャの急進的翼が中国共産党路線に「左翼」的幻想を抱いて非プロレタリア的一揆主義に傾斜する危険すらはらんでいるのである。しかも、トロッキー左翼反対派の正統派を自称する第四インター書記局(パブロ派)と欧米各国支部は、一方では、構造改革路線や社民的改良主義の左翼的支柱としての役割をはたしながら、他方では、中国共産党路線に革命性を求める立場に動揺し、部分的には中国派スターリニストと合流する状況すら生まれているのである。
だが、このような中国共産党路線への傾斜は、欧米のスターリン主義運動を支配しているフルシチョフ=トリアッチ路線にたいする直接的不満の一表現であったとしても、けっして、フルシチョフ=トリアッチ路線を打倒して欧米プロレタリアートの革命的再武装をきりひらくものとはけっしてなりえないであろう。いな、欧米のプロレタリア運動にたいするスターリン主義的影響力がますますフルシチョフ=トリアッチ的右派路線に固定すればするほど、われわれ革命的共産主義者は、反米闘争と後進国革命に現代革命の主導的要素をみいだそうとする中国共産党路線の反動性を徹底的に批判するとともに、後進国革命における中国共産党路線の非プロレタリア的な本質と「自力更生」=一国社会主義論の欺瞞性を決定的にあばきだす任務に深くかかわらねばならないのである。
なぜならば、中国共産党の主張は、現代革命の主導的要素をアジア・アフリカおよびラテンアメリカ地域の後進国革命にみる点において現代革命における先進国革命と後進国革命の弁証法を一面化する誤謬を犯しているばかりか、ほかならぬ欧米革命の危機の主体的根拠ならびにソ連社会の官僚制的変質からプロレタリアートの注意をそらす役割をはたしているからなのであり、かくしてそれは、先進国プロレタリアートの自己解放の道を閉ざしてしまうばかりか、後進国革命のプロレタリア的永久革命の契機を抹殺し、その官僚制的変質または国家資本主義的固定化をもたらすものでしかないからである。
第九回原水禁広島大会における中ソ両スターリニスト官僚のあいだの憎悪にみちた対立とこれに対照的に起こった日本原水禁運動の中国=日共、ソ連=社会党の奇妙な同盟と分裂は、日本プロレタリア運動の内外にきわめて深刻な問題性をなげかけている。このような状況は、一方では一昨年夏の第一七回総評大会を転機にして急激に進行しつつある総評、民同指導部の労資協調=企業防衛路線への公然たる移行と日本労働運動の右傾化をソ連スターリニスト官僚の権威をもって美化し補強するところとなるばかりか、他方では、日本プロレタリアートの戦闘的要素をかなりの程度において反発的に中国共産党路線にむかわせる条件をもたらしているのである。
日本共産党は、社会民主主義(社会党・民同)の右傾化と官僚的組合統制にたいする下部労働者の不満と反発をたくみに利用することによって、なしくずし的に中国派として旗色を強めはじめている。だが、日共の中国派へのなしくずし的移行は、一部の小ブル的急進主義者や自称トロツキストの夢想を裏切って、旧来の日共路線の民族主義的強化をもたらすのみであり、かくして、このような日共の擬似的左傾化は、ほかならぬ中国スターリニスト官僚の「総路線」の正体をますます日本プロレタリアートのまえに暴露することになるであろう。
中ソ論争と広島原水禁大会の分裂という形態で日本プロレタリアートの眼前で深化している国際スターリン主義運動の内部矛盾と分解過程の激化は、日本プロレタリアートの階級意識にかつてない巨大な激動と危機をもたらしている。西派系ならびに太田派系の諸分派における中国共産党路線の評価をめぐる動揺と分解、社学同の中国路線への接近と反発は、このようなドラスチックな階級的・思想的激動の反映である。中国共産党路線の問題は、まさに、全世界の左翼反対派の試金石である。
われわれ革命的共産主義者は、中国スターリニスト官僚のエセ革命性に夢想する小ブル急進主義者と自称トロツキストを無慈悲に打倒し、「反帝国主義・反スターリン主義」の綱領的勝利をたかく宣言するとともに、「中ソ論争」が現実に現代世界にもたらしつつある構造的変動と思想的激動を理解しえず、「反帝・反スタ」を固定化し、サークル主義的な観念の世界に逃避しつつある保守主義者ともわかれを告げて、日本革命的共産主義運動の綱領的深化と階級的前進のためにいまこそ戦列を固めねばならないのである。
