三 革命的共産主義連動の基本路線とはなにか
    山本派の神話について
 
 六三年三月上旬のマル青労同主催の春闘討論集会にたいする山本派(カクマル)学生の暴力的破壊策動による分派闘争の敵対的矛盾への転化、四月からの反革命通信『解放』発刊による公然たる組織的分裂の強行の直後から、『前進』紙上に七回にわたって、武井健人署名で連載された黒田寛一(当時筆名山本勝彦)=カクマル批判の論文である。後年『日本の反スターリン主義運動』(1)で、「組織現実論」としてまとめられた反革命的な黒田の反革命党づくりの論理を、召還主義と解党主義として鋭く、完膚なきまでに批判しつくしている。
 
 
 一、日和見主義の発生と逃亡
 二、召還主義の今日的形態
 三、解党主義の今日的形態
 
 
 一、日和見主義の発生と逃亡
 
 革命的共産主義運動の基本路線について、これを個人的権威にたいする没主体的な追随主義ととりちがえているわが自称「マルクス主義」者たちは、セクト根性まるだしの分派通信『解放』をたずさえてプロレタリアートのまえにその衰退した頭脳と貧弱な肉体をあらわした。だがかれらは、日本プロレタリア運動の生きた現実が、わが同盟に提起している革命的前衛としての任務について完全に回避し、階級闘争からの空論的な召還の理論的基礎づけに熱中しているだけである。
 革命的プロレタリアートは、このような回避と召還をけっして許しはしないであろう。
 もし山本派の諸君がプロレタリアートの革命的前衛として行動しようとするならば、このような回避と召還を早急にやめねばならない。もし山本派の諸君がいつまでもこのような回避と召還を継続しようとするならば、それは「混乱と消もうとニヒリズム」(『解放』一号)への地獄の道をはやめるだけのことである。
 今日、山本派の諸君は、階級闘争からの召還とわが同盟からの逃亡を自己弁護するために、ありとあらゆる卑劣な歪曲とデマを駆使して「労働運動主義」「官僚主義」などの神話づくりにやっきとなっている。しかも、恥しらずにもかれらは、わが同盟の十数の産別労働者委員会のなかからわずかに二人の自称議長をみつけだして分派宣言に連署させることによって、あたかもわが同盟の労働者組織が山本派を支持しているかのようなみせかけを試みている。
 だが、このような低水準なペテンは、ほかならぬ山本派じしんの腐敗と退廃を自己暴露する以外のなにものでもないのである。なぜならば、東京、神奈川、埼玉、千葉の各地区委員会、関西地方委員会、各産別労働者委員会の討議ならびに決議のなかで先駆的にあきらかにされたように、わが同盟、とりわけ労働者組織における分派闘争の現実的な過程は、妄想と独断を基礎とした山本「政治局員」の天下り的な個人主義的「指導」と分派主義的な同盟組織の分裂策動にたいする上からと下からの組織づくりのたたかいだったからであり、それは同時に、革命的プロレタリア党の組織原則である民主主義的中央集権主義のもとに同盟を純化し、再武装するためのたたかいだったからである。
 じつに、山本とこれに無批判的に追従するあわれな諸君は、わが同盟とマルクス主義青年労働者同盟の内部闘争において組織的な論争を回避し、つぎつぎと陰謀的な分派主義的策動をかさねて労働者組織で圧倒的に孤立し、ついにあの三月上旬の春闘討論集会の計画的な破壊行為とこれにたいする全同盟的な糾弾に恐怖してみずからわが同盟とマル青労同から逃亡し、セクト主義的な陰謀的サークルのなかにかりの宿をみいだしたというわけである。だがこれは、疑う余地もなくより深刻な退廃と日和見主義的純化への一里塚をなすにすぎないのである。そして、階級闘争の必然的過程は、山本派の低迷と分解をはやめ、まだ山本派の神話に無自覚ではあるが誠実な同志たちのなかに、革命的反省と階級的前衛としての責務をよみがえらせる決定的契機に転化することであろう。
 もともと、わが同盟における今回の内部闘争は、わが同盟第三回拡大全国委員総会で基本的にうちだされた闘争=組織戦術、戦闘的労働運動の「防衛」を当面する環とする労働運動における革命的共産主義者の組織戦術の精密化、ならびに地区党組織の確立と強化を決定的な環とする工場細胞・職場細胞を基礎とした全国的な革命的労働者党の創成のための組織戦術にたいする、山本「政治局員」の非実践的な反発と没理論的な無理解を集約的に表現した『前進』一〇六号の山本論文、これにたいする政治局会議での痛烈な批判を契機として開始された。
 ――すなわち、『前進』一〇六号の山本論文において問題となった点は、(1)「戦闘的労働運動を<防衛>するための戦術の精密化」の「背後にある思想は労働運動主義でしかない」という断定は、非論証的であるのみならず、実践的には労働運動における革命的共産主義者の当面する戦術的任務をあいまいにし、召還主義に道を開く危険があること、(2)産別労働者委員会を「党の一般的組織構成そのものの内部に位置づけられるものではない」とし、「恒常的産業別闘争機関」と規定することは、党の有機的な構成部分としての産別労働者委員会の党建設における意義と役割を不明確にするものであり、革命党と労働者評議会(ソビエト)・工場委員会・ストライキ委員会などとの区別と関連が無自覚であること、(3)九節の「現段階においては……これまでは、いわば中間機関として存在し活動してきた産別委員会″は、いまや、党組織の一構成部分、その基本的一形態をなすのでなく、細胞を通じて党組織そのものに活力を与えそれを全体として強化し発展させていくための恒常的な産業別闘争機関としての新しい意義と役割をかくとくするのである」という規定は、結果論的で内的な論理的把握が欠如しており、理論的に誤っているばかりでなく、地区党建設および産別労働者委員会の確立と活動にとって実践的に有害であること、などであった。
 政治局会議において山本「政治局員」は、当初、これらの批判を基本的に承認し、「なんにんかの労働者の同志に誤った指導をしたので修正したい」とさえ約束したのである。これにたいし、他のすべての政治局員は、未解決の理論的、実践的な課題にかんして政治局で問題点を整理し、全同盟的な内部討論にかけて解決すべきことを提案し、満場一致で確認したのである。まさに、このような組織的討論によってのみ、同盟内に生起した対立は解決の方向を与えられていたのである。
 だが、山本「政治局員」は、政治局会議の決定を陰謀的に破棄して、特定の指導的同志への誹謗と事実歪曲にもとづく低劣な文書を作成して、秘密裡に同盟の内外に配布しはじめ、政治局などの正規の機関での組織的討論を回避し、隠然と同盟の背後に自己の権威に没主体的に追従する徒党を結集する方法をとってまで、自己の政治的無謬性を守ろうとしはじめたのである。したがって、われわれは、山本派の主張のもっている理論的混乱とその日和見主義的本質を暴露し、打倒するための闘争を、全同盟的に遂行すべきことを決意するとともに、組織的討論を回避し、分派主義的な組織分裂を策動しつつあった山本派の解党主義との非妥協的な闘争をただちに開始しなければならなかったのである。
 かくして、山本派にたいする政治局を先頭とする組織的闘争は、関東と関西の労働者組織の圧倒的な支持のもとに全国的に展開され、学生組織のなかに確固とした中核的な拠点が拡大されることによって、山本派の分派主義的策動の敗北と孤立を決定的なものとしたのである。
 三月上旬に予定されていたマル青労同主催の春闘討論集会にたいする山本派の学生の計画的な暴力的乱入と警察権力の介入による中止の事態は、山本派のセクト主義がついに運動の階級的利益を傷つけるところまで成長したことを赤裸々にしたのである。革命的プロレタリアートは、山木派のこのような反労働者的な犯罪を断じて許すことはないであろう。山本派の諸君は、このような反階級的暴挙を国家権力の監視のもとに実践″することによって、われわれと山本派との分派闘争を敵対的性格に転化させ、かくして山本派の没落を決定的にしたのである。
 かつて分派闘争の初期にさいして、山本「政治局員」は、例の私的文書の最後に「批判の基準は実践に!」といった。だが、ここ数ヵ月の実践、とりわけ三月上旬のかの実践は、あきらかに山本派の腐敗と退廃を実践″をもって示したのである。
 かくして、このような山本派の実践″の背後にあるところのものは、(1)わが同盟の労働者組織における山本派の決定的な孤立と、(2)論争にたいする山本派のあわれむべき自信喪失と恐怖であり、(3)討論集会の実行は「下からの分派闘争」とか「思想闘争」といった山本派の神話の現実的破産を意味すること、だからこそ、(4)山本派のセクト主義的利益の防衛のためにいかなる手段にうったえても春闘討論集会を破壊せねばならなかったのであり、(5)このような暴力路線は山本派の「分派=思想闘争」の必然的帰結だということである。
 いまや、山本派の恥ずべき反階級的暴挙によって、わが同盟と山本派との闘争は敵対的性格に転化した。われわれは、山本派の階級闘争からの召還とわが同盟からの逃亡の根底によこたわる山本派の理論的衰退と日和見主義=解党主義的本質にたいし、集中的に壊滅的批判を加えるとともに、わが同盟と日本革命的共産主義運動の当面する課題の理論的・実践的な解明を積極的に遂行していかねばならないのである。なぜならば、わが同盟にとって、そしてまた、苦闘するすべての革命的プロレタリアにとって、問題は、山本派の批判という領域にいつまでもとどまっていることはできないからであり、われわれがいかにたたかうのかという本来の問題が、強烈にわれわれを内部からつき動かすのである。だが、このような任務を勝利的に達成するためには、まずもってわれわれ革命的共産主義者は、山本派の日和見主義を徹底的にあばきだすことが必要なのである。
 
