偉大な勝利の道
  七〇年代中期の高揚と爆発にむかって二重対時下の大前進をかちとろう
 
 七一年十二・四をもって反革命としての姿をあらわにしたカクマルのファシスト的凶暴化は、翌七二年十一・八の川口大三郎同志虐殺をもっていよいよ本格化した。本稿は、全人民に敵対することを宣言したカクマルの「内乱期の反革命」としての本質を、疑念の余地なく解明するとともに、革命的共産主義運動の歴史的総括にふまえ、七〇年代中期のたたかいの展望と前衛としての革共同の方針を力強くうちだした記念碑的講演である。
 
一 反革命カクマルによる全学連戦士川口大三郎君の虐殺とそれに対するわれわれの革命的な回答
1 なぜ、カクマルは川口君を虐殺したのか/2カクマル暴力論″の反革命的本質/3 早大生の川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの革命的意義
二 革命的共産主義運動一五年間の不屈のたたかいと七〇年代革命の偉大な勝利の道
   1 革命的共産主義運動の現段階/2 革命的共産主義運動の歴史的な前進とその主要な教訓(A革命的共産主義運動の諸段階とその特徴 B一五年のたたかいの歴史的教訓 C 反革命カクマル、腐敗と転落の一〇年 D 内乱期の反革命=カクマル)/3 革命的共産主義運動の偉大な勝利の道
三 七〇年代中期の高揚と爆発の展望とわれわれの決意、われわれの態勢
 1 七〇年代中期の高揚と爆発の条件/2 七〇年代中期の高揚と爆発はどのような性格けものか /3 われわれの当面の基本的態度/訓報告をおわるにあたって
 
 
 反革命カクマルによる全学連戦士川口大三郎君の虐殺とそれに対するわれわれの革命的な回答
 
 本集会の基調報告の第一のテーマとして、反革命カクマルによる全学連戦士・川口大三郎君の虐殺の問題、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル(K=K)連合粉砕のたたかいの全階級的、全人民的な発展の問題について、わが同盟の基本的な見解を調べたいと思います。
 
1 なぜ、カクマルは川口君を虐殺したのか
 まず最初に、なぜ反革命カクマルは、全学連戦士・川口大三郎君にたいする白色テロを加えたのか、という問題について考えることにします。
 第一には、川口君がプロレタリア解放の若き戦士であり、狭山闘争・相模原闘争の先頭にたってたたかった全学連の不屈の戦士であり、早稲田解放のもっとも先駆的な戦士であったことであります。川口君は、帝国主義の支配と略奪、スターリン主義の裏切りと反革命にたいし、一身を献げて英雄的なたたかいにたちあがりはじめたからこそ、反革命カクマルによって計画的に襲撃され、残虐きわまる殺害の対象に選ばれたのであります。
 第二には、カクマルの反革命に抗し、革共同を先頭とする労働者人民の革命勢力が着実に前進し、二つの十一月決戦をたたかいとった革命的な決意と態勢をもって、内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月の戦取にむかって戦列をうちかためていることであります。革共同とその指導下の革命勢力が、二つの十一月決戦を頂点とする激動の五ヵ年をたたかいぬき、いままた、二重対峙の厳しい情勢のもとで新しい戦略的大前進を囲始しているからこそ、反革命カクマルは、国家権力と一体となって革共同と革命勢力にたいする白色テロの牙をむきだしにし、その一環として川口君に凶暴にも襲いかかったのであります。
 第三には、反革命カクマルの総路線、小ブル平和主義と組合主義、警察=カクマル連合と反革命武装襲撃の路線が、革共同を先頭とする労働者人民の英雄的な抵抗と反撃のまえに完全に失敗し、その反階級的、反人民的な本質がことごとくあばきだされたことであります。マルクス主義・レーニン主義の革命的原則を破壊し、プロレタリア運動を帝国主義の利益に調和できるものに歪曲しようとし、これに反対するものには白色テロで報復するカクマルの反革命的総路線がみじめにも破産し、将来の展望に自信をもてなくなりはじめたからこそ、かれらは、ますますいらだちはじれ、すべての革命的人士にみさかいのない襲撃を加えはじめたのであります。
 第四には、反革命カクマルの虚点″早稲田における白色テロ支配が、革命的、戦闘的な早大生のねばりづよい抵抗闘争のまえに次第に行きづまり、反革命的総路線の破産と白色テロ支配の行きづまりにもとづく内部の動揺をのりきるためには、「中核派のスパイ工作」との闘争の名のもとに反革命カクマルに同調しない早大生のすべてに肉体的打撃を加え、暴力的に転向強要しなければならなくなったことであります。反革命カクマルの早大支配が破綻し、中核派を先頭とする革命的、戦闘的なたたかいが早大のなかに不抜の戦列をつくりはじめたからこそ、反革命カクマルは、このような事態にたいし恐怖におののき、あせり、いらだって、組織的、計画的な襲撃を開始しなければならなかったのであります。
 したがって、第五には、反革命カクマルによる川口君の虐殺は、「社会的荒廃状態」に影響された一部のカクマル分子が、反革命カクマルの路線をはみだして「意図せざる結果」を生みだした、というようなものでは断じてない、ということであります。すなわち、それは、第一には、反革命カクマルの総路線的な破産をとりつくろうためにおこなった組織的な武装襲撃計画の一部分であり、第二には、危機にたつ反革命が、権力と結託しておこなったところの反動的な新しい転向強要攻撃のはじまり、第三には、わが同盟の革命戦士、辻、正田、武藤の三同志にたいする反革命的な襲撃、虐殺を継続するものであります。反革命内部通信『解放』は、十月の段階においてはやくも「ことしの十二・四を待たずとも、中核派の葬送行進を行なう」との決定を宣言しています。この一事をとってみても、反革命カクマルによる全学連戦士・川口大三郎君の虐殺が「未熟な部分による意図せざる結果」などでは断じてなく、反革命カクマル中央指導部の明確な組織決定と結びつき、その有機的な一環としておこなわれた反階級的犯罪であることは、いまや明々白々であります。
 
