解 題
(1) 本書第三巻は、二重対峙・対カクマル戦争の戦略的総反攻宣言のとしである一九七四年に、主に当時の『革共同通信』に本多書記長が発表した戦争指導論文を第一部とし、第二部に狭山闘争論文、第三部に一九六四年中ソ論争にかんする論文、第四部に紀元節にかんする論文、第五部書評二本と、計一九篇を集録している。こんにちカクマル反革命は、中枢分裂の全面的爆発、山代の逃亡と暴力的拉致によって崩壊的危機にあるが、これこそまさしく七三年以来六年間にわたる革命的内戦によって生みだされた結果であり、本書第一部は、戦略的総反攻の宣言とその直後の猛攻撃を指導した論文として、こんにちでもくりかえし読み返さるべき指導論文である。
最初に各論文の掲載紙、誌、日付をかかげる。
T 戦略的総反攻を宣言する
一戦略的総反攻の大爆発かちとり、勝利の大勢を確定せよ(『前進』復刊準備号1 一九七四年十月二四日)
二 八月総反攻宣言への怒涛の進撃
1一・二四精神を爆発させ、あらたな報復戦に決起せよ(『革共同通信』七号一九七四年三月四日)
2三・二二狭山闘争の大爆発かちとり、春期大攻勢に総決起せよ(『革共同通信』九号一九七四年三月一八日)
3赤色テロルの嵐で春期大攻勢の本格的激化かちとれ(『革共同通信』一三号一九七四年四月一五日)
4反革命虐殺者に血の復讐を(『革共同通信』一八号一九七四年五月二〇日)
5報復戦のあらたな高揚へ(『革共同通信』二二号一九七四年六月一七日)
6カクマル印刷所ホヲトクついに崩壊(『革共同通信』二八号一九七四年七月二九日)
7機関紙戦争の完全勝利を突破口に反革命中枢機関を解体せよ(『革共同通信』四一号一九七四年十月二八日)
三 勝利の基礎をきずくために
1『武装』の発刊にあたって(『武装』創刊号一九七四年二月五日)
2前進社第二ビルの革命的開設に際しての革共同政治局の訴え(『革共同通信』三三号一九七四年九月二日)
四 反革命カクマルの総路線的破産
1吉川文書にみるカクマルの惨状(細川耕一の筆名にて(1)『革共同通信』八号一九七四年三月二日(2)同一〇号 三月二五日 (3)同一二号 四月八日 (4)同一五号 四月二九日 (5)同一八号 五月二〇日 (6)同二一号 六月一〇日)
2「松井文書」にあばかれた反革命カクマルの腐敗(『革共同通信』四二号一九七四年十一月四日)
U 狭山闘争の歴史的な勝利のために
狭山闘争の歴史的な勝利のために(黒沢昌三の筆名にて『革共同通信』一一号一九七四年四月一日)
V 中ソ論争と現代革命の展望
一中ソ論争と現代革命の展望(『共産主義者』九号一九六四年三月)
二 中国革命の危機を突破する道はなにか(『前進』二一九号一九六五年二月一日)
W 紀元節複活と日本帝国主義の危機
一 天皇制的圧制の象徴としての紀元節((上)『前進』二二一号一九六五年二月一五日 (下)同二二二号 二月二二日)
二 紀元節復活と日本帝国主義の危機(『前進』三二〇号一九六七年二月六日)
X 書評
一 荒畑寒村著『寒村自伝』(『前進』二二八号一九六五年四月五日)
二 岸本健一著『日本型社会民主主義』(『前進』二七四号一九六六年三月七日)
(2) TとUの諸論文は、一九七四年の指導論文の集大成である。このとし八月の革共同政治集会において、戦略的総反攻の大号令が発せられた(『革共同通信』二九号 八月五日 本選集第二巻所収)。この二九号論文を除いて、七四年に本多書記長が発表した政治論文がすべてここに集録されている。ほぼ二週間に一回の割合で発表されており、その戦争勝利にかけたすさまじい気魄と執念、崇高なまでの指導責任の自覚、ひとつひとつの論文の密度の渡さと高い格調に、いくど読み返してもふかく心をうたれる。
七四年はじつにきびしいなかに、戦略的総反攻の大号令が発せられ、怒濤の進撃がかちとられた歴史的なとしであった。このとし冒頭、九州での吉川徹底せん滅の偉大な戦果に、反革命カクマルは血迷って一月一四日に破防法弁護団を襲撃し、日帝の破防法攻撃と一体となって革共同を攻撃する白色分子であることをみずからさらけだした。これにたいし、一・二四の偉大な戦争が炸裂したのであるが、日帝・国家権力は、二月四日前進社等革共同の三拠点を襲撃し、全員検挙の大弾圧を強行したのであった。これにたいし、われわれはすさまじい反撃に起ちあがり、全国で戦果をあげつつ、戦略的総反攻へ突入していったのである。
このとしの戦争を貫く赤い糸が機関紙戦争である。われわれは、八月二七日の前進社第二ビルの開設と革命的印刷所の発足をもって、ここにおいても圧倒的な勝利を記すことができた。Tの三の二論文は、とくにこの問題にあてられている。
吉川文書の革命的暴露は、カクマル九州地方委員長吉川から奪取した文書を、マルクス主義的方法で解読し、反革命の惨状をあばき、戦争の指針をうちたてるうえで重大な貢献をなした画期的論文であり、以後の奪取文書の究明と暴露の模範となったものである。松井文書のそれは、七八年二月一〇日完全せん滅された松井の第一回せん滅の際の文書の暴露である。