 二、召還主義の今日的形態
 
 (1)
 
 革命党における分派闘争は、それが階級闘争のすぐれて集中的な表現をなすということからして、ごまかしのない徹底的な冷酷さでもってその日和見主義的な翼を極点にまで導いていくのである。
 われわれは、山本「政治局員」の誤った分派主義的な策動に同調している同志たちが、主観的には革命的プロレタリア党を創造せねばならないという善意から出発したことについて、すこしも疑う必要はないのである。だが、われわれが直面している問題は、革命的プロレタリア党の創造という革命的共産主義者の普遍的課題を空論主義的にくりかえすことにあるのではなくして、このような課題を今日的にいかに実現していくのかという一点にかかわっているのである。じつに山本派の諸君は、このような実践的立場をふみはずすことによって、革命的プロレタリア党のための闘争の対立物にみずから転化し、純化していったのである。
 まず、最初に、わが山本「政治局員」が理論家としていかに恥しらずな食言をしているか、かんたんな一例をあげておきたい。というのは、今回の論争について、局外者が理解しにくいひとつの原因が、山本「政治局員」の理論的混乱とジグザグが哲学的な修辞句によって巧みに粉飾され、隠蔽されていることにあるからである。
 山本派の分派通信『解放』第一号に発表された分派宣言のなかで、山本「政治局員」はつぎのように書いている。
 「――政治局僭称派が今日『わが同盟の飛躍的発展のための決定的な環がなんであるかを(基本的に)明示した』(『前進』一二〇号)とベタほめする『三全総』には、しかし実に今日における彼らの堕落の『理論的』根拠が示されている」
 山本派の他のすべての文章と同様にこの宣言においても引用がずさんであり、作意的な歪曲にみちていることについては問題にせずに、ここでは、右の引用と『前進』一〇六号の山本論文の冒頭の一節と比較してみるだけにしたい。
 「――わが同盟第三回拡大全国委員総会の宣言文(『前進』一〇四号掲載)は現段階におけるわが同盟が直面させられている実践的=組織的課題がなんであるか基本的にさししめし、わが同盟の飛躍的発展のための決定的な環がなんであるかを基本的に明示している」(ゴジは筆者)
 今日(六三年四月一日)、わが山本「政治局員」が口汚なく非難している文章は、じつは、ほかならぬ自分自身のものだったのである。論争は往々にして副産物としてエピソードを生みだすものだが、自分で自分の文章にケチをつけて得意になっているのは、まずこれが空前絶後ではないだろうか。われわれは、この笑止千万な一事をもって、山本派の理論的破産を糾弾しようとは考えてはいない。だが山本「政治局員」の理論的衰退が、自分の文章と他人の文章とを混同するところまで深化しているということ、つまり、創造的な活動力を喪失しつつあることを、ここではさしあって確認しておけばいいということである。
 ところで、『前進』一〇六号の山本「政治局員」の批判の第一点が、労働運動主義への基本路線の歪曲にあったことは、すでにのべたとおりである。だが、一読すれば明白であるが、この山本論文では「戦闘的労働運動を<防衛>するための労働運動における戦術の精密化」の「背後にある思想は労働運動主義(あるいは大衆運動主義)でしかない」(ゴジは筆者)ということが突然に論断されているだけで、なぜそうなのか、どのような組織活動のなかでそのような「偏向」があらわれたのか、という理論的な検討が完全にぬけおちているのである。だからこそ、山木「政治局員」は、「党建設論」という自己弁護的な論文のなかで「……というように断定的にいいきったかぎりで、それは誤りである」とやむをえず自己批判せねばならなかったのである。〔このような批判の方法は、宗教的託宣とまったく同一であり、また筆者(山本=黒田)すら「断定」だったといっていることに、すぐ賛成するアワテものがあらわれるのだから、イデオロギー的疎外との闘争は容易ではないわけである。〕
 しかも、このような「労働運動主義」を克服するものとして、@「われわれにとっての中心問題は、右傾化しつつある運動を<左>転換させることにあるのではなく」、A「ほかならぬ現在の労働運動の右傾化の流れに抗してたたかうことを通じて」、B「そのなかに革命闘争を推進せんとする部隊を創造し、それを党的に結集すること」という一般的な決意のみがのべられているにすぎないのである。さらに、このような山本「政治局員」の決意は、「党建設論」においては「労働運動を推進してゆくことなしには党建設はありえない、だが同時に党建設は労働運動だけでは不可能である――このような両者の関係を明確に理論的に自覚しそれを理論化すること」となり、今日では「一つ一つの階級闘争そのものを運動(として)展開すると同時に中核創造として闘う、という一個二重の関係を把握すること」(分派宣言)という強調に発展することによって、召還主義と立脚点主義の煙幕としての役割をますます色こくしているのである。
 だが、われわれの直面している実践的問題は、「労働運動の右傾化の流れに抗してたたかうことを通じて」とか、「労働運動を推進してゆくことなしには」とか、「階級闘争を運動として展開すると同時に」とかいう具合に一般的に確認することにあるのではなくして、なぜ「右傾化の流れに抗してたたかうこと」(このことを戦闘的労働運動の「防衛」と防衛的に規定したのだ!)を通じてなのか、いかなる「労働運動を推進し」「展開する」ことを通じてなのか、という点の具体的解明と理論的深化を階級情勢の理論的分析と組織的活動の総括にふまえておこなうこと、にあったのである。そして、山本派の日和見主義的な転落の根拠のひとつは、じつに、口先では「戦闘的労働運動の防衛」という戦術じたいに反対なのではないといいながらも、三全総の討論の主要議題のひとつをなしたこの問題について、まったく漠然とした理解しかもっていなかったことにあるのである。
 もちろん、われわれの当面する中心的任務が労働者階級の深部に革命的中核を創成し、これを党的に結集していくことにあることはいうまでもない。まさに、われわれの運動の出発点は、スターリン主義と社会民主主義の汚物から思想的、政治的、組織的に決別した革命的プロレタリア党(その実体的な担い手としての革命的労働者)の創造なくしては、プロレタリアートの人間的解放は不可能であることの確認にあったのである。それは、今日、より広がりゆく階級的基礎のうえに、力強くプロレタリアートの最良の部分のうちに定着し、拡大されゆくわれわれの出発点である。
 だが、わが同盟にとって今日的に直面させられているところのものは、右傾化する日本労働運動に抗して分散的・孤立的にたたかわれている戦闘的労働運動の<防衛>と展開をとおして、その内部に革命的中核を創成し、全国的な組織的結合を内的に形成するためたたかうとともに、革命的に正しく把握された日常的スローガンのもとに、資本との日常的闘争に労働者大衆を動員し、組織するたたかいをとおして、わが同盟を戦闘的プロレタリア大衆のもっとも信頼しうる戦闘的な前衛部隊に鍛えあげ、再武装していくこと、にあるのである。わが同盟がこのような任務にたえ、それを革命的に遂行する過程においてのみ、わが同盟の強化と発展は可能なのである。
 革命的プロレタリア組織の実践的性格、その戦闘部隊の本質は、正しい理論的な立場を前提とするのみならず、この組織形態が、理論的立場からの結果にたいするところのその組織形態の感受性を、意識的・組織的に強化することによって、正しい理論的認識をつぎつぎと生みだしていくことにあるのである。したがって、行動にかんする能力と理論的発展にかんする能力とは不可分の相互作用をなすのである。ところが、わが山本派においては、党の組織的活動とは「同盟(党)の組織的拡大と強化」(党建設論)しか意味せず、党と大衆運動との関連をせいぜい円環的関係においてしかとらえられないのである。つまり、革命的プロレタリア党のための闘争について、これを階級的状況との、大衆的なプロレタリア運動と党との弁証法的なラセン運動として、過程的に把握することができないのである。だからこそ、山本「政治局員」は、党(中核)と大衆との弁証法にかんして、雪ダルマ式拡大か、ボタモチのアンコとメシの関係という低級な機械的唯物論の方法でしか説明できないのである。
 一般的にいって、最近の山本「政治局員」の理論的衰退にははなはだしいものがあり、それは、その論文のほとんどすべてが事実の冗漫な羅列と定理の単純なくりかえしに終始しており、核心的な問題に近づくとつねに実践的かまえの欠如とかいう、理論的には非実践的な批判で回避する事実のなかに如実にあらわれているが、今回のわが同盟の当面する組織戦術をめぐる闘争でもまったく同様の病患をさらけだしているのである。
 たとえば、山本「政治局員」は、政治局批判にさいして、さかんに「いかにがない」ということを乱発するが、だが、自分の論文のなかでは「出発点」の非過程的な強調が縮小再生産されるのみで、つまり戦闘的労働運動と同盟建設の関係についても、党的結集の手段として一面的に把握されるだけで、ほかならぬ労働運動の内的過程におけるわが同盟の活動の方法と内容の理論的解明という過程的弁証法が完全にぬけおちてしまっているのである。
 だが、われわれにとって重大な問題性は、まさにこのような党と大衆運動の過程的な弁証法にかんする矮小な理解が、プロレタリアートの日常的に展開される労働運動と大衆行動からの同盟の召還主義とかたく結合して登場していることにあるのである。
 
 (2)
  ――共産主義者は、プロレタリアート全体にたいしてどういう関係にあるのか?
