二 永久革命の幻想者・吉本隆明との決別
 
 六〇年安保闘争の敗北の挫折感のなかで、一定の影響力をもった吉本隆明の、マルクス主義、革命運動への一知半解を批判した短文である。
 
 
 吉本隆明は、『永久革命者とは何か』との論文のなかで、「もともと、革命家というやつは、レーニンが『国家と革命』のあとがきでつぶやいているように、『革命の経験』をやりとげることは、それを書くことよりも愉快であり、有益である、と断言できるものをさしている。そのほかは革命について考察することはできても、革命家と呼ぶべきではあるまい。……それにもかかわらず、文学者や芸術家が政治について論及しなければならないとしたら、かれは、すくなくともその時だけ文学者や芸術家を断念するか、または、革命そのものの概念を根こそぎとりかえて提出するよりはかないのである」(『論争』六号)といっている。
 こう吉本が埴谷雄高によせて語ったとき、かれは、あるいは埴谷をかりて自己を語ろうとしていたのではなかろうか。だが、たとえかれがそうと自覚していなかったとしても、吉本隆明がつぎのような一文をものにしたとき、そこでの言葉は、きびしくかれ自身にはねかえってこざるをえなかったのではなかろうか。
 「埴谷雄高は、一連の政治的論文のなかで注意ぶかく革命の概念を、レーニンやトロツキイとはまったくちがった意味で提出している。それは、文学者や芸術家として床屋政談をかくことをいさぎよしとしなかったというよりも、『虫が好かぬといった程度の政治嫌い。権力嫌いとはことなった極度の理論癖をもった非権力者』が、政治について論ずることを強いられる風土において、とるべき必然の態度にほかならないといえる」(同前)
 そして、吉本隆明は、六月闘争の感動のうちに、一片の政治的論文(『擬制の終焉』――現代思潮社『民主主義の神話』の第二編)を書きあげたのである。いまや、吉本は、ロートレアモンの「野辺おくりの歌」を口ずさみながら「注意ぶかく革命の概念をレーニンやトロツキイとはまったくちがった意味で提出」しようとする。いっさいの擬制は、かれのまえに死の姿を横たえるのである。
 だが、「その時だけ文学者や芸術家を断念するか」したはずの吉本隆明は、この政治論文のなかで、日共と花田清輝にたいする月並みの(しかり! これでは断念するほかなかろう!)批評のあとで、インターナショナリズムにかんする「独創的」な解説と、革命的左翼(とりわけ、革命的プロレタリア党のためにたたかう全国委員会)にたいする「虫が好かぬといった程度の」不満をのべたてるのである。ここでは、たしかに、革命の概念がレーニンやトロッキーとはまったくちがった意味で提出されてはいるが、「それにもかかわらず」それは、詩の小生産者に似つかわしいやり方でおこなわれているのである。
 われわれは、率直にいって、「詩人・文芸評論家」である吉本隆明と、革命の概念・革命党の建設にかんして、別に論争しようとする気持は毛頭もってはいない。このことは、けっして、これらの問題が吉本に関係ないというわけではない。ただ、「みずからの自立性においてみずからの思想を死滅にまで追いつめる」ことを他人にのみ要求している吉本とは、しょせん、世界はちがうのだということである。したがって、ここでは、吉本隆明のこの「政治的」論文について若干の評注を加えることで、われわれとの相違を確認することにしよう。
 
   (一)
 吉本隆明はいう。
 「国家権力によって疎外された人民による国家の排滅と、それによる権力の人民への移行――そして国家の死滅の方向に指向されるものをさして、インターナショナリズムと呼ぶのである」
  (『民主主義の神話』四九ページ)
 
 この一節の文脈は、吉本の「国家死滅の夢想家」としての本質を見事に暴露している。なぜなら、インターナショナリズムは、世界史的存在としてのプロレタリアートは、ただ世界史的にのみ解放されうるという現世的制約に根拠をもつのであって、国家一般の死滅という観念の方向ではないからである。国家の死滅は、私有財産と階級なき社会が世界的に実現するとともにおとずれるのである。だからこそ、「プロレタリア革命は、生産手段の私有と世界経済の民族的分裂の両方にたいしてむけられる」(トロッキー)のである。
 したがって、吉本隆明が「それぞれの国家権力のもとでの個々の人民主体への権力の移行の方向をさしてインターナショナリズムという」(同前)といい、安保闘争に「国際関係を絡ませてはならない」という竹内好の例の発言に「インターナショナリズムの萌芽を発見する」とき、われわれは、かれが「革命の概念を根こそぎ」混乱させているのに、いまさらながら驚かされるのである。
 しかも、吉本隆明は、「花田(清輝)のコミンターン式思考法」「コミンターン式窓口革命主義」に反発するあまり、「インターナショナルな観点からすれば、日本の敗戦による日本国家権力の変貌と、そのもとでの日本人民の運命の変貌にくらべれば、ロシア革命や中国革命などは、とるにたりない一些事にすぎない」などという奇妙なことをいいだすのである。
 
  (二)
 だが、この政治的論文は、さらに安手の組織ニヒリズムと、安易な小ブル急進主義の野合に彩られた特徴をもっている。
  「おおよそ、政治理論を原理とする組織は――と吉本はいう――どんな組織でも、じぶんたちだけが真理のちかくにあり、その他は真理のとおくにあるとかんがえ、実践的にそれをたしかめようとする。……真理の競り売りがこういう奇妙な形で実現することを防ぐためには、これらの組織をけっして強大ならしめないことにするほかないのである」(同前 四七ページ)
 つまり、吉本によると、ソビエト・ロシアのスターリン主義的変質も、スペイン革命の敗北も、ハンガリア革命の動因も、「組織の強大化」に起因するのであり、「彼らを前衛とよばないためには、ただ、苛酷にしずかに、根深く、永続的に対立し、ついにこれに追いつき、追いこし、かれらが真理として売りだしたものを止揚するたたかいをつづけるほかない」のである。
 かくして、わが永久革命者(ただしブルジョア政治学でのそれ)は、反スターリン主義的な革命的プロレタリア党のための闘争にむかって、「根深く、永続的に対立」するために、「プチブル急進主義と民主主義運動しか運動を主張できない」「前期段階における政治闘争の必然的な過程」とやらを歴史主義者よろしく設定し、「長期にわたって急進インテリゲンチャ運動の優位な状況のもとでの政治闘争」と「いくたびもくりかえされるインテリゲンチャ運動の解廃、再編の過程」に心おどらすのである。
 いまや、吉本隆明は、資本主義の発展とともに分解しゆく小ブルジョアの運動に身をまかせ、その挽歌をうたうのである。それゆえ、かれは、共産主義者同盟の分解=没落を美化し、小ブル急進主義の衰退を悲しむのである。だが、問題はつぎの点にあるのだ――すなわち、いまや、急進的インテリゲンチアの運動の発展すら、反スターリン主義的なプロレタリア前衛党のための闘争の前進なくして実現しえないのである、ということである。
 すでに紙数はつきた。わが全国委員会への病的な中傷については、ヒマができたら答えるとしよう。吉本隆明は、しょせん、ピエロ花田の対立者でしかないのである。花田なき吉本は、さむざむしいものである。
 ロートレアモンの「野辺おくりの歌」は、どうやら、吉本自身への葬送曲らしい。あるいは、花田の「風上に向って逃げるな」という合唱のほうが喜劇むきでよいかもしれぬ。
      (『前進』一七号、一九六〇年十一月一〇日 に掲載)