二 中国革命の危機を突破する道は何か
     ―中国人民代表大会をめぐって
 
 中ソ対立の激化は、六四年に入ってますます激化する方向をたどる。スターリン主義に期待を裏切られつづけてきた民衆にとって、一見戦闘的姿勢をみせる中国共産党は、毛沢東の権威とあいまって、わが国の左翼陣営にかなりの幻想をふりまいていたのである。こうしたときにあって、「毛沢東主義もスターリン主義である」として断罪しえたのは、唯一わが同盟のみであった。本稿は、本多同志による一連の中国共産党(毛沢東主義)批判のひとつである。
 
 
 毛沢東の有名な小論文に「愚公・山を移す」というのがある。中国古代説話の「愚公・山を移す」(列子・湯問篇)によせて、中国の前途をふさいでいる「帝国主義と封建主義という二つの山」を何代かかってもほり崩そうという決意をのべたものである。
 帝国主義的な侵略と収奪のもとで塗炭の苦しみをなめてきた中国人民の不退転の姿勢の一端を示すものとして、いま読んでも感銘深い。じつに二〇世紀前半に展開した中国人民の不屈な<山をも揺がす>抵抗闘争は、帝国主義的な植民地支配にたいする後進国人民の反帝反植民地闘争の極点として、労働者解放運動史上の一大金字塔をなしている。このような中国人民の抵抗闘争にたいする世界プロレタリアートの当然の階級的連帯感は、中国農民戦争の指導者として抗日戦をたたかい抜き、国民党政府を打倒し、帝国主義勢力を一掃した毛沢東と中国共産党にたいする尊敬の感情を形成した。そして、人民公社運動を軸とする<大躍進>とフルシチョフとの決裂をも恐れずうちだした<反米=反帝路線>は、多くの戦闘的労働者のあいだに、<山をほり崩す>という毛沢東の決意の実現として理解されていった。
 だが、四八年の東北人民政府の樹立(中国人民政府は四九年十月一日)から今回の人民代表大会にいたる一七年の歴史は、「帝国主義と封建主義という二つの山」をほり崩し、社会主義を建設しようという毛沢東=中国共産党の決意と、国際的、国内的条件とのあいだの矛盾の深化の過程であり、毛沢東=中国共産党路線に内在する主体的危機の全面的な露呈の過程であった。つまり、何年かかっても、何世代かかっても帝国主義に抵抗するという永久的抵抗闘争と、現実に帝国主義の存立条件を打倒し、社会主義を建設するという永久革命とは、直接的にはけっして同一のものではない、ということである。
 前者を後者に転化するためには、中国革命を世界プロレタリア革命の有機的一環として客体的、主体的に貫徹することが不可欠となるのであり、まさにこの一点、だが現在的には決定的なこの一点に無自覚であるところに、毛沢東=中国共産党路線にかんする多くの評価の根本的欠陥があると思う。
 したがってわれわれは、帝国主義的侵略にたいして中国人民の示した不屈の抵抗闘争を積極的に評価し、そこから無限の人間的抵抗精神を学びとるとともに、中国革命が現代革命に提起している危機的な問題性を労働者=人間解放の立場から大胆に結論を恐れることなく解明していくことが必要である。中国革命とその今日的危機、毛沢東=中国共産党の主張する<反米=反帝>→中間<地帯>論をマルクス主義的に克服しうるかどうか――現代革命の根本問題はじつにこの極点にかかわっている。
 