(3) Vの一は、きわめて有名かつ重要な論文である。一九六三年十月四日「中ソ論争と革命の展望」と題して開かれた革共同の講演集会で、本多書記長がおこなった講演をもとに、『前進』に四回にわたって掲載された論文(一五四号、一五五号、一五六号、一五八号)にさらに手をいれて、『共産主義者』九号に発表されたものである。
こんにち中ソ対立は、帝国主義争闘戦の激化のもとでいっそう熾烈化し、もはや「社会主義陣営の国際主義的団結」など信じる人はだれもいない。しかし六三年当時は、けっしてそうではなかった。中ソ対立の露呈は、すべての人に異常なショックを与え、スターリン主義に毒されたわが国の理論戦線は、呆然自失、判断停止のありさまであり、社会主義の魅力は、急速に色あせたかのようであった。
このような思想・政治状況下にあって、本多書記長は、包括的な解明の光を中ソ対立にあて、現代革命の展望を、すべての労働者、学生、知識人にさし示したのであった。混迷する思想・政治状況のまっただなかにあって、本多書記長の果たした役割は、まことに光彩陸離たるものがあり、革共同こそが、破産した中ソスターリン主義、日共スターリン主義に代って、現代革命の担い手であることを、先進的人民に堅く確信させるにいたったのである。
中ソ対立にかんする鋭い論及は、『前進』『共産主義者』の読者を急激に増加させ、革共同のイデオロギーと綱領的立場を、革命人民の核心にがっちりと確立させる重大な役割を果たしたのである。
本論文の核心は、第一に、中ソ対立の根源がスターリンの世界革命への敵対、一国社会主義理論と平和共存政策にあることを、原理的に明らかにし、マルクス主義、レーニン主義のプロレタリア世界革命理論の現代的復権をなしとげていることである。
第二に、この立場から、戦争と平和、帝国主義本国革命と被抑圧国の民族解放闘争との関係、および過渡期にかんする鋭い論及がなされていることである。
第三に、中国史と中国社会にかんする鋭くかつ深い洞察にうらづけられた毛沢東思想=中国スターリン主義にたいする根底的批判である。
第三の点にかんしては、民族解放・革命戦争の論理が提起(本選集第一巻二五〜二七ページ)される以前のものとして、帝国主義段階における後進国・半植民地の農民の解放戦争への動員とプロレタリアートのヘゲモニーの問題について、若干の克服された見地をふくんでいることを、敢て指摘しておかねばならない。こんにち、われわれは、毛沢東――ホーチミンの左翼スターリン主義の指導系列によって実現された中国革命、ベトナム革命の勝利を、民族解放・革命戦争のスターリン主義的な歪曲的創成として認識し(農民の戦争への動員の革命性と後進国・半植民地におけるその普遍性)、民族解放・革命戦争の正しい形態をつかみとり、実現する立場にたつものである。七〇年七・七の衝撃と自己批判の深化は、帝国主義国における抑圧民族のプロレタリアートの責任を、いっそう明確にさせ、アジアにまきおこるすさまじいまでの民族解放闘争の嵐と真に連帯する道を明らかにさせていったのであった。
二は、六五年段階における中国革命への論及である。
(4) Wの一は、紀元節にかんする最初の論稿であり、二は、六七年の同じく紀元節論文である。
現在、政府・自民党は、元号法案を重大な反動と暗黒の攻撃としてかけようとしている。元号反対闘争は、まちがいなく七八年末〜七九年の政治闘争の重大な課題となるであろう。
「昭和」という現在の元号は、戦前の旧皇室典範に記載され、改元の際の法的根拠となっていたのであるが、戦後は「元号は国事の問題」とされ、現皇室典範と元号とはなんの関係もなくなり、現在「昭和」は慣習≠ニして使われているということになっているのである。
このため元号を改めて法律で定め、天皇制を国民の日常の意識のなかに、改めてつよく定着させることを狙った攻撃がかけられようとしているのである。この攻撃は、昭和の五〇年が、満州事変、日中戦争、太平洋戦争の一五年戦争の時代であり、戦後は日米安保同盟のもと、朝鮮戦争、ベトナム侵略戦争に加担した天皇の名のもとにおける侵略と戦争の時代であることを、国家として改めて公認し、ふたたび朝鮮――アジアへ侵略と戦争にのりだそうとする、すさまじいまでの凶暴な攻撃であり、それへの国民総動員を、天皇の名のもとで告知する赦しがたい攻撃である。
しかも、民社、公明両党も元号法制化に賛成し、四三都府県が賛成決議をすでにしていることにみられるように、容易ならぬイデオロギー的、政治的攻撃であり、さらに天皇制右翼主義の学生が、西歴使用の意見を唱える歴史学者に、いくつかの大学で攻撃をかけてきてさえいるのである。
われわれは、本多書記長によって明らかにされた天皇制批判の論理にしっかりと立脚し、元号闘争を前衛的にたたかいぬかねばならない。
(5)書評の、一は、『寒村自伝』(現在岩波文庫より上下二冊で刊行)を、紹介・批評した味わいぶかい文章である。日本革命運動の大先達としての荒畑寒村氏の人間的歩みにいかに学ぶかという点を軸に、スターリン主義の止揚の道を照らしだしている、本多書記長ならではの文章である。
二は、六六年に刊行された同志岸本の著作『日本型社会民主主義』にたいするものである。「日本的社民の存立条件をどう止揚するか」という実践的立場の貫徹として同書を評価している。
一九七八年九月 前進社出版部