クラウゼヴィッツ『戦争論』ノート
 
 本稿は、七〇年一月、著者が獄中において書きつづったクラウゼヴィヅツ『戦争論』の独習のための覚え書に若干の補筆をほどこし、七二年八月、前文を付して党内討議資料に供したものである。七五年三・一四反革命による著者の虐殺死後、同年十二月および七六年三月刊行の『破防法研究』二四、二五号に分載発表され、広く好評を博した。本ノートは、著者が出獄直後に書き下ろし公表した戦争論にかんする画期的大作「戦争と革命の基本問題」(七二年六月『共産主義者』二三号初発表、本選集第二巻所収)のいわば準備作であり、わが同盟の戦争論構築にあたって歴史的な土台作業をなすものである。クラウゼヴィッツ戦争論の手引き書としても、これほど要を得た、創造性の高い論文は他にないであろう。
 
 
「ノート」成立についての若干の事情
序 戦争とその指導の原則を学ぶために
 戦後世界体制の危機と戦争の問題/カクマル暴力論の反革命的本質/内乱の戦略と蜂起の準備の問題
一、戦争における政治の優位性について
二、戦争指導における人間精神の役割
三、戦争の理論――敵戦闘力のせん滅について
四、戦争の理論――防衛戦争の特権について
 
 
「ノート」成立についての若干の事情
 
 「クラウゼヴィッツ『戦争論』ノート」と題する本稿の生いたちについて説明すると、筆者が破防法違反被告として東京拘置所に在監していたさいに、七〇年の一月、クラウゼヴィッツ『戦争論』を独習するための便法として、『戦争論』そのものの編別構成とは自由に、(1)戦争における政治の優位性、(2)戦争における人間精神の役割、(3)戦争におけるせん滅の意義、(4)防御戦争の特権、の四項目を選定し、クラウゼヴィッツの思考を可能なかぎり忠実に再現する方法で構成しようとした一種の実験的な学習の覚え書である。
 もとより筆者は、戦争論を系統的に研究するにたる素養も教育ももっていず、筆者の頼りになるものといったら、岩波文庫版『戦争論』上、中、下三冊だけであった。しかし、手足のしもやけの痛さとむずがゆさの抵抗と対峙しながら『戦争論』を読みすすみ、ノートをとっていって、戦争論にかんする自分なりの心象が形成されたときの新鮮な感激は二年以上もたった今日でも忘れることはできない。この「ノート」は、そのときの筆者の心象の構成以外のなにものでもない。しかし、そのことはけっして、クラウゼヴィッツの戦争の理論を勝手に改変するものではなかったはずであな出版するにあたって若干の補強作業をおこなったが、基本的な理解においては格別に修正すべきところがなかった。あるいは、それは「二年間の入院生活」にもかかわらず、入院前も、入院中も、退院後も、筆者の問題意識が基本的には変化していないことを意味している。ある種の人びと(投獄は革命への情熱をいやし、反革命への絶望的後退をつくりだしうる、と考えている諸君)の期待に反してお気の毒だが、筆者は、それでおおいに結構と思っている。
 本来ならここでクラウゼヴィッツ『戦争論』の批判的解説をおこなうべきところであるが、その点については「ノート」につづいて獄中でメモした「クラウゼヴィヅツ『戦争論』の研究」という未完の論文があるので、いずれ本格的に手をいれて批判に供するつもりである。さしあたっては『共産主義者』二三号(一九七二年六月前進社刊、本著作選第二巻所収)の「戦争と革命の基本問題」で、戦争の指導原則を構成する観点からクラウゼヴィッツ『戦争論』の意義と問題点を考察しているので検討してほしい。項目としては「ノート」とある程度対応しているので、相互に参照すると筆者の見解をはやくつかむのに便利であると思う。革命と内乱の時代を生きる戦士諸君にいくらかでも参考になれば幸いである。
        (一九七二年八月)
 
 
 序 戦争とその指導の原則を学ぶために
 
   戦後世界体制の危機と戦争の問題
 
 戦争とその指導にかんする客観的な法則性を正しく認識し、マルクス主義に立脚した合法則的な戦争指導原則を確立することは、現代のプロレタリア階級闘争の戦略的大前進運動にとって重大な任務のひとつである。
 第一の理由は、帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機が、ドル・ポンド国際通貨体制の解体を基底として進展しているのみならず、アメリカ帝国主義の強大な軍事力を基礎とした帝国主義世界軍事体制(その法律的な表現が地域的集団安全保障体制)の破綻を決定的な水路として、より深刻な政治的性格をもって爆発しようとしていることである。
 帝国主義の特殊戦後的な規定性のひとつが戦時的な軍備体制、政治=動員体制、経済=軍需体制を「戦後」も恒常的に維持してきた点にあることは、すでに多くの人びとによって指摘されてきたところである。核戦略、核武装に反対する世界人民の闘争、いわゆる産軍体制にたいする世界人民の批判の高まりが、基本的にはこの帝国主義の世界史的現実にあることもまた、すでに多くの人びとにおいて指摘されてきたところである。しかし、今日なによりもまず大切な問題は、戦後帝国主義の世界軍事体制の破綻とその解体的危機の情勢(日帝の場合には、この危機的現実のなかでアジア侵略の政治=その継続としての侵略戦争を開始しなくてはならない)を帝国主義体制の根底的否定のための現実的な契機として把握し、革命的内乱の戦略をもっていっさいの運動を指導する実践的任務が要請されている点をはっきりさせることである。帝国主義の戦争準備、戦争指導を規定している政治的・階級的目的にたいし、革命と内乱という別の目的をもった「戦争」が戦略的に対置されなくてはならないのである。
 第二の理由は、第二次世界大戦後の特殊戦後的な規定性が、帝国主義の恒常的な戦時体制化(スターリン主義諸国の対抗的な軍事体制)という点とならんで、地域戦争の内乱的爆発が戦後一貫して永続的に進行している事実にあることである。
 もとより地域的な戦争(内乱)の多くは、半植民地後進国の地帯でおこっているが、しかし、われわれは、その意味を世界史的に普遍な矛盾の特殊戦後的な爆発形態として把握すべきであり、地域的特殊性なるものに単純化してはならないのである。なぜならば、第一には、世界史的にいって真理は、内乱的な戦争が特定の地域で集中的に爆発したという事実よりも、まずもって戦後二五年間ひとたびの中断もなしに戦争が永続的に継起してきたという事実にもとづいて考察されなくてはならないからである。また、第二には、戦争が特定の地域(半植民地後進国)に集中して爆発したのは、(1)帝国主義の戦後の経済的世界編成が基本的には半植民地後進国の経済を排除する形態でおこなわれ、しかも石油など特定の資源のアメリカ帝国主義による排他的独占と、軍事援助、経済援助をテコとした露骨な帝国主義の半植民地後進国体制がその基礎のうえに強制されたため、すでに数世紀にわたる侵略と抑圧にたいする根底的な解放闘争にたちあがりはじめた半植民地後進国人民と帝国主義との闘争が激化せざるをえないこと、(2)帝国主義国のプロレタリアート人民の闘争がスターリン主義者によって平和共存政策とブルジョア民主主義への屈服の方向におしまげられ、帝国主義の巨大な軍事的圧力と体制内的包摂の政策によって革命的要素が決定的に封じこめられたこと、という二つの世界史的な事情が考察されなくてはならないからである。それゆえ、われわれは、主要には半植民地後進国で継起している戦争(内乱)の永続化について、それを世界の農村論、周辺革命論や第三世界の方向で把握する傾向(その亜流的修正としての三ブロック論)を克服し、半植民地後進国人民の闘争の世界史的な意義とその革命的発展の方向を設定していかなくてはならないのである。
 第三の理由は、戦後世界の根底的な方向性を「帝国主義から社会主義への過渡期の時代」「帝国主義の戦争が永続的に革命的内乱に転化している時代」として把握し、帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機を全世界的なプロレタリアート人民の総反乱に転化していく戦略を確立していかねばならないことである。
 ここにおいてわれわれは、帝国主義の戦争、プロレタリアート人民の革命戦争、プロレタリアート人民の武装蜂起の準備という武装闘争の三つの形態について、戦争とその指導にかんする普遍的な法則性の認識を基礎として各自の特殊的な法則性を明確にし、それをプロレタリア階級闘争の政治的指導原則と正しく結合し、個々の具体的な階級情勢に目的意識的に適用していく、という課題をも自己の実践的任務としなくてはならないのである。帝国主義の政治的、軍事的支配機構が史上類例のない巨大な発展をしめし、しかもそれが、世界史的な体制的危機の深刻化のなかで暴虐な破壊的攻撃性をますます強めはじめている今日、自己解放をめざすいっさいのプロレタリアート人民の闘争は、政治と軍事を結合した高度の戦略、政治闘争とその継続としての武装闘争を有機的に結合した戦術的指導において卓越した能力を要求されているのである。
 
