二 八月総反攻宣言への怒涛の進撃
 
 以下は、本多同志の手になる七四年一年間をとおした『革共同通信』の巻頭論文である。革命的対峙段階から戦略的総反攻段階にかけてのわが同盟の充実した戦いの姿、飛躍し前進する有様をこの一連の論文からくみとることができる。
 
 
1 一・二四精神を爆発させ、あらたな報復戦に決起せよ
2 三・二二狭山闘争の爆発かちとり、春期大攻勢に総決起せよ
3 赤色テロルの嵐で春期大攻勢の本格的激化を
4 反革命虐殺者に血の復讐を
5 報復戦のあらたな高揚へ
6 カクマル印刷所ホヲトクついに崩壊
7 機関紙戦争の完全勝利を突破口に反革命中枢機関を解体せよ
 
 
 1 一・二四精神を爆発させ、あらたな報復戦に決起せよ
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階(七三年九・二一〜七四年八月)における偉大なる一・二四戦闘の歴史的大戦果の地平にたち、一・二四勝利ゆえの大反動との対決を断固たる決意と自信をこめて力強く呼びかけた戦争指導論文である。
 
 
 七三年九・二一以来の二重対峙・対カクマル戦の偉大な前進、とりわけ、年末年始闘争の激烈な高まり、一・二四闘争(七四年)とそれにひきつづく一連のたたかいの大爆発、冬期大攻勢をとおしてのぼりつめはじめた反革命カクマル完全打倒の展望は、十二・四反革命以来日帝の「左の足」、として反階級的な悪業のかぎりをつくしてきた反革命カクマルに、致命的な大打撃をあたえるとともに、日帝権力の七〇年代反革命の基本路線、K=K連合政策に決定的な打撃をあたえるものとなった。
 今日、日帝権力は、その打撃からみずからを回復させ、崩壊的危機にひんする反革命カクマルを救済するために、われわれにたいする破防法的弾圧、組織絶滅型弾圧の攻撃をつよめ、反革命カクマルの白色襲撃のたてなおしのために必死の激励と援助をおこなっている。また、日帝権力の支援によってかろうじて最期の日をまぬがれた反革命カクマルは、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動にすがりつくことによって、ようやく組織的延命の期待をつなぎとめようとしているのである。
 だがしかし、日帝権力とその「左の足」反革命カクマルのこのような反階級的な連合とその卑劣な策動のつよまりは、われわれの二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展と、それにもとづくかれらのぬぐいがたい打撃感、敗北感を基礎とするものであり、それ自身われわれの勝利の確信、われわれの勝利の展望、われわれの勝利の態勢をいちだんと強化するものとならざるをえないのである。
 
 (1) 反革命カクマルの底なしの崩壊的危機
 
 第一には、日帝権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりが、反革命カクマルの決定的な敗勢、底なしの崩壊的危機を根拠としていることである。
 吉川文書がはっきりと告白しているように、すでに昨年暮の段階において反革命カクマルは、われわれの二重対峙・対カクマル戦のすさまじい迫力のまえに意気消沈し、底なしの恐慌状態、底なしの崩壊的危機におちいっていたのである。赤色テロルの嵐にすくみあがり、転々と逃げまわるだけで、もはや中央指導部の会議にさえ出席できないまでにおびえきった、かの特上の卑劣漢、ブルジョア的人間の論理の実践者、黒田寛一は、テープ報告などという姑息な手段をもちいて、反革命カクマル全国拡大常任会議にあっまった小官僚どもに、涙ながらに「あと一撃論」「押せ押せスタイル」の破産、やられっぱなしの「唯物論」的現実をぼやき、その政治的責任を池上(朝倉)、根本(土門)、白井(山代)、木下(西条)らの中央指導部の動転ぶり、無能ぶりに転嫁し、どんな卑劣な手をつかっても白色襲撃をたてなおすよう恫喝を加えたのであった。しかしながら、黒田のこのような卑劣な願望は、吉川撃沈を頂点とする年末年始闘争のすさまじい爆発のまえにつぎつぎ破産し、もろくもついえさったのである。
 かくして、追いつめられ、崩壊的危機をふかめた反革命カクマルが、破局からの絶望的脱出をかけてうった一挙的とりかえしの策動こそ、破防法弁護団会議にたいする無差別的テロ襲撃の反階級的暴挙であった。権力の破防法攻撃を大歓迎し、破防法裁判闘争の発展に一貫して悪罵をなげかけてきた反革命カクマルは、権力の援助のもとに、ついに破防法裁判闘争そのものへの反動的襲撃にふみきったのである。だが、反革命分子のこのような自暴自棄な反動的あがきは、かれらの淡い期待とは逆に天にツバする行為となり、二重の意味においてかれらを万力のようにしめつけはじめ、カクマルの歴史的没落をいっそう不可避なものとしたのである。
 第一には、革命党と革命勢力に直接的に白色襲撃を加えるだけでなく、破防法に反対する弁護士や知識人にまで許しがたい白色襲撃をおしひろげることによって、かれらの党派闘争論なるものの反階級的な本質が全労働者人民のまえにいっそうくっきりとあばきだされてしまったことである。かれらは、この事件の深刻な影響におそれおののき、みずからのあらたな罪状をおしかくすために、あれは弁護団会議ではなく中核派の政治集会であった、などというみえすいた弁解をまきちらし、それに失敗するや、弁護士や知識人にたいするファシスト的なおどしの策動に最後の救いをもとめはじめた。だが、このようなかれらのファシスト的なあがきは、反革命分子の不正義性、その論理と倫理のまったくの欠如を、ますます鮮明にあばきだすものとならざるをえないのである。
 第二には、弁護団会議襲撃にかけた主要な狙いである本多同志襲撃が、完全に失敗したばかりか、その結果として赤色テロルのいちだんと激烈な爆発、カクマル完全打倒をめざす戦争態勢のいちだんと本格的な強化をよびおこしてしまったことである。一・二四闘争の歴史的勝利とそれにひきつづく一連のたたかいの大爆発は、弁護団会議襲撃をとおしていっそう鮮明となった反革命カクマルの反階級的悪業にたいする労働者人民の底ふかい怒りのあらわれであり、カクマル完全打倒にかけた革命党と革命勢力の確固とした決意のあらわれである。まさに、われわれは革命的実践をとおして正義の報復戦の非和解性、二重対峙・対カクマル戦の目的の雄大さとその手段の激烈さを反革命分子につきつけ、敵を底なしの恐慌状態にたたきこんだのである。
 最期の日の恐怖にかられた黒田は、従来の尊大な態度をすっかりなげすて、つぎつぎと知識人に泣きつき、ペテン的な和平策動、あらたな白色襲撃のための息つぎの平和のあっせんを、恥も外聞もわすれてたのみまわり、その背後で、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動をもとめて醜悪きわまる泣きこみとタレこみの策動をくりかえしたのである。
 
 (2) 日帝のKK連合政策の破局的危機
 
 第二には、日帝権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりが、日帝権力そのものの政治的危機、七〇年代反革命の基本路線、K=K連合政策そのものの破局的危機を根拠としていることである。
 すでにいくども指摘してきたように、日帝権力の七〇年代反革命の基本路線は、K=K連合政策にある。権力の戒厳令的な弾圧態勢をうちやぶって勝利的にたたかいとられた二つの十一月決戦と、その地平のうえに戦取されつつある内乱・内戦――蜂起の総路線のたたかいは、まさに、破防法的弾圧の政治とその態勢をつきやぶり、七〇年代革命の勝利の道をくっきりとつきだすものとなった。日帝権力は、このような七〇年代階級闘争の革命的、内乱的な発展、それにたいする破防法攻撃の行きづまりを突破するために、破産した反革命カクマル分子を体制内的にかかえこみ、民間武装反革命として内乱鎮圧的に利用しようとしたのである。それゆえ、われわれの二重対峙・対カクマル戦の本格的発展とそれにもとづく反革命襲撃部隊の壊滅は、二つの側面から日帝権力に打撃をあたえるものとなった。
 第一には、反革命カクマルが完全に打倒されることによって、K=K連合政策の主要な構造が破産し、七〇年代反革命の基本路線がその決定的な部署においてうちやぶられ、七〇年代中期の大高揚をいっそう爆発的なものにしてしまうことである。
 第二には、反革命カクマルせん滅の赤色テロルのたかまりそのものが、帝国主義国における武装闘争、ゲリラ的、パルチザン的闘争の発展のための準備過程、経験蓄積の過程としての意義と役割をもっていることである。
 結局のところ、日帝権力の大弾圧の政治、あらたなK=K連合策動のつよまりは、われわれの二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展がうみだした重大な階級的勝利、堅実なテンポでどしどしと加えられる政治的、軍事的打撃から、日帝権力がみずからを防衛するための不可避の対応なのである。まさに、日帝権力は、警察力を全面的に発動させることによって反革命分子を赤色テロルから防衛し、兇準などをまったくでたらめに拡大適用することによって、われわれへの破防法的弾圧、組織絶滅型弾圧の攻撃をつよめ、反革命分子に種々の激励と援助をあたえることによって、白色襲撃のたてなおしにやっきとなっているのだ。
 
 (3) われわれの勝利の確信、展望、態勢の強まり
 
 第三には、日帝権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりは、われわれの勝利の確信、われわれの勝利の展望、われわれの勝利の態勢をいちだんと強化するものとならざるをえないことである。
 もとより日帝権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりを軽視することは誤りである。権力は、体制的危機からの脱出をかけて一挙にわれわれを壊滅させようとしている。また、反革命カクマルは、われわれに本格的に対抗する思想も態勢ももちあわせていないとはいえ、その陰険な攻撃力はいまだ完全に打倒されてはおらず、権力の露骨な激励と援助のもとで、いぜんとして反階級的な白色襲撃の絶望的あがきを追いもとめている。かれらは密集した反革命となって、十二・四反革命以後の一時的な情勢を再来させようと願望し、むなしい努力をくりかえしている。
 だが、かれらがどのように淡い願望をいだこうと、また、どのように絶望的な努力をくりかえそうと、もはや、九・二一から冬期大攻勢にかけての革命的対峙戦をとおしてわれわれがかちとった戦略的陣地を奪いかえすことはまったく不可能である。二つの十一月と、その反動的大弾圧、反動的大攻撃をうちやぶった強じんな階級的経験をもつ革命党と革命勢力は、いまや、一・二四精神でいっそう強固にみずからを武装し、ますます強大な戦列をつくりあげているのである。
 反革命分子どもは、日帝権力の手あつい激励と援助にもかかわらず、冬期大攻勢によってもたらされた底なしの恐慌状態、底なしの敗北感からけっしてぬけだすことができないのである。かれらは、春期大攻勢にたいする恐怖と不安で絶望的な日々をおくっているにすぎない。なんとか「平和」のうちに春闘期がすぎさることを願望し、権力の弾圧のつよまりにはかない期待をかけあっているのだ。
 一方、われわれは、勝利のもたらしたさまざま逆流、さまざまな困難をつきやぶり、わが運動史上もっとも強じんな指導態勢と戦闘態勢をうちかためているのだ。反革命分子がその通信においてしぶしぶみとめているように、われわれは、二・四大弾圧にもかかわらず、戦闘主力はますます強大な戦列をかたちづくって権力と反革命に対峙しており、一・二四精神は全党全人民のこころをますます強固にむすびつけているのである。反革命カクマルによる謀略ビラ策動、たとえば、政治局本多一派への一個の内乱・内戦をよびかけた中核派赤軍″なるビラの謀略的な配布は、われわれの革命的団結にたいする反革命分子の絶望のふかさ、ナチス、CIAもどきの下劣な品性を、全社会のまえに自己暴露するものでしかないのである。
 
 (4) 春期大攻勢を開始せよ
 
 当面するわれわれの基本的任務は、おおよそつぎのようなものでなくてはならない。
 第一には、春期大攻勢の激烈な前進、赤色テロルのいっそう全面的な発展をたたかいとることである。われわれは、反革命カクマルせん滅にむかってあらゆる方面、あらゆる方法で政治動員を堅実にかちとっていくとともに、その決定的な集約点として赤色テロルの強大な発展をかちとっていかなくてはならない。そのためには、九・二一以来の二重対峙・対カクマル戦の勝利的な前進、革命的報復戦の勝利の経験を正確に総括し、その基礎のうえにたって、従来の計画をひきつづき発展強化させるとともに、いちだんと革命的な見地、いちだんと全面的な見地にたって敵の完全打倒についての戦略をねりあげ、いっそう計画的に、いっそう系統的に報復戦を発展させ、赤色テロルのもっとも高度な段階をかちとっていくことが大切である。いまや開始された春期大攻勢は、その目標の戦略的重要さにおいても、その打撃の技術的確実さにおいても、従来の水準を圧倒的にのりこえる高度な質を断固として実現するであろう。日帝権力とその「左の足」反革命カクマルをかつてない恐怖の底にたたきこむ赤色テロルのあらたな嵐が、ここに攻撃を開始しようとしているのである。
 第二には、狭山、アジアなどをめぐる武装せる政治戦の大高揚をたたかいとることである。
 二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展、その一環としての大会戦、集団戦の勝利の態勢を断固としてうちかため、それを基礎として武装せる政治戦の大高揚をかちとることは、いまや、きわめて重要である。七四春闘の革命的、戦闘的な爆発をまえにして、反革命カクマルは、はやばやと従来の政治闘争のスローガンをひきおろし、インフレ政策反対、田中内閣打倒などという社民以下のスローガンに逃げこみはじめた。かれらは、労働者階級の経済闘争のたかまりが、侵略を内乱に転化し、日帝打倒・プロレタリア独裁樹立にむかって前進する政治闘争と結合し、強大な政治経済闘争として革命的、戦闘的に爆発することを心の底から恐怖しているのである。春闘についての基調論文から狭山、アジアなどの政治課題を完全に追放し、そのうらで、狭山闘争に敵対し、それを解体する反階級的野望をひめて、狭山闘争への反革命的介入をはかるカクマルの卑劣な策動を徹底的に粉砕し、部落解放同盟とかたく団結して三・二二の大高揚をかちとることは、武装せる政治戦の発展をかちとるうえで、当面もっとも重大な任務である。
 第三には、七四春闘の革命的、戦闘的な大爆発をかちとることである。
 三・一ストの高揚は、七〇年代中期の大高揚、七四春闘の革命的、戦闘的爆発の展望をくっきりと照らしだしている。内外する情勢の深刻な危機のなかで、七四春闘は、三月下旬から四月にかけて階級と階級、革命と反革命の激烈な内乱的衝突をはらむものとして発展していかざるをえないであろう。まさに、内乱・内戦――蜂起の総路線と、それにふまえた闘争路線がその革命的輝きをますます発揮する時代がやってきたのである。われわれは、春闘のなかでも、いっそうの英雄主義をもって革命的報復戦を貫徹し、その一環として反革命カクマルの労働運動なるものの反革命的本質を全面的に暴露し、労働戦線におけるカクマル分子せん滅のためのたたかいをいっそう強力におしすすめなくてはならない。
 第四には、日帝権力の破防法型弾圧、組織絶滅型弾圧の攻撃、反革命カクマルを救出し、権力の激励と援助のもとに白色襲撃をたてなおそうとする、あらたなK=K連合策動をうちやぶり、革命党と革命勢力の防衛、その非合法・非公然態勢の強化、公然拠点の飛躍的な発展と強化、救援態勢の政治的、実務的な強化のために奮闘することである。
 第五には、党の独自の建設、勢力の独自の増強のためのたたかいを、以上のたたかいとむすびつけて、断固としておしすすめることである。われわれは、すでに異常に困難な局面を英雄主義的に突破し、独自の機関紙誌発行態勢、独自の印刷所の建設のたたかいの第一段階を勝利的にかちとり、ブルジョア的印刷所をおそるおそるわたりあるく反革命分子の不安定きわまる漂流路線にたいし、圧倒的に優位な拠点をうちたてた。つぎは、『反革命通信』に最後の引導をわたし、さらに、わが機関紙誌活動、印刷所建設の第二段階・第三段階をできるだけ早い時期に達成することである。
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動を粉砕し、春期大攻勢を開始せよ!
 一・二四精神を爆発させ、あらたな報復戦に総決起せよ!
七〇年代革命の勝利めざし前進せよ!
    (『革共同通信』七号一九七四年三月四日に掲載)
 
 
 
 
 2 三・二二狭山闘争の爆発かちとり、春期大攻勢に総決起せよ
 
 本稿は、七四年一・二四戦闘後の高揚と試練のダイナミックな過程のなかで、赤色テロルのいっそうの猛爆発と三・二二狭山決戦への総決起を軸とする春期大攻勢への全党的突入を号令したものである。
 
 
 (1) 勝利の展望、態勢をうちかため、春期大攻勢に総決起せよ!
 
