狭山闘争の歴史的な勝利のために
    日帝・寺尾体制の「早期結審・死刑判決」の攻撃を五月狭山闘争の大高揚をもってうち砕こう
 
 本論文は、七四年三・二二狭山闘争――春期大攻勢の高揚をうけつぎ、いよいよ重大局面をむかえた狭山五月決戦の勝利にむかって、あらためて全党全軍の再武装をはかるために書き下されたものである。日帝・井波にかわって登場した日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の反動的本質をあばきだし、同時に、延命のために醜悪な狭山介入=破壊策動をこころみる反革命差別集団カクマルへの根底的批判と、狭山・部落解放闘争の根本的諸問題にかんする解明に着手している。発表時署名は黒沢昌三。
 
 
A 日帝・寺尾による三・二二攻撃がつきつけたものはなにか
B 狭山闘争を決定的な水路とする七〇年代部落解放闘争の革命的展望
C 反革命差別集団カクマルとのたたかいの不可避性と必要性
D 五月狭山闘争の大爆発かちとり、日帝・寺尾の 野望をうち砕け
 
 
 二重対峙・対カクマル戦のいっそう本格的な発展がますます力強くおしすすめられているなかで、三・二二狭山闘争は断固として勝利的にうちぬかれ、狭山闘争の大高揚の道がきりひらかれた。日帝・寺尾体制、寺尾=カクマル連合との真向からの対決として三・二二はたたかいぬかれ、狭山闘争の歴史的勝利のための重大な革命的陣地が、ここにしっかりとうちかためられたのである。
 石川一雄氏のたたかいに呼応し、東京高裁に真正面から対峙するかたちで日比谷公園に結集した一万余の革命的、戦闘的な労働者人民は、権力の激励と保護のもとに介入・破壊の策動をつづけてきた反革命差別集団カクマルを一歩もちかづかせず、断固として共同闘争を守りぬき、日帝・寺尾体制の早期結審・死刑判決の路線を粉砕し、石川一雄氏の奪還をかちとるためにたたかいぬいたのであった。昨年十一月二七日の第一回再開(やり直し)公判以来、五回にわたってうちぬかれてきた公判闘争をうけて、戦闘的部落青年を先頭とするたたかう戦列は、狭山闘争の圧倒的な高揚、狭山闘争の歴史的勝利のための展望を死力をつくしてきりひらいたのであった。
 日本帝国主義とその意を体した死刑執行人寺尾は、狭山闘争のこのような大高揚の展望に恐怖し、それにたいする反動的先制攻撃として、一方では、警察権力や反革命分子をつかって狭山闘争の弾圧と解体のために、ありとあらゆる悪らつな策動をくりかえすとともに、他方では、寺尾体制にかんするいっさいの幻想をあざけるように早期結審・死刑判決の路線をうちだし、石川一雄氏の無実をあきらかにする現場検証、証拠・証人の採用をことごとく却下するドス黒い攻撃を一挙にうちだしてきたのである。日帝・寺尾は、狭山闘争が日に日に力強く発展し、日帝の土台骨をごしごしとゆさぶりはじめようとしているのにおそれおののき、狭山闘争の全人民的な大高揚がいまだ十分につくりだされていないうちに反動的攻撃をつぎつぎとうちだし、狭山闘争を敗北主義の路線にひきこもうとしてきたのである。
 われわれは、「狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還・内乱的死闘」「融和主義粉砕、部落解放・日帝打倒」の原則にがっちりとふまえて、狭山闘争のいよいよ緊迫化する決定的局面をうけとめ、部落解放同盟との団結をいっそうかたくうちかためつつ、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)のドス黒い野望をこなごなにうちくだくために、いまこそ重大な決意をもってたちあがらなくてはならない。二重対峙・対カクマル戦のいっそう本格的な発展にむかって春期大攻勢を断固としておしすすめるとともに、それを基礎として、四月における狭山・沖縄・春闘・学園などをめぐる武装せる大政治戦を勝利的にうちぬき、その決定的な集約点として五月狭山闘争の巨大な爆発をかちとらなくてはならない。それがどんなに困難な仕事であろうとも、われわれは共産主義者としての責任にかけて、この歴史的な重大任務をことごとく立派にはたしぬかなくてはならないのである。
 
A 日帝・寺尾による三・二二攻撃がつきつけたものはなにか
 