 カクマル暴力論の反革命的本質
 
 周知のように、かの反革命勢力は、帝国主義の軍事力の強大化に恐怖し、屈服し、帝国主義と一緒になって内乱と蜂起の準備の思想に反対し、「プロレタリアートの組織化」という社民的思想をもって内乱と蜂起の準備に反革命的襲撃を加える「妄動」をくりかえしているが、社会主義の用語で社会主義の勝利の道を妨害するこのような傾向こそ、現代革命のもっとも危険な敵対者である。なぜか。
 第一には、帝国主義の軍事力の強大化を帝国主義の世界史的な危機の産物として把握せず、ただただその相対的な威力性のみを恐怖する敗北主義者の見地であり、帝国主義美化の理論だからである。これでは、現代帝国主義の物質的生産力、人的支配力の強大化にたいし、いったい何を対置しようというのであろうか。かれらは、帝国主義は「危機であるかのように」みえるが、けっしてそうではなく、強大な物質力、支配力、軍事力をもっているのだから、暴力で帝国主義を打倒しようなどという革命派の「妄想」とは縁を切って奴隷頭の道を選ぼう、と主張しているのである。
 第二には、帝国主義の強大な軍事力が、帝国主義の排外主義、反共主義の政治目的への民衆の動員を基礎としていることを無視し、帝国主義の軍事力を抽象的絶対の位置にまで高める敗北主義者の見地であり、帝国主義の絶対化の理論だからである。いいかえるならば、このような意見は、戦争(軍事力発動)の政治目的とその民衆的基礎を捨象したところに戦争や軍事力が抽象的に成立しうると考えている点で、およそ「純粋軍事妄想主義者」なるものと同一の根拠に立脚しているのである。ただ両者の相達するところは、「純粋軍事妄想主義者」が権力の支配を打倒する私観的意図をもって革命武装勢力の純粋な構築をはかって破産していったのにたいし、カウツキー、プレハーノフ、トリアッチ、向坂、宮本、広松の理論的系譜を継承した「かの革命的グループ」は、権力に屈服し蜂起の準備を放棄する目的意識的、組織的意図をもって、「帝国主義の強大な軍事力」のまえには暴力革命、内乱、蜂起の準備が「妄動」であるという帝国主義的宣伝の合唱に加わったことである。
 第三には、暴力革命、内乱、蜂起の準備にかんするマルクス主義、レーニン主義の理論と経験、全人民の武装にかんするマルクス主義、レーニン主義の理論と経験を否定し破壊する立場から「プロレタリアートの組織化」なるものを抽象的に提起する敗北主義者の見地であり、帝国主義の擁護の理論だからである。帝国主義の軍事の強大化なるものの威力に恐怖し、屈服し、そのうえ軍事力の超社会的な絶対化の理論にまで堕落した敗北主義者の連中が、権力の庇護のもとで尊大な態度をもって「プロレタリアートの組織化」をいかに努力しようとも、その結果が、プロレタリアートを革命派から防衛し、権力の侵略政策の奴隷に売り渡す過程以外のなにものでもないことは明白である(せいぜい好意的にみたところで、かれらの主張は、自然成長的な自動武装論である。それは、武装の目的意識的な準備性を否定する点で技術論の無知を示すものであるばかりか、プロレタリアートを自然成長性に固定する役割をはたす点で極度に反動的な本質を有している)。
 第四には、プロレタリアートとブルジョアジーの階級対立が階対的敵対関係としての性格を明示し、政治的、経済的な対立の発展が不可避的にその継続であり総括である軍事的衝突をはらまざるをえない時代のなかで、内乱の戦略的総路線と蜂起の準備の思想に反対し、闘争の武装的発展に反対し、武装勢力の建設に反対する敗北主義者の見地、帝国主義の反革命的先兵の理論だからである。かれらは、帝国主義の強大な軍事力をプロレタリアート人民が打倒していく勝利の理論として全人民の武装の思想を確信し、その具体的準備を計画的・系統的に推進するのではなく、帝国主義が強大な軍事力をもっているから蜂起ではなく組織化が必要だ、と主張し、マルクス主義、レーニン主義の原則に忠実な党と革命勢力を破壊しようと「妄動」しているのである。だが、このような敗北主義者と帝国主義への投降集団の主張がますます説得力を喪失し、破産し、プロレタリアート人民の闘争のまえに打倒されていく過程こそ、七〇年代の必然的性格である。プロレタリアートはまだ武器をとるべきでない、と叫んで、帝国主義と一緒になってプロレタリアートの革命勢力を襲撃したカウツキー、プレハーノフの後継者たちに、もっとも厳しい革命の総括が容赦なく加えられる日は、そう遠くはないのである。
 
 内乱の戦略と蜂起の準備の問題
 
 わが国のプロレタリア階級闘争においては、今日、大衆的政治闘争の内乱的、革命的、武装的発展とゲリラ的、パルチザン的武装闘争の発展の結合、強大な革命的政治勢力の建設と革命的な恒常的武装解放勢力の建設の結合という問題が、革命的労働者党の建設とその指導の強化を基礎として新しい発展をとげようとしている。内乱と蜂起の準備、労働者人民の総武装の思想に反対し、党と革命勢力を破壊することを唯一の組織的任務とした反革命カクマルとの内乱的な対峙。アジア侵略とそのための国内平和体制の構築にむかって全面的、破壊的、反人民的な攻撃をつよめ、革命的左翼の解体と屈服をなしとげようとたくらむ日本帝国主義の暴虐な弾圧との内乱的な対峙、――日本プロレタリアート人民とその革命的前衛は、六七年十・八羽田以来の階級闘争の戦略的な勝利の到達点として、この内乱的対峙の情勢を積極的に評価し、まさにここを跳躍台として内乱と蜂起の準備にむかってあらたな戦略的大前進運動をおしすすめようとしているのである。
(1) 反帝国主義・反スターリン主義の世界革命の雄大な目的と日本労働者人民の正義の要求を結びつけ、日本帝国主義の根底的否定=プロレタリア独裁国家樹立をテコとしたプロレタリアート人民の共産主義的、全人間的解放の旗を高々と掲げ、その観点から支配と搾取、抑圧と差別にたいするいっさいの闘争を前進させること。
(2) 七〇年代革命の戦略的総路線「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ!」の勝利にむかって日本プロレタリアート人民の大動員をかちとること。
(3) プロレタリア暴力革命の思想、全人民の武装の思想を徹底的に宣伝し、大衆闘争の貫徹にかかわる武装自衛と、革命的な恒常的武装勢力の建設のたたかいを内乱と蜂起を準備する立場から指導すること。
(4) 政治の優位のもとに政治と軍事を高度に統一した指導原則をもって政治闘争と武装闘争を結合し、情勢の正しい認識にふまえて戦略的前進に有利な闘争の形式、有利な闘争の時点を主導的に敵に強制し、「沖縄、入管、狭山――諸闘争の激発」を基軸とした当面する闘争の推進をとおして、圧倒的に劣勢な革命勢力が、圧倒的に優勢な帝国主義勢力に抵抗し、対峙し、それを完全に打倒していく合法則的な指導原則を確立すること。
(5) 権力と反革命にたいする内乱的対峙を確固として維持し、それを徹底的に利用して、革命的労働者党の建設とその指導の強化をかちとり、党の指導のもとに党・強大な政治勢力・強力な武装勢力を三要素とする革命勢力の建設のたたかいを推進し、日本プロレタリアート人民の巨大な戦闘的部分を党のまわりにかたく結集すること。
 以上の五点が、当面する戦略的大前進運動の原則上の問題点であるといえよう。日帝の反人民的な沖縄政策と、それにもとづく自衛隊沖縄派兵、中国領釣魚台略奪、入管二法上程と入管体制の強化の攻撃を政治基軸とする、日本プロレタリアート人民の正義の陣営と日本帝国主義・反革命的投降者の不正義の陣営との内乱的対峙を確固として維持し、そのなかで右の原則を実践的に貫徹していくことは、当面する闘争における重大な任務であるばかりでなく、本格的な内乱期における政治と軍事の過酷な展開を今日的に訓練するものとなるであろう。
 それゆえ、われわれが、内乱期におけるプロレタリア階級闘争の政治と軍事にかんする合法則的な指導原則を確立することは、当面する前進の重大な任務のひとつをなしているのである。そのためには、われわれは、その決定的な基礎作業として戦争とその指導にかんする普遍的な指導原則を研究し、それを階級闘争とその発展としての内乱という条件と結合して特殊な指導原則にまでたかめ、具体的な階級情勢にたいし、いきいきと適用していかなくてはならないのである。いいかえるならば、戦争とその指導にかんする合法則的な一般理論と、階級闘争における武装闘争とその指導にかんする合法則的な一般理論とを普遍と特殊の関係において把握し、総合していくことが必要なのである。
 それゆえまた、われわれは、一方では、戦争から戦争を学ぶ、闘争から闘争を学ぶ、という実践的見地に立って、国際階級闘争における革命的武装闘争の経験の全面的な総括、日本階級闘争における萌芽的な革命的武装闘争の経験の全面的な総括をすすめること、他方では、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの戦争論、武装闘争論はもとより、孫子、クラウゼヴィッツの古典的な戦争論、帝国主義の戦略思想、毛沢東、グエン・ザップなどの現代のいわゆる「人民戦争」論を徹底的に研究することをとおして、プロレタリア革命の軍事綱領の確立、暴力革命・内乱と蜂起・革命戦争にかんする党の指導原則の確立のために前進していかなくてはならないのである。
 今回、筆者がクラウゼヴィッツ『戦争論』にかんする試案的ノートを発表し、革命と内乱の時代を生きる戦士諸君の研究活動、実践活動の参考に供することにしたのも、このような目的の達成にいくらかでも役にたてはと考えたからである。日共、向坂協会派、カクマルのような蜂起反対派は論外としても、プロレタリアート人民の政治的動員と切断した地点で観念的に蜂起や戦争を設定し、武装闘争をアジネタにすりかえる恒常的平和闘争主義の見解や、戦争を論じて指導を論ぜず、軍隊を論じて指揮系統を論ぜず、軍隊と党の指導を個人的分散性に解体する奇妙な小ブル無政府主義の見解が、人民戦争論やパルチザン戦争論の名にかくれてジャーナリズムに流布されている当今、われわれは、政治と戦争の理論の構築の作業を、すくなくともクラウゼヴィッツの高さにおいて出発しなおすことが必要であろう。
 