 われわれの満を持した春期大攻勢をまえにして、反革命カクマルの卑劣漢どもは、上から下まであらたな恐慌状態を呈しはじめた。
 九・二一以来の革命的報複戦の圧倒的な前進、とりわけ、一・二四闘争の歴史的大勝利とそれにひきつづく一連のたたかいの爆発によって完全に追いつめられた反革命カクマルは、権力の大弾圧の政治、あらたなK=K連合の策動によってかろうじて死地から救出された。すでにかれらは、昨年暮の第二回拡大常任会議(POB)において「アト一撃論」「おせおせスタイル」の無残な破産を確認せざるをえなかったのであったが、その後の二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展(十二・一五――二三の集団戦での連続的大勝利、吉川撃沈を頂点とする年末年始闘争の大爆発、一・二四闘争とそれにひきつづく一連のたたかいの爆発など)によって完全に追いつめられ、ただただ「警戒せよ」という無内容なスローガンをくりかえすばかりになっていたのである。日帝権力は、みずからの「左の足」反革命カクマルのこのような最後的危機におどろき、その救済のために露骨な大弾圧の攻撃にうってでるとともに、あらたなK=K連合策動をつよめ、反革命カクマルの白色襲撃のたてなおしのために激励と支援をくりかえしているのである。
 こうした階級情勢のあらたな展開のなかで、反革命カクマルは、ようやく生気をとりもどし、反革命特有の尊大なポーズを回復するための反動的な策動を、さまざまなかたちをとって追求しはじめている。しかし、反革命の手合が「優勢」の虚構をつくりだすために、どんなに絶望的な努力をくりかえそうとも、われわれと権力、われわれと反革命の二重の対峙の情勢は、けっしてくつがえすことはできないのである。いな、それどころか、黒田を唯一者とする反革命カクマルの徒党どもは、そのうわべだけの強がりとはまったく逆に、われわれの春期大攻勢にたいする不安と恐怖でいまや精一杯なのである。かれらにあるものといえば、四月の新学期、春闘期のまえになんとかして「戦争」を終らすことができないだろうか、というさもしい希望だけである。
 事実の問題として、反革命カクマルの卑劣漢どもは、この間、権力の大弾圧の政治と呼応した恥ずべきタレこみ、謀略ビラづくりの策動や、知識人、弁護士にたいする脅迫電話攻撃をくりかえすとともに、わが同盟中央指導部の「分裂」説〔本多同志と清水同志の分裂、野島同志の離脱などのみえすいた謀略的デマ〕を「証明」しようとして、ありとあらゆる絶望的願望にとりすがってきたのであった。しかし、かれらのこうした策動は、かれら自身の願望をまったく裏切って、かれらが戦争の本格的な発展についての真の展望も真の態勢もつくりだしえないことを、ただただ自己暴露しているにすぎないのである。
 たとえば、わが『革共同通信』第六号(一九七四年二月二五日)のトップ論文、すなわち、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動をつきやぶり、春期大攻勢への激烈な総決起をよびかけた、この論文について、反革命カクマルの「指導部」は、例によって例のごとく執筆者にかんする漫画的な見当はずれをやるとともに、この論文を、白旗をかかげたものと「理解」するという倒錯ぶりを、またしてもくりかえしたのである。いまや「革命的理論」で武装したはずのカクマル「指導部」は、われわれの論文を正確に読解する能力すらもちあわせていないのであろう。さしずめ黒田流にいえば、こんなこともわからぬ「オツムの悪さ」がまたしても露呈したのである。
 だがしかし、われわれは、わが『通信』第六号論文についての反革命カクマル分子の漫画的な対応から「オツムの悪さ」の確認だけをひきだすとしたら、あまりにも不十分である。反革命通信の不出来な戯作者たち、山代や小野田のような連中の無能力は、われわれだけでなく、当のカクマル分子たち(たとえば、わが吉川!)がすでに知っていることである。問題は、なぜこのような倒錯ぶりがうみだされるのかについて、唯物論的根拠をさぐりだすことである。
 こう命題をたてれば、このような事態からつきだされてくる答えは、まったく明快である。すなわち、二重対峙・対カクマル戦のいっそう本格的な発展、春期大攻勢とともに爆発的に開始されるであろう赤色テロルの嵐のまえに、まったくの不安におちいり、底なしの恐慌状態につきおとされてしまったカクマル「指導部」は、もはや現実を直視する勇気すらもつことができず、みずからの不安と恐怖をいやすためには、報復戦の開始の合図を、白旗をかかげたものと読みこむほどの宗教的倒錯が不可避となっているのである。
 全国の同志諸君! たたかうすべての労働者人民諸君!
 敵はまたしても、その戦略的脆弱性を露呈している。われわれの勝利の確信、勝利の展望、勝利の態勢のいっそうの強化、その不気味な迫力におそれおののきながらも、それを直視することができず、またしても虚構の優勢にすがりつき、放漫な展開活動にまいもどりはじめた反革命分子の、もっとも脆弱な部分があらわになりはじめたのである。
 いまこそ、春期大攻勢にうってでる好機である。権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動をつきやぶり、革命的報復戦の圧倒的な爆発、赤色テロルの圧倒的な爆発を断固として開始すべきときがきたのである。反革命カクマルの四月計画、そのための先制攻撃の絶望的あがきをかんぷなきまでに粉砕し、春期大攻勢の嵐のまえに、カクマルが「四月」にかけた淡い願望を粉みじんにうちくだいてやらなくてはならないのである。
 そのたれには、われわれは、つぎの任務をいまいっそうの気迫をもってやりとげていくことが必要である。
 第一には、今日の情勢のもっている根底的な特徴をしっかりと確認し、二重対峙・対カクマル戦への不退転の決意、敵の完全な打倒についての展望と態勢をいっそうかたくうちかため、全党・全人民の総力を結集して春期大攻勢に総決起することである。狭山闘争、春闘、新入生歓迎闘争など切迫する諸闘争を断固としてうちぬきつつ、革命的報復戦、赤色テロルの大爆発をもって七四年春を決定的にそめあげなくてはならない。
 第二には、反革命カクマルの完全打倒にむかって、敵の指導系統、戦闘主力のいっそう正確な捕捉、戦略的な観点にいっそうふまえた計画的、系統的な作戦の展開をかちとることである。われわれは、昨年夏以来の調査活動、作戦行動によって反革命カクマルの構成とその動態について尨大な基礎資料をすでに獲得している。われわれは、戦略的に重要ないくつかの分野についてのこの間の重点的な活動をいっそう徹底的におしすすめつつ、敵の構成とその動態についての全体的な捕捉と分析、戦略的目標にそった全局的な作戦計画の立案と展開を、春期大攻勢の鉄火のさなかで圧倒的にかちとっていかなくてはならない。
 第三には、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動のつよまりのなかで、二重対峙・対カクマル戦の本格的な前進、革命的報復戦・赤色テロルの圧倒的な爆発をかちとっていくために、作戦行動の戦術的な高度化をいっそう決定的にかちとることである。われわれは、指導系統、作戦系統の防衛のための種々の措置をますます強化していくとともに、作戦行動そのものにかかわる戦術的な問題の高度化(戦士の安全原則、攻撃の正確さ、適切な攻撃手段・打撃部位の設定など)を、圧倒的にかちとっていかなくてはならない。
 第四には、敵の戦略的弱点を徹底的につきまくるかたちで春期大攻勢の積極的な展開をかちとることである。春期大攻勢への恐怖におびえながらも、それを唯物論的に直視することができず、虚構の優勢のはかない自己幻想におぼれた反革命分子どもは、その小ブル的な日常性にも規定されつつ、春闘や新学期の情勢に相応した反革命的な展開を夢みようとしている。放漫きわまる散開の衝動におちいりはじめたのである。われわれは、この機会をとらえ、あらゆる方法を駆使して敵の捕捉、敵のせん滅をかちとっていかなくてはならないのである。
 
 (2) 反革命カクマルの介入策動を粉砕し、三・二二狭山闘争の大爆発を
 
 狭山差別裁判を徹底糾弾し、無実の石川一雄氏を実力奪還するためのたたかいは、再開(やり直し)公判をめぐる日帝・寺尾=カクマル連合との激突をとおして、歴史的勝利の展望をひとつひとつ確実にきりひらきはじめている。日共の公正裁判要求路線をつきやぶってかちとられようとしている石川一雄氏の意見陳述のたたかい、石川氏を先頭とし、石川氏のたたかいをつつむかたちで進展する狭山闘争の全人民的なたかまりは、いまや、日帝の部落差別の攻撃をうちやぶり、日帝打倒・部落完全解放をめざす総路線的なたたかいの前進をかちとる歴史的な展望を、ますますかたくうちかためはじめているのである。
 日帝権力の種々の弾圧、それと呼応した反革命カクマルの反階級的な軍事介入策動をかんぷなきまでに粉砕してかちとられた十一・二七、十二・六、八、二・七、一四の連続的なたたかいの高揚を断固としてひきつぎ、さらにその圧倒的な飛躍をうちだすものとして、いまわれわれは、三・二二狭山闘争の大爆発をかちとろうとしているのである。まさに、三・二二狭山闘争こそは、狭山闘争の歴史的な勝利をかちとるうえで決定的な結節環をなし、その跳躍台をなす重大なたたかいなのである。
 日帝権力とその死刑執行人である寺尾が、狭山闘争のこのような大高揚におそれおののき、その弾圧のためにありとあらゆる暴虐な手段を駆使しはじめていることにたいし、われわれは、腹の底からもえあがる怒りをもってむかえうち、それをうちやぶっていかねばならない。高裁と野音(カクマル集会)をまもるかたちで露骨に弾圧の布陣をしく日帝権力の暴虐なやり方、会場になんくせをつけ、旗竿までことごとくとりあげようとする日帝権力の弾圧の政治――われわれは、部落解放同盟に結集する三百万部落民とかたく団結し、労働者人民の戦闘的力量を真にほりおこすたたかいをとおして、日帝権力のこのような攻撃に対峙し、それをうちやぶり、狭山闘争の大勝利にむかって前進していくであろう。
 しかし、狭山闘争の歴史的勝利の展望におそれおののき、それを阻止するためにありとあらゆる敵対的策動をくりかえしているものは、ひとり日帝権力だけではない。日帝権力の「左の足」として七〇年代階級闘争の革命的、内乱的な発展に敵対し、労働者階級の内部で帝国主義の政策を代表する反革命カクマルもまた、日共スターリン主義とならんで、狭山闘争の歴史的勝利に敵対し、その破壊のためにもっとも卑劣な策動をくりかえしているのである。まさにわれわれは、狭山闘争の全人民的な大高揚をかちとり、石川氏を生きて奪還するためには、狭山闘争を内側から破壊する反人民的な野望をひめて反革命的な介入をはかるカクマル分子どもの策動を、粉みじんにうちくだいていかなくてはならないのである。
 考えてもみよ、反革命カクマルの無頼漢どもは、つい先日まで狭山闘争に露骨きわまる悪罵をなげかけ、狭山闘争をたたかう部落民にたいして、日帝権力と一体となって差別的抑圧を加えてきたではないか。こういう連中がひとことの自己批判もなしに、こんどは一緒に狭山闘争を「たたかいたい」といったからといって、いったいだれが信用できるであろうか。部落解放同盟がきっぱりと「カクマル参加」を拒否したのは、まことに当然の態度である。もっとも卑劣な差別者集団としてのカクマルの姿については、三百万部落民をはじめとする、たたかう労働者人民の怒りの眼にしっかりとやきついているのだ。
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 反革命カクマルは、過去において狭山闘争に敵対し、日帝の部落差別のもっとも悪質な加担者としての役割をはたしてきただけではない。狭山闘争へのペテン的な介入を画策している現在の時点においても、かれらは、狭山闘争に敵対し、部落解放闘争に敵対する差別的言動を維持し、いっそう卑劣なやり方でそれを拡大しているのである。
 第一には、「部落民といっても大半は賃金労働者であり、われわれと同じである」(動労本部青年部長大江)というかたちをとった部落解消論の立場をもって、狭山闘争の内側からの破壊をはかろうとしていることである。昨年暮まで「狭山闘争はプロレタリアートの運動と関係ない」という露骨な差別者の立場をとっていた大江は、戦闘的労働者のつきあげによってその維持が不可能となるや、ペテン的に意見を手直しし、外側からの敵対にかえて内側からの敵対に移行しようとしはじめたのである。
 第二には、「狭山裁判勝利」(カクマルの三月一日付ビラ)という狭山闘争の反革命的歪曲の野望の自己暴露である。もともとかれらは「狭山無差別裁判」と規定することによって無実・差別を否定し、寺尾の反人民的策動を「ブルジョア民主主義を再確立」するもの、「徹底化」するものと美化していたのであったが、こうした反革命的な野望は、ペテン的な言辞によっていかにおしかくそうとしてもすぐに露呈せざるをえないのである。
 第三には、「部落民のたたかいにふまえつつ階級的に止揚する」というペテン的なやり口での部落解放闘争への否定と敵対である。かれらは、日共スターリン主義とまったく同様に、部落民の自己解放のたたかいに連帯するかのようなペテン的なポーズをとりながら、そのじつ部落解放のたたかいを否定し、組合主義、経済主義の泥沼にそれをひきずりこもうとしているのである。
 第四には、「労働者は差別をしない」(動労カクマル大江)というかたちで労働者の自己変革のたたかいの否定、部落民の糾弾権否定を維持しようとしていることである。日帝権力の保護のもとでダラ幹候補生の道をあゆむかれらには、日帝の部落差別の攻撃に屈服し、その最悪の加担者になっているおのれの真の姿、それにたいする部落民のまったく正当な糾弾のたたかいなど気づくことさえもないのである。
 以上の簡単な指摘だけでも一見してあきらかなように、反革命カクマル分子どもは、みずからの最悪の差別集団としての本質を自己批判し、狭山闘争の歴史的勝利をかちとるために狭山闘争に参加しようとしているのではなく、最悪の差別集団としての本質をなんとしてもまもりぬき、狭山闘争を内側から破壊するために狭山闘争に「参加」しようとしているのである。こんな卑劣なペテンをどうして許すことができようか。
 一・二四精神の爆発をかちとり、血債をかけて反革命カクマルの反階級的介入策動、内側からの狭山闘争破壊の野望を徹底的にうちくだき、三・二二狭山闘争の大高揚をかちとるために、すべての力をつくしてたたかいぬこう。
 部落解放同盟との団結をいっそうかたくうちかため、狭山闘争の歴史的勝利にむかってねばり強く前進しよう!
 春期大攻勢の大爆発をかちとり、七〇年代革命の偉大な勝利の道をつきすすもう!
 
