四 公然と大胆に闘争の先頭に
   ――六一年政暴法闘争の総括
 
 六〇年安保闘争の翌六一年、政治暴力禁止法案が提出された。日帝支配階級のこの法案にかけた政治的意図を全面的に暴露し、反対闘争の政治過程をとおして明確となった革共同の前衛性を確認し、革命的左翼の統一を訴え、革命的共産主義運動の新時代をきりひらくために大胆に前進することを説いている。
 
 
 政暴法をめぐる階級闘争の現実的展開は、社会党・共産党によって指導された日本プロレタリア運動の総退却を白日のもとにあばきだすとともに、日本帝国主義打倒の旗を高くかかげ、日本プロレタリア革命の道を照らしだすべき決定的任務が、ますます避けがたい重みをもって、わが革命的共産主義者同盟(革共同)全国委員会のまえに提起されつつあることを明らかにした。
 社会党・共産党などの既成指導部は、政暴法が参院において継続審議になったことについて、これを「人民の闘争の成果」として美化し、勝利の自己陶酔のなかに労働者階級を埋没させようとしている。
 だが、はたして、「継続審議」は「労働者階級の勝利」を意味したであろうか。
 たしかに、政暴法が参院自民党の「抵抗」によって継続審議となり、政治的「決戦」が臨時国会まで延期されたことは、皮相な観察者にとって、あたかも支配階級が「人民の抗議」のまえに後退し、「勝利の展望」がきりひらかれたかのような幻想を拡大させずにはおかないであろう。だが、国家権力と社共指導部の完全な提携のもとに、赤旗とプラカードを奪われ、機動隊の人垣のあいだを羊のように行進するという屈辱を経験した首都の労働者にとって、もし、これが勝利であるとしたら、それはあまりにも「味気ない勝利」でしかなかったであろう。
 かつてマルクスは『フランスの階級闘争』のなかでつぎのようにいっている。
 「いま大陸の秩序党の個々の分派の代表が夢中になって相互にやっつけあっている喧嘩さわざは、新しい革命のきっかけを与えるどころか、反対にこの関係が目下きわめて安定しており、そしてこれは反動派の自覚していないことであるが、きわめてブルジョア的であるからこそ、こうした喧嘩もできるのである。この根底にぶつかっては、ブルジョア的な発達をはばむところの反動のあらゆる試みもいたずらにはねかえされると同様に、民主主義者の道義的憤激も熱狂的宣言もことごとくはねかえされるのである」
 政暴法成立にかんするブルジョア政治委員会内部の分裂、衆院自民党(青年組)と参院自民党(老人組)の対立は、労働者の闘争の圧力の結果ではなくして、まさに日本プロレタリア運動の総退却によってもたらされた日本支配階級の余裕の表現でしかないのである。
 プロレタリア運動の手足を具体的に統制し、あわよくばその背骨をたたき折るという意図をもって登場してきた政暴法にたいする労働者の当然の反撃が、社会党・共産党の堕落した指導部によって「囚人行列」に矮小化され、形骸化されつつある事実を直視した日本ブルジョアジーは、政暴法の衆院通過という政治的獲得物をめぐって、ブルジョア的政治家どもが醜悪な内部抗争をくりかえす自由をあたえたのである。参院の老人たちは、参院強行採決によって他の諸法案が流産することを恐れたのである。
 だが、日本ブルジョアジーは、同時に、プロレタリア運動の底辺において無視しえぬひとつの変化がおこりつつあることを正しく見ぬいていたのである。国家権力と社共指導部の共謀のもとに、ブルジョア的労働運動への転落の道を急ぎつつある日本プロレタリア運動の深部において、それゆえに、かかる激流に決別して革命的労働運動を創造しようとする契機がいたるところで生まれつつあることを、搾取者の狡猾な眼は、はっきりととらえているのである。
 