 2 カクマル暴力論″の反革命的本質
 つぎに、反革命カクマルの自己批判なるものの居直り的な性格、カクマル暴力論″の反革命的な本質とその実践的な帰結について検討することにします。
 第一には、反革命カクマルの自己批判なるものが、居直りと自己正当化、白色テロ継続の反革命的宣言いがいのなにものでもないことについて確認しなければならないのであります。
 諸君もご承知のように、反革命カクマルは、川口君虐殺の直後、警察権力の庇護のもとに白昼公然と記者会見をおこない、川口君虐殺の事実を得意げに自白し、今後とも革命派襲撃を継続することを宣言しました。 しかし、その後、早大生をはじめとして労働者人民の川口君虐殺弾劾のたたかいが燎原の火のようにもえひろがるのに狼狽した反革命カクマルは、あわてふためいて、再度、警察権力の庇護のもとに記者会見をおこない、まやかしの自己批判なるものを発表し、川口君虐殺弾劾・早大解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの全階級的、全人民的な高揚を回避し、反革命カクマルのいっそう反動的な延命をはかるためのみにくい策動をはじめたのであります。
 ところで、反革命カクマルの自己批判なるものですが、それがどんなにペテン的で、どんなに反革命的な意図にみちたものであるか、については「中央学生組織委員会」の署名で発表されたかれらの文書をみるとよくわかります。この自己批判なるものは五項目からなりたっておりますが、その内容を紹介しますと、最初の一項目、二項目と三項目の前半は、反革命カクマルの白色テロの正当性を全面的に主張するために使われており、三項目の後半の部分で突如として「社会的荒廃の風潮」に影響された「一部の未熟なハミダシ分子」による「意図せざる結果」として川口君虐殺がおこったと小ブル特有の尊大さで「自己批判」し、ふたたび四項目、五項目では白色テロの継続、その「高度化」「強力化」が宣言される構成をとっています。
 では、いったい反革命カクマルは、だれにたいし、なにを自己批判しているのであろうか。まただれにたいし、なにを居直っているのであろうか。われわれは、反革命カクマルにおける自己批判なるものと居直りとの不細工なペテン師的結びつきを正確に理解しなければならないのであります。
 まず最初に指摘しなくてはならない点は、反革命カクマルが、国家権力と政治警察にたいして反革命白色テロを警察=カクマル連合の許容しうる節度をこえるところまで発展させてしまったこと、また、そのために警察権力もそう露骨にカクマルを擁護することができない情勢をつくりだしてしまったことを自己批判しているのだ、ということであります。だからこそ、かれらは、川口君虐殺とそれにもとづくカクマルせん滅のたたかいの高揚にたいし、「独自の党派闘争の高度化」をうちだして居直ることが不可避となるのであります。
 そもそも反革命カクマルは、自己批判といいながらも、ブルジョア新聞や国家権力、政治警察にたいして自己批判するだけで、川口君にたいしても、早大生にたいしても、労働者人民にたいしても、一度も自己批判をおこなおうとしていないのであります。川口君のお母さんは、「あのような凶悪なことをやりながら平然と新聞記者会見をやり、自分たちの正当性を主張するような人たちは、それだけでも許すことはできない」と早大葬でなみだながらに訴えられましたが、これこそ、全人民の正義のこえでなくてなんでありましようか。
 同時に指摘しなければならない点は、反革命カクマルが、早大生や労働者人民にたいしては自己批判するどころか、居直りと自己正当化のペテン師的な論理をもって対応し、それがみじめに破産するや、はやばやと反革命的な武装襲撃をもってこたえはじめたことであります。つまり、反革命カクマルの自己批判とは国家権力、政治警察との反階級的、反人民的な連合を再確認することであり、警察=カクマル連合の路線にそって労働者人民にたいする反革命的武装襲撃を高度化し、強力化することなのであります。それゆえ、早大生の川口君虐殺弾劾・早稲田解放のたたかいにたいする凶暴な白色テロの報復は、かれらの自己批判なるものと矛盾するものではなく、その反革命的本質の当然の実践的表現なのであります。
 要約するならば、反革命的虐殺者どもは、権力と政治警察には自己批判し、労働者人民には居直っているのであります。われわれは、このような恥知らずの反革命分子にたいし、かれらの誤りを批判するだけでたりるでありましようか。かれらの反革命的本質を暴露するだけでたりるでありましようか。断じてそうではない。われわれの回答はただひとつ、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいでなくてはならないのであります。ただこのたたかいの無慈悲な貫徹だけが、反革命カクマルの抵抗を無力化し、虐殺の首謀者をひとりひとり早大生と労働者人民のまえにひきずりだし、真の自己批判の方法を教えてやることができるのであります。
 第二には、カクマルの暴力論″なるものが、マルクス主義の暴力論を破壊し、それを小ブル的な自由主義の形式論理にすりかえるものであり、したがってまた、ブルジョア国家と反革命の暴力を擁護し、プロレタリアート人民の革命的暴力に敵対するものであることを確認しなければならないのであります。
 もともとマルクス主義の暴力論は、つぎの三つの原則を不可欠の有機的な構成要素としてなりたっております。
 すなわち、(1)ブルジョア国家とはブルジョアジーの特殊利害を社会一般の「共同利害」として総括するところの虚偽の共同性であり、プロレタリアート人民にたいするブルジョアジーの政治的暴力を本質としていること、(2)ブルジョア国家の政治的暴力に対峙するプロレタリアート人民の革命的暴力を生みだし、強化することなしには、プロレタリアート人民の自由をたたかいとり、まもりぬくことはできないこと、(3)プロレタリアート人民の解放をかちとるためには、階級闘争をとおしてプロレタリアート人民の革命的暴力を前進させ、その特殊な継続としてプロレタリア独裁をかちとり、それを維持しなくてはならないこと、の三点であります。
 ところが、反革命カクマルの諸君は、『革命的暴力とは何か』などという羊頭狗肉の本を出版しているにもかかわらず、マルクス主義の暴力論にかんする三つの原則にかんしてただのひとことも言及しようとしないのであります。すなわち、マルクス主義の現代の背教者たちは、暴力の階級性、政治性=目的性をことごとく捨象し、暴力の手段的手段性、形式的組織性をことさらに強調し、かくすることによって、マルクス主義の革命的暴力論を小ブル自由主義の形式論理にすりかえようとしているのであります。しかし、暴力の階級性、政治性を捨象し、超階級的な暴力、超政治的な暴力を観念的に想定することは、まったくプロレタリアート人民を愚弄するものです。なぜならば、暴力が正義のものであるかどうかを判断する基準は、暴力一般にかんする形式論理性の是非にあるのではなく、暴力がどの階級によってどの階級にむけられているか、暴力がなんのために行使されているのか(人民の自由のためか、人民の自由を蹂りんするためか)という暴力の階級性、政治性にかかわっているからであります。
 したがって、暴力の階級性、政治性を捨象し、暴力の手段的手段性、形式的組紙性を謳歌する反革命カクマルの暴力論の本質は、ブルジョアジーの政治的暴力を美化し、プロレタリアート人民の革命的暴力に敵対し、プロレタリア独裁を否定するものであり、マルクス主義の暴力論の革命的な命題をことごとく破壊するものなのであります。
 第三には、反革命カクマルの暴力論の実践的な帰結が、川口君虐殺としてするどく照らしだされたところのカクマルの反革命的突撃隊の道であることを確認しなくてはならないのであります。
 まえに指摘しましたように、今日、反革命カクマルは、(1)帝国主義の体制的危機の深まりのなかで、(2)プロレタリアート人民の革命的暴力が種々の萌芽形態をとって発展し、(3)革命と反革命の非和解的な対立が内乱に転化しはじめていることを「社会的荒廃の風潮」という小ブル的に転倒した時代認識をもってとらえようとしております。ついこのあいだまで、かれらは、われわれの七〇年代――革命的内乱の時代という規定にたいし、「パラノイア的な妄想」であると非難していたのでありますが、いまや、日本の社会が「内乱の時代」にむかって前進していることをついに認めざるをえなくなったのであります。
 しかし、反革命カクマルが「内乱の時代」を認めたからといって安心するのは早合点というものです。なぜならば、かれらは、革命的な内乱の時代を歓迎し、それを促進するプロレタリアートの立場からではなしに、革命的な内乱の時代に恐怖し、それを抑止しようとする小ブル自由主義の立場から「内乱の時代」を認めているにすぎないからであります。いいかえるならば、かれらは、革共同の主張していた時代の到来がますます不可避となっていることを認めながらも、そのような政治情勢、社会状態の発展を小ブル的な尊大さで「社会的荒廃状況」となげきかなしみ、なんとしてもこのような危機的情勢をくいとめなくてはならない、という結論をひきだしているのであります。つまり、反革命カクマルは、日本階級闘争の「社会的荒廃状況」を反革命的に抑止するために自分自身をナチス式の反革命突撃隊に「高度化」しなくてはならない、と考えているのであります。それゆえ、かれらの任務とするところが、(1)帝国主義の危機を救済することであり、(2)プロレタリアート人民の革命的暴力を解体することであり、(3)革命党とその指導下の革命的内乱勢力を国家権力と一体となって襲撃することであるのは、まったく当然というほかはないのであります。
 ついでに申うしますが、今日のカクマルの思想と行動を理解するうえで、どうしても考慮しておかなくてはならない点は、かれらの精神的荒廃がヒトラーのナチス突撃隊にふさわしいところまで深まっている、という問題であります。反革命カクマルの若干の幹部はかつて革命的左翼の陣営に属していましたし、また、現在でもマルクス主義についてあれこれとおしゃべりをしています。だから、いくらなんでも左翼を名のっているからには、よもやここまで犯罪的なことはやりつこないと考えがちであります。しかし、それは大きな間違いです。
 また、反革命カクマルは、われわれにたいし、「ウジ虫」などといって批判したつもりでおります。もともと革命派を非難するために「ウジ虫」という用語を使ったのは、自民党・佐藤政府の赤沢国家公安委員長でした。いわばカクマルは帝国主義者に教えられたコトバを使ってうれしがっているのでありますが、いずれにせよ「ウジ虫」などという用語で敵対勢力を非難するやり方は帝国主義特有のものであります。二〇年代、三〇年代において、ヒトラーは、自分に気にくわない人物や勢力にたいし、その思想、その行動に批判を加えるのではなく、自分の転倒した意識のなかにつくりあげられている差別的シンボルをはりつける方法をとることによって批判にすりかえるデマゴギー的なやり方をとり、プロレタリアート人民のなかの低劣な非合理的要素を反革命の側に動員しました。反革命カクマルは、いままた「ウジ虫」などという用語を使うことによって、ヒトラーと同じ精神的荒廃状況にみずからがおちいっていることをはしなくも自己暴露しているのであります。
 