      (『革共同通信』九号一九七四年三月一八日に掲載)
 
 
 
 
 
 3 赤色テロルの嵐で春期大攻勢の本格的激化かちとれ
 
 日帝権力の大弾圧体制と反革命カクマルの「勝利宣言」=白色テロたて直し路線の本質的脆弱性をつきまくり、春期大攻勢の本格的激化のなかで、真に白熱的な四月総決起を呼びかけた指導論文である。
 
 
 全国の同志諸君! すべての労働者人民諸君!
 四月総力戦月間に突入するや、われわれの革命闘争は、まさに意気天をつく勢いで戦闘的進撃をくりひろげはじめた。万全の態勢をもって法政新歓闘争を圧倒的にうちぬき、学生戦線の強化と発展のための重大な基礎をうちかためたわれわれは、一方では、九州、広島、関西をはじめとする二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展、赤色テロルの勝利的な爆発を先頭として春期大攻勢のいよいよ本格的な展開をおしすすめるとともに、他方では、それを基礎として、春闘ゼネストの革命的、戦闘的な推進、アジア・沖縄・狭山など武装せる政治戦の前進のためのたたかいをかちとり、七〇年代中期の大高揚の展望をますます力強くきりひらいたのである。
 権力の大弾圧の政治、あらたなK=K連合策動のつよまり、そのもとでの白色襲撃の絶望的あがきによって、わが革共同とその強大な戦闘力を壊滅させ、七〇年代階級闘争の革命的、戦闘的な発展をおしとどめようとした反動的諸勢力の悪どいたくらみは、四月総力戦の開始とともに、もののみごとにうちやぶられてしまったのである。七〇年代革命の勝利の道、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争は、二重対峙・対カクマル戦を基軸とし、それとむすびついて戦略的総路線にもとづく政治経済闘争の発展、革命党建設、革命勢力増強のたたかいの前進をかちとるかたちで、ますます堅実に発展の道をうちかためているのである。
 
(a)四月総力戦めぐる軍事的、政治的情勢の成熟
 
 全国の同志諸君! すべての労働者人民諸君!
 われわれの四月総力戦とそれをめぐる情勢の進展は、われわれの勝利の確信、われわれの勝利の展望、われわれの勝利の態勢がまったく不敗のものであることを事実をもって証明している。われわれは、九・二一から一・二四をへて二、三月にいたる革命的対峙戦の偉大な歴史的勝利にふまえ、それがよびおこした大反動を歯をくいしばってうちやぶり、あらたな発展をきりひらく重大な
 
 暴かれるカクマルの戦略的弱点
 
 第二には、われわれの二重対峙・対カクマル戦にたいする反革命カクマルの対応の戦略的脆弱性がますます赤裸々にあばきだされている、ということである。
 反革命カクマルの最弱の環、黒田=朝倉指導部は、まったく愚劣なことに、われわれの春期大攻勢のまっただなかで、戦争の終結を意味する「勝利の宣言」なるものをうちだしたのである。わが観念論者どもは、戦争の終結=勝利は、敵の抵抗力、反撃力の完全な粉砕を基礎としてはじめて達成されるという軍事原則から、はやくも逸脱して、戦争のさなかに「平和」の夢をおいもとめる戦略的大失敗をやってのけたのである。
 もとより反革命カクマルの卑劣漢どもは、その私観的意図においては、一方では「戦争の勝利宣言」なるものによって厭戦思想でガタガタになったみずからの組織的分解状態にタガをかけ、小ブル的動揺分子のあいつぐ離脱をくいとめるとともに、他方では「残務整理」などというペテン的言辞にかくれて白色襲撃を継続しようなどと夢みているのである。いかにもアサ知恵の朝倉が考えそうなことである。
 だが、戦争は、もっともまやかしのきかない闘争である。檜渡など中大万引グループを使って神田の書店を荒しまわり、反革命の活動資金を調達するのとは、いささかわけがちがうのである。ところが、わが朝倉は、七〇年安保闘争をめぐるカクマル総路線の大破産(その決定的メルクマールこそ、過渡的要求スローガンについての六九年の大混乱と、そのペテン的のりきりであり、いまだにその総括すらうちだすことができない無節操きわまる態度である!)をペテン的にのりきったように、こんどもこんな見えすいたやり方が通用するかのように考えたのであろうが、それはただ反革命カクマルのいっそう劇的な崩壊をうながすだけである。
 要点的にいうならば、黒田=朝倉指導部のこのような愚劣な戦争指導は、@九・二一以来の革命的報復戦の威力にたいする底しれぬ恐怖、A平和″へのむきだしの願望、B権力の大弾圧の政治、K=K連合策動への絶対の信頼感、C大衆運動主義への逃げこみというかたちをとった厭戦思想、D総じて、現実を直視しえない弱者の卑劣な根性を尊大なポーズで表現したものでしかないのである。いいかえるならば、黒田=朝倉指導部は、戦争の真最中に自分勝手に勝利を宣言して大衆運動の合法主義的展開に逃げこめば、なんとか「平和」が回復し、自分がすきなときだけ白色襲撃をできる時代がくるのではないか、と夢想しているわけである。
 それゆえ、反革命カクマルのこのような新路線の戦略的脆弱性とその早期の大破産は、あまりにも明白である。われわれの春期大攻勢の本格的な爆発は、まやかしの「勝利」宣言によって事実上武装解除し、放漫きわまる大衆運動主義に逃げこみはじめた反革命分子どもの「平和幻想」をこなごなにうちくだくとともに、敵の戦略的脆弱性を徹底的につきまくり、革命的対峙の第二期を戦闘的にきりひらく勝利的合図となるであろう。
 
 春期大攻勢の本格的はじまり
 
 第三には、九州、広島、関西における赤色テロルの勝利的な爆発を起点として、春期大攻勢のいよいよ本格的な激化が全国的に展開されはじめた、ということである。
 春期大攻勢の本格的な激化は、四月総決起をとおして、さしあたりつぎのような局面をかたちづくりはじめている。
 第一には、法政をはじめとする学生戦線の戦闘的拠点をまもり、強化・発展させるたたかいの積極的な貫徹である。権力の大弾圧体制をつきやぶり、日共・カクマルの敵対をはねかえして、法政をはじめとする学生戦線の戦闘的拠点に堂々と登場し、新入生や戦闘的学生との革命的交流をいきいきとっくりだし、戦争の持久的な発展のための基礎をいっそう強固にうちかためたのである。
 第二には、権力の大弾圧、あらたなK=K連合策動を革命的に突破して、赤色個人テロルのあらたな戦略的展開がはじまったことである。組織としての国学院カクマルの絶滅めざす第七弾のたたかい(三・二二)、大阪市大カクマル残党分子の掃討のたたかい(三・一二)をひきつぎ、いまや、われわれは、九州、関西の激烈な革命的報復戦を先頭として赤色個人テロルの壮大な発展をおしすすめようとしているのである。
 第三には、広島大新歓闘争にたいし反革命分子どもが全国的動員をかけ、白色集団攻撃を加えてきたことにたいし、広島大を先頭とする革命的学生が激烈きわまる集団戦を展開し、再起不能の壊滅的打撃をあたえたことである。反革命カクマルの東京学生部隊は、十二・一五、十二・二三の二度にわたって東京で壊滅的敗北をこうむり、したたかな打撃を経験したばかりか、こんどはわざわざ広島まで出かけていってつぎつぎと病院にかつぎこまれるはめにおちいったのである。
 第四には、二重対峙・対カクマル戦、とりわけ組織としてのカクマルの完全せん滅、完全打倒をめざして、われわれの調査態勢、われわれの戦闘態勢が飛躍的に成長していることである。敵の党的、組織的、運動的な生命線にむかって計画的、系統的に攻撃を集中し、敵に戦略的意義のある打撃を加え、敵の党的、組織的、運動的な混乱と弱化、解体と崩壊をかちとっていくたたかいの展望と態勢が、味方の党的、組織的、運動的な生命線を積極的に防衛し、強化し、拡大していくたたかいと有機的に統一されつつ、力強くうちかためられようとしているのである。
 現実を直視する勇気もない反革命の指導中枢、黒田=朝倉体制は、すでにみたように、「勝利宣言」というペテン的な表現にかくれてみずからの厭戦思想をうちだしたのであったが、その戦略的脆弱性とその早期の大破産の運命は、はやくも四月総力戦の前半においてかくしようもなくなりはじめているのである。かつて黒田寛一は、ペテン師大川にそそのかされて警視庁公安部のスパイを志願するという、「反革命の頭目」としてもいささかお粗末な行為をなしたのであったが、こんどのペテンが、黒田にとってもっと致命的な打撃となることを知る日は、そう遠い未来ではないのである。
 
 ゼネスト・ゼネスト情勢の発展
 
 第四には、七四春闘ゼネストの大爆発とそれをめぐる階級闘争の革命的、内乱的な発展のなかで、わが戦略的総路線とそれにもとづく労働運動の基本路線の正当性と現実性がますます輝きをましているということである。
 四月決戦ゼネストとしてうちぬかれた労働者階級の革命的、戦闘的なたたかいは、これにたいするブルジョア権力の挑戦的な対応を契機としつつ、階級と階級、革命と反革命の内乱的な対峙を根底にひめた階級闘争としての性格をますます色濃くしはじめている。
 もとより四月決戦ゼネストは、既成左翼としての社共や、「革命的左翼」の仮面をかぶった反革命としてのカクマルの手によって種々の反動的制動をうけ、裏切り的に収拾されようとしている。だがしかし、社共、カクマルがどんなに反革命的な策動をくりひろげようとも、帝国主義の体制的危機の破局的なふかまりのなかにあっては、労働者階級のたたかいは、不可避的に革命的、内乱的、武装的発展の問題につきあたらざるをえない。社共、カクマルの補完的な反動をつきあげ、それをつきやぶって四月決戦ゼネストをかちとった労働者階級の戦闘的胎動は、いまや、社共、カクマルの反革命的収拾策動のつよまりのなかで、あらたな革命的展望とその党的保障をもとめて流動化を開始したのである。
 労働者階級の戦闘的翼は、社共の議会主義路線、カクマルの組合主義、経済主義路線との真の対決なしには、労働運動の革命的、戦闘的前進をかちとることができないことを、七四春闘ゼネストの生きた経験をとおして実践的、理論的に学びはじめたのである。
 すでに系統的にあばきつづけてきたように、労働者階級のゼネストは、不可避的に、体制打倒の問題、革命と内乱の問題につきあたらざるをえない。ゼネストを反動的に収拾し、労働者階級をふたたび資本の鉄鎖につなぎとめることを独自の任務とする社民幹部ならいざしらず、およそ左翼を自称するものならば、ゼネストの問題を自己完結的にとりあつかうべきではなく、あくまでも体制打倒の観点、革命と内乱の観点をもってゼネストの革命的、戦闘的な展開のためにたたかいぬかなくてはならないのである。
 ところが、わが反革命カクマルのダラ幹志願者どもは、革命的左翼の仮面をつけながらも、そのじっ社共と補完的に一体となって、ゼネストの革命的、戦闘的な展開に敵対し、その体制的な収拾のために「たたかい」つづけているのである。
 事実、かれらは、@春闘ゼネストを戦略的視点でとらえることに敵対し、革命的スローガンのかわりに「田中内閣打倒」という社民以下のスローガンをかかかげたこと、A春闘の大爆発に恐怖し、順法をおさえるためにもっとも悪質な策動をくりかえし大破産したこと(反革命通信が「順法」についてはじめて言及するのは三・二六スト以後)、B春闘情勢の主要な基軸をダラ幹内部の抗争と駆けひきにみいだしていること(反革命通信三〇九号)、Cゼネストの組合主義的な枠づけ、反階級的裏切りの先兵となったこと、などの諸点においてその反革命的本質を赤裸々に露呈したのである。だからこそ、七四春闘の戦闘的展開は、カクマルにとっては不幸にも、動労カクマルの権威失墜、その内部分解の促進過程、組織現実論なるものの破産の過程とならざるをえなかったのである。
 
 武装せる政治戦の革命的発展
 
 第五には、アジア・沖縄・狭山を主軸として武装せる政治戦の革命的、内乱的な発展の道がますます明確となっていることである。
 第一の基軸は、南朝鮮における朴独裁体制打倒のたたかいの英雄的な発展であり、「闘うアジア人民と連帯し日帝のアジア侵略を内乱へ!」というわれわれの戦略的総路線にふまえたたたかいの重大性のいっそうのつよまりである。日帝の排外主義的民族主義に屈服し、アジア人民の民族解放のたたかいに敵対する反革命カクマルをせん滅し、アジア人民の民族解放闘争の革命的前進、日帝のアジア侵略を内乱に転化する革命闘争の発展をかちとることは、いまや緊急の任務であることがますますあきらかとなりつつある。
 第二の基軸は、全軍労大量解雇粉砕闘争を中核とした五・一五体制粉砕=沖縄奪還闘争の永続的な発展である。五・一五体制とは、アジア侵略と侵略体制のための基地沖縄の体制であり、本土との差別と分断、犠牲の集中転嫁の体制である。それゆえ、全軍労牧港への攻撃は、沖縄プロレタリアートの戦闘的精華、全軍労の破壊と解体の攻撃であり、五・一五体制の強化と固定化をねらう攻撃である。われわれは、いまこそ、五・一五体制粉砕=沖縄奪還の立場にふまえて、全軍労の大量解雇粉砕闘争の革命的、戦闘的な爆発をかちとり、沖縄=本土をつらぬく四・二八沖縄奪還闘争の大高揚をかちとろうとしているのである。
 第三の基軸は、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の五月結審=死刑判決の攻撃にたいし、五月狭山決戦の大爆発をもって対峙し、石川一雄氏の即時奪還をかちとるたたかいのたかまりである。寺尾体制を「民主主義の徹底化」「慎重審議」の路線と美化するカクマルの反革命的介入策動を血債をかけてうちやぶり、狭山闘争の歴史的勝利のための血路をなんとしてもきりひらいていくたたかいが、広く深くひろがりはじめたのである。
 
(b) 四月総力戦の歴史的勝利にむかって進撃せよ
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 四月総力戦とそれをめぐる情勢の進展は、われわれのたたかいの路線にとって基本的に有利な方向をしめしはじめている。われわれは、いまこそ、その革命的な飛躍をかけて四月総力戦の歴史的勝利のために総決起しなくてはならない。第一、第二の十一月をかちとった、あの中核派精神にまさるともおとらない気迫をもって、なすべきすべてのことを敢然となしとげなくてはならないのである。
 第一の任務は、二重対峙・対カクマル戦のいっそう激烈な発展、革命的対峙戦の第二段階の戦取のために、全党全人民が総決起することである。
 われわれの党的、組織的、運動的な生命線をまもり、強化・拡大するために積極的にたたかいぬくとともに、敵の党的、組織的、運動的な生命線を計画的、系統的に打倒するために、積極果敢な攻撃が激烈に爆発させられなくてはならないのである。戦略的脆弱性を露呈する敵の弱点を徹底的について、赤色個人テロルと赤色集団戦の勝利を断固としてかちとり、四月を血で染めあげること――このことなしには、いっさいは無である。積極的に敵を攻撃せよ、これがわれわれのたたかいのいっさいを集約することばである。
 第二の任務は、七四春闘の革命的、戦闘的な展開、アジア・沖縄・狭山を基軸とする政治闘争、新入生歓迎闘争の戦闘的な展開など当面する武装せる政治戦の大高揚をかちとり、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的な発展にむかって大前進を開始することである。
 帝国主義の体制的危機がふかまり、階級的激動期が本格的に到来すればするほど、二重対峙・対カクマル戦はますます本格的に激化していくのであるが、同時にまた、二重対峙・対カクマル戦が勝利的に進展すればするほど、われわれのまえには、階級闘争全体の大高揚の先頭にたち、階級闘争の革命的、内乱的な発展のためにたたかう任務が提起されてくるのである。いまこそ、二重対峙・対カクマル戦のいっそう本格的な激化をかちとるとともに、それを基礎として、武装せる政治戦の壮大な前進をきりひらいていかなくてはならない。
 第三の任務は、二重対峙・対カクマル戦の激烈な発展と、それを基礎とした武装せる政治戦の展開を断固としておしすすめつつ、党建設、勢力増強の独自的なたたかいをなばりづよくかちとっていくことである。
 闘争の鉄火のなかにあっても、党建設、勢力増強のたたかいをけっしてなおざりにせず、断固として強大な革命党の建設にむかって前進しつづけなくてはならないのである。四・一九新入生歓迎革共同集会の戦闘的な成功こそ、そのための当面最大のたたかいである。
 いまこそ、すべての手段、すべての方法を駆使して春期大攻勢に総決起し、戦略的弱点をさらけだした反革命カクマルに壊滅的大攻撃を加えるときである。積極的な攻撃こそいっさいの前提であり、いっさいの帰結である。
 断固として攻撃せよ! 反革命カクマルに無慈悲な鉄槌を!
 四・一九――四・二八の勝利をかちとれ!
 武装し、戦う革共同万才!
 