 国際的なプロレタリア解放運動の不滅の出発点を明記した『共産党宣言』において、マルクスとエンゲルスがこのように直截に問題を設定し、「問題そのもののなかに解決をみる」という実践的立場を示して以来、つねにこの一点こそがすべての共産主義運動の生命性を決定するもっとも根源的な、それゆえ、もっとも革命的反省の基準をなしてきた。反帝国主義・反スターリン主義を世界革命戦略とするわれわれ革命的共産主義者の今日のたたかいは、まさに、自称共産党を実体とする今日の「共産主義運動」がスターリン主義的に疎外されており、「世界革命の拠点」ソ連圏が官僚制的に歪曲されているという二〇世紀後半のこの危機的現実にたいする、このような根源的かつ革命的な反省を出発点としているのである。
 したがって、われわれが創造しようとしている革命的プロレタリアート党の基本的立場は、『宣言』の思想の後継者である初期コミンテルンの第二回大会で採択された「プロレタリア革命と共産党の役割にかんするテーゼ」のつぎの立場と完全に同一である。
 ――共産党は、労働者階級全体から離れた利害関係をすこしももたない。共産党が労働者階級全体と相達する点は、ただ、それが全体としての労働者階級の歴史の進路全体を洞察していて、次のことに努力していることである。つまり、この進路は、あらゆる曲り角において、個々の集団や職業の利益をまもることではなくて、全体としての労働者階級の利益をまもることに努力をしていることである。
 だが、今日、われわれ革命的共産主義者が社会党や共産党の思想的、政治的、組織的な規範と決別し、プロレタリア階級から組織的に「独立」した革命的プロレタリア党を創造しょうとしているのは、われわれが階級そのものに代位して階級の利益のためにたたかおうと決意したからではない。それどころか、われわれの究極の目標は、第一インターナショナル規約の「労働者の解放は労働者じしんの事業である」というあの力強い洞察を、歴史上かつてない豊富な脈動をもって実現する点にあるのである。
 つまり、階級から組織的に「独立」した革命的プロレタリアート党の必要性は、じつに、プロレタリアートの階級意識の発展過程の段階的な差異にもとづくのであり、したがって、この革命的プロレタリア党は、不断に「プロレタリア階級意識の革命のために独立した最高の形態」に自己をたかめるためにたたかわねばならないのである。しかも、われわれは、極点にまで腐敗が進行し、革命の障害物にまで転化した社会党・共産党を解体し、プロレタリアートの革命的翼を社会民主主義とスターリン主義の汚染から思想的、政治的、組織的に解放するという困難な闘争とかたく結合することによってのみ、このような革命的プロレタリア党を創造しうるのである。
 したがって、革命的プロレタリア党のための闘争は、プロレタリア階級意識の最高の独立した形態を創造するためのたたかいであると同時に、革命のための最高の独立した形態を創造するためのたたかいなのである。われわれは、革命的プロレタリア党のための闘争を、この二重の弁証法的関係において理論的に正しく把握すること、つまり、独立性においてとともに、同一性において理論的に正しく把握することが必要なのである。
 だが、わが山本派においでは、党にかんするこめような二重の弁証法的関係についてまったく理解しえず、同一性と独立性の弁証法を「大衆闘争とケルンづくり」という特殊的な関係に矮小化し、しかも、前者から後者への一方的通行のみが固定化されるのである。「大衆闘争はうまくいったが、党(細胞)は強化されなかった」という十一・三〇闘争のあとに山本派の学生のあいだで流行したあの総括の方法は、じつに、山本派的「組織論」の限界性の漫画的な噴出だったのである。なぜならば、このような総括の方法からは、分裂した二つの方向、すなわち、党の正しい政治的指導なしに大衆闘争の成功が実現しうるかのように幻想するサンジカリズム的傾向、党と大衆の生きた相互作用を喪失して党の孤立を招来するセクト主義的傾向が必然的に開花するのである。
 しかも、今日、山本派の諸君は口をそろえて「同盟の官僚主義化」をわめき、「批判の自由」について泣き言をならべているが、このような解党主義的誤謬(あとで詳説)と党⇔階級にかんする召還主義的な一面化とは、同一の根をもつ葉の表裏の関係にあるのである。というのは、まさに、山本派の諸君は、気の毒にも個人と組織との関係を形成するにあたっては、党の本質=<人間と歴史とを具体的に媒介する原理>に決定的に重点がおかれるべきこと、つまり、歴史的過程全体にたいする正しい関係を形成すること、についてまったく無知で、倫理的要請としてしか提出しえないのである。〔もっとも、分派闘争の過程で露呈した山本「政治局員」の倫理的な醜悪さは、目に余るものがある。山本の観念的「共同体」とこの現実との現実的分裂!〕
 革命的共産主義者の革命的規律は、レーニンが『共産主義における左翼小児病』において正しく指摘したように、第一に、プロレタリア前衛の意識、革命にたいする献身であり、第二に、党と大衆との生きた交通であり、第三に、その政治的指導の正しさ、によってなのである。しかも、これらの三つの要素は、相互に切り離しえないものであり、セクト主義者たちの形式論理的な見解は、これらの要素が元来は一つのものであることを無視し、党と大衆とが力強い相互作用をなしていることをまったく理解しえないことにあるのである。かつてルカーチが喝破したように、このようなセクト主義は「真実の歴史的過程が(大衆)の意識の発展から分離されて考察されているという点で」「ブルジョア意識と似ている」のである。
 今日、山本「政治局員」のイデオロギー的に疎外された権威のもとに没主体的に追随するあわれな諸君は、党の基本路線の「労働運動主義的歪曲」と「根底的に決別」してなにものかをつくろうとして血まなこになっている。あの悪名高き早大細胞のビラ<キューバの悲劇は何を語るか>を書いたので、恥ずかしくて筆名を偽って『解放』二号の巻頭論文を執筆せねばならなかったわが「山代冬樹」君は、プロレタリアートから疎外された自己の不安を慰めるためか、ついに革命的共産主義運動の基本路線について「黒田理論の基本理念を常に場所的に再創造していくこと」などという神がかりにまで昇天してしまった。だが、山本「政治局員」とその信徒たちが日本革命的共産主義運動の歴史的過程について、どんなに身勝手な偽造を加え、どんなに恥しらずに山本の個人的神話づくりをはじめようとも、われわれは、イギリスの諺ではないが「事実は頑固なものである」と答えればさしあたって十分である。
 なぜならば、山本「政治局員」の直接の政治指導のもとの五八〜五九年のわが同盟の解体的危機(ブントならびに西分派との闘争における完敗はその結果的表現なのだ)は、じつに、山本「政治局員」を頂点とする<党(同盟)と大衆闘争との弁証法>にかんする恐るべき無理解と、政治的条件の変化にたいする徹底した感受性の欠如(その集中的表現としての召還主義の開花)によって決定的になったこと、したがって、五九年夏から開始された全国委員会のための闘争は、まずもって、山本「政治局員」の(1)召還主義、(2)個人的な組織「指導」、(3)親スターリン主義的な綱領的把握(代々木以下的な従属論など)との困難な闘争をとおして実現されたこと、このような立場を基本的に貫徹することによってのみ、わが同盟の前進はきりひらかれてきたこと――これらの事実は、頑固に山本「政治局員」に対立しているからである。
 じつに、山本派を実体とする今日の召還主義、同盟の基本路線の防衛と称してわが同盟に密輸入されようとした今日の召還主義こそは、あの五八〜五九年の解体的危機をもたらした「召還主義」の今日的な形態であり、安保闘争の過程のなかでその組織的克服のために全力をあげてたたかわねばならなかったところの、かの「召還主義」の今日的な形態なのである。