 3 早大生の川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの革命的意義
 
 さらに、早大生の川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの重大な革命的意義についてあきらかにするとしましょう。
 第一に指摘したい点は、七〇年代の新しい型の反革命、カクマルをせん滅するたたかいが、プロレタリアート人民の共同の正義のたたかいであり、プロレタリア革命の勝利のための絶対的な条件である、ということであります。二〇世紀における国際階級闘争の経験がはっきり教えているように、ムッソリーニ、ヒトラー、蒋介石に代表される新しい型の反革命との闘争は、いわゆる党派闘争などではなく、内乱の時代に照応した革命と反革命との非和解的な闘争であり、労働者人民の解放のための共同の正義のたたかいなのであります。
 第二に指摘したい点は、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいは、革命と反革命のたたかいであり、正義と不正義のたたかいであり、一方が他方を征服することなしには終ることなき絶対戦争だ、ということであります。
 それゆえ、ここにおいては、つぎの五つの特徴がたえず問題となります。すなわち、(1)二つの階級利害、二つの政治目的が非妥協的に対峙しており、相互に相手の完全な屈服をもとめて絶対的な対立関係を形成していることをはっきりと自覚すること、(2)政治目的がたえず軍事的力量と結びついて発展し、軍事的力量がたえず政治目的に結びついて発展する新しい型の闘争と、その指導原則を生みだすこと、(3)プロレタリアート人民の革命勢力の側が勝利するためには、反革命の政治目的を理論、政治方針、運動路線、組織のすべてにわたって徹底的に批判し、かれらを労働者人民から孤立させるとともに、反革命の側の武装力そのものを徹底的にせん滅しなくてはならないこと、(4)革命党を先頭とする労働者人民が革命的暴力をたえず前進させ、反革命の襲撃にたいしては、これを文字どおり粉砕する革命的な防御態勢を恒常的につくりだすこと、(5)政治目的の正当性と勝利の確信をかたく結びつけ、革命的な攻撃精神をもって闘争の主導権を不断に堅持し、反革命をたえず革命勢力に有利な闘争形式、有利な闘争時点にひきずりこむこと、であります。
 今日、われわれは、国家権力と反革命の密集した攻撃をまえにして、マルクス主義の軍事論の革命的原則に確固として立脚し、いわゆる戦略的防御の思想と態勢をもって二重の内乱的対峙を勝利的におしすすめております。しかし、このたたかいは、いわゆる専守防御のたたかいでは断じてなく、あくまで進攻的で好戦的なたたかいであります。じつに、戦略的防御戦争の原則こそは、圧倒的に優勢な反革命的勢力に対峙し、これを打倒するわれわれの勝利の道であります。また、戦略的防御戦争の態勢こそは、待ち受けという有利な闘争の形式と積極的で進攻的な攻撃精神を具体的にむすびつけた不敗の態勢であります。
 第三に指摘したい点は、早大生の川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕の英雄的闘争をなんとしても勝利させることが、プロレタリアート人民全体のもっとも重大な革命的な任務であり、また、反革命カクマルせん滅の絶対戦争の勝利のための当面最大の戦術的な環をなしていることであります。
 早稲田の四万学生の流血のたたかいは、つぎの三つの点において重大な実践的課題をわれわれに要求しております。
 第一には、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいを、早大闘争を突破口として、プロレタリアート人民の共同の正義のたたかいとして全国的に爆発させることです。昨年の十二・四以来、われわれは、一年間にわたって、「侵略体制粉砕・カクマルせん滅」のたたかいがプロレタリア階級闘争の前進のための重大な革命的任務であることを訴えつづけてきましたし、またそのなかで非常に大きな支持をかちとってまいりましたが、このたたかいの意義について、まだまだ多くの人たちに十分の理解をしてもらえない弱さをもっていたことも事実であります。しかし、反革命カクマルによる全学連戦士・川口大三郎君の虐殺と、それを契機として爆発した早大生のたたかいは、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいが、労働者人民の共同の正義のたたかいであり、また、労働者人民の共同の正義のたたかいとして発展しうるものであることをみごとに証明しております。
 第二には、早稲田における川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの爆発を、二重対峙下における大学闘争の新しい高揚の節芽形態として積極的にとらえかえし、この衝撃を全国の大学闘争に波及させることであります。今日、大学のほとんどすべてが、巨大な累積的矛盾をかかえながら、恒常的な機動隊導入態勢を暴力装置とした日本帝国主義――大学当局の大学法と大学法体制のもとで、また、民青とカクマルの相互補完的な協力のもとで、気孔をあつくふさがれ、「大学の閉塞」とでも.いうべき状況のもとに呻吟してきたのであります。しかし、大学法と大学法体制が根底的に動揺し、民青とカクマルの相互補完的な反動的制圧がおおきくくずれていくなかで、ふたたび大学闘争と学生運動の新しい革命的、戦闘的な胎動がはじまろうとしているのであります。
 第三には、早稲田における川口君虐殺弾劾・早大解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいを、革共同の強力な指導のもとに、最後の勝利の日まで徹底的におしすすめることであります。そのためには、われわれは、当面つぎの四つの任務を有機的に結びつけてたたかいぬかなくてはならないのであります。第一の任務は、先進的・戦闘的学生のもとに学生大衆をかたく結集し、民青の反動的制動を断固として粉砕し、反革命カクマルにたいする政治的・武装的な対峙の陣形をいっそう強固にうちかため、かれらをひとりのこらず早稲田からたたきだすことであります。クラス・サークルを基礎とした自衛武装の共闘態勢を積極的につくりあげ、あらゆるものを武器に、血を流してたたかいぬいてはじめて、自由をかちとり、自由をまもりぬくことができるのであります。第二の任務は、大学当局の自治会否認粉砕・大学当局=カクマル連合弾劾を基軸にして、反動的大学当局と学生大衆との対決を徹底的におしすすめることであります。大学当局を学生の要求をもって追いつめ、全学団交を要求し、ストライキ、試験ボイコット、バリケード封鎖を辞さずたたかいぬくことであります。第三の任務は、法政大学、沖縄大学をはじめとする全国の革命的、戦闘的学生と連帯し、大学法と大学法体制を粉砕するたたかいの先駆的な闘争拠点に早稲田をつくりかえることであります。侵略と対決し、内乱・内戦――蜂起の自由な砦を構築する全国大学闘争の最先頭に早稲田をおしあげることであります。
 第四の任務は、早稲田大学闘争の革命的前衛として強大なマル学同・中核派の支部を建設し、その周囲に戦闘的学生をいっそう厚く、いっそう固く結集していくことであります。早大四万の革命的中核として早大支部を飛躍的に強化し、合法・非合法、公然・非公然のたたかいをとおして革命的な指導力を前進させることなしには、早稲田解放の真の実現はありえないのであります。
 最後に、報告者の個人的感慨を若干のべさせてもらいます。わたしは、かつて早稲田で学び、早稲田でたたかった学生のひとりです。もう一五年もまえのことですが、わたしは、多くの革命的学友と協力して、スターリン主義に制圧されていた強大な日共早大細胞を内側から完全に転覆し、反帝国主義・反スターリン主義を綱領的立脚点とする革命的前衛組織をつくりあげ、六〇年安保闘争とその総括の過程をとおして早稲田を帝国主義とスターリン主義にたいする不抜の革命的拠点にうちかためました。その後、わたしは、党指導部と労働者組織の建設という新しい任務に専念するため早稲田をはなれましたが、このようなたたかいの教訓と精神を忘れた早稲田の一部の日和見主義者たちは、革共同の内部に発生した少数の小ブル自由主義分派に追従して革共同から逃亡し、革命の拠点としての早大学生運動を次第に白色テロ支配の虚点″に反動的に歪曲してしまったのであります。ここ数年、わたしは、本当に歯がゆい思いで耐えてきました。しかし、ここにようやく早稲田の学生諸君は、六〇年安保闘争、六二年米ソ核実験反対闘争、六六年学費学館闘争、六九年大学闘争の戦闘的な伝統を回復し、早稲田解放のたたかいにたちあがりはじめたのであります。わたしは、この重大な転機を大切にしなければならないと考えています。
 聞くところによると、本集会には非常に多くの早大生が参加されているそうであります。諸君たちのなかには、いろいろな個人的な事情や、いろいろな迷いもあって、まだ、十分に活躍されていない人もいることと思います。しかし、諸君、たちあがるべきときはいまです。中核派の革命的な学生とかたく団結し、全学連の旗のもとにおおきく結集し、川口君虐殺弾劾・早稲田解放、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいを決定的に前進させ、早稲田大学をふたたび革命の砦に築きあげようではないか。わたしは、一個の早大出身者として諸君たちに心の底からそう呼びかけるものであります。
 
 二 革命的共産主義運動一五年間の不屈のたたかいと七〇年代革命の偉大な勝利の道
 
 本集会の基調報告の第二のテーマとして、革命的共産主義運動の歴史的な現段階がいかなる性格のものであるのか、また、七〇年代革命の勝利の戦略的総路線とはなにか、という問題にかんして、われわれの基本的な主張をのべたいと思います。
 
 1 革命的共産主義運動の現段階
 
 まず最初に、革命的共産主義運動の現段階とはなにか、という問題について考えることにいたします。
 ご承知のように、われわれは、今日、帝国主義国家権力の破防法的、内乱鎮圧的な弾圧体制、警察=カクマル連合とそれを背景としたカクマルの反革命武装襲撃という二重の攻撃に内乱的に対噂しつつ、二重対峙のたたかいをとおして、内乱・内戦――蜂起の戦略的総路線の大前進、第三、第四の十一月の戦取のたたかいをおしすすめております。
 もともと、二重対峙の情勢が到来する必然性は、(1)戦後世界体制の崩壊的危機のもとでの日帝のアジア侵略と侵略体制づくりの攻撃の激化と、その矛盾の累積、(2)二つの十一月の勝利を基礎に、内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月の戦取にむかって戦略的大前進をつづける革命党と革命勢力の存在、(3)プロレタリア運動を小ブル自由主義、組合主義にすりかえようとするカクマルの反革命総路線の破産と、その破産を反動的にのりきるための反革命突撃隊としての純化、(4)権力の破防法的、内乱鎮圧的な弾圧、選択的弾圧の激化、警察=カクマル連合の形成、両者の側におけるその自覚的、意図的な運用、という四つの要因の歴史的な結びつきにありますが、より主体的に規定するならば、われわれの一五年にわたる闘争の歴史的前進が、国家権力と反革命をここまで追いつめてきた結果であるともいえるのであります。二重の内乱的対峙は、革命的共産主義運動一五年の前進の歴史的な到達点であり、七〇年代における革命的共産主義運動の壮大な発展の歴史的な跳躍台であります。それゆえ、革命的共産主義運動の現段階とは、二重の内乱的対峙と、そのもとにおける内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月の戦取のたたかい、いがいのなにものでもないのであります。
 