 没落する中間的諸分派
 
 日本プロレタリア運動のかかる状況は、同時に、革命的共産主義運動の創成のためにたたかういっさいの分派の活動について、われわれが冷酷な点検を加えることを必要としているのである。
 革共同西分派は、当初、政暴法闘争の意義についていささかも理解しえなかったのみか、まったくその重要性すら直感しえなかったのである。六月二二日夜になっても、かれらは、階級闘争の中心的環は合理化であるという二年来の主張をくりかえし、学生運動の焦点は学生部次長問題であると主張したのである。そして、「全学連の総力を上げて政暴法闘争をたたかえ」と主張したわが学生の同志にむかって、破廉恥にも「小ブル急進主義者!」という非難をなげかけたのである。だが、このようなかれらの主張は、ものの一週間もたたぬうちに、現実の階級闘争の進行によってうちくだかれてしまったのである。
 いったい二年間も、口を開けば「合理化だ! 合理化だ!」とわめきたてるわがトロッキー・ドグマチストたちの心情ほど不可解なものがあるであろうか。
 われわれは、けっして合理化反対闘争を過小評価しようとは思わない。それどころか、日本ブルジョアジーの眼が、熱をおびて国鉄――郵政のうえにそそがれていることを再三にわたってわれわれは警告してきた。もし、ブルジョア的国家資本の攻撃のまえに、動力車労組・国鉄労組・全逓がつぎつぎとうちくだかれるならば、日本プロレタリア運動は、予想もつかぬ後退にあえがざるをえないであろう。
 だが、日本ブルジョアジーは、十全の準備もなしに、この巨大な部隊に決戦を挑むほどお人好しではないのである。ILO関係法改悪から政暴法登場にいたるこの一直線の道は、ある意味では、ピタリと国鉄・全逓の労働者のうえにつきつけられているとさえいえるのである。なぜなら、この二大産業部門における合理化の遂行は、日本資本主義を根底から危機につきおとすような労働者階級の反撃をひきおこす可能性すらもっているからである。
 だからこそ、そうだ、だからこそ、今日この攻撃とたたかわずして、明日のたたかいを準備しえないのである。
 政暴法闘争の一ヵ月は、西分派内部の分解を、かくして決定的状況にまでみちびいたのである。スターリン主義運動の量的拡大と革命的共産主義運動の前進は、西分派が安保闘争の過程で示したような中間主義の存在する余地をけずりとってしまったのである。
 ところで、旧共産主義者同盟の最大の「独立」分派である京浜地区委員会が、政暴法闘争について組織的とりくみをまったく放棄してしまったという事実は、いったいなにを意味するであろうか。われわれは、かつて京浜地区委員会から「サロン主義者」「組合主義者」という誹謗をなげかけられたからといって、そのようなレッテルをなげかえそうとは思っていない。だが、もしも、諸君が政暴法闘争などとるに足らない闘争だと考えていたとするならば、それはまったく誤っている。政暴法は、プロレタリア運動にたいする直接的な、きわめて具体的な攻撃なのである。そうした意味では、政暴法が成立するか否かという問題は、安保成立よりももっと重大な影響をプロレタリア運動になげかけるのである。
 京浜地区委員会が学習会に深い関心をよせはじめたことは、まったく正しいことであろう。だがそれはなんのためか。この問いがもう一度たしかめられなくてはならない。かつて革戦派がたどった道をいままたくりかえすとしたら、われわれはあまりにも事実に学ばなさすぎはしないだろうか。
 