 T 戦争における政治の優位性について
 
 戦争は、政治の継続であり、しかも政治とは異なった手段をもってする政治の継続である。換言すれば、戦争は、国家間の重大な利害の対立と、それを基礎とした政治的、外交的な関係が、軍事的な衝突に発展したものである。
 戦争の特質は、物理的な強力を行使してわが方の意志を相手に強要しようとするところにある。すなわち、戦争の端的な目的は、武力による決定、つまり相手を完全に打倒して、以後の抵抗をまったく不可能にすることである。このような強力行為は、戦闘力の創設、訓育、保持に努力し、科学的、技術的な装備を強化し、もって相手の強力行使に対抗しようとするものである。もちろん、この強力行為は、国際法的な慣習と称せられる幾多の制限をともなう。しかし これらの制限は、いずれも微力であって、ほとんどいうに足りないものであるから、強力行為に本来的にそなわっている強制力を本質的に弱めるにいたらないのである。それだから、戦争においては、物理的な強力行為は手段であり、相手にわが方の意志を強要することが目的である。戦争理論において前者の内容を具体的に規定するものが戦争の軍事目標であり、後者の内容を具体的に規定するものが戦争の政治目的である。この双方の関連によって、軍事的行動のいっさいの方向、使用さるべき手段の範囲、戦争を遂行する気力の程度が規定されるのである。
 したがって、戦争は、人間の気まぐれから発するものでも、人間の敵対感情から生ずるものでもなく、まさに政府の敵対的意図の所産なのである。もとより戦争は、流血をもって彼我の意志の対立を決済しようとする強力行為であり、何ものも征服せねばやまない激烈な性格を有するものである。しかし、戦争にふくまれる粗野な要素を嫌悪するあまり、戦争そのものの政治的本性を無視するのは、無益な、それどころか本末を誤った考えである。
 戦争は、文明諸国内および、これら諸国家間の状態と、その種々の事情とから発生するのであるが、しかしまた、このような社会状態によって制約され、限定され、また緩和されもするのである。つまり、戦争の本性は激烈さにあり、他方、人間の日常性は物に臆するところにあるのであるから、戦争は自然におこったり、自然に激烈になったりするものではないのである。人間のあいだの闘争は、本来、敵対感情と敵対的意図という二つの相異なる要素から成りたっているのである。戦争において主要な役割をはたすのは敵対的意図の方としなければならないのである。そして、この敵対的意図を支配し決定するものは、いうまでもなく、国家の利害であり、政府の政治的目的なのである。未開民族にあっては、情意と結びついた意図が有力であり、これに反して文明国民にあっては、冷静な打算と結びついた意図が支配的であるが、このような相違は、粗野と文明との本質そのものにあるのでなくて、これらの社会状態それぞれにともなうところの種々な事情などによるのである。
 しかし、文明国民のあいだの戦争を、それぞれの政府がたんに打算づくで営む行為であるとし、激情とはまったく無関係なものと思っているとするならば、その誤りは明白である。むしろ、フランス革命戦争以後、幾多の戦争が従来の考え方の非をあらためたときから、戦争理論は激烈な衝突の方向をたどりはじめたのである。戦争が一種の強力行為であるとすれば、戦争はまた必然的に情意と結びつかざるをえないのである。なるほど戦争は情意から発生するものではないにせよ、しかし多かれ少なかれ情意にもとづいているのである。そして情意の「多」と「少」は、文明の程度によってきまるのではなく、交戦国間の敵対的利害関係の重大さとその持続の長短(という政治的関係)に依存するのである。
 さて、戦争の目的をなす敵意の屈服を達成するためには、何をなさなくてはならないのであろうか。その答は、すでにのべたように、相手を完全に打倒し、およそ以後の抵抗を不可能にすることである。換言するならば、敵の防御を完全に無力ならしめることである。このことこそ、いっさいの軍事的行動の目標なのである。ここでは、この軍事的目標がさしあたり戦争の政治的目的にかわり、政治的目的をいわば戦争行為に属しないものとして一応無視するようになるのである。
 すなわち、敵国の防御を完全に無力ならしめるためには、第一には、敵戦闘力をせん滅し、敵戦闘力をもはや戦争を継続しえないほどの状態に追いこまねばならない。第二には、敵の国土を攻略しなければならない。なぜならば、国土はあらたな敵戦闘力の供給源となることがありうるからである。第三には、敵の意志を屈服させなくてはならない。なぜならば、敵の政府とその同盟諸国とが講和条約に調印するか、さもなければ敵国民を屈服させないかぎり、敵側における諸力の緊張と作用とは依然として存続するから、戦争はまだ終結したとみなされえないのである。たとえ、わが方が敵国土を完全に占領しても、闘争は敵国の奥地において、あるいはまた、同盟諸国の援助によってあらたに勃発することがありうるからである。つまるところ、戦争は敵戦闘力をせん滅し敵の防御を無力ならしめることによって本質的に終結するのである。
 もとより戦争における決着は、一般的原因によって決定されうるものではない、といえるであろう。その場にいあわせた人でなければ知らないような特殊な原因や、口に出されなかったような数多くの精神的原因はもとより、歴史には逸話としてだけ伝えられているようなきわめて微かな心の動きや偶発的事件すら、しばしば決定を与えるのである。このような場合に戦争理論としては、交戦両国におけるとくに重要な事情に注目することが肝要である。そうするならば、このような主要な事情から一個の重心、すなわち力と運動の中心が生じ、いっさいはこのような重心によって決定されていることが洞察されるであろう。だからこそ攻撃者は全力をかかげて敵のこのような重心に総攻撃を加えなくてはならないのである。
 したがって、戦争は、絶対的形態において把握するならば、究極の目標を敵の完全な打倒におかなくてはならないのであり、それゆえ彼我双方の極限的な力の無制限の衝突とならざるをえないのである。すなわち第一には、戦争は自己の意志をいわば掟として相手に強要するものであるため、彼我のあいだに相互作用が生じ、強力行為には限界がなくなるのであり、理論的にいえば、極度に達せざるをえないのである。第二には、敵を完全に打倒しないかぎり、敵がわが方を完全に打倒することを恐れねばならないのである。そうなればわが方はもはや自主的に振舞うことができなくなれ、敵はかれの意志をいわば掟としてわが方に強要することになるのである。第三には、わが方の力の使用を敵の抵抗力と見合せなくてはならず、敵もまた同じことをするので、双方の力の使用はふたたび極度に達せざるをえなくなるのである。いわば、戦争のいっさいの手段は流血をもって決済する戦闘に集約されなくてはならないのであり、彼我の極度の力の無制限な衝突にむかって高められるのである。戦争の本領は、なにものも征服してやまぬ激烈な性格にあるのである。
 しかし、戦争は、現実的形態において把握するならば、極度の力の無制限な使用という完全な姿で具現するものではないのである。実際、抽象的領域では、双方の力は何ものにも抑制されることなく自由に発揮されて、それじしんの内的法則以外のいかなる法則にも従うことを肯定しないのである。ところが、ひとたび抽象の世界を出て現実界に入ると、事情は大きく変化する。それゆえ、われわれが実際に設定しなければならない戦争目標や、また実際に使用せねばならない手段を規定する絶対的な支点を、戦争の純粋な概念だけから直接にみちびこうとするならば、極度の力の使用にかんする三つの相互作用は観念の遊びにすぎなくなるのである。
 では、絶対的戦争を現実の戦争として手直しさせるものは何であろうか。もとより敵意という、戦争を根底的に規定している純粋な原理が、この原理の担い手であるところの人間と、この原理にもとづいて現実に戦争を生ぜしめたところのいっさいの情況とに適用されると、戦争といういわば複雑な機械に内在する理由のために、原理の完全な具現が妨げられ、またその力が緩和されざるをえないというのは事実である。しかし、それだけでは、戦争の原理と現実の戦争との相違の原因を説明しうるものではない。本当の答は何か。それは、要約していえば、戦争が国家生活において接触する数多くの事実、種々な力や関係などのうちに求められるのである。
 すなわち、第一には、戦争は孤立した行動ではなく、彼我双方の現実の意志にもとづいておこなわれることである。いわば意志は、今日あるところにおいて、明日あるべきところのものをすでに表示する構造を有しているのであるから、彼我双方はいずれも、相手の現在の状態と行動とからすでに相手の動静の大半を判断できるのである。ところが、人間の身心の機構はもともと不完全で、とうてい絶対的最善の域に達することはできないので、双方に同じ欠陥が生ずるのである。これらの欠陥が絶対的なものを緩和するのである。
 第二には、戦争は継続のないただ一回の決戦からなるのではなく、継続的な数次の決戦からなるという「確からしさ」を有していることである。もともと戦争に使用されうる力がすべて同時にはたらきだすとするならば、戦争はただ一回の決戦もしくは同時におこなわれる数個の決戦によって決定されざるをえないであろう。しかし現実には、戦争に使用される諸力、つまり、(1)本来の戦闘力、(2)面積と人口を有する国土、(3)同盟諸国は、同時にはたらきだすのではない、という本性をもっており、戦争諸力を完全に結集するためには、時間を必要とするのである。そのため、たとえ第一回の決戦が強力におこなわれ、彼我双方のあいだの力の均衡がいちじるしく損われた場合でも、この失われた均衡は回復せられうるのである。もちろん、このような戦争諸力の動員の非同時性は、かならずしも第一回の決戦に、各自の力を極度に使用する傾向を緩和する真の理由にならないのであるが、しかし、決戦が一回かぎりでなく、第二回の決戦が可能であるとなると、人間の精神は、第一回の決戦に全力を傾注する危険をおもんばかるのである。
 第三には、戦争とそれから生じる結果とは、いずれも絶対的なものではなく、その政治的な波及のあり方によって異なった意味をもってくることである。ある戦争を通じておこなわれる数次の決戦の総括すら、かならずしも絶対的決戦とみなされない場合(一方では決戦であっても、他方では戦略的後退の過程としての意義をもつ場合)があるのである。また、戦敗した国が、不利な決戦をしばしば一時的な禍いにすぎないとして、その救済策を戦後の時代の政治事情に求める場合(戦後への期待=より決定的な決戦にむかって政治的、軍事的な動員体制をつくりなおす機会をえようと考える場合)もあるのである。後者の場合のように戦争から生ずる結果を顧慮することも、彼我双方のあいだの極度の緊張と力の極度の作用とをいちじるしく緩和することはいうまでもないところである。
 総じていうと、絶対的戦争における極度の力の衝突という鉄則を統制し、彼我双方がいずれも相手がたの性格、施設、現状および諸般の関係にもとづき、「確からしさの法則」に従って相手の行動を措定し、これを規準としてわが方の行動を決定する、という戦争指導をもたらすものは、戦争の政治的目的なのである。
 かくして、戦争の本来の動因としての政治的目的は、戦争を手段として達成すべき目標を設定するための尺度であるばかりでなく、戦争そのものにおける力の出し具合を規定するための尺度となるのである。政治的目的の性格によって戦争が激しくなるか、あるいは縮小緩和されていくのか、が決定されるのである。およそ戦争にさいして民衆の心を動かすものは、この政治的目的である。それだから、政治的尺度を戦争の尺度として認めるということは、政治的目的がもっぱら大衆におよぼす影響が戦争にかかわる場合を問題にしていることを意味しているのである。民衆の内部に軍事的行動を強化する原理を見出しうるかどうかによって政治的目的のおよぼす結果もいちじるしく変化するのである。
 他方、政治指導者は、政治の道具として戦争を使役するのである。もとより、戦争の本性は激烈さにあり、人間の性格や社会の利害関係と容易に一致するものではないのである。人間性や社会関係と戦争とのあいだの矛盾は、人間の本性に根ざしたものであるが、しかし同時に、この矛盾する二つの要素は、部分的にはたがいに相殺しあいながらも、実際生活においてはまた結びつき一体となっているのである。それゆえ、政治指導者は、戦争は政治的交渉の一部分であり、それだけで独立で存在するものではない、という考えにもとづいて、両者の矛盾を解決するのである。いわば政治は、何ものも征服してやまぬ激烈な性格を骨抜きにして、戦争をたんなる道具にしてしまうのである。こうして戦争は政治に内属することになり、政治の性格を帯びるようになるのである。
 したがって、政治が雄大になり強力になるにつれて、戦争はこれに準じて激烈になっていくのである。そして政治と戦争の関係が極度に達すると、戦争はついにその絶対的形態を得るにいたるのである。事実、ナポレオンこのかた、戦争はまずフランスの側において、ついでフランスに対抗する同盟軍の側で、戦争の本性、すなわち戦争の絶対的形態にいちじるしく近づいたのである。戦争の本分は、いっさいの因襲的制限をかなぐりすて、戦争の本来の激烈な力を仮借なく発揮するようになったのである。その原因は、諸国民がいずれも戦争という国家の大事に関与したところにあるのである。しかし政治指導者の政治的目的が消極的になったり、動揺したり、また、民衆を戦争目的にむかって政治的に動員することが困難になるにつれて、戦争は緩和し、やがて静止していくこととなるのである。
 要約するならば、戦争の本質は政治の継続であり、他の手段をもってする政治の継続である。その特質は、わが方の戦闘力を維持・強化し、敵戦闘力のせん滅によって敵の防御(抵抗力)を無力ならしめ、もって敵の意志の屈服=わが方の意志の強要を達成する激烈な強力行為である。敵の完全な打倒という戦争の絶対的形態にむかって現実の戦争を近づけるのも、また遠ざけるのも、政治的目的の大小なのである。戦争によって(目的)、また戦争において(手段)何を達成しようとするのか、という二通りの問いを主要な思想にして、軍事的行動のいっさいの方向、使用さるべき手段の範囲、戦争を遂行する気力を規定するのが戦争計画である。絶対的な戦争目標(敵の完全な打倒)をめざすのか、それとも、制限された戦争目標(敵国土を部分的に攻略すること、あるいは自国領土の保有に努めて他日の好機を待つこと)に満足するのか、という問題、制限された戦争目標の場合、攻撃的戦争の戦略(不利な戦争形式)をとるか、それとも、防御的戦争の戦略(有利な戦争形式)をとるか、という問題は、兵力の大小というよりも、政治的意図が積極的であるかどうか、によって決定されるのである。
 それゆえ、戦争はつねに政治の尺度をもって測られねばならず、戦争指導は大綱においては政治そのものなのである。政治は戦争においてペンに代えるに剣をもってするが、しかしそれだからといって、政治じしんの法則にしたがって考えることを廃するものではないのである。政治は知性であり、戦争はその道具である。
 
