三 激化する破防法攻撃に抗し、党の非合法態勢・非公然態勢を強化せよ
 
 戦後世界体制の解体的危機は、体制的危機からの反動的脱出をかけて成立させた日帝・田中体制を、成立後一年もへずして本格的危機にたたきこんだ。七〇年代中期の階級闘争の大高揚は、日帝権力と民間反革命の危機にかられた凶暴な攻撃を激化させ、日帝権力と反革命カクマルにたいする二重の内乱的対時の熾烈化は、日増しに七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的発展の重大な水路としての役割を鮮明にさせたのである。本稿は、このような情勢をふまえ、日帝権力と民間反革命カクマルとの迫りくる本格的内乱的対峙にむけての武装をあらゆる面にわたっておこなうことを、全党全軍に呼びかけた貴重な論文である。
 
 
第一章 七〇年代中期大高揚と二重対峙の激化
第二章 破防法攻撃の本質とその歴史的現段階
第三章 激化する破防法攻撃と党の非合法態勢
 
 
 第一章 七〇年代中期大高揚と二重対峙の激化
 
 日帝権力と反革命カクマルにたいする二重の内乱的対峙をとおして、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展は、確実な足どりで前進を開始した。反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略とそれに立脚した七〇年代革命の戦略的総路線を確固として堅持し、二重対時・戦略的前進・党建設の三大任務を達成する観点から、七〇年代中期の大高揚にむかって三大政策を力強くかちとっていくならば、われわれは、かならずや偉大な勝利の道をわがものにすることができるであろう。これが、十二・四以来の激闘のなかで、血と汗をもってわれわれがつかみとった不抜の確信である。
 以上の確認のうえにたって、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の必然性とその基本的な構図をとらえるならば、その特徴は、およそつぎの三点に集約されるであろう。
 第一には、日帝の体制的危機の破局的な深まりのなかで、七〇年代中期の大高揚は、もはや、ひとかけらの疑点もない明確な現実に発展しはじめたことである。
 戦後世界体制の解体的危機のもとで、体制的危機からの反動的な脱出をかけてアジア侵略と侵略体制の道をあゆみはじめた日帝は、その危機的現実にみあうものとして田中体制をつくりだした。
 すなわち、日帝・田中体制は、その基本政策として、(1)アジア侵略、安保同盟、沖縄五・一五体制、(2)四次防、沖縄派兵など自衛隊の帝国主義軍隊化、(3)独占救済のインフレ放漫財政、(4)入管、狭山、政治警察など政治反動の攻撃をきわめて凶暴なやり方でおしすすめながら、 (5)その反動的本質をデマゴギー的におしかくすものとして成立した。
 しかし、このような「ボナパルティズムへの過渡」としての役割をもつ日帝・田中体制は、成立後はやくも一年たたずして、その破綻をいたるところでしめしはじめた。(1)アジア、安保、沖縄など外交政治路線の決定的な破綻、(2)通貨、インフレ、投機など経済的危機の深刻化、大衆の生活の困窮化と、その政治的危機への転化、(3)プロレタリアート人民の政治的流動化、階級闘争の戦闘化、激動化が、それである。
 日帝・田中体制を根底的にゆさぶりはじめた体制的破局のはじまりは、七〇年代中期の階級情勢をますますたかめ、ますます激動化させるであろう。
 第二には、七三年――七〇年代中期の高揚として始まった階級闘争の巨大な高まりは、日帝権力の政治反動、反革命勢力の敵対をますます激しくしはじめたことである。
 日帝権力は、体制的危機の深まり、諸矛盾の爆発的な噴出の情勢のもとで、アジア侵略と侵略体制の道をおしすすめていくためには、階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展を強権的におしつぶし、政治反動体制をなんとしてもつくりださなくてはならない。それゆえ、七〇年代中期の大高揚は、その政治反動としてつぎの三つの攻撃をいっそう激化させるであろう。
 (1)小選挙区制、入管・狭山などの政治反動攻撃、排外主義と差別主義の攻撃の激化である。入管、部落など排外主義、差別主義の抑圧をつよめてきた日帝権力は、戦後的な政治支配方式の破綻を「上からの内乱」ともいうべき強権的攻撃をもって突破し、侵略体制をいっきょにつくりだそうとしている。入管、狭山、小選挙区をめぐる階級的激突は、いまや、侵略体制とのもっとも基本的な対決軸をつくりだしている。
  (2)階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の指導的中核体をなす党と革命勢力の思想的、組織的な絶滅をはかる攻撃の激化である。革共同――中核派にたいする政治警察の集中的な弾圧態勢の強化、指導部・指導系統にたいする徹底的な追及と絶滅的弾圧の攻撃など、破防法攻撃の激化がそれである。
  (3)プロレタリアート人民内部の反革命的、反動的勢力の動員、侵略と抑圧、差別と反動に抗したプロレタリアート人民のたたかいにたいする反革命的、反動的な襲撃の組織化の攻撃である。民間右翼諸勢力の台頭、社会民主主義、スターリン主義など既成左翼の体制内化と反革命的支柱化、K=K連合とそれを基礎とした反革命カクマルの白色テロ襲撃など、民間の反革命的、反動的勢力の突撃隊的な動員がそれである。
 第三には、日帝権力と反革命カクマルにたいする二重の内乱的対峙に激化が、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の重大な水路としての役割をはっきりさせはじめていることである。
 (1)二重対峙という現実そのものが、階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展をひきだし、その激化拡大をもたらさずにはおかないこと。(2)二重対峙をとおして、わが同盟の基本路線の革命性と実践性がますます鮮明となり、党建設、革命勢力強化の独自的任務がますます本格的にとりくまれるようになり、党と革命勢力の戦士たちの飛躍的な成長、階級闘争の政治的・軍事的な指導原則、活動規律の重大な精練がますます意識的におしすすめられるようになったこと。
 要約するならば、二重対峙の情勢は、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の到達点であるとともに、その飛躍的な前進め決定的な跳躍台をなしているのである。
 したがって、日帝権力の激化する破防法攻撃にたいする党と革命勢力のたたかいは、反革命カクマルせん滅のたたかいとならんで、七〇年代階級闘争の基軸的な任務をなす二重対峙戦の一翼であり、党と革命勢力の存亡をかけた恒常的な任務として、いっそう強固にうちかためられなくてはならない。
 