 昨年暮から本年初頭にかけて北京で開催された中国人民代表大会(国会)は、昨年秋のいわゆる二大勝利――すなわちフルシチョフ失脚と原爆実験の成功を背景とし、中国経済のいちおうの好転を基礎としており、ブルジョア評論では毛沢東=中国共産党路線の勝利を謳歌した調子の高いものになるだろうと推測されていたが、現在公表されている唯一の資料=新華社電の周報告要旨を読んだかぎりでは驚くほど低調で、中国政府指導部の危機をひしひしと感じさせるものであった。
 周報告は、(1)国民経済の成果と今後の建設任務、(2)社会主義革命と人民民主主義革命と人民民主統一戦線、(3)国際情勢と中国の対外活動の三部からなっている。今回の周報告の特徴点は、「帝国主義各国反動派と修正主義者の中国反対の波をしりぞけ」「アメリカ帝国主義の侵略政策と戦争政策にたいする全世界人民の闘いは大きな発展をとげ、勝利からいっそう大きな勝利へと向っている」とし、昨秋の「二大勝利」を謳歌しているにもかかわらず、中国社会の内部で深刻化している(体制的危機)にかんして政治経済的にもイデオロギー的にも自己暴露せざるをえないところにある。
 まず、周報告が農工業生産にかんしてつねに五七年度を指標としていることからも明らかのように、今日の中国経済が<経済調整・全面好転>などという便宜的スローガンとはうらはらに、六〇年以来の危機をいぜんとして脱出していないことである。たとえば、農業生産は「二年続きの増産に次いで今年もいっそうよい収穫をあげ」「主な農業畜産品は五七年を上回って」おり、工業生産は「五七年に比べ大幅にふえている」といっているが、このような比較の方法自体が今日の中国経済の危機の明白な証拠であるといえる。
 なぜならば、五七年度と比較するということは、五八年――五九年度とは比較するわけにはいかないということを意味しているからである。すなわち、右の引用から推計すると、今日の中国経済は「四年来の増産」にもかかわらず、五九年度を指標として農業生産はその約六〇%、工業生産はその約五五%しか回復していないということである。
 したがって、周報告の六五年計画では、農業は五%、工業生産は一一%の増産をみこんでいるが、計画が一〇〇%完遂されたとしても、いぜん五九年度指標でそれぞれ七一%、六一%の段階に回復するにとどまることになるのである。
 以上の事実は、毛沢東=中国共産党の<農業基礎論>および<自力更生論>の誤謬をきわめて実践的に明らかにしている。すでに幾度か別の機会に指摘してきたように、社会主義は、基本的には資本制のもとで高度に発達した富と文化を前提としてのみ可能であり、農業の集団化は近代的機械工業の直接的援助を欠如するならば、農民の小所有主としての抵抗を終局的に打ち破りえないといえる。
 毛沢東=中国共産党の<農業基礎論>は、このようなマルクス主義的公式に敵対して、植民地的支配によって複合的に形成された零細農業を起点として「社会主義的」工業化の主要な資金源泉を求めようとするものであり、スターリンの「社会主義的原著論」のより農業国的堕落理論である。したがって、そこから必然的に生起する事態は、一方では農民の集団化をテコとする暴力的な資金調達、他方では農民の不満の増大と労働意欲の低下をつくろうための工業化テンポの制動のジグザグである。
 人民公社運動を中軸とする五八年――六〇年の熱狂的な<大躍進>は、五六年――五七年度の経済的停滞を強行的に突破するための冒険主義的試みであり、このような官僚的冒険は、生産力主義的幻想の一時的増大にもかかわらず、農業の荒廃と都市労働者の労働強化・生活危機をもたらした(本書V部第一論文参照)。
 六〇年後半以来の<経済調整>と農業基礎論の強調は、官僚的冒険による中国経済の全面的危機を、農民への右翼的妥協によってのりきろうとするものであった。だが、このような妥協は、一方では工業化資金源泉の深刻な枯渇をもたらすとともに、他方では一定の農業生産の回復にもかかわらず、人口増加圧力のためにいぜんとして五六年――五七年以下的な停滞を余儀なくしている。
 しかも、ソ連官僚のスターリン主義的な「経済援助」と中ソ対決による全面的うちきりにたいする防衛的方策として提起された<自力更生>路線は、このような中国経済の構造的危機をいっそう深刻化する国際的、国内的重圧となっている。たとえば、周報告は、ソ連借款と利子の返済のために一四億六〇〇万ルーブル(三六・六億元)を支出したといっているが、六二年度の輸出入総額が二〇数億ドル(約七二億元)とされている(『朝日ジャーナル』六四年三月一五日)ことを基礎に推定すると、五年平均で輸出総額の約五分の一を返済にあてたことになる。
 そのうえ、周報告によると、「この期間に返済した外国の借款の額よりずっと多い額の資金と物資」を対外援助したとのことであり、帝国主義国からの総額一〇数億ドルに達する生産財の購入とあわせて考えるならば、いかに尨大な重圧となって国民経済に反作用したか想像もつくであろう。対ソ借款と利子の返済、同額以上の対外援助、帝国主義国からの機械設備の購入――これら尨大な資金を中国経済は自分のとぼしい農産物・軽工業品の飢餓輸出によって調達したわけである。
 