 U 戦争指導における人間精神の役割
 
 従来の戦争の理論では、戦争指導における天才的指導者の役割や、精神的な要素を無視してきたが、戦争理論は、人間的なものを顧慮しなくてはならない。したがって、勇気、大胆、それどころかときには猪突猛進というようなものすら、その役割を与えることが必要なのである。戦争術は、溌刺(はつらつ)とした生命力と精神力とが、水をえた魚のように旺盛でなければならないのである。もともと戦争の目的は、敵の意志を屈服させ、わが方の意志を掟として強要するところにある。戦争の特性がわが方の戦闘力を維持し、敵の戦闘力をせん滅することにあるように、戦争は、彼我相方の人間精神力の闘争なのである。わが方の意志を高め、敵の意志の弱点をたくみにつけこむことが肝要である。換言するならば、戦争の要諦は人間の弱点を予想し、これを正しく見通し、そこに徹底して乗ずることにあるのである。
 戦争という現象を全般的に考察すると、戦争にふくまれている三通りの主要な傾向に応じて、三つの精神的な過程が存在することがわかるであろう。すなわち、第一には、戦争の本領が原始的な強力行為であるため、ほとんど自然的本能ともいえるほどの憎悪と敵意とをともなうことである。第二には、戦争が確からしさと偶然とのもつれあうバクチ的な性格をもつため、軍事指導者の自由な精神活動が決定的な意義をもつことである。第三には、戦争が政治の道具という従属的性格を有しているため、もっぱら打算をこととする知力の仕事という役割が重要となることである。
 このような三重性のうち、第一の面は主として国民に帰し、第二の面はかねがね軍事指導者とその軍に帰し、第三の面はもっぱら政府に帰するのである。戦争において燃えあがる激情は、戦争に先だってすでに国民の心に内在していなければならない。また偶然にともなう確からしさの領域では、勇気と才能とによる自由な精神活動の占める範囲の大小は、最高軍事指導者とその軍の特性に依存している。しかし、政治的目的を定立するのは、もっぱら政府の任務でなくてはならない。われわれは、三者の関与する割合を具体的に洞察し、その均衡を正しく策定しなくてはならないのである。
 戦争指導のもっとも重要な仕事は、政治的観点から戦争計画を立案することである。戦争を指導する最高の立場、すなわち、主要な軍事方針がすべてそこから発するところの立場は政治的観点なのだということをはっきりさせ、そこから戦争計画がたてられたとき、はじめて戦争計画は渾然として欠け目のないものになることができるのである。このような政治優先の立場にたつならば、政治的利害関係と軍事的利害関係とが対立するようなことは、すくなくとも論理的にはありえないことになるのである。もしそのような対立が生ずるとするならば、それは政治と戦争との関係についての洞察が不完全なためであるといってよいであろう。したがって、政治は、戦争にたいしてそれがはたしえないような任務を要求すべきではないし、また、政治は、自分の使用する道具がいかなるものであるかをよく知っていることが大切である。このような政治と戦争との正しい任務分担の確認こそ、政治と戦争の関係において絶対的に欠くことができない、もっとも自然な前提なのである。
 ところで、戦争計画を立案し遂行するうえで、まず第一に確認すべきことは、武力による決定、そのための敵戦闘力のせん滅という戦争の本性から論理的に抽象しうる絶対的戦争をしっかりと把握し、その原則にふまえることである。すなわち、戦争の絶対的形態を高く掲げて何ごとにつけてもこれを判断の基準とすることが、戦争理論の本来の任務なのである。戦争理論をつねに念頭におき、戦争におけるいっさいの期待と懸念とを計測する尺度を理論に求め、何をなしうるか、何をなさねばならないかという問題にかんして、理論に教えを乞うのである。換言するならば、見通しえないほど多数の対象や関係のなかから、もっとも重要なものやもっとも決定的なものを、十分に習練された判断力によって見つけだすことである。第二に確認すべきことは、絶対的戦争のなかに入りまじりまた、これに付着しているいっさいの異質な要素、具体的にいうならば、戦争を構成しているおびただしい部分がそれぞれに見えている固有な比重や、これらの部分のあいだに生じる摩擦、人間精神に持前の自己撞着、不明朗、あるいは臆病をすらも一般的に否定することなく、それぞれの役割をしっかりと見きわめていくことである。
 戦争指導は、第一には、戦争の絶対的形態にかんする考え方を根本的思想とし、いっさいの思想と行動との根底におき、第二には、戦争の現実的形態にかんする考え方を、そのときどきの情況に応じて適切と認められるような手直しとして使用しなくてはならないのである。第三に確認すべきことは、戦争計画は、簡単明瞭で、可能なる形式のものでなくてはならない、ということである。なぜならば、大計画を実行し、複雑な発展を完成するには時間がかかるが、しかるに大胆で果敢な敵は、速く計った巧みな策にたいし時間を借さないからである。打撃する場合には、あまり遠くへ腕をあげてはならない。さもないと敵の方が先に突撃を与えるであろう。われわれは、複雑な計画によって敵から利益を得ようとせず、もっとも簡明な、そしてもっとも短い攻撃によって先制の利を占めようと努力しなくてはならないのである。
 もちろん、政治的目的に立脚して戦争を準備し、その戦争をとおして獲得すべき軍事的目標を過不足なく設定するのはじつに難しいものである。ナポレオンが「戦争のためにどれだけの手段を整えておくかという軍事的設問は、ニュートンのような碩学でもへき易する代数問題である」と批評しているほどである。この困難な課題にたちむかい、戦争指導の知性としての役割をになうのが、国家の最高の政治指導者である。広大、卓抜な知力と、目的を貫徹する強固な性格――これが、それらの指導者の具有しなければならない主要な特性である。軍事問題にかんする洞察は、以上の特性をそなえていれば、種々の方法で補うことができる。フランス革命以後二〇年にわたってフランスがヨーロッパ戦争において勝利をおさめてきたのは、革命に反対した諸国の政府によっておこなわれた誤った政治の結果なのである。フランス革命が諸外国に甚大な影響を与えたのは、戦争指導において新しい手段や見解がとられたというよりは、むしろ、政治、行政、政府の性格、国民の状態の根本的な変化にもとづいているのである。諸国の政府が、このような事態を正しく観測しえず、旧来の戦争手段をもってあらたに台頭したこの圧倒的な勢力に対抗しようとしたのであるから、敗北したのは当然であった。誤った戦争指導は、誤った政治的目的にもとづいているのである。
 すでにのべたように、政治的目的は、戦争の本来の動因であり、戦争の目標を設定しその手段を規定する尺度なのであるが、それは、およそ戦争にさいして民衆の心を動かしうるものが政治的目的であることを根拠としているのである。それゆえここでは、政治的目的が大衆におよぼす影響、したがってまた、民衆の歴史的、社会的性格が考察の対象となるのである。まさに、軍事行動を強化し、もしくは弱化させる原理が、民衆のうちに見出されるか否かによって、政治的目的による結果もまた、いちじるしく異なってくるのである。戦争が中途半端になるのは、戦争の政治的目的が動揺するからであり、戦争が激烈になるのは、戦争の政治的目的が強大化し、堅固となるからである。戦争が政府と軍隊の専従的な事業であることをやめ、全国民のかかわる事業になったとき、戦争は絶対的形態に近づくのである。全国民の勢力のうえに基礎をおいた軍隊、武装した全国民の体力と精神力をことごとく動員する国民戦争においてのみ、絶対的戦争への高揚は可能となるのである。それゆえ、自国の世論の安全をはかることと、敵国の世論を弱め、その屈服をかちとることは、同一の闘争の二つの側面である。