      (『革共同通信』一三号一九七四年四月一五日に掲載)
 
 
 
 
 
 4 反革命虐殺者に血の復讐を
   五・一三の英雄的闘いをひきつぎ、反革命カクマルを徹底せん滅せよ
 
 春期大攻勢の軍事的猛攻のなかで、脆弱な「勝利幻想」路線の大破産をつきつけられたカクマルは、ついに大学戦争の修羅場にあぶりだされてきた。だが、反革命の総力をかけ、一打逆転の夢をたくした五・一三法政大学登場は、わが同盟結党以来の不屈の革命戦士前迫勝士同志の死を賭した英雄的決起を先頭とする断固たる迎撃戦によってあえなくついえさった。本稿は、前迫同志虐殺という憎むべき反革命の悪あがきにたいし、あらたな心底からの怒りをもやし、猛然たる血の復讐戦にたちあがることを全党全軍に号令したものである。
 
 
 前迫勝士同志虐殺にたいし、直ちに激烈な革命的復讐に突入
 
全国の同志諸君!
 すべてのたたかう労働者人民諸君!
 一九七四年五月一三日、日帝国家権力の公然たる保護と支援のもとに武装した反革命カクマル集団は、法政大学において「三里塚と戸村委員長に連帯する集会」を勝利的にうちぬいたわが革命的部隊にたいし白色襲撃を加え、わが同盟の指導的同志、一九六〇年以来の不屈の革命戦士、前迫勝士同志を虐殺した。わが同盟は、ふかい悲しみとはげしい憎しみをもって、反革命カクマルのこの反階級的暴挙を弾劾するとともに、死をかけて革命をまもりぬこうとした前迫勝士同志の闘魂に学び、それをひきついで、反革命カクマルに血の復讐を断固として貫徹し、七〇年代革命の勝利の道を不屈に前進しつづけることをここに宣言する。
 わが同盟の革命戦士は、前迫勝士同志の革命的敢闘精神をうけついで、ただちに英雄的な行動に決起した。革命的復讐の激烈な第一弾が、反革命的白色襲撃の出撃基地に断固としてたたきつけられた。カクマル学生行動隊の指導部として前迫同志虐殺凶行の先頭にたった船崎ほか二名は、赤色テロルの的確果敢な炸裂によって再起不能の大打撃をあたえられた。つづいて、革命的復讐の激烈な第二弾が、広島においてうちぬかれた。解体、消滅した中国地方の学生カクマル組織をたてなおすために、北海道からこわごわと広島にやってきた飯田は、その不幸な予測どおり徹底せん滅された。つづいて関西において、革命的復讐の激烈な第三弾が、大産大での猛烈きわまる集団戦の大勝利としてうちぬかれた。前迫勝士同志虐殺への悲しみと怒りは、わが同盟のもっとも根深い力の源泉を爆発的にひきだしたのである。
 革命的復讐戦の激烈なはじまりを基礎とし、それとかたくむすびつくものとして、前迫勝士同志虐殺を弾劾し、反革命カクマルせん滅・七〇年代革命勝利の決意と態勢をうちかためた武装政治戦が、断固として展開された。五月一五日、前迫勝士同志の鮮血のあともなまなましい法政大学に、英雄的に登場した革命的部隊は、学生大衆のみまもるなかで「追悼」集会を戦闘的にたたかいとり、反革命カクマルせん滅・七〇年代革命勝利の不抜の拠点として、法政大学をいっそうかたくうちかためることを誓いあった。また、五・一五沖縄・狭山集会は、圧倒的な大成功をかちとり、前迫勝士同志が生死を賭してつらぬきとおした革命の大道をうけつぎ、それを立派になしとげることを断固として確認した。反革命カクマルに容赦ない血の復讐をたたきつけ、血債にかけて五・一三狭山闘争の大爆発をかちとること、まさにこの一点に前迫勝士同志の死にむくいる第一義的な任務がかかっていることを、わが革命部隊は、悲しみと怒りにもえる闘魂をもって誓いあったのである。
 われわれの革命的事業は、十数年にわたる血みどろのたたかいの歴史、二つの十一月の戦闘的勝利と、それをひきついだ二重対峙・対カクマル戦の英雄的な展開をとおして重大な前進をかちとってきたとはいえ、いまだなすべきおおくのことは、将来にのこされている。戦後世界体制の解体的危機とそのもとでの日帝の体制的危機のふかまりは、革命情勢への過渡期としての性格をますますつよめている。七四春闘のゼネスト的な発展によってもあきらかなように、階級闘争の基本的動向は、社共はもとより、反革命カクマルの経済主義的、組合主義的な制動をも戦闘的につきやぶり、七〇年代中期の大高揚にむかってじりじりとすすみはじめている。われわれと反革命カクマルの絶対的対峙とその内乱的、戦争的な発展は、このような情勢のもとで、七〇年代階級闘争の主導権を革命勢力みずからにぎるのか、それとも、反革命勢力のじゅうりんにゆだねるのか、を決定する戦略的意義をますますあきらかにしている。二重対峙・対カクマル戦を基軸として、七〇年代革命闘争の堅実で全面的な発展をかちとることは、ますます重大な革命的任務となっているのである。
 このような決定的情勢をまえにして、われわれが前迫勝士同志のような温厚にして果敢な革命戦士を失ったことは、まことに痛恨のいたりである。だがしかし、前迫勝士同志は、反革命カクマルの白色襲撃との勇猛果敢なたたかいをとおして、われわれが生死をかけてつらぬくべき道がなんであるかを不滅の輝きをもって照らしだし、われわれの勝利のための末技の拠点をきずきあげたのである。われわれは、前迫勝士同志が生き、かつ死した革命の大事業にむかっての不屈の闘魂を断固としてうけつぎ、それを真に全人民のものにしていくならば、どんな困難でも、どんな反動でも、かならずやうちやぶって前進することができる。まさに前迫勝士同志は、死をもってわれわれの勝利の基礎をうちかためてくれたのである。問題はただ、われわれが真に革命戦士、前迫勝士同志の死をかけた英雄的たたかいの革命的意義をうけとめ、それにふさわしくたたかいぬけるかどうかにかかっているのである。
 
 五・一三の英雄的闘いの意義とカクマル反革命の消耗、混乱、危機
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 五・一三の英雄的たたかいは、われわれの革命闘争の勝利的前進にとって不抜の戦闘的拠点をつくりだした。日帝権力の保護と支援のもとに、公然と武装した反革命カクマルの白色襲撃にたいし、わが革命的部隊は、前迫勝士同志の死、多数の同志の負傷と逮捕という尊い犠牲をはらっても、断固として勇猛果敢なたたかいを不屈に貫徹しぬくことによって、敵の反階級的あがきをもっとも根本的な地点において粉砕し、二重対峙・対カクマル戦の真の勝利のための革命的基礎をがっちりときずきあげたのである。われわれは、前迫勝士同志虐殺への悲しみと怒りをますますもやし、反革命虐殺者集団への憎しみと報復の意志をますますうちかためるとともに、それを基礎として、五・一三の英雄的たたかいの革命的意義についての自覚と確信をますますふかめ、それによって全党人民をかたく武装しぬかなくてはならないのである。
 五・一三の英雄的たたかいの革命的意義は、それではなんであろうか。
 第一には、反革命カクマルの五・一三白色襲撃そのものが、かれらの戦争指導の戦略的破産の産物である、という点である。
 反革命カクマルの指導中枢、黒田=朝倉指導部は、七三年九・二一以来の革命的報復戦の戦略的展開にすっかりうちのめされ、意気消沈してしまったため、一・二四とそれにひきつづく一連の闘争の歴史的爆発がひきだした反動によってわれわれが一定の困難につきあたったとき、それに過大な期待をかけ、「党派闘争の勝利宣言」などというペテン的で厭世的な路線ににげこみをはかり、それにもとづいて「四月計画」という戦略的大失敗をやってのけたのである。当然のこととはいえ、黒田=朝倉指導部のこのような幻想的願望は、われわれの四月総力戦の勝利的展開によってこつぱみじんにうちくだかれてしまった。反革命分子どもは、散漫な大衆運動主義にはまりこむことによって赤色テロルの猛攻のまえに無防備で放置され、つぎつぎと戦略的大撃打をこうむったばかりか、政治動員の面においても決定的大失敗をやってのけたのであった。
 四月計画の大破綻の責任をめぐって重大な混乱におちいった黒田=朝倉指導部は、敗北の責任をもっぱら学生指導部に転嫁するとともに、「残務整理の熾烈化」というペテン的名目にかくれて早大、国学院などから基本部隊をひきあげ、白色襲撃の泥沼にふたたびはまってしまったのである。かれらは、四月計画の大失敗をとりもどすためにあせり、あがきまわり、衝動的で展望のない軍事的冒険にはしったのである。かくして、反革命カクマルは、みずからの戦略的矛盾と、その破産とを全面的に露呈するはめにおちいってしまったのである。
 第二には、わが革命的部隊の英雄的たたかいの爆発によって、五・一三白色襲撃にかけた黒田=朝倉指導部の目的が、その核心点においてこなごなにうちくだかれてしまった、という点である。
 反革命カクマルの官僚どもは、わが革命的部隊を背後からふきぬけ的におそってそれを離散させ、細分化した部分を各所で捕捉・せん滅しようとするムシのいい作戦をたてたのであったが、九・二一精神でかたく武装されたわが革命的部隊は、密集した鉄の軍団となって戦闘的反撃にうってで、勇猛果敢な白兵戦を展開したのであった。そのため、反革命分子どもは、当初の作戦計画が決定的に破産してしまったばかりか、重傷者の続出、大量の逮捕者という深刻な大打撃をこうむってしまったのである。わが革命的部隊は、たおれてなおやまず、という革命的敢闘精神を発揮することによって、二重対峙・対カクマル戦にかけたわれわれの勝利の展望をますます輝やかしいものにするとともに、その直接の戦闘においても、敵にはかりしれない軍事的、政治的打撃をあたえたのである。
 第三には、前迫勝士同志を虐殺することによって反革命分子どものペテン的な党派闘争論、死への小ブル的恐怖に依拠した陰惨な白色襲撃路線の破産が全面的に暴露されてしまった、という点である。
 反革命カクマルの卑劣な官僚ども、黒田=朝倉指導部は、九・二一以来の革命的報復戦の戦略的展開、とりわけ一・二四とそれにひきつづく一連のたたかいの歴史的爆発に完全にすくみあがり、日帝権力へのいっそうの屈服、あらたなK=K連合策動に露骨にすがりつきつつ、死への小ブル的恐怖に主として依拠することによって敗勢からの脱出をはかろうとしてペテン的言辞を思いつくままにくりかえしたのである。われわれが最近入手した黒田のテープ報告によると、昨年暮の段階において黒田は、われわれへの虐殺をはっきり指示していたのであったが、にもかかわらず大衆のまえでは、主として死への小ブル的恐怖にうつたえるペテン的態度をとりつづけてきたのである。
 かつてかれらは、十二・四辻、正田同志虐殺について「予測をこえた事態」とすりかえ、十二・一五武藤同志虐殺について「病死」とひらきなおり、十一・八川口同志虐殺について「党の統括機関を逸脱した未熟分子の誤り」とペテン的に総括し、白色襲撃を継続してきた。だが、いまや、反革命分子どもは、前迫勝士同志虐殺という冷厳な事態をまえにして、みずからのペテン的論理のあまりにも明白な破産につきあたってしまったのである。革命的労働者人民にたいする凶暴きわまる白色襲撃によって血で手を真赤にそめながら、なおかつ、ペテン的きれいごとで事態を粉飾してきた卑劣漢どもは、だからこそ、いまやことごとく消耗と混乱の極におちいってしまい、SSニヒリズムの蔓延に対処することすらできなくなってしまっているのである。
 第四には、わが同盟とその革命戦士のもっとも根深い部分から革命的復讐の決意、反革命カクマルせん滅のあらたな闘魂がふつふつとわきだしはじめた、という点である。
 わが同盟の革命戦士は、反革命カクマルの五・一三白色襲撃、前迫勝士同志虐殺にたいし、怒りと憎しみをあらたにして二重対峙・対カクマル戦の決意をうちかためるとともに、五・一三におけるわが革命的部隊の英雄的たたかい、死をかけて革命の大業のためにたたかいぬいた前迫勝士同志の英雄的敢闘精神の爆発から、あらたな勝利の確信と展望のつよまり、あらたな戦闘の態勢のつよまりを脈々と感じとりはじめたのである。われわれは、五・一三の英雄的たたかいをとおして、二重対峙・対カクマル戦にかけた革命的決意をあらためてうちかためなおし、戦争の持久戦的、死力戦的な発展の道すじをいっそう激烈につきすすみはじめたのである。
 二重対峙・対カクマル戦の真の勝利的な前進、春期大攻勢のますます激烈な発展は、五・一三の英雄的たたかいに学び、それをひきつぎ、おしすすめることをとおして実現していくであろう。五・一三の英雄的たたかいで流された革命的鮮血、はらわれた尊い犠牲は、二重対峙・対カクマル戦の勝利のための革命的な跳躍台としての歴史的役割をますますはたすものとなるであろう。
 
 前迫同志の不屈の闘魂うけつぎ五月戦争――政治戦(狭山・大学)をかちぬけ
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 死をかけて二重対峙・対カクマル戦の勝利のためにたたかいぬいた前迫勝士同志の不屈の闘魂に学び、それをひきつぎ、いまこそ、満身の力をこめてたたかいにたちあがるときである。前迫勝士同志が死を賭してたたかいぬいたものをひきつぎ、おしすすめること――それこそ、生き残ったわれわれのなすべきもっとも基本的な任務である。
 前迫勝士同志への革命的誓いにかけてわれわれがおしすすめなくてはならない革命的任務とは、それではなんであろうか。
 第一には、まずもって前迫勝士同志の革命の大業へのゆらぐことなき確信と展望、あくことなき闘魂と献身を全同盟、全人民の共同の革命的資質にまでおしひろげ、うちかためぬくことである。
 われわれの革命の事業を真になしとげていくためには、われわれは、正しい革命の基本戦略、正しい革命の戦略的総路線でみずからを武装し、正しい政治方針をたえず具体的にねりあげ、それにたってたたかいぬいていくだけではなく、同時にまた、プロレタリア的自発性にもとづく英雄的な献身と闘魂がなくてはならない。生死をかけてみずからの思想と組織をまもり、つらぬく革命的な闘魂なしには、われわれは、けっして七〇年代革命の勝利の道をつきすすむことはできないのである。
 第二には、反革命カクマルに容赦ない革命的復讐戦をたたきつけ、二重対峙・対カクマル戦の持久戦的、死力戦的な発展、春期大攻勢のますます激烈な爆発をかちとっていくことである。
 われわれは、昨年秋、いわゆる九・一七闘争の根本的な総括をとおして、九・二一以来の革命的対峙戦を真につらぬきうる戦闘的展望とそのための態勢をきずきあげた。五・二三の英雄的たたかいは、まさに、どんなに困難であろうとも、生死をかけ、革命的敢闘精神を発揮してたたかうならば、かならずや、勝利の道すじをきりひらくことができることをみごとにさししめしたのである。
 わが同盟とその革命戦士は、五・一三の英雄的たたかいを断固としてうけつぎ、赤色個人テロルと赤色集団戦を二つの形式とする革命的報復戦のいっそう激烈な前進のために、積極果敢に攻撃しなければならないのである。われわれの側の指導中枢、その運動的、組織的な骨格の積極的な防御のためにますます力強くたたかいぬくとともに、それを基礎として反革命の側の指導中枢、その運動的、組織的な骨格に積極的な攻撃をどしどし加え、敵の完全な打倒にむかってたたかいぬかなくてはならないのである。
 反革命カクマルは、いまや、われわれの側の五・一三の英雄的たたかいに決定的打撃をこうむり、戦略的な動揺と混乱をますますふかめている。朝倉的アサ知恵ともいうべき「勝利宣言」と、それにもとづく「四月計画」が、われわれの四月総力戦の勝利的貫徹によってコナゴナにうちくだかれ、その危機を突破するための絶望的なあがきが、その核心点においてうちやぶられてしまった反革命分子どもは、前迫勝士同志の必死の奮闘にたいし、虐殺をもってこたえることによって、その反革命虐殺者集団としての本質とそのペテン的みせかけとの矛盾を、いまや全面的に露呈してしま ったのである。われわれは、いまこそ、敵の戦略的な動揺と混乱を徹底的につきまくり、二重対峙・対カクマル戦の圧倒的前進のために勇躍たたかいぬかなくてはならないのである。
 第三には、石川一雄氏の獄中一二年の闘魂に学び、血債にかけて五・二三狭山決戦の大爆発をかちとり、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の「五月結審・死刑判決」の攻撃を徹底的にうちやぶっていくことである。
 われわれは、狭山闘争の歴史的勝利にむかっての前迫勝士同志のたたかいをひきつぎ、五月狭山決戦の大爆発のために最後の死力をかたむけて奮闘しなくてはならないのである。狭山闘争にたいする積年の敵対をなにひとつ自己批判することなく、そのいっそう悪質な継続として、日帝の部落政策にそって狭山闘争の内部からの破壊をはかろうとしている、反革命カクマルの許すべからざる策動を断固として粉砕し、五・一三狭山の大爆発をかちとるべき任務は、戦闘的部落青年を先頭とするわれわれ自身のたたかいの動向にますますゆだねられようとしている。われわれは、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の「早期結審・死刑判決」の攻撃との対決をあいまいにしようとするいっさいの傾向をねばりづよく克服し、反革命カクマルの反人民的策動をこなみじんにうちくだき、狭山闘争の歴史的勝利をかちとるために、すべての人びととの戦闘的共同戦線の発展を力強くおしすすめていかなくてはならないのである。
 第四には、法政、関大、広大をはじめとするわが革命的学生戦線の戦闘的拠点をいっそう不抜なものにし、敵の「虚点」を逆拠点化するためのたたかいを、どんな困難をのりこえても断固としてつらぬきとおしていくことである。
 反革命カクマルの四月計画の大失敗、新入生獲得闘争のみじめな破産と対照的に、われわれの四月総力戦の勝利とそれにひきつづく五月闘争の英雄的前進は、敵をますます追いつめはじめた。反革命カクマルによる五・一三白色襲撃は、まさに、このようなかれらの危機を突破するための軍事的冒険であったのである。それゆえ、このあせりにみちた絶望的あがきの失敗は、かれらの白色過疎支配路線のいっそう深刻な破産となって進展せざるをえないのであり、その結果として、たえず絶望的な軍事的冒険をよびおこすこととなるであろう。われわれは、反革命カクマルのあせりとあがき、それにもとづく軍事的冒険にたいする積極的防御の態勢、待ちうけと激烈な攻撃の態勢を断固としてつくりあげ、不屈の闘魂をもってたたかいぬくであろう。とりわけ前迫勝士同志が革命的血潮をながしてまもりぬいた法政大学の不抜の拠点化のたたかいをうけつぎ、さらに発展させていくことは、われわれの革命的義務である。学園をめぐる軍事的、政治的なせめぎあいを断固としておしすすめ、軍事の原則にふまえ、創意をこらして活動を不断につよめていかなくてはならないのである。
 第五には、革命戦士前迫勝士同志が生き、かつ死んだ共産主義者の政治的結集体、わが革共同をいっそう強化し、強大な革命党の建設、強大な革命勢力の結集のために、生死をかけてたたかいぬくことである。
 階級闘争の革命的、内乱的な発展の時代、権力と革命党、革命党と民間反革命との熾烈な激闘の時代にあっては、そのいっさいの総括点は、究極のところ革命党の存亡の問題、革命党の興廃の問題として集約されていかざるをえないのである。武装し、戦う革共同の戦闘的な強化と発展をたたかいとり、反革命カクマルの完全なせん滅、完全な打倒をかちとることは、七〇年代階級闘争の主導権を決定する重大な階級的争点であり、その主要な総括基軸である。われわれは、この決定的な事実をいささかのあいまいさもなくはっきりとみすえて、党建設、勢力増強の独自的たたかいをねばりづよくおしすすめていかなくてはならないのである。 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 前迫勝士同志を虐殺した反革命カクマルに血の復讐を断固としてたたきつけろ!
 前迫勝士同志の不屈の闘魂に学び、それをひきつぎ、二重対峙・対カクマル戦の持久戦的、死力戦的な発展をたたかいとれ!
 五・一三の英雄的たたかいの革命的意義をうちかため、春期大攻勢の激烈な爆発をかちとれ!
 反革命虐殺者集団カクマルを徹底せん滅せよ!
 反革命カクマルの介入策動を粉砕し、五月狭山決戦、五・二三狭山闘争の大爆発をかちとれ!
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の「五月結審・死刑判決」攻撃を粉砕せよ!
 武装し、戦う革共同万才!
 前迫勝士同志の不屈の闘魂よ、永遠なれ!
 