 わが同盟第一回大会の政治局報告、および討議のなかで明白にされたように、五八〜五九年の解体的危機は、新しい階級情勢が不可避にわれわれに提起した革命的前衛としての任務にたいする感受性を強め、われわれと階級情勢との相互作用の発展のあらゆる契機から学びとる能力をたかめること、新しい方法と新しい形態を創造的につくりだしていくことに失敗した点にこそあったのである。かつて、左右の日和見主義についてレーニンが分析したさいに、共産主義者の正しく把握された史的唯物論は、社会的発展が不断に新しいものを生みだすこと、しかも、質的な意味において新しいものを生みだすということから出発するといったことは、意味ぶかいことである。
 したがって、われわれは、きのうは闘争に勝利を与えてくれた武器が、きょうからは逆にその武器がマヒしたために闘争の邪魔になるという危険をつねに警戒していなければならないのである。
 だが、わが山本「政治局員」にあっては、このような「感受性」はただたんなる「政治技術主義」の問題でしかないのである。われわれは、山本「政治局員」が階級情勢とわが同盟の主体的条件の不可避的に提起している任務について無知であることを非難する気は毛頭もないのである。だが、山本とその無批判的追随者たちよ、われわれがこれまでのたたかいのなかできりひらいてきた階級的基礎のうえに、いま創造的に開始されつつあるわが労働者組織の活動について、見当はずれの、しかも歴史的にすでに破産を宣告されているところの心配などしてくれるな! 君らこそ、自分たちがいちばんいいと思う方法で活動してくれたまえ! あの三全総で「人はだれでも自分の好きな方法で地獄へ行く権利がある」といったとき、山本「政治局員」は声をたてて笑った。だが、いまでも、あのときのように笑えるだろうか。
 昨年の暮からのほんのわずかな期間の闘争の過程においてすら、山本派の召還主義はあまりにも明白な軌跡をとって泥沼にむかっている。しかも、つぎにみるように、このような召還主義、つまり、党と階級との相互作用を捨象し、政治的指導の責任を「大衆団体」の指導部に還元するところのこの召還主義は、当然にも山本派の誤った組織路線に追従する若干の労働者の同志たちを、組合活動では民同路線に没入させる危険を拡大させながら、極点にまで自己=山本派を導きつつあるのである。
 
 (3)
 以上にのべたことからもあきらかなように山本「政治局員」の一連の批判なるものは、いかにも理論的な問題提起であるかのごとき体裁をとってはいるが、実際には妄想と独断から出発した空疎な自己絶対化の試みにすぎず、問題を理論的な領域にかぎってみるならば、党と階級の弁証法にかんする山本「政治局員」の理論的無知を自己暴露したという副産物を除いては、なんらの理論的意義をみいだすことはできないものである。
 いったい、革命的プロレタリア党のための闘争を今日的に遂行する環がなんであるか、という実践的課題に直面して、この課題にたいして、わが同盟の組織活動の総括と階級情勢の分析を媒介として理論的解明をおこなうのではなしに、わが同盟の中心的課題は「組織的強化と拡大」であると独断的にくりかえしたり、あるいは、政治局には「いかに」がないなどと見当はずれな評注をオームがえししていることほど、理論家としてみじめで非実践的なことがあるだろうか。思うに、わが山本「政治局員」は、この六ヵ月間の偉大な「思想闘争」において、一方では、自己の理論的創造性の衰退と局限性、階級闘争がわが同盟に提供している前衛的任務にたいする理論的――実践的感受性の欠如を赤裸々にするとともに、他方では、同盟の背後で秘密に陰謀的「分派」を組織し、虚妄にもとづく低劣な「暴露もの」を配布するという非プロレタリア的な政治的能力をいかんなく発揮したわけである。
 だが、このような陰謀主義的な宮廷政治は、わが運動の階級的基礎がまだ脆弱であったあの弁研(弁証法研究会)時代ならいざしらず、今日の拡大されゆく階級的基礎のもとでは、きわめてみじめな現実性しかもちえなかったのである。わが同盟の労働者組織の圧倒的部分を占める関東と関西における山本派の陰謀的分派闘争の失敗と決定的孤立、いまようやく先進的地方組織をこえて全地方組織に確実なテンポで拡大しはじめた山本派的日和見主義との組織的闘争の現実は、あきらかに、わが同盟のプロレタリア的組織性の成長を証明しているのである。今日、山本「政治局員」に追従している一部の同志諸君は、山本派指導部の無責任な「指導」のもとでいぜんとして「多数派の神話」を信仰させられながらも、にもかかわらず説明しえない現実との矛盾にいくどとなく衝突せざるをえないのである。ふたたび開花した山本式暴力路線は、このような山本派の神話と同盟の現実との矛盾の幻想的な解決形態であるところにその悲喜劇的な性格があるのである。
 したがって、山本派の日和見主義を打倒し、克服するためのわが同盟の組織闘争は、山本派の諸君にとってきわめて苛酷な事態をともなって進展するであろう。だがわれわれは、無慈悲かつ非妥協的にこの任務を遂行する必要があるのである。なぜならば、山本「政治局員」のこのような批判的批判は、ただたんに空論的で理論的に無内容であるというばかりでなくして、実践的にはそれが召還主義と解党主義の「理論的」支柱をなしており、このような召還主義と解党主義をわれわれの戦列から徹底的にたたきだすことなしには、わが同盟と日本革命的共産主義運動の前進はけっしてかちとりえないからである。
 たとえば、山本派の諸君は、最近になって、ふたたび口をそろえて「労働運動主義、コミンテルン主義、反帝イズム、スターリン帝国主義への反対主義、実力闘争主義……」など、ありとあらゆる罵倒をわれわれになげかけている。これらのレッテル的罵倒が例によって例のごとくまったく論証を欠いた独断であることは、とくに説明する必要もないであろう。だが、われわれはここで、これらの一連の非理論的な罵倒のなかに、革命的プロレタリアにとってけっしてみすごすことのできない危険な脈絡が内包されていることを卒直に指摘せねばならないのである。すなわち、これらの一連の罵倒のまさに「背後にある思想」は、反帝・反スターリン主義を内的契機とする労働者階級の日常的闘争から、わが同盟の活動を切断してしまうところの召還主義の脈絡である。
 いったい、反帝イズムなどという奇妙なレッテルについて、わが山本派はいかなる概念的規定性をあたえているのであろうか。じつに不思議なはなしであって、わが同盟の綱領的な基本問題にかかわる重大なレッテルであるにもかかわらず、山本派の諸君はまったく無内容にこの概念をふりまわしてなにごとかいった気でいるのである。もちろん、われわれが「反スターリン主義」を綱領的立場とすることに反対しているのだというならば、それは明白な誤認と曲解であるとはいえ、理解しえなくもないのである。だが、実際には、山本派の諸君は、「反帝イズム反対」という空疎なスローガンのもとに、反帝・反スターリン主義世界革命の一環として日本帝国主義国家権力の打倒を実現するという日本プロレタリアートの歴史的使命にたいし反対しているのである。
 われわれ日本革命的共産主義者の当面する任務は、日本革命の実現であり、この反帝闘争の過程において、そしてそのためにのみ、われわれは、日本プロレタリア階級闘争を阻害しているスターリン主義(党とイデオロギー)を打倒するためにたたかうのであり、かくして、プロレタリアートの普遍的目標としての世界革命の完遂(帝国主義同家権力の永続的打倒、労働者国家のスターリン主義への歪曲を打倒するための「補足的」革命)の現実的なトキの声をあげることにあるのである。ところが、わが「反帝イズム」反対主義者たちは、反帝・反スターリン主義の立場にたつもののみが帝国主義ともっとも一貫してたたかうことができること、つまり、帝国主義とたたかう日本プロレタリアートこそわれわれの現実的出発点であることにまったく無知なのである。
 したがって、労働運動主義、反帝イズム……などの一連の罵倒が、現実にわが同盟に要求しているところのものは、帝国主義とのプロレタリアートの日常的闘争からのわが同盟の召還の要求であり、わが同盟をプロレタリア大衆からセクト主義的に分離し、枯渇化させるところの反マルクス主義的な要求なのである。しかも、すでにみたように、労働運動におけるわが同盟の活動の方法と内容の検討、戦闘的労働運動の「防衛」を当面の環とする労働運動における闘争=組織戦術の精密化にたいする非理論的な反発と結合して、このような召還主義が発生することによって、かえって、山本「政治局員」に追従する若干の労働者同盟員たちは、自分の組合のなかでは民同顔まけのズブズブの組合主義者として行動し、山本派のフラクに出席すると「思想闘争」の重要性を強調する、という二元論的な日和見主義のなかに逃避する傾向をますます深刻なものにしているのである。