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の反動的な野望をうちやぶり、狭山闘争の歴史的な勝利をなんとしてもかちとっていくためには、われわれは、まず最初に日帝・寺尾の今回の攻撃のもつ歴史的な性格についての正しい認識をしっかりもたなくてはならない。いいかえるならば、われわれは、そうすることによって、石川一雄氏の無実をあきらかにするうえで重大な意味をもつ現場検証や証拠・証人の採用をすべて拒否しようとした日帝・寺尾のドス黒い攻撃にあらわれた深刻な問題性をためらわず直視し、それをうちやぶるために死力をつくして奮闘しぬくことができるのであり、また日帝・寺尾のこのようなむきだしの攻撃にもかかわらず、けっしてうちけすことのできない狭山闘争の歴史的勝利の展望を確固として堅持し、その達成のための大道をためらわずつきすすむことができるのである。
 日帝・寺尾体制の今回のドス黒い攻撃のもつ歴史的な性格を正しくうけとめていくうえで、われわれが確認しなければならない基本的な問題点は、つぎのとおりである。
 第一には、日帝・寺尾体制は、もともと死闘の六ヵ月によって打倒された日帝・井波体制の攻撃を維持・継続し、寺尾への一部の幻想を利用しながら「早期結審・死刑判決」の路線をうちだすことを独自の政治的使命として登場した徹頭徹尾反動的なものであることが、この攻撃によっていっそう明白になった、ということである。
 日共系の弁護人や、それに追従する一部の諸君は」寺尾がかつて公安条例事件においてある程度「民主的」な判決をだしたという事実に幻惑されて、日帝・寺尾体制についての種々の楽観的な見通しをうちだし、狭山闘争の一定の停滞をうみだしたのであった。また、日帝・寺尾体制の「左の足」として狭山闘争への反階級的な敵対をくりかえしてきた反革命カタマルは、「寺尾が公正裁判をうちおろそうとしている」などと寺尾を美化し、狭山闘争の内側からの破壊・解体をねらってあくどい策動をたえず追求してきたのであった。
 だが、昨年十一・二七以来の狭山闘争の前進、全人民的な大高揚によっておいつめられた日帝・寺尾体制は、ついに「民主的」な仮面をみずからの手ではぎとり、早期結審・死刑判決の反人民的路線をあからさまにうちだし、狭山闘争をたたかう革命的、戦闘的な労働者人民にたいし強権的な挑戦をしかけてきたのである。狭山闘争の圧倒的な前進は、日帝・寺尾体制の真の階級的本質をあからさまにあばきだし、寺尾にかんするたたかう陣営内部の混乱を解決する基礎をうみだしたのである。
 第二には、日帝・寺尾体制がこのような露骨な攻撃をしかけなければならなかった前提には、第一回再開(やり直し)公判以来の狭山闘争の圧倒的な前進のなかでますます明白となりつつある狭山闘争の全人民的な高揚と、その歴史的勝利の展望にたいする反動的な恐怖がよこたわっている、ということである。
 三・二二にまで一気にのぼりつめた狭山闘争の高揚は、いくつかの重要な点において、狭山闘争の全人民的な高揚とその歴史的勝利の展望を今日的に照らしだしたのであった。すなわち、@狭山闘争の前進が、二重対峙・対カクマル戦のいっそう本格的な発展、赤色個人テロルと集団戦の二つの形態での革命的報復戦の戦略的展開とかたくむすびつき、それを基礎としてかちとられていることである。権力と反革命分子の弾圧と破壊の二重の策動にたいし、みずからをまもりつつ、狭山闘争の前進がきりひらかれているのである。A二・一四問題についての教訓をふかめ、それで再武装することによって、革命党=革命勢力と部落解放同盟との団結がいっそうかたくうちかためられたことである。革命的部落青年を先頭とする革命的、戦闘的な労働者人民は、狭山闘争の全人民的高揚とその歴史的勝利のための革命的にして現実的な道をしっかりときりひらきはじめたのである。B部落解放同盟と革命党=革命勢力の団結を中核として狭山闘争への全人民的な動員がかちとられはじめたことである。たたかう労働者人民のたたかう共同戦線にむかっての飛躍的前進がきりひらかれたのである。C日共、カクマルの狭山闘争への敵対とそのための策動の破産がいっそうくっきりとあばきだされたことである。狭山闘争の革命的、戦闘的な前進は、日共、カクマルの反革命的策動の余地をますますうばいとり、その反革命差別集団としての本質をますますあばきだしたのである。
 日本帝国主義とその意を体した死刑執行人寺尾は、狭山闘争のこのような革命的、戦闘的な前進、その壮大な歴史的勝利の展望のまえにおそれおののき、それを予防的におしとどめようとしてドス黒い攻撃をしかけてきたのである。