 第二章 破防法攻撃の本質とその歴史的現段階
 
 破壊活動防止法は、一九五二年七月、朝鮮戦争と日米同盟の形成という深刻な情勢のもとで、戦前の治安維持法、米軍占領下の団体等規制令を継承した反革命立法として成立した。第二次世界大戦における敗北の結果としてアメリカ軍の占領下におかれた日本帝国主義は、日米同盟の形成をとおして帝国主義の戦後世界体制に参加し、アジア人民の民族解放闘争の高まりにたいする反動的な敵対と、日本プロレタリアート人民の革命闘争にたいする内乱鎮圧型の弾圧、階級闘争の体制内化の攻撃の道をかためたのであった。
 周知のように、破壊活動防止法は、直接的には日本共産党の民族主義的な軍事方針に対抗するものとして制定されたが、しかし、その本質とするところのものは、戦後日本帝国主義の支配の歴史的特質をもっとも根底的に反映するものであった。すなわち、破壊活動防止法の特徴は、基本的につぎの四点に集約されるであろう。
 (1)破防法は、戦前の治安維持法、米占領下の団規令を継承した革命の予防鎮圧法である。もとより日帝権力は、現行憲法との法規範上の整合をはかり、虚偽の共同性を維持する政治的な意図によって、破防法の反革命的本質をたくみにおしかくそうとした。しかし、四・二八破防法裁判の求釈明において徹底的にあばきだされたように、破防法の本質は、資本家的私有財産制度とそのためのブルジョア独裁の維持を目的とし、革命的内乱にむかっての階級闘争の発展を予防的に鎮圧するために、革命党と革命勢力のたたかいを内乱の「せん動」「予備」の段階で弾圧し、もって革命党と革命勢力の思想的・政治的な絶滅、階級闘争の体制内化をつくりだそうとすることにある。
 (2)破防法は、朝鮮戦争、日米同盟の形成という情勢のなかで制定されたことからも明白のように、日帝のアジア政策、安保同盟、沖縄政策とかたくむすびついた攻撃であり、日帝にアジア侵略の道を護持するための法制的な支柱である。日帝権力は、日帝の世界政策に照応した弾圧体系として破防法を制定し、運用してきたのである。
 (3)破防法は、天皇制、入管体制、部落差別など、戦後民主主義の虚飾のもとで継続し、激化・拡大してきた抑圧と差別とむすびついた攻撃であり、いわゆる「公共の安全」の名のもとに、在日アジア人、被差別諸階層の人民のたたかいにたいする反動的敵対を組織する法イデオロギー的な武器である。日帝権力は、排外主義と差別主義の攻撃の重大な武器として破防法を制定し、運用してきたのである。
 (4)破防法は、いわゆる「暴力主義的破壊活動」というペテン的な概念をつくりだすことによって、プロレタリアート人民内部の経済主義、組合主義、合法主義の傾向を固定し、革命党と革命勢力のたたかいにたいし敵対させる治安政策の手段である。日帝権力は、プロレタリアート人民から革命党と革命勢力を孤立させ、経済主義、組合主義、合法主義を反革命的に動員する治安政策の手段として破防法を制定し、運用してきたのである。
