三 共産主義の喪失――第二次ブント批判
 
 本論文は、一九六七年七月に『前進』に発表された。六六年秋に野合的に結成された「第二次ブント」の改良主義的本質が共産主義の喪失にあることを、根底的に批判した論文である。
 
 
 御都合主義の党組織論
 
 昨年(一九六六年)秋に野合的に結成されたブントの機関誌『共産主義』一〇号に水沢史郎君の「階級意識・階級形成・戦略戦術」という論文(以下水沢論文と略称)が発表された。
 従来、ブント(とくにその指導権を専横的に支配しているマル戦派)の諸君は哲学や階級意識論などは二流の人物のするものであると軽蔑し、「戦略戦術の党」なるブント独特の機能主義をふりまわしてきた。その張本人たる水沢君がこともあろうに「階級意識」や「階級形成」を論ずるというのだから、まさにブント一流の誇大宣伝をもってすれば「鬼面人を驚かす」といったたぐいの社会的衝撃というほかはない。
 考えてみると、党など問題ではないとひらきなおっていたマル戦派の諸君が突如として「数万の労働者共産党」を提起したのは、六五年春のことであった。ところが、わが同盟の浜野選挙闘争に便乗して勝手気ままな売名活動をおこないながら「数万の労働者共産党」の登場を夢想していた水沢君たちは、わが同盟がこうしたマル戦派の「白日夢」を拒否し、反帝・反スターリン主義世界革命戦略に立脚した独自の「革命的プロレタリア党のための闘争」を着実に推進していくことに焦燥して六五年秋には、はやくも「数千の社会的打撃力」 への願望を空論的に怒号するという方向転換をおこなった。日韓闘争をとおしてこのマル戦派的願望が破産すると、また一転して「プロレタリア統一戦線――左翼統一戦線」の形成という独自の「戦略配置」論を提起したのであった。だが、この戦略配置論なるものは、国際的には「中ソを世界革命のプロレタリア予備軍」とするものであり、国内的には「プロレタリア統一戦線」は日共、「左翼統一戦線」はわが同盟を対象にした他力本願の方策であり、とうてい実現されるものではなかった。かくして、右往左往の万策つきたマル戦派指導部は、「戦略戦術の党」という主客転倒した党組織論を唱えながら、ブントという過去的名称の同一性を唯一の一致点として「ブント統一委員会」派との無原則的な野合を強行し、かくしてブント統一指導部の実権を「上から」掌握し、学生運動ではある程度の実体的基礎を形成するにいたったのであるが、「かくされた内乱」たる明大闘争においてはやくも馬脚をあらわし、五・二八から七・九にいたる砂川闘争のなかで没落を準備しはじめたのである。
 したがって、水沢論文の使命とするところのものは、党組織論におけるマル戦派の御都合主義を決定的に検討しながら、その基礎によこたわるマル戦流「革命論」の非共産主義的本質を徹底的に切開し、そのマルクス主義的な克服を探求することにあったはずである。それこそ、「階級意識・階級形成・戦略戦術」という越境のテーマに応える道であった。だが、水沢論文で展開された内容たるや、こうした期待に一片たりとも応えるものではなかった。そこには、自己の実践にたいする革命家としての誠実な反省も、自己の立脚点にたいする共産主義者としての真剣な検討も、なにひとつ存在しない。ただそこにあるものは、左翼的用語のデタラメな羅列をもって、明大闘争におけるブントの「暴露された裏切り」を合理化するという醜悪な努力だけである。
 いったい、明大闘争に重大な実践的基軸をおいた論文のなかで、明大闘争における「ブントの歴史的裏切り」についてひとことも言及せず、いわんや、その思想的・政治的・組織的根拠を検討することもなく、平然として、明大闘争におけるブントの「戦略戦術」を「日本帝国主義の学園攻撃にたいする抵抗闘争としてどこまで大衆的に意識化しうるか、それをプロレタリア人民大衆の反帝闘争の一環としてどこまで意識化しうるか、そしてまた先進部分においてはこの反帝闘争をプロレタリア日本革命への戦略的展望の下にどこまで意識化しうるかにかかっている」(ゴジは本多)などと自己賛美しうる水沢君の「階級意識」とは、いかなる階級に属する人間のそれであろうか。けだし、怒りをこえて肌寒いものを感ずるのは筆者だけのことであろうか。
 だが、いまこの論文で目的とされねばならぬところのものは、明大闘争における「ブントの裏切り」という日本学生運動史上もっとも破廉恥な事態そのものの解明ではなく、この実践的直接性を合理化しうるブント・マル戦派指導部の「革命論」がいかなる非共産主義的本質のうえに構築されているか、を水沢論文の検討をとおして解明するところにある。「明大闘争自体が局地的であれ内乱的決戦的闘争(なんという大げさな表現!――本多)に発展した」とき、なぜいわゆる「抵抗派」はブント指導部と衝突し、それを粉砕しながら前進したのか、そして、なぜブント指導部は「抵抗派」を敵視し、「条件的妥結派」に背走したのか、――この問題の具体的解明は、日本学生運動における指導部形成の問題として総括されねばならないが、それは同時に、こうした事態を二度と日本階級闘争史上に生起させてはならない、ということを、その根源にさかのぼって革命的左翼のうちに「意識化」することを意味している。
 