(二)
昨年九月のわが同盟第三回全国委員総会(三全総)から今年八月の第四回全国委員総会(四全総)にいたる約一ヵ年のわが同盟の分派闘争の過程は、日本革命的共産主義運動の死活をかけたところの深刻かつ熾烈な試練の日々であったが、同時にそれは、日本革命的共産主義運動の新しい時代をきりひらくための陣痛の日々であり、プロレタリア的資質の勝利のたたかいの日々であった。
山本派的日和見主義の発生およびその分派主義的分裂と観念的小サークルへの逃避は、たしかにわが同盟と日本革命的共産主義運動にとって不幸なことであった。こざかしい結果論者がいかに考えようとも、われわれは、山本派的日和見主義を革命的規律にもとづく組織的討論をとおして克服しようと最後の可能性がたち切られる日まで努力したし、また、この可能性の追求をとおして党内闘争の新しい内容をきりひらき、同盟の組織的統一と思想的同一性をかちとろうとしてたたかってきた。
だが、われわれは、いかなる権威主義的恫喝と陰謀主義的策動にもかかわらず、山本派的日和見主義にたいして原則において一寸たりとも妥協しようとも思わなかったし、また、このような非妥協な闘争をとおしてのみ同盟の再武装をかちとりうることを確信していた。なぜならば、三全総の激烈な討論をとおして基本的にうちだされたわが同盟の当面する組織的=実践的課題にたいする山本派的な無理解と反発を許すことは、日本革命的共産主義運動の前進を耐えがたく押しとどめることを意味することを、最前線で苦闘するわが同志たちははっきりと知っていたからである。
周知のように、山本派的日和見主義は、当初、三全総で基本的に提起された、(1)戦闘的労働運動の防衛にかんするわが同盟の組織戦術、(2)地区党組織の確立のための闘争にたいする無理解と非実現的反発、を基礎に発生した。三全総にみずから参加しながらも、そこで討論されている課題になんらかかわりあうことができず、<コミンテルンにも地区組織はあったのか>とか<地区などというと代々木の連中に選挙の準備のためといわれないか>などという低水準な自問をくりかえしていたり、あるいは、わざわざ発言をもとめて全体の討議と無関係に「モスクワ・デモ」の漫談をして失笑をかったりしていた山本と一部の学生同盟員は、かの『前進』一〇六号の山本論文をかかげて自己の無理解と反発を美化するために、(1)戦闘的労働運動の防衛のための戦術の精密化の背後にある思想は労働運動主義である、(2)産別労働者委員会は党の一般的構成の内部に位置づけられるものではなく<恒常的な闘争機関>としてとらえかえさるべきである、と主張しはじめたのである。
かくして山本の「理論」的権威のもとに小ブル的自我意識の救済を信仰した一部の学生同盟員は、山本を中心にして宗派主義的なグループを形成して「同盟の大衆運動主義への転落」をわめきたて、同盟の背後で陰謀的に「党内党」をつくるためのありとあらゆる分裂策動をかさね、ついには労働者組織における山本派の完全な孤立を隠蔽するためにマル青労同の非公然集会にまで学生活動家を動員して公然と襲撃し破壊するという反階級的行為まであえてするところまでみずから転落していったのである。
こんにち、山本派の諸君は、今回のわが同盟の分裂にかんして、過去における太田派(第一次分裂)、西派(第二次分裂)との分派闘争、および共産主義者同盟(ブント)との闘争の直接的な延長線上に位置づけ、山本派の正統性と正当性を証明しようと無駄な努力をつづけている。だからこそ、これらの教典解釈者たちは、わが同盟の今日的闘争にたいして<大衆運動主義><ブント主義><反帝イズム><反スタ官僚主義><反スタの放棄><原則主義>などと、ありとあらゆるレッテルとデマをはりつけて、太田派――西派、あるいはブントと同一視することで批判したつもりでいるのである。しかも、このような観点から、わが同盟の過去の闘争についてまったく勝手な解釈を加え、日本革命的共産主義運動の歴史を万能でつねに正当な唯一者にたいする同心円的な運動にかきかえようとしているのである。