 2 革命的共産主義運動の歴史的な前進とその主要な教訓
 
 つぎに、革命的共産主義運動の一五年の歴史的な前進と、その主要な教訓の問題について検討することにします。
 
 A 革命的共産主義運動の諸段階とその特徴
 
 革命的共産主義者同盟は、一五年前の一九五七年十二月、日本共産党六全協、ソ連共産党二〇回大会、ハンガリア革命としてするどくつきだされたスターリン主義の危機と動揺、革命的共産主義とスターリン主義との歴史的な分裂を基礎として創立されました。以後一五年、われわれは、いくたの難関に直面しながらも、それをのりこえてすすんでまいりましたが、革命的共産主義運動の前進の歴史は、大きく区別すると、おおよそ五七年〜六二年の第一期、六二年〜六七年の第二期、六七年〜七二年の第三期、七二年以後の第四期の四つの時期にわけることができます。
 第一期の特徴は、スターリン主義から自己を明確に区別するところの綱領的、組織論的な立脚点、独自の党建設の基礎をかためることにありました。この時期の主要な闘争内容は、勤評、警職法、安保、三池、政暴法、反戦など大衆運動上の緊急の諸課題に真剣にとりくむとともに、スターリン主義、トロッキー教条主義、左翼スターリン主義=戦術左翼主義、小ブル自由主義=組合主義の四つの傾向との非妥協的な闘争をとおして綱領上、党建設上の基本原則を確立していくことにあったのであります。
 第二期の特徴は、獲得された綱領的、組織論的な立脚点にもとづいて党建設をおしすすめ、革命勢力の独自的な強化をはかりながら本格的な革命闘争を準備することにありました。この時期の主要な闘争内容は、大管法、原潜、日韓、反合、賃闘、都政、学費、学館、砂川など大衆運動上の緊急の諸課題と結びつけて独自の戦闘的な運動をつくりだしながら、小ブル自由主義=組合主義、戦術左翼主義、左翼社民主義の諸傾向との非妥協的な闘争をとおして党建設を飛躍的におしすすめ、戦後世界体制の根底的動揺と日帝の体制的危機の深まりという新しい情勢に理論的・実践的に対応して革命戦略の決定的な前進と、それにもとづく党の再武装をなしとげたところにあります。
 第三期の特徴は、六七年十・八羽田を突破口にした永続的な革命闘争の開始、そのなかでの革命戦略、革命党建設、革命勢力強化の決定的な前進にありました。この時期の主要な闘争内容は、羽田以来の激動の五ヵ年、二つの十一月を頂点としたプロレタリア階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展を断固として貫徹しつつ、国家権力の破防法的、内乱鎮圧的な弾圧体制、それに呼応したカクマルの反革命的な敵対に対峙して党の戦略的総路線、組織建設、革命勢力強化の独白的な大事業の前進をきりひらいてきたところにあります。
 第四期、つまり現段階の特徴は、第一期(基礎)、第二期(準備)、第三期(開始)の歴史的な前進のうえにたって、革命闘争と党建設の本格的な発展をかちとり、党建設、勢力強化上の重大な前進をかちとることであります。この時期の主要な闘争内容は、二重対峙の階級情勢のもとで、内乱・内戦――蜂起の戦略的総路線、第三、第四の十一月の戦取のたたかいを本格的に前進させること、すなわち、二重対峙をとおして理論、戦略、政治、軍事、運動、組織のすべての面にわたって革命闘争と党建設の本格的な前進をかちとりつつ、七〇年代中期の高揚と爆発にかんする展望と態勢を確固としてうちかためることであります。
 
 U 一五年のたたかいの歴史的教訓
 
 われわれは、七〇年代中期における革命闘争と党建設の壮大な発展をまえにして、革命的共産主義運動の歴史的教訓を明確にしておくことが重要であります。
 第一には、プロレタリア運動、人民の運動の内部における反革命と日和見主義の潮流にたいし非妥協的な闘争を断固としておしすすめてきたことであります。第二次ブントの一部の無責任な逃亡者たちや、第四インターの諸君は、このごろさかんに「内ゲバをやめることが運動の前進の鍵だ」などとメンシェビキにふさわしい泣き言をつぶやいております。しかし、このような意見は、しょせん、自分たちの歴史的破産にたいする主体的な総括を回避し、国家権力・反革命との和解をはかり、日和見主義の路線を擁護するための、もっとも不誠実なやり方であります。運動内部の誤った傾向をはっきりと批判し、それを克服して前進すること――これがプロレタリアートの率直な革命精神であり、マルクス主義・レーニン主義の方法なのであります。事実の問題として、われわれは、一五年の歴史的前進のなかで、スターリン主義、左翼スターリン主義=戦術左翼主義、トロッキー教条主義、小ブル自由主義=反革命的組合主義との闘争を非妥協的にたたかいぬくことによって、日本階級闘争を今日の段階までおしすすめることができたのであります。
 第二には、反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略を確固として堅持しつつ、同時に戦後世界体制の崩壊的危機という新しい情勢にもっとも先駆的にこたえた七〇年代革命の戦略的総路線としてそれを前進させてきたことであります。今日にいたるも、反革命カクマルは、恥しらずにも「反帝・反スタ」の旗印をかかげて、プロレタリアート人民をあざむこうとしております。しかし、かれらは、世界革命を真に達成するために、この革命的旗印をかかげているわけではありません。裏切り者たちは、プロレタリアート人民が帝国主義とスターリン主義の支配をうちやぶって前進するのを阻止するために、反帝国主義・反スターリン主義のたたかいを反革命的に歪曲するために「反帝・反スタ」の旗印をかかげているのであります。われわれは、そうではない。われわれは、プロレタリアート人民の自己解放の現代的な革命戦略として、反帝国主義・反スターリン主義の旗印をかかげるのであり、プロレタリア階級闘争の革命的展開をとおして、発展する(開かれた体系)として反帝国主義・反スターリン主義の革命戦略の前進をきりひらいてきたのであります。自己解放のためにたちあがったプロレタリアート人民が、たたかえばたたかうほど確信する勝利の路線、それがわれわれの反帝国主義・反スターリン主義の革命戦略であります。
 第三には、労働者運動、人民運動の内部における反革命と日和見主義の潮流にたいする闘争、現代革命の基本戦略の確立とその戦略的総路線としての前進、という二つの任務を革命的前衛党建設のための独自的なたたかいとかたく結びつけて発展させてきたことであります。プロレタリア独裁のための前衛として革命党を独自的に建設し、プロレタリア階級闘争をとおして党の組織的力量と指導能力を発展させることは、われわれの当面する重大な任務であります。それゆえ、われわれは、あくまでも党建設の独自的たたかいを党のための闘争と党としての闘争の有機的な結びつきのなかですすめなくてはならないのであり、また、客観情勢を主体化していく過程と主体的なたたかいで情勢そのものを客観的につくりだしていく過程の弁証法的な発展のなかで、党建設、勢力強化の独自的たたかいをおしすすめなくてはならないのであります。六七年羽田以来の五年間のたたかいは、われわれのこのような組織路線がまったく正しかったことをはっきりしめしております。
 第四には、「侵略を内乱へ」の戦略的総路線を確固としてうちだし、それをプロレタリア階級闘争のいっさいを集約する指導原則として貫徹していることであります。日本帝国主義のアジア侵略と侵略体制構築の攻撃、七二年沖縄「返還」政策をテコとした安保体制の反動的大再編の攻撃にたいし、プロレタリアート人民が「二つの十一月」を頂点とした革命闘争をもって反撃を加え、城内平和なき侵略体制、七〇年代階級闘争の永続的高揚の情勢をみずからひきだしたことは、ご承知のとおりの事実でありますが、このような主客の情勢の決定的な転換は(侵略→内乱)という明快な戦略があってはじめて可能だったのであります。
 第五には、七・七自己批判を決定的な契機として民族排外主義、差別=分断意識とのたたかいをプロレタリア革命の重大な戦略的課題におしあげはじめたことであります。危機にたつ日本帝国主義はアジア侵略と侵略体制の道に日本プロレタリアート人民を動員するために、民族排外主義、差別=分断意識の攻撃を決定的につよめてきております。われわれは、帝国主義の民族抑圧と民族排外主義の攻撃、差別と分断の攻撃にたいし断固としたプロレタリア的反撃を加えるとともに、プロレタリアート人民の内部にうえこまれている民族排外主義、差別=分断思想にたいしても主体的な対決をすすめなくてはならないのであります。
 もともとわれわれは、革命的共産主義運動の出発点において、人間の共産主義的解放は、プロレタリアート自己解放として実現するのであり、また、プロレタリアートの解放は人間の全人間的な解放を条件として実現されるものであることを確認していました。しかし、われわれは、この共産主義的原理をプロレタリア革命と民族解放闘争の問題、プロレタリア革命と被抑圧人民の解放闘争の問題として、現代のプロレタリア階級闘争の実践的課題にまでたかめることに決定的に不十分であったのであります。それゆえわれわれは、革命的共産主義運動を革命的共産主義運動として真に前進させ、プロレタリアート人民を自己解放の革命的主体として真に前進させるためには、帝国主義的抑圧民族のプロレタリアート人民として自己の民族排外主義、差別=分断意識との主体的な対決をおしすすめ、在日アジア人をはじめとする被抑圧民族の人民のたたかい、部落民を先頭とする被抑圧諸階層の人民のたたかいをもって、われわれの共産主義を根底的に問いかえし、われわれの革命戦略を決定的に前進させなくてはならなかったのであります。
 第六には、二重の内乱的対峙のもとで、七〇年代革命の戦略的総路線の大前進運動をかちとりはじめたことであります。「十二・四をみすえ、十二・四をそそぎ、十二・四をのりこえる」ことを合言葉としてうちぬかれてきた反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかい、「五・一五体制」を根底からゆるがす沖縄奪還の永続的たたかい、米帝と日帝のベトナム共同侵略と対決し、嘉手納・北熊本・相模原を軸にもえひろがったベトナム反戦、基地撤去、派兵阻止のたたかい、井波十一月死刑判決体制を粉砕し、偉大な勝利の展望をきりひらいた狭山差別裁判徹底糾弾・無実の石川氏即時奪還、「死闘の六ヵ月」のたたかい、革命党とその指導下の革命勢力を建設し、二重対峠下の組織原則、指導原則をつくりだすたたかい――こうした七二年のたたかいのかずかずの経験は、二重対峙下における運動の成立の問題、二重対峙下における党建設の問題に重大な勝利の展望をあたえ、七〇年代中期の高揚と爆発、内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月たたたかいとるうえで、重大な跳躍台をつくりだしているのであります。
 