 水沢論文の「革命論」
 
 水沢論文の目的は、すでに指摘したように明大闘争におけるブントの裏切りをマル戦派の独自の「革命論」をもって合理化するところにあったが、それは同時にマル戦派のいわゆる革命論が、共産主義を喪失した「改良闘争の改良主義的美化」の理論であることを自己暴露することに終ったという点でその目的を十分にはたしたわけだ。
 水沢論文のなかから「革命論」らしきところを整理すると、(1)プロレタリア大衆の即自的意識=自然発生的意識は、ブルジョア意識である、(2)プロレタリアが闘争にたちあがるのはブルジョア意識=商品売買者意識であり、この面ではプロレタリアの階級闘争といえども即自的には労働力商品の販売の条件にかんする闘争である、(3)ところが、プロレタリアが生産過程で直面するのは、純粋な階級関係であり、この面では、プロレタリアのブルジョアにたいする抵抗は、労働生産主体(人間そのもの)の非生産者の支配(資本主義的生産関係)そのものにたいする普遍的人間的闘争である、(4)こうしたプロレタリアの階級意識の矛盾的性格は改良闘争の矛盾的性格に対応する、(5)プロレタリアの階級指導部もまた矛盾的であり、ブルジョア意識の自立的表現が社民指導部であり、これにたいする革命意識の自覚部分が革命的前衛党である、(6)平時では革命意識の自覚部分は少数であり、圧倒的部分は自己のブルジョア意識をとおして社民指導にしたがう、ここでは、革命的前衛党は改良闘争の限界を大衆的に暴露し改良闘争を大衆的にのりこえさせることが任務、(7)ところが、資本主義が動揺すると改良闘争における「体制的地位の改善」の側面が幻想化し、改良闘争自身が資本主義への抵抗闘争の側面を強める、(8)革命党の「外部注入」とは社民党とその影響下にあるプロレタリア大衆にたいする革命党の党派戦術であり、その基本戦術は、社民の提起するスローガンを逆手にとり、これを社民を左からつきあげるスローガンに変形し、それをもって大衆の改良闘争に介入することである、という八つのテーゼに概括することができる(なお、このテーゼの周辺に、(1)十・二一闘争、明大闘争、都知事選挙の総括らしきもの、(2)マルクス、レーニン、ローザの階級形成論の得手勝手な整理、(3)マル戦派以来の民主主義体制論がバラックのように点在しているが、それはただテーゼをもっともらしくするためのもので、必要とあれば具体的検討の過程でとりあげる)。
 読者諸君は、以上の整理で明瞭となったことと思うが、わが水沢君が具体的に主張していることは、革命党の基本戦術は改良闘争に介入し徹底化していくこと、そこに革命の萌芽が存在することを「意識化」しようということいがいのなにものでもないのである。もちろん、改良闘争がプロレタリア解放闘争にとって重要な現実的契機をなすことはいうまでもないことで、水沢君がかつての反経済闘争主義を卒業したことは同慶のいたりであるが、だが、われわれにとっての今日的な問題は、改良闘争の重視という素朴な確認のその先にあるのである。すなわち、資本主義が危機の時代に突入すると、なぜ改良闘争が困難となるのか、いいかえるならば、社民指導部やスターリン主義指導部のもとで困難化する労働者階級のたたかいを、帝国主義打倒・スターリン主義打倒という革命的立脚点にふまえて革命的左翼がどう前進させていくか、という点にあることに水沢君はすこしも気づかず、逆に、改良闘争の限界を大衆的に暴露するために改良闘争を徹底化する、という悪循環にのめりこんでしまい、共産主義者党としての思想的・政治的・組織的独自性を「改良闘争をめぐる社民との党派闘争」というせまい領域に密封する、というベルンシュタイン以下のところまで行きすぎてしまったのである。それは、改良闘争をかたって、その止揚の道をかたらず、抵抗闘争を論じて、革命を論ぜざる方法であり、社民左翼たる解放派と同様に、共産主義をブルジョア的支配への「永遠的反逆」の過程に矮小化しようとするものである。
 では、ブントにおける共産主義の喪失、すなわち、ブントの改良主義への転落の思想的根拠についてかんたんに指摘することにしよう。
 