 第三には、現場検証やあらたな証拠・証人の採用と、それをめぐるたたかいによって、石川一雄氏が無実であること、狭山裁判が部落差別の攻撃であることがますますあきらかとなり、狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還・内乱的死闘のたたかいがいっそう全人民的にひろがることを日帝・寺尾体制がどんなに恐怖しているか、をはっきりと自己暴露した、ということである。
 反革命差別集団カクマルは、恥しらずにも日帝・寺尾体制の任務が一審のズサンさをなおし「慎重審議」「公正裁判」の名のもとに民主的判決をうちおろそうとするところにある(反革命通信二九〇号)と主張している。だが、一審の「ズサンさ」なるものは、一審裁判長の手続き的な粗放さにその根本的な要因をもつものではなく、石川一雄氏が無実であり、狭山裁判とその死刑判決が部落差別の権力犯罪であることの必然的な結果なのである。日本帝国主義とかれらの死刑執行人どもは、どんなに苦労しても「ズサンさ」から自由になることはできない。一審の「ズサンさ」をなくすことは、死刑判決を破棄し、石川一雄氏の無実をあかす以外のなにものでもない。だからこそ、かれらは、石川一雄氏の無実をあきらかにする現場検証、証拠・証人をことごとく拒否するという乱暴きわまる攻撃にうってでざるをえなかったのである。
 第四には、日帝・寺尾体制のこのような凶悪な攻撃が「革命的前衛」の名のもとに狭山闘争(とそれを重大な水路とした革命的な部落解放運動)の発展を破壊しようとする反革命差別集団の二つの流れ、つまり日共とカクマルの悪質きわまる反階級的策動とむすびつき、相互にはげましあうかたちでうちだされてきた、ということである。
 反革命差別集団の一つの流れである日共スターリン主義は、「融和主義粉砕、部落解放・日帝打倒」の革命的原則に敵対し、部落解放のたたかいを民主主義一般のなかに解消する反階級的な理論をうちだし、部落解放運動の分裂と破壊をもくろむとともに、それを基礎として、狭山闘争を「公正裁判要求」の路線におしまげようとし、革命的部落青年を先頭とする革命的、戦闘的な労働者人民の決死のたたかいによってその卑劣な野望がうちくだかれるや、今度は、狭山闘争そのものの破壊をめざして、都議団をつかって日比谷小公園の使用を妨害したり、弁護団の一部日共系分子をつかって現場検証、証拠・証人の採用のたたかいを妨害しようとしたりなどしているのである。
 また、反革命差別集団のもう一つの流れであるカクマルは、日帝の部落差別を否定する解消論の立場にたって、石川一雄氏の無実、狭山裁判の差別的本質を否定し、狭山闘争を組合主義的運動に解消しようとし、そのために卑劣きわまる破壊策動を権力の激励と援助のもとにくりかえしているのである。
 狭山闘争の圧倒的な高まりのまえにおいつめられた日帝・寺尾体制は、まさに、このような二つの流れの差別主義集団の策動にはげまされて、その反人民的本質をむきだしにし、「早期結審・死刑判決」の路線をあからさまにうちだしてきたのである。
 第五には、それゆえ、われわれは、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の「早期結審・死刑判決」の路線にたいし、いささかも幻想をもつことなく真向から対決し、「融和主義粉砕、部落解放・日帝打倒」「狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還・内乱的死闘」の原則にふまえて五月狭山闘争の革命的な大爆発を決戦的な質をもったものとしてかちとり、狭山闘争の歴史的勝利の展望にむかって確信をもって前進しなければならない、ということである。
 日帝・寺尾体制に幻想をよせ、それによりかかるかたちでは、狭山闘争の全人民的な高揚も、その歴史的勝利も、けっしてありえない。われわれは、日帝・寺尾体制を三百万部落民を先頭とする労働者人民の共同闘争で徹底的においつめ、実力をもって日帝・寺尾体制を打倒しぬくことをとおして狭山闘争の歴史的勝利を真にかちぬくことができるのである。日帝・寺尾体制の今回のドス黒い決定によって一挙にはやめられた狭山闘争の決定的な局面を、まさに「決戦的な質」をもった闘争の大爆発をうちぬくことをもってむかえうち、その勝利をとおして狭山闘争の歴史的勝利の展望を、いっそう確固としたものにうちかためなくてはならないのである。
 
