六 再び西分派の同志諸君へ
   西・大原両派を粉砕し、革命的共産主義の獲得へ
 
 革共同第二次分裂による革共同の創成(五九年八月三一日)にたいして、社民化したトロツキズムの路線を歩み、六〇年安保闘争においてスターリン主義に屈従し、革命的左翼のたたかいに敵対した西分派(第四インター)は、当然にも破産に直面した。本論文は、分解した西分派の双方を批判しつつ、良心的分子のわが同盟への結集を訴えている。
 
 
 西分派の政治的破産と組織的解体は、いまや、公然の事実となった。
 かつて西分派のパブロ主義的三頭政治の一角を占め、学生戦線においてスターリン主義者との野合を指導し、今日では反パブロ主義をとなえ、自称「全国派」の統領をもって認ずる大原もまた、かつて五九年の第二次分裂のさいには動揺に動揺をかさね、西の特使として上京した大原の恫喝にあって「探究派狩り」にやむなく参加し、その後、自称「関東委員会」で無気力な組織的?活動をつづけ、今日では、社青同に加入戦術することに自己の救済の道をみいだした鎌倉も、ともに「長期にわたる同盟(西分派)の混乱と実体の崩壊」を確認する。
 西京司とそれに追従するほんの一握りのグループをのぞいて、いまや、西分派の崩壊は、革命的左翼戦線の公認の前提である。それゆえ、今日の段階では、西分派の実体の崩壊を確認するだけでは、まったく無意味である。なぜなら、すべての革命的共産主義者にとって真に実践的な課題は、この崩壊の根拠をあばきだし、それとの決定的決別をきりひらくものでなければならないからである。共産主義者同盟の解体につぐ、革命的左翼戦線の再編過程の新しい局面がいまはじまろうとしているのである。九月の西分派の第六回中央委員会における大原派の退場を直接的端初とする西分派の西=鎌倉派と大原の分裂は、明らかに、こうした課題を背景にして進行したのである。
 だが、はたして、革命的共産主義者は、このどちらかの分派に、西分派の今日の崩壊の根拠を決定的に克服しうる可能性をみいだしうるであろうか。
 
 西=鎌倉派の反動性――ソ連核実験を支持
 
 周知のように、西=鎌倉派は、十月中旬に四ヵ月も休刊していた『世界革命』をたった一号だけだが発行した(八九号)。ここには西分派の内部分裂については例によって一行もふれられず、「ソ連の核実験再開とわれわれの態度――反戦闘争と労働者国家の防衛のために」という西京司の愚劣な作文が全面を埋めている。
 その内容を紹介するのも恥ずかしいようなしろものだが、わが「トロツキスト」の主張をかんたんに要約すれば、(A)労働者国家ソ連を防衛するためには、ソ連核実験の権利を認める必要がある、(B)そうすることによってソ連の国家機構に基礎をおくスターリニストを擁護することになるであろう。だが「それはわれわれが台風に対して家屋を守ることによって屋根裏のネズミの生活をも守っていると何ら異ならない」ということになる。
 いったい、ソ連におけるスターリニスト官僚の位置を、屋根裏のネズミとしか把握しえないこの「トロツキスト」には、革命的ロシアのスターリニスト的歪曲と死闘したトロッキーをはじめとするロシア左翼反対派は、せいぜいネズミとたたかって死んでいったことになるのであろうか。だとすると、「トロッキーの第四インターの革命的伝統」の継承者をもって認ずる西京司よ! 君は、何者なのだ! まさに、現代ソ連=スターリニスト圏を「社会主義的」国有計画経済とスターリニスト的官僚層のモザイク的構成・二重建築としてしか把握しえないところに、いわゆるトロツキストのソ連論の根本的陥穽があるのだが、いまや、わが西京司は、スターリニストをソ連社会構成の基本的要素から追放し、その偶然的闖入者(屋根裏のネズミ)にまで純化? してしまうのである。フルシチョフを梁上の一君子にしあげてしまうわが「トロツキスト」のなんと革命的なことよ! すると、どうやら、君は、「労働者国家」ソ連の本当の家主だということになる!
 したがって、このような形而下学的立場からは、ソ連官僚制の核実験の反プロレタリア的本質を直感的にうけとめつつある労働者の革命的立場にたいして、スターリニスト(日共)とともに、「ソ連は核実験をおこなう権利がある」という官僚的お説教をくりかえすことしかできないのである。まさに、このようなプロ(親)スターリニスト的立場と鎌倉の「社青同加入戦術」とは、かれらの非主体的本質において結合し、相互に補完しあっているのである。
  かつて、われわれは、西分派の政治的性格を「政治方針における社民的パブロ主義と組織方針におけるキヤノン的独立主義の混合」として特徴づけたが、いまや、西京司は、鎌倉一派の加入戦術論に協調主義的態度をとることによって、パブロ主義の立場を純粋化する道をえらんだのである。
 
 大原派の欺瞞――自己総括を回避
 
 このような西=鎌倉派のパブロ主義的堕落にたいする西分派内部の即自的反発こそ、また、大原派の策動を許す基礎になっているのである。だが、西分派の同志諸君! 西分派の今日の崩壊の根拠は、はたして、大原が主張するように、鎌倉一派の加入戦術論とこれにたいする西=岡谷の調停主義的=中間主義的態度にあったのであろうか。
 たしかに、パブロ主義的加入戦術の破産は太田竜の政治的実践によって見事に立証された。この教訓に学びえない西=鎌倉派の未来は、第二の太田竜の没落の道であろう。だが、いったい、パブロ主義反対を確認したところで、大原は、その後になにを約束しているのであろうか。大原派の発行した『世界革命』(ガリ版)をいくら読んでも、加入戦術反対と、パブロ修正主義はトロツキズム内部の一傾向とみるべきではないという主張以外には、われわれはなにも発見できないのである。
 炭鉱国有化のスローガン、社共両党へ投票せよ、という選挙方針、安保闘争における戦術、等々という革命的左翼戦線内の論争における西分派の主張はどうなのか。このような具体的問題をさけて、あたかも加入戦術問題に当面する中心点があるかのようにいうところに大原と鎌倉の欺瞞性があることを、われわれは、明白に指摘しなければならない。そして、こうした戦術的総括は、同時に、労働者国家無条件擁護というパブロ主義的立場の批判的検討と結びつけておこなわれなくてはならないであろう。労働者国家無条件擁護の問題に手をつけずに、パブロを批判するところに、ほかならぬキヤノン派の陥穽があるのである。
 西分派の同志諸君! 諸君の革命的未来は、西=鎌倉の道でも、大原の道でも、けっして実現しえない!
 トロッキー・ドグマチズムに死を与えよ!
 革命的共産主義者同盟の革命的統一万才!
        (『前進』七二号、一九六一年十一月五日 に掲載)