六 黒田寛一の卑劣な「分派活動」を糾弾する
 
 本文書は、同盟内通達として六三年初頭、全同盟員に配布され、黒田寛一(山本勝彦)、森茂、松崎明(倉川薦)らの卑劣な非組織的活動を批判し、あばきだしたものである。政治局会議における全員の批判のまえに顔面蒼白となって自己批判を約束した黒田寛一は、約束をホゴにし、ほどなくわが同盟から逃亡し、反革命への転落を開始するのである。
 
 
 十二月二八日の政治局会議ならびに一月〇日の政治局・関西地方委員会の合同会議の決定にもとづき、政治局は全同盟の同志につぎのことを訴える。
 (一) 関西地方委員会の報告および在京の労働者の同志からの報告によって、同志山本〔勝彦〕が十二月一四日に「分派闘争」を決意し、そのための具体的呼びかけが各地の同志に送られており、さらに「分派闘争」の組織戦術(?)を検討するための会議が、十二月二六日の昼(学生同盟員との)と夜(労働者同盟員との)に召集されたことがあきらかになった。
 
 (二) 十二月二八日に開催された政治局会議は、十二月二五日付の関西地方委員会決議を検討し、別項<だれが、いかに、組織を混乱させているのか>の決議を決定したうえで、同志山本〔勝彦〕ならびに同志森〔茂〕に「分派の政綱ならびに構成」について、政治局に報告するよう要求した。
 同志山本は、「同盟が労働運動主義的に根本から歪んでいるので、十二月一四日に分派闘争を決意した」事実を認め、そのために「幾人かの同志に訴えを書き、分派結成の第一歩はすでにふみだされた」とのべた。そして「十一月中に三度そのための準備の話しをした」が、十二月一日以後は 「十二月二六日にSOB〔中央学生組織委員会〕の八人と山本がフラクをもっただけだ」と再三にわたって主張した。また同志森は、当初「分派闘争をやるかどうかきめてない」と曖昧な態度をとり、数分後に「分派闘争をやる。だが、いままでにいかなる分派会議にも出席していない」と主張した。
 
 (三) 政治局は、いかなる意味においても分派闘争の自由を否定したことはない。なぜならば、正規の機関をとおしては、すでに革命の利益を防衛しえないと判断したならば、分派闘争をとおして原則と政策とのためにたたかうことは、共産主義者として当然の義務だからである。しかしながら、同時に、政治局は分派の政綱と人的構成を全同志のまえにあきらかにすべきであることを要求してきた。なぜならば、政治局をはじめすべての同志は、だれが、なぜ、このような立場にたっているのか、を完全に知る必要があるからである。
 (四) 同志山本〔勝彦〕ならびに同志森〔茂〕が分派闘争を決意したことは、すこしも、非組織的でも反同盟的でもない。だが同志山本ならびに同志森が、一方では、全同盟員から隠蔽された方法で「分派会議」を召集し、他方では、事前にも事後にも政治局(=同盟)に報告せず、それのみならず、まったくぎまん的な報告を政治局会議でおこなうような、陰謀的で組織破壊的な行動を許すほど、革命党は寛容であることはできない。
 同志山本は、一月〇日の合同会議で、関西地方委員の質問に答えて、「分派闘争の主要な目的は、政治局の思想改造だ」といったが、いったいこのようなペテン師的方法によって、政治局を「いかに」思想改造しうると思っているのであろうか。すでに政治局が配布した討議資料でもあきらかなように、同志山本は、十一月以来一貫して「私的文書」を他の政治局員には隠蔽するという卑劣な方法をとって発行しつづけている。そして、自己の非組織的行動を合理化するために、政治局は討論を回避しているとか、前進編集局は某々論文の掲載を拒否しているとか、といったデタラメなデマゴギーの生産と流布とに血道をあげてきたのである。このような同志山本の党内闘争の方法は、同志山本がどのように空想しようとも、レーニン主義的な分派闘争とはまったく逆のものである。
 