 動力車労組の運転保安闘争の敗北=左派フラクション(民同左派)の裏切りにかんする総括をめぐって表面化したところのケルン主義と民間没入主義の雑炊的堕落は、じつに山本派の主張する「労働運動主義からの決別」がなにを意味するものであるかを鮮明に照らしだすことによって、山本派の陰謀的「分派」闘争の破産のもっとも実践的な規準をなしているのである(『前進』一一九号、一二〇号、一二一号、一二四号の野島論文参照)。
 このような主体形成主義的なケルン主義と、組合主義的な民同没入主義との雑炊的結合という形態をとって登場した日和見主義は、山本派の諸君がいかに理論的粉飾をもって美化しようとも、あきらかに、日共の街頭主義と本質的に同一の階級的状況から生起するところの召還主義的な日和見主義なのである。ただ、単純な召還主義と異なる点は、山本「政治局員」に追従している若干の労働者同盟員たちが、山本派のあまりにもセクト主義的な指導にたいして経験主義的に修正を加えることによって、現実には組合主義の泥沼のなかに陥没してしまっていることにあるのである。
 じつに五八年秋のわが同盟の解体的危機は、山本「政治局員」が、自己合理化のために、あたかも同志たちが勤評闘争や警職法闘争に投入したからであるかのごとく説明しようとしているが、事実はまさに反対であって、わが同盟の指導部(名実ともの責任者こそ山本だ!)が、これらの政治闘争にたいする同盟としての組織的な政治指導を放棄したからこそ、個々の同盟員は分散的に大衆闘争に没入するか、あるいはまた、セクト主義的にサークルに沈澱するかすることによって、同盟の民主的集権主義的な組織原則は、なんら確立されることなく解体し、あの危機をむかえたのである。まさに、このような経験からなにひとつ教訓を学びとることができないところに、今日の山本派の日和見主義の危機があるのである。
 山本派の召還主義と空論主義は、いまや、われわれとの分派主義的分裂を強行し、同性生殖的な小サークルに矮小化することによって、その極点にまでいきつこうとしている。山本派がかろうじて多数派を獲得した学生戦線においてすら、山本派の学生諸君の全学連への政治指導の無能性と責任放棄は赤裸々となりつつあり、日韓会談や原子力潜水艦寄港問題にかんする山本派指導部の主張の政治的混乱と理論的低水準は、つぎつぎと自己暴露しはじめている。
 われわれはわが同盟と日本革命的共産主義運動の飛躍的前進をかちとるためには、山本派を実体とするこのような日和見主義との組織的闘争をとおして、わが同盟の内部に残存する組織的非集中性と召還主義を徹底的に克服し、同盟の再武装をかちとるための組織的闘争として同時的に遂行しなければならないのである。このような闘争を真に革命的に展開することをつうじて、われわれは、日本革命的共産主義運動の内部的危機を前進の契機に弁証法的に転化しうるのである。
 
 三、解党主義の今日的形態
 
 (1)
 わが同盟第三回全国委員総会において基本的にうちだされた、わが同盟の当面する組織戦術にたいする非実践的な反発と没理論的な無理解を契機としてはじまった山本「政治局員」の分派主義的策動は、組織的な討論をとおして意見の相違と対立を揚棄しようとしたわれわれの努力をふみにじって、つぎつぎと分派主義的な組織分裂と組織破壊を拡大し、例の「春闘集会」の計画的破壊とこれにたいする全同盟的な糾弾のまえに、わが同盟から逃亡しつつも、ますます卑劣の度を加えている。
 大衆団体における批判者への肉体的リンチと『前進』編集局への強盗的乱入という一連の山本式暴力路線の開花は、山本派の主張する「思想闘争」の実体がなんであるかを白日のもとに自己暴露しているのである。まさに、極左冒険主義時代の日共の反対派狩りをうわまわるようなこの分派主義的な小ブル的暴力主義の開花は、あきらかに、プロレタリア運動との生きた交通を喪失した小ブル的「極左」主義者たちの、ほかならぬ自己の危機を証明する以外のなにものでもないのである。山本派指導部の無責任な扇動にかりたてられている一部の学生諸君は、このような恥ずべき行為をくりかえすことによって、山本派とわれわれとの対立を不必要な地点にまで拡大し、プロレタリア的な共同の基盤を回復しえぬまでに掘りくずしているばかりでなく、日本革命的共産主義運動にたいする大衆の信頼を泥まみれにし、かくして、ブルジョアジーとスターリニストの二正面からの攻撃のまえに、わが同盟を裸でさらす犯罪的役割をはたしているのである。
 いったい、肉体的暴力や新聞の没収という権力者の方法で遂行される「思想闘争」によって、われわれとの闘争に勝利しうるなどと山本派指導部が考えているとしたら、これほど愚劣なことはないであろう。山本式暴力路線の実践者たちが私観的にどう自分を判断していようとも、このような「思想闘争」をとおして実現されるところのものが、プロレタリア的人間の思想とまったく無線のものであることはいうまでもないであろう。それゆえ、革命的プロレタリアはいかなる状況に遭遇しようとも、このような反プロレタリア的強制に屈するわけにはいかないのである。だがプロレタリアートの現実的闘争と切断されたこのような宗派主義的な小ブル的暴力主義は、プロレタリアートからの山本派の孤立と分離をいっそう深めるだけのことである。
 かつて、わが山本「政治局員」は、西分派を批判するにさいして、かの大原の「暴力装置」について、「たえず下からの組織化のつみあげが欠如している場合には、必然的に肉体派トロツキスト″が発生し、暴力装置″を背景とした陰謀が革命的オルグにとってかえられる事態さえもが出現するにいたる」(黒田寛一『組織論序説』)と指摘したが、言やよし、まず自分の「実践」を規準にこの言葉をじっくりと味わってみるべきではないだろうか。
 いまや、わが山本「政治局員」とその召還主義と解党主義を支持する分派の諸君は、黒田理論を絶対化し、同性生殖的にわが同盟の「基本路線」なるものをかつぎまわっているが、にもかかわらず、正しい政治指導を下からも上からもうちだすことができず、わが同盟の正しい指導のもとに、つぎつぎと結集しつつある学生共産主義者にたいし、なんら「革命的オルグ」をもってこたえることができないのである。
 ひとたびはわが同盟の学生組織の多数派を獲得しはしたものの、学生戦線にたいする正しい政治指導を組織的に保証しえず、立脚点主義的な泥沼に混迷している山本派指導部にたいする下からの不満と突き上げは、日を追うとともにますます激化しているのである。学生戦線における中核派の確実な全国的な組織化と対照的なこのような山本派の政治的指導の無能と低迷を、排外主義的にすりかえようとしたところに、今回の山本式暴力路線の開花の直接的な政治的条件があるのである。
 われわれは、例の「春闘集会」にたいする山本派の計画的な破壊行為について、これをただたんに直接的な集会破壊行為としてのみみるのではなしに、思想の相違を暴力的に解決しようとする山本「政治局員」の思想そのものの問題としてとらえたのである。
 なぜならば、党派闘争にたいするこのような反プロレタリア的宗派主義は、ブルジョア階級との闘争のなかで不断に形成される階級的統一にたいするもっとも反動的な対立物であるからである。しかも、きわめて重大なことは、このようなセクト主義的な暴力主義が、反帝イズム反対という表現をとって、わが戦列に密輸入されようとしている反帝闘争からの召還主義と固く結びついていることである。したがって、山本派を実体的表現とするこのような分派主義的なセクト主義は、革命的なプロレタリア党のための闘争の途上における非プロレタリア的な歴史的付随物として容赦なく粉砕し、克服していかねばならないのである。