 したがって、破壊活動防止法とそれにもとづく攻撃は、民主主義の観点からではなく、あくまでも革命と反革命の対峙の観点から根底的にとらえられなくてはならない。また、そう理解することによってはじめて、破防法攻勢にたいする革命党と革命勢力のたたかいは、全人民の共同の正義のたたかいに発展することができる。いいかえるならば、破防法攻撃にたいする革命党と革命勢力のたたかいは、帝国主義の権力支配のもっとも根本的な内容にせまるたたかいであり、革命党と革命勢力の存亡を根底的に問いかけるたたかいなのである。
 周知のように、日本共産党は、日帝権力の破防法制定とその攻撃を、日帝の戦後体制の根底にかかわる攻撃として本質的にとらえようとせず、戦後民主主義の危機という小ブル的な内容においてとらえようとした。また、かれらは、破防法攻撃とのたたかいを革命党の資質にかかわる基本的な任務としてとらえず、戦術的な対応をもってこれに対応しようとした。その結果、日本共産党は、破防法粉砕の全人民的な闘争を組織することができず、日帝権力にたいする屈服と後退の道を際限なくあゆむことになった。日帝権力は、破防法攻撃による日共の屈服と体制内化によって、戦後的発展を保障し、抑圧と差別の政治、搾取と反動の政治をつづけることができたのである。
 しかし、戦後世界体制の根底的動揺のはじまりのなかで、一九六七年十・八羽田闘争の爆発をもって開始された日本階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展は、日帝の戦後体制を根底からゆるがすとともに、日帝の破防法攻撃を体制的危機をかけた不可避の対決点におしあげた。一九六九年四・二八沖縄奪還闘争の前夜、革共同にくわえられた日帝権力の破防法攻撃は、革命党の中枢にたいする制定以来の最初の攻撃であり、破防法攻撃を基軸にした日帝権力と革命党=革命勢力との絶対的敵対関係の形成を意味するものであった。
 四・二七弾圧によって、革共同中央指導部は、基本的に非合法・非公然の態勢に移行した。そしてその態勢を確固として維持することによって、六九年と七一年の「二つの十一月」を断固としてたたかいとり、数千の同志を牢獄にうばわれながらも、党の基本的な骨格をまもりぬき、七〇年代階級闘争の指導的中核としての権威と信頼をしっかりとうちかためたのである。革共同を指導的中枢とする革命勢力は、破防法攻撃に屈服することなく、七〇年安保闘争と七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展をかちとり、かくすることによって、破防法攻撃のまえにたたかわずして屈服した日本共産党の地平を圧倒的にのりこえることにまずもって勝利したのである。
 十二・四を転機とした、日帝権力の破防法攻撃の激化、K=K連合とそれにもとづく反革命カクマルの白色テロ襲撃という二重の反革命的攻撃は、日帝の破防法攻撃のゆきづまりをいっそう凶暴な内乱鎮圧型の弾圧をもって継続し、強化しょうとするものである。日帝権力、反革命カクマルにたいする革命党と革命勢力の二重の内乱的対峙は、破防法をめぐる権力と党の対峙の前進的な発展形態であり、破防法攻撃にたいする革命党と革命勢力のたたかいの今日的な貫徹形態である。
 それゆえ、日帝権力の破防法攻撃とのたたかい、反革命カクマルの白色テロ襲撃とのたたかいは、相互に規定しあう二つの要素として統一的に存在しており、相互に強めあいながら統一的に発展しているのである。
 
