八 支持者の渦から推進者の奔流を
六二年参院選挙闘争の総括
階級闘争の情勢決定要因としてみずからを積極的に鍛えるべく、六二年参院選に革命的に介入したわが同盟の闘争総括と方針を、誰にでもわかるように、やさしく、しかもていねいに説いている歴史的論文。
労働者・学生・市民諸君!
参院議員の改選をめぐるお祭り騒ぎは、ようやく、その幕を閉じた。一ヵ月ちかく「あなたが日本の運命を決める」などとオダテられて、七月一日に「一日だけの主権者」を許された労働者大衆は、自発的に、あるいは、強制的に「日常の非主権者」の生活にもどっていく。そこでは、資本家のための労働が、資本家のための搾取と収奪が、際限なく拡がっており、工場と土地をもった一握りの資本家階級への屈服が、少数者への多数者の被支配が、たえまなくつづけられているのだ。
それどころか、このブルジョア的狂想曲のさなかに、東急くろがねの金属労働者や大正炭鉱の兄弟たちは、資本家の首切り攻撃にさらされ、「搾取される自由」すら奪いとられようとしているのだ。地上のいっさいの富の創造主である労働者は、資本家に利潤を保障しないというただそれだけの理由で、職場をうばわれ、街頭にほうりだされようとしていたのである。
労働者・学生・市民諸君!
だからこそ、「主権者」へのむなしい幻想の闇のなかで、労働者大衆は、資本制のもとで生きるためには、いぜんとして、資本の増殖のための手段であることを一日たりともやめることはできなかったし、そして、自己の生活と権利を守るためには、資本家との日常不断の闘争を一日たりとも休むことはできなかったのだ。
資本家階級によって、四年に一度(衆議院)、あるいは、三年に一度(参議院)おこなわれる国会議員選挙は、あたかも、労働者大衆が、自分で選択してこのような資本の搾取と専制のもとに生活しているかのごとき幻想をまき散らすことによって、少数者である資本家階級の労働者大衆への支配を甘受させるための「イチジクの葉」にすぎないのだ。
じっさいのところ、日本の現実の政治と経済は、国会で決定され運営されているというのではないのだ。現実の政治と経済は、国会の背後で、すなわち、独占資本家たちの奥座敷で、赤坂の料亭で、自民党の数人の実力者と大蔵省・通産省等の高級官僚の密談で決定され運営されているのだ。自民党の議員諸氏にしたところで、独占資本と政府と高級官僚の合作で提出される法案を国会で通過させるための挙手機械でしかないのだ。陣笠連の自主的立場といえば、名誉欲か選挙区の評判ぐらいのものである。議会選挙のためのお祭り願ぎや、国会審議の壮重な日程は、資本家階級の階級意志をあたかも労働者・勤労大衆の意志であるかのごとくみせかけ、欺瞞するための煙幕なのだ。
労働者・学生・市民諸君!
議会が資本家階級の労働者大衆への支配のための手段であり、現実の政治と経済が独占資本のサロンで決定され、運営されている、という事実は、マルクスやレーニンの時代に真実であったばかりでなく、今日でも、いささかの修正すら必要としないほど真実なのだ。いやそれどころか、独占資本と政府と高級官僚との直接的ゆ着が進行することによって、ますます、国会は退屈な議論の場に退化しつつあるのだ。それゆえ、労働者階級にとって必要なことは、資本家階級から意識的にもちこまれる議会主義的幻想の霧をはらって、現実の階級闘争の赤裸々な姿をみつめ、労働者階級が幻想の「一日だけの主権者」を転覆して、真実の「主権者」になること=資本家の打倒、労働者国家の樹立のための道を、真剣に検討し、追求することである。
しかしながら、今日、労働者政党を自称する社会党や共産党が、資本家階級の議会主義の土俵のなかに完全にはまりこみ、自民党や民社党に輪をかけた票集めに血道をあげ、労働者階級を資本家階級に売りわたすもっとも決定的な裏切り者の役割をはたしていることを、われわれは、怒りをこめて弾劾しなければならない。
社会党や共産党にとって、労働者や動労大衆は、議員を支えるための一票でしかないのであり、資本家階級との闘争は、すべて国会内の無内容な討論にすりかえることで「解決」されるのだ。社会党や共産党の議員たちは、労働者大衆の闘争のうえにあぐらをかいて、自分の立身出世のために利用することしか考えていないのだ。
労働者・学生・市民諸君!
革命的共産主義者同盟からの独自候補の参院選挙への「参加」は、まさに、すでにのべたような自民党から共産党にいたる既成政党の議会主義的お祭り騒ぎのなかを、一陣の突風をともなって走りぬけた。それは、将来、日本労働者階級がその行動をとおしてつくりだすであろう巨大な嵐にくらべるならば、一片のエピソードとしての重みすらもたないであろう。 にもかかわらず、京浜工場地帯の工場から工場をかけめぐり、職場という職場を説きまわるポンコツの宣伝車は、いたるところで、職制とダラ幹とヨヨギの共同の敵意に迎えられながら、直接に職場労働者に革命的労働者の連帯の呼びかけを伝えることによって、明日の闘争のための基礎をつくりあげ、強烈な印象をのこしてたち去っていったのだ。
われわれは、この選挙闘争をとおして、基本的には(1)原水協の破産の指弾と米ソ核実験に反対する国際的反戦闘争の必要性、(2)三分の一護憲論では憲法改悪をはね返すことはできないこと、(3)労働運動における社共の裏切りの暴露とたたかう労働者の政党の必要性、(4)議会のブルジョア的本質と労働者階級の議会にたいする基本的態度、を具体的に訴えた。共産党が新劇の役者を多く集めて野坂参三のために顔見世興行みたいなことをやっているときに、われわれは、川崎や蒲田で、労働運動の危機をどう突破するのか、という問題を切々と訴えていたのだ。
労働者・学生・市民諸君!
