一 ベルリン危機と労働者階級
    帝国主義とスターリン主義の協商は社会主義の勝利か
 
 帝国主義の包囲を口実にして、ソ連スターリン主義者によって人為的につくりだされた六一年ベルリン危機は、その背後にスターリニスト圏のすさまじい政治経済危機があり、帝国主義にたいして本質的には受動的でありながら、対抗的には積極的であるスターリン主義の本質に規定されており、帝とスタの協商のための手段でしかないこと、問題の解決は、帝とスタの同時的打倒の道、ドイツ民族の統一の回復とドイツ・プロレタリア革命、反帝・反スタ世界革命の実現のなかにしかないことを明らかにした論考。発表時署名は武井健人。
 
 
 ベルリン危機を契機として再開されたソ連政府の核実験と軍事的体制の強化は、すでにわが同盟の一連の文書で明らかにしたように、欧米帝国主義の対東独政策にたいする排外主義的な恫喝であるばかりでなく、東独プロレタリアートの反官僚闘争にたいする反労働者的弾圧である。欧米帝国主義の脅威を理由としておこなわれたソ連労働組合の労働時間延長の決議は、この緊張政策によって誰が利益をうけるのか、を明白に暴露している。
 妥協はすでに開始された。もちろん、帝国主義的世界の専制君主であるアメリカ帝国主義とスターリン主義的世界の僭王であるクレムリン官僚制とのあいだで。
 アメリカ民主党のマンスフィールド上院院内総務は、二四日のテレビ会見でベルリン問題について「西ベルリン市民の自由と西ベルリンに西側の軍隊を駐留させる権利、西ベルリン・西独間の自由な交通の権利、の三点は絶対に譲れないが、このほかには交渉に応じられる問題があり、グロムイコ・ソ連外相とラスク国務長官が現在これについて考慮していることは間違いないと思う」と語ったといわれる。
 そして、「東独の事実上の承認は避けられるか」という質問にたいし、「私は事実上の承認が避けられないとはいわないが、それが現在考慮されているという報道からみると、避けられなくなるかもしれない。東西両ドイツのあいだには年間三億ドルもの経済協定が結ばれており、その結果、接触、つまり事実上の承認がおこなわれている。西独市民(西独ブルジョアジーと読め――筆者)は、東独の存在を認めようとしないが、経済的にはこうした関係が存在するのだ」と答えたといわれる。つまり西ベルリンの欧米帝国主義的利権の確保が可能ならば、東独政府の「事実上の」承認は避けられないであろう、というのである。
 二五日、国連総会でおこなわれたケネディ米大統領の演説は、きわめて碗曲ないい方であったが、「東西間のとり引きが可能かどうかを見きわめる交渉を開始する妥協的な暫定取り決めにソ連と西側がおそかれ早かれ、合意するだろうということ」を示唆した。二六日のAP電は、「ケネディ大統領の発言の意味合いは東独の全面的承認というところからは遠い」が「米国は妥協や譲歩を考慮する用意がある。大統領によれば、紛争当時者双方によって完全無欠な解決″はありえない。大統領はまたドイツが軍隊と戦車によって分け隔てられることを認めるといった。その慎重な発言は現状のドイツ分割をばく然と受けいれることを意味している」と伝えている。
 こうしたアメリカ帝国主義の「妥協」にたいして、クレムリン官僚は、西ベルリンの西側三国軍の駐留には難色を示しながらも、東独政府の欧米帝国主義による「承認」を代償としてふたたび、対米協調の色調を強めはじめた。
 いったい、これはどうしたことか?
 おそらく、スターリン主義者たちは、こうしたアメリカ帝国主義の「妥協」について、「社会主義の勝利」をはやしたてることであろう。だが、はたして、これが国際プロレタリアートの勝利を意味するであろうか。
 帝国主義による東独スターリン主義官僚制の承認――これが、東ベルリンの封鎖、核実験の再開という世界戦争の危機まで賭けて、ソ連政府が強行した欧米帝国主義への外交的恫喝の要求目録であったのだ。
 スターリン主義官僚制による西ベルリンの帝国主義的利権の承認――これが、「必要とされるどんな手段」をも講ずる決意だとのべたアメリカ帝国主義の「確固たる態度と理性」の内容目録であったのだ。
 ソ連政府の「緊張政策」のほんとうの動因が、東独におけるスターリン主義的な官僚的計画経済の破綻によって激化した東独プロレタリアートの政治的動揺にたいする官僚主義的な排外政策である、とのべた、われわれの評価の正しさはいまや、一片の疑いもなく明白になりつつある。そしてまた、アメリカ帝国主義にとって、東独プロレタリアートの官僚政府にたいする革命的蜂起は恐怖の対象であっても、同情すべきものではない、とのべた、われわれの批判の正しさは、ますます明白になりつつある。
 つまり、スターリン主義官僚は、食料・耐久消費材をはじめとする消費材の供給不足、労働力のいちじるしい不足による一般的労働強化(ノルマの引きあげ)などにたいする労働者大衆の抵抗(西独への逃亡はその消極的表現である!)を徹底的に鎮圧するために、あらかじめ、欧米帝国主義の不介入を確認しておくことが必要であったのであり、そのために、強力な武力を誇示し、西ベルリンにおける帝国主義的利権の「不当性」をちょっと西側に思いださせてやったのである。
 東独政府の承認は、東独におけるプロレタリアートの反官僚政府の反乱→ソ連軍の血の弾圧にたいする欧米帝国主義の不介入宣言でしかないのである。
 だが、クレムリンの住人たちやウォール街の使徒たちが、なんでドイツの分割や政府について協議する権利があるのか?
