書評、荒畑寒村著『寒村自伝』
    社会主義運動の特色ある外史
    豪放・痛快な人間像と時代精神
 
 『前進』二二八号に武井健人名で発表された『寒村自伝』の書評である。
 われわれの立場からすれば、寒村の生き方は「不満ともどかしさで一杯」なものがあるが、「われわれにはそのまま手本にする人生などはもともとありえない」という観点から、筆者は、この日本革命運動の先達の生きざまを日本プロレタリアートの「反省の書」として高く評価し、すべての労働者の座右の書として推せんしている。
 
 
 いままで数多くの自叙伝を読んできたが、今日のわれわれにとって、寒村自伝ほど痛快で、深刻な反省の書はまずないと思う。
 寒村は、下巻末章「生涯晩年の感慨」のなかで、この自伝について、「学問なく知識なき社会主義運動の一兵卒が蹣跚蹌踉として己が路を模索して来た生活記録であって他年一日日本社会主義運動史を編む企てが起った場合、多少の素材を提供するに足ると自負している痩せても枯れても一個の社会主義者であり唯物論者である私は、死んだ後の告別式だの建墓だのという形式には反対で、唯物論者のミイラなんて馬鹿げた骨頂だと思う。著作集なんかも知識のミイラみたいのもので、私が死後にのこす著作としては一篇の自伝で足り、それも前に記した所期に役だち得ると信ずるからである」と自註しているが、寒村自伝は、おそらく著者自身が考えているよりもはるかに深刻な波紋を日本社会主義運動になげかけずにはおかないだろう。
 もちろん、寒村自伝は、立身出世の栄達物語ではないし、誤りなき超人の勝利にみちた伝説創作でもない。自伝や伝記のなかに無謬の超人や成功の手本を求めたい人には、現代流行の『徳川家康』や『野坂参三の歩んだ道』などをすすめれば十分だろう。だが、寒村自伝は、栄達や無謬ともつとも遠い所にたつことによって、他山の石と評するには、あまりにも深刻な問題をわれわれになげかけているのである。
 日本社会主義運動の階級的前進をねがうすべての人びとは、この一巻の自伝のなかに投影された先達のたたかいとその挫折にたいし全人間的重みをかけて対決し、現実のたたかいをもってこたえる義務がある。以下の短評はそのための手つけにすぎない。
 周知のように、寒村自伝の著者は、明治三六年(一九〇三年)十月、日露開戦に反対して万朝報を退社した堺利彦・幸徳伝次郎(秋水)の連署「退社の辞」に感動して、数え年一八才で社会主義運動に参加して以来、平民新聞社・赤旗事件・大逆事件・「近代思想」・大正労働運動の復興・訪ソと日本共産党創設・労農派の結成と解体・戦後社会党への参加とその腐敗ぶりに愛想づかししての脱党声明など、日本社会主義運動の草創期から多年の風雪に耐えてきた大先達であり、著者も謙虚に自負しているように、自伝はそのまま日本社会主義運動の特色ある外史を構成している。
 思うに、自叙伝というものは、著者が多かれ少なかれ時代的行動に対自していることが前提となって、はじめて光芒を放ちうる。著者とほぼ同様の政治的遍歴を歩みながらも、山川均の『或る凡人の一生』(岩波書店)という自伝が、文字どおり平凡で退屈なのは、均と寒村の人物の痛快さが段違いであることもさることながら、晩年の人間的=政治的姿勢の厳しさの相違が段違いだからであろう。後でみるように、寒村自伝は、日本社会主義運動に内在する矛盾を、寒村という痛快な人物の行動をとおして八方破れに拡大し、極限をあばき出すことによって、時代史的転形期にたつわれわれにたいし、また対自しているといえる。
 寒村自伝は、明治から昭和初年にいたる日本社会主義運動の疾風怒涛の時代を生きた先達の豪放で痛快な人間像とその時代的精神をわれわれにヴィヴィッドに伝えるとともに、労農派という形態で出現した日共反対派の悲劇をも、きわめて複合的に展開してみせるのである。もちろん後者にかんしていうならば、自伝の著者はかならずしも筆者が読後に痛感したようには、労農派の悲劇を解釈しようとはしていないと思う。にもかかわらず、著者が「眼中の人、多く枯骨」と晩年の感慨をのべるのを読むと、心ならずも労農派の悲劇という一事に思いははせる。それはまた、日本共産党という錦の御旗のもとに駆せ参じ、死んでいった多くの先駆者たちの悲劇でもある。
 『野坂参三の歩んだ道』だの『日本共産党の四〇年』だのという党内でしか通用しない教典だけで日本社会主義運動の歴史を学んできたものには、寒村が日本共産党の初代書記長であり、いわゆる解党論にただひとり反対をとなえ、ビューローの存続を確保したというクダリにはいささか意外であるかもしれない。意外といえば、野坂が赤松克麿とともに入党の条件として総同盟グループへの資金援助と党決定への不服従の自由を要求したり、徳田球一が株投機のためにカネボウのストを依頼したり、日共式神話では説明つかぬエピソードがつぎつぎととびだしてくる。おそらくは、日本共産党の創成期にかんする記録としては、もっとも正確で信頼しうるものだと思う。