 階級意識論の欠如
    ――第一の誤謬
 
 まず第一の根拠は、資本主義社会にかんして水沢君がまったく中途半端な理解しかもちあわせていないこと、すなわち、水沢式革命論では賃労働と資本との敵対的対立の素朴な確認はあっても、その対立関係が資本主義社会として歴史的・場所的に成立する根拠についていささかのマルクス主義的反省もおこなわれていないことである。
 水沢君は「プロレタリアートの階級意識の矛盾的性格」なるものの現実的基礎として労働市場と生産過程を対比し、前者からブルジョア意識を、後者から「資本主義的生産関係そのものにたいする普遍的人間的闘争」=「社会主義闘争の萌芽」を、それぞれ抽出するが、それは、経済学的にも階級意識論的にも完全に誤っている。なぜならば、労働市場では商品交換的平等がおこなわれていると考えるのはブルジョア的仮象であって、現実には、労働力なる商品の消費過程としての「資本の生産過程」を絶対的前提として労働市場が成立しており、他方「資本の生産過程」は労働市場を絶対的基礎としているからである。
 しかも、プロレタリアートは、資本のもとでの労働苦へのプロレタリア的直感を基礎として、(1)自分たち労働者を支配する資本、すなわち、労働者に労働を強制するブルジョア的私有財産が、自分たちの「疎外された労働」の対象化の産物であることを自覚するとともに、(2)「人間生活の永遠的な自然条件」としての社会的生産過程の資本主義社会的な転倒(資本主義社会の特殊歴史的性格}を、生産と所有の資本制的分割、すなわち生産手段の資本家的所有=労働力の商品化のうちに歴史的・場所的に自覚していくのである。このようなプロレタリアートの階級的自覚過程にとって労働市場と資本主義的生産過程(=資本関係)は、相互に媒介的な契機をなすのであって、水沢君のように絶対的に対比し、その対比のうえにプロレタリア階級闘争を展開させることは、マルクス革命論となんの関係もないのである。
 ところで、水沢君は「プロレタリアは、奴隷、農奴とは根本的に異なって、一切の身分的・道徳的・慣習的関係から切りはなされて労働生産主体そのものとして、労働生産主体一般として、資本の生産過程に入っている」とか、「労働生産主体(これこそ人間そのもの)としてのプロレタリア…‥」とかいった一知半解な新理論をふりまわしているが、こんな程度のプロレタリア観では、改良主義に転落するのは当然であるといえよう。労働力の商品化(労働市場)の歴史的・場所的根拠は、基本的には労働者の生産手段と生活手段が資本家的に所有されていることにある。
 まさに、労働者は、労働市場における人間の疎外と、資本の生産過程における人間の喪失とを、資本主義社会という社会的生産過程の特殊歴史的な疎外形態のもたらした歴史的現実として一体的に自覚するのであって、水沢君のように労働市場と資本の生産過程を矛盾的に理解しては、話にもならない。そもそも問題は、労働市場――資本の生産過程をいっかんして規定している資本家階級と労働者階級との敵対的対立関係にあるのである。
 したがって、「プロレタリアートが闘争にたちあがるのはブルジョア的意識=商品売買者意識をとおしてである」などというブントの客観主義は、人間労働力という他人に譲渡しえぬ能力を「商品」として販売しなければならないプロレタリアートの苦悩を感知しえぬエセ革命家のエセ共産主義にすぎず、まさに、この一点においても、水沢式革命論の全体系は崩壊せざるをえないのである。
 