戦後一五年間、日本労働運動を毒しつづけてきた社会党・共産党の「指導」をはねのけて革命的マルクス主義の原則をふまえた本当の労働運動をつくりだすことは、けっして容易なことではないであろう。だが、この事業がどんなに困難なものであろうと、なしとげられなくてはならない。なぜなら、職場における闘争にふまえて、本当の労働者前衛党を創成することなしには、労働者階級の自己解放はおろか、現実の経済闘争の発展すら不可能であることを、日々の階級闘争は明瞭に教えているからである。
それゆえ、このたび、革命的共産主義者同盟・全国委員会が参院選挙に「参加」した唯一の理由と立場は、まさに、このような運動を、一歩でも半歩でも前進させることができるなら「よし」とするものであった。それは、選挙に名をかりて闘争を封殺し、労働者大衆をブルジョア的議会主義の泥沼に誘いこむ役割をはたしている社会党・共産党とは一八〇度対立するものなのだ。だからこそ、社会党や共産党に絶望しながら歯をくいしばって職場でたたかっていた青年労働者や、絶望的に敗北して労働者の戦列から離脱しかけていたかつての党員が、われわれの闘争の存在と主張を知って、つぎつぎと便りを寄せ、その何人かは、この闘争をとおして支持者から「推進者」へと変革されていく過程が力学的に進んだのだ。
われわれは、この闘争のなかで、未知の人々からわれわれに与えられたさまざまな好意ある支援にたいし、この場をかりて感謝の意を示したい。もし、このような激励や支援がなかったならば、われわれは、かくも快活に、かつ、自信をもって最後まで日を送るというわけにはいかなかっただろう。
【周知のように、このわれわれの闘争にたいし、ありとあらゆる中傷と誹謗が加えられた。例によって、代々木(日共)は「自民党の別動隊」とか「アメ帝の手先」とかいう攻撃を加えることによって、党内の動揺をおしかくそうとした。だが、こんな「批判」について、いまさら真面目に答える気にもならない。また、三二年テーゼ教条主義者・浅田光輝、もと平和教祖・清水幾太郎、左翼スターリン主義者・森田実から「ファシズムの革命性の再検討」をとなえる社学同、仮眠の詩人・吉本隆明にいたる過去の遺物が、反代々木的ポーズをとりながら、黒田寛一の立候補について無内容な統一戦線を形成して、クダラぬ評証を加えているのをみると、なんとなく愉快に思えてくる。世のなかに、この統一戦線ほど無気力で気まぐれなものもないように思われる。願わくば、他人のことなどに気を病まずに、自分がどうするか表明したまえ。棄権もよし、社共支持もよし、黒田支持(?)もよし。六・一五集会のことで反マル同の署名を集めてあるいているヒマも実もある人がいるらしいが、そのまえに、自分が六〇年六月一五日から六月一八日夜までのあいだ、なにをしていたのか、いさぎよく白状して生ける闘争の継続者に恥じたらどうか。】
労働者・学生・市民諸君!
社会党・共産党の無責任な「三分の一護憲論」にもかかわらず、「革新政党」は議席の三分の一すら保持することはできなかった。選挙闘争の過程において、われわれが、再三再四にわたって主張したように、もはや、議会内の取引きにすべての鍵をあずけることは敗北の大道を掃ききよめるものでしかないのだ。われわれは、ただちに、労働戦線内部における革命的中核を強化し、拡大するための仕事に全力をあげてとりくまなくてはならない。
わが同盟によせられた二万三千票は、社会党や共産党の得票数に比較するならばあまりにも少ないといえるであろう。労働者大衆の主力は、いぜんとして、社会党・共産党にたいする期待=幻想を断ち切ってはいない。だが、われわれの選挙費用のほぼ三分の二が職場労働者の自発的拠金によってまかなわれたという事実は、われわれの選挙闘争の本来的な性格をはっきりと示しているのだ。しかも得票数のうち約一万二千が直接にマル青労同関係のものとして完全に推計しうるのだ。
もちろん、わが同盟の精華であり、実体である職場労働者の大半が、職制とダラ幹の直接的しめつけのなかで公然活動が不必要な制限をうけざるをえなかったという事情は、実際に職場でたたかわれている活動を十分にわが同盟への支持として反映しえない弱さを必然的にもたらした。だが、このような「弱さ」は、われわれにとってなんら恐るるにたるものではない。わが同盟は、いぜんとして、いな執拗に、職場を基礎として党づくりにすべて活路をみいだしていくであろう。わが同盟によせられた支援者を「運動の推進者」に組織してゆくべき巨大な任務は、いまようやくその端初を開いたのだ。
同志諸君!
革命的共産主義運動は、その苦難にみちた勝利の道をきりひらこうとしている。そのテコは、すでにわが同盟の内部に鍛えられつつある。すべてはたたかう労働者の政党をつくりうるかどうか、にかかっている。他人をして語るにまかせよ、わが道をいこう、だ。
支持者諸君!
革命的共産主義者運動の勝利への道をともに前進しよう。
(『前進』九五号、一九六二年七月五日 に掲載)