 われわれは、いっさいの感傷的な観察を拒否して、山本派との闘争の冷酷な現実の根底によこたわる階級的性格を直視する必要があるのである。山本「政治局員」とそれに追従する諸君は、昨年秋にわが同盟の内部に生起した対立――それは基本的には同盟内の組織的討論によって解決されうるものであった――を分派主義的に拡大することによって、この対立を組織分裂にまで導き、革命的プロレタリア党のための闘争にたいし、深刻な打撃を与えたのである。だが、山本「政治局員」によるこのような非組織的な分派主義的策動は、政治局をはじめとする全同盟的な組織的闘争、とりわけ、関東と関西の労働者組織における実践的な組織的討論の深化をとおして、孤立し、敗北した。
 六一年夏のわが同盟第一回大会以後の、わが同盟の組織的前進と拡大されゆく階級的基礎こそ、このような召還主義と分派主義的分裂をはねかえし、もっとも小さな被害で克服しえた決定的な主体的根拠だったのである。にもかかわらず、部分的であれ、このような分派主義的策動の発生を許した政治的条件こそは、同時にまた、わが同盟のプロレタリア的基礎の弱さと、それに規定された小ブル的非組織性の残滓にあったのである。
 革命的プロレタリア党における規律と党内民主主義はなにによって保証されうるのか、という問題は、われわれが共産主義運動のスターリン主義的歪曲を直感し、その革命的打破を決意する過程のなかで、たえずわれわれのまえに提起されたところのものだったのである。なぜならば、この問題は、きわめて鋭角的にスターリン主義の発生の問題とかかわっているからである。山本派の諸君は、共産主義的自覚にうらうちされた革命的人間の形成の問題だと主張している。
 たしかに、それは共産主義的自覚にかかっている問題である。だが、レーニンが『共産主義における左翼小児病』において正しく説明しているように、党の規律と民主主義を保証するところのものは、このような自覚、献身が党と大衆との生きた交通、正しい政治的指導と不可分に結びついていることにあるのである。別の表現をとるならば、革命党の内部の規律と民主主義は、敵階級にたいする階級的闘争のあいまいさを許さぬ厳しさのなかにあるのである。
 ボルシェビキ党内で進行しつつあった官僚主義的腐敗は、ボルシェビキ党がスターリンの指導のもとに世界革命戦略から一国社会主義建設路線に転化し、国際帝国主義を持続的に打倒していくための国際プロレタリアートの階級戦から「革命のロシア」とボルシェビキ党を召還してしまったときに決定的なものになったのである。まさにこのような国際的な階級闘争を捨象してボルシェビキ党の官僚制的疎外を考察するところに、官僚制的ソ連の起源にかんするいっさいの社会学的説明の非実践的な、したがって非科学的な本質があるのである。
 それゆえ、山本「政治局員」のように、革命的プロレタリア党における規律と民主主義を保証するものとして、一面的に共産主義的自覚を強調したり、あるいは、「コンミューンの四原則のようなものが党にも適用されねばならない」(『解放』二号)などと客観主義者よろしく泣き言をいったところでなんの解決にもならないのである。だからこそ、同盟の内部では「批判の自由」を要求して、ありとあらゆる非組織的な行動の自由を分派主義的に実践しておきながら、大衆団体である全学連では、行動の統一を守っている中執を、思想闘争として罷免するための策動を強行するという矛盾した姿を山本派指導部は自己暴露することになるのである。いわんや、森茂のようにレーニン組織論を初期と後期に区分して理解し、われわれが後期のものばかり引用するといって、批判した気になっているような低劣な理論的水準では、訓古学者としても失格である。
 われわれは、党組織論における分派主義と、階級闘争と党の弁証法におけるセクト主義とは、もともと同一のものであることを正しく理解する必要があるのである。
 なぜならば、このような誤りは、共産主義的意識の発展をプロレタリアート全体の階級意識の発展との統一と区別において理解しえぬ小ブル的個人主義にあるからなのである。つまり、山本派の諸君は、わが同盟にむかって「批判の自由」を要求し、官僚主義の克服をわめきたてているが、現実に創造しているところのものは、山本「政治局員」の個人的権威に追従する同心円的な宗派でしかないのである。
 わが同盟と日本革命的共産主義運動の歴史的総括における山本「政治局員」の醜悪な神話化の試みは、まさに、かれらの主張する「批判の自由」が山本による「批判の自由」をしか意味していないことを明白に示しているのである。したがって山本式暴力路線の時期はずれの開花は、わが同盟がプロレタリア的健康を急速にとりもどしつつあることにたいする、山本派の小ブル的焦燥の自己暴露以外のなにものでもないのである。
 
 (2)
 いったい、わが同盟と山本派との今日の分裂は不可避だったのか――という疑問がわが同盟の内外に存在しているが、だが、この疑問に正しく答えるということは、けっして容易ではないのである。というのは、この疑問が、昨年九月の第三回全国委員総会で基本的に提起されたわが同盟の当面する組織戦術をめぐる山本派との闘争の組織的総括に、きわめて具体的にかかわっているということからばかりでなく、同時にまた、革命的プロレタリア党の内部に不断に生起する思想的・政治的・組織的危機を、いかに組織的に揚棄すべきかという実践的・理論的課題と深刻に関連しているからなのである。
 もちろん、山本「政治局員」とその聖なる信者たちにとっては、このような疑問はあまりにも無意味なものにみえるかもしれないのである。なぜならば、山本派の諸君には、現に労働戦線においてわが同盟が展開しているところのたたかいは、ただ革命的共産主義運動の基本路線からのわが同盟の逸脱と変質を証明するためのたんなる素材としてしかみえないのであり、したがって、山本派の諸君が、わが同盟から分派主義的に分裂して、山本「政治局員」の基本理念なるものに無批判的に追従するサークル主義的な宗派への結集を決意し、実践しているとしても、それはしごく当然のことだからである。
 だが、今日におけるわが同盟と山本派との闘争について、山本派指導部のように過去におけるわが同盟の分派闘争――トロッキー絶対主義、ならびに戦術左翼主義との闘争――と二重映しして理解しようとすることは、まったく俗物的=聖徒的な、反唯物史観的な総括の方法であり、非創造的な聖徒画の試みでしかないのである。
 つまり山本「政治局員」の信徒たちは、――われわれは分派闘争においてブントにも西分派にも勝った! だから今度も山本派が勝つのだ! と自分に信じこませることによって、山本派の内部に不断に発生する不安と動揺をしずめ、山本派の組織的崩壊をくいとめようとしているのである。だからこそ、山本「政治局員」は理論家としての名誉にかけて「党中党をつくることの意義」などという珍奇な組織論の発明に腐心することによって、逆に、その理論的混乱をますますぬきさしならぬものにしてしまっているのである。
 じつに、わが同盟と山本派との対立と闘争について、山本派指導部がこのような歴史主義的な説明しかなしえないところに、ほかならぬ山本派指導部(その実体としての山本「政治局員」)の危機と退廃がきわめて先鋭に露呈しているのである。昨年秋以来のすべての事実の経過が明白に証明しているように、今日におけるわが同盟と山本派との闘争は、山本派が信じているような「革命的共産主義運動の基本路線と共学同路線との闘争」などでは断じてないのである。
 それは、わが同盟のブント主義やトロッキー絶対主義との思想的・政治的・組織的な闘争を歴史的前提とするところのまったく新しい独自のものであり、わが同盟の組織的前進を主体的基礎とする日本革命的共産主義運動の新しい段階から不可避的に提起されたところの、積極的な対立なのである。まさに、山本「政治局員」を頂点とする山本派の諸君は、日本階級闘争と、わが同盟の現実がわれわれに提起しているところの任務について、まったく理解しえず、自己の非実践的反発を過去的な対立に直接的に還元することによって合理化するという、精神的な幼児退行をもののみごとに開花してみせたのである。