 ところで問題は労農派だが、下巻の「(労農)十年のたたかい」という章を読むと、その発生の要因もかなり複雑で、なかなか一筋縄でいきそうもない。著者の関係でいうと、著者の下獄中の大正一五年(昭和元年=一九二六年)の末に、日共の再建大会(第二次共産党)が開かれ、昭和二年一月に出獄したときには、山川の「方向転換論」が雑誌『マルクス主義』で猛烈な攻撃をうけており、批判の理論的支柱となっているいわゆる福本イズムを検討してみたが、「新党の指導理論が福本イズムなら絶対に再入党しない」ということになり、同年十二月、堺・山川・鈴木茂三郎・猪俣津南雄らとともに『労農』の発刊となったという事情である。理論的・組織的には、天皇制の戦略規定をめぐる綱領上の対立と、山川「共同戦線党」理論をめぐる組織論上の対立が、その底辺に存在していたことはいうまでもない。
 しかし、より一般的には、再建された第二次共産党の指導者たちの若さにかまけた性急さ、国際権威主義的な官僚的態度にたいする旧世代の良識的反発が『労農』発刊を醸成する酵母だったといえないだろうか。たとえば著者は同章で『労農』同人のあいだには「必ずしも前衛分子の組織問題についての意見の一致が存在せず、私自身としては解党に反対した当時の意見と変らなかったが、具体的な問題としては現在の党に参加する気にはなれなかった。徳田や両佐野に対する不信と人格的な反感は、いかんともなし得なかったからである。私は深く遺憾としながらも復党を拒絶したのである……」とのべている。この一文は筆者の前の憶測をいささかでも証しうると思う。
 これ以後、日本共産党は、日本社会主義運動の生みだした硬骨の士をつぎつぎと党から追放し、断切し、離党者・反対者の腐敗をもって党正統の栄光を護持するという逆転した過程を内在化していく。
 だが今日では、問題は逆の方向から視点を拡大していくことなしにはなんの解答も用意しえないことは明白である。日共正統派と労農派とのあいだの天皇制の戦路規定をめぐる二重の誤謬、および「共同戦線党」論と労農派革命論との矛盾的同一性にかんしては、すでに別のところで基本的には指摘してあるので、ここでは省略し、つぎの一点――すなわち、労農派とスターリン主義の関連についてのみかんたんに注意を喚起したい。
 寒村は、自伝下巻七章「第一次共産党の解散」で、雑誌『社会主義』(昭和三一年十月)の座談会「日本の社会主義」における山川均の「党と関係のうすかったことを立証しようと、ことさらに努めている」態度について詳細にその非を批判し、「山川君は理論の透徹を尚び言行の一致を重んずる人であり、従って……非常に不愉快な失策として意識されたにちがいない」と喝破しているが、このような山川の破廉恥な「努力」は、労農派、ひいては日本社会民主主義とスターリン主義との関係につながっているといえると思う。労農派は、日共正統派の二段階戦略とセクト主義にたいする、理解しうるマルクス主義的・良識的反発から出発しながらも、政治的党派としては、いわゆる無産政党の離合集散のはざまをさまようだけであった。理論的にも、日共理論の根本によこたわるスターリン=ブハーリン戦略を問題としえず、ソ連の官僚制的変質にかんしてもなにひとつ労働者的批判を加えなかった。しよせんそれは、スターリン主義への修正的屈服のうえに、日共の誤謬への右翼的補完物を提供してきたといえよう。
 寒村自伝を読んで直感することは、下巻七章「第一次共産党の解散」までの著者の活達な語り口とくらべて、同八章「(労農)十年のたたかい」以後は、渋滞しがちである。著者の人柄があまりにも魅力的であるだけに、昭和初年以後の日本社会主義運動の形容しがたい苦しみに、つい思いがいってしまう。八路軍の銃後で、安全な反日活動をつづけていた野坂と、牢中で、また空襲と食糧難のなかで、夜明けを待ちながらじっと耐え抜いた寒村。この二人の生活をくらべて、前者をのみ「終始一貫戦争に反対し……」などと称賛しうる人間を、われわれは信頼できるだろうか。
 戦後の下巻十章「社会党を脱党するまで」から新しく加筆された「新政党組織の挫折」「忘友のために論ず」「全体主義への反抗」「生涯晩年の感慨」は、いぜんとして渋滞した語り口ながらも、著者が誠実な彷徨ののちに、社会党の改良主義的腐敗ぶりに愛想をつかし、ソ連圏の「全体主義」的変質を指弾するところまで歩み進んでいく苦悩の投影として、じつにこの自伝をもっとも現代的にして永遠なる問いの書に高めたといえるであろう。新党準備会の問題にしでも、自由文化会議の問題にしても、筆者には不満ともどかしさで一杯だ。だが、まえにのべたように、われわれには、そのまま手本になる人生なぞはもともとありえないのだ。
 あえていわせてもらえば、寒村自伝は、白石『折たく柴の記』、諭吉『福翁自伝』という前時代の二大自叙伝にたいする、日本プロレタリアートの闘争と挫折を今日的に示す手中の反省の書として、クロポトキン『一革命家の思い出』(角川文庫)、トロツキー『わが生涯』(現代思潮社)とともに、すべての労働者の書棚におかれるべきである。
     (筑摩書房刊、上下各四五〇円)
     (『前進』二二八号一九六五年四月五日 に掲載)