 共産主義への無知
     ――第二の誤謬
 
 ブントにおける共産主義の喪失、すなわち改良主義への転落の第二の根拠は、共産主義について水沢君が文字どおり無知であること、すなわち、水沢式革命論では賃労働と資本の敵対的対立の素朴な確認はあっても、この資本主義社会的矛盾を止揚する主客の条件についていささかのマルクス主義的反省も存在していないことである。
 水沢君は、生産点における資本家との闘争は、「労働生産主体の非労働者の支配そのものにたいする普遍的人間的闘争」である、などと無媒介的に規定しているが、だが、そこに決定的に欠けているものは、資本の止揚、したがって資本関係(賃労働と資本)の止揚という共産主義的原則である。かつてエンゲルスは「マルクスの功績は、階級闘争を発見したことではなく、その解決の道を発見したことにある」という意味のことを『フォイエルバッハ論』で喝破しているが、まさにプロレタリアートのブルジョアジーへの抵抗を語るだけでは、けっして共産主義というわけにはいかないのである。
 そもそも、わが水沢君は、プロレタリアを「これこそ人間そのもの」といっているのだから、すでに資本主義社会で労働者階級は人間的解放をかちとっていることになる。それでは共産主義も必要ないわけである。だが、プロレタリアとして非人間化された労働者階級は、自分たちに敵対的に対立している資本、すなわち、自分たちに労働を強制するブルジョア的私有財産が、労働者の「疎外された労働」の対象化の産物であり、社会的生産過程の資本制的転倒を生産と所有の資本制的分割(生産手段の資本家的所有=労働力の商品化)を根拠とする特殊歴史的なものと把えかえしながら、資本の意識的な止揚をとおして人間の人間的解放をかちとっていく、という世界史的使命を性格づけられている。
 すなわち「人間生活の永遠的な自然条件」としての労働過程、人間生活の第一の根源的契機としての生活手段および生産手段の生産過程の担い手としての労働者が、資本制社会的には、資本の価値増殖の手段に転化しているという歴史的・場所的現実へのプロレタリア的直感をバネとして労働者階級は自己解放にたちあがっていくのであるが、改良主義なるものは、「賃労働と資本」の自己矛盾的自己同一性を根拠として、このようなプロレタリア解放闘争の主体的契機をたえず資本の支配のもとに敗北させていくブルジョア的意識のプロレタリア運動への反映形態なのであって、断じて水沢君のいうようなものではない。まさに、改良主義は歴史的には共産主義への意識的な否定物として登場するのであり、それだからこそ、プロレタリア階級闘争の前進にとって改良主義とのイデオロギー闘争は重大な契機をなすのである。
 
 目的意識性の欠落
      ――第三の誤謬
 
 ブントにおける共産主義の喪失、すなわち改良主義への転落の第三の根拠は、水沢君に代表されるマル戦派指導部が、プロレタリア階級闘争の目的意識的性格にかんして完全に無自覚であること、いいかえるならば、階級意識とか階級形成とかという概念を乱用しながらも、その意味をすこしも理解せず、プロレタリアートをブルジョア意識に支配された無自覚的集団のごとく一面化してしまった点である。
 もともと共産主義とは、資本に支配され搾取されるものとしてのプロレタリアート、すなわち、社会的生産の根源的な担い手であるにもかかわらず、生産と所有の資本制的分割の結果として自己の労働力を商品として資本家に販売することをとおしてのみ実存を許されるプロレタリアートが、自己に直接的に敵対する資本の意識的な止揚をとおして自己を解放し、もって人間の人間的解放を実現せんとする現実的な運動である。
 それゆえ、共産主義運動が資本主義的生産様式を基礎としたプロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争を現実的出発点としていることはもちろんであるが、それは同時に、こうした階級闘争のうちに資本制的現実を止揚せんとする意識的要素をたえず形成すること、いいかえるならば、共産主義者の組織的活動を実体的基礎としていることを意味するのである。
 プロレタリア階級闘争の二重的性格なるものは、労働市場と資本の生産過程の矛盾のうちにではなく、プロレタリアートが「賃労働と資本」という階級関係そのものを直接的現実性として闘争にたちあがりながら、それがたえず、資本の止揚と、それをとおしての資本関係(賃労働と資本)の止揚という媒介的現実性に意識的に直面せざるをえないことのうちにある。このような媒介的現実性を主体的に表現するものが共産主義者であり、プロレタリア階級闘争は、このような共産主義者の組織的実践を媒介としてラセン的に発展しながら、プロレタリアートを階級に形成していくのである。
 ところが、わが水沢式革命論にあっては、プロレタリアートの階級闘争なるものは、つねに「ブルジョア意識=商品売買者意識」なるものをとおして生起するものとして固定的=永遠的に前提されており、共産主義者なるものは、プロレタリア階級闘争の「外部」において「プロレタリアートの即自的意識であるが、そのブルジョア的意識の外皮の内部に、非生産者=ブルジョアの支配そのものにたいする抵抗意識(革命意識の萌芽)が秘められている」などという愚にもつかない感想を「意識化」する貧性な評註家としてのみ登場することになっている。
 階級意識を論じて階級意識を論ぜざること、かくのごとしである。まさに、ここにおいて決定的に欠如しているところのものは、資本主義社会における労働者階級の独自の歴史的性格にかんするマルクス主義的把握である。労働市場(労働力の商品化)のうちに「人間の資本制的自己疎外」を自覚することができず、そこにただブルジョア意識のみを発見する水沢式革命論――労働者階級にかんするこのような物化された認識=ブルジョア意識から帰結するもの――それは、ブルジョアジーへのプロレタリアートの思想的屈服の「意識化」いがいのなにものでもない。
 今回の水沢論文には「即自的」とか「向自的」とかというマルクス主義哲学の概念がめずらしく多用されているが、わが水沢史郎君、願わくは、向自的というコトバの意味を文字どおり自己に向かって問いかえすべきである。
 