            (『革共同通信』一八号一九七四年五月二〇日に掲載)
 
 
 
 
 
 
5 報復戦のあらたな高揚へ
  「勝利幻想」の破産つきまくり、対カクマル戦の激烈な発展を
 
 カクマル朝倉のペテン的「勝利宣言」と「四月計画」の破産は、その危機打開のための軍事的冒険にはしらせ、五・一三の白色テロルとして析出した。前迫同志を先頭とする英雄的たたかいは、これを転機として開始された全党、全軍の革命的報復戦の蜂起的高揚を呼びおこし、五・一三にかけた黒田――朝倉体制の脆弱な願望を粉砕し、七月攻勢につづく八月総反攻をいよいよ準備するのである。
 
 
 二重対峙・対カクマル戦の重大な戦局的転換の開始
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 五・一三の英雄的たたかいとそれにひきつづく革命的報復戦の激烈な爆発を転機として、革命的報復戦のあらたな高揚、二重対峙・対カクマル戦の重大な戦局的転換がはじまった。反革命の側には行きづまりと自信喪失がうまれ、革命の側にはあらたなたかまりと展望がうまれる戦略的局面が、いまや到来せんとしているのである。
 二重対峙・対カクマル戦の重大な戦局的転換を規定している条件はなにか。
 第1には、反革命カクマルの白色襲撃の基本路線の破産、とりわけペテン的「勝利宣言」とそれにもとづく「四月計画」の破産、その危機を打開するための軍事的冒険の絶望的衝動とそのたえざる行きづまりである。
 周知のように、反革命カクマルのペテン的「勝利宣言」とそれにもとづく「四月計画」なるものは、もとより戦争指導のための科学的な戦略規定とはまったく無縁の代物であり、反革命の内部の動揺と混乱をとりしずめるためのデマゴギッシュな幻想にすぎない。九・二一以来のわれわれの革命的報復戦の戦略的展開においつめられ、崩壊的危機にたった反革命カクマルとその指導部は、一・二四の歴史的勝利への反動としてうみだされた国家権力の大弾圧の政治、あらたなK=K連合策動のつよまりに徹底的に屈従することによって、その崩壊的危機をかろうじてひきのばし、あたかも「勝利」したかのような自己欺瞞をもって敗勢のペテン的のりきりをはかったのであった。
 だが、われわれの四月総力戦、とりわけ赤色テロルの革命的爆発は、反革命カクマルのこのような軽薄な策動をもののみごとにうちやぶってしまった。四・一五国学院、四・一七東工大、四・一八独協大、四・二三早大、東大、専修大、四・二四大経大、山口大、四・二六横国大、四・二七国学院、四・三〇南山大……と満を持して怒涛のように爆発した赤色テロルは、反革命カクマル分子どもの散漫な活動をずたずたにひきさき、回復不能の戦略的大打撃を学生カクマル組織にあたえずにはおかなかった。かくして、昨年「四月」の失敗をとりかえそうとした学生カクマルの四月へのあわい願望は、こつぱみじんにうちくだかれたばかりか、学生カクマルの活動中枢の重大な軍事的=政治的動揺を一挙にうみだしてしまったのである。
 反革命カクマルの黒田=朝倉指導部は、みずからの戦争指導の戦略的失敗を「学生指導部のゆるみ」なるものに責任転嫁するとともに、「四月計画」の破産によってもたらされた危機を絶望的に打開するために、軍事的冒険へと「最後の逃げ道」をみいだそうとしたのであった。いわば五・一三白色襲撃、前迫同志虐殺を頂点とする一連の軍事的冒険は、戦争の「一挙的な決着」という、まったく不可能な戦略的願望をかけた絶望的あがき以外のなにものでもなかったのである。
 それゆえ反革命カクマルのこのような一連の軍事的冒険は、当然のこととはいえ、かれらのあわい願望とはことごとく反対の結果をうみだしてしまった。五・一三の白色襲撃と前迫同志虐殺の反階級的罪状は、戦争の一挙的な解決どころか、われわれの二重対峙・対カクマル戦のますます激烈な発展をひきだし、反革命の側の戦略的破産をますます深刻なものにしてしまったのである。
 第二には、五・一三の英雄的たたかいとそれを引き金とした革命的報復戦の猛烈きわまる前進である。
 五・一三に「平和」の幻想をたくした反革命カクマルのお粗末な思惑とはまさに逆に、われわれの二重対時・対カクマル戦の確信・展望・態勢はますます強固となり、ますます激烈なものとなりつつある。五・一三の英雄的たたかいは、わが革共同が歴史的にきずきあげてきた革命的力量を、もっとも根底的な基盤からときはなちはじめた。「二つの十一月」をかちとった党と革命勢力のもっとも根底的な力量、生死をかけ、目的達成のためにいっさいを投入する中核派魂、たおれてもたおれても敢然と敵にくらいつくプロレタリア英雄主義が、いまや、五・一三を引き金にふつふつとわきたちはじめたのである。
 黒田、朝倉、山代、土門、西条をはじめとする、反革命カクマルの虐殺者どもよ!
 おまえたちが五・一三にやったことが、どんなにおそるべき結果をうみだすかじっくりとみるがよい。わが同盟の指導的同志であり、六〇年以来の不屈の戦士であり、信望あつき都職の革命的労働者であった前迫同志虐殺の反階級的罪状が、どんなにふかい憎しみと報復の決意をわれわれにうえつけたか、地獄の苦しみのなかでじっくりとあじわうがよい。われわれは、いまだかつてない重大な決意をもって、おまえたちに「それ相応」の責任をとってもらうまでである。
 周知のように、われわれは、反革命カクマルによる五・一三前迫同志虐殺にたいし、ただちに情容赦ない革命的報復戦に決起した。首都において、わが革命的戦闘団は、前迫同志虐殺の直接の下手人たるカクマル「全学連行動隊」(JAC)とその首謀者どもを連続的に徹底せん滅した。
 すなわち、五・一五の船崎(元「全学連」教宣部長、中央学生組織委員)、古橋(千葉大カクマル LC)のせん滅、五・二〇の岡部(国学院大カクマルLC)ら三名の撃沈、巽(学習院大カクマルCap、中央学生組織委員)をはじめとする「学習院大自治会委員長」ら六名のせん滅、五・二一 の蓮本(関東学院大カクマル)の撃沈、五・三〇の堀(政治組織局員、中央学生組織委員)のせん滅などの連続的たたかいがそれである。また、首都のこのようなたたかいと連帯して、地方においても、五・一四の飯田(北大カクマル、広島反革命分子防衛隊)の撃沈、五・一五、五・二二、六・七の三度にわたる大産大カクマル残党への掃討戦・徹底せん滅戦が激烈に展開された。
 五・一三にかけた黒田=朝倉指導部の虚弱な願望はもろくもついえさり、わが革命的部隊の果敢にして的確な報復戦の爆発がはじまったのである。早大、国学院、東大をはじめとする首都の学生カクマルは、その尊大な口ぶりにもかかわらず、五・一三の反階級的罪状とそれへの猛烈な報復戦にすくみあがり、いまや「四月型」の散開活動もできずにダンゴとなって逃げまわっている。「第二のT、S」の道をあゆむ早大カクマル指導部の野口、伊藤らは、報復をのがれるために変装したり、まわり道することに精一杯で、いまや活動も「うわの空」となってしまった。
 もっと悲劇的なのは、黒田なき朝倉指導部の官僚どもである。われわれの革命的報復にすっかり「ビビ」ってしまい、またもや連絡たって二階の奥ふかくしけこんでしまった黒田の破画恥ぶりはともかく、残されてしまった朝倉、山代、土門、西条らは、ふたたびおとづれた敗局を打開するために「小田原評定」をくりかえし、その責任をみにくくおしつけあっているだけであり、再度の絶望的でコケおどしの軍事的冒険に「平和」の夢をかける以外になんの方策もない状態におちいってしまったのである。戦争のさなかに「勝利宣言」を発するといった朝倉ごのみのペテンは、いまや、手痛い打撃をともないつつ、戦略的破産を日に日にふかめているのだ。
 だが、われわれの革命的報復は、まだまだはじまったばかりである。早大カクマルの野口、伊藤をはじめとする前迫同志虐殺の直接の下手人どもは、当然のむくいとして、ことごとく報復の恐怖にうちふるえているとはいえ、いまだ、革命的報復の鉄槌は端初についたばかりである。われわれは、まさに「草の根を分けても」下手人をさがしだし、その反階級的態度に相応して革命的制裁をあたえてやらなくてはならない。同時にまた、われわれの革命的報復は、直接の下手人のみならず、当然の論理として、前迫同志虐殺を計画し、統括した黒田=朝倉指導部と、その手配師ども馬場、前川、藤繩らをことごとくせん滅することなくしては、断じて終ることはないのである。まさにわれわれは、堀撃沈までのぼりつめた革命的報復戦をひきつづき強化しつつ、それをとおして反革命カクマルの完全なせん滅、完全な打倒のための決定的な水路を力強くきりひらきはじめたのである。
 第三には、革命的報復戦の激烈な発展を基礎として、武装せる政治戦の不屈のたたかい、戦争の政治的基礎をおしひろげ、うちかためるたたかいが着々と前進しはじめたことである。
 周知のように、反革命カクマルの黒田=朝倉指導部は、白色襲撃の基本路線と表裏一体をなすものとして「政治経済闘争」なる超右翼的な大衆運動路線をうちだしてきた。社民の反革命的補完物としての階級闘争の革命的、内乱的発展にたいし一貫して敵対してきたかれらは、その反革命的役割を合理化するものとして「政治経済闘争」なるものをもちだそうとしているのである。もとより「政治経済闘争」という概念がそれ自体として反革命的であるわけではない。いなそれどころか、われわれは、労働者階級の経済闘争を政治闘争とむすびつけ、革命的に集約する過渡的概念として「政治経済闘争」という用語を積極的にうちだしてきた。ところが、反革命カクマルにとっては、問題はまさに逆であった。かれらは、経済闘争を革命からきりはなし、政治闘争を経済主義的、組合主義的なそれにゆがめるために、その概念をわれわれから盗みとろうとしているのである。
 すなわち、かつてマルチノフは、労働者階級の経済闘争を革命の目的意識性、共産主義の政治性、革命家の組織性に敵対させるために「経済闘争に政治を付与する」裏切りの理論をうちだしたのであったが、いまや「世界に冠たる」わが反革命の徒党どもは、マルチノフの理論を一歩おしすすめ、国家独占資本主義のもとでは「経済闘争は自然成長的に政治に転化する」という独創的?な裏切り理論を完成させるにいたったのである。
 だが、反革命分子どもがどのような詭弁をろうしようとも、かれらの「政治経済闘争」なるものが、階級闘争の革命的、内乱的発展への敵対路線であり、したがってまた、たたかう労働者人民から民青以下の経済主義としてみむきもされず破産してしまったことは、まことに当然である。いわば山代の山カン路線ともいうべき「政治経済闘争」なるものは、もともと理論的に破産した存在であるばかりか、運動=組織路線としてもひとかけらの現実性も有していないのである。
 だからこそ、反革命カクマルの黒田=朝倉指導部は、四月段階にあっては、かの山代式「反インフレ闘争」にうつつをぬかし、それがみじめな失敗におわるや、その責任を山代におしつけて、今度は「刑法改悪反対」「小選挙区制反対」などをモザイク的にならべて、「政治闘争」の体裁をととのえるというみえすいた対応しかできないのである。だが、こうしたかれらのペテン的な看板のぬりかえは、かれらの総路線的な破産の過渡的表現以外のなにものでもなく、しかも「狭山」「入管」が完全にぬけおちた小ブル自由主義の立場からのそれでしかないのだ。
 狭山、沖縄、春闘、学園軸に展開されたわれわれの政治闘争、経済闘争は、反革命カクマルのこのような腐敗と裏切りの路線とは根底的にことなる質と方向をもつものとしてうちぬかれている。われわれは、反帝・反スターリン主義の基本戦略と「日帝のアジア侵略を内乱へ」の戦略的総路線に断固として立脚し、その現実的な展開として階級闘争の三つの形態(政治闘争、経済闘争、イデオロギー闘争)をおしすすめていくのであり、それゆえにこそ、政治闘争の革命的な独自性(ブルジョア独裁をプロレタリア独裁におきかえるための闘争)を、もっとも基軸的な総括点としてすえぬいてたたかうことができるのである。
 二重対峙・対カクマル戦(それ自体として政治闘争の特殊な継続をなす)の激化のもとでの武装せる政治戦の革命的、戦闘的な展開は、まさに、われわれの基本戦略と戦略的総路線の現実的な貫徹としておしすすめられているからこそ、理論的に正しいばかりでなく、実践的にも巨万の労働者人民の革命的魂を真にゆりうごかすものとなるのである。カクマル型の「政治経済闘争」のみじめな破産と、われわれの武装せる政治戦の堅実な発展という今日の事態を基本的に規定しているものは、まさに、このような革命と反革命の階級的な関係である。革命的報復戦の激烈な発展を基礎とし、それを基軸的な総括点としつつ、われわれの武装せる政治戦は、反革命カクマルの「政治経済闘争」なるものの破産をつきだしつつ、力強く発展しはじめたのである。
 