 C 反革命カクマル、腐敗と転落の一〇年
 
 このようなわれわれの革命的前進と対照的なのが、反革命カクマルの一〇年間の腐敗と裏切り、逃亡と襲撃の歴史であり、日和見主義から反革命への完成の歴史であります。
 もともと反革命カクマルは、革命的共産主義運動の反革命的な疎外態であるところに固有の性格をもっていますが、その特徴は、わが同盟からたたきだされて以後の一〇年間の、限際ない腐敗の過程にみじめなほど刻印づけられています。すなわち、黒田寛一をはじめとする反革命カクマルのひとにぎりの幹部は、わが同盟の五九年以来の再建と躍進についてこられない日和見主義の潮流として発生し、革命的共産主義運動の戦闘的な前進をうちだした六二年のわが同盟三全総の路線に恐怖し、非組織的な抵抗を若干おこなったあと、メンシェビキよろしくわが同盟から逃亡していった卑怯者たちであります。
 当初、かれらは、自分たちの日和見主義をかくすために、三全総路線は、民同の尻おし路線であるとか、地区党組織の位置づけが不明確であるとか、というような理屈をならべたてました。しかしかれらがなんといおうと、その逃亡の本質が、(1)帝国主義権力との革命的対決にたいする恐怖、(2)資本ならびに民間との戦闘的、大衆的対決からの逃亡、(3)階級闘争のなかでの革命路線の貫徹の否定、(4)組合主義的産別党路線、(5)党内闘争からの非組織的な逃亡の五点にあったことは、まったく疑う余地のないところであります。その根拠にあるところのものは、反帝国主義・反スターリン主義の革命戦略の小ブル自由主義的な歪曲であり、革命党建設の組合主義的フラクションづくりへの歪曲であります。
 その後、かれらが、闘争のたびごとに反革命的な敵対、裏切り的な逃亡、戦闘的潮流への武装襲撃をくりかえし、一歩一歩反革命への転落の道をあゆんでいったことは、諸君たちがすでによく知っておられるとおりであります。
 今日、反革命カクマルは、つぎの四つの点においてきわだった特徴をしめしはじめております。
 すなわち、第一には、革命論、国家論、(帝国主義)段階論、組織論などの全領域においてマルクス主義・レーニン主義の革命的核心をことごとく破壊し、小ブル自由主義と経済主義、組合主義の綱領にそれをすりかえ、帝国主義の民族排外主義、差別=分断.の政策に全面的に屈服してしまったことであります。ベトナム問題にかんするポスト・ベトナム論、スターリン以下の平和擁護論や、沖縄問題のブルジョア的解決論や、暴力革命の否定=社民的ゼネスト「革命」論の主張などは、その実践的あらわれです。
 第二には、プロレタリア独裁と歴史的に結びついたレーニン主義的党組織論を完全に解体し、社民的組合主義に結びつき、それを反革命的に補完する組織路線に転落し、組合主義と突撃隊を結合した新しい型の反革命に自己を完成しつつあることであります。
 第三には、以上の二点の破産をとりつくろうために、プロレタリア階級闘争の革命的、戦闘的な発展にたいする反革命的武装敵対勢力としての役割をますます強めていることであります。もともとカクマルは、その成立の当初から、日和見主義的本質の実践的あらわれとして裏切り的逃亡と闘争破壊をくりかえし、いっさいの戦闘的潮流から憎悪の対象とされてきたのでありますが、今日では、カクマルの裏切りと闘争破壊の策動は、かれらの反革命的本質から意識的に規定されたものにますます「高められ」ているのであります。
 第四には、帝国主義国家権力、とりわけ政治警察との連合をふかめていること、内乱的社会情勢のなかで政治警察的な方法では単純に鎮圧し壊滅できない革命的内乱勢力が次第に伸長してきているのにたいし、政治警察と連合して「非合法的」な方法で白色武装襲撃を加える反革命突撃隊としての性格をますます色こくしていることであります。
 
 D 内乱期の反革命=カクマル
 
 以上の検討から明々白々でありますように、カクマルの本質は、七〇年代的な革命的内乱時代における新しい型の反革命なのであります。
 もともと二〇世紀の国際階級闘争は、一九世紀のいわゆる自由主義の時代とことなり、資本主義の帝国主義段階、また、資本主義と共産主義の内乱的激突を世界史的特徴とする過渡期を基礎として展開されるため、革命と反革命の対立が、種々の具体的な姿をとって発展することを余儀なくさせることがあります。もとより反革命がまずもって独占資本と帝国主義国家権力として存在すること、また、独占資本と帝国主義国家権力を支える種々の政党、報道機関、学校、組合などの諸装置として存在することはいうまでもないところであります。しかし、世界史的な革命的内乱の時代の発展は、従来の権力装置を強大化し、巨大な反革命的装置を恒常化せしめるとともに、なおかつそのうえに、民間の右翼勢力のみならず、労働者運動、民族運動内部、あるいは、その周辺の一定の勢力を反革命的に育成し、これをもって真の革命勢力の成長に対抗させる傾向を種々の形をもって生みだすのであります。
 社会民主主義の諸潮流、スターリン主義の諸潮流の帝国主義への屈服と協力が、危機にたつ帝国主義の延命にとってどんなに大きな支柱としての役割をはたしてきたかは、すでに諸君のよく知るところであります。しかし、帝国主義は、革命の危機を回避し、体制を維持するために、社会民主主義やスターリン主義の屈服と協力をとりつけるだけではありません。必要に応じてはかれらは、労働者運動、民族運動の内部、あるいは周辺の一定の勢力を先制的な反革命的勢力として育成し、これと結びつき、合法的=警察的方法とならんで、内乱的=非合法的方法をもって革命勢力の成長に対抗し、これを鎮圧しようとするのであります。
 イタリア社会党(といってもレーニンもある程度評価していた戦闘的なそれですが)の一分派として出発し、ファシズムとして自己を完成させたムッソリーニ。赤旗をかかげて労働者と没落小市民を結集し、反革命的内乱勢力として帝国主義延命の最後の古典的反革命形態を生みだしたヒトラー。国民党の継承者としての権力を使って帝国主義の半植民地支配を維持し、革命の武装制圧の先兵としての役割をはたした蒋介石。これらの新しい型の反革命こそ、そのもっとも顕著な実例であります。そして、いままた、反革命カクマルは、ムッソリーニ、ヒトラー、蒋介石ら新しい型の反革命の道を、もっとみじめな姿であゆもうとしているのであります。革命的共産主義運動の内部から日和見主義として発生し、革命的共産主義運動の周辺で反革命として成長したカクマルは、自己の反革命的本質をおおいかくすために、「種々」の革命的言辞をふりまいておりますが、それが七〇年代における新しい型の反革命であることは、いまや、あまり正もあきらかであります。
 それゆえ、われわれは、帝国主義とその権力にたいする革命闘争をいっそう強化し、その革命的中核をなす党建設をいっそう前進させるとともに、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいを全階級、全人民の共同の正義のたたかいとして全面的に発展させ、それをとおして革命的内乱の時代を飛躍的におしすすめなくてはならないのであります。これこそ、革命的共産主義運動の一五年の歴史的前進のもっとも重大な教訓であります。
 
