三 変説の自己弁護
   ――「反帝・反スタ」戦略と『プロ通』派
 
 六〇年ブントの六〇年夏以降の三分解の一分派たる「プロレタリア通信」派の姫岡玲治の反帝・反スターリン主義戦略にたいする一知半解の低水準な批判を爆砕した論文である。
 
 
 「第三期を準備せよ」――かつてブント公認の理論家として虚名をはせた一人の男が、いくどかの理論的=組織的放浪をやってのけたすえに、こんどもまた、レーニンを気取ってこう壮重な宣言を発したからといって、すこしでも革命的マルクス主義運動の歴史につうじているものなら、行きずりの興味すら抱きはしないだろう。
 ところが、幸か不幸か、「指導者の(マルクス主義的)意識性」が「自然発生的高揚の広さと力のまえに降伏してしまった」あの安保闘争のなかで大量に生みだされた学生共産主義者の多くは、二〇回党大会やハンガリア革命はおろか、二年前のブント結成の頃すら神話の時代にちかいのである。しかも、かれらの多くは、ただ他の組織にたいするセクト主義的な中傷と歴史的偽造のみを教えこまれ、日本における反スターリン主義的なマルクス主義のための苦闘の歴史について、故意に切断されてきたのであった。
 こうした事情は、当然のことながら、今日でも香具師的な「革命」家たちに活動の余地を若干ながら用意しているのである。『プロレタリア通信』九号の「反帝反スタ戦略の政治的組織的日和見性」という論文は、まさにこうしたスキ間に仮りの売店を構築しょうとした香具師的根性の標本ともいうべきものである。
 だが、姫岡某はまたまたずいぶんと軽卒なことをしたものである。なぜなら、この御仁のちかごろの信仰教典であるレーニンの『なにをなすべきか』から、一期とか二期とかというハイカラな言葉をヒョウセツしたまではよかったが、どうやらレーニンが「第三期」をこう特徴づけているのを読みおとしたらしいからである。
 「この時期の特徴は、だれか『絶対的なもの』の礼讃者が壮大な軽侮をもって実践にたいしていることではなくて、まさに、ちっぽけな実用主義ともっとも完全な理論的無関心の結合である。この時期の英雄たちは、『偉大なことば』を卒直に否定するよりも、むしろそれを卑俗化することを仕事とした。科学的社会主義は全一的な革命的理論ではなくなり、あらゆるドイツの新教科書から『自由に』中味をとってつけくわえることのできるごたまぜにかわった」(レーニン『なにをなすべきか』ゴジック・筆者)
 姫岡君、きみは、どうやら第三期の観念上の実践者には適任のようだ! 言行一致の日が意外にも早く訪れたことを、なによりもきみのために祝福しよう! だが、きみたちの「第三期を準備せよ」という呼びかけにたいして、われわれがレーニンとともにこう答えることも許してもらいたい。
 「いつ第三期がおわって第四期がはじまるか、われわれは知らない。ここでわれわれは歴史の領域から現在の、未来の領域にうつるのである。しかし、われわれは、第四期が戦闘的マルクス主義の確立にみちびくであろうこと、ロシアの社会民主主義(マルクス主義)が危機をぬけでるとき、それはいっそう強く、いっそう成長した姿となって立ちあらわれるであろうこと、日和見主義者の後衛と『交代して』もっとも革命的な階級の真実の前衛部隊が進出するであろうことを、かたく確信する。
 このような『交代』を呼びかける意見で、また以上に述べた事がらの全体を総括して、われわれは『なにをなすべきか』という問いに、こう簡単にこたえることができる。
 第三期を清算せよ」
 以下、『プロレタリア通信』九号に展開された新「理論」についてかんたんに検討し、「反帝反スタ戦略」にたいするかれらの批判が、いかに自己弁護的な欺瞞にすぎないかを明らかにするとしよう。〔あるいは、読者は、われわれがあまりに『プロレタリア通信』ふぜいにかかわりすぎると思うかもしれない。だが尊大で卑劣なこの一派の姿を正しくとらえることによって、われわれは、かの「偉大なブント」の正体をより明確にすることができるし、いまなお出没するブントの亡霊に引導を与えることができるのである。〕
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 周知のように、『プロ通』派の最初の出発点は、「池田内閣打倒十・二八ゼネストの成功のために全同盟の力を傾倒し」、そうすることによって「ブンドの再建をかちとろう」という立場であった。九・一五闘争の姿のなかに、「労働者が急激に池田内閣打倒に立ちあがりつつある」幻想をみたかれらは、「自らのたちおくれにガクゼン」とし、この闘争に学生運動のすべてをかけたのであった。
 だが、このような「実用主義」は、わずか一ヵ月もたたぬうちに破産した。かれらの出発点=目標は、プロレタリア運動についてはいうまでもなく、学生運動においてすら空しい努力であったことを十・二八闘争の「現実」は、明確に暴露したのである。
 武装蜂起の哲学を「体系化」したことで有名な『プロレタリア通信』四号は、こうした破産の直後にかかれたものとして、きわめて特徴的な性格をおびている。なぜならこの「画期的な」論文には、一号から三号までの『プロレタリア通信』を支配していたあの十・二八闘争にかんする熱病がハシカの後のように消えうせているからである。そこでは、十・二八闘争についての責任ある(否、無責任なものさえも!)総括の一片すらもなしに、いっきに六月一八日の夜にまいもどり、「あのとき、武装した住民が国家権力と暴力的に衝突していたら……」という無意味な反省が、さも重大なことのように語られているのである。
 かれらの「武装蜂起の哲学」がいかに無内容であるかについて、いまさら、いうまでもなかろう。だが、つぎの事実だけは、はっきりと確認しておいたほうが得であろう。すなわち、鬼面人を驚かすこの新発明は、十・二八闘争の破産と『プロ通』派下部の動揺をとりつくろうための陽動作戦でしかなかったことを! そして、この副産物が、「反スタは反帝を矮小化する」という偉大な発見であったことを!