 戦略戦術と党組織の主客関係の転倒
            ――第四の誤謬
 
 ブントにおける共産主義の喪失、すなわち改良主義への転落の第四の根拠は、水沢君を先頭とするマル戦派指導部の諸君が、戦略戦術と組織の関連性にかんしてまったく無知であること、すなわち、戦略戦術を具体的に展開していく適応主体の問題(共産主義者の組織的実践)が完全に欠落しているという点である。
 周知のように、ブント・マル戦派の党組織論なるものは、いわゆる「戦略戦術の党」に象徴されるところのものであるが、その本質的な誤りが「戦略戦術と党組織との主客関係の転倒」にあること、したがってまた「適用主体なき機能主義」であることは、すでにいくどとなく指摘してきたところであるが、わが水沢論文の功績は、組織=戦術論にかんする従来のマル戦派の誤謬をより徹底したところにあるといえよう。
 もともと、革命的前衛党の戦略戦術とは、共産主義者の組織的実践を実体的基礎としてプロレタリア階級闘争の自然発生性を目的意識性に媒介するものである。世界革命を各国革命の永続的発展のうちに達成するという観点からプロレタリア権力問題を基軸として革命対象と革命主体との具体的な相互関係を目的意識的に規定したものが戦略であり、内外情勢のうちに作用している階級関係の具体的分析にふまえて戦略規定をプロレタリア階級闘争に意識的に適用していく機能をなすものが戦術であり、それらはともに、共産主義者の意識的行為としてうちだされるものである。
 ところが、水沢君にあっては、戦略戦術と党との相互関係は前者が主語となっており、革命的プロレタリアの経験的行為のうちには永遠的に再生産しえぬ先験的(ア・プリオリ)な「革命の通達」でしかないのである。しかも、その天上の啓示たるや「革命党の基本戦術は、社民の提起するスローガンを逆手にとり、これを社民を左からつきあげるスローガンに変形し、それをもって大衆の改良闘争に介入するという以外にはありえない」という驚くべき戦術論であり、この水沢式戦術を具体的に実践したのが一九一七年のレーニンだという白昼夢のような話である。もし水沢説が正しいとすると、帝国主義戦争を内乱へ! という革命的スローガンをかかげて第二インターの社民的堕落から決別したレーニン、すべての権力をソビエトへ! という革命的スローガンをかかげてロシア革命をたたかいぬいたボルシェヴィキは、なんと早まったことをしたものか。レーニンとボルシェヴィキは、祖国防衛や資本家政府への参加というメンシェヴィキの改良的スローガンを逆手にとり、それを変形することをもって「大衆の改良闘争に介入する以外にありえない」というのだから……。
 まさに、水沢君とマル戦派指導部は、危機が迫ってきたのだから、共産主義者は革命的スローガンや、「最大限綱領」や、革命的共産主義者の立場の「お説教を垂れる」ことをやめて、社民の提起するスローガンにしがみつけ、と通達しているわけであるが、読者諸君! これでわが「戦略戦術の党」が明大闘争で「民同以下の裏切り」をおこなったり、五・二八砂川闘争で社民の闘争放棄に困惑して日共との反帝統一戦線を夢みたり、また、東交再建案阻止闘争では社民のスローガンがないので姿もみせない、という一連の日和見主義の根拠があますところなく「意識化」しえたものと思う。