 ところで、何ものも征服してやまない激烈な戦争においてその直接の指導的中核をなすのは、いうまでもなく、軍事指導者である。それは政治的目的に規定されてはいるが、戦争という手段の本性そのものをとおして政治的目的を貫徹するのである。すなわち、最高の軍事指導者には、戦局全体をやすやすと通観しうる識見、簡明卒直な指導理念、軍事的行動に熟達しているという自覚などが要求されるのであるが、このような能力を保障するのは、戦争指導のみちびきの糸としての戦争理論である。つまり、戦争理論は、戦争にかんする原則、規則をもって指導者の精神を訓練し、戦争におけるおびただしい事象、これらの事象相互の関係を見通させ、そのうえでふたたび、その精神を行動の領域におくりだすのである。しかしこの場合には、行動の領域は、内容的には以前よりも一段と高度となっているのである。このとき、精神は、こうして獲得した力の大小に応じて、このような精神的諸力を糾合し、真実なもの、正しいものを一個の明白な思想として感得するのである。すると、この思想は、それがあらゆる精神的諸力の与える総体的印象から生じたものであるにもかかわらず、思考の所産というよりも感情の所産であるかのようにみえるのである。
 軍事指導者にとってもっとも注意しなければならない点は、たえざる不測の事態の発生にたいして、戦争の目標、戦争の原則を確固として維持し、いたずらに情況から生ずる諸困難によって当初の確信を動揺させないことである。たとえば、危険と心労にみちた光景を眺めると、感情はややもすれば知性の確信を圧倒しがちなものである。また、戦争ほど各人の意見がいちじるしく相違するものはないのである。こうして、軍事指導者じしんの確信を動揺させる印象の流れは、とうとうとしてとどまることを知らないのである。このような場面にあうと、知性のはたらきがどんなに鈍重な人間でも、この流れに抗しうるものではないのである。さまざまな印象はいずれも強烈、鮮明にすぎ、しかも、これらの印象は、いっせいに指導者の情意に向けられるからである。いわば、原則と具体的な場合とのあいだに深刻な対立が生じるのである。もともと戦争では情報や予測は不確実であり、偶然が不断に介入するものである以上、軍事指導者は、不測の事態にたいし、勇気・知力・果断・沈着の能力をはたらかして、不分明の事態のなかに一条の光を見出し、それに頼って行動するところがなくてはならない。戦況が良好のときよりも困難なときに、指導者の大いなる意志力が必要となるのである。こうした場合、われわれは、十分に吟味された原則こそすぐれた真実であるという見解を堅く堅く信じて、刻々に去来する印象がいかに強烈であっても、そのようなものの真実は原則の真実に比較すれば物の数でないことを忘れてはならないのである。疑わしい場合にはつねに最初の確信を優先させるという原則によって、換言するならば、当初の確信を堅持することによって、軍事指導者の行動は終始一貫したものとなるのである。
 戦争指導における人間精神の役割として同様に考慮しておかねばならない点は、戦争には種々の摩擦が生ずることである。もともと戦争においては、いっさい、ことがいたって単純である。しかし、このもっとも単純なものがじつに多くの困難をはらんでいるのである。そして、これらの困難が積み重なると、摩擦が生ずるのである。たとえば、戦場における危険、肉体的困苦の累積、情報の混乱などの摩擦が、戦争指導の基本目標を動揺させるのである。まさに摩擦は、現実上の戦争と卓上の戦争とを、かなり一般に区別するところの唯一の概念なのである。しかし、この摩擦は、戦争を親しく体験したことのない人には、それがどのようなものであるかをとうてい思いみることができないものなのである。もとより軍事指導者が摩擦の性格を知るのは、このような摩擦をできるだけ除去しようとするためであって、摩擦に精確を期待するためではないのである。いったい精確な摩擦などというものは、摩擦の本性からいってありえないことなのである。だから、戦争指導における摩擦を少なくし、軍事指導者の心的世界の内部に生ずる動揺を克服しうるためには、原則をはっきり確信するとともに、軍総体が戦争そのものに慣熟することが大切なのである。忍耐・精力・勇敢という三つの精神的な力こそ、軍事指導者とその軍のもっとも大切な要素である。
 最後に、戦争指導における人間精神の役割として重視しなければならない点は、武徳、すなわち軍の軍事的徳質である。すなわち、軍は、戦争という事業に規定されて、戦争を遂行するためには一種独特の共同体としての性格を帯びなければならないのである。そのために、軍およびその成員としての戦士たちの精神を軍共同体の秩序、規律および慣習と緊密な連係をもたせるように努力するのである。軍の軍事的徳質は、この共同体と結びつくとき強固なものとなるのである。
 軍事的徳質が個々の部隊にたいする関係は、最高の軍事指導者の天才的な理念が全軍にたいする関係に似ているのである。最高の軍事指導者が本来指揮するのは全軍であって、個々の部隊ではないのである。そこで最高指導者が個々の部隊の指揮にあたらないとすれば、これにかわって、軍人精神=戦士としての自覚が、これらの部隊を指揮しなくてはならないのである。もともと最高指導者は、その傑出した特性を称える名声によって最高司令官に選ばれるし、また、大部隊を指揮する上級の軍幹部は、各種の試練をとおして選出されるのである。しかし、このような選出過程は、幹部の地位が低くなるにつれてしだいに緩やかになり、また、それにつれて幹部の個人的資質によせる期待も減じるわけである。その場合に、このような個人的資質の欠け目を補うものが、軍の軍事的徳質なのである。また、国民が侵略者にたいし武装蜂起した場合に、これと同じ役割をはたすものは、国民にそなわっている自然的社会的特性、すなわち、勇敢・機敏・堅固および情熱である。これらの特性は、正規軍における軍人精神にとってかわりうるものであるし、また、軍における軍人精神の教育的組織化によって国民的特性の弱点を補うことができるのである。
 まさに、軍の強靭な戦闘精神は、不断の戦闘的活動と、困苦にみちた試練のくりかえし、という土壌のうえに芽ばえ、生成するのである。しかし、そこには勝利という日光がなければならないのである。軍紀を生みだすのも、その崩壊をもたらすのも、試練にたえた戦闘精神の有無である。たとえば、一方に歴戦の傷痍を満身にとどめながらも、鋼鉄さながらに鍛練された軍隊を結束するところの戦闘的な連帯精神があり、他方に勤務令と操典という、いわば膠(にかわ)によって接ぎ合わされたような常備軍の空しい自信と虚栄心があるとすれば、両者の優劣は一目瞭然であって、とうてい比較にならないであろう。ある程度の厳正な軍紀と厳格な服務規定とは、軍の軍事的徳質をかなり長期にわたって維持するのに必要であるが、しかし、この軍事的徳質そのものを生みだすものではないのである。だから、勤務令のたぐいは、なんらかの価値をもつにせよ、過大評価すべきではないのである。
 秩序、練達、順良な意志、ある種の自負や立派な気風は、平時に教育された軍の特性である。われわれは、これらの特性を尊重せねばならないが、しかしそれらは、いずれもそれだけで意義をもつものではないのである。軍が何ひとつ欠け目がなく、円満に保持されているあいだは平穏無事であるが、いったん破綻が生じると、あたかも急に冷却されたガラス器のように全体が微塵に砕けるのである。世にもすぐれた気風をそなえた軍が、緒戦に敗れるとたちまち臆病となり、一種の恐怖症にかかって、フランス人のいわゆるSauve qui peut(さあ逃げろ!)ということになりかねないのである。このような臆病風を防止するものこそ勇敢さであり、堅忍さなのである。ただ長い戦争経験だけが、殺到する個々の印象の価値をたちどころに判断し、態勢を立て直す練達を保障するのである。堅忍さとは、いったん決意したことを堅く守りぬき、翻意をうながす決定的な理由があらわれないかぎり、これらの印象に対抗するために必要な美徳なのである。じつに勇敢、堅忍こそ、実戦をとおして獲得される軍事的な徳質である。まさにナポレオンがいうように、戦争における成功の四分の三は、精神的要素によって決し、物質的状況いかんで決するのは、ただその四分の一にすぎないのである。
 