 当面する情勢とわれわれの任務
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 五・一三の英雄的たたかいを転機として戦局は大きく転換を開始した。
 四月情勢をめぐってきりひらかれた勝利のあらたな展望は、五・一三を転機としつつ、五、六月の死力戦的なせめぎあいをとおして次第に確固たるものに成長しはじめている。敵が行きづまり、停滞し、絶望的あがきにおちいり、味方が困難を打開し、前進し、展望をきりひらく情勢がやってきたのである。もとより戦局の転換がますます明白になればなるほど、反革命カクマルの軍事的冒険への絶望的衝動はますますつよくなるであろう。また、われわれのなすべき課題と任務はますます激烈なものになるであろう。だが、それは、十・八羽田以来の激闘の五ヵ年がそうであったように、ただ血みどろにたたかいぬくことによってのみ突破しうる勝利への試練以外のなにものでもないのだ。戦争をとおして戦争を学び、戦争をとおして戦争を強化していく革命戦争の原則は、まさにこのような生きた現実的実践の貫徹のなかで、その豊かなみのりをうみだしていこうとしているのである。
 では、当面する情勢のなかで、われわれがなすべき革命的任務はなにか。
 第一には、前迫同志の不屈の戦闘精神に学び、それをひきつぎ、前迫同志虐殺への革命的報復をとことんやりとげることである。
 すでにのべたように、五・一三の英雄的たたかいは、わが二重対峙・対カクマル戦の戦局的転換、革命的報復戦のあらたな高揚をひきだしはじめた。前迫同志虐殺へのもえたぎる憎しみと復讐心は、われわれの革命的報復戦にあらたな活性力と反発力をよびさましはじめている。われわれは、わが革共同の戦列の根底からわきあがる、あらたな力をことごとく戦争激化の推進力に組織しなくてはならない。あらゆる努力をつくして革命的報復戦をつよめ、反革命カクマルヘの底広い憎しみと復讐心を現実の報復に徹底的に転化しぬかなくてはならないのだ。
 われわれは、五・一三の英雄的なたたかいを転機として堀撃沈、小野完全せん滅までにのぼりつめる革命的報復をなしとげ、また、そうすることによって反革命カクマルの「政治経済闘争」なるものの破産をつきだした。だが、われわれの革命的報復戦は、まだまだ、そのほんの一部分をなしとげたばかりである。前迫同志虐殺の直接の下手人どもは、早大カクマルの野口、伊藤をはじめとして、みずからの反階級的な罪状とわが革命的報復戦におびえ、にげまくっているとはいえ、いぜんとして反革命虐殺者集団のことごとくに鉄の報復を加える仕事は端初についたばかりである。また、五・一三の白色襲撃、前迫同志虐殺を計画し統括した黒田=朝倉指導部とその手配師どもについては、堀を徹底せん滅したとはいえ、こんなことではとうてい我慢できるものではない。堀撃沈と小野徹底せん滅は、われわれのすさまじい報復の決意の宣言にすぎないのだ。われわれは、いまこそ、こみあげる復讐の意志にちかって、前迫同志虐殺の下手人、その指導者と手配師どもをことごとく徹底せん滅する決意と態勢をうちかためなおさなくてはならないのだ。
 反革命カクマルのペテン的「勝利宣言」とそれにもとづく「四月計画」の破産をかんぷなきまでにつきまくり、革命的報復を徹底的にやりぬくこと――この道こそ、戦局の転換を真におしすすめることのできる基本的なたたかいである。敵戦闘力の主軸をなす首都の学生カクマル組織は、その指導部から末端にいたるまで前迫同志虐殺の罪状におそれおののいており、ことごとく、「第二のT、S」の前夜である。われわれは、情容赦なく革命的報復を貫徹することによって、学生カクマル組織を一挙に崩壊的危機にたたきこんでやることができるのだ。
 第二には、六・一五闘争を突破口として九月狭山決戦の勝利にむかって決死の戦闘態勢をつくりあげていくことである。
 日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の死刑判決の攻撃を断固としてうちくだき、狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還のたたかいの歴史的勝利をかちとっていくためには、なによりもまず、戦闘的部落青年を先頭とする革命的労働者人民の一大奮起がなくてはならない。われわれは、七三年の十一・二七闘争以来の連続的たたかいをとおしてうちかためられてきた部落解放同盟と革命的労働者人民との固い団結、部落民を先頭とした労働者人民の共同戦線をいちだんと強力なものに発展させるとともに、日共、カクマルのいっさいの敵対策動をかしやくなく粉砕し、日帝・寺尾体制の死刑判決の攻撃を美化し、カクマルの反革命的介入=内側からの破壊策動の危機性を過小評価するいっさいの傾向をねばりづよく克服していかなくてはならない。
 獄中一二年のたたかいをおしすすめる石川一雄氏の二つの訴え、すなわち、四・一九革共同集会へのアピールと五・二三公判闘争集会へのアピールとは、われわれの革命的奮起を決死の覚悟でうながす戦闘的呼びかけであり、日帝・寺尾体制の攻撃を粉砕し、いっさいの反革命的策動をうちやぶって、狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還のたたかいの歴史的勝利をかちとろうとしている労働者人民の共同の戦闘綱領をなすものなのである。われわれは、石川一雄氏のこの二つのアピールに心底からこたえ、九月狭山決戦の大爆発のためにあらゆる創意をこらして奮闘しぬかなくてはならない。
 同時にまた、われわれは、三里塚反対同盟の戸村一作委員長の参院選挙闘争を断固として支持し、その革命的推進のためにたたかいぬかなくてはならない。
 戦後世界体制の崩壊的危機とそのもとでの日帝の体制的危機のふかまりのなかで、革命情勢への過渡期の特徴は、ますますゆるぎがたいものとなりつつある。われわれは、このような情勢のもとにあって、階級闘争の革命的、内乱的発展を体制内的、議会主義的に集約するのではなく、まさに階級闘争を革命的、内乱的に発展させるものとして戸村選挙闘争をたたかいぬくのでなくてはならない。
 それゆえ、われわれの革命的選挙闘争は、社共など既成左翼の議会主義的腐敗と非妥協的に対決していくだけでなく、「革命的左翼」のベールにかくれて革命的左翼に敵対し、三里塚闘争に敵対してきた反革命分子どもとも非妥協的に対決し、階級闘争の今日的地平をもっとも鮮明にうちだすものでなくてはならない。われわれは、それゆえ、二重対峙・対カクマル戦の激化のもとでの革命的参院選挙闘争をあらゆる創意をこらしておしすすめるとともに、戸村選挙闘争の政治主義的歪曲をはかり、反革命カクマルとの和解を策動するいっさいの勢力の裏切り的行為を徹底的にうちやぶっていくことが必要である。
 さらにまた、われわれは、七・七にむかってのたたかいのなかで、日帝のアジア侵略と侵略体制構築の攻撃、それとむすびついた在日アジア人民への民族的抑圧、日本労働者人民への政治反動の攻撃との全面的対決をつよめていかなくてはならない。入管法、刑法改悪、小選挙区制、靖国法など、日帝の侵略と反動の攻撃は、ますます全面的で非和解的な性格をむきだしにしている。とりわけ、在日アジア人民への民族的抑圧の攻撃である入管法について、日帝はいまや参院選挙あげに一挙に国会を強行通過させる準備をつよめていることをけっしてみおとしてはならない。われわれは、いまこそ、七・七自己批判の真価をかけ、共産主義者の責任をかけて、日帝の入管法攻撃を粉砕するために決死のたたかいにたちあがらなくてはならないのだ。七・七にむけ、ただちにたたかいを開始しなくてはならないのだ。
 第三には、二重対峙・対カクマル戦の激化のまっただなかで、革共同の組織的前進、すなわち党建設・勢力増強のたたかい、活動の全面的強化のたたかいをおしすすめることである。
 階級闘争の革命的、内乱的な発展の時代、権力と革命党、革命党と民間反革命との熾烈な激闘の時代にあっては、そのいっさいの総括点は、究極のところ革命党の存亡の問題、革命党の興廃の問題として集約されていかざるをえないのである。武装し、戦う革共同の戦闘的な強化と発展をたたかいとり、カクマルの完全なせん滅、打倒をかちとることは、七〇年代階級闘争の主導権を決定する重大な階級的争点であり、その主要な総括基軸である。
 そのためには、当面われわれは、(1)強大な革命党の建設、強大な革命勢力の結集のためのたたかいの独自性を明確にしつつ、そのためにたたかうこと、(2)二重対峙・対カクマル戦の激化の情勢のもとで党活動の原則的・創意的な展開のためにあらゆる努力をつくしてたたかうこと、(3)独自の革命的印刷所の建設、独自の機関紙活動態勢の建設のために不屈に前進すること、(4)戦争と政治を有機的にむすびつけ、われわれの活動を堅実かつ全面的に発展させるために勇気をもち、創意をこらしてたたかうこと、が必要である。まさに戦争の激化のなかでこそ、党活動の真の全面的な発展がかちとられていかなくてはならないのである。
 反革命カクマルを徹底せん滅し、七〇年代革命の進路をきりひらけ!
 武装し、たたかう革共同万才!
       (『革共同通信』二二号一九七四年六月一七日に掲載)
 
 
 
 
 
 
 6 カクマル印刷所ホヲトクついに崩壊
 
 六・二〇――三〇の反革命通信粉粋のたたかい、六・二六法政大会戦の二大勝利をひきつぎ、ついで七月総攻勢は、反革命通信の印刷所「ホヲトク」を爆砕した。ブルジョア印刷所に依拠し、K=K連合的庇護を乞い願うカクマルの漂流路線に、六・二〇「商工」につづく革命的鉄槌が下されたのである。五・一三を機に開始された総攻勢の勝利的貫徹は、この六月〜七月の勝利の地平をふまえ、ついに八月、戦略的総反攻を号令するにいたるのである。
 
 A 二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利がはじまった
 
全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 日本帝国主義の〈左の足〉、K=K連合のかたわれである反革命カクマルにたいする革命的せん滅戦は、いまや決戦的局面に突入した。反革命カクマルの新朝倉戦略、すなわちペテン的「勝利宣言」とそれにもとづく「四月計画」は完全にうちやぶられ、それにかわってわれわれの破竹の革命的総攻勢がはじまったのだ。
 六・二〇――三〇の反革命通信粉砕のたたかい、六・二六の法政大会戦の二大勝利をひきつぎ、いまや七月総攻勢は猛然と爆発し、つぎつぎと重大な歴史的勝利をもぎりとりはじめた。
 七月二二日、反革命通信の印刷所「ホヲトク」は、われわれの全面的な攻勢のまえについに崩壊し、反革命分子どもは算をみだして敗走しさった。満を持した六・二〇攻撃によって「商工」をおわれた反革命通信はブルジョア漂流路線の最後のよりどころとして「ホヲトク」に逃げこみ、権力の厚い庇護とブルジョアの恩恵にすがって「末期の苦しみ」をひきのばそうとしたのであったが、いままた、その最後の命綱がたちきられてしまったのである。もとより、わが反革命通信は「ホヲトク」印刷が崩壊する以前から内的には事実上、死にちかい状態にあった。六・二〇によって小野田、寺田ら五名の編集局員どもが徹底的にせん滅され、六・三〇によって若林に決定的な鉄槌が加えられたことにより、もはや反革命通信の編集局には従来のメンバーがひとりものこっていない惨状におちいってしまっていたのである。急拠うめあわせにかきあつめられた新メンバーも、つぎつぎと的確にうちおろされる革命的鉄槌のまえに完全においつめられ、しどろもどろの新聞をアリバイ的に発行することで精一杯となってしまったのである。
 反革命通信の編集局よりももっとみじめな破産的な対応をしめしたのが、かの反革命中央指導部の官僚どもであった。すでにかれらは、昨年における根本(土門)、池上(朝倉)の撃沈、今年における「勝利宣言」=「四月計画」と「政治経済闘争」の総破綻の責任をめぐって中央LCの内部で陰微な対立抗争をつづけてきたのであったが、反革命通信の死のケイレンをまえにして、いっそうの醜態をさらけだすはめにおちいってしまったのである。六・二〇――六・三〇――七・四と連続的にうちおろされる反革命通信粉砕の猛攻勢に完全に錯乱してしまった反革命中央指導部は、もはや反革命的「党派闘争論」すら維持することができなくなり、われわれの革命的総攻勢があたかも権力によって企画され、実行されているかのような子供だましの責任のがれにはしるとともに、そのうらで、その袋小路からの脱出の夢をただただ権力の保護強化にたくすという卑劣な対応に終始することしかできなくなってしまったのである。
 いいかえるならば、権力の保護と資本家的生産力への全面的依拠を原則化したブルジョア漂流路線の必然的な帰結として、かれらは、われわれの総攻勢によって反革命通信の印刷態勢が危機においこまれればおいこまれるほど、権力との連合の道、資本家への依存の道にいっさいの活路をみいださざるをえなくなったのである。それゆえ、このような反革命カクマルの無責任なやり方は、資本や当局の保護によって危機をのがれようとして、かえって危機をいっそう深刻化してしまう第二組合とおなじく、革命勢力が正しい力関係の認識にふまえて的確果敢なたたかいをおしすすめるならば、その破産は時間の問題にすぎなかったのである。
 かくして、すでに事実上の死を宣告されていた反革命通信は、第二ブルジョア印刷所である「ホヲトク」の崩壊によってついに最期の日をむかえた。たとえ、どのような悪あがきをかれらがつづけようとも、もはやそれは死のケイレン以外のなにものでもないのだ。われわれが十数年にわたる機関紙誌活動の経験の積極的な総括にふまえて、武装した独自の機関紙誌の発行態勢、武装した独自の印刷態勢の建設を堅実にふみだした事実にうちのめされながらも、表面では反革命特有の尊大さでこの壮大な事業をせせら笑ってきた反革命の官僚どもは、いまや、真の決算書をつきつけられ、まったく対応不能におちいってしまったのだ。二重対峙・対カクマル戦の重大な歴史的勝利は、このような反革命通信粉砕のたたかいを最先端として、戦闘のあらゆる面において圧倒的な大勝利をつぎつぎとうみだし、さらに新しい勝利をみのらせはじめている。
 第一には、反革命通信の最後のよりどころである「ホヲトク」をついに粉砕し、反革命通信にトドメをさしたことである。この大勝利は、反革命カクマルの完全打倒をかちとっていくうえで歴史的転換点を画期するものとなるであろう。
 第二には、積極的な集団戦において歴史的大勝利をかちとり、積極的集団戦と逆襲的集団戦の二つの形式においてともに圧倒的な勝利をかちとっていく展望が断固としてうちかためられたことである。十一・一六、十二・一五――二三、六・二六の四大勝利をひきつぎ、七・一三の歴史的大勝利がうちぬかれることによって、カクマルせん滅戦はかつてない積極的な進攻性をおびはじめたのである。
 第三には、赤色個人テロルの攻撃が、ますます的確で熾烈な性格をもって発展していることである。七・一一国学院アジト粉砕(古賀、田村せん滅)、七・二〇古川報復戦(小沢せん滅)、七・五秋田経大カクマル(成田)せん滅など七月総攻勢における赤色個人テロルの猛爆発のみならず、六・二〇、六・三〇、七・四の反革命通信粉砕のたたかいにおいても、また七・一三の神戸大会戦においても、それらは同時に、小野田、寺田、若林、宮崎ら反革命カクマルの活動中枢にたいする的確果敢な赤色個人テロルとなっているのである。
 第四には、反革命カクマルの指導系統、活動中枢や活動上の動態など「組織としてのカクマル」の全面的な把握が、きわめて急速なテンポで前進していることである。
 第五には、反革命の側では、戦略的敗勢のふかまりのなかで、黒田=朝倉指導体制の崩壊(朝倉の没落)や指導中枢、活動中枢の大混乱、敗北主義とビビリズムが蔓延しつつあるのと対照的に、革命の側では、革命的総攻勢の激化のなかで、党の指導と活動が活性化し、報復の闘志と勝利の展望がわきたち、法政拠点化の前進をはじめ戦争の政治的基礎がますます強大となりつつあることである。
 以上の五点を総括してわれわれが確認しうることは、九・二一の一周年をまえにして、二重対峙・対カクマル戦の決戦期が到来しつつあることである。われわれは、猛然として七、八月総攻勢を反革命カクマルにたたきつけ、つぎつぎと戦略的大打撃を敵に強制していくことによって、決戦期のヘゲモニーを確実に手もとにひきよせ、勝利的総反攻への準備をうちかためなくてはならない。反革命カクマルの経済主義と白色テロの路線をうちやぶり、その完全打倒をかちとることは、たたかう労働者人民の共同の正義の要求であり、日本階級闘争の壮大な高揚の歴史的跳躍台をかたちづくることである。いまこそ七〇年代革命の勝利の命運をかけて革命的総攻勢に総決起し、反革命カクマル完全打倒の階級的責務をみごとにはたさなくてはならない。
 