だが、山本派によるこのような手法は、ほかならぬ山本とその追随主義者たちがわが同盟の第三次分裂の意義にかんしてまったく無理解・無感覚であり、せいぜい過去の分裂に二重映しするという歴史主義的方法でしか理解しえないこと、つまり、山本派の批判の基準がつねに過去におかれていることを自己暴露するだけなのである。なぜならば、わが同盟の今回の第三次分裂が、基本的には第四インターに代表される国際的な左翼反対派の親スターリン主義的傾向との闘争であったわが同盟の第一次・第二次分裂、あるいは、スターリン主義運動の戦略的・戦術的「左」傾化をとおして日本プロレタリア運動の革命化を夢想したブントとの闘争の勝利のうえにはじめて可能であったところの、根本的に新しい型の闘争を内包していることについて、わが山本派の諸君は、まったく当然にも、すこしも関心をよせようとしていないからである。
太田派との第一次分裂(五八年)および西派との第二次分裂(五九年)は、直接的には第四インターの綱領的スローガン<反帝・労働者国家無条件擁護>ならびに<炭鉱を国有化せよ><社共支持をさらにおし進めよ>などの戦術的スローガンの評価をめぐって深刻化したのであるが、同時にそれらは、これらのスローガンの根拠となっている第四インター=トロッキー教条主義の親スターリン主義的本質を打倒し、<反帝国主義・反スターリン主義>を綱領的立場とする革命的共産主義運動を創成するための不可避的な過程をなしていたのである。
なぜならば、第四インター系の自称トロツキストにおおいがたくしみこんでいる加入戦術の自己目的化と大衆連動の方針主義は、じつに、現代プロレタリア運動のスターリン主義的歪曲と社会民主主義的堕落にたいする根本的反省の欠如から必然化するのであり、そこにはいったい<方針>を物質化していく実践主体はなんなのか、という党にとってもっとも決定的な問題がぬけおちてしまっているからである。したがって、革命的共産主義運動が現代世界を根本的に転覆しうる変革の主体に発展するためには、われわれはまずもってこのような第四インターの親スターリン主義的な規範から決定的に脱却することが必要だったのである。
こんにちの国際「共産主義」運動がスターリン主義的に歪曲され、ソ連=中国圏のスターリニスト政治官僚の特殊的利益の防衛的手段にまで転落してしまっているという直感は、同時に、スターリン主義の思想的、政治的、組織的規範から独立した新しい型の革命的プロレタリア党の創成のための主体的決意に転化しうるものでなければならない。こんにちの世界革命運動の危機は、じつに、このような、新しい型の革命的プロレタリア党のための闘争の決定的未成熟性にあるのである。スターリニスト党の骨髄までおかしている官僚主義的集中制にたいする下部労働者党員および戦闘的労働者の不断の反発と反乱は、スターリニスト党にたいする労働者階級の非和解的闘争の萌芽的な形態であり、それゆえそれは、まずもって<反帝国主義・反スターリン主義>を綱領的立場とする革命的プロレタリア党の実体的担い手の創成のための闘争にたえず転化し、たかめられねばならないのである。だからこそ、われわれは、資本との日常的・政治的闘争のなかで、たえず生起し形成される現代世界への<反乱>の契機を革命的共産主義運動の実体的担い手をつくりだすための苦闘として受けとめるという実践的・人間的立場にたつのである。
共産主義的自覚をたえずたかめ、自己を変革の主体に変革していくたたかいは、プロレタリア党のための闘争においてつねに根底的かつ現在的につらぬかれねばならない。われわれ革命的共産主義者は、スターリン主義を打倒することなしにはプロレタリア自己解放をなしとげえないから、<反スターリン主義>の旗をかかげるだけでなく、世界革命の有機的一環としてスターリン主義官僚制とそのイデオロギーである<平和共存と一国社会主義>を打倒し粉砕する過程をとおしてプロレタリアート内部の汚物をたたきだし、大量的な人間変革をなしとげようとしているのである。
それゆえ山本が、戦後主体性論争の革命的摂取のうえに反スターリン主義のたたかいを運動の実体的担い手の問題として哲学的に直接的に鋭く提起したことは、きわめて重要な実践的な意義をもっていたのである。だが、われわれは、同時に山本が、このような「人間変革」の問題を革命党の内的論理として現代世界の革命的変革との内在的・運動的な関連のもとに媒介的=具体的に深化する局面において、多くの欠陥にまといつかれていることを卒直に指摘しなければならない。