 U 戦争の理論――敵戦闘力のせん滅について
 
 すでにみたように、戦争は、他の手段をもってする政治の継続であり、相手にわが方の意志を強制する一種の強力行為である。この目的を達成するためには、まず敵の防御を完全に無力ならしめねばならない。敵の防御の無力化が抽象的戦争の目的であり、また諸他いっさいの特殊目的を併用するところの政治的目的のための究極の手段である。しかし、このようなことは、現実の世界では完全におこなわれるわけではないし、また講和を締結するという戦争のさしあたっての政治的目的にとって不可欠な条件でもないのである。そこで多くの場合、各種の軍事的行動を組合せて敵の意志を屈服させ、和を講ぜざるをえないようにさせるのである。しかし結局のところ、流血の戦闘によってわが方の戦闘力に対峙する敵戦闘力をせん滅することが、戦争における唯一の有効な手段である。敵戦闘力のせん滅は、いっさいの軍事的行動の基礎であり、また軍事的行動のいっさいの組合せの究極の支点なのである。
 戦争における目的と手段の関連を整理するとつぎのようになるであろう。すなわち、第一に、戦争には目標に到着する道、したがってまた政治的目的を達成する道は数多くあること、第二に、それにもかかわらず、戦闘こそ目的を達成するための唯一の手段であること、第三に、そのためにはいっさいが最高の法則、すなわち武力による決定という法則に従わねばならないこと、第四に、実際に敵が武力による決定に訴える場合には、わが方としてもこれを拒否しえないこと、第五に、わが方が決戦と別の方法をとるのは、敵もまた決戦を求めないか、あるいは敵が決戦に訴えたところで結局、この最高法廷において敗れるにちがいないことを確信している場合にかぎられることである。結論的にいうならば、敵戦闘力のせん滅こそ戦争において追求されうるいっさいの目的のうちでもっとも卓越した目的とみなされうる、ということである。戦争は国家の重大な利害関係の衝突であり、この衝突は流血によって解決されなくてはならないのであるが、戦争が諸他の利害関係と趣を異にする理由は、まさにこの点にある。
 ところで、従来の戦争の理論は、軍事的天才の主体的努力のはたす領域や、精神的な量の問題を無視してきたのであった。しかし、本当の戦争理論は、戦争指導において必要な知識が行動の能力に転化しうるものでなくてはならないのである。もちろんそれは、戦争の理論が、戦争にかんする一般的な認識の法則を示すものではなくして、戦争理論における原則や規則が、軍事指導者の精神活動に内在する運動の要綱を規定するものでなくてはならないことを意味しているのである。理論の効用は、指導者の精神を訓練し、戦争の内的な諸関係を徹見させ、そのうえでふたたび精神を行動の領域におくりだすことにあるのである。戦争にかんする原則や規則は、戦争指導の理論を基礎づける諸概念である。
 いわゆる方法は、このような原則や規則の適用を容易にするためのものである。しかし、方法はあくまでその分を守り、けっして軍事的行動を絶対的、必要的に組織するもの(体系)をもってみずから任じてはならないのである。要するに、方法は、任務を遂行するための近道として個別的な決定にかわるものであり、また若干の可能な手続きのなかから選択されうる一般的な仕方のうちの最良の形式にすぎないのである。だから、軍事的行動において方法主義がどの程度まで適用されうるかということは、もともと指揮官の地位によって決定される問題ではなくて、方法を適用する対象によってきまる事柄なのである。ただ最高の地位にあっては軍事指導者の行動の対象がきわめて広範にわたるので、方法はこのような地位にはあまり関係がないのである。それゆえ、方法主義を絶対化することは危険である。フランス革命が戦争指導において独特の性格をもったのは、方法主義を大胆に破ったからであり、他方、同盟諸国の軍事指導者は、方法主義に禍いされ、とりかえしのつかぬ精神的貧困をさらけだしたのである。
 周知のように、戦争の理論を構成するもっとも重要な概念のひとつをなすのが、戦略と戦術の概念である。すなわち、戦術は個々の戦闘をそれぞれ配置し指導する活動を規定するものであり、戦略は戦争の目的を達成するために、これらの戦闘をたがいに結びつける(組合せる)活動を規定するものである。いいかえるならば、戦術は、戦闘において戦闘力を使用する仕方を指定し、戦略は戦争目的を達成するために戦闘を使用する仕方を指定するのである。つまり、戦術の目的とするところは勝利であり、戦略の目的とするところは講和=敵の征服(敵の意志を屈服させること)なのである。それゆえ、戦争の理論を組立てることは、戦略においてより困難であり、戦術においてより容易なのである。それは、戦略では、精神の運動が対象とする行動が広範であり、原則や規則を方法主義的に確定することが困難なためである。ここでは、政治の最高指導部、あるいは軍事指導者の精神活動の占める役割がそれだけ大きくなるのである。
 そこでもうすこし戦略を規定する原則を検討するためにまず戦争計画と、実践におけるその修正についてみることにしよう。さて、戦略が戦争の目的を達成するために戦闘を使用するにあることは、すでにみたところであるが、そうであるとするならば、戦略とは、戦争計画を立案し、所定の目的に到達するための行動の系列をこの目標に結びつけること、すなわち、個々の戦役の計画を立て、また、これらの戦役において一連の戦闘を配置することなのである。しかし、当初の計画は、かねがね仮定にもとづいて決定されるにすぎないのである。しかも、これらの仮定はかならずしもそのすべてが適切であるとはいえないし、それにまた、いっそう立入った規定の多くはあらかじめ措定されうるものでもないのである。したがって、戦略は、いちおう作成した戦争計画を基本として戦争に参加、遂行しながら、個々の事項を現場で適当にさばくとともに、同時にまた全体の計画に手直しを加えなくてはならないのである。
 つぎに、戦術ならびに戦略における軍事指導者の決意のもつ意義についてみることにしよう。ところで、戦略の面での重大な決意の方が、戦術面のそれよりもはるかに強固な意志を必要とするというならば、あるいは奇異にきこえるかもしれないであろう。しかし、戦争がいかなるものであるかを戦略と戦術の関係において熟知している人には、このことは疑いのない事実なのである。戦術においては事態は刻々に変化するから.軍事指導者はあたかも渦巻のなかに引きこまれているかのように感じるわけであり、もしかれがこの渦巻を乗りきろうとすれば、きわめて危険な結果を招くことは明らかであるが、にもかかわらず、かれは、さまざまな危惧の念のつのるのをつとめて抑制し、勇を鼓して闘争を遂行しさえすればいいのである。これに反して戦略にあっては、いっさいが緩慢に経過するから、そのあいだに軍事指導者ならびに部下に生じる危惧の念、外部からの異議や非難、さらにまた、考えても詮ない後悔の念などが、戦術におけるよりもはるかにはなはだしく心をまどわすのである。さらにまた、戦略においては戦術におけると異なり、自分の眼で直接にみることのできるものはせいぜい事態の半分ぐらいなので、かえって軍事指導者は自余いっさいのものを推測し、推定するよりほかに途がなく、そのため確信もゆるがざるをえないのである。こうして大方の指導者は、まさに行動すべきときにのぞみ、理由のない危惧の念に悩んで好機を逸したりするのである。
 さて、戦争における唯一の究極的な手段としての戦闘について原則を明らかにしよう。いうまでもなく、戦闘の一般的目的は、敵戦闘力のせん滅と、それにもとづく敵の征服であるが、戦争全体の目的からみるならば、敵のせん滅、あるいは征服は、戦闘の特殊的目的であるといえるであろう。しかしいずれにせよ、ここで大切な点は、戦闘によってわが方の戦闘力に対峙する敵戦闘力をせん滅すること、換言すれば、敵戦闘力を、もはや戦争を継続しえないほどの状態に追いこむことが、敵の意志を屈服させる根本的な手段であるということである。もちろん、戦闘には、敵戦闘力のせん滅が主要事であるような場合と、それが手段にすぎないような場合とがある。たとえば、(1)特定の、敵戦闘力のせん滅、(2)一地点の略取、(3)一物件の略取をめぐって、攻撃的戦闘と防御的戦闘が衝突し、(4)さらに、ときには、敵に誤った方策を講じさせる陽動作戦がおこなわれる場合があるが、しかし、こうした一連の軍事的行動も、より究極的には、敵戦闘力のせん滅に集約されなくてはならないのである。だから、ロシア遠征のナポレオン軍のように敵戦闘力の主力を捕捉せん滅しえないならば、広大な地点を占領し、モスクワを略取しても戦争目的を達成していないばかりか、あとでみるように(W「戦争の理論――防御戦争の特権について」参照)、かえってそれが敵に反撃の機会を与えることになってしまうのである。換言するならば、いくら敵国を攻略しても、敵戦闘力をせん滅し、敵の意志を屈服しえないならば、こんどは敵はかれの意志を掟としてわが方に強要してくることは明らかである。反面、敵の攻撃にたいしわが方の戦闘力を維持することは、敵戦闘力のせん滅という行為の消極的な面を意味しており、敵の意図を挫く役割をはたすのである。わが方の戦闘力を維持することと、敵戦闘力をせん滅することは交互作用をなしているのである。