 B 反革命カクマルの完全打倒かちとり、七〇年代革命の進路ひらけ
 
 二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利をかちとるための重大な決戦的局面が到来した。戦略的敗勢に錯乱し、権力に泣きこむ反革命カクマルを容赦なく追撃し、猛然たる七、八月総攻勢を展開すべきときがやってきた。いまこそ、全党全人民は、七〇年代日本革命の命運をかけて、反革命カクマルの完全打倒のために総決起するときである。反革命カクマルを徹底せん滅し、その完全打倒をかちとるたたかいは、七〇年代革命の成否をかけた革命と反革命の絶対的な死闘であり、七〇年代階級闘争の革命的、内乱的、武装的発展をかちとるのか、それとも、その経済主義的、体制内的な歪曲をゆるすのか、をめぐる歴史的大闘争である。
 三〇年代における革命的共産主義とスターリン主義の階級的な激突、革命的労働者運動とファシズムの内乱的な死闘がそうであったように、帝国主義の大破局を世界革命の勝利に転化しうるかどうかは、まずもって、帝国主義にたいする革命的対峙を断固としておしすすめつつ、労働者人民の運動の内外にうみだされた反革命の潮流を徹底的に粉砕し、それをとおして労働者人民の戦闘的翼を革命的に精錬しうるかどうかにかかっているのである。われわれは、スターリン主義にたいするトロッキー主義の敗北の歴史、ファシズムにたいするドイツ労働者階級の敗北の経験をふたたびくりかえしてはならないのだ。
 帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制の解体的危機のとめどない進展のなかで、革命情勢への過渡期としての特徴は、ますます成熟しつつある。アジアにおける民族解放闘争(民族解放・革命戦争)の革命的発展と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化すべき革命闘争の必要性と現実性は、ますます緊急のものとなりつつある。内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争と革命党建設の事業の堅実で全面的な発展のためのたたかいは、こうした情勢の発展のなかでいまや、日本労働者人民の勝利の大道としてますます不滅の輝きをましはじめているのだ。二重対峙・対カクマル戦は、こうした日本労働者人民の革命的任務の戦略的基軸をなすものであり、その歴史的跳躍台をかたちづくるものである。われわれは、二重対峙・対カクマル戦の勝利なしにはいっさいが無であり、二重対峙・対カクマル戦の勝利によっていっさいを手にすることができるのである。
 
 @ カクマルは正真正銘の反革命であり、完全に打倒しつくさなくてはならない。
 
 カクマルは、戦後体制の破局的危機のふかまり、階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の時代における反革命であり、スターリン主義の歴史的破産、その反動化と無力化がますます鮮明となりつつある時代における反革命である。いいかえるならば反革命カクマルは、スターリン主義の歴史的破産を革命的につきやぶり、マルクス・レーニン主義の真に現代的な発展をかちとる道に敵対し、「革命的左翼」の仮面にかくれてスターリン主義への反発を「マルクス・レーニン主義の小ブル自由主義への改作」にすりかえようとするペテン分子であり、また、帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制の崩壊的危機を反帝国主義・反スターリン主義の世界革命に転化し、たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化する革命的総路線に敵対し、「革命的左翼」の仮面にかくれて日本階級闘争を「経済主義と組合主義」「民族主義と差別主義」にねじまげようとする反動分子であり、かつまた、二つの十一月を突破口とする内乱・内戦――蜂起のたたかいに敵対し、権力と連合して革命的左翼にたいする白色襲撃の道をころげおちる最悪のテロ分子である。
 したがって、われわれと反革命カクマルとの矛盾は、反革命カクマルを完全に打倒することなしにはけっして止揚しえないところのものである。
 スターリン主義の打倒なくして現代革命の真の前進がありえないように、反革命カクマルの打倒なくして現代革命の真の前進はありえないのである。戦略的敗勢のふかまりのなかで、K=K連合の強化の道にますますころげおちる反革命カクマルの現実をいっそういきいきとあばきだし、反革命カクマルの完全打倒の階級的確信をがっちりとうちかためていかなくてはならない。
 
 A 反革命カクマルせん滅は、たたかう労働者人民の共同の正義の要求であり、革命的前衛部隊の神聖な義務である。
 
 六〇年安保闘争が日共スターリン主義の反革命的本質をあばきだし、日共スターリン主義をのりこえる革命戦略と革命党建設の問題をたたかう労働者人民の共同の課題として提起したように、七〇年をめぐる安保・沖縄闘争は、一方では、二つの十一月を頂点とした激動の五ヵ年をとおしてわれわれの革命戦略(基本戦略、戦略的総路線)をきたえあげ、革命党建設のたたかいを全人民的な運動にかたくむすびつけるとともに、他方では、反革命カクマルのいっそうの腐敗を全人民的につきだし、たたかう労働者人民の共同の敵対者としての姿をくっきりとうかびあがらせてしまったのであった。六九年と七一年の二つの十一月において、われわれがまさに躍動感にみちた革命的たたかいを展開していたとき、反革命カクマルは二度にわたって大混乱におちいり、六三年の革共同からの逃亡以来十年にわたってつづいた黒田=森茂指導体制は完全にふっとんでしまったのである。
 かくして、完全な破産と混乱におちいってしまった反革命カクマルは、ペテン師・朝倉を登用することによって危機のりきり型の黒田=朝倉指導体制をデッチあげ、七〇年をめぐる危機からの脱出の道を、革共同にたいする日帝の内乱鎮圧型弾圧の政治とそのもとでのK=K連合政策への屈服と加担にみいだし、経済主義と白色襲撃の路線にころげおちていったのである。黒田=朝倉指導体制の階級的役割は、七〇年代闘争の革命的、内乱的、武装的発展に敵対し、経済主義と白色襲撃の路線を満開させ、権力の援助のもとに延命することにあったのである。
 したがって、七〇年をめぐる安保・沖縄闘争に真剣にとりくみ、また、七〇年代階級闘争の前進のために全力をつくしてたたかっている労働者人民が、ひとりの例外もなく反革命カクマルを弾劾し、その完全打倒をまちのぞみ、あらゆる創意性を発揮してわれわれの二重対峙・対カクマル戦への支援をつよめてきたのは、まったく当然のことである。いまや、日本階級闘争の気孔をふさいでいる反革命カクマルをせん滅し、その完全打倒をかちとることは、たたかう労働者人民のさしせまった共同の要求である。
 
 B 反革命カクマルの完全打倒は、七〇年代革命勝利の歴史的跳躍台である。
 
 すでに確認してきたように、戦後世界体制の崩壊的危機とそのもとでの日帝の体制的危機のふかまりのなかで、革命情勢への過渡期の成熟は、急速なテンポで進行している。七四春闘におけるゼネストとゼネスト情勢のたかまりにみられるように、労働者人民は、たたかわなくては生きてはいけない、と感じはじめている。日本階級闘争の当面する実践的課題は、一内閣の交替ではなく、日帝・田中体制打倒の問題につきあたりはじめているのである。いいかえるならば、日本労働者階級と人民大衆は、当面する経済的要求をもって戦闘的にたちあがるとともに、その真の貫徹をかけて日帝・田中体制の革命的打倒のために断固として政治的に決起しなくてはならないのである。われわれは、いまこそ、たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化する七〇年代革命の戦略的総路線に立脚し、狭山九月決戦を先頭とする武装政治戦に総決起し、侵略と反動、搾取と抑圧の攻撃をつよめる日帝・田中体制を打倒するためにたたかい、かくして日本階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展を断固としておしすすめていかなくてはならないのだ。
 しかし、同時に確認しなければならないことは、一九六七年の十・八羽田以来のいっさいのたたかいの経験が教えているように、こうした政治闘争、経済闘争の真の革命的、戦闘的前進は、日共スターリン主義との対決はもとより、権力と呼応した反革命カクマルの反階級的な策動、その経済主義と白色襲撃の路線との熾烈な政治的、軍事的対峙なしにはけっしてありえない、ということである。革命党と革命勢力、すべてのたたかう労働者人民は、「革命的左翼」の仮面にかくれて、労働者人民の運動にブルジョアジーの政策をもちこもうとする反革命カクマルの策動を粉砕し、その経済主義と白色襲撃の路線をうちやぶることによってはじめて、個別課題のたたかいをふくめ、階級闘争の革命的、内乱的、武装的発展をかちとってきたのである。
 したがって、われわれが政治闘争、経済闘争の革命的、戦闘的前進をかちとることにともなって、反革命カクマルの反動的策動をひとつひとつうちやぶるためにたたかうばかりでなく、その総括として「組織としてのカクマル」を完全打倒するために独自の政治的、軍事的なたたかいに決起し、その勝利をかちとることは、七〇年代革命の勝利的な大道をきりひらくうえで不可避の階級的な義務であり、また、それが七〇年代闘争の巨大な高揚をうみだす条件となり、七〇年代革命の勝利のための重大な歴史的跳躍台をなすであろうことはまったくあきらかである。二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利をかちとり、反革命カクマルの完全打倒を達成することは、七〇年代階級闘争の革命的ヘゲモニーの基礎がかたちづくられることを意味している。
 
 C 反革命カクマル完全打倒は可能であり、一日もはやくなしとげられなくてはならない。
 
 一九七一年の十二・四反革命以来のわれわれの二重対峙・対カクマル戦、とりわけ昨年九・二一以来の激烈な革命的対峙戦の展開は、反革命カクマルをなんとしても打倒しなくてはならないし、またそれが、たたかう労働者人民の共同の正義の要求であることを実践的に確認せしめた。たたかいが現実にはじまることによって、たたかいの必然性が実践的にいっそうくっきりと照らしだされたのである。だが、九・二一以来の激闘をとおしてわれわれがつかみとったものは、ただそれだけではない。われわれは、二重対峙・対カクマル戦を正しくおしすすめるならば、破防法弾圧とそれにもとづくK=K連合の重包囲をうちやぶり、反革命カクマルを打倒することができる、という勝利の展望をつかみとったのである。
 事実、われわれは、九・二一以来の一〇ヵ月のたたかいをとおして、反革命カクマルを一方的攻撃者の地位からひきずりおろし、尊大な「優位者」の仮面をひきはがし、いまや戦略的敗勢の泥沼にひきずりこんでしまったのである。朝倉のペテン的「勝利宣言」とそれにもとづく「四月計画」は、もはや笑い話でしかない。山代の「政経闘争」はどこにいったのか。最期の日をまえにして反革命通信は、いっさいの政治闘争、経済闘争を紙面からしめだし、泣きごとと権力への愁訴をただただわめきちらすだけとなった。
 このような二重対峙・対カクマル戦の重大な戦局的前進のなかで、われわれは、反革命通信粉砕の大勝利につづいて、黒田=朝倉指導体制の崩壊、朝倉の失脚という新しい戦略的勝利を獲得せんとしているのである。すでにみたように、もともと黒田=朝倉体制は、二つの十一月をめぐる黒田=森茂体制の大破産をペテン的にのりきることを特有の任務として登場した、いわば危機のりきり型の最終的体制であったが、いまや、われわれの革命的猛攻のまえにはやばやとその戦略的弱点をさらけだしてしまったのだ。しかも、反革命カクマル中央指導部の内部で朝倉失脚を陰微にプロモートしてきた山代もまた、かの「政経闘争」の破産の責任を問われてその弁解にきゅうきゅうとなっているのである。かくして、いまや反革命カクマル中央指導部のなかで多少とも「活動」しているといえるのは、政治的のりきり局員・土門と無理論的実践屋・西条、それに冗談以外才のない黒田の茶坊主・梅津のお粗末三人組だけなのである。
 反革命通信の崩壊と黒田=朝倉指導体制の崩壊という、この相互規定的な破産的事態の進行は、反革命カクマルの解体と没落のはじまりを今日的にしめすものであり、同時にまた、反革命カクマルの解体と没落のパターンをもっとも特徴的にしめすものである。われわれは、いまこそ、絶好機をのがさず猛追撃にうってで、反革命カクマルの指導中枢の動揺と混乱をいっそう深刻化させ、反革命カクマル完全打倒のための最短コースを一路前進しなくてはならないのである。
 
 C 猛然たる総攻勢に総決起し、決戦期の勝利を断固としてかちとれ
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 戦略的敗勢のふかまりのなかで錯乱と動揺の極におちいった反革命カクマルにたいし、全党全人民は、いまこそ革命的総攻勢に総決起し、二重対峙・対カクマル戦の決戦期を積極的にたたかいぬくときである。いまや、いっさいの猶予は無意味である。攻撃につぐ攻撃、これがわれわれの戦略的原則である。
 @反革命通信の再生をはかるすべての悪あがきをことごとく叩きつぶせ!
 A好機をとらえ集団戦に積極的にうってでろ! 敗走する反革命ダンゴをせん滅せよ!
 B猛然たる赤色テロルを展開せよ! 反革命の活動拠点を摘発し、壊滅せしめよ! 活動中枢をとらえ、ずたずたにひき裂け! 反革命分子を容赦なくせん滅せよ!
 C法政の大拠点化をさらにおしすすめよ! 前迫同志の遺志を断固貫徹せよ!
 D八・一大阪、八・三東京、八・五広島の三大集会の圧倒的成功をかちとれ! 白色襲撃を粉砕せよ! 反革命集会を積極的に包囲せよ! 狭山九月決戦の勝利のため決死の戦闘態勢をきずけ!
 E創意をこらし党の指導と活動を活性化せよ! 新しい戦闘分子を党に獲得せよ! 党の戦闘的拠点を強化せよ! 産別拠点をうちかため、拡大せよ!暑い長い夏に勝利せよ! 革命的共産主義運動の命連をかけ、七、八月総攻勢にうってでろ! 決戦に勝利せよ!
     (『革共同通信』二八号一九七四年七月二九日に掲載)
 
 
 
 
 
 
 
 7 機関紙戦争の完全勝利を突破口に反革命中枢機関を解体せよ
 
 八月総反攻宣言は、商工、ホヲトクにつづき、ついにわが革命軍による、十二九秋田印刷爆砕をかちとった。反革命通信『解放』の廃刊、わが『前進』の復刊という対照的な構図に象徴される彼我の力関係の一大転換は、戦略的総反攻の勝利の大勢を決する一斉攻撃が、この十月大攻勢をもって歴史的に開始されたことを、なによりも雄弁に物語っている。
 
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 敗走をつづける反革命の指導中枢機関に、満を持した革命的巨弾が炸裂した。わが革命的戦士たちは、『前進』復刊の歴史的壮挙と相呼応してカクマル印刷所爆砕の英雄的たたかいに決起し、ブルジョア的漂流路線をあゆむ反革命通信に最後のトドメを突きさした。高橋範行、中山久夫、佐藤和男の三同志虐殺にたいする怒りと憎しみもあらたに、反革命の指導中枢とその諸機関、残存戦闘主力にたいする一斉攻撃が、いまここに猛然とはじめられたのである。
 六・二〇商工粉砕、六・三〇ホヲトク粉砕のたたかいが、第一の十日間戦争の戦闘的のろしとなり、われわれの戦略的総反攻の歴史的突破口をきりひらいたように、十・一九秋田印刷爆砕のたたかいは、戦略的総反攻の勝利の大勢を決する一斉攻撃の歴史的はじまりをしめす革命的巨弾である。日帝・国家権力とその走狗・反革命カクマルの積年の反階級的、反人民的な罪状にたいする労働者人民の怒りと憎しみは、いまや、とめどない歴史的激流となってほとばしりだし、敵をことごとくのみほしはじめたのである。
 