 したがって、山本「政治局員」の召還主義と解党主義を支持する分派が、必然的に経験するであろう破産と解体について、われわれは、これ以上かかわりあうことなどぜんぜん必要がないのである。修正主義者マルティノフ一派にたいするレーニンの決別の辞ではないが、日和見主義者が沼地に投入しようと主張することは、まったく自由なのであるが、だが、そのまえにわれわれの手をはなしてくれたまえ! である。思想闘争と称してわれわれまで召還主義と解党主義の底なし沼にひきずりこもうとすることは、こちらの方からご遠慮申しあげるよりしかたないというものである。
 にもかかわらず、われわれは、今日におけるわが同盟と山本派との分裂を、ただたんにわが同盟の日和見主義分派からの実体的分離という段階にとどまらせてはならないのである。
 すでにいくどとなく確認してきたように、山本派にたいするわれわれの闘争は、同時に、わが同盟の内部に存在する召還主義と解党主義の思想的残滓を、その物質的根拠にまでほりさげて克服するための闘争として遂行されねばならないのである。つまり、山本派にたいするわれわれの組織的闘争を、われわれの革命的武装のための組織的闘争として、徹底的に「利用」しつくさねばならないのである。われわれは、このような意味において、そしてこのような意味においてのみ、山本派とのわれわれの闘争を全面的に総括し、そこから組織論的反省をたえずひきだしつつ前進していくことが必要なのである。
 たとえば、今日、山本派の諸君は、「党中党をつくることの意義」などという珍奇な組織論的発明に腐心することによって、昨年以来の自己の分派主義的な行動を合理化しようとしているが、だが、このような愚劣な試みは、かえって山本派の今日の分派主義的な行動がなんらの組織論的基礎づけもなしに拡大されてきたことを赤裸々に暴露することになっているのである。いったい山本「政治局員」は、なにゆえに「党中党をつくることの意義」を、このように理論的混乱をも恐れずに強弁しなければならないのか――まさに、この一点に山本派の今日の現実的危機が集約的に表現されているのである。
 すでに、ボルシェビキ党における党内闘争の過程においてレーニンが明確に述べているように、革命党における分派闘争は、ただ分派をなくし、党の統一をかちとるためにのみ許される非常手段なのである。われわれがスターリン主義党の一枚岩の理論と根本的に対立し、分派の解消を行政処分の問題として提起することに反対するのは、このようなスターリン主義的な方法では、ほかならぬ党の危機の克服はなしえないからである。
 したがって、われわれは、スターリン派にたいして「公然と分派を宣言する権利」を要求したトロッキー派の組織論的自己矛盾の反省にふまえて、この問題を考察すべきであって、社会民主主義者からなされるところのスターリン主義的党組織論の否定を、民主的中央集権主義の否定に導こうとするいっさいの誘惑を峻厳に拒否する必要があるのである。もしわれわれが、スターリン主義的党組織論の克服と称して、民主的中央集権主義=革命党組織原則を否定しようとする傾向に、すこしでも妥協的態度を示すような誤りにおちいるならば、わが同盟は、社会党とまったく同様に分派の集合体に転落する危機に直面せざるをえないであろう。
 われわれは、帝国主義とスターリン主義の強大な圧制に抗して労働者解放のたたかいを全世界的に遂行していくためには、革命的プロレタリアは強度に密集した戦闘部隊をなしてすすまねばならないのであり、革命的プロレタリア党の組織原則である民主主義的中央集権制をたえず強めるためにたたかうことが必要なのである。まさに山本派の諸君の「下からの分派闘争」論とか、「党中党をつくることの意義」論とかいった愚劣で無意味な主張は、かれらの主観的意図がいかなるものであれ、現実には、プロレタリア的組織原則の解体をもたらすところの小ブル的自由主義のわが同盟への影響を示すもの以外のなにものでもないのである。
 革命的プロレタリア党が他のいっさいのブルジョア的、小ブルジョア的、スターリン主義的な政党と本質的に区別されるところのものは、それが人間の普遍的解放を実現するための共産主義的人間の戦闘的部隊であるということからして、その内部に不断に生起する対立と分裂を、階級的統一の形成にむかってたえず揚棄する内的統一性にあるのである。したがって、革命的プロレタリア党における規律と民主主義の問題は、ブルジョア的搾取と専制にたいするプロレタリアートの不断の闘争において形成される階級的統一を基礎とし、それを意識的に表現したものにすぎないのである。
 ところが、山本「政治局員」においては、革命的プロレタリア党における対立と矛盾を分派闘争として組織化するための必要については、きわめて過大な考慮がはらわれているが、だが、このような対立と矛盾を揚棄するための革命的プロレタリア党の内的統一性にかんする過程的論理と場所的論理の統一的把握という領域については、あまりにも不当な軽視が露呈しているのである。「党中党をつくることの意義」などという山本「政治局員」における党組織論の反レーニン主義的発展は、まさにこのような対立の揚棄の立場の喪失、対立の固定化の理論以外のなにものでもないのである。
 しかも、このような革命的プロレタリア党の組織原則にたいする山本「政治局員」の分派主義的歪曲は、同時に、万能で無謬の山本「政治局員」を中心とする同心円的宗派主義、クロダ理論絶対主義と不可分にむすびついているのである。したがって、昨年秋以来の党内闘争の全過程において明白なように、山本「政治局員」が「下からの分派闘争」というばあい、その下とは山本そのひと以外のなんぴとでもないのである。まさに、この事実が端的に示すところのものは、革命的共産主義の現実的運動を、個人の意識の歴史にすりかえようとする反唯物史観的な試みであり、それゆえに、このような俗物的=聖徒的方法とのわが同盟の闘争は、わが同盟のプロレタリア的基本路線を小ブル個人主義的に歪曲し、矮小化しようとする反動的傾向にたいするわれわれの死活をかけた闘争なのである。
 
 (3)
 山本「政治局員」の個人の意識を、革命的共産主義運動の実体として没主体的に結集した山本派の諸君は、一般的には、党創造至上主義者のごとくみなされており、また、当人たちも多かれ少なかれそうだと思いこんでいるようにみえる。実際のところ、山本派指導部の政治闘争にたいする底しれぬ無感覚とプロレタリア大衆運動にたいするセクト主義的な分離政策、そして、これらと不可分に結合した「党のための闘争」のなみはずれた強調という一連の言動は、あたかも山本派がプロレタリア党創造のもっとも熱心な追求者であるかのように錯覚し、したがってまた、部分的には山本派への直接的反発として、真実の意味での大衆運動主義的傾向を生育させる政治的条件を形成しているのである。
 だが、山本的日和見主義の核心的誤謬は、はたして、かれらが「プロレタリア党のための闘争」をむやみに強調することにあるのだろうか。
 けっして、そうではないのである。山本派の諸君は、さかんに「党のための闘争」を強調するが、にもかかわらず、現実の階級闘争においては、かれらはプロレタリア党のための闘争を一面化し、解体せしめるところの理論的誤謬を徹底化し、現に展開されている革命的プロレタリア党のための闘争を妨害し、分派主義的に小集団の吹きだまりをつくるためにたたかっているにすぎないのである。まさにこの点にこそ、山本派指導部の日和見主義の核心的誤謬があり、同時に、今日いまだに山本「政治局員」の欺瞞的な分派主義的言動に無自覚な山本派の諸君の革命的共産主義者としての危機と悲劇があるのである。
 ところで、山本派指導部の一員である森茂は、あまりにも珍奇な反スターリニズム論をあちこちに乱筆したので、すこしは恥ずかしいのだろうか、「石田六郎」などというニセ商標のもとで、山本 「政治局員」の口まねだけのレポートを山本派の分派通信になぐり書きはじめているが、そこには自己の一貫した政治主義的転身と俗物的自己防衛にかんする驚くべき未切開を、ますます山本派の内部で自己暴露する結果となっているのである。