 第三章 激化する破防法攻撃と党の非合法態勢
 
 七〇年代中期の階級闘争の巨大な高まりのなかで、日帝権力の破防法攻撃は、ますます激しくなっている。
 われわれは、十二・四以後の激しい二重対峙のたたかいをとおして、反革命カクマルにたいする革命的な対峙の態勢を飛躍的に前進させるとともに、日帝権力の破防法攻撃にたいする革命的な対峙の態勢を決定的に強化し、「七二年中に革共同を組織解散に追いこむ」という敵権力の野望をぶちやぶった。しかし、日帝権力は、革命党絶滅の凶暴な野望をなげすてたわけではない。かれらは、K=K連合とそれを基礎とした反革命カクマルの白色テロ襲撃をますますつよめながら、同時に、革共同の組織絶滅、指導部――指導系統の壊滅をねらって監視と弾圧の態勢を着々とつよめているのである。
 日帝権力のこのような破防法攻撃のあらたなつよまりにたいし、われわれの側の態勢は、いまだ決定的にたちおくれている。もちろんわれわれは、四・二七弾圧以来のたたかいをとおして、党と革命勢力の不屈の戦闘精神をきたえあげ、党と革命勢力の革命的な武装を断固としてなしとげてきた。しかし、七〇年代階級闘争の壮大な高まりと、それに対応した日帝権力の反革命的攻撃の激化をかんがえるならば、われわれの側の態勢は、決定的に不十分である。
 七〇年代中期の大高揚にむかって、党と革命勢力は、いまこそ、日帝権力の破防法攻撃にたいする不敗の態勢を断固としてきずきあげなくてはならない。そのためには、われわれは、当面、つぎの任務について確固とした思想的統一をかちとることが必要である。
 第一には、日帝権力の破防法攻撃にたいするいっさいの武装解除の傾向を断固として克服し、破防法攻撃にたいする烈々とした戦闘精神をもって党と革命勢力を武装することである。
 (1)破防法を政治的権利の侵害の量的変化の側面から一面的にとらえる傾向をはっきりと克服し、あくまでも破防法を権力と党、反革命と党という根底的な関係においてとらえ、その観点から政治的権利の侵害の問題をもとらえかえしていくこと。
 (2)日帝権力の破防法攻撃が、従来のいかなる時期よりも深刻な内容をもってつよめられていることをはっきりと確認し、敵権力の選別的な弾圧、白ヘルパージの攻撃にたいする万全の防御態勢をいっそう強化すること。
 (3)党と革命勢力の内外に根づよくのこっている戦術左翼主義的な傾向をしっかりと克服し、二重対峙・戦略的前進・党建設の均衡ある発展をかちとること。
 (4)破防法攻撃と白色テロ襲撃の相互規定的な関連性をはっきりとつかみとり、二重対峙の統一的な全体性のなかにそれぞれを正しく位置づけてたたかうこと。
 (5)党指導部と指導系統、党の非合法・非公然の態勢を強化し、敵の攻撃からそれらをまもりぬくために、党と革命勢力のすべての戦士がプロレタリア的英雄主義と細心精密な防衛心で武装されること。
 第二には、プロレタリアート人民を圧倒的に基本戦略と戦略的総路線、中期大高揚と三大政策の方向に動員し、党の権威と信頼を決定的にたかめることである。
 (1)反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略、七〇年代革命の戦略的総路線でプロレタリアート人民の先進的部分を徹底的に武装すること。
 (2)二重対峙・戦略的前進・党建設の観点から中期大高揚――三大政策の勝利をかちとり、党とプロレタリアート人民との結合を飛躍的に前進させること。
 (3)二重対峙戦の激化をとおして党と革命勢力の戦闘性と規律性をたかめ、プロレタリアート人民にたいする権威と信頼を決定的にうちかためること。
 (4)闘争と学習をとおして党と革命勢力の戦士たちの階級的自覚と政治的能力をたかめ、党とプロレタリアート人民とのむすびつきをいっそう原則的で親密なものにすること。
 (5)強大な党と革命勢力を独自に建設し、党幹部の養成と指導の質の強化のためにたたかうこと。
 第三には、党の非合法態勢、非公然態勢を決定的に強化し、党と革命勢力のすべての努力をもって敵の攻撃からそれらを擁護しぬくことである。
 (1)同盟中央指導部の非公然態勢化、独自の非公然的な指導系統の建設を断固としておしすすめること。
 (2)非公然の政治機関紙活動を重視し、これにたいする合法主義的な態度を厳しく克服すること。
 (3)党会議、連絡などを権力、反革命から秘匿するため、重大な精力を投入する党風を養成し、安易な官僚的便宜主義を断固としてなくしていくこと。とくに電話にたいするブルジョア的依存主義(かくされた怠け者根性)を無慈悲に粉砕すること。
 (4)××組織、××組織など、党の非公然態勢、非合法態勢を決定的に強化すること。
 (5)党の幹部を厳密な規律性と計画性をもって訓練し、非公然態勢、非合法態勢への移行を今日的転準備すること。
 第四には、日帝権力の破防法攻撃にたいするプロレタリアート人民の広大な共同戦線をつくりあげ、党の組織絶滅の攻撃を徹底的に粉砕していくことである。
 (1)党と革命勢力の活動の自由を擁護する観点から、政治的権利にたいする日帝権力の強権的な侵害に断固として反対し、有効な政治的反撃をたえず組織すること。
 (2)党の合法的陣地をしっかりとまもりぬくこと。
 (3)破防法攻撃に反対し、破防法裁判闘争の勝利をかちとるためのプロレタリアート人民の広大な共同戦線をきずきあげるためにねばりづよくたたかうこと。
 (4)四・二八破防法裁判、第三次(松尾)破防法裁判を両軸とする破防法裁判闘争の勝利をかちとり、日帝権力の破防法攻撃の論理を政治的・法律的・道義的に粉砕し、敵の手からいっさいの道理をうばいつくすこと。
 (5)日帝権力の破防法攻撃にたいするプロレタリアート人民の広大な共同戦線の今日的な萌芽形態として、破防法裁判の被告団、弁護団、支える会の強化をかちとっていくこと。
         (一九七三年四月二五日に発表 末公刊論文)