 B 狭山闘争を決定的な水路とする七〇年代部落解放闘争の革命的展
 
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の反動的な野望をうちやぶり、狭山闘争の歴史的な勝利をなんとしてもかちとっていくためには、われわれは、同時に、狭山闘争を決定的な水路とする部落解放運動の革命的、戦闘的な前進の展望をいっそう明確にうちかためていかなくてはならないのである。いいかえるならば、われわれは、日本革命の重要な戦略的課題として部落解放闘争をすえきり、その理論的、運動的な発展を真にうちかためることによって、狭山闘争の全人民的な高揚、その歴史的勝利の展望をいっそうくつきりとうちたてることが可能となるのである。
 狭山闘争を決定的な水路として部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進をかちとっていくうえで、われわれが確認しなければならない基本的な問題点は、およそつぎのとおりである。
 第一には、われわれが部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進を展望していく場合、たえずふまえられなくてはならない点は、狭山闘争そのものの歴史的な勝利のためのたたかいこそ、部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進の当面するもっとも主要な土台であり、まさに死力をかたむけてそれをたたかいぬくことによって、はじめて部落解放闘争の革命的、戦闘的前進もなしとげうることができるのだ、ということである。
 狭山差別裁判は、無実の石川一雄氏を部落民であるというただそれだけの理由で犯人にしたてあげた、という点において、まったく許すことのできない部落差別の攻撃である。われわれは、石川一雄氏の一二年間にわたるたたかい、そのくやしさと怒り、その確信と希望をしっかりとうけとめるとともに、それを実践的なバネとしてこの部落差別の権力犯罪を徹底的に糾弾し、それを粉みじんにうちくだくために、血債をかけてたたかいぬかなくてはならない。
 同時にまた、狭山差別裁判は、それをとおして部落差別をいっそうつよめ、日帝の部落差別の攻撃のまえに一般民を屈服させ、それにまきこもうとする攻撃である、という点においても、まったく許すことのできない部落差別の攻撃である。
 さらにまた、狭山差別裁判は、日帝の部落差別の攻撃に真向から対決し、狭山闘争と部落解放闘争にたちあがった部落民を先頭とする労働者人民にたいする反動的挑戦であり、石川一雄氏への死刑判決の攻撃によって狭山闘争と部落解放闘争に決起した部落民を先頭とした労働者人民のたたかいの背骨をたたきおろうとする、という点においても、まったく許すことのできない部落差別の攻撃である。
 われわれは、石川一雄氏のたたかいにまなび、死闘の六ヵ月をたたかいぬいた決意をいっそううちかためて、狭山闘争の歴史的勝利をかちとり、日帝の部落差別の攻撃をそのもっとも決定的な局面でうちやぶり、部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進のトキの声としなくてはならない。
 第二には、狭山闘争と、それを水路とした部落解放闘争が、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的な発展、七〇年代中期の大高揚の重大な基軸としての位置、全人民のもっともさしせまった政治課題としての性格をますますくっきりとさせはじめている、ということである。
 日本帝国主義のアジア侵略と侵略体制のつよまり、それにともなう政治反動のつよまりは、戦後世界体制の解体的危機とそのもとでの日帝の体制的危機のいっそうのふかまりのなかで、ますます激しいものとなっている。こうした情勢のつよまりのなかで、日帝の部落差別の攻撃は在日アジア人民への民族的抑圧や、沖縄県民への五・一五体制的な抑圧の攻撃などとならんで、反人民的攻撃のもっとも重大な環としての役割をいちだんとつよくしているのである。日本帝国主義の排外主義、差別主義、権威主義の攻撃は、一体となって日帝のアジア侵略への労働者人民の動員のための決定的なテコとしてはたらきはじめている。