 なお、石田六郎こと森茂の俗物的な転身ぶりの見事さと身勝手さは、すこしでもかれと政治的生活をともにしたものなら痛感しているはずで、黒田寛一をして「大衆運動主義者森茂は、過去において革命的労働者たちにたいし学習会主義″だとかサロン主義″だとかの罵倒をあびせかけたのであったが、その自己批判″においても、これにかんして徹底的な自己批判をおこなっていないからこそ、いまや彼自身のほうがむしろサロン主義″に転落してしまっているのだ」(『組織論序説』)と嘆かせるほどのものであり、だからこそ、「ブント主義との訣別」を意図したはずの一論文(『共産主義者』五号)においては、哲学的修辞句の羅列でもって自己批判の主題を岡田批判にすりかえ、また、自己の左翼スターリン主義的平和擁護論の克服を意図したはずの一論文(『批判と展望』三号)においては、政治主義的な常套語で自己批判を平板な平和運動史の部分的素描にすりかえてしまうという欺瞞的な転身をやってのけることになるのである。
 今回でも事情はまったく同様であって、すでに六二年七月から政治局会議などで地区的な同盟組織の確立にかんする討議がはじまり、実際にそのための組織的とりくみが開始されていたにもかかわらず、わが森茂は三全総における地区党の提起についてまったく理解できず、十月はじめに山本「政治局員」が、手紙でその「理論的低水準をひきあげてやる」というほかはなかったのであり、のちに、すなわち山本「政治局員」の分派主義的策動が、同盟内で現象的に隆盛をきわめはじめたころになって、突如として「三全総は問題がある」と自己の無理解をタテに俗物的転身を開始し、過去における「反山本」的言動をなげすてて、山本「政治局員」と野合するにいたったのである。
 だからこそ、山本「政治局員」の走狗となった森茂は、なにひとつ自分のことばで語ることができず、政治局会議でも山本「政治局員」の顔色ばかりうかがって態度を決定し、ときおりカン高く泣き声を叫ぶことしかできなかったのであり、今日にいたるも、ただ山本「政治局員」の口うつしを成文化するだけで、かの「八代」や「比喜」ほどの主体性すらもないのである。
 たとえば、今日、森茂は、革命的前衛党にかんするルカーチの「階級意識の最高形態」という規定を、観念論であるなどと天下り的にレッテルはりをして批判した気でいるが、だが、このような批判の方法そのものが、山本派じしんの「共産主義的自覚」論の観念論的な傾斜を自己暴露しているのである。しかも、もっと悲劇なことには、ルカーチ組織論にたいする森茂の批判が、若きルカーチにたいする観念論的だというスターリン主義的批判と同じ視角からのみなされているということである。
 たしかにルカーチは、スターリン主義官僚の恫喝のもとで自己の哲学的追跡を観念論的だとして自己批判した。だが、哲学官僚ミーチンによるデボーリン批判とデボーリンの自己批判が、ソ連哲学のスターリン主義的堕落の分水嶺をなしたように、このようなルカーチの自己批判は、ルカーチの理論的堕落の決定的転機をなしているのである。わが山本派も若きルカーチにたいするこのような俗流的批判と、ルカーチの政治的自己批判をひきあいにだして批判したつもりになるようでは、スターリン主義者以下のダラクというべきである。
 『歴史と階級意識』の一編として発表された若きルカーチのこの「組織論」は、革命的前衛党=革命的プロレタリア党の組織論について哲学的に究明しようとした唯一のマルクス主義的労作であるということのみならず、また、レーニン党組織論をローザ・ルクセンプルグを項点とする西欧の革命運動における組織的経験と統一し、揚棄しようとしたところにその意義があるのである。
 ところが、わが山本派の諸君は、若き時代のトロッキーやローザ・ルクセンブルグの組織論的欠陥をはるかに超越する中央集権主義への反発を肉体的に実践しながらも、なお、レーニンの、そしてまた、トロッキーやローザ・ルクセンブルグの、大衆的プロレタリア行動にたいする卓越した実践的感受性と革命的行動力を、革命的プロレタリア党の決定的な要素として理解しえないために、スターリン主義者と同様に、若きルカーチを観念論者と烙印すれば、すべては解決されたことになるのである。
 しかも、もっと重要なことは、森茂がわれわれの批判の主題から逃亡しているということである。つまり、本稿において問題となった部分の主要な点は、「革命的プロレタリア党のための闘争は、プロレタリア階級意識の最高の独立した形態を創造するためのたたかいであると同時に、革命のための最高の形態を創造するためのたたかいなのである」という二重の弁証法的関係において、正しく理論的に把握すべきであり、山本派のように前者の関係的側面のみを一面化し、党を固定的な教団に転落させてしまうべきでないことを批判したものであることは、あまりにも自明なのであるにもかかわらず、わが森茂は、「階級意識の最高形態」は観念論的規定であるかどうか、などと貧弱な頭脳を例のごとくユウウツにさせるだけで、肝心かなめの問題にはすこしもアプローチしようとはしないのである。
 だが、このような森茂の口まね主義と非創造性とニセ商標主義は、じつに、山本派の理論的衰退の一表現なのであり、衰退を衰退としてとらえられぬ山本「政治局員」の人間的危機の露呈以外のなにものでもないのである。
 だからこそ、山本派のサークル主義と「学園」主義への後退は、個々の信徒たちかいかに自己を理解しようとも、必然的な重みをもって進行するのであり、プロレタリア運動からの召還主義は、個々の若干の諸君がいかに組合的な活動に没頭しようとも、総体としてますます色こくならざるをえないのである。
 山本「政治局員」は、山本派の分派通信四号において、「あらかじめ目標を設定したり、回答″を準備したり、あるいはそのようなものを要求したりするのでなく、あくまでわれわれの組織づくりという観点からそれぞれの組織がこれまで、また現にいまかかえ解決がせまられている問題点へ全国の同志たちがみずからの体験と教訓にふまえつつ相互にきりこむことを通じて何をなすべきか″をうちだしていくという新しい討論のスタイルをつくりだしえた」などと得意になっているが、このような「新しい討論の方法」とは、じつに山本派指導部の政治的無能と組織的無指導をゴマカスためのイチジクの菜以外のなにものでもないのである。
 したがって、山本派指導部の自己満足にもかかわらず、実際には山本派の全国代表者会議は、わが同盟にたいする虚妄にみちた中傷の座談会と、学生たちの空論主義的な空中戦であるにすぎず、そこには日本革命運動の未来をきりひらくためのプロレタリア的な気力と論理などは一片も介在しえないのである。今日、山本派指導部(その実体としての山本「政治局員」)は、山本派の内部に中間主義的傾向が拡大しつつあることをしぶしぶと認めはじめ、山本派はいままでただたんなる反政治局合同反対派でしかなかったなどと自己批判しはじめているようだが、まさに、このような山本派指導部の反省(といえばだが)は、山本派の内部での動揺と分解がもはや山本的権威主義では隠蔽しえぬところまで拡大されつつあることの裏返し的な表現なのである。そして、このような傾向は、いまや、山本派の分派主義的策動が、一時的に地方指導部に開花したあらゆる組織において進展しはじめているのである。
 わが同盟(全国委員会)は、批判の自由=官僚主義反対の名のもとに、わが同盟を社会民主主義的組織形態=分派の集合体に変質させようとする反プロレタリア的解党主義のいっさいのあらわれを徹底的に自己の戦列から放逐し、革命的プロレタリア党の組織原則=民主的中央集権主義の貫徹のもとに断固として自己を再武装するためにたたかわねばならないのである。
 集権主義と自治主義の原則のあいだを、分派主義的に動揺するプレハーノフの徒には、わが同盟よりも小サークルや社会党の方がはるかに居心地がよいであろう。
 われわれは、召還主義と解党主義を支持する日和見主義的挟雑物との決別を、大胆かつ無慈悲に遂行しなければならない。日和見主義との非妥協的な闘争の勝利のみが、わが同盟とプロレタリアートとの革命的交通を拡大し、日本革命的共産主義運動の前進をきりひらく唯一の道である。
 
 (未完)
 (『前進』 一三〇、一三一、一三二、一三四、一三五、一三六、一三八号、一九六三年四月一五日、二二日、二九日、五月二二日、二〇日、二七日、六月一〇日に掲載)