 3 革命的共産主義運動の偉大な勝利の道
 
 さらに、革命的共産主義運動の今後の発展を基礎づける問題、勝利的な前進の方向の問題について提起することにします。
 まず第一には、反帝国主義・反スターリン主義の革命戦略を確固として堅持し、七〇年代革命の戦略的総路線を断固として貫徹していくことであります。
 ご承知のように、戦後世界体制は、今日、崩壊的危機の様相を日に日に強めております。戦後世界体制の発展基軸をなした帝国主義戦後世界体制は、ベトナム敗勢とドル危機を導火線にして際限のない危機におちこみました。帝国主義は、戦後二七年間つづいてきたやり方では、もはや、世界支配をつづけることができないことに気づきはじめております。アメリカ帝国主義を先頭とする略奪者どもは、危機の爆発をちょっとでものばすことができるならどんなことでもしなければならない、と考えております。だからこそ、かれらは、一方ではニクソン訪中のような前代未聞の策略をうって中国との和解をとりつけておいて、他方では、かつてない膨大な物量を投入して南爆、北爆の皆殺し作戦をつづけ、ベトナム=アジアにおける帝国主義的支配権を死守するために、残虐と謀略のかぎりをつくしております。これが、パリのベトナム和平会談の背後で進行している現実の事態であります。
 他方、ソ連、中国を先頭とするスターリン主義陣営は、帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機を世界革命の前進に転化するのではなく、帝国主義の体制的危機をかけた攻撃、息つぎと時間かせぎの攻撃のまえに屈服し、一国社会主義理論と平和共存政策の腐敗と裏切り性をますますあらわにしております。帝国主義本国のプロレタリア革命に敵対し、階級闘争の体制内的包摂のもっとも重要な協力者の役割をはたしてきたスターリン主義は、いままた、もっとも露骨なかたちで民族解放・革命戦争の発展を裏切り、帝国主義の後護国・半植民地体制の建て直しに力を貸しあたえているのであります。
 しかし、帝国主義がどんなに残虐と謀略のかぎりをつくそうとも、また、スターリン主義がどんなに屈服と裏切りを深めようとも、戦後世界体制の崩壊的危機をおしとどめることは絶対に不可能であります。いわゆる国際通貨体制の問題にしても、いわゆるベトナム問題にしても、一時しのぎのとりつくろい策はともかくとして、抜本的な解決策はありうるはずがありません。帝国主義の世界体制、その不可欠の要素としての帝国主義の後進国・半植民地体制を打倒することなしには、スターリン主義の一国社会主義理論と平和共存政策、それにもとづくプロレタリア世界革命とその一環としての民族解放・革命戦争への敵対と裏切りを打倒することなしには、現代世界の危機を根底的に解決する道はありませんしそれゆえ、現代に生きる世界プロレタリアート人民の共同の戦略スローガンは、戦後世界体制の崩壊的危機を反帝国主義・反スターリン主義世界革命へ! でなくてはならないのであり、また、この道だけが真の勝利の道をしめしているのであります。
 第二には、七〇年代革命の戦略的総路線を、プロレタリア階級闘争の具体的な展開をとおして発展させ、勝利させていくことであります。
 日本帝国主義は、戦後世界体制の崩壊的危機の深まり、それをとりつくろうためのアメリカ帝国主義の時間かせぎと息つぎの政策、スターリン主義の屈服と裏切り、アジアの流動化と激動化という危機的な情勢のなかで、アジア侵略と侵略体制の攻撃を日に日に強めております。かれらは、日中国交回復の背後で、ベトナム共同侵略と侵略基地強化、朝鮮侵略=南北分断固定化と台湾侵略=「二つの中国」固定化、入管法と入管体制の強化、「五・一五体制」と沖縄派兵、四次防と防衛産業、列島改造案とナチス的放漫財政、強権的治安政策と政治警察強化など、侵略的で反人民的な攻撃をつぎつぎと加えてきております。
 このような内外する情勢の緊迫のもとで、日本のプロレタリアート人民は、闘うアジア人民と革命的に連帯し、日本帝国主義のアジア侵略と侵略体制の攻撃を内乱に転化するために、いまこそ、たたかいをいっそう強化しなくてはならないのであります。そのためには、われわれは、つぎの五つの戦略的原則をはっきりふまえることが大切であります。
 すなわち、第一には、侵略を内乱へ! 沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の総路線のもとにプロレタリアート人民の圧倒的な動員をかちとることであります。第二には、暴力革命の基本原則、革命的内乱の戦略原則でプロレタリアート人民の先進的部分をしっかりと武装することであります。第三には、後進国・半植民地人民の民族解放・革命戦争と連帯し、プロレタリア革命の軍事綱領に立脚し、内乱・内戦――蜂起の計画的、系統的準備を確固としておしすすめることであります。大衆的政治闘争の革命的、内乱的、武装的発展のコースと武装闘争のゲリラ的、パルチザン的発展のコースの結合、革命的政治勢力の建設と恒常的な革命的武装勢力の建設の結合、軍事思想、軍事科学の研鑽と武装闘争、武装技術の経験の蓄積の結合――これが、その当面する環であります。第四には、二重対峙の政治的、武装的なたたかいを内乱の萌芽的現実形態として積極的にとらえ、その革命的貫徹をとおして内乱期の政治的、軍事的、組織的態勢、その指導原則、その生活規律をつかみとっていくことです。第五には、民族排外主義とのたたかい、差別=分断の攻撃とのたたかいを徹底的に重視し、民族抑圧とたたかうアジア人民と連帯し、差別と抑圧に抗してたたかう部落民を先頭とする日本人民と一体となって入管、狭山、三里塚をはじめとする諸戦線、諸課題のたたかいをおしすすめることであります。
 第三には、二重対峙のもとで革命党建設、革命勢力強化の大事業を飛躍的に前進させ、七〇年代革命の基礎を決定的にうちかためることであります。
 まえにものべましたように、プロレタリアートを革命的階級として団結させ、全人民のたたかいの革命的首領にきたえあげ、プロレタリア独裁の革命的担い手にたかめ、プロレタリア自己解放=人間解放の政治的任務をまっとうさせるためには、プロレタリアートの革命的前衛党の建設とそのたたかいを絶対的に欠かすことはできないのであります。革命的前衛党の建設とそのたたかいは、プロレタリア独裁の樹立とその歴史的任務の完遂の不可欠の政治的条件であります。それゆえ、革命的前衛党の組織原則は、あくまでも、プロレタリア独裁をたたかいとり、その歴史的任務を完遂するための共産主義者の政治的結集体でなくてはならないのであり、いやしくも、組合主義者や自治会主義者のフラクション的結合体であってはならないのであります。
 今日、日本帝国主義がアジア侵略と侵略体制の攻撃をますます激化させている情勢のもとで、社会党、共産党などの既成左翼は、屈服と裏切りの一路をあゆみ、侵略と侵略体制を支え、階級闘争を体制内的に集約するもっとも悪質な協力者になりさがっております。社会民主主義の党である社会党はともかく、共産党までもが暴力革命とプロレタリア独裁の原則的旗印を公々然となげすててブルジョア議会を「最高の国家機関」とする「社会主義」? を唱えはじめているのですから、既成左翼の腐敗はまったくひどいものです。
 問題はそれだけではありません。かつて革命的左翼をめざしたはずのカクマルは、今日では日共のあとをおって暴力革命とプロレタリア独裁の原則に敵対しはじめ、社民的組合主義の反革命的補完物、革命党と革命勢力の襲撃を独自の任務とするナチス型突撃隊の道をあゆんでおります。また中間諸潮流をなす宮下派(社民解放派、日向派、フロント)、第四インターなどの諸派は、没落と分解の道をいそいでおり、また、かつて「世界革命戦争派」とか、「蜂起・戦争派」とか自称していた諸君も、今日では「大衆の中へ!」とか「内ゲバ反対!」とか愚にもつかぬことをいって、武装放棄と解党主義の路線をころげおちながら離合集散をくりかえしております。かつて第二次ブント一の議長であった関西のある人物などは、第二次ブント解体における自分の重大な主体的責任をまったくほうりなげて、その日ぐらしの離合集散にうつつをぬかしている始末です。レーニンの真似をして「敵の要塞の正規の攻囲」なんてことをいいだしたのは結構ですが、それが党の建設とその計画的、系統的な蜂起の準備を意味していることもわからず、平気で解党主義と武装放棄の路線をおしすすめているのですから、まったくどうかしております。
 しかし、まったく悩むにはおよびません。なぜならば、わが同盟とその指導下の革命勢力は、帝国主義権力の内乱鎮圧型の弾圧、既成左翼の屈服と裏切り、反革命カクマルの白色テロ襲撃、中間諸潮流の没落と分解のなかで堂々と成長し、内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月にむかって、党建設と勢力強化を飛躍的におしすすめているからであります。また、羽田以来の五年間の激闘のなかで、わが同盟のなかで、わが同盟とともにたたかう戦列のなかで、すぐれた革命の幹部、すぐれた革命の戦士が、じつにたくさん育ってきております。人民のたたかいのあるところ、どこでもすばらしい闘争の担い手が生まれてきております。われわれは、いまこそ革命党建設の大事業に、ありとあらゆる革命戦士をおおきく総結集し、すぐれた革命の幹部を積極的に指導部にひきあげていかなくてはならないのであります。革共同は、このようなたたかいの最先頭にたって前進するものであります。
 第四には、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいを、プロレタリアート人民の共同の正義のたたかいとして発展させ、内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月のたたかいの大爆発の勝利の大道をきりひらくことであります。
 基調報告のはじめにのべましたように、反革命カクマルをせん滅し、警察=カクマル連合を粉砕することは、革共同とその指導下の革命勢力の重大な任務であるばかりでなく、およそ革命と人民の自由をもとめるプロレタリアート人民の共同の正義のたたかいであり、プロレタリア革命の絶対的な条件であります。それゆえ、われわれは、プロレタリア階級闘争のいっさいのたたかいにおいて、(1)戦略的大前進、(2)党建設、勢力強化とならんで、(3)対カクマル戦争の観点を基調的な指導原則としてつらぬきとおさなくてはならないのであります。この点はすでに確認したところですので、つぎにすすませてもらいます。
 