 だが、水沢君がなんと夢想しようと、危機と革命的見地の関連はもっと具体的である。
 もともと、運動過程から究極目標を分離することは、プロレタリア階級闘争の正しい発展を阻害し、究極目標そのものを無意味な確認事項(マル戦派のいう「立場」)に堕落させるものであるが、それは、危機の時代においてもっとも先鋭な矛盾を示すのである。資本の危機は資本関係(賃労働と資本)の危機であるいじょう、資本主義の危機は、階級関係の根底的動揺を生みだすのであるが、こうした動揺を革命的過程に転化するためには、資本=資本関係の止揚、すなわち、資本主義を打倒し共産主義社会を建設するという革命的見地にたった共産主義者の組織的実践を媒介することが不可避である。往々にして資本の危機が、プロレタリア階級闘争の後退に転化するのは、社民指導部の帝国主義へのより露骨な屈服を政治的契機とすることはもちろんであるが、それは同時に、資本の必要とするあいだのみ実存しうるというプロレタリアートの直接的現実性の危機と、それを基礎とするプロレタリア階級意識の動揺に照応しているのである。
したがって、資本主義の危機の時代にあっては、プロレタリア階級闘争は、改良的要求にかんする闘争さえも先鋭的に共産主義的究極目標に媒介させていくことをとおして前進させていくのであり、一定の革命情勢のもとにあっては、パン・土地・平和という具体的な要求をすら「資本家政府打倒・労農政府樹立」という権力問題のうちに意識的に包摂せしめるのであって、けっしてその逆ではないのである。それゆえにこそ、こうした革命的時期にあっては、社民のスローガンと共産主義者のスローガンとの対立は、強化された反革命と、これを打破して前進せんとする革命主体勢力との階級的敵対の政治的表現にまで転化するのである。
〔注〕なお、水沢論文では、労働市場=ブルジョア意識、資本の生産過程=革命意識の萌芽というデタラメな階級意識論を展開する一方、改良闘争一般を「ブルジョア意識=商品売買者意識」なるものにもとづく改良主義闘争に二重うつしし、改良主義一般を社会民主主義に二重うつしするマヤカシをおこない、そのうえ、労働運動の支配的潮流を社民に一面化するという事実的にも誤った理論的混乱をくりかえしているが、それは、社民左翼としての解放派にたいするマル戦派の思想的屈服を示すものいがいのなにものでもない。社会民主主義とは、まさに、資本主義の帝国主義段階への推転に照応したブルジョア改良主義、すなわち、危機のプロレタリア革命への転化を阻止するための労働者運動内部のブルジョア反動派であり、具体的には、(1)危機のプロレタリア革命への転化、(2)プロレタリア独裁国家の樹立、(3)革命的プロレタリアの独自の共産主義的前衛党への結集、の三点にいっかんして反対するものとして登場するのである。
 ところで解放派の諸君の独自性は社民の一翼として組織的に自己を位置づけながら、他方、共産主義的言辞をもって自己の社民没入を合理化しようとするところにあり、それは同時に、解放派の形成が革命的左翼の組織的実践を媒介とした社民の左翼的動揺を基礎としているという 意味において、社会民主主義と革命的共産主義の矛盾の中間的な組織的表現であることを示しているのであるが、わがマル戦派の諸君は、共産主義の旗をかかげながら革命的左翼から社民主義への綱領的移行を「戦略戦術」的にいま追求しはじめたのである。
 