たとえば、山本の『組織論序説』は、「現代における前衛とは何か」という副題にもかかわらず、それは太田・西派=トロッキー教条主義者ならびにブントの綱領的・戦術的批判において決定的有効性を示しているとはいえ、前衛組織そのものの具体的・運動論的解明、党と階級・党と革命戦略の内的弁証法にかんしては、レーニンの『共産主義の左翼小児病』の引用的解説にとどまっているのである。
したがって、このような山本組織論の限界を山本の現代世界の構造的把握における論理主義的傾向(その裏返しが日本資本主義ならびに国家権力構造における代々木以下的な「従属規定」なのであって、お茶坊主たちがなんといおうと、この点は五九年十一月の綱領小委員会で山本すら認めているところだ!)とともに、わが同盟の共同の仕事として五七年以来の組織活動の実践的理論的総括にふまえて克服していかねばならないところのものなのである。
西派との分派闘争の組織的敗北の深刻な反省のうえに開始された五九年秋以来の全回委員会のための闘争、とりわけ六全代問題としてあらわれた共学同的偏向との熾烈な闘争をとおしてかちとられたわが同盟第一回大会とその後のわが同盟の闘争は、まさに、共学同的偏向の思想的根拠をなすブント主義の克服の過程であるとともに、まさに、わが同盟に内在するセクト小児病を突破し、日本革命的共産主義運動を日本労働者階級の革命的基礎のうえにさらに根強く定着させるための苦闘の過程としてつらぬかれたのである。
もちろんこのような闘争は、西派およびブントとの、およびそれらの思想的・政治的影響のたえざるわが同盟への流入との闘争にあけくれていたわが同盟にとってけっして容易なものではなかったし、しかも、山本組織論の欠陥にたいする批判検討と明白に結合して把握し提起しえない決定的限界にまといつかれていたことから、必然的に幾多のジグザグを生みださずにおかなかったのである。にもかかわらず、三全総とそこにおける組織的・実践的討論は、いまだ明白に自覚されていなかったとはいえ、第一回大会以後に飛躍的にかちとられたわが同盟が、このような「限界」の意識的克服の必要に不可避的に直面していることを鋭く提起していたのである。それゆえ、三全総でうちだされた実践的=組織的課題をめぐる山本派的日和見主義との闘争は、一方では、山本とその追随者たちの非実践的限界を赤裸々にあばきだすとともに、他方では、三全総の実践的根拠をなしている同盟労働者組織の活動ならびに課題の全面的な総括と理論的深化の必要性をきわめて切実なものとしたのである。
だが、このことは、山本組織論の限界の突破が、昨年から今年にかけて進行したような組織的分裂という形態でのみ可能であったという結果論的な総括の方法をすこしでも許すものではないことを明白にしておかねばならない。なぜならば、前衛組織の内部に不断に生起するイデオロギー的危機は、革命にむかってプロレタリア的戦列の統一をたえずたかめていく立場から解決されるべきであり、スターリン主義的な官僚制的集中主義への反発から直接に党を分派=党内党の総和に転化させようとする傾向をわれわれはきびしく克服していく立場にたつべきだからである。
わが同盟の五七年以来の闘争、とくに第一回大会以後の組織的活動を媒介として山本組織論の欠陥と限界を克服していくという実践的カマエを喪失し、山本の理論的権威の自己絶対化を要求しだし、そのうえ、自分が過去に断言した立場すら忘れて、同心円的な<党中党をつくることの意義>などというアヤシゲな理論的創造性にまで行きつくことによって、山本派的日和見主義ははじめて自己を修正する制動を失い、<たんなる反ブクロ派>として自認せざるをえないようなセクト主義的な同族集団にまで転落せざるをえなかったのである。
それゆえ、日韓闘争およびポラリス闘争の進行のなかで露呈した山本派の驚くべき理論的混乱と実践的破産は、山本理論に内在していた論理主義的限界と現代世界の構造的・運動的把握の弱さのグロテスクな一面化であり、同時にそれは、こんにちの山本派の実践的感性の完全な喪失と運動的破産と結合することによってのみ開花しえたといえるであろう。ポラリス闘争を米ソ軍拡競争にたいする反戦闘争の契機ととらえかえすことすらできず、ただただわれわれにたいして<反帝イズム>のレッテルを貼ることしかできないほど無能化した山本派の諸君は、ほかならぬ自分じしんの反戦闘争にかんする理解が外在的かつ実体的でしかなかったことを自己暴露しているばかりか、<反帝・反スタ>の意味についてすら、まったく表面的な認識しかもっていなかったことを赤裸々にしたのである。