 帝国主義と社会主義の分裂
 
 こうした右の二つの事情は、四分五裂した革命的左翼をわが革共同全国委員会のヘゲモニーのもとに統一し、革命的プロレタリア党へむかって巨歩をすすめるべき任務が、ますます焦眉の課題となりつつあることを明白に示しているのである。
 すでにみてきたように、政暴法闘争の一ヶ月は、日本プロレタリア運動の「帝国主義と社会主義の分裂」を端初的であれ鮮明に照らしだした。そしてかかる分裂は、疑いもなく社会党・共産党の日和見主義的指導部とわが革共同全国委員会とのあいだに生じたのである。われわれの主体的力量がいかに弱く、労働者階級にたいする政治的影響力がいかに狭かったとしても、にもかかわらず、改良主義か革命かという分水嶺は、疑いもなくわれわれとかれらのあいだにあったのである。
 事実、政暴法が自己につきつけられた敵の刃であることを直感し、急激に闘争に決起した労働者は、社会党・共産党の指導のもとに警官隊の人垣のあいだを囚人のように行列しながらも、こうした囚人行列にかれらがけっして満足していないことを機会あるごとに示したのである。
 五月三一日の全逓のジグザグデモ、六月二日夜の都教組・東水労・動力車労組の流れ解散反対の座りこみ、六月六日夜の国鉄労組を先頭とする二キロにわたる座りこみ………。これら一連の反逆は、政暴法闘争をお義理にしかたたかおうとしないかれらの「指導部」にたいするぬきがたい不信の表明でもあったのである。「囚人行列反対! 旗を高くかかげて前進しよう!」というマルクス主義青年労働者同盟(マル青労同)の訴えが、かつてない好意的気分のうちに、青年労働者のうちに迎えられた事情と右の事実は、けっして無関係ではないのである。
 それゆえにこそ、ブルジョア政治委員会のより穏健な一分派である参院自民党は、参院強行採決によって、たとえ部分的であろうと労働者がブルジョア的労働運動の枠を破って革命化する危険をおかすよりも、むしろ、社会党・共産党のカオをたてておいて、政治的冷却をつくりだす方が得策であると判断したのである。挑発者ガボンに率いられて冬宮に請願にきたペトログラードの民衆にむかって砲火の返礼を加えて一九〇五年の革命の導火線を切ったツアーに比べて、一九六一年のわが支配階級ははるかに寛容であり、はるかに狡猾なのである。
 かくして、プロレタリア運動における「帝国主義と社会主義の分裂」は、ゆるやかな曲線を描きながら、だが、不可避的な方向性をもって進みはじめている。なぜなら、プロレタリア運動の「全労化」のいっそうの進展は、好むと好まざるとにかかわらず、プロレタリア運動内部の戦闘的翼をますます革命的共産主義の側におしやらずにはおかないからである。赤旗を立ててデモをするか否か、という点をめぐってすら公認の左翼と革命的左翼のあいだに分裂が生じるというこの事実は、わがプロレタリア運動の危機の深刻さを示しているのみならず、プロレタリア運動の革命的前進がただわが革命的共産主義運動の指示する方向においてのみ可能であることを、きわめて簡明に語りかけているのである。
 それは理論的・原理的にいってそうであるというばかりでなく、われわれと公認の指導部のあいだに存在するいっさいの分派が、この一ヵ月の政暴法闘争を経過するなかで急激な没落を示したという事実からも、明瞭にそういいうるのである。もちろん、右の分派のうちいくつかは、部分的な戦闘において一定の役割をはたしはした。だが、こうした分派は、この戦闘によって自己の党への展望を拡大し、明確化するどころか、逆に、その破産を現実化させたのである。
 
 全国的細胞を基礎に前進へ
 
 かくして、わが革共同全国委員会が革命的左翼戦線において名実ともに多数派となったという事実は、四分五裂した革命的左翼の統一を真に原則的に遂行すべき条件が、いまや成熟しつつあることを意味しているのである。
 日共第八回大会をめぐって既成左翼のあいだに一定の再編過程が運行することによって、革命的翼の流動的状況がそれにつづくであろう。われわれ革命的共産主義者は、かかる流動的状況を生みだすために、いっさいの組織戦術をかけ当面たたかいつつ、かかる流動的状況を革命的共産主義の勝利にむかっておしすすめなくてはならない。そして、この二つの過程は、革命的プロレタリア党のためにたたかうわれわれ革命的共産主義者にとって、まさに一個二重の闘争としてあるのである。
 われわれは、かかる闘争に勝利するためにも、わが革共同全国委員会の飛躍的前進を全力をあげてかちとらなくてはならないであろう。
 一九五七年春以来の革命的マルクス主義者グループ(RMG)の闘争、とりわけ五九年秋の全国委員会成立以後の全闘争の徹底的な批判的総括にふまえつつ、全国的な細胞建設をかちとり、これを基礎にわが革共同全国委員会に内在する手工業性の残滓を無慈悲に駆逐し、革命的共産主義運動の新時代をきりひらくために大胆に前進を開始する必要がある。誤謬を恐れるものは、なにもなしえないのである。
 汝みずからの道を歩め、人をして語るにまかせよ!″
     (『前進』三三号、一九六一年六月二五日 に掲載)