 スターリン主義への無自覚
          ――第五の誤謬
 
 ブントにおける共産主義の喪失、すなわち改良主義への転落の第五の根拠は、水沢君をはじめとするマル戦派指導部が、革命的左翼にたいするスターリン主義的追従者でしかないこと、いいかえるならば、現代革命の基本的性格が、国際共産主義運動のスターリン主義的変質を主体的根拠とした「世界革命への歴史的過渡期の平和共存的変容」を、どう革命的の突破するかという点にあることに完全に無自覚であるということである。
 帝国主義とスターリン主義との相互依存的対抗関係として現象化した戦後世界体制は、こんにちベトナム侵略戦争を導火線として歴史的動揺をふかめているが、それは同時に、革命的プロレタリアにとって戦後世界体制の歴史規定の明確化の要求として把えかえさねばならないところのものである。まさに、現代世界とは、共産主義者の実践的行為において把握するならば、ロシア革命を突破口とする帝国主義と社会主義との世界史的分裂が、国際共産主義運動のスターリン主義的変質と、それにもとづく帝国主義の基本的延命を根拠として、帝国主義とスターリン主義の平和共存形態に変容したものである。
 反帝国主義・反スターリン主義というわれわれの世界革命綱領は、現代世界を規定している世界革命の平和共存的変容を、国際共産主義運動のスターリン主義的な変質の対象化されたものとして主体的にとらえかえすことをとおして、現代世界の革命的変革を帝国主義打倒・スターリン主義打倒という主客の変革のうちに統一的に実現せんとするプロレタリアートの実践的行為を綱領的に示したものである。一九五八年を歴史的転機として開始された「スターリン主義と革命的共産主義の分裂」の根底には、国際共産主義運動のスターリン主義的変質を打破することをとおして、国際共産主義運動をプロレタリア自己解放の実践的行為として回復せんとする反スターリン主義のたたかいが、明確に提起されていたのである。
 ところが、代々木による官僚的除名という外在的過程としてしか「スターリン主義」の問題を反省しえなかった水沢君は、一方では、無自覚的に革命的共産主義運動の歴史的到達点に追従しながらも、他方では、代々木からの分離という自己の組織的行為の共産主義的意味をこんにちにいたるも一度として反省することがないのである。もともと、共産主義運動にあっては運動主体と認識主体との統一として自己表現するのであるが、わが水沢君にあっては、運動主体と認識主体とは機械的に分離されているのであり、反スターリン主義なるものは外在的な事象として即自化されているにすぎないのである。したがって、水沢論文では、プロレタリア階級闘争の運動基軸が、共産主義者の組織的実践のうちにではなしに、社会民主主義者と大衆の改良主義との照応関係のうちに設定されている、ということはけっして偶然ではない。
 砂川闘争における日共との共闘問題でもあきらかのように、マル戦派の本質は、革命的左翼にたいするスターリン主義的追従者であるといえるが、それは同時に、マル戦派が改良主義に転落することをいささかもさまたげるものではないのである。いまや、水沢君を代表者とするマル戦派指導部が、いわゆる中国文化大革命の評価を基軸に毛沢東主義への屈服をふかめながら、革命的左翼内外におけるスターリン主義復活の先兵としての役割を強めていることは、周知のとおりであるが、その背後では、すでに指摘したような改良主義への転落が隠然と進行しているのである。スターリン主義の復活と改良主義への転落――この両者を一つに結びつけるもの、それはただ共産主義の喪失であり、プロレタリア革命の背教である。
 一九六七年の階級闘争をとおして不可逆的な過程に突入したブントの後退と没落は、まさに、マル戦派指導部における共産主義の喪失、すなわち改良主義への転落を思想的根拠としているのである。問題はまさに、反帝国主義・反スターリン主義を世界革命綱領とする革命的共産主義運動のいっそうの前進として提起されているのである。
 【追記】 全学連定期大会をとおしてブント・マル戦派の思想的腐敗と政治的没落は、なんぴとも疑う余地のないものとなった。すでにマル戦派を批判することはアウト・オブ・デートの感すらある。だが、没落の一路をあゆむとはいえマル戦派のエセ革命論は、なおいぜんとして一部学生活動家のあいだに影響力を保っている。革命的左翼の理論的一助としてもらえたら幸いである。なお、七月五日いらいの連日の東交再建合理化阻止闘争にひとりも姿を見せなかったブントは、公営企業委員会の流会と空転という闘争のたかまりのなかで、一八日、ついに全学連のたたかう戦列に参加してきたことを、ブントの名誉のために一言しておきたい。
      (『前進』三四二号、三四四号 一九六七年七月一〇日、二四日 に掲載)