 このような中国経済の危機的構造は、毛沢東=中国共産党の民族主義的強がりにもかかわらず、自力更生論の空想的実体を実践的に照らしだしている。帝国主義の革命的転覆とスターリン主義の根底的克服なしには、中国経済の今日的なジレンマを脱する道は断じてありえない。この結論がどんなに困難な前途を覚悟させるとも、この事実を明確に承認することなしには、中国経済の危機的構造の革命的突破は不可能である。だが、周報告の示した道は、そのみせかけの急進的言辞にもかかわらず「正に逆」の方向を指している。
  その第一は、「社会主義社会はきわめて長い歴史的段階」であり、社会主義社会でも「資本主義および封建主義との熾烈な階級闘争が存在する」という驚くべき反マルクス主義的イデオロギー形態をとって示されている。つまり、社会主義社会でも以前の階級社会と同様に階級闘争が存続しており、しかも毛沢東によると何世紀も続くのだというのである。
 このような毛沢東=中国共産党の<新理論>は、理論的にいうならば、資本主義から社会主義への過渡期と共産主義(無階級社会)の第一段階としての社会主義との混同から派生する低次元な誤謬であり、マルクス主義の社会主義論となにひとつ共通なものをもっていない。だが、問題は、このような反社会主義的イデオロギーが「マルクス・レーニン主義の原則的理論」として登場してくる社会的基礎はなにか、という点にある。
 かつてスターリンは三○年代に、「社会主義建設が進めば進むほど階級闘争は激化する」という反マルクス主義的な「新理論」を発明したが、それはロシア革命の基本的成果を破壊し、プロレタリア的抵抗を圧殺し、官僚制的変質を強化するイデオロギー的テコを意味していた。プロレタリア独裁の強調は、プロレタリア独裁の実体的基礎である工場ソビエト(労働者評議会)を解体し、反対派を粛清するための煙幕にすぎなかった。
 今回の毛沢東=中国共産党の「新理論」は、スターリンの<階級闘争激化論>とまったく同様に、過渡期社会と社会主義社会を同一視することによって<社会主義への発展>方向をまっ殺し、過渡期社会の固定化=長期化を確立しようとするものであり、中国経済の構造的危機を合理化し、その解決を永遠の未来に追放するものである。
 だが、過渡期の固定化は、必然的に官僚制的変質を深化せしめるであろう。四八年の第三次中国革命以来の中国社会のすべての政治的・経済的過程は、<連合独裁からプロレタリア独裁への連続的発展>という二段階戦略的イデオロギーを外皮としながら、プロレタリア独裁=労働者評議会を一度として経験することなくスターリン主義的官僚制へ直行する過程であった。それは、ロシア革命を突破口とする<帝国主義の没落と世界革命の過渡期>を一般的条件としつつ、ロシア革命の官僚制的変質と帝国主義の延命、そして中国革命における労働者権力の未形成を特殊的・個別的条件とするものであった。
 
 すでに指摘した<農業基礎論>の破綻とその右翼的修正、ますます深刻化する中国経済の構造的危機は、中国社会における階級闘争を疑いもなく熾烈なものにするとともに、唯一の突破口として政治的緊張を無限に拡大しながらふたたび五八年――六〇年的な官僚的冒険策をとらざるをえなくするであろう。<ズボンをはかなくても……>という陳毅外相の決意でも明らかなように、貧困と強行蓄積の象徴として中国核実験の成功は意味をもっている。
 周報告が示した道の第二は、中国核実験と<反米=中間地滞論>が明白に自己暴露しているが、アメリカ帝国主義にたいする小ブル的反発を唯一の基礎として国内的緊張を強め、国際的緩衝地帯を拡大しようとするものである。毛沢東=中国共産党の主張する反米闘争路線が<帝国主義打倒>を意味するものでないことは多くの論者が指摘しているところだが、われわれは、同時にこのようなエセ反帝路線が、中国社会の官僚制的変質と不可分のものであることを直視する必要がある。
 周報告は、中国「社会主義」の建設のために「自力で立ちあがり、発奮して国の富強をはかり、刻苦奮闘し勤倹節約で国を建設するという革命精神を引き続き発揚し……」などということを再三にわたって強調しているが、これらの言葉のなかにも、毛沢東=中国共産党の「社会主義」の反動的な本質が刻みこまれている。中国の諺に<百年河清を待つ>というのがある。勤倹節約すれば国の富が栄えるなどという精神主義では、生産力の一定の発展があったとしても、本当の社会主義社会の到来は<百年河清を待つ>に等しいであろう。
 われわれは、社会主義=共産主義を労働者=人間解放の現実的運動として回復し、実現する巨大な世界史的な課題にむかって、いま一歩すすまねばならない。
         (『前進』二一九号一九六五年二月一日に掲載)