 (五) 同志山本〔勝彦〕、同志森〔茂〕、同志倉川〔篤〕の召集によって十二月二六日夜に山本宅でおこなわれた「分派会議」は、十分に準備され、全関東の同志にきわめて陰謀的な方法であらかじめ呼びかけられていたにもかかわらず、以上の三名もふくめてわずか二名しか参加しなかった。この事実は、この非組織的で反同盟的な分裂策動が、首都圏の労働者同盟員のなかでまったく孤立してしまっていることを明白に示している。一昨年夏のわが同盟第一回大会以来、わが同盟が労働者階級の内部できりひらいた前進にふまえて、さらに決定的な飛躍を準備すべき新しい段階を理解しえぬばかりか、このような新しい任務に恐怖した憶病者のみが、この「分派会議」に出席しうる本当の主人である。だからこそ、この「分派会議」にやむをえず出席した同志のなかから、その破廉恥な実体を政治局に報告し、このような陰謀的な分裂策動を爆砕するための闘争を決意した同志たちが出てきたのである。
 十二月二八日の政治局会議で、十二月二六日夜の「分派会議」の存在を完全に否定した同志山本と同志森は、一月〇日の合同会議で「二六日夜に倉川らと相談した」(山本)、「山本と倉川の相談をそばで開いていた」(森)などと愚にもつかぬことを告白した。だがいぜんとして、同志山本および同志森の発言、態度はぎまん的である。なぜならば出席者からの政治局への報告を総合するならば、二六日の「分派会議」では、「全逓は○○が元気がよくてパー」という具合に、各産別のオルグ経過が報告され、出席しなかった同志や政治局員にたいする卑劣な個人的中傷がくりかえされたのみならず、各地区・各細胞に「分派根性」をもちこんでいく、などという反同盟的な決定がそこでおこなわれているからである。
 
 (六) 同志山本〔勝彦〕らのこのような反レーニン主義的「分派」闘争は、いかなる意味においても勝利の展望をもちえない。かれらのまえには、敗北と没落の道のみである。なぜならば、労働者階級の内部で革命的共産主義運動の創成のためにたたかってきた自分自身の闘争と、その闘争をとおしてきりひらいてきたわが同盟の現実を裏切ることなしには、このような反レーニン主義的「分派」闘争のなかに、なんぴとも自己の座席を発見しえないであろうからである。まさにこのような日和見主義がわが同盟の内部に発生した根本的な思想問題は、運動の現実にふまえた実践的解決という困難な方法を中断し、特定のドグマ(たとえば労働運動主義)を機械的にもちこむことによって、あたかも問題が解決しえたかのように錯覚するドグマチズムである。
 その政治的根拠は、わが革命的共産主義運動の前進と階級関係の生きた現実が不可避的にわれわれに提起している新しい組織戦術にたいする無自覚であり、新しい局面からの恐怖にみちた退却である。労働者階級の内部の「党のための闘争」は、「戦闘的労働運動の防衛」のための闘争(組織)戦術と有機的に結合されることによって、新しい運動の局面をきりひらきはじめているのである。今日、先進的な戦列のなかに定着しつつあるこの闘争の前進は、鉄の一撃をもって、わが同盟の内部に派生した日和見主義を打破するであろう。首都圏における、また関西における労働者組織の討論は、自分自身の実践的バネにふまえて、慎重かつ着実に自己の道をきりひらきはじめている。
 
 (七) 政治局は、労働者階級の自己解放のために、労働者自身の苦闘をとおして形成してきたわれわれの組織を、非組織的な「分派」闘争の拡大による混乱と分裂から防衛するために、まずもってその努力を集中するであろう。だが、同時に政治局は、同盟の組織性の防衛と再生のための闘争を、一部の同志が考えているように形式的な瑣末主義ではなくて、同盟の基本路線にかかわる思想的・政治的・組織的な原則問題、革命党の民主集中主義的組織原則を貫徹するための死活の闘争としてたたかうであろう。
 以上の立場から、政治局は、政治局・関西地方委員会合同会議において、同志山本〔勝彦〕、同志森〔茂〕をもふくめて、満場一致でつぎの事項が確認されたことをここに全同盟のまえに公示する。
 (a) 組織的な党内闘争の発展を保証するために、党内闘争に連関するいっさいの文書を、政治局をとおして全同盟に配布する。
 (b) 同志山本〔勝彦〕は、十月以降の党内闘争における非組織的活動について、自己批判書を政治局に提出し、全同盟に公表する。
 (c) 「政綱と指導的成員」が政治局に明示されていないいっさいの自称「分派」を分派として認めない。
 (d) 政治局は、同盟活動の組織的強化のために指導を集中する。
   一九六三年一月五日
        革命的共産主義者同盟・政治局
 【注】 文中〔 〕は編集者の挿入。