 ここに、『プロレタリア通信』ひいてはかの「ブンド公認の理論家」の尊大な手品の一つの種をみいだしうるのである。だが、二年前には通用したかもしれないこうした香具師的ペテンも、もうそう効果的ではなくなった。一年半にわたる安保闘争のなかで、ブルジョアジーとの闘争の遂行がいかにスターリン主義(者党)との闘争と不可分であるかを具体的に経験した多くの左翼共産主義者は、ブント崩壊の原因について、「国家権力との赤裸々な衝突の回避」にではなしに「自己の左翼スターリン主義的母斑との闘争の不徹底」に注目せざるをえなかった。そして同時に、ブント成立の思想的・組織的立脚点の「かりもの」主義と「ごちゃまぜ」主義への反省へと導かれていった。
 労働者階級をスターリン主義=地方的共産主義の桎梏から解放するという困難な闘争を回避して、ただ、ブルジョアジーとの武力衝突のみを即時的に強調するならば、結局、帝国主義との闘争をプロレタリアートの自覚的立場なしに主張する北京的左翼スターリン主義との癒着は必然的であろう。武器の批判という言葉を聞くと、すぐナイフや棍棒を思いだすようでは、スターリン主義といったいどこがちがうというのか。
 だが、二ヵ月も考えたすえに、わが姫岡某は、またまた見事な転身を演出することによって、第四号の立場(反スタは反共である)を極左的に合理化しようとした。
 「スターリニズムこそは――と『プロレタリア通信』九号はいう――本質的には、ブルジョア世界と、一旦は達成された革命によって世界革命の拠点と一時はみなされたソヴェトロシアに分裂されている、人間社会全体の過渡的状況に根拠を有するのである」。それゆえに、全地球的に帝国主義を一掃することがスターリン主義の発生の根拠をうちたおすこととなるのであり、「ブルジョアジーと最もよく闘うものが、それを妨害する日和見主義者にたいする最もはげしい批判者であること」をわれわれは、よく理解していないというのである。
 だが、この主張のなかには、きわめて対立的な二つの事項が、ただ雑然と「ごちゃまぜ」にされており、破廉恥のみが表面上の破綻をとりつくろっている。なぜならば、一方では、スターリニスト社会を直接に帝国主義一般に埋没させながら、他方では、スターリン主義を革命運動における日和見主義としてしかとらえていないからである。しかも、「対馬、トニー・クリフ、マックス・シャハトマン」を引き合いにだしながら、「反帝・反スタ」というわれわれの世界革命戦略を「二元論」である、と非論証的に非難している。
 だが、こうした『プロ通』派の自己弁護的変説(原点への回帰!)は、かれらの世界革命観がパブロ派トロツキストと同様の形式主義であり、「反帝・労働者国家無条件擁護」説と対極的な、それゆえに同一性をもったものにすぎないのである。たしかに、スターリン主義は、ロシア革命の勝利による人間社会の分割に発生の根拠をもっていることは明らかである。だが、このことから、パブロのように「ソ連圏」の拡大がスターリン主義官僚の物質的基礎の崩壊をもたらすと考えたり、姫岡某のように「ソ連圏」の特殊的性格を捨象して、プロレタリアートに一般的に帝国主義打倒のみを提起すればすっきりすると考えることは、まったく無意味である。
 スターリン主義は、過渡期の産物としての未完成の新しい歴史的範疇であり、人間社会の分割の現状維持(平和的共存)に根拠をもちつつも、同時に、すでに「ソ連圏」でおこなわれつつある社会的経済的形態でもって、より「高度」に全世界を「完成」しようとする強力な運動である。もちろん、こうしたことは、それ自身として矛盾的であるにちがいない。だが、それゆえにこそ、スターリン主義の没落は、歴史的必然なのである。
 したがって、今日われわれに必要なことは、ただたんに、いわゆる帝国主義圏と「ソ連圏」との本質的同一性の確認にとどまらず、その差別性を実体的に追究し、プロレタリア解放運動におけるスターリン主義打倒の特殊的な任務を明確化することでなければならない。そして、こうした「二つの世界」の相互依存と対立を統一的にとらええぬところに、反帝・反スタ戦略にたいする『プロ通』派の形式主義的批判の発生の根拠があるのである。
 たとえば、姫岡某は、「ソヴエトロシアにおける革命の性格規定が一国革命の視野において論争」されることから「例外」であった人として「対馬、トニー・クリフ、マックス・シャハトマン」をあげているが、そうだとするならば、これらの先駆者たちが、「ソ連=国家資本主義説」(シャハトマンの場合「官僚的集産主義」説)をとりながらも、なぜ自己の立場を「ワシントンでもモスクワでもない」第三陣営運動として表明しなければならなかったかをよく考えてみる必要がある。それとも、それはたんなる道徳的要請なのだろうか。
 対馬や黒田の諸研究の結果をこっそりと借りながら、黒田理論の断片的な「欠陥」や未成熟さをさがしだして超越者づらをしたり、なにも知らぬ学生をつかまえて「対馬はナンセンスね」などと得意になるようでは、姫岡某の没落は、不可避であろう。ここに先駆者と「かりもの」主義者の決定的な相違があるのではなかろうか。
       (『前進』二三号、一九六一年二月二五日 に掲載)