 帝国主義者やスターリン主義者にとって、ドイツの労働者階級がスターリン主義的官僚制の圧制のもとにあろうと、資本の専制と搾取のもとにあろうと、そんなことはどうでもいいことなのである。かれらはともに、現状の変革よりも現状の維持(平和共存)の方を望んでいるのである。そこに決定的に欠けているものは、ドイツ労働者階級の立場と意志である。
 もともと、ドイツの現状、その悲劇的現実は、ヒトラー政権=ファシズム的統治形態の崩壊のあと、スターリンとトルーマンとチャーチルとド・ゴールが「軍隊と戦車」によってドイツを四つの地域に引きさいたことからはじまるのである。帝国主義とスターリン主義は、ファシズムの残存を口実に分割統治を強行し、ドイツ人の政治活動を二ヵ年にわたって禁止したのである。だが、ファシズム再興の社会的基礎は、じつに、こうした戦勝国の排外主義的分割統治にあるのである。そして、こうした分割統治=民族的分裂の最大の犠牲は、ドイツ労働者階級であったのである。なぜならば、ドイツ労働者階級の解放のためには、まずもって、そのナショナルな階級的形成が必須的前提であり、民族的分裂はこの階級的統一のもっとも劣悪な条件をもたらしたからである。
 ドイツ民族への激しい民族的憎悪にかりたてられたスターリンは、レーニンの教え(無併合、無賠償、無捕虜)とは反対に、ドイツ人に分割統治を強制し、捕虜をシベリアの強制労働につれ去り、東独プロレタリアートにたいし、(三分の一の地域で、しかも西独の重工業力と決定的に分離したままで)社会主義化? に進むよう命令したのである。かくして、ロシアでおこなわれた一国社会主義のより悲劇的な再現が東独において進行した。ドイツ労働者階級は、二つの国家のもとに分割され、プロレタリアートとブルジョアジーの階級的対立は、国家的・地域的対立におしまげられてしまったのである。
 かくして、東独においては、西独帝国主義の脅威によってスターリン主義的圧制のいっさいが合理化され、西独においては、ロシアにたいする民族主義的憎悪と東独「社会主義」の貧困と圧制によってブルジョア的搾取が美化されているのである。西独におけるブルジョア的繁栄の最大の政治的支柱は、じつは、東独における「圧制と貧困」(西独労働者の社会主義とスターリン主義の同一視=錯覚と幻想)なのである。
 したがって、東独プロレタリアートの革命的蜂起=スターリン主義的官僚制の粉砕は、同時に、西独ブルジョアジーの階級的専制と搾取の最大の危機をもたらすにちがいないのである。だからこそ、帝国主義は、東独プロレタリアートの政治的動揺に周章狼狽し、フルシチョフの恫喝にあって「支配者に光栄あれ!」と叫ぶはめになったのである。
 帝国主義とスターリン主義の協商、軍隊と戦車によるドイツの分割、相互の版図の壮重な確認。こうして、ベルリンの「危機」は、一時的に解消されるかもしれない。だが、いったい、ドイツ労働者階級にとってなにが解決されたというのか。昨日と同じ、圧制と貧困! 昨日と同じ、専制と搾取!
 われわれ革命的プロレタリアートは、この一連の内容目録から革命的結語をとりだしてみせなくてはならないのである。ソ連政府の「断乎たる措置」に無条件支持を与えるスターリニスト日共と堕落したトロツキスト、「胸を痛めながら」支持する春日派スターリン主義者、欧米帝国主義の挑発だけにベルリン危機の原因を求める森田派左翼スターリン主義者、帝国主義打倒のみをわめく社学同再建派、こうした一群のニセ共産主義者をプロレタリアートは、いっさいのブルジョア的汚物とともに、歴史のゴミ箱に投げ入れて前進しなければならないのである。
 反帝・反スターリン主義の世界革命のまえにいっさいの支配者を戦慄せしめよ!
 ドイツ労働者階級と日本労働者階級の階級的団結に栄えあれ!
   (『前進』六九号、一九六一年十月五日 に掲載)