 三 七〇年代中期の高揚と爆発の展望とわれわれの決意、われわれの態勢
 
 本集会の基調報告の第三のテーマとして七〇年代中期の高揚と爆発の展望の問題、われわれの決意と態勢の準備の問題について、革共同の基本的な見解をのべたいと思います。
 1 七〇年代中期の高揚と爆発の条件
 
 まず最初に、七〇年代中期の階級闘争の高揚と爆発が、疑いない確かさで一歩一歩、迫ってきている問題について提起します。
 第一には、戦後世界体制の崩壊的危機の深まり、とりわけ、帝国主義戦後体制の崩壊的危機が、日本帝国主義のうえにその巨大な矛盾を集中していることであります。
 革共同第三回大会以来、われわれが一貫して主張しておりますように、日本帝国主義は、戦後的成長のゆきづまりと矛盾を対米貿易の熱病的な拡大をとおしておおいかくしてきましたが、このようなやり方は、ただちに日米間の経済的な均衡を極度にゆがめるものとなり、アメリカ帝国主義の側からの種々の巻きかえしを生みだしたのであります。もとより、日本とアメリカの両国帝国主義は、特殊戦後的な条件、とくにアジア情勢の恒常的な危機性に規定されることによって、同盟政策を相互に維持しなくてはならないのでありますが、にもかかわらず、両者の経済的利害の対立は、日米関係を経済的にも、政治的にも、軍事的にも、きわめて矛盾にみちたものにしております。
 また、ドル危機として噴出するいわゆる国際通貨体制の際限なき危機の深まりは、その一時しのぎ的な矛盾のしわよせを、くりかえし日本帝国主義のうえに加重する傾向を強くしております。帝国主義諸強国は、国際協力という美名にかくれて国益を露骨に主張し、相互に矛盾と犠牲をおしっけあっているのですが、その最後のカードが日本にまわってくることは、まったく疑いのないところであります。帝国主義的な民族主義の高まりもふくめて、このような国際通貨危機の「解決」形態は、より深刻な政治的・経済的対立を生みださずにはおかないのであります。
 他方、日本帝国主義は、独自的勢力圏の脆弱な現実を突破し、国際帝国主義間の矛盾をとりつくろうために、アメリカ帝国主義との安保同盟を背景にしつつ、独自にアジア侵略の道を追求しはじめております。朝鮮侵略と南北分断の固定化の攻撃、台湾侵略と「二つの中国」固定化の攻撃は、このような日帝のアジア侵略のもっとも凶暴なあらわれであります。しかし、日本帝国主義がどのように考えようとも、アジアは、かつてのアジアではありません。ベトナムをはじめとして民族解放のたたかいは、燈原の火のようにもえひろがっており、アジアの各地で反日(帝)のたたかいが爆発しております。また、ベトナム和平をめぐる種々の動向は、日帝の期待に反してアジア全域に新しい流動、新しい激動を生みだしております。このような情勢のもとで日本帝国主義はアジア侵略をすすめなくてはならないのであります。
 第二には、日帝・田中体制の破綻は必至だということです。田中自民党政府は、庶民首相″というデマゴギツシュな看板をかかげて登場しました。しかし、その本質は、庶民首相どころか、佐藤政府までの四半世紀の自民党政治の矛盾を人民の犠牲のもとに、より侵略的に、より反動的に、より居直り的におしとおそうとするものです。事実の問題として、日帝・田中体制は、血債の思想を欠如した次元において日中復交なるものをおこない、そのペテン的なブームにかくれてつぎつぎと超反動的な攻撃をうちだしてきております。
 第一には、朝鮮・台湾侵略、釣魚台略奪のあらたな展開、ベトナム共同侵略と基地強化の攻撃であります。第二には、五・一五沖縄返還政策にもとづく沖縄の反動的な再編成、沖縄基地強化・全軍労破壊、私大統合・沖大廃校化など「五・一五体制」の攻撃であります。第三には、四次防にもとづく自衛隊の帝国主義軍隊化、沖縄派兵の攻撃であります。第四には、列島改造論をテコとしたナチス型の放漫財政政策、独占救済と利権かせぎ、公害と生活破壊の攻撃、三里塚軍事空港と反対同盟破壊であります。第五には、強権的治安政策、政治警察の強化、政府と警察機構の独自の結びつき、警察=カクマル連合の攻撃であります。第六には、入管法と入管体制、狭山差別裁判など、民族排外主義と差別=分断の攻撃の激化であります。第七には、合理化と労働強化、労働組合の体制内化と戦闘的、革命的労働者への選択的な弾圧であります。第八には、機動隊常時導入態勢を暴力装置とした大学法と大学法体制、学費値上げ、新大学立法、民青・カクマルの学内機動隊の攻撃であります。どれひとつをとっても危険かつ重大な攻撃であります。
 日本帝国主義は、戦後二七年のあいだに累積した矛盾が、巨大な爆発に転化するのをさけるために、田中体制というボナパルティズムへの過渡的形態を生みだしました。独自の資金源をもち、独自の私兵組織をかかえ、デマゴーグ的な才能をもった人物――これが、従来の官僚型政治家、名望政治家とならんで登場し、内乱期の反動政治を主導的に推進する時代がようやくはじまろうとしているのであります。しかし、日帝・田中体制は、デマゴーグのほかに、それじしんとして独自の解決策をもつものではなく、一時しのぎの政策をデマでつなぎあわせながら、それを強権的におしきるようなものでしかないのであります。疑いもなく、それは破綻し、より反動的で、より徹底した強力内閣にかわらなくてはならないでありましょう。しかし、その過程は、途方もなく流動的で激動的なものになることはあきらかであります。
 第三には、プロレタリアート人民のたたかいの激化もまた必至であることであります。
 日帝・田中体制の反動的攻撃があきらかになるにつれて、プロレタリア階級闘争は、しだいに激動と高揚の過程にはいる様相を強めはじめております。七二年秋のたたかいにしめされた種々の傾向は、七〇年代中期の高揚と爆発の展望をくっきりとうつしだしております。七三年のたたかいは、(1)ベトナム、沖縄、基地、派兵を軸とした闘争系列、(2)入管、狭山、三里塚を軸とした闘争系列、(3)春闘、大学を軸とした闘争系列にそって、それぞれ独自の高揚の特徴をしめすでありましょう。一・一六をめぐる入管法と入管体制粉砕、日帝の朝鮮南北分断固定化打破、朝鮮再侵略粉砕のたたかい、釣魚台略奪粉砕、日帝の「二つの中国」固定化打破、台湾再侵略粉砕のたたかい、三里塚鉄塔死守のたたかい、春闘における合理化粉砕、マル生粉砕、大幅賃上げ、第二組合解体、組合の体制内化粉砕、反革命カクマルせん滅の労働戦線のたたかい、早稲田・沖大を両軸とする学生戦線のたたかい、五・一五体制の根底的な転覆をめざしてすすむ沖縄奪還闘争の永続化のたたかい、ベトナム反戦・嘉手納――横須賀基地撤去、派兵阻止・四次防粉砕のたたかい、井波十一月死刑判決体制にとどめをさした「死闘の六ヵ月」を継承、偉大な勝利の展望にむかって巨大なたかまりをしめす狭山差別裁判糾弾・石川氏即時奪還のたたかいなど、重大かつ深刻なたたかいが七三年初頭の段階において、はやくもたかまりをみせはじめております。
 日本帝国主義権力とブルジョア報道機関は、七〇年代中期の高揚と爆発をおさえるために、懸命になって「過激派退潮」説や「闘争課題消滅」説をくりかえしております。しかし、事実はまったく逆であります。(1)矛盾のかつてない累積、(2)革命党と革命勢力の前進、(3)大衆の流動化、大衆の噴出――まさに、これこそ、七〇年代中期の高揚と爆発を根底的に規定している条件なのであります。
 