 では、戦闘において敵戦闘力のせん滅を直接の目的とする場合に考慮すべき戦術上の要点は何であろうか。その第一は、戦闘とは彼我の物理的、精神的諸力を、流血による破壊的な仕方で清算する闘争にほかならないこと、そして、戦闘の終局においてこの二通りの諸力の残高のいっそう多く保有する側が勝者なのだということである。第二は、彼我双方がともに同程度の損失をこうむっているような場合には、勝敗を決定するものはじつに精神的諸力にほかならないということである。戦闘において精神的諸力の損失が敗戦の主因となる。そして、いったん敗戦となるとこの損失はますます増大し、全軍事的行動の終局において、その頂点に達するのである。それだから、精神的諸力の損失は、戦闘の本来の目的であるところの物理的諸力の破壊を促進する手段にもなるのである。第三には、勝者には戦闘の勝敗が迅速に決定されればそれに越したことはないし、これに反して敗者にとっては、戦闘の持続時間はいくら長くても長すぎることはないのである。迅速な勝敗は、勝利を増大する要件であり、これに反して敗者において決戦の長びくことは損失を補充する効果があるのである。そして第四には――これがもっとも重要なのだが――敗者のこうむるもっとも決定的な損失は退却とともに始まること、大方の勝利は戦闘ですでに勝敗の決したのちにはじめて具体的な形をとることである。すなわち、戦闘のもたらす精神的効果は勝者におけるよりも敗者において大なのである。もちろん、戦場では敗戦の感情に襲われるのは高級幹部だけであったが、いざ退却が始まるとなると、この感情はやがて将校から兵にいたるまで、すべての階級にあまねくいきわたるのである。そして、この精神的効果は物質的諸力のさらに大なる損失に、そして、後者は前者にはねかえり、こうして物心両面の損失はたがいに助長しあうのである。側面攻撃の戦術、すなわちわが方の退路の安全を保障し、敵方の退路の危険を脅迫する攻撃が、戦闘の自然法のように有効性をもつのは、奇襲と同じく、人間の精神力への効果にかかわるからである。
 こうした戦闘の特性が集中してあらわれるのが、主力をもってする決定的な地点の戦闘(会戦)としての決戦である。攻撃的戦争であれ、防御的戦争であれ、個々の戦闘の勝敗をとおして決戦を準備し、その勝利の効果をあまねく吸収して、戦争全体の勝利をもたらすように戦闘を組合せていくのが戦略である。それゆえ、決戦の準備と、その勝利の利用は、戦略の決定的な部分である。決戦は、副目的を達成するための尋常一般の闘争でも、また、目的を難事と悟るや否や捨てて顧みないようなとるに足らない試みではないのであり、戦闘によって実際の勝利を得るために彼我両軍が全力をあげてたたかう闘争なのである。いいかえるならば、決戦は一点に集中された戦争であり、いっさいがそれによって決定される戦争の重心なのである。敵戦闘力のせん滅の最良の手段としての決戦は、屠殺と決戦とが語源を同じくすることからも明らかなように、屠殺を本性としており、つねに血をもってその代価を支払わねばならないものなのである。ところが、往々にして決戦を恐怖して本戦を回避したため、あとで手痛い仕返しをこうむることがあるのである。それは、軍事指導者の心に宿る人間性が、屠殺の意をもつ決戦をおじけ恐れるためである。しかし、それにもまして人間の心をおじけ恐れさせるものは、ただ一回の会戦によって勝敗が決してしまうという考えなのである。だから決戦に臨む軍事指導者の心事は、あたかも法外な重量を有する物体を逆立ちさせて、しかも安定した中心を保って転倒をまぬがれようとする懸命な努力に似ているのである。このようなきわどい瞬間に、人間としての弱さが軍事指導者の心を強く動かすのはまことに道理というほかはないのである。しかし、戦略の最高の知恵は、決戦を遂行するための手段をととのえ、会戦のおこなわれる場所と時間、そして会戦における兵力使用の方向を巧みに配置し、また会戦によって得られた成果を利用する仕方に顕示されるのである。
 それゆえ、決戦を決意した軍事指導者の自由な、しかも、ゆるぎない心境は、自己の力にたいする信念と、決戦の必然性にたいする明らかな自覚とから生まれるのである。いいかえるならばそれは、生まれながらの勇気と、幅の広い生活関係によって練磨された鋭い洞察力とから発生するのである。そして、断固として戦場におもむき、決戦に勝利するのみならず、戦勝を利用するための戦略的手段としての追撃にただちに転化させるのである。
 追撃は、会戦における勝利に必然的に付随するものであり、追撃がおこなわれなければ、いかなる勝利も大なる効果をもたらさないのである。追撃を断念させるものは、軍事指導者の人間的な弱さのせいなのであるが、それでは勝利の効果は少ないのであり、勝利に達する道程がいかに短かくとも、勝利の成果はいくばくかの追撃をもってはじめて生じるのである。かくして、決戦における勝利と、それをテコとした追撃は、敗者の側にたいして軍関係のみならず国民および政府に強烈な効果を与え、敵の意志を屈服させる重大な契機となるのである。すなわち、敵にとって従来の極度に緊張した期待は突然に崩壊し、満幅の自信は無残に打ち砕かれたのである。そして、銃後におけるこれら精神的諸力が粉砕されて生じた真空地帯に、破壊的な膨張力をそなえた恐怖がとうとうと流れこみ、この恐怖が国家の機能を完全に停止させるようになるのである。こうして敗者の側の戦争目的は崩壊し、敵にたいして和を乞わざるをえなくなるのである。
 他方、会戦に敗北した側は、防御者としての特権を可能なかぎり動員して反撃を準備するのである。敗者には、まだ地形の有利という手段が残されているのである。そのうえ、敗者の側における復讐と報復の感情が配慮されなくてはならない。軍隊は、敵に報復する念に燃えているときほど意気の盛んなるときはない。そこで、軍事的指導者は、幾多の小戦関を周到な準備をもって開始し、また、これを慎重に指揮し、敵の追撃を拒止するのである。たえず抵抗を試みつつ徐々に退却し、また追撃者がそのあり余る有利を利用しようとするたびに、これに大胆かつ勇敢に対抗することである。こうした措置こそ、敗戦によっていったん衰退した軍の精神力をふたたび振いおこさせる最良の方法なのである。
 最後に、敵の完全な打倒のために必要な原則について確認しよう。その第一は、戦争の重心、すなわち、敵の完全な打倒のための重心的な目標をはっきりさせることである。力と運動との中心をなし、いっさいがそれによって決定されるものが重心である。具体的にいうならば、アレキサンダーやグスタヴ・アドルフやカルル一二世やフリードリッヒ大王などの場合には、重心は軍隊そのものである。それだから、もし軍隊そのものが粉砕されるならば、かれらの役割はそれで終りを告げたであろう。党派のために分裂している国家の場合には、重心はかねがね都市である。列強に頼っている弱小国にあっては、重心はこれらの同盟国の軍隊である。諸国が相集まって結んでいる同盟にあっては、重心は利害関係の一致点である。そして、国民総武装の場合には、重心は主たる指導者たちじしんにあるのである。それだから、攻撃は、それぞれの場合の重心をなすところのものに向けられぬばならないのである。そして、逆にいうならば、この重心をなすところのものを粉砕しえないかぎり、敵を完全に打倒したとはいえないのである。しかし、わが方が攻撃目標とするところの敵の重心がいかなるものであるにせよ、敵戦闘力を打ち負かし破壊することこそ、勝利のもっとも確実な端緒であり、また、いかなる場合にももっとも重要な事項なのである。
 第二には、戦争指導の全体を包括し、自余いっさいのものに方針を指示している二個の主要な戦略原則をはっきりつかむことである。すなわち、第一の主要原則は、戦闘における兵力の優勢を保有するため決定的な地点に優勢な兵力をたくみに集中することである。そのためには、まず戦争計画にかんしていうと、(1)攻撃すべき敵の兵力をできるだけ少数の(できれば一個の)重心に絞ること、(2)つぎに、これらの重心にたいする攻撃をできるだけ少数の(できれば一個の)主行動に集約すること、(3)最後に、およそ支行動は、できるだけ支行動の分をまもり、主行動に不利な影響をおよぼしてはならないことである。かくして、空間における兵力の集中と、時間における兵力の集合を統一し、戦闘における兵力の優勢を確保することである。いわば最良の戦略は、つねに戦闘において強大な兵力を保有することにあるのであるが、そのためには、まず一般的に強力な兵力をもつように準備することが大切である。しかし、もっと大切なのは決定的な地点に、なしうるかぎりわが方の兵力を集中し、優勢な兵力を保有することである。第二の主要原則は、できるだけ敏速に行動することである。換言するならば、戦闘の要諦は好機を失わぬことである。迅速と奇襲は勝利の最有力な要素である。もともと攻撃の本性は、いささかも手を緩めぬ迅速な行動によって勝敗を決定することにあり、十分な理由のないかぎり、行動を停止したり、迂回路をとることは避けなくてはならないのである。間断なくおこなわれるはずの軍事的行動を緩慢にするのは、(1)人間精神につきものの怯懦と優柔不断、(2)人間の洞察と判断との不完全なところ、(3)防御は攻撃よりも強力であるという原理の三つの要因によるものである。しかし、こうした要因をのりこえたところに敵の完全な打倒の道がひらかれるのである。それゆえ、会戦に勝利した場合には、休憩、息つぎ、長考、停滞はもってのほかであり、ひたすら追撃にうつることが肝要である。ナポレオンのロシア遠征が失敗したのは、普通にいわれているように、かれの前進が迅速にすぎ、あるいは敵地に深入りしすぎたためではなく、成功に必要な手段を欠いていたためである。
 第三には、戦闘は、複雑な計画という方向で敵を圧倒するよりも、単純な攻撃計画において敵に先んずることに努めねばならない、ということである。複雑は知慮から生じ、単純は勇気から生まれる。しかし戦闘という危険な領域においては、知慮に勇気よりも大きな価値をみとめることはけっして正論とはいえないのである。この領域はまさに勇気の本領と見なされねばならないからである。準備には、忍耐、確実、冷静が必要であり、戦闘には大胆と猛烈な精神が大切である。あらゆる可能なものについて熟考し思索したのち、それを簡明かつ実行可能な計画に練りあげることが戦争指導の要領である。
 