 われわれは、日帝のアジア侵略を内乱に転化する戦略的総路線の勝利にむかって、日帝のこうした諸攻撃をことごとくうちくだき、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的な発展をかちとっていこうとしている。狭山差別裁判を徹底糾弾し、無実の石川一雄氏の即時奪還をかちとるためのたたかいの全人民的な高揚は、まさに内乱的死闘の質を今日的につらぬきとおすものとして、七〇年代階級闘争のもっとも基軸的なたたかいの一つにみずからをおしだしはじめたのである。
 第三には、プロレタリア革命の重大な戦略的課題としての部落解放闘争の意義と役割がますますあきらかになりつつある、ということである。
 共産主義者は、プロレタリアートの自己解放のたたかいをとおして人間の人間的解放をかちとることをみずからの独自の歴史的使命としている。プロレタリアートは、人間の抑圧と搾取のもっとも普遍的な存在として自己をとらえかえすことによって、人類解放の真の階級的主体として自己形成することができるのである。それゆえ、プロレタリアートの革命的前衛としての共産主義者は、プロレタリアートの自己解放のたたかいのもっとも一貫した代表者であるばかりでなく、すべての被抑圧者の自己解放のたたかいの真の代表者でなければならないのであり、また、そうであることができるのである。
 日本帝国主義の部落差別の攻撃をうちくだき、部落民の解放をかちとるたたかいは、まずもって部落民自身の自己解放のたたかいであるとともに、日帝を打倒し、プロレタリア独裁を実現せんとする、すべての共産主義者、すべてのたたかう労働者人民の共同の革命的課題である。部落民を先頭とする労働者人民は、部落民の当面する諸闘争を断固として戦闘的にたたかいぬくとともに、部落差別の根源をなす帝国主義の支配を打倒し、プロレタリア独裁権力を樹立することをとおして、部落差別の政治的、経済的根拠をことごとくうちやぶっていかねばならないのである。
 それゆえ、プロレタリアートとその革命的前衛としての共産主義者は、部落民のほとんどが労働者人民だから部落解放のためにたたかうのではない。部落民への部落差別の攻撃を許すことができないから、部落民への部落差別の攻撃を許すことがプロレタリアートの賃金奴隷としての地位を許すことにほかならないから、プロレタリアートとその革命的前衛としての共産主義者は、部落解放のたたかいをたたかうのである。すべての労働者人民は、部落解放のためにたたかうことをとおして、みずからを抑圧している鉄の鎖をたたききるためにたたかっているのである。
 第四には、部落民はもとより、すべての労働者人民の革命的なめざめにとって、部落解放のたたかいが、きわめて重大な革命的水路をかたちづくつているということである。
 すでにみたように、部落解放のたたかいは、部落民自身の解放のためのたたかいであるとともに、部落民をふくめたすべての労働者人民の自己解放のためのたたかいである。しかし、このような弁証法的な関係は、客観的な意味においてそうであるだけではない。部落解放のたたかいと、共産主義的解放のたたかいとは、同時にまた、部落民を先頭とするすべての労働者人民が、みずからの奴隷状態をみつめ、その革命的打開のために決起していくうえで、相互にはげましあう弁証法的な関係をもかたちづくつているのである。
 さしあたって、部落解放闘争の側面からこの関係をみるとするならば、それは、部落民がみずからの完全な解放をかちとるためのきわめて重大な実践的出発点をなすとともに、労働者人民、とりわけ、日帝の部落差別の攻撃に屈服し、そのもとで自己の腐敗をふかめてきた一般民の労働者人民にとって、それはみずからの屈服と腐敗をみつめ、それから脱却していくための重大な援助と試練をなしているのであり、またそうすることによって、部落解放にむかって労働者人民の共同の戦線をつくりあげる重大な実践的結節点をなしているのである。また、共産主義運動の側面からこの関係をみるならば、プロレタリアートとその革命的前衛としての共産主義者が、プロレタリア革命の重大な戦略的一環として部落解放闘争を真剣にたたかいぬくことは、部落民をはじめとする労働者人民をプロレタリア革命の大義にかたくむすびつけ、そのもっとも優秀な部分を革命党建設の担い手に獲得していくうえで、きわめて重要な水路をつくりだすとともに、部落解放運動の革命的、戦闘的な前進をかちとり、部落解放闘争を日本革命のもっとも強力な推進部隊のひとつにきたえあげていくうえで、かくことのできない前提的な作業をなしているのである。党と部落解放闘争との真の革命的な関係をきずきあげることは、このような歴史的大事業をおしすすめていくためのもっとも中核的な任務である。