<反帝国主義・反スターリン主義>という綱領的立場は、マルクス・レーニン的段階におけるプロレタリア革命論を本質論として継承しつつ、一国社会主義論と平和共存論にもとづく現代革命のスターリン主義的歪曲と、それを基礎としたところの帝国主義とスターリン主義の相互依存的な体制化を根底的に打破せんとする真に現代的かつ革命的な立場から打ちだされたものであり、それゆえに、永続的に展開される個別革命において支配権力にたいするもっとも根本的な転覆者の立場である。<反帝国主義・反スターリン主義>が現代革命の普遍的綱領だということは、世界革命の一環としての日本革命の根底的遂行の過程のなかに、それゆえに現在的に再生産されている日本労働者階級にたいする搾取と抑圧とそれへの反逆のなかに反帝・反スタの契機が内在していることの実践的・理論的把握をたえず媒介することによって、<われわれにとっての真理>にたかまりうるものだということであって、綱領的立場を異にするいっさいのプロレタリア運動から自己をセクト主義的に区別し召還するためのものでは断じてないのである。
三全総から四全総にいたる試練にみちた闘争をたえぬくなかで、いまわが同盟は日本革命的共産主義運動の新しい地平を力強くきりひらきはじめている。三全総で提起された<戦闘的労働運動の防衛>と<地区党組織の確立>という実践的=組織的課題は、一年間にわたる全同盟的な組織的実践をとおして、わが同盟を労働者階級の戦闘的翼のなかにより広範な実体的基礎と生きた戦闘的交通をもった革命的戦闘的な前衛部隊に鍛えあげ、日本プロレタリア運動の内部に無視しえぬ変化を生みだしている。
四全総政治報告において鋭く提起されているように、わが同盟の多くの労働者組織および学生組織はこのような実践をふかめるなかで、スターリン主義者や社会民主主義者の指導のもとに展開されるポラリス・日韓・ILOなどの「政治闘争」にたいしていかにかかわっていくのか、という問題について実践的にとりくみはじめている。それゆえ、われわれは、公然および非公然に展開されるわが同盟の独自的な政治宣伝および政治集会などの同盟の組織的政治闘争の徹底的重要性について明確化するとともに、大衆的政治闘争にたいするわれわれの組織的・政治的指導性の貫徹にかんする問題をこのような同盟の独自活動との有機的関連のもとに、より意識的に追究し解明していくことが焦眉の課題である。
また、地区党組織の確立の課題は、<戦闘的労働運動の防衛>の課題とともに、山本派の地区問題にかんする理論的破産と組織的な敗北をもっとも鮮明に位置づけているが、プロレタリア的実体ならびに運動的条件の形成との有機的観点のもとに、関東全域にまで拡大されつつあり、さらに関西地方をはじめいくつかの地方において、ようやく実践的課題として創造的にとりくまれはじめようとしている。
われわれは、それゆえ、地区党組織の確立の課題が、革命的プロレタリア党のための闘争において現在的にもっている意義を明確化するとともに、わが同盟の当面する組織構成とその相互関係にかんして理論的かつ具体的に解明していく必要があるのである。〔なお、産別労働者委員会の代表者を主要構成部分とする中央労働者組織委員会の組織化、ならびに六〇年規約の改正の問題については別に発表する。〕
中ソ論争の深刻化とそれを動因とする現代世界の構造的変動とプロレタリアートの急激な思想的転換は、わが同盟の革命的前進を要求している。わが同盟の四全総は、このような要求にこたえる道を準備した。われわれは、三全総以後の組織的活動の全面的な総括と四全総報告の討議にふまえて、山本派的な日和見主義運動をさらに徹底的にうちたおし、綱領的立場をふかめつつ、日本革命的共産主義運動をプロレタリアートの不滅の水脈とさらに深く結びつけるために前進しなければならない。四全総における一労働者委員のつぎのことばは、また、わが同盟のすべての共同の決意であるであろう。
われわれは、けっして敗けることはない。だから、われわれはかならず勝つのだ!
(『前進』一五二号一九六三年九月一六日に掲載)