 十・一九カクマル印刷所粉砕と機関紙戦争の勝利
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 十・一九カクマル印刷所爆砕の英雄的たたかいは、高橋、中山、佐藤の三同志虐殺にたいする満腔の怒りをこめた革命的報復であり、十月大攻勢の真価をかけた戦略的重爆撃であり、機関紙戦争の完全勝利を決定した歴史的巨弾である。それゆえまた、それは、われわれの戦略的総反攻の勝利の大勢を決する一斉攻撃の革命的突破口である。
 十・一九カクマル印刷所爆砕の英雄的たたかいの第一の意義は、反革命カクマルによる高橋、中山、佐藤の三同志虐殺、とりわけ戦闘的労働者・佐藤同志への無差別的虐殺にたいする怒りの階級的復讐であることである。
 すべての戦闘的労働者人民がはっきりとしっているように、われわれの戦略的総反攻の大方針は、今日、圧倒的に物質化しており、革命の側の優勢、反革命の側の劣勢という基本的力関係は、もはやなんぴともくつがえしえない唯物論的現実である。わが反革命の卑劣漢どもが現実を直視する勇気をもちえず、支離滅裂な「謀略」論にやすらぎをもとめようとするならば、それはそれで反革命分子どもの勝手である。しかし、わが反革命の卑劣漢どもが、あいつぐ大敗北においつめられ、その敗局を戦略的に打開する方策がなにひとつのこっていないことの結果であるとはいえ、「やりあっている(対峙)」という仮構づくりのための絶望的あがきとして、高橋範行、中山久夫の両同志を虐殺し、いままた佐藤和男同志を虐殺する反階級的暴挙にはしったことは、革命的正義にかけ て断じて許すことはできない。
 すでにわれわれは、高橋同志虐殺にたいし、九・二三前川・荻窪せん滅、十・三山崎完全せん滅の革命的復讐をもってこたえ、中山同志虐殺にたいし、十・八大阪道頓堀集団戦勝利・関西カクマル二〇名撃沈をもってこたえた。いままたわれわれは、佐藤同志虐殺の暴挙にたいし、反革命通信の最後のトドメをさす戦闘的快挙をもって復讐の第一弾をうちだしたのであった。わが革共同をはじめとする戦闘的労働者人民は、反革命分子どもが自殺的、自滅的な暴挙のふかみにはまればはまるほど、より激烈な革命的報復をもってそれにこたえ、かれらの没落と死滅をいちだんとドラスティックなものにしていくであろう。
 第二の意義は、われわれの戦略的総反攻の大勢を決する十月大攻勢の真価をかけた勝利の重爆撃であることである。
 反革命通信の息の根をとめたカクマル印刷所爆砕の的確果敢な攻撃にすっかり動転してしまった反革命カクマルの小官僚どもは、はやくも消耗の極におちいり、例によって例のごとき「謀略」論にすがりついて、なんとかこの難局からぬけだせないかと願望している。だが、かれらがどのようなペテン的庇理屈ににげこもうとも、唯物論的事実の重みは、観念論者どもを捉えてはなしはしない。われわれの戦略的総反攻の怒涛の勝利的大進撃のもとで、われわれの調査能力、われわれの戦闘能力、われわれの政治的、組織的力量は、飛躍的な前進をつづけているのである。戦争のなかで戦争を学び、戦争のなかで戦争の態勢をつくりあげるという革命戦争の原則が生々とここに脈うちはじめたのである。
 黒田をはじめとする反革命カクマルの臆病者どもよ。諸君たちがそれで気がすむならば、いくらでも「謀略」論にすがりつきたまえ。「革共同分裂」幻想にのめりこみたまえ。だが、現実は観念主義者にとって冷酷である。われわれは、われわれのプログラムにそって計画的、系統的に前進し、七四年暮をまたずして戦略的総反攻の勝利の大勢を決定してみせるであろう。
 第三の意義は、反革命通信『解放』の廃刊、わが『前進』の復刊という対照的な構図をとって機関紙戦争の完全勝利がかちとられたことである。
 今年の春、われわれが、ブルジョア印刷所に依拠してきた従来の機関紙発行態勢を根底的にあらため、独自の革命的印刷所の建設を基礎とした機関紙体制の建設という壮大な事業にふみだしたとき、わが反革命分子どもは、軽薄にもその革命的意義をみぬくことができず、尊大なポーズであざけ笑うのに精一杯であった。それどころか、かれらは、「市民社会に根をはった新聞づくり」などとブルジョア漂流路線に有頂点となっていたのである。
 しかし、権力の庇護のもとで、ブルジョア印刷資本の生産力の恩恵にすがって尊大なポーズをとる反革命通信の道と、戦闘的労働者人民の独自の力に依拠し、武装し自立した革命的印刷所の建設を基礎として革命的機関紙活動のあらたな飛躍の時代をつくりだそうとするわれわれの道とは、圧倒的にその優劣は明白であった。六・二〇商工粉砕、六・三〇ホヲトク粉砕にひきつづき、いままた十・一九秋田印刷爆砕の巨弾をたたきつけられ、ついにカクマル式漂流路線は完全に破産してしまったのである。九月以来、新聞を一度も発行できなくなってしまった早大新開の後をおって、わが反革命通信の最期の日がやってきたのである。
 ところで、黒田をはじめとする反革命カクマルの臆病者どもよ。われわれが十月大攻勢のスローガンをうちだしたとき、諸君たちは、『前進』復刊・『解放』廃刊という金字塔に気づかなくてはいけなかったのだ。「情報のカクマル」などといい気になっていた諸君は、そのじつ、われわれの前進社ビル建設の計画をしらず、戦略的総反攻の準備をしらず、JAC本部粉砕・前川せん滅の計画をしらなかっただけでなく、なんと、八月からわれわれが秋田印刷を包囲していたことに気づきもしなかったのである。われわれは『前進』復刊の日を一日千秋の想いでまち、満を持して最後のトドメを反革命通信の頭上にうちおろしたのである。
 
 勝利の大勢を決する革命的一斉攻撃にうって出よ
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 十・一九カクマル印刷所爆砕の英雄的たたかいによって、われわれの歴史的勝利の展望、われわれの戦略的総反攻の勝利の大勢はいちだんと確実なものとなった。わが革共同をはじめとする戦闘的労働者人民は、かつてない高揚をしめしはじめた。確信はますますふかまり、積極性はますますたかまっている。歴史的勝利への重大な階梯をむかえて警戒心と戦闘意欲はますますはげしくなっている。
 他方、反革命の側では、あいつぐ大敗北によって動揺と混乱は、日に日にふかまっている。戦闘主力をなすJACは前川を先頭に枕をならべて討ち死にしており、学生カクマルの衰弱は日をおって深刻となっている。また、労働戦線においても全逓をはじめとして逃亡者、脱落者が続出している。動労カクマルにいたっては、順法放棄など底なしの右傾化が松崎を先頭にしてすすんでいる。いなそれどころか、黒田のごときは「われわれは基礎が弱く、労働者人民から孤立しているのであるからして、一定の敗勢をしいられるのはやむをえない」などとはやくも敗北の総括、逃亡の準備にとりかかっているありさまである。
 しかし、いかに反革命の敗勢いちじるしいとはいえ、いまだわれわれは、反革命カクマルの完全打倒をなしとげたわけではない。敵中枢と戦闘主力を解体しおわったものでもない。われわれは、いまこそ、戦略的総反攻の勝利の大勢をいちだんと確定的なものとし、反革命カクマル完全打倒の日までねばりづよくたたかいぬかなくてはならない。おぼれた犬に寛容や油断は禁物である。情容赦なく徹底的に反革命をたたきのめすこと、これこそ、われわれの今日の行動原理である。
 それゆえ、わが革共同をはじめとする戦闘的労働者人民は、機関紙戦争の完全勝利を突破口に、戦略的総反攻の勝利の大勢をいちだんと決定化するために、革命的な一斉攻撃にうってでなくてはならない。
 第一の任務は、反革命中枢とその諸機関を徹底的に解体しつくすことである。
 機関紙戦争の完全勝利は、敵中枢を完全な混乱においこんでいる。中央指導部の権威と統制力は音をたててくずれつつある。黒田は錯乱状態にあり、朝倉、山代は陰微に対立しつつ、ともに没落の一途をたどり、かつての「政治的のりきり局員」土門、西条は、いまではあやしげな「謀略」論をマスコミにうりあるく行商人にすぎない。土門のごときはあまりにも売名的なので、マスコミ対策? を制限されたほどである。いまや、まともに責任をはたしているといったら、原(大貫)と清水ぐらいである。われわれは、いまこそ、十・一九を突破口に反革命中枢とその諸機関に勝利の重爆撃をふりそそがなくてはならない。指導機能の粉砕はもはや時間の問題である。
 第二の任務は、残存戦闘主力、敗残JACの壊滅作戦をとことんおしすすめることである。
 カクマル学生組織は、かつてない衰弱の極におちいっている。かれらは、一方ではわれわれの赤色テロルにおびえてダンゴとなり、あたふたと引越しにおわれながらも、他方ではかつての白色過疎支配の夢がわすれられず、学園祭をめぐって散漫な学内登場をおさえきれないでいる。われわれは、赤色個人テロル、アジト掃討戦、積極的集団戦など、あらゆる戦闘形式を縦横無尽に駆使し、戦略的に効果のある攻撃を的確にうちこみ、敗残JACとその基礎をなす学生カクマルを一掃しなくてはならない。
 第三の任務は、ほんの例外的な地方をのぞいて総崩れ状態にある地方カクマルを完ぷなきまでに粉砕し、徹底的に解体・掃討しつくすことである。
 いまや、地方カクマル完全打倒のたたかいは、広島を先頭に西日本武装制圧をいちだんと強化しつつ、東日本武装制圧へとじりじり前進している。われわれは、この革命的威力を基礎に、いまこそ、地方カクマルの数少ない「虚点」に積極的に進攻し、かれらをズタズタにひきさき、一兵のこらずたたきだしてやらなくてはならない。
 第四の任務は、戦略的総反攻の勝利の大勢を決する七四年後半のたたかいの真只中で、戦争の政治的、組織的基礎をつよめ、四種の武装勢力をいちだんと発展させ、その政治的、軍事的、組織的な団結をたかめるためにたたかうとともに、日帝・国家権力の弾圧や反革命分子のかぼそい絶望的で自滅的なあがきにたいする警戒心をつよめ、軽率な行動によって不用意な犠牲をだすことがないよう十全な態勢をつくりあげていくことである。
 もともと反革命分子どもは、その絶望的な敗局を戦略的に打開する方策をなにひとつもっていない。かれらの唯一の望みは、権力の大弾圧とわれわれの不用意なスキである。われわれは、革命的な態勢をいちだんとつよめることによって、反革命分子どもの情けない希望を無残にうちくだき、あらゆる面で敵に立ち直りの機会をあたえてはならないのである。
 
 狭山・安保を軸に武装せる政治戦の高揚かちとれ
 
 二重対峙・対カクマル戦の圧倒的な前進、われわれの戦略的総反攻の怒涛の勝利的大進撃のなかで、武装せる政治戦の大高揚の条件がいちだんとにつまりはじめている。
 今日の情勢の基本的特徴は、われわれが一貫して主張してきたように、革命情勢への過渡期の時代である。第二次世界大戦の戦後処理をとおして形成された戦後世界体制(アメリカ帝国主義の圧倒的=軍事的な力量を基礎とした帝国主義の戦後世界体制と、それを補完するかたちで形成された国際スターリン主義体制)は、今日、帝国主義的矛盾の爆発を主要な発展基軸として、全世界的な解体的危機をふかめている。国家独占資本主義のもとでの帝国主義の永遠の繁栄を謳歌してきたブルジョア・エコノミストの夢は、無残にもうちくだかれ、それにかわって通貨、インフレ、資源、不況などの深刻な危機が全世界を暗くおおいはじめている。帝国主義と後進国半植民地との矛盾の激化とならんで、帝国主義諸国間の矛盾の激化が進行し、それが現代植民地体制の危機をいっそう激化させるものとなっている。
 このような戦後世界体制の解体的危機のふかまりのなかで、日本帝国主義もまた、内外する諸問題で体制的危機をふかめており、その必然的な結果として、体制的延命をかけた攻撃を日に日につよめてきている。まさに、その基軸をなすものこそ、七二年沖縄返還政策をテコとした日米安保体制のいっそう侵略主義的な再編強化、アジア侵略激化の攻撃であり、それと対応した政治反動、搾取と抑圧、差別と収奪の攻撃の激化である。
 われわれは、内外する深刻な危機のふかまりのなかで激化する日帝の攻撃にたいし、反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略と七〇年代革命の戦略的総路線にはっきりとふまえ、内乱・内戦――蜂起にむかって戦略的に前進する観点から不断にたたかいぬかなくてはならない。もともと二重対峙・対カクマル戦そのものが七〇年代闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の産物であり、それ自身七〇年代闘争の固有の一発展基軸をなしているのであるが、同時にそれは、その勝利的前進をとおして七〇年代闘争全般の大高揚をうながしているのである。それゆえ、われわれは、戦略的総反攻のたたかいを戦略的基軸としつつ、その勝利的前進を基礎として武装せる政治戦を断固として展開し、反革命との運動的、組織的せりあいの勝利をふたたび軍事的力量へと転化させていかなくてはならないのである。
 当面する情勢のもとにあっては、われわれはまずもって、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の十・三一「死刑判決」策動を粉砕し、狭山差別裁判徹底糾弾・石川一雄氏即時奪還のたたかいの歴史的勝利をかちとるために血債をかけ、革命的共産主義者の責任にかけて断固たたかいぬかねばならない。日帝権力の弾圧、日共とカクマルの敵対をはねのけてかちとられた狭山九月決戦の巨大な高揚は、狭山差別裁判にかけた日帝の部落民にたいする差別・分断・まっ殺の攻撃、アジア侵略にむかっての国家総動員の攻撃を根底からゆるがしはじめ、狭山闘争の歴史的勝利の展望を大きくきりひらくものとなった。このような情勢の基本的動向をみてとった日帝・寺尾体制は、突如として判決の期日をくりあげ、狭山闘争の大高揚にむかって労働者人民のたたかいがさらに成長することを事前におしつぶし、一審以来の「死刑判決」策動をなんとしても維持しようとしているのである。われわれは、六九年の浦和地裁占拠闘争以来のたたかいのいっさいの成果にふまえ、いまこそ、すべての力をかたむけて日帝・寺尾体制の黒い陰謀をたたきつぶさなくてはならないのである。まさに、十・三一決戦の成否のなかにこそ、十二年間にわたる石川一雄氏の不屈のたたかい、戦闘的部落青年を先頭とする労働者人民のたたかいの興廃がしっかりとむすびつけられているのである。われわれは、日共、カクマルの反人民的策動につけいるスキをいっさいあたえず、空前の大動員をかちとり、怒りの炎で日比谷をうめつくすことによって決死勝利のたたかいをくりひろげなくてはならないのである。
 また、われわれは、狭山闘争とならんで、十一・一八フォード訪日実力阻止、安保粉砕・日帝打倒のたたかいの大勝利にむかって精力的な活動をはじめなくてはならない。
 フォード米大統領の訪日とそれをめぐる日帝の動きを基本的に特徴づけているところのものは、核安保としての日米安保の現実を国民的におしつけ、アジア侵略にむかっての日米安保体制の飛躍的強化、日米安保体制における日帝の侵略的役割の決定的強化をなしとげようとする策動である。それゆえ、われわれは反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略、七〇年代革命の戦略的総路線に断固として立脚し、六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄闘争をうわまる新しい安保闘争、七〇年代安保・日韓闘争の大爆発をかちとらなくてはならないのである。
 社共など既成左翼は、日帝の基本的世界政策をなす日米安保同盟の解消を体制内的改良によって達成しようとし、安保粉砕・日帝打倒の戦略に敵対し、フォード訪日実力阻止のたたかいを議会主義的かけひきにすりかえようとしている。また、革命的左翼の旗をかかげて革命的左翼に敵対するカクマルは、フォード訪日を米軍事戦略のおしつけという小ブル平和主義の窓口からとらえ、アジア侵略への帝国主義的強盗同盟としての安保の本質をおしかくし、侵略→内乱の戦略に敵対するためにフォード訪日阻止を「たたかおう」としているのである。したがって、わが革共同をはじめとする戦闘的労働者人民が、フォード訪日実力阻止のたたかいを安保粉砕・日帝打倒の戦略的一階梯として爆発させるためには、社共=既成左翼や反革命カクマルとの原則的なたたかいが不可避となるのである。
 
 革命闘争と革命党建設の事業の全面的発展を
 
 全国の同志諸君! すべてのたたかう労働者人民諸君!
 わが革命的共産主義運動は、今日、二重対峙・対カクマル戦という面においても、また武装せる政治戦という面においても、ともに重大な歴史的局面をむかえている。われわれは、渾身の力をふりしぼって、この二つの歴史的任務を立派になしとげていくであろう。九月決戦への激戦のさなか、われわれは、武装し自立した革命党事務所=前進社第二ビルの建設をかちとった。さらにわれわれは、やすみなく前進し、全党全人民のカンパであっまった総額六千万円の資金を投入して印刷所建設に必要な設備をことごとく購入した。すでに数年前から準備されつつあった技術者、労働者の革命的編成もまた達成された。いまや、準備はことごとくととのった。『前進』復刊準備号としてはばたきはじめた、わが機関紙体制は、火のなかからよみがえる不死鳥のように翼をひろげて『前進』の第二の飛躍の時代をつくりだすであろう。
 七〇年代革命の勝利、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争と革命党建設の堅実で全面的な発展のたたかいは、ここに巨大な飛躍の時代をむかえはじめたのである。十数年にわたる革命的共産主義運動の歴史、十・八羽田以来の激動の五ヵ年、二つの十一月決戦を頂点とする七〇年安保・沖縄闘争がそうであったように、われわれは、どんな課題であろうとも、ひとたび実現すべき困難な課題として設定するならば、かならず達成してきた。われわれは、どんな難局をものりこえて勝利の日までたたかいぬいてきた。おなじように、われわれは、きたるべき飛躍の時代をかならずやなしとげるであろう。
 十月大攻勢の猛然たる爆発で、戦略的総反攻の勝利の大勢を確定せよ
 
 反革命の指導中枢と残存JACに壊滅的打撃を計画的、系統的にたたきつけろ!
 空前の大動員かちとり、日帝・寺尾体制(寺尾=カクマル連合)の十・三一狭山「死刑判決」策動を粉砕せよ!
 十一・一八フォード訪日実力阻止! 新しい安保闘争、七〇年代安保・日韓闘争の大高揚にむかって前進せよ!
 革命的週刊政治新聞『前進』の復刊かちとれ! 武装し自立した革命的印制所の建設万才! 武装し戦う革共同万才!
 
      (『革共同通信』四一号一九七四年十月二八日に掲載)