 第五には、革命の仮面をかぶった反革命である日共、カクマルの反階級的本質をあばきだし、かれらを徹底的にせん滅し、解体していくことなしには、部落解放闘争の真の革命的、大衆的な発展はありえない、ということである。
 反革命差別集団・日共スターリン主義の部落運動論なるものの反革命的な本質を徹底的にあばきだし、その反人民的な分裂策動をことごとくうちやぶっていくことは、部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進にとって、当面もっとも重大な実践的任務のひとつである。われわれは、日共の部落運動の解消論的な本質とその必然的な帰結である分裂策動をうちやぶるために全力をあげてたたかいぬくとともに、このような部落解放闘争への敵対の根底にあるところのものが、三二テーゼ以来の二段階戦略、部落問題への民主主義革命論的なアプローチにあることを理論的=運動的につきだしてたたかいぬかなくてはならないのである。〔なお、日共の理論と実践についての批判は、ちかく別の論文のかたちで提起する。〕
 反革命差別集団カクマルの部落闘争なるものの反革命的な本質を徹底的にあばきだし、その差別主義的な敵対と介入の策動をこなごなにうちくだくことは、また、部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進をかちとっていくうえで、日共とのたたかいにまさるともおとらない重大な意義をもっているのである。なぜならば、日共の部落解放運動への敵対の反革命的な本質、日共とのたたかいの不可避性と必要性については、解放運動内部で一定の確認がかちとられているのにたいし、カクマルの反革命的差別者集団としての本質については、部落解放同盟中執での「共闘拒否」の厳格な決定にもみられるように明確な意思統一がかちとられつつあるとはいえ、解放運動の内外にはきわめて部分的ではあるが、カクマルの介入策動の危険な狙いについて認識が十分でない傾向もみられるからである。それゆえ、この点についてはつぎの章で、ある程度つつこんで検討することにしよう。
 
 C 反革命差別集団カクマルとのたたかいの不可避性と必要性
 
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の反動的な野望をうちやぶり、狭山闘争の歴史的な勝利をなんとしてもかちとっていくためには、われわれは、さらに反革命差別集団カクマルとのたたかいの不可避性と必要性について明確な認識をもたなければならないのである。いいかえるならば、われわれは、反革命差別集団カクマルの反階級的な介入策動をきっぱりとはねかえし、かれらを部落解放運動のもっとも悪質な敵対者として徹底的に糾弾し、せん滅・解体しぬくことによって、狭山闘争の全人民的な高揚、その歴史的な勝利の展望をいっそう明確にすることができるのである。
 反革命差別集団カクマルの介入策動の反人民的な本質をあばきだし、かれらを完全にせん滅し打倒し、狭山闘争の全人民的な高揚、その歴史的な勝利をかちとっていくうえで、われわれが確認しなければならない基本的な問題は、およそつぎのとおりである。
 第一には、狭山闘争にたいする反革命カクマルの介入策動の本質は、狭山闘争の推進にあるのではなく、あくまでも狭山闘争の内側からの破壊、部落解放闘争の内側からの破壊にある、ということである。
 多年にわたって狭山闘争をたたかってきたものなら、すべてのひとびとがよくしっているように、反革命カクマル分子どもは、一貫して狭山闘争に敵対し、小ブルのハミダシ運動とか、部落迎合主義とかいって中傷と誹謗のかぎりをつくしてきたのであった。昨年十一月二七日の第一回再開(やり直し)公判に際して総評が狭山闘争への組合動員を決定したあとでも、かれらは、青年協の機関などで十一・二七へのとりくみに敵対したばかりか、動労カクマルの大江にいたっては、昨年暮になっても「狭山闘争はプロレタリアートの運動と関係がない」などという、許すべからざる差別発言を公々然とおこなっていたのである。