 2 七〇年代中期の高揚と爆発は、どのような性格のものか
 
 つぎに、七〇年代中期の高揚と爆発の性格がどのようなものになるか、という点について検討することにします。
 第一には、すでに二重対峙のもとでの高揚への上昇の傾向がはじまっていることであります。
 第二に、高揚への上昇の傾向のなかに、急激な爆発情勢への転化の条件がはらまれていることであります。いいかえるならば、いわゆる一片の火花が爆発の合図となる情勢が、高揚への上昇の傾向として準備されていることであります。
 第三には、爆発情勢が問題となる場合、前段階までの闘争の経験、とくに「二つの十一月」としてかちぬかれた闘争の質と量が、ただちに絶対的な前提条件となり、その水準ののりこえが実践的な課題となる局面が急速におとずれるであろう、ということであります。いいかえれば、大衆は非常にはやい速度で、「二つの十一月」の経験を意識の面で前提化するところまでたかまりをしめすであろう、ということであります。
 第四には、二重対峙の情勢のなかで、闘争の規範、動員の量、政治の質、武装の水準など、ありとあらゆる面で圧倒的に高度な内容か問題となることであります。
 第五には、党派的政治配置がいっそう深刻となり、われわれの党としての政治的、組織的力量、われわれの党としての指導能力、戦闘態勢が決定的な試練にかけられるであろう、ということであります。
 
 3 われわれの当面の基本的態度
 
 最後に、七〇年代中期の高揚と爆発の展望にむかっての革共同の基本的態度を提起いたします。
 第一には.七〇年代中期の高揚と爆発の展望を確信をもってだしきっていくことであります。時代的な動向をさきがけて洞察し、それを実践をとおしてたぐりよせること――この前衛性、確信性にまずもって革命的前衛党の重大な試練はあたえられているのであります。おもいかえしますと、六七年の羽田闘争を準備する過程において、われわれは、革共同三回大会の決定にもとづいて七〇年安保闘争の革命的爆発と七〇年代階級闘争の永続的高揚を明確にうちだしました。ところが第二次ブントをはじめ他のいっさいの党派は、この展望に反対し、六七年夏の広島反戦集会でも「七〇年非決戦」説をとなえておりました。五年をこえる歳月がたった今日、どちらが正しかったか、いまさら論ずるまでもなかろう、と思います。自己の展望にもとづき、血と汗とを流して情勢をみずからきりひらいたものと、展望をもたず、他者のきりひらいた情勢のなかで自分勝手なことをいっているものとの相違こそ、その後の実践の勝利と敗北をわかつ決定的な分岐点だったのであります。
 第二には、反帝国主義・反スターリン主義の革命戦略、七〇年代革命の戦略的総路線を確固として堅持し、戦略的大前進の観点から個々の闘争の発展を正しくかちとっていくことであります。
 すなわち、(1)基本戦略と戦略的総路線の堅持、発展、(2)戦略的大前進の観点から個々の政治課題、個々の闘争に接近していくこと、(3)内乱・内戦――蜂起の計画的、系統的な準備、第三、第四の十一月の戦取のたたかい、(4)大衆的政治闘争の革命的、内乱的、武装的発展のコースとゲリラ的、パルチザン的な武装闘争の発展のコースの結合、革命的政治勢力の建設と革命的恒常武装勢力の建設の結合、自衛武装の経験の結合、(5)全国的政治闘争と諸戦線的、諸課題的な闘争の均衡ある発展――の観点を統一してたたかうことであります。
 第三には、二重の内乱的対峙を積極的に貫徹し、このたたかいをとおして内乱・内戦――蜂起、第三、第四の十一月をたぐりよせ、党建設をいっそう強固なものに発展させていくことであります。権力の内乱鎮圧型の弾圧、破防法の反復適用、全面適用の攻撃、反革命カクマルの白色襲撃、警察=カクマル連合――などの一連の攻撃と、それにたいするわれわれの革命的な防御と反撃のたたかいは、われわれの優位性と強さとともに、われわれの劣勢と弱点をたえずはっきりとあばきだすことによって、われわれの本格的な前進のあり方を明確にしてくれましたし、また、困難な情勢は、われわれに真実の友人、真実の協力者をじつにたくさんつくりだしてくれました。われわれは、このような情勢に感謝すべきであります。早稲田における川口君虐殺弾劾・早稲田解放・反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいの爆発は、二重対峙のたたかいの全人民的な高揚の重大な前進をもたらしております。われわれは、この情勢を確実にわれわれの主導権のもとに積極的におしすすめていくことが重要であります。
 第四には、情勢のもっているさまざまな傾向、さまざまな局面にただしくこたえた具体的な指導をひとつひとつ注意ぶかくうちだして前進していくことであります。まえにものべたように、当面するわれわれの基本的な指導原則は、(1)戦略的大前進、(2)党建設、勢力強化、(3)対カクマル戦争の三つの観点でいっさいの闘争を計画し、準備し、貫徹し、総括することであります。われわれは、この基本的な指導原則に立脚して、当面つぎの観点をしっかりと確立し、それを実践的につらぬくことであります。
 すなわち、第一には、七〇年代中期の高揚と爆発の展望をはっきりとみすえて、その態勢を計画的、系統的につくりあげることであります。第二には、高揚への上昇の傾向をしっかりとつかまえて、一歩一歩しっかりと前進し、中期の態勢を準備していくことであります。第三には、労働運動内の動向、力関係をしっかりとみすえて、われわれの党建設、勢力強化をおしすすめ、すべての労働戦線において二重対峙の情勢をつくりだし、反革命カクマルを追いつめていくことであります。第四には、学生戦線の動向.早大と沖大を両軸とした新しい大学闘争の高揚の傾向、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕のたたかいのたかまりに、全同盟の関心と注意を集中し、プロレタリアート人民の共同の正義の力で学生戦線の飛躍的前進をかちとることであります。学生戦線のたたかいの動向こそ、七〇年代中期の高揚と爆発の展望をひらく最初の扉であります。革共同は、重大な決意をもって学生戦線の飛躍的前進のためにたたかいぬき、みごとに任務を達成するであろうことをここに宣言しておきます。
 第五には、七〇年代中期の高揚と爆発の展望にむかって革命党建設、革命勢力強化の独自のたたかいを断固としておしすすめることであります。
 党建設のたたかいは、(1)新しい指導態勢、新しい指導系統の建設の問題、(2)労働者組織における指導部、地区、産別、支部の建設の問題、(3)諸戦線における党の指導部、党組織の建設の問題、(4)学生戦線における指導部、支部の建設の問題、の四点を軸としてあくまでも独自的な課題としておしすすめられなくてはならないのであります。
 われわれは、革命的共産主義運動の一五年の歴史的前進をとおしてここまでようやくたどりつきました。二つの十一月をはじめとする数かぎりないたたかいのなかで、われわれは、和井田史朗、山崎博昭、滝沢紀昭、津本忠雄、永田典子、辻敏明、正田三郎、武藤一郎、川口大三郎君などじつに多くの同志を失いました。また、重大な負傷をおって病床にふしているじつに多くの同志がおります。また、秋山勝行元全学連委員長、金山克己前全学連委員長はじめ、じつに多くの同志を牢獄に奪われております。にもかかわらず、ここには、会場を埋めつくす数千の同志がおり、ともに革命の決意をうちかためております。われわれは、多くの同志諸君の尊い犠牲のうえに、ここまで前進できたのであります。これは偉大な歴史的真実であります。しかし、われわれは、われわれの達成すべき歴史的任務を思うとき、われわれの力がまだまだ弱いことを率直に確認すべきであります。われわれには獲得すべき全世界があるのであります。いまこそ、われわれは、二重対峙下のこの情勢において党建設、勢力強化の道をいっそう真剣にきりひらき、その飛躍的な発展をかちとるべき時代をむかえているのであります。
 
 報告をおわるにあたって
 
 基調報告をおわるにあたって、いまから七〇年まえに、レーニンが『何をなすべきか』で引用したある革命家の文章を紹介させてもらいます。
 レーニンは、「敵の要塞の正規の攻囲」にむかって「革命の常備軍を集合し、組織し、動員する」ために全国的政治新聞を中心とした革命党の建設を提起し、それは「革命の最大の『沈滞』の時期に党の名誉と威信性と継承性を救うことに始まって、全人民の武装蜂起を準備し、その日取りをきめ、実行することにいたるまでの、あらゆる事態にたいする準備をもった組織」でなくてはならないと訴えたさいに、これにたいし、経済主義者のマルティノフらが「夢想」だと批判する状況を皮肉におもいうかべてわざわざ引用したものです。今日、われわれのたたかいにたいし、これを「妄想」だと非難し、「妄想」をなくすために、国家権力、警察権力と連合して白色テロ襲撃を加える小マルティノフがいる事実をおもうにつけて、まことに教訓的であります。
  「夢想する人物が生活を注意ぶかく熟視しつつも、真剣に自分の夢想を信じ、自分の観察と自分の空中楼閣とを引きくらべ、総じて自分の空想の実現のために誠実にはたらきさえするなら、夢想と現実との不一致はどのような弊害をももたらすものではない」
 諸君、七〇年前のレーニンの革命的精神をもって七〇年代中期の高揚と爆発の展望にむかって前進しよう。革命はかならず到来するし、また、革命はかならずなしとげなくてはならない――これが本日の基調報告の結論であり、また、諸君の共通の確認でなくてはならないのであります。
      (『前進』六一五号、一九七三年一月一日 に掲載)