 W 戦争の理論――防御戦争の特権について
 
 防御とは、敵の攻撃を「拒止」することであり・その特徴とするところは、この攻撃を「待ち受ける」ことにある。そして、このような特徴が軍事的行動をして防御的行動たらしめるのであり、またそれによって防御は攻撃から区別されるのである。しかし、絶対的防御なるものは、戦争の概念とまったく相容れないのである。なぜならば、もし絶対的な防御というものがあるとすれば、彼我のうちのどちらか一方だけが戦争をすることになるからである。防御という戦争形式は、防御を専一とするただの楯ではなくて、攻撃的要素もたくみに配合した楯なのであり、それゆえ、防御の根底には、敵の攻撃にたいする報復という観念が存在しなければならないのである。
 もともと防御は、待ち受けと積極的行動の二つの異質な要素から構成されているのである。待ち受けと積極的行動の二通りの状態がたがいに交代しあい、しかも待ち受けがあたかも一筋の糸のように防御の全体を貫いていくのである。この両者は、防御のもっとも本質的な要素なのである。そして、後者は、敵の攻撃に酬いること、すなわち反撃にほかならないのである。いずれにせよ、待ち受けがなければ防御は成立しないし、また、積極的行動としての反撃がなければ戦争は成立しないのである。だからこそ、戦争は防御とともに発生するのである。すなわち、戦争の本領であるところの闘争をまず開始するもの、したがってまた、敵に転ぜられることなく自分じしんの立場からまず彼我双方を判断するものが、戦争の形式を最初に規定するものであり、そして、この役割をはたすのが防御者なのである。いわば、ここにおいて攻撃と防御とのあいだに相互作用が発生するのである。
 したがって戦争にたいする心構えは、侵略者の側よりもむしろ防御者の側にあるのである。というのは、侵略者の侵入があってはじめて防御が発動し、この防御とともに戦争が発生するからである。征服者ナポレオンがいつも自称していたように、侵略者はつねに平和を愛好するのである。なぜならば、侵略者にもっとも望ましいことは、防御者の国家に穏便に侵入することだからである。しかし、防御者は、このような侵略行為を許すことができないからこそ、戦争を欲せざるをえないのであるし、したがってまた、戦争の準備をととのえなければならないのである。つまり、侵略者の奇襲を予期してつねに武装しているのは弱者、すなわち、防御をこととする側なのである。
 それでは、なぜ弱者の側は、防御という形式をとるのであろうか。それは、防御という戦争の形式が、攻撃という戦争の形式よりも有利な戦争の形式であるからである。もとより防御の目的は、保持することにあるのであるが、そうであるとすれば、彼我双方の使用する手段が同一のもとでは、防御は攻撃よりも容易なのである。維持、あるいは保持が獲得よりも容易なのは、攻撃者が利用せずにすごす時間はすべて防御者に有利にはたらくからである。そういう意味では防御者はいわば種を播かずして収穫するのである。
 ところで、攻撃と防御とは、戦略、戦術においてどのように関係するのであろうか。もともと戦闘を決定的に有利ならしめるものは、第一には奇襲であり、第二には土地および地形の有利さであり、第三には諸方面からの攻撃なのであるが、これらを戦術的局面に適用するならば、われわれは、つぎのような帰結を得ることができるであろう。すなわち、攻撃者は、第一、第三の原理の小部分を用いうるにすぎないのであるが、これに反して、防御者はこの二つの原理の大部分と第二の原理の全体を存分に使用することができるのである、と。
 他方、戦略においては、成果というものは、まず、軍が決戦において戦術的勝利を得やすいように準備すること、また、決戦において得たところの勝利を利用すること、として問題になるのである。それゆえ、戦略的成果を有効に発揮するためには、第一には土地および地形の有利さ、第二には奇襲、第三には諸方面からの攻撃、第四には要塞およびこれに属するいっさいのものを援用しての戦場の防護、第五には国民の支援、第六にはすぐれた精神的諸力の利用、などの諸要素をたくみに結びつけることが肝要なのである。
 いいかえるならば、戦略的防御の精華は、第一には、防御にかんするいっさいの手段を間然することなく準備すること、第二には、戦争に練達な軍隊を形成すること、第三には、周章狼狽して敵を待つような凡将ではなく、沈着に審思し防御手段を自由に選択して敵を迎え撃つような指導者を選びだすこと、第四には、敵の攻囲をものともしないような要塞を構築すること、第五に、精神が強健であって、敵を恐れるよりはむしろ敵に畏敬されるような国民であること、などにあるのである。
 もちろん、防御は、攻撃よりも強力な戦争の形式であるが、しかし、それはあくまで消極的目的をもつものにすぎないから、わが方が劣勢なためにやむをえずこの形式を使用するわけであることをはっきりさせておかなくてはならないであろう。それだから、わが方が強力であって、積極的目的を立てるのに十分であるならば、ただちに防御という形式を捨てねばならないことはいうまでもないのである。もし防御という強力な戦争形式にたいして、攻撃という弱い戦争形式を使用して、なおかつ成功をおさめうるほどの自信を有するならば、攻撃は防御におけるよりも大なる目的を欲しても差支えないのである。およそ積極的原理をまったく欠くような防御は、それじしんと矛盾する、というのが本来の主張でなければならない。それだから、いかなる防御も防御の有利を利用し尽くしたならば、ただちに攻撃に移らなくてはならないということをくりかえし指摘せざるをえないのである。つまり、防御の本来の目標とみなされうるところのものは、その大小を問わず、敵の完全な打倒でなければならないのである。ただし、この場合の攻撃者は、たとえ心に遠大な目的を抱いているとしても、最初は防御という形式を採用する場合のありうることを指摘せざるをえない。このような考えが非現実なものでないことは、一八一二年のロシア戦役と、そこでのナポレオンの破滅を想起すれば容易に理解できると思う。
 しかし、このような彼我の力関係の変化が生ずるまでは、攻撃者よりもいっそう小さい目的をもたなくてはならない防御者は、さしあたって防御といういっそう強力な戦争の形式の有利さを享受するために目的を低いところにおいて待つことが必要である。防御はもともと待ち受けという概念を本義とするのであるから、敵を征服するという目的は条件つきでのみ、すなわち、敵が攻撃をしかけてくる場合のみ成立するのである。したがって、敵が攻撃をしかけなければ、防御は現に保有している土地を維持するだけで満足しなければならないのである。つまり、このことが待ち受け状態における防御の目的であり、しかもそのもっとも至近な目的なのである。そして、防御は、このような控え目な目標で満足するからこそ、攻撃よりもいっそう強力なこの戦争形式の提供する諸般の有利を享受しうるのである。いうならば、防御は攻撃よりも強力な戦争形式であり、その旨とするところは敵をいっそう確実に征服するところにあるのである。
 ところで、戦略的防御の目標にかんして、それを敵を疲労困憊せしめることにおく意見があるが、防御といえども、それが敵の意志を屈服させるためのものであるかぎり、敵戦闘力のせん滅を唯一の手段とすることには変りがないのである。ただ、防御の特徴とするところは、「待ち受ける」という概念にあるのである。そして、この概念は、彼我の情況の変化、すなわち、戦争をめぐる彼我の状態が自分の方に有利に改善されるであろうことを前提としているのである。一般的にいって戦略的防御には二通りの場合があるといえよう。すなわち、第一には、いわゆる七年戦争においてフリードリッヒ大王がとったように、国土をできるだけ長く敵に侵略されずに保有し、そうして多大の時間を稼ぐことであり、第二には、みずからすすんで防御という戦争形式を採用し、最初の反撃を確実に実施すること、もっとも大胆で、かつ成功的なやり方としては、内地への戦略的退去をおこなうことである。かくして、敵戦闘力を本土に深く引き入れ、それを広大な地域に拡散させ、各個にせん滅して、より本格的な征服を準備するのである。
 それでは、このような戦略的防御の主要な手段となるものは何であろうか。
 その第一は、後備軍である。後備軍の本来の利点は、全国民の救国の精神が常備軍におけるよりもはるかに容易に高揚するところにあるのである。後備軍の本質はまさにここにあるのである。
 第二は、要塞である。要塞は、防御を支える強力でかつ優秀な依託点である。
 第三は、国民である。もちろん、戦争となった大地域における住民の一人ひとりが戦争におよぼす影響は普通にはまことに微々たるものであり、河川における一滴水さながらである。しかし武装蜂起はいうにおよはず、その土地の全住民が戦争におよぼす総体的影響はけっして過小評価することができないのである。これに反して、わが方の国内に侵入した敵に与えられる給付は、その大小を問わず、すべて露骨な威力の強制によるものでなければ不可能なのである。しかも、この強制は戦闘力によってのみ保障されねばならないのであるから、攻撃者は多大の兵力と労苦とを費さざるをえないのである。住民のもたらす情報を考えてみれば、彼我の有利、不利はいっそう明白であろう。
 しかも、防御者と国民とのあいだにかならず生じるところのごく一般的な関係から出発して、さらに住民がすすんで闘争そのものに参加しはじめる特殊な場合に達し、ついにスペインにおけるように国民をあげて闘争を遂行するというすさまじい段階に達するならば、もはやこれは国民の強力な支援などというものではなくて、まったく新しい型の勢力の発生といわざるをえないのである。まさにこのような国民総武装あるいは国民軍の形成こそ第四の防御手段である。
 
 第五には、同盟国の武力である。
 
 住民の決起にもとづく国民総武装と、その戦争についてもうすこし詳しく考察することとしよう。ところで、国民総武装を基礎とした国民戦にかんして反対者があることはいうまでもないところである。ひとつは政治的理由から反対するもので、それは、国民戦は革命的手段であって、合法的な外見のもとに無政府状態をつくりだすものであると断定し、そのような状態は、敵国にたいして危険であるばかりではなく、自国の社会的秩序にとっても危険であると主張するのである。しかし、このような問題は、われわれには関係がないのである。もうひとつは軍事的理由から反対するもので、それは、国民戦の成果はその労を償うに足りないと考えるのである。しかし、一般的にいって国民戦を賢明に使用する国民は、これを卑しめる国民に比してそれだけ優位を占めるということは動かしがたい事実なのである。
 したがって、戦略的防御における国民総武装は、第一には、決定的会戦がおこなわれるまえに国民の自然的感情の発露にもとづく支援として採用される場合と、第二には、会戦に敗れたあとで最後の手段として国民軍を召集する場合とがあるのである。もっとも本戦に敗れるや、国民をなだめて平和を甘受させることだけを考え、また、敗北にたいするはなはだしい失望に圧倒されて猛々しい勇気や物心両面におけるいっさいの力を奮いおこそうとする気概を欠くような政府では、住民の総武装のような革命的な措置を採用しえないのは当然である。しかも、このような政府は、最初から勝者たる資格を欠いているばかりか、勝利を得なかったのもおそらくそのためであったと断定してよさそうなのである。
 国民総武装と、それにもとづく国民戦の一般的特性は、抵抗体が随所に存在するが、その所在をつきとめることができないところにあるのである。しかし、このような分散した抵抗が、時間的および空間的に集中された大規模な反撃に適さないことはもとより当然である。このような抵抗の効果は、蒸発作用の物理的性格と同じく、面積(接点)の大小に依存するのである。面積が広大であり、また敵と接触する面が大であれば、したがってまた敵軍が広大な土地に拡散していれば、国民総武装の効果はますます大となるのである。国民総武装は、あたかも静かに燃えつづける炎のように敵軍の根幹をしだいに蝕尽するのである。国民総武装が成果をあげるためには時間を必要とするのである。そうであるから、正規の攻防両軍が戦いを支えているあいだに、国民戦がある所では鎮圧され、また別の所では勢いを失うというようであると、いったん国民のなかに生じた緊張はしだいに消滅するのであるし、逆に、国民戦の烈々たる火焔が燈原の火さながらに諸方面から敵軍を襲い、ために攻撃者が全滅を恐れて敵国内からの撤退を決意するような情勢をつくりだすならば、国民の緊急は侵略者を危機におとしいれることができるのである。
 しかし、このような決定的な結果が、国民戦によるだけで招来されるためには、侵略者の占領した国土の面積がきわめて広大であることが前提とされているか、さもなければ、侵入軍の兵力と侵略によって占領された地域の面積とのあいだに不釣合が存することが前提とされなくてはならないのである。それだから空論に陥ることを避けようとすれば、国民総武装にもとづく国民戦をたたかうだけでなく、それを正規軍の遂行する戦争と結びつけ、また、この二通りの戦争を包括する全体的計画のなかで、この両者をあわせ考える必要があるのである。
 したがって、国民軍を使用するさいに注意すべき原則は、まず、国民軍と正規軍との結合をたえず配慮すること、つぎに、国民軍のような大規模の防御手段を戦術的防御のような決定的局面では使用することをできるだけ避けるということである。いわば、国民軍のおこなう戦闘の性格は、およそ訓練の未熟な軍隊の戦闘にたぐいするのである。すなわち.行動を開始した当初は激しい情熱をそなえているが、しかし冷静を欠き、耐久力が足りないのである。また、国民軍は戦いに敗れて撃退されることを、さほど気にかけていないのが通例である。それにしても死傷者や捕虜による莫大な損害によってはなはだしく痛めつけられるようなことがあったり、完膚なきまでの敗北に直面したりすると、それは国民軍の情熱をたちまち冷却させるだろう。いずれにせよ、この二件の欠点は、戦術的防御の性質とはまったく相容れないものなのである。たとえ国民がいかに勇敢であり、国民的伝統がいかに勇武であり、敵にたいする憎悪の感情がいかに強烈であり、また国土の地形がいかに有利であるにせよ、およそ国民戦は危険の濃厚な雰囲気のなかではとうてい持ちこたえうるものではないのである。それだから、国民軍の心情を燃やす燃料をどこかに蓄積して、すさまじい焔に燃えあがらせるためには、国民戦は本戦場から隔った地点、すなわち、十分な空気があり、いたずらに敵の強力な打撃によってその焔が消える恐れのないような、比較的遠隔の地点でおこなわれねばならないのである。いいかえるならば、国民軍や武装した国民の集団は、敵主力にたいしてはもとより、敵の大部隊にたいしてすら使用されてはならないのである。国民軍を使用する趣旨は、敵軍の中核を粉砕するにあるのではなく、その表面や周辺をいわばかじりつくすことにあるのである。
 要約するならば、防御戦争は、相対的に劣勢な味方が相対的に優勢な敵に抵抗し、敵に勝利する戦争の戦略的形式である。すなわち、それは、雄大で不屈な抵抗心、敵にたいする熾烈な報復と征服の心をもって相対的劣勢に耐えぬき、味方の動員しうるいっさいの戦闘要素を動員し、敵の利用しえない時間と空間のすべてを味方の反撃のための有利な条件に積極的につくりかえ、もって敵を完全に打倒することを本旨とするのである。正規軍と国民軍を結合し、国民の心に抵抗と報復の激情をかきたてる広大で卓抜で強固な意志をもった政府だけが、このような戦争の形式を本当に利用することができるのである。
    (『破防法研究』二四号および二五号一九七五年十二月、七六年三月に掲載)