 二・七を直前にして反革命カクマルは突如として狭山闘争への介入の策動をつよめはじめたのであったが、このような「転換」は、かれらが狭山闘争へのとりくみを真剣に検討した結果ではなく、狭山闘争へのいっそう悪質な敵対のあらわれ以外のなにものでもないのである。すなわち、かれらは、狭山闘争をとおして革命党=革命勢力と部落解放闘争の結合と発展が力強くおしすすめられているのに恐怖し、昨年秋の第一回拡大POB会議で「狭山推進のたてまえでアリバイ的に狭山闘争に介入し、実際には狭山闘争と中核派の解体をおしすすめる」との方針を決定したのであった。だからこそ、かれらは、一方ではペテン的ポーズで介入策動をつづけながら、他方では大江のような狭山闘争への露骨な敵対をつづけることができたのである。
 ところが、事態はカクマル分子が願望していたようにはすすまなかった。総評決定をきっかけとして、組合動員のかたちをとった狭山闘争への真剣なとりくみが、カクマルの反革命的な思惑をつきくずしてはじまってしまったのである。大阪総評の戦闘的労働者たちは、日共とカクマルの妨害をはねとばして狭山闘争へのとりくみをいちだんと強化した。全逓、自治労、教組などにおいても活動はいちだんとつよまりはじめた。動労青年部においても千葉など従来から狭山闘争にとりくんできた部分だけでなく、岡山地青などが本部をつきあげながら独自のとりくみを開始したのである。こうした情勢のなかで、青年協運動のなかでも完全に孤立し、悪質な差別者集団としての正体をあばきだされてしまった反革命分子は、あわてふためいて狭山闘争への「ペテン的参加」をはかり、従来からの差別理論のペテン的な手直し(ふまえ・ふみにじり路線の精密化)に四苦八苦する無残な姿をさらけだしてしまったのである。
 だがしかし、どんなにとりつくろおうとも、反革命カクマルの差別集団としての本質、狭山闘争への敵対者としての正体をかくすことはできない。東交カクマルの差別発言や、反革命通信での差別用語の乱発など、かれらの悪質な正体はいっそう生なまとしたかたちであばきだされるにいたったのである。
 第二には、「部落民のほとんどは労働者人民だから仲間だ」というかたちをとって従来の解消論を維持し、部落解放闘争を内側から破壊する策動をつよめはじめた、ということである。
 反革命カクマルは従来から日帝の部落差別を否定し、帝国主義的な発展=民主主義の徹底化(なんという定式!)のもとで部落はなくなると主張し、狭山は人権闘争でプロには無縁などと差別的言動をくりかえしてきたのであったが、狭山闘争にペテン的に介入するために、今度は、部落民はほとんど労働者人民だから仲間だ、などとペテン的にいいかえだしたのである。
 かくして、かれらは、日帝のアジア侵略のつよまりのもとでますます激化する部落差別の現実を否定し、部落解放闘争の独自の意義と役割を否定し、部落民のたたかいを組合主義、経済主義のなかに解消してしまおうとしているのである。ちょうど日共が部落民のたたかいを民主主義表に解消するように、反革命カクマルはそれを組合主義的な労働運動一般に解消してしまうのである。
 第三には、「寺尾は一審のズサンさを手直しして、公正裁判をうちおろそうとしている」というかたちで、寺尾の「早期結審・死刑判決」の路線を美化し、ズサンな審議でなくても有罪=死刑をうちだすことができるなどと主張している、ということである。
 反革命カクマルは従来から、狭山裁判は「無差別裁判」であると公言し、石川一雄氏の無実、狭山裁判の差別主義的本質を否定してきた。ところが、いまや、狭山闘争の全人民的な高まりのなかで、<無実・差別>の路線が労働者階級の先進的部分をとらえはじめたのにおどろき、孤立をさけるために「狭山差別裁判」などとうわべだけはことばをかえた。だがしかし、その内実はいぜんとして「寺尾=民主主義の徹底化のための公正裁判」論であり、無実――差別、糾弾・奪還・死闘の原則への敵対である。
 第四には、「労働組合がとりくむことによって狭山闘争は小ブルの運動から階級的運動に転換した」というかたちで、いぜんとして狭山闘争の独自の革命的な意義と役割を否定しつづけ、狭山闘争を組合主義、経済主義の従属的運動におしまげようとしている、ということである。
 反革命カクマルは、従来においては狭山闘争を外側から破壊しようとして種々の差別主義的策動をくりかえし、みるも無残に失敗したのであったが、今度は、内側から狭山闘争の破壊をはかろうとしているのである。だがしかし、たとえうわべだけであろうとも、労働組合の狭山闘争への動員が恒常化し、深化していくならば、究極のところ破壊されるのは、狭山闘争でも中核派でもなく、反革命カクマルの差別主義的介入路線であり、その組合主義、経済主義の労働運動路線である。
 第五には、「一般民たる労働者は差別者、差別加担者へと不断に自己をおとしめてきた存在であること、などという没社会科学的で小ブル道徳主義の仮面」(反革命通信三〇六号)というかたちで部落民の糾弾権の否定、一般民であるプロレタリアート人民の腐敗とその革命的な自己変革のたたかいの否定をいっそう尊大にうちだしてきている、ということである。
 反革命カクマルは、従来から「労働者は差別しない」などという差別まるだしの見解をもって、部落民の糾弾をせせら笑い、革命的な労働者人民の自己変革のたたかいをあざけってきたのであったが、かれらは狭山闘争へのペテン的介入にあたって、みずからの反革命的な野望をまもり、つらぬくためには、どんなことをしても、かれらの差別者としての本質をかくしおおさなくてはならないのである。
 もし反革命分子どもが、みずからの差別者としての本質をまじめに自己批判しだしたとすれば、そのときはカクマルの最期である。だからこそ、かれらは、集会にでてきても終始おちつきがなく、うすら笑いをうかべて自己の動揺をおしかくすことしかできないのである。
 
 D 五月狭山闘争の大爆発かちとり、日帝・寺尾の野望をうち砕け
 
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の反動的な野望をうちやぶり、狭山闘争の歴史的な勝利をなんとしてもかちとっていくためには、われわれは、最後の結論として、寺尾の「早期結審・死刑判決」の路線をかけた凶暴な攻撃にたいし、七二年の「死闘の六ヵ月」をたたかいぬいた決意、いな、それ以上の不退転の決意をしっかりとかためてたちむかい、決戦的な質をもったものとして五月狭山闘争の大爆発をかちとり、日帝・寺尾体制に決定的な大打撃をあたえなくてはならないのである。いいかえるならば、われわれは、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりのなかで野望をたくましくしている反革命差別集団カクマルの介入策動を三・二二よりもいっそうきっぱりと粉砕し、決戦的な質をもったものとして五月狭山闘争の大爆発をかちとり、日帝・寺尾体制のドス黒い野望をたたきのめすことをとおして、狭山闘争の歴史的な勝利の展望をだんことしてつらぬきとおしていかなくてはならないのである。
 そのためには、われわれは、当面つぎの諸点においてたたかいをいっそうつよめていかなくてはならないのである。
 第二には、春期大攻勢の爆発をかちとり、反革命カクマルの四月にかけたあわい願望を粉みじんにうちくだき、狭山、沖縄、春闘、学園などをめぐる武装せる政治戦の大高揚をかちとることである。
 第二には、五月狭山闘争の大爆発にむかって、狭山闘争の徹底的な強化のための軍事原則にふまえつつ創意をこらしてたたかいぬくことである。日帝・寺尾体制の五月にかけたドス黒い策謀をうちくだくことなしには、狭山闘争の歴史的な勝利をけっしてかちとることはできないのだ。われわれは、石川一雄氏の怒り、くやしさをわがものとし、心底からの決意をかためて、五月にむかっての決定的な情勢をたたかいぬかなくてはならない。日帝・寺尾体制の「早期結審・死刑判決」の路線の「左からの」協力者、反革命差別集団カクマルの白色襲撃の策動をことごとく粉砕し、五月狭山闘争の大爆発のために総力をあげて前進しなくてはならないのである。
 第二には、わが革命の基本戦略と戦略的総路線にふまえて狭山闘争、部落解放闘争についての戦略的深化をいっそうふかめつつ、わが同盟の指導態勢をいちだんと強化し、狭山闘争、部落解放闘争の革命的、戦闘的な前進のためにたたかいぬくことである。戦闘的部落青年をいっそうかたく共産主義とその党にむすびつけ、革命的な指導勢力をいっそう強力につくりあげていくとともに、二・一四問題についての教訓で全党を再武装し、革命党=革命勢力と部落解放同盟の団結をいっそうゆるぎないものに発展させ、部落解放運動の革命的、戦闘的な前進のためにねばりづよくたたかわなくてはならないのである。
        (『革共同通信』一一号一九七四年四月一日 に掲載)